はてなキーワード: 編集長とは
自分のまわりのスラングに、「仕事をおごる」というものがある。
腕は悪いが人柄がいいライターに大きい仕事を回し、リライトしたり、間に合いそうにない部分をもってあげたりしてなんとか形にして、ギャラは満額わたす。
ひどいと7割くらい編集が書いている。
当然企画も取材も噛んでいるので、最初から自分だけでやった方が圧倒的に効率がいいが、それでは一生こなせる仕事量が増えないし、自分が頼めるライターも増えない。
なので根気よく育て、頼れる存在を自前で育てる。
ひと昔前のライターは雑誌や編プロで鍛え上げられていたが、今はそういう環境がない。驚くほど人材が育たない。
特にwebでデビューした個人ライターの質の低下が止まらず、ちょっとの下調べも文章の推敲もできない。
本当に卒論を書いたことがあるんだろうか、というレベルで、ごく普通の文章が書けない。
とはいえ、そういう人間を片っ端から切っていてはもはや本が作れないし、人材も育たない。
人を育てる、というのは、要するに「その仕事で食えるところまで面倒を見る」のが業界の慣習なので、
どうにか一人前になったかな、というところで、
ところが、そうやって独り立ちしかけていた若手が、
まったく食えない、と。
紹介したクライアントに聞くと、仕事が遅く、キャパがないのでまとまった額になっていない、とのこと。
16ページそこらのノベルティ小冊子程度を2ヶ月かけて作っていたという。
情けなくて涙が出そうになった。
その倍の量を毎月こなせるようになったと思っていたのに、まったく独り立ちできていなかった。
自分の育て方が悪かったのもあるだろうし、
おごりすぎて彼らの仕事感覚が現状にあっていなかったかもしれない。
ただただつらい。
それでもモチベがあるライターにはなるべく仕事をふっているが、
申し訳ないが、いつまでも仕事をおごっていてはこちらの身が持たない。
最初から戦力を計算できる、野生の一流ライターを発掘するか、すでに実績十分のライターに依頼するのが当然。
やる気があるド素人をプロのライターに育てるのが時代錯誤なんだろうな、とさみしく思う。
老害まるだしの回顧で恥ずかしいが、
昔はそんな二流三流の人材でも、
泣いたり笑ったりしながら何日も編集部に泊まり込んで一緒に仕事をして、
仕事がハネたら朝まで酒を飲んで、みんななんとかいっぱしの書き手になっていた。
そうして自分のもとから骨のある文筆家が出ていくのが本当に嬉しかった。
たぶん、もうウチのスタッフがそういう経験をすることはないだろう。
沈みゆく船だとわかっていながら、自分はこの業界に何の爪痕ものこせなかった。
自分が見捨ててしまった、廃業していったライターたちは、どんな気持ちでこのニュースを聞くだろう。
すでに傾きつつある自社を立て直せる自信はまったくない。
売上はそれなりには立つだろう。
大金を積んで実績のあるライターに依頼し、クライアントの意のままに体裁だけを整えた誌面で。
ライターやデザイナーを育て、また自分も育てられた、成長の実感に満ちた本作りは、
こんな泣き言は社内では口にできないので、
こんなたくさんの人に読んでもらえるなんて思わなかった。みんなありがとう。
ただ、なーんも読み取れてなくて脊髄反射で「うるさいうるさーい!新しいの!すごいの!これからは縦なの!老害は黙ってて!」ってお怒りな人も中にはいるねー。やっぱりウェブトゥーンばかり読んでると読解力が落ちるのかな?wで、あなたのおすすめは何?「知らんけどまだ新しいからこれから出てくる」なんて言い訳は通用しないよ。もう答えは出尽くしてんだよ。ウェブトゥーンの歴史舐めんな。いいから原点にして頂点のsnowcatを読め。
あとね、ごめん!「ピッコマの社長が言ってた」ての嘘だったかも。読んだ記憶があるんだけどソースが見当たらん。自称詳しいオッサンの話を鵜呑みにすんなって話が、そういうとこだぞになっちゃった。反省。しかし明らかに翻訳されてない作品があるのは本当。国ごとに翻訳されてるされてないにバラツキがあるのも本当。興味がある人はnamuwikiの書式が読みやすい。例えばこれとか人気あるみたいなんだけど、中国語翻訳しかない。
https://namu.wiki/w/%ED%94%84%EB%A6%AC%EB%93%9C%EB%A1%9C%EC%9A%B0
こっちはサッカー漫画。なんとインドネシアと南米というよくわからない組み合わせ。面白くない!?
https://namu.wiki/w/%ED%83%91%EC%BD%94%EB%84%88
最後に韓国の人による「最近のウェブトゥーンがつまらない理由」というタイトルのウェブトゥーンを引用して締めたいと思う。みんなありがと!
https://m.ruliweb.com/best/board/300143/read/57085857
(以下本文)
日本が、世界が、連日HUNTER×HUNTERやベルセルクの帰還で大盛り上がりだ。そんな中、今でも必死に「ウェブトゥーンが世界を席巻している!」と信じたい奴らがいる。はいはいご苦労様。大丈夫、その苦労ももうすぐ終わる。君らへのレクイエムとして、何が間違っているのかひとつひとつ噛み砕いて教えてあげよう。
これはよく知られた基本中の基本だが、韓国でウェブトゥーンという形態が生まれたのは、韓国の漫画業界が一度崩壊したからだ。彼らはあの焼け野原から這い上がって来たからこそ、今がある。この基本すらわかっていない連中はお話にならない。ハングルと間違えてハンガリー語でも勉強してきたのか?釜山港へ帰れ。
「いや日本だって出版不況が叫ばれている。この混沌の時代、海の向こうからやってきた黒船に勝機を見出すのだ!」…なんて号令が効いたのはコロナ前まで。もう古い。むしろ今、稼ぎどきに稼がないでどうする?
電子を含めれば、今は始まって以来の大漫画時代。読むものが多すぎて困ってるくらいだ。苦しいのは小説や雑誌。今引っ張りだこの漫画家様がウェブトゥーンなんかやる必要どこにもないのだ。
…おや?そういえばウェブトゥーンには食うに困ったラノベ作家が原作者として大量に流入しているんだっけ?
日本の漫画は本屋に行けば読める。昔はこれが当たり前だった。今はどうだろう?みんなが自分のプラットフォームに読者を呼び込もうと、広告やSNSに大忙しだ。人気の漫画なら、僕ヤバのように勝手にトレンド入りするけどね。
ではウェブトゥーンの本場韓国では、ウェブトゥーンはどこで読めるのか。これがなんとPCでは「NAVER」などの大手ポータルサイトで読めてしまうのである。毎日のようにアクセスするトップページに「今日のウェブトゥーン」が並んでいたのだ。否が応にも目につく。あの頃は、誰もがPC房(韓国式ネットカフェ)の横長ディスプレイでマウスホイールをカリカリしながら読んだものだ。PC房でやる事といえば、スタークラフトかミニホムピかウェブトゥーンという時代。見開きの漫画は貸本屋か、違法ダウンロードで読むものだった。ちなみに「今日のウェブトゥーン」は、ドラマ「重版出来!」の韓国版リメイクのタイトルでもある。
さすがにスマホの時代になって、スマホ版では1段階深い階層に落ち着いてしまったけどね。もうすっかりアプリへの移住が定着したということだろう。その点Yahoo!Japanは頑張ってるな。
検索ポータルサイトのトップページからすぐ読むことができ、しかも各話にはコメント欄がついており、いいところで次週へ続くことを嘆いたり、推しの尊さに昇天したり、気に入らないヒロイン(「神之塔」のラヘルなどが嫌われキャラの代表格だろう)を叩いたりするファンらで賑わっている。
これって何かに構造が似てないか?はて…そう!おなじみ「ヤフコメ」である。
もはやまじめにニュースを読むためにヤフーニュースを読むという人もなかなかいないだろう。お目当てはあくまでコメント欄。ニュースをダシに、ああでもないこうでもないと雑談をするのが楽しいのである。
ウェブトゥーンは雑談の「お題」としてうまく機能している。盛り上がる仲間もいないのに、話のタネだけ投げて寄越されたってつまらないだけ。ウェブトゥーンは、井戸端会議の「井戸」なのだ。
「その井戸が日本では多すぎて客の取り合いになっている。ひとつに統一してほしい。ひとつの井戸でいろんな出版社の漫画をまとめて読めるのがピッコマやLINE漫画だった。だから成功したのだ。日本も韓国を見習え」
これは一部は確かに正しいだろう。しかし、乱立しているのは韓国だって同様である。NAVERウェブトゥーン、NAVERシリーズ(なぜふたつあるのか謎だが、たぶんこちらは完結作品がメインのようだ)、カカオウェブトゥーン、カカオページ(これもなんで分かれてるのか謎だが、たぶん元々ダウムウェブトゥーンを買収してできたサービスなのでその残滓か?)レジンコミックス、ポスタイプ、リディブックス等ざっと思いつくだけでもこれだけある。考えることは皆同じだ。
見開き漫画のゴールはどこだろう。憧れの雑誌に名を連ね、単行本が本屋に並び…その中でも、アニメ化はやはり別格だろう。鬼滅がアニメ化で化けたのは記憶に新しい。
さて韓国国内におけるウェブトゥーンのゴールといえば、それはもちろんNetflixドラマの原作であろう。しかもそれが全世界に配信される。実写しか勝たん。だって陽キャだもん。
では日本のウェブトゥーンはどこを目指せばいいのだろう?「韓国ではドラマ化されていますよ、世界進出ですよ」と夢を語るばかりで、具体的な目標が出てこないのだ。単行本化さえままならない。まさかかつての栄光を失った日本のドラマ制作会社に期待しているわけではあるまい。頑張ってコツコツ描いていれば、韓国からイケメンプロデューサーが来日してきて、Netflixで配信してくれるとでも言うのだろうか?
それはさすがにウェブトゥーンの読みすぎだろう。ちなみにSPY×FAMILYは見開き原作のアニメだが、全世界で配信されている。アニメならWIT STUDIOがウェブトゥーンやるらしいので、それに期待か。
ただひとつ思い当たるとしたら「ウェブトゥーンで注目を集めたのち、見開き漫画に転向する」パターンである。狙ったわけではないのだろうが実際に今「タテの国」の田中空が「ドラゴンの子」を、「氷の城壁」の阿賀沢紅茶が「正反対な君と僕」を連載している。なんとも夢のない話ではあるが、ウェブトゥーンというだけでも珍しい今、目立つための有効な戦術のひとつとして覚えておいて損はないだろう。なおどちらのウェブトゥーン作品も、単行本化は難しいようだ。ジャンプブランドをもってしてもである。
氷の城壁はともかく、タテの国は演出が縦型に特化しすぎており、本宮ひろ志「新グッドジョブ」のようにページを半分に分割するか(それでも入り切らないコマがありそうだが)、いっそゲーム(サウンドノベル)化でもしないとソフト化は困難だろう。結局縦ならではの演出なんて正直者が馬鹿を見るだけで、単純なコマ運びの方が単行本化=マネタイズしやすい。クソである。
じゃあなんで「あのジャンプの!Dr.STONEの!」Boichiの話ばっかで、尹仁完の説明が「知らんけどLINE漫画のCCOの人らしいよ」止まりなんだよ。尹仁完といったらあの「新暗行御史」だろうがっ!しかも公開されたイラスト、衣装のピタピタ具合とかどことなく山道ちゃんに似てるよね?
どうせDr.STONEも子供のクラスで流行ってたか何かで聞きかじっただけなんだろうな…。サンケンロックすら知らないんじゃねーの?少年誌では書けなかったバイオレンスとエロスの大爆発が期待できるけど。ほんっと金の話しかしねえのな…。
なんか、コロナで韓国行けないからか「ぼくの考えた最強の韓国」像が蔓延しててすごい怖い。そもそも「ウェブ」トゥーンなんだから検索すればすぐなんだが。
じゃあアニメ見せとけ。色ついてんぞ。大体ソースどこだよ。どの国のどの出版社のどの編集長のご意見なの?何時何分何秒?え、そこら辺の読者の感想?話にならない。でカラーにしたら飛ぶように売れたの?数字は?リクープした?
いやさ、読めよ。まず。面白いウェブトゥーンを夢中になって読めよ。毎日何本でも読めよ。そっからだろ。まさか読んだ事もないのに描こうとしてんの?サロンか何かで描かされてんの?ていうかさ、ジョジョ読んだ事ある?本当に興味がある人は、「興味ある」なんて言わねーんだよーッ!
お前みたいなめんどくさいオタクはターゲットじゃないんだよ。ウェブトゥーンの客層はそんな細かい事気にしてない。なんならカタカナ多すぎたら難しくて読めないしな。彼らは六本木クラスが日本の漫画だと思っているし、問題なく楽しんでいる。
っていうか昔から韓国では日本の漫画をがっつりローカライズしてたから惰性で続けてるだけだと思うけど…
韓国では確かにそう(一般名称)なんだけど、実は日本ではNAVERが商標登録しちゃってるんだよね…。だから「スマトゥーン」だの「タテスク」だの名称が乱立しちゃってるんだろうな。まじめなとこほど避けるだろうし…。
K-POPみたいな「みんなで一丸となってこの文化を盛り上げていこう!」っていうわかりやすい愛称がないと、なかなか広まっていかないと思う。こんな足の引っ張り合いみたいな事をやる界隈に、未来なんてねーわ。
あと韓国の特に若い人の場合はどんどんウェブトゥーンと漫画の境界が曖昧になってて、TwitterとかInstagramの横にスライドするひとコマ漫画でもウェブに載ってれば全部ウェブトゥーンでよくね?何が違うの?って人も普通にいる。何回も言うけど、東村みたいな自称詳しいおばさんじゃなくて現地の情報に当たれよなー。こんな増田をシコシコ読んでる時点で期待出来んが…。
それがウェブトゥーンも結構勝手にコピーされて翻訳されてロシアとかで大量に出回ってるらしいんだよなー。スクショ禁止だったりするけど完全じゃないんだろうね。ちょっと韓国のウェブトゥーン作者をウォッチしてたら「きちんとお金出して買いましょう!」みたいなツイート頻繁にしてる。どこも大変だのー。
な、ナンダッテー!!
…あ、あのさー。韓国ではもうウェブトゥーンが登場してからもう20年くらい経過してんだわ。
そんな漫画が読めない子供が増えてるだとか、全然売れないなんて話聞いた事がねーんだよ!!
というか学歴社会の韓国では子供に大量の学習マンガを買い与える風習があるよ。カラーだけど、普通に紙の本だよ。WHY?シリーズなんかは日本語訳もされてる。
むしろ先程も書いたようなウェブトゥーンアプリで韓国語に翻訳された日本の漫画がバラ売り課金でサクサク読めるんだわ!!
な?むしろウェブトゥーンに飽きた韓国人が昔の漫画を読むっていう好循環が生まれてるまであんの。ハングル読めないバカでもONE PIECEやSPY×FAMILYやH×Hくらい検索できまちゅよねー?怪しいおじさんに教えてもらわなくたって現地の評判わかんだろ?手に持ってるスマホは飾りか?
なんで遅れてるだの終わりだの言うくせに、「先進国」で実際に起きてる現象は都合の悪いところだけ隠して脅すような事ばかり言うんだろうね〜?あれれ〜?
うーん、なろうっぽくないウェブトゥーンも韓国にはたくさんあるんだな。ピッコマの社長が言ってたけど戦略的にジャンルを絞って翻訳してるだけで。フランスだのインドネシアだのあちこちに輸出してるみたいだけど、恐らく国によって「ウェブトゥーンって◯◯ばっかりだよね」というイメージは違うんじゃないか?
例えば、日本でいうコミックエッセイジャンルなんかはウェブトゥーンでも人気がある。ただただ一人暮らしを楽しむだけーとか、猫飼ってるだけー、作者がいろんな料理に挑戦するだけー、とか。そもそもウェブトゥーンの黎明期はそれらが主流だった。個人ブログに描いた絵日記のようなもの。つか、だから縦スクロールなんだわ。
あと、なろうっていうか韓国のなろう小説が原作だったりするのは本当。韓国にもなろうみたいな小説サイトがあるんだよね。これだけウェブトゥーンが普及してる韓国でもやっぱり文字で書かれた小説を読みたいってファンはたくさんいるし、ウェブトゥーン版から入って続きが気になるから原作小説を先に読んでしまうファンだってたくさんいる。いい循環が生まれてる。ってこの話さっきもしたな。
なろう系のウェブトゥーンはドラマ化も難しいしねー。職場のイケメン上司と契約結婚しますみたいなのは根強い人気。なろうっていうかハーレクインに近い?
うん、バレエがテーマの漫画も、高齢男性が主人公の漫画も、男性が女性的とされていることに挑戦する漫画も、ここに書ききれないくらい大量にあるけどね!
ドラマ化するのは珍しい?日本に勝った?じゃあ漫画業界ではなくドラマ業界が見る目ないんじゃね?バレエできる男性俳優も少ないだろうし。NHKの深夜とか結構変な漫画原作のドラマあったりするけどな。ああいうのをNetflixで配信してほしいもんだわ。
あとアイズナー賞って日本の漫画もたっくさん受賞してるからね。ノミネートされたのはすごい事だけど、そんな前人未到の快挙みたいに言われても正直困惑するわ。
でも漫画がアジア全体で盛り上がって、ライバルが増え、切磋琢磨できるのは本当に素晴らしいことだと思うよ。正直な気持ちだよ…。
これなんなんだ?多すぎ。マジで気持ち悪いんだが。文章に残すとなんか不都合なことでもあんのか?ほんとサロン界隈と親和性が高いっつーか…
疲れた…。
結局「いいからその世界を席巻しているバチクソ面白いウェブトゥーンとやらを屏風から出してくれよ!」の一言に尽きる。俺レベはつまんなかったから他のね!
以上!おわりっ
あー宝石の国楽しみだー
いつもcakesをご愛読いただき、誠にありがとうございます。
これまで多くの方々にご利用いただいてまいりましたが、2022年8月31日をもってcakesのサービスを終了することとなりました。
日頃よりご愛読いただいているみなさまにおかれましては、突然のお知らせとなりましたことを深くお詫び申し上げます。
cakesは2012年よりサービス開始し、読者とクリエイターをつなぐサイトとしてインターネット上でコンテンツを流通させる新しい市場になるべく運営を行ってまいりました。約10年にわたりサービスを運営してこられたのも、クリエイターのみなさま、ご愛読いただいた読者のみなさまのおかげです。心より感謝申し上げます。
有料会員のみなさまには、一定期間無料でご覧いただけるようにしますので、その間にバックナンバーもお楽しみいただけましたら幸いです。
今後は、当社のミッションである「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」に沿って、cakesで培ったノウハウを活かし、プラットフォーム事業のnoteをつうじて一層クリエイター支援の強化を進めて参ります。
cakesサービス終了まで残りわずかとなりますが、最後までご愛顧いただけますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
榎本紗智
Bing キャッシュから拾ってきて deepl に突っ込んだだけ、多分名前とかに誤字がある
本家 https://www.mid.ru/ru/foreign_policy/news/1811646/
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04.05.2022 11:37
954-04-05-2022
岸田内閣は、ロシア連邦に対する誹謗中傷や直接的な脅迫などの容認しがたい暴言を用いて、前代未聞の反ロシアキャンペーンを展開している。彼女は、公人、専門家、日本のメディアのメンバーから、わが国に対する西洋的な態度にすっかり染まっていると言われる。この方針に沿って、東京は、善隣関係を解体し、ロシアの経済とわが国の国際的地位を損ねることを目的とした実際的な手段を講じているのである。
上記、日本政府による政府高官を含むロシア国民に対する個人的制裁措置に鑑み、以下の日本国民のロシア連邦への入国を無期限で禁止することを決定しました。
現代日本のフェミニズムは、傷ついた人間が慰め合うセラピーの看板のような機能を持っていると言える。
弱者が慰め合える駆け込み寺、いわばフェミニス堂があること自体は良いことだ。
エンパワメントやシスターフッドという自己肯定を重視した精神的な言葉が最近人気なのもその一環かもしれないし、そこまで前向きな気持ちになれないからとにかく苦しみや怒りを吐き出させてくれという層だって駆け込み寺には居場所がある。
だが、「セラピーとしてのフェミニズム」と「学問や言論としてのフェミニズム」が分離されていないために、言論としてのフェミニズムの信頼度が著しく弱まっている。
セラピー面も学問言論面もひと固まりだから、フェミニストはメンヘラだとか、他人の幸せを許せないだとか、ミサンドリストでセックスヘイターのジェンダークレーマーだとかの批判に繋がってしまっているのだろう。
私自身も精神疾患持ちなので、精神が弱っていることを批判する気はないのだが、セラピー的な語り合いと、学問的討論がごっちゃになっている状況は大いに問題視している。
(追記:↑ここで私の精神疾患に言及したのは、私も議論の場で当事者性を武器として使おうという態度でよくなかった。反省する。)
本稿で主張するのは、「冷静な研究者としての立場」と「傷つき怒れる当事者としての立場」は、兼任すると問題が生まれるのでどちらか片方だけの立場に立つべきだ、ということだ。
たとえ学位や免許を持っていても、冷静になれない話題については傷が治っていない当事者だから、理論と議論を使いこなせる研究者ではなくあくまで苦しむ当事者個人として発言した方が良い。
本論前に、何がOKで何がNGかおおざっぱに切り分けておこう。
フェミニズムという看板のもとに、傷ついた人々が集い、辛さや怒りを語り合い共感しあい心を癒そうとする様子は、当事者会に近い。
当事者会自体は、様々な依存症や障害、事故被害者などについて行われており、有用なセラピーと言っていい。
だが「セラピーとしてのフェミニズム」の問題は、当事者会で癒される患者と、当事者会を監督したり理論を語る研究者がかなり重なってしまってるということだ。
要するに、当事者として治療を受けるべき傷を抱えたままの人間が、セラピスト役と教師役もやってしまっているという問題が、「セラピーとしてのフェミニズム」にはある。
だが、SNSのそこら中で行われている「セラピーとしてのフェミニズム」当事者会の多さに比べて、監督できる冷静な研究者は全く足りていない。
普通の当事者会やセラピーは、福祉や医療や心理の専門家によって研究と理論化がされ、社会に対して有用性が主張され、会の時にはその場にいて見守ったりもするはずだ。
傷ついた当事者たちの語りは、しばしば自己中心的だったり理屈が通ってなかったり乱暴だったりするが、それは回復に必要な心の解放だ。
それがそのまま社会への要求として世の中に出されたりはしないので、当事者会で語ったことが間違ってるなんて責任を問われることもない。
客観的な専門家が当事者たちの感情吐露を分析して理論化した上で、必要な部分は社会に訴えるようになっている。
だから、普通の健全な当事者会セラピーは、傷ついている当事者が冷静さを求められたりはしないし、当事者がヤバいことを主張していても研究者の評価が下がることもない。研究者が監督しているから当事者同士の会話が先鋭化するエコーチェンバーも防げる。当事者の要求は研究者が整理したうえで一般社会に伝えるので、外部の一般人が当事者の過激すぎる主張を直に聞かされて悪感情を持つこともない。
全てが完全に徹底されているわけではないが、それでも、当事者会セラピーで語り合う患者とそれを監督する研究者の間に線が引かれていることで、ある程度は弊害の抑制ができている。
しかし、「セラピーとしてのフェミニズム」では、患者、監督者、研究者の区切りが曖昧になりやすいので、普通の当事者会セラピーでは減らせる弊害がモロに発生しているのだろう。
たとえばフェミニストが「トーンポリシングはやめろ」と主張したことに対し、「議論や説得において言い方ってのは大事だろ」と反論されているのをよく見るが、あれも、内輪の癒しセラピー的な感覚と対外交渉議論の感覚がごちゃまぜになっているせいだ。
「私はいま苦しすぎて言葉を選んでいられないのでセラピー患者として気持ちをぶちまけてるんだからトーンポリシング(言い方警察)するな」、という話なら真っ当である。
「私は冷静を保ち、言い方や内容にしっかり気を使うから、議論として発言を真面目に聞いてくれ」、というのも真っ当である。
だがそれを同時にやろうとする、「自分はセラピー的に感情をぶちまけるが聴衆は真面目に聞いてくれ」というのは無法な要求だ。
せめて、セラピーを監督する冷静な研究者に向かってぶちまけて、その研究者が理屈の通らないところを補助し冷静な言い方に直して議論の場に持っていくという形にしなければいけない。
なのにフェミニズム議論では、何もかも一緒くたになりがちである。
臨床心理士やカウンセラーや看護師助産師になりたがる人間はしばしば自分が精神不安定を抱えているというのは、統計はともかく実体験としてはよく聞く話である。
博物学系でも、たとえば動物学者はだいたい動物好きで、心情的には動物を保護したがるだろう。
だが、そこは資格団体ががんばってたり教育だったりで、臨床心理士や精神保健福祉士はある程度の信用をしてもいいだろうとなっているし、動物学者も後先考えない動物愛護活動をする人は目立ってないわけだ。
むしろ、愛護派の過激な主張の角を取って一般社会的に可能な動物保護のやり方を訴えたりしていて、それはまさに、感情的になりがちな当事者の語りを、研究者が自分のところで一度止めて丸めて社会に伝える、当事者会に対する医療や福祉関係者の立場と近い。
だから、臨床心理士や動物学者などの学問的信用はまあ保たれている。
ところがフェミニズムや一部社会学は、理論家や研究者が、傷ついた当事者と同一人物だったり肩入れしすぎたりするせいで、冷静な監督者のいないまま野良セラピー的な語りあいを続け、当事者の悲痛な心情吐露ではあるがそのまま社会に要求するには妥当性に欠ける内容が研究者の学問的立場から主張されてしまっている。
フェミニストはメンヘラだとか他人の幸せを許せないだとかミサンドリストでセックスヘイターだとか言われてしまうのはこのせいだ。
それにもかかわらずフェミニズムの大義名分が世界中で力を持ち、フェミニストの要求の内容を精査して妥当性が十分な時だけ応じますという態度は悪だと指弾されるのが、本当に良くない。
ここで断言しておくが、メンヘラも、他人の幸せを許せない人も、ミサンドリストもミソジニストも、セックスヘイターも、楽しく生きてよいし好きに発言してよい。当事者会で同病相憐れむのだって、傷ついた人間には大切だと思う。
過激な思想やトラウマは緩んだ方がいいとは思うが、それもあまりに大きな加害に繋がらないのであれば自由だ。
ただし、その好き勝手な発言暴言はあくまで傷つき冷静さを欠いた人の胡乱な言動として生暖かく聞き流されている方が、周囲にとっても当人にとってもよいはずだ。
弱者の声は社会から無視されるべきではないが、そのままでは妥当性が低いので、客観的な研究者が集積して適度に理論化と穏健化した上で世の中に訴えるべきだろう。
フェミニズムが、弱者に肩入れしようとするあまり病んだ当事者発言をそのまま重用したり、著名な研究者が「冷静さを保つために私の当事者としての感情を一時的に抑えよう」という努力をおろそかにしているのは、誰にとっても不幸である。
辛すぎて悲鳴を上げざるをえない当事者と、冷静で他者と対話可能な研究者の弁別は、完璧でなくとも努力する価値がある。できたぶんだけ弊害が減るはずだ。
一つ、わかりやすい事例を挙げる。
フェミニズムやジェンダー学周辺で、セラピー的機能と学問・言論的機能が混在することの弊害を私がはっきり感じたのは、朝日新聞運営の『かがみよかがみ』である。
『かがみよかがみ』は読者投稿エッセイをメインコンテンツとするWebサイトだ。
「私のコンプレックスを私のアドバンテージにする」とか「私は変わらない、社会を変える」とかをコンセプトにして、女性の自己肯定感の爆上げを目指すメディアであることを謳い続けている。
18~29歳の女性からのエッセイを募集して、編集部がチェックして載せている。著名人や契約コラムニストの連載もある。
そして投稿者を「かがみすと」と呼び運営ボランティアを「ミラリスト」と呼んで連帯感を出し、若い女性同士で肯定しあえるコミュニティを作ることも意図しているようである。(かがみすとは今もしっかり使われているが、ミラリストはTwitterで検索してもほぼ出てこないので今も使われてるかは外部からは謎)
二年くらい前に数回燃えたが、扱っている内容の割にはてはで話題になる回数は少ない気がする。はてなとは読者層が違うのだろう。
上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」 | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/12881008
フェミニストでも、守られたい。フェミニストだから、守りたい | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/13432941
これの上の記事に関わっていたコラムニスト(かがみすと)が、謝罪をしつつかがみよかがみを批判したnoteを全三回書いていたのだが、その第三回と、そこから辿れる記事類を読み、フェミニズムがセラピーと言論を区切らずやっている弊害はあるな、と強く感じた。
上野千鶴子氏座談会のセックスワーカー差別炎上とかがみよかがみコミュニティの雰囲気について(下)|滝薫
https://note.com/hannnahkuku0819/n/n6514127ed85a
私はこれを読んだ時、伊藤編集長があらゆる批判に応じないのもわかる、といっそ清々しささえ覚える形で納得してしまった。「セーファープレイス」を構築しようとして、内部を守っているのではないかと思った。
(略)
『かがみよかがみ』を必要としている利用者はいる。それはわかっている。私も、エッセイを投稿した後の”共感”と”褒め合い”によって自信がついた一人であることは変えようがない事実である。その価値を認めていても、『かがみよかがみ』の未来に不穏さを感じてしまう。
『かがみよかがみ』が目指すのは、あくまで女性の自己肯定感の爆上げである。正しさではなく、自己肯定感である。
それも、明言はしていないが18~29歳の女性だけを狙っているだろう。
若い女性たちがエッセイで悩みを語り合い、書き手同士のSlackか何かでも褒め合い、お互いが何を言っても原則として批判しないし自虐もしない。まさに当事者会でありセラピーのやり方である。
フェミニズムやジェンダーなどの内容が多く扱われているが、それはあくまで自己肯定感爆上げの道具なので、理論的な正しさを保とうとして心が苦しくなってしまうようなら、正しさを追求しなくてよい。
エッセイ投稿の年齢制限も無い方が「正しい」のはわかってるだろうが、年上の説教エッセイや愚痴エッセイが載ってるサイトは鬱陶しくて気持ちよくなれないという若者の本音を慮って、微妙な理屈をつけて年齢制限をかけていると思われる。
投稿者をかがみすとと呼んで内輪感を作るのも、その繋がりで孤独が癒える人がいるからである。そういう内輪感にウエッとなる人もいるだろうが、そのタイプの人は他のどこかで癒されればよいというスタンスだろう。
伊藤あかり編集長のモットーらしい「全ての人を満足させようと思ったら、一人も熱狂させられない」とも合致する態度だ。
傷ついた若い女性のために、正しさではなく自己肯定感爆上げを目的とした当事者会セラピーの場があること自体は、良いと思う。
だがそれが、朝日新聞運営メディアとして広くネットで広告され、上野千鶴子や石川優実を企画に呼び、ヒコロヒーなどの連載があり、エッセイ投稿者もジェンダー学やフェミニズムで多少の理論武装をして識者っぽい人もたまに言及するとなれば、そこはもう言論の場となってしまう。苦しい内面を安心して吐き出せる、責任を負わなくていいし怒られもしないセラピーの場としては相応しくない。
なのに、そこが曖昧に混ざった立場で『かがみよかがみ』の文章は発表され続けている。
そして、これは、インターネットにおける様々なフェミニズム活動についても近いことが言える。
最後にもう一度まとめる。
傷ついた当事者同士が慰め合うセラピーの看板としてのフェミニズムと、冷静さと客観性を保つ学問や研究としてのフェミニズムは、分割しておく必要がある。
現在の日本では、セラピーの場としてのフェミニズムと、学問としてのフェミニズムが、ごちゃごちゃ混ざっている。
心が乱れてフェミニズムセラピーを求める患者と、冷静であるべきフェミニズム研究者が、ある程度重なってしまっている。
この状況を解消しないと、世の中の幸せにはつながらないだろう。
偶数月の末日頃発売。電子版は基本的に翌月の10日前後に発売なのだが、今回は4日発売と、いつもより早かった。今回も私の推し作家・座裏屋蘭丸先生はお休みだ。ひぃん。しかし『Daria』で連載中の『コヨーテ』が佳境なので仕方ない……。再来月まで待てがんばる……。
そして今回は前号で最終回を迎えた、『 鴆(ジェン) 天狼の目』(文善やよひ)の記念特集が紙本版にはドドンと入っているはずなのだが、電子版には文善やよひ先生のコメントまでひっくるめて一切掲載されていない。悲しい。なんでそんなに電子派を冷遇するの……。Canna公式Twitterによれば、特集記事のほかに各鴆シリーズの第1話も一挙再掲載されているらしい。
鴆シリーズは獣人(鳥人)ものという、BLの中でも特殊なジャンルではあるけれども、とても漫画の上手な作家さんの描いた漫画で読みやすいので、BL初心者とジャンル不問で漫画好きの人におすすめ。個人的に好きかと問われると、微妙なのだが……(単純な好みの問題)。
ということで、 鴆特集は電子派の私には読めないので、それ以外の掲載作の感想をば。
新連載きた! バンドマンBL。主人公が性的なトラウマ持ちでしかも感性が周囲とズレていて浮きまくる系の人。ゆえにすっかりメンヘラに成長しており、おそらく攻めであろうバンド仲間(ベース担当)に面倒を見られてなんとか生きてる感じ。
1話目なのでなんとも言えないが、バンドマンBLというと『ギヴン』という超人気作品の存在がよぎるので、チャレンジャーだなと。
去年の暮れ辺りに完結した『ヤクヨメ♂』のスピンオフ作品。ヤクヨメ♂の攻め・いわおの子分的な人のツレが主人公。タイトルは主人公の職業が漫画家であるためにバクマンみたいになったようだが、かといって主人公がちゃんと漫画家稼業に励んでいる描写があるわけではない。カップリングが替わってもなお、作者の例のあの性癖をてんこ盛りに盛った内容である。まあ幸せそうでなにより♂♂♂
読み切り。パン屋×米屋の幼なじみBL。エロはない。ピュアラブ系。絵柄が『この世界の片隅に』のこうの史代先生的なふんわり系で、ストーリーにも尖ったところはない。最初から最後まで可愛くほわほわしていた。たぶん、二次創作でしかBLを知らない人の漠然と思う「BLってこんな感じ」に近いんじゃないかと。なごむ。
逃げる相手を追うのが好きな男×逃げ癖のある男。あ、攻め受けこれで合ってるかな?
前編から間が空いてしまったので、どんな話だったっけな……。出来れば短い話は毎回掲載されるといいんだけど、BL読みにおいては短気は損気だ。
絵柄がリアル寄りでがっつりと大人の男同士のゲイものって感じ。
フラッととんずらをこく方もこく方もだが、昔とった杵柄とコネで相手の居場所を特定してくる奴もだいぶヤベェ。もはや犯罪だし。でも追う方からはターゲットはびびりながらもちょっと嬉しそうに見えたらしい。うん、それって幻覚じゃないかな。
今となっては一般ジャンルでも大人気小説家でBL小説家でもある凪良ゆう先生の人気作品のコミカライズ版。世間知らずの坊っちゃん医者×詐欺師。
毎度思うけど、凪良ゆう先生の小説は大部分が心理描写に費やされているし、分かりやすくてノリのいい文体が魅力なので、それを絵で見せられてもなぁ……という感じ。いくら上手い絵でも。凪良ゆう先生の小説が好きだが『積み木の恋』は未読の私としては、ただ原作を読みたくなるだけ。凪良ゆう先生を全く知らない人が読んだらどう思うだろうな? 一読してスルーかな。
まあ、コミカライズ担当の漫画家が悪いんじゃなくて、いくら出版不況で小説が売れないからってこんな企画立てちゃう編集部がよくないんだ。
『 鴆(ジェン)』特集は冒頭に書いた通り電子版には載っていないので、省く。
ゲイカップル・いまぢとほづつみの家に猫に擬態した宇宙人のサンが転がり込んできて、地球侵略の為の情報を得るためにいまぢとほづつみの暮らしを観察しているという話。
痴話喧嘩回。今回はサンの出番が多くてよかった。自転車をこぐいまぢの後頭部に貼り付いているサンの後ろ足がとってもキュート。サンは中身が宇宙人なだけあって人の心を解さないかと思いきや、人間の夜の営みをガン見で観察した結果、恋愛アドバイスができるまでに成長してしまった。すごい猫だ。釈迦に説法感のあるアドバイスだったけれど。
ラストの引きが強い。これは続きが気になるぞ……。
旅人×猫耳獣人。旅人のオルは癖の強い城塞都市国に入国するなり引ったくりに遭い、無一文身元不明人になってしまう。なり行きで働くことになった、猫耳獣人ばかり売っている娼館で、美しい娼夫アコニと出逢う。
ハーレクインのような美麗な絵とストーリー。しかしBLである意味がもはやなくないか? というほどに娼夫達の見た目が女性的。
今回はあまりストーリーに進展がなかったな……。オルが重大な決断をしただけで(それが「進展」というやつなのでは?)
サイボーグ×人間。酸素濃度のやたら高い星に来た元軍用サイボーグが、植物の調査研究をしている人間の護衛だかお守りだかを担当する話。
もはやハードボイルドの可能性はすっかり消し飛んでしまった……。人の心を薄くしか持っていないサイボーグが、ワンコキャラな人間に恋してしまい、誰が見てもほわほわと浮わついているという話。これは温かく見守るしかない……。正直、もっと渋いのを期待してたのだが。山なしオチなし意味なし略して「やおい」まさにこれ。
オメガバース作品。政略結婚と人身売買の中間みたいなカップルなんだけど、買った方の攻めは受けの事を好きなわりに受けの愛を信頼してはおらず、買われた受けの方は実は真っ直ぐ攻めを愛している。猜疑心故に素直になれない攻めと、惚れた弱みで腹を割って話すことが出来ずに攻めの顔色をびくびく窺い続ける受けの、ディスコミュニケーションぶりが、読んでて非常に辛い。
現代的な人権意識と家庭内の前時代的な価値観による閉塞感のギャップがえげつない。ていうかこれ完全にDVじゃん。受けの人全力で逃げて!
……と思うんだけど、逃げねんだよなぁー。それでも攻めを愛してるからってよー。
そんな古風なストーリーなんだけど、今回は実在の最新型避妊薬「インプラノン」が登場する。えっこれもう認可されてたっけ? と思わずググってしまった。マッチ棒くらいの長さの筒の中にホルモン薬の仕込まれた避妊薬で、二の腕の皮下に埋める。三年くらい避妊効果が続く。飲み忘れリスクがないので、99%くらいの確率の避妊効果があるそうだ。
そんな文明の利器を受けの人は良かれと思って攻めの人と相談せずに独断で使用してしまう。そしてそれが新たな修羅場を生む。
あのさぁ、そんだけの行動力があるなら事前に攻めの人とよく話し合おうよ。とも思うけど、攻めは攻めで支配欲と嫉妬の塊で受けとの約束をあっさり覆してくるやつなので、話し合ったところで受けにとって良いような流れには、ならないんだなあ。
今時こういうストーリーはただ只管に辛いばかりなのだが、このギチギチに古風なDVカップルがどのように軟着陸するのか(Cannaだからバドエンではない、と信じたい)、興味はある。
『嘘つきな愛を買う』のDVカップルでがっつりテンションを落とされた後で、今度は陽気に? サバサバしたディスコミュニケーションカップルのやつですよ。ゾンビの佐田×マッドサイエンティスト間宮の日常BL。
前回、一泊温泉旅行(+一泊)にて、恋バナで盛り上がった佐田と間宮。佐田の独特な恋愛観……実は世間一般でいう所の恋愛というもののべたべたしているところが苦手で、それよりセックスの出来る友達くらいの距離感で人と付き合えるといいなと思ってる(間宮と付き合いたいとはミリも言っていない)……を聴いた間宮は、じゃあセックスしよう(もう友達だから)と提案(という名の強制)をしてきて、佐田大ピンチ。
『スリーピングデッド』上巻のレビューには「受けの間宮がだいぶ無理。これで萌えろと言われても」的なことが書かれていがちなのだが、主人公の佐田にとっても間宮はかなり無理だったというのには笑った。正直に「たぶん無理……」と言ってしまうBLの攻め様ってどうなのw
そんな佐田に好かれようと一生懸命な間宮がとても可愛かった。まだ3月なのに可愛い受けオブ・ザ・イヤーが来てしまったぞ大変だ。思いがけない佐田の行動にびびった時の間宮が、死ぬほど驚き怯えた時のハムスターみたいに両手を胸の前で縮こめて目を見開く姿が可愛くて可愛くて可愛くて可愛い。
一方、佐田はといえば間宮がツンツンしまくりながら無茶な要求・暴言・暴挙をぶつけてくるのに案外律儀に応える体でいて、最終的には首尾よく間宮を丸め込んでちゃっかり自分の身を守り切るところが、学校の先生って感じだった。お前そういうとこやぞ……。
もはやゾンビ物とは? って感じのストーリーで今回は特に息抜き回色が強かったが、次回からはどう話が転がって行くのだろうか。ずっと間宮の純愛ネタばかり描かれる訳じゃないだろうし。もうすでに単行本1冊ぶんくらいの分量は書かれたわけだし。既刊が「1巻」ではなく「上巻」なので、あと1、2話で完結して下巻が出るか、1回くらい休載して中巻が出るかかな。
男同士でがっつりド派手に致しているところが見たい人には物足りないんだろうけど、大人の恋愛漫画としてとても面白いので私は好きだな。
耽美SF少年愛BL小説家・長野まゆみ先生が十代の頃に心ふるわせた珠玉の小説、随筆、詩歌のなかから、耽美入門に相応しい全26作を精選。全作品に長野先生のコメント付き。巻末に解説もあり。
目次を見渡すと錚々たる顔ぶれに眩暈がするけど、幻想文学好きは必ず履修する作家ばかりだ。
が、私は現代の幻想小説はわりと好きなんだけど(長野まゆみ先生のほか、川上弘美先生や金子薫先生や今村夏子先生とか)、明治~昭和前期の幻想小説はあまり得意ではないんだよなあ。三島由紀夫は『潮騒』しか読んだ覚えがなかったし、泉鏡花は戯曲『海神別荘』しか読んでいないという体たらく。なお内田百閒は開始十行で寝落ちした。
そんな私が、いくら長野先生のファンだからって、本作品集を買っても最後まで読み切れるのか、甚だ疑問だ……。
では、頑張って読めたぶんだけ。
遊園地で二十七羽ものインド孔雀が殺される事件があって、その重要参考人・富岡の家に刑事が訪れる。富岡はただ前日に公園で孔雀達を長時間眺めていたというだけで犯人ではなさそう。だが富岡家の応接間の異様さと、壁にかけられた美少年の写真のことが、気になってしまう刑事だった。
冒頭を数行読んで、長野まゆみ先生と文体がよく似ていることに驚いた。もしも著者名を伏せられたまま読んでいたら、長野先生が書いたものかと容易く信じそう。文体が似るほど三島由紀夫に影響を受けていたとは。『潮騒』を読んだ時は、似てるとは思わなかったけどなぁ。
かつては美少年だったことを誰にも信じて貰えないほどに老いた男が、孔雀の羽の輝きに魅せられる。(孔雀の羽の色は色素で染まったものではなく、羽の構造が光を反射したものなので、永久に劣化しないのだ。)何者かの起こした事件により、孔雀の美を完成させるには死が不可欠だと気づいた男は、自分こそが事件の犯人ではないのかと妄想をし始める。
ラストシーンは男の美への執念が具現化したみたいでぞくりとした。
雑誌『象徴』の編集長・磯貝が出勤すると、先ほどまた蕗谷から電話があったという。蕗谷というのは筆書きの原稿を持ち込んだ美少年だ。日頃からどんな無名の作家の書いた作品でも必ず目を通すことにしている磯貝は、さっそく蕗谷の小説『蔵の中』を読み始めた。
冒頭は蕗谷の自伝風で、亡き姉との思い出を書き綴ったものであった。だが、姉の死後に蔵の中に独り引きこもるようになった主人公がとある楽しみを見出だした場面から、物語は思わぬ展開に……。
『偏愛耽美作品集』のどこら辺が「偏愛」なのかといえば、美少年が登場するものばかりをピックアップしているところで。さすが長野先生なだけあって。
無名作家の小説『蔵の中』と現実の出来事が交錯し、やがて殺人事件の真相を描いてゆく、と見せかけて……。という現実と虚構が入れ子状になっていてしかもその境界が曖昧な感じ。長野まゆみ先生の『左近の桜』に受け継がれているよなぁ。
蕗谷が女装にハマって鏡の前で表情を作るシーンがとくに印象に残った。
山の手に生まれ育った令嬢のとく子は、眼病の治療のために下町の病院へと入院する。その病院の近所には時春という下町っ子でぽっちゃりめの美少年が住んでいて、しばしばとく子を遊びに連れ出すのだった。
縁日の夕にも時春はとく子を呼び出し、つれ回した。あまりの美しさにどこへ行ってもモテモテで人気者の時春がわざわざとく子を連れ回す理由は見栄のためと、とく子は見抜いていた。とく子の令嬢然とした着物姿を見せびらかすために時春は彼女の手を引くのだと。そこに本心からの労りや思い遣りはない。
時春はとく子を火事現場の跡地に連れ込んだ。「君にほんとうのことを聴いて貰う」と時春は言うが……。
顔が美しいのが唯一の美点の少年。美しい顔はそのままで素顔ではなく見栄の一部となってしまい、その口から出てくる言葉の全てが人の気を惹くための嘘っぽくなる。美しい顔というのは実は醜い顔と同じく異形の一つなのだ。
時春の見栄っ張りを女の子の目敏さで見抜いてしまうとく子だが、時春の美貌の下に隠れた本当の孤独の寂しさには触れようとしない。そんな憐れな話。
ラストシーンで、時春の本心をちゃんととく子が見抜いていたというのが明かされるのが切ない。なんかこれじゃ、時春死んじゃってよかったみたいじゃん……。
はぁ、まだあと23作品もある……。これを私はあと何百年後に読み終わるんだろうか。しかも岡本かの子の次は泉鏡花だし。開始数行でうっ、苦手かも……と思い、もう数日放置している。
SEALDsによる「安倍政権NO!首相官邸包囲」デモ内での「家に帰ったらご飯を作って待っているお母さんがいる幸せ」スピーチに対し、デモに参加した北村が「安倍的」だとダメ出し。これに対し野間や上原潔らしばき隊関係者が北村を執拗に叩く。
10月 クラウドファンディングによる啓発広告「#この指とめよう」に約320万が集まる。
11/6 中世史学者の亀田俊和が呉座にウザ絡みされ続けて喧嘩に発展する。
12/25 ガールスカウト日本連盟、ファミマのお母さん食堂名称変更を求める署名立ち上げ。
12/29 青識亜論、問題提起として「お母さん食堂」署名を模倣して不二家に「パパのミルク味ミルキー」販売を求める署名を立ち上げるも、迷惑だとの非難が挙がり、その日のうちに署名削除と謝罪。
1月 呉座、人間文化研究機構(国際日本文化研究センター)任期なし内定の通知。
1/17 TBSラジオ『アフター6ジャンクション』韓国映画特集に『映画秘宝』編集長の岩田和明がゲスト出演した回を聞いた一般人女性が、女性ゲストの不在、及びホモソーシャル的な映画秘宝文化について苦言ツイートを呈する。これに憤った岩田がその女性に直接DMを送り恫喝。
2/2 岩田が『映画秘宝』編集長の辞任とともに、オフィス秘宝を退社。
2/12 東京五輪組織委の森会長「女性が多い理事会は時間がかかる」発言をめぐり辞任。
3/16 亀田の網野善彦発言に対し、北村が「冷笑系」と評す。これに鍵垢の呉座が引用RTで反論。
3/17
・呉座の引用RTスクショが北村のDMに届き、北村がTL上にそれをアップして反応。呉座が北村を揶揄・誹謗中傷していた過去のツイートが続々と掘り起こされ、北村の元に集まる。
・五輪開閉会式演出の佐々木宏が『ブタ演出案』を考案していたことを理由に辞意を表明。
3/21 春日太一が北村を始めとする不快な思いをされた全ての方に向けて謝罪ツイート。
3/23
・志学社代表の平林緑萌、不適切な発言を謝罪するとともに中国史史料研究会顧問を辞任。
4/2 日本歴史学協会、呉座を念頭に置いた、ハラスメント行為の再発防止声明。
4/4 オープンレター「女性差別的な文化を脱するために」公開(約1300人署名)。青識亜論、OLに賛同コメントとともに署名するも、運営に撥ねられる。
5/25 木村花選手の一周忌に合わせて、一般社団法人「この指とめよう」を設立。
11/1
・呉座、オープンレターが処分に影響したことを示す資料を自身のブログにて公開。
・「この指とめよう」が、活動を停止。
現代日本のフェミニズムは、傷ついた人間が慰め合うセラピーの看板のような機能を持っていると言える。
エンパワメントとかシスターフッドという言葉が好まれるのもその一環と考えらえるし、そんな前向きな所まで至らない、まず苦しみや怒りを吐き出させてくれという層もいるだろう。
弱者にとって慰め合う場があるのは良いことなのだが、セラピーとしてのフェミニズムと、学問や言論としてのフェミニズムが分離されていないために、言論としての信頼度は弱まってしまう。
それが、フェミニストはメンヘラだとか他人の幸せを許せないだとかミサンドリストでセックスヘイターだとかの批判に繋がってしまっているのだろう。
私自身も精神疾患持ちなので、精神が弱っていること自体を批判する気はないのだが、セラピー的な語り合いと、学問的討論がごっちゃになっている状況は大いに問題視している。
冷静な研究者と、傷ついている当事者は、兼任しようとすると問題が生まれやすいのでどちらか片方だけの立場に立つべきなのだ。
〇 冷静なフェミニズム研究者が、「困った女性のための駆け込み寺やセラピーの場や、肯定しあえる関係は必要だよね」という学問的理論を組み立てるのはOK
〇 セラピーに集まる傷ついた人たちが、フェミニズムの用語で理論武装することも、武装しつつ過激な主張をするのもOK。(セラピー的な場の発言は、過激なことや邪悪なことも原則許されるべきである。その反面、そのまま社会への要求として世の中に伝えるべきではない)
× 自分に傷が深く残っていて冷静な振る舞いができない人間が、研究者としての発言力を得て、セラピーで患者としてするべきな過激主張を研究者の立場でしたり、他のセラピー患者の内面吐露をちゃんと検討せず世の中にぶつけたり、学者同士でも肯定しあう関係じゃないと耐えられなかったり、そういうのはNG
フェミニズムという看板のもとに、傷ついた人々が集い、辛さや怒りを語り合い共感しあい心を癒そうとする様子は、当事者会に近い。
当事者会自体は、様々な依存症や障害、事故被害者などについて行われており、有用なセラピーと言っていい。
だが「セラピーとしてのフェミニズム」の問題は、当事者会で癒される患者と、当事者会を監督したり理論を語る研究者がかなり重なってしまってるということだ。
要するに、患者がセラピストもやってしまっているという問題が、「セラピーとしてのフェミニズム」にはある。
全てのフェミニストが病んでいると言っているわけではない。
だが、SNSのそこら中で行われている「セラピーとしてのフェミニズム」当事者会の多さに比べて、監督できる冷静な研究者は全く足りていない。
普通の当事者会やセラピーは、福祉や医療や臨床心理士といった専門家によって研究と理論化がされ、社会に対して有用性が主張され、会の時にはその場にいて見守ったりもするはずだ。
傷ついた当事者たちの語りは、しばしば自己中心的だったり理屈が通ってなかったり乱暴だったりするが、それは回復に必要な心の解放だ。
それがそのまま社会への要求として世の中に出されたりはしないので、当事者会で語ったことが間違ってるなんて責任を問われることもない。
客観的な専門家が当事者たちの感情吐露を分析して理論化した上で、必要な部分は社会に訴えるようになっている。
だから、傷ついている当事者が冷静さを求められたりはしないし、当事者がヤバいことを主張していても研究者や研究分野の評価が下がることもない。研究者が監督しているから当事者同士の会話が過激化するエコーチェンバーも防げる。外部の一般人が当事者の無茶な話を直に聞かされて、振り回されて悪感情を持つこともない。
これらの全てが完全に徹底されてはいないが、それでも、当事者会セラピーで語り合う患者とそれを監督する研究者の間に線が引かれていることで、様々な弊害の抑制はできている。
しかし、「セラピーとしてのフェミニズム」では、患者、監督者、研究者、全てが一体になりやすいので、普通の当事者会セラピーでは減らせる弊害がモロに発生しているのだろう。
たとえばフェミニストが「トーンポリシングはやめろ」と主張し、議論や説得において言い方ってのは大事だろと反論されるのをよく見るが、あれも、セラピー的な場と議論の場がごちゃまぜになっているせいだ。
私はいま苦しすぎて言葉を選んでいられないのでセラピー患者として気持ちをぶちまけてるんだからトーンポリシングするな、というなら真っ当である。
言い方や内容にしっかり気を使うから議論として発言を真面目に聞いてくれ、というのも真っ当である。
だがそれを同時にやらせてくれ、自分はセラピー的にぶちまけるが聴衆は真面目に聞いてくれというのは無法な要求だ。
せめて、セラピーを監督する冷静な研究者に向かってぶちまけて、その研究者が理屈の通らないところを補助し冷静な言い方に直して議論の場に持っていくという形にしなければいけない。
なのにフェミニズム議論では、何もかも一緒くたになりがちである。
臨床心理士やカウンセラーになりたがる若者はしばしば自分が精神不安定を抱えているというのは、統計はないが実体験としてはよく聞く話である。
博物学系でも、たとえば動物学者はだいたい動物好きで、心情的には動物を保護したがるだろう。
だが、そこは資格団体ががんばってたり教育だったりで、臨床心理士や精神保健福祉士はある程度の信用をしてもいいだろうとなっているし、動物学者も後先考えない動物愛護活動をする人は目立ってないわけだ。
むしろ、愛後派の過激な主張の角を取って一般社会的に妥当で持続性のある動物保護のやり方を訴えたりしていて、それはまさに、感情的になりがちな当事者の語りを、研究者が自分のところで一度止めて丸めて社会に伝える、当事者会に対する医療や福祉関係者の立場と近い。
だから、臨床心理士や動物学者などの学問的信用はまあ保たれている。
ところがフェミニズムや一部社会学は、理論家や研究者が、傷ついた患者や当事者と近かったり同一人物だったりして、監督者のいないまま野良セラピー的な語り合いをし続け、当事者の悲痛な心情吐露ではあるが社会的妥当性の薄い発言みたいなものが研究者の学問的立場から主張されてしまっている。
フェミニストはメンヘラだとか他人の幸せを許せないだとかミサンドリストでセックスヘイターだとか言われるのはそのせいだ。
ここで断言しておくが、メンヘラも、他人の幸せを許せない人も、ミサンドリストも、セックスヘイターも、楽しく生きてよいし好きに発言してよい。当事者会で同病相憐れむのだって、傷ついた人間には大切だと思う。
過激な思想やトラウマは緩んだ方がいいとは思うが、それもあまりに大きな加害に繋がらないのであれば自由だ。
ただし、その発言はあくまで傷つき冷静さを欠いた人の発言として生暖かく見られている方が、周囲にとっても当人にとってもよいはずだ。弱者の声は社会から無視されるべきではないが、そのままでは妥当性が低いので、客観的な研究者が集積して適度に理論化と穏健化した上で世の中に訴えるべきだろう。
フェミニズムが、弱者に肩入れしようとするあまり病んだ発言をそのまま重用したり、著名な研究者が自分の当事者性を切り離して冷静さを保つ努力をおろそかにしているのは、誰にとっても不幸である。
一つ、わかりやすい事例を挙げる。
私がフェミニズムやジェンダー学のセラピー的機能と、学問・言論的機能の混在の弊害をわかりやすく感じたのは、朝日新聞運営の『かがみよかがみ』である。
「私のコンプレックスを私のアドバンテージにする」とか「私は変わらない、社会を変える」とかをコンセプトにして、女性の自己肯定感の爆上げを目指すメディアであることを謳い続けているサイトだ。
18~29歳の女性からのエッセイを募集して、編集部がチェックして載せている。著名人や契約コラムニストの連載もある。
そして投稿者を「かがみすと」と呼び運営ボランティアを「ミラリスト」と呼んで連帯感を出し、若い女性同士で肯定しあえるコミュニティを作ることも意図しているようである。(かがみすとは今もしっかり使われているが、ミラリストはTwitterで検索してもほぼ出てこないので今も使われてるかは外部からは謎)
二年くらい前に数回燃えたが、扱っている内容の割に回数は少ない気がする。特にはてなとは読者層が違うのだろう。
上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」 | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/12881008
フェミニストでも、守られたい。フェミニストだから、守りたい | かがみよかがみ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mirror.asahi.com/article/13432941
これの上の方に関わっていたコラムニスト(かがみすと)が、謝罪をしつつかがみよかがみを批判したnoteを全三回書いていたのだが、その第三回と、ここから辿れる記事類を読み、フェミニズムがセラピーと言論を区切らずやっている弊害はあるな、と強く感じた。
『かがみよかがみ』が目指すのは、あくまで女性の自己肯定感の爆上げである。正しさではなく、自己肯定感である。
それも、明言はしていないが18~29歳の女性だけを狙っているだろう。
若い女性たちがエッセイで悩みを語り合い、書き手同士のスラックか何かでも褒め合い、お互いが何を言っても原則として批判しないし自虐もしない。まさに当事者会でありセラピーのやり方である。
フェミニズムやジェンダーなどの内容が多く扱われているが、それはあくまで自己肯定感爆上げの道具なので、理論的な正しさを保とうとして心が苦しくなってしまうようなら、正しさを追求しなくてよい。
エッセイ投稿の年齢制限も無い方が「正しい」のはわかってるだろうが、年上の説教エッセイや愚痴エッセイが載ってるサイトは鬱陶しくて気持ちよくなれないという若者の本音を慮って、微妙な理屈をつけて年齢制限をかけていると思われる。
投稿者をかがみすとと呼んで内輪感を作るのも、その繋がりで孤独が癒える人がいるからである。そういう内輪感にウエッとなる人もいるだろうが、そう言う人は他のどこかで癒されればよいというスタンスだろう。
編集長の伊藤あかりさんのツイッターbioには"「全ての人を満足させようと思ったら、一人も熱狂させられない」という感じ。"と書かれているのだから。
この世に、傷ついた若い女性のための当事者会セラピーの場があること自体は、良いと思う。
だがそれが、朝日新聞運営メディアとして広くネットで広告され、上野千鶴子や石川優実を企画に呼び、ヒコロヒーなどの連載があり、エッセイ投稿者もジェンダー学やフェミニズムで多少の理論武装をして識者っぽい人もたまに言及するとなれば、そこはもう言論の場となってしまう。苦しい内面を安心して吐き出せる、責任を負わなくていいし怒られもしないセラピーの場としては相応しくない。
なのに、そこが曖昧に混ざった立場で文章が発表され続けている。
そして、これは、インターネットにおける様々なフェミニズム活動についても近いことが言える。
最後にもう一度まとめる。
傷ついた当事者同士が慰め合うセラピーの看板としてのフェミニズムと、冷静さと客観性を保つ学問や研究としてのフェミニズムは、分割しておく必要がある。
現在の日本では、セラピーの場としてのフェミニズムと、学問としてのフェミニズムが、ごちゃごちゃ混ざっている。
心が乱れてフェミニズムセラピーを求める患者と、冷静であるべきフェミニズム研究者も、ある程度重なってしまっている。
この状況を解消しないと、世の中の幸せにはつながらないだろう。
読み応えあるよねえw
ゴミ屋敷清掃は過酷な仕事だ。そのかわり時給は約1400円、給与は即日払い、仕事の融通も利きやすい。ある会社では多くのスタッフが下積み中のお笑い芸人だ。その中には芸人の道を諦めて、社員になった人もいる。ゴミ屋敷清掃という仕事を、社員として続けることにしたのは、なぜなのか――。(連載第8回)
「あんしんネット」の事業責任者の石見良教さん(右端)と作業員のみなさん。撮影のためマスクを外してもらったが、普段はコロナ前から終日マスク姿で作業をしている。
「あんしんネット」の事業責任者の石見良教さん(右端)と作業員のみなさん。撮影のためマスクを外してもらったが、普段はコロナ前から終日マスク姿で作業をしている。
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「ゴミ屋敷」を片付ける仕事――あなたはいくらならできるだろうか。
連載第4回で一緒にゴミ部屋を片付けたプレジデントオンライン編集長の星野貴彦さんに「バイトとしてこの仕事ができるかどうか」と尋ねると、彼は首を横に振ってこう言う。
「一度や二度であれば興味本位の気持ちが勝ってできそうな気もしますが、ずっとあの作業を続けるというのは厳しいです」
実は私もこれに関しては、同感だった。
取材のため、単発なら、できる。けれど“ずっと”は難しい。
なぜだろうと自分の心に問いかけると、やはり「汚い現場」だからだ。本音は、人の汚物を片付ける、虫がわいているような現場で働くことに抵抗があった。ゴミ屋敷を掃除して帰宅すると、私はいつも真っ先にシャワーを浴びる。その日に身につけていた下着も、何度か処分したことがある。それでも自分の体に虫が這っているような感覚にとらわれて、眠れなかった。実際に体に赤い湿疹が出現したこともある。夏場に作業した後は熱中症にかかって、吐き気や頭痛に苦しんだ。
「ションペットを処分する時は、なんらかの感情を持ったらダメ」
アルバイトのAさんはそう言う。ションペットとは居住者の尿の入ったペットボトルのことだ。強烈な臭いを放つため現場で処理できず、会社(=生前遺品整理会社「あんしんネット」)に持ち帰るのだが、この中身、つまり尿をトイレでひたすら流す作業については、誰もが「つらい」「苦しい」と言う。作業中に吐いてしまった人もいるそうだ。
ションペットの処理作業に“慣れ”はない。同社事業部長の石見良教さんも「これをやる時は一切の思考を停止させて、ほぼ無心で動いている」と話す。
「正常な感覚で臨むと、頭がおかしくなるかもしれません。みんな本音ではやりたくないですし、それをやらせるほうも覚悟がいります」
作業現場でたびたびみつかる「ションペット」。ペットボトルの中身はウーロン茶ではない。
ちなみにこの作業をアルバイトが行う時は、通常の時給に“20%程度の上乗せ”がされる。再びAさんが怒ったように言う。
「社会的にきちんとしている人ほど、部屋にションペットがあったりするんですよ。お茶の先生、学校の先生、医療関係者とか。人前できちんとしすぎているから、家の中がイカれちゃうんじゃないですか。靴箱にションペットがずらりと並んでいたこともありましたよ。そんな現場では“依頼人の心に寄り添う”なんて絶対無理ですね」
2021/12/04に『映画秘宝編集部とオフィス秘宝、悪質なのはどちらか』と題する文章https://anond.hatelabo.jp/20211204193505
が、はてな匿名ダイアリーに投稿されました。その内容を要約すると「旧体制『映画秘宝』主要メンバーであった町山・柳下・高橋・てらさわは誠実に動いていた。一方それに対して、造反組の岡本・奈良・ギンティ・市川は誠実に動いていなかった」と主張する内容です。
この内容は、一般人女性に対するDM恫喝事件の余波が未だ冷めやらぬ2021/3/18、元『映画秘宝』編集部員かつ高橋ヨシキらのシンパの秋山直斗という人物がNoteに投稿した、文章の焼き直しです。そのため、はてなユーザーの中には「この増田は秋山直斗なのではないか?」と推測する人もいるようです。私個人も同じことを疑いましたが、しかし、増田の正体が秋山であるか否かは確認する術もありません。
しかしこれも機会ですので、秋山直斗の文章から私が感じ取ったことを述べます。
まず、2021/3/18に秋山がNoteに投稿した文章から、一部を引用します。
23時ごろ(※引用者注:元『映画秘宝』編集長の岩田によるDM恫喝行為が発覚し、その対応に追われていた2021/01/25のこと)から柳下氏、高橋氏と共にオンライン会議を行い、上記の考えを伝えました。なお、18時ごろに状況確認のため高橋氏に連絡をしてきていた、てらさわホーク氏も会議に加わっています。3氏ともに、謝罪の必要を認識しており、私は実現のために実務を担うことになりました。
23時09分に、編集部メンバー4名(田野辺氏・岡本氏・奈良氏・ギンティ小林氏)に対し、「新たな謝罪文」作成の必要性をメールにて伝えました。早急には対応しないでおこうといった内容の返信があり、これは私の主観的意見にすぎないものの、主体的に事態収拾に乗り出す意思が感じられませんでした。
=引用その1・ここまで=
上に引用したNoteの文章は「誠実だったのは旧体制側。それに比べて新体制側は不誠実だった」というイメージを読者に植え付けたいと、秋山が考えていることをよく表す部分です。
では次に『〜悪質なのはどちらか』と題する文章がはてな匿名ダイアリーに投稿される2日前、2021/12/02に秋山直斗(アカウントSquids_squib)がTwitterに投稿した内容を引用します。
映画秘宝前編集長が送ったDMについては被害者の人とは和解してるわけでしょ? 当事者同士で解決したのだから、これ以上蒸し返す必要はないというオフィス秘宝と双葉社の判断が、被害者に対して不誠実なものだとは思わないけど。
=引用その2・ここまで=
私は、この秋山のツイートにある"蒸し返す"という表現から、秋山直斗の本心が読み取れるように感じます。恫喝DM事件及びその被害者に対して、秋山直斗が本心ではどのように考えているのか、端的に言えば「馬脚を露わした」のです。
DM恫喝事件の被害者は「雑誌『映画秘宝』の誌面上で何かしら掲載されることを期待していた」とする内容のツイートをしていらっしゃいます。ということは、被害者に対して『映画秘宝』側が示すべきであった誠実さとは、誌面の上というオープンな場で総括を行うことだったと考えるのは当然のことです。だとするならば、双葉社に対して「誌面上での総括を行うことを認めて欲しい」と、被害者の要望に沿うように求め続けていた新体制『映画秘宝』の中心メンバーが、被害者の要望に応えられなかった能力不足を批判されるならばまだしも、要望に応えようとした姿勢そのものを批判される謂れは無いと私は思います。
しかし、秋山直斗は「これ以上"蒸し返す"必要はない」と表現して、被害者の要望に応えようとしていた造反組4人の姿勢をこそ批判するのです。実に奇妙です。以前は「謝罪のために主体的に動いていなかった。不誠実だ」と批判した人間たちを、今度は「和解も済んだのに、わざわざ"蒸し返す"ようなことをするな」と批判するのですから、矛盾しているとしか言えません。
では最後に、さらに遡って2021/1/26付で秋山直斗のTwitterアカウントのツイートから引用します。
『秘宝』は映画を軸に、社会の不正義・不公正と闘う雑誌だと思っています。つまり、綺麗事こそ重要だという雑誌です。
=引用その3・ここまで=
これまで私は、古株の元『映画秘宝』読者の一人として、はてな匿名ダイアリーに『映画秘宝の記憶』と題する一連の文章を投稿して続けてきました。
過去のバックナンバーや『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』等の『映画秘宝』関連の単行本を一読すれば、誰にでも直ぐに分かるとおり、雑誌『映画秘宝』はこれまでに女性、同性愛者、非・都市部居住者、非・富裕層、高等教育から疎外された人間etc.に対して、頻繁に、且つ執拗に差別発言を行い続けてきた雑誌です。それらの差別的な言動の実例を、引用によって具体的に私は示してきました。
秋山直斗が語る、美化された『映画秘宝』像は、虚偽以外の何物でもありません。したがって、秋山直斗の言う「『映画秘宝』を読むことを通じて、自分(秋山)は社会の不正義・不公正と闘うことを学んだ」という主張もまた、やはり虚偽以外の何物でもありません。つまり、秋山直斗は『映画秘宝』と同時に彼自身を美化しているのです。
近年の町山智浩、高橋ヨシキらは、人権尊重や差別反対のような言動を繰り返していますが、自分たち自身が女性や同性愛者に対して行ってきた差別に関しては全く総括していません。本当に「誠実な人間」であれば、己自身の罪や過ちとも真摯に向き合うはずです。しかし、そのような誠実さを町山や高橋が示したことはないのです。
元『映画秘宝』編集長・岩田による一般人女性へのDM恫喝事件を産んだ要因には、長年に渡って同誌内部に根深く蔓延っていた女性蔑視の思想があると私は考えています。そして、そのような女性蔑視の思想を『映画秘宝』に植え付け続けてきた張本人は、町山や高橋ら旧体制の人間なのです。繰り返しになりますが、本当に誠実な人間ならば、自分たちが女性への理不尽な攻撃の手本を示して、岩田のような人間に対して誤った教育や影響を与えたことを反省するべきでしょう。
町山智浩や高橋ヨシキの信者を今でも続けているような人間たちは「昔のことを"蒸し返すな"」と、愚にもつかない、擁護にもならない言い訳をします。そうです、秋山直斗と同じ"蒸し返すな"という言い回しです。この"蒸し返すな"という言い回しは、例えば関東大震災当時の在日朝鮮人虐殺事件や、日中戦争当時の南京虐殺、従軍慰安婦問題などについて「済んだ話を"蒸し返すな"」と言うネトウヨの言い回しと瓜二つです。秋山直斗が『映画秘宝』を読んで学んだ、社会の不正義・不公正と闘う姿勢とは「済んだ話を"蒸し返すな"」と言うことなのでしょうか?
そのような秋山直斗や、彼の同類の人間が言う「誠実さ」など、薄っぺらい虚飾に過ぎないというのが私の見解です。
「どちらが悪質か」などという無意味な比較と詭弁によって、旧体制『映画秘宝』を美化するのは、歴史修正主義者のネトウヨと同レベルと言うべきでしょう。
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