はてなキーワード: オーソライズとは
これは犯罪学的に正しい。
この性犯罪者を排除するような、個別の犯罪者にフォーカスした犯罪原因論が、実際の犯罪抑止にあまり効果がなかったんですよね。
その反省の上に、犯罪機会論という、個別の犯罪者ではなくて、犯罪の起きやすい環境などにフォーカスした理論が出てきたというのが犯罪学の基礎の基礎。
構造的に性犯罪が起きないよう、教室にカメラつけたり、必ず教員は2人ペアでしか子供と関われなかったり、そんな対策の方が絶対大事
これなんか、ド直球の防犯環境設計(CPTED)で、これが正解なんですよ。
遠ざけることを、CPTEDでは「接近の制御」と言いますが、これは、例えば学校への闖入者を防ぐために、門扉を閉めて施錠するといった対応を指します。
この場合でも、「あいつは前科があるから排除する」というものではなく、単に、オーソライズされていないと入れない程度の意味であって、小児性愛者を小児から遠ざけるという趣旨ではありません。
防犯環境設計のキモは、誰が犯罪企図者かわからないが、犯罪を起こしにくい環境を作ることができるということであって、小児性愛者のような属性を犯罪企図者に結び付ける議論は、犯罪原因論の一種と言えるでしょう。
id:Domino-R そうだけどコレ犯罪者目線の話で、更生ためには罰より環境をって正しいけど、一方で(潜在的)被害者側にしてみれば、ストーカーに接近禁止命令を出すのが自由の不当な侵害かって話にはなる。
ストーカーに対する接近禁止命令は、具体的で実際の犯罪に繋がる蓋然性があるから許容されているのであって、抽象的な犯罪の脅威を理由として行えるものではありません。それは、予防拘禁というべきものであって、人権的に大きな問題のある対応になるでしょう
トランス女性による女子トイレの利用や、性的な表現を含む広告等に関する議論でも散見されますが、一部のフェミニストの主張するような抽象的な危険や危害の概念などというものは、自由な市民の人権を制約する根拠にはなりえないと考えられます。
※長めの追記あり
けっこう忘れ去られてる事実かもしれないが、ちょっと昔は、左翼は「不謹慎万歳」だった。
ポルノは体制の抑圧に抗する人間性解放の象徴だとして称揚していた。
「不健全な表現は存在してはならない」なんて、宗教右派か特高警察かみたいなこと言ってる現在とは正反対だ。
「昔の左翼はえらかった」などという話ではない。だってあんまりメンツ入れ替わってないからな。共産党の主たる票田は昔も今も団塊世代だろう。
いかに左翼の正義が何にでも結合するのかということだ。無農薬野菜にも反原発にも、エログロにもポルノ廃絶にも、アニメにもオタクバッシングにも、反戦にも戦争賛美にも、宗教にも宗教弾圧にも、何にでも取り憑いて寄生してしまう。
まあそれはそうなんだけど。もっともな動機に根ざした暴走こそタチ悪いというのもあるし。
のもその通り。
いわゆる保守・体制側は、締め付けるにしても緩めるにしても風向き次第・エライサンの胸先三寸というところが元来有る。
本邦において左翼に期待される役割は、そういうヌルヌルの動きに要所で釘を刺すことのはずだ。
保守は伝統と呼ばれる暗黙知をベースに共有してる(ことになっている)からなんとなくで動いてもいいんだ。
左翼はそうであってはいけない。理屈で動かないと意味がない。でももう「戦後」ももはや「歴史」になり、左翼にもなんとなく感覚的に依拠できてしまう「伝統」が生じてしまったんだろうな。
もちろんここで左翼とか保守とか雑語りしてるのは「敢えて」なんで、細かいツッコミは無視で。
結局のところ「日本社会って変だね」という話ではある。ウヨサヨ相克史という切り口からはむしろその変さは整理できないだろう。
ところで「けしからん表現の取り扱い」については欧米もたいがいわけのわからない紆余曲折を経てきており、それが本邦の国内状況に混乱を添えている。
そこで保守に期待される役割は「うちにはうちのルールがある」という毅然たる態度のはずだがおとうさんもうふにゃふにゃだからな。
その辺のディテールは言わなくても知ってる同士(というか世代)での書き方しかしてないからな。ちなみに78年生まれで愛のコリーダだののリアタイ世代ではない。
表現規制とかセックス・ジェンダー関係の話ってウヨサヨヘイトプロレスのネタとして消費されやすい。
別にただちに生き死にに直結する話でもなし、まともな人は火の粉をかぶらないよう距離をとることが分別ではないか、基地外と踊るべきではない、そのように受け取られがちだ。
でもそうじゃあないんだね。こういうのをグダグダのままにしておいたら我々はクソみたいな「戦後」の文化言論空間をどこまでも(団塊の死後も)ズルズルひきずることになる。
「情報」免許なしで教える公立高校の教員 全国で1100人超 | NHKニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220202/k10013461891000.html
BIFF 平成17年教員免許の取得課程や採用制度についてのWG議事録。10ページ目くらいで現行制度の効果測定の有無を問われて異常な発言し始める文科省の方々。。https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/old/minutes/wg/2005/0712/summary050712_01.pdf
d0id0i BIFF氏の参照した文部科学省の議事録、正直すごすぎて震えた。日本の教育制度ってこれで運用しているのか...
いや、なんでその議事録で文科省の方がおかしいということになるの…
同じ世界に生きてるようで、本当に見えてる世界が違うんだなあ。
単にあんたら、前川氏が嫌いだから何もかも揚げ足を取ろうとしてるんじゃない…?
議事録が話題になった当初は、前川氏に言いがかりをつけているワーキンググループの方がよほどおかしいと指摘されてたよ。
前川喜平氏 発掘された12年前の「笑ってはいけない議事録」が話題に - Not-So-News
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nots.hatenablog.com/entry/2017/07/26/120000
bottomzlife いや、これどう読んでも「教員の適格性」というものを"科学的に"定義できていないWG側がおかしいだろ。そりゃ官僚も定義を示せとキレるわ。大阪の「校長民間化」とおなじ当時の流れでしょ?結果大失敗してるんだが
is11045 これは今の加計問題と同じで、小泉竹中の規制改革の旗竿に乗っかって内閣府が文科省の制度改革に踏み込んできたので、前川としてはその議論の土俵自体をひっくり返そうとした訳で、背景まで見て論評すべき。
masgaram このやり取りだけだと文科省がまともで、委員が曖昧な要求をしてるようにしか見えない。全員同じ制度で教員になるなら、効果的かどうかは現状のその制度だけのデータからは分らないだろ、理性で考えろよ
abtendon 全文の要約。「俺が薬を出してやる」「どこか悪いんですか?」「どこが悪いか決めてやる、データ出せ」「なんのデータですか」「それはお前が決めることだろ!」「??」「地方自治法のエビデンスを出せ!」「??」
egory_cat 現行制度で特に問題がないのなら、現行制度のままでいいに決まってるだろ。「いや違う、問題がある」と言うのなら何が問題なのか挙げてみろと言われるだけ。
HarYos この文章を読む限りWGも文科省をやり込めるのが目的で、具体的に改革しようという気はサラサラないように見える。データだしてよ、何を出すかはそっちで決めてよ、じゃあ。もっと文脈を見ると色々あるのか?
yas-mal 福井氏の言う「効果測定」の意味がさっぱりわからない。新しいものを導入したときに効果を見るのが効果測定だよね?…現行制度の「効果測定」って何?何との差分を見ろと言ってるの?
son_toku 現行制度のエビデンス出せっておかしいでしょ。今の制度に決まったのはきまった当時のオーソライズがあるんだから。何もかもエビデンス(特に数値的エビデンス)によって決められるなら何も苦労はない。
siomaruko 流し読んだが前川氏の対応は至極まっとう、WGこそ論理的科学的に物言えば?て印象。12年前て安倍が愛国心だの美しい国だの過激な性教育がどうだのとわけわからん愛国電波発しながら教育現場に圧力かけだした頃だっけ
aramaaaa まるで冷静な学者に詰め寄られる官僚みたいな扱いだが、福井って言うのは元建設官僚、安念は弁護士で二人とも教育はまったく素人。こんな連中が教員免許制度改革をぶち上げてたのも恥ずかしいばかり。
kyoto117 「養成制度や免許制度の効果測定について、実証的で科学的なもの」とは?それを文科側で考えて提示せよってエスパーかよ。別にできんことはないと思うが、そんな暇ねえし、そのままにしたらやらされる。辛い。
snobbishinsomniac 今の教育制度は戦後の教育改革に端を発するのに歴史的文脈もわきまえない素人とは話が通じないというだけ。世の中のあらゆる資格についてエヴィデンスを求めるのか。/役所の職務の正当性は法令で担保されてる。
kyo_ju 福井秀夫とか最近だと八田達夫とから辺のまともな理屈が通じない幼児的全能感に溢れた連中相手に毅然と応戦して偉いとしか言えんが。
udon-muscle そうは言っても世の中の制度が全部根拠があってやってるわけじゃないからなー。前川さんだってそんな事俺に聞かれても知らんとしか言えないだろう
sfken 教員免許制度をなくした場合の影響というエビデンスなんてどこかにあるものなんだろうか?ポル・ポト政権とかか?専門家の教育の取止めというドラスティックな案出すならそっちこそ根拠必要なのは当然では。
youkass912 ワーキンググループとか諮問会議の類は、素人がそれまでの経緯を知らずに結論ありきで詰問するので、官僚としては抵抗するだろう。この会話の是非も、委員らの「導き出したい結論」によるのでは?
t_massann 教員免許の試験の効果があるかないかを本当に議論しようと思ったら、免許を持たない人に教員になってもらって比較しないといけないんじゃないかな?これで前川さんがおかしいということになるの?
rauman-men 「自動車免許取っても事故や違反する人がいるじゃないですか。運転免許って意味あるんですか?何を根拠にこの制度を信じてるんですか?エビデンス示してください!」ってぐらいの難癖。
p_r_party いやーこれ分かる!前川氏の気持ち分かる!「まだ問題があるかもしれない。障害が無い根拠を示せ」と言い続けるバカSIerの元請けと同じ。エビデンス出せ、だけしか言えなくて、何処が問題か推論さえ言えないバカど
chopin14 WG側の「学業における単位取得が教員の適格性とどう関係するのか?」という問いは馬鹿だ。教員はまずもって学業を教えるのが仕事なので学業の知識は必要条件(十分条件ではないが)。それは成績=単位で図るのは合理的。
filinion 教員養成課程を改善しよう、ならまだわかるが、「今の免許制度は全然無意味!意味があるなら証拠を出せ!」って…。無免許教師と対照実験でもやるの? 運転免許や医師免許に置き換えたら、無茶な話だとわかるはず。
blacksorcery 現状、教員免許を持たない教師のデータがないのに、教員免許の効果を示すエビデンスを出せってのは無理難題。他国に比べてとか、もう少し疑問に対しての根拠がなければ議論にならない
kaerudayo こういうのが、印象操作って奴かい。で、改革で学力が上がったり、現場の疲弊感は下がったり、国民の満足度は上がったのか?
tenchikometen 議論を知らないと、こういう論評になるかな。基本、現状を変える、疑義を挟むほうが、まずは説明責任を負うのに。「現在の教員養成・免許制度が、教員としての適格性をどのように保証しているのか」無理な質問
world3 前川氏は何も間違っていない。文科省も規制改革会議も同じ国の機関なのだから、規制改革会議が「お客様」的な立ち位置で文科省に一方的に立証責任を押し付けるのは筋違い。
white_rose いちゃもん付けにつきあわされて大変だなとしか思えないのだけど、ブコメ見ると党派性でここまで目が曇るのかと
黒人差別とチー牛
黒人差別を引き合いにしながらブサイクな自分への容姿差別について声を上げる増田。
Aikoku_Senshi 「チー牛」ってなんJ発祥のホモソーシャル文化なのに陽キャに逆らえない代償として容姿差別していることにされる女の人は大変だな…。
増田の話の当該箇所は
・ブサイクなせいで中学生時代にひどい扱いを受けた(特に女子から)
・現在もチー牛のようなブサイクいじり概念は愉快なギャグのように流通している
であり、
これを読んで「『チー牛』いじりは女がやっていると主張してるんだな」になるやつは国語が0点である。
こんな低国語力なコメントを書く人やこのコメントに☆を付けた人たちは頭が悪いのだろうか?
確かに頭も悪いのかもしれない。がやはり、
増田への敵意や悪意がまずあって、なにかしら攻撃できる箇所を無理に探してこうなった部分は小さくないだろう。
このブサイク増田は明らかに、なんらかの敵意を買っているのだ。
ブサイク被差別の悲しみを表明した増田にAikoku_Senshi がやったことは何かというと
重箱の隅をつついて話逸らしや反撃を試みる
ということだ。
今回のトップブコメの場合は上で見た通り重箱の隅つつきすらできてない謎コメントになっているので
アクロバット誤読で攻撃を加えて差別の申し立ての無効化を図ったと言えるだろう。
これは差別の申し立てに直面した市民の態度としてはサイテーと言える。
これをやっているAikoku_Senshi が差別大好きで被差別者いじめるのが大好きな居直りヘイト野郎なのかというとそんなことはなくて
むしろ普段は「差別反対」濃度の強いコメントをする「良識派」なのだ。
わざわざ愛国戦士というidにして右派への当て擦りを欠かさないぐらいには左派の人だったりするし
最近もアメリカデモやら大阪なおみの発言記事やらに精力的にコメントしている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4686697237877638242/comment/Aikoku_Senshi
https://b.hatena.ne.jp/entry/4686708456876431778/comment/Aikoku_Senshi
むしろ差別反対を自分達の専売特許や錦旗にしてるぐらいのクラスタの人なのだ。
こういう人が、ブサイク増田の差別申し立ては全力で妨害・無効化を狙って動いてトップに立つ。
トップのAikoku_Senshi 以下も、左派良識派は絶好調だ。
kincity そもそもこの手のネタ喜んでるのネット上のホモソ供で、それすらも「女が悪い」に帰結して内面化するやつが多くて、それどんなマッチポンプ?差別に怒ったら差別者にそれを表明しろ。黒人差別のデモとの違いはそこ
2020/06/05
「チー牛はたぶん男がやっている」という全然文章の主題じゃないところに話を逸らし、
元増田が言ってもいない「女が悪い」を捏造したうえで被差別者に強い口調で説教と戦法指南をして終わり。
本題である本件差別には触れたくないでござる!この被差別者の悲しみには寄り添いたくないでござる!という気持ちだけはよく伝わってくる。
「軍師様」「消極的差別肯定派」などと呼んで激しく非難する態度そのもので
そういうことをあっけなくやってしまっている。
RRD 生まれつきのブサイクと、それを病んでネジくれた結果のブサイクは別物で、まともな大人の社会はきちんと区別するよ。ルッキズムとかネジくれてると、まともな大人の社会には来れないけどな。
2020/06/06
「生まれつきの在日と、生まれを拗ねてネジくれた結果の在日は別物で、まともな大人の社会はきちんと区別するよ。」
「サベツガーとかネジくれてると、まともな大人の社会には来れないけどな。」
ふだんの差別問題に対する立場や体裁をかなぐり捨ててしまうほど強い敵意を持っているらしいことはわかる。
(ちなみにそういうクラスタじゃない人が結構ブサイク増田に親身な同情と助言や励ましを寄せている)
「黒人差別」「女性差別」「在日差別」のようなオーソライズされた差別以外の差別の存在を認めることは、差別反対派にとって不快なのだ。
オーソライズされないところにも無数の差別があるということを認めてしまうと
「黒人差別」などの特別性が希薄化されてしまう気がして不快になっている。
彼等にとっての差別とは、
まず特別で、敵と味方に分かれるもので、特にぶっ叩きまくるための敵は不可欠な、ハレの舞台なのだ。
冒頭に挙げたような「ブサイクで疎外されて心を病んでいる男性の声」などは、彼等を不快にさせる典型と言える。
だって日本人男性なんて普段からぶっ叩きまくるための敵に設定してるんだもん。
設定がぶれちゃうでしょ、っていう。
だからそんなやつが被差別者の聖衣をまとおうとしてるのが彼等には気に食わない。
おめーは凡人でありせいぜい敵担当なんだから身分をわきまえろと。それが彼等の腹の底。
もしブサイク増田が醜貌の替わりに「部落出身」とか「アイヌ出身」とか言ってたら反応はガラッと変わって、
それなら彼等は絶対に今のような反応ではない。
オーソライズ済みの種類の差別の告発なら、それだけの特別性を持ってくるなら、男であっても大歓迎だ。
彼等はアイヌ増田にならもっともらしい顔で同情と寄り添いのジェスチャーを済ませ、
不賛同のブコメに道徳的驚愕のジェスチャーをしながら非難しまくったに違いない。
まあ別にアイヌにも黒人にも思いやりなんか特には持ってないんだけど。
id:Aikoku_Senshiの場合はタグ付けでの更なる誹謗中傷も奮っている。
俺の不幸は女が悪い論
上記の通り「女がチー牛で差別してる」はこの人の誤読だし元増田は女が悪いなんて言ってない。
またそもそも黒人差別社会へのデモに「俺の不幸は白人が悪い論」とまぜっかえすのとどう違うんだろうこれ。
顔ではなく性格が悪い
「差別されてるんじゃなくてお前の問題なんだよ」という差別の申し立て無効化の18番
顔でなく生き様が汚い
声を上げた被差別者に人格攻撃をして差別問題をなかったものにしようとする典型的なやつ
もうコテコテの差別野郎・ヘイト野郎の言うこと全部やっている。
でもこの人含め、多くの左派良識派はこんな感じでありつつ、あくまで差別反対派なのである。
被差別者であろうとそいつが男とか日本人だと不愉快になりそいつのすべてが許せなくなるだけで。
(ついでに蛇足ながら、ブサイク増田は自身が男だとは一度も明言していない。
差別反対派がブサイク増田を男と断じてるのは単に国語力の低さであり、またよりムカつく属性としての男性性を勝手に見てしまったため)
ブサイク増田も確かに差別に遭っており、ありふれた被差別者である。
そして友達の多いゲイや有能な黒人よりよっぽど生き辛い人生を送っている可能性もある。
このような事実に向き合えば、
差別反対とは「オーソライズされた差別を暗記して徒党を組んで激しい言葉で敵を罵ること」ではなく、
他人に思いやりを持って接することだということに気付く。
スマートだったり自分に好意的だったり恋人だったり家族だったり美人だったりする他人と
不潔だったり態度が悪かったり利害が対立してたり酷いブサイクだったりする他人とを
区別のない思いやりを持って遇するということだ。
知らないサラリーマンのおっさんの禿げ頭がもたれかかってきても、
「寝かせておいてあげよう」という優しい気持ちを同じように持てる心のことだ。
これは簡単ではない。厳しい訓練の取り組みがいる。
たまに「私だって差別者になりうる」「自戒を込めて」とかコメントしてアリバイを作ったつもりになってもダメだ。
生活を律して常に自分を観察するという一種の修行の日々を踏むことで
我々は少しずつ差別を理解しその心を自分の中から削っていける。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4686702358555672194/comment/Aikoku_Senshi
でも日本人男性のような身分の低いやつらが声をあげたら全力で攻撃して無効化を図りマース。
こんな人は差別反対でも何でもないということが、ここまで読んだ人には分かったと思う。
背景と根拠を聞いたら、「コスト削減は経営方針だ」と繰り返す。
コスト削減が必要なのはわかるが、例えば「近年、ネット販売の比率が上がっているから、対面販売の経費は下げる、それで今までのリアル客の常連さんが離れても、仕方なし」とかいった方針・見通しをオーソライズするのがお前の仕事だろうと思う。
「コスト削減」を連呼する経営戦略室課長殿は、「すごく正しい」ことを言っている顔つきでそれが腹が立つ。よく見るとこいつ、顔の部品一つ一つが整いすぎだ。菊人形みたいな顔をしやがって。
菊人形課長は、エリートコースに乗っていて、順調に行けば役員コースらしい。
菊人形課長が階段を下りていく後ろ姿を見て、踊り場から勢いをつけてドロップキックを浴びせたい衝動に駆られた。いや、こういう奴にはキックじゃなくて、膝だな膝。ジャンピング・ニーアタックをかませてやる。菊人形だから、首の骨がぼきりと折れてバタンキューだ。ざまあみろーー。
しかし、自分の脚力と体重を考えると、菊人形課長まで届かず、自分だけが階段に落下して、脚の骨を折って松葉杖生活になる可能性大である。
こういう理不尽な世相だから、日本も米国のように銃社会であったならばと思う。
そうであれば、会社にライフルを持ち込みロッカーにしまっておいて、もう、カーッとなったら乱射事件ですよ。ライフルだと連射じゃないからカービン銃か。昔のマフィア映画みたいに、蜂の巣にしてやる。
しかし、カービン銃は会社の入り口で没収されるな。最近セキュリティ厳しいし。
それにやはり日本男児なんだから、らしく日本刀か。菊人形をばっさり斬りつけてやる。そのあと、振り回して皆殺しだ。「八つ墓村のたたりじゃー!」と叫ぶながらな。頭に鉢巻巻いてローソク灯して大暴れ。
血みどろになった職場を後にして、赴く先は、市ヶ谷の自衛隊駐屯地である。そこで演説である。「今ここで、クーデターより憲法改正より、天皇制より、もっともっと大事なことを発表する。それは、パンツのゴムが緩いと、ずり下がって気持ち悪いということだ」と叫き散らして、自決するのだ。しかしである、今は三島由紀夫の頃と違って、市ヶ谷の駐屯地はないらしい。第一、俺は私設軍隊を持ってないし、ボディビルして鍛えてないので、割腹自決は無理だろう。
結局は、サラリーマン生活で溜まったストレスは、溜め込むしかない。溜めて溜めて、恨みつらみを限界まで我慢して、最後は殴り込みをするのだ。背中に「唐獅子牡丹」の彫り物をしょって、池部良と一緒に「死んで貰います」と言ったあと大暴れしたい。
まあ、昭和の時代からサラリーマンはこうして高倉健の任侠ものなどを見ては鬱憤を晴らしていたのだろう。
俺も、久しぶりに「昭和残俠伝」見て、その後寝ようっと。
きついことを書くが、アンタのために書いているつもりなので、どうかこらえて読んでもらいたい。
まず、アンタは治りたい(本当は治癒というよりは寛解、もしくは自分のありようにおりあいをつけるということなんだが)のか。今だけ楽になりたいのか。どっちなんだろう。いずれにしても、アンタのやり方はよくないと思う。まずアンタが書いている時刻が問題だよな。俺は今日早く家を出る用事があって早起きして、アンタを見かけてこれを書いているわけだけど、アンタ、未だに夜寝られていないんじゃないのか。それは状況が改善していない証拠だと思う。
自分で病名を探して納得しようとする、っていうのは、メンタルの悩みを抱える人が陥りがちな穴なんだけど、こう考えてみてくれないか。直線が曲がって見え、色が違った色に見える、そういう状態の視覚で懸命に絵を描こうとして、絵が描けるのか? 少なくとも一人では描けないよな。もし無理矢理描くならば、定規なり補助者なり、といった「外部(自分以外)の基準」なしには絵は描けないわけだ。これと同じで、メンタルに問題を抱えた人間が、その精神的状況を自分で精査することは不可能だ。だから、医師なりカウンセラーなりの助けが必要だし、最終的な判断は彼らに委ねなければならない。
患者側が、たとえば amazon で大枚はたいて DSM-5 やそのマニュアルを購入し、自分にあてはまる箇所を探す……なんてことがありそうなわけだが、あれは臨床経験をちゃんと持った精神科医が診断の基準にするためのものなので、素人が自分の主観的に感じる状況をその中に探しても、あーここも、ここも、ここにもあてはまりそう……で終わってしまう。だから、自分で自分を「診断」するのはやめた方がよろしい。意味がないんだ。そういう例を山程扱っている専門家に委ねる必要がある。
ただし、患者側にもある程度選択する自由はあるし、選択することは考えないといけない。ニュースとかで見たことあるかもしれないが、安易な多剤併用の処方を漫然と行う精神科医は確実に存在するし、まともな指導を受けず、怪しい資格を取得してカウンセラーを自称するような輩も結構あちこちに転がっている。
だから、これから書くことをやってみてもらいたいんだ。うまくいけば、もっと自分の状況をよくすることができると思う。
まず病院を探すこと。近所にあるところにポンと入るのは駄目。さっき書いたような多剤併用を行うような医師に当たってしまう可能性もある。俺がこの手の話を相談されたときに提案するのは、その地域の保健所に相談することだ。保健所は、精神医療における自立支援医療の窓口になっているので、精神科・心療内科に関する評判が集まる。多少敷居の高さを感じるかもしれないが、邪険にされることはまずないから、一度行って話を聞いてもらいたい。
あと、ちゃんとした精神科医は、いきなり病名を決めたりはしない。何度かの通院の中で、状況を観察し、処方に対する反応をチェックし、最終的な病名を決定する。なので、先の多剤併用みたいなことがない限りは、多少辛抱強く通院する必要がある。おそらく最初は、抗不安薬と眠剤位しか処方されないかもしれない。それは、いきなり複数種の薬を処方しても、効果があるのかないのか分からないから。向精神薬ってのは微妙な薬で、同じように見える二人の人に投与しても、片方に劇的に効くがもう片方は副作用で苦しむだけ……みたいなことが結構普通に起きる。抗うつ薬等の場合は血中濃度が安定するのに長くて二週間位かかるものもあるので、飲み始めてそれ位経ってから効き目を判断しなければならない。最初は、まずひとつ処方して、二週間様子をみて、量を調節して、駄目そうなら他に変える、しかしいきなりやめると揺り戻しがくるから何週間かかけて減らし、他に変えて……ということを続けることになる。まあ、ちゃんとした医師は俺の書いていること位は説明してくれるけどな。いずれにしても、バファリン飲んで頭痛が治まる、みたいに安易にはいかない。そこは辛抱しなければならないところだ。むしろ安易にいくと軽々に言う医師はあまり信用できないということだな。
あと、いわゆるパーソナリティ障害に関しては、薬剤治療よりも精神治療(カウンセリングなど)が有効とされるわけだが、カウンセラーに関しては臨床心理士であるかどうかを確認した方が良い。他にもちょっと前に公認心理士という資格ができているわけだが、あの業界でオーソライズされている資格って結局は臨床心理士なんだな。専門の大学院で教育を受けないと取得できないし、資格が5年で更新され、更新にあたっては臨床実績がなければ無理、という制度なので、判断基準としては有効だと思う。カウンセリングに関しても、一度や二度受けてどうこう、というものではないので、継続的に受ける必要がある。
いずれにしても、医者は厭だ、自分で自分はこうだと思う、納得した!……では、状況はあまり変わらないよ。変わってりゃあ、もう少し朝寝坊もできると思うんだけど。医者は厭、を越えて、少しはマシな医者を探す、に行ってもらいたいと思うのだが。
仕事で行き詰まっている。眠れなくてこんな時間に増田に書き込む。
隣の課の人達が、激しく非協力的だ。
なんで非協力的なのかというと、まあ人員不足による所が大きい。理由は長くなるから割愛。
最初は、隣の課の課長から、「じゃあこういう風にしよう」と提案ももらい、その通りにすすめた。
次の日、その課長に再び話を降ると、「そんな進め方するの!?どうするつもりなの、ちゃんと計画書書いて提出して」と怒られた。
仕方ないので計画書を書いて提出し、打ち合わせを依頼する。
担当A氏と打ち合わせを行い、改めてこういう方針で行きましょう。では隣の課でこれこれこういう情報を揃えてください。
この時点で資料を作ったり打ち合わせの日程調整のため1週間程度経過。
再度課長に、こういう方針で決まりました。つきましてはこういう情報が必要ですので、お知らせください。
とお願いしたところ、
という全力の拒否が来る。
上司からは「打ち合わせをしよう」としか言われない。いつもそれしか言われないのは分かっている。
そして上司が加わった打ち合わせなら隣の課長もOKを出すのは分かっている。
さらにいざ進めようとすると「聞いていない」と後から言い出すのも分かっている。
あと何回同じ打ち合わせをすれば進むんだ。何回でもやらないといけないのか。
議事録とってないのか?と言われそうだが、取っている。
が、そういうのを見せると怒るのだ。
そうしたら「この方法でやるの!?君が全部指示してくれるの!?サーバの設定情報とか、全部指示してくれるの!?してくれないならやらないよ!?」
みたいな感じでキレてくる。
なお、自分にはサーバへのアクセス権限が無い。だから隣の課にお願いしなければならないのだ。
アクセス権限くれとお願いしたが拒否られた。拒否るならちゃんとやってくれ。
とてもつらい。
自動車とかよくわからんけど、例えばミニ四駆をつくるじゃないですか。
実際、そのコースを走らせて、一番タイムが縮まるようにチューニングすると思うんですよ。
というか俺ならそうする。
とりあえずよかれと思うセッティングで走らせて、パーツを変えて走らせて、それを繰り返して、一番いいタイムのものを作る。
と思うんです。
ミニ四駆の大会ってのは、ワンチャンスだから、市販車でやらかしたフォルクスワーゲンのあれとは一緒に出来ないけどね、程度の差はあれ、試験を想定したチューニングにはなると思うんだよね。
今のエンジンって、ガソリンと空気をこういう比で混ぜてバン!を繰り返すっていう単純な構造じゃなくてさ、こういう場合はこのくらいの比率、こういうタイミング、ああいう場合はこの比率で、ああいうタイミングっていうふうに、ケースわけして電子制御で最適化を図ってるわけで、「こういう」「ああいう」を設定する時に、なにか基準があるならそれに寄せてそこに最適化しちゃうのはわからんでもない。
これがね、安全性能の場合だと、かなり設計上のマージンはとるだろうけどね。
どんなに最悪の状態でも、このくらいの性能は出せるようにと設計すると思う。
でも、極端な話、ローギアで60km/hまでぶん回したときの燃費性能やら環境性能なんてみないと思うんだな。
極端なたとえだよ。
で、程度の問題となると、どこからが悪意で、どこからが悪意がなかったかっていう問題になって、
燃費だったらさ、カタログ燃費と実燃費との違いはすぐバレるもんで
「10・15モードとやらでそうだっただけで、実際のところはこんなもんか」
ってわかるけど、環境性能はちょっとやそっとじゃわからないってのが詐欺と言われても仕方ないなと。
もちろん、なんの商品とか、そういうのは言えないんだけど、やたらね、国や団体のガイドラインに適合することの重きを置いてるわけなんですよ。
製造部の、工場で実際に生産ラインにいる俺とするとね、なんか違うなと思うわけ。
「これをクリアすると市販はままならん!」っていう基準やガイドラインってのは、それをクリアするのは市販するための条件の最低限っていうラインで、そんなものをゴールにした開発ってのはものづくりの現場としちゃどうかと思うんです。
他の試験法や、もっと厳しい規格やらで試験したほうがって常々言ってるんですけどね、
「それはオーソライズされた試験法じゃないし、判定基準もオーソライズされていないから、意味が無い」
って具合でね。
「これをクリアすると市販はままならん!」って話も怖いですけど、フォルクスワーゲンみたいに「これをクリアすると補助金あげるよ!ガンバレ!」
ってのも怖いなと。
開発に限ったところだけじゃなくて、いろいろあるじゃないですか。
高齢者を雇用すると補助金あげますとか、障害者を雇用すると補助金あげますとか、環境に配慮した企業経営をすると補助金あげますとか、地元の高卒をとるとなんとやらとか。
どこの企業をみても、らくらくクリアしてるようなところはなくて、なんとかギリギリでクリアで補助金はゲットっていうことやってると思うんですよ。
ああいうのもね、なにかの機会に
「てめー、ギリギリ詐欺まがいでの要件クリア出来てねぇじゃねぇか!今までの補助金に金利つけて制裁金じゃボケ!」
ってなる恐れもあるんじゃないかと。
「ははーん、この補助金は貰っちまうと危ねぇ。俺の直感がそう言ってる」
ってのが経営者の才覚なんだろうなと。
経営者というのは、決断するのが仕事っていうけどさ、社長が一から十まで技術的なことや制度的なものまで理解出来てるかっていえばかなり難しいわけ。
たとえ解っていても、社長まで来るときには、もうね、承認してもらう気まんまんで資料もってくるわけだしね。
「ペテンにかけて承認もらって売りましょう!補助金もらえるから、粗利そのまま安く販売できて、たくさん売れるから、承認よろしく!」
なんて資料もってこないわな。
っていう資料に決まってるわな。
どうみても安全そうに見える道で地雷を踏まないようにするスキル、だれもが地雷原かと思っててビビって原っぱを「実は地雷埋まってないんじゃね?安全なんじゃね?」とリスクをとってゴーするリスク。
そういうことが出来るのが経営者の才覚。
説法ありがとね。
ブコメの方見ると「穢れは神道だろ」ってコメだらけで。
常識なんだね。知らなかったよ。はずかし。
禊がフィルタリングってのもなるほどねって思った。
あなたの説法を読んでて思ったんだけど、
古代仏教の「不浄」「浄化」って概念も現代日本と同じものだったのかな?
釈迦が弟子に言った「お掃除して、心も綺麗にしなさい」の「お掃除」も「許可する行為のこと」だったんすか?
お寺さんと関わりがない生活なんで、「坊主は不浄をオーソライズするのが仕事」って言われてもピンとこないし、
「不浄」って概念が「認可されてないもの」って感覚もあんまり分かんない
(分かる部分もあるけど。ヘイトとか関係してると思う。その辺、昔と違ってお寺さんが機能してないから起こることもあるんだろうねえ)
あなたの説法の中にあった「浄財」って感覚も、明治期以降の新興宗教あたりのもんだと思ってたわ
じゃあ、托鉢とかは?あれもお米やお金を渡して、お願いして許可して貰う感じなの?
ならばお坊さんは「ありがと」ってお辞儀する必要ないよね。仕事でやってんだから。
それはまた別なの?
「いきものはうまれたときからけがれをまきちらしながらいきてるけがれたものだっておしえこむの?」
ってのは、
「そうなんじゃね?」って思うんだけど。
それも折込済みの「生」だと思ってるんだけど。
それもまた偏った見方だと思うから、(私が考える)仏教的には合致しないんだけども。
不垢不浄!
まあ、ルール在り来の「宗教」なんだから、勝手に考えちゃダメだよね。
ごめんなさい。
で、本来の話に戻るけど。
あなたが言うナマグサ坊主とやらは「お前等にとって分かり易い例を挙げてやんよ」ってことで「おしっこ」持ちだしたんじゃあないの?
仏教のルールから外れちゃうけど、「わかり易さ」を優先した結果じゃない?
仏教者からすると「排泄物は汚い」って感覚持ってないとしても、説法聞く側にしてみりゃ卑近な例なわけでさ。
とか言ってるけど、多分その坊さん自身が「排泄物なんて汚い」って思ってるから出てくる言葉なんだろうけど。
そんな段階で人に説法しちゃあいけないなとは思うね。
冗長で散漫な文章になってごめんね。
神道は穢れ 穢れってのは混じり物ってこと
禊ってのは純粋化する作業であって汚濁を清らかにするって一般的なイメージの意味じゃない
汚濁ってのは「人間にとって使い道がない」って事で単一民族で形成された特色
これは血筋とか由来のものとかで一旦どうにかなったらリセットきかない
きかないかわりにそれを記録したものとして成り立つ
なので死んだらリセットがないので穢れ担当も神になれるようになってる
仏教のほうは不浄な 清められていないってこと
偉い人が「これはOK」って認可すれば良いってこと
多民族の広範な教理はあとから入ってきたやつも許可してやらないといけないからな
不浄ってのはえらい人がOKかNGか決めるわけで
逆にOKがでたらうんこでも食わないといけない
祝福されたら水でも石でも食えるようになるからな
それは土地によって気温が高くて腐敗と管理が難しい動物も食べるのNGにしたりするのな
うんこって決定されたらもう救われないの?ってのを助けるために
阿弥陀 このよのすべてに
仏とかなんとか ○○の名において
って唱えるのな
ダメなものでも自然にかえれば循環してもどってくるので最悪死んだらなんとかなる
また不浄な思いやらお金やらなにやらがでてくるのでオーソライズしていかないといけない
賽銭したりな
そういう意味でお寺は病院と同じ 病気になったやつが病気をもってきてそれをおいて変えるみたいな
興味があったら神学でもやってくれ
ただぼうずがごちゃまぜでうんこはきたないとかいってたらてめえ便所掃除の修行はきたないものをいやいややってたのかボケって殴り倒してもいい
NGが発生したものを救済するのが仕事なのに汚いとかいうやつは職務怠慢すぎる
おまえらのあつめてる賽銭もうんこだから仕事しないなら放り出せといってやれ
穢れとかいうなら穢れの神様としてその役を担ってくれるありがとうになるはず
http://ameblo.jp/colabo-yumeno/entry-12012978757.html
この記事について。まー、わりと、この人なんもわかってないよね。
要するにだ、この手の委員会の意味ってのは、ほとんど事務局(行政)のプランをオーソライズするところにしか意味が無いってこと。ここでできることというのは、行政のプランを認めるか、認めないか、ということしかない。どんな行政の施策だってメリットやデメリットがあり、利害関係者を100%納得させることなんて不可能である以上、どこかでえいやと決めなきゃならない。そこで、行政は外部有識者を使って、その施策が正しいとオーソライズする必要があるわけだ。その意味じゃ、こういう委員会やら協議会というのは行政のアリバイ工作でしかない。
さらに言えば、彼女の言う通りにして、この手の委員会が活発な議論をして、きちんと意見やプランをまとめ上げるというのはほぼ不可能に近い。この手の有識者というのは、その選任について利害関係者や政治家の意向というのを無視できない。そうなると、この仁藤夢乃みたいなバリバリの福祉ボランティアみたいなのも選任しなきゃならないし、凝り固まった教育ママのなれの果てのようなオバサンや、ゴチゴチの右翼みたいな教育評論家を自称するオッサン、あるいは教育問題について一家言ある大学の先生などなど、様々な意向のある人間を集めることになる。そして、彼らの意見を集約しようとすれば、対立の果てに結論が出ないことになるか、あるいは、妥協の果てのキメラのような歪な施策しか生まれない。まさに、ラクダとは委員会がデザインした馬であるということわざのとおりにしかならない。
ついでに言えば、オーソライズをするという機能を果たすためには、その委員に権威性が必要であり、権威がある人というのは忙しく、高いギャラを必要とする(高いギャラそのものが権威の標章なのだ)ため、実質的に勉強し施策をプラニングするようなことは出来ないのだ。もし、ここでまともなプラニングをしようと言うならば、委員に今の100倍のギャラを与えて、スタッフを雇わせて、シンクタンクを形成し、協議会をプレゼンテーションの場にするぐらいしか方法はない。それでも委員の報酬が無駄だって言うなら、この手の委員会だか審議会だか協議会だかをやめちまえばいいんだが、やめたらやめたで施策のオーソライズが出来なくなるので、事務局は利害関係者の意向を汲んだキメラを作るか(今でもその傾向はあるが、さらにひどくなるだろう)、あるいはぶっ叩かれて何もできなくなるかしかない。
結局のところ、施策を展開するためには予算が必要であり、予算を認めるのは議会であり、議会は様々なバックグラウンドや利害関係を背負った議員で構成されているんだから、単純な正義が通ると考えているのは愚かを通り越して、最早害悪でしかない。
その上で、彼女が自分の正義を実現したいならば、委員の立場を利用して事務局に積極的に関与し、あるいは情報提供をしたり、逆に情報提供を受けたりして、事務局の原案からいじらなきゃならないのだが、こんなブログ記事を上げた時点で腫物に触るように扱う委員の枠に入ってしまったので、そのやり方も無理だろうね。ご愁傷様なことです。
欠陥住宅とか、過労死告発とか、告発系サイト(ブログ)、というのがある。
「単なる被害妄想じゃないの?」とか「言いがかりつけようとしてるんじゃないの?」と、
本来なら、新聞社なりテレビ局なりが、ちゃんと取材に来てニュースにしてくれれば
「大マスコミのお墨付きが付いた」となって、人々も信頼するようになるが、
この手の告発リークに、いちいち付き合っている余裕はない。
(例えば尖閣ユーチューブ事件、あのデータをマスコミに送り付けても、それをまともに
相手する余裕は、マスコミにはない。
この手のリークが、1日に数百件数千件もあるから)
ではどうするか?
ここで提案だが、企業会計に対して監査法人が会計監査して「お墨付き」を出す、
あるいは新築建築に対して第三者機関が施工チェックして「お墨付き」を出す、
「ここに記載されている内容に、相当の蓋然性があります」という「お墨付き」を
有料で出すサービスをしてはどうか?
お墨付きを出す機関としては、マスコミ子会社、弁護士などが考えられる。