はてなキーワード: 改憲論議とは
もともと日本国憲法は日米安保(在日米軍)とセットのドクトリンだった
少なくとも終戦直後はそういう前提条件だった
しかし戦後すぐに始まった米ソ冷戦の本格化でその前提はあっさり崩壊してしまい、なんだかんだで自衛隊が設立され、改憲の敷居が高い硬性憲法ゆえに解釈変更の弥縫策が何十年とダラダラ続いてもはや憲法そのものが形骸化してしまってるのが現状
それでいいの?解釈変更で対応するにも限界あるけど?というのが改憲論議なわけ
「どうせ誰も守ってないんだから憲法なんかわざわざ変える必要なくね?」とか「憲法を律儀に守ってたらにっちもさっちもいかなくなるから憲法違反も仕方ないよね」という未来をお望みなら憲法は放置すればいいよ
これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。
ただ、内田が、
「感情の器」って、あくまでも個人的な身体条件のようなものだから。
というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。
たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミスが道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会の規範を構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。
そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現を内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。
家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。
アレックス・カーが20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。
おりしも建設省に代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代。
アメリカの7倍のコンクリートを使って日本の山河をコンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。
その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。
「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。
A・カーは、フェアプレイの精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者のトップが黒海に豪奢な別荘を保有し、人民は実質的に農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治の開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。
「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司の説教がブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖。
最近、想起するのはやはり旧統一教会。家族の価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族が崩壊している、といった、「おまゆう」問題。崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするときの動機付けのメカニズムなのだ。
内田と永井の議論のテーマのひとつである人権・平等。あたかも普遍的な原理についても、
それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。
アメリカの建国者の一人、トーマスジェファーソンは人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。
これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。
どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者の懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質が人民に備わっていると信じて建国者はデモクラシーを設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法の価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権の矛盾が、南北戦争の北軍の正当性を決定的にする。
内田の議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要なキーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。
「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。
これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係ないかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。
内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。
舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後は憲法そのものがアメリカの経験に基づいたものだ。
しかし、日本の人権教育は、残念なことに、人権の普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説や定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。
戦後、人権を外付け実装してきた日本は、そのルールや規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。
今現在、旧統一教会問題で話題の、国家と宗教というテーマにしてもそうだ。
政教分離のキーワードとなるのは、恐怖からの解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西の課題だ。宗教といかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴに勝利した古代ローマ。
そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会を構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要が再確認された。それが言論の自由の関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場の比喩が生まれる背景ともなった。
他方、旧世界のフランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会の権威と苛烈な弾圧が恐怖であった。だから公共空間の合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランスの言論の自由は、その意味でカトリックを否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要な意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したことの歴史的な背景は深い。
このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。
それは、実は国によって微妙にコンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的な価値なら、なぜ何千年も克服できなかったかの意味を問うというか。
しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後の日本の裁判所も含めて。
でも、それこそが日本の人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。
その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの、感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。
内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは、自分の国や自分の家族、自分自身の歴史だと俺は思う。
自分や自分の先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理だけが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本のアジアや欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。
歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神を自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。
自分が理想とするものと現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。
自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。
ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要なキーになるし、国家と宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米の経験を教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決は行政が戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料を支出したことを違憲とした歴史的な判決で、戦争の経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法の仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国の精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。
しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通の体験、共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代。
50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。
「あの頃は」という共通の過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣の闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。
つまり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。
それが、失われ、外付けの価値観だけが、カラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。
永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代に
と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。
また、日本国憲法に組み込まれた歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。
それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、
視聴者からは、おしんは私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。
しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ。
しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会、バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争の記憶との関連が薄まった。当然、日本国憲法のリアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教と国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。
しかし、いずれにしても過去の記憶と憲法の規範が直接に結び付かない、その世代の経験、そこに、永井が紛争国の辺境の地を自分のテーマに選んだヒントがあるように思えてならない。
紛争のリアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生のときに知った人権、そして憲法の価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。
しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。
私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこからは自分が母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親も単身赴任でしたし。
といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。
「全然、人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。
動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的なロールモデルとは限らないのだ。
この体験と辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。
読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。
A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.
https://news.yahoo.co.jp/articles/7ec1d495b848a971128aff7c5fc0dedf1a2c92ee
共同通信社は30日、憲法記念日の5月3日を前に憲法に関する郵送方式の世論調査結果をまとめた。新型コロナウイルスなどの感染症や大規模災害に対応するため、緊急事態条項を新設する憲法改正が「必要だ」とした人が57%、「必要ない」は42%だった。内閣権限強化や私権制限が想定される緊急事態条項新設を容認する声が反対意見を上回った。長引くコロナ禍が影響したとみられる。
改憲なくとも法を生かせば緊急時に行政権限をフル活用できるはず、と思ってきたが、過去の公害の教訓を思い起こしてみると立法・行政の不作為が目立つ。
憲法の制約で権限がないのではなく、あっても使わないのが問題だった。そこにメスを入れるには、行政立法を指導する上位の規律が必要で、「今まさに緊急時だシフトチェンジしろ」
と行政や立法に促す仕組みが必要なのでは。それはひょっとすると憲法の役割なのかもしれない。
という趣旨。
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「内閣権限強化」、これは橋本行革の結果、小泉政権が内閣官房の強化の恩恵を受け、その後、安倍がめちゃくちゃにした経緯から
公害立法の歴史を振り返っても、現行の規制権限は決して弱くはない。立法の余地もある。
実際60年代から70年代にかけて、深刻化した公害に山ほど立法を制定、70年はとりわけ公害国会などと呼ばれた時代もあった。
そうやって公害を克服しようとしてきた歴史の教訓をみても、現在の感染症コントロールの問題が、憲法改正でしか解決しえないとは思えない。
だから、問題はできることをしない、立法不作為・行政権限の不行使のほうで、それを改憲論議にすり替えるのはおかしい、という意見も納得できる。
しかし。
改憲の世論が盛り上がるのは、だからこそ逆に、一理あるのかもしれない、とも思う。
もちろん、行政・立法の性善説に立てば。。という留保はつくが。
というのも、水俣病を例にとって、公害の被害を振り返ってみると。
なぜ今日に至るまで長年、放置されてきたか。長年の放置もさることながら、振り返ると、初期の対応のまずさが際立つ。
漁業法による禁止措置と漁民への補償、食品安全法による有機水銀に汚染された可能性のある魚類の販売禁止、
すべて見送られた。つまりすでに対応可能な法的ツールがあったにも関わらず、被害が拡大した。
こうした行政権限の不行使が最終的に裁判で争われ、最終的に結審したのは2004年。
国は高度経済成長をとめたくないがゆえに、規制権限を行使しなかった、というのが結論。
1970年代、公害の社会問題の深刻化を受けて山のように公害立法が制定されたが、それ以前の問題として
そもそも1950年代、すでにある水質二法等で権限行使できただろが、という。
法の不備ではなく、繰り返すが、すでにある法を使いこなせなかった行政の責任が厳しく断罪されたわけだ。
ここから導き出される本当の教訓というのは、規制権限があったにもかかわらず
なぜ初期の対応がこれほどまでに、被害者をないがしろにしたものになったか、という問題。
そこには、何か異常な事態が発生したときに、立ち止まって物事を考え直す、
シフトチェンジの仕組みが欠落していたともいえるのではないか。
かつて辺見庸は、地下鉄サリン事件の際に、丸ノ内線の駅構内で、人々がバタバタと倒れているなか、
通勤している乗客が枕木でもまたぐかのように出口へ向かった光景について
非日常的なことを目の前にしても、脳が適切に処理できず、
惰性で日常の論理で動こうとする「慣性(イナーシャ)」が働いているといったが、
ここ一年を振り返ってみると、そういう政治的な意思決定がかなりよくみられた気がする。
この問題が解決されない限り、改憲による緊急事態条項の検討など、全く意味をなさない。
日本は、意思決定の仕方、会議の仕方を根本から見直したほうがいい。
いや、だけど一方で、
緊急事態条項のようなシフトチェンジのトリガーがないからこそ、漫然と経済優先で動いてしまうのか?という疑問も頭をもたげる。
どっちなのだろう。
そんなことを思い出したのは、さっき、尾身会長のインタビュー記事を目にしたからだ。
尾身茂氏が語った「マスクを外せる日」「3回目の緊急事態宣言なんて聞く気になれねぇ」への意見 | 文春オンライン
――東京都墨田区や長野県の松本医療圏など、基幹病院と支援に回る地域の病院や医師の連携が回っている地域の取り組みも報じられているが、厚労省は、こうした体制づくりのため各地の医師や民間病院に強い指示が出せないものか。
尾身 医師や病院に対して国が強い指導力を発揮する英国のような仕組みとは違い、日本の厚労省というのは公立や民間などさまざまなステークホルダーの意向を尊重する必要があって、上から目線ではいわない。平時はそれも大切ですが、危機の局面ではどうなのか。この機会に考えてみる必要はあります。
――医療提供体制の拡充やワクチン接種準備で、国民が納得するだけの結果を示せないことに国民は苛立ちを感じている。強権的なイメージが強い菅義偉首相だが、結果を示せない理由は?
尾身 それは政治のことだから、私にはわかりません。ただ、総理大臣は、いろいろなことを今、四方のことを考えなければいけない立場にあるんでしょう。そう思います。
これが明確な意思決定メカニズムとして組み込まれていないことが、水俣病の初期対応の問題ともつながっているように思えた。
それを可能にするのは、規制権限の強化と行使、という既存の立法・行政機構のあり方の、もうひとつ上段の制度として構築する必要があるのかもしれないといえなくもない。
改憲への渇望というのは、案外、そういった視点で考えることも可能ではないかとふと思った。
危機対応専門の省庁を創設する、というのもひとつの方法。非常時のガバナンス体制を整備する。
米国のFEMA(アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)のように。
そうすれば、現在の河野太郎のような感染症の素人が新型コロナウイルスワクチン接種推進担当大臣として奮闘する、といった話もなくなるはず。
彼はおそらく、急に任命されて困っただろうが、実質やれることを模索した結果、
ロジ担当となり下がってしまっているように見受けられる。住民の心配に答えるのは基礎自治体の役割だ。
危機管理のプラットフォームができれば、アメリカのファウチ博士のように、
集団免疫獲得に向けた仮説を立て、何%の接種があればOKで、ワクチンの効果が切れる前の接種完了を逆算してスケジューリングする。
目的とロードマップを国民に示したうえで協力を仰ぐという、専門家による意思決定がベースとなったリーダーシップが重要だ。
ガバナンスの基本は、法、規則基準、科学的な予測を明示した意思決定を行うことだ。
これは世界銀行の借用だが、世銀では途上国の行政改革支援の際に、ガバナンスを以下の4要素で因数分解して
説明責任(財政とリソース)、予測可能性(法的枠組み)、透明性(情報公開)、参加(連携)の4つ。
テーマ出しした瞬間、近年の日本がどの分野でもガタガタになっていることがわかる。
いずれにしても、緊急時のガバナンスの訓練を積んでゆくことが大切で、こうした組織を立ち上げることには意義があるだろう。
現在の菅政権は、こうしたガバナナンスの観点から落第点であり、
首相が何を考えているかわからず、結局、リーダーの一挙手一投足に注目が集まる意思決定となっている。
急に決心して、緊急事態宣言を発出したりやめたりする。このように国民から予測可能性を奪うやり方は国民から自由を奪うのも同然だ。
国民からすれば、知らず知らずに国のリーダーシップに注視せざるを得なくなり、いつの間にかリーダーシップの問題に錯覚してしまうが
本当は危機管理はリーダーシップの欠如の問題ではなくて、ガバナンスの問題だ。リーダーが誰であれ、ある程度、やるべきこと、基準が決まっていて
どのように対応するかが決まっていること、この予測可能性が確保されることが大切。
国民にとって予測可能でなければ、国民自身が計画を立てられず、急に決断されても、ついていけいけない。
(水木しげるの漫画で、上官が急に玉砕を決心したので部下の大半が付いていけず、結果として敗残兵として生き残った兵士に、すでに全員立派に玉砕したことになっているのだ、として、ラバウルの本部が改めて玉砕を命じる、という話がある。日本人のリーダーシップを象徴する話だと思う。)
緊急時へのシフトというのは、なにかしらリーダーとして発動するトリガーが必要なのではないか。
そこに非常時へのシフトチェンジが記載されることにも意義があるのかもしれない、という考えに傾いてゆく、そういう世論の動きもわかる。
もちろん、そんな非常時に平和ボケして判断の鈍いおっさんが首相だったらなんの意味もなさないが、誰かがシフトチェンジを発動しなければならない、
それが立法や危機管理のプラットフォームづくりだけでうまく機能しないのであれば、ある意味、大統領的な権限を期待する傾向が出てくるのは自然なことのように思う。大統領の権限というと、合衆国建国当時まで振り返ると、当時の議論のなかで、リーダーの聡明さ(アリストクラシー)というのは、欠かせない条件だったように思う。
日本の政治社会にそんなことを期待できるのか、と考え始めた瞬間、改憲には激しく首を横に振らざるを得ないのだが。
そんなことをインタビューの印象として持った。
改憲派の先鋒でありながら護憲の要石を地中深く打ち込んだ安倍総理が辞意を表明された。改憲に向けて日本がやってきた道のりをガキの泥遊びで全て台無しにした安倍閣下は護憲派にとって駐印イギリス軍にとっての牟田口に等しい。
ここにその輝かしい業績を記したい。
WWII以後も熱戦の時代は続き、世界は民族自決、植民地独立、冷戦下での大国介入に伴う戦争を経験してきたが、敗戦で武装解除された日本は関係のない話で、経済成長に邁進してきた。この路線を決めたのは吉田茂である(吉田ドクトリン)。
その冷戦下で9条の改正を目指すのが自民党、護憲が革新という図式が定着した。数で劣る革新だが思想的には優勢で、冷戦後期には自民党は改憲路線を表に出せなくなっていた。冷戦により国際政治的にも日本の専守路線が固定化されていた事と他国では熱戦が続いていて海の向こうでは若者の戦死が伝えられていた事もある。憲法学者と言ったらほぼ全てが革新で護憲派だった。
ところがここに「憲法フェティシズム」的な趣向が定着して行く。つまり現憲法は良いものだから朗読しましょう的な考えだ。反リアリズムである。
その為護憲=お花畑、空想平和主義という評価が出てくる。そして冷戦の終結により日本の立場は流動的となった。
そこに降って湧いたのが湾岸戦争で、ここで戦後初めて日本は戦争への協力を求められる事になり、世論は右往左往する事になった。秩序維持の為の戦争であるという大義名分もあるし、憲法9条が前提にしていたのは国連軍が結成されて国軍は縮小されるというカント的な世界観である。多国籍軍は国連軍とは違うが名分的には相似だから護憲派も一概に否定しにくい。
湾岸戦争を戦費拠出という形でお茶を濁した日本だったが、戦争に寄らず国際貢献をすべきとの議論が高まってPKO活動に自衛隊が参加するようになった。その第一弾はカンボジアの民主選挙の監視である。
また同時にそれまでタブー化されていた改憲の機運も上がり、護憲派ばかりだった憲法学者にも改憲派が現れ、メディアに出るようになってきた。その筆頭は小林節である。
先に書いた憲法フェティシズムのせいで、憲法学には「微妙」な空気が取り纏っていた。
憲法も法学なので法学部で扱う。だが法学一般は最終的に実学に接続しているのに憲法はそうではない。例えば国民主権の自由主義的な思想的意味が延々とこね回されたりする。
国民主権の主権は元は絶対王政の国家の正統性の為のフィクションであって、統治権、外交権、交戦権などを示すが、こういう肝心な事はスルーされて国民主権が思想的に称揚されるばかりだったりする。
例えば国際政治での人権の扱いなどが憲法学周囲から出て来ない。国際政治では人権は国家に対する対外的権力だ。
統治の問題は主権の壁によって外部から干渉できない。この前提が共有されないので人権がその壁を突破できる国際権力となっているという事が扱えない。特にコソボ紛争ではNATOの軍事介入の理由に人権が挙げられた。国民主権は扱うのにこっちに接続できない憲法論というのはリアルを欠いている。
コバセツはこんな左翼神学的な憲法学に割り込んで行って安楽椅子を蹴り飛ばして塗り替えたと言って良い。
改憲問題でエポック的な出来事があったので紹介しよう。2003年の朝ナマで西部邁がコバセツに追い返されたのである。
西部は改憲派のテーブルに座り「憲法9条や前文の精神が日本人に悪影響を」と長々語っていた。これはモロに憲法フェティシズムだ。憲法を唱える事で精神が浄化され理想的市民や国民が出来ると言う考えだ。
それでイライラMAXとなったコバセツは「そんなの相手にしなくていいから」と侮辱。衆前で面子を潰された西部は退出した。
これは左翼神学の単に裏返しで、コバセツはそういう神学的安楽椅子を蹴散らしてきたんだぜ。そんなを見たら撃てと訓練されたコバセツの前でそんな事言ったらバカ扱いされるに決まってる。
それでリアリズム的にもう9条一国平和主義は困難だし、ちゃんと改正しようという機運が高まっていたのだが、これに疑問符を付けたのがイラク戦争であった。
当初から戦争の理由は疑問視されていたのだが賛同者達は「アレは最初から予防戦争だった」等と誤魔化していた。だがISISが勢力伸長すると彼等も黙りこくるようになった。
これによって米国主導の国際秩序維持に付いて行くという路線を留保すべきという流れになるのは当然だ。しかも国連の影響を抑える為の政策を米国はしまくった。この為に国連路線を旨としていた日本の国際貢献もイマイチリアリズムを失ってしまった。国際貢献路線の空白である。
改憲の旗艦となった彼は新右翼の学生運動流れの学者を重用、党内の勉強会でコバセツは対立するようになった。
彼等の憲法観は嘗ての左翼神学の裏写しであった。コバセツが蹴散らした椅子に座りだして頭の悪い理想論を語るようになったのだから当然だ。
すると2007年にコバセツは自民党の憲法勉強会に呼ばれなくなった。パージである。
ここでリミッターが外れ、改憲論というのはお笑いでリアルと全く接続しない理想論を語るだけのものとなっていく。
例えば若者がチャラチャラして国家について考えないのは怪しからんので徴兵するなど。
日本会議の中枢に居るような新右翼の学生運動家には就職せずに大学に残った者も多い。また六本木にあった生長の家などで寮生活を送った者も多い。その集団的生活史が投影されている。
吉田茂は後に吉田ドクトリンは撤回して海軍力を増し海洋国家となるべきだと主張していた。これは日本の海岸線は長いので防衛力をそこに集中すべしという考えと、当時の日本が重厚長大産業国で造船がその筆頭だった事もある。
徴兵は海軍に向かず陸軍歩兵に向く。つまり海兵隊のような外地でのの占領などが多い事が前提になるが彼等にはそんな考えは無い。国家意識が希薄な若者は怪しからんから集団生活をさせろ、国を守るのは美しい行為だから戦争に従事させろというだけだ。
またいつのまにやら立憲主義は否定されて憲法は国民が守るべき事柄になっていった。
コバセツを追い出して何年も顔をつき合わせて「現憲法には国家を統制するような事ばかりかいてある、おかしい」とやっていたのである。
何年も何百時間も掛けてバカの思いつきを言い合って論議のつもりだったんである。機械ばらして直せなくなるガキかよ。
それに対する言い訳は「家族愛は良い事だ」などであった。良い事だから朗読しましょうというのが憲法だと思ってたんである。良い事を書くと良い国になると思ってるんである。
つまり彼等は憲法どころか毎日やっている立法の仕組みも判っていない。法律が肉付けされて権力を持つ仕組み=政令省令の事や閣法の提出過程も判っていない。
これは左翼神学的で実学に接続しないので憲法学者が微妙な扱いされていた20数年前の完全に裏焼きであろう。
そういえば日本会議の活動家たちが動いて成立させた国旗国家法や年号法などには政令が無い。普通の立法プロセスが付いていないのである。
こうして「改憲」は厨房タームとなり、現実に即した意見を言う人との評価が欲しい人は避けるようになってしまった。「南京虐殺は朝日新聞の捏造によるもの」とか「地政学的にナンタラ」と類似のコンテンツとなってしまった、
南スーダンの情勢が悪化し自衛隊がPKO活動をしている地域が危険に晒された。他国から派遣されている軍を置いて撤収していいのか?これは改憲上の一番重大な局面だ。
今回は撤収するにしろしないにしろ「国民の皆さん、憲法の枠内に納まるよう戦闘地域では活動しないという区切りでPKO活動をしてきましたが、コソボ以後のPKOは変化し、戦闘状況では積極的な介入により平定を維持するというポリシーになっています。今後もこのように情勢が悪化して危害射撃をする必要に至るでしょう。憲法とPKOポリシーを変える為の議論をする時です」というのが改憲派の筋である。そしてその時である。
なのにたかがその場の政局が荒れる事を忌避した聖帝閣下はそんな事に興味は無かった。日報を破棄させる圧力をかけたのである。現実に即した改憲に至る正統な道筋と思わなかった。改憲は既にガキ臭くて老害じみたルサンチマンを集合させる事でその手の固定票を集めるフワついた寝言であったから自衛隊と憲法の問題なんて気にも留めなかったんであるな。そしてその寝言化を成し遂げたのも聖帝閣下とお仲間の努力の賜物であった。牟田口閣下が前線から離れて芸者遊びを続けたような血の滲む努力の。
更にこの件では防衛大臣が辞任する運びとなった。
だが隠蔽の責任を率先して取ったのではない。後から無くなった筈の日報が出てきたのだ。
つまり自衛隊に後ろから刺されたのである。制服軍人をスーツの政治家が統制するのが文民統制であってこれが失われると国家は破滅に突き進む。そんな憲政上の大問題だ。
だがこの自衛隊が成した暴露は正当な行為である。やってはならぬ不正を成さしめそれを是正した事で文民統制上の問題となった。
しかも自衛隊の活動が蓄積された一部であって、改憲への正当な道筋ど真ん中の事を無きものにするという不正であって改憲派として正気の沙汰ではない。
だがこの時既にこの政権にまともな責任を取らせようという国民の意識は無くなっており、子供の間違いのように擁護されて忘却された。
ど真ん中改憲問題はこうして消え去り「家族は大事とか良い事が書いてある憲法を朗読しましょう」という流れは保護された。
アイドルのような還暦女性にポストを与えた防衛大臣が軍に後ろから刺されるという事態の深刻さにも晒されずに相変わらず神学徒達は安楽椅子でロリポップを舐め続けることができた。
だが集団的自衛権への移行に就いて憲法論議を国民に投げかける事はしなかった。
2013年に盛んに言っていたのが「戦後レジームからの脱却」だ。更に年末に靖国神社を参拝したところ、日米関係は戦後最大の冷え込みとなった。
太平洋地域の戦後レジームが米国のなした国際秩序という事に気が付かなかったんである。靖国参拝は英霊への感謝という言説に自家中毒になりA級戦犯合祀から問題化したという事を忘れていたんである。バカな…と思うがそれが聖帝閣下とその友達だ。
因みに日本会議中枢などの「新右翼」とは反米主義の右翼の事だ。戦後体制はYP(ヤルタ・ポツダム)密談による分割であるから打破するというのがその趣旨だ。
こうして2014年には聖帝はオバマに擦り寄るようになった。そんな中で米議会で発表されたのが集団的自衛権への転換である。
米議会であるのも理由がある。湾岸戦争以後、日本の憲法を改正させて米国の戦争をサポートさせるというのは共和民主問わず共同認識になっていたのだ。
集団的自衛権が必要なら当然改憲の重大な理由の一つになる。だが解釈変更という形で現憲法で合法としてしまったのだから改憲のカードは無くなった事になる。
PKOの歴史を知っていたらそのエポック性は無視できない。「日本が軍事的な国際貢献への一歩とした国であり憂慮している」ぐらいは言うべきだがそうはしていない。
尚、日本は民主選挙以前は外国に逃げたポルポト政権を承認していた。あの虐殺で国民の半分近くを殺しまくったポルポトを国家承認したままだったのだ。選挙監視にはそういう理由もある。
こういう風に改憲上の最大の障害は聖帝閣下とお友達なんであるが、この状態は方々に都合がよろしい。
護憲派は憲法9条が国際状況にそぐわなくなっている事を考えずに済む。あんだけのバカ草案を出したら改憲反対は当たり前であって、PKOポリシーの変化にどうするかなんて問いを考えなくて済む。コバセツ含む嘗ての改憲派の憲法学者も全て護憲派に寝返った。
一方、米国主導の軍事秩序賛同派はイラク戦争賛同の総括をせずに済む。ISIS支配地域にあの連中置いてくるべきだ、なんて意見に晒されずに済む。
そんな情況の空白地帯で先人の積み上げた蓄積の意味が判らんかった聖帝閣下は友達と泥遊びに明け暮れ、田んぼをぐちゃぐちゃにしてしまったが意味が判っていないからなんという事もない。お友達の稲田防衛大臣は制服に後ろから刺されたのににこやかに軍事パレードを行い、胸に手を当てて国家への忠誠を示したので上機嫌で去っていった。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200503/k10012416421000.html
<新型コロナ>便乗の改憲論議に与野党から批判 憲法審、今国会未開催
https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/202005/CK2020050302100018.html
草。
そりゃこのコロナ禍と言うどう考えても下手な有事よりもヤバい事態なのにそのコロナ禍を悪用し、ある意味火事場泥棒的にこの様な発言をすれば非難が出ない訳がないよな。
緊急事態宣言を出して延長した当人が一番理解していないのだからマジでやばいと思う。
本当の意味で今は平時ではないのだから与野党共に批判意見が出るのは当たり前だし、そのコロナ対策すら、安倍総理や政府は決断能力の無さや判断の遅さ、そして対応の悪さを見せつけたのだから、改憲派ですら、この政権の下ではやらせてはいけないと言う人がいるのも当たり前だよ。
普通に今はコロナ対策以外全ての政策や法案を凍結すべき時なのにこんなの平時にやるべき事だからね。
ただでさえ、政府の対応の悪さや何もしなささのせいでコロナ禍に付随した問題が経済面、医療面、学業面等々、雪だるま式で増え続けてしまっているからね。
それにその当人や政府自体が国内の企業補償や国民の補助と言った本来すべき資金的援助を蔑ろにして、IMFを通じて海外支援をしでかしたり、アベノマスクの配布と言ったものを勝手に決めたりしたからな。
その上、一律支給の面でも自党の若手の意見は無視して、公明党に連立解消を材料にされて、判断したと言う体たらくぶり。
有事であればそれこそその決断能力の無さや判断の遅さは破滅的自体しか招かないし、今回に関しても余りにも破滅的な事をやらかしているので、もはや憲法とか関係なく、当人や政府の資質の問題で却下される段階だよ。
そしてその憲法改正の緊急事態についての条項の話自体、どう見ても個人の自由の制限と言った内容から政府批判封じに使いたいと言う思惑まで丸見えだからね。
そもそもこの様な発言を今する時点で、総理自体が危機感が皆無であり、平和ボケしている証明にもなってしまったからね。
場合によってはこれ以降憲法改正の熱自体低下して、低迷する可能性も十分あるだろうよ。
その程度にはこのコロナ禍においてやってはいけない事をやってしまったし、その議論自体に大きく今回水をぶっかける事になったのは事実。
大勢の有権者にとってはそうじゃなかったけど、自民党にとってはそうだったみたいですね^^
安倍首相が、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と憲法記念日のビデオメッセージで発言したことが、改憲論議を活発化させている。
安倍首相が改憲の焦点として挙げているのは第九条だ。また、第九十六条を改正して改正発議要件を緩和すべきという議論もある。しかし、第二条をめぐっては、天皇の退位の問題に関連して言及されることはあっても、改正すべきという議論は聞こえてこない。しかし、第二条ほど改正を必要とする条項は他にないのではないだろうか。
問題は、皇位を世襲のものとしている点だ。世襲制度の採用が合理的か否かはケースバイケースだが、現行の天皇制が世襲制度を維持することに、果たしてどんな利点があるのだろうか。むしろ弊害のほうが大きいのではないか。
本稿は、皇位の世襲制度は廃止すべきであるという立場から、この問題を論ずる。
日本国憲法第二条が定めている皇位の世襲制度には、次の二つの点で瑕疵がある。
以下、詳論する。
ワタミフードサービス、電通、ゼリア新薬、ベネッセコーポレーション、LDHのような、長時間労働の強要、洗脳、退職勧奨、暴力行為といった、社員に対する人権侵害が常態化している企業は、「ブラック企業」と称される。企業の社員とは言えないが、天皇が置かれている境遇もまた、あたかもブラック企業の社員のごとく、人権侵害が甚だしい。
天皇に対する最大の人権侵害は、職務の過酷さだ。天皇の職務が過酷だと思わない者は、所功『天皇の「まつりごと」』を読むとよい。そうすれば、天皇の仕事量がいかに膨大であるか理解できるだろう。
信教の自由を奪われていることも、天皇に対する人権侵害の一つだ。天皇が信仰を許される唯一の宗教は神道だ。明治維新までは仏教の信仰も許されていたが、それ以降、天皇が仏教に帰依することは暗黙のタブーとなっている。
天皇の職務の過酷さも、信教の自由の侵害も、その原因は世襲制度だ。天皇の職務が過酷であるのは、天皇という一人の人間に二人分の職務が課せられているからだ。すなわち、国家の機関としての天皇が果たすべき職務と、祭祀王としての天皇が果たすべき職務は、それぞれが一人分の仕事量に相当する。天皇が信教の自由を侵害されているのも、天皇が祭祀王を兼任しているからだ。
皇位の世襲制度を廃止するということは、国家の機関としての天皇と、祭祀王としての天皇との分離を意味する(後者の呼称は「天皇」以外のものに改称されることが望ましい)。天皇が二名に分離すれば、職務の過酷さの問題も、信教の自由の問題も解決する。新たな制度における国家の機関としての天皇は、宮中祭祀の重責から解放され、信教の自由も獲得するだろう。
余談だが、現行の天皇制において人権を侵害されるのは、皇嗣として生まれてきた者のみに留まらない。その者の配偶者もまた同様だ。
皇嗣の配偶者になることは自身の自由を放棄することだ。誰が喜んでそんなことをするだろう。雅子さまも、本人の意思によって浩宮さまと結婚されたわけではない。Newsweek誌は雅子さまをThe Reluctant Princess(不承不承のプリンセス)と呼んだが、この言葉は彼女の身の上に何が起こったかを的確に表現するものだ。来る悠仁さまのお后選びでは、このような悲劇が繰り返されないことを願いたい。
子供は親のクローンではない。ゆえに、鳶が鷹を生むこともあれば、逆に鷹が鳶を生むこともある。世襲制度を厳格に運用した場合、もしも生まれてきた者が鳶ならば、鳶が何らかの地位を継承することになるが、これは悲劇を生む蓋然性が高い。
次のような事例がある。
https://twitter.com/osakadenshi/status/863981952474300416
ウィキペディアによれば、この学校がこれまでに輩出した卒業生の数は3万人だそうだ。しかし、現状がこれだとすると、4万人に到達する日は永遠に来ないだろう。
この学校が急激に衰退した原因は、世襲制度だ。生まれてきた者が鷹ではなく鳶だった場合は、どこかから鷹を連れて来て禅譲すべきだった。世襲制度に拘泥した結果がこの悲劇だ。
現行の天皇制もまた、鳶が皇位に即く危険性と無縁ではない。皇位の世襲制度に固執し続けるならば、日本はいつか、鳶が天皇に即位する日を迎えるだろう。天皇が庶民の前に姿を見せる必要がなかった時代においては、鳶であろうと雀であろうと問題はなかったかもしれないが、象徴天皇制における天皇が鳶に務まるかどうかは心もとない。
皇位の世襲制度を廃止すべきという主張に対して、おそらく保守派の人々は、「万世一系の血統」乃至「皇室の伝統」というような議論を持ち出すだろう。しかし、国家の制度において血統や伝統を維持することにはいかなる合理的な必要性もない。さらに、皇室の伝統には宮中祭祀という宗教的活動が含まれているが、これは憲法第二十条に規定される政教分離に抵触しているおそれがある。
おそらく日本の国民の大多数は、皇室が保有している血統や伝統にはいかなる価値もないという主張には賛同しないだろう。ゆえに、それを維持すべきであるという主張にも一定の合理性がある。しかし、何らかの組織が血統や伝統を維持するために、それが国家の機関であることを必要とするだろうか。血統や伝統を維持している民間の組織は枚挙に遑がない。
「皇位の世襲制度を廃止するということは、国家の機関としての天皇と、祭祀王としての天皇との分離を意味する」と上で述べたが、それらが分離されたとき、それと同時に皇室は民営化されるべきだ。そうすれば、憲法第二十条に抵触することなく宮中祭祀を維持することができる。
本稿の目的は、皇位の世襲制度は廃止すべきだと主張することであり、それに代わる制度について述べることは本稿の目的ではない。しかし、世襲制度に代わる制度について、付論として筆者の見解を述べておきたい。
世襲制度に代わる制度としては、公選制度が望ましいとする意見が出されることが予想される。しかし筆者は、皇位の公選制度には反対だ。その理由は、天皇の人選には反知性主義的な見解が反映されるべきではないと考えるからだ。天皇は、今上陛下がそうであるごとく、正しい歴史認識を持つ者でなければならないが、公選制度によって選出された天皇がその条件を満たすとは考え難い。
世襲制度に代わる制度を設計する上で参考となるのは、元号の選定の制度だ。なぜなら、元号の選定もまた、反知性主義的な見解を避けなければならない制度の一つだからだ。元号は、漢文学や国文学関連の有識者が候補を考案することになっていて、決して一般公募ではない。しかし、これに対する異論は寡聞にして知らない。大多数の国民はDQN元号やキラキラ元号を望んでいないからだろう。
この物語は伝承などに従ったフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
また、伝承は諸説有り、違った見解や物語を持っているものがありますが、これはそれらを否定するものではないことをあらかじめ申し上げておきます。
昔々ある所に、地域に貢献しながら元気に頑張っている2人家族がいました。一人は雅、もう一人は晴と言います。
体力に自信がある雅は、山(※この家族は入会地の権利を持っています。許可無く私有地・共有地に立ち入ることは法により罰せられる場合があります)に芝刈りに、晴は川へ洗濯へ(※この家族は水利権を持っています。安全上問題の無い処置の他、特別な訓練を受けています。もし真似をしたことによる損害が発生しても責任は追いません。また環境に配慮した石けんを使用しており、環境に影響を与えることはありません)出かけました。もちろん、二人の役割は固定されているわけではなく、ジェンダーに捕らわれない公正な考え方、ジェンダーではなく個々人に目を向けた正統な役割分担によって相談し当番制を敷いていて、今日はたまたまこの役割だった事は、言うまでもありません。
すると、川の上流から大きな桃ののようなものがどんぶらこどんぶらこと流れてきました。晴は桃を拾い上げると、警察に届けました。警察は、桃はそのままで保管する事は困難であると判断して、遺失物法に基づき手続きを実施、売却をしてその代金を保管することにしました。
雅と晴は二人で相談して、合議の上でお互いの財産から半分ずつお金を出し合い入札をして、桃を手に入れました。入札額は桃の価値に対して十分な金額でした。
持ち帰った桃をわってみると、なかから元気な子どもが! 二人は大変驚きましたが、子どもが生まれたことは事実であり、桃から生まれたと言う一点だけで差別したりはしません。二人は適切に子どもの世話をすると共に、役場の担当者に連絡、村長が棄児発見調書を作成して戸籍がつくられ、児童相談所に預けられました。この時、従来からの慣例に従い、子どもの命名は発見した保護者が行う事にもなっているため、二人は悩んだ末、ジェンダーニュートラルな名前「桃」と名付けました。(※なお、桃は二人でおいしくいただきました)
その後、これも何かの縁(※特定の宗教を意図したものではありません)と考えた二人は、正式な手続きを経て、桃を特別養子縁組の仕組みをつかって引き取るり、大事に育てました。もちろん、二人は養子として迎えられなかった子ども達が一律に不幸だと考えてこの行動をとったわけではないのは、言うまでも無いでしょう。
時は流れて、大きくなった桃(※事実を述べたに過ぎず、病気あるいは遺伝的特徴から大きくなれない事を揶揄する意図はありません)は、鬼ヶ島へ鬼退治(※法的処置に基づく、強制行動のことをさします)に行くことになりました。
もちろん、鬼たちは、鬼というだけで差別されているわけではなく、特定の島を不法占拠した上で、強盗・誘拐など、日本国法、並びに国際法、国際通念などと比較して、多くの人が反社会的行為だと言うような行為を集団的に実施している上に、暴力的な行為によって不当に取り締まりを逃れているため、対処の必要があると判断されているものです。
法的な召還にも応じず、命令にも従わないため、強制捜査や代執行などが決定されたものの、治安機関による取り締まりや、軍隊の出動などを実施した物のいずれも失敗したため、法的な手続きを踏んだ上で実施されています。一方的に鬼の人権を排除するような点については違憲の可能性も考えられるため、国会では議論に議論が重ねられ、特別立法によって、一連の鬼退治を桃に委託することに決定されました。報道各社の世論調査でも、読売新聞の調査で支持する、どちらかというと支持するを併せて8割以上が賛成、朝日新聞の調査でも7割以上が賛成するなど、世論の支持も得ています。
(なお、この文章は、現在国会で行われている、組織犯罪処罰法(通称、共謀罪)や、改憲論議に対して、何らかの意見、影響を与えることを意図した物ではありません。)
当日の料理当番だった雅が作った(※雅はジェンダー的役割の押しつけによって料理当番を実施しているわけではなく、個人に着目した能力に応じ、二人で決めたルールによって自発的に実施しているものです)きびだんごを腰にぶら下げて鬼ヶ島へと出発しましたが、道中、犬、猿、キジが現れました。桃は、彼らに、脱酸素剤などをつかい、添加物などを使わずに適切に保存したきびだんご(※動物に有害なものは入っていない特別な物です。一般的なきびだんごを動物に与えると動物の健康に悪影響を与える場合があります。また、野生動物に食べ物を与える事は、条例によって罰せられる場合があります)を、アレルギーなどがないかを確認した上であたえ、動物愛護法などに定められた、また、社会的にも正しい動物福祉の元で彼らの協力を得て、鬼ヶ島へと渡ります。
鬼ヶ島では、鬼たちが【青少年の健全育成に不適切な表現。ゾーニングされていないバージョンは正式な手続きにより読む事ができますので、検閲ではなく、これは自主規制です】の最中でしたが、人道的に問題があるとされる奇襲などは行わず、あらかじめ用意された裁判所からの令状を、十分に聞こえる様に読み上げ、鬼たちがそれに従わないことを確認すると、法令に則り代執行を宣言、【青少年の健全育成に不適切な表現。ゾーニングされていないバージョンは正式な手続きにより読む事ができますので、検閲ではなく、これは自主規制です】の末に、鬼らを後からやってきた治安機関の職員に次々と引き渡していきました。この時の罪状は公務執行妨害の現行犯逮捕です。鬼たちは今後、弁護士がついて公正な司法のもと、裁かれることになりますが、罪が確定して有罪になる迄は、あくまでも罪人ではない事に配慮し、実名は記しません。
また、この行為について、鬼側に死亡者が発生しているのではないかという指摘がありますが、事実無根であり、ここで行使された武力は正統かつ、やむを得ない範囲で十分に配慮されたものでした。
鬼たちが悪行で集めた金銀財宝などは、特別立法に基づき、国が指定した弁護士、管財人によって管理されます。有罪が確定したあと、確認が行われた後に被害者に分配されることがきまっています。故に、桃らが横領したという指摘にはあたりません。桃はここから報酬を受け取るのではなく、国から各種規定に基づきあらかじめ定められた報酬を受け取りました。これは桃が果たした社会的な役割を鑑みると正統な報酬であると考えられる範囲の金額であり、会計検査院の監査を受けた上で、妥当だと証明を受けているものです。
個人のプライバシーがあるため詳細は省きますが、報酬の用途は、実家のすぐ隣に新たな家を構え、その後は自立した大人として暮らすために使われ、桃はこれが国民の血税であることを十分に認識しながら、感謝の気持ちを忘れることなく、決して不当な事に当てられたことはなかったということだけは記載しておきます。
被害に遭われた方々の事を思うととてもめでたしめでたしなどと言うことはできない凄惨な出来事ですが、それでも、桃が自らの役割を果たしたことで、社会秩序・治安といったものが守られ、公共の福祉が成されました。今回は暴力という手段によってしか解決ができなかったことは大変に不幸であり、桃、または登場する人物もその点に遺憾を表明しており、やむをえずおこなったものです。
これは、桃は特別な訓練と、公正な立法措置によって行われた事であり、通常行うと重大な事故に繋がったり、罪に問われる場合がありますので、真似をしないでください。
https://www.ad-c.or.jp/campaign/self_all/self_all_01.html
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1707/04/news117.html
http://www.huffingtonpost.jp/2017/07/05/ac-japan-ad-campaign_n_17389562.html
https://srad.jp/story/17/07/06/047224/