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はてなキーワード: 帰結とは

2020-06-24

anond:20200623194658

派閥に従うから疲れるんだよ。リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ。自分思想に、信念に従えよ。

そんな懊悩は全く見せない様にして、さも「私こそ完璧リベラルでござい」って顔で、リベラル男性を演じている。

一緒になって男性を責めるつぶやきもしてみる。

懊悩を掘り下げろよ。性差別主義者性犯罪者差別主義者や犯罪者であるがゆえに叩かれるべきだけど、男全体みたいに性別でくくって罪悪感を抱かせるのは違うし、小児性愛者みたいな生まれついてのセクシュアリティに基づいて叩くのは差別だろ。リベラリズム理念に反するだろ。行動に対する非難はしてもよいが生得的な属性に対する非難は単なる差別だというリベラリズム根本的な理念を思い出せよ。リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ。

私は考えない様にする、ゾーニングしかし「公」とはどこまで?ネットも?民間組織である赤十字も?コンビニも?どこまでがアウトなのか基準は?私刑では?BLは免罪されるのか、男性を消費する場合は、3次元は?ジャニーズは?objectificationをモノ化と訳すのは誤解を生まないか?元の論文ではobjectificationが全て悪いという話では無かったはずだが、では悪さの基準は?本当に巨乳女性を叩いていないのか、実際に居ると本人がスクショを上げていたが、ルッキズムアニメだけじゃなくジャニーズやBLやドラマ俳優やほぼ全てのテレビ番組女性の好きなかなり色んなモノが該当するのでは?

・・・・そういう事は考えない様にする。

考えろよ。そもそも表現の自由リベラリズムの根幹だろうが。公共空間では最大限の自由が実現されるべきだという立場を貫いて宇崎ちゃんあいちトリエンナーレ擁護するのがリベラリズムだろ(批判表現の自由の一部なので、文句があるなら好きに言えばいいんだけど)。もっと言うと男女の立場平等であるべきなのだから、もしも女性アイドルの消費が性的消費でケシカランなら男性アイドルの消費もそのように非難されるべきだし、ジャニーズが幅を利かせてるならAKBだって堂々と楽しんでいいんだよ。リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ。

そんな彼が、最近シスヘテロ女性フェミニストによるトランス女性差別を厳しく批判している。

彼の態度は一貫している。私等及びもつかないほどリベラル価値観をきちんと内面化している彼が何であろうと差別に厳しい態度を取るのは当然だろう、でも、

ふと、考えてしまう。彼もまた、フェミニズムによる男性批判に納得がいっていなくて、トランス女性差別はそんな彼の鬱憤を晴らすのに格好の機会だったんじゃないか

もしもトランス女性女性でありトランス男性男性であることを受け入れるのなら、リベラリズム観点からトランス差別に反対する以外の答えは出てこないだろうが。一部の自称リベラル女が差別主義に走ってトランス排斥しているとしたら、それはその自称リベラル女が間違ってるんだよ。人を見てものごとの善悪を決めるんじゃなくて原理原則に従ってものごとの善し悪しを量れよ。リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ。

こんな事はツイッターには書けない。こんな考えを持っている事は周囲の人は知らない。迂闊ないいね絶対にしない様にしているし、懊悩もおくびにも出さない様にしている。完璧リベラルだと思われているだろう。

お前が周囲からリベラル派だと思われてるかどうかなんてのは心底どうでもいいんだよ。俺は改憲派で、カジノ設置に反対せず(安倍内閣の作ったカジノ法はクソだけど)、フェミニストでもないけど、俺が思うリベラリズム原則に従っているか自分のことをリベラリストだと思っているよ。たとえ周囲のリベラル派と意見が違ったとしても、もしも周囲がリベラリズム原則に背いているなら、それはそいつらが本当のリベラル派じゃないだけであって俺がリベラルであることは揺るがねーよ。リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ。

リベラリズムはまずもって自律思想だよ。自由を重んじ、自由をどのように実現させるのかを考えるのがリベラリズムだろ。女性差別撤廃自由で公正な社会のための前提条件であって最終目標ではなく、もしも女性側の要求自由や公正を脅かすのなら両性の平等観点に立った上でそれに抗うのが真のリベラリズムだろ。リベラル派の言ってることを支持するのがリベラリストなんじゃなくてリベラリズムを信奉する個人の集まりリベラル派なんだよ。

リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ。

ブコメに応答

解釈の数だけ党派があるんだけど。真理は一つしかない的な病かな。

元増田党派への帰属を優先して自分の主張を押し殺しているから逆だろと指摘したまでだよ。所属する党派に合わせて自分の主張を選ぶんじゃなくて、自分の主張に合う党派帰属するべきなのに。

リベラリズム解釈は色々分かれててリベラリズムの中にもいくつも派閥があるけど、ある解釈を支持するからある派閥の一員だというのが本来の姿であって、ある派閥の一員でありたいからある解釈を支持するなんてのは本末転倒でしょ。まず自分の信念があって、派閥への帰属はその帰結に過ぎないわけで。

各論はああそうね感じはあれど、私は「イズム」も「従う」のも苦手…「イズムに従え」って割と怖い言葉だ/元増田は杭打ってない建物って感じだったけど、この増田はhammer and sickle感がつおい…

外部にあるありがたい教典に従えって言ってるんじゃなくて自分の持っている信念に従えって言ってるだけやで。自分が従うべきリベラリズム自分の外じゃなくて内側にあるんやで。それ以外の何者にも拝跪しないのがリベラリズムやで。

共感してるのリベラルフェミが嫌いな人ばっかじゃん/ネオリベリベラルなんて名前与えない方がよいと思う

これ、リベラルというより古典的自由主義あるいはリバタリアンみを感じる。

仮に俺がネオリベ古典的自由主義者だったとして、新自由主義古典的自由主義自由主義すなわちリベラリズムの一部である以上、リベラルと名乗っても何もおかしくはないのでは。

いやリバタリアニズムリベラリズム区別せんとリベラリストは元よりリバタリアンから相手にしてもらえんぞ。政治学政治思想学的には両者は全く別物で定着してるし俺定義通用せんて。

それ、誰に向かって言ってる? 俺をリバタリアン呼ばわりしているブコメに向かって言ってるならいいけど、俺に向かって言ってるのなら、俺は一度も自分リバタリアンと言ってないし(anond:20200625140552でも書いたけど、公教育の充実や累進課税を支持してるのにリバタリアンなわけないじゃん)、リベラルリバタリアンをごっちゃにもしていないよね。

表現の自由絶対最高至高とみなすのって馬鹿自慢だよな。物事は複雑にからみあうのが当然なのに「表現のジユウガー」で解決との脊髄反射こそ思考停止。複雑な問題を考える脳がないと自慢する馬鹿は多いな。

まあ、リベラル派じゃない人からはそう見えるんだろうね。

私は、この増田が言ってること全然理解できない。Twitter散見されるような言説の継ぎ合わせに見える。自分の頭で考えるのが大事だというなら、元増田の方がよっぽど自分の頭で考えてる人だと思う。

So what? 自分の信念に従った結果twitterでよく見かける言説とよく似た意見が出力されてくるなら、それは俺と同じ信念の持ち主が大勢いるってだけの話でしょ(派閥って本来そういうプロセスで生まれるもんだよね。自分と同じ意見の持ち主を寄せ集めて○○派って自称したり呼ばれたりするわけで)。

もっと言えば、他人意見自分の信念と合致するならどんどん他人意見を支持すればいい。俺もネットしょっちゅう他人意見を読んで「俺はここまで考えてなかったけど、確かに俺の信念からいえばこの主張は正しいな……この主張を支持する!」みたいな感じで他人意見に影響されまくってるけど、それで何も問題ない。支持するべき他人意見を取捨選択しているのは俺の信念で、取り入れた他人意見は俺の血肉になるのだから

あと、「理解できない」ってどゆこと? 「言わんとすることを理解はできるが、支持も納得もできない」ということ? それとも本当に理解できない?

総論賛成。で、自由・公正の定義は人によって違うから常に自分スケールを疑うべき。スケールは本人の欲求正当化(または当然視)した形や、抑圧感情の変形発露の場合が多々あるし、本人が無自覚なケースも多い。

自分欲求正当化してくれる主義主張を奉じるのは普通のことだと思う。俺が自由主義を信奉するのも、誰にも迷惑をかけていない俺の行動を制約されるのはめちゃくちゃ腹が立つからであって、自分感情主義主張ベースになってるっていう点では女性差別に憤るフェミの人たちと変わらないわけで。

ただ、そこで欲求に忠実になりすぎて主義主張普遍性放棄するのはよくない。これは何派であっても同じ。自分主義主張欲求がぶつかったときに「原理原則からいえばこの欲求は間違ってるな」と言えるかどうかが分かれ目。そこで欲求に忠実なあまり普遍性を投げ捨てると、TERFとか、エロ自由大事だけどあいちトリエンナーレけしからんから潰せと主張する一部の残念なオタクみたいな醜悪存在に成り下がるのだと思う。

これは余談だけど、ガチガチ自由主義者って多分chaoticな性格の人が多くて、lawfulな人との相性は絶望的に悪いと思うんだよね(いや、そういうのは俺だけかもしれないけど)。日常生活で俺みたいなchaoticな人間が衝突することが多いのは圧倒的にlawful goodなので(evilな人はそうそういるもんじゃないけど、lawful goodはそこらじゅうにいるから衝突する頻度が高い)。だから元増田が心の底ではリベラリズムを支持しているのにlawfulな界隈に所属していたら神経が削られるだろうなと思う。

同意見。ただリベラリズムそもそも人間に向いていない考え方なのではないかなとさすがにこの10年くらいで思い始めた

人間に向いてないんじゃなくてlawfulな性格の人に向いてないんだと思うよ。chaoticな性格の持ち主にとってはこれほど快適で生きやす思想はない。

元増田の「リベラルを演じること」に共感できる点が一つも無い。多分lawful goodな環境での順応を目指してるのだろうけど、肌に合わない環境になぜ執着するのか理解不能

chaoticな人間にとってlawfulの集まりってめちゃくちゃストレスフルだから(逆もまた然りだったりするのかな?)、「この派閥自分には向いてないわ」と思ったらさっさと逃げればいいのにね。

同意(笑)カオス属性じゃない、規範好きな人達がリベラル名乗ってるのがマジで謎なんだよな。トランス女性エロポスター不安不快を感じる人達の受け皿はちゃんとある(保守主義)のでそっちに行って欲しい

ほんとこれ。lawfulな人が無理してリベラル名乗らなくてもいいのにね。保守主義とかフェミニズムとか共産主義とか別のイズムを名乗ればいいのになぜかリベラリズムを名乗りたがる謎。

それはそれとして宇崎ちゃんポスターR-18ではない一般漫画の表紙を使ったものであり、「エロポスター」という言い方は誤解を招くので反対(「エロビデオ」「エロゲー」「エロ漫画」といったらちょっぴり性的とかじゃなくてモロにR-18っていう意味になるんだから、「エロポスター」と言ったらR-18ポスターという意味になるだろう。しかし実際にはあのポスターはそうではなかったわけで)。

2020-06-20

自分自分の顔との関係を振り返る

ありふれた話だけど、自分の顔が嫌いだ。

久しぶりに自分の顔が憎くてたまらない波が来たので、感情を小さくするために、自分の中の顔に対する思いの変遷をまとめてみた。

今となっては愚かすぎて笑っちゃうんだけど、小学生の時は自分のことを絶世の美少女だと思っていた。親に溺愛されて育ったのと、親戚にも地域にも小さい子が少なかったので、褒められる機会が多かったせいである。

しかも捻くれたことに、(自分美人からおしゃれなんかしなくても充分だ)と思っていて、おしゃれに目覚めて盛り上がる女子たちを小馬鹿にしていた。

その考え方はやがて女子=愚か、という結論にたどり着く。小学校高学年の頃は、男子と混ざって馬鹿下ネタを言う自分が格好いいと思っていた。そして、体つきの変化を隠すためぶかぶかの服ばかり着ていた。つまり小学生にして名誉男性思想を獲得していたのだ。我ながら最低だと思う。

しかし、中学生になって分別が出てくると、さすがに自分の顔が美しくはないことに気づき出し、その反動自分の顔も体もとことん嫌いになってしまった。

毎日マスクをつけ、夏でも長袖チェックシャツに太めジーンズで、前髪を伸ばし、制服スカート丈も靴下すれすれまで長くしていた。服屋なんて鬼門中の疑問で、滞在時間を最小にするために絶対試着をしなかったから、ジーンズの裾をいつも何重にも折り返していた。

写真はとことん写らないようにしていたため、冗談抜きで中高の写真高校卒業アルバム個人写真1枚のみである。(中学卒業アルバムは、受け取った瞬間自分写真を切り取ったせいで親と大喧嘩になり、貰った翌日にはもう捨てしまった。)

その頃の私が一番恐れていたのは、周囲の人に(あい不細工のくせにオシャレしてて、身の程知らずだな)と思われる事だった。自分の体を隠し、不細工自覚アピールすることに必死だったのだ。

ただ一つ恵まれいたことは、私の母校は穏やかな私立中高一貫女子校で、私がゼロ年代の男オタクみたいな服装だろうと、毎日毎日「私不細工から〜」というフォロー待ち感満載の発言をしようと、派手な子から地味な子までみんなフレンドリーに接してくれたことだ。(というか派手な子地味な子普通の子、みたいなヒエラルキーすらほとんど無かった。)中高時代の私が私が醜形恐怖症にならなかったのは、間違いなく同級生のおかげである

自己嫌悪と同じくらい自己愛が強い私は、共学の大学入学すると、オシャレへの拒否感との板挟みに苦しみながらも必死自分磨きをした。

詳細は省くが、努力の結果、ゼロ年代オタクから垢抜けない女子大生くらいにはアップデートできていたと思う。(ちなみに、アラサーの今までついぞ垢抜けることはできていない。)

しかし、顔だけでなく性格も悪く、社交性もほとんどないので、多少見た目が改善されても全くモテなかった。女子時代とは比べ物にならないくらいの恋愛至上主義の中で、数年にわたって誰からも好かれないということは異常事態である特に文系大学生にとって、彼氏ができたことがないといのは、ほとんど社会不適合者のお墨付きをもらったようなものだ。当たり前のことが当たり前にできず、みんなやすやすと飛び越えたハードルの前でいつまでも立ち尽くしている気分だった。

このモテなさを改善するには、性格をよくする努力をしたり、社交性を磨いたりするのが正しい道だとわかっている。しかし、他人と話したりポジティブな振る舞い(人を褒めるなど)をしたりすると、必ず不細工自分不細工な笑みを浮かべながら必死に媚びへつらっているイメージが頭をよぎっていたたまれなくなる。そして何もできなくなってしまうのだ。

大学時代を経て、顔へのコンプレックスが、容姿も含めた自分という人間全体へのコンプレックスに変わったように思う。小学校時代は明るいお調子者だった自分根暗に変わってしまったのは間違いなく顔へのコンプレックスのせいなので、顔と性格の間に負の連鎖が生まれしまったのだ。

その負の連鎖は今でも続いている。自分の行動がうまくいかないと、その事だけでなく自分全体を憎んでしまい、最も慣れ親しんだ顔への憎しみに帰結するのだ。仕事で失敗すると、トイレの鏡に映る自分の顔の醜さに絶望する。ちょっとした不幸(通販で失敗するとか)があると、何時間も鏡を見て、自分の顔のレベルいつまでも考え込む。あまり他人に顔を見られたくないので、いまだに人の目を見て話せない。それどころか、不細工調子に乗っていると思われたくないので、気持ちを奮い立たせないと自分から人に話しかけられない。

この増田を書いているのも、見知らぬ誰かに自分不細工自覚があることをアピールしたいからなのかもしれない。やっぱり自分醜形恐怖症なのかなとも思うけど、顔がいい人が醜形恐怖症になりやすいっていうのを聞くと、もう醜形恐怖症を疑うことすら調子に乗っていると思われそうで怖い。周囲の人は着々とライフステージを進めているのに、こんな思春期半ばみたいなことで悩んでいる自分の幼稚さも嫌いだ。

自分感情を小さくするために書き出したのに、結局変に興奮してしまった。でも、朝起きてこの文章を見返せば少しは冷静になるかもしれない。明日は少々自分の醜さに折り合いをつけられる気持ちになっているといいな。

2020-06-09

anond:20200609071250

冷静に説明してくれているが、少しポイントがズレていると思う。そして、そのズレはなかなか問題だ。議論の根幹に関わるので、少し丁寧に説明する。

内心の自由があるよ」という趣旨擁護論は、おおむね「●●なんて取り締まれ!」「そんなこと考えること自体犯罪」という無茶な主張に対して、「内心の自由保障されている(だから取り締まりは無理だし、考えること自体犯罪ではない)」という意味で述べられるのであって、「内心の自由保障されている(だから俺の妄想を常に全開にしてオッケー)」という意味ではない。仮に後者意味で述べている人がいるとすれば、それは確かにダメな人なので諄々と諭す必要があるし、あるいは盛大に自爆するのを待って(法に触れる書籍なりを出版するのを待って)粛々と取り締まればよいが、あなた文章表題の「内心の自由はない」という言い方は前者を含めた否定論に聞こえてしまう。あなた説明するとおり、実際に法で取り締まるというのは無理筋なのであるから過激批判から見ればあなたもまた「内心の自由はあるよ」論者に見えているはずだ。そして、実際にそうだ。過激批判からすれば、あなた憲法19条による内心の自由保障されると述べているわけで、彼ら彼女からすればこれは「児童性愛擁護する」ものに見えるだろう。(あなたはただ憲法19条趣旨説明しているだけであるにも関わらず、だ。)そういう状況を踏まえた上で、

児童性愛擁護する言葉を声高に発する人たちは、控えめに言って、人でなしだと思う。ネット規制を強く主張しているような人たちへの想像力と、家庭内での性的虐待に関しての知識が足らない。

という言い方は、これはやはり言い過ぎだと思う。あなた発言対象が広すぎるのだ。性的虐待サバイバーへの配慮を求める気持ちは深く理解できるが、それは、普通に認められる人権を不当に制限する行動に加担する理由にはならない。

それから

同性愛社会的認知されつつあるが、児童性愛犯罪でなくなることは、人権という概念存在する限り、ありえない。古くからタブーである同性婚人権意識の発達とともに社会的に受け入れられてきたのに対し、児童婚はその逆だ。前近代問題視されていなかったものの、近代化が進んだ結果禁止されてきた。人権意識の発達にともない、未成年者の判断能力の欠如が問題となったため、未成年者の婚姻権利恋愛権利契約権利などが制限されることになったからだ。

この部分も、歴史的文化的に見れば、必ずしも正しい説明ではない。「人権意識」によって「未成年者の判断能力の欠如が問題となった」というのは、論理的に言っておかしいし、それにそんなことを言ったら、児童権利条約など成り立たなくなってしまう。正しくは、「人権意識」の発達によって、肉体的、精神的、あるいは性的搾取される社会構造に対する批判が高まった結果、特に犠牲になりやす立場人間が立ち現れてきた、ということに過ぎない。そこに線を引いたのは人権意識であるが、あらかじめそこに差があることを前提とする物の言い方は適切ではない。聡明あなたなら、この違いは理解できるだろう。この二つの見方の違いは、次のような帰結につながる。

(前者・誤)「児童が劣っているから、保護管理してあげることにした(ゆえに)児童活動等の権利制限されるのが当然だ」

後者・正)「児童犠牲になっているから、様々な活動制限をかけることにした(ゆえに)大人とされる人の一部の行動には規制がかかって当然」

私は後者立場に立つ。児童権利条約等が立っているのもその位置であり、前者でないことは明らかだろう。私はあなたの「児童の~恋愛権利~などが制限される」という言い方に深い危機感もつ制限されるのは「大人の行動」の方であり、「児童権利」ではない。そこにこだわるのは、「児童権利制限できる」というあなたの物の言い方に、上に書いた〈憲法無視した規制論を述べる人〉と同様の危うさを感じるからだ。

実在児童への性的虐待はもちろん問題だ。それは厳しく罰されるべき行動である。当然のことだ。

だがしかし、そこで規制されるのは「大人不法行為である。「大人の内心」ではないし、「児童権利」でもない。少し厳しい言い方をすれば、「児童」は一部の方の管理保護する「お人形」ではなく、一個の人間である。「児童のため」「子ども安全のため」を掲げて、児童権利制限大人の内心を規制しようと主張する人々は、「児童」を自分に都合のいい人形として、手元に抱え込んで扱うことができると考えているように見える。「自分児童代弁者で有り保護者であり管理者であり、児童を守る自分言葉は全て正しく自分に反対する人間児童虐待なのだ」と。そういう考え方は、思想信条制限をかけたい(まさに、大衆自分人形のように扱い、管理保護監督したい)人々に、非常に利用されやすい考えであり、それは大変危険なことだと私は憂慮する。

そもそも私は、「大人児童搾取する」行動は、もっと厳しく取り締まられるべきだと考えている。「子どものため」との言い訳の下で行われる搾取は、時には関わる大人児童両者ともそれを虐待意識しないケースも多い(たとえばステージママ学校にもロクに行かされないアイドル志望少女のように)。だが、それは明らかに搾取であり虐待だ。法に定める義務保護者に課せられる、教育を「受けさせる」義務)に反した(大人の)行動であり、それは厳しく取り締まられなくてはいけない。

からこそ、実在児童に対して行われているそれらのリアルな「虐待」を放置しておいて、心の中で妄想しているだけの人のその妄想自体問題視し、存在自体が病であり罪であるかのようにあげつらう物言いには違和感しかない。みんなが手の内の「児童人形」の話をしている。そんな状況で、「実在被虐児童」を救うことができるのか? それでもあなたは「家の中で妄想する人の妄想」を取り締まることが、「実在被虐児童」を救うと主張するだろうか。

2020-06-07

自分世界に突きつける覚悟

昔のぼくは人からバカにされることを極度に恐れていたと思う.どんな人間からも全く後ろ指を刺されない完璧人間存在していて,そういう完璧さを求めていたような気もする.今思うと全くもって的外れである.どんな賢い人間も,最初から賢かった,あるいはスタンドアローンで考え抜いて賢くなった,わけではないのだ.数多の他者から鋭い批判を受け,それでもなお折れずに自分の知性を信じて貫き,自己批判精神を磨いていった帰結である.優れたもの批判を受けないのではない.どんなものにも粗を探すことはできる.そうではなく,想定される・されないを問わず繰り出されるあらゆる批判に対してそれを跳ね除けることができる,徹底的に糾弾されたのちに「ああ,こうするしかないんだ.これが真理なんだなあ.」と腹落ちすることのできるものである批判に耐えられないもの価値などないのだ.

そして,これは「自分」にも言える.自分ほど我々にとってかけがえのない存在はない.自分というのはそれまで生きてきた多種多様経験・思いが堆積した帰結,まさに作品である芸術というのは剥き出しの純朴さ・「幼さ」を泰然と世間に対し突きつける,批判を確固たる覚悟と信念によりはねのけて己の信じる真理を突きつける,この力学にこそ尊さがある.自分という作品もまた同様である.万人に嘲笑されようが,「貴様そもそも無能である」と罵られようが,集団から排斥されて死の淵を這いずり回ろうが,それでもなお意を介さず,自分を信じることができること.自分は「ダメ」なやつだなんて薄弱な言い訳を口にしないこと.これこそが作品創造していく存在者として健やかなる在り方であろう.叩かれて引っ込めるぐらいなら最初からやらなければ良いのだ.そこに信念があるなら.他人から見て愚かに見えても構わない.君の中でつじつまがあっていればそれで良い.その結果,世間生き方から外れても,社会的成功から遠のいても,あらゆる者に軽蔑されても,そのような生き方が特段劣っているとは思えない.個人の満足感・快楽には他人は介入できない.その結果が死であっても,それはそれで尊い結末である個人の力ではどうしようもない「運命」と呼ぶべきこともある.そのような理不尽かつ強大な敵にこそ果敢に挑み,そして力及ばず散っていく.その死は英雄的であり,恐れることはない.

真に人の性 (さが) を憎む者として,神の前に立つべ英雄.君が募らせた憎しみは,いつしか祈りとなって神のもとに届くだろう.諦めれば全てが嘘になる.救いなどなくていい.

2020-06-06

被差別者中にも身分がある

黒人差別とチー牛

https://anond.hatelabo.jp/20200605114324

黒人差別を引き合いにしながらブサイク自分への容姿差別について声を上げる増田

 

 

1.ブサイク差別被差別者辛辣人達

これに対するはてなブックマークの反応は案の定辛辣だ。

特にトップコメント国語力的にもかなりひどい。

 

Aikoku_Senshi 「チー牛」ってなんJ発祥ホモソーシャル文化なのに陽キャに逆らえない代償として容姿差別していることにされる女の人は大変だな…。

増田の話の当該箇所は

ブサイクなせいで中学生時代にひどい扱いを受けた(特に女子から

現在もチー牛のようなブサイクいじり概念は愉快なギャグのように流通している

であり、

これを読んで「『チー牛』いじりは女がやっていると主張してるんだな」になるやつは国語が0点である

  

こんな低国語力なコメントを書く人やこのコメントに☆を付けた人たちは頭が悪いのだろうか?

かに頭も悪いのかもしれない。がやはり、

増田への敵意や悪意がまずあって、なにかしら攻撃できる箇所を無理に探してこうなった部分は小さくないだろう。

   

このブサイク増田は明らかに、なんらかの敵意を買っているのだ。

 

 

2.ブサイク被差別者への謎の敵意

ブサイク被差別の悲しみを表明した増田にAikoku_Senshi がやったことは何かというと

差別申し立てや悲しみに関する切々とした記述を一切無視して

重箱の隅をつついて話逸らしや反撃を試みる

ということだ。

 

今回のトップブコメ場合は上で見た通り重箱の隅つつきすらできてない謎コメントになっているので

アクロバット誤読攻撃を加えて差別申し立て無効化を図ったと言えるだろう。

これは差別申し立てに直面した市民の態度としてはサイテーと言える。

  

これをやっているAikoku_Senshi が差別大好きで被差別者いじめるのが大好きな居直りヘイト野郎なのかというとそんなことはなくて

しろ普段は「差別反対」濃度の強いコメントをする「良識派なのだ

 

わざわざ愛国戦士というidにして右派への当て擦りを欠かさないぐらいには左派の人だったりするし

最近アメリカデモやら大阪なおみの発言記事やらに精力的にコメントしている。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4686697237877638242/comment/Aikoku_Senshi

https://b.hatena.ne.jp/entry/4686708456876431778/comment/Aikoku_Senshi

しろ差別反対を自分達の専売特許や錦旗にしてるぐらいのクラスタの人なのだ

 

こういう人が、ブサイク増田差別申し立ては全力で妨害無効化を狙って動いてトップに立つ。

 

 

3.「こいつの被差別体験却下したい」

トップのAikoku_Senshi 以下も、左派良識派は絶好調だ。

 

kincity そもそもこの手のネタ喜んでるのネット上のホモソ供で、それすらも「女が悪い」に帰結して内面化するやつが多くて、それどんなマッチポンプ差別に怒ったら差別者にそれを表明しろ黒人差別デモとの違いはそこ

2020/06/05

学生時代被差別証言故意に一切無視したうえで、

「チー牛はたぶん男がやっている」という全然文章主題じゃないところに話を逸らし、

元増田が言ってもいない「女が悪い」を捏造したうえで被差別者に強い口調で説教と戦法指南をして終わり。

本題である本件差別には触れたくないでござる!この被差別者の悲しみには寄り添いたくないでござる!という気持ちだけはよく伝わってくる。

 

これは普段彼等が取り組む差別問題で同じことをされたら

軍師様」「消極的差別肯定派」などと呼んで激しく非難する態度そのもの

そういうことをあっけなくやってしまっている。

 

RRD 生まれつきのブサイクと、それを病んでネジくれた結果のブサイクは別物で、まともな大人社会はきちんと区別するよ。ルッキズムとかネジくれてると、まともな大人社会には来れないけどな。

2020/06/06

「生まれつきの在日と、生まれを拗ねてネジくれた結果の在日は別物で、まともな大人社会はきちんと区別するよ。」

「サベツガーとかネジくれてると、まともな大人社会には来れないけどな。」

もうコメントする値打ちもない。 

   

とにかく、左派差別反対人士がブサイク被差別者に対しては

ふだんの差別問題に対する立場体裁をかなぐり捨ててしまうほど強い敵意を持っているらしいことはわかる。

(ちなみにそういうクラスタじゃない人が結構ブサイク増田に親身な同情と助言や励ましを寄せている)

 

 

4.「差別反対派」がブサイク被差別者を憎む仕組み

彼らがなぜこういう反応になるかというと、不快からだ。

黒人差別」「女性差別」「在日差別」のようなオーソライズされた差別以外の差別存在を認めることは、差別反対派にとって不快なのだ 

彼等にとって差別特別なことだから

 

オーソライズされないところにも無数の差別があるということを認めてしまうと

黒人差別」などの特別性が希薄化されてしまう気がして不快になっている。

 

彼等にとっての差別とは、

まず特別で、敵と味方に分かれるもので、特にぶっ叩きまくるための敵は不可欠な、ハレの舞台なのだ

 

冒頭に挙げたような「ブサイクで疎外されて心を病んでいる男性の声」などは、彼等を不快にさせる典型と言える。

少なくとも日本人であり、男である時点で、もうだめだ。

 

だって日本人男性なんて普段からぶっ叩きまくるための敵に設定してるんだもん。

その属性もって被差別者側に来られるのは迷惑

設定がぶれちゃうでしょ、っていう。

 

からそんなやつが被差別者の聖衣をまとおうとしてるのが彼等には気に食わない。

おめーは凡人でありせいぜい敵担当なんだから身分をわきまえろと。それが彼等の腹の底。

 

  

もしブサイク増田が醜貌の替わりに「部落出身」とか「アイヌ出身」とか言ってたら反応はガラッと変わって、

それなら彼等は絶対に今のような反応ではない。

オーソライズ済みの種類の差別告発なら、それだけの特別性を持ってくるなら、男であっても大歓迎だ。

  

彼等はアイヌ増田にならもっともらしい顔で同情と寄り添いのジェスチャーを済ませ、

アイヌ増田にそのようなことを言わせた日本人男性をぶっ叩き、

賛同ブコメ道徳的驚愕ジェスチャーをしながら非難しまくったに違いない。

 

まあ別にアイヌにも黒人にも思いやりなんか特には持ってないんだけど。

     

 

5.ブサイク被差別者へのおぞましいほどの敵意

id:Aikoku_Senshi場合タグ付けでの更なる誹謗中傷も奮っている。

無自覚アスペルガー

発達障害って侮蔑文句に使ってよかったんだ?

俺の不幸は女が悪い論

上記の通り「女がチー牛で差別してる」はこの人の誤読だし元増田は女が悪いなんて言ってない。

またそもそも黒人差別社会へのデモに「俺の不幸は白人が悪い論」とまぜっかえすのとどう違うんだろうこれ。

顔ではなく性格が悪い

差別されてるんじゃなくてお前の問題なんだよ」という差別申し立て無効化の18番

顔でなく生き様が汚い

声を上げた被差別者人格攻撃をして差別問題をなかったものにしようとする典型的なやつ 

 

 

もうコテコテ差別野郎ヘイト野郎の言うこと全部やっている。

でもこの人含め、多くの左派良識派はこんな感じでありつつ、あくま差別反対派なのである

ただちょっと人間身分の別を設定していて、

被差別者であろうとそいつが男とか日本人だと不愉快になりそいつのすべてが許せなくなるだけで。

  

(ついでに蛇足ながら、ブサイク増田自身が男だとは一度も明言していない。

 差別反対派がブサイク増田を男と断じてるのは単に国語力の低さであり、またよりムカつく属性としての男性性を勝手に見てしまったため)

 

 

まとめ

左派良識派の願いもむなしく、差別特別ではない。

ブサイク増田も確かに差別に遭っており、ありふれた被差別者である

そして友達の多いゲイや有能な黒人よりよっぽど生き辛い人生を送っている可能性もある。

 

このような事実に向き合えば、

差別反対とは「オーソライズされた差別を暗記して徒党を組んで激しい言葉で敵を罵ること」ではなく、

自分自分の中の感情動物性を厳しく律して、理性を持ち、

他人に思いやりを持って接することだということに気付く。

 

スマートだったり自分好意的だったり恋人だったり家族だったり美人だったりする他人

不潔だったり態度が悪かったり利害が対立してたり酷いブサイクだったりする他人とを

区別のない思いやりを持って遇するということだ。

 

友達恋人の頭がもたれかかってきても、

知らないサラリーマンおっさんの禿げ頭がもたれかかってきても、

「寝かせておいてあげよう」という優しい気持ちを同じように持てる心のことだ。

 

これは簡単ではない。厳しい訓練の取り組みがいる。

たまに「私だって差別者になりうる」「自戒を込めて」とかコメントしてアリバイを作ったつもりになってもダメだ。

生活を律して常に自分を観察するという一種修行の日々を踏むことで

我々は少しずつ差別理解しその心を自分の中から削っていける。

 

  

声を上げることの重要性を痛感する事件が多い…

https://b.hatena.ne.jp/entry/4686702358555672194/comment/Aikoku_Senshi

でも日本人男性のような身分の低いやつらが声をあげたら全力で攻撃して無効化を図りマース。

 

こんな人は差別反対でも何でもないということが、ここまで読んだ人には分かったと思う。

長い文をちゃんと読んでくれてありがとう

 

 

2020-05-28

じゃあ台本なし恋愛リアリティーショーってどう作るんだよ

凄いですよね。あのテラスハウス炎上番組止まっちゃったよ。

いやまあ僕は擁護意見批判意見も纏めて全部、SNSに書き込まれれば書き込まれるほど心がしんどく感じます

ストーリーストーリー見た後というシャニマスおじさんだからでもあるが。

とりあえず私感を書きます

死ぬはいけないでしょ

諦めるなと言えるクチではないかもしれないが、死ぬのは良いことではない。

・嫌いな人間脳死で叩くのもいけないでしょ

最近増えましたね。芸能人エゴサツイートが見られると思うとゾクゾクしますが、時代なので合わせましょう。便所の落書き時代は終わった。

自身が感じたその人間に対しての改善点をしっかり書かないと不快なだけです。なるなら熱心なアンチになれ。

・過剰な演出台本存在すること事態は仕方がないだろ

いやあると断定してるわけじゃないけど、少なくともそれがないと誰も見なくない?金銭が動く時点で避けられないので、番組が苦手なら見ないほうが良いと思いますよ。

誹謗中傷で叩いてた視聴者も、そこには目をそらしてる人(そこを気にしていない)が多いでしょうに。

・もう誹謗中傷についてみんなで考え直してるんだから、お前らがツイートしても何も産まないどころか迷惑

法的な解決をしていこう!できる!国も動いてる!

必要なのは忘れないように少しづつ燃料を燃やすことだけで、何も誹謗中傷してる人間を叩く必要もない。

変な燃やし方するから別の火事が起こるんだよ、めんどくさい。

・偲ぶんだったらやっていた活動を見ろ、知れ

今の状況で検索しづいかも知れない?

https://bit.ly/2X9AQE6

ほら。こういうのを使っていこう?


以上が私感です。割と適当だと思うんで、これをコピペして誰かにプレゼントするのはやめてくださいね

結局番組番組である以上発生する可能性が高かったものだと感じます。仕方ないで済ますものではないが。

私感3の理由から視聴率狙いの台本やらせも過剰な演出も全部省いた番組には、期待できないと思います

予算そうだし。番組構成が下手そうだし。面白いことを起こす参加メンバー見つけたり作ったりするのも下手そうだし。

ただ家の様子写すだけでもすべてがお金かかりそうだから、結局安定して高視聴率を狙うために「台本」をスポンサー提案されるでしょう。

この話を「嫌ならお前が作れ」に帰結したいわけじゃないんですが、低予算でもいいと感じる行動力があるなら、僕はその挑戦は価値があるものだとは思っています

難しいと思うけど。めっちゃ頑張ってほしいです。

2020-05-23

 

二次創作やってるのに何言ってんのかって感じだけど同性間に発生する強い感情すべてが恋愛帰結するとは思いたくない。

同性間としたけれど異性間でも同じことをいつも思ってる。

愛し合う二人は結婚して幸せになりましたって話をジャンル内の二次創作ではよく見かけるんだけど結婚しないと幸せになれないのか…そのままの関係がずっと続いてはいけないのか…と納得できなくて、自分を納得させるための二次創作をやめられずにいる。

2020-05-22

ブログラマの議論流行ってるけど、「プログラマ」は広い

プログラマとそうでないもの、2種類しかいみたい。

から認知としては仕方ない。まだ知られていないという話。

だが中の人々も、いまいちわかってない人が一部いそうで恐ろしいので書いておく。

GoogleAI研究する人も、SESとして古いシステムメンテしている人も、

最新のハイエンド3Dゲームで新しいエンジン評価する人も、孫請で決まったテストをやらされてる人も、

webの標準を策定する人も、cssでflexboxをようやく理解した人も、

すべてがIT系。すべてが(広義に)エンジニアプログラマ

料理で例えよう。

水準で言うなら、

料理人も三ツ星からファミレスキッチンまでいる。

幅で言うなら、

中華もあれば、イタリアンもある。

用途で言うなら、

高級ディナーのコースもあれば、コスパのいい惣菜もある。

それを一緒くたにしないこと。

違うものは違うものとして、抽象化しつつも分離良く、だ。

あとこの業界の特色として、早い。

とても早い。最先端爆速だ。

だけれど、少し前の共通認識は過ぎ去らず、残留してしまう。

(これは端的に、人のが遅いからだろう)

そして日本業界構造として、SIerと仲間たち、という、その速さを欠く人々がマジョリティだ。

この人達は速さを欠くのだ。(だから水を空けられていて、世界の名だたるtech企業日本会社はない。任天堂さんは神だが。)

その人らが多い状況で、つまり日本で語られるIT系あるあるは、差っ引いて考える必要がある。

もちろん、対抗勢力的な「webを覚えた若者」もたいした見通しで語ってる訳ではない。

webネイティブの人の欠点は、社会における比重の小ささを、いまいち肌でわかっていない点だ。知る必要性はないが、こういう話題を扱うには、自然には知りえない部分が広いと自覚すべきだ。)

というか、この30年、特にiphone以降の10年、ITにというのは拡大が急速だ。

自分も偉そうに言ってるが、)どの個人が見る景色も、全体像からは遠くなってしまう。

からはてな風に言うなら、「IT」も「プログラマ」も主語が大きく、観測範囲依存しがちだ。

インターネッツの基本、のような話になってしまうが、リテラシーをこそ問われている。

職に関して。

拡大するのだから人は求められ続ける。

業界の閉塞感が蔓延し、同時にITが拡大している現実がある。それらがマッチした当然の現象エンジニア転職は拡大されるだろう。

なりたい人が見ているなら、いいチャンスだと思う。上記の通り、こうした場でのアドバイスはブレがある。そこそこに。

職の有無だけで言えば、あるだろう。

適正があれば職につくのは簡単だ。よほど不適正じゃなければなんとかなる。

不適正な人はいる。多分概念的な思考力だろう。一対多・多対多、抽象化とか代数への適正だと思っている)

ただ、中の人的にマウント的に願望を言うなら、求められるのは優秀なエンジニアだ。

シンプル仕事はなくなっていく。

速さを欠く個人は先端についていけない。

業界があるから生きられるにせよ、ついていけていないことに気づく機会すらない。

食べ物が、出来を問わず毎日一定量求められているのと違い、エンジニア仕事は人のレバレッジが大きい。

最先端AI研究者は、何万人分の仕事を代行しているのだろう?

まり一部の優秀な人々が担う役割が大きい。

それは社会全体の格差の拡大と相似形だ。要するに、ITICT環境がもたらす必然的帰結だ。

最後プログラミング勉強必要か?という話に戻る。

真に活躍するのはえげつない高みだ。

そこはただのスパルタで辿り着ける領域ではない。自律的なら辿り着けるほど低くない(勿論、自律的でないなら話にならない)。

そういうグラデーションの中で、もちろん能動であるほうが、より重宝される状態を保てるだろう。

一方で、低い側を言うなら、少なくとも当面のあいだ、職はあるだろう。どんなのでもだ。

受動的では職がないなら、これまで見てきた酷いエンジニア(?)たちが幽霊だったことになる。

はてなという場所は、おそらく幅広いグラデーションで人がいる。(真のトップはいないだろう)

コメントのいちいちについて、どういう背景の人か想像しながら読むとおもしろい。

anond:20200522012555

十分行けると思うけど、「俺ってセンスあるのかも!?」って考えで続けようとすると

うまい人やうまくなかったのに自分よりうまくなるペース早い人見て「俺はセンスないんだ…」って沈むからやめたほうがいいよ

ツイッター10年おるけど、最初ゴミみたいな落書き書いてた高校生がようやっと絵師になってたりするけど、

だいたいそういうのは下手でもセンスなくてもマジで毎日、毎週描いてる

逆に最初から半端に描けるタイプのほうが途中でやめてって「あれ!?期待してたのに…」ってなるのよく見る。

楽しいんなら、続けるモチベが「才能あるかどうか」じゃなくて「楽しい・やりたい」に帰結するんなら、いいんじゃあないの。

2020-05-08

日本人の"生産性"って本当に低いの?

就業者数×就業時間が分母だってことだけど、不法移民カウントされないなら就業者数は過小に見積もられるし、サビ残しまくってるなら就業時間も過小だよね。

上位の国でも、アメリカって定時内に仕事を終らせるのが効率的とか言われてる割に、知り合いはみんな家でもずーっと仕事してるイメージなんだけどな。凄いよね、彼らのワーカーホリックぶり。

あと、国内総生産だと、「先祖代々続けている伝統あるがいまいちからない仕事」に従事している人がたくさんいると不利じゃない?

少なくとも、個々人の怠け癖とか能力帰結させるのは間違ってない?そういう言説たくさん見るけど。


ここら辺よく勉強できる本とか知ってたら誰か教えてくれ。

なんでこんなこと気になったかっていうと、仕事レスポンス遅いんだよ海外取引先よぅ。

メール返すのになんで1週間ってどういうことやねん。

遅いんだよー仕事が。

2020-05-05

コロナ時代に自らゲシュタポへ志願するみんなへ

コロナ陽性判明後に、保健所に嘘をついた上で山梨から帰京した人がはてブ匿名掲示板等でぶっ叩かれている。

Twitterでは「山梨20代女性」なんていうワードトレンドになっているらしい。検索してみれば、早くも特定しようという動きがでているのが垣間見える。

今朝TVをつけたときにやっていたワイドショーでも、この女性の行動の「身勝手ぶり」について逐一「報道」していた。

個人的に見れば、この人の行動は徹頭徹尾、愚かな判断だと思う。東京へ帰るという選択がまず百害あって一利なしに思えるし、そもそも保健所に嘘をついたってバレるのは時間問題だ。10秒くらい考えればわかりそうなことがわからなかったのは、賢明ではなかったと言わざるを得ない。

でも私たち人間はそういうものだ。不安なことがあると衝動的に愚かな判断をしてしまう。子供の頃、同級生がどうして先生に「宿題はもうやった」「ほうきを折ったのは僕じゃない」とすぐバレるウソを付くのかさっぱり理解できなかったが、いざ親に「メガネを壊したのはお前か」と聞かれて、なるほど追い詰められた人間は愚かな選択をしてしまものだと合点がいった記憶がある(そのあとどうなったかは、あまり思い出したくない)。

実際、同じ人であっても、金銭的に不安定な状態にあるときは、そうでないときに比べてIQが大きく下がることが研究でわかっている。お金の不足は自らの先行きに対する不安に直結する。コロナへの感染もまた、社会自分生活がどうなるかわからない、という不安に直結するものだろう。

先行きへの不安は、衝動的で、非論理的な行動を招いてしまうのだ。

もちろん、この女性が一体どういう心境でこの判断に至ったのか私にはわからない。もしかすると一片の不安のかけらもなかったのかもしれない。でもそんなことは実はどうでもいい。なぜなら、社会人間ほとんどは衝動的で非論理的判断をし、「失敗」するものからだ(そうでなかったら、今ごろ人種差別とか性差別とか、もっとマシな状態になっているはずだ)。多くの場合それは、友人に窘められたり、上司に叱られたりする程度で済む。でも中には、人生を大きく変えてしまうような「失敗」もある。スピリチュアル100万円の壺を買ってしまったり、消費者金融につられてしまったり、交通事故に巻き込まれしまったりといったたぐいの「失敗」だ。

でもそうやって「失敗」してしまう人を救うために、行政社会システム存在している。バカな買い物をしてしまった人のためにクーリングオフ制度や、財政的「失敗」をしてしまった人のための(あるいは多くの場合、「失敗」した家庭にうまれてきた人のための)生活保護、そして事故って骨を折っても破産してしまわないための健康保険、というように、社会システムには「失敗」した人のためのセーフティネットが組み込まれていて、それを行政運営している。健康保険がないとどうなってしまうのかは、米国を見れば明らかだ。

また、「失敗」がある種意図的ものであったり、他の人の人権侵害したりしかねないものに対しては、法律によって罰則が設けられている。たとえ「失敗」でも人を殺してしまえばそれ相応の罰則を受け入れる必要があることに(罰則の程度について議論があるのは当然として)今更異議を唱える人はあまりいないだろう。

「失敗」の種類によっては、これら「救済」と「罰則」両方の性格を併せ持つ対応をするのが必要なこともある。例えば違法薬物使用などは、周囲への影響を考慮して法的な罰則が設けられているが、実際に必要なのは依存症治療であるという点で、その顕著な例だろう。

こういったシステムは、非論理的で愚かな私たちが、一つの失敗で社会的・物理的に死んでしまうようなことなく、円滑に生活していくための、社会の「バッファ」としてそこに存在している。「バッファ」のないシステムは、すぐバランスを失って崩れてしまう。人類が長きに渡ってありえない量の二酸化炭素大気排出し続けて炭素サイクルをめちゃくちゃにしても、地球生態系がまだ大量絶滅経験していないのは「バッファ」のおかげだ(それも、サンゴの大量白化を見れば分かる通り、もう崩れつつあるのだが)。

はてブ匿名掲示板で「山梨20代女性」を叩き、特定して吊るし上げようとしている人々は、衝動的な判断をしているという点に於いて本質的に「山梨20代女性」と全く変わらない、オロカモノだ。あなたいくら懸命に彼女の行動を叩き、牽制したところで、「失敗」する人は絶対に出てくる。それどころか、「失敗」するのはあなたである可能性もある。それでも叩くのは、叩けば「失敗」をする人はいなくなるだろうという誤認か、あるいは自らの先行きの不安を叩くことに向けたいという欲求によるもので、どちらにせよ非論理的で愚かな選択といえる。

ただ一つ違うのは、「山梨20代女性」の行動が、既に感染してしまった彼女自身への悪影響はあまりないのに対し、「山梨20代女性」を叩く人々の行為は、自らの首を絞めているということだ。

考えてみて欲しい。感染経路を把握して感染拡大を防ぐのは行政役割であって我々には特に何もできないのに、この「山梨20代女性」の行動を逐一報道させ世間に知らしめることに一体何の目的があるのか?

その「目的」は、はてブ匿名掲示板で「山梨20代女性」を吊し上げ、特定しようとするみんなの動きが、雄弁に物語っている。

私たちが「山梨20代女性」を叩くとき、そこには「行政対応に落ち度はなかったのか」という疑問は存在していない。

この女性は陽性が発覚したあとなぜ移動できたのか?感染者の隔離行政仕事ではないのか?最初から検診・検査が迅速にできていればこうはならなかったのではないか?症状が出てから4日放置するという検査要件自体感染の機会を大きく広げていないか?症状が出ていても、生活が苦しくて実家に帰らなければならないような人は、一体どうしろというのか?そもそも日本では大きく広がらない」「4、5月頃には収束している」なんて言って対策を怠っていた人が、本当は一番無責任ではないのか?

こういったシステムとそれを運営する行政に対する正当な疑問は、「身勝手な行動をしたオロカモノがいました」という行政からの発表とそれを広報するメディア、そしてそれに乗せられてオロカモノを断罪する人々によって、巧妙に隠蔽される。

この一件だけではない。自粛を「要請」されても、明日生きていくために店を開け続けたり、満員電車に乗り続けたりしなければならない人に対して、「人殺し」と吐き捨てたり張り紙を貼ったりして自粛しない者たちをリンチする社会は、生活補償保障なく自粛を「要請」されるという構造欺瞞に気づくことができない。

愚かな我々を、救済にしろ罰則しろ本来受け止めるかべきバッファ機能していないという問題は、愚かな行動をしてしまう我々個人問題還元され、それに対し我々は反発するどころか自ら自警団へ志願して、我々自身の首を絞めている。

それを知った上で、みんなは「山梨20代女性」を吊るし上げる勇気があるのだろうか。自らの知性に絶対の自信を持てるのだろうか。

私は持つことができない。

社会の中からオロカモノ」を探し出しリンチする一方で、何も考えずに愚か者為政者として選出し、その愚か者扇動されまた「オロカモノ」を探しだしまリンチする……というループを繰り返す社会にしたいなら、好きにすれば良いと思う。個を喪失し、考えることをやめた日本社会に、ある意味お似合いの帰結だ。

ただ、私は参加したくない。私は時々オロカモノになってしまうことが許される社会に住みたい。

それは今のうちに、はっきり言っておこうと思う。

https://anond.hatelabo.jp/20200504170809

性風俗産業およびその従事者に差別的眼差しが向けられている客観的データはあるのか?という問いですが、ありませんが私の印象ですし、そうは間違っていないと考えていますので撤回するつもりもありません。

性風俗産業差別的眼差しが向けられていないという主張のほうが驚くべき偏見しか思えませんが、どうでしょうか。

発端の岡村隆史氏の発言と、風俗産業に対する差別意識が密接に関係しているという主張が何かおかしものでしょうか?


また、私が「差別すべきだ」と主張している、とあなたは主張していますが、私は差別すべきだなどと一言も申しておりません、むしろエントリでは差別すべきではないと明確に申しております

はっきり申し上げて、あなたは私が差別主義者であるという前提を一切変更するつもりがなく読んでいるため、全く真逆のことを書いている部分はなにかの詐術詭弁だとして読み飛ばし、「風俗業は賤業」と書いてある部分の言葉尻のみを捉えて反応していらっしゃるしか考えられません。

もう一度いいます、私は差別すべきなどと一言も申しておりませんし、差別すべきでないと申しております

なぜ「風俗業は賤業(として扱われている)」という強い言葉を使ったのかと言えば、これは先にも説明しましたが、実際に差別されていることを直視しなければいつまで経っても問題解決に向かうことがないと考えているからです。

私自身に差別意識があるから言葉遣いの中にそれが漏れ出たわけではありません。

冷静になって考えて欲しいのですが、風俗業への差別意識を糊塗する為に差別否定したんだとするのならば、わざわざ二度も「風俗業は賤業」などという言葉を使うでしょうか?



まだ「たとえそうだったとしても、あのような物言いで傷つく風俗関係者もいるだろうし、あなたの狙いを達成するのならもっとこのような表現にすべきだった」のような反論であれば、私にも得るところがあるものなのですが、

とにかくあなたは私が風俗業を差別する意識及び目的であの文章を認めたという前提を覆すことがなさそうですので、もうこれ以上なんとお話すれば良いのか、ほとほと困り果てています

一体あなたの中で、風俗業を差別する意識に基づいて「風俗業を差別するな」という帰結になる文章投稿する人間あなたに取っての私のことですよ)というのは、一体どんな人間なんでしょうか?

おそらくこれ以上何を言ってもあなた絶対に私の差別意識確信し続けるでしょうし、このあたりで筆を置こうと思いますありがとうございました。

anond:20200505104226

東大世帯年収枠設けて一定数以上は低収入層を入学許可しないようにしてるとか、逆に一定数だけかならず低収入層を入学許可するようにしてるとかい事実がない以上、

東大合格者にある程度の割合で低収入家庭の出身者がいることは、いい大学に「行けない」が事実でないことの根拠として、科学的以前に論理的に十分です

 

「行けない」のであれば、論理的帰結として低収入層の割合ほとんどゼロになるはずであり、

そうなっていない以上「行けない」という事実はありません

2020-05-04

インターネット六道

天道

天道は天人が住まう世界である。天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされる。

mixiのことである

  

人間

人間道は人間が住む世界である四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされる。

facebookのことである

  

修羅道

修羅道阿修羅の住まう世界である修羅は終始戦い、争うとされる。苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である

Twitterのことである

  

畜生道

畜生道は牛馬など畜生世界であるほとんど本能ばかりで生きており、使役されるがままという点から自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界とされる。

2chのことである

  

餓鬼道

餓鬼道餓鬼世界である餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると火となってしまい餓えと渇きに悩まされる。他人を慮らなかったために餓鬼になった例がある。

はてブのことである

  

地獄

地獄道は罪を償わせるための世界である

爆サイのことである

2020-04-28

そろそろ『百合』と『百合に男を挟んだ』ジャンルに決着をつけよう

まず初めに

 この文章は「『百合ジャンルと、『複数女性の間になんらかの関係性がある上でそこに男性がいる』ジャンル区別しよう」という結論帰結する。それで納得してくれるのならそれでOK。帰っていいよ。

 ついでに補足しておくと、筆者は所謂百合ジャンルに詳しいわけでもないし、それらの問題提起により度々巻き起こる騒動の渦中にいたわけでもない。ある意味、この文には公平性担保されている……と好意的に捉えることもできようが、本質的にはただの部外者の一人の発言であることは忘れないで頂きたい。

本題

 さて、ここからタイトル通り『百合ジャンルと俗に『百合に男を挟む』と呼ばれているジャンル軋轢について考える。

 まさか「その軋轢とはなんぞや」と言うようなピュア人物がこの乱文に辿り着いているとは思えないため、それらの騒動についての説明は省いて話を進めていく。

 騒動を踏まえて解決策を得るため「何を解決するか」、今回の件に合わせて換言すれば「『百合に男を挟む』ジャンルに『百合』のタグをつけることの何がいけないか」を掲示する。それらを大別すると、

・大多数の百合定義から外れている。

・『百合ジャンルを探す際の検索妨害になる。

この二つが挙げられる。

 前者の問題については言うまでもない。そもそも百合』に該当しないのだからそのタグは適切ではない、という論調だ。インターネットで『百合』の定義について調べると「女性の間になんらかの関係性があり、それらについて描写した作品ジャンル」と分かる。(出典をインターネットに求めるのは些か情けないことであるが、そもそも扱っている事柄インターネットの周囲に存在するため勘弁して欲しい)

 サブカルチャーに慣れていない方がいれば「男がいようがいまいが女性同士になんらかの関係性とやらがあるのならそれは広義の『百合ジャンルに含まれるのではないか」という意見を持つ方ももしかしたらいるかもしれないが、それは違う。

 なにが違うかと言えば、それこそ大多数の意識が違う。例としてイラスト投稿サービスpixivを挙げる。

 pixiv投稿された直近100件の『百合タグがついたイラストの中で、所謂百合に男を挟む」イラストは0件であった。先の複数問題提起により、「『百合に男を挟む』作品は『百合ジャンルに適切ではない」と既に共通認識が形作られているのだ。

 そも、この文自体百合に男を挟むな」騒動を受けて執筆されている。「『百合』に男を挟む」ジャンル百合には該当しない、というのが大多数の意見であり、また妥当な落とし所である

 そして、二つ目の「『百合ジャンルを探す際の検索妨害になる」についてだが……こちらに関して言えば正直私が口に出すことではないかもしれない。というのも、先程pixivにて直近100件の作品をチェックしたと述べたが、ここで指す「『百合タグがついている『百合に男を挟む』作品」が、その100件の中には存在しなかったわけだ。勿論探せば見つかる程度には存在するはずだが、特筆して目立つわけでもない。恐らく『百合ジャンルを好むユーザー複数回に渡る問題提起の成果であろう。

 ともあれ、『百合ジャンルにおける検索性は、ある程度の健全化が成されていることは確かだ。この二つ目問題というのは実のところ、「『百合』に男を挟む」ジャンル検索性を上げる目的掲示した。ここからは「『百合』に男を挟む」ジャンルの『検索性の改善』と、そのための『タグ』を考える。

 その前に、ここまで散々「『百合』に男を挟む」ジャンル百合ではないと言ったのだから根本的に「『百合』に男を挟む」ジャンルという呼称が正しくないだろう。ここからは「複数女性になんらかの関係性がある上で男性がいる」ジャンルと呼ぶ。

複数女性の間になんらかの関係性がある上で男性がいる」ジャンルタグ

 より『百合ジャンル検索性を改善するためにも、また『複数女性の間になんらかの関係性がある上で男性がいる』ジャンル独立性を確保するためにも、『複数女性の間にになんらかの関係性がある上で男性がいる』ジャンルタグ確立しそれを喧伝することは必要不可欠だ。あといちいち長いジャンル名を打ち込むのも疲れてきた。

 で、そのタグとは、ジャンル名とは何が適切だろうか。『百合』に類する言葉を入れてしまったら再び『百合ジャンル検索性の低下に繋がるため、それらの使用は不可。

 そして理想を言うのなら、既存言葉合致しないものが望ましい。「百合の花のイラストを探したいなあ」と考えイラスト投稿サイトを検索したら、何故か複数女性が描かれたイラストが画面いっぱいに表示された……というような事例も、ないとはいえない。極論ではあるが、できるだけ新しいタグ既存言葉と競合しない方がよいことは確かだ。

 そう考えると、タグ命名候補はかなり絞られてしまう。なぜこんな所で躓いてしまうのか。いや、この段階で先に進まなかったか現在まで『百合ジャンルと『複数女性の間になんらかの関係性がある上で男性がいる』ジャンル問題解決しなかったのか。

 というか誰か既にタグを考えているのではないか。そう考えれば話は早い。

 ある。普通にある。『ffm_threesome』と言うらしい。

 female-female-maleで女女男、threesomeで三人組……とのこと。

 pixivで『FFM』と略称で調べると、意外にも複数イラストがヒットした。既に一部のユーザーには広まっているようだ。

 しかし、現在そのタグ使用が広まっていないのは、それだけの理由があるはずだ。ピクシブ百科事典記事作成されていない。これも大別して二つ考察できることがある。

・『FFM』では他のタグもヒットしてしまう。

日本人ユーザーには取っ付き難い。

 この二点だ。

 前者についてはタグ部分一致の検索設定の場合におこる。普段なにかしらのイラストを部分一致で調べることの多い筆者にとっても手痛いところだ。『FFM』を名前に含むキャラクターもヒットするため、検索性については幾ばくか劣る。

 さら問題を複雑化しているのが後者。前者の問題解決しようと『ffm_threesome』のタグ使用すると、かなりタグが長くなり、日本人にとってはかなり億劫だ。そもそも現時点で既に『ffm_threesome』のタグは『FFM』よりさらマイナーである。取っ付き難いにくいというのはタグ喧伝する上で非常に重いデメリットである

 ここはやはり新しいタグを考案して拡めるしかないだろう。そうだ、female-female-male日本人お得意の略称で『ふぃふぃめ』とでも呼ぼうか。いいんじゃないか『ふぃふぃめ』。英語よりとっつきやすいし、短い。何より今pixiv検索しても該当作品はなく、競合する言葉もない。まさにベスト選択肢だ。

 勿論冗談だ。語呂が悪すぎる。

結局

 私の力不足により、全てを解決するタグを生み出すことは叶わなかった。

 一度タグが広まれば、きっと棲み分けが実現し、検索性も広がり、それらのジャンルもより発展していくはずだ。

 『複数女性の間になんらかの関係性がある上でそこに男がいる』ジャンルにも、勿論種類わけが必要だが、それだって『FFM』に相当するタグが広まれば、他のタグの併用によって棲み分けができるだろう。

 例えば単純に「女性二人と男性一人の純粋な恋仲」を表現したい際にも、『FFM』に相当するタグと『純愛タグを併用することで達成できる。(注意、筆者が知らないだけで純愛タグに一対一の恋愛でなければならない共通認識があるのならこの用法は間違い)

 しかし、そもそもいい案が思いついても、それを定着させるには年単位草の根活動必須であるため、今すぐどうこうできるわけでもない。

 結局、私がこの文で主張できるのは、初めに書いた通り「『百合ジャンルと、『複数女性の間になんらかの関係性がある上でそこに男がいる』ジャンル区別しよう」のみである。ここまで長ったらしく書き連ねておいて、結論は1ツイートで終わることだ。多分140文字説明もできてしまう。

 私がこの問題を前に筆を取った理由は、偏に私もオタクからだ。正直『百合ジャンルにも『複数女性の間になんらかの関係性がある上でそこに男がいる』ジャンルにもそこまで関心はない。

 ただ、傍から見ていても、この問題について何も考えないでいるという事はできなかった。

 NLだろうがBLだろうがGLだろうが、ハーレムだろうが逆ハーレムだろうが、獣だろうが人外だろうが、夢だろうがオリ主だろうが、観葉植物空気になりたい欲求だろうが。

 それらは全て、文字に起こせば「他人の色恋を覗き込んで、或いは他人との色恋を想像して愉しむ」という至って不健全趣味に思える。

 しかし、こと創作という行為において、何かしら制限されることはない。(人目に公開する際の制限存在するが)

 だから、一部自分の目に入る「○○というジャンルおかしい」という意見に耐えられず、今回の文章を書くに当たった。

 これからも一創作者として、より快適に趣味を楽しめるよう願っている。





おまけ 謎のタグ『とせがら』

 『FFM』について調べている際、ピクシブ百科事典にて目に留まった記事があった。

 その名も『とせがら』。曰く「男性から女性に性転換したキャラクターTSっ娘)」と「女性キャラクター」のカップリングのこと……らしい。「trans sexual girls love」、俗に言う『TS百合ジャンルを指すようだ。

 これは推測だが、おそらく『百合ジャンル検索結果に『TS百合』が引っかかってしまうため、差別化の一手として『とせがら』タグを用いているのだろう。『複数女性の間になんらかの関係性がある上でそこに男性がいる』ジャンルほど目立ってはいないが、『TS百合ジャンルに対しても苦言があったのかもしれない。いい活動だと思う。何がいいって語呂がいい。少なくとも『ふぃふぃめ』よりは。しかし、実際にpixivイラスト検索をかけるとヒットするイラストはなんと一件。『FFM』と違いピクシブ百科事典記事存在すると言っても、未だ草の根活動最中なのだと思う。是非普及して欲しい。

2020-04-25

anond:20200425170446

元増田でも書いてるけど脳の個体差帰結されるのでは

ナチュラルにおしゃべりな人と頑張らないとたくさん喋れない人と頑張ってもぜんぜん喋れない人の壁みたいなのも同じ

2020-04-21

結局のところ

経済というのは合理性ではなく情緒性ということです。

官僚必死に、合理的に、考えに考えた政策情緒帰結するわけです。

泣きながら、俺はお前たちのためにばらまくぜ!だからみんなで経済回そうぜ!

週刊少年ジャンプ的なノリじゃなくちゃいけないところで、余分なこと言ったかダメっす。

家具選んでると「やっぱり無印最強だわ」に帰結してしまうの何とかしたい

他にお値段そこそこで出来のいい家具屋ないかなぁ。

2020-04-15

過剰な日本サゲが気になる

台湾新規コロナゼロとのニュース

これは素晴らしい。本当なのか、これから継続するのかという話はあるが、良いニュースと見て間違いないだろう。

ただこれを受けて日本政府は~と言うのが気になる。

他国地域と比べるのであれば、台湾には負けているとしても、日本の死亡数は全く目立つものではないのでは?台湾成功政治のおかげで、日本の「他国よりマシな」死亡数は評価しないというのはおかしくないか

「これからヤバイんだ!」って三連休以降ずっと聞いてるけど、なんかそれってずっと「この二週間が瀬戸際」って言ってる政治家とか、ずっと「ギリギリ持ちこたえてる」と言ってる高官と被るんだけど。

過程にすぎないものを結果として評価するくせに、帰結する論理があっちとこっちで異なるって、批判してる相手とやってること一緒じゃね?

2020-04-14

COVID-19 ソリューション主義解決策にならない

COVID-19の疫病は特異な歴史的コンテクストに現れました。まず、グローバル資本主義自由民主主義の折り合いをつけるには他に解決策(ソリューション)がないと30年間も信じてきた後で、人類は自らに課した昏睡状態からしだいに目覚めつつあります。状況が改善するかもしれないが、急激に悪化するかもしれないという考えにもはや誰も驚きません。

他方で、これまでの4年間、ブレグジットトランプ大統領当選ジェレミー・コービンの登場と失脚――じきにバーニー・サンダースも同じ運命をたどることになりました――といった出来事からグローバル資本主義がかなりしぶといものだということが見えてきました。世界主義から排外主義へ、ネオリベラリズムから社会民主主義へ、イデオロギーがたんに変わるだけでは、社会的経済的な諸関係は変わりませんでした。資本主義の完全な作り直しという課題に直面して、かつてはあれほどラディカルに見えたイデオロギーが無力で陳腐ものであることが明らかになりました。

現在健康上の緊急事態をどう考えるべきでしょうか。COVID-19の引き起こし危機世界を変えて開放する可能性に希望を抱く人は、すぐに失望することになるかもしれません。私たちの期待が過剰だというのではありません。ユニバーサルベーシックインカムグリーンニューディール政策妥当だし、まさに必要ものです。ですが、私たちは現行のシステムのしぶとさを過小評価し、また同時に、思想が堅固な技術的・経済的インフラなしで世界を変える能力過大評価しています。そうしたインフラがあってはじめて思想作動させることができるのに。

ソリューション主義国家

ネオリベラリズム」のドグマ諸悪の根源とみなされることが多いですが、このドグマであらゆることの説明がつくわけではありません。知的には「ネオリベラリズム」には似ているものの、これとはまた別の悪について、10年ほど前から私は指摘しています。それは「ソリューション主義」といいます

このイデオロギーは、ポストイデオロギーであることを標榜しており、グローバル資本主義が生み出す問題矛盾解決しながらこれを動かし続けるために、いわゆる「実践的」な、個別対応策をまとめたものを勧めます。そして驚くべきことに、こうした対応策には美味しい利益がついてくるのです。

ソリューション主義もっと有害帰結は、スタートアップではなく私たち政府がもたらします。ソリューション主義国家とは、その前の時代監視国家人間的になりつつもより巧妙化したもので、二重の使命を帯びていますイノベーションを引き起こす人々(デベロッパーハッカー起業家)は御しがたい存在ですが、これらの人々がその能力既存リソースを〔現在グローバル資本主義とは異なる〕他の社会組織を作る実験に用いないよう、ソリューション国家は気をつけていなくてはなりません。AIクラウドコンピューティング恩恵を十全に受けたいのなら、資金的に余裕のあるスタートアップを作らなくてはいけないようになっているのは、偶然ではありません。逆にそれは意図的政治的努力の結果なのです。

その帰結。非商業的なしかたで社会を編成する制度を生み出す可能性があり、既存体制転覆するおそれのある試みは、頓挫する。そういったものは胚子の段階で殺されます。そういうわけで、ウィキペディアの流れをくむ団体はもう20年以上現れていません。とにかくデータが欲しい多国籍企業世界を完全にデジタル化してゆく時代に、国家自分の分け前を手に入れようと目論んでいます監視が完全に行き渡ったことに加えて、企業世界デジタル化してきたことで、諸国政府市場を利するかたちでソリューション主義的な数々の介入を進めることができるようになりました。

ナッジ (nudge)の技術ソリューション主義の完全な実践例です。ナッジのおかげで、問題の原因は変えないまま、取り組みやす作業の方に集中することができる。それは、個人の行動を不可変の現実(それいかに残酷現実であっても)に「合わせる」という作業です。

ソリューション主義者のみなさん! COVID-19はソリューション主義国家にとって、9/11テロ監視国家にとって持っていたのと同じ意味を持っていますしかし、ソリューション主義民主主義的な政治文化に対して示す脅威は、〔監視国家よりも〕陰険はいわないまでも、より微妙ものです。

COVID-19の危機にさいして中国韓国シンガポールがとった独裁主義的な戦略評価されました。3国ともに、市民が何をしてよいか、してはいけないか決めるために、アプリドローンセンサーの展開をトップダウンで決定しました。西洋民主主義的な資本主義擁護者を標榜する人たちは予想通り、すぐさまこれらの国を批判しました。

エリートの臆見をもっとも雄弁にうたう詩人たるユヴァル・ノアハラリがファイナンシャルタイムズコラムで表明した代替案は、シリコンバレープロパガンダマニュアルからそのまま出てきたようなもので、知識によって市民自律的にしよう! というものでした。

人道主義的なソリューション主義者はみんなに手を洗ってほしいと思っています。それがみんなにとって、社会にとってよいことだと知っているからです。中国政府暖房電気を切るぞと脅したように、みんなを力ずくで束縛するよりは、そのほうがよいと思っているのです。このような言説は、政治アプリ化〔アプリ市民監視し行動を制限する方向性〕にたどりつくだけです。手洗いの奨励をめざして作ったアプリがその人道的な見地によって報酬を受けたとしても、そうなるのです。

認知行動的な介入によって市民自律的にしようというハラリの呼びかけは結局のところ、キャス・サンティーンリチャード・セイラー代表されるようなナッジ擁護者が推奨するステップとたいして変わりません。こうして、過去数百年で最大の健康上の危機への政治的対応は、石鹸や手洗い槽の自販機というかたちで「実践的な」言説に還元されてしまます。これはサンティーンセイラーが〔共著の『ナッジ』で事例として紹介しているアムステルダム空港の小便器の形をめぐる思考〔小便器の底に蠅の絵を印刷するというナッジにより、男性利用者トイレの床を小便で汚す率が大幅に減るというもの〕の系統にある発想です。

ソリューション主義者の想像の中では、あらゆる中間団体制度は、歴史と同様、政治のシーンからほぼ消えてしまったので、他にできることはあまりないのです。ハラリやサンティーンのような人たちにとっては、世界本質的に、消費者としての市民企業政府で成り立っています労働組合アソシエーション社会運動、そして感情連帯で結びつけられたあらゆる共同的制度のことをこの人たちは忘れているのです。

知識による自律化」というお題目古典的リベラリズム根底にあるものですが、今日ではひとつのことを示しているだけです。もっとソリューション主義を、ということです。だから諸国政府は、去年私が「生存のための技術」(survival tech)と名付けたもの(つまりスペクタクル(見せ物)としての資本主義が、その主要な問題を緩和しつつ続くようにするデジタル技術の総称)に大金投資するものと予期しておかねばなりません。そうやってソリューション主義国家自分が「中国の道」は採らないことを標榜しつつ、自己正当性を強化することになります

ポストソリューション主義政治のために

この危機から脱するためには「ポストネオリベラリズム」の政治必要なだけでなく、とくに「ポストソリューション主義」の政治必要です。まず、スタートアップか、中央集権的な計画経済か、といった人為的二項対立はもうやめてもいいでしょう。この考え方は、私たち今日イノベーション社会的な協力を考える仕方を規定しています

新しい政治的議論の中心となる問題は、「社会民主主義ネオリベラリズムのどちらの勢力市場で競合する力を制御できるか?」ではなく、「社会的な協力と連帯の新しいかたちを追求するうえで、デジタル技術がもたらす巨大な機会をどの勢力が活かすことができるか?」でしょう。

ソリューション主義」とはだいたいのところ、「他に選択肢はない」(There is no alternative)というマーガレット・サッチャーの有名なスローガンを応用したものにすぎません。このようなロジック残酷実践できるものではないことを、左翼思想家は過去40年間にわたって明らかにしてきました。とはいえ、〔このサッチャー的なロジックが〕破綻していても、政治的権力を持つようになるうえで支障はなかったのです。結果的に、私たちの暮らす技術的な世界は、市場支配する世界秩序を逸脱するような試みはぜったいに制度化されることがないようにできています私たち議論輪郭〔つまり議論の組み立て方〕そのものが、そのような〔逸脱の〕可能性を排除してしまっています

COVID-19への技術的な対応策を考えるさいに直面する困難は、ポストソリューション主義的な政治方向性私たちにどれほど必要か示していますイタリアのような国では――私はローマで外出制限の3週間目に入るところです――提案されるソリューションは酷いほどに野心を欠いたものです。私生活公衆衛生あいだで妥協点をめぐって議論が繰り返されており、さらには、これはハラリが示した方向性に従うことですが(「反抗または生存」を参照)、「生存のための技術」を使ってスタートアップイノベーション引き起こしやすいようにしなくてはいけないという議論になっています

他の選択肢はどこに行ったのかという疑問が浮かぶのはもっともなことです。なぜ公衆衛生のために私生活犠牲にしなくてはならないのでしょうか。テクノロジー企業通信事業者が作った現在デジタルインフラが、それを提供する会社ビジネスモデルにかなった利益をもたらすようにできているからなのでしょうか。

現在デジタルインフラは、私たち個別消費者として識別し、ターゲティングを行うようにできています集団の行動についてマクロレベル匿名情報提供するようなインフラ実装する努力があまりされてきませんでした。なぜでしょうか。そのような〔匿名データ分析をする必要について検討した政治的プロジェクトがなかったからです。非商業的なしかたで社会を編成する形態の中でも、とりわけ〔社会主義的な意味での大規模な〕計画ネオリベラリズムが用いる手法ではなかったからです。社会民主主義を信奉する人たちのなかでも、そのような手法を用いるべきだと主張する人はいませんでした。

現在デジタルインフラは残念ながら個人が消費活動をするためのインフラであり、相互扶助連帯のためのインフラではありません。デジタルプラットフォームと同様、現在デジタルインフラは、アクティヴィズム、人の動員や協力といったさまざまな目的に使うことはできますが、そのような使い方は、たとえそう見えていなくても、高くつくことになります

ネオリベラリズム的でもなくソリューション主義的でもない社会秩序の基盤としては、これはじつに脆いです(さらにこうした基盤には、消費者スタートアップ起業家とは違う働きをする人が必ずいなくてはなりません)。アマゾンフェイスブック、あるいはあなたがお住まいの国の通信事業者提供するデジタル基盤のうえにこの新しい秩序を建てる誘惑にもからますが、そうしてもろくなことにならないでしょう。それは良くてソリューション主義者が跋扈する新しいフィールドになるか、悪くすれば、監視と抑圧に基づく全体主義的で押し付けがましい社会となるでしょう。

この危機事態権威主義的な体制よりも民主主義がうまく収拾できると熱く説く声が、左翼方面からさかんに聞こえてきます。このような呼びかけは無意味ものに終わる可能性があります現在民主主義民主主義的でない私的権力行使にとても依存しているので、名ばかりの民主主義になっているからです。これぞ「民主主義」と考えるものをほめたたえることで、潰れかかっているスタートアップの見えない持ち分を意図せずほめたたえたり、スタートアップほどには無害でなくソリューション主義国家構成するテクノクラートの持ち分をほめたたえたりすることになります

もしこの生ぬるい民主主義がCOVID-19を生き延びることができるのなら、私企業権力から完全に自由になるためにポストソリューション主義の道をまず選ばなくてはならないでしょう。そうしなければ権威主義的な体勢への道へまた踏み出すことになります。それは「民主主義価値」、「規制機序」、「人権」について、以前にもまして偽善的なエリート支配を許す道です。

エフゲニー・モロゾフ

Covid-19, le solutionnisme n’est pas la solution

*ナッジとは、「行動経済学行動科学分野において、人々が強制によってではなく自発的に望ましい行動を選択するよう促す仕掛けや手法を示す用語」(株式会社日立総合計画研究所

2020-04-10

パナソニック自殺事件主犯特定されて

Twitterは大盛り上がり。義憤かられてなのか面白がってなのか、主犯犯行予告してるやつまでいる。逮捕されてもしらねーぞ。

本名Google検索すると、昨日の今日タケノコのごとくポコポコ生えてきたアフィリエイトブログ記事が3000件もヒットする。この手のブログはさすがにわきまえていて、犯罪にならないように記事を作ってはいるが、こんなしょーもないおっさん記事で小銭を得て、人生それでいいのか。

なめるなよ、54のおっさんを!」というイキり投稿が、本人確定の決め手になってしまったのはちょっとスカッとするというか、笑ってしまうのも否定はできないけどw

池袋暴走運転老人の時もそうだったが、これが情報化社会帰結なのかねえ。

2020-04-07

うんちに対するミソジニー

別にうんちって女性蔑視ちゃうやろ。

本当にうんちな文章しかうんちって言ってないし。

個人のしでかしたこと批判されてるのに、

「女だからって馬鹿にするのか!」って

自分属性批判の矛先を帰結させて、

相手差別主義者に見せ掛ける卑怯詭弁

女でも面白い文章書けばうんち付かんしね。

2020-04-06

感染症患者を叩くのおかしいだろ

誰もなりたくて病気になってるんじゃねえよ。

俺は子供のころに風邪インフルおたふく髄膜炎もとにかくいろんな感染症をやったし、大人になってから胃腸炎で苦しんだよ。

同居してた弟には何もなかったのに。

これは俺が悪人で弟が善人だからなのか? 違う、単にあいつが俺よりも頑丈に生まれついただけだ。

それのどこに俺の責任があるんだよ。

たまたままれつき感染症への耐性が低かったってだけで、なんで弟と違って俺ばっかり事あるごとに罪悪感だの責任だのを感じないといけないんだよ。おかしいだろ。

から俺は言い続ける。感染症被害者被害者だ。絶対加害者なんかじゃない。

感染症にかかってしまった人も、それを他人に伝染してしまった人も、何も悪くない。病気けが悪い。

感染して不用意な行動を取ってしまった人がいたとしても、それが「バイオテロ」なんて呼ばれるべきじゃない。

「このご時世にライヴハウスに行くやつが悪い」? それは「そんな挑発的な服装で夜道を歩いていたお前も悪い」ってのと何が違うんだ?

同じこと言ってる自覚を持てよクソ野郎ども。お前らのやってることをセカンドレイプっていうんだよ。

電車でうっかり妊婦風疹を伝染しちまったおっさんも、北イタリアから帰省して老人ホームにお見舞いに行ってコロナをばらまいちまったあんちゃんも、何も悪くない。

悪いのはウイルスだ。人間じゃない。

風疹とか麻疹とかの感染症話題になる度に、医者って名乗ってるアカウントでも平気でセカンドレイプやってるのを見て絶望してる。

コロナでも犠牲者非難が吹き荒れてるのを見るのは胸クソ悪い。

極右のばあさんがコロナ患者を「加害者」呼ばわりしたことはてブ民はキレてたけど、俺からすると何を今更って感じだよ。

風疹ではおっさんに向けて「加害者にならないために」とか散々言ってきたくせに。

風疹被害者加害者呼ばわりするけどコロナ被害者加害者扱いするのはけしからんなんてそんな理屈が通るものかよ。

お前らがさんざん不幸で不用意だった患者加害者呼ばわりしてきた帰結がこのばあさんだろ。都合良く切断処理してんじゃねーよ。

感染症患者バッシングされるべきじゃないってコロナ流行りだしてから言われまくってるけど、コロナ以外にもそれをちゃん適用しろよな。

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