はてなキーワード: ステージママとは
俺たちというのは具体的には
昭和の終わりに北公次の本が出たり世紀末に文春裁判が報道されてた頃には物心がついていて、
ジャニタレが出てるバラエティやドラマ見て視聴率に貢献したり、
カラオケで歌ったり
ジャニーズ事務所やジャニタレのやることをネットでわりかし好意的に騒いだり(例えば最近だとTOKIOの農業に関する活動とか)
していた俺たちのことだ。
俺は「光GENJIへ」が出た時のことを覚えてる世代なんだが、
告発もあって光GENJIの人気が落ちてその後の忍者とか男闘呼組もイマイチパッとせず
まあそりゃあんな話が出てきたらなあと思ってたらそのうちSMAPが人気になりV6の学校へ行こうとかDASHとかも流行りジャニーズ帝国とか言われてるの見て、おいおいと思っていた。
年齢的に光GENJIがやられてるならSMAP辺りも該当するはずなのに、よくわかってなさそうな若い女の子だけじゃなくてその当時のいい大人の男も女もふつうにキムタクとか中井のドラマ見てたもんだから、これいいのか?ってさ。
ジャニーズに入ろう、入れようと思う人が多いのは
一過性の女子供のアイドル以上の存在、男にも憧れられる国民的なアイドルになれるチャンスがあるからなのは大きいだろう。
しかも年取ってもバラエティやドラマの派手な仕事ができて安泰。
NHKディレクターが告発者に「親が知っていたら入れてたと思うか」と質問してたが、
未成年の娘をヌードにしてまで話題を作ろうとするステージママもいるぐらいだから、
息子がスターになることを期待して、知ってて入れてた親もいるんだろうなあと思う。
これは別に被害者を責めたり逃げられたはずだというつもりでは全くないんだが、
我慢してデビューできたらスターになれるかもしれない、一生安泰だという思いがあったから今まで告発する人があまりいなかったり、事務所に残って稼ぎ頭や広告塔に結果的になってしまったタレントがいて、被害者をさらに増やすというサイクルになっていたんだろう。
せっかく我慢しても稼ぎを回収する前に人気が落ちて派手な仕事もなくなって終わり、
ドラマやバラエティも出たら視聴率が下がるから出れない、男が真似する存在になんてなりようがない、
大多数の人間からはあの事務所だとバレると好意的どころか気の毒がられる
そんな存在であれば、事務所に入ろう、入れよう、続けようと思う人もこんなに多くなかったんじゃないだろうか。
告発者を叩いてる層の文面とか見ると、イマイチジャニーのやってた事の重大さをわかってなさそうというか、若そうな感じがするのだ。
まあ普通に考えてジャニーズにのめりこむのは10代~20代と考えると、
過去の報道の頃にはそもそも生まれてないか物心ついてない年なんじゃないか。
業界人やマスコミ、メディアは性虐待の実際の所を知ってたり知るルートもありそうだが、単なるファンにそういうルートがあるかというと、年齢とか考えると過去の噂程度にとらえてたんじゃないだろうか。
ジャニタレが披露する「ジャニーさん」のおもしろエピソードを真に受ける程度の知能で、ある意味「ジャニーさん」のファンでもあったからああいう反応になるのかもしれない。
そういうことを考えると、
だからこそ、ファンではない、冷静で常識的なまとも判断力のある俺たちが、
告発本か、おそくとも裁判の報道のタイミングでジャニーズの息の根をとめておくべきだったのだ。
お茶の間のスター、皆の人気者、馬鹿にされつつも愛される存在なんかじゃない、
事務所にいる限りは気の毒な被害者で、間違ってもあこがれるような存在ではない、
出てるものは買わない見ないまでは現実的に難しくても、少なくとも好意的に話題にしたり歌ったり真似したりするべきじゃなかったのだ。
ジャニタレに好意的な知り合いがいたら、悪徳事務所に加担することを咎めたりするべきだったんじゃないだろうか。
狂信的なファンは一部いるかもしれないけど、世間一般から白い目で見られる事務所。
そんな存在にできていれば、世代的に考えて今話題になっている告発者が被害に遭うことも、告発者を叩くファンが生まれることもなかったんじゃないか。
少なくとも、男同士の性虐待が具体的にどういうことなのかはっきりわからない年頃で
俺たちにも責任の一端はあるんじゃないだろうか。
一連の報道を見てそんなことを考えている。
ステージママかな?おつかれさまでーっす。
あなたの目線に、「放置されている実在児童の搾取」事例が全く目に入っていないことはよく分かったよ。
たとえば、10代グループのアイドル、高校野球を「児童の搾取だ」として批判する意見は、この社会で十分聞き届けられているだろうか? その結果改善されているだろうか? 背景にある膨大なステージママ、コーチ親父の存在に搾取と虐待という視点で切り込んだ事例がどれくらいあるのかな、そしてその結果それはどの程度改善されたのかな? はっきり言うけど、ほぼゼロじゃね?
街を歩いているだけで見かける、子どもに罵声を飛ばす親。明らかに不健康な時間に連れ回す親、周囲の大人は通報してるかな。通報して、取り合ってもらえるのかな。それこそ「グローバルスタンダード」では考えられないことじゃないの? なぜそこには目を向けない? どうして今日も子どもの車内放置が起きる?
性的な搾取、被害に限っても、大多数は親族からの加害というデータを無視して、どうして不審者にばかり目をやる? 「親子の在り方」「家族の在り方」や「児相の権限拡大」に切り込もうとせずに? そして髪を染めさせ盛り盛りキャバ嬢の真似をさせる親を、問題視しようともしない? それで、ネットでこそこそと「Vtuberが問題ですぅ」って書き込みって、アホか。
日本はまだ治安もそこそこだから、堂々と実在児童の性的搾取が行われたりしているケースは少なく見える。だが、非合法に近い滞在外国人やその子どもに関して言うと、しっかりと権利が守られているか極めて危うい部分もある。人身売買について、日本は割と危険な国だと認識されているのは理解しているか?
「Vtuberのここが嫌い」って意見なら堂々とそう言え。キモいでもなんでもいいだろう。だけど、自分を正当化するために、【現実にある】子どもの人権侵害や搾取の問題をそういうくだらない話に矮小化するな。そういうの、本当に迷惑だ。
冷静に説明してくれているが、少しポイントがズレていると思う。そして、そのズレはなかなか問題だ。議論の根幹に関わるので、少し丁寧に説明する。
「内心の自由があるよ」という趣旨の擁護論は、おおむね「●●なんて取り締まれ!」「そんなこと考えること自体が犯罪」という無茶な主張に対して、「内心の自由が保障されている(だから取り締まりは無理だし、考えること自体は犯罪ではない)」という意味で述べられるのであって、「内心の自由が保障されている(だから俺の妄想を常に全開にしてオッケー)」という意味ではない。仮に後者の意味で述べている人がいるとすれば、それは確かにダメな人なので諄々と諭す必要があるし、あるいは盛大に自爆するのを待って(法に触れる書籍なりを出版するのを待って)粛々と取り締まればよいが、あなたの文章の表題の「内心の自由はない」という言い方は前者を含めた否定論に聞こえてしまう。あなたが説明するとおり、実際に法で取り締まるというのは無理筋なのであるから、過激な批判者から見ればあなたもまた「内心の自由はあるよ」論者に見えているはずだ。そして、実際にそうだ。過激な批判者からすれば、あなたは憲法19条による内心の自由が保障されると述べているわけで、彼ら彼女らからすればこれは「児童性愛を擁護する」ものに見えるだろう。(あなたはただ憲法19条の趣旨を説明しているだけであるにも関わらず、だ。)そういう状況を踏まえた上で、
児童性愛を擁護する言葉を声高に発する人たちは、控えめに言って、人でなしだと思う。ネットで規制を強く主張しているような人たちへの想像力と、家庭内での性的虐待に関しての知識が足らない。
という言い方は、これはやはり言い過ぎだと思う。あなたの発言は対象が広すぎるのだ。性的虐待サバイバーへの配慮を求める気持ちは深く理解できるが、それは、普通に認められる人権を不当に制限する行動に加担する理由にはならない。
それから、
同性愛は社会的に認知されつつあるが、児童性愛が犯罪でなくなることは、人権という概念が存在する限り、ありえない。古くからのタブーである同性婚が人権意識の発達とともに社会的に受け入れられてきたのに対し、児童婚はその逆だ。前近代は問題視されていなかったものの、近代化が進んだ結果禁止されてきた。人権意識の発達にともない、未成年者の判断能力の欠如が問題となったため、未成年者の婚姻の権利、恋愛の権利、契約の権利などが制限されることになったからだ。
この部分も、歴史的文化的に見れば、必ずしも正しい説明ではない。「人権意識」によって「未成年者の判断能力の欠如が問題となった」というのは、論理的に言っておかしいし、それにそんなことを言ったら、児童の権利条約など成り立たなくなってしまう。正しくは、「人権意識」の発達によって、肉体的、精神的、あるいは性的に搾取される社会構造に対する批判が高まった結果、特に犠牲になりやすい立場の人間が立ち現れてきた、ということに過ぎない。そこに線を引いたのは人権意識であるが、あらかじめそこに差があることを前提とする物の言い方は適切ではない。聡明なあなたなら、この違いは理解できるだろう。この二つの見方の違いは、次のような帰結につながる。
(前者・誤)「児童が劣っているから、保護し管理してあげることにした(ゆえに)児童の活動等の権利は制限されるのが当然だ」
(後者・正)「児童が犠牲になっているから、様々な活動に制限をかけることにした(ゆえに)大人とされる人の一部の行動には規制がかかって当然」
私は後者の立場に立つ。児童の権利条約等が立っているのもその位置であり、前者でないことは明らかだろう。私はあなたの「児童の~恋愛の権利~などが制限される」という言い方に深い危機感をもつ。制限されるのは「大人の行動」の方であり、「児童の権利」ではない。そこにこだわるのは、「児童の権利を制限できる」というあなたの物の言い方に、上に書いた〈憲法を無視した規制論を述べる人〉と同様の危うさを感じるからだ。
実在児童への性的虐待はもちろん問題だ。それは厳しく罰されるべき行動である。当然のことだ。
だがしかし、そこで規制されるのは「大人の不法な行為」である。「大人の内心」ではないし、「児童の権利」でもない。少し厳しい言い方をすれば、「児童」は一部の方の管理保護する「お人形」ではなく、一個の人間である。「児童のため」「子どもの安全のため」を掲げて、児童の権利を制限し大人の内心を規制しようと主張する人々は、「児童」を自分に都合のいい人形として、手元に抱え込んで扱うことができると考えているように見える。「自分は児童の代弁者で有り保護者であり管理者であり、児童を守る自分の言葉は全て正しく自分に反対する人間は児童虐待者なのだ」と。そういう考え方は、思想信条に制限をかけたい(まさに、大衆を自分の人形のように扱い、管理し保護し監督したい)人々に、非常に利用されやすい考えであり、それは大変危険なことだと私は憂慮する。
そもそも私は、「大人が児童を搾取する」行動は、もっと厳しく取り締まられるべきだと考えている。「子どものため」との言い訳の下で行われる搾取は、時には関わる大人・児童両者ともそれを虐待と意識しないケースも多い(たとえばステージママと学校にもロクに行かされないアイドル志望少女のように)。だが、それは明らかに搾取であり虐待だ。法に定める義務(保護者に課せられる、教育を「受けさせる」義務)に反した(大人の)行動であり、それは厳しく取り締まられなくてはいけない。
だからこそ、実在の児童に対して行われているそれらのリアルな「虐待」を放置しておいて、心の中で妄想しているだけの人のその妄想自体を問題視し、存在自体が病であり罪であるかのようにあげつらう物言いには違和感しかない。みんなが手の内の「児童人形」の話をしている。そんな状況で、「実在の被虐待児童」を救うことができるのか? それでもあなたは「家の中で妄想する人の妄想」を取り締まることが、「実在の被虐待児童」を救うと主張するだろうか。