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はてなキーワード: 編集長とは

2022-11-30

4コマ多様性を見出そうとしていたきららが、多様性のなさの象徴になってしまっていた

Q.創刊前に思い描いていたビジョンと、実際に創刊してからきららの姿を比較して感じたことはありますか?

 

A.(まんがタイムきらら系列誌の編集長を務めた小林宏之氏)

これは2010年ごろ特に感じていたことなのですが、「女子高生」があそこまできらら代名詞になるとは想定していませんでした。創刊前の企画書にはむしろSF」や「ファンタジー」という言葉を使っていて、今までのファミリー4コマが描いてこなかった題材を積極的に取り入れていこうという趣旨雑誌だったんです。

 

ただ、最初に『ひだまりスケッチ』がアニメ化し、『けいおん!』、『GA 芸術科アートデザインクラス』と続いていって、きららといえば女子高生4・5人の学園ものという印象が我々の想像以上に強くなってしまった。もっと4コマ多様性を見出そうと思って企画したきららが、いつの間にか多様性のなさの象徴みたいになってしまっていたんですね。どこかで一度その固定観念を壊して、新しいきららの形を作らなければいけないと思い、2011年に「まんがタイムきららラク」を創刊しました。

 

ラクキャッチコピーは「もっと自由に、4コマを。」というものでしたが、きららの原点に立ち返る意味も込められていたんですね。

 

初期のきららって、いい意味おかし作品がたくさんありましたからね。ミラク場合も、4コマや、そもそもマンガを描いた経験がないイラストレーターさんを中心に声をかけ、従来の枠組みにとらわれない4コマを描いてもらいました。日常の中にSF要素が入り込んだ『月曜日の空飛ぶオレンジ。』、女子高生ものだけどアクション要素もある『Good night! Angel』、目覚めない人たちが訪れるファンタジー世界舞台の『夜森の国のソラニ』。あるいは『桜Trick』のように、ガールズラブの方向に振り切ってみたり。片方の足は「笑い」と「魅力的なキャラクター」というきららのコンセプトを踏襲しつつ、もう片方の足をどこまで遠くまで広げて踏ん張れるかに挑戦してみたかったんです。

 

ミイラ取りがミイラに。悲しいね

2022-11-29

ワイベスト格闘漫画ツマヌダ格闘街」の作者、50歳でなろう系漫画の連載を始めていた

しかセルフ原作

 

直近2作品打ち切りで、

このままじゃダメ!昨今の流行を取り入れなきゃ!異世界転生だわ!

うーんこの悪役令嬢ってジャンルいいじゃない!私なりにアレンジちゃうわ!

錯乱してできた一作らしい

なぜ……

 

次にくるマンガ大賞2020」で4位入賞

マンガ編集長が選ぶ、2020年イチオシ作品」選出

 

安易になろう小説コミカライズじゃなくてセルフ原作なのは評価したい

完結したら読む

 

てかよく考えたらツマヌダ格闘街もなろうみたいな漫画だったわ

anond:20221128141751

ゴールデンカムイでしょ

10年近いアシスタント生活を続けていた作者初の連載だったが、読者からの反応は薄く、編集長から時間無駄にして欲しくない」と連載終了を告げられ全6巻で完結。後には「今思えばわかりにくいタイトルや話の運び方など、反省点はたくさんある。一度読者を引き込むことに失敗すれば、挽回するのがどれだけ難しいかを痛感させられた」と語り、「あの悔しさは次作が売れなければ癒やせない。絶対にヒットさせて見返してやる」という気持ちが次作『ゴールデンカムイ』の原動力になったという[4]。

まぁ金カムヒットしたお陰でこれからピナマラダの続き描くらしいけど。

2022-11-14

ハフポスト2014年9月元朝日新聞記者編集長就任したんだな

2015年からSNSが目に見えておかしくなっていった印象だったけどなんというか

2022-11-08

anond:20221107232409

!?ごめんこれ読んで書いたのかと思ってた。

上で「売れれば売りたいなとは思ってるんだろうけど」って書いたのは(すみませんエジプトBL増田です。記事引用した方とは別人です。)実はこの記事の「ジャンプ編集部には面白ければ勝手に売れるだろうという驕りがある」あたりの受け売りだったんだけど、気になる点もいくつか。

マシリトウェブトゥーンはまだその愚は犯してないの?」

ヒョンソク氏「まだですね、ウェブトゥーンって新しい文化なので」

ん…?ウェブトゥーン20年の歴史があるんじゃなかったの?

もちろんスマホの登場で商業的に成功したのは最近だろうが、今の若いウェブトゥーン作家はもう物心ついた時からウェブトゥーン読んでる世代だよ…!?

未だにチートラのフォロワーみたいな大学生リアル恋愛ウェブトゥーンも腐るほどあるし、韓国ファンからは、「またウェブトゥーン原作ドラマ化かよ」って声もある。ギアン84やヤオンイに憧れて「俺もウェブトゥーンで一発当ててぇ〜w」みたいな舐めた態度のワナビー韓国にはゴロゴロいるのに…。チェンソーマン盗作騒動もあったし。ヒョンソク氏は韓国でもほぼトップブトップだからそういうザコは眼中にないんだろうけど、癌化は既に始まってる。そもそも日本に入ってきて今読まれてるウェブトゥーン韓国ではもう古いからね。あと薄給激務で映画なんか見る暇ないでしょ。韓国人が映画好きなのは確かだが、マーベル映画はじめごく一部のブロックバスターを全員見てないと学校職場話題についていけないっていう意味での「好き」であって、日本でいう月9みたいなもの藤本タツキみたいなマイナー映画をあれこれ見まくるタイプの好きは韓国でもひと握りだよ。ヒョンソク氏の周りにはそういう意識の高いクリエイターがたくさんいるのかもしれないけどね。ていうか、そこまで映画好きだったらウェブトゥーンじゃなく映画業界に行ってしまう。

てかさーワンパンマンとかヒロアカアメコミ風の演出をよく研究して取り入れてるよね。ワンパンマンリメイク版の作画担当した村田雄介は他ならぬ韓国イラストレーター、故キムジョンギ氏と親交があったしね…宝石の国とかゴールデンカムイとか明らかにコタツ漫画を読んでるだけでは描けない作品バンバン出てきていますが…?

だいたい連載会議ワンピース落としたのマシリトだよね?海賊なんかが看板背負えるわけないって。今だったらスパイとか古い(笑)とかチェンソーとかダサい(笑)とか言ってるはずの人が、ウェブトゥーンにはなんでこんなに甘いのかイマイチ納得がいかない。慌てて丸くなったアピールしてない?

ただ、編集長のイスにふんぞり返ってた時代はもう終わった、これからは原石の争奪戦だって理解してるならいい事なのかなーと思う。とにかく今後のヒット作に期待だわ。正直今はまだ、ウェブトゥーンのものを読むよりこの記事の方が100倍面白い。

2022-11-03

anond:20221102221741

大手編集者ごっこだ!じゃあおれ編集長やるー!「えーうちの人間が昨日の夜、匿名SNSに何か書き込んだようです。会社法務部が開示請求するつもりですが、心当たりある人間は自ら名乗り出るように。」

2022-10-31

anond:20221031111038

マシリト編集長も「なぜ売れたのかわからない」って言ってるからなあ

漫画として成立してないと感じた(個人意見

2022-10-20

ぼっち・ざ・ろっく!」が成功してもしなくてもきららは危ない

 「ぼっち・ざ・ろっく!」、通称墓石」が、アニメ作品としてヒットすれば、まんがタイムきららは危ない。ヒットしなくても危ない。

そもそも陰キャ」という言葉悪口ではないのか

 当たり前のように使われてるが、どう考えても良い言葉ではない。胸を張って「私は陰キャだ」と言える人なんて居ない。ネット上(に限らないが)で「陰キャ」という言葉が出たとき、その言葉を言われた対象賞賛の的になっていることは皆無と言っていい。明らかに陽キャ」こそ上位の存在だと見做している。「陰キャであることを短所と見做すしかなくなっている。「ぼっち・ざ・ろっく!」の主人公を見て、名誉ある人物だと思う人はいない。そういう風にこの主人公は作られている。

上昇意識から下降意識

 昔は「リア充」「非リア充」という言葉がよく使われていた。ネットである「俺」や「お前ら」は、まず「非リア充」の方に位置していた。しかし昔のネット民は「リア充爆発しろ」だのと攻撃的な姿勢でいた。それは冗談でもあり虚勢でもあったが、俺達こそ素晴らしいのだという感覚を得ることができた。「非リア充であることに誇りをもっていたと言ってよい。またリアルでの充実というのは、恋人の有無に限らないことであって、趣味に熱中することができるならそれもリアルでの充実と言えた。「陽/陰キャ」という言葉場合現実楽しいかという次元の話ではない。ただ人間性について判断しているのであって、いくらネット面白いことができても、趣味に熱中したところで、「陰キャ」と言われれば「陽キャ」には勝てない。現に「リア充爆発しろ」に相当する言葉をまとに見たことがない。

  「陰キャ」という言葉は、かつてインターネッツではほとんど使われていなかった。しか2015年前後から急速に当たり前の語彙となった。この言葉インターネッツ発祥言葉ではないだろう。しかし今、こうして当たり前の言葉となった原因はネット民に、ネット掲示板にある。それはなんでも実況Jが2ちゃんねるの都となってからのことだ。その時期といえば、とある炎上に関わった弁護士が大いに叩かれていた。かつてのネット民の意識であれば、「俺達は弁護士よりも上」だと言っていただろう。しかしいつしか、「弁護士は俺達よりも下」になっていた。

陰キャ」は言葉として意味を成していない

 「陰キャ」という言葉は、誰でも共感できるようになっている。

 そもそも人間性質を二つに分けることは乱暴なことだ。世の中に、完全に「陰キャ」でしかない人はほぼ存在しない。完全に「陽キャ」でしかない人もいない。人間には必ず陰と陽とがある。5対5のように、両方のバランスによって成り立っている。そのバランスは時と場合によって3対7や1対9のように変化していく。誰を相手にしているか、どの場所いるかによっても変わる。本人の気分によっても変わる。学校では無口でも家では饒舌なら、それだって本人の「陽」の側面が強まっていることになる。ネットでは強気になれるなら、それも「陽」と言っていい。ただし、そんな時にも「陰」の面はある。また、自分では「陽キャ」だと思っていても、他人からは「陰キャ」だと思われていることもある。自他の認識によって、人間性質は変わる。

 我々は、「陰キャ」という言葉を見たとき、「陰キャ」と呼ばれる人を見たとき絶対自分の中にある「陰キャ」の側面を実感している。全員が共感できるから、「陰キャ」という言葉はここまで当たり前の言葉になっている。「陰キャ」という言葉が捉える範囲があまりに拡がりすぎている。使う人のさじ加減によっても変わってくる。

 人が自分他人判断する材料が、「陰キャ」か「陽キャ」かしかないとは、短絡的なものだ。我々の人を見る目は蒙昧で貧弱なものになってしまう。

まんがタイムきららは「陰キャ」をコントロールできない

 現在まんがタイムきららでは、「陰キャ」という言葉を全面に押し出している作品が三つある(正確にはその一つの連載は終了している)。「ぼっち・ざ・ろっく!」と「ななどなどなど」と「むすんで、つないで。」のことだ。いずれも主人公が「陰キャ」と言われたり自称したりしている。しかしこの主人公三人は、同じ「陰キャであるにもかかわらず、共通点がない。「陰キャである状態が異なっている。

 「ぼっち・ざ・ろっく!」の主人公はまともに人と話すことができない。言葉を発すると緊張の度が過ぎて、たどたどしい滑稽な姿になる。

 「ななどなどなど」の主人公は、問題なく人と会話が出来る。ただ、自尊心が強く、気高く、高圧的に人と接してしまうため、人との不和を起こす。そういう人間性から、この彼女は「陰キャ」と呼ばれた。

 「むすんで、つないで。」の主人公は、自分のことを「陰キャ」だと思っているが、周囲からは憧れの的となっている。容姿端麗で、成績優秀だとして賞賛されている。間違っても「陰キャ」とは言われていない。このように、自己へ下す認識と、他人から与えられる認識差異がある

 「会話が困難な人」「会話は出来るが人格問題がある」「会話もできるし人格も整っているが、その人自身不安を消せないでいる」。これらは完全に別物であり、違った性格を持った人物の集まりだ。それなのにこの三人は、「陰キャ」だと一つにまとめられている。こうした乱暴な処理がなされた結果、「陰キャ」の意味は広く曖昧ものになった。

 「まんがタイムきらら」の枠に留まらず、今や日本では、人間は「陰キャ」と「陽キャ」のどちらか二つに分類されるようになった。しか人間はそこまで簡単に分類できるほど、単純に造られていない。漫画登場人物ですら、多種多様性格をもっている。繊細な性格によって表れ出ている人間の姿を、真っ二つに分けることなど、とうてい出来ない。出来るとすれば、相当に乱暴作業と言うほかない。

 ひどく曖昧意味をもっている言葉を平然と使う。普通の人が日常会話でつい使ってしまうのならまだしも、漫画家という表現者が使うのはいかがなものか。使うのであれば、考えた上でやらなければならない。考えた上で使うことが出来ている作品は、「むすんで、つないで。」しかない。

創作への妥協、怠慢

 こういう考えもあるかもしれない。「陰キャ」がもう当たり前の言葉となった以上は仕方がない。その言葉をあえて使うことで、読者の共感を得ることが容易になる。確かにぼっち・ざ・ろっく!」は、「陰キャ」という言葉によって、現代の我々の思考を写し取った作品になっている。しかし、それがまんがタイムきららにとって、いかに異質で危険なことか。それを考えなくてはならない。

 一時期のまんがタイムきららは、多くの嘲弄を受けてきた。きららからアニメ化される作品は「日常系」と呼ばれ、「中身がない」だの「美少女動物園」だの散々言われていた。

 そういった意見に間違いがないわけではないだろう。一つの正解であるとも言える。

しか面白い作品のあり方はさまざまであってよい。劇的な物語がなければ、作品として成立しないなんてことはない。キャラクター死ぬのを見れば、それは悲しいシーンとなる。涙を流すこともあるだろう。しかしその涙は、純粋な感動のためではなく、感動という暴力を受けて涙を流しているだけかもしれない。

 何気ないことに心を動かされることがある。そのことを追求したのが、過去まんがタイムきららだった。何気ない瞬間の美しさを、美少女キャラクターに託していたのだ。そのためには、細心の注意を払ってキャラクターをつくらなければならない。例外もあるとはいえ、人の死があるわけでもない、激越なバトルがあるわけでもない、何か大会で勝ち上がっていく過程もない。ただそこにはキャラクターがいる。読者の感性に訴えかけるキャラクターを描かなければならなかった。それがかつてのまんがタイムきらら様式だった。そうしてきららは、いくつもの作品を世に送り出してきて、少なから成功を収めた。

 そんなきららが、今では「陰キャ」「陽キャ」という、曖昧かつ極端な言葉にとらわれてキャラクターを作ろうとしている。これは創作妥協であり、怠慢だ。きららが今まで築いてきたもの否定している。いわゆる「なろう系」や異世界転生もののように、圧倒的な成功を得られるならまだ良い。しかし「ぼっち・ざ・ろっく!」に圧倒的な成功勝利名誉の獲得はない。

まんがタイムきらら自尊心

 きらら編集部は、人々の口に上ることの多い「陰キャ」という語を、訳もわから商機と見做して漫画に取り入れたつもりなのだろう。しかし、この「陰キャ」という言葉は、近年の「インターネッツ」の売り物の一つなのだ。「陰キャ」の隣には「ショウガイジ」があり、「すき家チーズ牛丼を注文する男性」も陳列されている。周囲を見渡せば大量の炎上コンテンツがある。「ゲイ向けのビデオ」があり、「大物YouTuber」もあり、「ネットに強い弁護士」もある。

 きらら編集部がもし「ショウガイジ」を選択していたら、問題視されただろう。しかしさすがに、きらら編集部は「ショウガイジ」がまずい意味をもっていることを知っている。だから陰キャ」を選んだというのか。特定人種差別しているわけではないと判断したためにか。「陰キャ」という語が、「ガイジ」と紙一重意味合いと動機で使われていることをきらら編集部は知らないのか。知っていてやっているなら邪悪しかない。知らないからといって、何でも認められるわけではない。「陰キャ」を使っていいのは、人の気も知らず、自分のことも顧みず、悪口でも何でも好き勝手使うネット民だけでよい。

 まんがタイムきらら編集長は、「雑誌とは社会の公器であることを認識しなければならない」という教えを守っているのだという。「常に新しいことにチャレンジする」ために、「意識的に尖った作品を多く掲載するようにしている」側面があるのだという。その「尖った作品」の第一として挙げたのが、「ぼっち・ざ・ろっく!」だった。まんがタイムきららは、尖った作品を作るために、社会の公器であるために、ネット民の小競り合い、煽り合いを利用したということだ。

 きららアニメは、今までニコニコ動画で散々「ゲイ向けビデオ」のコンテンツと共演させられてきた。きらら作品キャラクターが「ガイジ」扱いされることも多かった。きららアニメ大元であるきらら編集部は、ついに自ら「インターネッツ」の汚れた部分に浸かることを決めた。しかも「社会の公器であるから、「ガイジ」のような過激ものは使えず、なるべく穏当な「陰キャ」を手に取って、「インターネッツ」の人々と仲良くすることを選んだ。

 編集長インタビュー記事 https://www.mashiro-writer.com/interview-houbunsha70th

まんがタイムきらら明暗

 もし「ぼっち・ざ・ろっく!」がアニメとして成功すれば、今後も「陰キャ」「陽キャ」という観点キャラクターが作られるだろう。人間性質を無理にでも二極化して行くだろう。過去伝統を振り捨てて。

 もし「ぼっち・ざ・ろっく!」がアニメとして成功しなければ、新たに売れそうな漫画を作り出さなくてはならない。約五年前のように、一年に三つも四つもきらら出身アニメ放送される時代は終わっている。過去に人気を博した作品も続々と完結している。現状のまんがタイムきららに見込みがありそうな漫画は数少ないと言ってよい。アニメ化が決定した「星屑テレパス」を含めれば、あと四つほどだろうか。「ぼっち・ざ・ろっく!」はきららの最終兵器とよく呼ばれている。最終兵器とはまるで後がないかのような言い回しだ。

2022-10-18

◉◉←マリオ乳首もらってきた

オートマトン編集長に100万円で売りつけてくるね

2022-10-16

anond:20221016224701

少年ブック』(集英社1959年 - 1969年編集長であった長野規は、同誌の対象読者であった小学4・5年生に対してアンケートを採った。

その結果、「一番心あたたまる言葉」「一番大切に思う言葉」「一番嬉しい言葉」にそれぞれ「友情努力勝利」が来たため、『少年ブック』の原則としたとされている。

これ以前にも少年漫画で「友情努力勝利」の3要素をテーマにした作品は珍しくなかったが、3語に定式化したのは長野の功績であるとされている。

3要素は長野が創刊編集長となった『少年ジャンプ』(1968年創刊、1969年週刊化)に引き継がれた。

2022-10-03

anond:20221002210114

どうせいつものことだけど、雑誌「創」編集長が、山上さんと文通して、

山上さんの手記とかネットに公開するのがオチ

基本的検閲が入るので、事件の核心については触れられない。

2022-10-02

[]2022年9月はてブあとで読むトップ30リスト

はてブホットエントリ(総合)で月内に数多く[あとで読む]タグを集めたエントリ

最終回

最後に今まで出してきたはてブあとで読むトップ30リストが正しかったのか校正するためにはてな公式リスト比較してみる。

見比べてみるとトップ6に同じエントリが入ったが並び順が異なる。

このトップ30リストでは[あとで読む]タグの数で順位を決めてきたのだが、はてな公式あとで読むランキング順位ブックマークの多い順に並んでいるようだ。このトップ6よりブクマ数の多いエントリが多数あり、どのエントリにも多かれ少なかれ[あとで読む]タグが付けられている中でこのトップ6を選んだということは、その段階では[あとで読む]タグの個数で選んだはずであるはてな公式ランキングは2つの異なる順位付け方法が分かりづらい形で混ぜ合わされた形になっている。中途半端ランキング名称から受けるイメージとずれているので純粋な[あとで読む]タグの個数順に変えたほうがいいんじゃないかと思う。

追記: 純粋ブクマ数順のリストと比べてみたが、はてな公式あとで読むランキングトップ6の選び方からして純粋ブックマーク個数順なのかもしれない。引き続き検証しなければ分からないが面倒臭すぎる。

はてなは『「あとで読むタグが付けられたエントリーのブックマークランキングです』と説明しているがこの文章文字通りに受け取らなくてはいけなくて、[あとで読む]タグを1人でも付けたら集計対象に入ってあとはブックマーク個数順に並べただけなのだろうか? それでは今までのホットエントリと代わり映えしない集計期間がただ伸びただけのものになってしまうな。

2022/10/01 00:00頃 https://b.hatena.ne.jp/掲示されていたはてな公式の「あとで読むランキング

1位 3284USERS 150 分で学ぶ高校数学の基礎 speakerdeck.com/e869120

2位 2877USERS 【アメリカ話題】ただ座るだけ!股関節がみるみる柔らかくなる「90/90ストレッチ」 | ヨガジャーナルオンライン yogajournal.jp

3位 2342USERS ハーバード大コンピュータサイエンス講座「CS50」の日本語化完了し、無償公開 edu.watch.impress.co.jp

4位 2079USERS 「この食べ方に出会たから、この食材を買うようになった」エピソードを教えてください togetter.com

5位 1875USERS みんなが教えてくれたAmazonプライムビデオのマジのおすすめ | オモコロブロス! omocoro.jp

6位 1755USERS 「のどが渇いた」というユーザーに何を出す? ユーザーの「欲しい」に惑わされない、本当のインサイトを見つけるUXデザインUXリサーチ www.slideshare.net/storywriterjp

集計期間 : 2022/08/31〜2022/09/30

2022-09-05 ブラウザ版のトップページに「あとで読むランキング」を新設しました(ほか改善1件) https://bookmark.hatenastaff.com/entry/2022/09/05/162939

いつもの

524あとで/3291users 150 分で学ぶ高校数学の基礎 | E869120 | SpeakerDeck

375あとで/2882users 【アメリカ話題】ただ座るだけ!股関節がみるみる柔らかくなる「90/90ストレッチ」 | ヨガジャーナルオンライン

366あとで/2343users ハーバード大コンピュータサイエンス講座「CS50」の日本語化完了し、無償公開 | こどもとIT

270あとで/1759users 「のどが渇いた」というユーザーに何を出す? ユーザーの「欲しい」に惑わされない、本当のインサイトを見つけるUXデザインUXリサーチ | Yoshiki Hayama | slide share

253あとで/2083users 「この食べ方に出会たから、この食材を買うようになった」エピソードを教えてください | Togetter

251あとで/1879users みんなが教えてくれたAmazonプライムビデオのマジのおすすめ | オモコロブロス!

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232あとで/1719users 眼鏡オタク解説する、絶対に似合う眼鏡の選び方|mkm00077|note

182あとで/1565users いし🏔️今日もゆるく活動します✌ on Twitter: "40代以上は聞いてください。いつかは訪れる親の死。前触れもなく突如おきる。お葬式保険証の返却、年金相続税財産調査相続人確定、遺産分割銀行の解約、不動産名義変更。「何から始めたらいいかからない‥」急な対応にも焦らないよう相続手続きの流れをリプ欄に並べておきます。"

180あとで/1078users 技術文書の書き方 | Yamamoto, Hirotaka | GitHub Gist

180あとで/1069users オライリー教育的な良書「Think Python」第2版は日本語訳が無料公開されている。初心者がつまずきやすい点を先回りして説明・各章の終盤にデバッグのヒントが書いてある | Togetter

162あとで/1526users 共感格差 | データをいろいろ見てみる

154あとで/923users 『ゴールデンカムイ』最終巻ラスト真相野田サトル1万字インタビュー#1 | 集英社オンライン | 毎日が、あたらしい

148あとで/862users 「成果を出せば評価される」という考えが不幸の始まり 人事評価制度に不満の声が出る、必然理由 | 中尾隆一郎, 坪谷邦生 | logmi biz

142あとで/1471users Midjourney、Stable Diffusion、mimicなどの画像自動生成AI著作権 | STORIA法律事務所

139あとで/976users 台湾旅行は本当に良い、台北でアツいスポット10カ所あげとく→一覧で紹介されていた場所をまとめました | Togetter

137あとで/974users 未経験者がプログラミングを学びたいと思った時に最初に読む記事 | YuheiNakasaka | Zenn

133あとで/1393users 東京の行きたいところ | Togetter

132あとで/612users 答えが分からないもの模索しながら作り続ける世界に我々は突入した。和田卓人氏による「組織自動テスト根付かせる戦略」(その1)。ソフトウェア品質シンポジウム2022 | Publickey

131あとで/1121users 登らずに絶景を見て温泉まで楽しめる!公共交通機関で行ける山岳リゾート15選 - 温泉ブログ 山と温泉のきろく

129あとで/1418users モーリー・ロバートソン on Twitter: "完全に国際情勢や社会情勢からかけ離れた私事について失礼いたします。このところ縁あって高校卒業までの時期について取材を受けるインタビューが相次いでいます。おそらく日本多様性が進む中でヒントを見つけようという取材意図があると思います。ここである問題が頻繁に起こります。"

128あとで/887users 【股関節ガチガチに硬い人向け】可動域を無理なく広げる!"揺らすだけ"股関節ストレッチ | ヨガジャーナルオンライン

125あとで/647users 全プログラミング学習者へ。ハーバード大の入門講座「CS50」が無償かつ日本語で学べるようになりました! | ライフハッカー日本版]

121あとで/1440users きゃりーぱみゅぱみゅの 「大人LADYになるわよコラム」第35回〜『マネーの虎化してるわよ』〜 | Hanako.tokyo

119あとで/1002users ちょうどいいWebデザインギャラリー | 株式会社イッパイアッテナ

118あとで/742users 『めぞん一刻』や『美味しんぼ』を手がけた小学館伝説漫画編集者白井勝也氏に、元週刊少年ジャンプ編集長鳥嶋和彦氏が訊く!──ライバル同士だった二人がいまこそ語る”編集者役割” | 電ファミニゲーマー

117あとで/836users 1つでも該当すると、「会議成功率」は5分の1以下 AIが導き出した、会議成功を阻む5要素 | 越川慎司 | logmi biz

117あとで/792users 放送大学学位授与機構情報工学学位を取る(科目対応表付き)|lumpsucker|note

117あとで/492users 安全安心ソフトウェア開発を行うためのDesign Doc導入ガイド面川泰明|note

116あとで/1077users 元キーエンストップ営業が、新規事業バンバン売るためにやっていること|鶴岡 友也/BLUEPRINT, inc. 最高事業責任者note

2022-09-29

日本ファクトチェックセンターがいきなり叩かれている件

BuzzFeed Japan創刊編集長古田大輔氏らが立ち上げた日本ファクトチェックセンター、まあネットで評判が悪い。

スタートからこれではいくらなんでも気の毒。

朝日色が強すぎる→

つっても朝日辞めた人たちなわけだし。一回入ったら永遠に朝日烙印背負っちゃうのか。われこそはと思う産経とか読売の人も参加すればいいのでは?

すべてのフェイクに対応しない、と宣言しているのは無責任

→いや逆に「すべてのフェイクに対応します」って言ってたらそっちのほうが無責任でしょ

既存報道機関ファクトチェック対象外

→これやろうとすると既存報道機関並みか、それ以上の人員体制必要になるわけだけど、そんなのいきなり作れっての?

既存メディア問題がないとは言わないが、ネット有象無象デマ情報に比べれば遥かにちゃんとしてるんだけどなあ。

「ぼくのかんがえたさいきょうのファクトチェック」以外は歩きだすことすら許されないのはしんどい

いきなりこんだけ叩かれたら自分なら心折れてやめちゃうな。

2022-09-03

トヨタCM後釜チャレンジ!開催中!

さぁ次の編集長は誰だ!

さぁ!はったはった!

スケジュールが空いてそうで、他のクルマ会社CMに出ていなくて、

そこそこ大物感が溢れる芸能人!もちろんスキャンダル臭が皆無で頼むぞ!

タモリタケシさんま!このへんか!いやいやいやギャラは安くおさえたいぞ!

さぁ誰がいく?

大泉洋か?他社に出てるぞ!

ダウンタウン?いやいや何かちがうぞ!

さぁあ誰だかみんなで予想しよう!

2022-08-31

ニコニコニュース編集長「昔の“紙の雑誌”には、作品作家を生み出す勢いや熱があった!──のに、なぜ今のネットメディアにはそれがないのか?」

ニコニコは元々Youtubeフリーライドするクソ企業だったしその後はアニメ丸揚げで客を集めた犯罪企業だったけど

その後、メジャーアーティストや大物作曲家プロ声優アニメ作家なんかをそれなりの数排出したんだよなぁ

2022-08-30

実際には「連帯『しない』」というよりは『できない』だと思うけれど、日本女性連帯してないってのはまあホントだと思う

女同士で連帯するよりも、男と一緒になってそれを利用して身分保障を図った方が生存戦略として圧倒的に有利だものねえ

結婚が顕著だけど、独身だとしても結局男に上手く取り入った方が仕事でも成功やすいし

良い悪いじゃなくてそういう構造があるのをまずは把握しないと駄目だと思う

なのに「女同士は助け合うけれど男同士は助け合わない」「女は高齢でも友達を見付けて上手くやってく」なる、ポジティブ過ぎる変な女性観が当の女性の間ですら蔓延しているのがなー


『助けあえない日本女性、「分断」が進んだ背景

他国に比べて女性間の連帯が弱いのはなぜか』

https://toyokeizai.net/articles/-/614670

日本女性連帯しない、と指摘するのは『フランスジャポンエコー編集長で、伊藤詩織さんの性的暴行問題など日本女性が置かれた状況を取材してきた、レジス・アルノー編集長だ。

日本では、フランスアメリカのように、ジャーナリスト経営者政治家女性たちが1つのグループとして結集し、問題に取り組むことがありません。日本では、女性結婚すると名字を変えるが男性は変えない、生殖に関する権利日本語に翻訳すらされていない、賃金の不均衡やパワハラから効率的保護されていない、といった、比較できるほかの国々では消えた無数の差別があるにもかかわらず、女性権力者にとって性差別政治問題にもなっていない。

例えば、首相候補としてときどき名前が挙がる高市早苗経済安全保障担当相は、私が知る限り最もフェミニストから遠い人物です。小池百合子東京都知事は、自分以外の女性のために何かしたのを見たことがない。森喜朗発言冗談対象になっていても、高市氏や小池氏が、自分性別心配する話は聞いたことがありません」。


https://toyokeizai.net/articles/-/614670?page=3

分断の要因として菊地准教授が注目するのは、1)1985年に成立した男女雇用機会均等法、2)1999年公布施行された男女共同参画社会基本法、3)アベノミクスで生まれ2016年施行女性活躍推進法の3つだ。

1980年代女性たちが求めたのは「雇用平等法」だったが、「均等」法は差別規制努力義務にとどまる残念な内容だった。しかも、この法律きっかけで、総合職一般職という女性同士の待遇格差が生まれた。

さらに、1985年専業主婦優遇する第3号被保険者制度ができ、翌年に労働者派遣法施行されたことで、女性たちは男性並みに働かされる総合職、補助的な業務に終始する一般職非正規雇用派遣労働者、そして主婦に分断されてしまった。

男女共同参画社会基本法については、女性たちは『性差別禁止法』を求めたが、男女が共に社会に参加する、という中途半端法律に。「女性活躍推進法に至っては、なぜ女性けが推進されなければならないのか、という根本からずれた内容で、女性家事介護育児に加えて、男性と同等かそれ以上に働き、国や企業利益をもたらさなければならない、という内容になっています」(菊地准教授)。

2022-08-28

ホロコースト否定論簡単に釣られてしまう人たち

ホロコーストなんて今どき、それ自体話題にすることは少ないし、日本の歴史問題の何倍も関心度は低いだろうとは思う。近現代とは言え遥か昔の話だし、同じ枢軸国がやったと言っても日本にはほぼ無関係だ。それに、日本ホロコースト否定論が世間を多少賑わせたのは1995年阪神淡路大震災オウム真理教で大騒ぎだった年に、文芸春秋社月刊誌だった『マルコポーロ』が廃刊になった記事の一件だけである・・・あ、例のT院長の件もあったな。

 

欧州では昨年か一昨年にスウェーデンホロコースト否定禁止法を立法するかどうかの話があったくらい(その後どうなったかは知らないが)、ホロコースト否定論は今も珍しい話題でもない程度には問題にされることがある。現状確か、イスラエルを入れて20カ国弱の国で否定論を公然と主張することには法的な規制がある。ホロコーストの中心地でもあったポーランドでは、否定論ではないがホロコーストについて自国の関与を主張するような言論禁止する法律が制定されたのも数年前。またアメリカでも、憲法修正第1条で言論の自由が広く認められているせいもあり、ホロコースト否定論の主張をしてもなんらお咎めを受けることはないが、FacebookYouTubeツイッターなどの主要なインターネットメディアでは厳しく規制されている(が、実際には消滅したわけでもない)。

 

いずれにしても、欧米日本ではホロコースト否定論について、かなりの温度差があるのは事実である日本では義務教育ホロコーストを習うことなほとんどないのではないかと思われるが、欧米では必須としている国や教育機関は多いそうである。それでも、関心の大きさからホロコースト否定の主張に賛同するような人はもちろん欧米の方が圧倒的に多いだろう。翻って日本ではそもそも関心が薄いので、否定論が目立つことはほぼない。せいぜい、ナチス軍服を着たとか、ハーケンクロイツの旗を公共の場で掲げたとかで、問題になる程度のことだ。その程度のことで神経質にビクビクしてタブー扱いするのもどうかとは個人的には思うけれど。

 

何故欧米で、ホロコースト否定が法的に禁止されたり、規制されたりするのか? 最も大きな理由あん悲劇を二度と繰り返さないためであるホロコースト否定デマであり、ナチ復興を許しかねず、そしてユダヤ人差別につながる。また犠牲者遺族たちの心を酷く傷つけるものでもある。だが、否定論に賛同する人たちはそんなことどうでもいいらしい、それは日本でも同じであるホロコースト否定賛同することが非常に危険行為だなんて、多分考えたことすらないのだろう。

 

日本ネオナチ怪文書にあっさり賛同する人たち。

こんなツイートが私の網に引っかかった。

https://twitter.com/masami6666/status/1563353770092003328

ツイート内の画像で示される文書は、そこに書いてある通り「国家社会主義日本労働党(NSJAP) 山田一成」によるものであるドイツナチスとは日本語では正式名称を「国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)」と呼ぶ。従って、山田一成日本ネオナチであることは否定しようもない事実である。ググればわかるが、ネット上の基地こちである

http://nsjap.com/jp/

また、Youtubeにある「密着24時!日本ネオナチ」というタイトル動画山田一成が紹介されているので興味のある方はご覧いただきたい。タイトルにそうあるくらいなのだから山田自身ネオナチであることを否定してはいないということでもある。

 

ネオナチなのだからホロコースト否定するのは当然である。ところが実は、傾向として、欧米の主流のホロコースト否定論者、いわゆるプロ歴史修正主義者たちは、ネオナチと結びつけられるのを嫌う。何故なら、思想的にネオナチと見られると、自分達が世間から信用されなくなることを知っているかである欧米プロ歴史修正主義者は、ほとんどの場合ネオナチ関係があったとしてもそれを隠す。世間から信用を失くすと、修正主義者目的である否定論を世間的に認めてもらうこと」が困難になると思っているからに相違ない。『ヒトラー戦争』という歴史書欧米では超有名なデヴィッド・アーヴィングは、彼をホロコースト否定論者だと書いた歴史学者であるリップシュタット教授を訴えた裁判で見事に負けたが、裁判ではアーヴィングネオナチ集会に出て聴衆を扇動していたことを暴かれた。しかアーヴィングはその事実を誤魔化そうとしたくらいだったのである

 

あるいはこれもその筋では有名な否定書、1970年台中から後半にかけて広まった『600万人は本当に死んだのか?』というホロコースト否定古典的パンフレットがあるのだが、著者の名前はリチャード・ハーウッドとなっている。が、そのプロフィールに該当する人物存在せず、本当の名前をリチャード・ベラルという。リチャード・ベラルはイギリスナショナルフロント国民戦線)という極右組織出版物であるスペアヘッド」の編集長だった。何故、実名と実際のプロフィールを書かないのかは、当然、世間に信用されたいからであり、ネオナチ世間に信用されない存在であることを知っているかである。そのパンフレット欧米国会議員などに広くばら撒かれた。

 

かつて、雑誌マルコポーロ廃刊騒動の時に、問題記事を書いた西岡昌紀とタッグを組んでいた木村愛二というジャーナリストがいたのだが、彼ですらもネオナチ呼ばわりされるのを嫌った。

 

なのに、上のツイート賛同意見を述べたツイートを発した人たちには、山田一成ネオナチであることなどどうでもいいらしい。山田思想的に偏向しているのは誰の目にも明らかなはずなのに、そんなことを気にすることもなく、ホロコーストなかった説をあっさり賛同する。私たち普通ネオナチとか関係なくても、ネットで広められるだけのほんとかどうかわからない主張を、そのまま信用したりはしないと思うのだが、あまりにあっさり信用の方向に流れるのだから、呆れるというかなんというか。その賛同者の多くは、いわゆる陰謀論の方に傾倒するような人たちばかりであることは言うまでもない。

 

日本にも、ホロコースト否定論の方に賛同する人たちが意外に多い。多いと言っても私自身の感触だけであるが、Youtubeにあるホロコースト否定論の動画チャンネルには6000人強の登録者がいる。否定動画としてはよくで出来ているので、否定論がどんなものか知りたければ『ホロコースト論争』で検索をかけて、同じタイトル動画ニコニコ動画でご覧になるといい。Youtubeにアップされた同チャンネル動画は何話分か削除されてしまっているかである。見ればわかると思うが、それ相当の知識かあるいは調査能力がないと、ホロコースト否定論には簡単には反論し難い。いうまでもなく、ネオナチ怪文書のようなものにあっさり釣られて賛同するような人たちに、その嘘・誤りが見抜けるようなものでは絶対にない。

 

まぁ世の中、そういうあっさり釣られる人もいる、だけの話なので、別にどうでもいいようなことなのかもしれないが、はてな増田をご利用の賢い方々には、そんなことはないだろうと思いつつも、注意していただきたいものである。今回は、私のアンチホロコースト記事などはあえて紹介しない。たくさんあるので興味があれば参考にはしてほしいが、興味がなければ特に面白いものでもなく、時間無駄になるだけだと思う。だが、一点だけ、怪文書反論しておきたい。

 

見直し学派は、ホロコースト説は何年もの間に大幅に変わったことを指摘している。

 

とあるが、そう思えるのは単純な話で、戦後長らく、ホロコースト実態がよくわからなかったかである。よくわからなかったと言っても、大勢ユダヤ人たち(や、精神疾患患者同性愛者、ロマ人、その他)がナチスドイツによって死に至らしめられたこ自体は疑いようのない事実として判明はしていた。たとえば、ユダヤ人人口が600万人弱、戦前に比べて減っていることは1945年5月終戦よりも前にわかっていたくらいだったのだ。何故わかっていたかというと、(これはある資料からの推測であるが)ユダヤ人ユダヤ人共同体集会所となっていたシナゴーグで名簿管理されていたからであり、各地のシナゴーグの名簿を集計すればたちどころに判明するからである。また、ニュルンベルク裁判ではあのアドルフ・アイヒマンユダヤ人処分数はトータルで600万人だと語っていた、とアイヒマン関係者が証言していたりする。それ以外にも多くの情報戦時中からすでに世界中漏れていた。ナチスドイツが極力、ユダヤ人絶滅などの非合法殺戮を極秘に行ったにも関わらず、である。そして、この600万人説は何度も研究調査され、現代までおおむねの数値として、主流の歴史学者から異論はない。日本研究者の柴健介氏も自著で「600万人以上」と推計している。

 

が、細かい話はよくわからなかったのである。たとえばあのアウシュヴィッツで殺されたユダヤ人実数は当初は全然からなかった。何故ならば、アウシュヴィッツで殺されたユダヤ人の大半は、囚人登録もされておらず、ガス処刑死体は焼却処分されて、残った骨などは砕かれて近くのヴィスワ川やソラ川などに捨てられてしまったのだ。アウシュヴィッツ解放したソ連は、絶滅された総計を400万人とした報告書を提出したが、死刑に処せられたアウシュヴィッツ司令官を最も長く務めたルドルフ・ヘスはそれを否定して最終的には120万人くらいだと自己推計した(記録を取ることを許されなかったので、ヘスでさえ推計するしかなかったようである)。このヘスの値が現在判明している犠牲者数(110万人)に非常に近いことが判明するのは1980年代後半まで待たなければならない。ソ連の400万人説は、それっぽく推計したようには書いてあるが、どう考えても囚人生存者の証言を元にしているとしか考えられない。何人もの囚人が400万人くらいだと語っているかである。が、それらは皆、生存自身が推計値、あるいは収容所内の噂だと語っているに過ぎないもので、囚人に正確な数字が分かったはずはない。

 

あるいはナチスドイツ最初に作った強制収容所であるダッハウ収容所ガス室についてであるが、ダッハウ収容所米軍解放した時に、何千体もの死体があったのだ。これらの死体の大半は割とすぐに餓死や疫病の死体だと判明したようであるが、ダッハウにはガス室もあった。そのガス室にはダミーシャワーがあり、毒ガスの元を投入するような仕掛けまであった。そのガス室のすぐ隣には火葬炉もあった。もちろんその建築物そばにはたくさんの死体が山積みになっていた。こんな状況で、「ガス室で大量殺戮をおこなっていた動かぬ証拠だ!」と誤解するなという方が無理である米軍には当然、マスコミ記者たちも従軍していたので、そうしたガス室殺戮の話はすぐに広まったのである

 

ところが、よくよく調べてみると、ダッハウガス室でのガス殺処刑証拠は、ほぼないに等しい状態だったのである。確かに、ガス処刑については、裁判での証言はいたが、たったの一人なのである。それ以外には一通の文書証拠と、イギリス諜報員捕虜が語ったとされる伝聞証言程度のもので、他には何もなかった。一方でアウシュヴィッツガス室については、証言だけでも大量に存在するし、なにより加害者証言もかなり存在し、その最大のものとしては司令官だったルドルフ・ヘスが事細かに証言し、自叙伝にまで書いているのだ。ガス室・ガス処刑があったことを裏付け証言以外の証拠豊富である。(もちろん修正主義者証言は全て嘘であると主張し、アウシュビッツガス室裏付け証拠など絶対に認めない)

 

これらの内容は、具体的に歴史家などが調べなければわからないものばかりなのであるダッハウのガス処刑証言が一人しかいない件だって裁判記録を調べなければ判明しない。したがって、ダッハウなどの収容所現地にたくさんの死体があったことが原因で、誤った説が戦後長らく広まっただけの話なのだ。そうした事実を、あたかも、ディープステートのような闇の陰謀者が、初期のホロコースト説が杜撰なので、それをもっともらしい説に変えていった、かのようにネオナチは主張しているのである。つまりは、ネオナチ修正主義者論点先取、最初から話を陰謀論ホロコースト捏造と決めつけていることがわかる。

 

ダッハウガス室捏造だと主張するのであれば、何故証言者がたった一人しかおらず(陰謀実行者は偽証証言者を何故たくさん用意しなかったのか?)、文書記録やあるいは物証としての死体解剖してもガス処刑された死体しか判別できない死体がなかったのか(陰謀実行者なのだからそれらを用意して当然だと思うのだが?)、説明がつかない。その実際にいた証言者(フランツブラーハ)とて、たかが数名の処刑のその後の死体を見た、と言っているだけであるダッハウガス室連合国による捏造なら、そんなあやふやな頼りない、犠牲者も少ししかいない証言がたった一つだなんて、あまりにも変である

 

反論はそんなところ。こんな馬鹿げた幼稚な説でも、賛同する人がいるのはしょうがいかなーとは思うけど、何が事実真実かを知りたいのなら、もうちょっと知恵を絞って考えてみるという気は起きないの? と思ったりはする。

2022-08-15

共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで

これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。

ただ、内田が、

感情の器」って、あくまでも個人的身体条件のようなものから

というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。

たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミス道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会規範構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。

そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。

家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。

アレックス・カー20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。

おりしも建設省代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代

アメリカの7倍のコンクリートを使って日本山河コンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。

その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。

「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。


A・カーは、フェアプレイ精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者トップ黒海に豪奢な別荘を保有し、人民実質的農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。

「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司説教ブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖

最近、想起するのはやはり旧統一教会家族価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族崩壊している、といった、「おまゆう問題崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするとき動機付けメカニズムなのだ

内田永井議論テーマひとつである人権平等。あたか普遍的原理についても、

それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。

アメリカ建国者の一人、トーマスジェファーソン人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。

これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。

どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質人民に備わっていると信じて建国者デモクラシー設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権矛盾が、南北戦争北軍正当性を決定的にする。

内田議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要キーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。

自分でうまく整理がつかなかった。内田はいう。

「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。

これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係いかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。

内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。

まず外付けの倫理から。どのように受容されてきたか

舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後憲法のものアメリカ経験に基づいたものだ。

しかし、日本人権教育は、残念なことに、人権普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。

戦後人権を外付け実装してきた日本は、そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。

現在、旧統一教会問題話題の、国家宗教というテーマにしてもそうだ。

政教分離キーワードとなるのは、恐怖から解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西課題だ。宗教いかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴ勝利した古代ローマ

そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要再確認された。それが言論の自由関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場比喩が生まれる背景ともなった。

他方、旧世界フランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会権威苛烈弾圧が恐怖であった。だから公共空間合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランス言論の自由は、その意味カトリック否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したこと歴史的な背景は深い。

このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。

それは、実は国によって微妙コンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的価値なら、なぜ何千年も克服できなかったか意味を問うというか。

しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後日本裁判所も含めて。

でも、それこそが日本人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。


その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。

内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは自分の国や自分家族自分自身の歴史だと俺は思う。

自分自分先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理けが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本アジア欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。

歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。

自分理想とするもの現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。

自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。

ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要キーになるし、国家宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米経験教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決行政戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料支出したこと違憲とした歴史的判決で、戦争経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。

しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通体験共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代

50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。

「あの頃は」という共通過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。

まり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。

それが、失われ、外付けの価値観だけがカラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。

永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代

「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。

と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。

また、日本憲法に組み込まれ歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。

高度成長期に「あの頃」といえば戦争時代だった。

それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、

視聴者からは、おしん私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。

しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ

しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争記憶との関連が薄まった。当然、日本憲法リアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。

しかし、いずれにしても過去記憶憲法規範が直接に結び付かない、その世代経験、そこに、永井紛争国の辺境の地を自分テーマに選んだヒントがあるように思えてならない。

紛争リアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生ときに知った人権、そして憲法価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。

しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。

永井氏が、内田氏との対話のなかで

私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこから自分母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親単身赴任でしたし。

といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。

全然人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。

動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的ロールモデルとは限らないのだ。

この体験辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。


ともあれアレックス・カー面白い

読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。

A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.

Dogs and Demons, 2002, A

2022-08-06

東京漫画社からのお詫びとお知らせ

https://nuude.tokyo/archives/8838

画像になっていたかGoogleレンズを使ってテキストに起こしてみたけどどうかな?

お詫び

前略、平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。 また、 日頃より弊社コミックス をご愛読頂き心より御礼申し上げます

2022年8月1日に弊社電子アンソロジー 『NUUDE』に連載中の作品である、「影守人の ジグとメル」(陽歌れい先生著) の連載終了の発表を致しました。 連載終了の発表に際し、 陽歌れい先生への配慮を欠く対応をしてしまいましたこと、 衷 心よりお詫び申し上げます。 また、 連載を楽しみにされていた読者様、 先生ファンの皆 様にお詫び申し上げます

昨年12月に同作品休載状態となっていることへの理由とお詫びを発表し、 再発防止をお 約束しました。 その際、 NUUDE 編集部には再発防止と作家様への向き合い方の改善を 命じました。

しかしながら、6月に別の作家様への不誠実な対応による続編中止の発表とお詫びをする こととなり、約半年前に NUUDE 編集部編集体制見直しお約束しましたにも関わ らず、改善されることなく再発する事態となりました。

これまで度重なる指導改善を命じて参りましたが、 改善兆しのないことから当時の担 当編集である編集長を6月9日付で解雇しました。

それとともに、 これまでの NUUDE 編集部体制の再構築を模索して参りました。 しかし ながら、その最中にも陽歌れい先生にご不快な思いをさせてしまいましたこと、 改めて お詫び申し上げます

この事態を重く受け止め、 今後の NUUDE 編集部につきましては後日発表の機会を頂けれ ば幸甚に存じます

末筆ではありますが、この度のNUUDE 編集部行為につきまして、 また、 その対応が後 手にまわってしまいましたこと、 改めてお詫び申し上げます申し訳ございませんでした。

2022年8月5日

東京漫画社 代表 馬部博幸

2022-07-31

役割語(男言葉、女言葉)にちょっとした違和感おぼえるとき

以前にどこかで読んだが、例えば英語で "Stop!" と言うセリフ

男が言うと翻訳は「やめろ!」と命令形になるが、女が言うと翻訳は「やめて!」と懇願口調になりやすいという話。あと「やめなさい」という丁寧語にもなりがち。女の方が丁寧に言うことが多い、という通念があるからだろうか。女が命令形で喋ると「乱暴だ」「無礼だ」と言われがちなので丁寧語で話すのが身についてるということもある。のび太のくせに生意気現象

ここまでは前置きで、自分でもどう考えていいのかわからないことがある。NHKFM、土曜夜9時「ワールドロックナウ」の渋谷陽一氏の歌詞朗読コーナーについてである

ロッキンオン編集長渋谷氏番組世界(というてもほぼ英米)のロック中心に紹介する番組である。冒頭15分くらいは新譜出たばかりのミュージシャンを紹介するのだが、渋谷氏歌詞朗読して紹介することが多い。

で、この歌詞翻訳がもうバキバキ役割語なのである女性ボーカル曲なら「私〜」「〜なの」「〜なんだわ」という調子

いくらなんでも過剰過ぎないか〜?といつも思ってしまうわけだが、これは男性で老齢の渋谷氏が読み上げるからそう思うのだろうか?と考えてわからなくなる。

しかし今から思えば、ロック雑誌翻訳役割語が過剰だった気がするのだが、当時(90年代)はどこもそんなもんだったのだろうか?今でもそうなのだろうか?

…と思って今ネットをチラ見してきた。ロッキンオンインタビュー翻訳記事が見つからん(検索10秒。諦めが良い)。ローリングストーン誌のウェットレッグインタビューでは役割語は抑え気味だが、彼女たちの個性のせいかもしれない。VOGUE誌のビリーアイリッシュインタビュー記事では、アイリッシュ以外にも色んな人が彼女について語っていて役割語はかなりはっきりしている。アイリッシュ父親が「彼女ファンが言いそうなこと」を語る場面ではしっかり女言葉になっていて、女性ファンの話なのだな、とわかる。(しかし原文読むとファン性別は書いてないのだ。別に男が女言葉使ってもいいのだが。女の役割語使うのは女だと解釈するのが普通だろう。あるいは関西弁なのかもしれない。絶対ちゃうやろけど。)

雑誌翻訳役割語具合調べるのも面白そうやなと思ったけど面倒くさいので誰かに託すわ。オホホホ(関西弁お嬢様)。チャウチャウちゃうちゃう

2022-07-28

青山剛昌尾田栄一郎の対談がクソ面白かった

ワンピースコナン、両者とも100巻を超えたということで迎えたこの対談。なおコナンのほうが話数はちょっと多い。

ファンとしても青山剛昌がたびたびワンピース名前を出していたこと、100巻が同じタイミングで来るのでそこで対談をしたいと言っていたこと。コナン100巻のときに尾田が青山を戦友だと祝ったことなどがあったので、かなり楽しみにしていたのだが、ついに初対面!

なんとつながる表紙!声優の祝福コメントコラボ動画看板!などなどお祭りムードが漂った中でサンデー編集長は尾田に名刺を渡していつでもこっちに来いと言わんばかりの熱だ。

多分青山はこんな大事になるなんて思わず提案したに違いない。

そんな対談では読者が初めて知る新情報散見された。作品ファンは要チェック!なのだが本当に面白いのは二人のスタンス、そして雑誌の色がわかる部分であった。

尾田が語るジャンプ競争の激しい世界だ。

常にアンケート順位を気にしている。そして他誌のことはライバルだと思っていたそうだ。ワンピース連載当初というと灰原哀が出てきた頃でコナンは人気爆発を始めたころ。だからコナンは敵でライバルであったので読まなかった。しかも「推理漫画少年漫画の一位であってはならないと思ってた」などの超失礼発言が飛び出す。現場ジャンプ編集長はここで胃が焼き切れたであろう。

そんな尾田に対して青山ジャンプサンデーの味方だったと話す。仏か?

そもそもジャンプ自分の描く漫画共通点が無いのでライバルになりえないらしい。

元々ジャンプ漫画家が入れ替わる漫画雑誌だ。それに対してサンデー漫画家を据え置きで漫画が変わっていく風潮がある。

このあたりが二人のスタンスを大きく分けた部分でもあり、二人がその雑誌の色にハマった部分でもあるのだろう。

そしてジャンプサンデーの違いを青山が指摘し、尾田が解説した部分が興味深かった。

ジャンプラブコメラブコメ、バトルはバトルと分かれている。それに対してサンデーにその境目はない。殺人ラブコメも同じ場所で起こるのだ。

ジャンプ恋愛を挟まずヒットした作品成功体験としてあるのだろう。尾田自身もラブを挟むと人気が落ちると思っている。

しか青山は即答で否定する。むしろ燃え上がって応援してくれると言う。これは青山サンデーラブコメを挟んだ作品成功体験があるからだ。

どちらが良いかいかではない。そういう色なのだ

ここまで本当に漫画論がなかなか噛み合わない二人である

ジャンプ側の前編はそれが如実に現れており、尾田が「あの頃のジャンプを語ってくれ」と頼むと青山は「マガジン派だった(見てない)」と返すのだ。

ジャンプ第一線でずっと戦ってた大手企業勤めの尾田とサンデー特別顧問立ち位置でアホほど稼ぐフリーランス青山と言った感じ(干支が一回り違うのもある)。

そんなバチバチジャンプ対談から後編サンデー対談になると、一気に空気が緩和されるのだ!こんなところにも雑誌の色が?と思ったのだが、狂犬の尾田が仏の青山に心を開いていくのだ。

前編では見出されなかった共通点がどんどんと増えていく。

ファンレター嬉しい

考察厨の扱い方

入院中でも仕事したい

・周囲だけ変わっていく

自分の年齢もだが声優の年齢も心配

大谷育江かわいい

映画に関わりすぎた感がある(忙しい)

漫画描くの辛いと思ったことがない。楽しい

・転生してもワンピコナンは描く

・一作品で好きなこと全部やってる

・一応終わろうとは思ってるが約束しきれない

などなど。このあたりから意気投合モードだ。

狂犬尾田が最後には「せーので一緒に終ろう」とか言い出すほどなのだ

正直なところ青山はいろんなジャンル漫画家と対談する機会も多いのと超がつくマイペースなので、どこでもこんな風ではある。

しかし尾田のこの感じはなかなか見れないものだった。とくに少女漫画大好きの青山ラブコメを後押しされてしまった今後の最終章ワンピース!いたる所でカップルが生まれるかもしれないし生まれいかもしれない!

そのきっかけとなるかもしれない対談、何度も言うが必見である

なお大量に入荷したらしい近所のサンデーがもう売り切れているので注意が必要だ。電子もあるがポストカード欲しいなら急ぐように。

2022-07-19

anond:20220718145622

ここ半年くらいで「日本衰退!うおおおお!シェーシェーーーーwww」

みたいな書き込みを見ることが増えたが、自国危機の目をそらそうとしてるのか

理解した

人口世界一から陥落予測中国、成長鈍化に危機感…米専門家「衰退前に台湾侵攻の危険性」

2022/07/18 09:22

 【北京田川理恵ニューデリー浅野友美】国連人口予測で、インドが2023年にも中国を抜き、人口世界一になる見通しとなった。19年発表の前回予測では、逆転は27年頃としていたが、4年早まった。インド世界経済の先導役になると期待される一方、中国人口減少が国力衰退に直結しかねない。

17日、北京で、子どもを連れて公園を訪れた人たち。中国は近く人口減少に転じるとの予測もある=片岡航希撮影

 国連の発表によると、今年1月時点の人口中国が14億2600万人、インドが14億1200万人。

 中国は、36年続けた一人っ子政策副作用で、少子高齢化に歯止めがかからない。21年は、人口に占める65歳以上の割合が14・2%と過去最大となる一方、総人口は前年比48万人増にとどまった。子育て費用の高止まりに加え、新型コロナウイルス流行結婚出産を控える心理が働いたとみられ、専門家からは「22年の人口増はゼロになる」との悲観論が出ている。

 生産や消費を支える若い世代が減れば、経済成長の鈍化は避けられない。高齢化が進めば、年金など社会保障費の増大が財政を圧迫する。21年の社会保障費は約69兆円と、この10年で2・7倍に膨れあがった。

 中国共産党機関紙傘下「環球時報」の 胡錫進 前編集長は12日、SNSで、貧困率労働意欲などを比べると「インドの実際の労働力中国よりはるかに少ない」と指摘し、人口で逆転されても「世界工場」の立場が取って代わられることはないと主張した。

 一方、国力の衰退が、軍事行動引き起こしかねないと警告する専門家もいる。

 米中関係に詳しい米タフツ大のマイケルベックリー准教授は、「新興勢力が衰退し始めると、『力があるうちに取れるものは取っておこう』という心理から、より攻撃的になる傾向がある」と指摘する。

 特に、今年後半の共産党大会で異例の3期目政権を発足させることが確実な 習近平 国家主席は、台湾統一が悲願とされる。ベックリー氏は、「中国が、本格的な衰退に陥る前の20年代を『最後のチャンス』ととらえ、台湾侵攻に踏み切る危険性がある」とみる。

https://www.yomiuri.co.jp/world/20220718-OYT1T50038/

2022-07-17

治部れんげ先生に「批判する資格」はありますか??

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【治部れんげ先生ツイッター】(https://twitter.com/rengejibu/status/1545200207679602688から引用

氷河期世代支援が遅れたこと、政府問題は当然として、メディア他人事と思わないでほしいです。

2002年頃、記者をしていた経済メディアで、この問題を取り上げた時、当時の副編集長世代自分20代半ば)の意識ギャップを感じました。

企画提案しても、「好きでアルバイトしてる人たち」でしょ、という反論が返ってくる。就職難しい世代バブル世代自己責任論(他人に向けた)の差を痛感しました。

たまたま理解ある副編集長」が会議で何度も交渉してくれたか特集記事になったけれど、

あの時期、氷河期問題提起のコンテンツを、色んな形で出すべきじゃない、って言ってた

メディアの人に政府の無策を批判する資格はないと思う。あなた達も共犯。”

―――――――――――――――――――――――――――――――

以下、治部先生への意見

治部れんげ先生に、「批判する資格」はおありでしょうか? 「あなた共犯。」ではないのですか? 

治部先生批判ブーメランのように先生自身に返っていくように思います。「どの口」でおっしゃっているのでしょうか?

2002年12月23日号 の 「日経ビジネス」 の 「特集 若年失業の罠」で、確かに 治部先生(たち)は「若年失業放置していれば、国全体が沈みこむことになる」とお書きになりました。それは、すばらしいです。

しかし一方、同じ2002年12月、そのわずか2号前の「日経ビジネス12月9日号で、

治部先生は『女格闘家VSレ●プ魔』といった「レ●プもの」など鬼畜系を得意とするソフト・オン・デマンド創業者

正論を貫く姿勢が、迷える若者の心を打つ」と称賛していらっしゃいます

https://pbs.twimg.com/media/FXS8-IFVQAYUioX?format=jpg&name=4096x4096


ソフト・オン・デマンドは治部先生取材をするすぐ前、1998年や99年にも無職少女17)をアダルトビデオに出演させたり、有名アスリート全裸競技をさせたりという酷いことを強要して、

治部先生取材した社長自身幹部監督逮捕されていたにもかかわらずです。全国紙でも報道されましたし、それらは当時誰もが知る事実でした。治部先生がご存知ないはずはなかった。

日本で最も信頼されているビジネス雑誌で、そういう企業経営者好意を持って取りあげたのは、

女性に対する明らかな人権侵害積極的に許容したことにならないのでしょうか。


ハハハ、そんなのもう20年前のことじゃないですか(笑)」と笑ってごまかされるのかもしれませんが、

治部先生がいま声高に批判されているのも20年前のマスメディアの方々です。

治部先生論理言葉をお借りすると、「治部先生共犯!」ということにならないのでしょうか? 


治部先生は、他者には厳しく、自分には甘いだけなのではないでしょうか。


そして今、治部先生が何の反省の弁もなく、伊藤和子先生などの「AV出演被害防止・救済法の実現を求める会」の賛同者に

しれっと入っているのは腑に落ちません。

https://note.com/1623354/n/n4888f3ada746

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