昔お茶の間のチャンネル争いというものがあって、まあだいたいは父親の好きな野球や、もっと昔ならプロレスなんかが優先されていたのだと思うけど、
そもそもなんでこんなことが起こったかというと、結局家にテレビが1つか2つかしかなかったからだ
いつでも父親の言う通りというのはまさに家父長的であり、リベラルの皆様が今日においても批判するところであるわけだが、別にリベラル様やリベラリズムがチャンネル争いを根本的解決に導いたわけではない
テレビがさらに普及して、さらにパソコンに携帯にスマホもやってきて、誰もが見たいものをだいたいいつでも見られる環境が整ったからこそ、チャンネル争いという言葉は死語になった
リベラルがどうの正しさがどうのみたいな話が全く無意味で無価値だとは思わない
けど、そういう話を10年続けようが100年続けようが、テレビが1つしかないというその環境が変わらない限り、結局誰に我慢を強いるかの綱引きにしかならなかったんじゃないだろうか?
だから温暖化云々にしても、俺は太陽光発電なり何なりの効率が今より上がって、さっさと石炭にも原発にも頼らなくて済むような世界が実現すればいいと思っている
どっかのグレタが言うには「未来のまだ存在しない技術に頼るのは無責任」らしいが、たぶんグレタがこの先100年世の中を引っかき回したって、やはり誰が我慢するかの話にしかなりゃしないわけで、