はてなキーワード: 携帯とは
私(シス女性・ヘテロ)にはFtMの親友がいる。これから、私から見たその親友について、彼と初めて出会ったときから順番に時系列で書いてみようと思う。
この記事を書こうと思ったのは、ツイッターやネットには、ジェンダーについていろんな意見が飛び交っているけれど、LGBT(この言い方は性自認と肉体の問題であるトランスを性志向の問題であるLGBと一緒くたにしていてあまり良い言い方ではないと思うが)の当事者とヘテロの人との関わりについて、ヘテロ側から書いた記事が少ないなあと思い、そういう視点からの話があったら何かしらの意義はあるかもしれないと思ったからである。
最初に断っておくが、私は「性別なんて結局関係なくて全ては人間同士の問題だ」といった浅はかな話を伝えたいわけではない。私の親友は現在進行形で社会のトランスジェンダーの人々への不理解・不寛容による様々な不利益を被っている。そのような不利益はなるべく早くこの世から無くすべきだし、そのためには多くの人々がジェンダーにまつわる問題を自分事として、リアルに考えられるようになることが必要である。そのために、この記事が少しでも世の中のジェンダーにまつわる問題を考える人の参考になったら幸いである。
↓以下自分語り↓
彼とは中学で出会ったけれど、初めて出会ったころからしばらくは彼はまだ「彼女」として生きていた。お堅い私立の女子校に入った割には少しやんちゃなタイプで、4月早々の初めて一緒に帰った日に寄り道禁止の校則を破って一人で新宿で電車を降りようとした私に、彼女は「面白そう!」と言って付いてきてくれた。
一緒に帰ってる子がいるのに勝手に寄り道しようとするところから察せられると思うが、当時の私は集団行動がとにかく苦手だった。あと、謎のプロフィールカードを回して(書くのが地味にめんどくさい)、趣味とか性格とかをやたらと自己開示して同じ雰囲気の人同士で固まっていく、女子特有のあの謎の雰囲気にも全然なじめなくて、あんまり友達ができてなかった。彼女は一緒にいても無理に私のことを聞き出したり、自分のことを話したりもしなくて、そういうサッパリしたところがすごく楽で私たちはすぐに意気投合した。
毎日一緒に新宿で降りてその日のノリで無意味にアルタとか世界堂とかを気が済むまで一緒にぶらついた。私は可愛いアクセとか服とかをよく買ったけど、彼女は最新のごついボールペンとか、銀粘土という私が知らない謎の粘土(それを使ってクロムハーツっぽいかっこいい系のシルバーアクセを作っていた)とかを買っていた。お金がない日はパックのジュースをコンビニで買って地元駅のベンチで座ってずっとだらだらどうでもいいことを喋っていた。彼女も私もあんまり家に帰りたくないタイプだったので、無意味に夜の9時くらいまでベンチで喋っていた記憶とかあるけど、何をしゃべっていたのか全然思い出せない。多分最近やったおすすめのゲームとかそういう他愛もないどうでもいい話をずっとしていたんだろうと思う。中二の頃は二人してゲーセン通いにハマって、大金をつぎ込んでハウスオブザデッドをラストまでクリアしたり(金の無駄すぎる)、夏休みを全てクイズマジックアカデミーに溶かしたりした。マジアカに関しては昔は1クレで2回遊べるような気前のいい設定のゲーセンが結構あって、二人で交互にお金を出すと1000円もかからずに一日中遊べた。答えるジャンルは彼女は理系学問と歴史の担当で、私はアニメゲーム芸能の担当だった。あと彼女はクレーンゲームを一度やると取れるまで諦められないという悪癖があり、月のお小遣いを一瞬で溶かしてどうでもいい景品を取ったりしていた。いつだったか、彼女がクレーンで私のために戦国BASARAの伊達政宗のフィギュアを取ってプレゼントしてくれた時はすごくうれしかった。
中学二年生できっちり中二病になった私が突然ロリータに目覚めてピンクのフリフリドレスを着だしたときも、「似合ってるしいいんじゃね」の一言でそれ以上特に何も突っ込んでこなくて、その雑さがかえって楽でありがたかった。
とまあとにかくこんな感じで彼女と遊ぶのはとても楽しかったけれど、仲良くなるにつれてだんだんと、そして確信的に、私は彼女が他の「女の子」とはどこかが違うということを感じつつあった。何が違うのかはまだはっきりとはわからなかったけど、とにかく彼女は他の女の子と何かが決定的に違っていて、そして、違っているからこそこんなに気が合うんだろうなあと漠然と思っていた。
中学二年の終わりごろのある日、彼女が急に長かった髪をバッサリ切って学校にやってきた。私服の服装も、ワンピースとカーディガンみたいな感じから、Tシャツにジーパンみたいな男の子っぽい服装に変えた。他の子は「すごい大胆にイメチェンしたね~!」とか言ってたけど、私は彼女のそれが「イメチェン」なんかじゃ絶対ないことが何となく分かっていた。自分の性別についてとか、そういう話を彼女としたことは無かったけど、その時は漠然と「多分彼女は本来の自分の姿に戻ろうとしてるいるんだろう」と思った。私がロリータを着だしたとき、「うちのお母さん宝塚とか好きだからさ、そういうの着て欲しそうにするんだけど、嫌なんだよね。」とポツリと言っていたことを、何となく思い出した。髪の毛は、お母さんはもったいないから切るのやめなよ!そんなに短くしたら男の子みたいだよ!って言って反対したらしいけど、自分で勝手に美容室に行って切ったと言っていた。「そっちのほうがしっくりくるじゃん!」って彼女に伝えた。
中三の頃から、お母さんとの折り合いが悪いとかで、彼女の元気がない日が多くなっていった。私はそういうことに無理に相談に乗ろうとするタイプじゃなかったし、彼女も多分それを望んでないだろうと思ったので、元気がない日はとりあえず一緒に遊んで、彼女が家に帰らずに済むようになるべく長い時間一緒にいるようにした。ジョナサンのドリンクバーで追い出されるまで粘って、彼女が授業を休んだ分を一緒に勉強したりした(完璧に教えられるほど私が頭が良くなかったのは申し訳なかった)。一緒に夜遅くまでいると彼女の携帯にお母さんからしょっちゅう電話がかかってきていたけど、そうなると彼女は携帯の電源を切っていた。確か彼女の携帯はストラップも何もついていない、青いシンプルなソニーのやつだった。
高校生になると、彼女はだんだんと学校に来なくなる日が増えた。学校になじめないとかそういうことじゃなくて、多分、彼女が「彼女」でいることが限界を迎えつつあったんだと思う。たまに学校に来られる日はむしろ楽しそうにしていたし、学校はすごく楽しい、全然嫌じゃないって言っていた。今にして思えば、女子校で性別が一つの空間だったから、自分が男の子に対する女の子だっていうことをことさらに考える必要が逆に無くて、彼女を苦しめる色んなものから解放される場所だったんだと思う。
けど、そういうことを彼女のお母さんはどうやら絶対にわかってくれないようだった。学校の先生も「何でいじめもないのに来ないんだ」って感じだったし、周りの大人は誰もかもが、何か彼女の根本的な何かを理解してなさそうだった。私もその時はまだはっきりと彼女の苦しみを理解できていたわけではないけど、ただの思春期の悩みとか親子関係のもつれとかではないだろうことはぼんやりと感じていたし、そして多分、私が彼女のことを根本的に救うことは出来ないだろうということを感じていて、何とも言えない気持ちになっていた。私にできることはただ今までと変わらず仲良くすることだけだよな~と思って努めてそうしようとしていたけど、先生とかに「〇〇さんと仲良くしてあげてね~」といかにも不登校の子のケア的な感じで言われるたびに、そんなことずっと昔からとっくにしとるわ!と白けた気持ちになった。
彼女は結局高二高三と結局ほとんど学校に来られなかった。私はアホなりに頑張って何とか大学に合格したけど、彼女はそんな調子だったから、何とか卒業はできたけど当然現役で受験するのは無理で浪人することになって、春休みに会ったときに予備校に通うことにしたと言っていた。大学に入ってからは私も忙しかったし、彼女も親と一緒にいるのが限界で一人暮らしを始めたりした関係で、初めて半年くらい会わない期間があった。その半年の間に、私は女子校を出て男という存在に実に小学校ぶりに接触し、この世界には男と女がいてそうやって社会が成り立っていることを久方ぶりに思い出した。何なら初めての彼氏まで出来た。
そんなある日、サークルの部室でスマブラでもみんなでやろっか~ってなったときに「ゲームとかやったことある?」って何気なく男の子に聞かれて、その瞬間、「ああ、「男の子」と「女の子」っていう、こういう感じの雰囲気、あったな」という感覚が自分の中に鮮烈に蘇ってくるのを感じた。私は小学校の頃からゲームが大好きで結構いろいろなソフトを遊んでいたけど、女の子でゲームが好きな子は小学校のクラスに一人もいなかった。男の子が新作ゲームの話で盛り上がって「今日俺んちで一緒にやろうぜ!」って言ってるのを聞いて、混ぜて欲しいなあって思っていたけど、何故か言えなかった。そういう小さいころほのかに感じていた違和感とさみしさが心の中にバーッと思い出されてきた。小学生までの私はずっと一人でゲームしていてすごくさみしかったし、一緒に気兼ねなくゲームしてくれる友達がいればいいのにな~ってずっと思っていた。だから、男だからとか女だからとか考えずにとりあえず一緒にゲーセンに通って、アホほどマジアカやれたのが、あんなに楽しかったんだなあってことがようやくしっくりきたのだった。
夏の終わりころ、「引っ越し終わったから会おうよ」って連絡が来て、家に遊びに行って半年ぶりに会った。一人暮らし始めたてだという部屋はめちゃくちゃ殺風景で、唯一あるデカめな本棚に河合塾とか駿台のテキストに混ざって横光三国志とかジョジョとかいろいろな漫画がたくさん詰まっていた。プレステがない事にちょっとがっかりしたが、「浪人してるので親に止められた」って言われてまあそりゃそうかって納得した。けれど、親に干渉されない空間で前よりだいぶ生き生きしているようで安心し、それからちょくちょくまた一緒に遊ぶようになった。
最近はよくそういう話もするけれど、どういうタイミングで性同一性障害とか、FtMとか、そういう話を彼から聞くようになったかを私は何故かはっきり覚えていない。大学生になってからだというのは覚えているが、はっきりとしたカムアウト的なことを受けたのがいつだったか、記憶があいまいなのである。もしかしたらそういうはっきりしたカムアウトも無くて、「男なんだよね~」「そっか、まあだろうね~」みたいな感じで、ダラダラ喋ってるときにノリで言われたのかもしれない。どのみち、私は大学に入って自分の中で「男」という概念を思い出した時点で、ああ、彼女はやっぱり完全に「男」だったなという確信を持っていた。肉体の上での性などどうでもよく、長年一緒にいて相手のことを知りつくした結果、彼女が「女」では絶対にないということが理性を超え出でて感覚レベルでしっくりくるものがあったのである。性別というものは全くもって不思議なものだなあと思う。とにかく、大学生になってからは私の中では彼女だったあいつは完全に「彼」になった。もっとも、私は中学生のころからきっと、もともと彼のことを特別に彼「女」とも思っていなかったけれど。
けれど、「彼」として彼と一緒に過ごすようになってから、私は何回か彼のことを配慮のない言葉で傷つけてしまったことがある。例えば、「久々にプールでも一緒に行かない?」って何気なく誘ったとき。中高のときは家も近かったし、ゲームの合間にたまに区民プールに一緒に行って泳いだりしていたのだ。彼は泳ぎがとてもうまかった。けど彼は「水着が着られないから行けないよ。もうずっとプール行ってないな。」って、ちょっと悲しそうな顔をして答えた。私は、ああそうか、まだ一緒の更衣室で着替えていたあの時も、彼はずっと気まずい思いを抱えて過ごしていたんだなあと思って、そういうことにひっそりと苦しみながら誰にも言わずにずっと耐えていたことを思い、ものすごくつらい気持ちになると同時に、無神経に誘ってしまって申し訳なく思った。あとは、彼が中高の共通の友人の結婚式に出るのを断ったと聞いて、行けばいいのに!って言ってしまったとき。なんで行かないのって聞いたら、まだオペしていないから男物のスーツを着て行って浮きたくないし、何より「女子校時代の友人」って言われるのがつらいって言われて、ああそうかごめん…と思った。私の結婚式はドレスコード何でもOKで、「昔からの超マブダチ」みたいな感じでぼんやり紹介するから来てよって言ったら、それは行くわと言ってくれてうれしかった。
とにかく女として見られることがつらいので、彼は大学生になってからは名前の漢字も男の子っぽい名前に名乗り変えて(予備校で事情を説明して対応してもらったらしい)、高校を出てからは基本的に男として過ごしていた。だから、予備校で知り合った友人に私を紹介してくれたときも「高校の友達だとだけ言っといて!どこの学校か聞かれたら適当にごまかすから」と私に言った。何でわざわざぼかすの?って聞いたら、女子校出身だってバレたくないから、ごめん!って言われて、なるほどそうか…と思い、私はよく分からない共学出身の人としてその彼の友人とよく遊ぶようになった(ちなみにその人はすごく理解のあるいい人だったので、最終的には彼がFtMで女子校出身ということもきちんとカムアウトしてすっきり過ごせるようになった)。
とにかく、彼と友人として共に過ごしていく中で、私は世の中がいかにトランスジェンダーに対して無関心で配慮が無いかということを、図らずも身に染みて思い知ることが出来た。私は元々ジェンダーに対してあまり意識が高くなかったけど、彼は大学に無事合格してからはそういうジェンダーにまつわる問題に取り組むサークルに入って、この社会が抱える色々な、特にトランスジェンダーに関する問題について、私に色々と教えてくれた。「病院で保険証出してあれ?みたいになるときマジ困るんだよね~ここばっかりは女っていうよりしょうがないけどでもやっぱ嫌なんだよね~」みたいな、彼の身近な問題から分かりやすく説明してくれて全然押しつけがましくないのが、彼らしくて良いなあとよく思う。
つい最近、彼が昔の話になったときに、「一度だけ学校の先生に『自分は男なんだ』と相談したけど、その時『言ってる意味が分からない』と言われて否定されてすごくつらかった。それから中高の時にはそういうことを言えなくなってしまった。けど、お前に自分が男なんだってことを言ったとき、『やっぱそっか、私にとって〇〇は〇〇で男でも女でも変わらないけど、今度から男って思っとくわ!』とあっさり言われたのが、すごく気楽で救われた。自分の性別について否定されるのはつらいけど、逆に気を遣われすぎるのもつらいから。」と彼に言われた。私はマジで思ったことをそのまま言っただけで意識してそう言ったわけではなかったけど、そう言ってもらえたのはすごくうれしかった。これからもずっと、大切な友人として、過ごせたらいいなあと思っているし、彼を取り巻くあらゆる不利益が一刻も早くなくなるよう祈り、自分ができることをやっていきたいと思っている。
両親は最終学歴中卒・高校中退で現トラック運転手・水商売の絵にかいたような元ヤン。
下に一回り離れた妹、弟がいる。
子どものころは男なのに母のお古を着せられたり、体操服やランドセル、日用品の諸々は親戚のお古が当たり前なレベルの貧乏だった。
正月にもらったお年玉はすぐさま回収されて子供たちの学費か生活費に充てられていたので、お年玉でほしいものを買うとかいう経験をしたことがない。
お年玉で買ったゲームソフトを見せ合う同級生たちがいつも羨ましかったけど家が貧乏なのはわかっていたので、新聞チラシの裏に俺が考えた最強のゲーム主人公を描いたり伝説の剣を作ったりして過ごした少年時代だった。
そうやって成長していったから貧乏の辛さはわかっていたし、将来はちゃんとした企業に入ってふつうの生活ができる大人になろうと思ってたけど、貧乏な家に生まれた時点で将来もほぼ決まっている。
高校生で進路を決める時もちろん大学進学を希望したが、貧乏な我が家では大学進学費用を捻出することは不可能だ。
反対する親に「頑張ってバイトして学費を貯める、入学後の生活費も自分で稼ぐ、金のことで迷惑はかけない」と訴えたけど、「そんな金があるなら実家に入れろ、家の状況をわかっているのか、妹と弟のためにも高卒で働け」と押し切られ、俺の大学進学の夢は散ってしまった。
元ヤンの親父はめちゃめちゃ怖くて、口答えすると鼻血が出るまでボコボコにされるからチキンな俺は怖くてそれ以上言えなかった。
同級生たちは将来の夢も決まってないけどとりあえず大学にいく、という奴が大半でそれがひどく妬ましかった。
みんな大学に進学できるという事のありがたさを何一つ分からず、ぬくぬくと親に守られ真っ当な人生を歩んでいく。
今思い返すと笑えるが、当時の俺は世界で誰よりも自分が不幸だと思っていた。
そうやって高校を卒業した後は、地元の携帯ショップや工場、呉服屋などを転々としながら死んだ目で働き続けた。
田舎の資格不要高卒可の仕事なので、月給は手取りで10~13万ってとこかな。
そこから家へ6万、残りで自動車学校のローン返済や日々の車維持費、食費、日用品費などを捻出すると貯金もなかなか出来ない。
それでも3年ほど掛けて引っ越し代と当面の生活費を貯めて実家から逃げてきた。
色々あったので簡単に言うと安月給過労で体と心を壊し、先月退職してめでたく無職になったという感じか。
26年間生きてきて、いいことがあったかと言われると何も思い出せない。
親への感謝なんて毛ほども感じないし、大事なものも何一つ作れない人生だった。
唯一の救いは現在の実家は若干だが裕福になったようで、妹弟は希望の進路に進み特に不自由なく暮らせていそうなところか。
とにかくもう疲れ果ててしまった。
真っ当に育ってきた人と話すと「貧乏でも努力すれば幸せになれるよ」「死ぬくらいなら頑張れば何でもできる」と言われるが、大体そういう人は家族に恵まれ自分の知らないところで色々な人に助けられて生きてきた人たちだ。
生まれてきた環境ですべてが決められてしまうやるせなさや頑張っても頑張っても次々と困難にぶち当たる辛さを知らない。
死ぬ人間は本当に死にたかったわけじゃなくて、すべての事から逃げ出したくて最終的に死という手段しか残されていなかっただけだ。
今年の初めに結婚する予定。
ようやく正規の公務員になったり、彼女が再就職したりとバタバタしていた2019年だったけど、ここから本格的にお金のことを考えないといけないと思ってメモする。
来年これを読み返して改めて考え直そうかと思ってる。
[俺]
・ドコモ
[彼女]
・同居 軽自動車あり(ローンなし)
・ドコモ
[住居]
・1LDK 6万/月
[保険]
[銀行]
[クレカ等]
[家計簿]
・zaim
お金関係は俺が担っているので、俺のやりやすい形にしようと思う。基本的に家賃は俺の口座から引落とし、電話代等に関しては家族カードでいいだろう。彼女名義の家族カードを今後作り、それは電話代等にのみ充てる予定。
銀行口座は双方が所有していて振込手数料が無料になるSBI銀行が適当だと思われる。これに紐づけているミライノカードで家賃・光熱費・保険・通信費を支払う。簡易計算で年100万を超えるので、今度ゴールドカードにしよう。年会費をペイできる上に旅行の保険が自動付帯する。それにSBI銀行の無料枠は捨てがたい。地方都市なのでメガバンクが近隣になく、コンビニで使えるネット銀行は大変重宝するのだ。
残念ながらミライノカード(JCB)には家族カードがない。Masterの方にすることも考えたけど、年会費1万が果たして妥当か怪しい。保険料と考えるなら3000円のJCBでいいと思える。ので、JCBをゴールドにして引続き使用したい。
そうすると家族カードをどこにするかが悩む。といってもこれ自体はどこでも良い気がする。なぜならどこのカードもポイント還元は似たりよったりで、しかも○○PAYに力を注ぎすぎだから。各種Payは静観を決め込んでいるし、日常で使うのは専ら近所のスーパーとホームセンターくらい。なので現在のdカードで家族カードにしてしまおう。dカードゴールドはポイントが魅力だけど、キャリア系はそろそろ解約するべきかと思っているのでシルバーで継続。
携帯キャリアはどちらもdocomoなので家族割を使う予定。現在加入の料金プランも9500円程度と割高なので、ギガホにした方が良いのだろう。尤も、MVNOに切替えるのも視野に入れているが、通信量やGPSの正確性を考えるとキャリアが合っている気がしている。ここは今月中に決めよう。
保険は、自動車保険に二人がそれぞれ入り、俺が死亡保険とがん保険についこの間加入した。まあガンは時期尚早かもしれないけど。
彼女の保険は親名義なのでできるだけ早めにこちらに移す予定。しかも彼女の医療保険?はカンポらしい。なんでや。
まだ若いから定期保険で充分だろう。終身は10年後からスタート。いちおう俺が公務員なので医療保険は特に定めていない。
問題は家賃。今の家は6万弱の1LDKでかなり快適な設備なのだけど、さすがにこのままで結婚すると手狭になりそうだ。というかベッドが1個しか置けないので俺が布団を使っている状態。来年の更新に合わせて2LDKに越したい。
二人の手取りが合わせて35万程度しかないので、7.5万前後を狙っている。それでもやや高いかもだけど、駐車場2台分を含めた金額なので妥当ではないか?
食事関連は俺がメインで作るので、必然的に食料の調達も俺が行なっている。月3.5万以内をキープできるようになっているのでこれは継続。
子供関連だけど、未知数すぎてどうしようもない。二人とも親元から離れているから子供を預けるのは難しい。できるだけ貯金をしなければ。
大雑把すぎるけど、こんなところかな。
日々生きてると実感しづらいかもしれませんが、現代社会は日々向上しています。
とくに科学技術やテクノロジーはレイ・カーツワイルが指数関数的に伸びてるとか言ってますが、それを信じるしんじないにしろ今の所確実に成長を続けています。
なにか買っても数年後にはテクノロジーの向上で、価格が大幅に下落したり飛躍的に向上した製品が出現するので、現段階の商品はサービスを無理して買う必要はありません。
確かに今までもテクノロジーの変化のせいで過去の遺産がだめになることがありました。レコードからCDへ変わったりVHSからDVDへ変わったり。その変化にかかる期間が狭まってます。
家庭に電子機器が入ってくる
無線通信で動画コンテンツをストリーミング消費、発信するようになる
社会の動きも目まぐるしく、当たり前だと思われていた年賀状を書く文化ももうありません。携帯にストラップをジャラジャラつけていたのさえほんの10年前だし、物理鍵や財布など、今まさになくなろうとしているものもたくさんあります。
自動運転が出来るっていうのに免許を取るだとか、電気自動車が主流になるかもしれないのにガソリン車を買うだとか、新しい断熱材や最新の施工技術が出てくるかもしれないのに家を建てるだとか、日毎変化しているなかでものを所有するリスクが日々高まっている。
ゴーン氏のアリバイ作りをするために工作員1名をゴーン邸に残し、
アリバイ作りをする工作員は、ゴーン邸にゴーン氏が居るかのように、電灯を付けたり消したり、
トイレを使ったり風呂をつかったりして生活感を外部に感じさせる偽装工作を行なった。
水道メーターや電気メーターの回り具合は当然チェックされていると警戒していたのだ。
ゴーン氏の携帯電話は全てゴーン邸に残されているが、工作員が別の携帯とつないで、
脱出中のゴーン氏がまるで邸内から電話をしているように見せかけていた。
12月29日に弁護団の一人がゴーン邸の固定電話に掛けてゴーン氏と話をしているが、
その時、すでに彼はそこには居なかったのだ。
ゴーン邸を出た楽団のトラックは、そのまま仙台国際空港近くの倉庫に向かった。
飛行機の準備ができるまでゴーン氏はそこに隠れるように滞在した。
12月28日に某アラブ商人が自身の保有するプライベートジェットで仙台国際空港に着陸。
12月29日にゴーン氏の隠れる倉庫にやってきたのは、その機体の整備車両。
整備車両内の空きスペースに隠されたゴーン氏は、ノーチェックで空港内に止まるプライベートジェットまで近づくことができ、
そのまま飛行機内の隠しスペースに忍び込んだ。
12月30日。商談を終えたとおぼしきアラブ商人は、そのプライベートジェットでトルコに向かって離陸した。
日本の領海を遥か離れた時点でようやく、ゴーン氏は隠しスペースから機内に登場。
アラブ商人と祝杯を交わす。
男性が処女を卒業する体験記は思いのほか需要が高いようだ。そこで自分もその体験を記し衆目にさらしてみたい。
かなり昔のことを思い出してしたためるので、脚色や記憶違いがあるかもしれないが悪しからず。
「反社会的なゲームばかりしていると反社会的な欲望を持つようになる」
男の娘ジャンルのエロ作品にあふれた現在において、女装に興味を持ってしまった人間が実際に女装に走るのは自明の理である。
普段は昼食を手作りのおにぎりと水筒の水で済ますようなケチな自分が、ウィッグや衣装や化粧品合わせて数万も使ってしまったのだから、女装したいという欲望は相当なものだったのだろう。
コスローというハンドルネームを名乗り自撮り画像をあげては反応が来るという環境に「女装エロ同人みたいなことって現実だったんだな」といい気になりながらもどこか物足りない気持ちになっていた。
「よし、処女を捨てよう」
その物足りなさを埋めるために、この結論が出るのはすぐだった。
ネットで出会った知らない人と一対一で会うことには恐怖心があった自分は、定期的にパーティーを開催しレポートも出している主催者のA子という女装さんにDMを送ることにした。
すると、「ちょうど新宿で近日に空いてる回があるけど参加する?」とお誘い。二つ返事で参加表明する。
うわの空でその日までを過ごし、当日。早番をパパっと済ませて自宅で荷物とって電車へ。車窓から湯河原の海を眺め、小田原で夕食をとる。
広い駅舎に大提灯、複数路線が止まるターミナルは都会に来た気分になるが、駅を出てすぐの北条早雲像や小田原城などの史跡が歴史を感じさせる、過去と未来が奇妙に混在する町という印象があった。
そこから小田急線へ、携帯ゲームで遊ぶもどこか心が浮つく。あ、見逃し三振した。
数十ある出口。
延々と続く地下道。
いつまでたっても外に出られない。
そんな環境にあって勝手知ったるようにすたすたと歩いていく人、人、人……。
やっとのことで外に出たらビルを覆わんほどの巨大な電飾パネル。
小田原程度で都会を感じていた自分にとって、新宿という町は未来だった。さしずめ、小田急線はタイムマシンといったところか。
それでも間隔的に置いてくれてある地図付き看板で現在位置を確認しながら目的の場所へ向かう。高層ビルも鳴りを潜め、民家が目立ち始める。
そして指定された住所と特徴の建物にたどり着いた。気づけば十時になろうかという時刻だ。
(ここが会場……)
一呼吸おいてチャイムを鳴らすと、男性が扉を開く。短く刈った頭とやや吊り上がった目、ランニングシャツから除く二の腕はたくましく、スポーツをやっていたことをうかがわせるアラサー男性だった。
「ああ、聞いてます。どうぞ」
そう言って招き入れてくれた中は、客間のようにソファーやテーブルが置かれており、酒やつまみが置かれていて二人の女性と二人の男性がAVを見ながら歓談していた。最も女性二人とも男性なのだろうが。
奥にも一室あり、引き戸は明け広げられているが、電気がついていないせいで遠くからでは様子がわからない。近づいてみると、深夜通販で見るようなアウトドア用のベッドの大きいサイズが置かれていた。
そして、その上では。
主催のA子さんが、抱かれていた。
彼女がSNSにあげる画像から、A子さんに抱いていた印象は、「昭和末期の美女」といったものだった。
ややウェーブがかかったセミロングの髪、長身でスリムな体格、切れ長の目に青基調の暗めのアイシャドウ、ビビッドレッドの口紅。網タイツで覆われた脚。
古本の山からふと見つけてしまったポルノ雑誌のモデルのような、目を離さなくてはならないと思いながらも見続けていたい、そんな魅力のある方だった。
いま身にまとっている黒のネグリジェもA子さんの魅力を引き立てる。
そんなA子さんが、エロ同人から飛び出てきたような太ったおじさんに正常位で疲れ、嬌声をあげていた。
邪魔をしては悪いと思いそそくさとその場を立ち去り、手前の部屋へ。戸惑いを紛らわすために用意してくれていた飲み物を口にする。
出迎えてくれた男性に尋ねられ、うなづく。
ほかにも設備の説明を受け、礼を告げてシャワーへ向かう。長距離を移動してきて汗もかいていたので、温かくなるまで時間がかかるシャワーは心地よかった。
身体の水気を拭き、どうせすぐ女装するからと思って下着だけ身に着けてメイクルームへ向かう。
下着を女装用のもの、百円均一で買った黒のスポーツブラと白いショーツ、黒のニーハイソックスに変え、ショートのウィッグをつける。
衣装は黒のチャイナドレス。肩から胸にかけてのボタンとサイドにファスナーとがあるので頭からすっぽり着れて、腰からストンと脱げるので重宝している。
この時点で、心は女性になる……といっても男性にとって都合のいい、性欲を喜んで受け入れてくれるような現実にはまずいない女性だが。
顔にファンデを塗り、頬にチークをさし、アイシャドウで目を作り、唇を口紅で完成。
やはり、見慣れた自分の顔が男性から女性のものへと変化していく様を眺めるのは楽しい。
これで客間に出ていき、もう一度全身が移る姿見で確認する……と、後ろから出迎えてくれたアラサー男性が近づいてきて、
「かわいくなったね」
と両肩に手を置いてきた。いきなり触れられたことに不快感はなく、むしろ女性としての価値を認められたことに喜びを感じていた。
「こういう会ってよく来るの?」
「いえ、初めてです」
「じゃあ処女なんだ」
「……はい」
「……お願いします」
出迎えてくれた男性は、僕が着ているチャイナドレスの襟から手を入れて直接肩や乳首を触ったり、裾のスリットからおしりを揉んだりしながら尋ねてくる。
「横になれると行こうか」
しばらく僕の身体を堪能したアラサー男性は、手を引いて奥の部屋へ招き入れた。まだA子さんとおじさんはまぐわったままでいる。
アラサー男性はベッドの端に腰かけ、はいていたジーパンを脱いでから、僕をひざまずかせた。
まずはパンツ越しに触ってほしいのかな、と忖度した僕。そうしてみると、ぶるぶると弾力のある、半立ちのモノの感触があった。
自分ので触りなれているはずなのに、こうして初めて他人のものに触れてみると、なかなか奇妙な感触だ。これは何に近い触り心地なんだろう。
ぶつけられてもいたくない子供用のゴム製ボール……より中身が詰まってるかな? うん、海綿体が詰まってるね。
「楽しそうだね」
そんなことを考えていたら上から声をかけられた。
「そろそろ舐めてよ」
そう言って彼はモノをあらわにする。なかなかに立派なモノだ。
真正面からモノを見るのは初めてだな、自分のは上から見るし、エロ動画だと下から見るし、奇麗に剥けていて丸々と張りのあるカリは木に茂った梅の実を思わせる。
などと心の中でイチモツ評を下しながら舌先や唇で触れてみる、結構弾力があって跳ね返してくる。しばらくその感触を楽しんでいると、唇で押しても沈んでいかないほど固くなって、カリを上に向かせようという力が働いてきた。
フクロの部分も舌を這わせてみると確かにタマがあることがわかる。当たり前か、とペロペロしながらおかしく思った。
「初めてでそんなに舐められるんだ、どこで覚えたの?」
「独学です」
「もうすごくうまいけど、飴をなめるような感じじゃなくて、麺をすするようにしてみてくれる? 歯には当たらないようにね」
試したことのない難しい注文だが、なぜか何となく勝手はわかった。ずるずると竿をすする。自分がこんな下品な音を立てている事実に興奮した。
「いい感じいい感じ。今度は交互にやってみて」
まるでフェラチオ教室のインストラクターのような指示に従ってしばらく楽しんでいると
「混ざっていい?」
と背後からの声。振り返ると客間にいた別のアラフィフぐらいの男性がしゃがんで僕の顔を眺めていた。
いわゆるこれは前から後ろからの3Pというやつか。あこがれてはいたが初体験でこれは過激すぎじゃないのか、しかしこの機会を逃したらいつできるかわからない、いや一生できないかもしれない……
などと迷っていると、アラフィフ男性がぼくの腰を両手でつかんできた。そしてそのまま膝立ちでお尻を突き出した姿勢にされる僕の上半身はアラサー男性の下半身に体重を預ける格好だ。
そのまま後ろの男性はチャイナドレスの裾をめくりあげて僕の尻肉をわしづかみにした。
そのままパンツもずらして後ろの穴がさらけ出されてしまう。そして、何か冷たいゲル状のものが注ぎ込まれた。続いて今度はぬるくて硬いもの。
これは指だ、と理解したのは何周もぐりぐりかき回す動きを感じた時だった。
体内での遠慮ない動きに思わず声を上げてしまう。同時に、自分の後ろの穴が、入ってきた指をくわえこむかのように締まる動き。
「おお、いい締まりじゃん」
後ろの男性が期待を込めた声をかけてくる。
「そろそろ本番準備しようか」
「初めてでトラウマになっちゃうと悪いから、言いたいことがあったら言ってね」
「……じゃあ汚したくないからチャイナドレス脱いでいいですか」
「あ、気づかなくてごめんね」
行為への持っていき方はやや強引だったが、細かい点に気の回る紳士方だったようだ。ますます心がメスになってしまう。そのままストンとチャイナを脱ぎ下着姿になる。
着ていた下着は百円均一のもので、なんとなく誉め言葉をもったいなく感じた。
そしてベッドの上でうつぶせになると腰を浮かすように枕が差し込まれる。
ちょうど、相変わらずはめられ続けているA子さんの顔が真横に見える位置だった。
「こんばんは、コスローさん、でしたっけ?」
息を弾ませながら尋ねてくるA子さん。そういえば挨拶もまだだった。
「はじめまして、こんなタイミングになっちゃって、すみません」
これから処女を卒業しようとしているタイミングで初対面の挨拶を交わす。まさに「こんなタイミング」だろう。
「いえいえ、主催なのに自分で楽しんでてごめんね。いきなりエッチしてて驚いた?」
「ええ、実際に見るのも初めてなんでさすがにちょっと驚きました」
「でも、楽しんでもらえてるようでよかった」
「はい、やっぱり、女として扱われるのって、なんだかうれしいですね」
ガールズトークを始める僕とA子さん。方や本番真っ最中で、方や本番前にほぐしているところだ。……あっ、指が二本になったけど、僕の後ろの穴、すんなり受け入れてる。でも三本だと痛い。
そして男性がいったん離れて何かに強く息を吹きかけたような仕草をした後(後で知ったことだがゴムが破けないようにしているらしい。ここらへんも手馴れている)ついに、穴にあたる気配が指ではなくモノに変わる。穴を穿とうとするが、何度か尻肉の谷間を滑る。
頼まれた通りにすると、床オナのように自分のモノに自重がかかってしまう。完全にたっているので、暴発しないか心配になる。
「ちょっとくっつくよ」
そう言って、背中に男性の体温と体重を感じ、一寸おいて自分の後ろの穴が男性のモノを飲み込んだ感覚。ついに処女を卒業してしまった。あれ、どっちの男性がさせてくれたんだろう。まあどっちでもいいか。
隣でA子さんが祝福をしてくれた。こちらに向かって伸ばされた手を握る。正常位ではめられてるA子さんと、バックで掘られている僕が、がっちりとシェイクハンド。
自分の中で男のモノがうごめいている。出そうとしていないのに喘ぎ声がでてしまう。声帯ごと侵されているような感覚だった。
しばらくそのまま続けた後、ふいに引き抜かれていく感触、あれ、もうおしまいなの? と思っていると
「正常位でやろっか」
と腰に手を回しされ半回転するよう促され、仰向けになる。そこで初めて、相手が途中から入ってきたアラフィフ男性だということに気づいた。そのまま腿を支えられて腰を浮かされる姿勢になって、再び中に入ってくる。
「顔もかわいいね」
頬を撫でられたり、胸部の肉を集めるように両掌でわしづかみにされたり、腰骨をがっつりつかまれたまま前後されたりプレイは激しさを増していく。正常位になるまえに一旦離したA子さんの手も、知らず知らずのうちに握りなおしてしまっていた。
そういうと男性は、僕のA子さんとつないでいないほうの手を、僕のモノのところに導いた。いわれるとおりに数回しごくと、すぐにせりあがってくる射精欲。
はめられながらも完全に立っていた僕のモノ。そのままイクと、自分にぶっかけることになってしまうが、もはや手を止めることはできなかった。
僕に向けられた鈴口から勢いよく精液が飛び出し、腹に、胸に、口に飛び散っていく。ああ、ブラにもかかちゃったかな、まあいいか、百円だし、気持ちよかったし。
後ろの穴は、男性のモノをくわえたままキュウキュウと何度も開いて閉じてを繰り返す。
アラフィフ男性は満足そうに、僕を見下ろしながら言うのだった。
続くかな?
この文章では、人種差別に関する実体験を綴る。もしあなたがこのような話題にトラウマがある場合、無理に読み進める必要はない。
私は20代の日本人女性である。先日ヨーロッパのとある国の大学院を卒業し、就職活動を行った。
ヨーロッパには、日本のような新卒一括採用システムは存在しない。企業が出している求人広告に応募→書類審査通過の場合のみ企業から直接連絡が来る→面接→採用、というのが基本的な流れである(大学のキャリアセンターを通す場合や特殊な業界の場合は異なるパターンもある)。
私は大手就職情報サイトである求人広告を発見した。その求人は私の大学での専攻と非常に親和性が高い内容だった。具体的な仕事内容については言及を控えるが、小さなスタートアップが私の住む都市で事業を展開することになり、プロジェクトをサポートするスタッフを募集する、という感じ。検索すると普通に会社のホームページも出てきたし、活動記録やネット記事、代表のLinkedInなどもヒットした。私は迷わずに応募した。応募は、その就活サイトを通じて行った。
すると、しばらくしてそのスタートアップの代表本人から連絡があり、面接審査に進めることが決定した。大学卒業後なかなか仕事が決まらなかった私は、このチャンスに少なからず期待していた。
面接が行われたのは中心部にあるシェアオフィスの一角だった。面接は代表自らが行っており、オフィスにいたのは彼だけだった(同じ部屋にもう一軒別のオフィスが入っていて誰かが仕事をしていたが、ドアで仕切られた向こうにいたので話してはいない)。代表の話によれば、この街に越してきたのは先週で、まだスタッフも全く揃えていない状態だという。実際に部屋の中は殺風景で、最低限のデスクやPC、ソファがあるのみだった。代表は40代半ばくらいの白人男性で、ネルシャツにカーディガンを羽織っていた。話し方も落ち着いており、ふつうの人に見えた。
面接は至って普通に始まった。代表は今回のプロジェクトの内容を私に説明し、大学院での専攻内容やこれまでの職歴について質問してきた。しかし、話し始めて30分ほど経った頃、とても腹の立つ出来事があった。彼が、アジア人を侮蔑するジェスチャーをしてきたのだ。少しでも海外経験がある人なら、どんなジェスチャーかピンと来るだろう。両手で目を細めて吊りあげる、あれだ。
アジアについて話し出したとき、彼は無意識のようにそのジェスチャーを行った。話の文脈からいうと私を個人攻撃するつもりではないように見えたが、少なくとも非常に不愉快だ。若い人などがギャグのようにこのジェスチャーを行うことはあるが、まともな常識を持った人ならこんな仕草はしない。このジェスチャーを行った時点で、それは教養ない差別主義者の証拠である。私はその場で危険な雰囲気を察知し、「あとで連絡します」などと適当に話を濁して面接を切り上げてその場を立ち去った。悲しい気持ちでいっぱいだった。
面接終了から1時間後くらいに、代表から再びワッツアップ(ヨーロッパのLINEみたいなテキストアプリ)で連絡があった。「あなたの専門分野に近い領域で仕事をしている知人もいますのでよければ紹介します」といった内容だった。私は、当たり障りのない返事をした。すると彼は、続けざまに日本についての話を始めた。「最近新聞で見たんだけど、日本って・・・」というような感じだ。3、4通に渡って日本経済に対する持論を展開したあと、彼は突然こんなテキストを送ってきた。
ものすごく腹が立った。日本人の私を面接に呼んでおいてこのような態度とは、何だろう?バカにされていると感じ、すぐにこのような返事をした。「私はあなたが想像するとおり、典型的な日本の若者です。残念ながら私があなたのプロジェクトに参加することはありません」
すると、彼の態度は文字通り豹変した。続けざまに、彼からはこんなテキストが送られてきた。
「あなたは面接中とても大人しそうに見えたけど、本性を隠していたんですね」「僕の優しさを攻撃性の欠如だと勘違いしないでください」「私の知人は、日本人は〇〇人に対して最も差別的な民族だと言っていました」「あなたは差別主義者のようですね」「僕はあなたと話して、自分の白人としての誇りが傷つけられたと感じました」
はっきり言って、この男が私に何を言っているのか全く理解できなかった。私は白人に対する差別発言はもちろん、如何なる人種に対しても何の言及も行っていない。ただ面接に行って仕事の話をしただけだ。しかし彼の逆上は止まらず、さらにこんなテキストが送られてきた。
「あなたは最低です」「あなたを差別主義者として警察に訴えます」「僕は差別犯罪を通報するアプリを持っているから、今すぐあなたを通報できる」「あなたをfuckする」
相手は話が通じる状態ではない。私は気が動転する中、彼にひとことだけ「why」と送信した。すると、それに対する相手からの返信は恐ろしい内容だった。
「僕は〇〇(とあるアジア系企業)が大嫌いなんだ」「〇〇人(その企業が本社を置くアジアのとある国)は大嫌い」「〇〇人は、腐った魚ペーストの臭いがする」
背筋が凍った。彼は気が狂っている。まともな人間ではない。明らかに私およびアジア人に対する激しい差別的感情があり、テキストを通じて私を脅迫・攻撃している。このテキストを受け取ったのは彼のオフィスから程近いカフェだったのだが、私はすぐに窓の外を見渡し、奥の座席へ逃げた。まるであの男が窓の外に立ってこちらを見ているような気がしたのだ。
気が動転していた。何より恐ろしかったのは、この男が私のCVを手にしているという点だ。CVとは欧米で就活時に使う履歴書のようなものなのだが、そこには私の名前、メールアドレス、電話番号、住所などさまざまな個人情報が書いてある。もしこの男が本当に私を犯すつもりだったらどうしよう?家までつけて来たら?待ち伏せされたら?
私が真っ先に思いついたのは、警察への通報だった。ヨーロッパでは、この手の脅迫や暴力はヘイトクライムと呼ばれる。もちろん立派な犯罪だ。震える手で警察に電話をしたら、男性警官が出た。詳しい会話は割愛するが、緊急性のない事件だと判断され、「明後日あなたの家に伺ってお話を聞きます」と約束した。
警察への通報後、私は卒業した大学の緊急サービスに連絡をした。健康相談やメンタルケアについて、24時間通話可能な窓口である。とにかく帰り道が不安だったのと精神的に動揺していたので、その旨を早口で話しまくった。窓口の担当者は警察への相談を勧めてくれ、最短で家に着くルートの検索なども手伝ってくれた。幸い私には同居人がいたので、彼女に最寄りのバス停まで迎えに来てもらった。その日はまともな食事も喉を通らず、夜も全く眠れなかった。
警察が来たのは週末だった。男性2人、女性1人が私の部屋まで来てくれた。私はワッツアップの履歴を見せながらことの経緯を説明した。彼らは真剣に話を聞いてメモをとり、証拠としてテキストのスクリーンショットを撮った。また、彼の名前や会社名などを控え、レポートを作成して記録を残した。警察の指示によって私は彼の電話番号、メールアドレス、SNSなどすべてを着信拒否した。また、警察は彼が求人広告を掲載していたサイトに連絡し、広告を削除した。彼の脅迫はとても卑怯だが、これは単に若いアジア人女性を傷つけたいがための悪戯な犯行であり、実際に家まで追ってあなたを襲う確率は非常に低い、というのが警察の見解だった。身の安全を保持するため、私が彼の犯行を警察に通報したということは決して外部に漏らさないことを約束してくれた。彼からその後連絡が来ることはなかったが、私は1か月以内に全く別の場所へ引っ越した。
私は、まさか自分がこのようなヘイトクライムの被害者になるとは想像もしていなかった。しかも就職の面接官、大手サイトで見つけた求人でこんなことが起きるなんて。まるで50年代のような差別的言動、30通を超える言いがかりのメッセージ、レイプを連想させる脅迫。精神的なダメージは計り知れず、しばらく携帯を見るのも怖かったし、SNSなどにこの事件について投稿することもなかった。
普段の私は、とても明るく元気な性格だ。友達もいるし家族との関係も良く、自己肯定感も高いと思う。私の周囲の人も口を揃えてこれに同意するだろう。しかしそんな私でさえ、この事件当時は性格が変わった。「こんな暴言を吐かれるなんて、私が悪いのかも・・・」そんな考えが頭をよぎったのだ。冷静になってみれば、私には何の落ち度もない。ただ求人に応募し、面接に行ったら、面接官の頭がおかしかったという話だ。しかし、アジア人であるという変えようのない事実を理由に差別されたことで、私の誇りはひどく傷つけられた。この男が狂ってるんだ、そう頭では理解していても、感情はしばらくグチャグチャだった。生まれて初めて、ベッドの上で「死のうかな」なんて想像した。本当に、人生の中で最も傷ついた出来事だった。
ひとつめは、「人種差別は犯罪である」ということ。とくに日本人は、この辺の意識が薄い気がする。これは私たちが他者を差別してはいけないということだけではなく、「自分が他者から差別されたときに怒っていい」ということである。私は迷わず警察に通報した。「これぐらいのことで・・・」なんて迷う必要はない。警察はきちんと調書をとり、クリミナルレコードを作ってくれる。とくにヨーロッパでは、この手の犯罪に対し警察は動いてくれる。すぐに逮捕には至らないまでも、記録が残るだけで全く状況は変わる。何より、私は精神的な安心を得ることができた。
今回のケースの場合、面接でジェスチャーをされた時点で彼にもっとはっきり否定的な態度を取るべきだったという見方もあるだろう。しかし、相手のテリトリーであるオフィス内、しかも体格差のある男性が相手だったため、感情的な反応はリスクが高すぎる。脅迫メッセージなども慌てて消してはいけない。あとから、証拠として提出できるからだ。とにかく、自力で解決しようとせず、警察を頼ってほしい。
警察に通報するのが最もおすすめだが、どうしても勇気が出ない場合は大学のホットラインなどでもいい。とにかくSOSを出し、怒り、差別主義者たちにNOを突きつけること。
ふたつめは、自分を責めないこと。差別犯罪に巻き込まれたとき、精神的な負担はあなたが思うよりずっと大きい。自分の国籍、性別、セクシュアリティ、容姿など、自分で選ぶことのできない部分を攻撃することはとても卑怯だ。激しい悪意を向けられた時、人間の心は深く傷つき、自分を愛することができなくなる。私は警察と話している時、メッセージの内容を反芻して頭が混乱し、支離滅裂な言葉で説明をした。あまりに動転していたので、私は思わず警察官に「ごめんなさい、この国の言葉が上手くないから、私の言葉がわからないですよね」と謝った。すると警察官は、「何を言っているんだ。あなたの語学力はとても素晴らしい。何の問題もなく聞けています。私たちは、あなたがどんな被害にあったか理解できているんだから、あなたは大丈夫」と返してくれた。この言葉を聞いて、それまで一滴も流さなかった涙が堰を切ったように溢れた。
悪いのは差別主義者だ。そのことを決して忘れないでほしい。あなたは悪くない。あなたは美しい。他人に何を言われても、何をされても、あなたの心も身体もあなただけのものだ。
私は現在、とても元気に暮らしている。新しい職場にも恵まれた。正直なところ、今も時々あの男の顔を思い出すことはある。しかし、新しい年の訪れとともに、前向きな気持ちで歩き出したい。
1.電話の説明じゃ操作方法が分からないので家に直接来て教えろとのたまうお客様
その後店舗に乗り込んできて「お客様への姿勢がなっとらん」と30分説教された末、店長の指示により店頭で土下座させられる
2.後輩に店番を任せ昼休憩に行っている間に操作方法を聞きに来店されたお客様
戻ると何故かスタッフが一人もいない店内に怒り心頭のおばあちゃんが一人
「勤務中にほっつき歩いて客を待たせるなんて何を考えてるの」と30分説教を受ける
(ちなみにその間店長はタバコ休憩に行ってて後輩はバックヤードで寝てた)
3.研修と称して若い社員のみが真冬の夜の海に連れていかれ、真っ暗な浜辺でスーツに裸足で円陣を組まされる
順番に海に向かって今後の目標を叫べと言われ、何が何だかわからなくなり号泣しながら海に向かって絶叫
職場への感謝というテーマで一人ずつスピーチ(という名の絶叫)をさせられ何故か涙が止まらなくなる
5.諸事情により自分のプライベート携帯でお客様に電話をしたところ、その後シフトや日時を問わず問い合わせの電話がプライベート携帯に入ってくるようになる
休みの日にもアドレスの登録の仕方がわからんみたいな用件で電話がかかってくるので番号を変えたところ、怒り狂ったお客様が店に乗り込んできて損害賠償を請求される
土下座で丸く収める
ご近所でそれなりの資産があると思われる婆さんが自己所有のビルの最上階に一人で住んでた。
話はじめたきっかけなんて忘却の彼方だけど、口癖は「娘と一緒に住みたい」だった。
俳句が好きで、自作の俳句とか読ませてもらったり、何か分からんけど仲は良かった。
娘は婆さん(実母)と一緒に住みたくないってことで東京に出て大陸系の男性と結婚した。
1年に1回くらい婆さんが電話して元気かどうのか聞くくらいの関係とのこと。
ある日のこと、婆さんが「お母さんの手料理が食べたいから一緒に住みたいって娘が言うから東京に引っ越すことになったの」って満面の笑みで伝えてきた。
そこで今住んでいるビルと駅前の借地している土地を売って、そのお金で東京に一軒家を買って一緒に住むことになったらしい。
いやー、臭い、臭すぎるでしょ!!って思ったけど、婆さんの満面の笑みと仲はいいけど血縁ではない他人だから応援した。
それから2年くらいたって、突然に音信不通の婆さんから手紙がきた。
涙で滲んだと思われるボールペンの震えた字でこんなことが書いてあった。
娘に財産を全て没収され、老人ホームに年金で賄う永年契約で入れられ、携帯も全て取り上げられた。
そんな老人ホームがあるんか知らんけど、死ぬまで出られん、出られても棺桶でとのこと。
東京の家に着いたら娘はすぐに私を老人ホームに入れ、それから一度も面会にも来ない。
老人ホームの私宛の手紙は全て娘が一端預かるようになってて、一度も渡されたことがない。
私から手紙を出すのも職員さんから娘に依頼しないといけないのですが、返信は一通も返ってきていないので娘が捨ててしまっているのでしょう。
娘の旦那が娘に黙って月に一回くらい会いに来てくれて、そのことを話しました。
それから旦那と娘は離婚したらしく、娘は一度も顔を見せないどころか連絡もありません。
私の財産は全て娘が持っていってしまったので、あなたに何も上げるものがないと言ったら、お母さんを大切にするのは人の務めでしょう!と言われました。
血の通っていない、それも元娘の旦那なのに、どうしてどうしてと涙が止まりません。
年金は全てホームの費用になるので、個人で使えるお金がありません。
どうしてこんなことになったのでしょう。
とまあ、そのまま引用したところもあるけど、こんなことが書いてあった。
老人ホームの住所とか書いてあったけど、血縁者じゃないから何かしたくても何とも出来ん。
婆さんに対して何も出来ないもどかしさよ。
公園に散歩に行たり毎日ほのぼのと暮らしてた婆さんが何の因果があってこんなことになるんだろうか。
何ともできないもどかしさがとにかくヤキモキする。
も~う幾つ寝ると和尚がツー!
ヘイ!ヘイ!ヘイ!
ということで、
年末年始の面白いテレビとかネットとか探して見まくりまくりたいところだけど、
このときばかりはザテレビジョンを買ってしまいそうな暮れよね。
ああこの人年末年始の特大号買って張り切ってる人だなって見られたらもう生きづらいので、
いやこのザテレビジョンはついでに買うんだなって装いを漂わせつつ、
年末年始で忙しく開店して今日も頑張っている定食屋さんに駆け込もうという最後のご挨拶も兼ねて、って思われそうよ。
とりあえず
なんだかハードディスクレコーダーの調子が悪いような気がしてやまないので
いよいよ買い換えか!とその前に
マウスでぐいっとファイルをコピーするのとはどうやら違うみたいなのよね。
そこらへん録画番組の取り回しが面倒くさいので、
もはや今はテープに移し替えて永久保存版なんて出来ないのよね。
いつまで見られるかって案外期限があったりするから、
見よう!って思った矢先の私的には期限が切れちゃっててもう私切れちゃうわ!ってプンプン怒りスティックフィアヤー発動って感じなのよね。
だから小まめにチェックしつつ、
確認はしているんだけど、
いっそのこと壊れちゃったら諦めがつくってもんよね。
こんなこというと言霊になって
本当に壊れちゃったら嫌だけど、
だからそっと良い子でいてねとなだめているの。
ご機嫌伺いが大変よ。
なんでも録画一覧を見るとフリーズしてしまうと言うなんとも本末転倒しまくり大回転なのよ。
そんでもってレコーダーを電源入れっぱなしにしていると、
本当に困っちゃうわ。
あのね、
車が突っ込んで本当はそれどころじゃないけど、
それはまた今度書くわね。
私の所に電話がかかってきて、
本当にプリウスだったから笑っちゃいそうだけど笑えない感じで、
ニュースでプリウスミサイル今日も、みたいなの取り上げてるけど、
それこそユッキーナばりに事務所総出で!って駆けつけたんだけど、
その様子は見れなかったんだけど、
あなたいつまでガラケーなのよ!ってツッコみそうな画像が粗い記念すべき写メ一号機の携帯電話から送られたそのピクセルは幅240とか!
もうそんなときにそんなボケは要らないからって縦幅は360ピクセルぐらいで!って言うところだったわ。
あなた屋上から落ちて死んだんじゃないの?って悪役の人が生きて次作に出てきた感じのダイハード感で
幸い人間プリウスミサイルの中身の人は生存してたいした怪我もなかったって言うから
やっぱりここは弁護士特約よね!って思ったし
新宿のビルに車が突っ込んだ勢いでビルがドミノ倒しみたいに5つぐらい倒れちゃったら
さすがに対物無制限でも保障できないわよね?そこのところどうなのよ?って聞きたいところだけど、
ああ令和世代は!なんて言われると思うからそんなことにも備えておかなくてはいけないわ。
とりあえず
この年末年始に!って時によりによってよ。
本当にみんなも気を付けてね!
うふふ。
白湯代わりに飲むホッツグリーンウォーラーでもいいしホッツジャスミンティーでもいいから、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「正当な理由」として移動先と使用法が必須なので「増田社で毎日コピー用紙を切る予定と実績がありコンバットナイフを運んでいた」はOKで「通勤時いつ襲われるか分からないので児童用ハサミを持っていた」は違法
バレバレの言い訳が立てば日本刀でも鉈でも携帯できるという意味ではないが、いずれにしろ日本では種類や効果を問わずボールペンでも対物ライフルでも「護身用」は用途として一切認められないというのが常識
クリスマスデートに誘ったけど相手が来ない確率が高いのに待ち続ける状況って何?
携帯ない時代だし事前に待ち合わせすると思うんだけど、曖昧な返事をされたとかなのかな だったら相手クズすぎる
逆に手紙とかで一方的に誘って勝手に待ってるとかだとキモすぎる
いっそ誘ってすらなく、相手の行動圏内で待ち伏せてるとかなのか?キモすぎる
秘められた思いがなんちゃらっつってるからすでに付き合ってる線はないんだよな どう転んでも性格が悪いかキモいかどっちかになりそう
最悪の歌
彼女を知ったのは何年か前の春先。研修期間を終えお披露目となった彼女を紹介するメイドカフェ公式アカウントからのツイートかなにかがリツイートで回ってきたのがはじまりだった。
小ぶりな丸い顔とその愛らしい笑顔に心を打たれ、彼女のTwitterアカウントをフォローした。
当時わたしは海を超えた地元で生活をしており、遠く離れた秋葉原の小さな店舗のひとりのメイドさんの存在というものは、二次元ではないにしろ遠いものだった。
会えない、もし会ってあわよくば…なんてことを考えすらしない。メイドカフェといえど結局は飲食店。客に興味は沸かないし、メイドカフェに通うオタクなんて嫌悪感しか抱かないと思っている。
彼女の存在というものは他にフォローしているアイドルなんかと同じ。目の保養とだと考えた。
彼女が投稿する写真はどれも可愛かった。毎日いろんな髪型やメイド服、たまには私服もあったり。
それをほとんど全て保存してお気に入りにしていた、携帯のストレージが埋まれば今度はクラウドストレージに彼女の名前のフォルダを作りそこに保存した。
今これを書きながら見直しているけれど、千枚は簡単に超えている。傍から見れば気持ちの悪い話だ。
しかし彼女はわたしのことを知らない。だからそんなことは関係のない話だったのだ。
彼女を知ってから1年後の春にわたしは転職した。契約期間満了がその理由だった。
特に苦労もなく入社した新しい会社はいわゆるIT派遣で、中途採用のわたしは入社2週間後には東京の地を踏んでいた。
派遣先は東京駅付近。彼女がいる秋葉原まではたったの2駅。しかし当時のわたしは彼女との距離をそれほど意識してはいなかった。
あくまで彼女はまだTwitterの中での存在だった。それでもTwitterでフォローしているアカウントの中では彼女が一番だったことは間違いない。
新しい会社は社員同士の仲がよく、チャットで雑談をしたりしていたのだが、わたしと仲のいい同期がとあるチャンネルを作った。
目的は『アイドルや女優など、推しの女の子を紹介する』というものだ。
自分でも自覚はしているけれど、わたしの好みのタイプは万人受けするものではない。
タイムラインに乃木坂46の齋藤飛鳥や武田玲奈の画像が貼られているところに、彼女の画像を貼った時の反応はよくなかった。
『お前が好きそう』『メンヘラっぽい』なんて言われたりしたけれど、ことあるごとに彼女の画像を貼った。
誰かが眼鏡をかけた女の子を紹介すれば、わたしも眼鏡をかけた彼女の画像を貼る。
千枚以上の写真があるんだ。どのシチュエーションにも対抗できる。我ながら気持ち悪いやつだ。
そうしていたらそのチャンネルのなかでわたしは彼女のガチ恋オタクだと言われるようになっていた。
そして、彼女に会いに行くことになったのだった。
あまりにも彼女のことを語るわたしを見て、上司が『それじゃあ会いに行こうよ』とわたしの手を引いた。
実際に行くにもわたしはずっと『会ったらガチ恋してしまう』なんて言っていたけれど、内心はすこしドキドキしていたと思う。
秋葉原駅から少し離れた通り、そこに彼女が在籍するメイドカフェはあった。それまでに秋葉原は何度も足を運んでいたけれど、この通りまでは来たことがなかった。
メイドカフェ黎明期にできたというそのカフェのドアを開く、席に案内される途中横目で彼女を探す。いた。そりゃそうだ。事前に出勤する日をTwiterで確認したんだから。
今まで画像でしか見たことがなかった彼女だったけれど、やっぱり女の子は動いている方が可愛い。
彼女の声や動き、静止画ではわからない彼女の魅力を知ることができた。
ところで、わたしは好きな人にはそっけない態度を取ってしまう癖がある。最近知った言葉だけれど『好き避け』というらしい。
思い返せばこの時オーダーを取ってくれた彼女の姿をあまり覚えていない。美化したような表現にはなるけれど、わたしの好き避け癖は既にしっかり機能していたのかもしれない。
いわゆるテーブルにしっかりメイドさんが着いてくれるお店ではなく閉店時間も迫っていたので、会話もそこそこにわたしたちは退店することになった。
翌日他の同僚なんかにどうだった?と尋ねられたりもしたけれど、生の彼女を拝んだくらいで恋してしまう程わたしは恋愛経験がないわけではなかったので、いつもどおり彼女の魅力を語っていた。
その数週間後に今度は同僚と二人でそのメイドカフェになんとなく行ったりもした。
その時に手に入れた彼女のラミカは今でもパスケースに入っている。
そこからは何ヶ月かに一度彼女に会いに行った。毎回はじめましての対応だ。
わたしの働くオフィスが変わったのもあるけれど、やっぱり自分のなかでアイドルの現場やメイドカフェというものは頻繁に足を運ぶものではないものだと強く思っていた。
その間に彼女はコンテストに応募したり、新しいことに挑戦したりしていた。それに対して少しばかり応援したり、たまにリプライを返してそれをいいねされてドキッとなったり、
相変わらずTwitterで彼女がアップする写真にハートを投げる。そんな日々を送っていた。
だけれど、それは続きはしないかもしれない。
メイドカフェは副業として続けるらしい。が、わたしは知っている。今までそう云ってきたアイドルやメイドさんは、少しの期間をおいてその人生に幕を下ろす。
だから、わたしはそのツイートを見た瞬間にまだ決まってもいない卒業の日を想像してしまい、胸が締め付けられるような苦しさを感じた。と同時に彼女に会いに行かないとと思った。
彼女の姿を一目見て、『新しいお仕事頑張ってください』と一言かけよう。そう決意して翌日彼女に会いに行った。
久しぶりに拝む、とは言ってもTwitterではほぼ毎日見ているので特に驚くこともなかったが、やっぱりビジュアルもそうだけれど彼女の話し方や仕草も合わせると更に素敵だ。
金曜日の夜、店内はそこここに混雑していた。窓際に座るわたしに彼女はオーダーを取りにきてくれたけれども、わたしはとっさに目を見て話せない。好き避けはまだ治っていなかった。
結局この日は言いたいことも言えずただカクテルを一杯飲んで店を後にした。
帰り道、彼女のことをツイートするとリプライが来る。わたしは彼女に認知されていた。『また遊びに来てください』の言葉にわたしは胸が踊った。変な声をあげながら喜んだ。
そしてその次の日に会いに行くなんて、わたしは本当に単純だなと思う。彼女もまたわたしの姿を見て『来てくれたんですね』と声をかけてくれる。
それでもわたしは彼女の目を見て話せない。彼女の表情は覚えていないけれど、冷たく思われないようにできる限り丁寧な返答をするように心がけたのは覚えている。
『認知される』ということは、少なくともわたしの中で特別なことに思えた。
それは今までアイドルの現場や他のメイドカフェに行ったことがなく、単純に初めての経験だったから。
たったこれだけの事で優越感や幸福を感じるなんて、あまりにもチョロさがすぎるとは自分でもわかっているんだけどね。
メイドカフェへ足繁く通うようになって、彼女以外の他のメイドさんにも認知された。
まぁ、彼女がいる日にだけ行くというのもなんかアレなので、いない日にも行くようにしている。結果的にそのメイドカフェ自体が好きになってしまった。
彼女の他に推しと呼べたり、落ち着いて気軽に話せるメイドさんもいる。
だけれどわたしの中で彼女へ向ける感情は、他のメイドさんへ向けるそれとは違うものだと自覚している。
店内の数人でやったトランプゲーム中に彼女の肩が一瞬触れたり。
誘いに付き合ってくれた先輩が気を利かせ、彼女に声をかけて少しの間やりとりをしたり。
また別の先輩は、あまりにも好き避けが激しいわたしを見かねてツーショットチェキを撮るように促してくれたり。
更に翌日自分でチェキをオーダーすると、『やっと自分からオーダーしたなー?』とからかうように言われたり。
まだ短い期間だけれども、全部が綺麗でキラキラした大事な思い出になりつつある。
メイドさんが選んだクリスマスプレゼントがランダムで手に入るクジ。彼女のプレゼントを目の前で他の旦那様が引いてしまったのだけは悔しかった。
その旦那様も彼女を推しとしているらしいのが更にモヤモヤした気分にさせた。ジャニーズのアイドルなんかで『同担拒否』するファンの気分はこれのことなんだろうか。
何を見て聞いて食べて、喜んだり悲しんだり悩んだりするんだろう。
メイドカフェのメイドさんとしてではない彼女を知りたい、メイドカフェの旦那様としてではないわたしを知ってほしい。
この気持ちに名前をつけて認めてしまったらわたしは旦那様としていられなくなってしまう。
厄介オタクの身勝手な自己愛や歪んだ理想像だと言われるかもしれない。自分でもかなり感傷的になっていることもわかっている。
そもそも卒業が決まったわけでもないのに、勝手に想像して辛くなって泣きそうになってるなんて面白すぎる。
でもいつか卒業する瞬間が来て。卒業して何ヶ月かしたら彼女の中のわたしは消える。何年かすればわたしも彼女のことが思い出せなくなってしまう。
それがどうしてか哀しくて苦しくて今この日記を書いている。ちょっと読み返してみたけどイタさ丸出しで笑う。
何が『この気持ちに名前をつけて認めてしまったら』だ。どこからどう見ても厄介ガチ恋オタクだよ。
ついでに、ありきたりな『こんな辛い思いをするくらいなら最初から出会わなければよかった』とかいう台詞が思い浮かんだけど、わたしはそうは思わない。
あの日運良くツイートが目に留まって、転職して東京に行き、ツイートに彼女がリプライをくれた。今までの選択なくなることはない。こういうところだけは現実見てるんだなあ。
さて、わたしはメイドさんとしての彼女の人生を3年以上応援してきたけど、彼女からしたらついこの間顔と名前が一致した人。
ストーカー予備軍かよ。そんな奴からこんな身勝手な感情を抱かれているなんて知られたら相当寒気がするはずだ。
もしこれを目にしてしまったら、次わたしが来た時にいちごパフェでも勧めてください。それ以降お邪魔しません。
毎年必ずいる。
ほんまにM-1の結果知りたくなかったら、携帯の電源OFFにするのは必須事項やろが!!!!!!
携帯の電源も切ってない奴が結果うっかり知ってゴチャゴチャほざくな!!
ニュースサイトなんやから最新ニュースを報じるのは当然のことだろが!!
ナメんなドタワケ!!!!ウスノロの青梗菜!!!!!大白痴コオロギ!!!!!!!!!
そもそもLINEニュースなんか登録すな!!!そこがもう間違ってんねん!!!!何で時勢知ろうとしてんねん!!!
巷にゃTwitter開いたらTLで流れてきただの、検索欄に優勝者出てて見ちゃっただの・・・
Twitter開くったあお前ほんまに結果知りたくないんか?????!!?!?!?!?!
豚脳の蓄膿症!!!!ボロクソ廃車工場!!!!知の欠如!!!!
携帯OFF、新聞の見出しにいるかもしれないからコンビニは寄れない、電車内の会話で聞こえるかもしれないからイヤホン爆音で防御、
無事に家に着いたとしてもテレビつけたら朝のニュースに優勝者が出てる可能性があるから音量0にして画面を見ずに録画画面までたどり着く、
そこまでしてんねん!!!
街のでっかいビジョンにいるかもしれない、号外配ってるかもしれない、実家だっからオカンが言うてくるかもしれない。
そこまでやって知っちゃったらもう、運がないってことや。
携帯切ってない奴が文句言うのは違う思うで!!!!!!!!!!!!!!!!!
ミルクボーイ、優勝おめでとう。
あ~~~~~~~~~~~~~~~~い
ここで結果知っちゃった人、ばーーーーーーーーーーーか!!!!
ざまみろ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ペペペペペペペロペロペロペ~~~~~~~~~~♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
だけど結果を知ってしまっても誰も罪はない。M-1は面白いから。みんな生きている。
どうもありがとう。
・途中で止めやすい
・難しくない
こんな条件で探した。
タイミング逃すとできなくなっちゃうから、据え置きより携帯ゲームかな、と思ってピックアップ。
とりあえず最近switch買ったので、自分へのクリスマスプレゼントも兼ねて何本か購入。
・勇者ヤマダ→スマホでやってたので買い切りならいいかなと思って購入
・ピクロスS→マリオのピクロスを何周もするぐらいピクロスが好きなので購入(でもヒントなしだと高難易度できないw)
・ヘッドライナー:ノヴィニュース→買ってプレイしたら気軽に周回できて良さげ。ちょっと頭使うけど。
悩んでいるもの
・moon→長いのと、途中で止めるとわけわかんなくなりそう??
・モンスターファーム→昔やってたけどモンスター産み出すまでがピークだったしな(当時小学2年?とかそんなもんだったから育成は苦手だった)
・BOQ→マジで買いそう。でも悩む...。
あとiOSだけどPapers, Pleaseも悩んでる...。
昔お茶の間のチャンネル争いというものがあって、まあだいたいは父親の好きな野球や、もっと昔ならプロレスなんかが優先されていたのだと思うけど、
そもそもなんでこんなことが起こったかというと、結局家にテレビが1つか2つかしかなかったからだ
いつでも父親の言う通りというのはまさに家父長的であり、リベラルの皆様が今日においても批判するところであるわけだが、別にリベラル様やリベラリズムがチャンネル争いを根本的解決に導いたわけではない
テレビがさらに普及して、さらにパソコンに携帯にスマホもやってきて、誰もが見たいものをだいたいいつでも見られる環境が整ったからこそ、チャンネル争いという言葉は死語になった
リベラルがどうの正しさがどうのみたいな話が全く無意味で無価値だとは思わない
けど、そういう話を10年続けようが100年続けようが、テレビが1つしかないというその環境が変わらない限り、結局誰に我慢を強いるかの綱引きにしかならなかったんじゃないだろうか?
だから温暖化云々にしても、俺は太陽光発電なり何なりの効率が今より上がって、さっさと石炭にも原発にも頼らなくて済むような世界が実現すればいいと思っている
どっかのグレタが言うには「未来のまだ存在しない技術に頼るのは無責任」らしいが、たぶんグレタがこの先100年世の中を引っかき回したって、やはり誰が我慢するかの話にしかなりゃしないわけで、