はてなキーワード: 古典的自由主義とは
あなたの挙げた主張には、いくつか事実に基づく部分もありますが、一部の点で正確性に欠けるところがあります。以下に、それぞれの主張について詳しく解説します。
古典的自由主義では、市場の自由や個人の権利が尊重されるため、富や資源が特定の個人や企業に集中する傾向があり、結果的に経済的格差が拡大することが多いです。自由主義的な経済システムは、競争を促しイノベーションを生む一方で、収入や資産の差が生じやすい側面もあります。この点は多くの経済学者や歴史的なデータからも支持されています。
2. 「経済的格差の問題に対して自由主義のアンチテーゼとして、平等こそ真の自由では?平等の為に自由を制限すべきでは?の社会主義、共産主義がうまれる」
自由主義へのアンチテーゼとして、平等を重視する社会主義や共産主義が提唱されてきたのは事実です。マルクスやエンゲルスが理論化した共産主義は、資本主義の下での格差を批判し、平等な社会を目指すものです。ただし、「平等こそ真の自由」という表現は社会主義の理論では明確に定義されていませんが、平等な機会の確保や富の再分配によって、より多くの人が実質的に自由を享受できるとされています。
3. 「冷戦時代、社会主義国であるソ連、共産主義な中国と対立によってアメリカで赤狩りが行われる」
冷戦時代にアメリカとソ連(社会主義国家)、中国(共産主義国家)は確かに対立しており、アメリカ国内で「赤狩り」(レッド・スケア)が行われました。これは、共産主義の影響を恐れた米国政府や一部の市民が、国内の共産主義者や社会主義者に対する監視や弾圧を行ったもので、特に1950年代に強まった運動です。この点については、歴史的な事実として正しいです。
4. 「アメリカ国内の社会主義者や共産主義者が『私のはコミュニズムではなくリベラリズムだ』と主張して赤狩りを逃れる」
これは正確ではありません。冷戦時代、リベラリズム(自由主義)はアメリカ国内で広く支持されていたため、多くの社会主義者や共産主義者がこれを名乗って保身を図ったというよりも、単に社会主義や共産主義への疑念が強かったため、共産主義と距離を置く人が増えた、もしくは意見を控えるようになったと見るのが妥当です。また、アメリカにおける「リベラリズム」は当時、資本主義の枠内で福祉や公正な競争を求める立場であり、共産主義や社会主義とは異なる理念を持っていました。
5. 「平等を錦の旗に他人の自由を制限するのを是とするリベラルがうまれる」
現在のアメリカにおける「リベラル」という言葉が、平等を重視して自由に一定の制限をかける政策を支持する立場を指すこともありますが、これは「自由主義(リベラリズム)」そのものと完全に一致するわけではありません。現代リベラリズムは、経済的平等と個人の権利や自由のバランスを目指す思想です。必ずしも他者の自由を積極的に制限するという意味ではなく、むしろ公正な社会を作るための規制を支持するというのがより正確な表現です。
先祖返りか
https://en.wikipedia.org/wiki/Social_liberalism
社会的自由主義[は、社会正義、社会サービス、混合経済、公民権と政治的権利の拡大を支持する政治哲学であり、自由主義の一種であり、限定的な政府と全体的に自由放任主義的な統治スタイルを支持する古典的自由主義とは対照的である。
どちらも個人の自由を重視しているが、社会的自由主義は、社会的不平等に対処し、公共の福祉を確保する政府の役割をより重視している。
■衰退
1960年代と1970年代の経済問題を受けて、自由主義思想はいくつかの変化を遂げた。
ケインズ派の財政運営は自由市場を妨害しているとして批判された。
同時に、増税で賄われた福祉支出の増加は、投資の減少、消費者支出の減少、そして「依存文化」の創出への懸念を引き起こした。
労働組合はしばしば高賃金と産業の混乱を引き起こし、総雇用は持続不可能であると考えられた。
フリードリヒ・ハイエクの影響を受けたミルトン・フリードマンやサミュエル・ブリッタンなどの作家は、社会自由主義の逆転を主張した。
彼らの政策(しばしば新自由主義と呼ばれる)は、西側諸国の政治、特にイギリスのマーガレット・サッチャー首相とアメリカのロナルド・レーガン大統領の政府に大きな影響を与えた。
彼らは経済の規制緩和と社会サービスへの支出削減の政策を追求した。
社会自由主義連合が崩壊した理由の1つは、1960年代と1970年代に国家政府から独立して活動できる金融利害関係者からの挑戦だった。
関連する理由としては、フランクリン・D・ルーズベルトなどの政治家が提唱した社会主義医療などのアイデアが、赤狩りの最中に保守派、特に前述のレーガンによって批判され、社会主義的とみなされたことが挙げられる。
もう1つの原因は、連合の一部を形成していた労働組合の衰退であり、労働組合は自由主義のコンセンサスに挑戦する左翼イデオロギーの支持でもあった。
これに関連して、労働者階級意識の没落と中流階級の成長があった。
社会自由主義を最も受け入れていなかった米国と英国による貿易自由化の推進は、支持をさらに弱めた。
20世紀末から、社会的自由主義は政治的影響力を失いつつあったが、ジョン・ロールズ(政治哲学)、アマルティア・セン(哲学と経済学)、ロナルド・ドゥオルキン(法哲学)、マーサ・ヌスバウム(哲学)、ブルース・アッカーマン(憲法)など、多くの著名な著者の登場により知的復興を遂げた。
って書いてあるけど?
一般的には社会民主主義の言い換えだが、古典的自由主義もリベラル
リバタリアニズムとも言うが「元々こっちがリベラルであいつらはリベラルでは全然無い」とリベラルを使い続ける人もいる
共産主義がリベラルかといえば、左派リベラルがなぜ「リベラル」なのかといえば
国による平等の実現無くして自由は無いという意味だから、共産党でさえリベラルに含むことは可能
よってみんながリベラルで間違っちゃいないが
「共産党の言うリベラル」はあくまで「共産党の言うリベラル」であって、他の人が考えるリベラルとは違うと考えなければならない
「表現の自由戦士だが...」も同様で、これもはてな等で使われる「表現の自由戦士」ではなく
↑左翼
左翼。
資本主義は格差が激しくてついていけないから、もっと平等で公正な社会を目指そうぜ、という感じ。
資本主義によって、土地や工場などを私有する資本家が労働者をこき使って搾取するようになったので、それを打破して平等な社会を目指す。
そのためには、労働者自身が土地や工場などを管理する体制(プロレタリア独裁)を武力を用いてでも築くべきだ(暴力革命)、という感じ。
暴力革命を志向するテロリストや、スターリン・毛沢東のような独裁者を生み出した。
マルクス主義を反省して、暴力革命やプロレタリア独裁を否定し、民主主義を通じて政府に働きかけ、平和的に社会主義を達成しよう、という感じ。
政治面においては「俺たちには自由に生きる権利があって国王や貴族でさえそれを侵害できないぜ」という感じ。
民主主義や共和主義を志向する。フランス革命時における「左翼」。
経済面においては「俺たちが自由に商売すれば自然とバランスが取れるんだから政府は余計な口出しすんな」という感じ。
資本主義や市場主義を志向し、個人の権利を重視して「国家権力は小さくあるべき」と考える。
「社会自由主義」の台頭後は、区別のために「古典的自由主義」と呼ばれる。
古典的自由主義のように野放しにしていると、差別や格差が広がって個人の自由が制限されるから、むしろ国家権力が介入して積極的に差別や格差を是正すべきだ、という感じ。
社会自由主義の反動から、一周して古典的自由主義に戻ってきた感じ。
自由な市場を実現するために、規制緩和をしたり、法人税を下げたり、国営企業を民営化したりする。
右翼。
何らかの急進的な政治運動に対して、それに反対する立場が「保守」と見なされる。
それぞれの政治体制や歴史的経緯によって何が「保守」となるかは異なってくるが、現在の日本においては、政治的には「国家主義」を、経済的には「新自由主義」を指すことが多い。
もとは自由主義と連動していて、誰かに支配されたりするのではなく「俺たち」が中心となって行動すべきなんだ、という感じだった。
しかし国民国家が成立して「俺たち=国家」となると、「おまえも俺たちと一緒だよな」と均質化を強要したり、「おまえは俺たちと一緒じゃない」と排外主義になったりした。
「俺たち」を結びつけるものは「民族」「家族」「宗教」「伝統文化」などであることが多い。
さらに行き過ぎると「個人の権利よりも国家の利益が優先される」という「全体主義(ファシズム)」となる。
↓右翼
って言うのは欺瞞だ云々のアレだけど。
https://twitter.com/chutoislam/status/1503200219286097921
そういう逡巡の跡が見られない人は、まあ人間としてそう言うもん
と飛躍がある事を言ってるのね。
この「卓越性と人格の陶冶」って保守主義を好評価する時に使われる紋切り型なのね。特に2つ併置されるのが紋切り型。
フランス人権思想とかアメリカ型合理主義などの理性主義だと人間は平等で理性を動員して抑圧無き良き世界を作っていくって風になるんだけど、意志の力で克服とかストレスに晒して人格を鍛錬するっていう風な事は落ちてしまう。
古典的自由主義(ハーバート・スペンサーなど)やドイツ国法学なんかを志向することが多い。
あとはエドマンド・バークなんかの反フランス革命保守主義とかも。
すると差別っていうのは単に悪じゃなくて主体が乗り越えるべき情況って意味が付与される。
今の感覚だと言語療法プログラムで訓練して、周りもそういう癖に気遣わなきゃいけないね、ってなるけど、西部はこれは自己の意志の問題だと考えたのね。実際吃音の行動療法には価値の明確化、つまり自分の意志の再構築をする方法もある。
それで意志の再構築で吃音を克服した西部はオルグの天才となって学生運動のトップになってしまうのだけど。
その後右に転向したのだけど、西部の思想にはその原経験が生きているなんていう評論のされ方をよくする。これは紋切り型の評価の一つだ。
もう一つの例挙げると、ハワイのダニエル・K・イノウエ国際空港の名になっている日系アメリカ人ダニエル・ケン・イノウエ。
この人は日系人でありながら合衆国上院仮議長まで上り詰めた人なんだけど、ハワイ大学在学時に日本軍の真珠湾奇襲が起こった。
当然日系人の肩身は狭くなり、イノウエは合衆国への忠誠心を示すために軍に志願して第442連隊に入れられた。
これは日系人で構成される部隊でもの凄く損耗率が高かった事で有名だ。激戦区に配属された為だな。損耗率が高いっていうのは死亡率や負傷率が高くて、死んだら補充を繰り返したってこと。イノウエも片手を切断している。
そこまでしてアメリカ人として認められて戦後は上院議員としての道を歩み上り詰めたわけだ。
これは過酷だが差別という情況を克服して陶冶された人物の代表例だろう。
だけど、「卓越性と人格的陶冶」の紋切り型っていうのは批判する時にも使われるわけよ。
要するに「保守主義だと卓越性と人格的陶冶が重視されるがお前はそうではない」って言い方。ネトウヨがメッキの為に保守とか自称してるのに対して言ったりするのが判り易い。
で、件の池内ツイートにぶら下がったりブクマ付いてるのって単にWhataboutismの相対主義としての好評価のやつしかないわけよ。
Whataboutismの本場はソ連で、よりによってロシアの非合理関係の事でWhataboutismしたりそれに蝟集したりすんなよ。
それでそういう動機での好評価を集めているのに池内自身は何も注釈しない。
それに他の場所では
ロシア文化にも責任はない」とロシア文学者が言うのは、エネルギー業界の人たちが「ロシアから石油・ガスを買っていけないというのでは商売上がったりだ」と言うのと、それほど違いはない
とか言ってる。https://twitter.com/chutoislam/status/1503124758950518787
こうなると単に相対化であって、「卓越性と人格的陶冶」の紋切り型での批判に対するルサンチマンなのか?と疑ってしまうわけ。
逃げなかった人たちを、シリアでは「テロリスト戦闘員だ」と呼んで無慈悲に砲撃し兵糧攻めにして殺してきた。それがプーチンのロシアです
と、過去シリアでの虐殺がスルーされて来た事べの憤りだって事が判る。絶滅収容所の近所のドイツ人達にアメリカ人将校が「いいや、あなた方は知っていた」と言ったのと同じだ。
だったらちゃんと焦点をぼかさず言いたい事を前面に出すべきだろ。
文学者だの学者としての尊敬だのは言い訳の為の吃音でしかない。
ロシア人の戦争責任に日本の戦争責任を持ち出すなら自分はどの立場かを明確にせねばならない。プーチンを許してきたロシア人を免責できないなら日本の戦争責任も免責できないと言わねばならない。
なんでそうしないかというとそこを誤魔化すとWhataboutism相対化としての好評価が得られて尚且つ軋轢が減るからだ。
でもそれは単に差別感情がWhataboutismと絡んだ人気でしかない。「いいや、あなた方は知っていた」という視点を持つ人はどれだけ出るの?
だが池内自身が余りに大したことがない為に表出的吃音が克服できずにWhataboutismとしての表出しか出来ていない。
「いいや、あなた方は知っていた」と「ネットでの軋轢の忌避」を天秤にかけて後者を選んだからWhataboutismだけが表出されている。
嘘とWhataboutismの帝国に対してそんな事しててどうすんだ。