はてなキーワード: 大至とは
①②③全部当てはまってたけど、俺は金のあるズボラ野郎だったので全て金で解決した。金のあるズボラ向けの汚部屋対策を紹介する。
①のスチールラックは正直微妙な話題だと思うが、圧迫感と見た目の悪さがメンタルに来やすい気がするので、せめて他の棚にした方がいい気がする。実際俺もろくな使い方をしてなかった。
俺の場合、広い家に引っ越したら備え付けの収納が死ぬほどあったのでスチールラックは不要になった。それだけじゃなく、前の家では全部屋汚かったのが全部屋綺麗になった。
ズボラで片付けスキル低い奴はスチールラック使うの難しいってのは事実だと思うが、さらに言えばズボラで片付けスキル低い奴が狭い家を綺麗にするのは難しい。
というのも、片付ける時には大量の荷物を一旦床に展開してから片付けるのが一番楽なんだわ。狭い家だと展開する床がないのが最初の大問題なわけよ。
その意味で、元増田の言うようにいきなりスチールラック捨てたら大抵のズボラは詰むと思う。初手が一番難しいので、初手はプロを呼ぶとか何か手を打った方がいい。
金があるなら広い家への引っ越しはマジおすすめ。複数部屋あるとまず1部屋を小綺麗にして達成感得られるし、その綺麗な部屋を作業場にできるから以後の片付けも捗る。
俺の場合引っ越しと同時にルンバ導入したので、それが片付けのモチベーションにつながったのもありそう。これは人によると思うので強くはオススメしないが参考になれば。
②はわかる。俺は片付けられないし自炊スキルも低いから外食メインにしてたんだが、それでも洗い物ってたまっていくのよ。洗い物の増加ペースをいくら抑えたところでゼロでない限りいずれシンクが一杯になって無駄にイライラしてしまう。
そこで食洗機を買ってみた。大は小を兼ねるって奴で、4人家族用と思われるパナソニックのデカいのを買った。これが大正解で、フライパンをそのまま食洗機に放り込めるのは素晴らしい。俺は本当に洗い物が嫌いなので、自分で洗い物を一切せずに済むのは最高の体験だった。
あとズボラ野郎がゴミ出せないのは決まった日にゴミを出せとかいう高難易度タスクのせい。24時間ゴミ出し可能なら俺でもゴミ捨てできるので、これも超おすすめ。
ゴミ箱はスタイリッシュで少し大きめのを1個買うといい。俺は30リットルで蓋つきのを買ったけど、これだといくら自炊しても一週間くらいは満杯にならないので気楽。
蛇足だが、ディスポーザー付き物件に住むと生ゴミが一切出なくなるので、ゴミ捨てのストレスが一段減って良い。単身向けの間取りでディスポーザーついてる物件は珍しいと思うので、あったらラッキーくらいの話。
普通の洗濯機の何がしんどいかって、洗濯が終わったら大至急干さないといけないこと。なんだけど、俺は忘れっぽいから洗濯してたこと自体を忘れるわけよ。あとで臭くなった洗濯物を発見してストレスMAXになって以後洗濯しなくなるという悪循環。
その点、ドラム式洗濯機は最高。洗濯物放り込んだら完全に忘れてても大きな問題にならず衣類が乾燥してる。早めに取り込んだほうがワイシャツのシワがマシになるけど、その程度の違いだ。
俺はそれまで洗濯嫌いでせいぜい週1ペースだったんだけど、ドラム式洗濯機買って週4〜6くらい洗濯してると思う。
Wikipediaで真珠湾攻撃の記事を読むと、昔の日本人は無能だったことが分かります。
失敗は他人のせいにして、誰も責任を取らない姿勢は今も昔も変わりがないでしょうか?とても残念です。
https://anond.hatelabo.jp/20220319102718
「リメンバー・パールハーバー」というのは単に「真珠湾を思い出せ」というだけの意味ではなく、人類史上最悪の戦争犯罪である原爆投下を正当化するための合言葉なんだよな。これもまた「犬笛」なんだよ。だから日本人は怒ってるわけ。
東郷から駐米大使の野村吉三郎宛に、パープル暗号により暗号化された電報「昭和16年12月6日東郷大臣発野村大使宛公電第九〇一号」は、現地時間12月6日午前中に大使館に届けられた。
「帝国政府ノ対米通牒覚書」は現地時間午後2時20分に特命全権大使の来栖三郎と大使の野村吉三郎より、国務省において国務長官のコーデル・ハルに手交された。
宣戦布告の通知書を相手国に届けるのが遅れてしまい、結果的に奇襲攻撃になってしまいました。
事前に宣戦布告ができなかったので、日本はただの卑怯者になりました。
一事が万事。計画が杜撰だったので最初から失敗。日本が負けるべくして負けた戦争でした。
肝心なところで失敗するのは、やはり頭が悪いからという他ありません。大変残念なことです。
1994年11月20日に外務省は当時の調査委員会による調査記録「昭和16年12月7日対米覚書伝達遅延事情に関する記録」を公開した。
この調査などに基づく通説では、6日夜に大使館員が南アメリカへ転勤する寺崎英成の送別会をメイフラワー・ホテルの中国料理店で行っていたこと、奥村が送別会後も大使館に戻って浄書を行わず知人の家にトランプをしに行っていたこと、奥村の英訳親書の浄書・タイプが遅れたこと、14分割目に「大至急」の指示が付されておらず「帝国政府ノ対米通牒覚書」[257]本文の続きであることがわからなかったことなどが原因であるとされている。(この外務省調査は本来行うべき外務省からの発信時刻を調査対象から外しており、その点に大野は疑念を呈している。)
このような大使館のミスによる失態であるとの通説に対して、奥村とともに責任を問われることがある大使館総括参事官の井口貞夫は生前に「自分の管掌事務ではなく、この対米通告が宣戦布告だとは承知していなかった」と主張していた。
またその息子である井口武夫元ニュージーランド大使も、彼自身の調査研究の結果として外務省本省が負うべき落度を現地大使館に責任転嫁しているとして、奥村書記官を含めて大使館側に失態はなかったと主張している。
真珠湾攻撃の2日後の12月9日には、ポートランドのオレゴニアン紙で、アラモの戦いでのスローガン「Remember the Alamo!(アラモを忘れるな)」を改題した「REMEMBER PEARL HARBOR!(真珠湾を忘れるな)」とのフレーズが早くも登場している。
ルーズベルトが汚名演説で、日本の行為を「恥知らずな蛮行」や「背信行為」と激しく非難するなど、アメリカ政府が真珠湾攻撃を「だまし討ち」と喧伝することによってアメリカ国民の愛国心はさらに高まることとなり、「REMEMBER PEARL HARBOR!」というフレーズはたちまちアメリカ全土を席巻する国民的スローガンとなった。
ウクライナのゼレンスキー大統領は、アメリカの議会で「真珠湾攻撃を思い出せ」と訴えています。
日本人は、過去の失敗から教訓を得て、同じ失敗を繰り返さないよう賢明になるしかありません。
しかし、アメリカが広島と長崎に原爆を落として、大量の非戦闘員を殺したのは戦争犯罪です。
「REMEMBER PEARL HARBOR!」は「REMEMBER HIROSHIMA!」「REMEMBER NAGASAKI!」とセットで覚えておくべきです。
アメリカが日本に原爆を使ったのは戦争犯罪であるのと同様に、ロシアがウクライナに原爆を使うのは戦争犯罪なのでやめるべきだとゼレンスキーは日本の国会で主張するべきでしょう。
日本の国会における演説では、日本人向けに「核兵器の使用は戦争犯罪である」「核兵器を所持する者、核兵器を使用する者は人類の敵である」と明確に主張してください。
オミクロン株の本当の恐ろしさは、まだ世間一般には共有されていない。
査読前の論文すら上がっていない状況では、エビデンスがあるとは誰も言えない。
しかしながら、多くの国が異常なまでに大至急、且つ、いっせいに厳しい隔離措置を取っているのは、
外交ルートを通じて非公式情報として、オミクロン株の真の実態を知らされているからだ。
WHOが、ニュー(ν)とクサイ(ξ)の二つの文字を飛ばして、オミクロン(ο)株と名付けたのも、
オミクロン株の変異があまりにも人類にとって致命的であることを理解してもらうためである。
冷静に考えてほしい。
増「できてないです。すみません💦 」
A「なんでできてないんだ」
増「Bさんから大至急急ぎの案件の依頼がありまして…。Aさんにその旨伝達済みとBさんから聞いているのですが、お話いってないですか?」
伝えておくから〜とBが言った翌営業日にはBよりAに伝達済みとする。
報告連絡相談に時間がかかる&複数案件を抱える部下のタスク管理がでかないBの無能さを浮き彫りにするためだ。自分はあくまで部下として、目の前の業務を遂行しているだけだ。
実際に伝達していなかろうと、事象が発生して翌営業日まで報告連絡相談を持ち越すやつに配慮する必要はない。
そもそも、依頼が来た時に「いつまでにすべきなのか」の締め切りを確認する。
締め切りに間に合いそうにない 緊急性が高くて長引きそうなタスクが降ってきたらその時点で
「Bさんから大至急ということで○○の案件が回ってきたので、その案件完了後Aさんタスクを行おうと思いますが、大丈夫ですか?いちおう締切ギリギリには間に合うと思いますが…。」
と確認を入れる。
間に合うけどギリギリと表現することで、【間に合わせられない無能】というレッテル貼りを避けることと、【間に合わなかった時の保険】を同時にかける。
序列や実際の重要度としてAの方が優位な場合、AからBに「その案件は他のやつにやらせろ」と話がいく。
Bの方が優位な場合、Aから「じゃあこっちで吸い上げるわ」とか「期日伸ばせるか聞くわ」とか対応が入る。
これが肝要です。
うちは身体的にとても仲がよく、赤裸々な話で恐縮ではあるが妊娠前はほぼ毎日、妊娠後も数は減ったものの週2〜3回とそこそこの回数で成功していたんすよ。
当然出産後も体のほうが元に戻れば、完全とは言わずとも元に戻ると思うやん。
いや、こんなに無理ゲーだとおもわなかった。
まず1歳近くまで、授乳やら夜泣きやらで夜にゆっくり…というシチュエーションが皆無。
まあこれは予想の範疇で、出産前は俺が一人悶々とするパターンか…と思いきや、夜中のミルクやりや朝夕の家事サポートで夜は俺自身もダウン。
嫁も俺も性欲自体はあるのでなんとか2〜3回「とりあえずやっておかなくては…!」的なノリで大至急こなしたのだが、いつ起きるかというソワソワで色気もなにもない。
乳離すればチャンスが増えるのでは?と思いきや乳離が遅い!1歳越してもまだ乳をネブネブしながら寝ているのである、1年経ったら返してくれるはずだったのでは???最近「おっぱい美味しそうですね〜いいでちゅね〜」が俄然本気になってきてますが、すみません取り乱しました。
ともかく乳離する素振りが無いのに、あるき始めると当然活動量が増え体重も増えるので抱っこも重たくなる、
多忙からか双方体調のバランスを崩す事が増え、二人の万全のタイミングが噛み合う機会ががくんと減ってしまった。
これにお月のものの1週間休暇が加わると、月に2〜3回という以前では考えられないほどの超絶セックスレスになってしまったのである。
出産後にセックスが減って、仲が良いのに年単位でセックスレスという意味がよくわからなかったんだけど、
これ物理的に不可能な状態になるんね、ようやく合点がいきました。
これうちら夫婦はまだお互いに性欲があるから子供の手が離れて行くに連れ少しづつ回復する見込みあるけど、
妻のほうがホルモンバランスで性欲が落ちたり、夫のほうがレス期間に性欲減退してしまったら一気に深刻なセックスレスになるよなーと思った。
期間が長くなればなるほどどうしていいかわからなくなりそうだし、赤ちゃんを預けられるラブホが必要なのでは(真顔
追記:
とりあえず「明日ここにきてください、本当のレスを見せてあげますよ」系のコメをくれた全国の山岡さん大変失礼いたしました。
とはいえ概ね似たような境遇の諸先輩方へはきちんと趣旨が伝わってるようで幸いです。