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はてなキーワード: 帰結とは

2020-03-20

anond:20200222013401

男の胸に男は性を感じない人が多いけど、女の胸には女も性を感じる。

股間については、言うまでもなく。(性そのものだもんね)

女性男性sexy point が 2:1 の対応なので、男は股間言及するしかないんだろ。

フェチは、普遍的じゃないかフェチなんだ。

それを女は不公平だと騒ぐ。

性ってば、子孫へと世代を繋げるための大事な要素で、でも普段から意識する必要性は低いし、おおやけにするものでもない。

子を産み育てるには、女の2つの sexy point必要なのだ

男が普遍的自分おっぱいをあげることは、どうやったって無理なのだ

から女は女を隠せと言う。

一方で、乳首を隠さなければならないのは女性人権侵害であると言う。

さなければならないものではないと、トップレス行進までしてみせる。

結局、満足な自己承認が出来てないってことに帰結ちゃう

もっと子作りの敷居が低い世界になあれ。

2020-03-13

新型コロナ「ばらまいてやる」の男性傷害罪を問えるものだろうか

コロナ「ばらまく」男性捜査へ 飲食店の従業員感染 愛知県警(時事通信) - Yahoo!ニュース

 ついに威力業務妨害等の容疑で捜査が始まるらしい。ところでブコメでは傷害罪に問うべきという意見も多かったと思う。

 ブコメでも出た性感染症の事例(昭和25(あ)1441)を見れば確かに傷害罪は成立しうるとも見える。

 ただ個人的には今回の件と同一視できるのかという疑問もある。刑法に関してド素人中のド素人である自分が語っても仕方ないのだが、詳しい人がいたら意見をください。

(1) 因果関係

 基本的刑法では「その行為がなければその結果が生じないであろう」(コンディチオ公式)という条件関係が成り立たねばならないとされている。もちろん単純にこの公式が成り立てば因果関係が成立するというわけではない。例えばAが交通事故を起こして傷つけた相手Bが救急車に運ばれている最中地震が起きてBが倒壊したビルに下敷きになり死亡した場合にAがBの死まで刑事責任を負うというのは考えにくい。まあ、このあたりは相当因果関係説やら客観的帰属論やらの領分だろうと思うので重要だろうが今回は無視する。

 ところで、性感染症の事例ではこの公式比較的容易に確かめやすい。飛沫感染接触感染するわけでもなくほぼ性的行為やその類似行為をした場合感染すると分かる。対象も絞れるしそこから性感染症の持ち主を同定するのも必ずしも難しいわけではない。要するに「その性的行為がなければ感染は起こらなかっただろう」というのがほぼほぼかると言ってよい。

 一方で、新型コロナ場合はそうとも限らない。飛沫感染では可能性を絞り切れない。もちろん現状濃厚接触者の絞り込みはできていると言えなくもないが、もしかしたら自覚症状のない感染者と接触していた恐れがないとも言えない。実際今回は直接接客していない店員感染が認められたという。すると結局「被告人利益」ということで無罪推定原則対象になるかもしれない。

 一応関連して疫学因果関係疫学的条件関係)という考えもある。疫学証明病理学的証明により合理的疑いを超える確実な事実認定するという考えで今回の件でも使えなくもないかもしれない。ただ、これが採用された判決の多くはさつま揚げ中毒事件のような広義の公害事件である。また千葉大チフス事件のようなものもあるが、こちらは医師赤痢菌やチフス菌を食品に添付したり注射で投与したりしたというとんでもない事件なので、今回のように感染個人が濃厚接触を試みるといった程度の話に援用できるかは微妙な気もする。

(2) 故意に対する認定

では、今回の女性のように、「故意感染させるつもりがなかった」場合はどうなるのか。鈴木弁護士は、「過失と認定するのは難しく、感染させる可能性を認識しつつ認容していたら『未必の故意』があったと判断されるケースが多いのでは」と述べ、傷害罪適用される可能性が高いと指摘した。

「HIV」隠して関係もつと犯罪になる? 男性怒りのブログ投稿で話題に : J-CASTニュース

 次の論点に行く前にここを押さえておきたい。要するに性感染症場合感染認識があるのに感染リスクのある行為を行った時点で未必の故意が認められ傷害罪適用されるだろうということが書かれている。では、少し話は変わるがインフルエンザ場合はどうだろうか?感染リスクがある行為を行っただけで傷害罪となるだろうか?とすれば、インフルエンザに罹っているにも関わらず出勤するような行為傷害罪に当たるのではないかという話が浮上する。だが、これは一般には認められないだろう。性感染症感染リスクのある行為性的行為でありしか一般にそうした行為を行えばほぼ確実に感染するであろうという認識(実際にそうかはさておき)が存在する。例えば性感染症者と性行為をしたと判明した時と同僚がインフルエンザと判明した時を比べてみればいい。前者の方が感染しているかもと思うだろう。それなりにお気楽気持ち通勤してくるインフルエンザ患者がいる(しそれを許容ないし強要する会社がある)のはそういう理由である。つまり感染リスクといっても程度に差があり、性感染症場合は結果の発生を認容しているだろうから未必の故意が認められインフルエンザのような場合は結果の発生を認容しているとまでは見ていないだろうから未必の故意が認められないということになるのではないかしかし、だとしてもまだ問題がある。

(3) 過失傷害との関係

 素人考えだが実はこちらの方が問題なのではないかと思っている。刑法には過失傷罪の規定がある。これは逆に傷害に該当する行為特定する際に過失傷害のことを念頭に置いておかなければならないという意味ではないか。言い換えれば、故意を伴う特定行為傷害罪認定した場合故意はなくとも過失を伴う同様の行為をしても過失傷害として刑罰を与えなければならないということになるのではないか。例えば今回の新型コロナの事例では移す故意を持って濃厚接触した男性傷害罪とした場合インフルエンザを移す過失を犯した人も過失傷害で罰さなければならないという帰結になりはしないかということである

自分性病感染していることに気付いていない場合には、理論的には過失傷害罪の成否も検討されますが、感染に気付くべきだったという注意義務違反(過失)というものはなかなか観念しにくく、また立証の困難さを考えても現実にこれを処罰することは難しいと思われます

知っているにも関わらず!性病隠しての性交渉は罪?(JIJICO) - goo ニュース

 まず性感染症場合に過失傷害を想定するのは難しい。これは以上と(2)で引用した文に沿えば、(a)感染に気付くべきという注意義務が考えづらく(b)感染認識した上で感染リスクのある行為性的行為)をした場合には過失ではなく未必の故意があると認められる、という2点にまとめられる。しかしこれは性感染症特質ゆえではないか

 例えばインフルエンザ場合を考えてみよう。インフルエンザ場合は大抵熱が出る。特に冬であれば少なくともこの時点で風邪インフルエンザかという発想になるし、熱が高ければインフルエンザかもしれないと感付くだろう。つまり(a)感染に気付くべきという注意義務が想起されにくくとも感染認識自体は朧気なりとも持っていることが多い。感染認識をしやすいとも言えるかもしれない。新型コロナ場合は逆に風邪に似ていて逆に感染認識しづいかもしれないが…。一方で、(b)先ほど(2)で述べたように未必の故意までそうそう認められないだろう。しかし、これは性感染症では未必の故意が認められる範囲が過失として認定されるという可能性を排除しない。

 そこで新型コロナインフルエンザに過失傷害問題が生じる。性感染症と違い未必の故意をそうそう認めず「移してやる」という意思があると立証できた場合のみを故意とするよう厳格に解釈しても結局過失傷害範疇から逃れられない。インフルエンザや高熱の認識があるのに通勤してきた人間は恐らく過失を認められるのではないだろうか。特に咳エチケットを守らないようなのは他者への感染という結果を全く回避するつもりがないと言わざるをえない。こういった事情法令解釈に読み込んでよいのかという意見はあるだろう。しか裁判官人間であるから同程度に説得力のある解釈が2つあればいたずらに社会不安を招くような解釈でない方を(因果関係論など他の理由をつけて)選択やすいというのもまた事実である

(4) 以上のような指摘を回避できるか

 と言っても上手く構成すればここまで書いてきた問題回避できるかもしれない。

 第一に新型コロナのような新しい感染症とインフルエンザのような日常的に存在する感染症を分けることができればよい。例えば次のような文章風邪インフルエンザであっても傷害罪可能性はあるという前提の元で書かれているが、因果関係問題現実処罰は困難だろうとしている。

また、誰からうつされたかという点についても、よほどの閉鎖空間で、特殊病気を持っているのが加害者しかありえないということであれば、特定の人からうつされたと証明することも可能かもしれません。

しかし、多くの人は日常生活を送る中で膨大な数の人と接触していますから病気うつされたとしても、誰からどのように感染たかは分かりません。

そのため、現実的にはただの風邪インフルエンザといった感染症をうつしてしまったとしても、傷害罪として処罰されることはないと考えてよいでしょう。

病気を人にうつしてしまったら犯罪か? | 福岡の刑事事件に強い弁護士による無料相談

 私は(1)で、因果関係について性感染症インフルエンザ・新型コロナの間に線を引いたわけだが、インフルエンザと新型コロナの間に線を引ければ今回の新型コロナ患者傷害にしようと多くの人に問題は生じない。つまり新型コロナは濃厚接触者が現段階でもある程度把握できることが多くこの程度の蓋然性の高さであれば因果関係を認めてもよいだろう。一方もはやよくあるインフルエンザでは飛沫感染とはいえ絞り切れないか蓋然性が高いと立証するのは現実に困難だとさえ言えればよいわけであるとはいえ新型インフルエンザが突然生じて感染した場合にはおおよそ感染ルートが特定されてしまうので過失傷害罪で罰せられる可能性は否定できなくなってしまうようにも思える。

 第二に過失犯の成立が困難であれば問題がない。要するに故意による傷害罪が新型コロナインフルエンザで認められても過失が認められる要件が厳しければ多くの人には特に問題が起こらない。1つには過失傷害親告罪であることを利用し一般市民の善性を信じるというわけである。もう1つには実際に理論上過失犯が成立する条件が厳しければよい。過失論はよく分からないが大抵義務違反などを想定するはずなのでそのあたりで何かできたらいいんじゃないか的な話で、まあそこは詳しい人に任せる。

 まあ、何か書いてて刑法のこと全然分かってないな感が伝わってしまったと思うのだが問題提起ということで許してほしい。

2020-03-09

ゲーム面白さは「未来」にある

ゲーム面白さ談義

以前増田にてゲーム制作増田猛虎弁だった)と面白さの要素とは何かという話になった。自分はとりあえず面白ゲームには繰り返し要素がある、とだけ返しておいた。しかし繰り返し要素が必ずしも面白さに直結しないのは自明で、繰り返すから飽きられるゲームと、繰り返したくなるゲームの違いは論じることができなかった。

実のところ、ゲームの繰り返しを行う上で脳内では「試行錯誤」が繰り返されている。何を当たり前のことを、と思うかもしれない。しかゲームにおける試行錯誤を更に還元すると「着地点/完成」を探している自分がいることに気づく。例えばハクスラRPG場合プレイヤーは沢山の装備や魔法職業を取捨選択して最適解を探す。言ってみれば安定するかどうかを探していると言っても過言ではない。なぜならこの鉄則は全てのゲームに当てはまるからだ。格ゲーもそうだ。格ゲーコマンド入力フレームリーチディレイなどを頭に叩きこんで安定して勝てるパターンを作り上げてゆく。パズル連鎖を頭に叩き込んで最も安定して高得点を出せるかどうかを練り込んでゆく。



未来とはなにか

ゲーム面白いと言えるシンプルな要素がある。それは「未知」だ。人は未確定で未知なるものを探求する脳の構造をしている。とりわけこれは狩りに必要だったらしく、やはりゲーマー殆ど男性である断じてジェンダー論に帰結するつもりはない)。未知のものを安定させる間が面白さになっている。曰くどう立ち回るか。曰くどう早解きするか、どうすれば早くアイテムを回収できるか。どうすればイベントが進行できるか。このときプレイヤーは未知を楽しみながら未来の着地地点を夢想している。この夢想が更にプレイへの希望をもたせることに一役買っている。まるで人生設計のようだが、実のところ未来への希望を抱いて確定できる「かも知れない」チケットを購入する時点で人生はまさにゲームである

となれば次なる問題は自ずと浮かび上がってくる。ゲームバランスだ。



ゲームバランス

ゲームバランス基本的にな何が破綻せず、何がノーマライズされているかを突き詰める作業ではないかと考えている。いわゆるバランスだけに絞れば出てくるアイテム能力も平均的なものにならざるを得ないし、一点突破させるには他の強さも並列して上昇させなければならない。実はこの問題には解決策がある。破綻した強さに弱点をつけるのである。これを国内で有名たらしめたのはかのFFシリーズだ。FF画期的な要素の一つとして弱点属性なるものがある。これは完全にじゃんけんになっており、いずれかが一方的に強いわけではない(もっとホーリーフレアなど規格外の無属性存在するが)。この完璧ではないもどかしさが重要である。数あるカードゲーをプレイした人はわかるかも知れないが、壊れカードには必ず致命的な弱点が存在する。弱点は完璧性の欠けであり、未来を夢見るプレイヤーにとってできうる限りの完璧を目指すきっかけとなる。ここで多くのプレイヤーが夢中になるのである完璧ではない現状に多くのプレイヤーは満足せず、何がしかの補助手段で弱点を埋めようとする。しかゲームバランスが優れたゲームはその補助も渋い仕様になっており、そう安々と運用させてくれない。

かくしてプレイヤースキルが上昇してゆく。

だが一方で、やりこまないタイプの人もいる。例えばバイオで一周すれば無限ロケランが手に入ると聞かされても、イージークリアすれば十分弾薬も足りるだろうという心境の人たちだ。



ストーリー

こうした人たちの楽しみとは、ゲームに一度きりだけ没入できる演出や飽きるまでの操作感、そして何よりストーリーだろう。

ストーリーは未知に対する動機の一つとなる。プレイヤーはまだ見ぬ着地点であるエンディングに向かってひた走る。少なくともゲームという体感する分野においてストーリー体験して消化する最も大きな要素の一つだ。しかし多くのゲームシナリオがメインではない。あくまでもその世界プレイヤーが何をするかが主軸になる。したがってシナリオクリア後、前述の彼らはゲームパッドを床においてしまう。なぜなら彼らにとってシナリオの完結はゲームという体感世界における完成形であり、それ以上のやりこみ意味を感じられないからだ。実はこの問題には以下のような仕組みがある。

例えばプレイヤーが一周目をクリアして隠し要素が姿を現したとしよう。この場合隠し要素を観るためにプレイヤーゲーム性のみならず「シナリオを含めて」続きをプレイすることになる。この隠し要素の方向性はとても大事だ。なぜなら新しい要素があることと、今までやりこんだ高難易度版が敵配置を変えて登場する、などでは意味が変わってくるからだ。後者場合基本的にはやってもやらなくても知ってることだらけであるし、前者の場合未知は残されている。また、マルチエンドのゲーム場合でも別ルートは未知であり、多くのプレイヤー分岐を試したくなってしまうだろう。

まとめるならば、ゲーム面白くしたいならば、「完成形に向かって未知を突き詰めようとするが、実際には完成形などない」状態を作り出すことだと言える。先程は人生に似ていると言ったが、この感覚習い事にも通底する。プレイヤー学校会社から帰ってきて、学習効率の良い箱庭でまるで仕事のような成長を楽しんでいるのだ。

わざわざである。この体験学習現実世界のロールプレイでもある。

2020-03-05

規制という麻薬により、結局表現は狭まっていくしかないのだ

良いとか悪いとかじゃなくて。「これからは人を傷つけない笑い」とか聞いて考えた。

表現には「幅」がある。ある表現方法規制されても、他の表現をすることは可能である

しかしそれは幅を狭めているのは間違いない。だってタブーゾーンがあるんだから、その分は狭まっているのである

「その分深堀すればよい」という人もいるが、それは詭弁だと思う。深掘りったって、そこには飽きがあるよ。一部のマニア向けならいいけど。そのなかでたまに光る石も拾えるけど、それって絶対数少ないよね。

で、幅が狭まると、今度は別のものが気になってくるよね。例えば不快指数

0 5 10 2000 50 20

とかあったとして、これ2000やべーだろとそれを規制する。まあそれはいい。

そうすると、次は50が気になってくるわけ。excelで表書いてみ。気になるから

そうするとしばらくすると50を規制しようとするよね?以降繰り返し。どこかのごく細い幅に帰結する。その幅だって小数点まで気になってくるかもね。

こんなこと大昔からわかってるはずで、だから規制って慎重にならなきゃならないね~みたいな話があったはず。(規制に慎重という理由はそれだけじゃないけど)

だけど、規制ってやっとき文句も出なくなるから文句そんな言ってない人も「やりゃいいじゃん」でやっちゃうんだよね。

規制麻薬なんだよね。そうしていつの間にかスッカスカの体になっちゃう。

でも悪いもの規制しないと、それはそれで肥大化して死んでしまう。

バランス大事なんだよね。バランスってなに?主観しかないよね。

から規制から逃げられないんだよね。

規制ってのは、広くとって、好みともいえるよ。どつき漫才みて笑ってた人でも、ひとたびステレオタイプさらされれば、もう逃げられない。同じもの見たって、「うーんこれはダメでしょ」となって笑えない。

ただ欲求だけは中々解消しないんだよね。そうするとアングラがどんどん膨らんでいく。はけ口がないからね。

アングラにも階層ができるかもしれない。地獄と大地獄みたいに。

でもアングラアングラで、上にいるつもりのきれいなつもりの人々からは結局蓋されるんだよね。欲求存在しているのに、あたかも無いかのように扱われる。

そうして抑圧の先に何があるのか?なんだろうね、新人類誕生かな?

Bye-Bye ピープル。

2020-03-03

WHOコロナウイルス報告書の本文の日本語訳

これは便利やな

まあWHO右往左往して無様だったがなに言ってるのか把握はしておきたいし

https://www.shiminkagaku.org/9753-2/?fbclid=IwAR3QIluX72x8sCiFtpvzViS1wAn7An38LIizGgFe6SFW_89HlgPOztDlp34

COVID-19ウイルスは、感染力が強く、急速に広がる可能性があり、あらゆる状況において健康経済社会に多大な影響を及ぼす可能性があると考えられなければならない新しい病原体であるSARSでもインフルエンザでもない。

COVID-19ウイルスは、高い伝達性、いくつかの高リスク群における重大な致死的帰結、および大きな社会的および経済的混乱を引き起こす可能性があること、の組み合わせにおいて、ヒトコロナウイルスの中で独特である

国際社会の多くは、中国においてCOVID-19を封じ込めるために採用された措置実施する準備がまだできていない。これらは、ヒトの感染伝搬を阻止または最小化することが現在証明されている唯一の方法である。これらの対策の基本は、迅速に症例発見するための非常に積極的サーベイランス、迅速な診断と迅速な症例隔離、濃厚接触者の厳密な追跡と隔離、およびこれらの対策に対する例外的に高いレベル住民理解と受容である

2020-03-01

なんか大人になってまで

反対言葉の国で、

結局、わしの言ったことに

帰結する

あるいは重箱角つついて

全体見えないバカ女は

全員会社に来んな

2020-02-17

anond:20200217231625

文章自体あんまり上手じゃないな。

コネ社会の話はどうなった?

最終的には、能力主義の話に帰結して、

受験能力のあるなしで、人生決まって

いいのか的な結び?だが。

根本的な論理力ないんちゃうん?自分

ここは赤ペン先生✒️👩‍🏫👨‍🏫だらけやからな。恥かく長文はペケやで

2020-02-08

CTOとかを財務にたとえた記事の話

あれ、財務諸表にたとえる意味がよくわからんのだが、話そうとしてる内容自体は大変有意義ものなので、なんとかもうちょっと財務諸表寄りにさせるにはどうしたら良いものかと考えてみた。

まず前提として、財務諸表について押さえておきたい前提は、「貸方調達した資金を、借方のどこに貼るとリターンが得られるか」という構造金利5%の借入金1%未満の金利定期預金にぶっこむのがナンセンスなのであって、少なくとも5%を上回る資産に充てるべき、みたいな話。普通事業の利回りが粗利20%だの30%だのってなるわけなので、しっかり資本が回転してれば、棚卸資産だとか事業の前提となる固定資産に貼るわけだよね。(費用に貼る話はちょっと置いておく)

かに資産又は負債定義は、将来の資金流入又は流出可能性とはされているのだが、財務諸表会計処理もっと言うと仕訳構造から帰結であることからすれば、上記の前提は依然として覆らない。

以上の視座から言えば、かの記事GPとされているものは、資産サイド、すなわち、プロダクトに充当させることでリターンの最大化を目指すべきとされるリソースことなのだから財務諸表埒外ではなく、単純に貸方に持ってくるべきものなんじゃないかと思う。

貸方GPが、借方の正のプロダクトに充当されることで適切なリターンが得られる。じゃあどのプロダクトに貼れば良いかというのは、あの記事で言うと、CTOじゃなくてプロダクトマネージャなのだ、となるわけ。CTOGPの最大化を目指す、これは財務部が他人資本自己資本とのバランスの中でどうやって資金調達するかということに比定できる。

で、そうしたとき技術負債はどう表現されるかというと、これは、負債とか言われてるけど、貸方サイドではない。やはり借方表現すべきなのだ。つまり、当初はリターンを得るべく貸方から調達したGPの貼り先として資産に計上されたが、適切なリターンが得られるべくもないものに成り下がった、と見るべきということ。こうした資産マイナスは、財務諸表でも貸倒引当金だとか減価償却累計額とかで見られる。つまり資産の減損として見るべきということ。資産サイドを2象限に分けてあげて、当初正の資産GPが貼られてるんだけど、いつしか資産サイド側で、正の資産から負の資産へと振替えがなされるということね。

ひとまずは以上なんだけど、うーんそれでもまだ全部表現できんね。

2020-01-31

anond:20200131094030

でも「男にやらせよう」と言える勇気のある女もいないんだよね。

結局「大事ものケア女性にやってもらいたい」というのが、当の女性も含めた偽らざる本音から

こう言うと「介護看護でも男性活躍している!」とバカひとつ覚えで返してくるが、あれにしたって精神科とか力仕事とか、女がやりたくない部分を都合よく押しつけようとしているだけだし

単に「キチガイと死に損ないのジジババは雑に扱って構わない」という発想の帰結に過ぎない

2020-01-22

増田から2chと間違えてもいい。表現の自由。それって規制天国になって機会精製のような文章になって

お客さんがいなくなっても、自由帰結

2020-01-16

anond:20200116110308

強制力はないぞ。

自殺にまつわる物語現実自殺を増やすのはウェルテル効果といって昔から知られている。

若者自殺させたくないなら自殺を描くな」というのは当たり前の帰結

あとは創作者がどう考えるかでしかない。

2020-01-15

要は適正を見極めるゲーム

好きなことをやるっていうか、要は適正を見つけるゲームでしょ。

誰にだって向き不向きはある。

そしてそれは遺伝的に決められてる要素だから学校の均質化したカリキュラムで個々人の資質が見い出せることはないってこと。

たまたま突出した才能があって遺伝子的に向いてることやって、さらにやれる環境が整っていれば誰でもそうなる。

でも多くの人は向いていることも見つけられず埋没してしまうから学校という環境が下支えになって底辺への転落を防ぐ役割になっているわけで。

から結局のところ、個々人でそれぞれの遺伝的要素に向いていることを見つけるゲームだってこと。

そもそもパラメーターも人それぞれ違うし、当然目に見えないから本当に向いてることなんてそうそう見つけられない。

まずは好きなことからチャレンジして、適正を見極めるっていうのは効果的な方法だよね。

ある程度できてるから楽しんで続けられるわけで。

吸収も早いから成長が楽しめる。結果続けられるという因果関係

すぐに辞めてしまうことには適正がないって判断もできる。

本当はみんながそうできればいいけど、適正だけじゃなく環境も人それぞれだから結局格差が出てきて複雑になっちゃうんだけどね。

やりたいことをやれるお金時間もない人が山ほどいる。

病気介護で好きなことができない人が山ほどいる。

から適正を発揮できるのは一部の才能と環境に恵まれ個人って一般的帰結に着地する。

難しいよね。

参考図書日本人の9割が知らない遺伝真実/SB新書

2020-01-12

anond:20200112190823

こういうやついるんだよ、最終的に「俺の課題」に話を帰結するやつ。ライン?なんの話だ?

2019-12-31

anond:20191231132826

中抜き産業が消えたらいいなと思って書き込んだのでスンマセン、個人帰結ちゃうアドバイスはいらないの。

2019-12-28

anond:20191129195453

ヤケ酒したときに書いた増田半日くらい賑わっていたようで。

ウォーホールの「未来では、誰でも15分だけ有名人になれる」を体験した気分だ。

いろんなコメントがあったが、ほとんど読まなかった。でも、レスポンスを少しだけ。

少子化加速の報道で少し感じることがあったため。

・内容がつぎはぎのよう。嘘松

増田で真贋を確認したい面々がいることに少々驚く。真実だが、増田とはいえ個人特定されかねない生々しい話は、離婚協議中にあれば書けない。「私は傷ついた、だから子どもに会わせない」という超理論が今の日本では成り立つ以上、そんなリスクは取らない。

個人についても、書いたよりもっとクソみたいなことがたくさん起きた。知りたいならググれば似た話はいくらでも出てくる。

なお、俺より辛い思いをしてるのは女性の別居親だ。これは男が女がという話ではなく、等しく多くの離婚家庭で起きている悲劇だ。いまの制度では、DV虐待していた親が親権を獲得する場合もある。それがあるから、同居親による児童虐待事件が後を絶たない。

・専念したとあったが、専業主夫じゃなかったのか。手伝ったというような感覚からいけないのだろう。

→酔って書いたものレスがつくと、書いた瞬間から書き手を離れるということがよくわかる。

「専念」が辞書でいう「心をその事に集中すること」なのであれば、働き方、住環境家計休日の使い方、家事育児の分担など全てにおいて、妻の負荷を分散し、子を育てることに集中させてきたことをもってしても専念したといえないならそれはヘビーじゃないかと思う。

そりゃ、共働き母親が引目を感じるのも当たり前だ。俺と同様に「子育てに専念してない」と言われかねないのだから。そうして子育てをヘビーにした結果、現役世代が感じたのは子を持つ重責であり、その帰結少子化なんじゃないか

「手伝った」という表現姿勢が表れてるというあれば、仕事をしていながら「子育てしてるなんて勘違いも甚だしい」というのだろう。言葉狩りすげー。

子どもが本当に好きなら育児をしなければよかったというだろうか

→辛い別れに、いっそ記憶を消して欲しいと思ったことがないならば、おそらくまだ幸せ範囲の別れしか経験したことが無いのだろう。

おそらくモーレツ社員がもてはやされた時代父親であれば、育児に大して関わらず、子どもと離れることを比較的早く受け入れられたのだろうと思う。

イクメン広告代理店におだてられた俺たちは子ども匂い、やわらかさ、温かみを身体で覚えてる。

子ども笑顔記憶のなかから薄らいでいることに気づいたときときおり街で子ども感触を思い出すとき、どんな気持ちになるかわかるだろうか。

毎月養育費を払い込むためにATMに立つ瞬間、金を払い込むという一点だけで繋がるという残酷事実に驚く。

子どもが成人するまでの養育費と引き換えに、妻と子どもに関する一切の記憶を消すという悪魔が現れたら相当悩むだろう。

妻が気を利かせてそういった悪魔を僕に呼んでくれないか

共同親権推進派の工作

→なんでも陰謀論で捕らえられて幸せだな。俺も共同親権の国だったらこんなことにならなかっただろうと思う。また、単独親権であっても、俺は子どもが育っていく様子を見守れるなら、親権に拘らない。苗字が変わろうと、たったひとりの子どもだ。

まだ離婚が成立してない俺からすれば、日本共同親権だろうと、子どもに同居親が会わせないということが平気で起きる不思議な国であることが身に染みてる。大して期待してない。

この国にあるのは、同居親の「お気持ち絶対主義子ども気持ち無視される。

・これはシステム問題

→まさに、そのとおり。俺が酔った頭で言いたかたことはこれにつきる。

俺は妻について今更どうこう言うつもりがない。

離婚時の相手と離れたいと思う気持ちと、子の親権や監護権を獲得するために有利な方法が一致しているが故に、別居親を引き離すことが有効になっている。ゲーム理論でいうと、真っ先に裏切れる側が一番多くのものを得られる設計になっている。

外国共同親権採用している。一度別れた夫婦間でやっていくのは大変だ。それでも、紛争か断絶を容易に招く単独親権よりはかなりマシだ。

共同親権は最悪の家族法制といえる。これまで試みられてきた、共同親権以外の全ての家族法制を除けばだが」

結婚しなくてよかった

→残念ながらお前らのいうことはもっともだ。家庭を持ち、子を育むといったことがここまでハードになった時代もないだろう。

このハードさの背景には、然るべき収入があり、正しい(恋愛結婚があり、正しい(若すぎず、遅すぎない)タイミング妊娠し、正しいやり方で育児を分担し、正しいレベル教育を受けられるべき、そして子どもは正しく育つべき、というあまりにも横並びの幸福観ではないだろうか。

私の妻も正しく離婚を選ばざるを得なかったかわいそうなシングルマザーでありたいのだろう。

インターネット自由社会を作るかと思いきや、この日本においては「正しさ」を強い同調圧力として生み出していった。

昔は日本ももう少し雑な、ゆるい社会だったように思う。

先日の少子化加速を総理大臣国難だと言ったが、この国難を招いたのは、制度設計稚拙さだ。

大人たちが目先の利害関係のみにとらわれ、本当に子どもを産み育てるというのとなんで考えなかった当然の帰結だ。

おそらく、産業ロボット技術的に人手不足を解消したとき少子化国難とする考えも容易に変わるのだろう。

2019-12-06

「だったら産むな」 育児の愚痴への中傷に、ぐうの根も出ない反論! – grape [グレイプ]

出産育児はすでに個人自由=ただの趣味であるのに、育児に関しては泣き言を言えば誰かに手を差し伸べて貰えるということになっている。ここで無視しようものなら更に恨みがましく批難を強めるだろう。そんな場面は幾度となく見てきた。

本来その前提がおかしく、出産育児個人自由であるから「だったら産むな」と言われるのだよな。

ベビーカーがどーのこーのにしても、それは個人主義社会帰結であり、そんな状況を作り上げたリベラリズムフェミニズムに深く感謝しましょう。

2019-11-25

私の父親悪口を言うだけのはてな

私は実母に20年間虐待をされて育った。

死ぬ思いをして親元を飛び出して10年近くになり、以後一切の連絡も取っていない。

今回はとにかく父親悪口を言うために投稿したので、あの女のことや、されてきたことはここでは触れないが、とりあえず虐待は18歳までに児相相談するという証拠を残しておくとのちのち有利なので、虐待親に苦しんでいる人はぜひ。住民票開示拒否は忘れずに。

私の母親は火を見るより明らかなキチガイなのだが、毒親と縁が切れて少しずつ父親にも問題があったのでは?ということを、認識するようになった。

そもそも私は自分環境が異常だということがよく分かっていなかった。

これは虐待家庭持ちにあるあるだとおもうが、単に私がアホということ以外に、虐待家庭という非常に社会から遮断されやす環境いたこと、一人っ子であること、私に友人が少なく平均的な家庭環境を知る機会がなかったことなど様々な要因があるが、まあそれは置いておいて。

知人や友人に、虐待事実カミングアウトをしたとき言われた言葉を覚えている。

20年間ものその間の父親は何をやっていたの?という疑問の言葉である

やつがなにをしたかというと、

「俺も苦しんでるんだ 」「俺も辛いんだ」「俺は頑張っているんだ」「あいつ(母親)はおかしいんだから、お前が我慢しろ」と言い続け、何もしなかった。

いや、こういった自己弁護ばかりしていた。

私の父親はこういう人間であった。

常に自分被害者で苦しんでいる、だから自分は何も出来ない、というかこれでも自分は頑張っているんだ、そしてお前も我慢しろ。という。

少しでも責められていると感じると上記のような発言を繰り返す、形式的謝罪をする、時に押付けがましい土下座までする、だが改善はしない、何もやらない、根本は何も変えない。

子供母親から虐待を受けているのなら、隔離するのが父親ならばやるべき真の役目だと思うのだが。

(ちなみに虐待を受けていても母親から離れないことの多い幼少期を過ぎた思春期になっても、あの男はこの姿勢を変えなかった)

私は父親に友人という存在がいたのを見た事がない。

上に挙げた性質の他、あの男は、気も利かない、空気は読めない。口を開けば自分可哀想だという話ばかりする。被害者面が大の得意で、自分から改善する努力や行動は何もしない。面倒くさいと感じることは決してやらない。ケチでとにかく金やコストをかけることを嫌がる。心が狭い。不愉快クチャラー仕事は出来ない。

挙句の果てに私の父親は壊滅的にブサイクである

顔はティッシュ箱並にデカく、エラが張り、ほお骨は前にパンパン突き出して、目は細くアホほど垂れ下がっていて、鼻は特大の団子鼻、青髭だらけ。

他人に好かれる要素、ゼロである

友人がいないのも当然だ。

挙句スーパーマネキンなどをしている若い女にはクソどうでもいい世間話やら愚痴やらで下心を持って話しかける。

(私もマネキンアルバイトをした経験があるから言うが、キャバクラじゃねえんだよ帰れ仕事邪魔だ失せろ と思う。←私の父親のようなケチクソジジイはこういう所には金がかかるからいかない)

職場女性たちに徹底的に嫌われていたそうだが、娘ながら納得する。

私もこんな汚らしいオッサン(今はジジイ)とはかかわり合いになりたくない。

私が失笑した話をしよう。

あれは「男より女の方が面食いだ」と主張し続けていたこと。

お前が相手にもされないどころか嫌われるのは女側が面食いなせいではなくて、お前自身ブサイクで卑しくて性格的にも人間としての魅力が何一つ感じられないせい。当然の結果、帰結である

余談だがこの父親見合いを50回以上して失敗し続けたという武勇伝の持ち主だ。断った女性達は非常に懸命な判断を下したと思う。

しかし、これと結婚した頭のおかしい女がいた。つまり私の母親である。私は最悪の組み合わせからまれてきた。一体前世で何をしたのだと疑うレベル

思い返せば、小さなから父親の『卑しさ』が恥ずかしかった。お1人さま1つという景品を鷲掴みで持っていくことや、とにかく何度言ってもくちゃくちゃものを食べることをやめないことなど。

そして、子供の頃、自分は酒やタバコギャンブルをしない、のめり込まないかまともな男なんだというような話を言い聞かされ、世間から断絶された毒親家庭の一人っ子だった私は長らくそれを信じてきたが、大人になって気づく。

そ れ く ら い は 人として 当 た り 前 なのである

私がどうしても忘れられないのは、私が母親精神を叩きのめされ、追い詰められ、ああ、もう死ぬという直前にいたとき、あの男は「俺もあの女にこんな酷いことをされて辛くて」「かわいそうで」といつもの不幸話をし始めたことだ。

その直後、私は自殺未遂をした。

あの男は他人への共感能力が低く、自分言動他人にどう受け取られるかという視点が決定的に欠落している。

自分も辛いという話をすることで、自己弁護をしているつもりなのかもしれないが、お前の苦しみは子供を助ける義務免罪符にはならない。

ポジティブ見方として、苦労話をすることで慰めているという解釈もできるかもしれないが、追い詰められており今すぐにでも助けを必要としている人間(しか本来なら保護すべき子供)には、全くもって逆効果である

歳を食った大の男が、俺は可哀想だ、俺も辛いんだ、とアピールし続けることが、どれほど己の無能さをひけらかし、周囲から軽蔑を得るか。

驚きなのは自分が何故娘に拒絶されているのか、現在進行形理解できない・していない点である

まりにもゴミのような人間が親だったせいで、大人になった今でも、「え、親ってそこまでしてくれるんだ」と驚くことが多々ある。まるで異世界テレビドラマを見ているような気持ちになる。

尊敬する人物はお父さんとお母さんですと宣う人の感覚はほぼ理解不能である

幸運なことに、容姿に関していえば、私は父親には何一つ似なかった。

しろ、世辞を言われるくらいである。

あの顔面遺伝子から見たら、地球が逆回転を始めるくらいの奇跡大成功の出来だ。

あの父親の顔で女に生まれていたら人生ウルトラハードモードゲームだった気がするので、こういう最悪な生まれながらも、神と自分自身感謝したい。

もちろん親の介護なんてする気もない。早く死ね

2019-11-24

デレマスを想定して会計ソフトの初期設定したら悲しくなった話(デレ

3次元事務所選考が通ったとき、ふと妄想していた話を書き殴る

推敲は後日行うので、誤記載があったら謝罪したい。

アニメゲーム話を現実に持ってくるべきことではないし、辛い現実の話を仮定した話であることをお断り謝罪をしたい。

さて、アイドル管理をする上で

セグメント別の予実管理は通常されるものと考えられる(想定ソフト弥生Proクラス)

となると、P/L仕訳を切る際には切り口が複数あることになる

(科目/補助科目/部門)

(例)会議費/渋谷凛/ユニット名(or個人名)

または

(例)会議費/ユニット名/渋谷凛(=個人名)

拠点複数あれば

(例)会議費/ユニット名/事務所拠点

他の業種もやっていれば

(例)会議費/事務所or拠点別/セグメント名

など複数の想定ができる

アイドル事務所個人成績とユニット別に予実管理を行うとすると

1番初めに提示した手段妥当であり

弥生検索機能仕訳を絞るとなると

総勘定元帳個人名で絞り

内訳は補助科目で絞るような方法妥当と考える

仕訳

(例)売上高/Triad Primus/渋谷凛

(例)売上高/渋谷凛/渋谷凛

狂気を伴う仕訳になることが理解いただけただろうか。

この計上を行うと、エクセル仕訳データ抽出した際に、ピポットテーブルで補助科目と部門で絞り込みを行うと、簡単に成績表のグラフを作ることができるということも理解頂けると思う。

共通費に関しては、

(例)交際費/共通/共通

のような仕訳を切り、任意方法にて配賦することを推奨する(プロデューサー担当してる人数別、売上別など)

これで、勘定科目と補助科目、部門の初期設定は完了となる

さて、この方法は明確にP/L責任所在を明らかにするデータを取得できる。

プロデューサーの経費は、管理してる人に応じて配賦し各アイドル普段からコストがかかることを認識させ

管理しているプロデューサー(=営業)の能力が強く問われることになると思われる

となると、毎年行われている人気投票は、プロデューサーにとっては死活問題であり、売上向上をすべくSSRプレミアを作り出し

センターに押し出すべく、周りに布教活動をすることに。

そこで、最後に使える手段プロデューサー引退するか、自らガチャを回す自爆営業帰結することになる

話は変わるが

おそらく、アニメ美城常務

利益が発生していない某氏アイドル名別の損益計算書を見てあの話が出てきたのではないのかと思う。

売上が立たず、配賦分やレッスン費用などがただ、計上されている様子かと想定できる。

アニメであっても、事業撤退や縁のあった会社倒産経験している身としては想定されるP/L既視感があり

アイドル最後の肩叩き一歩手前だったのではないかと率直に感じた。

まり美城常務は責めてほしくない

役員として、あの場面をどうにかしないと経営責任問題が生じていたと同情している(大きい会社だと株主から相当叩かれるはずだ)

歌詞に「夢は夢で終われない!」

とあるが、これは夢で終わってほしい。

2019-11-15

最新の小沢健二キモい

宇宙の中で良いことを決意する」

神秘的」

「この暮らしこそが宇宙

めちゃくちゃスピリチュアルじゃん。

エコロジー運動にハマった左翼スピリチュアルに落ちるってまんまヒッピー帰結と同じじゃん……。

なんでこんなのをファンは喜んでるんだ。昔のオザケンが戻ってきたんじゃなくて、むしろ活動家オザケンが先鋭化しただけだぞw

anond:20191115125940

まず、住居権者・管理者意思に反する立入りを「侵入であるとする立場意思侵害説)がある。これは通常、住居侵入罪保護法益を住居権と解する立場から帰結であると言われる。他方、住居の平穏を害する立入りが「侵入であるとする立場平穏侵害説)があり、これは住居侵入罪保護法益を住居の平穏と解する立場から帰結であるとされている。

(略)

最高裁判決が「侵入」を肯定した事例には以下がある。

自由に入れる場所でも目的不法なら入った時点で不法侵入になる?

まじめに考えると意外と複雑なやつか

2019-11-09

anond:20191109155358

そんな気分になることもあるんだから、ならないこともあるはずだ。

論理的帰結に過ぎない。

2019-10-19

anond:20191019100702

「消費」というのは現代の大量消費社会イメージからくる概念で、〈一方向的な都合によって使い尽くすようなモノとの向き合い方〉を意味する語なのね。継続的協働使用関係みたいなのとは反対の概念

それが、〈自然事物対話しつつ向き合ってきた〉という、仮想の「前近代」へのノスタルジーって言えばそらそうなんだけど、たとえば現代でも、職人さんが自分の道具や加工する素材と丁寧に「向き合い」ながら物作りをしているとき、その職人さんが道具や素材を「使用している」とは言っても「消費している」という言い方はしないんだよ。同じく、たとえばその製品を「購入して使用して」も、職人さんのスタンスを知りその製品大事に使う人の行動は「使用」であって「消費」ではない。しかし、たとえば同じ製品を「購入し使用した」人が、単に自分の好みでデコったりインスタにアップして、飽きたらポイと捨てるような使い方をしたら、それは「消費」だと言えるだろう。その場合、消費しているのが商品なのか、職人ブランドによる商品というイメージ記号)なのかは、また微妙議論必要になると思うけど。これはあくまで余談ね。

から、子作りをしたフェミニスト(ちなみに、フェミニストには男性女性もいる、というのはいいよね?)が相手を「性的に消費」したかどうかは、一般的には、人によるとしか言えないんだよ。相手セクシャリティ相手自身と向き合いつつ継続的協働的に関わり続けているなら、それは「消費」ではないと判断していいだろうからね。もちろん、ただ「子供を作る」ためだけに相手と関わったりしたのなら、あるいは、短い一定期間の性的な関わりだけが目的子供はその生物的な帰結に過ぎないのなら、「性的消費」と呼ぶに値することがあったかもしれない。それなら確かに批判はされるべきだろう。だが、それを判定するのはなかなか難しいよ。たとえば、結果的離婚していたとしても「当時は真剣に向き合っていた」と言われたらそれを否定するのは難しいのだからね。

もし、以上のことを理解した上で「性的消費」と言っているのなら、それはあなたの性の価値観に「消費」以外の性的な関わり方がない、つまり他者継続的に向き合う性的関係想像できてないということを意味してしまうだろうね。それはなんというか、なかなか不幸なことだとは思うけど。

2019-10-17

宇崎ちゃんポスターの構図について

これに関しては反論が二つある。

まず「おっぱいが画面の中央に」というのはポスターで見るからそう思うのであって、元々のコミックスでは帯が巻かれるのでイラストの重心はもう少し上に来るということである

もう一つは、煽り顔で見下しているので身体が反るような体勢になっており、必然的に顔は上方に遠く、胸を突き出すような構図になるということである

いずれにしても「構図としては」巨乳を強調しているとは言い切れない。

とはいえ宇崎ちゃん巨乳チャームポイント(=魅力)として設定されており、イラスト内に巨乳を入れない選択がないという点では、「巨乳は強調されていない」とは言い難いのも事実である

つまるところ「巨乳を強調することはエロなのか?」ひいては「男性女性おっぱい性的魅力を感じることは罪なのか?」という問題帰結するだろう。

献血ポスターに憤る人たちへ

献血ポスターに憤る人たちへ

献血ポスターイラスト問題が、連日タイムラインを賑わせている。私のタイムラインでは大元ツイートは流れてこなかったが、オタクオタク献血賞賛し、"環境セクハラ"をこき下ろすツイートがちらほら見られた。シンプルによくわからん、と思った。私自身もオタクから人のことを言えないのかもしれないが、オタクオタク賞賛するのが好きすぎる。献血は確かにえらいが、そんなに過剰にオタクだけ褒めそやすのはどうなのか?それにセクハラは色々な問題を抜きにしてもまず透明化したらダメなのでは?とさまざまな思いが巡り、このオタク献血賞賛ムーヴがどこから来たものなのか調べることにした。

先に結論を述べておくと、「二つの議論を一緒くたにして考えるからダメなのだである

この一文だけで察してくださる方もたくさんいることだろう。そんな方にとっては、以下の文章にさして内容はないと思う。煮るなり焼くなり好きにしていただきたい。

さて、今回の件の発端となったのは、恐らく弁護士のこの方による引用リツイート

https://twitter.com/katepanda2/status/1183729350207623169?s=21

渦中のポスターは、漫画「宇崎ちゃんは遊びたい!」のヒロイン、宇崎花ちゃん献血コラボキャンペーンポスターである

文字通り絵に描いたような爆乳で困り眉の女の子が、挑発するような台詞・表情で』献血を促している。

多分、弁護士の方がここで問題にしたいのは『』の部分だけだ。献血を促すこと自体文句を言っているわけではない。ポスター採用されたキャラクターの造形に問題があるという話で、漫画アニメ作品採用されることに不服があるわけではない、と思いたい。このていで話を進める。

話は変わるが、Twitterランドスラム街である。日々クソデカ主語極右極左クソリプパクツイデマツイお気持ちマシュマロと戦うオタク諸君はこのあたりよくご存知のことであろう。こんな環境で、果たしてまともな議論ができるだろうか?できるわけないのである揚げ足取りは腐るほどいるし、文脈が読めないまま発言の一部のツイートけが一人歩きしたり、過激思想を持った影響力の強い人々が発信する偏った意見が多くのRTいいねを獲得していたりするのだから。一つの議論をまともに話そうというのがそもそも無理な話だ。

ここで話を戻そう。

先のツイートは、一見すると問題提起に見えなくもない。いや、そのつもりがあってしているのかもしれない。この弁護士さんはフェミニストの方々の間では有名な方だと聞いた。だとしたらこの方の主張は、『環境セクハラ配慮しないポスターを貼るのは無責任だが、日本環境麻痺していてそれを問題にする人もいない』であろうと思う。

環境セクハラと言っているものそもそも微妙意味が違う気がする(気になったら各自調べてください)のだが、今回のを要約すると"生きているだけで目に(女性が客体である)性的イラストが目に入ってくる"というところだろう。

私はこの主張にのみ関して言えば、議論されるべき問題であると思っている。女性身体の過度な客体化とアニメ文化が密に結びついた日本では、驚くほど性的アイコンが強調されたイラストがそこら中にあふれている。性的アイコン巨乳とか服の上からでも分かるマン筋とか、困り眉赤面涙目とか、濡れてんのか?みたいなピタピタの服によるわかりやすいボディラインとかそういうものである。生きていれば上述のアイコンの何かしらを目にしたことがあるだろう。それこそ都会ならば場所や時を選ばず、どこにいても見られる。コンビニエロ本撤去が少し前に話題になったが、あの区画に限らず様々な場所にあの手のイラスト漫画があふれているのだ。意識して見てみるとわかるが、そのイラストに感じる独特の「気持ち悪さ」はよっぽど理解がないと感じ取れないかもしれない。それだけ、この国の女性客体化思想は深く深く根付いてしまっている。

とまあこんな具合に、この問題一朝一夕140字ちょっとでは到底語りきれない深刻な問題なのである。そして悲しいかな、今回の件について、この文脈議論を展開している人はあまり見られない。

萌えアニメキャラ献血ポスターに使うのの何が悪いのか?」

オタクの血はいらないということか?」

セクハラだかなんだか知らんが献血量が減ってないならなんの問題もないし知ったこっちゃない」

コミケでのオタク献血の貢献度を知らないのか」

「我々はオタク献血で命を救われた。オタク献血に行くことのなにが悪いのか」

表現の自由がないじゃないか

こんなもんであるそもそも論点がズレていることに、一体この話題に参加したオタクの何人が気づいているのか。指摘しているツイートも少なからずあったが、そちらはバズらずじまい。なぜだろう。原因はわからない。

そもそもこの問題の要点は『性的アイコンが強調されたポスターセクハラだ』であり、『オタクが悪い』『アニメキャラ(クソデカ主語)はポスターに相応しくない』とは誰も言っていない。誰も言っていないのに、勝手オタクの好きなもの批判された、こき下ろされた、エログレーゾーンアニメキャライラストを全て規制しろということか、表現不自由だと逆ギレしているのである

何故?これもわからない。表現の自由が誰かを不快にするのを厭わず行われるべきだというのなら、なぜ「表現不自由展」はあんなにバッシングを受けたのか。人に不快感を与えるという点でそこに上も下もないと思うのだが。

結局日本右寄り日本男性視点優先の社会構造が浸透しすぎており、女性視点気持ちはほぼ透明化されているということなのであろうが、このあたりは話しだすと論文一本じゃすまないので今回は割愛しておく。右寄り日本男性というカテゴリー微妙なところだ。男性というだけで生きやすい国なのだ、ここは。

一方で、もし発端の弁護士の方にアニメキャラ全般こき下ろす意図があるとするならば、それはそれで問題である。過度なミサンドリーという点でもそうだが、このご時世、アニメイラストというだけで拒絶反応を示していてはキリがないし、正当なフェミニズム思想反論材料にならない。アニメイラスト不快、というだけでは「個人問題」になってしまうのだ。とにもかくにも、今回の件は議論にするには材料や前提となる問題提起の部分が弱すぎた。

長々書いたが結局のところ、今回の騒動

性的アイコンが強調されたキャラポスターが誰にでも見えるところにあるのは不快だしハラスメント

ポスターアニメキャラ採用されることはなんの問題もなく、それを規制することは表現の自由侵害である

という二つの問題がごっちゃになったまま拡散され、憤るオタクたちが様々なツイートをし、歪みに歪んで広まったというわけである。繰り返すが、誰もオタクダメともオタクの血が不快とも言っていない。だから「女は献血への貢献度が低いくせにごちゃごちゃ言うべきではない」とか、「巨根男性ポスターについてたら男は嫌だろ?」とかはまた全然別の議論を立て直さなくてはいけないのだと思う。このあたりはミソジニーミサンドリーが混ざりすぎて本来目的を失っているようにも見える。個人の快・不快ではなく、議論フラット目線で行いたいものだ。私自身それができているか甚だ不安ではあるが、特大スラム街Twitterにいるともう何が何だかからない。そしてその辺りを踏まえて、発端の方のツイート個人の快・不快帰結するものかどうかについても、議論すべきかもしれない。私は社会全体の問題だと思うけれど。

ついでに今回の問題をこねくり回したツイッターの人々を十把一絡げに「オタク」と言ってしまったが、これも本来良くない話だ。まさにクソデカ主語。目につくツイッタラーが皆オタクに見えてしまうのは、ツイ歴五年になるクソオタクこと私の決定的に良くない点である反省

さて、散々色々とりとめなく書いたので、このあたりで渦中のポスターのメインキャラについてもひとこと。

失礼ながらタイトルも知らなかったのだが、「宇崎ちゃんは遊びたい!」はTwitter発の漫画作品らしい。現在ニコニコ静画などで連載しており、コミックスも三巻まで出ているようだ。以下あらすじ。

一人でいることが好きな先輩を「ぼっち」扱いするウザい後輩が絡んでくるドタバタラブコメディ。非日常的な要素はなく、基本は主人公ヒロインを中心に大学での青春を描く。

ヒロインショートカット巨乳八重歯、~ッス口調、アホの子というキャラクター性を持つ。ただし他の女友達と過ごす時や独白では標準語で話す。(Wikipediaより引用)

清々しいほど分かりやすオタクの好きなやつである。私も好きである属性は盛りすぎてもいけないが、あって悪いことは一つもない。かわいいことはいいことだ。こんな後輩欲しかった。いつか思う存分揉めると、その柔らかい触り心地を夢見て大学生活を送りたかった。

この宇崎花ちゃんは今回なにも悪くない。だから過剰に擁護すべきでも、過剰にディスる必要もそのいわれも全くない。じゃあ誰が悪くて、なにがいけなかったのか。今回の話はこのあたりが議論されるべき点だったと思う。そしてすでに意見を述べている人々は、反対意見の人々の意見も詳しく聞いてみるべきだ。

最後に、今回の件で一つ良かったことがあるとすれば、献血に興味を持つ人が少なからず増えた点ではないだろうか。結果的に宇崎ちゃんポスター本来目的を大幅に逸れて拡散され、献血を広めることになった。そして宇崎ちゃんの読者もさらに増えたことだろう。よかったね。

献血人類のために必要不可欠な活動であることはわかっているつもりだし、今更その重要性について語る必要はないだろう。ツイッタラー各位は特に、今回の件で献血に救われた人間の話をたくさん見たことと思う。私はウッキウキカントリーマアムをもらいムシャムシャ食べながら献血を待っていたら、ヘモグロビンと鉄の量が足りず献血ルームから追い出されてしまったが、今後も献血をする人が増えるよう祈るばかりである

キモオタクより

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