はてなキーワード: 調査委員会とは
草津町の黒岩信忠町長が新井祥子事件で記者会見:声明全文を書き起こし - 事実を整える
上野千鶴子さんという東京大学名誉教授の方が投稿してるんですが、読んでみますけれども「極めつけは草津町の新井銀が町長のセクハラを公表したことで与党議員が立ち上がり、リコール運動を実施、新井祥子議員は失職した。やるべきことが間違っているであろう。最初に第三者を交えた調査委員会を立ち上げ、事実の究明を行い、事実なら加害者を処分することだ、それなのに被害者を議会から追い出すとは本末転倒だ」。つまり、もう私が加害者という、公の機関で全国の市町村議会の広報誌に草津の恥として書かれたものです。
「調査委員会を立ち上げて事実の究明を行い、事実なら加害者を処分すべきだ」という主張に対して「何一つ証拠もないのに私を加害者だと決めつけている!」って怒るのおかしいだろ。
https://nordot.app/940478053550850048?c=39546741839462401
「人間扱いしていない」植松死刑囚と同じ体質だった、もう一つのやまゆり園 虐待疑いや不適切な対応が横行、職員76人が関与
調査委員会が「虐待が疑われる」とした中には「居室の天井が便まみれとなった環境で生活させていた」というケースもあった。自分の大便を部屋の天井に投げ付けるという行動をする30代男性入所者がいて、掃除がきちんとされていなかったという。
あまりにひどすぎる。
しかし、全日本自閉症支援者協会の松上利男会長は園の将来について「もう解体した方がいい」と手厳しい。「公立特有の問題があるし、行動障害がある人を大規模な施設1カ所に集めて管理するという考え方自体が、もはや間違っている。地域社会の中で分散して暮らせるよう支援の態勢をつくっていく必要がある」と話している。
会長の言う通り、もうエイヤで解体してしまった方がよいと思う。
入所者に親や歳の近いきょうだい、姪や甥などがいるなら、その手も借りたり、一緒に暮らしてもらう形をとって、地域で暮らすのがよい。
総合的学習の時間や放課後に、近隣の児童・生徒も男性の家をちょくちょく訪問すればよい。
大便を天井に投げ付ける男性の実践を見て学び、人間とは何かを考えるもよし。
みんなで掃除のお手伝いをするもよし。
DER SPIEGEL:少なくとも、ノルドストリーム2の建設のためにロシアの資金で賄われる財団の設立は、今日、間違いであったとお考えでしょうか?
ショルツ:これはメクレンブルク=西ポメラニア州の政府と議会が下した決定だ。
DER SPIEGEL:あなたとアンゲラ・メルケル首相(当時)は、この決定を事前に知らされていましたね。同じ党員であるマヌエラ・シュヴェーシッヒ知事に反対を進言したのですか?
ショルツ:このような会話は、その性質上、秘密にしておかなければなりません。
DER SPIEGEL:プロジェクトに対するあなたの基本的な立場はどうでしたか?
ショルツ:私は、米国が制裁を科すだろうと予想していました。そこが私の間違いでした。
DER SPIEGEL:メクレンブルク-西ポメラニア州の調査委員会がこの問題を調査するようです。SPDは過去のロシア政策を見直す必要があるのでしょうか?
ショルツ:SPDの欧州・ロシア政策に対するこうした歪曲・中傷はアデナウアー時代からあり、私を悩ませている。SPDを際立たせているのは、ブラントとシュミットが追求した明確なデタント(緊張緩和)政策だ。鉄のカーテンが消え、東欧の多くの国々が民主主義を獲得し、そして今日、私たちがEUで団結することを可能にした政策だ。それは常に、強力な連邦軍と西側諸国との統合に依存する政策であった。それは、私が支持する伝統です。
DER SPIEGEL:シュタインマイヤーは間違いについて話している。前ブランデンブルク州知事で、最近ではドイツ・ロシアフォーラムの代表を務めるマティアス・プラッツェック氏も、プーチンについて間違っていたと述べている。どちらもSPDの政治家です。
ショルツ:メルケルさんもSPDのメンバーとしてカウントするようになったのでしょうか。
DER SPIEGEL:もし彼女がここに座っていたら、CDUのロシア政策の間違いについて同じように尋ねるでしょう。しかし、あなたは今政権を担っている。
ショルツ:それゆえ、明確な声明を出した。私は明確な進路に従っており、非常に長い間そうしてきた。また、東側の民主化を推進したからだ。大西洋横断主義者として、自分たちのことだけに目を向けるのではなく、自由な社会で民主主義に生きたいという願いは普遍的なものであることを理解することが我々の仕事である。ロシアに関しては、私は以前から批判的な声や、マーシャ・ゲッセンの著書『未来は歴史だ』のような文学的評価に感銘を受けている。全体主義がいかにしてロシアを取り戻したか "のような文学的な評価に感銘を受けてきた。その結果、ロシアは長い間、独裁への道を歩んできたという確信を持つに至った。
DER SPIEGEL:あなたは常に正しい道を知っていると主張し、自分の党の過ちとは関わりたくないと思っているようなので、一部の人々には少し傲慢に見えるということが理解できますか?
ショルツ:いいえ、そんなことはありません。しかし私は、あなたが社会民主党の政治について、ほとんどアデナウアーのように歪んだ絵を描いていること、そして、私たちが最終的に他者から主張されるような存在であると認めるよう強く主張していることを非難しているのです。社会民主党は大西洋横断同盟と西側にしっかりと固定された政党であり、そのような非難を受け入れる必要はないのです。
DER SPIEGEL:では、まったく議論をしないほうがいいということですか?
ショルツ:私はどんな議論も否定しません。今後の政策についてのあらゆる議論を支持します。しかし、議論への切符が嘘であるという考え方は否定します。
DER SPIEGEL:シュタインマイヤーが外相としての政策の一部を失敗と考えていることは、嘘ではない。
ショルツ:前外相も前首相も、どの国も他国を侵略しないようなヨーロッパの秩序を作ろうとしたことを非難される筋合いはない。彼らは、私たちが現在不幸にも経験している戦争を防ぐために、できる限りのことをした。それが成功しなかったのは、メルケル首相やシュタインマイヤー氏のせいではなく、あらゆる合意や理解を無視したプーチンの帝国主義によるものだ。プーチンは侵略者であり、他の誰でもない。
DER SPIEGEL:2月末、あなたは国会で「分水嶺の瞬間」を宣言しました。しかし、その後、ほとんど何も起こりませんでした。ドイツ人が今準備すべきことは何でしょうか?
ショルツ:まず、連邦軍の装備を充実させるために1000億ユーロを充当します。そうすることで、ヨーロッパの他の国々にも同じ道を歩むよう促している。第二に、再生可能エネルギーへのシフトを加速し、輸入エネルギーへの依存度を下げることに力を注いでいる。3つ目は、強力で主権的な欧州連合、つまり共同体が私たちを守ってくれていることです。これは、西バルカン諸国がEUに属しているという事実も含んでいます。私たちは、あまりにも長い間、瑣末なことにとらわれてきました。私たちは、これらすべての決定について、議会で幅広い多数を占めています。連邦軍に関しては、連立政権の枠をはるかに超えた愛国的な多数派が存在することを期待しています。
DER SPIEGEL:ドイツ人の多くは、これまで連邦軍に懐疑的でした。彼らはより強力な軍隊を受け入れる準備ができているのでしょうか?
ショルツ:はい、また、ドイツ連邦軍の装備が充実しても、より攻撃的なドイツ政策への転換を意味しないことも知っているからです。それこそが、この時代の転換点における特別な点なのです。20世紀前半のあらゆる災難を経て、もはや軍事的に強力なドイツを誰も恐れない形で民主主義国家として台頭したわが国についてである。
今度はがんりん氏ではなく、発端となったG先生こと呉座勇一氏の訴訟に関する話題です。
一連の流れが再度整理されているので、ぜひ一度『委員長の日記』に目を通してみてください。
http://shinseikiunion.blog104.fc2.com/blog-entry-3548.html
> 5月21日、G先生は日文研に呼び出され、井上章一所長、瀧井一博副所長、松田利彦副所長から「辞めてはどうか?」と退職勧奨を受けます。
> 5月27日、G先生は退職勧奨に応じない旨をメールで回答したところ、夜に井上所長から電話があり、「法律上テニュア取消しは無理だと思う」「私としてはなんとか軟着陸させたい」と伝えられました。
井上:(呉座さんが 2021/06/04(金) に行なわれる予定となっている "相談" の場に)行きたくないとおっしゃられているということを松田さんから伺いました
それはやむおえないと思うんですが、ただあの仮に怒られるにしても、怒られた時の手立てとか、今後の対応は検討していかないといけないと思うので…
で、前も申し上げたけど、ゴザさんにとってそんなに居心地のいい道ではないような気がしているんで、一度その辺のことを語り合う場は、これは運営会議が終わった後の方がいいかもしれへんけど、持っていただきたいと思っています
呉座:はい
呉座:そのつもりですが…
井上:わかりました、それならそれで大丈夫です ……調査委員会がどんな結論を出して、運営会議がどんな結論を出すか私には見えていないんだけれども、もし、まぁなんというか、人事権の濫用みたいなことになり得るので変な判断をすると…
そうした場合、あなたが不服申立てをしたら私ら日文研に勝ち目がないような気がしてる
呉座:はい
井上:ただまぁ、もっというと私はそういうふうにしたくないという強い思いがあるんだけれども、少なくとも私はゴザさんに日文研に留まる「権利」は担保されていると考えています
ただ残り方は…残っていただく場合の綱渡りみたいなことはちゃんと決めていかないといけないと思うので…
おんなじこと言うとるねさっきから笑 それは語り合う場に、ぜひ来てください
呉座:えーとつまり、私がどういう形で残ることになるのか、ということを話し合う場を設けたいということですかね
井上:そうですね……どういう形…いやカタチじゃあなくて…
呉座:え、え、エ……ちょっとお話が抽象的でいまひとつわからない
井上:ぼくが調査委員会のメンバーではないし、運営会議の判断もちょっといまんところみえないので、抽象的に話さざるを得ないんですよ
ぼくの勝手な素人の法理解だと、あなたは業績で准教授昇任を認められたわけやから、これを覆すことはできないと思います
呉座:はい
井上:ただこれはあくまで私が素人だからこう思っているのでね、どんな判断が下されるかはわからないし……ただ、あなたにとって悪い判断が下されても、あなたには抵抗する権利があるとは思います
呉座:はい
井上:これはあくまで……、何を言ってるのかわからへんと言われたからもうちょっとはっきり言うたんだけど、これは私の素人判断です、そこは御容赦してください……
仮に准教授になられたとしても、たぶん「普通の准教授」という格好になりにくいと思う
呉座:はい
井上:そういう相談事にも対ぉu……乗ってもらわないと困るんですよ
呉座:あくまでたとえばの話ですけど、仮に准教授になったとしても、通常の准教授よりも職務・権限などが制約された形になるんではなったりするんでないか、ということですか?
井上:まぁそういうことは考えられる
大きい大学なら、ゴザさんも見はったことがあると思うけれども、職場がやや持て余しながらずっと居座り続ける教員ていらっしゃるでしょう?
呉座:はい
井上:あの道を……あんな道にはいって欲しくない…が、そういう風になってしまいそうな気がするんですよ
呉座:はい
井上:それも覚悟の上なら…………………手続きを粛々と進めるしかないんですけども
その場合でも、例えば新しい人を採用する人事とかには、たぶん私がやめた後の人事委員会かもしれへんけど、ゴザさんに入ってもらおうということにはなりにくいじゃないかな
井上:あるいは共同研究の主催者をどうする?というときに、まぁ「割り切れば」ね??割り切れば色々な業務から外してもらえるんでラクなんですと思えんことはないんだけれども、率直に言って居心地はいいことないとおもうよ
呉座:まぁそれは笑 そうなるでしょうね当然ね
井上:そこは覚悟の上で、でも日文研に留まるという風に仰るならそれはそれで手立てを考えないといけないし、僕はなるべくゴザさんの問題を職場の中で軟着陸させたいと思ってるんですよ
みんなが両手を上げておかえり〜おめでとう、というふうにはまずならないと思うんだけれども……
呉座:そりゃあそうでしょうね笑
井上:うん、まぁ宥めたりすかしたりしながらだと思うんだけれど……ごめん、これも仮定の話をしてるんでごめんなさいなんやけど……
もし運営会議も経た上でゴザさんに止まってもらうようになった場合は、みんなの前で丁寧な謝罪とか、自分の今の率直な思いをホンマに素直に語られるのは辛い気もしれへんけど(苦笑)
今後自分がどうするとかの殊勝なお言葉とかを頂戴する場を設けなイカン、そのほか憂慮を検討せなあかんことはあると思うので……そこは覚悟しておいてください
呉座:それは私も当然考えておりました
井上:調査委員会にも法律の専門家が二人いらっしゃっるので、たぶん今の日本の現行法規で判断しはると、私は思います
日本の現行法規でSNSでの発言が、なんていうか、降格とかに及ぶっていうのはありえないと私は思っています
だけどまぁ、なんというか……ぁの……アカデミックの「世界」の気配は……感じはるでしょう??
呉座:そうですねぇ……
井上:普通の……「労働者の権利」とは違うカラクリが働く世界じゃない?
呉座:……(曖昧な応答)……
井上:そこもまぁ飲み込んどいてもらわないといけないし、今後色々あなた自身が屈辱を感じるようなことも、ままあるんかとおもうんだけれども……
呉座:はい
井上:ちょっとね〜いまこの話をするのひょっとしたら早いのかもしれへん、運営委員会で・運営会議で大体の結論が出たときに喋った方がいいような話なのかもしれないけれど…
松田さんから、金曜日の会議(2021年6月4日)に出たくないというふうに言うてはると話を聞いて、私はややフライング気味に、まぁなんていうたらいいのかな…、井上はゴザさんを見捨てる気になっていないということをお伝えしたかったので……
呉座:それはありがとうございます、大変ご迷惑をおかけしておきながらそういう風に言っていただけるのは……
で、念のため確認するんですけど、きょう所長がわたしにお電話くださったのは、これは所長の一存ですか?
井上:一存です、いちおう松田さんとも相談したんやけどねぇ、電話してもいいかという風に
もうそれは、自分ではそういうときは止められないからと、まぁ松田さんが止める話でもないやろうし、いちおう松田さんから了解はもらいました
呉座:はぁ
井上:というか、ゴザさんが松田さんにそう返事しはったんでしょう行きたくないという風に
呉座:そうですね……前回はどういう話になるのかというのがまったくわからないでいきましたので……えー、前回の感じだと「辞めてくれ」という話としか解釈できなかったので、そうすると、それの返事ってことになりますと、その話にしかならないであろうと。
で、まぁ、さすがに監禁されてですね、サインするまで返さないとかそんなことはないと思いますけれども、いずれにせよ重苦しい空気がずっと流れて、お互い気分が悪くなってもなぁというふうにおもいまして……
井上:それは……あの……やめさせることは絶対できんと思うし、ただ自発的にやめてくださったらありがたいなぁという気分があるのも間違いないし……
呉座:いやまぁそれは……そうだろうなと、客観的に見れば私もわからないではないですが……
井上:そこへ踏み込むのは人事権の濫用やと思うし、ゴザさんが不服の申し立てをすればゴザさんが勝つと思う……
で、まぁ私はそういう事態に持ち込みたくないと思っているし、もしそういう事態に持ち込んで日文研が負ければ、それはたぶん、私が責任を取って辞めるという話になると思います
で、まぁ余生は [^1] そういう揉め事にはしたくないので、なんとか軟着陸させたいと思ってるんですよ
[^1]: ここはよく聞き取れなかった、
呉座:なるほど、わたしもできれば、まぁあまりそういう、泥試合みたいなことはなるべく避けたいなぁというふうにはおもっていますけれども(苦笑)
なにぶんどういう形の処分が出るのか……が、ちょっと見当がつかない状況ですので……
井上:今述べたのは、私の素人の感想で責任をもって述べることはできない
呉座:もちろんです、なので…そこは、私も職場とあまりやり合うということは、今までお世話になってきた先生方と争うみたいなことは……まぁ、なるべく避けたいと思っていますけれども
井上:じゃああの……私たちは……、「私たちは」ていうたらいかんな笑
私たちのなかに、この際退いてくれたらいいのにと思う人が少なからずいることと、だけれども、たぶん法的にはそういう主張には通り目がない、ということをお伝えして、その上で運営会議の判断が決まった後で、もう一度相談を……私と瀧井さん、松田さんと4人で…もう一度その相談の場を設けることで
呉座:いえいえこちらこそ、多大なご迷惑をおかけしました、本当に申し訳ございません
呉座:失礼いたします
日文研解雇事件の背景と井上章一所長らの騙し討ち! || 委員長の日記
cf. http://shinseikiunion.blog104.fc2.com/blog-entry-3548.html
音声ファイルへのリンク(2022/04/08 (金) まで有効):
ttps://32.gigafile.nu/0408-c0810247479d25142f5e50249c12f3d9d?fbclid=IwAR0YL3G3O6nPcHt0MJVNSRFjhJGOpo21wHuNd67UniDrdvR8jyShNMwrkuU
書いた人の勘違いで日付が間違っていたのを修正(27日の会話なので、その次の金曜日は 2021-06-04 であるはず)
Wikipediaで真珠湾攻撃の記事を読むと、昔の日本人は無能だったことが分かります。
失敗は他人のせいにして、誰も責任を取らない姿勢は今も昔も変わりがないでしょうか?とても残念です。
https://anond.hatelabo.jp/20220319102718
「リメンバー・パールハーバー」というのは単に「真珠湾を思い出せ」というだけの意味ではなく、人類史上最悪の戦争犯罪である原爆投下を正当化するための合言葉なんだよな。これもまた「犬笛」なんだよ。だから日本人は怒ってるわけ。
東郷から駐米大使の野村吉三郎宛に、パープル暗号により暗号化された電報「昭和16年12月6日東郷大臣発野村大使宛公電第九〇一号」は、現地時間12月6日午前中に大使館に届けられた。
「帝国政府ノ対米通牒覚書」は現地時間午後2時20分に特命全権大使の来栖三郎と大使の野村吉三郎より、国務省において国務長官のコーデル・ハルに手交された。
宣戦布告の通知書を相手国に届けるのが遅れてしまい、結果的に奇襲攻撃になってしまいました。
事前に宣戦布告ができなかったので、日本はただの卑怯者になりました。
一事が万事。計画が杜撰だったので最初から失敗。日本が負けるべくして負けた戦争でした。
肝心なところで失敗するのは、やはり頭が悪いからという他ありません。大変残念なことです。
1994年11月20日に外務省は当時の調査委員会による調査記録「昭和16年12月7日対米覚書伝達遅延事情に関する記録」を公開した。
この調査などに基づく通説では、6日夜に大使館員が南アメリカへ転勤する寺崎英成の送別会をメイフラワー・ホテルの中国料理店で行っていたこと、奥村が送別会後も大使館に戻って浄書を行わず知人の家にトランプをしに行っていたこと、奥村の英訳親書の浄書・タイプが遅れたこと、14分割目に「大至急」の指示が付されておらず「帝国政府ノ対米通牒覚書」[257]本文の続きであることがわからなかったことなどが原因であるとされている。(この外務省調査は本来行うべき外務省からの発信時刻を調査対象から外しており、その点に大野は疑念を呈している。)
このような大使館のミスによる失態であるとの通説に対して、奥村とともに責任を問われることがある大使館総括参事官の井口貞夫は生前に「自分の管掌事務ではなく、この対米通告が宣戦布告だとは承知していなかった」と主張していた。
またその息子である井口武夫元ニュージーランド大使も、彼自身の調査研究の結果として外務省本省が負うべき落度を現地大使館に責任転嫁しているとして、奥村書記官を含めて大使館側に失態はなかったと主張している。
真珠湾攻撃の2日後の12月9日には、ポートランドのオレゴニアン紙で、アラモの戦いでのスローガン「Remember the Alamo!(アラモを忘れるな)」を改題した「REMEMBER PEARL HARBOR!(真珠湾を忘れるな)」とのフレーズが早くも登場している。
ルーズベルトが汚名演説で、日本の行為を「恥知らずな蛮行」や「背信行為」と激しく非難するなど、アメリカ政府が真珠湾攻撃を「だまし討ち」と喧伝することによってアメリカ国民の愛国心はさらに高まることとなり、「REMEMBER PEARL HARBOR!」というフレーズはたちまちアメリカ全土を席巻する国民的スローガンとなった。
ウクライナのゼレンスキー大統領は、アメリカの議会で「真珠湾攻撃を思い出せ」と訴えています。
日本人は、過去の失敗から教訓を得て、同じ失敗を繰り返さないよう賢明になるしかありません。
しかし、アメリカが広島と長崎に原爆を落として、大量の非戦闘員を殺したのは戦争犯罪です。
「REMEMBER PEARL HARBOR!」は「REMEMBER HIROSHIMA!」「REMEMBER NAGASAKI!」とセットで覚えておくべきです。
アメリカが日本に原爆を使ったのは戦争犯罪であるのと同様に、ロシアがウクライナに原爆を使うのは戦争犯罪なのでやめるべきだとゼレンスキーは日本の国会で主張するべきでしょう。
日本の国会における演説では、日本人向けに「核兵器の使用は戦争犯罪である」「核兵器を所持する者、核兵器を使用する者は人類の敵である」と明確に主張してください。
京都大は15日、霊長類研究所の正高信男・元教授(66)が、2014年から19年に発表した論文4本で、実際に実験をしていなかった捏造(ねつぞう)の研究不正があったと発表した。正高元教授は20年3月に定年退職している。京大は退職金支払いを止めており、今後、処分を検討する。
調査委員会の報告書 https://www.kyoto-u.ac.jp/sites/default/files/inline-files/211015-kaikensiryo-d825afb27efaa25500ea68b226f58ea1.pdf によると、対象の論文は以下。
なんか、どれも教育・コミュニケーション関係の限定的な界隈が喜んで言及しそうなテーマよね。「大麻オイルがコミュ障・ひきこもり改善に役立つの!」とか「自閉症はダイバーシティのひとつ!美的判断能力が高いの!」とか「デジタル絵本のほうが紙より教育効果が高いの!」とか。周囲にそういうのがいて、感化されたのか、コメンテーターか広告塔になるつもりだったのか。...と思ったら、2003年頃からの著書が、なんかおかしなタイトルばかりだね。この頃に悪い編集者にでも捕まったのか。
https://twitter.com/crazyraccoon406/status/1443175558574006278?s=19
見れない→見られない
※「謝罪申し上げる」は「謝罪」単体は動詞ではない上に、「ご報告申し上げる」のように慣用表現ではないため不自然です。原文の内容を伝えたい場合、「ご報告と謝罪を申し上げる」が自然な表現でしょう。
時間がかかった→お待たせした
※駄目という訳ではないですが、「時間がかかった」というのは平仮名も相まって平たい表現に感じさせます。謝罪文である以上はもう少し硬い表現を使ってはどうでしょうか。
※慣用表現と言えなくもないですが、「謝罪させていただきます」は「許可を求める」即ち「相手にの顔色を伺って謝罪する」のようなニュアンスを伝えてしまい、「自身の意志で謝罪する」という意味合いを欠くと捉えられかねない表現です。
※明らかな誤用です。
3ヵ月の活動休止、公式イベントも欠場、VALORANTにて活動していた全アカウントの削除、活動再開後も、作成するアカウントに関して、一年間、調査委員会による管理監視を行う→?
※伝えたいことは単語から分かりますが、主述関係が全く掴めません。
知識不足でしたら申し訳ないのですが、「全アカウントの削除」まで名詞を並べているだけになってしまい、文になっていないようにしか読めません。語順や句読点の打ち方が英語のようになってしまっていますが、どのような事情があるのでしょうね。
再発防止のため、及び、今後のチームひいては→再発防止のため、及び今後のチーム、ひいては
※「ひいては」の前に読点を打たないのは不自然です。「及び」の後の読点は必須ではないので、こちらを削って「ひいては」の前に補うのが良いと思います。
阪神淡路大震災とオウム真理教をめぐる事件で騒がしかった1995年に起きた、文藝春秋の雑誌『マルコポーロ』を廃刊にしてしまった事件の、そのホロコースト否定の記事の著者である西岡昌紀氏がその記事でも使った文章がこれである。
「なんと驚くべきことに、ガス殺の遺体は一体も見つかっていないのです」
西岡はそれ以来、繰り返しこのセリフを語った。今回はこれについて考えてみよう。
上の西岡が使う常套句は、実は微妙に嘘なのであるが、ほんとでもあるというややこしい話でもある。嘘であるというのは、見つかっていたという報告自体は存在するからだ。知られているのは二つあり、一つはマイダネク収容所のソ連犯罪調査委員会による報告書であり、1944年10月頃という早い時期にまとめられた報告書の中に、ガス殺遺体の発見の事実がさらっと書かれている。マイダネクはソ連赤軍の急襲にあって終戦前年の1944年7月にさっさとソ連に解放されてしまったので、ガス室やその遺体の処理が間に合わなかった、とされている。もう一つはロシア南西部の黒海に面するクラスノダールでもガス殺遺体が発見されたと報告されている。こちらの方は1943年初頭にさっさとソ連に占領されてしまっているので報告(裁判)の時期も1943年7月と最も早い。ガス殺遺体の写真まである。
このように実際には見つかっていたという話を知らないネットの否定派は多いようだが(西岡も1995年当時には知らなかっただろう)、見つけたのがソ連であるという理由で信じないのが否定派である。実は個人的にもマイダネクの報告書はちょっと怪しいと思っているが細かい話になるのでそれはここでは言わない。クラスノダールの方は写真まであり、その写真自体に「一酸化炭素中毒の死体」とまではっきりコメントが書いてあって、信頼性はあるように思うのだが、ソ連の裁判という理由で否定派は認めようとしない。当時ソ連は見せしめ的な裁判をやっていたらしく、それが信じない理由とされているようだが私は詳しくは知らない。
しかしこれが、否定派が主たる攻撃対象としている絶滅収容所、中でもアウシュヴィッツ収容所の話になってくると、確かに解放後に連合国によって一体も発見されていないのは事実である。定説では、それらのガス殺による遺体は全部焼却処分してしまったからである。が、ここでは少し否定派側の視点に立って考えてみよう。
確かに、そう言われると奇妙な気もしてくる。一般的に言って、死体なき殺人は肝心の殺された死体が存在しないため、その立証は困難である。かつて日本で起きた北九州一家連続殺人事件では家族七人が殺されたが、その死体は一体も見つからなかったどころか、犯行現場とされたアパートからも血痕の一つも見つからず物的証拠は何一つ存在しなかった。その為、主犯格の共犯者である愛人と逃げて助かった生存者の証言で事件を立証する以外になかったのである。
しかし、アウシュヴィッツは七人どころではなく、約百万人がガス室で殺されたとされている。ニュルンベルク裁判時点では250万人〜400万人という膨大な犠牲者数が述べられた。なのに、ガス殺死体は一体も見つかっていないというのは極めて異常な話ではないのか? ガス室による殺人は全く立証されていないじゃないか、と言いたくもなるのだろう。特に、青酸ガスという毒ガスで殺されたという類例のない事実を立証するには、遺体の検死解剖の一つくらいあっていいはずなのにそれすらないのだから、疑惑を持つ人がいても不思議ではない、とは思う。
では一体どうやって毒ガスによる大量虐殺を立証したのであろうか?
流石にニュルンベルク裁判やその他の裁判で具体的にどのように立証していったのかという全貌は知らない。よほどの研究者でもない限り、膨大な裁判資料に精通している人は限られると思う。ニュルンベルク裁判資料ですら素人には手に負えない。
しかし、物証の一つである文書資料もそこそこ裁判で採用されているようである。ナチス親衛隊は徹底的に大量虐殺の事実を隠蔽しており、例えば直接「毒ガスで殺した」などと文書に記述したりしなかった。ガス室についても、残されている図面には「死体安置所」としか書かれていないし、アウシュヴィッツの火葬場に関する使用データも一切残さなかった。収容所解放前にガス室のあったビルケナウのクレマトリウムは全て解体撤去・爆破処分しており、火葬炉の一つも残っていない。それでも、ある文書の中には「ガス室」とついうっかり書いてしまったのであろう記述があったりもしたし、クレマトリウムの残存パーツからシアン成分も検出している。
さらに、裁判で採用された証言者は何百人にも上り、その多くは非常に具体的にガス室のことを証言しており、詳細な証言もいくつもあった。ガス室での殺害の目撃証言も多数存在したし、ともかく大勢の元囚人がガス室に関する証言を行なった。中でも、遺体処理を担当したゾンダーコマンドの生存者の証言は極めて詳細であった。最も衝撃的だったのはアウシュヴィッツ収容所司令官を最も長く務めたルドルフ・ヘスのニュルンベルク裁判での証言であった。彼は、他の多くの加害者側の人間とは異なり、無罪を主張しなかった。それどころか、自分から進んで積極的にそのおぞましい犯罪の全貌を裁判で語ったのである。さらに彼は、拘置所において自らの意思で回想録を執筆し、裁判時の証言よりもさらに詳細な内容であった(この自伝は日本でも普通に売ってる)。
細かい話をすれば、例えばナチス親衛隊による大量虐殺の隠蔽に関する証言でさえも、囚人は証言している。「ガス室での殺害については、「特別処理」という表現を記載していました」などの証言も何人もしている。これは事務的な部署でも囚人が働いていたからである。さらにそうした証言をしている法廷で裁かれていた加害者側の被告であった親衛隊員たちは、ガス室を全く否定しなかった。それら親衛隊員が裁判で反論したのは、自らの意思に基づく非道な行い等についてのみであり、指示・命令で行っていた任務であるガス室に関しては否定しなかったのである。
結局、後々のナチ犯罪裁判を含めそれら戦犯裁判では誰一人、ガスによる大量虐殺を否定しなかった。少数の「知らなかった」と語った証人や被告が存在しただけである。果たして、こうした証言状況で、「ガス殺死体が一体も見つかっていない以上、それらの証言は全て疑わしい」と言えるのであろうか?
ネットに多い素人否定派程度では、まさかガス室・大量虐殺を認めることになる証言が何百件もある(裁判以外も含めれば何千件になるのか見当もつかない)だなんて知らないと思うし、それらの証言の一つもまともに読んだことすらないだろう。例えばその一つを任意に選び出してみよう。
証人:アウシュヴィッツで絶滅された子供たちの移送に関しては、ゾンダーコマンド(特別部隊)で働いていた同僚から聞いたことを繰り返すことができます。この子供たちはガスで殺されました。ビルケナウの最初の火葬場で行われたテストガスの犠牲者でした。
私は3週間の検疫を経て、クレマトリウム建設班に配属されましたが、そこで初めてグラブナーと出会いました。ある時、私の仲間が50キロのセメント袋を運んでいたのですが、その重さに耐えられず、グラブナーは私のカポーに向かってこう言いました。「あの犬にとどめを刺せ」と。カポーはシャベルの柄を折って、それと自分の足を使って囚人を激しく殴り、彼は本当に死んでしまいました。これはグラブナーの指示で行われました。
その後、私は火葬場から「カナダ」という兵舎に移されました。そこでグラブナーと再会しました。グラブナーは政治部の部長で、ガス処刑される人たちの書類をモルに渡していました。グラブナーはほとんどすべての輸送列車の到着に立ち会っていました。
ポーランドの戦争犯罪証言記録サイトに見る殺人ガスの証言証拠(2)|蜻蛉|noteより
人間の証言には、しばしば誤りが存在する。記憶間違いであったり認識間違いであったり誤解であったり、場合によっては意図的な嘘であったりもする。個人的に、こうした証言をたくさん海外のサイトから翻訳したので、そこそこ誤った内容を含む証言があるのも知っている。しかしだからと言って「ガス室」に関する証言のその全てが嘘になることなどあり得るのだろうか? 知っている裁判証言だけで数百件に上るのだが。
しかもそれらの証言に含まれる「ガス室」に関する内容は、ただ単に「ガス室があった」と言っているだけでなく、上にあげたたった一つの例ですらも具体的な内容を持つ証言の中で示されているのである。しかもそれらは裁判の中での証言であり、被告が法廷に存在しており、被告には証言者への質問の機会も与えられていたのに、誰一人被告はガス室を否定しなかった。
でも否定派は、それら証言をどんな難癖をつけてでも否定する。上の例では、「連合国の陰謀者によって、ガス室の証言をするように脅迫されている可能性がある」等。また、否定派が最も証言に対して使うセリフは「矛盾があるものばかりである」である。ルドルフ・ヘスに至っては、ほんの些細な記憶間違いとしか考えられない証言上の矛盾を元に、証言の全て(もちろんガス室・大量虐殺に関することだけ、であるが)が連合国によって強制的に嘘を言わされていることにされた。私はそれをいうネット否定派に対して、「ではあなたは数年前の出来事について一つの誤りもなく証言できるのですか?」と質問したがまともに答えが返ってきたことは一度もない。ひどい場合には、単なる翻訳上の間違いを元にして「この証言には矛盾がある」と難癖をつけられていたことさえある。
少なくとも、マルコポーロ事件の西岡昌紀は真面目とは言い難い。その理由は、絶対にただの一つとしてもホロコースト否定説には欠陥があることを認めようとはしないからである。実は、稀にこの「否定説の欠陥」に気付く否定派がいる。中でも否定説の最大の欠陥は、では「一体、数百万人に上るユダヤ人はどこへ消えたのか?」に答えられないことである。ユダヤ人がナチスドイツの手によって大量移送されたこと自体を否定する人はいないので(それすら知らない人は別だが)、殺されていないのなら数百万人の消えたユダヤ人はどこかに生存していなければならない。古くは、ソ連だった。ソ連のスターリンが収容所に収容しただとか、移住させたのだとか、色々言っていたらしい。だが、冷戦が終わってなお、そんなユダヤ人は全く確認することは出来ない。旧ソ連に関するそうした情報も公開されているのだが、どこにも出てこない。
ほんの僅かだけど、ネットで議論しているとそこに気づいた否定派もいた。確かにその質問には否定派は答えられない、と。欧米では、著名な否定派が、さらに高名な否定派の誰にそのことを聞いても「知らない」と返答されるだけだったので、否定派を辞めてしまった人さえいる。この重大な欠陥を認めるか否かが、ある種の分水嶺になっているとは思われる。
その割には、アウシュヴィッツで死んだユダヤ人の数は、600万人から300万人に減らされ、今はドイツ国公式見解は100万人ということになっているが、その実態は10万人である。
なぜ600万という途方もない数字が出たのか回答していただけないだろうか?
強烈に誤解されることの多いホロコーストにおけるユダヤ人虐殺数。
600万人と言う数字にどうしても目が行ってしまうため、その途方もない数字に信じ難いと言う気持ちが起きるのでしょう。ちなみに、「アウシュヴィッツで死んだユダヤ人の数は、600万人から300万人に減らされ」や、「ドイツ国公式見解(何それ?)100万人」だとか実態が「10万」なんてどこから出てきたのか知りたいところですが、まぁそれはいいでしょう。一応全部間違いです、そんなの聞いたことありません。
先に、私は研究家でもなんでもなく、本やら様々なネットの情報(海外サイトが主)を色々と調べ回っただけの知識しかないと断っておきます。
どうやって600万人と言う数字が出てきたのか。
これはまず、ナチスドイツ内でアイヒマンが語っていたとされる数字として、ニュルンベルク裁判である親衛隊将校が語りました。それによると「収容所で400万人、それ以外で200万人」という数です。これが最初に出た600万人ですが、実は別にニュルンベルク裁判では判決で触れられているだけで、別に認定などされていません。また、ニュルンベルク裁判起訴状に「570万人のユダヤ人がヨーロッパから消えそのほとんどがナチスに殺された」なる文言がありますが、これもまた別に認定などされていません。
そして、裁判以外で、1950年頃から人口統計学者によって600万人や550万人以上のユダヤ人人口が失われていると計算されるようになります。で、今度は歴史家ジェラルド・ライトリンガーの方から「反ユダヤ主義を意識して」極力最低限の数字を計算し419〜458万人という数字を弾き出します。以降、有名な『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』の著者であるラウル・ヒルバーグが1961年に510万人という数字を弾き出しました。
以降様々な研究者が発表してきましたが、概ねの間違いない数字としてはユダヤ人600万人説が変わったことは実際一度もありません。以上のように、例えば「ニュルンベルク裁判で勝手に決められた数字」であるとか、「イスラエルの公式数字である」とかは全然違うわけです。おそらく適当な数字は一つも無く、近年は非常に膨大な資料を用いて推計しているようです。
ではあのアウシュビッツは? というところですが、アウシュヴィッツについては最初は基本、二つの数字から始まります。何故二つあるかというと、その出所が違うのです。一つは、よく言われる400万人説です。これはソ連の0018-USSRと呼ばれる戦争犯罪調査委員会の報告書(1945年5月)です。ここに、400万人という数字が登場しますが、この数字は報告書上は火葬能力からの推計値と書かれていますが、それはあり得ないと言われています。火葬能力があり得ないのではなく、火葬能力で推計値を出すということ自体があり得ないわけです。問題は実際に殺した人数だからです。では一体どこから400万人説が実際に出てきたかというと、それはおそらく火葬場で働いていたユダヤ人ゾンダーコマンドの生存者の証言です。その中に400万人説が出てくるのです。おそらくソ連はそれを聞いて、火葬能力など何も調べずそれっぽく推定したかのように書いたのではないかと思われます。しかし、奴隷労働をしていたゾンダーコマンドが正確な数字を知るはずもなく、単に囚人同士で噂話のように推計していただけの数だと思われます。
ところが、1946年3月に、逃亡していたアウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスが逮捕されます。ヘスはニュルンベルク裁判の証人になったときの証言で「250万人を殺害し、50万人は病死や餓死でなくなった」と証言したのです。ところがこの250万人という数字は実際にはヘスが現場で知った数字ではなく、アイヒマンに教えてもらった数字だと答えています。何故なら、犠牲者数の数を記録することを許可されていなかったのです。ただしヘスは司令官なので、それなりに犠牲者数の実感は持っていたようで、250万人は多すぎると自伝に書いています。
なので、アウシュヴィッツの犠牲者数は、最初はこの250〜400万人説からスタートしたのです。が、実際にはすぐにこれは多すぎるとわかっていました。何故ならば、研究者によると、アウシュヴィッツへの囚人移送記録が出発駅や経由駅などにたくさん残っているので、それをもとに計算すると、いくらなんでもそんなに大勢のユダヤ人が移送されたはずがないことが明らかだったそうです。それで、前述したライトリンガーなどは80〜90万人だろうとし、ヒルバーグは100万人とします。で、現在の数字は、アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の主席研究員であったフランシスゼク・ピーパー博士による研究成果として、110万人(ユダヤ人以外も含めて150万人)の犠牲者が出たとされているのです。
以上の通りなので、例えば「以前はアウシュヴィッツの公式プレートは400万人だったのに今では110万、なのに何故トータル600万人が変わらないのか?」が誤解であることはお分かりいただけるかと思います。そもそも600万人の数字計算の中に400万人説は含まれていないからです。
それ以外の収容所の犠牲者数の細かい計算方法は存じておりませんが、最もわかりにくいのがソ連(ウクライナやバルト三国など)でのいわゆるアインザッツグルッペン、移動虐殺部隊を主体とした現地殺害による虐殺数で、広い範囲でたくさんの場所で細かな殺害が行われたため、いまだによくわかっていないそうです。概ねの数字で言えば100万人から200万人の間だろうとされてはいます。
さて、もちろんこんな数字、修正主義者達は全く否定しております。はっきりした数を言わないのが修正主義者で、ないとも言っていません。修正主義者達は、人口調査すら自分達でした気配もありません。たまに適当なことを言って「600万人などあり得ない!」と主張するに留まります。でも、大勢のユダヤ人が移送されたことは認めているのです。で、どっかに殺されずに消えたんだと。私には修正主義者が何を言っているのか意味がわかりません。修正主義者は、例えばアウシュビッツであるとか、トレブリンカ・ソビボル・ベウジェツなどのいわゆる絶滅収容所を絶滅収容所とは認めず、「通過収容所」と読んでおり、そこまで移送されたことは認めるのに、その通過収容所から先を言いません。言ったとしても「ミンスクへ1000人移送されたことはわかっているから通過収容所であることは間違いない」であるとか、その程度です。実はこのことが、修正主義者の最大の問題であり、修正主義者達はこの件の答えを常に誤魔化していますが、絶対にはっきりしたことはいいません。もちろん一般の歴史家は全員が「虐殺された」です。
ともかく、それら犠牲者数の数字は、色々な人たちが様々な資料を検討した上で推計した数字であって、別に適当な数字を言っているわけではありません。中にはよくわからない計算方法で算出している人もいるかもしれませんが、一般に言われている数字は全て研究者達が推計した数字です。ですから、別に誰も数字を盛ったりしていることもありません。
なお、最新のユダヤ人人口統計でさえも、ユダヤ人人口数は第二次世界大戦中の最大値を回復しておりません。ともあれ、戦後様々な推計結果はあったとはいえ、概ね600万人という数字は一度も変わったことはなく、最近でもそれはありません(リビジョニスト達はしょっちゅう「600万人説は既に信じられていない」だとかのデマをばら撒いていますがね)。実は、ユダヤ人人口を把握している元は、ユダヤ人の教会みたいなシナゴーグなのです。シナゴーグなしにはユダヤ教はあり得ないので、シナゴーグの管理しているユダヤ人数を集計すれば自ずとユダヤ人の数はわかるのです。もちろん近代的には国勢調査で把握される宗教別人口もありますが、昔は主にシナゴーグ集計を使っていたようです。ですから、戦前などの場合は、ユダヤ人協会に聞けばわかったので、ナチスもそれを元に殺すべき人数を知っていたわけです。
2009年半ばに,ヒトパピローマウイルス (HPV) ワクチン「実証プロジェクト」が,シアトルを拠点とする非政府組織であるProgram for Appropriate Technology in Health (PATH) により, Indian Council of Medical Research (ICMR) およびAndhra PradeshとGujaratの州政府と協力して実施された。これらのプロジェクトは、Bill and Melinda Gates Foundationから資金提供を受けている。使用したワクチン、ガーダシルとサーバリックスは製造会社からPATHに寄付されました。この例では、グラクソ・スミスクラインとメルクシャープとDohme (MSD) 。これらのHPVワクチンは、アンドラプラデシュ州のKhammam地区およびグジャラート州のVadodara地区の約23,000人の10歳から14歳の少女に投与された。
これらのプロジェクトは、七人の部族の少女が死亡し、プロジェクトの非倫理的な設計と実施に市民社会グループが強く反対したことを受けて、2010年に保健家族福祉省 (MoHFW) によって中断された。プロジェクトの実施における「不正疑惑」を調査するため、調査委員会が設置された。委員会の報告書 (1) は、参加者の権利と規制手続きにいくつかの違反があったという主張には同意したが、責任を負わなかった。また、そのような裁判の許可と実施に関与した者は罰せられるべきだという勧告についても、沈黙を守った。明らかな違反の証拠があったにもかかわらず、調査はプロジェクトに関与したすべての者の責任を免除した。
プロジェクトの手続き上および倫理上の欠陥を深刻な観点から捉え、第72回保健・家族福祉議会常任委員会は最近調査を実施し、「ヒトパピローマウイルス (HPV) ワクチンを用いた研究の実施における不正の疑い」 (2) に関する報告書を2013年8月30日にラジャ・サブハで発表した。この報告書(以下第72回報告書という) (2) は、インドにおけるHPVワクチン試験の違反に常に注意を喚起してきた多くの声とキャンペーンを明確かつ包括的に擁護するものである。第72回報告書は、2009年にPATHによって同国で実施されたHPVワクチン 「実証」 プロジェクトが非倫理的であることを認めている。
だりい@dariidariidarii · 12月9日
返信先: @dariidariidariiさん, @charon_aloneさん
そこから目をそらさせて
セクハラだけに目が行く様、
……やられたなーという感じです
もし女性議員に居住実態がないのであれば、手続きがまったく違います。住民投票ではなく、草津町選挙管理委員会経由で失職させることが可能です。これは住民投票より圧倒的に簡単な手続きであり、今以上に住民投票を使うことに問題が生じてしまいます。僕が問うているのはセクハラ問題ではありません。
だりい @dariidariidarii
返信先: @dariidariidariiさん, @chidaisanさん
はガンスルー
初回から全部バックレ中です
だりい@dariidariidarii
返信先: @dariidariidariiさん, @chidaisanさん
(これとて新井議員がやらないからわざわざ町長が裁判してやってる状態)
みたいな主張はいいんですが、
現時点では、あなたがそう思っているだけで、裁判の判決が出ないうちに、どちらの主張が正しいと言うことはできません。女性議員の主張が正しいとも言えない代わりに、町長の主張が正しいとも言えません。むしろ、町長の言い分が正しいと決めつけてしまう方が恐ろしいです。何のために裁判があるのか。
それは「こんなにいろんなことされたら、ぶん殴っていいよね」という話に等しいです。いろんなことをされても、ぶん殴ってはいけません。町長の正当性を主張したいのなら、なおさら強行手段は悪手です。このような前例を作ってしまうと、全国各地の町村議会で悪用され、排除が横行するようになります。
だりい@dariidariidarii·12月9日
返信先: @chidaisanさん
だりい@dariidariidarii·12月9日
返信先: @chidaisanさん
ならば
問題点を決めるのはお前ではない」
と答えるのみ
よくもありがとう
絶対に忘れない
https://anond.hatelabo.jp/20201219095651
(出来事)
1856 日米修好通商条約締結
1860 横浜の外国人居留地において、競馬が行われる(居留地競馬)
1869 戊辰戦争終了
1870 東京招魂社(現・靖国神社)において、初めて洋式競馬が行われる(招魂社競馬。1898年まで)
1874 台湾出兵
1877 西南戦争開始~終了
1894 日清戦争開始
1905 日露戦争終了
桂太郎内閣による馬券発売の公認(黙許)(公認競馬。中央競馬のルーツ)
馬政第一次計画の制定(第一期:1906年~1923年、第二期:1924年~1935年)
帝室御賞典(東京)創設
1907 小岩井農場が種牡馬インタグリオーと20頭の繁殖牝馬(小岩井農場の基礎輸入牝馬)をイギリスより輸入する
1910 韓国併合
改正競馬規程(閣令)を根拠として、産牛馬組合による競馬が開催されるようになる(地方競馬のルーツ)
主要競走に騸馬(せん馬)が出走不可に。芦毛、月毛、河原毛が出走不可に(毛色の制限は1928年まで)
帝室御賞典(阪神)創設
1911 優勝内国産馬連合競走(連合二哩)創設(ラングトンが第1回の勝馬となる)
宮崎競馬場において、商品券付き勝馬投票が実施される(事実上の馬券)。1914年までに全ての競馬倶楽部が実施するようになる
1914 第一次世界大戦開始
1918 第一次世界大戦終了/シベリア出兵(1922年まで)
1922 帝室御賞典(札幌)創設(1937年秋まで。1922年~1924年は春のみ。1925年~1937年は秋のみ)
帝室御賞典(福島)創設(春のみ。1922年春~1937年春)。帝室御賞典(函館)創設(秋のみ。1922年秋~1936年秋)
1923 関東大震災/旧競馬法制定(馬券発売再開)/馬政局廃止
帝室御賞典(函館)創設(春のみ。1923年春~1937年春)。特殊ハンデキャップ競走創設
1925 濠抽混合創設(当初の名称は各内国抽籤濠州産馬混合競走。1932年より目黒記念)
下総御料牧場が2頭の繁殖牝馬(種正・稙道)をアメリカより輸入する
1928 横浜特別創設(1943年秋まで)/連合二哩(牝馬)創設(1928春~1941秋)
1931 満州事変
下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星旗・星若・星友)をアメリカより輸入する
1932 東京優駿創設(1950年より「日本ダービー」の副称が付く。ワカタカが第1回の勝馬となる)
下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星濱・星谷・星富)をアメリカより輸入する
1934 中山大障害創設
1936 二・二六事件
1937 日中戦争開始
天皇賞(帝室御賞典)創設(連合二哩並びに各競馬倶楽部で行われていた帝室御賞典を統合。当初秋2600m、春2700mで施行され、第3回からは春秋共に3200mで施行。ハツピーマイト(ハッピーマイト)が第1回(1937年秋・東京)、ハセパークが第2回(1938年春・阪神)の勝馬となる)
連合二哩はこの年限りで廃止。各地の帝室御賞典はこの年春限りで廃止
菊花賞(京都農林省賞典四歳呼馬)、優駿牝馬(オークス)(阪神優駿牝馬)創設
1939 皐月賞(横浜農林省賞典四歳呼馬)、桜花賞(中山四歳牝馬特別)創設(五大クラシック競走が成立)
1941 太平洋戦争開始/セントライトが初のクラシック三冠を達成
1944 競馬開催の一時停止。この年の競馬は能力検定競走として施行される(戦前の競馬はこの年限りで終了)
2歳(旧3歳)競走が競走体系に加わる
1949 朝日杯3歳ステークス(1991年から牡馬及び騸馬(せん馬)限定のレースとなる。現・朝日杯フューチュリティステークス)創設
阪神3歳ステークス(1991年から阪神3歳牝馬ステークスとして牝馬限定のレースとなる。現・阪神ジュベナイルフィリーズ)創設
1951 中央競馬における重勝式馬券の発売(1961年廃止)
トキノミノルが無敗で二冠を達成
日本中央競馬会(略称は1986年までNCK。1987年からJRA)発足(国営競馬時代の終了)
啓衆社(競馬予想紙を発行)が啓衆賞を設け、各年に活躍した競走馬を表彰することを始める(1972年から『優駿』(日本中央競馬会の機関紙)の主催による優駿賞、1987年から日本中央競馬会の主催によるJRA賞となる。最初の年度代表馬はハクリヨウ(ハクリョウ))
1955 日本中央競馬会が英国ジョッキークラブとの間に騎手に対する制裁の相互実施協定を締結する(国際交流の始まり)
東京大賞典(秋の鞍)創設
1958 ハクチカラが戦後の日本調教馬として、初めて海外に遠征する
1956 有馬記念(中山グランプリ)創設(メイヂヒカリが第1回の勝馬となる。八大競走成立)
1963 中央競馬において8枠制が導入される
メイズイとリユウフオーレル(リュウフォーレル)の2頭が年度代表馬に選出される
1965 シンザンが天皇賞秋・有馬記念を制覇し、五冠を達成(当時牡馬が出走できる大レースを全て制覇)
1967 栗東トレーニングセンター開場
1968 中央競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される
1970 大阪万博
スピードシンボリが初めて有馬記念を連覇し、1967年以来2度目の年度代表馬に選出される
1971 ニクソン・ショック
貿易自由化に伴い国内生産者への保護政策が実施されたことにより、持込馬が有馬記念を除く八大競走への出走権を失う
トウメイが天皇賞秋・有馬記念と連勝し、牝馬として初の年度代表馬に選出される
1972 沖縄返還
地方競馬における騎乗速歩競走はこの年限りで廃止される(中央競馬では戦前限り廃止)
ハイセイコーが中央競馬に移籍し、好成績を挙げ、国民的人気を集める(1974年の有馬記念2着(勝馬はタニノチカラ)を最後に引退)
1974 単枠指定制度の導入(1991年10月5日廃止。最初の指定馬は同年の皐月賞におけるキタノカチドキ。最後の指定馬は1991年のセントライト記念におけるレオダーバン)
1977 テンポイントが有馬記念でトウショウボーイとのマッチレースを制し、年度代表馬に選出される(3着はグリーングラス)
1978 美浦トレーニングセンター開場
緊縮派を党から追放(除名)してください。野田政権は消費税増税で死にました。三党合意は最悪の妥協でした。民主党政権が鳩山、管、野田とだんだん緊縮的になったのではなかったか。小沢派などは増税反対だった。新自由主義の政治家だった小沢達がだ。社会保障削減に抵抗し、累進課税を強化し(低所得者減税)、民営化、リストラに反対するのではなかったか?こんな中道右派政権いらないと野田に思うこともあるだろう。小泉首相が郵政民営化の時に民営化反対派は公認しないとしたように、緊縮派は公認せず制裁するべきだろう。なぜしないのか?安倍と蓮舫のような連中は闇取引でもして550年体制にでもしたいのだろうか?日銀法改正も党の方針にするべき。緊縮に死を。党内クーデター万歳!有権者は憤っている!なぜだ、なぜ緊縮派を追放しないのだ!緊縮派は自民党と官邸と安倍勢力のスパイに決まっている!裏切り者を早く浄化せよ!!緊縮派追放を求める!!改革が必要なのは、緊縮派の脳みそだ!!もういちど、緊縮派を党から追い出してください。再発防止のための、党内の隠れ緊縮派調査委員会の設置も求めます。我々は緊縮派の即除名を要求する。緊縮派を追い出し、安倍反動改憲を粉砕せよ!党の規律なくして、政権交代なし!
現在支部で働いているのですが、去年度深刻なセクハラが起きたため、
その相談員を引き受けることになりました。
相談者の言い分をもとに調査委員会の報告書を作成し本部に送ったところ、
セクハラを起こした支部の長には厳重注意程度の処分が下されたようでした。
(伝聞調なのはどういう処分になったのか教えてもらえなかったからです)
むしろ例年よりも上がったはずなんです。
相談員として調査委員会に参加してくれと幹部にお願いされて引き受けたけど、
こんなことになったのは自分が引き受けたせいなのかと、
そうであるならば引き受けるのではなかったな、と後悔しています。
本当は後悔すべきではないと思うのですが。
同じような立場に立たれた方、もしいらっしゃいましたら
どのようにして心の決着をつけたのか教えていただければ幸いです。
東京大学「情報経済AIソリューション寄付講座」担当 大澤昇平特任准教授
4月 情報経済AIソリューション寄付講座設置(~2024年3月31日)
9月 情報経済AIソリューション公開講座開講(~2024年3月31日)
11月7日(木) AbemaTV けやきヒルズ出演 信頼できるWebサイトの見分け方のポイントは「アドレスバーにカギのアイコンが付いているかどうか」
11月23日(土) 東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 学環・学府特任准教授の不適切な書き込みに関する見解
11月24日(日) マネックス証券 PDF マネックスグループのニュースリリース 本講座に対する寄付は速やかに停止する方針
11月25日(月)オークファン PDF 寄付講座担当特任准教授の不適切な書き込みに関する当社の見解について 今後本講座に対する寄付は速やかに停止する方針
11月25日(月) 大広 当社寄付先 東京大学「情報経済AIソリューション寄付講座」担当准教授によるSNS等への投稿に対する見解 今後の本講座に対する寄付を中止する方針
11月25日(月) remixpoint 当社出資先の代表者によるSNS等への投稿に対する見解
11月27日(水) Streamr Daisyとの提携解消
11月28日(木) 東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 www.iii.u-tokyo.ac.jp/news/2019112811043 学環・学府特任准教授の不適切な書き込みに関する学生へのメッセージ 問題発覚後、書込みの削除を含む注意指導を繰り返しおこなっていますが、まだ削除されておりません。
11月28日(木) 東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 www.iii.u-tokyo.ac.jp/news/2019112811058 学環・学府特任准教授の不適切な書き込み等に関する調査委員会の設置について
ある官公庁を退職する。退職の理由は、転勤に伴って転居したら家族が精神的に不安定になってしまったのに加えて、職場のパワハラおよびそれに対する上司の見て見ぬ振りのクソ対応で疲弊したからだ。ちなみにパワハラについては退職を伝えた際に上司の上司に訴えたところ、所属していた組織内で調査委員会なるものを立ち上げてくれたが、その事情聴取によりもともと低下していたHPをさらに削られて瀕死状態になった。嫌なことたくさん思い出したよ。で、調査の間、退職を延期するように、と言われて死にそうになりながら仕事を続けていたけど、組織内の偉い人曰く“第三者で構成された調査委員会”の目から公平に見た結果、自分が受けた行為はパワハラではない、という結論に至った、とのことだった。職場内の人間で構成されている時点で第三者じゃねーだろ、その委員会。あれがパワハラじゃないなら、やはり自分の身を守るために退職しなくては、と決意を新たにして、とうとう退職願いというものを書いた。退職願いは官公庁大臣宛なんだと。転勤で転居させて家族が可哀想な目にあったのと同時に自分も職場でパワハラ被害にあって、もう疲弊しきって働き続けられない、と書いたら(事実だ)、人事の担当者から書き直すように、と返却された。この内容だと希望通りの日程での退職はさせられなくなるから大人な対応をするように、だと。これをそのまま写して書くように、と家族の都合で仕方なく辞めるというパワハラのパの字もない文案を渡されて、ああ、こういう組織だから退職したかったんだ自分、とあらためて思い返して、可及的速やかな退職を実現するためその通り写して提出した。育ててもらった組織だから退職するの申しわけない、、、とかミジンコのウンコぐらいは思って悩んだ時期もあったのに、それもブッパするくらいほとほと愛想が尽きたよ。
炎上を煽ってなんとかしたい担当者か、現状を認識してない上層部の仕業だろ
当社元社員ご家族によるSNSへの書き込みに関し、当社の考えを申し上げます。
1. 6月2日に弁護士を含めた調査委員会を立ち上げて調査して参りました。6月3日には社員に向けて、社長からのメッセージを発信致しました。更に、6月5日に、社内監査役及び社外監査役が調査委員会からの報告を受け、事実関係の再調査を行い、当社の対応に問題は無いことを確認致しました。
2. 元社員のご家族は、転勤の内示が育児休業休職(以下、育休とします)取得に対する見せしめである、とされていますが、転勤の内示は、育休に対する見せしめではありません。また、元社員から5月7日に、退職日を5月31日とする退職願が提出され、そのとおり退職されております。当社が退職を強制したり、退職日を指定したという事実は一切ございません。
3. 当社においては、会社全体の人員とそれぞれの社員のなすべき仕事の観点から転勤制度を運用しています。育児や介護などの家庭の事情を抱えているということでは社員の多くがあてはまりますので、育休をとった社員だけを特別扱いすることはできません。したがって、結果的に転勤の内示が育休明けになることもあり、このこと自体が問題であるとは認識しておりません。
4. 社員の転勤は、日常的コミュニケーション等を通じて上司が把握している社員の事情にも配慮しますが、最終的には事業上の要請に基づいて決定されます。手続きとしては、ルール上、内示から発令まで最低1週間が必要です。発令から着任までの期間は、一般的には1~2週間程度です。転勤休暇や単身赴任の場合の帰宅旅費の支給といった制度に加え、社員の家庭的事情等に応じて、着任の前後は、出張を柔軟に認めて転勤前の自宅に帰って対応することを容易にするなどの配慮をしております。
5. 本件では、育休前に、元社員の勤務状況に照らし異動させることが必要であると判断しておりましたが、本人へ内示する前に育休に入られたために育休明け直後に内示することとなってしまいました。なお、本件での内示から発令までの期間は4月23日から5月16日までの3週間であり、通常よりも長いものでした。また、着任日を延ばして欲しいとの希望がありましたが、元社員の勤務状況に照らし希望を受け入れるとけじめなく着任が遅れると判断して希望は受け入れませんでした。
着任後に出張を認めるなど柔軟に対応しようと元社員の上司は考えていましたが、連休明けの5月7日に、退職日を5月31日とする退職願が提出されたため、この後は、転勤についてはやり取りがなされませんでした。このため元社員は転勤に関しての種々の配慮について誤解したままとなってしまったものと思います。
元社員の転勤及び退職に関して、当社の対応は適切であったと考えます。当社は、今後とも、従前と変わらず、会社の要請と社員の事情を考慮して社員のワークライフバランスを実現して参ります。
ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます。
この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料そのものを調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか?
歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます。
これは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学と哲学と社会学と人類学と歴史学と言語学とでは使う資料がぜんぜん違います。
で、この被告発者の研究手法は、近現代を扱う歴史家の多くが採用している手法だと思います。近現代史を扱う人たちは、
を主に史料として使います(「史料」ってのは、歴史を記録したナマの資料のこと。「資料」と呼ぶと後世に書かれた二次文献なんかも含む)。あるいは、上に書いたようなものをまとめて出版した本とかを使います。
これらの史料の特色とは何か……それは、
ことです。
公文書館というのは、「お役所の書いた書類を保管しておく施設」のことです。これはどのくらいかというと半永久的にです。普通の文明国ならどんなに細かな書類でも公文書館に保管されていて、(民主国家の場合は)数十年して機密解除されたり(独裁国家の場合は)体制が崩壊して民主化したりすることによって「申し込めば誰でも読める」状態に置かれます。これによって我々はソ連時代の領収書なんかをロシアの公文書館で読むことができるわけです。ソ連ですら公文書を保管して後世の我々に見せてくれているというのに……いや、これは余談でした。
当たり前ですが、それらはその国(あるいは地方)の公的な記録であって、自分のものにして持ち帰ったりすることはできません。ではどうするか。多くの歴史学者は
などの手段で史料を入手して研究しています(ちなみに写真撮影もカネを取る公文書館は結構ありますね。日本だとどうなんでしょ)。
昔の人が書いたものも、本とかなら古本屋さんとかで流通しているのを買うことができるかもしれませんが、稀覯書でなかなか手に入らなかったり、古雑誌のバックナンバーとか揃えるの無理ゲーだったりするので、図書館に所蔵されているのを使うことが多いです。近場の図書館に置いてない? 相互貸借もさせてくれない? そういう場合は当たり前ですが所蔵している図書館がある街まで行きます。その図書館がある街というのが新幹線が必要な距離だったりパスポートと航空券がないと行けない距離だったりすることも稀によくある(歴史学者の研究費は旅費と本代に消えていく運命なのです……)。そして、辿り着いた図書館でカメラをパシャパシャやったりコピーを黙々と取ったりするわけです(最近はスキャナーが普及してくれてマジ嬉しい)。
なので、調査委員会は「一次資料の写し」を求めたわけですね。たとえ彼が清廉潔白な研究者であったとしても、一次史料の原本なんてふつうは手元にないわけですから。
しかし、本来、彼は「一次資料の写し」を提出する必要などありませんでした。自分の論文を黙って調査委員会に提出すればよかったのです。なぜでしょうか?
もちろん分野によります。心理学みたいに人を対象とした研究だとしっかり実験ノートつけるように言われるかもしれないし、考古学とかは発掘時の状況を克明に記録しておくことが重要だったりするかもしれない。でも、少なくとも近現代史みたいな分野では、実験ノートをつける、という習慣はありません。
私は一度も、理系で求められるような意味での実験ノートを書いたことはないし、書けと言われたこともないし、書いていないことを理由に責められたこともありません。もちろん史料をノートに筆写したりはしていますが、そのノートだって別に厳密なものではない。普通の研究においてノートは使いますが、それは高校までのノートと一緒で、鉛筆で書いてもいいし、好き勝手なやり方で書いていいし、なんなら途中で破ったりしてもいいごく普通のノートです。最近はノートじゃなくてパソコンとかを使って研究上のノートを取ってる人も多いんじゃないかな(手書き疲れるもんね……)。
なぜか? と言われれば、
です。
つまり、「もとになった資料」というのは、理系のように自分の実験室の試験管の中にしかないものではなく、別の誰かが保管してくれているものなのです。
理系の学問において標準化された改竄不可能な形で実験ノートをつけなければならないのは、自分の実験室の試験管の中にしかオリジナル資料がないからですよね? しかし文系の場合は、少なくともここまで説明した近現代史の場合は、オリジナル資料はどこかの政府が管理している公文書館とかどこかの大学の図書館とかに保管してあるわけで、そこに辿り着くまでの情報さえ明記してあればそれで十分なのです。これはドイツ連邦共和国のベルリン連邦文書館の何々というファイルに保管してある何というタイトルの史料だ、とわかれば、チェックのためにはそこに見に行けばよいし、これは19世紀に書かれたほにゃららという新聞に載っていた記事である、と書いてあれば、その新聞が所蔵されている図書館を探して読んでくればいいわけです。
なので、別にどんな方法でノートを取ろうが自由なわけですね。最終的に読者がその元になったデータを見つけられるようにしておけばいいわけだから。
ゆえに、歴史学の論文や著書には膨大な注がつけられます。引用した史料のそれぞれについて「どこに保管されている史料なのか」「なんという本の何ページに書いてあることなのか」ということを書かないといけません。
なかには、史料が自分の手元にある場合もあります。多くの場合それは「昔の人が出版した商業出版物」なので(たとえば、極端な例ですが『わが闘争』)、他の誰かも持っていることが多いです。もしそういう史料で捏造とかしちゃうと「俺もこの本持ってるんだけど、お前が引用してる箇所見つからなかったよ?」という怒られが発生します(なお、捏造ではないですが誤訳指摘は受けたことがあります。コワイ! でも覆面査読なのにこの文献の誤訳を指摘できるってことはあの人しかいないじゃん……ってわかっちゃう! 文系の世界、基本的に狭い!)。「むっちゃ少数しか発行されなかった自費出版の本」とかが典拠になっている場合もあります。こういう史料を典拠にするのも仕方ない場合があるんですよ……典型的には、そこまで有力ではなかった政治家とか在野の知識人とかを研究したい場合、彼らが出してる本は全部自費出版というのがありえます(あと、言語学とかだと、たとえば与那国島の方言を研究したい場合に一番の参考資料になるのは与那国島のお年寄りが自費出版した方言辞典だ、みたいな例がありまして……与那国町が進めてる辞書出版プロジェクトむっちゃ楽しみ)。ごくごく稀に、古本屋で歴史上の人物が書いた手紙の山をまるごと購入できた、みたいな奇跡があって、モノホンの一次史料が研究者個人の所蔵になっている場合があります。これはねえ……もう本当に個々の研究者の良心を信じるほかないよね……若手研究者だと色んな大学を移り歩くこともあるだろうから今所属してる大学の図書館に寄付しろとも言えないしね……原史料出せって言われたときにすぐに見せられるようにしておいてね、定年退職するときは勤務校の図書館に置いていってよ、とお願いするくらいしかできない感じはあるよな……
さて、長々と書いてきましたが、要するに、捏造を疑われた研究者がきちんと注で出典を書いていれば、彼は論文を調査委員会の人たちの前に突きつけて「ここに出典書いといたから、見に行って確かめてこい」と言えばそれで済んでいたのです(それが生データにあたるものなので。実際、今回の調査委員会はドイツに問い合わせたりしていますね)。もっと言えば、彼本人から話を聞く前に、調査委員たちはまず典拠との照合作業を行って、彼が誠実に引用したこと、つまり彼が研究不正に手を染めてはいないことを確認してくれていたでしょう――もしも彼が潔白であったならば。
しかし今回の件では、注に不備があったので調査委員たちは注から出典を辿ることができませんでした。そこで被告発者に「写し」を求めた結果、元となる史料がそもそも存在しない、捏造されたものであることが判明したわけです。
注をしっかりつけろよ! まことにごもっとも。特に今回のケースは注の多い学術書であり、注の不備は申し開きができません。しかし、しかしです、この背景には、日本の出版事情が絡んでいるのです。
今回の被告発者は、学術書のほかに新書も書いていました。多くの新書には、参考文献リストはありますが注はありません。そして日本には、「研究者が書いた真面目な学問に関する本だが、注がない」というのが一定数あります(一応言っておくと、ここではauthor-date方式みたいな「厳密な意味での注じゃないけど、ともかくも出典を示す機能を担っているもの」も含めて注と呼んでいます)。実はこれ、文系のあいだでも問題視されていることなのです。
文系の学者が書いた学問に関する著書には、明白に書誌情報として区分されているわけではないですが、いくつかの区分があります。第一にいわゆる狭義の「学術書」。むっちゃ小難しい語彙で書かれてて、先行研究とか新規性とかに逐一言及して、参考文献を何十ページも載せてたりするやつです。読者は同じ学者、あるいはその卵。これで注を省くのは論外です。第二に「教科書」。これは学生さんとか初学者向けに易しく書き、内容には特に新規性を求められておらず、包括的な参考文献はなくとも読書案内がついていればそれでよし、という感じでしょう。注は別になくたっていい。
そしてこの2つのあいだには、「一般向け」という広大なグレーゾーンが広がっています。
あなたが読書好きで、少々お硬い本にも興味があるのなら、中公新書とか講談社選書メチエとかそういったレーベルを聞いたことがあるでしょう。岩波書店や青弓社や社会評論社といった出版社の名前を聞いたことがあるでしょう。実はこの辺、色々な種類の本が入り交じるグレーゾーンなのです。
これらのレーベルで真面目な学術書を出版する人もいます。講談社選書メチエでも、末尾にビッチリ注がついてたり参考文献リストがあったりするやつあるでしょ? ああいうやつ。一方で、こういうレーベルを一般向けの概説書・入門書を書くことに使う人もいます。よく中公新書で、包括的なタイトルで薄めの本を見ることがあるでしょ? 今回の『プロテスタンティズム』もそれですね。そして、一般向けの解説を書きながら、さり気なくその中で新しい見方を提唱したりする人もいます。学術的な新規性のある内容を、一般受けしそうだという理由で限りなく一般向けの本の体裁で書く人もいます(最近のやつだと『姦通裁判』マジお勧め)。
さて、こういう本を出す上では、内容は著者の完全な自由にはなりません。編集者は、もちろん学術的に正しい内容を求めているのでしょうが、彼らにとって重要なのは「売れること」です。そのために「一般向けにもうちょっと柔らかい言葉遣いで書いてください」とか色々と内容に介入してくるわけです。文体くらいなら別に構わないかもしれませんが、彼らの中にはこんな要求をしてくる人もいます。「注なんてつけたら一般読者に嫌がられます、注は省きましょう」
こうして生まれるのが、「学術的に新規性が高く面白い内容を扱っているのだが、注がない」という一般書の群れです。
もちろんこういった本にも参考文献はあり、「注はないけど、典拠を探しながら読めば典拠がわかるような書き方になっている」本もそれなりにあります(たとえば、はてな太郎の説によれば、と本文中に書いてあれば、注がなくても参考文献リストではてな太郎が書いた『増田の研究』という本を探し出せる)。ただ、やっぱりそれは注がある文献の出典表示の厳密さに比べれば一段劣るわけです。
これに関しては、研究者も出版社もそれぞれに問題があります。研究者サイドは簡単に「注を省け」なんて要求に妥協すべきじゃないし、そもそも「著書を出版する」ことが、博士論文を見るためにはわざわざ学位を授与した大学か国会図書館に行くほかなく出版して書店で流通させることが最も良い研究成果の流通のさせ方だった時代であればともかく、各大学がリポジトリを持っていていくらでもディジタルに研究成果を公表できる時代にあって本当に重視されるべきか考え直す必要があるでしょう(でも、欧米の出版社でも学術出版は盛んなので、これは日本だけの問題じゃないんですよねぇ。今でもオックスフォードやケンブリッジやハーバードやコーネルといった有名どころのUniversity Pressは学術書を出版しまくってます。学術書が研究業績として重視されるのは人文系では割と世界標準なので……)。
一方で、出版社は注をもっと重視するべきです。というよりも、日本の出版社やジャーナリスト、ノンフィクション作家は注をつけなさすぎます。先日、ボブ・ウッドワードがトランプ大統領についてのルポルタージュを出版しましたが、体裁も内容もおおよそ学術的とは呼べない一般書そのものの本なのに、きちんと出典を示す注がついていました。出版社は、学者に注を削れと言うべきではなく、ノンフィクションを書く作家や記者たちに注をつけろと言うべきでしょう。
とはいえこれは一朝一夕にはいきません。そもそも知の折り詰めである「新書」という形態が割と日本独自のもので、そういう一般と学術を橋渡しするレーベルが広く一般読者に読まれていることの重要性というものを鑑みると、簡単になくせとか言えません。私も色々お世話になってるし。人口1億人ちょいの書籍市場ではどうしたって限界があり、色々な本を出すのではなく折衷的な本を1冊出すのが経済学的には最も合理的という考え方だってあるでしょう。ただ、やっぱり一般書にも(それこそ講談社ブルーバックスや岩波新書レベルにも)注を入れるようにする、というのは必要だと思うのですよね。
さてここまで「注がない本」問題について解説してきました。でも何が一番言いたいかというと、
これ。これに尽きます。注はちゃんとつけよう。もしもあなたが捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料の実在を証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなたの研究の誠実性を証明できるのは、人文系の学問においては、注だけなのだ。
以上です。駄文に長々と付き合ってくださりありがとうございました。続きはanond:20190511125053で。