両親は最終学歴中卒・高校中退で現トラック運転手・水商売の絵にかいたような元ヤン。
下に一回り離れた妹、弟がいる。
子どものころは男なのに母のお古を着せられたり、体操服やランドセル、日用品の諸々は親戚のお古が当たり前なレベルの貧乏だった。
正月にもらったお年玉はすぐさま回収されて子供たちの学費か生活費に充てられていたので、お年玉でほしいものを買うとかいう経験をしたことがない。
お年玉で買ったゲームソフトを見せ合う同級生たちがいつも羨ましかったけど家が貧乏なのはわかっていたので、新聞チラシの裏に俺が考えた最強のゲーム主人公を描いたり伝説の剣を作ったりして過ごした少年時代だった。
そうやって成長していったから貧乏の辛さはわかっていたし、将来はちゃんとした企業に入ってふつうの生活ができる大人になろうと思ってたけど、貧乏な家に生まれた時点で将来もほぼ決まっている。
高校生で進路を決める時もちろん大学進学を希望したが、貧乏な我が家では大学進学費用を捻出することは不可能だ。
反対する親に「頑張ってバイトして学費を貯める、入学後の生活費も自分で稼ぐ、金のことで迷惑はかけない」と訴えたけど、「そんな金があるなら実家に入れろ、家の状況をわかっているのか、妹と弟のためにも高卒で働け」と押し切られ、俺の大学進学の夢は散ってしまった。
元ヤンの親父はめちゃめちゃ怖くて、口答えすると鼻血が出るまでボコボコにされるからチキンな俺は怖くてそれ以上言えなかった。
同級生たちは将来の夢も決まってないけどとりあえず大学にいく、という奴が大半でそれがひどく妬ましかった。
みんな大学に進学できるという事のありがたさを何一つ分からず、ぬくぬくと親に守られ真っ当な人生を歩んでいく。
今思い返すと笑えるが、当時の俺は世界で誰よりも自分が不幸だと思っていた。
そうやって高校を卒業した後は、地元の携帯ショップや工場、呉服屋などを転々としながら死んだ目で働き続けた。
田舎の資格不要高卒可の仕事なので、月給は手取りで10~13万ってとこかな。
そこから家へ6万、残りで自動車学校のローン返済や日々の車維持費、食費、日用品費などを捻出すると貯金もなかなか出来ない。
それでも3年ほど掛けて引っ越し代と当面の生活費を貯めて実家から逃げてきた。
色々あったので簡単に言うと安月給過労で体と心を壊し、先月退職してめでたく無職になったという感じか。
26年間生きてきて、いいことがあったかと言われると何も思い出せない。
親への感謝なんて毛ほども感じないし、大事なものも何一つ作れない人生だった。
唯一の救いは現在の実家は若干だが裕福になったようで、妹弟は希望の進路に進み特に不自由なく暮らせていそうなところか。
とにかくもう疲れ果ててしまった。
真っ当に育ってきた人と話すと「貧乏でも努力すれば幸せになれるよ」「死ぬくらいなら頑張れば何でもできる」と言われるが、大体そういう人は家族に恵まれ自分の知らないところで色々な人に助けられて生きてきた人たちだ。
生まれてきた環境ですべてが決められてしまうやるせなさや頑張っても頑張っても次々と困難にぶち当たる辛さを知らない。
死ぬ人間は本当に死にたかったわけじゃなくて、すべての事から逃げ出したくて最終的に死という手段しか残されていなかっただけだ。