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はてなキーワード: 「運命」とは

2019-06-10

ベートーヴェン交響曲第五番「運命」

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2019-05-02

セワシ問題その他の疑問に対する一つの解答、「セワシタイムパトロール隊員説」まとめ

セワシタイムパトロールから派遣されたエージェントである」説の秀逸さに感銘を受けたので、思いついたことを箇条書きにしてみました。

字数制限を超えてしまったので、記事を分割しました。 後半は https://anond.hatelabo.jp/20190502111820 です。(栗まんじゅう絵本入りこみぐつ・ひみつ道具の話、ドラえもんの耳の話はこっちに)

注意

最初にお知らせしますが、セワシタイムパトロールから派遣されたエージェントであるという仮説は私が初出ではありません(誰が初出かもわかりませんが)。

※この記事に書かれていることの大部分は、ネット民の皆様がtwitterブログ、5chなどに投稿なさった考察情報をまとめただけです。

二次創作のようなものであり、公式設定とは一切関係がありません。

※この記事の内容は漫画アニメ作品ドラえもん」の、世界観イメージを著しく損なう可能性があります。そのようなものをご容赦頂ける方だけ、以下をお読みください。

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疑問

○なぜ、のび太の妻になる女性がそれぞれ異なった、2つのパラレルワールドにおいて、同じ「セワシ」という子孫が生まれてくることが出来るのか?

○なぜのび太の子孫は相続放棄もせず、自己破産もせず、律儀にのび太の借金を払い続けたのか?

○なぜセワシの家は貧しいのにドラえもんひみつ道具が買えるのか?

○なぜのび太は更正せず、ドラえもんはやる気がないのに、セワシドラえもんダメ出しに来ないのか?

○なぜタイムパトロール時間犯罪者に対して無力なのか?

○なぜタイムパトロール時間犯罪常習犯であるドラえもん逮捕しないのか?

○なぜそれほど野放図にもかかわらず「日本誕生」では、のび太の創った空想動物たちを徴収したのか?

○なぜ20世紀の世界には、ドラえもん以外に未来からやってきたロボットや人が見当たらないのか?

○なぜのび太の住む街の人々はドラえもん存在自然に受けいれているのか?

○なぜ危険ひみつ道具未来デパートで売られているのか?

○なぜ「ドラビアンナイト」において、「絵本入りこみぐつ」でアラビアンナイト絵本世界に入ったはずのしずかちゃんが、作中人物のモデルカリフ・ハールーン・アッ=ラシード宰相ジャアファルがいるというだけで、現実世界バグダードに出現したのか?作品内設定としても無理のある理論ではないか

バイバインの栗まんじゅう宇宙に捨てて、本当に大丈夫なのか?

○なぜ、たかドラえもんの耳と体色と声の欠損を、修理して元の状態に戻せないのか?

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仮説

セワシは、のび太の子孫などではなく、歴史上の英雄である"のび太ドラえもん"のコンビを互いに引き会わせるために、タイムパトロールから派遣されて来たエージェントである

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各論

セワシのび太の子孫ではないので、のび太が誰と結婚しようと出生に影響はない。

セワシが見せた写真はすべて合成写真だろう。現代技術でも、子どもを騙す程度のものはつくれる。写真以外の証拠セワシドラえもん証言しかない。セワシが嘘をつき、ドラえもんが騙されていれば済む話だ。ドラえもんなら、電子頭脳をいじることで事実認識を歪めることが可能かもしれないし。

ジャイ子が嫌いだったら結婚しなければいいだろ。ジャイ子の設定ってルッキズムとかミソジニーだよね。ラッキーマン不細工です代とかさ。「同じ名前の子がいるといけないから、名前ジャイ子しました」じゃねーよ。新ドラだと「ジャイアン自分の兄になるのはイヤだ」が強調されてたけど、これもPC的な配慮かね。

セワシの介入によりのび太配偶者を変えたことで、本当に存在消滅した子孫もいるかもしれないが、その程度で任務を躊躇するようではタイムパトロール隊員はつとまらない。(T・Pぼん参照)

のび太先祖子孫は皆、名前が「野比のび~」の形になっているが、セワシはこの法則に当てはまらない。「野比のび~」が「のびのび」、セワシが「忙(せわ)しい」を意味するとすると、セワシのび太一族とは対極の存在ということになり、作者が暗に「セワシ一族の者ではないこと」を示しているとも受け取れる。

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セワシの正体はタイムパトロール(以下T・Pと表記)のエージェントであり、貧しい家の子などではない。

未来世界とはいえドラえもんや数多くのひみつ道具が貧しい家庭で買えるとは思えない。

セワシのたたずまいや言葉遣いは貧しい家庭の子のそれではないようにみえる。

セワシの語り口には、借金に喘ぐ一族悲惨さを語る深刻さが感じられない。

「だから今年のお年玉が50円」って、日本円未来も使われていて、物価も今とそんなに変わらないのか、お年玉という風習がまだあるのか。これ絶対セワシのび太時代について調べて即興で作った話だろ。

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セワシのび太にした話はすべて、野比家にドラえもん居候させるための口実。

ジャイ子結婚受験失敗、就職失敗、会社倒産いかものび太をその気にさせるために作られた子ども騙しのストーリーに見える。

作中では描かれなかったが、セワシのび太の両親を説得するために相当苦労したはずだ。両親には別の嘘をついて説得をした可能性が高い(未来ではのび太犯罪者になる、のび太自殺のび太が親を殺したetc)

あるいは、のび太には内緒で、協力の見返りに金銭や、ひみつ道具を使った物的援助が約束された可能性もある。

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セワシ子どもではなく、ひみつ道具によって子ども偽装したベテランのT・P隊員か、人間偽装したロボットである可能性が高い。あるいは地球人の子どもにそっくり宇宙人や変身能力を持つ特殊生物など。

違う時代人間交渉するという難しい役目を、子どもに任せるはずがない(タイムスクープハンター参照)。子どもの姿に化けたのは子どもであるのび太に親しみやすく、警戒感を抱かれないようにするためだろう。

追記 あーでも、セワシT・Pぼんの並平凡みたいにして幼くしてT・P隊員として修羅場をくぐり抜けて年齢以上の成熟をしてるのかも。

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セワシドラえもん野比家に送った真の目的は「歴史上の英雄である"のび太ドラえもん"のコンビを互いに引き会わせ、ふたりに数々の事件解決させて歴史(正史)の安定を守ること」である

映画では数々の悪人を倒し、世界危機から救っていることは周知の通り。特に「雲の王国」では、地上を文明崩壊カタストロフィから救っている。のび太なくして歴史の安定は守れないと言っても過言ではないだろう。

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◇「のび太を更正させて、子孫の繁栄をもたらす」というのは、この真の目的を隠すためのカバーストーリーにすぎない。

本編を見る限り、のび太が更正した様子はまったくみられない。むしろドラえもんが来たことで、のび太ひみつ道具のせいでより一層堕落している。肝心のドラえもんも、どら焼きを食べたり、遊んだり、メス猫を口説いたりして、まともに仕事をやっているようには見えない(たまにのび太に説教する程度)。のび太ひみつ道具をねだれば、毎回ほとんど二つ返事でひみつ道具を貸し与える甘やかしぶり。このような芳しくない状況にもかかわらず、セワシは滅多に20世紀にはやって来ない。のび太の更生は真の目的ではないことがよくわかるだろう。

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ドラえもんセワシ家の「子守ロボット」ではなく、T・Pが秘密裏管理するロボットである

製造メーカー型式として子守用ロボットなのは確かだが、外見が子どもに好かれるようなアニマルライクなデザインであること以外は、人間と同等の運動能力思考能力を持つ、実質的な汎用ロボットといえるだろう。

子守ロボットということにしておけば、英雄であることが周囲にばれないというT・Pの算段もあっただろう。

ドラえもん製造工場型式製造番号、製造年月日はT・Pが把握しているのだから放置ということはないはずだ。干渉こそしないが、ドラえもん製造教育はT・Pによって見守られていたはずだ。

まっとうな子守ロボットだとしたら、のび太に対する教育態度がお粗末すぎる。まあ幼児相手本来の「子守ロボット」だから、甘やかしすぎてしまうのだ、という解釈もできる。

後付け設定ではあるが「2112年 ドラえもん誕生」では、のび太と会う前からドラえもんがすでに、時間犯罪者ドルマスタイン逮捕に一役買っている。さすがは歴史英雄である

なお「2112年 ドラえもん誕生」では、赤ん坊だったセワシドラえもんを間違ってボタンを押して入札する描写があるが、これはT・Pがひみつ道具などを使ってつくりだした幻覚か何かだろう。セワシセワシの両親も実在しない人物であり、T・P隊員が偽装したものだろう。

以上に述べたようにドラえもんセワシ家の所有物などではなく、その管理はT・Pが担っていると考えるのが自然だ。ドラえもんはT・Pの「管理下」であって「所有」ではないだろう。というのも、書類上はT・Pの管理する装備の中にドラえもん名前はなく、その管理秘密裏に行われている可能性が高いからだ。書類上はセワシ家の所有になっている可能性が高い。そして、そのセワシ自体市民IDごと捏造された架空世帯だろう。

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プロ時間犯罪取締官であるT・Pにとっても、時間犯罪者摘発は、その捜査範囲が「全時空間」に渡るため、困難を極める。干し草の山から一本の針を探すようなものだ。

そこでT・Pは、正規隊員ではないのび太ドラえもんを、彼ら自身にも内緒犯罪捜査に「利用」している。

のび太ドラえもんの「遊び」が契機となって、時間犯罪摘発できたケースが多い。そういう「柔軟性」「発想の奇抜さ」が時間犯罪捜査には不可欠なのだろう。

あるいは、のび太ドラえもんの「犯罪者的な思考/発想」が、彼らを時間犯罪者と引き合わせるのかもしれない。「毒を持って毒を制する」悪魔捜査手法といえるかもしれない。

以上が「前時代凡庸子どもに超法規的な特権を与える」という、一見荒唐無稽プロジェクトの合理的根拠である

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ドラえもんのやっている歴史への介入は、T・Pが保全している「正史」にすでに「織り込み済み」であり、T・Pが定義するところの「歴史改変」には当たらない。

わかりやすく言えば、ドラえもん歴史に介入することは「運命」である。「織り込み済み」ということの意味は、たとえば「パラレル西遊記」の、のび太が初対面のリンレイに水を飲ませたときに、リンレイに「悟空様!」と呼ばれるシーンを見ればわかる。のび太孫悟空に扮装することもリンレイに会うことも、のび太自身がそれを意図するずっと前から、すでに運命として決まっていたことだったのだ。ドラえもん歴史へ介入「しない」ことこそが、防ぐべき「歴史改変」だったのだ。

関係ないけどリンレイ存在って結構謎が多いよね。ロボットみたいな存在なの?年取るの?寿命はあるの?リンレイ三蔵法師の従者になることも歴史に織り込み済みなの?

「織り込み済みの歴史介入」の例としては他に、「竜の騎士ラストのポップ地下室による空間創造、「大魔境」ラストの先取り約束機、「創世日記」冒頭の昆虫人襲来などがある。

日本誕生」も、もしヒカリ族が日本人先祖と言えるなら、「日本誕生」以前ののび太は、将来自分が行う歴史介入の結果を先取りしていたことになり、やはり「織り込み済み」ということになる。

数えてみると結構いね。他にもあるかもしれない。みんなもチェックしてみてね♪

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ドラえもんが航時法に反する歴史改変をたびたび行い、また危険ひみつ道具使用過去時代で行っても、T・Pに逮捕されないのは、前記の大義のために多少の過失はお目こぼしされているから。

ドラえもん無茶苦茶をやることがきっかけになって、結果的時間犯罪者の打倒など、歴史を良い方向に向かわせていると考えられているので、可能な限り介入しないというポリシーなのだろう

また、すでに述べたのように、ドラえもん行為正史に織り込み済みなので、無闇に取り締まらない方がいいということもあるだろう。

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◇20世紀の時代ドラえもん以外の未来人・ロボットが見当たらないのは、ドラえもんけがT・Pの特別任務によって存在を許されたロボットから

そもそも22世紀の人間であるセワシが20世紀の人間コンタクトを取ること、ロボットであるドラえもんを送り込むことが深刻な航時法違反。それが容認されているのはT・Pの超法規的措置があってのこと。

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◇街の人々がドラえもん存在に驚かないのは街ごとT・Pが何かしらの工作を行った結果。

買収、強迫洗脳、全員ロボットに入れ替えるetc。相当無理なことをやったはずだ。しか大義のために、多少の犠牲は許されるのだ。

https://anond.hatelabo.jp/20190502111820 に続く

※返答1

皆様ブクマコメントレスありがとうございます

croissant2003様のご指摘によりタイトル修正しました。ありがとうございます

emiladamas様 "面白いが、のび太の発想を使って時間犯罪捜査に役立てるというのは手間のわりにずいぶん迂遠な気はする。むしろそれは副次的ものであって真の目的別にあるのでは"

真の目的ですか、確かにそれはありそうですね。しかし、そうなるともう自分には想像がつかないですね。作中の情報か組み立てられる仮説があるかな

何人かの方が、のび太は「時空の特異点」なのではないのか、ということを書いてました。「時空の特異点」とは一体何なんでしょうかね。時空をめぐる哲学的SFになりそうですね。「あなたの人生の物語」みたいな。

https://anond.hatelabo.jp/20190502175024 様 "つまりドラえもんとは、周囲を巻き込んだ白日夢を見せ、危険なしに子供精神的成長を促すロボットなのだ。"

なるほど、つまりドラえもんは「教訓のカセット」をいれた「ドリームプレイヤー」というわけですね。

https://twitter.com/M_A_F_/status/1123859708140576768先生が関わった旧ドラ映画はだいたい大好きですが「ドラビアンナイト」は最初に書いたように理屈がよくわからないので、あまりきじゃないです。「竜の騎士」「パラレル西遊記」が好きです。

islecape様 "表紙に堂々と「気象庁専用」と書かれた秘密道具を持ってるのを見た幼稚園の頃からドラえもん自身エージェントなのでありセワシ従属的立場しかないと思ってるよ僕は(もちろんそんな話には決してならない)"

なるほど!重要情報ありがとうございます

「都合の悪いことは全部タイムパトロールのせいにしている。」確かに・・・

2019-02-03

https://kojitaken.hatenablog.com/entry/20190104/1546561548

コメント欄最初コメントがひどい。

このコメントを書いた論者はなぜこんなにも経済無知なのに、想像だけでこんなにも自信を持って経済を語れるのだろうか。まったく恐れを知らないとは恐ろしいことだ。

"ここ数年比較的景気が良かったのは,単に好調世界経済の「おこぼれ」に日本経済も多少は与れたというだけのこと"

本当に飽き飽きとするのだが、外需の変動で国内経済の変動を説明しようとするのはマスコミによく登場する「俗流経済論者」の典型である

一国の経済とは外需内需である

そもそも日本経済外需依存度が低いのは周知の通りだ。

国内経済の総供給よりも総需要が少ないとき、それが過剰在庫失業という形で表れる。それを「景気が悪い」という。

たとえば外需が増えても、それ以上に内需が減少すれば景気は悪くなる

外需が増えれば自動的に景気が良くなるというものではない。

したがって時の政権が、外需の増加以上に内需を「減らさなかった」のなら、その経済運営一定評価すべきことである

たとえば外需が減ればその分内需を増やして「国全体の需給のバランス」をつり合わせるのが「正しい経済運営である

この手の論者はおそらく「世界経済日本経済よりも遥かに大きいから、日本経済世界経済従属する」とでも思っているのだろう。

しかし、世界経済取引ほとんどは日本経済無関係であるというご簡単事実をわかっていない。

世界経済の中で、日本経済関係あるのは、日本外国の間の取引だけである

"そして,世界経済がひとたび傾けば,日本経済は真っ先に奈落の底に突き落とされる運命にある。アジア通貨危機リーマンショックの時と同じように。"

明確な根拠もなくいきなり日本経済「運命」名言されるとは驚くばかり。この経済予言者自分の知能にずいぶんと自信があるようだ。是非論文を書いてノーベル経済学賞を取ってもらいたいものだ。

どうして経済については空想ものを決めつけることが許されるのだろうか。

"これだけグローバル化が進んだ世界経済に,日本経済もがっちりと組み込まれている以上,日本一国限定経済政策で出来ることなど高が知れているし,世界経済の荒波に翻弄されるのは仕方のないこと。

今更グローバル化と訣別する訳にもゆくまい。「ソ連大恐慌の影響を受けずに順調に経済成長した」とはよく言われるが,当時のソ連のような国になりたいと誰が思うだろうか。"

上にも書いたが経済外需内需である

外需コントロールしにくいが内需政策的にある程度コントロールできる。

そして、金融政策の変更によって為替レートが変化すれば外需も変化する。

グローバル化と決別」などと、相手が言ってもいないことを捏造しなければ、自説を正当化できないのか。

金融政策財政政策を「適正」にして、国内経済の全需要と全供給バランスを取れと言っているだけの話だ。

経済政策的「無作為」か、「グローバル化と決別」するかというのは「偽の二択」である猛暑か極寒か選べというのに等しい。騙しのテクニックだ。

だいたいソ連を持ちだして論敵を貶めるのは冷戦時代赤狩りのやり口ではないか

"松尾匡など典型的で(マルクス経済学者だから当然だが),主著のタイトルが『不況人災です!』だもの。"

この論者の無知が端的に表れている。

松尾マルクス経済学であるのはその通りだが、リフレ政策ケインズ経済学的政策であることは、経済学をある程度知っている人間であれば常識である松尾が"不況人災です"と言いだすのは松尾が"マルクス経済学者だから"などと言いだすのはこの論者が批判相手の主張さえ政策理解していない証拠だ。 そもそもこの文章全体にケインズ経済学の「ケ」の字も出てこない。総需要管理政策批判するなら「敵」はケインズ経済学だ。この文章を書いた人間経済学を知っているのだろうか。だいたいこの論者はマルクス経済学をなんだと考えているのか。マルクス経済学不況人災とは言っていない。マルクス経済学では不況は「資本主義矛盾」によるものであり、資本主義を続けている限り避けられないとされる、その点ではむしろこの論者に近い。上記の「ソ連」といい反共意識でお手軽に論敵を否定しようという安易さが見える。

"現実主義的な「リベラル」なら,『不況天災,けれども「不況で人が死ぬ」のは人災です!』と唱えるべきだ。"

ろくに問題を学ばないで、ある政策が実行不可能であると決めつけるような知的に不誠実な人間自称現実主義的なリベラル」という人間なのだろう。ここだけはこの論者が全く正しいといえるだろう。

"経済無策と嘲笑された民主党政権下でも,金融円滑化法と地道な自殺対策が奏功して,高止まりしていた自殺者数を減少に転じさせた実績がある。

外的制約にがんじがらめで自由が利かない経済政策と違い,社会政策国内政治の「やる気」次第で充分可能なはずだ。"

社会政策も正しくやり、経済政策も正しくやればよい。

社会政策問題は、経済政策の是非を論じているときに持ち出す話題ではない。

先ほども書いたが、「偽の二択」は騙しのテクニックである

なおこのコメントはひどいものだが、それを理由リフレが正しいとは言えない。もっと知的にも倫理的にも不誠実なリフレ派は沢山いる。リフレを賛成するにも反対するにも最低限の知識が要るというだけのことである

2018-04-18

anond:20180416201535

ベートーヴェン交響曲第五番「運命」

まままま~ん(笑)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)


まままま まままま ままままん(ままままん)

まままま まままま ままままん(ままままん)

ままままんッッッ!!!(ままままー)

ままままんッッッッッ!!!(ままままんまん)

ままままんッッッッッ!!!ッッッ!!!ッッッ!!!(まーーーー)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)

2018-03-20

とりあえず自己顕示

狂気に憧れる凡人の話

 それはほかでもないぼくのことであるのだが。何よりもまずこのもったいぶっていかにも尊大そうな文章ケチをつけなければならないが、どうしてもこの文章じゃないと書けないのは、普段自分の頭の中をかけめぐる独白の数々がもう常にこの状態で、いくらケチをつかえようにも治らないのである。そしてその結果所々に綻びが生じる。そしてそれを許容するにはあと何十年も人生必要になるだろう。

 明け方明け方といっても現在午前19時である。日当たりのいる部屋に住むせいかカーテンを未だ閉めているせいか太陽を拝むことはないのだが、とにかくこの時間までぼくは寝れずにいた。寝れないときに頭を駆け巡るのはたいてい直近の過去反省か僕が主役の何かしらの劇的な映画である。ある時は正統を追い求めた結果化け物となる主人公を演じ、ある時は自分の人当りを恥じたり、ある時は海外旅行先で危うく性欲に負けそうなった事実を思い出す。現在過去からの逃避のためにぼくは狂気自分を追い求める。その狂気というのは目的達成のために没頭することができて周りを省みずそして周りもまた本人を認めている状態を指す。つまり自己実現自己顕示が両立した理想的状態に憧れる。そしてその状態過去いかなる自分構成している伏線を全て回収し、何等かの今現在の結果にすべて一本の柱で繋がることを求めている。求めているのである現実はそうはいかない。そのような狂気自分自分に舞い降りたことはなく、狂気の結果になったこともない。狂気を演じてみたこともあったがそこに生じたほころびはむしろ自分を苦しめることになった。つまりは結果が伴わなかったのだが、それはそうとしよう。なにより自分自身はどこまでも凡人で、その凡人さと、そして誠実さを追い求めていたという現実に直面したのである狂気理想、凡人も理想。でも現実は凡人。では理想は叶ったと思うが、これもまた難しい。この構造がよくわからない。凡人という層の上に狂人という層が乗っかっていて、その両方を求める自分がいるのであろうか。

 これはぼくの物語妄想に関連してくるのだと考える。ぼくの頭の中の物語、しばしばそれは12歳の頃から文章となって表現され印刷され、多くの人に読ませたりはたまた読まれたりしたわけだが、その妄想こそが平凡の上に狂気コーティングされている。つまり、世のなかに多く知れ渡るフィクションと全く同じ構造を取っている。具体的に言えばスターウォーズ

 例えば運命の申し子になりたがったり、運命に反逆し新しい法則を作り出す存在になりたがる。誰しも考える物語そうかもしれない。だからこの文章ありがちなものになり得る。それはしかし考え始めるとまた大変なので置いておく。

 まず、基本となる法則を追い求める。例えばスターウォーズでいう「フォース」であったり、よくある「運命」だったりする。「強大な支配者」だったりもする。そしてその基本となるものに、自分は「狂人」となり法則に準じて動いていく。妄想世界でこの法則絶対で揺らぐものではない。妄想世界ではぼくは絶対に間違えない。法則を間違えない。

 これこそがぼくの今の状態を作り出すのである。平凡の狂気の同居を求めるということ。つまりそれは究極的には平凡を求めているのかもしれない。絶対正しいとされることを妄信的に突き進めばぼくは幸せになれる、自己実現ができるという、ある意味思考停止を求めた状態なのかもしれない。価値観の氾濫するこの時代である。よく大昔の評論でいう「大きな物語」の終わった時代。それが昔。らしい。ぼくの生まれる五年ほど前にそれは終わり、今は価値観の氾濫する時代になっている。だからこそ強い価値観が生まれカウンタ―も強い。2011以後、それを強く感じている。もはや学べば学ぶほど何が正しいかからなくなり、そして終着点が分からなくなる。よくフィクションで言われる「それは己が決める」そうしたい。そうしたいし、それが正解だと思う。しか自分が間違える存在で、正しいところに合わせなければならず、もし自分がそれを踏み外せばそれすらしばしぼくの責任ではなく(大きく元を辿れば自分責任なのだが)、自捨を求められる「大きな物語」の中にいたぼくが、この物語の氾濫するなかでそれを選択し生きていけるのだろうか。しばしぼくらは尊重される。マイノリティだとしても悪いことだとしても、その個人尊重される。されるべきである。一方でぼくを取り巻く規範がぼくにどう作用するのか。二つの全く異なるコミュニティを行き来してきた僕に何がどう作用するのか。1984よろしく二重思考である「わかっちゃいるけどやめられない」「間違っちゃいるけど間違っていない」恐らくこの二重思考も誤りであるが。そしてぼくはどちらかを選択し逃避する。どちらも正しいと思うのに。どちらも正しいと思うから。これがまたややこしい問題を引き起こす。

 本当のぼくはとても乱暴狂信者である。属する二つのコミュニティ規範に対して。とても乱暴妄信的な狂信者である。その折り合いは結局、この22年間でつけることは出来なかった。そしてもう23年目を迎える。自己実現自己顕示などもう参照ファイルの一個としてもったいぶって時折閲覧する程度でいい時期である。それすらも間違っているのかもしれないが。ぼくのただの達観という自己満足自己実現の1つの妄想の中の確信の1つなのかもしれないが。だがどうしようもない。この疑い逃れに堕ちぬよう絶対を見つけるまで日向ぼっこしかないんだ。何日も何十年も雲のように漂って。とっつきやす欲望転々として理由を探していたけど。ある日ある事あって。また嫌になったんだ。これまでの世界にもこの文章にすらシラケてしまった。ぼくは戻っていった。あきらめと忘却千羽鶴のように歩む生活の往来に。さながら長澤知之である。回想を繰り替えし思考列車回送を繰り返しながらぼくは今日もぐるぐると回り先人を参照して一時満足しまた離陸して宙に浮いて厨二に入ろうする。三十分が経った。整理できただろうか。ぼくはこうして前に進めない。前に進み規範に折り合いをつける技量もない。面白いことに一年前のぼくの就職診断で出た答えは「開祖」であった。宗教をひらけというのだ。つまりはもうぼくはそのようにして列車を止めることは出来ないから、早く駅を作りその駅に留まりまた路線を作り走り出せというのだ。それしかぼくのような人間は生きることが出来ない。社会でやっていくこともできない。

 そしてぼくのようなものは、地球上にゴマンといる。恥ずかしいことにマジョリティなのである。なんとも哀れ。恥ずべきこと。マイノリティを求めること時代マジョリティの発想なのである。この世に溢れるマジョリティを求めるマイノリティ物語などすべてその逆でしかない。この文章自己陶酔の一役目しか果たしていない。道具に頼らないだけマシであるが。

 夜が明けた。今日が始まる。あまり酔った文章を書きたくないのでどう締めたらよかろうか。この自分状態も、外の状態も、宵が明ける。上手い。よしこれで終わりにしよう。

2018-03-10

ベートーヴェン交響曲第五番「運命」

ベートーヴェン交響曲第五番「運命」

まままま~ん(笑)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)

まままま まままま ままままん(ままままん)

まままま まままま ままままん(ままままん)

ままままんッッッ!!!(ままままー)

ままままんッッッッッ!!!(ままままんまん)

ままままんッッッッッ!!!ッッッ!!!ッッッ!!!(まーーーー)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)

anond:20180310082805

2018-02-14

anond:20180212220528

元増田は本当にお疲れ様

前に飼っていた猫は乳癌で長く闘病していたのだけど、生まれた時から一緒に育った猫だったので大変辛かった。

その頃のことを思い出したのは元増田記事を読んだからじゃなく、昨日、その後に飼った別の猫が死んだからだ。便乗するのを許して欲しい。誰かにまれたいわけじゃない。吐き出さないとつらい。


今回の猫は心臓悪化から機能が低下して内蔵まわりを水びたしにして呼吸困難で死んだ。

そんな疾患を意識したこともなく、ほんの三日前の午前中まで元気に普段通りに過ごしていたので寝耳に水としか言いようがない。

細かく書こうとしてみたが、すでに出来事の順番が曖昧になっていることに気づいたのでやめた。ともかくジェットコースターだった。レールが出発地点に戻らずちょん切られていて池の中に放り出された感じだけど。

前述の癌の猫について、飼い主の都合で痛みを長引かせてしまったという自覚があることと、呼吸困難の苦しさ(丸二日間ずっと苦しみ続けて睡眠もとれないのを目の当たりにみしている上、完治の見込みは一切無い)を考慮して安楽死を選んだ。

選択自体には後悔は一切していない。猫はもちろん一秒でも長く生きることを選ぶだろう、意識だってまだあるのだ。自分の顔を声を、撫でる手を認識している。酸素室で比較的楽な一瞬、しっかりとこちらを見て立ち上がった時、確かに意識はしっかりしていた。でも、苦しさが限界まできてから眠らせるんじゃ意味がないと思った。少しでも早く楽にさせてあげたいと思った。口から垂れた水滴がうっすらと紅色だったのを見て、呼吸困難の後、血を吐くというのは本当なんだと思ったし、そこまでさせるのは本当に可哀想だと思った。前日の夜、撫でさすりながら「この呼吸困難は落ち着くことはない」と悟った時の悲しさは深くて、その時にもう決断したのだ。落ち着かないんだから、早い方がいい。でもそれは今日その日のことだとはわかっていても、何時何分になるのか、どうやって決めればいいのか。その瞬間までずっと考えていた。今はまだ撫でれば寄り添ってくる。声をかければ反応がある。尻の付け根を撫でればしっぽも跳ねる。でも決めてしまったら最後もう二度と触れあえない。

バックヤードに入って声をかけてから就業時間ギリギリまでそばにいる許可を得て、酸素室のそば椅子に座って猫をずっと眺めていた。猫は午前中は水を飲んだりできるまでに安定していたが、午後から酸素室に入れる前のように口を開いて呼吸する状態に戻っていた。心臓を圧迫するから俯せになるより座る姿勢の方が本来は楽なのだが、疲れているので伏せっていた。どうにもできないのでアクリル板の前で声をかけていた。顔と顔を付き合わせてスリスリするのが好きな猫だったので、なるべく顔を近づけて、たまに話かけるようにしていた。

しばらくして猫が体を起こした。そのまま頭をアクリル板に擦り付けスリスリとした時、私は撫でてやることができなかった。すぐに猫は座りなおし、また伏せてしまった。この仕草が猫から最後要望だったこと、それにその瞬間に応えてやれなかったことだけが、後悔として未だに引っかかっている。最後の瞬間まで何もかもを飼い主が勝手に決めるんだから、その時の「撫でて欲しさ」くらい絶対的に満たされるべきだった。

その後、酸素室を明けてもらってチューブを口元に持って行きつつ撫でたりもしたし、それで尻尾はピンと張ったけど、そんなの飼い主が触りたくて触っただけだし、今こうやって失われた手触りを惜しんでボロッボロに泣いているのも飼い主の勝手なのだ

死も病も生きとし生けるもの代謝を続ける生物すべてに降りかかる災難であって、この出来事もことさら特別運命ではない。だけど、なんでついこの間までピンピンしてたのに撫でて温めても治らないのかわけわかんないし、その直前に何か特別なご褒美がないものか、よくわからんと感じてしまうのだ。ペットとして生きものを振り回している人間の罪悪感から来ているとか、そういうたいそうなもんじゃなく、あの時に応えてあげたかったと、叶わなかっただけに後悔というより残念感がドーッと心を浸したまま浮き上がることはたぶんない。

安楽死想像よりも一瞬の出来事で、ハッキリ言ってまだ生きてる状態なのではと思いつつ死体を抱えて帰宅したが、やはり運動としての反応がない以上、死んだものではあった。体温は一月の寒さ程度では全然去らず、猫を抱えているとき特有の暖かさがあった。その意味ではまだ肉体は生きていた。肉体が生きている、感触は変わらず生前のままなので、猫とはまだ別れていない、「魂はまだ離れていない」という感覚ストン理解できた。通夜をするのだと決めた。

猫を抱いた人は了解されていると思うが、猫を抱くというのは小さいものの魂を抱くということだ。あれの温かさはそういう種類のものだ。スピリチュアリズムとかではなく、あんなに小さくて柔らかくて温かい繊細な感触をするものが、電池もなしに瞬発力を持って動くことに感動する。あの感触を得るために(あと鳴き声や舐める舌を得るために)人間は猫を飼っている。

この撫で心地を一瞬でも多く体験したいと思って、コンパクト姿勢にまとめて、体から熱が去らないようにバスタオルで包みながらずっと撫でていた。

やがて家族が飯の支度が出来たと呼びに来たので、二回目の呼び立てで立ち上がって猫を置いた。いつまでも続けているわけにはいかないのは分かっている。ただ、失われるものを少しでも得たいという、やはり飼い主の勝手欲望であって、そんなものは不純な気もしたが別れの儀式なのだと思えば許されるのではという気もした。

寝る時はベッドのそばのローテーブルに安置した。なかなか寝入れないので無料ガチャを回そうとソシャゲを起動したのだが、そういえば一昨日もこれをプレイしつつ俯せになっていたら猫が胸の下に入り込もうと邪魔をするので追い払っていたなと思い出した、とその時は泣かなかったが今泣いている。そのことは特に後悔はしていない(猫は実際に邪魔な時は邪魔だ)のだが、失われた瞬間の尊さときたら途方もない。猫が生きている時は「寂しい」の気持ちは押し込められていて、ともかく理不尽な病に苦しめられている猫の「運命」が「可哀想」だという気持ちで頭がいっぱいだったのだが、死んでしまうと寂しいに浸ることが許される。寂しいは自分状態への反応なので、順番を間違えてはいけない。

翌朝、猫の体は冷えていたが、水が溜まった下腹部がぶにぶにとしているせいで毛並と相まって生前の手触りを保持していた。腹に顔を埋めると猫本来香りは一切しなかった。発症してから口臭や小便の匂いもせず、口鼻や肛門に詰め込まれている綿と、昨夜寝かせる前に口元を拭った時の消毒剤の匂いがした。

その後、猫を弔ったわけだが長くなりすぎたので割愛する。

私が猫を看取ったのはこれで六匹目になる。回数を重ねるにつれ慣れるものだと感じていたのだが、正確ではなかった。この最後の一匹になる前は多々飼いをしており、一匹が死ぬことで猫の気配がなくなるということはなかったのだ。

最後の一匹になってから四年。この一匹だけは老衰でヨボヨボになりボケてあちこちに放尿するのを世話しながら息を引き取ることになるのかなと、なんとなく考えていた。



ペットロスという単語検索してみたら気が滅入った。

例えばこの文章を書きつつ号泣するというのはよくわかる。自分体験を振り返り、気持ちを盛り上げて文章化するものからだ。

だが、なんの切っ掛けもなく涙がこぼれることがあって、その時の心境は確かに「悲しい」だから心体は一致しているものの、ささいな刺激で表出するので本当に困る。「悲しい」には悲しいし、寂しがっているのだが、そうしたいと思っていないのに気持ちが昂ぶってしまい困る。

その一方でその気持ちから断ち切られたくないと考えている自分もいる。猫の感触仕草を声を忘れたくない。何度も振り返って記憶に焼き付けたいと願っている。その中でその愛している相手がこの世のどこにも存在しないことを感じて自動的に涙が流れる

時間解決することはわかっている。涙がなくても気軽に思い出せる日はたぶん遠くない。でも今はいっぱい悲しい。悲しいので涙が流れるし鼻水は垂れるし、一昨日からずっと目蓋が腫れぼったいしおでこまわりが熱いし、今年はもう必要ないなと思っていた鼻セレブを買った。

猫のことが悲しすぎない心持ちになったら、また新しい猫を引き取ろうと思う。一匹目の生まれた時から一緒にいた猫と死別した後、猫はあの一匹だけだと思っていた自分を変えたのは昨日看取った猫だった。

猫は猫それぞれで全然違い、個性や猫格を持っている。上手く付き合える確証なんてない。でも捨てられたり放棄された猫と暮らすのはどんな相手だろうと悪くないものだし、そのことで幸せになれる猫がいるなら今までの飼い猫たちにも報いることにならないだろうかと、そうも思うのだ。それこそ飼い主の勝手解釈で猫にしてみたらどうでもいいだろうが、一匹でも多く飯で腹いっぱいな猫が増えるなら猫好きとしては嬉しい。




一匹目の猫は乳癌で死んだ。

腹が腐る匂いと一緒に眠っていた。腫瘍の膿を拭って消毒液をかけないといけないのだが、大きく身をよじって嫌がるので雑な対処しかできなかった。爪を切られるのさえ嫌がる猫だった。

最期が近くなるとトイレがうまくできなくなり、尻まわりに糞をつけていたので臭かったが、その頃になると体もうまく動かせなくなっていたので拭き取ること自体は楽だった。しかし、腰が抜けて糞尿の上でのたうつようなことが度々あり辟易した。

最後の日、私が居間インターネットをしている時に「ニャア」といつもの声で呼びかけてきたが、私は怒っていたので相手をしなかった。

学校から帰って死んだ猫を見つけた時、ついに来ものが来たということはわかっていたが、そのことが理解できなかった、というのが当時のノートを読み返してよくわかる。生きていた時なら絶対にしないことを猫にした。首を持って持ち上げた。そのまま持ち続けていたが、反応がなくて、手を離した。床に落ちた。現象として確認した。信じられないものを目の当たりにしたあの時の気持ちを私は今でも忘れていなかった。紙から取り出せる。いつでも。

風呂場に遺体を持ち込んで糞と膿を荒い流している間、全世界への呪詛を吐きながらずっと泣いていたことも覚えている。初めて触れた身近な死だった。なんて残酷なんだろうと思った。

あの頃のように大声を出して泣くことも、荒々しい気持ちになることも、もうないだろう。

供養もなにもかも、飼い主の勝手で、寄り添ってくれたあの瞬間だけが本物だった。

2017-12-23

anond:20171222191801

ベートーヴェン交響曲第五番「運命」

まままま~ん(笑)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)

まままま まままま ままままん(ままままん)

まままま まままま ままままん(ままままん)

ままままんッッッ!!!(ままままー)

ままままんッッッッッ!!!(ままままんまん)

ままままんッッッッッ!!!ッッッ!!!ッッッ!!!(まーーーー)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)

2017-12-13

ま~ん(笑)の歌 名歌2選(笑)

https://anond.hatelabo.jp/20171206023913

ベートーヴェン交響曲第五番「運命」

まままま~ん(笑)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)

まままま まままま ままままん(ままままん)

まままま まままま ままままん(ままままん)

ままままんッッッ!!!(ままままー)

ままままんッッッッッ!!!(ままままんまん)

ままままんッッッッッ!!!ッッッ!!!ッッッ!!!(まーーーー)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)

アイアイ

まーんまん(まーんまん)

まーんまん(まーんまん)

おさーるさーんだよ~~~~~~~(笑)

まーんまん(まーんまん)

まーんまん(まーんまん)

ひがーしのしまーの~~~~~(笑)

まんまん!(まんまんッ!)

まんまん!(まんまんッ!)

ちーんぽがほーしい~~~~~~(笑)

まーんまん(まんまん)

まーんまん(まーんまん)

おさーるさーんだよ~~~~(笑)

ちーんぽがほーしい~~~~~♪

2017-05-09

ま~ん(笑)の歌 名歌2選(笑) 編集

http://anond.hatelabo.jp/20170508082825

ベートーヴェン交響曲第五番「運命」

まままま~ん(笑)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)

まままま まままま ままままん(ままままん)

まままま まままま ままままん(ままままん)

ままままんッッッ!!!(ままままー)

ままままんッッッッッ!!!(ままままんまん)

ままままんッッッッッ!!!ッッッ!!!ッッッ!!!(まーーーー)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)

アイアイ

まーんまん(まーんまん)

まーんまん(まーんまん)

おさーるさーんだよ~~~~~~~(笑)

まーんまん(まーんまん)

まーんまん(まーんまん)

ひがーしのしまーの~~~~~(笑)

まんまん!(まんまんッ!)

まんまん!(まんまんッ!)

ちーんぽがほーしい~~~~~~(笑)

まーんまん(まんまん)

まーんまん(まーんまん)

おさーるさーんだよ~~~~(笑)

ちーんぽがほーしい~~~~~♪

2017-04-28

ま~ん(笑)の歌 名歌2選(笑)

ベートーヴェン交響曲第五番「運命」

まままま~ん(笑)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)

まままま まままま ままままん(ままままん)

まままま まままま ままままん(ままままん)

ままままんッッッ!!!(ままままー)

ままままんッッッッッ!!!(ままままんまん)

ままままんッッッッッ!!!ッッッ!!!ッッッ!!!(まーーーー)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)

アイアイ

まーんまん(まーんまん)

まーんまん(まーんまん)

おさーるさーんだよ~~~~~~~(笑)

まーんまん(まーんまん)

まーんまん(まーんまん)

ひがーしのしまーの~~~~~(笑)

まんまん!(まんまんッ!)

まんまん!(まんまんッ!)

ちーんぽがほーしい~~~~~~(笑)

まーんまん(まんまん)

まーんまん(まーんまん)

おさーるさーんだよ~~~~(笑)

ちーんぽがほーしい~~~~~♪

2017-04-26

みんなで歌おう!まんまん名歌!

http://anond.hatelabo.jp/20170426125846

ベートーヴェン交響曲第五番「運命」

まままま~ん(笑)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)

まままま まままま ままままん(ままままん)

まままま まままま ままままん(ままままん)

ままままんッッッ!!!(ままままー)

ままままんッッッッッ!!!(ままままんまん)

ままままんッッッッッ!!!ッッッ!!!ッッッ!!!(まーーーー)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)

アイアイ

まーんまん(まーんまん)

まーんまん(まーんまん)

おさーるさーんだよ~~~~~~~(笑)

まーんまん(まーんまん)

まーんまん(まーんまん)

ひがーしのしまーの~~~~~(笑)

まんまん!(まんまんッ!)

まんまん!(まんまんッ!)

ちーんぽがほーしい~~~~~~(笑)

まーんまん(まんまん)

まーんまん(まーんまん)

おさーるさーんだよ~~~~(笑)

ちーんぽがほーしい~~~~~♪

2017-03-29

http://anond.hatelabo.jp/20170329121734

ライトモティーフというやつだな。

から有るが、「手法」として確立されたのはワーグナーあたりから。今から200年くらい前。

今だと映像音楽がはっきりしていてよくわかるんだが、昔からこういうのはある。

クラシック音楽だと主題となるメロディが形を変えて、最高に盛り上がるところで意外な形で登場することがある。

わかりやすいところでは、ベートーヴェンの第五、いわゆる「運命」だな。

最初のあの特徴的な「ででででーん!」が主題最初はこの重々しい「ででででーん!」が繰り返され、聞く者に悲壮感情をもたらす。聞いていると鬱々としてくる。しかし、展開していくと、あるとき雰囲気が一変する。それがフレンチホルンの「ぱぱぱぱーん、ぱーんぱーん」だ。聞いてみるとすぐわかる。最初の方で、いきなり雰囲気が明るくなるところだ。このホルンが鳴った後は一転して穏やかに、川が流れるような旋律が続いていく。

この「ででででーん!」と「ぱぱぱぱーん」は同じメロディだ。しかしまるで印象が異なる。聞く人によって解釈は異なるが、俺は「ででででーん!」は人間の苦悩を、「ぱぱぱぱーん」はその人間の苦悩を救う神(でなくてもいいが)の声と解釈している。「運命」とはなかなか上手い名付けだ。他にもこのメロディが随所に登場する。そのたびにハッと気づくことがあるだろう。

クラシック音楽に限らず、音楽にはこういう小技がちりばめられている。

ある登場人物に割り当てられる音はコレ、ヒロインはコレ、で、ラストでその二つの音で和音が作られる、とかね。

昔は映像がない分、音符でキャラテーマ表現していたんだよ。

ちなみにジャズも似たようなことをやっている。ジャズ即興が命だけど、この即興は単にうまさを見せつけるだけじゃなくて、いか主題に絡めるか(あるいは逸脱するか)が腕の見せ所だ。音を丁寧に拾っていくと様々な発見がある。ジャズドラマー打楽器メロディを奏でる化け物がごろごろしてるぞ。

とにかく、まずはベートーヴェンの第五を聞いてみてくれ。

2016-11-29

劇場版艦これ、すごくない?

ネタバレあり感想です。

脳内整理のために書き殴ったメモです。だいぶしっちゃかめっちゃかです。








良かった点

戦闘シーンが良かった。

全体的に艦娘固有の艤装が活きていた。

最初の第八艦隊戦闘とかもう最高。古鷹の腕ってあん甲冑みたいになってたんだな。普段名前に隠れてるから全然知らなかった。めちゃくちゃカッコええやんけ。

天龍の刀が活きてたのも良かった。牙突みたいな構えしてたからそういうことすんのかなー、って思ってたら結局普通に発砲する。これがいい。あれは実際に敵を斬るためじゃなくて、印象づけておいてプレッシャーを与えるための武器なんだな。案外クレバーだ。怖いよ天龍ちゃん。

あとは何をおいても大和の発砲シーンですね。超火力・超迫力。やっぱり大和はこうでなくちゃ。まさに最終兵器

艦娘以外も良かったです。艤装の細かい稼動とか、見ててテンション上がった。

妖精もいい仕事してましたね。戦いの場には似つかわしくないビジュアルだと思ってたけど、それがむしろ張り詰めすぎかねない空気緩衝材になってて良かった。

妖精の空戦シーンもよかったしね。いっぺん翼を「クイッ」ってやってから旋回するやつとかね。あれめっちゃカッコよかった。


艦娘の描かれ方が良かった。

全編通じて、「それそれ!それが欲しかった!」って感じ。ポンコツは一人も居ない。ハラショーしか言わない娘とか、終始一人遊びしてる娘とか、男もいないのに行き遅れキャラでいじられる娘とかが居なくて本当に良かった。

個人的には金剛姉妹が良かった。TV版ではほとんどギャグ要員だったけど、今回は軍議の一端を担う重要役割金剛はなんだかんだで政治力ありそうだし、気も回りそうなんだよな・・・軍議にもしれっと紅茶出してたし・・・

大淀も良かったです。公式からは「スレンダーなお姉さん」という印象を受けるけど、今回の劇場版では完全に中学生体型。身長軽巡とそんなに変わらないし、頭身・肉のつき方・顔の丸さなんかも中学生のそれ。長門かだれかと並んだときにはそれがますます際立って、もうかわいくて辛抱たまらんかった。

他の艦娘も、TV版のようにやたらキャラが尖っていなくて良かった。ゲーム内のセリフも、無理なく混ぜ込まれていた。

あと艦娘同士の絆の描写もよかった。睦月如月関係はもう「睦月依存しすぎちゃう・・・?」と心配になるくらい痛々しかったけど、それが良かったし、

加賀も良かった。あのお互いを認めあっているものの素直にそれが言えない距離感な。この関係性がフレッシュでよかった。艦これベタベタ百合だけじゃないんや。

ほかには大和が座るとき描写、あれがなんだか面白かったな。普通体操座りするときって、いったん見苦しい動作が入るんだよね。手を後ろについて支えたり、急にドスンと腰を下ろしたり。でも、大和が座るときはそれがなかった。重心が一定したまま、スッと座る。あり得ない挙動だけど、美しい。あの描き方はアニメではよくある手法なのだろうか?それとも、女の子が完全に理想化された「艦これ」だからここまで徹底したのか?なんにせよ、ちょっとしたこだわりが感じられて嬉しかった。


・流血表現が良かった。

そう。今回の映画、流血表現あったんですよ。流血。艦これで流血。なかなか思い切ったなあと。いや、ストーリーもっと思い切ったことしてるんですけどね。

最初鳥海が流血したのを見て「あ、血出るんだ」と軽くショックを受けたけど、彼女を皮切りにそれ以降みんな続々流血。海の色もあいまって絵面の陰惨さがすごい。

でも、なんだか艦娘が血を流してると安心するな。「あ、彼女らも僕らと同じなんだ・・・」って。「赤い血=人間の証明」みたいなのってホントにあるんだなあ。

もちろん絵面に陰惨さを加えるための血も良かった。如月が「なんで消えないの・・・」って言いながら血が出るまで腕をこすってるとことかね。あと睦月深海棲艦に顔を掴まれて押し倒されるあたりも良かった。ここは血が出てたかどうか覚えてないけど。いや、ともかく今回リョナ心をくすぐるようなシーンがやたら良かったな。おびえ方がいいというか。


ストーリーの筋が一本通っていて良かった。

これが一番。TV版は何がしたいのかさっぱりわからなかった。「深海棲艦はなぜ存在するのか」「吹雪はなぜ特別なのか」といった謎も投げっぱなしだったし。

しかし、今回の劇場版は、そうしたいくつかの謎をできるだけ解消するという筋が一本通っていたぶん、非常にわかやすく楽しめた。

艦娘が戦う理由」みたいなのも良かったよね。護りたいもの云々と大層なことを言っていたけど、結局一緒に戦ってる仲間のためっていう。このへんがちょっとリアルに感じられて。マブラヴかなんかに「前線で戦ってる兵士たちは、国のためとか大義のためじゃなく、結局仲間のために戦っている」みたいな話があったけど(うろ覚え)、そういう感じで。

轟沈艦を出さないことが将来の勝利につながる」という設定も良かった。将来への希望が見えたし、この戦いにも「将来に繋がる重要な緒戦」という意味が見いだせた。これだけの戦闘轟沈が出ない理由にもなったし。

深海棲艦まわりの設定について、一部では「公式世界観名言しちゃっていいの!?」なんて騒がれてるみたいだけど、公式っつってもメディアミックスの一環だし、まあほとんど二次創作と扱いは変わらないでしょう。

気合の入った二次創作アニメを、1800円で、総集編同人誌より安いくらいの値段で、楽しむことができる。これだけでもだいぶすごいことだと思うけど。

上のような楽しみ方ができるのは、TVアニメ版がひどすぎたおかげなんですけどね。ちょっと卑屈になりすぎてる気もする。

悪かった点

深海棲艦に迫力がない

う~ん、「深海棲艦は轟沈した艦娘の成れの果て」という設定上、深海棲艦が親しみやすい絵になるのはしょうがないのかもしれないけど、にしても弱々しい。

単体ではかよわそうだし、かといって物量もないし、いまいち脅威に感じられなかったな。結局「僻地の小競り合い」って感じに見える。ゲーム内でも史実でも、そんな生易しいものではなかったはずなんだけど・・・


それくらいか。案外思いつかなかった。あとは下の疑問点が残ったことくらいですかね。

疑問点

・結局深海棲艦まわりの設定ってどうなってるの?

深海棲艦は轟沈した艦娘からまれ艦娘轟沈した深海棲艦からまれる」「深海棲艦は元いた場所に帰りたいと思い進軍を続けている」というのはわかった。

でも大元の「なぜ深海棲艦は発生したのか」というところがおぼろげにしかからなかった。いや、わかったつもりでいたんだけど、誰も言及してないかだんだん不安になってきた。

ので、ここからほとんど憶測になる。


おそらく、今回の艦これでは、深海棲艦が発生した理由は、

大戦で沈んだ艦が、自らの存在を人々から忘れられないために、自身の闇の感情記憶である深海棲艦を作り出し、光の感情記憶である艦娘と戦わせているから」というものなのだろう。

言うならば、この戦いはすべて、実艦が生み出した狂言だったのだ。

深海棲艦と艦娘無限輪廻を繰り返し戦い続けることで、人間軍艦の恐怖/輝かしさを覚えてもらう、思い出してもらう。

その際パワーバランスが偏って戦争が終わってしまわないように、艦娘たちは実艦と同じ場所で沈む運命にある。

しかし、その「運命」システムを崩す鍵となったのが吹雪であった。

・・・う~ん、これがぼくの深読みでなければ、ずいぶんエグい設定だなあ。

でも、めちゃくちゃ面白い設定だ。ゲームとも符合する。艦娘美少女である理由もわかるし、深海棲艦は艦娘しか倒せない理由もわかるし・・・

この設定を、ファン層が広い「艦これ」の、全国公開劇場版に持ってきた度胸。これが一番劇場版艦これのすごいところだと思う。

これだけでアニメ1クールくらい作れそう。それをなぜTVアニメ艦これ・・・なぜ・・・


でも、そうすると、

・「提督」とはいったい何者なのか?

艦が自身を覚えていて貰うために狂言とも言える戦争を創り出しているのだったら、

人間深海棲艦に被害を受け、艦娘応援するだけで役割にそぐうはず。

それなのに、わざわざ人間に「提督」というポストを用意してやるのは、いったいなぜなんだろう?

それとも、「提督」は人間ではない・・・

そうすると、具体的な見当はつかないな・・・吹雪を重用するところから、この戦争を終わらせる意思をもったものらしいということはわかるけど・・・

なんとなくTYPE-MOONでいうところの「霊長」とか「アラヤ」みたいなもの想像してしまうな。さすがにこれは妄想だけど。

吹雪はなぜ「希望」なの?

これが一番よくわからんかった。

闇の感情記憶と分離してるから・・・みたいな説明がなされてたような覚えがあるけど、それで他の艦娘と何が変わるのか?

TV版の最終話のような、「運命を変える鍵」になりえる理由がそれなのか?

最後精神世界描写は、結局吹雪が実艦吹雪の闇の記憶を消し去ったということなのだろうか?

う~ん。納得するにはちょっと理由が弱いような・・・



なんだか最後の方はほとんど妄想になってしまったけど、感想としては以上です。

いや~、いいメディアミックスでした。久々に艦これにワクワクさせられた。


追記:タイトル修正いたしました。

カテゴリーをつけるつもりだったのですがうまくいかなかったので結局削除しました(かわいい

2016-11-24

先生の一番になれなかった

塾の先生が大好きだった。

知識豊富で、視野が広くて、感受性が豊かで、面白くて、人としての魅力がたくさんあってその人の傍にいるだけで胸がいっぱいになった。

気にかけて貰えると嬉しくて、認めて貰えると涙が出てきてしまいそうになった。

先生のようになりたくて勉強を頑張った。勉強をしていくうちに学ぶことが楽しくなっていった。

それから様々なものに興味を持つようになり気が付いたら、今まで見向きもしなかったものを好きになっていた。

ものの考え方も、捉え方も良い方向に変わり、人との出会いや一時一時を大切にするようになった。

辛いことも、悲しいことも、先生がいたから耐えられた。

その時の私は先生が「カラスは白だ」と言えば何の疑問も抱かずに「カラスは白なんだ!!!」だと思ってしまうくらい単純だった。

高校卒業しても先生の傍にいたかった。

先生の隣で生きて行きたかった。

けれど、この時点で先生に対する気持ちを拗らせていて「尊敬」なのか「愛」なのか自分でもよくわからなかった。

結果、「先生のようになりたいんですがどうしたらいいですか」と言うことしか出来なかった。

これが私の先生に対する精一杯の「好き」だった。

先生は「俺のようになることは出来ないだろうな。お前は結婚をして幸せを感じることが出来る人間からな」と困ったように笑って言った。

泣きたくなった。

はっきり自分気持ち言葉にしなくては伝わらないことをわかっていたが、自分でも把握出来ない拗らせてしまった好意を口にするのは重たすぎて出来なった。

先生と一緒に働きたい」と言えば良かったのか、「好きだ」と伝えれば良かったのかわかりはしない。

頭が良かったら? 美人だったら? 先生と似たような人間だったら?

どんな人だったら先生に選んでもらえたんだろう。

私の中で先生が一番だったように、先生の中で私が一番になりたかった。

「運命」「奇跡」なんて選ばれた人にしか来ないものだと思っていたのに、まさかそれが自分にくるとは思ってもいなかった。

私にとって先生との出会い「奇跡」のものだった。

でも、先生からしたら私との出会い「運命」でも「奇跡」でもなかった。それだけだ。

2016-10-09

君の名は。』には、欠点が二つある。【ネタバレ注意】

端的に言って、思いのほか面白かったです。

監督過去作品から憶測して「どうせまた雰囲気だけの恋愛映画だろう」と思い、

まり乗り気ではなかったのですが、

実際にはそうではなく、非常にエンターテイメント性に富んでいて、

過去作とは段違いの人気があるのも素直にうなずけましたし、見に行って本当に良かったと思います

その上で、気になったことが主に二つありました。

この作品の大きな欠点と言い換えても良いかもしれません。

それは、恋愛作品としての欠点と、恋愛以外のストーリー上の欠点です。

三年後の未来、もしくは過去世界であることに、なぜ二人とも気づかなかったのか

先ず、恋愛以外のストーリーで気になった部分についてです。

この作品ストーリー上で、もっとも大きな「仕掛け」であり、

前半のコミカルな入れ替わり劇から、後半のシリアスな展開へといっきに変える重要な部分であるだけに、

こまかいことではありますが、違和感のようなもの最後まで残ってしまいました。

普通に考えれば、二人が入れ替わって生活をしているあいだに、

カレンダーテレビ、いたる所にある張り紙広告などで、

今が何年かというのは、嫌でも目や耳にする機会はたくさんあるはずですし、

もし何月何日という日付が同じで気づきにくかったとしても、曜日がちがうはずです。

とくに、未来から来た瀧は、糸守という地名や、彗星の来訪、

それによって起きた大惨事のことを知っていたはずですから

テレビ彗星のことを見て、それを思い出せなかったのはすごく不自然に思えます

ただし、このことについては、設定上の説明はいちおうされていると思われるので、

しかしたら欠点というほどではないかもしれません。

「入れ替わってるあいだは、まるで夢の中にいるように、意識記憶あいまいになる。」

というような説明が何度かあったので、

おそらく、日付のちがいに気づけなかったり、彗星や糸守の惨事のことを思い出せないような、

不思議な力が働いていたということなのでしょう。

ただし、この入れ替わりの能力自体が、糸守を惨事から救うためにあるとしたら、

記憶あいまいになるように働く力は、その目的に反したものになってしまうので、

その矛盾を解くために、さらなる説明必要になる気はしますが・・・

そういえば、入れ替わった瀧が、朝、制服を着て学校に行こうとして

四葉に「なんで制服着てるの?」と言われるシーンがありましたが、

しかしたらあれが、「曜日がちがっているけど気づけない」ということを

表現したシーンだったのでしょうか。

できればもう少しわかりやすく、前述のシーンであれば、

おかしいな。たしか今日は平日のはずなのに」

というようなセリフを付け足しても良かったかもしれません。

ただし、観客の全員にあまり早い段階で気付かれてしまっては、

あとでタネ明かしをしたときの驚きが損なわれてしまうので、

さじ加減の難しい部分ではあると思います

瀧と三葉は、なぜお互いを好きになったのかわからない

そして、恋愛作品として、はっきり欠点と言えるのがこの部分です。

入れ替わる前までの二人は、せいぜい胸を揉んだり、都会の生活を楽しんでいただけで、

コミカル描写しかほぼ無かったのに、

入れ替われなくなり、シリアスな展開になったとたん、

「お前が世界のどこにいても、必ず会いに行く!」などと言い出してしまうほど、

恋愛テンションマックスにまで上がってしまます

しかに、急にもう会えないと知って、もういちど会いたいという気持ちが盛り上がるのは、

心情として理解できます

しかし、それ以前の、瀧と奥寺先輩のデートの段階ですでに、

瀧は三葉のことを好きになっていることを先輩から指摘されていますし、

三葉もその段階で、瀧に会いに東京に行っています

ということは、入れ替われなくなり、会えなくなる前から

すでに二人は好き合っていたということになるのですが、

そうなった理由もわからないですし、それらしい描写も何もなかったように思います

たとえば

二人が長年抱えていた、父親との確執などの深刻な問題

自分一人では行き詰ってしまっていた問題を、入れ替わってる間に相手献身的解決してくれたなら、

そうやってお互いの心の深いところまで知るうちに、

相手を大切に思う気持ちが芽生え、それが徐々に好きという気持ちに変わっていって、

ラストシーンでようやくそれが最高潮を迎える、というような展開であったならば、

おそらくもっと納得できたでしょうし、感動できたのではないかと思います

でも実際には、瀧は自分感情から机を蹴って意地悪な同級生たちを威嚇してみせただけですし、

三葉は、興味本位から先輩との仲を取り持って余計なお節介を焼いただけでした。

これだけではとても、お互いの心の深いところまで踏み込んだことにはならないと思います

にもかかわらず、ストーリーの中盤ですでに、二人の恋愛テンションマックスになってしまう。

これでは、観客は置いてけぼりにされた上にどん引きされてもしかたありません。

運命の人

結局、この問題は、監督自身恋愛に対する価値観からまれているのだと思います

運命の人はいる、ということを伝えたかった」

http://video.unext.jp/feature/cp/shinkaimakoto/

新海誠監督は、インタビューでもこのように仰っていて、

まり、瀧と三葉は運命赤い糸で結ばれているから、

ささいな出来事でも惹かれ合い、出会ってしまえば恋に落ちるのは当然、ということでしょう。

から、恋に落ちるプロセス必要ない、と。

自分は、それが間違いの元だと思います

今作における「運命」とはつまり

糸守の人々を来るべき彗星の落下から守るために、

宮水神様から与えられ、三葉のご先祖様たちから受け継がれた、

「時を超えた入れ替わり」の能力ことなのだと、いちおうは理解できます

しかしその「運命」という、いわば第三者の介在によって

本人たちの意志とは関係なく無理やり結び付けられた二人というのは、

本当の意味恋人同士と言えるのでしょうか。

もし、瀧と三葉がその「運命」によって惹かれ合っていただけなのであれば、

糸守の人々を救うことができた時点で、その必要はもう無くなってしまうことになり、

五年後に再会した時に、お互いを「運命の人」とすぐに認識できた理由説明できなくなってしまます

このように、「運命の人」という言葉自体は、この上なくロマンチックな響きのようではありますが、

実は本来ロマンスとは異なるものだというジレンマを併せ持っています

からこそ、その「運命」によって惹かれ合った二人が本当の恋に落ちるための理由

いわば「運命の人ジレンマ」を埋めるためのプロセスが、本来であれば必要なのです。

誰かを好きになるのに理由必要ないのか

また、運命の人かどうかはともかく、

そもそも実際の、リアル恋愛においては、

誰かを好きになるために、第三者が納得できるような客観的理由というのは、

じつはほとんど無いのだろうと思いますし、必要も無いでしょう。

たんなる直感一目惚れといった、本人だけにしかからない理由であったとしても、

本人さえ納得していれば、何の問題もありません。

そう考えると、瀧と三葉が恋に落ちた理由も、べつに無くても良いのではないか

と、思えてしまうかもしれません。

ですが、ことフィクション作品においては、それではダメなのです。

なぜなら、フィクションで描かれる恋愛は、

監督脚本家という第三者によって、観客という別の第三者が見るためにつくり出された

当事者不在の、いわば「ウソ」の恋愛からです。

ですから、その第三者が納得できるだけの理由が、絶対必要になります

もし本当にリアルな、つまり理由の無い恋愛を描いた作品にしたいのであれば、

監督脚本家がつくり出したものでもなく、観客が見るためのものでもない、

実際に恋愛をしている二人のありのままを撮ったドキュメンタリー作品をつくるべきです。

そうではなく、あくまフィクション作品をつくりたいのであれば、

大切なのは、本当に「リアル」な恋愛描写ではなく、

たとえ恋をしたことが無い人でもそれが「リアル」だと感じられるような「リアリティ」、

わかりやすく言えば、たとえ「ウソ」でも「リアルっぽい」と思わせる説得力であり、

そのための理由必要なのです。

もしそうでなければ、リアルにおいて「理由の無い恋愛」をしたことのある人にしか

その作品理解できないものになってしまます

これは恋愛だけでなく、たとえば、殺人戦争などの表現に置き換えてみると、

何が問題なのかが、わかりやすいと思います

たとえどんなにリアルでも、

実際に殺人戦争体験した人でなければ、理解共感もできないような表現を、

フィクション作品に用いることは悪手なのです。

そもそも、今作のようにオカルトSFなど、リアルではない世界観を扱っている作品で、

もし恋愛描写けが、やけにリアルであったとしたら、

それは一つの作品の中で各要素における「リアリティレベル」が合っていないことになるでしょう。

案の定、この問題に関してはすでにネット上などで、

恋愛体験の異なる人たちのあいだで論争になっているようですが、

そのこと自体がすでに、恋愛テーマにしたフィクション作品として、

この作品が大きな欠点を有していることの顕れである、と言えると思います

君の名は。』は、ラッキーパンチなのか

恋愛作品としての欠点が、監督自身恋愛観に因るものであるとすると、

同じ過ちは、監督自身恋愛観が変わらない限り、

今後の作品において何度でも繰り返されることになってしまうのでしょうか。

今回は、監督のその間違った恋愛観を表現するための設定や伏線副産物として、

エンターテイメント性の高いストーリーたまたままれしまっただけだとすると、

今作のヒットは、ただのラッキーパンチだったということになってしまうでしょう。

できれば、そうならないことを願いたいと思います

2016-09-08

http://anond.hatelabo.jp/20160908122412

ひとにある事象が起きるとする。

それは、

【A】本人の自由意志によってもたらされたもの

【B】それ以外の外部要因

構成されているものとし、【B】を「偶然」と呼んだ場合

【A】本人の自由意志は、知識過去経験に基づいた判断であると考えられる。

このとき【A】の判断の基礎となる【A'】は、やはり【A'】の判断の基礎と【B】偶然によって構成されていると考えられる。

この考え方を敷衍すると、最終的に自身が生まれたこと自体他人意志、つまり【B】によってであるため、

自分に起きるすべてのことは、【B】つまり外部要因に依存することになる。

アイスを食べる」という行動ひとつをとっても、過去アイスを食べた経験雑誌等の知識【A】か、他人からアイスをもらうという偶然【B】の所産であり、

つきつめていけば、過去に誰かからアイスをもらうという経験や、思いつきで食べてみるという偶然が発生しない限り、主体的に「アイスを食べよう」とする意志は生じないわけだ。

まり「運命」自分では変えられない。

運命自分で変えられる」という考え方を自分形成させた外部要因が存在し、

その「変えた」と思っている「運命」についても、「何を変えるべきか」の選択において他者その他外部要因によって決定される事柄であると。

2016-06-28

まままま~ん(笑) ま、ま、ま、ま~ん(笑)

http://anond.hatelabo.jp/20160628022447

ベートーヴェン交響曲第五番「運命」

まままま~ん(笑)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)

まままま まままま ままままん(ままままん)

まままま まままま ままままん(ままままん)

ままままんッッッ!!!(ままままー)

ままままんッッッッッ!!!(ままままんまん)

ままままんッッッッッ!!!ッッッ!!!ッッッ!!!(まーーーー)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)

2016-05-01

まままま~ん(笑)

http://anond.hatelabo.jp/20151204005556

ベートーヴェン交響曲第五番「運命」

まままま~ん(笑)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)

まままま まままま ままままん(ままままん)

まままま まままま ままままん(ままままん)

ままままんッッッ!!!(ままままー)

ままままんッッッッッ!!!(ままままんまん)

ままままんッッッッッ!!!ッッッ!!!ッッッ!!!(まーーーー)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)

ベートーヴェン交響曲第五番「運命」

まままま~ん(笑)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)

まままま まままま ままままん(ままままん)

まままま まままま ままままん(ままままん)

ままままんッッッ!!!(ままままー)

ままままんッッッッッ!!!(ままままんまん)

ままままんッッッッッ!!!ッッッ!!!ッッッ!!!(まーーーー)

ま、ま、ま、ま~ん(笑)

2014-09-17

トマシュ・ベルネル 2014/09/16のテレビでのチャット 前半

出典

http://www.ceskatelevize.cz/porady/10435049455-dobre-rano/414236100071086/chat/4995-tomas-verner/

訳を推敲しましたがざっくり訳なので間違っていたら申し訳ありません

■Q:ダニエラ・ノヴァコヴァー:おはようございます彼女いるかどうか、恋をしているのか、質問したいのですが。この質問をするために今朝は早起きしました。ありがとう

A:おはようございます彼女はまだいなくて、さしあたって探してもいません。数ヶ月これからツアーなので誰とも遠距離関係でいたくない。だけど恋はしています人生生活)での恋…

■Q:ルツカ:こんにちは、トマーシュあなたタメ口をきいていいかわかりませんが、Jen počkej, zajíciアイスショーがどうなるか質問したいです。あなたをとても応援しています、ご挨拶とともに。ルツカ

A:すてきなアンサンブルや素晴らしい脚本があって、すてきなショーになります。練習は骨が折れるけど、こういう環境楽しいです。

■Q:カロリーナ:おはようございます サインをお願いしたいのですが、どうしたらいいですか?

A:僕が演技する場所にきてください、もしくはスポーツインベスト場合によってはチェコスケート連盟に手紙をください。オストラヴァのサレザスタジアムでも(サインします)。

■Q:ミレナ:おはようございます。私の質問は、予定されているアイスショーとは関係がなくて、10月ジャパンオープンのことです。驚くべきSPを滑った最後世界選手権場所に帰れるのをあなたは本当にとても楽しみにしていますあなたの多くのプログラムから今なにを滑るのですか。回答ありがとう、多くの成功を祈ります ミレナ

A:ありがとう。またさいたまスーパーアリーナに帰れるのを小さい少年のように楽しみにしています。僕達のスポーツにおいてはユニーク環境です。フィギュアスケートをやるのに多分一番大きいホールで、スポーツを応援する満員の観客(自国選手だけを応援するのではない)。ジャパンオープンでは3月にとてもうまく見せられなかった昨年のフリーを滑ります。こんな感じでちょっとしたスポーツの追試です。

■Q:ペトル・コレチュコ:こんにちはマーシュあなたのように成功するには、何歳からスケートを始めないとなりませんか。ありがとう ペトル

A:いつかというなら4歳から7歳の間です。ですが100%成功するわけではありませんし、単なる推奨です。自分は5歳で始めました。

■Q:ニナ・ストゥルヘルコヴァー:おはようございますマーシュ。私は五輪からあなたの大ファンで、あなたをもう競技で見られないので母と一緒にとても暗くなっています。去年の世界選手権SP後の私たちの喜びは、言い表せません。私の考えでは、あなたの一番良い滑りでした。このようなスケートの喜びはものすごいです!質問したいのですが、トップスケーターは一日に何時間眠るのですか。:-D回答ありがとう、お元気で。

A:肉体的に一番きついシーズン中はなるべく休むように努めて、昼休憩や全部の時間で一日に10時間は寝ます。昔のシーズン必要に応じて7~9時間でした。

■Q:マルタノヴァー:おはようございます。狼または兎を演じるのですか?

A:僕は物語の細かい場面の要素をつなぐ人です。脚本では「運命」ということになっていますが、同時に狼や兎としても滑ります

■Q:DAYD:あなたの一番酷い転倒は?初めてスケートをしたときのことを覚えていますか?

A:初めて氷に立ったのは5歳のときで、初めてちょこちょこ歩いたのをとてもよく覚えています(頭の防具をやめてはずしただけです)。

一番酷い転倒は、くるぶしをケガした4Tの良くない訓練で。

■Q:DAYD:フィギュアスケートのほかのアマチュアスケートスポーツスピードスケートアイスホッケーはやりませんでしたか

A:スピードスケートは偉大な芸術やすごいしんどい喜びのためにやるスポーツという意見では僕はありません。ホッケーしますが、それは条件があって、余計なケガをしないでいい適切なチームがあったらという意味でです。

■Q:DAYD:誰かスケートのお手本はいますか?

A:エフゲニー・プルシェンコ高橋大輔です。あなたフィギュアスケートのファンなら、この二人について紹介しなくていいですね。

■Q:モニカ・スヴォボドヴァー:質問したいのですが、男性ファンもほしいですか?

A:こういう質問はされたことがないけれど、男性のファンも会場にはいますフィギュアスケートはみんなのための何かがありますきれいな女性音楽衣装

■Q:ラディスラフ:こんにちはバイクのヤン・ヴェルネル選手は親戚ですか、それとも名前が同じだけですか?

A:残念ながらただ名前が同じだけです。家族にこんなとてもスポーツでいっちゃってる人がいたらいいけど。僕の家族は、兄は僕のようにフィギュアスケートをやっていたのと、妹が新体操チェコ代表です。僕の家族内ではバイク熱狂する人は間違ってるようです…

後半は余裕があればやってみます

昼を食べます

2014-04-27

交響曲第5番「運命」第1楽章作詞宮川彬良

交響曲第5番「運命」第1楽章作詞宮川彬良

作詞宮川彬良

作曲:L.v.ベートーヴェン

指揮:宮川彬良

うた:彌勒忠史(カウンターテナー

演奏東京フィルハーモニー交響楽団

2014年4月27日題名のない音楽会字幕書き起こし

下がるぞ 下がるぞ

成績下がるぞ 下がるぞ

給料下がるぞ 下がるぞ

あれも下がる これも下がる

下がるぞ 怖い 怖い

下がるぞ

下がるぞ 下がるぞ 下がるぞ 怖いぞ

下がるぞ 下がるぞ たまには 上がるぞ

あれも下がる これも下がる

あれよ あれよという間に どんどん 下がるよ

下がるよ 下がるよ

このまま 下がり続けたら

ジェットコースターに乗ってるよう

下がるぞ 下がるぞ 下がるぞ 下がるぞ

怖い

よくみてみろ

上がるから下がる 上がるから下がる

上がるも 下がるも 同じことだよ

そうか 下がったり 上がったり

下がったり 上がったり

下がったり 上がったり

下がったり 上がったりするものなー

ならば 下がろう 下がろう

楽しく 下がろう 下がりましょ

上がったり 下がったり上がったりするなら

下がろう 下がろう

楽しく 下がろう 下がりましょ

下がろう 下がろう 下がろう 下がろう

楽しく 下がろう 下がろう 下がろう

怖くない 怖くない 怖くなーい

それでも 怖いぞ

下がるぞ 下がるぞ 下がるぞ

下がるぞ 下がるぞ 下がるぞ

下がれば上がるぞ 下がれば上がるぞ

落ちていくのも なんだか カイカン

あれも下がる これも下がる

落ちていくのも 何だか美しい

下がれば 上がるよ 下がれば 上がるよ 下がれば

上がるぞ 上がりたい 上がりたい 上がりたい

上がりたい 上がりたい たい たい たい たい…!

たい たい たい たい たい たい…!

止まるぞ! 止まる? 止まる?

よく見てみろ! ワーッハッハッハッハッ 上がりゃ 下がる

よく見てみろ! ワーッハッハッハッハッ 上がりゃ 下がる

上がりたーいー 上がーりたい

上がーりたい 上がーってる

上がーってる 大丈夫 大丈夫 大丈夫

寝る 眠る 寝る 寝る

夢で落ちる

寝る hum 寝る hum 寝る hum 寝る

夢でも 夢でも 戻るぞ 夢でも 夢でも 夢でも

下がるぞー!

下がるぞー!

成績下がるぞ 下がるぞ「夢だ」

下がるぞ 下がるぞ「夢だ」

上がるぞ 下がるぞ 上がるぞ 下がるぞ!

怖い! 怖い

けれど 何故か 美しい 22:32

~間奏 約2分~

今日の解説を思い出してお聴き下さい)

さあ 上がろう 上がろう 上がろう

みんなで 上がろう みんなで でも

下がるの きれい きれい

ダメ ダメ

下がるのも 好き ステーキ

ダメ ダメ

それでは 結論 結論 結論 結論 下がるぞ!

下がるぞ!

下がるぞ 下がるぞ 下がるぞ きれい

下がるぞ 下がるぞ 下がるぞ きれい

それでいい それでいい

それでいいったら いいったら いいったら いいったら いい

おしまい

2013-09-12

ドレミの歌のソ以降の盛り上がりは異常 〜理屈編〜

http://anond.hatelabo.jp/20130912211917 を書いたものです。

さきほどは感覚のみでソ以降の盛り上がりを書きましたが、今度は理屈でせめて行きます

さて、まず、「ドーはドーナツーのードー」をドのパート、「レーはレモンのレー」をレのパート、というように、「ドレミファソラシ」のパートに分割します。あまった「さあ歌いましょう」は「仕上げのパート」とでもしておきましょう。

では、まずはドのパートから見てみます。ドのパートメロディは「ドーレミードミードーミー」ですね。一見してわかるように、「ドレミ」という、隣接する3つの音だけで構成されています

次に、レのパートを見てみましょう。レのパートメロディは「レーミファファミレファー」です。これも、「レミファ」という隣接する3つの音で構成されています。ドのパートで使われていた3つの音の「お隣」を使っているわけですね。

さて、ではミのパートを見てみましょう。「ミーファソーミソーミーソー」です。もういいですね、ここでは「ミファソ」という隣接する3つの音で構成されています。さて、ミのパートには、さら特筆すべき部分があります。実は、この「ミーファソーミソーミーソー」というメロディは、ドのパートを「平行移動」させたものになっています。頭の中でまずドのパートを鍵盤で弾いてみてください。このとき、「ド」は親指で弾きましょう。さて、それでは今度は「ミ」の鍵盤に親指を置いて、ミのパートを弾いてみましょう。指使いが完全に一緒だったことがわかると思います。かんたんに言えば、「ミのパートはドのパートをみっつ上に移動させたもの」なのです。

そしてファのパートです。ファのパートは「ファーソララソファラー」ですね。これはさっきと同様に、レのパートをみっつ上に移動させたものです。

さて、ということは、ドからファまでのパートは、じつは「ドとレのパート」と「ミとファのパート」に分解できることになります。「ドとレのパート」をみっつ上に移動させると「ミとファのパート」が作れるわけですね。

こういうふうに、似たようなメロディーを音の高さやリズムを少し変えて(今回はリズムは変わってませんが)繰り返すことを、「モティーフの展開」などといったりします。「ひとかたまりフレーズ」のことを「モティーフ」と呼ぶわけですね。モティーフを展開することで作曲を行うことはとても一般的です。すごく有名なところだと、ベートーベン交響曲第五番(よく運命って呼ばれてるやつ)です。最初の「ジャジャジャジャーーーン」がモティーフです。「同じ高さの音が3回、それに続けてそれよりも低い音が1回」というモティーフですね。「運命」を頭の中でならしてみてください。「ジャジャジャジャーーーン ジャジャジャジャーーーン」。音の高さを変えて展開していますね。そのあと、「たたらた、たたらた、たたらた〜」「たたらた、たたらた、たたたら〜」と曲は展開していくわけですが、よく見てみるとこの「たたらた、たたらた、たたらた〜」の部分、「たたらた」が「同じ高さの音が3回、それに続けてそれよりも低い音が1回」となっています。ここも実は「ジャジャジャジャーーーン」のモティーフ展開だったんですね。音の高さとリズムを変えただけで曲の雰囲気を操る、お手本のようなモティーフ展開になっているのが見て取れるでしょう。

そう、「運命」も「ドレミの歌」も、やってること自体はかわらないのです!!!

さて、ドレミの歌に戻りましょう。「ドとレのパート」(モティーフと呼ぶには少し長過ぎるけど)を展開して、「ミとファのパート」が作られていました。同じ形のメロディを繰り返しているため、とても安定感がある一方、「みっつ上」に持ち上げられることによって、少しずつ緊張感も高まっていますね。ここまでが「だんだん不穏なものを感じはじめる」前半パートです。

さて、問題の「ソ以降」を考えてみましょう。

ソのパートは「ソードレミファソラー」です。今までのパートでは「ドレミ」とか「レミファ」とか、隣接する3つのしか使われていなかった(=最大でも2つ隣までしか音が飛ばなかった)のに対して、怒濤の「ソからド」への急降下です。と思いや、「ドレミファソラー」と、一気に「ラ」まで駆け上がります。今までのパートでは3つの隣接する音しか使われていなかったのが、急に6つの音が使われています。落差、倍です。しかも今までは狭い範囲をちまちま動いていたメロディーでしたが、今回はその6つの広い範囲を「一気に駆け上がる」というメロディーです。これで盛り上がるなというほうが無理でしょう。

そしてラのパートです。ラのパートは 、ただでさえ盛り上がるソのパートフレーズを1つ上に展開して畳み掛けます

シのパートさらに、ラのパートを1つ上に展開してダメ押しです。

まとめます。ド、レ、ミ、ファのパートは、「隣接する3つの音」だけを使ってメロディーが作られていました。しかし、ソ、ラ、シ、のパートではそのルールを外れ、「隣接する6つの音」を使ってメロディーが作られています。これが、「音域から見たときのソ以降の盛り上がりの秘密」です。

では今度は「パターンから見たソ以降の盛り上がりの秘密」を暴きましょう。前半は、「ドとレ」「ミとファ」のパートをセットにすると、同形のメロディが見えてきました。これは言い方を変えると、「1つのパターンを消費するのに、2パートかかっている」ということです。一方、ソ、ラ、シのパートパート単体で同形のメロディを成しています。言い方を変えれば、「1つのパターンを1つのパートで消費できる」わけですね。これにより、「短期間に同じパターンが何度もせめて来る!!」みたいな感じになるわけです。これが「パターンから見たソ以降の盛り上がりの秘密」です。

ドレミの歌、丁寧に見てみると、ドからファまでは一定ルールで盛り上がって行き、ソからはそのルールよりもさらに盛り上がるためのルールを新規に採用して一気に盛り上げる仕組みが隠されているのです。そりゃ「ドレミの歌のソ以降の盛り上がりは異常」にもなりますね。

余談ですが、感覚で書けば8行で終わるものが、理屈で書くとこれだけ長くなってしまます。これは逆に言えば、人間感覚というのがファジーである一方でものすごい情報量を一気に処理しているとても優れたものであることを示唆してるとも言えるんじゃないかな〜なんてことを考えてしまいそうですね。

2013-07-21

山月記に対する大いなる誤解(自己保存用)

あなたは何もわかってない。

http://anond.hatelabo.jp/20130720072435

先日読んだある山月記評論では、「李徴が虎になったのは虫がよすぎる。人間であった時の所業反省するなら、それこそ虫けらにでもなるべきだった」とか、「もし袁參ではなく妻子と出会っていても妻子のことより詩業のことを先に気にかけるだろうか」とか、「どうして虎としての最初の体験が兎を食うのでなく人間を食っていた方が衝撃度が大きくて面白いのに」とか無責任に書き放ってあった。

読んでいて面白い発想であるとは思ったが、かなりこいつは歪んでいる、こいつこそハイエナが何かになってしまえなどど思った。

これらの設定は、元にした『人虎伝』を踏襲しているので仕方がないことなのだ

そこまで言うのは中島敦には酷である

で、問題は『人虎伝』と『山月記』の違いである。

『人虎伝』にはなくて『山月記』に書き加えられているものである

一つ目は、依頼の順番が詩の伝録の次に妻子のことという順に入れ換えられていること、二つ目は、李徴が詩人になろうとしていること、三つ目は、「臆病な自尊心」「尊大羞恥心」の登場、四つ目は運命である

これら書き加えられた部分は、中島敦が『山月記』で書きたかったテーマと密接である

そして、これらが「李徴の詩が第一流になるのに微妙に欠けている点」「李徴が虎になった理由」を考える糸口になる。

まず、「李徴の詩が第一流になるのに微妙に欠けている点」について考えよう。

妻子の事より自分の詩業を気にかけるような愛情不足や人間性の欠如という考え方がある。

しかし、芸術はそんなに甘くはない。

本当に人の深い所から揺り動かすような作品は、作者が全てを犠牲にし命を削ってこそ始めて生まれるものである

李徴の場合、なまじ妻子のことを気づかっているからこそ第一流の作品にならないのだと私は思う。

「臆病な自尊心」「尊大羞恥心」とか言っているが、結局は心理と態度の不一致、何やかんやと理由をつけて、詩業に専念しようとしない怠惰が「李徴の詩が第一流になるのに微妙に欠けている点」であると私は思う。

自尊心なら自尊心羞恥心なら羞恥心を描ききれば、それはそれで第一流の作品になったのではないだろうか。

次に、「李徴が虎になった理由」について考えよう。

李徴は最後に妻子への愛情不足だと言っているが、妻子の為に詩業を諦めて再び役人になろうとしているのだから充分に愛情一本のチオビタお父さん振りを発揮している。

その前に、「臆病な自尊心」「尊大羞恥心」と意味ありげ言葉を弄しているが、授業でも考えたようにこれを自分の詩業に当てはめて語っている部分は理路整然としているようで全く矛盾に満ちていた。

それに、「自尊心」と「羞恥心」、「心理」と「態度」など矛盾するものが同時に存在することこそ、人間人間である証拠なのである

内部に矛盾を抱えていない人間などいない。

それは、先週の『探偵ナイトスクープ』の越前屋俵太の調査でも明らかである

その矛盾が飼い太った結果虎になるというのは可笑しい。

矛盾が飼い太れば益々人間らしい人間になるはずである

李徴は色々考えようとするがどれ一つとして理由になっていない。

とすれば、残ったものは「理由もなく押しつけられ、理由もなく生きている生き物のさだめ」、つまり「運命」しか説明がつかない。

人間は主体的にありたい自分意志に生きたいと思う気持ちが非常に強いので、「運命」などというものを認めようとせず、あれこれ屁理屈を考え出すのである

項王のように全て天命のせいにし天命に逆らわずに生きる生き方をする以外、この内部矛盾から解放されることはないのである

多くの人が気にしていた問題は、その後の李徴は人間に戻れたかという点であった。

この答えは、虎になった理由の延長線上にある。

最後に李徴が袁參に虎になった己の醜悪な姿を見せることによって、李徴は内部矛盾から解放されたありのまま自分になることができた。

このありのまま自分の姿こそが「虎」なのである

結論から言えば、李徴は一生「虎」のままなのだ

改心したから「人間」に戻れるのではない。

もとの「臆病な自尊心」などが復活した時にこそ再び「人間」に身を落とすのである

賢明な人はもう気がついただろう。

「虎」になることが不幸で「人間」になるのが幸福と考えるのは、思い上がったいかにも「人間」らしい発想なのだ

人間」とは矛盾に満ちた不条理な生き物であり、「虎」こそが純粋ありのまま自分でいられる生き物なのである

心身ともに「虎」になれた李徴は幸福者なのである

また、最後の部分が「再びその姿を見なかった」であって「その姿を見せなかった」ではないことを指摘している人がいたが実にスルドイ。

「見せなかった」の主語は「李徴」であるが、「見なかった」の主語は袁參であり読者である

すでにこの段階で『山月記から李徴は消えている。

そして、『人虎伝』にあったその後の様子を中島敦が書かなかったのも、中島敦にとって問題が解決していたからだろう。

女学校の教師を続けるか作家になるか、文学を取るのか妻子の生活を取るのか、自分の中にある「二つの私」をどう処理するのか、これら中島敦自身の問題が、一応解決した、あるいは再び深い絶望の淵に陥ったのか、いずれにせよもはやこれ以上書くことは必要なかったのだろう。

以上が、私の勝手な私見である

偉大なる先増田

http://anond.hatelabo.jp/20130720171232(削除済)

2013-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20130116140154

を、ふと思い出したわけですよ。アニメまおゆう9話の例のメイド姉演説聞いて。

これはメイド長の説教で言われていた「虫」というのが一体なんなのか、ということに対する一つの資料だ。

先に言っておくとメイド長の言う「虫」と、メイド姉の言う「虫」には微妙齟齬があるということを前提にして話したい。あまり重要ではないのだけど、要するに師弟関係にある二人の思想家が言ってることは非常に近い所から非常に近いものを言っているが、そもそも別の話ですよ、程度のエクスキューズだと思って欲しい。

「虫」というのは、そして「人間」というのは、我々現実レイヤーの者にとってもかなり直接的に転写可能な概念である

現実における彼らとは一体なんなのか。メイド姉の演説を聞いていて、ふと、「まおゆう」批判者よりもむしろ、「まおゆう信者のほうにこそ「虫」は多いのではないか、と思ったのだ。

自分運命を掴めない存在は虫」とメイド長は言い、

自分意志を他人に譲り渡して考えることを忘れた者は虫」とメイド姉は言う。

これを素直にとり、また元記事の文脈に即するならば、「自らの努力で自らの生活改善しない存在は虫」と言うべきなのかもしれない。

だが、しかし、結局、勇者魔王メイド長が(あるいは、それに代わる存在が)いなければ農奴姉妹は脱走農奴姉妹しかなく、メイド姉妹にはなれない。なれるはずがない。メイド長が言うように、乞食姉妹になるくらいが関の山だっただろう。

まり彼女は「自らの努力で自らの生活改善できない存在」だったのだ。彼女はそれを「運命」と呼ぶ。メイド長はそれを「自分でつかめ」と言う。

だが、与えられた運命を掴んだメイド姉は言うのだ。

自分を、家族を守るため、石を投げることが必要であれば投げるべき。ただし、他人に言われたからという理由で石を投げるなら虫」

ここだ。最も重要なのはここなのだ

これを言い換えるとこうなる。

自分の力で運命を掴めない存在は虫だと言う他人の言にそのまま乗るなら、そいつは虫」なのだ

その上で元記事の文脈に乗ると、「人間は自らの努力社会を(自らの生活を)改善することが出来る」というテーマに耐えられない人々は、だがそれ故に、実は「虫」ではないのである

彼らが置かれた現実、そのテーマ根底から覆す現実とは、まさに、守らなければならない家族自分に相当する。守らなければそのまま死ぬだけからだ。メイド姉の該当部分以降を鑑みれば、彼らは、逆説的に虫ではないからだ。

そしてメイド姉が「虫」と呼ぶのは、それにすら、無痛であることを選び、耐え切ってしまう者のことだ。

であれば、「虫」というその名は、まおゆうが示した希望の姿にうっかり感動してしまい、その光を盲目的に信じこんでしまった者にこそ相応しいのだろう。

もちろんまおゆう信者の、ましてやまおゆうを楽しんでいる一般ユーザーの全員がそうだとは言わない。だが、その一部には確実に「虫」がいる。そして彼ら「虫」の姿は、努力主義者、苦行主義者意識の高い社畜、その他諸々の、現代の一部で積極的に害悪に貢献する立ち位置から発せられる言論とダブる所が無いとは、私にはとても言えない。

それに「耐えられない」と叫び、「ふざけるな」と憤る人々。

その姿は、石を投げる農民達の怒号に重なるのだ。

2012-08-17

http://anond.hatelabo.jp/20120816172005

谷川俊太郎の「モーツァルト」って詩にこんな一節が出てくる

「私のこと好き?ってきくと

 好きだよって答える

 その言い方がすっごくふつう

 うそみたいなのにほんとうだってわかるの

 先のことはともかくその時は本気だって

ちょっとうろ覚えなんだけど、まあつまりそういうこと。

結婚するとか「先のこと」はともかく、今その時は本当なんだっていう感覚はある。すごく「運命的」な感覚が。

壊せば壊れますけどねあっさりとね。壊れなかったり壊れないようにお互いに立ちまわったりできた例が「運命」なのかもわからんが、でも壊れても壊れなくても運命なんだなあって思わせ続ける程度の強度はある。

でもまあ、結局のところ感覚から最初はうっすら「そうかな?」くらいで知覚して始まるので、とりあえず確かめるためにお付き合いを始めてみたりするんだよ。

会ってすぐには一目惚れなくても、しばらく一緒にいろんなことしてるうちに相手のある一面を見て恋に落ちたりするしね。

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