はてなキーワード: 嘲弄とは
nippon.com版の方が先に書かれたので、nippon.com版→内田ブログ版の順に掲載。
適宜改行等を加えた。
nippon.com版
https://www.nippon.com/ja/in-depth/d01018/
http://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html
(01)
nippon.com版
今回の都知事選では、「選挙は民主主義の根幹をなす営みである」という認識が崩れてしまったという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する公人を、法を制定する場に送り込む貴重な機会であるという基本的な認識が今の日本からは失われつつあるようだ。
今回の都知事選では、選挙は民主主義の根幹を為す営みであるという認識がかなり深刻な崩れ方をしているという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する代議員を選ぶ貴重な機会であるという認識が日本からは失われつつあるようだ。
(02)
nippon.com版
知事選の当選者は1人に限られるのに「NHKから国民を守る党(NHK党)」が関連団体を含め24人の候補を擁立した。そして24人分の掲示板の枠に同一のポスターを貼るなど“掲示板ジャック”をした。NHK党は、一定額を寄付した人にポスターを張る権利を譲渡する行為にも及んだ。掲示板には選挙と関係ない人物や動物の写真、サイトに誘導する2次元バーコードなども張り出された。NHK党以外の候補も「表現の自由への規制はやめろ」と書いたわいせつな写真入りポスターを張り出すなど、目を疑うような行為があった。政見放送も含め、注目を集めて動画サイトなどのフォロワーにつなげるなど、選挙を単なる売名や金もうけに利用しようとする候補者が多数登場した。
(無し)
(03)
nippon.com版
(無し)
投票する人たちは「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。自分と「ケミストリー」が似ている人間であるなら、その幼児性や性格の歪みも「込み」で受け入れようとしている。だから、仮に投票の結果、自分の生活が苦しくなっても、世の中がより住みにくくなっても、それは「自分の属する部族」が政治権力を行使したことの帰結だから、別に文句はない。
自分自身にとってこの社会がより住みよくなることよりも「自分のような人間たちから成る部族」が権力や財貨を得ることの方が優先する。これが「アイデンティティー・ポリティクス」の実態である。
自分が幼児的で、利己的で、偏狭で、攻撃的な人間だと思ったら、かつてならそれは「成熟」へのインセンティブになった。「もっとちゃんとした大人になろう」と思った。でも、今は違う。今は「そういう自分がけっこう好き」だとカミングアウトすることの方が人間的で、端的に「よいこと」だとされる時代なのだ。
正直言って、私には意味がわからない。この人たちはそんなに自分が好きなのか。そんなに同じ自分のままでいたいのか。私は同じ人間のままでいるなんてまっぴらである。息苦しいし、不自由だし、何より退屈で仕方がない。「自分自身に釘付けにされていること」をエマニュエル・レヴィナスは考えられる限り最も苦痛な体験だと書いていた。私もまったくそうだと思う。そもそも「自分が自分でしかあり得ないことの不快」を推力として、生物はここまで進化してきたのではないのだろうか。単細胞生物が単細胞生物であることに自足していたら話はそこで「おしまい」である。だから、アイデンティティーに固執する人たちを見ていると、私は奇妙な生き物を見ているような気になる。なぜ「そんなに自分自身でいたい」のか。自分であることにうんざりすることがないのだろうか?いや、ほんとに。率直にそう訊きたいのだ。
選挙の話をしているところだった。
今回の都知事選では、選挙を単なる売名や金儲けに利用しようとする候補者が多数登場した。
(04)
nippon.com版
公職選挙法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的に振る舞うはずだ」という仮定の下に設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄(ちょうろう)したりすることは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
公選法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的にふるまうはずだ」という仮定のもとに設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、目端のきいた人間なら誰でも簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄することは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
(05)
nippon.com版
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍晋三氏、菅義偉氏、岸田文雄氏の3代の首相による自民党政権の立法府軽視が原因であると私は考えている。
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍、菅、岸田三代の自民党政権の立法府軽視が一因だと私は考えている。
(06)
nippon.com版
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、自民党政権は行政府を立法府より上位に置くことにひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党が激しく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権は極めて熱心だった。
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、行政府を立法府より上位に置くことに自民党政権はひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党がはげしく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権はきわめて熱心だった。
(07)
nippon.com版
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩(も)らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
(08)
nippon.com版
現行憲法下で独裁制を実現するために、差し当たり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーにすぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
現行憲法下で独裁制を実現するために、さしあたり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーに過ぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
(09)
nippon.com版
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「普通の市民以下かも知れない」という印象を扶植することに並々ならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることには見事な成功を収めた。
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「ふつうの市民以下かも知れない」という印象を扶植することになみなみならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることにはみごとな成功を収めた。
(10)
nippon.com版
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
(11)
nippon.com版
NHK党は、暴露系ユーチューバーで有罪判決を受けたガーシー(本名・東谷義和)元参院議員を国会に送り込むなど、国会の威信、国会議員の権威を下げることにきわめて熱心であったが、これは彼らの独創ではない。自民党が始めたゲームを加速しただけである。
(無し)
(12)
nippon.com版
今回の都知事選で2位につけた石丸伸二氏も前職の広島県安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。これも「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を忠実に踏まえている。
今回の都知事選で二位につけた石丸伸二候補は安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を彼は忠実に踏まえている。
(13)
nippon.com版
日本維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
(14)
nippon.com版
自民党派閥の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
自民党の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
(15)
nippon.com版
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革を目指すだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕(むしば)まれてへたり込んでしまうだろう。そして、どうやら日本人の相当数は、この事件のニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように見える。
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革をめざすだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕まれるだけだろう。そして、日本人の相当数は、このニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように私には見える。
(16)
nippon.com版
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用が極めて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政は簡単に衆愚政に堕す。だから、民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。市民に向かって政治的成熟を求める政体は民主政の他にはない。
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用がきわめて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。 Permalink | 記事への反応(1) | 18:42
今回の東京都知事選では、蓮舫候補者とその陣営の行動は、民主主義の根幹を揺るがすものだったと感じざるを得ません。事前運動を行い、戸別訪問を繰り返し、違法なビラを都内に大量に撒くなど、公職選挙法を無視した行為が目立ちました。
そもそも選挙というのは、有権者が自分たちの代表を選び、政治に対して責任を持つ貴重な機会です。しかし、蓮舫候補者とその陣営はその機会を私利私欲のために利用しようとしました。このような行動は、民主主義そのものを嘲弄し、有権者の信頼を大きく損なうものです。
蓮舫候補者が行った行為は、民主主義の本質を理解していないことの表れです。選挙は公平で透明な手続きによって行われるべきであり、違法行為によって結果を左右しようとすることは許されません。こうした行為が横行すると、選挙の意味が失われ、政治への信頼が低下します。
さらに、私たちの社会制度は「性善説」に基づいて設計されていますが、蓮舫候補者の行動はその隙間を「ハック」しようとするものです。彼らの行動は、制度の脆弱性を露呈させ、私たちがどれだけ容易に自己利益を追求できるかを示しました。これにより、民主主義の本質が問われる事態となっています。
このような行動を見過ごすことはできません。私たちは、選挙の重要性を再認識し、公正で透明な選挙が行われるように努める必要があります。民主主義は市民の成熟を前提とする政体です。市民一人一人が自らの責任を果たし、政治に対して真摯に向き合うことが求められます。
選挙の話に戻りますが、今回の都知事選における蓮舫候補者の行動は、民主主義の原則に反するものであり、深く憂慮すべき事態です。民主主義は、理性的な市民が多く存在することを前提としています。蓮舫候補者とその陣営の行動は、その前提を覆し、民主主義の未来に対して大きな挑戦を投げかけています。私たちは、この挑戦に対して断固として立ち向かい、民主主義の原則を守り抜く必要があります。
【初めに】
まずかったら削除する。ただ、以前はパンチラの映っているPVを紹介したので大丈夫だろうか。
英語にはtwerking、トゥワーキングという言葉がある。音楽に合わせて尻を上下に振る動作のことで、見ているだけで筋肉痛になりそうである。youtubeで検索すると、ものすごい大臀筋の女性が実演しているのが見られる。やったら筋トレ効果で健康になりそうだ。
元々ヒップホップで使われたらしい。ウィキペディアではサザン・ヒップホップとが由来だと書かれているのだが、ヒップホップとラップとR&Bの違いがわかっていない。おそらく、わかっている人からすればモネとシニャックみたいに全然違うよ! ってことになるんだろうが(それどころかエル・グレコくらい隔たっているかもわからない)、この辺についてはいずれ調べておきたい。
具体例に関してはこちら。
https://www.youtube.com/watch?v=UNj05HL0UPw&ab_channel=RubiRose
Rubi Roseというラッパー、作曲家、モデルのミュージックビデオだ。ややこしいことにRuby Roseというオーストラリアの女優、モデルがいる。
ブルマーだったりミニスカだったりで腰を振る文化はよくわからない。評価をするだけの知識がない。
ただ、いきなり曲の途中でズボンを下ろしてパンツを見せる例があるのには驚いた。ブルマのようなしっかりと尻を覆うタイプではなく、ティーバックタイプの下着だ。
リンクを貼るのがためらわれるので名前だけ。「VI AMElI // TWERK CHOREO(bilibili動画にもあるやつ)」「АМЕЛИ // Twerk ВТ/ЧТ 18:00」がそれだ。かなり面食らっている。欧米圏にはムーニングという、ケツだけ星人のように尻を出して相手を嘲弄する動作があると言うが、これは相手を馬鹿にするというか、演者の絶対的優位を意図しているのだろうか。私は何も恐れないという宣言なのか。
道玄坂69のyoutube動画に、目が死んでいると批判的なコメントがあったのとは対照的である。
知らないことがまだ世界にはたくさんある。
社会的に認められた露出については、ルールが非常に恣意的だ。そこに道徳や法の柔軟さや二重思考が確認できて面白い。
World Naked Bike Rideのときはロンドン市内で全裸だし、トップレスが許されるプールもある。それが文化戦争の様相を呈することもある。
現に、エアロビ全盛期の頃は、タイツをはいていることもあるとはいえ驚くようなハイレグも見られた。
https://www.youtube.com/watch?v=3pm3TC57lHI&ab_channel=uwatenage
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=U6itxVo4T5A&ab_channel=foolicus
(35:00あたり)
https://www.youtube.com/watch?v=WTflOuT_nPI&ab_channel=Hatsumi
(1:52あたり)
とにかく、不思議でならない。
【お昼の追記】
バルセロナに行ったとき、十歳から十二歳くらいの女の子が、お腹のほとんどが露出していて、お腹を薄いレースで覆っているだけの格好をしていたけれど(見た目がほぼ裸エプロン姿)、一方で児童ポルノには極めて厳格だ。
小学校低学年の子どもがビキニを着ていると、なんだか不思議な感じもする。
性的であることと、実際に性交することとは別だという思考かもしれない。ウエルベックがどこかで、非モテの悲哀として、誘惑だけされるが情交には至らないと怒るキャラクターを出していたのを思い出す。欧米も一枚岩でははありえない。でないと激しい選挙戦や文化戦争を理解できない。
なんであれ、レッテルを貼らず、わからないことはわからないと認め、自分の感覚を精密に言語化していくこちが肝心だ。
昔はやった腰パンみたいなものか。そう思ったが、では腰パンについてもよくわからない。
【追加】
ってニュースに
超個人的な祈りとして、私が好きな作品のクリエイターとその周辺の皆様には、作品完結までは何卒健康にお気をつけいただきたく。
2023/08/15
2023/08/15
というブコメらが人気1位2位につけてる。
こいつらどう考えても不謹慎じゃん?
どちらのやつも丸山俊平さんという人間の死に何も情緒が動かなかったんだろうけど
1位「俺の好きな作品の制作者は完結まで死なないで欲しいと思います」
どうよこれ。
「丸山俊平さんが亡くなったことを悼みます」要素は微塵もねえって言うか
むしろ「丸山俊平さんの死には何も思わないけど~」って内容だよなこれ。
わざわざ人の訃報に際して書くことかこれ。
これが1位2位。
俺も丸山俊平さんに何の思い入れも無いしガルパンは見たことないけど
まあ失礼だし不謹慎だし。
でも俺はこの2人やこれを人気1位2位にしたやつらを責める気は全くないんだ。
不謹慎なんてことはその程度じゃん?
言いたいことを言う権利の方が優先されるべきだって俺は思うから、
この2人の発言とお前等の☆がかなり失礼で不謹慎だなーって感覚は持ちつつこいつらのことを支持するわけ。
だからお前等もそうしてほしいんだよ。
不謹慎ですか。そりゃそうですね。それで?
俺はそういうスタンスで行きたいわけ。
お前等だってこの不謹慎で失礼なコメントを人気1位2位に出来るんだから、出来るんだよ。
俺はこの2人とお前等を支持する。
でも自分の好き嫌いでそういうことを判断しちゃいけないから全部支持するんだよ。
違うだろ。
自分の好みの表現だと不謹慎でも失礼でも気にせずに支持するのに
自分の感性と衝突する表現にだけ「不謹慎だ」「許されない」って言う奴等なんだよ。
口喧嘩次元であいつらを侮辱し返せばいいだけだろ。ネタは無数にあるし何でもアリなら勝てるよ。
自由を選んだんだろ。
「ぼっち・ざ・ろっく!」、通称「墓石」が、アニメ作品としてヒットすれば、まんがタイムきららは危ない。ヒットしなくても危ない。
当たり前のように使われてるが、どう考えても良い言葉ではない。胸を張って「私は陰キャだ」と言える人なんて居ない。ネット上(に限らないが)で「陰キャ」という言葉が出たとき、その言葉を言われた対象が賞賛の的になっていることは皆無と言っていい。明らかに「陽キャ」こそ上位の存在だと見做している。「陰キャ」であることを短所と見做すしかなくなっている。「ぼっち・ざ・ろっく!」の主人公を見て、名誉ある人物だと思う人はいない。そういう風にこの主人公は作られている。
昔は「リア充」「非リア充」という言葉がよく使われていた。ネット民である「俺」や「お前ら」は、まず「非リア充」の方に位置していた。しかし昔のネット民は「リア充爆発しろ」だのと攻撃的な姿勢でいた。それは冗談でもあり虚勢でもあったが、俺達こそ素晴らしいのだという感覚を得ることができた。「非リア充」であることに誇りをもっていたと言ってよい。またリアルでの充実というのは、恋人の有無に限らないことであって、趣味に熱中することができるならそれもリアルでの充実と言えた。「陽/陰キャ」という言葉の場合、現実が楽しいかという次元の話ではない。ただ人間性について判断しているのであって、いくらネットで面白いことができても、趣味に熱中したところで、「陰キャ」と言われれば「陽キャ」には勝てない。現に「リア充爆発しろ」に相当する言葉をまとに見たことがない。
「陰キャ」という言葉は、かつてインターネッツではほとんど使われていなかった。しかし2015年前後から急速に当たり前の語彙となった。この言葉はインターネッツ発祥の言葉ではないだろう。しかし今、こうして当たり前の言葉となった原因はネット民に、ネット掲示板にある。それはなんでも実況Jが2ちゃんねるの都となってからのことだ。その時期といえば、とある炎上に関わった弁護士が大いに叩かれていた。かつてのネット民の意識であれば、「俺達は弁護士よりも上」だと言っていただろう。しかしいつしか、「弁護士は俺達よりも下」になっていた。
そもそも人間の性質を二つに分けることは乱暴なことだ。世の中に、完全に「陰キャ」でしかない人はほぼ存在しない。完全に「陽キャ」でしかない人もいない。人間には必ず陰と陽とがある。5対5のように、両方のバランスによって成り立っている。そのバランスは時と場合によって3対7や1対9のように変化していく。誰を相手にしているか、どの場所にいるかによっても変わる。本人の気分によっても変わる。学校では無口でも家では饒舌なら、それだって本人の「陽」の側面が強まっていることになる。ネットでは強気になれるなら、それも「陽」と言っていい。ただし、そんな時にも「陰」の面はある。また、自分では「陽キャ」だと思っていても、他人からは「陰キャ」だと思われていることもある。自他の認識によって、人間の性質は変わる。
我々は、「陰キャ」という言葉を見たとき、「陰キャ」と呼ばれる人を見たとき、絶対に自分の中にある「陰キャ」の側面を実感している。全員が共感できるから、「陰キャ」という言葉はここまで当たり前の言葉になっている。「陰キャ」という言葉が捉える範囲があまりに拡がりすぎている。使う人のさじ加減によっても変わってくる。
人が自分や他人を判断する材料が、「陰キャ」か「陽キャ」かしかないとは、短絡的なものだ。我々の人を見る目は蒙昧で貧弱なものになってしまう。
現在まんがタイムきららでは、「陰キャ」という言葉を全面に押し出している作品が三つある(正確にはその一つの連載は終了している)。「ぼっち・ざ・ろっく!」と「ななどなどなど」と「むすんで、つないで。」のことだ。いずれも主人公が「陰キャ」と言われたり自称したりしている。しかしこの主人公三人は、同じ「陰キャ」であるにもかかわらず、共通点がない。「陰キャ」である状態が異なっている。
「ぼっち・ざ・ろっく!」の主人公はまともに人と話すことができない。言葉を発すると緊張の度が過ぎて、たどたどしい滑稽な姿になる。
「ななどなどなど」の主人公は、問題なく人と会話が出来る。ただ、自尊心が強く、気高く、高圧的に人と接してしまうため、人との不和を起こす。そういう人間性から、この彼女は「陰キャ」と呼ばれた。
「むすんで、つないで。」の主人公は、自分のことを「陰キャ」だと思っているが、周囲からは憧れの的となっている。容姿端麗で、成績優秀だとして賞賛されている。間違っても「陰キャ」とは言われていない。このように、自己へ下す認識と、他人から与えられる認識に差異がある
「会話が困難な人」「会話は出来るが人格に問題がある」「会話もできるし人格も整っているが、その人自身は不安を消せないでいる」。これらは完全に別物であり、違った性格を持った人物の集まりだ。それなのにこの三人は、「陰キャ」だと一つにまとめられている。こうした乱暴な処理がなされた結果、「陰キャ」の意味は広く曖昧なものになった。
「まんがタイムきらら」の枠に留まらず、今や日本では、人間は「陰キャ」と「陽キャ」のどちらか二つに分類されるようになった。しかし人間はそこまで簡単に分類できるほど、単純に造られていない。漫画の登場人物ですら、多種多様な性格をもっている。繊細な性格によって表れ出ている人間の姿を、真っ二つに分けることなど、とうてい出来ない。出来るとすれば、相当に乱暴な作業と言うほかない。
ひどく曖昧な意味をもっている言葉を平然と使う。普通の人が日常会話でつい使ってしまうのならまだしも、漫画家という表現者が使うのはいかがなものか。使うのであれば、考えた上でやらなければならない。考えた上で使うことが出来ている作品は、「むすんで、つないで。」しかない。
こういう考えもあるかもしれない。「陰キャ」がもう当たり前の言葉となった以上は仕方がない。その言葉をあえて使うことで、読者の共感を得ることが容易になる。確かに「ぼっち・ざ・ろっく!」は、「陰キャ」という言葉によって、現代の我々の思考を写し取った作品になっている。しかし、それがまんがタイムきららにとって、いかに異質で危険なことか。それを考えなくてはならない。
一時期のまんがタイムきららは、多くの嘲弄を受けてきた。きららからアニメ化される作品は「日常系」と呼ばれ、「中身がない」だの「美少女動物園」だの散々言われていた。
そういった意見に間違いがないわけではないだろう。一つの正解であるとも言える。
しかし面白い作品のあり方はさまざまであってよい。劇的な物語がなければ、作品として成立しないなんてことはない。キャラクターが死ぬのを見れば、それは悲しいシーンとなる。涙を流すこともあるだろう。しかしその涙は、純粋な感動のためではなく、感動という暴力を受けて涙を流しているだけかもしれない。
何気ないことに心を動かされることがある。そのことを追求したのが、過去のまんがタイムきららだった。何気ない瞬間の美しさを、美少女キャラクターに託していたのだ。そのためには、細心の注意を払ってキャラクターをつくらなければならない。例外もあるとはいえ、人の死があるわけでもない、激越なバトルがあるわけでもない、何か大会で勝ち上がっていく過程もない。ただそこにはキャラクターがいる。読者の感性に訴えかけるキャラクターを描かなければならなかった。それがかつてのまんがタイムきららの様式だった。そうしてきららは、いくつもの作品を世に送り出してきて、少なからぬ成功を収めた。
そんなきららが、今では「陰キャ」「陽キャ」という、曖昧かつ極端な言葉にとらわれてキャラクターを作ろうとしている。これは創作の妥協であり、怠慢だ。きららが今まで築いてきたものを否定している。いわゆる「なろう系」や異世界転生もののように、圧倒的な成功を得られるならまだ良い。しかし「ぼっち・ざ・ろっく!」に圧倒的な成功や勝利や名誉の獲得はない。
きらら編集部は、人々の口に上ることの多い「陰キャ」という語を、訳もわからず商機と見做して漫画に取り入れたつもりなのだろう。しかし、この「陰キャ」という言葉は、近年の「インターネッツ」の売り物の一つなのだ。「陰キャ」の隣には「ショウガイジ」があり、「すき家でチーズ牛丼を注文する男性」も陳列されている。周囲を見渡せば大量の炎上コンテンツがある。「ゲイ向けのビデオ」があり、「大物YouTuber」もあり、「ネットに強い弁護士」もある。
きらら編集部がもし「ショウガイジ」を選択していたら、問題視されただろう。しかしさすがに、きらら編集部は「ショウガイジ」がまずい意味をもっていることを知っている。だから「陰キャ」を選んだというのか。特定の人種を差別しているわけではないと判断したためにか。「陰キャ」という語が、「ガイジ」と紙一重の意味合いと動機で使われていることをきらら編集部は知らないのか。知っていてやっているなら邪悪でしかない。知らないからといって、何でも認められるわけではない。「陰キャ」を使っていいのは、人の気も知らず、自分のことも顧みず、悪口でも何でも好き勝手使うネット民だけでよい。
まんがタイムきららの編集長は、「雑誌とは社会の公器であることを認識しなければならない」という教えを守っているのだという。「常に新しいことにチャレンジする」ために、「意識的に尖った作品を多く掲載するようにしている」側面があるのだという。その「尖った作品」の第一として挙げたのが、「ぼっち・ざ・ろっく!」だった。まんがタイムきららは、尖った作品を作るために、社会の公器であるために、ネット民の小競り合い、煽り合いを利用したということだ。
きららアニメは、今までニコニコ動画で散々「ゲイ向けビデオ」のコンテンツと共演させられてきた。きらら作品のキャラクターが「ガイジ」扱いされることも多かった。きららアニメの大元であるきらら編集部は、ついに自ら「インターネッツ」の汚れた部分に浸かることを決めた。しかも「社会の公器」であるから、「ガイジ」のような過激なものは使えず、なるべく穏当な「陰キャ」を手に取って、「インターネッツ」の人々と仲良くすることを選んだ。
編集長のインタビュー記事 https://www.mashiro-writer.com/interview-houbunsha70th
もし「ぼっち・ざ・ろっく!」がアニメとして成功すれば、今後も「陰キャ」「陽キャ」という観点でキャラクターが作られるだろう。人間の性質を無理にでも二極化して行くだろう。過去の伝統を振り捨てて。
もし「ぼっち・ざ・ろっく!」がアニメとして成功しなければ、新たに売れそうな漫画を作り出さなくてはならない。約五年前のように、一年に三つも四つもきらら出身のアニメが放送される時代は終わっている。過去に人気を博した作品も続々と完結している。現状のまんがタイムきららに見込みがありそうな漫画は数少ないと言ってよい。アニメ化が決定した「星屑テレパス」を含めれば、あと四つほどだろうか。「ぼっち・ざ・ろっく!」はきららの最終兵器とよく呼ばれている。最終兵器とはまるで後がないかのような言い回しだ。
豊崎の件
ブコメに
「作家は書評家がいなくてもいいけど書評家は作家がいなければ存在し得ないもの(だから偉そうにするな)」
という他の書評家にとばっちり&的外れなコメントがわらわら沸いてるけど恥ずかしくないの?
他の人の仕事に背乗りしなければ成り立たないし背乗りされた側に必要とされるわけでもない職業は世の中いろいろありすぎて何の評価基準にもならないから
そもそも文明の発達とはそういう必須ではない付属品的仕事の増加だと言ってもいい
こんな意見が意味を持つのは豊崎が小説・作家という存在自体を嘲弄してるときだけだよ
例えば修理屋は元の商品のメーカーがいないと存在できないけど攻撃的な修理屋が他の修理屋や特定メーカーに筋の通らない批判したところで
修理屋はメーカーがなければ存在しないからどうこうとか言う人いないだろ
小説を題材にした小説(海辺のカフカ、ビブリア古書堂など)の作者が他の作家批判しても
リフォームは大工にのっかってるしスマホカバー屋はスマホメーカーにのっかってるしドキュメンタリーは森羅万象にのっかってるし
だから何?
当然わざとやってると思うんだが、俺の露悪趣味を全開にしてもあの領域には到達できないから、たぶんそもそもある程度イカれた人ではある
ただ、さっき見たブコメはこれまでとベクトルの違う異常さだった
"篠原健太" ってペンネームで少年ジャンプの人気マンガ家になろうとしている魂胆が気に食わない 同じクラスにいたら絶対イジメてる 人間として間違ってると思うよ 親の教育が悪いのかな とにかく絶対に許せない
普段のブコメは最悪だが、最悪なりに意図はわかる とにかく全てを嘲弄して、できるだけ多くの人に嫌な顔をされたいんだろうという感じがある
これは……わからない
素直に篠原健太さんを罵倒するんじゃなくて、名前の方に行くっていうのが謎すぎる
それとも画数が多い的な方向性?
まあ多いけど、そんなに目くじら立てる感じでもない
クリンジさん、あのスタイルだと逆に全然思想が見えて来ない感じがあったんだが、これには何か彼の人間らしさのようなものが表れている気がしてならない
なぜなんだクリンジさん
https://anond.hatelabo.jp/20201109184717
という文章を書いて400件近くブクマがついたので、それを読んで(読ませてもらって)思ったこと、考えたことについて、以下のとおり書いておく。
もはや、ほぼ愛知県知事リコール署名とは関係のない話になるので、あくまで俺個人の整理のための記述になる。
…
高須院長とその界隈を高みから見物しているつもりで、本当はこの騒動に食い気味にのめり込んじゃって、一番おかしいのはお前だろ、というブコメがいくつかあって、これは実際にその可能性がある。
俺は文中で自身の正気をちゃんと相対化できているつもりだったし、最後も、(俺にとってはもっとも合理的な理解である)愛知県知事リコールにおいては高須院長もその取り巻きも半笑いであって、仮に全てがおちゃらけに過ぎないのなら、頭から湯気立てて正気を失ってるのは俺だけだな、と書いたつもりだった。だから、お前も頭おかしいぞ、と言われれば、「だから自分でそう言ってんじゃん」という気はする。
ただ、「俺はてめえの頭がおかしくなってる自覚があるからつまり狂ってねえ!」というのは当然、矛盾している。
俺は自分のどうかしている具合について認識が甘すぎるんだろう。以前、何かの増田についたブコメで「この増田は自身の頭がおかしいことを自認しているが、おそらく増田自身が思ってるのとは違うかたちでおかしいんだと思う」というのがあって言い得て妙だな、と思った経験があるが、なんていうか、それに近いのかもしれない。
…
・お前は醜怪だ、という話
上の、俺の頭がどうかしているというブコメと似て非なるというか、印象的だったものがあった。
最初に反論しておくと、俺は誰かが真面目だったり熱心であることを理由に、おちょくられるのを無条件に免れるべきではないと思っている。
別に俺も、真面目かつ誠実に世のことを思っている人間に対して辻斬りのように悪意を浴びせるほど邪悪じゃない(とは思っている)。ただ、今回の高須院長の、86万筆という当初の目的に明らかに届かないにも関わらず、いかにも肉薄しているという空気を醸成しようとしたこと、結果として集まった43万筆の中身にも疑義がついているのにその検証を言下に否定したこと、署名活動中にリコール反対派を犯罪者呼ばわりしながら届けた工作活動の進捗を説明しないこと、ははっきり言って不誠実だし、リコールという制度を悪質にショー化する行為であって、それはおちょくられても仕方ねえよな、とは思っている。
で、ここからが少し複雑な話になる。
俺は、相手の悪口を書いたり、内容に虚偽を含めたりしない限り、不誠実で悪質な言動について相手を直接、ネット上でやり込めようとすることは許されると思っている(この考え方は本当に俺の異常性を吐露しているのかもしれない。「不誠実」で「悪質」を、ちゃんと主観を除外して判断できるつもりの上、攻撃のトリガーまで引くんだから)。今回の俺のリプライは、表面上は高須院長の味方にしか見えないものなので、(あくまで俺の中の)基準を満たしている。
一方で、俺は自分がほぼ悪意で行動していることを自覚している。義憤ではなく、私的かつ単純に「気に入らない」という感情にドライブをかけられていて、まともな人間はこんなことをそんなにしない。
つまり、高須院長の言動は真っ当な市民感覚によって非難されるべきだと思うけど、俺が従っているのはそういう倫理観ではまったくないし、取っているアクションもネジクレている。
お前は醜怪だ、という指摘はその点でこたえるものがあった。
…
・俺がtwitterで捨て垢を使ってリプライを送った / 先の増田はtwitterで当該のリプライを目にしたまったく別の第三者によって書かれた、という話
皮肉ではなく、おもしれえな、と思った。
この人たちには、本垢で有名人をおちょくったり、そのことを武勇伝めかして増田で書くことは想像を絶しているらしい。どちらが真っ当な感覚かはわからないが、この人たちの方がまともな気もする。
異常でわけのわからない行為を合理的に説明しようとすると、かえって、実態と異なる推論がはじき出されてしまうということで、これは頭を働かせている側がいけないのではなく、そもそも現実に起きていることがのっけからおかしいので、そうならざるを得ない。
おもしれえな、というのは、まるで、先の増田で高須院長たちの行動を理解しようとした俺自身のようだったからだ。つまり、「まったく事実に反した異様なツイートに大量の支持が集まるって、俺の理解できる世界を完全に超えている。もしかして、院長もその支持者も、全然本気でやってなくてふざけてやってんじゃねえのか?」。こんな俺の考えも、見当違いの方向にぶっ飛んだ推測なのかもしれないな、とあらためて思った。
…
・今回のリコール運動の中にもいろんな思惑があるよ / 個人の中にもマジの部分と半笑いの部分や時期があるよ、という話
言ってることはわかるんだけど、俺としては以下の1~4のどれかで断言してくれた意見の方が面白かった。
お前が面白いとかどうとか知らねえよ、という感じだと思うが、そう感じた理由はあとで書く。
…
・1~4の話
2. 院長はマジだが取り巻きは半笑い、という70過ぎのジイサンを見世物にした構図
ブコメを見ると、1, 4にそれなりに割れて、2、3がちょいちょい、というように見受けられる。
俺はこれが本当に面白くて、おそらくはこれまでの印象や知識によって、あの運動が各人で全然違う見え方をしていることがわかった(もちろん先の増田にブコメをつけた人々の意見なので、世間全体ではまた違うんだろう)。
俺が1ではなく2~4を選ぶのは、あるブクマカが仰っていたハンロンのかみそり(愚かさで説明できることを悪意で解釈してはいけない)が、この場合機能するのかな? という疑念があるからで、俺にとっては悪意や冷笑のために時間と労力を割いて敵方を嘲弄することはちゃんと合理的な行為だからだ。
こうして考えると、人間は自分をモデルにしてしか他者の行動を推論できないことがよくわかる。実際は1の可能性も十分あるだろうと思う。
あと、4の中にも高須院長と取り巻きが共犯ってパターンと、院長と取り巻きの意志共有はされていなくて、結果として4が形成されてるだけってパターンがある、と指摘している方もいて、なるほど、と思った。
いずれにしても、1~4のいずれかが今回の運動のメイン層であり、グラデーションはあっても、あるいは個人内でスタンスのうつろいはあっても、コアになる部分があると思う。
俺が「色んなやつがいるよ」的な解釈にあまり乗れないのは、「巨大な運動の内部に様々な思惑があるって、そりゃそうだろうな」っていう一般論でしかないのであんまり面白くないからだが、(ここから少し大仰な話になるので、狂人に訳知り顔されるのが不快な方はすみません)、もう一つ理由がある。
ブコメを読んで色んな見方があることがわかって、その中には「◯◯に決まってるじゃん」と断言するものもあって、正直言ってこれは便利だな、と俺は思った。
これってつまり、一つの現象をめぐる解釈について、どれだけいい加減な放言を言い散らしても、誰かしらは味方してくれるし、耳を貸すということじゃんな?
もしどこかの世界線で、俺が今と同じくらい世に倦んでいて、今と比べ物にならないくらいもっと金持ちで頭が良かったら、「××について、正解は1~4のうちどれでしょう?」の中で、自分にとって一番得で、自分の憎悪で人がたくさん泡を吹いて苦しんで、みんなができるだけ不幸になる答えについて、それを信じてくれる人たちに頑張って吹き込むのにな、と割とマジで思った。
そういう悪意に対抗するには、どれもが正解に見えるうちのもっとも核心に近いものを常に求めるぐらいが関の山でほかにどうしようもなく、「色んなやつがいるよ」は答えとして絶対間違えようがない一方で、悪意の味方になり得て助かるかもな、と思うので、あんまり好きな回答じゃないな、と思った。
言い換えると、これ! という正解を常に抱えながら、科学的な証拠があれば別の正解に賛同できる柔軟性が市民には必要だ、ということになり、皆さんにはこれができるだろうか。ちなみに俺自身は絶対にできないと思う。
…
・オウムの話
「ふざけきってるようであいつらはマジだぞ」という1を選んだ人の中に、オウムとの相似を見た人もいて、そういう見方もあるのか、と思った。なんとなく村上春樹の『アンダーグラウンド1・2』を思い出した。
ウヨの考えてることなんてわかるわけねーだろ、というブコメもあって、俺もまあ先の増田で高須院長の取り巻きのことを途方もないアホか、(俺と同じ)悪意の塊かの二択の後者寄りでとらえてるので、いさめる気も権利もないんだけど、仮にあいつらがマジなら、誰かが高須院長の取り巻きたちの話をマジメに聞いてやったほうがいいのだろうか、とも思った。これは、『ボウリング・フォー・コロンバイン』でマリリン・マンソンが学校銃撃事件の主犯だった少年たちに向けた言葉から思いついたんだけど(「黙ってあいつらの言いたいことを聞いてやる。誰もそれをしなかった」)。だけども、俺には無理だ。理解できないやつとも、俺と同じくらい醜いやつとも話す気力も知性もない。善良で体力のある人に頑張って欲しい。
なお、理解の及ばない排他的な方向に加熱している、という意味でのカルトや『ボウリング・フォー・コロンバイン』の例えであって、暴力予備軍とみなしているわけではないことは言い添えておく。
…
・ポコチンの皮の話
バカバカしいことだが、俺は先の増田を書くにあたって、高須クリニックで包茎手術をやっていることを確認していた。
https://www.takasu.co.jp/danseiki/
俺がお詫びしなければならないのは、他人の生業を揶揄するような文章を書いてしまったことだ。これは本当に俺の想像力が欠如していた。高須氏にも美容整形に携わる方々にもお詫びいたします。申し訳ありませんでした。
日本語が読めていませんね、0点。
その部分は左翼のあなたがオタクを騙るための言い訳パートであって
本論ではオタクや山田支持者をネトウヨであると決めつけたいお気持ちがダダ漏れでしたが、その点は?w
オタクの中にも左右があり、山田太郎前議員は「右派のオタク」の代表であって「左派のオタク」は支持できないよね、という話をずっとしていたわけですが。オタク=右派なんて話は一言もしてないぞ。さらに言えば右派だから悪いなんてことも別に言ってないよね。
あなたがオタクに対して分断工作を仕掛けたかったことは重々理解しています。
オタクの中での右派も左派もいますが、あなた方左翼はオタクを敵視するオタクヘイターであるとすでに知れ渡っています。
「あーあー、オタクの仲間やめちゃおっかなー」という揺さぶりのつもりの何かは嘲笑失笑以外を誘うものではありません。
このレベルで文意読解できてなかったの? 大丈夫? ちょっと党派対立で目が曇りすぎてない? 落ち着いてちゃんと読も? ね?
どうどうw
自信満々で放った調略が相手にされずに笑われていらいらMAXのお気持ちは理解しますがまあ落ち着いて。
さあ?
仮にいたとしても少数だと思いますし、
何よりあなた方左翼に投票をお願いしてる間抜けなんかほぼ皆無だったと思いますよ。
だってオタクをなによりも憎むヘイターがあなた方左翼ですし、そんなもんオタクやってりゃ誰でも気付きます。
同じ論点を何度も何度もしつこいなw
「あなたには頼んでません」て一度言われたら理解して「失礼しました」と引き下がりなさいよ。
それがピンポイントにオタクであるとか山田太郎支持者であるとかは
「オタクヘイターの左翼」と「左派傾向のオタク」は全然違うもので
山田やオタクに異常な憎悪を燃やしてる人達がどっちなのかはいちいち言うまでもないことです。
山田の当選に不愉快マックスな苦虫噛み噛み顔で負け惜しみや呪詛を吐いてる人達や
今もなんとか彼の当選にけちをつけたくて必死に頑張っている誰かさん、
これもどっちの人かは考えるまでもないことですね?
上から目線でバカにしながら命令したらまるっきり無視されたので、今度は焦って仲間を騙りながら誘導や分断を試みる。
自分を頭いいと思ってるアホがやりがちなルートをきれいにたどっていると思います。
何度でも言いますけど、オタクを憎しむ左翼(あなたが言い張るところでは左派オタクでしたね、はいはい。どっちでも同じだけど)は
オタクとは別の表現規制反対派候補を応援すればいいんじゃないですかー?
川田龍平さんでしたっけ。
むしろ仲間じゃん。(あなた達の目的が本当に表現規制反対なら、だけどね。)
あなた方が山田を応援するなんてあり得ないのわかってるし、期待も依頼もしてねえし、
強いて言えば山田や支持者に何度も何度も悪意をぶつけに来るのだけやめてもらっていいですか。
って何度も何度もこれだけ言ってるんですよね。
だから何度も何度も言ってるけど、そんなの呼び掛けてないし
お前らむしろ「オタクのズリネタの自由www」とか言って表現規制側の感情の持ち主じゃん。
なんでオタクから仲間として頼られてるみたいな妄想を何度否定されても捨てられないんですか?
もう話通じなさすぎて精神病を疑うよ。
大同団結とかいう運動用語よくわかんないっすけど、賛同者が沢山居たから54万票取ったんじゃないっすか?
左派への配慮なんてしたくないっていうなら「オタクの大同団結」は諦めて「オタクの中の右派を代表します」と自覚して行動してくださいね、ってこと。わかる?
オタクヘイターの左翼についてはそもそも団結なんか呼び掛けてねーから。
ていうかね、最後にはっきり言うけどさ。
俺が二十年来いってるふたばでも別に山田の宣伝活動とか呼びかけなんかしてなかったよ。
山田に投票しなかったら裏切り者だ!とかそういう政治キチガイの左翼みたいなこと言ってねーの。
なんとなくボヤーッと「山田イイね」とか「赤松健(別に作家としては毀誉褒貶ある人だよ?)が組んで頑張ってる」とか「蝶ネク豚野郎」とか
そういう情報がふわふわーっと流れててふわふわーっと投票してるの。
いやもっとはっきり言うけどな
もしもオタクの中に山田の下の団結とかそういう熱い感情の材料があるとすれば
オメーラ左翼が必死に山田を引きずり降ろそうと謎の情熱燃やしてるって事実なのよ。
お前ら左翼、
その癖してオタクに動員掛けて自分達のパワーソースにしたいという甘えた気持ちもどこかに持ってて
自分達が賢いつもりでへんてこな誘導や分断の計略仕掛けてきて(今きみが負け惜しみ半分でやってるやつだよ)、
簡単に見抜けるのも気付かずに何度も何度も同じこと繰り返す学習もできない脳硬化した間抜け。
そんなお前らがほえ面かくのが面白いでーす。
わかった?
お前らの遠慮のないヘイトやアホの癖して誘導掛けてくる傲慢さにはマジでむかついてるから。
いい加減にしろアホたれ、って話なのよ。
御理解くださーい。
日本語が読めていませんね、0点。
元の増田ちゃんと読んでたらこんなアホな発言は出てこないぞ。元の増田でちゃんとこう書いたよね。
自民党入党の時点で山田前議員は「超党派のオタクの代表」ではなく「右派のオタクの代表」に変質した。オタクといってもその優先順位には濃淡があり、自民党には絶対に投票したくないと考えている左派オタクが、山田前議員に投票なんてできるはずがない。
オタクの中にも左右があり、山田太郎前議員は「右派のオタク」の代表であって「左派のオタク」は支持できないよね、という話をずっとしていたわけですが。オタク=右派なんて話は一言もしてないぞ。さらに言えば右派だから悪いなんてことも別に言ってないよね。
このレベルで文意読解できてなかったの? 大丈夫? ちょっと党派対立で目が曇りすぎてない? 落ち着いてちゃんと読も? ね?
だから、頼んでない。
何度もいうけどさあ。
オタクなら山田太郎を支持しろって言ってた連中はそのへんにいくらでもいたやんけ。
で、そのオタクの中には左派も右派もいるんだから、左派オタクにとっては左派も山田さんを担げっていう要求になるでしょ。
お互い様じゃねーだろ。
一部の山田太郎支持者の児童ポルノ問題であれだけ頑張ってきた福島瑞穂さんへの嘲弄はすごかったよね。
「オタクはあなたがた左翼を仲間だと思ったことははなからありません」
「あなたがた左翼は誰よりもオタク差別のお気持ちを丸出しにして悪意をぶつけてきたからです」
とはっきり申し上げている。
オタクの中には左派も右派もいる、という前提からはこんな文章出てくるはずないよね。いやあすごいなあ。
(ブコメで「左派のオタク」って名乗ってる人たち何人もいたからブコメもちゃんと読んでみような)
そういう態度がオタクの中の左派をないがしろにしてるって話なんだけど、理解できない?
まるでオタクの中に左派はいないかのごとき前提で超党派でのオタクの結集を呼びかけられても困る、って話をずっとしてるんだけど。
もし本当に「オタクの大同団結」を目指すならオタク内部にいる左派に配慮すべきだし、左派への配慮なんてしたくないっていうなら「オタクの大同団結」は諦めて「オタクの中の右派を代表します」と自覚して行動してくださいね、ってこと。わかる?
福島瑞穂さんの活躍http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/seigan/176/futaku/fu17600650145.htm http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/seigan/176/yousi/yo1760145.htm http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/seigan/187/mifutaku/mi1870321.htm
ご指摘ありがとう。これは恥ずかしながら知らなかった。これを見たら福島さんも支持できないな……残念。
いちおう彼女は児童ポルノに関してはまっとうな指摘(http://mizuhofukushima.blog83.fc2.com/blog-entry-681.html)もしているのだけれど、陵辱ものへの規制に賛同している以上彼女を支持することはちょっと難しい。
BtoCの仕事をしているんだが、コンプライアンス的に必要な書類が、顧客ごとにけっこう必要になる。
それをきちんと揃えるのが苦手な同僚がいて、とにかくいろんな人からツッコミを受けていた。
俺も尻馬に乗って「まあ◯◯さん忙しいからしょうがないよ~(笑)」なんて言ってたけど、べつに馬鹿にしているつもりはなかった。
ただ、配置転換があって俺が客先を回る機会が増え、その同僚の書類不備がやけに目につくようになった。
そのたび、「ついでに××もらってきましょうか?」とか「△△足らないんで、次までに用意してもらっていいですか?」などと声がけしていた。
そうしたらあるとき、あまりに不備が多い顧客ファイルを目にしてしまい、思わず「いや~こんだけなんもないって、逆に凄いですね~」と言って、後輩にその有様を見せてしまった。
自分の呆れを、共有したかったんだろうか。まあ深く考えての行動ではない。
……でもこれが、最後の引き金になったらしい。
後輩が退社し、上司が煙草を吸いに行った途端、物凄い勢いでキレられた。
「書類が揃ってないのは確かに俺のせいだけど、それをわざわざみんなの前で言う必要ないですよね?」
「いちいちニヤニヤ笑って、しまいには□□君にまでそれを見せて、馬鹿にするのもいい加減にしてほしい」
「あんたが俺のこと嫌いなのは知ってますけど、なんでここまでするんですか?」
「俺に恥をかかせて楽しいんですか?」
べつに馬鹿にしていたつもりはないし、同僚を辱めて楽しいはずもない。
何の気なしに、本当に思ったままのことを口に出していただけなのだ。
上司が戻ってきても、同僚はなお怒りが収まらない様子でブツブツ言いながら、終業後がさつに後片付けをして帰っていった。
異変を察した上司には、俺の軽はずみな言動のせいで同僚を怒らせた、と説明して謝罪した。
……で、家に帰ったんだが、もやもやしている。
すっげーもやもやしている。
なんでこんなもやもやしているのか、この文章を書いていてようやくわかった。
俺が悪意を持って同僚を嘲弄するような、そういう人間だと思われていたことだ。
べつに同僚のことは嫌いではないというか、どちらかと言えば好きだった。
でも、向こうはそう思ってなかったらしい。
ということはだ。後輩も上司も、同じように思っているかも知れない。
うへえ。
会社行きたくなくなってきた……。
超今さらだが、国会に取り上げられたアレはマッチポンプというか政治家の綱引きの道具というかただの自演くさい感じがしたけど、
アレだな。
私も便乗して「神社本庁落ちた斯界死ね!」とかエントリ上げるべきだったかな。
視点者をコネなし就活生にして、「地縁血縁がないとまともな神社に就職すらできないのに唯一都心に残れる希望のあった本庁の試験に落とされた!残ってるのは地方ばかり!地方で死ねってのか!」とか自己中心性丸出しの、若者の悲痛な叫びを装った自分勝手な放言みたいなエントリをさあ。
でも普通のリーマン視点からすると斯界の連中は随分とまあラクしてっからなー。そんなエントリまるで書く気にならないなやっぱ。甘酒うっま。
まあ、神道ってのは一言で言えば要するに、穢れを嫌う宗教なわけですよ。でこの穢れってのは、異物と言い換えてもいい。
んで、例えばねー。
まあ神社界ってのも、平均身長がちっちゃい辺りからもよーくわかるように、せっまい世界でみんな知り合いであまり面識ない人にも遠い遠い血縁があったりとかして、そういう隔絶されたムラ社会なわけですよ。
学校に入ってくるのも知り合いばっか。家名を聞けばどこそこの子とすぐわかる。育成機関は似たような血で溢れかえっているわけですよ。
で、そういうところへ例えヨソの子が入ってきたとしても。
少子化やら現代化やらで神社の血族のみで維持し得なくなった斯界としては表向きは拒まないし、基準さえクリアすりゃあ入学を慈悲深くも情け深くもお許し遊ばして下さるんですけどね。
いやぁ残念ながら。これ。あくまでも。表向きだけの。話なんですよねえ。
ヨソの子が、神社について学びながら学費生活費稼ぎたい!と神社バイトに応募すれば、既に申し込み電話の時点からとっても失礼な対応をした挙句、他の子と一緒に面接にきたその子にだけ滅茶苦茶難しい筆記試験を出して答案を見て嘲弄し、その子だけ落とすような真似をする。
で。
バイト落とされたそのヨソの子が、それでも実務に携わりながら必要な費用を稼ぎたい!とめげずに応募を続けて、どうにか採用してくれた神社でバイトしながら学生続けてみれば、まあその神社ってのも他の神社が落とした人材拾うだけの理由があるくらいのボーダーライン上にあるヤバイ場所だったりするわけで、周囲は、何も裏事情を知らずにただ働いてるだけのそのヨソの子を、評判悪い神社の与類と責め立てる。
頑張って勤労学生してるヨソの子は自分がなぜここまで責められてるのかも納得がいかないまま、でも他に神社の勉強しながら働く宛てもないから、選択肢ないから、黙って攻撃に耐えて働き続けると。
奨学金? あぁハイハイたくさんありますよー。斯界はなんたって身内ばかり、学生への支援も充実してますからねえ。
唯一採用してくれたバイト先で費用稼いでるだけで責められるそのヨソの子が、じゃあ、と支給奨学金に応募するわけです。するとどうなるか。
驚いた事に、奨学金の面接の場で面接官からそのバイトの事を責められるわけなんですねー。
生活費学費がないから奨学金応募するのに、その費用を稼ぐ事を教職員学生全員から攻め立てられるから奨学金に応募したのに、お前は奨学金を受けるに相応しくない労働をしていると学校のお偉い面接官数名の前で面罵されるわけですよ。
あ、結局その支給奨学金は裕福な神社の子が貰ったそうですよ。徒歩十五分くらいの学校に400万くらいする車乗って来てたんだけど、学校側から駐車を禁じられたから、その奨学金で単車を買ったそうですよ? 通学楽になってよかったですねー。大事な大事なお金持ちの神社の跡取り息子ですもんねー。おみ足を汚して損なうことが万が一にもあっちゃあいけない。
それだけ耐えて耐えて耐え抜いた後に、得た実務経験が、じゃあ就職の段で役に立つのかっていうとなんとまあ救いのない事に。これが真逆なんですねえ。
ハイ。最初に言った事に戻ります。神道は穢れを嫌います。異物を徹底的に嫌って排除して視界の外に追いやって忘れ去るのが神道なのでございます。
最も有名な祝詞の一つであるところの大祓詞にも穢れをそのように扱うくだりが最後の方に出てきますけどね。まさに言行一致、神社界って祝詞を体現している素晴らしい場所だと思います。
就職にあたっては、その子だけ学校側からの就職支援も非協力的。希望する神社への問い合わせも後回し。むしろ露骨に宮司出張中だのなんだの理由つけてただの求人打診の問い合わせすら二週間放置されるのが連続であったりなんか。「ダメでした♪次頑張ってね♪」て結果を朗らかに聞かされる頃には、もう他の求人はあらかた内定出て、ほくほく顔の子達で溢れかえってます。
そんな事になったらどうするか。
何も推薦されないから、全部自分で決めなければなりません。選択したくない選択肢を選ぶのは自分の手だけで行わされます。
ま、とかく神道は穢れを嫌う。
上の話読んで、「学校やら教育委員会に学校側の不平等を、機会均等付与における不公平性を訴えればよかったじゃないか!」と思う人もいるかもしれませんね?
でもね。
訴えたら、穢れ。
騒ぎを起こしたら、穢れ。
腫れ物に触るように扱われて、のちのち丁重に斯界から排除されるんですねー。
私も業界歴長いですからねー。そういう奴いっぱい見てきましたねー。
「じゃあ神社でバイトしなきゃよかったじゃん」そう思う人もいるかもしれませんね?
神社外でバイトする子はねー。神主にならない率がねー。これけっこう高いんですよー。養成学校通ってる学生がそれじゃ、本末転倒でしょ?
まあこういうケースはただ不幸なだけの話という気もしますがね、しかしこうした大なり小なりの不遇に耐えて斯界に残る神主ってのは相当数いたりするもんなんですよね。
上のような話を読むとこれってよっぽどのレアケースなんじゃね?と思うかも知れませんけど、この手の話は割とありふれた話なんですよ。まあだからこそ書けるんですけどね。
で、なんで色々な目に遭いながら斯界に残る神主が多いかっつう話なんですが、
そこには、もちろん“斯界はヨソよりゃよっぽどラクだから”という根本的な理由もあるわけですが。
その他に、もう一つ理由があるんですねー。
それは…“不遇を是とする”。この真実を、誰にも否定され得ないという事。
いやぁこれに尽きますね。
歴史は巡るだの負の連鎖だの色々ペシミスティックな言い方はあるんでしょうけどね?
つまりはね?
今 度 は 私 達 が 理 不 尽 な 不 遇 を 与 え る 側 に ま わ る わ け で す よ 。
そ し て そ れ は 誰 に も 否 定 で き な い わ け で す よ 。
ケケケケケケケケケ!
――なんて事を、斯界以外知らない若手の連中あたりが大勢で言い出したら、穢れ扱いして対処するのも難しそうなんだがな。
それともこの手の狂信者を伝統と信仰とを継承する純粋な信仰者として扱ったりとかすんのかね。
どうせいずれはお神輿担ぐのはゆとり世代が中心になるんだから、のほほんとしたゆとり世代をムラ社会の狂人どもがキツい洗礼でお出迎えする現状は、やっぱやり過ぎと思うわ。
ゆとりもいずれキレる。
なんであんなに朝から晩まで気に食わない政治家のことを考え続けられるんだろう
そいつの失点になりそうなニュースなら鬼の首取ったように興奮しながら嘲弄コメントを付け
そいつの加点になりそうなニュースなら顔真っ赤にしてなんとか腐そうとし。
その時間と精神的・脳メモリ的リソースを自分の人生に使おうと思わないんだろうか?
あれだけのエネルギーの浪費をたとえば2年やめたら、すごい豊かな人間関係が拓けたり大型の資格が取れたりすると思う。
その2年の間あなたが憎い政治家の監視活動をお留守にしたせいで国政が傾くかと言ったら
この件ね 難波のとらのあなでヘイト本平積み - Togetterまとめ
まず
廃墟/怖音 @haioku
知人が難波のとらのあなでこんなことしてるって教えてくれた(;´Д`)死ねよオタク pic.twitter.com/NBZQdsslvX
この、発端となった@haioku氏について。
この人は元書店員らしいけど、1年ちょっと前にこういうツイートをしてるんですよね。
廃墟/怖音 @haioku
僕はもう本屋じゃないからこんなことを言える立場じゃないが、てめえらがAmazonだの同人誌ショップだのにばっかり金を落としてるから街の本屋は宗教だのネトウヨだのに股を開かないと食えなくなったんだよ。ただでさえ食えねえ書店を見捨てて置いて今さら本屋がおかしいだの言ってんじゃねえ糞が
https://twitter.com/haioku/status/499119511635636224
廃墟/怖音 @haioku
お前らは書店を見捨てたんだから書店が生き残るために糞を食おうが自分の身に火を着けようが関係ねえだろ。それとも書店が清貧を貫いて死んだら満足かコラ。それは特攻を美化する脳足りんどもとなんか違いがあるのか?書店の売り場が酷いって騒ぎたてる前にお前らは書店になにをしたのか考えろ。糞が。
https://twitter.com/haioku/status/499121044507357184
なるほどなるほど、「書店」は「食えねえ」から「宗教だのネトウヨだのに股を開」いてもおかしくないが「同人誌ショップ」は金を落とされてるから「とらのあなは糞」だということなんですかね?凄いロジックですね。とらのあな難波店が経営苦しかったらこの人は意見を変えるんだろうか。「オタク死ねよ」という気持ちが先走り過ぎなんじゃないですかね。
あと、これは別にhaioku氏批判というわけではないんですが、4ヶ月ほどまえに山本夜羽音氏とこんなやりとりをしてらしたんですが
山本夜羽音@「メガ秘書」9.28新作発売 @johanne_DOXA
ヲタだったことで就職が叶わなかったのか?
ヲタだったことで起きた理不尽は「修正可能」だが、その為にどんな努力をした? もしくは「ヲタで在り続ける」ことにどんだけ「誇り」を抱いた?
俺は、キモヲタであることが誇りだもん。全く、後ろめたくない。強いて言えば、内心の劣等感との格闘。
https://twitter.com/johanne_DOXA/status/612587887222112256
廃墟/怖音 @haioku
オールドスクールなオタクだなあ(;´Д`)僕とおんなじだ
https://twitter.com/johanne_DOXA/status/612587887222112256
https://twitter.com/haioku/status/612591726427967488
山本夜羽音@「メガ秘書」9.28新作発売 @johanne_DOXA
そう。オールド・スクール。
しかしニュー・スクールが真実でも救済でもないのだとしたら、抗うしかないのです。
https://twitter.com/haioku/status/612591726427967488
https://twitter.com/johanne_DOXA/status/612592235385741312
廃墟/怖音 @haioku
@johanne_DOXA どうせ僕らは老害ですからね(;´Д`)消え去るならオタクどもに取り憑いた変なのを叩き出してからにしましょう
https://twitter.com/haioku/status/612593365209649152
「朝鮮人虐殺はなかった」はなぜデタラメか
@01sep1923
【報告】「レイシズムへの抗議行動・知らせ隊」からのお知らせです。これまで対外的な発表任務を担っていた山本夜羽音氏が、メンバーから外れることになりました。山本氏が一人のメンバーに対しセクシャルハラスメント行為(身体に抱きつきキスを迫るなど)を犯したことがその理由です。
https://twitter.com/01sep1923/status/662577120854470656)
一体何本何羽音氏のことなんだ………?
えーとですね、オタクとしてオタク批判するのは勿論どんどんやって頂ければと思うのですが、ただ「オールドスクールなオタク」は今のオタクと違ってまともだった、みたいなことだけは思わないでください、ということはhaioku氏に申し上げておきたいと思います。このように「オールドスクールなオタク」が俺らキモヲタは「生かされてる」んだよ。俺ら実際キモいんだよ。妄想の範囲を逸脱して性暴力に至る奴ら許しちゃならんのよ。とか言いながら性暴力に至ってたりするという事実がありますからね。いえ、もちろん一部の人ではあるんでしょうけど、そんなこと言ったらヘイト本を買うのも一部の人ではありますからね。よろしくおねがいします。
余談だけどhaioku氏ってはてなユーザーなんですよね。 http://d.hatena.ne.jp/haikyo/ ぁゃιぃの出身の人で同郷のkyoumoe氏と時々戦ってたりしてた覚えがある。まあ、これは今回の話には関係ないです。
で。
それはそれとして、haioku氏を批判している連中の中にはクズみたいなネトウヨも混じってるし、その点については同情します。なのでその辺のことにも触れておきます。
とりあえず俺の立場を明らかにしておくと
という感じです(なのでhaioku氏を批判はしたけどとらのあながああなってるのを教えてくれたこと自体には感謝しますよ)。さて、
Amazon.co.jp: テコンダー朴: 山戸 大輔, 白 正男: 本
この本のことは知らなかったんですけど。
この商品を見た後に買っているのは?のところに並んでるのが現時点で
よつばとがこの並びに入るの風評被害すぎる……。一緒に買ったの誰だよ。それはともかく、このヘイト本の並びを見た上で上記Togetterのコメント欄の
HINO @desire5225 テコンダー朴は大日本帝国批判、韓国文化礼賛してる作品だったはずだが…俺あんま好きじゃないけどあの漫画
HINO @desire5225 あ、ようやくわかった。テコンダー朴は日本ヘイトだから許さないって意味?なら納得が行くわー
地方妖怪 PGERA @PGERA_RX ところで、テコンダー朴は「テコンドー使いの主人公が悪辣な日本人を懲らしめる」のにどの辺がヘイトなんすかね?
というようなコメントを見るとバカじゃねえの?と思いますね。何が日本ヘイトだよ。
内容紹介
著者からのコメント
思い知るがいい日本の罪の深さを、そして我ら大韓民族の偉大な歴史を!
最強格闘技テコンドーで劣等民族チョッパリ(日本人野郎)を一蹴!!
劣等民族・日本人は反省しろ! 世界最高民族・韓国人を尊敬しろ!
韓流ファンタジー(妄想)を具現化したテコンドー最強伝説の幕開けだ!!
空手・柔道・剣道・相撲・孔子・仏教・漢字・ムエタイ・飛行機……この世は全て韓国起源!?
世界最高民族・大韓民族に全人類の名により心から感謝!
世界文明宗主国・大韓民国に永遠無窮なる栄光あれ!
どっからどうみても韓国人を(皮肉として)disってる本ですよね。
俺はこの紹介文を読んだ時点で「韓国人に対するヘイト本」とみなしたけど
(もうちょっと調べたら http://www.asiae.co.kr/news/view.htm?idxno=2015071711340398027 に
この漫画は盧前大統領の死を嘲弄の種とした。 劇中オ・ムヒョンは日本帝国主義者と対決中頭蓋骨破裂で死亡するのに該当場面が盧前大統領の死亡瞬間を連想させる。 また、ポケットに立ったまま死亡するというあきれる設定では過去盧前大統領が民主平和統一諮問会議で演説した姿をそのまま借用した。 【引用者注: 韓国語をexcite翻訳で翻訳したため正確ではないと思います】
とかあって確信を深めましたが)
「この本はヘイト本」という主張に対して「いや、これは韓国人に対する批判であってヘイトとは違う」と主張するなら、あるいは批判とヘイトを区別することがどこまで妥当かとかそういう方向で攻めるなら、賛同するかはともかく理解はするよ。
でも上でコメントを引用したような連中は「韓国人に対するdis(批判かヘイトかはともかく)である」という点すらワザと無視して「日本人がやっつけられてるのになんで韓国人ヘイトなんだよw」っておちょくりだすわけで、どうしようもないゲスだなあと思いました。
ちなみに、
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/haioku/status/662919309191024640
big_song_bird 大体「テコンダー朴」って、韓国人がデタラメな「韓国起源説」を主張するから、それに対する皮肉なだけだぞw。それすらレイシズムとかw。
このbig_song_birdという人ははてな左翼を「おまエラ」と呼ぶ正真正銘のレイシストなんですが、俺はこの人の上の意見に同意しないけれども、本音を隠してないぶん上のゲスどもよりは幾分上等だと思った。下には下がいる。
以上。
強風が、窓から見える黒黒としたアンテナの塊を大きく揺らしている。それだけでも冷たい風だとわかり、きつい暖房の入った部屋で、小指が凍る思いがする。
12月ももう9日が過ぎた。今年こそ少しでもいい方向へ前進するような気がしていたが、めくるカレンダーはもうないのだ。それはただの願望であり、切なる思いだったと気付かされる。結局はこの1年も、ずっと停頓したまま時間だけが無駄に過ぎていった。
虚無な生活を打破する努力は少なからずした。しないとは誰にも言わせない。だが、知人らには嘲弄されてもしかたないだろう。私はもう、「不幸である自分」が習慣になってしまった。それに耐久がつけばいいのだろうが、ただただ寂しさと悲しみに暮れながら、生きる気力というものを日々失っている。
自分に愛想を尽かし、嫌悪しながら生きていくことの辛さは誰にもわかるまい。もう、虚勢を張ることも、努力することにも疲れ果てた。なにも変わらないのなら、冬眠するかのように、このまま時が経つのを待つだけのほうがまだ救われる気がする。
会話も消えた。笑顔も消えた。高揚など欠片もない。私に残されたものはもう待つことだけではないのかと、窓の外を眺めながら思う。風が去り、春が来ても、私は変わらないのだろうか。ただ、死を待つだけの生活なら、いっそこのまま風に飛ばされてどこか遠くの地に叩きつけられたいと思う。
食欲も皆無だ。生きることへの欲求がない私は、なにかを口にすることさえ苦痛を伴う。このまま餓死したいと思うが、働かなければならないことを考えれば、それさえもできない。心中することも考えてはみたが、だとしたら息子が産まれてきた意味が皆無になってしまう。私は拘束衣を着せられた囚人のように、毎日を無心で過ごすことしかできないのだろう。
そんな1年をまた迎えるのだとしたら、おめでたいどころか葬式にも似た気持ちになる。一秒でもいい。早く死にたい、それだけだ。