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はてなキーワード: トランスセクシャルとは

2019-07-12

anond:20190712182803

トランスセクシャル自民党投票するべきだ

シスヘテ女性けが差別から逃れるなど許されることじゃない

誰も彼もが平等差別される社会こそが真の正義の実現だ

もちろん上級国民例外となるがそれはコストとして割り切るほかない

2019-05-20

anond:20190520110527

すでに同性愛者の一部がトランスセクシャルに移行してるんでそれは事実の指摘にしかならないんだが

どこ情報だよ、それ。だったら同性婚など訴える必要がなくなる。

早くペド無性欲化も事実になるといいね

現実に今、ペドフィリアは性欲を極度に制限されて生きている。

ほぅ~ペドさんは性欲は関係なく承認欲求だけ満たしたいってことだったの?

増田ペドですっていって承認されてんだから満たされてるじゃん

同性婚を主張することを言ってるのがわからない?

隠喩理解できない?

つらい頭だ

anond:20190520110226

すでに同性愛者の一部がトランスセクシャルに移行してるんでそれは事実の指摘にしかならないんだが

早くペド無性欲化も事実になるといいね

承認欲求

ほぅ~ペドさんは性欲は関係なく承認欲求だけ満たしたいってことだったの?

増田ペドですっていって承認されてんだから満たされてるじゃん

おわり

2019-05-17

anond:20190517162425

その場合トランスセクシャル女性はどういう扱いになるんですか?

玉無しはOKだけど、玉ありはNGとか?

戸籍上の変更手続きが済んでないと玉無しでもNG?

2019-01-17

anond:20190117203324

つーかトランス女性=必ずしも性自認女性な訳でも女性になりたい訳でもない、のに

その辺すら分かってないのだらけだからなあ

性自認男性異性愛者で男性のままでいたくて手術しようなんて一切考えてないし男性もついていて

「スケベ心で女湯に入りたい男性」と身体的にも精神的にも何ら変わらない「トランス女性だって数多くいる

昔はトランスと言ってもトランスセクシャルとトランスジェンダーとトランスヴェスタイトで違う、なんて言われてたもんだけど

今は全部一緒くただよね

ある意味知識が無い人が単純に理解しようとして単純化されたのかもしれない

2018-08-02

杉田氏の文章を全文読んだ上で批評する

要約を最下部に載せています。全文読んでない方は要約も見て下さい。

反論

彼女エッセイの主張はシンプルだ。

A)そもそも日本は古来から同性愛に寛容だが、欧米同性愛者が迫害されてきた。社会構造が違うのに、欧米的な多様性容認していく流れを見習うべきという論調が目立つ。

B)多様性に寛容になり様々な性的指向を認めていくと際限がなくなる。「常識」や「普通であること」を見失うと秩序が保てない。

C)多様性肯定的報道はそれを助長することになりかねない。

以上が主な主張だ。反論は下記。

a)日本LGBTに寛容という点は、男色文化があるし同意できる部分もあるが、杉田自身が示した朝日新聞記事( https://digital.asahi.com/articles/ASL3K32F4L3KUBQU002.html )に「『周りの人の多くは性的少数者偏見を持っていると思う』と回答したのは、性的少数者層の当事者の48%に上った。」「性的指向性自認に関する言葉嫌がらせを受けたことがあるのは、非当事者の10%に対し当事者は29%。」とある。これで、寛容といえるのだろうか。

b)際限がなくなる危惧理解するが、現状では際限をなくしたい訳ではない。いままで「常識」や「普通であること」の外にいる人も包摂した社会にしたい。それまで中にいた人にとっては苦痛だろうが、心の中まで犯そうとは思っていない。男と男が手をつないでいて違和感を感じたとしても、その違和感自体否定しない(違和感がないことは理想だが)。ただ、その人たちも同じ日本に暮らす仲間として受け入れ、そういうパートナーシップがあることを理解し、異性愛者と同様の社会制度を作って欲しい。

c)肯定的報道が際限のない多様性拍車をかけているという因果関係を具体的に示していないので、報道云々の箇所は論拠を示して下さいとしか言えない。(そもそも多様性は既に現に「ある」のに、どう広げるというのだ)

以上。

感想

枝葉に目をこらすと、看過できない表現もあった。

1、『LGBTカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり生産性」がないのです。』

この文章が置かれている文脈では、議論右往左往しているので掴みにくいが、概ね下記の主張だろう。

日本では実際LGBT差別されているか疑問だ

  →LGBTの「生きづらさ」は親の無理解が大きい

    →親は自分の子供が同性愛者だと孫ができないのでショックを受ける

    →親の無理解クリアできれば、だいぶ「生きづらさ」は解決する

      →しかしそれは制度を変えることでは解決しない

  →そもそも社会は「生きづらい」のにリベラルメディア社会制度のせいにする

    →「生きづらさ」を自分で乗り越える力をつけさせるのが教育

    →「生きづらさ」を行政解決することには賛成する

      →しかし、行政が動くということは税金を使うということだ

        →子育て支援などは少子化対策という大義名分がある

          →しかし、LGBT子供をつくらないのに税金を投入すべきか疑問だ

しかに、少子化対策の枠でLGBT支援をするのは難がある。だが、全ての予算は「子供をつくる」ためにある訳ではない。「生産性」を広い意味で捉えたとしても、すべての税金の使いみちが「生産性」を追い求めるべきなのか。であるなら、クールジャパンファンド赤字を、ぜひとも批判してほしい。

なお、エッセイ後半の多様性容認のくだりをみるに、彼女が指す「LGBT支援とは、カップルに関することだけではなく、学校においてトランスセクシャル向けのトイレ制服を作ることも含まれていると思わる。性的マイノリティ暮らしやすく、「自分らしい」生き方ができる社会を整備することは充分に税金効果はあると思うが、そうした整備にも税金を使うことが躊躇われるようだ。

 

 

2、『「多様性時代から女性男性)が女性男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。』

それは同性愛者だったということであり、「これでいいんだ」と思えたなら、素晴らしいことではないか

同性愛になるか異性愛になるかは、人にどうこう言われて変わるものではない。

 

 

3、『LGBTからと言って、実際そんなに差別されているものでしょうか。』

杉田氏は『成長するにつれ男性恋愛して、普通結婚していった』と述べてる。つまり、異性と恋愛せず結婚しない同性愛者は「普通ではない」というのだ。

一方、エッセイ最後で『「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していく』とも書いてある。

『「普通であること」を見失っていく』の主語社会と捉えるにせよ、その発端は「普通でない」同性愛である

杉田氏は、同性愛者に対して「あなた存在は秩序を崩壊させる」と言っているのだ。

これが差別以外のなんなのか。

 

 

4、『自分の好きな性別トイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱です。』

藁人形である

文科省は通知を出していて「好きな性別トイレを使っていい」という指針にはなっていない。

トイレ多目的トイレ職員トイレ更衣保健室多目的トイレを利用することを推奨している。

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/28/04/__icsFiles/afieldfile/2016/04/01/1369211_01.pdf


さいごに

私はLGBT当事者ではない。同性とセックスすることはあるが、あくまで性欲に紐づくものであって、愛に紐づくものではない。なので、基本的にはストレートだと自認している。

そして、前提として、日本無秩序にしたい訳でもない。

従来の「ふつう」以外も認めて欲しい。そして、「ふつう」以外の人も包摂する社会制度を再設計したい。

もちろん、いままでの「ふつう」を崩すとどこまで崩すのか、と不安になる気持ち理解できる。

私は、他人に深刻な不利益をもたらさない限りで、かつ、従来の根本的枠組(人の定義etc.)の延長で、最大限の多様性を許容する社会制度

また、「同性を好きになったり、同性とセックスするヤツは気持ち悪い」と思うのを止めたい訳ではない。思うのは無意識化だから仕方がないことだ。

それを個人的感情にも関わらず「ふつう」という、さも一般化した言葉に置き換えるのをやめて欲しい。

杉田氏や反LGBTの人も含めた、すべての人が最大限の幸福を得られる社会になってほしいと心から願っている。

参考:杉田エッセイの要約

LGBTで各新聞キーワード検索したところ、朝日新聞毎日新聞記事数が多い傾向があった。この2紙はリベラル系でありLGBT権利を認めて支援する動きを報道することが好きなようだが、違和感がある。背後には権利を守ることに加えて、LGBTへの差別をなくし、その生きづらさを解消してあげよう、そして多様な生き方を認めてあげようという考え方が伺える。

しかし、LGBTからといって実際に差別されているか疑問だ。私は自分の友人が同性愛者でも気にしないし、職場でも仕事さえできれば問題ない。多くの日本人も同様ではないか

キリスト教イスラム教社会は、教義によって迫害されたり命に関わる問題にもなっていた。一方で、日本には同性愛者を「非国民だ!」という風潮はないし、迫害歴史もない。むしろ寛容な社会だった。欧米日本では社会構造が違うのに、日本マスメディア欧米を見習うべきという論調が目立つ。

LGBT当事者から聞くと、親に理解してもらえないことの方が社会的な差別よりつらいという。親は自分の子供が自分と同じように結婚して、子供をもうけてくれると信じているから、それができない同性愛者だと分かるとショックを受ける。LGBTの両親が受け入れてくれれば、日本はかなり生きやす社会になるのではないかしかし、これは制度を変えれば解決できるものではない。

リベラルメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにする。しかし、そもそも世の中は生きづらく、理不尽である。これを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育目的のはずだ。「生きづらさ」を行政解決するのが悪いことではないが、動くには税金必要である

・例えば、子育て支援子供ができなカップルへの不妊治療税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分がある。しかし、LGBTカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものなのか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり生産性」がない。そこに税金を投入することが果たしていいことなのか。にもかかわらず、行政LGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。

・ここまでLGBTという表現を使ってきたがLGBと、Tは分けるべきだ。トランスジェンダーは「性同一性障害」とい障害であり、自分の脳が認識している性と自分の体が一致しないというのは辛いだろう。政治家として、医療行為を充実させることは考えていいことかもしれない。

・私は中高一貫女子校出身だ。女子校では、同性の同級生や先輩が疑似恋愛対象となるが、それは一過性で、成長するにつれ男性恋愛して、普通結婚していった。しかし、マスメディアが「多様性時代から同性を好きになってもいい」と報道したら、普通恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねない。

朝日新聞調査LGBTが281人、自分が男女いずれでもないと感じるXジェンダーが508人、性自認性的指向が定まっていないQ(uestioning)が、214人いた。合わせて1003人にもなる。LGBT世間が騒ぐから「男か女かわかりません」という高校生が出てくる。また、思春期から社会の枠組みへの抵抗もあるだろう。(記事https://digital.asahi.com/articles/ASL3K32F4L3KUBQU002.html

・多様な性に対応するために、自分認識している性にあわせて自由制服選択できることに肯定的報道をよく目にする。例えば朝日記事で「多様性、選べる制服」。また、オバマ政権下では公立学校において、自分認識した性に応じて更衣室を使えるように通達を出した。果たして、それはいことなのか。Tに適用されたら、LやGにも適用される可能だってある。自分の好きな性別トイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱する。(記事https://withnews.jp/article/f0180330006qq000000000000000G00110601qq000017068A

最近LGBTに加えて、QやIやPなど訳が分からない。なぜ、男と女の2つではいけないのか。パスポート性別欄に男でも女でもない「X」と記載できる国がある。タイでは18種類の性別があるというし、Facebookでは58種類の性別が用意されている。冗談のようなことが本当に起きているのだ。

・様々な性的指向も認めたら、同性婚容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚や親子婚、はたまた、ペット婚、機械結婚させろという声が出てくるかもしれない。どんどん例外を認めると、歯止めが効かなくなる。

・「LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させることにもなりかねない。朝日新聞が「LGBT」は、冷静に批判してしかるべきではないかと思う。「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していく。私は日本をそうした社会にしたくない。

記事リンクは、筆者が探した。杉田氏が示した大阪版とリード部などが異なるが、本文はほぼ同一。

2018-07-24

日いづる国より 2015年6月5日 書き起こし

中山恭子参議院議員

皆さま、こんばんは。「日いづる国」よりの時間です。

この番組は国を思う政治家の方にお越しいただき、その想いを語っていただく番組です。

今日は前衆議院議員杉田水脈さんにお越しいただきました。

杉田さん、また先週に引き続き、今週もよろしくお願いいたします。

杉田水脈衆議院議員

よろしくお願いいたしますね。

中山

そして、すぎやまこういち先生にもご参加いただいております

支援いただきまして、ありがとうございます

先週は主として慰安婦問題お話いただきました。

やはり、非常に厳しい状況ですね。

他の国々、日本韓国との関係だけではなくて、

ほかの国もまさに韓国の言っていることを信じてしまっているところがありますから

国の中でこの問題を取り上げるのと同時に、海外にもやはりきちんと日本史実に基づいた、

事実に基づいた歴史認識っていうものをしっかり持って、

海外にも説明していかないといけないと思いますよね。

すぎもとこういち:

やらないとね。

クワラスラミ[クマラスワミ]さんなんか洗脳されちゃってて、ねえ。

中山

違っていますという、架空事柄ベースになっていますということが分かったあとでも、

世界はまだ何の訂正もされていないということですので、

まだまだやらないといけないことがたくさんあります

杉田

そうなります

中山

杉田さんのところ、宝塚市というのが、先週のお話では上村さんの講演が堂々と開かれるとか。

杉田

そうなんです。

中山

ちょっと信じられないような実態になっているってお話を伺って、心配状態ですけど……。

杉田

私が今住んでおります宝塚市、まあ選挙区でもあるんですけれども、

皆さんは歌劇とかのとっても素敵なイメージがあるんじゃないかなと思うんですが、

実は、今宝塚市長をしていらっしゃる方が、元社民党国会議員女性市長中川智子市長]さんなんですね。

で、いわゆる土井たか子さんの土井チルドレンと呼ばれた方々で、

最初当選は、先週の話題にも出てました辻本清美さんと同期で当選をしていらっしゃるあの方なんです。

その方が今回二期目に入りまして、二期目が半分終わったところなんです。

中山

わたしどもにとって土井たか子は、さんっていうと、

拉致問題北朝鮮拉致などするはずないでしょうと有本さんを叱り飛ばして帰したっていう、

そのイメージがまず来る方なんですけども。

杉田

そうなんですね。でも、その土井たか子をずっと選挙で通し続けてきた地盤っていうのは、

まさしくこの阪神間といわれる、まあ普通に考えればおしゃれな街のイメージのところが、実はそういう地盤なんですね。

で、その市長さんが1期目とそれから2期目の前半はわりと安全運転で、普通の市政をしていらっしゃったんですが、

いよいよここに来て、今年の予算とかを見させていただきますと、

自分がやりたいことのカラーを出してこられたなというようなイメージが非常にするんですね。

中山

あ、だから上村さんを平然と講師に招いて…。なるほど、それができるということなんですね。

杉田

まあ、これは市がやってるわけじゃなくて、先週紹介したのは市がやってるわけじゃなくて、

市民団体の方が上村さんを呼んできてしてるんですけれども、まあ普通に市立の公民館でやってますからね。

中山

そうですね。そういう勢力が強い。

杉田

はい、非常に強い勢力があります

そんな中で私が一つ問題視をしていますのが、いわゆるLGBT支援法っていうものなんですね。

皆さんに分かりやす説明しますと、「L」っていうのはレズ、「G」っていうのがゲイ

「B」というのがバイセクシャル、そして「T」がトランスセクシャル性同一性障害の方なんですが、

そういった方々を支援していきましょうっていう法律案なんですね。

で、これ、実は今年の3月渋谷区で可決をされているんですね。

渋谷区は、渋谷区のね、タイトルちょっと、もうタイトルからしてですね、非常におかしいんですけど、

渋谷区男女平等および多様性尊重する社会を推進する条例

というタイトルなんです。

ここにはLGBTとか同性愛とかは一言も出てこないんですけども、

タイトルはこういうタイトルなんですね。

ただ、中身を見ると、今同性愛の方々が色々と生活しにくい問題があると。

例えば不動産屋さんがね、同性愛カップルにはお部屋を貸さなかったりとかするので、

非常にその方々は差別を受けていると。

同性同士が結婚するってのは、憲法で認められていませんから

地方自治体がそこまで口出しをすることは当然できないわけですが、

条例という形で、この人たちは婚姻と同じような関係にあるということの証明書を出したりとかですね(笑)

そういうのを自治体ができるようにしましょうっていうような条例なわけなんです。

これ、渋谷区で残念ながら可決されてしまいました

これに飛びついたのが、次は私の住んでいる宝塚市なので、やりたいということで。

以前からですね、市の職員議員さんを集めてですね、

こういう同性愛の方の気持ちを知りましょうって、本当に同性愛の方に来ていただいて、

講演を聞くとかっていうのを市長は好んでやっていらっしゃったそうなんですね。

すぎもと、中山

爆笑

杉田

いうことなので、いよいよこれを宝塚でもやろうということをなって、

私は当然こういう条例必要ないと思いまして、3つの理由を挙げてブログに書かせていただいたところ、

大変賛否両論いただいて、いわゆる炎上という形になってるんですが、

私が一つ目にあるのはですね、タイトル見て皆さん気付いていただけましたでしょうか。

渋谷区男女平等及び多様性尊重する」って、

この「男女平等」という部分と「多様性尊重する」というのを同列で論じているんですね。

すぎやまこういち

違うことだよね。

杉田

違うことですね。

あの「男女共同参画」とかとはまたまったく違う問題なんですけど、同列にしていると。

ただ、私は男女の支援っていう、その例えば子育て支援を行ったりとか、

今、自治体によっては結婚支援を行っている自治体もありますが、

これは私はやっぱり今日本は大変少子化ですからもっと子供を産んでいただかないといけないと

いうことがありますからね。そういうところに対して税金を使って支援をしているわけです。

ならば、こういう言葉を使うからダメなのかもしれないですが、はっきり申し上げます

生産性がない同性愛の人たちに皆さんの税金を使って支援をする、

どこにそういう大義名分があるんですかっていうことがまず一点なんですね。

男女平等も私はありえないということを発言して、この時もだいぶ炎上したんですけれども、

差別じゃないんですよね、区別なんです。

すぎもと:

区別

杉田

そこの部分を混同してしまってはまずいけませんよということが一点目です。

そして、二点目は日本という国は、「基本的人権」というのが全員に尊重されていますから

大人子供も、それから年寄りも、障害者の方も、病気を持った方も、

みんなすべて基本的人権というのが尊重されています

で、その上でですよ、女性人権がとか、子ども人権がとか、あと同性愛の人の人権がっていうと

それを特別支援するっていうのは特権になってしまうんですね。

中山

そうですね。

杉田

から、そういったことは必要がないですよ。

すぎやま:

から日本語で言うと「屋上屋を架す」っていう

屋上にまた家を建てるみたいな話になるんですよね。

杉田

それが二点目です。

それから三点目なんですが、私自身が行政で18年間働いておりましたので、

地方自治体が今やらないといけない仕事って本当に山ほどあるんですね。

例えば生活保護とかがすごい増えているんですが、そこに職員の数が割けなくて、

から不正受給とかを見破ることができないということもあります

児童虐待問題が増えているんですけれども、そういうところにも十分に職員の数を割くことができません。

いろんな問題多様化していて、でも自治体の数は行革とかで減ってるわけですよ、職員の数は。

そんな中で、本当に皆さんあっぷあっぷしながら仕事をしているのに、

もっと皆さんの生活に密着した問題で、しっかりやっていかないといけない問題が山積みになってるのに、

これってそんなに優先順位の高い問題ですか?

優先順位から考えても、かなり優先順位は低いんじゃないですかという。

この三つのことを掲げて、私は「こういう支援はいりません」って言うようなことを書かせていただいたんです。

でも、きちっと私は論理的に書いたつもりなんですが、差別主義者のレッテルを貼られてしまって、

普段、私がブログとか書いてもあまり取り上げてくれないんですが、

こういう内容を書くとですね、なんとかlivedoorニュースとか、なんとかニュースかいうのが取り上げてくださって、

この間なんか、テレビ討論番組から電話がかかってきまして、

LGBT知識学校教育で教えるべきかどうかということに対しての意見をください」という風に言われまして、

すぎやま、中山

爆笑

杉田

私は当然そんなもの必要ありませんと。

中山

そりゃあそうですね。

杉田

ですね。はい。って言ったらあのなんて言われたかというとですね、

同性愛の子供は普通に正常に恋愛ができる子どもに比べて自殺率が6倍高いんだと。

それでもあなた必要ないと言うんですかみたいなことをね、言われまして。

すぎやま、中山

爆笑

杉田

私はそれでもあの優先順位は低い。同じですね。

学校先生も、今モンスターペアレントだとか、学級崩壊だとか、

やらなきゃいけないこといっぱいあるのに、こういうことをやっている時間はきっとないでしょうし。

あと、じゃあ、どれだけ正しい知識先生子どもたちに教えられるんですか?と

誤った知識を教えてしまったらおかしいじゃないですかと。

あと、思春期の頃って本当にいろいろあるんですね。

私も女子校で育ちましたから、周りがもう女性ばっかりなんですね。

ちょっとかっこいい女の子がいたらラブレター書いたりとか。

かっこいい先輩と交換日記してくださいとかしてるんですけど。

でも、こう年をとっていくと、普通に男性恋愛できて、結婚もできて、母親になって…ってしていくわけです。

その多感な思春期の時期にですね、

「いや、女性女性を好きになるのはおかしくないですよ」

男性男性好きにおかしくないですよ」

もっと皆さん、堂々と胸を張って、そんな縮こまらずに、同性愛の人もちゃんと胸を張ってましょう」

っていう教育したらどうなりますかね。

ちゃんと正常に戻っていける部分を踊っていけなくなってしまますよねっていう。

そういうことを延々その方に説明したんですが、結局そのテレビでその企画はなくなったそうなので、

私が出てテレビでそれを喋ることはなくなってしまったんですけれども、

まあそういう問題は非常にホット日本中、これ渋谷で可決されて

宝塚で可決されると、先週お話しした慰安婦意見書じゃないですけれども、

全国にバーッと広まっていってしまうんですね。

で、私そこのブログにもあえて書きませんでしたが、これは何かというと家族崩壊につながるんですよ。

中山

そりゃあそうですね。

すぎもと:

それともう一つ決定的なことは、同性愛から子供は生まれません。

これは大きいよね。

杉田

はい、そうなんです。まったくその通りなんですね。

私ね、この問題もそうですし男女平等、これも私はもう男女平等絶対に実現しえないですから

だって男性に「子供を産みなさい」って言ったって産めないわけですから

そこでもどうしても女性男性役割分担で、

どうしても一緒に平等にきっちりなることはありえませんよっていうようなことをずっと言ってきたんですが、

これもすごい反発受けたんですけど、一つすごくこの問題、こういった問題に取り組んでいる中ですごく気づいたことがあるんですね。

でも、すごく私に対して「あなたは間違っている。差別主義者だ」って言ってくる人達っていうのは、日本というのはひどい国だと。

女性がずっと虐げられて、昔貧しかったら、女の子が売りに出されて、女郎になって、ずっと男に虐げられて、もうとんでもない男尊女卑の国なんだって

から、しっかりこういうことをやっていかないといけないんだというところが出発点なんです。

でも、私はあのいつも申し上げてきたとおり、日本ほど女性大事にされてきた国はないですよと。

役割分担をきちっと男性女性の間できちっとされてきて、女性大事にされてきた。

そういう国なんです。

すぎやま:

うそう。「かかあ天下」という言葉があるでしょ。

韓国にはないですよ。

あそこは男尊女卑かもしれないけど、日本っていう国は

かかあ天下」という言葉があるし、一番おおもとは天照大神じゃないですか。

中山

世界で唯一、女性

杉田

そうなんですね。

ずっと歴史を見ていくと江戸時代からもう女性が財布のひもを握ってる国っていうのは日本だけなんですね。

欧米男性が握ってるんですよね。

レディーファースト」とかってよく言われますけど、あれ女性のほうが先に行ったら、

男性自分が身を守ることができるっていうね、そういうところの習慣から来てるって言う説もございますし、

でも、日本は逆に女性の方が3歩下がっていうのは、何かあったとき男性が前に出てくださいね

っていうような。

中山

ただ、よく言われるのは、フランス女性たちは非常にコケティッシュだ。

それはご主人がすべて握っているので、なにしろ自分の物を買いたい時、

買ってもらうためはやっぱり美しくて、コケティッシュじゃないといけない。

杉田

かにそれはそのとおりかもしれませんね。

中山

日本場合あんまりそういう男の人に媚びを売るっていうようなことは絶対しなくても済んでいる世界です。

すぎやま:

天照大神があって紫式部があって、ずっと見ると日本女性の方はすごいわ。

杉田

それと同じで、今回のこのいわゆる同性愛支援のことについても、

私に対してばーっと反論して来られる方々っていうのは、

やっぱりまだまだ日本は遅れている、

同性愛人達に対しての知識認識も浅いですし、そういう人たちの差別がまかり通っているって。

外国ではあの結婚できるような国もあるじゃないですかと。

アメリカなんかカリフォルニア州とか州法なんかで結婚を認めてるようなところもある。

それに比べれば、日本はまだまだ遅れているから、もっとちゃん同性愛の人たちに対して、

ちゃんとやってあげないといけないんだよっていう人たちなんですが、私は逆なんですね。

日本歴史の中をこう見ていくと、同世代というのは昔からあるんですよ。

ただ表立って権利をくれと言ってる方はいらっしゃらないです(笑)

で、日本はただそういうのがあるってことを分かっていながら、

その人たちがあの生きづらい状況ではない形になってるんですよね。

から、逆に言えば。

中山

上手な社会ですね。

杉田

上手な社会ですね。本当にそう思います

でも、キリスト教の国とかは、逆にキリスト教同性愛禁止していますから

本当にこう差別されて、虐殺されたりとか、虐待されたりとかする歴史があるから

法制度をちゃんとやっていなきゃいるそういうところがあるので、

やっぱり出発点が日本はいい国だと思えるか、いやいや日本はひどい国だと思えるかのところで、

そういう批判をされている方と私の考え方の間にはまず出発点からして噛み合わない部分があるでしょうね。

中山

杉田さんこの「T」ですけれども、これはどう考えますか?

杉田

私、「T」は性同一性障害なので、このLGBTの中に入れていっしょくたにししまうの、

私これは非常に違和感がありまして。

中山

そうですね。

杉田

性同一性障害という、これは一つの病気でありますから医療行為としてどこまでどうするのか、

これは医療分野の問題になってくるかと思います。これもひとつ議論がありまして、

今例えば保険が効くのはどこまでで、例えば今私も歯の矯正を頑張ってしているところですけども、

虫歯直すのは保険っていうけれども、歯を矯正するのは保険効きませんよ、

とかそれと同じでですね、医療の分野の中でどこまでこれは医療行為として、

例えば保険で認める、保険で認めないとかっていうまた別の議論だと私は思ってるんですね。

ただ、これを一緒にしてしまっていることでね、すごく先生、いい指摘なんですけど、

今、このLGBTの方は人口の5%とか7%とかって言われてるんです。

から、私が先ほどの「行政優先順位が低い」って言った時に反論をいただいたのは、

もう人口の5%なり7%なりがこういう人たちなので、優先順位は低くないでしょうっていう反応が来たんですね。

でも、実はこれ、電通総研かどっかが出しているそういうデータらしいんですけれども、

「T」の方がやっぱり多いんです。ご病気の方が。

本当にLGBの方の数って1%くらいらしいんですね。

ただ「T」の方まで入れてしまうととすごい大きな数になってしまうといったことなんですね。

中山

これは切り離して、障害があるということであれば、それはきちんと丁寧に対応しないといけないですからね。

その一緒にしてしまうと…。

杉田

そう思いますね。

すぎやま:

わけわからなくなって。

今言った性同一性障害っていうのも、精神的な神経科が扱う問題なのか、

ホルモン異常なのか、生理的もののか、二種類あると思うんですよね。

そういうことがね、全部ぐしゃぐしゃに混ぜちゃうというのは間違いだし、

その狙いは何なんだろうと。

その奥に変な狙いがあるかもしれない。

杉田

その狙い通りで、これ私もまたたいへんな問題だなと思っているのは

今こういう条例とか皆さんにアンケート国民の方に開けて「やったらいいじゃないですか」と。<

2018-05-16

男女で主人公を取り合う設定の恋愛漫画

男女が主人公を取り合う恋愛漫画が好きだ

↓みたいな性別未分化主人公を幼馴染の男女が取り合う三角関係物とか

性別モナリザの君へ

http://www.ganganonline.com/viewer/player/viewer.html?tw=2&cid=SQEX_SEIBETSUXXXC0010_72

水城せとな放課後保健室上半身下半身女の主人公を男女が取り合う話だったし

同作者の窮鼠はチーズの夢を見るもBLにしては珍しく女キャラが軽い当て馬だけに終わらず男キャラにはりあってていい感じだった

多分トランスセクシャル漫画界隈にも多そうな設定だと思うんだけど何かこの設定で面白い作品はないかな。

2017-11-01

腐女子精神を重視し男オタクは肉体を重視する

からトランスセクシャル

体が男になった女とその彼氏精神的には男×女肉体的には男×男エロ男性向け女性向け共に需要が薄いが

体が女になった男とその親友精神的には男×男肉体的には男×女エロ需要男性向け女性向け共にそれなりにある

女性向けノマジャンル的にはどちらが有りなのか気になる

2017-07-20

性同一性障害を抱える人へ

わたしはいわゆる性同一性障害だった。

「だった」と明示的に書くのには理由がある。

性同一性障害世間に広く知られるようになってもう長い。

わたし現在20代で、比較偏見の目も少なくなりつつなる世に生まれた方だと思う。

言うまでもないが、性同一性障害といのは「性自認」における「同一性」の障害だ。

ジェンダーアイデンティティに置き換えても構わない。

よく性別適合手術まで受け、戸籍変更した元男性も言うが、性別適合手術を受けたからといって、遺伝子は変わらないし、元男である事実はまぎれもない事実だ。

要するに結局はアイデンティティに関する障害であると言うのがこの病の本質だ。

わたし自身性別適合手術を済ませ、戸籍変更も済ませているが、その後もカミングアウトによる偏見の目というのは少なからずある。

これは良い悪いという話ではなく、性同一性障害当事者をどう見るかなんて言うのは差別でも何でもない。

その人の捉え方だ。

もちろん、性同一性障害理由に不当な社会的制裁を下すのは現在法律では禁じられているが、どう思うかなんてのは自由しかない。

程度にもよるが、犯罪妄想したりするのと何ら変わりはない。

話を戻そう。

先にも述べたが、性同一性障害ジェンダー問題であると同時にアイデンティティ問題でもある。

アイデンティティ非難する理由の1つがジェンダーであり、ジェンダーというのは今の医療技術ではどうしても限界があるというのがこの病の難しい点だ。

しか視点を変えれば、アイデンティティジェンダーだけで構成されるものではない。

あたりまえのことだ。

わたし」を構成する要素は性別であり、年齢であり、特技であり、苦手なことであり、実に様々だ。

トランスセクシャル性的マイノリティというのはもちろんそれを構成する要素の1つだが、再三言うがそれだけではない。

自分遺伝子的な性はどうやっても変わらない。

それでも体を変えることで自分世界が少しでも明るくなるならば、治療を受けて見る価値はあるだろう。

性同一性障害を抱える以前にまず、自分アイデンティティについて一度考えてみるのも大切なことだ。

2016-11-11

「今までポリコレ棒で叩かれてたオタクポリコレに守られてるわけねえだろ、反ポリコレになって当然だ」ってのは違うって。

ポリコレオタクを殴る」ってのは、ソフ倫の「近親相姦獣姦禁止」とか、コンビニエロ漫画の「ランドセルセーラー服禁止」の方だよ。

駅乃みちか辺りの話は、「オタクが棒を所構わず振り回しだしたので、それで殴られるやつがいからやめろ、と、棒を取り上げられた」って話なんだよ。

自分が持ってたはずの棒を他人に取り上げられたから、「あの棒で俺を殴る気だ!」って言ってるだけのことだ。

棒を振るなって言われたら「じゃあ、この棒はどこで振っていいのか。誰に向けてなら振っていいのか」をちゃんと突き詰めて、お互いに気持ちよく傷つけ合わずに好きな棒を振れる距離を見出さなきゃいけないのに、「その棒、こっちに当たりそうなんですけど」「じゃあ、もう棒振らない……」って逃げちゃうやつが悪い。

「そうか、この棒はお前の前髪掠ってるか。じゃあ、これくらい短めに持っておこう。代わりにあっちの空いてるスペースは、お前に当たらないから好きに振る」そういう話をちゃんとしていかなきゃいけない。

でも、「どこででも好きに棒を振り回していい」という状況に慣れきってた奴らは、それが出来ない。話し合うのがめんどくさい。というか、話し合う方法が分からない。

オタク別に好きなように棒を振り回してない? むしろ、振り回さないように遠慮してた?

それは違うだろ。最近ちょっとマシになったけど、エロゲブーム末期の秋葉原はすごかったぞ。大通り沿いに平気でスジ晒し幼女ポスターが貼ってあった。

でも、それはそれで正しい(大通り沿いはどうかと思うけど)。秋葉原オタクに特化した街で、そういう表現を好む人間が好んで集まる場所から、そこではそれがメジャーなのだ

そう、メジャー秋葉原のノリはマイノリティのノリじゃなくてメジャーのノリ。

マイノリティマイノリティとして、メジャーとの距離感を図る表現じゃなくて、メジャーメジャーとして、それ以外の表現駆逐する表現。だから、よそに持ち出した時に「お前、それはちょっと待てよ」と制止がかかる。

ゲイタウンでは、ムキムキマッチョが小さいパンツで股間をモッコリさせたセクシーポスターいくらでも飾ってある。そういうのはゲイタウンの外では滅多に見ない(意味もなくビキニ姿な女性広告はいっぱいあるけど)。

しかし、年に何回か、ゲイパレードではそういう人たちがみんなの前に出てくる。普段はみんなの目に触れないけれど、こう言うふうに暮らしている人がいます、という『自分権利』を主張するために出てくる。

おネエタレントがいる。おネエと呼ばれる中には、ただのゲイもいれば口調が女っぽいだけのノンケもいるし、トランスセクシャルもいて、それが一緒くたになってる。

性転換手術済みのMtFでも、いっしょくたに「女みたいな格好したおっさん」として「きもーい」と扱われる。

「そう扱われるのは嫌じゃないですか?」というインタビューに「本当は女性タレントと同じように扱ってほしい。でも、今はまだそういう時期ではない。自分の次の世代からは変わっていくと思う」と答える。

オタク表現だってそういうもんじゃないのか。

隠れた場所独自進化したものが外に出ていくときは、「どこまで受け入れてもらえるか」手探りで、全部を最初から受け入れてもらうのではなく、自己主張と融和を繰り返して「どこが中立か」を探っていくものだと思う。

それをせずに、いきなりどこででも秋葉原ノリで棒を振り回しだせば、「きもい!」と同じ棒で叩かれて当然だわ。

今までは意味もなくビキニ姿の女性ポスターが、街中のどこにでも貼ってあった。それは、そういう広告出展するメジャー勢力であるおっさんが振り回してる棒で、その棒に殴られてた人が「すいません、今まで社会的立場が弱かったので黙ってましたが、もうそういうのやめてください」と言いだす。

そして、「少なくともビキニや下着姿である意味のない広告はやめよう」「そういう広告にするにしても、おっさんだけでなく様々な立ち位置の人に良い印象を与える表現にしよう」と『中立』を探っていく。

ビキニ胸の谷間を強調するポスターがどこにでも貼ってあったおっさんからすりゃ、窮屈で意味不明だろう。「女は露出して胸を寄せて男を楽しませるべきものなのに、なんで遠慮しなきゃならないんだ」って平気で言う。自分が振り回してた棒を取り上げられて、「みんなが俺の価値観攻撃する!」と泣き喚く。

ビキニ姿の女性を、上司に無理やり酒を飲まされる若い社畜に変えても同じだよな。

ポリコレ棒はターン制ってのは正しい。棒を取り上げられたやつらは、その棒を取り戻してまた相手ボッコボコにしていく。

から、これからポリコレ棒を振り回してくるやつも全く容赦しなくなるだろう。お前らの息を完全に止めるまで、自分たちは棒で叩かれるって分かったわけだから

頑張れよ。話し合いじゃなくて、お互いが死ぬまで殴り合うことを選択したのは、棒を取り戻したいって言った奴らなんだし。

2016-11-06

3巻以内完結のおすすめマンガ (2016)

1年前ぐらいに書いたこエントリー

3巻以内完結のおすすめマンガ

http://anond.hatelabo.jp/20151017231411

がそこそこ好評だったので、改めてタイトルを追加してみようと思って書いてみます

順不同で、試し読みがあったものリンク貼ってます

リーチマン(3巻完結)

http://morning.moae.jp/lineup/121

主人公テツローはフィギュアの造形師を目指す主夫だが、数年間くすぶっている。

そんなテツローと、彼を支える嫁との生活を描いた作品

ほぼ作者の実体験にもとづいて描かれており、自分の夢に向かいながら生きることの難しさや不安真摯に向き合った作品だと思います

テツローと嫁の掛け合いがたまらなくいいです。というか嫁がかわいくて強い。

初めて父親になるシーンはとても美しいです。

バランスポリシー(2巻完結)

http://shonengahosha.net/works/baransupor_001.html

EAT-MAN』『地球放課後』の吉富昭仁による、トランスセクシャルフィクション

女性出生率の減少した世界で、国の要請子供を産むために性転換した少年と周囲の関係性を描く。

作品全体を包むやるせなさ、物悲しさがたまらなく良いです。

・HaHa(1巻完結)

http://www.moae.jp/comic/haha

ハイスコアガール』の押切先生騒動最中に始めた、自分ルーツと向き合う物語

裏表紙にある

自分をこの世に生んだ人間の半生、

必ずそこには物語存在する。

歴史の授業で赤の他人の事はたくさん知ったのに

目の前にいる母の歴史は何も知らない。

いつか母が死んでしまった時・・・

母の事をもっと聞いておけばと

後悔の念で涙するのは嫌だ。

僕は思う

親の半生に関心を持ち敬意を持って

人生話に耳を傾けるのも一つの孝行だと」

という先生言葉がこの作品を端的に表しています

自分ルーツとしての母親の半生をたどるという試みを面白く、感動的に描いている作品です。

雲出づるところ(2巻完結)

http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063002416

2012年に亡くなった土田世紀作品

駆け落ち同然で結婚した出水と十一。

駅で拾った子供を育てながら幸せ暮らし、やがて出水妊娠する。

しかし、同時に子宮頸がん発症していることが判明。

癌を患いながら出産を決意した出水と十一の、闘いの日々を描く。

生きていくことの不条理さを詰め込んだ作品で、希望があるのかどうかすらわかりませんが、

それが著者が人間の生死というものに徹底的に向き合った結果なのだと思います

この作品を読むたびに私は勇気づけられます

・名づけそむ(1巻完結)

http://shodensha.tameshiyo.me/9784396766740

誰もが持つ、「名前」にまつわるエピソードを集めたオムニバス

日常の意外な瞬間に、ありふれた名前を通して、ささやかな喜びや希望、そして胸が締め付けられるような切なさや痛みを感じる人々の姿を全10編で描く。

上にある試し読みのように、短編でこれだけ描写の重さを乗せられるのはすごいなと思いました。

個人的には元吹奏楽部長の話が好きです。

・闇夜に遊ぶな子供たち(1巻完結)

http://renta.papy.co.jp/renta/sc/frm/item/6274/

『死人の声をきくがよい』のひよどり祥子の、うぐいす祥子名義の作品

霊感が強く、よからものが近づくと体調を崩す少女マコとその兄・トシオに降りかかる災難の数々。

多少のグロOKであれば読んで損はない作品です。

私の中では『度胸星』『預言者ピッピ』に並んで続きが出て欲しい作品。誰か。

・木版漫画集 或る押入れ頭男の話(1巻完結)

(試し読みがありませんでした)

あとがきで「私は、二冊の木版漫画集を刊行する為だけに、私の人生、10年間をそっくり使い果してしまった。

それが良かったのか、わるかったのか、今は判らない。」というぐらい寡作な藤宮史先生作品

人間不信から内向的になり、大学にも通わずアパートの一室に引きこもった青年が、何もかも捨てていっそのこと押入で暮らしたい、いや押入そのものになってしまいたいと思っていたら、

ある日男の顔は本当に小さな押入れ然となっていた。家を追い出されその日暮らしをする中で、彼はどこに辿り着くのか。

木版ならではの重厚さとストーリーの重苦しさがマッチしていて、これまで味わったことのないような読み口の作品でした。

その他、最近読んだ漫画では

・こども・おとな(1巻完結)

http://www.s-manga.net/omf/omf_978-4-08-890409-2.html

人魚王子(1巻完結)

http://sokuyomi.jp/product/ningyoouzi_002/CO/1/

なども良かったです。

最近漫画の読み方が保守的になってきているので、自分にムチを入れる意味も込めて書いてみました。

みなさんのオススメも教えてください。

というか、増田って見ない間にこんなスパム汚染されてたんですね。ビックリした。

2016-08-16

未就学児と身体障害者についての個人的な思い出【追記有】

せめてプリキュアコスプレゾーニングして欲しい、というお話

http://prehyou2015.hatenablog.com/entry/cos

上記エントリブコメにいくつか障害者について言及したものがあった。

fujixe 「難しい話をするハメになった」と言うのは、機会が無ければそんな話をするつもりは無いということだろう。説明が大変なので幼児のうちは障害者を見せてはいけない、というのと何が違うのだろう。

oskimura 子供がショック受けるからゾーニングって理屈を許すと、同性愛者やトランスセクシャル障害者ホームレスなどをゾーニングして公共空間から追い出せって話にもなるぞ

それを見て、未就学児時代出会った「マジョリティではない人」のことを思い出したので書いておく。

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そもそも私の故郷田舎だ。

3~5歳くらいのころは、近所に住んでいる子供の家に遊びに行くのと同じように、

近所のおじいさんおばあさんの家に遊びに行くことが珍しくなかった。

本人も把握しきれないほどたくさんの猫を飼っているおばあさんがいた。

まだ囲炉裏のある家のおばあさんは、怖い話の名手だった。囲炉裏のある部屋は広くて天井が高くて変な人形があった。

特に何にもなくたって、単に近所だという理由でよく遊んでもらった。

朝ご飯を食べてにこにこぷんが終わったら、一人で外に遊びに出て、おばあさんと遊んだり近所の子遊んだりして、お昼と夕方チャイムで家に帰った。

私が特別放置されていたわけではなく、地域性時代問題だと思う。近所の子供もみんなそんなもんだったから。

「ごめんください」という言葉はその頃にもう覚えていたと思う。


Aおばちゃんはそういう、「遊んでくれる近所の大人」のうちの一人だった。

Aおばちゃん、と呼んでいたが、おいくつだったのか今となっては定かではない。

Aおばちゃんは、足が深く曲がっていた。片足はしゃがんだ時のように曲がったままで、片足は真横にぴんと伸びたままだった。

から子供私たちと目の高さが同じくらいだった。

家の中では、曲がったほうの足を踏みしめ、伸びたほうの足を引きずって移動していた。

家の外では車いすに乗っていた。なんかでかくてかっこいいやつだった。

一度、Aおばちゃんて足どうして曲がってんの、と聞いたら、河童につかまって曲げられたのだと言っていた。

私は彼女の足についてそれ以上の理由を知らない。

何をして遊んでもらっていたのかは、今となってはよく覚えていない。

ただなんとなく遊びに行って、子供のおしゃべりに付き合ってもらったり、おばちゃんちで他の子と遊んでいたりした。

アルプス一万尺」を友達のなかで私だけ知らなかったときに、教えてくれたのはAおばちゃんだったかもしれない。

それだけだ。特に足にまつわる特別な思い出も感情もない。

今思えば彼女身体障害者だったのだが、そもそもそういう概念さえなかった。

猫を山ほど飼っているおばあさんがいて、怖い話の名手のおばあさんがいた。

Aおばちゃんは、近所の、河童に足を曲げられてしまったおばちゃんであった。

小学生になるとさすがにほいほい遊びには行かなくなったが、冬休みはAおばちゃんちの雪かきをした。

地区子供会というのがあって、近所の子供でかわるがわる当番を決めて毎朝やっていた。

特にボランティアとか障害者の方のためにとかそういうお題目があった覚えがない。

なぜ自分達がやるのかという疑問もなかった。

1年生のころからそうしていたから、そういうもんだと思っていた。

おばちゃん来たよー、といって、家の前を雪かきして、じゃあねーと言って帰った。

そんなもんだった。

特にこの話から結論はない。

ただ、自分がどうだったかな、というのを思い出したので書いた。

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【追記】

watto こだわりを持たなかった子どもが、やがて成長して、なにごとかを察して離れていく瞬間が、一番つらいだろうな。

上記ブコメがなぜかスターを集めているようだが、少なくとも私は「なにごとかを察した」記憶など全くない。

近場でしか遊べない幼児の頃はAおばちゃんを含め近場の大人によく遊んでもらったし、

次第に行動半径が広がる小学生になるとその機会が減っただけのことだ。

Aおばちゃんはふつうにいた。

あなた方の近所のおばちゃんと同じように。

2016-03-09

アンチフェミ まとめ

アンチフェミ まとめ

上のまとめはフェミニズム定義歴史などのキレイゴトだけを並べて「現実無視」した話だけが述べられていて

偏りすぎていて卑怯気持ち悪い。

はてぶのコメント欄にはアンチフェミの優れたコメントツッコミが多いのでまとめてみました。

 

 

上のまとめしか見ないで、はてぶを見ないで勘違いしてしまう人が多いと困りますからね。

 

 

早いとこ、「フェミという世界害悪」を滅ぼさないと

女の傲慢化、男の絶食化、非婚少子化が止まらないので。

(それでいて「待機児童少子化がー!」って意見には共感してるんだから頭が悪すぎて話になりません)

 

自分たち害悪だと気付いてない馬鹿女ほどフェミになるんだよね

  

アンチフェミ まとめ

自分の主張の正しさはフェミニズム勉強すれば分かる」という主張が意味ないということはわかった。多様なんだから。結局本人に尋ねるしかない。あなたのいうフェミニズムってなんですか? って

まり自浄作用は期待出来ないという事か… 当事者が総括しきれない以上、周囲が手を貸すしか無いんだろうけど、やったらやったで発狂するんだろうなーとこしあん氏周辺を見てて感じる所なの。ぬーん…

こういう分類って外から見て何の意味もないのはこれ書いてる人もわかってるはず

 

 

 

 

他の思想を軽視しておきながら、思想統一全体主義に怯える意味が分からない。

素人考えですが、男女の完全な区別撤廃がゴールでいいんじゃないかな。区別がなければトランスセクシャルでも全然困らないし男女差別のしようもない。女子サッカー女子校女子トイレも終わりでどうだろう

(男女の完全な区別撤廃) そうなったら一般的に知力体力精神力で圧倒的に劣る生まれつき弱者の女という肉体を持って生まれた時点で悲惨。対等扱いなら負け組決定でイジメ対象。先日の「障害児産んでつらい」と同じ

 


こんなんどうでもよくて社会のためならば思想信条表現の自由を侵す事を是とする全体主義者と科学的根拠を軽視する人文系クズキリスト教道徳押し付け宗教キチガイ死ね以外の感想はとくにないよね


フェミニスト固有名詞が一人も出てこないところがミソ・・・同意特に日本の有名なフェミ女尊男卑で男憎しのキチ害婆ばかりだから定義歴史だけをゴリ押しして自己正当化必死な※が現実無視してる証拠


他のフェミニスト馴れ合いで「あれはフェミニズムではなくミサンドリー」と自浄しないからだろ。オウム仏教ISISイスラム教関係に同じ

 

民主主義とは」って教科書理想理念と同じ。現実理想からは遠く「衆愚政治」になっている。これは多くが認めるのにフェミが「衆愚フェミ」になってる現実絶対に認めずに批判逆切れしてる卑怯な人が目立つ


twitterにいるクソフェミがこの分類には見当たらないのだが…。



フェミ新興宗教のようなもの新興宗教なんて一般人からみたらどれもキチ害と同様。「偏見を持つな!」と言われてもTOP級のフェミ女尊男卑クズばかりで説得力ゼロ女性からアンチフェミが激増の現実を見ろ


理想現実が解離しすぎ・・・これですね。「フェミ共産主義酷似している」と言われるが妄想上の理想を追求した共産主義旧ソ連のように失敗するだけ。現実の男女差を無視してるから現実にそぐわないのは当然


はてなに限らず、2ch小町がるちゃんどこでもそうなんだけど女脳には「人それぞれ」という言い訳が標準装備されてんの?女脳の半分は言い訳成分でできてるよな。現実が見えてない。



一人一派と社会運動としてのフェミニズム矛盾すると思うのだけどそのへんどうなの?


問題理論を学んでいてもいなくてもフェミキチガイが多い、ということ。根源が女性感情から来てるからなのか?解決策は「人口子宮⇒女の人権剥奪しかない。一般女性まで薄いフェミ傲慢になりすぎ少子化

偏見を持つな!」と言われてもTOP級のフェミ女尊男卑クズばかりで説得力ゼロ女性からアンチフェミが激増の現実を見ることができない哀れなフェミ婆が多い

「私」と「全体」を切り離せるかだよなあ

理想現実が解離しすぎ・・・これですね。「フェミ共産主義酷似している」と言われるが妄想上の理想を追求した共産主義旧ソ連のように失敗するだけ。現実の男女差を無視してるから現実にそぐわないのは当然

ラディフェミ社会から消えろ。

大体あってると思う。問題はそれぞれの定義と「実際の運用中の人メンタル」はまた別物でアホみたいに細分化してるし本人が掲げる理屈にすら合ってない。はっきりしてるのは共闘とか言い出すだけ無駄って事

総じて『あぁ…「宗教」やなぁ…』という感じ。/まぁ、信仰するのはご自由に…としか言い様がないけど、それを普遍的な「正しさ」だとして迫ってくる場合がタチ悪い。

不快」「実害」についてが気になるところかなあ。無視・コソコソ陰口系のいじめは目に見える「実害」はないので「気にするな」で済まされたりするよなー、とか。


日本国内における頭のおかしキリスト教徒文化侵略隠れ蓑の話がない

ようは「女が不快に感じたもの攻撃されるべきだし規制されるべきである」ってことか

アフリカの何とか解放戦線しばき隊フェミニズムも全部「他人を支配下に置きたい」という強い欲求を持って行っている点では共通している。お題目が違っても行動が似るのは求めてる物が一緒だから

こいつらは「個人で生きろ」「自分自身を見つめろ」と言うが、そうした結果みんな何もできなくなっているのではないか。フェミニズム男性を救わないし私はフェミニズムに協力しない。

現状のフェミニズム自称フェニミスト自己中な願望を実現させようとするための手段しかなくなってるのが非常に残念。

この内容に対して「オトコが悪い」のブコメ!集まる星!絶望しろ!これがはてなだ!

最近は「一人一派」と名乗ってゲリラ戦に勤しんでいるので、体系としての学問放棄している模様

不愉快公害二次元公害なら二次元叩きもまた公害になるな

 

日本フェミニズムはそのうち一般女性に矛先を向けて攻撃を始めそうな感じがある。

 

フェミニズム学問ではなく左派政治運動であり、フェミニズム等の文化左翼左翼の中でも最下層の吹きだまり

フェミって学問としては表面上はキレイゴトで加工されてるから高学歴ブスはハマリやすいんだよね、はてな婆のようにw

問題理論を学んでいてもいなくてもフェミキチガイが多い、ということ。根源が女性感情から来てるからなのか?解決策は「人口子宮⇒女の人権剥奪しかない。一般女性まで薄いフェミ傲慢になりすぎ少子化


日本感情が先走るのでセックスジェンダーを分けることができない。

フェミニストからキモオタ死ねと言われ、私はもちろんキモオタであるから激昂してクソフェミ死ねと言い返しかけて、そこでふと気がついて困惑した。…


一言で言ひ表せたが。といふ揚げ足取りはともかくコンパクト概観をまとめてゐて好感が持てる。/ともあれ、フェミニズムは滅ぶべきと考へる次第である

落とし所はゾーニングかな「私が不快に思うからNG」じゃなくて条文に落とし込めるような共通認識定義があれば議論は可能


こうして見ると一理あるみたいに思えるけどネットで見かける自称フェミが軒並み基地なのはなぜなのか

 


http://anond.hatelabo.jp/20160308233851

2015-08-28

議員セクシャリティ暴露世間狭間にあるもの

自民党のM議員スキャンダラスな内容の記事話題となった。

M議員といえば、安保関連法に反対する学生団体SEALDSに対してTwitterに書いた内容が物議を醸し出し、また未公開株の不透明なやりとりが発覚して、所属していた自民党を離党した矢先だった。

個人的なところで、M議員政治家としての資質に対して懐疑的であり、感情的にも嫌いではあったけれど、しかし今回の暴露記事を目にした際には、そういう個人に対する評価感情を越えて、胸につっかえる感覚を抱いていた。それで、ボヤっと1日考えていたわけだけど、それが何なのかが少しずつ溶解してきたので、書き留めておこうと思った。

今回の記事では、M議員は19歳の男性ゲイ向けの出会い系サイトで知り合い、金銭の受け渡しを伴う性的関係複数回持ったということが、LINEスクリーンショット画像と「売春」という言葉ともに公開されている。

日本法律と照らしあわせてみていくと、先ず同性間において金銭や報酬の受け渡しをともなった性的関係を罰する法律はなく、これは売春にあたらない。

相手が19歳という年齢に関しても、18歳以上であるので法的に問題がない。

にも関わらず、「19歳の男性を“買春”していた」というセンセーショナル言葉を使ったわけだ。

これはつまり法的には完全に無罪ではあるのに、M議員が「ゲイであること、そして男性性的関係を持っていることをセンセーショナルに公にすること自体目的記事と言える。

個人のセクシャリティというのは、プライバシーでもあり、そしてとても繊細な情報でもある。

近年ではLGBTという言葉認知も広がり、多様な性のあり方があるということが社会に浸透してきているとはいえ、まだまだ性的少数者に対する偏見差別があるのは否めない状況下でもあり、ましてやプライバシー侵害という点で、第三者が個人のセクシャリティを本人の断りもなく勝手に公開していいというのは余りにも身勝手で酷い話では無いのか。それがたとえ公人であるとしてもだ。

そして、この記事SNSニュースを通して大きな話題となった。

私の元にも多方面から記事シェアが回ってくる。

この記事がこのようにセンセーショナルに扱われるというところには、この社会の中にある性的少数者への眼差し本音が現れ出ている。

記事を書く側が、受け手であるこの社会の少なからぬ人が、M議員が「ゲイであることに対して、冷笑と侮蔑を突き刺したのだ。

セクシャリティ世間狭間にあるモノがここに露わになったのだ。

4月電通ダイバーシティラボが「LGBT調査 2015」を実施した。

http://www.dentsu.co.jp/news/release/pdf-cms/2015041-0423%2B.pdf

それによると、国内LGBT層に該当する人は 7.6%と算出された。人口でいうと約900万人前後といったところ。

もちろん、約900万人の全てがカミングアウトして生活しているわけではない。

偏見差別を恐れ、自分セクシャリティを隠しながら生きている人も多数存在している。

そういう社会の中で、M議員が、その”人”が、ゲイであることを晒したうえ、それをネタにして記事にしたのだ。

ゲイ話題が取れるネタになるということを改めて世間に知らしめたのだ。

この社会構成する人たちがその記事を見て、冷笑と侮蔑を突き刺したのだ。

自分セクシャリティを隠しながら生きている人達はこの状況に何を感じたのだろう。

自分セクシャリティと周囲との関係性に悩んでいる思春期の子たちは、この風潮に何を感じたのだろう。

自分セクシャリティを公にしたとき得ることになる反応を、この記事の中に見ているのかもしれない。

実は、私も性的少数者の1人であるLGBTでいうなら、Tである

性別を変えたのち、現在は変更後の性でノンカムのままフリーランス仕事大学講師を掛け持って暮らしている。

これまでの私の人生においても、過去を知る知人によって私がトランスセクシャルである第三者勝手暴露されて、好奇の視線を浴び、侮蔑され、差別され、そんな悲しい思いをしたことは数知れない。

そのような経験を内に秘めて生きてきて、この記事を目の当たりにした。

今はただ、悲しく虚しい思いだけが記事を前にしてポツリと佇んでいる。

追記:

私の友人たち(大半はヘテロセクシャル)は、彼がゲイであることは切り離して、議員としての自覚や言動、資質について書いている人が多かったことは救いです。

2015-07-06

LGBTレズゲイバイセクシャルトランスセクシャルの頭文字の略語で合ってるのかどうかはともかくとして

響きとしてはneetナット・エンプロイメント・ェデュケーション・トレーニングの語感と似たものを感じそれもともかくとして

あれだよなこういう造語主は何を好き好んで唐揚げ美味しく作るなら揉み揉み揉み揉みみたいなない交ぜ的な定義を造るんだろうか

2015-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20150315141930

リスクはね。そりゃあるよね。ネタネタからね。

でもって、指摘された部分は、確かに突っ込まれる隙だよね。筆者は言い訳してるけど、突っ込んでくる人が全て言い訳聞いてくれるとは限らないからね。

でもね。問題本質はそこじゃないのね。


要は、リスクを背負ってでも守りたいと思えるほど面白い漫画じゃないしねって。

まあそれだけのことなんだよね。

ギャグ中途半端だし、メッセージにしては底が浅いし、筆者が何が隙で好きで何を読ませたいのかよく分からんね。展開も、なんかあきれるほどアリキタリだしね。

だってそもそも論として、トランスセクシャルと、ホモセクシャルは、また違う話であって、この話が描いてるのは「男が好きだから女になって男と愛し合います」とか「男のとき意識してなかったけど女になったので意識してしまます」という、極めて『健全な』異性愛者だけであって、同性愛者の痛みとか葛藤とか、そういうヒリヒリしたもの全然描けてないと思うんだ。それをコメディタッチでやられて、そんでオッケーとかやられても、そりゃ違和感あるなあ、という。

SFものとしても中途半端でね。現実問題として、身体的な性が変更可能になったら生じるであろう社会の大きな変化とか、人々の意識の変化、教育の変化などについて、余りにも適当小学校社会科でならった、とか)なんだよね。未成年でも性別変更が許されるんだとしたら、親が子どもの性を勝手に変更する→成長した子どもが再変更する、とかそういうのも想像できるし、天然物の性が別に特権化するんじゃないかとか(たとえば整形/非整形みたいな)、ips使った身体加工がもっとフリークスな方向(たとえば人工フタナリとか、副乳、三つ眼とか)へと向かう社会とか、そういうのも想像できるんだけど、どうなの、という。その結果、社会もっと混乱してると思うのね。

まあ、そういうモロモロを無視してもいいと思えるだけのおもしろさがあれば、別にいいのよ。ハードSFじゃないんだから。でもね、言うほど面白くないしね。だから、細かい設定がいろいろ突っ込まれるわけで。

要はオモんないねという。結論としては割と詰まらない感想なんだよね。まあ、折角炎上たから、救いの手をさしのべるところもあるかもしれないけど、個人的にはもっと漫画面白くする方向で努力するか、もっと本当に書きたいことを突き詰めるかするべきだと思うね。今のままじゃ余りに中途半端だわ。たとえば、エロがやりたいならエロやれ、と。

以上。

2014-12-17

http://anond.hatelabo.jp/20141216095014

関係ない話だが、イノベーティブ、インタラクティブインセンティブあたりをいきなり言われるととっさに意味が思い浮かばない。

落ち着いて頭の中で単語意味を探せば分かるが。

他にもマイノリティマジョリティとか、

トランスジェンダートランスセクシャルインターセックスなどジェンダー周り。

あれやこれやそれやー。

名称を付けて分かりやすラベリングしたいんだろうけど、文章読んでる中でややこしい単語使われるとすんなり読めなくてストレス溜まる。

みんなはすんなり読めてんのかと不思議しょうがない。

2013-11-03

私が『劇場版まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』を観ないたった一つ

私が『劇場版まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』を観ないたった一つの理由。

それは『魔法少女まどか☆マギカ』(以下まどマギ)という作品が実のところ魔法少女ものではないせいだ。

彼女らはことごとく魔法少女コスプレにすぎない。

もっと制作はすべて承知の上だろう。だから問題は受け手の側にこそある。

あなたもしかしてまだ本作を魔法少女ものとして思ってやしないだろうか。あるいはアンチ魔法少女ものと惑わされてはいないだろうか。

そんな素直なファンたちにこそ伝えたい。魔法少女現実に我々の社会を照らす光なのだということを。

魔法少女の系譜は危機に瀕している

最近だが『Fate kaleid liner プリズマ☆イリヤ』というアニメを観る機会があった。

嫌がる少女を無理矢理魔法少女にしたてあげたり、立派な女子高生がその衣装を着ることを揶揄したりと、なんとも悪趣味パロディ作品であった。

——このままでは近いうちに変格が本格を駆逐してしまうのではないか

その思いを抱かされたところに『まどマギ』の新作上映である

その日が来る前に、伝えておかなければいけない。

まどマギ』には魔法少女資格が欠けている

敢えてそう主張しよう。

魔法少女資格

それは何だろうか。

笑わないで聞いてほしい。

「すべての女の子の憧れの存在であること」だ。

この意味アイドルもの魔法少女ものとは姉妹関係にある。

魔法少女とは時代年代で移り変わる少女価値観を切り取り、輝きをまとわせるものでなければならない。それこそが魔法少女資格であり、約束事であり、存在意義なのだ

いま魔法少女と呼べるのはせいぜいキュアハートフラメンコガールくらいのものだろう。

ミンキーモモ』の光

ここで『魔法のプリンセス ミンキーモモ』(1982年)という作品を取り上げたい。

男性おたくを含め魅了した点で、本作の先駆けとも言える魔法少女ものの有名作品だ。

主人公12歳の女の子魔法の力で18歳に成長し、どんなプロフェッショナルにもなることができる。そうして「あなたの夢は私が守る」と視聴者に訴え続ける。

女性が働くということが闘争を意味した時代の作品なのだ

それでいて普遍的価値代表している。名作の所以だ。

繰り返そう。『まどマギ』には魔法少女資格が欠けている。

アンチ魔法少女という主張

すると賢しい人はこんなことを言う。

まどマギ正統派魔法少女ものだなんて思っていないよ。あれはアンチ魔法少女ものなんだ」と。

……いいだろう。

そのテーマで私に論戦を張ろうというのなら受けて立とう。

魔法少女とは何か

まずは魔法少女定義について掘り下げてゆこう。

アーキタイプ(元型)理論を利用するとすっきりする。

アーキタイプとはC・G・ユングによる精神分析の用語で、世界中神話民話に繰り返し登場する人物像を抽象統合したものをいう。物語分析おいてはキャラクター類型論の礎として重用される。

この理論に則ると魔法少女は〈お姫さま〉のアーキタイプ還元される。

〈お姫さま〉は特別な生まれを持ち、国じゅうの人々の期待を受けている。社会の善性を表現し、人心を希望で満たすことが彼女至上命題だ。

誰でも知っているように、すべての魔法少女フェアリーテールおとぎ話)の主人公なのである

アンチ魔法少女とは何か

では次にアンチ魔法少女について論じてゆこう。

本稿は二つの作例を扱う。一つは『少女革命ウテナ』(1995年)。もう一つは『マルドゥック・スクランブル』(2003年アニメ版は2010〜2012年)だ。

以降は『ウテナ』、『マルドゥック』と略記する。

知らない人は各自で Google にでも尋ねてほしい。

以下に読み解いてゆく。

鏡としての主人公

ウテナ』の真の主人公姫宮アンシーのアーキタイプは〈娼婦である。〈娼婦〉は〈お姫さま〉の反対で、他人にへつらい、虐げられ、社会の悪性を負わされる犠牲アイコンだ。

一方、表の主人公であるウテナは〈王子さま〉を目指す女の子というトランスセクシャルキャラクター

しかしこれは倒錯ではない。

洞察力を働かせればアンシー、ウテナのともどもが不在の〈お姫さま〉の鏡像であることに気づくだろう。

ちなみに敵対者である暁生は〈魔王〉。自らは何も生めず、他人を支配してその生産物を奪う男。暁生とアンシーの肌が黒く描かれるのはそのネガティブな心性が表出したためだ。

さらに続ければ枝織は〈悪女〉。力ある男に寄生してはダメにしてしまう中身のない女のアーキタイプ、となる。

閑話休題

他方、『マルドゥック』の主人公バロットが〈娼婦であることに説明は不要だろう。

なのでもう一つアンシーと共通する特徴をあげよう。

「不具の男性性の同伴」である

未確認生物サル?)のチュチュ典型的ダメ男の現身。人造ネズミのウフコックは使い手に依拠した万能の道具存在。そのいずれもが魔法少女必須アイテムであるマスコットアニマルの成れの果てだ。

ウテナ』の結末

そんなウテナとアンシーは最後にどこにたどり着いたのか。

「学園の外の世界」だ。

そもそも「世界の殻を破る」というフレーズは二度目の誕生メタファーである

管理されたままでいるのも、管理する側にまわるのも結局は同じこと。

選んだのは未知に挑むという生き方

王子さま〉でも〈お姫さま〉でもない。〈デュエリスト〉こそ『ウテナ』の提案するオルタナティブだ。

『マルドゥック』の結末

ではバロットはどうなっただろう。

彼女は当初こそ手にした力に溺れるものの、自分を裏切った男(野心の象徴)を殺すことはしない。逆に男を守ることで克つ。

さら最後の敵(破壊象徴)を相手に闘うときにも、バロットはひたすら耐え忍び、前のウフコックの相棒だったその男を止めることを考える。

運というものを理解したバロットにとってすでに暴力は勝利への要手ではないのだ。

どうだろう。

バロットはもちろん魔法少女ではない。

といってただ性別を反転させたダークヒーローとも違っている。

彼女男性とは異なる価値観武器を身につけたバトルヒロインとして成熟階段を登っているのだ。

ミンキーモモ』における自己否定

締めにふたたび『ミンキーモモ』の話をしよう。

この作品は途中、主人公事故死するという衝撃の展開を迎える。これは現実への決定的な敗北であり、魔法少女というテーマに対する叛乱であるとさえ映る。しか彼女はその後ふつう人間として生まれ変わり、それからも夢を求め続けるのだ。

この出来事はいわば魔法少女という夢を現実に呼び込むための通過儀礼である。実のところ『ウテナ』で視聴者を騒がせたウテナ処女喪失シーンはこの発展ともいえる。

魔法少女とは何か、そしてアンチ魔法少女とはどういう所業なのか、理解されただろうか。

魔法少女まどか☆マギカ』の主人公

それではようやく『まどマギ』の話に移ろうと思う。

結論からいえば暁美ほむらはダークヒーロー女性版に過ぎない。

そして鹿目まどかの正体はヒロインへの変身を期待されながら最後ヒーローに変身するという、高次元のシェイプシフターであった。

結局、本編はまどかときゅうべえの二人がひとりよがり正義に溺れたほむらにしっぺ返しを見舞う結末で幕を閉じる。

それに続く今作は——サブタイトルを信じるのなら——アンチヒーローとなったほむらがすでに叶えられたまどかヒロイズムを覆そうとする物語となるはずだ。

実際、予告映像を観た後の私の予想は「どうせビューティフルドリーマーではじまってレイアース2で終わるんでしょ?」であった。

90年代過ぎて自分でも嫌になるがそれはさておき。

皆が『ファウスト』要素探しに忙しいようなので私が代わりに言うのだが、『まどマギ』の思想世界は『魔法騎士レイアース』のそれそのままである。

願いの力を世界の第一原理として位置づけ、その上で自己犠牲を否定するのなら、『レイアース2』の提示した可能性のいずれかに落ち着くのが妥当である

ゆえに、いまの私に物語面に対する期待はない。

食べてはいけない

無論、映像・演出面のクオリティであればいくら期待してもよいのだろう。

しかし、だ。

まどマギ』本編がやってみせたのは一見ヒロイズム糾弾であるようで、その実勝つために既製概念ルールを変える行為の全面肯定に他ならないのだ。

そんな作品である以上、魔法少女の外観は「釣り」以外の何物でもない。理解して食いつくのなら言い訳もできよう。舌に乗せたら甘美な味がする餌なのだろう。

しかし、我々は豚ではない。

食うためだけに生きるのも、食われるために生きるのも、どちらも御免被ると私は思う。

あなたもまたそうではないか

——部屋の灯りが落とされた。

そろそろこのノートパソコンを閉じなければいけない。これ以上の照光と打鍵音は周囲の観客の迷惑だ。

最後に。

これだけは言っておく。

忍野扇ちゃんは僕もかわいいと思います

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