はてなキーワード: エトセトラとは
http://blog.yuryu.jp/2012/05/blog-post.html
当時とは状況も違うしね。
といっても、〇芝や〇菱と違って学閥は感じられないのでほとんど影響はないんだと思う。
学部生は、主務昇進前の同期横並びになってる時期は、院卒の2年遅れ。
あとは様々。実力(いつ昇格研修に推薦されるか)次第
入社3年目くらいまでは夜10時くらいまで働くことも多かったけど、働き方改革の旗印のもと、8時以降の残業が禁止になり、定時日が週1設定され、
40時/月以上の残業についての手続きが煩雑になり上司もやりたがらなくなりました。
入退門システムと勤怠が連動してるので、サービス残業はありません。
GAFAとか行っちゃう強い人は↑で年収600万はあまり高くない・・と思うかもしれないけど、
結構な額の住宅補助と、ほぼ全額の通勤手当が出ます。自転車通勤でも出ます。(安いけど)
入社数年は寮か、寮扱いのレオパレスに月5000円で入居でき、
転勤すると自分で選んだマンションに住めて数年間家賃半額補助されます。
首都圏・大阪・名古屋だと補助倍率が変わり、もう少し安い。(東京勤務だったのでだいぶ助かった)
上司推薦の上研修に合格すると主務職という等級になり、お給料が一段踏みあがります。
平均給与ランキングみたいなので比較するとソニーとかと比べて安いのは、
工場の要員いっぱい抱えてるのと手当てを数字に反映してないせいもあると思う。 (借り上げ社宅だと所得税がかからないのでそこは有利)
あとは生命・傷害・自動車保険料がすごく安かったり、カフェテリアポイントがついたり、社割で家電とか買えたりします。
このあたりの福利厚生や人事制度は聞けば教えてくれると思うので、興味があったら就活生は人事に聞いてみて下さい。
とりあえず、この記事の内容について気になるところにコメントしていきます。
元記事の筆者の言う通り、パナソニックは事業部によりかなり風土が異なり、一部の全社共通の事項以外は結構異なります。
これは本当だと思う。
社員はエクセル方眼紙の仕様書を書くのが仕事で、バリバリコーディングすることはないという部署もある。
ただし、この点は事業部の中ですら風土が違い、僕のいる部署では協力会社にコーディングさせることもあるけど、
みんなプログラミングはするしできる。事業部と部署によるかな。
例えば、メモリ 1GB ぐらいの遅いマシンでビルドしている、ディスプレイが17インチ、
きちんとしたソース管理がない、などです。PCスペックやディスプレイなどは入社の時期によってはそこそこいいものになるんですが、
「壊れるまで使う」のが基本のためなかなか新しくなっていませんでした。
これは明確に違う。少なくとも、入社した2013年時点ではCAD用PCはメモリ16GBでQuadro積んだものが与えられてたし、デュアルモニタも使えた。
ラップトップはまともなスペックのレッツノートが与えられ、どちらも4年更新のリースなので、レッツノートのメモリが4GBだった次期はちょっと不満でしたがそれなりに使えるものでした。
ソース管理についてはメカ屋なのであんまり詳しくないのでノーコメ。なんらかの管理システム使ってたと思うけど・・・
具体的には書けませんが、改善提案をしたときには「新入社員(または入社2年目)なのに」というリアクションがついてまわりました。
中には「話を大きくすると、新入社員が思いつくようなこと何故今までやっていなかったのか」と問題になるのでと却下されたこともありました。
これはある。「物を作る前にひとをつくる」社風のため、若手は修行中とみなされる。
2年前くらいまではそうでした。
しかしここ2年くらいはセクハラに関する判定は厳しくなり、アファーマティブアクションとしてむしろ女性を優先して昇進させるという方針がトップから出されています。
逆にそれはどうなんだ・・?という気はしなくはないですが、「アファーマティブアクションである」と言い切られると納得できるところもある。
なんだかんだトラディショナルジャパニーズカンパニーなので言いたいことはいっぱいあります。
ほとんどの部署では毎朝・毎昼・毎夕のどれかで部署全員をあつめた会をやると思います。
そこで「綱領・信条・七精神」と呼ばれるチャントをみんなで唱え、小話をする儀式が発生します。
小話は持ち回りなので、人前で話しをすることが苦手な人はきっついと思います。
話が長い人も多いし・・
あなたがパナソニックで仕事を始めた場合、この3つに出会わない日はまずないと思います。
ワークフローシステムはあるんだけど、なぜかみんなエクセルの帳票を作りたがる。当然のように検印欄つき。
2001年にテンプレートの初版を作ったエクセル方眼紙でプロジェクト管理をするなボケ
研究所でもわりと「まとも」なことをしてる人ばかりです。
居室をドローンが飛んでるとか、そんな愉快なことはないです。夢のある話より事業貢献。当たり前といえば当たり前か。
新しいことに対してはまずリスクを考え、製造に根回しをし、品証、法務、営業エトセトラエトセトラに合議をとりつけないと何もできないので、
必然的に新しいことはしにくくなります。年初の計画にないことは予算付かないし。
でも偉い人がオッケーっていったらぜんぶオッケー!予算もつくし忖度してくれるぞ!
カイゼン活動やQC活動もやらせたがる。別にいいけど、本当に役立ってるかなぁ・・?
すっげえ時間と手間のかかる昇格研修(日立のケンロンみたいなやつ。5~10年目の中堅の昇格と、管理職候補のときにやる)とかね。
社内のシステムは全部クソです。20世紀のシステムが平気で動いてたりして驚く。
PLMシステムはほんとクソだし、
これにエクセル方眼紙を組み合わせた地獄の業務基盤が構成されてたりしてひっくりかえることがあります。
エクセル方眼紙をアップロードして印刷して・・・っていうのは構築時に誰かおかしいと言わなかったのか。
こいつのせいで設計資料どこだっけ(図面はあるけど設計書がない)などがおこりがち。
後述のe-チャレンジのセカンドチャンスがあるとはいえクソ度が高い。
入社時の話と配属の話が違うのは残念ながらあるっぽい。
というのは、どうも採用時点では部クラスまでは決まってるけど、
その中での課クラスの割り振りは後で決めるやりかたをとってるところがあるようだ。
例えば、xxxx事業部 開発部 までは決まっているけど、担当機種やシリーズは決まっていないとか。
これも事業部単位でやり方が違う。僕のときは研修時にヒヤリングがあった。
採用後、配属の決裁が下りてしまうと覆すのは結構たいへんなので、
やりたいことが明確な人は早めに人事部長と
明確にしておけば一応考慮はしてくれるはず。
僕のいるコネクテッドソリューションズ社(カンパニー)に限定されますが、
カンパニー社長が変わってからは上記の「ここがクソだぞ」を消していこうとしてくれてます。
問題を素直に言って改善しようとしたり実験的なことをやることを推奨しよう、というメッセージは発信されています。
ボロボロだったトイレや食堂も現代基準に合わせて改装されたし。
朝会の呪文詠唱はなくなっていないですが、鶴の一声で小話は、苦手な人は特にしなくてもよくなりましたね。
工場文化と研究開発のイノベーティブな文化を切り分けようとしてくれてるっぽい。
ただし、中間層まではまだ意識改革が行き届いてないっぽく、まだ保守的なことをいう人は多いです。
経営層の品位に関してははっきり言って経団連で迂闊なことを言って燃える他社よりはかなりましじゃないかなと思ってます。
事業部が変わるとほぼ他社な感じの会社なので、それまでの社内の実績を持ち込んだまま転職できるのはそれなりに普通に転職するより利点があります。
この制度の利用に関しては現職場にはすべて終わってからしか伝えられないので、どうしても無理になったらスッと転属するという、セカンドチャンスとなりえます。
長期所得補償保険に加入できますが、グループ社員は精神障害も対象になります(普通の保険は対象外)
鬱になってもなんとかなると思うと精神的に逆に鬱にならなくなるっぽい
少なくとも、僕の周りにいる人間は何かしら優秀なところがあり、人格的にもまともな人がほとんどです。
「ほとんど」としたのは、僕の知る限り数名頭のおかしいとしか思えない人もいるので・・・
ただ規模に比して無能・性格的に問題のある人は少ないと思います。
毎年25日付与されて、付与から2年超えても消化できない場合は毎年10日積み立てられます。
退職前にはちゃんと消化させてくれるし、普通に申請すれば休めるのでありがたい。
クソみたいだと思ってるところもありますが、案外、世間で言われるよりも変革に向かってる空気はあります。
車載部品や自動運転システム、電子部品組み立て装置やセキュリティシステム、工場ロボットやデジタルサイネージ、プロジェクターなど、
ぶっちゃけ家電以外の部門のほうが面白いと思ってます。地味なところでいろいろやってるよ。
家電も異常に軽い掃除機とか謎の球体扇風機、卓上燻製機など尖った製品は面白そうなんですけどね。
なんだかんだ家電もすげえまじめな作りしてるし。同期が調理家電の開発のベンチマークでコロッケ揚げてたら、見飽きすぎてプライベートでコロッケ食えなくなったとか言ってた
組織の慣性はあってクソなところもありますが、一つ一つつぶしていって、規模と革新性を両立させようと頑張っているところです。
改革が成った暁にはとても強い会社になりそうな気はするので、敬遠せずにぜひ話を聞きにきてみてください。
特に通過儀礼的な要素を含む新入社員研修、すごくリソースを取られる主務・主幹研修やエクセル方眼紙文化、根回し文化だのは、
IT基盤も現代の基準で構築してほしいし、提案活動や小集団活動はお手盛のパワポ発表会じゃなく、
データやノウハウも個人単位で溜め込まずにオープンに蓄積できるようなIT基盤にしてほしい。
社外の技術者や学生、そして僕とお客様にとって魅力的な企業であるために頑張って下さい。僕も頑張ります。
新卒でパナソニックに6年勤めましたがまだ退職しません。最先端の設計をしながらお給与も一定水準をクリアできる会社はなかなか多くはないと思うので、
http://b.hatena.ne.jp/entry/4668266855964355810/comment/ringomoon
上のブクマ、カメラについて語る増田に対して、何で撮ろうが編集で決まると返しているのだが本当だろうか?
私はしがない映像の編集者で、撮影素材を一本の映像として繋ぐパートを担当している。ばらばらのセグメントを文章に組み立てるような仕事だ。
その立場から言って、そんなわけはない。編集作業は基本的に素材に左右される。
たとえ、ジャンプカットのみのYouTuber編集だとしても、
人物のサイズ感、レンズの歪み、露出、ボケ足、照明、フレア、粒度、ノイズの有無、背景から人物までの空間の広さ、人物をど真ん中にするのか端に寄せるのか、素材の音声にノイズがのっているのか、どんなノイズか、
たぶんもっとあるが、これらを加味して編集すると言うのが前提である。
そして、これらの要素は基本的に不可逆で、編集で変えることはできても、あくまで擬似的。そして、完成品のビジョンによって、必要な要素は変わるわけで、
例えば、
話者の背景にある小物をボカすかで何に集中してもらうか変わる。
生っぽくするのか、フィルム風にするかで生じる説得力が変わる。
もちろん編集を生業にしてるのだから、素材の状態にあった編集はできる。ただ、それが元のビジョンにどれだけ近いのか、映像の中で主張しているもの、話者のキャラクターにあっているか、というのを考えると、成立できるかどうかといえば、あやしい。
どう料理するかはもちろん要だが、そのどう料理するかは食材に左右されるし、意図した料理にするには、意図した食材を用意しなければいけない。
なのでカメラだいじ、超だいじ。
アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンはインディアンに対する差別や黒人奴隷プランテーションを大々的に行ったから、建国の父として讃えられることは間違っていると主張するニュース記事を見た。
個人的にはアメリカにもワシントンにも思い入れはないので、別に彼を擁護するわけではないのだが、このような考え方には違和感を覚える。あなたが彼だったとして、あの時代に生きて、奴隷制に反対という立場を取るだけの勇気があったのか?と偉そうなことをいってみたくなるのである。よく言う、時代性を考えれば妥当じゃないかというやつである。
どうして時代性という考えが生まれるのか。我々の倫理観はどうして進歩するのか。
人は、環境によってその生き方を変える。アイヒマンという有名なナチ高官がいた。彼はもともとは穏健派でマジメな公務員タイプの人間で、ユダヤ人はアーリア(ドイツ)人と隔離して生活させるべきという思想こそ持っていたが、虐殺することはやりすぎだと当初は考えていた。しかし、他のカリスマある過激派幹部党員たちと討論を重ねた結果、ユダヤ人はやはり根絶やしにするべきだと意見を翻す。
結果としてユダヤ人を虐殺する命令書にサインした彼は、当然のことながら裁判にて死刑を言い渡されるが、のちに、彼と同じような圧迫状態に置かれたときに人間が倫理にもとる行動を取るかを調べた、いわゆるミルグラム実験において、人間の多くは道徳より権威・安全・保身を優先することがわかった。
人を、倫理を、道徳を規定するのは環境だ。では環境を規定するのは何か?一体何が奴隷という怖ろしい制度を肯定する道徳を生むに至ったのか?
ワシントンの時代、奴隷労働による大規模なプランテーションなしにはアメリカの工業化は支えられなかっただろう。リンカンによる奴隷解放だって、北部の工業化が十分に進んだ結果、奴隷の需要が薄くなったのが原因のひとつだとされている。
彼らは、奴隷労働なしには生きられなかったのだ。少なくとも、奴隷労働なしにはアメリカは今日のような巨大工業国に育つことはなく、このグローバルな科学社会もいまほど繁栄することはなかったであろう。
環境を規定するのは科学技術だ。人類の知恵だ。我々の需要を、その時代の科学技術が満たしきれないとき、我々は一部の社会的弱者に負担を押し付けてやり過ごそうとする。これは時代を超えて起こってきたことだ。日本国内を見ても穢多・非人・部落など枚挙に暇はない。
奴隷労働という『悪徳』の恩恵を享受した我々が、そのことによって得た新たな道徳観で彼らを批判するとはなんだか皮肉だ。回顧主義によって昔の人の悪徳を批判するのもいいが、むしろ未来の人間に批判されるべき悪徳が自らに備わっていないか、我々はもっと考えるべきではないか。
非正規雇用労働者、医学部の不正入試問題、保育士や看護師と言った一部の職業の常軌を逸した低賃金労働、過密環境下での畜養エトセトラエトセトラ……これらは、数十年後科学技術が進歩したときにはおそらくほぼ解決されるだろうと私は考えているし、その暁には未来の運動家たちの回顧的な批判にさらされるだろうとも、私は考えている。
貧困にあえぐ非正規雇用労働者が労働者全体の数十パーセントまでをも占めるのはなぜか。会社に正規雇用者を雇って保険料その他の経費を払うだけの経営的体力がないからだ。会社が流動性の高い人手を求めているからだ。正社員がその要件を満たすようにするための仕組みがないからだ。それらの問題を解決し、全ての雇用者たちに十分な生活物資を与えるだけの生産技術を我々が持っていないからだ。
犬や猫といった一部の哺乳類が動物愛護法で手厚く守られているにも拘らず、同じ哺乳類でも豚や牛は毎日おびただしい数が動物愛護という概念につばを吐きかけるような環境で肥育され屠畜され死んでいくのはなぜか。そうしないと我々は良質かつ大量の動物性蛋白質を手に入れることができず、そして動物性蛋白質を手に入れなければ人は健全に成長することが難しいからだ。
女性が医者になることが嫌われるのはなぜか。女性が妊娠したときに、医療という絶対に穴を開けてはならない業務にできる巨大な穴を埋める方法が現在見つかっていないからだ。そもそも、女性が妊娠したときに長期に渡って休職しなければならないほど、医療技術やリモートワークが進歩していないからだ。
話はそれるが、医学部不正入試の際に、この問題を提起した人が炎上していた。女性が多くなると、その分医療従事者に負担が増えることになり、システム全体が崩れかねないと。日本に生きている以上、誰しもこの構造的な問題の恩恵を受けているはずなのだが、これを一方的に叩いていた人は一体何様のつもりなのか。さぞ時代を先行きする高い道徳心をお持ちなんだろうな、と思いながら見ていた。
もっと直接的な話をしよう。石油資源を燃やさないため、トウモロコシなんかの生物資源から取り出した燃料を使おうという動きはかなり昔からある。だが、もし今すべての車がバイオエタノールを使いだしたら何が起こるか。全ての森林をトウモロコシ畑にしたとしても、我々の消費しているエネルギーを生産するにはとうてい足りないのだ。つまり、バイオエタノール、生物燃料という考え方は(少なくとも現行の技術では)人類を支えるだけの力を持っていない。現在の我々は自らの使うエネルギーを自己生産することすらできないのである。そして、そのつけを払わされる社会的弱者とは、未来人たちだ。彼らは、化石燃料は燃やし尽くされ、大気の汚染され尽くした地球という大きな負担を押し付けられるのだ。
この我々の巨大な『悪徳』に対して、我々は未来人になんと言われるのだろうか。呪詛を投げつけられるのだろうか。それとも、時代性という言葉とともに、やんちゃをしてしまった子供を見るような目で許してくれるのだろうか。いずれにせよ、今のところは物言わぬ存在である彼らからは批判されないのを良いことに、彼らに莫大な負債を押し付けていることは間違いない。
我々は皆、生きていくために必死だということを言い訳に、平気で他者を踏みにじる、巨大な業を背負った罪人なのだ。そして、そうである以上批判されることはあるし、完全に正しく生きてかつみんな幸せにしようなどという幻想は捨てねばならない。様々な意見を取り入れ、熟慮し苦悩した末の自らの選択は批判されないと思ったら大間違いである。皆あなたと同じように苦しんで、罪を背負って生きているのだ。むしろ、我々の権利とは、自由とは、選択とは、もらった批判を受け入れるか、心の中でくさすか、そこにこそあるのだ。
理想論を語るにしろ、現実論を語るにしろ、それを受け入れるところから始めなくては、現代の社会問題に関する議論は的外れなものになってしまうだろう。
夫はレディーボーデンのアイスクリームが好きだ。チョコやストロベリーではなく、正統派のバニラが好物だ。スーパーで安売りしているときは妻である私がコツコツとまとめ買いをしている。仕事や育児で疲労が溜まった時に食すと心身ともに回復するらしいので切らさず冷凍庫にある。
最近言葉を覚えた娘はアンパンマンチーズが好きだ。アンパンマンのパッケージのベビーチーズ。舌足らずな喋りで「アンパンマンちーず、ちょーだい!」これも冷蔵庫に常備している。
まだ赤子である息子は手遊びが好きだ。流行りのUSAをBGMに手を握り上下に揺らすと声を上げて笑う。
だがしかし私の機嫌は誰がとってくれるのだろうか。
そもそも誰かに機嫌をとってもらおうとすること自体が傲慢なのかもしれない。でも今までの自分は友達や彼氏、同僚、顧客、お給料、美味しいご飯、お酒、旅行、クラブ、彼氏っぽい男、ご飯を奢ってくれるおじさん…エトセトラに機嫌をとってもらう人生を送ってきた。仕事でもそれなりの成果をあげて評価もされて復帰も希望されている。
結婚して出産して産休育休をとった今、育児休業給付金以外には無収入だ。出産でとにかく老けてボディラインも崩れたので女としての価値は大暴落、チヤホヤもしてもらえなくなっただろう。そもそも私の仕事の評価、容姿と若さ込みだったよな?!と思い返して感じることが多い。
浪費と、誰かに機嫌をとってもらうことで自己肯定感を高めてきた私にとって、浪費もできずチヤホヤされない今の状況は由々しき事態である。つらい。堪え難い。
そして、お金と男という自己肯定感満たしツールを無くした私はどうやって自分自身の機嫌を取ればいいのだろう。
他者はお前の道具じゃねーよ!という意見もありそうだけど、じゃあそれを言うあなたは自分の機嫌を自分自身でとれると言い切れる?承認欲求なしに生きていける?
私は夫や子供の機嫌をとるすべを知っているけど、彼らは私の機嫌のとり方をしらない。いまバインミーの食べ比べをしていて息子を連れてテイクアウトしていることも、プレスバダーサンドが大好きで近くで催事やらないか心待ちにしていることも、ボヘミアンラプソディーを映画館で観たいことも、行きたいバーが恵比寿にあることも。
知らないことよりも、機嫌をとる必要がないと思われて蔑ろにされていることか不満なんだろう、知ってる。
きょう初めて行ってみたパン屋の鯖サンドが美味しかったな、とかそういった小さな幸せを積み重ねて自分の機嫌をとって生きていくのだろう。
たぶん、それでいい。
いざ当日出かけようとしたら嫁から「はいコレ」ってデカいバックを渡された
で、車に乗り込もうとしたら制止されて、今日は嫁が運転するって言いだした
いつも運転してもらっているからって言うから代わってもらったんだが、
嫁は申し訳程度に相槌を打つだけ
目的地に着いてからも子供を俺に任せてぷら~っとしてるし荷物も持たない
せめてバックを持ってくれと頼んだんだが、「運転で疲れた」って聞く耳持たない
息子をアトラクションに乗せるのも俺ばっかやってて、嫁はベンチに座ってデジカメ係になってる
手は出さないのに口だけ出してくるしさ
やれ息子にお茶を飲ませろやれ敷物を出せやれ息子の手を拭いてやれエトセトラ
いつもと違って全然楽しくなかった
嫁も少しは手伝ってくれてもいいのに、なんか虫の居所でも悪かったんだろうか @
親類、友人、職場、恋人にいたメンヘラを参考にしたメンヘラへの個人的な対処の備忘録。
メンヘラは心の隙間に漬けこもうとする。典型的な「あなたが好きよ」と「頼ってます」アピールは奴らの常套手段。
その言葉に意味はなく、メンヘラの「好き」は「言うことを聞いてくれる」、「頼る」は「利用するのに都合がいい」の訳。
自分を省みて、入り込む隙間を与えない。
ゴキブリはゴミのない家には入り込まない。メンヘラは澱みのない心には近寄れない。
メンヘラが好きなのは「無償の愛」。誰かが自分にくれるものが好きなだけなのに、「好き」を叫び続ける。
だが、メンヘラは絶対に心からの「愛している」は言わない。だって、言ったらみんなのものじゃなくなるから。
メンヘラが「愛している」を口にしたら、それは別の誰かにも同じことを言っていると思え。
メンヘラのお仕事はいっぱいいっぱいいろんな人からの愛を集めることです♥
たとえ親でも必ず見返りがあっての愛である。共に暮らす幸せ、金銭的な補助、将来性などなど、そういうものがあっての「愛」。
何の見返りも与えない、もしくは苦痛ばかりの親なら家族と思ってはいけない。それは親ではない。メンヘラだ。
奉仕をしていると思っていて
誰か一人の愛を求めるならば、自分はメンヘラではない。相手がメンヘラ、もしくはクソだ。今すぐ縁を切れ(ただし片想いは除く)
色んな人の愛を求めるならば、自分がメンヘラだ。いいか。お前がメンヘラだ。自分が愛したい相手を見つめ直せ。
メンヘラは全く異なる思考、文化圏、常識から成り立っているため、犬よりも意思疎通が難しい。
メンヘラに「1」と言えば「好き」と返ってくる。「山」と言えば、「ディス」が返ってくる。
メンヘラはほぼ全員が「●●王国の君臨者」で、そしてその王国は自分の生活圏全部。
メンヘラにつき従っているように見えるメンヘラも、結局「××王国の君臨者」。いつかいじめられてたといって叛逆するぞ。
自分の言うことが聞けないやつは追放。そして新しい場所を見つければ見つけるほどに開拓して侵略し、敵と味方に分けて敵を屠る。
何故なら、メンヘラの言語では「交渉」が「宣戦布告」にしか聞こえないからだ。
メンヘラは強い。中途半端に賢しく、ねちっこい。ゴキブリをもしのぐ生命力と被害者ヅラ。つるむと蔦のように絡んでめんどくさい。
だが、大体練った作戦が中途半端なので落ち着いて、証拠集めれば潰せるぞ。ただし、生命力は庭に植えられたミントも凌ぐのでご注意を。
気分が伝染するようにメンヘラも伝染する。
伝染すれば最後、メンヘラが望むようなメンヘラになってしまい、嘘っぱちの愛の囁きにずぶずぶ沈んでしまう。
よほどのマイペースか、マイナス思考と縁を切っている人間、心に隙がまったくない人間でもなければメンヘラの伝染力の前には膝を折るしかない。
メンヘラの傾向に気付いたら即刻、自分の周囲でメンヘラの可能性のある人間とは距離を置く。
もしも距離を置いて、そのままにしてくれる人間はメンヘラではない。
そこで「どうしたの?」「困っているなら話を聞くよ」「助けたいの」とか言ってくる者がいればそれがヤツだ。
メンヘラの傾向
(この人が喜べば私も喜ぶではなく、この人を喜ばせるしか考えない)
メンヘラは少しでも好意的な場合にはしがみついて離そうとしない。
一度でも離れれば、敵対者としてつるし上げ、周囲の人間を離れさせようと策略をめぐらせる。
メンヘラは如何に自分が被害者であり、離れた相手が惨い加害者であるかを自身の周囲とその人物の周囲に広めるかが力の強さになる。
だっていじめなんて悪い子のすることは、みんなのいい子はしないもん♥ むしろ、私がいじめられて悲しいからたすけてね♥
いじめではないが、相手が困るように逃げ道を潰して、自分に縋る以外に方法がないようにしてくる。
いじめではなく、いやがらせなら相手が困る程度なのでやってもいいと思っている。
でも大抵やり方がぬるいので逃げ道はいくらでもある。視野のせまいメンヘラに見えてないだけなのだ。
そして、メンヘラは相手の周囲を遠ざけるために、地味な悪口、いいふらしをしてくる。
相手の周囲から人が離れれば上々。それで困って私に盾突いたことを謝れば、心の広い私は許してあげる♥
だが、いやがらせ程度の本当にくだらない嘘を信じて離れていくような人間はメンヘラの寄生先になるだけ。
本当に自分を好いてくれている人間はそんな嘘など胸の中で笑って蹴っ飛ばしているものさ。
メンヘラの多くはおしゃべり好きでついつい相手がしゃべってしまう隙を狙っている。
そして、何気に大体覚えていたりする。
メンヘラの特技は「ここだけの話なんだけど」。ここだけと言いながら本人以外は全員知っている。
話を聞いているだけ聞いて、こちらはしゃべらずにいる方が相手も距離を取られていると察して寄生先候補から外してくれる。
聞かれた時だけあたりさわりのない範囲だけでしゃべるのは、メンヘラだけでなくプライバシーの観点からも身に着けておくべし。
ちなみに以下のワードのうち、いくつかが口から出たら8割メンヘラ
(そう言っておきながら死ぬ気がない)
兎にも角にもこの一言に尽きる。
自身の心を理解しているフリをして、醜い本心を隠していなければ、自分のアラを隠していなければ人間が寄ってこないことを分かっている。
相手の心を理解できないのではなく、理解しようとしないだけである。
嘘をついて魅力的な雰囲気を出しているだけで、自分に人間としての魅力がない、人間以外のものであることを理解している。
故に、自身の正当な評価を受け入れることはなく、それが客観的に見ればプラスの評価であっても、自身のほしい言葉でなければ攻撃としてみなす。
当然、正当な評価で悪い言葉があれば、自分への嫉妬による攻撃にしか見えない。
その時、自身の中に「●●という言葉が欲しい」ということを理解していないのに、欲しい欲しいだけを言うので微妙にずれたものを贈られると「誰もわかってくれない」と大泣きするわけで。
それがたとえどんなに醜いと自分が感じるものであっても、それは確かにあなた自身であり、そう感じるものを昇華なり、消化していくことが人間である。
もし、メンヘラ自身もそれを受け止めることができたなら、そのときはメンヘラの殻を破り、人間としての真の姿を得るに違いない。
→自殺を肯定的に語るフレーズも、断固否定するフレーズも、びっくりするほど画一的ですよね。自分の人生という超個人的な話なのに。
これ、覚えやすくて使いやすいフレーズだから流行ってますけど、根拠がなんにもない上に論理的に破綻してますよね。
いや、文字通りに自殺って人を殺すことですよね、という話ならそのとおりですけど。でもだから他人を殺すのと同様罪深いですよ、って詭弁ですよね。普通に。殺人が罪なのは人が他者の生存権を侵害しているからでしょ。自分の生存権を放棄することでしょ。なんでわざわざ大変な思いしてる人をあえて傷つけるような言葉の暴力振るうんだろう。無神経だな。
これも詭弁ですよね。あなたの家族が死んだ、だからあなたは傷付いた、だから自殺はすべきじゃない。
交通事故でも、他殺でも自殺でも家族の死は悲しい。当たり前です。それなのに自殺のときだけことさらに「だから自殺は良くない」それがどうしてか。他の死因と自殺の差は「自分の命を立つほど思いつめた気持ち」。それが辛いからことさら自殺は辛いというのなら、その辛さのぶんは、本人が生きている間耐えた重みとイコールでしょ。じゃ、その間にできなかったことの方を悲しむべきでは?
死者の家族に文句言ってるわけではもちろんありません。本人を救うことなんてだいたい周囲の人間にできない。でも、死因が自殺であることの辛さイコール死ぬくらいの辛さが死因であること、ということをすっとばしてあっけらかんと「家族はこんなに辛いから自殺するな」って、それ思考停止も甚だしく、まさしく死者を鞭打ってないですか。
○私も昔は死にたかった。けど、年をとったら...
これも、意味がない。自殺の理由は年齢、持って生まれた性質、社会状況によって様々で、私も、十代、二十代、三十代、各タイミングで全く別の質の死ぬしかないという確信を持ってた。
そんなのファッション雑誌の「この服はこのカラーがおすすめ」程度にしか一般性のある話でしかない。いやいや、ひとそれぞれ何色かは違うだろうよ。
本人か周囲が宗教を持ってたらその説明で納得かもしれないけど、無神論者の人がそれ言ってもお笑いです。いやいや、大体の宗教、信者じゃなきゃ救われない、って設定だから、自殺しなくてもあんた自身が地獄行きだよ?人のこと言ってる場合じゃないだろう。
自殺はよくない、を既存の論理で説明するのは無理なので、上記反論をしたとしても、結局「だめなものはだめだ」「そんなの理屈でどうこういう話じゃない」ってセリフになり、しかも言った方が正義。いや、さっきまで理屈で論破しようとうだうだ言ってたの自分でしょうが。なんでこんな時だけ、子供を言いくるめられると信じ込んで無茶な理屈を振りかざすカーチャン状態になるんだ。あなたは普段からそんな失礼な議論をしてるの?仮にも生きるか死ぬかっていう本人にとって一番大事な決断を本気でしようとしてる相手に対して。ちょっと顧みてほしい。でもこんなセリフを厚顔にもいっちゃう人は多分人を自殺に追い込むことに抵抗がない人なんだなとは思うから、自分を顧みてはなんて言ったとて、何言われてるかさっぱりわからないんだろうなとは思う。
世の中にはびっくりするほど、自殺は良くない、この理由からだ、的な議論にあふれていて、それが、しかもでたらめな論理構成なのに、そしてそれを言われてわけもわからず傷つけられている人がたくさんいるのに、ノストラダムスの大予言みたく市民権を得ている。
強大な意志の力で生活を是正しようとするのは無理だと思えてきた今日この頃です
そもそも強大な意志っていうのがないわけで、ないものをあてにして生活して、
それでも時々はきちんとした生活できてうれしくて、すぐに逆転していつも通りの生活になって自分を責めてしまう
カーテン開けて寝るとか画面見ないようにするとか食い物に気を付けるとかエトセトラエトセトラ、
そんなまどろっこしいことしなくてもきちんとした生活ができている人とおれとでは何が違うのだろうか
全国民が画一的に早寝早起き朝ごはんなんていうのは不可能というか不自然な命題なんじゃないかと思えてきた今日この頃です
どうすりゃいいんだ
正確にはでした、かもしれない。
興味があると堂々と言うことが憚られるほどに無知なので、未だ興味がない若者だと名乗らせてほしい。
私は恋愛や漫画やロックフェスやディズニーランドにしか興味がない、二十歳になったばかりの大学生だった。選挙にも、行ったことがなかった。そもそもいつやっていたのかさえ知らなかった。
半年前、友人から勧められたのをキッカケに、主に政治関係のことを呟いているある知識人をツイッターでフォローした。意味なんてなかった。就活も着実に近づいているし、政治のことも少しは勉強しておくか、という軽い気持ちからか、あるいは二人でしか遊んだことのない、多くの人に好かれるのに、誰も彼女の世界に入れないような、不思議な雰囲気と芯を持った同性の友人に近づきたかったからなのかもしれない。
彼女はそのアカウントを私に教えてくれたとき、こう言っていた。「日本は大変なことになってるよ。嘘ばっかりなの。」わたしは彼女の、正しい日本語を使うところもとても好きだと思いながら、なんとなく聞き流した。その言葉を、その後、何度も頭の中で反芻することになる。結論から言えば、そのアカウントはガチガチの左翼だった。
二ヶ月ほどだろうか。毎日ツイッターを開くたび、彼のツイートが目に入った。面白い人がたくさんいるから、私はインスタグラムよりもツイッターの方が好きだった。だからきっと、彼のツイートもすべて目を通していたと思う。たいてい話に上がっていたのはモリカケ、公文書、お金、エトセトラ、だった。
どうして、こんなことが、と思った。
話題になっていた新潟県かどこかの議員選で、 彼が応援していた野党議員が落選した。悲しかった。怖かった。彼女がどのような政策をかかげ、なにをしようとしていたのか何も知らなかった。自民党の議員が当選したことが、ただただ怖く、悲しかった。その時、はじめて、なんとなく、彼からの言葉だけで知るようになったその選挙を検索にかけた。
落選した議員は、選挙活動で子供にプラカードを持たせていた。私はそのことを初めて知った。友人のすすめでフォローした、たった一人の左翼と、彼がリツイートするたくさんのツイートで、毎日その選挙の話題を目にしていたのに。
本当のことを知りたいと思った。だから両方の意見を聞いて、自分の目で見極めよう。それでちゃんと選挙に行こう。自分の一票が、どんなに軽くても。
そう思った。本当は中立から公平な意見を言ってくれるアカウントを探したのだが、私の目には、ツイッターには右翼と左翼と無関心しかいないように映った。
まったくわからない。
彼らが毎日、毎日毎日、毎日呟いているのは、お互いの政策の欠点よりも、むしろ殆どが政治家として、ひいては人間としての欠点の方だった。
私は政治に興味を持った。しかし受動的な学びの姿勢のせいで、増えていくのは不祥事や悪事の知識だけだった。
安倍総理が3選した。世の中には彼を王様のように褒め称える人と、賢そうな理屈か、見るからに教養のなさそうな暴言で永遠に届くことのないボールを投げ続けている人がいて、何もかもが、府に落ちなかった。
私は政治に興味がなかった。
私が政治に願うことは、家族が、大切な人が、平和に、安全に、幸せに、暮らせる世の中、それだけだ。戦争も、貧困もない世界。それだけだ。馬鹿げているだろうか。当たり前ではないのだろうか。政治家は、平和で豊かな国をつくりたいと、この国を良くしたいと、強く思った人がなる職業ではなかったんだ、そうか、違うんだ。そう思った。
やるせない。同世代の友人たちは現状に欠片の興味も示さないが、私は彼、彼女たちに、政治の話をしたことはない。これからもしない。いつもヘラヘラヘラヘラして、授業も遅刻してくる私が、ある日突然「安倍総理の三選についてどう思う?」なんて聞いたら、驚かれるか、笑われるか。本気でとられることはまずないだろう。しかし真面目な顔つきで、ここに書きなぐったようなことを何度も何度ももちかければ、流石に本気が伝わるかもしれない。そして彼らは私から離れていくだろう。絶対にそうだ。なぜなら私でも、当然のようにそうするからだ。学生運動をする大学生は気持ち悪い。様々なことを考えるようになった今でさえ、その感覚は消えなかった。政治や社会問題について言及する若者なんて、普通じゃなくて、気持ち悪いのだ。私達は、新しいアイスかプチ海外旅行の記録かootdしかSNSで発信してはいけないのだ。ローラだって、動物を守りたいと言い出して腫れ物扱いだ。
やるせない。
私には、友人を、恋人を、国を変えることができない。
みんな戦争が起きたら、ひとが死んだら、嫌なはずなのに。この国はいつか、誰もが気が付かないうちにまた戦争を始めているかもしれない。
小さな子どものころ、平和は当たり前のものだと思っていた。でも多分、それは間違いだった。
多分この国を悪くするのは、アベでも、与党でも、野党でもなく、この空気だ。無関心な若者、無関心でいなければ、「普通」でいられない若者の世界、粗探しが論点の政治、結局何もわかっていない自分、どうでもいいと、思いたくなる。
政治に全く興味のなかった、いつかの自分に戻りたい。今はただ、怖くて怖くて仕方がない。
このサイトを知り、ずっと一人でもんもんと考えていたことをここでなら言えると思って独り言のつもりでアップしましたが多くのコメントを頂き本当に驚いています。まずは独り言のつもりだったとはいえ、不勉強にも関わらず右翼、左翼、と使いやすい言葉をきちんと理解しないままに使ってしまったことをお詫びさせてください。ここでは現政権に強く賛成し、野党などを批判している人を右翼、その逆を左翼と思いこみそう呼んでしまいました。すみませんでした。どちらのことも批判するつもりはありませんし、私自身は本当にどちらでもありません。というより、繰り返すようですがどちらかに傾けるほどの知識がありません。重ねて、安倍総理のことも政治を理解していない今の私には批判する権利がないと思っています。恥ずかしいことだと重々わかっています。
たくさんの意見をいただき、漠然と もうどうしようもない、と考えていた気持ちが少し晴れました。とにかく私はまずちゃんと勉強しなければいけないし、その上で、どんなに小さな一票でも、選挙に行こうと思います。政治の話はできないですし、できるだけの知識も今のところありませんが、選挙にいく、いこう、くらいは言えるから、できることを、ひとつずつ、と、今は考えています。頂いたたくさんのアドバイスを、できる限り試してみます。ありがとうございました。
最近昇進してから、飯や飲みや遊びの誘いの断り方がわからなくなった。仕事終わった後に飯に誘ってくる同僚くらいならまだいい、飲みたい日は定時退社せずにグズグズ時間潰しして「あ~今日はどうしよっかな~」とか誘い受けするやつ、各種コミュニケーションツールで反応があるまで今日飯食う?って順番に聞き続けてくる奴、自分の用事と他人の用事をすり替えて終業後のこっちの行動を束縛するやつ(これから飯行くんですか? だったら俺もそっちに用事があるんで一緒に行きましょう、みたいな感じで引っ付いてくるやつ)、エトセトラ、、、
昔だったら「何こいつ、いい年こいて構ってちゃんだな~」みたいに適当に遠目で見てたけど、肩書きだけでも人の上にいる立場になったら、恐ろしいことに公私混同がかなりの領分で発生してて、最近xxさん付き合い悪いよね、みたいなところから仕事のモチベーション下げるやつが当然のように発生して、小学生かよと思うものの、結局しわ寄せは俺に来るから、顔色伺いの会をローテーション組んでいろんな人とやることになってしまう。
そうすると帰ってからやれることなんてシャワー浴びて寝るくらいしかなくて、じゃあ休日ぐらいは自分のためにと思うと、今度は休みの日くらい付き合ってくださいよ枠みたいな奴が沸いてきて、いやもう何歳だよ、土日とか出かけるの無理でしょと思っても、本音で無理だよ殺すぞとか言えないし、そうやって週7日大体飲みなり外食なりが発生した結果貯金は消し飛んだしエンゲル係数も意味不明になって、自分の趣味に使えるお金も時間もなくなってしまった。なんなら休みがないので体調もボロクソだ。、
そいつらにとっては「たまに俺と飯食ったり飲んだりしてる」ぐらいの認識なんだろうけど、俺はいろんな奴相手にほぼ週の全部を散財してるようなもんだから生きていくことすら不可能になりつつある、もちろん今の役職につくときに多少は私生活を犠牲することはあるかもしれないと言われたけど、それってこういうことなのか?? 働けば働くほど金も時間もなくなっていく、きつい無理、その無理は平日に突然病欠したりすることでなんとかチャラにしてるけど、それで休みすぎとか言われても困る、いや確かに休みすぎなんだけど、むしろ休みが少ないくらいだよ俺は、そうでもしなきゃなににも追い立てられることなく休むことができないんだから、。助けて欲しい、こんなことなら一生付き合い悪いヒラ社員として人生を終えたかった、、本当に金がないから無理と誘いを断っても、金くらい出すから来いよと結局予定を束縛されてしまう、そういう話じゃなくてただ休みが欲しい、折れて金を出されてしまうこともあるが、それは呪いのようなもので、金を出せば予定を縛れるという逆転現象にでもならないだろうか、おれは金だけ払うから1秒でも早く帰りたい
ほんとうはもっと適当でもいいのかもしれない、付き合いが悪いくらいで壊れる人間関係とか、働かないやつとか俺の妄想で、適当にやっても案外どうにでもなるのかもしれない、でもそれを保障してくれる奴がいない、おれの付き合いが悪いせいで仕事がポシャったりしたらおれの管理責任になるのかとおもうと回っている形を維持しなくてはならないのかとおもう、今も飲みの後で頭痛と吐き気がとまらない、たぶん明日は休むことになるだろう
タイトルのままです。レズビアンの要素を含むので苦手な方、嫌悪感をお持ちの方はブラウザバックお願いします。
※追記:わんわん泣きながら衝動のままに書きなぐったので文章めちゃくちゃだわ
半年近く付き合ってきた彼女に振られました。唐突に距離を置きたいと言われたのが2週間前の話で、だけどその時点で別れるのかと不安がる私に「別れるかどうかは分からないけど、それを考え直す期間だから悲観的にならないで欲しい」「出来れば私も別れたくないと思ってるよ、だから距離を置くの」と伝えてくれたのでなら私に出来ることは信じて待つことだけだと思って、待っていたんです。
彼女とは、具体的な同棲の話も、結婚の話もしていて、早ければ来年にもお互い今の家から引っ越して同棲がスタートするかという状況で、気軽に会うには少し遠い距離に住んでいる私たちは、月に一度のデートがやっとだったので、私は彼女との同棲をすごく楽しみにしていました。今年頑張れば一緒に住める、今のお仕事を頑張ってお金を貯めなくちゃって。
一昨日、?一昨昨日、?分かりません、彼女に、「私のことまだ好き?」と聞かれました。もちろん大好きに決まってるじゃないですか。
すきだよって答えた私に「そっか」って返事をくれた彼女に。嫌な予感がしました。
私と彼女は元々毎日頻繁にLINEで会話をし、空いた時間があれば電話をし、可能な限りの時間をお互いに使って来ました。私はそれがすごくすきで、幸せで、何より安心できて、例え早寝の彼女がそうそうに寝落ちて寝息だけが聞こえる通話になってしまっても、寂しいけど、でも、そんな穏やかな時間が幸せだなぁなんて思っていました。私のあげられる限りの時間も、愛情も、全部全部彼女にあげたくて、彼女の為に生きていたくて、彼女がいるから頑張れて、彼女がいてくれるから幸せでした。私の中の一番はいつだって彼女で、少しすぎたワガママに困っても、それでも叶えられる限りは叶えたいと思えていました。友達を大事にする彼女に沢山たくさん嫉妬しました。私の中の一番はいつだって彼女なのに、彼女の中には大事なものが沢山あって、あくまで恋人として大事なのは私でも、私が一番ではなかったから。そういうところで嫌と言うほど疲れさせちゃったんだろうなって思います。付き合ってた時は、面倒くさいことを言う私に面倒くさそうな反応をする彼女に「面倒くさい?」と聞くと「面倒くさい、でもいいんだよ、それで嫌いになったりしないから」って言ってくれてたのに。でも嫌いになったとは言われてないから嘘ではないのかな。
距離を置いて、関係を、自分の気持ちを、見直した結果、彼女の中で私は恋人ではなくて友達だったらしいのです。友達の方がしっくりくる、疲れちゃった、恋愛感情とは違う、でもあなたのことは嫌いになったわけじゃないから連絡取れなくなるのは嫌だ、これまで通りLINEしたりあって遊んだりしたい、友達として付き合っていきたい、あなたの望むような恋人にはなれない、おはようもおやすみも言わなくても私は平気なくらい薄情だったから別れようと思った、エトセトラ、エトセトラ、。
距離を置かれ初めてLINEの頻度が減った時点で、正直私はいつも通りを保てなくなっていました。
いつもならすぐに返事が返ってくる時間に全く返事がない、返ってきても返信までに今までに比べたら長い時間が空いている、毎日の電話がない、「すき」と言われない、負担になるのが怖くて「すき」と言えない。文章にしてしまえばたったこれだけなのに、依存している自覚はあります、彼女が好きだと言っていた曲がシャッフルでかかって泣いて、何もしていないのに気づいたら泣いていて、通知もないのにLINEを開いては泣いて、通知音に過敏に反応しては彼女からの連絡でないと泣いて、やっと来た彼女の返信がなんであれ泣いて、返信をしながら泣いて。もう何年も辞められていたリストカットに気がついたら手を出していました。泣きながら切ってはそんなことをしている自分が情けなくて、自己嫌悪に襲われて泣いて。眠りたいのに眠れなくて、食欲も無くて、ずっと胃がきしんでは少し気持ち悪くて。それでもたまにでもくる彼女からのLINEが、おはようもおやすみも言い忘れられていても、「うん」とか、「そっか」だけでも嬉しくて嬉しくて、信じて待とうって、ボロボロだけど、頑張ろうって、待ってました。
結局改めて恋人を辞めたいと告げられて、腐ったことばかりしか言えない私に「そういうのがストレスだった」「そういうところに疲れちゃった」なんて言われて、最後には「もういい、全部終わり」「あなたとのことを嫌な思い出にする気はない」「付き合えて楽しかったよ」「今までありがとう」。その後仕事に行った彼女からの返信はまだありません。2週間前のあいだ、気づいたら泣いているような、ぽろぽろと細くわずかな涙なんかじゃなくて、今も画面がよく見えない涙でいっぱいです。私まで今までありがとうなんて言ってしまったら本当に全部終わっちゃう気がして言えなくて、悔しくて、やるせなくて、しんどくて、つらくて、当たり散らすみたいに嫌なことだけLINEで送ってしまった私がいます。ごめんね、ごめん、本当に大好きなんです。大好きだったなんて言いません、大好きなんです、今後もずっと友達としていたいという彼女に「どんだけ残酷なんだよ」と思わず送ってしまったけど、「あなたはいいよね、」なんて調子のことしか言えてないけど、切り捨てられたんだなって思ってしまってるけど、それでも世界で一番大好きなんです。
付き合い始めたときに、「私の生涯を貰って下さい」って私、言ったよね。ずっとずっと、本気でした。私なんかいつ振られてもおかしくない、付き合ってもらえてるのが奇跡だって思う反面、あなたとならこのまま歩んでいけると、私の生涯をかけて愛したいひとだと、この先もずっとあなたといるのだろうと思っていました。伝えるのが下手だと前置きした上で、だけど愛されるより愛したいからきっと私の方がすきだよと伝えてくれたあなたが、だいすきで、付き合ってすぐの頃にはもう本気で同棲考えてる、重いよね、なんて言ったあなたに、酷く安心したのを覚えてる。だって、私、めちゃくちゃ重いもん。もらう愛も、重い方が嬉しくてたまらない私だよ、ネットの友達とオフで会うのを嫌がったあなたと揉めながら、結局わがままを聞いて私予定をキャンセルしたよね。あなたが喜んでくれるならそれでいいやって本気で思ったの。あなたがいてくれたら私はそれで充分幸せなのに。ごめんね、友達としてじゃ嫌なの、わがままだよね、わかってる、だけど、だって、わたし、私のこと彼女にしてくれたあなたのことを一番知ってる。すきだよって言ってくれて、戯れにキスをして、はにかんで笑うあなたを知ってる。友達になったら、そんなあなたはもういないんだよ、。ゆっくり2人だけで過ごして幸せだねって笑って揃いの指輪を嵌めた手を繋いでカメラを構えたら私の肩に頭を預けて寄せてくれるあなたは、友達じゃなくて、恋人のあなたでしょ。
ごめんね、ごめんね、たくさん疲れさせて、苦しい思いさせちゃったね、愛情って言葉で縛り付けて、自由を奪う選択肢を選ばせちゃってたね、たくさん愛してくれたのに、ずっと不安な私でごめんね、欲張りで我儘な私でごめんね、だいすきです、ずっと、今はまだ声を上げて泣くのが精一杯だけど、もう少し落ち着けたら、その時はたくさんありがとうって言わせてください。
まず、この文章において私が用いる「普通の人」を以下に定義する。
「普通の人」は、今人手不足と言われる業界に、少なくない割合で存在する。
運輸、小売、介護福祉、酪農、飲食、旅館、カテゴリを問わない中小零細、エトセトラ。
これら人手不足の業界は、何も理由がなく人手不足に陥っているわけではない。
いっぱんに、上に挙げた業界は労働環境が過酷である。休みは少ない、賃金は安い、そのくせ顧客との距離が近く、サービスの提供者として高いレベルの品質を要求されがちである。
「優秀な人」は、個別な理由のない限りそんな業界で働くことを選択しない。よってその業界には「普通の人」ばかりが集まることとなる。
「普通の人」は、生活するのにいっぱいいっぱいだ。「普通の人」は、自己啓発の意欲もない。「普通の人」の集団は、仕事自体は真面目にこなすが、流れ作業に強く、ITに疎いために、過酷な環境に順応してしまい、劇的な業務効率化の策を思いつくことができない。
こうして、「普通の人」たちで構成された職場は、彼らをより「普通の人」たらしめるのである。
そこに、突如としてITのメスが入り、業務の無駄が洗い出され、徹底した効率化が成されたらどうなるか。
「普通の人」は、職を失う。特定の流れ作業に順応した身体は他の会社では使い物にならないどころか、別の会社でも同じように効率化がなされていたら、どこにも行き場はないではないか。
私は何も、「普通の人」の日頃の生活態度に問題がある、と言いたいわけではない。諸悪の根源は、「普通の人」を「普通の人」たらしめる職場にこそあると私は思うのである。
流れ作業は、もとより人間にやらせるべきではない。人間は機械ではない。サービスは、対価に見合ったものでなければならない。過酷な労働環境が前提になりたつサービスなど、あってはならないのである。
「普通の人」の一員として。
何に対しても気力がわかない。
今日なんて雨なのも相まってずっと起き上がれなかった。雨だと低気圧や天候が崩れて体調が優れないし、晴れても太陽の光に当たるのがなんだか気力吸い取られる。結局夜が一番生きやすい。そろそろこの生活とおさらばしなければと思うとすごく憂鬱だ。朝がものすごく苦手なのだ。
低血圧だからってのもあるけど、陽の光を浴びることが本当に疲れる。太陽の光浴びるとセロトニンがうんたら〜みたいな話で浴びた方がいいって言ってる人が多いけど、わたしは浴びてる方が疲れる。学生の時の運動会や体育祭の練習、あったじゃないですか。運動する前に、準備運動して、先生の話聞く時間があるじゃないですか。あの時点で気分はもうダウン気味だったんだよな。燦々と降り注ぐ太陽光を浴びてるとだんだん頭がぼーっとしてきて、何も考えれなくなってく。ここで貧血起こして倒れれるぐらい体が弱ければその方が楽だったのかもだけど、変なところで頑丈だからそういうわけにも行かず。
今日は何にも気力がわかなかった。
量を書いてみたらと言われたからとりあえずメモからでも出そうかと思ったけど、真っ白のメモ用紙に向かうと途端に頭も真っ白になる。じゃあ何かインプットしてみようと思って音楽を聴いたり、色々な作品を読もうとしたけど、音楽は流れてっちゃうだけだし文字は入ってこない。鬱になってから脳みその情報の出し入れがとろくなったなぁと感じる。情報が入ってくるのは鈍いし、出すのは苦痛。うーん、やっぱりこの状態で創作活動はきついのかなあ。創作活動をきついと思ったことがなかったから、いまいち掴めない。いつまでも自分の感情をいまいち主観できない。
いやそれ、自分を客観視できていいんじゃない?って?そうでもない。何に対しても主観がごっそり抜けてる感じが、ふとした瞬間付き纏う。半年ぐらい前に曽祖母が亡くなった時だって、何も感情がわかなかった。非情かなあとは思いつつ。いや、どちらかというと「何の感情もわかなかった自分を非情だなあと思ってた」かな。いや、わかんないや、やっぱり。
でも、主観で来なくていい感情だけはやたら打ちのめしに来る。自己嫌悪、鬱、被害妄想…エトセトラ、悪い感情。
なんだかな。感情を勉強中のアンドロイドみたいな表現が似合う気さえする。
思えば一応、本当に一応な一通りの恋愛経験…?はあるつもりでいたけど、どれもなんだか主観の感情が抜けていたり、好きという感情があるだけで満足したり、なんだかどれも薄いのだ。男の人も女の子も2次元キャラも無機物も本も、何もかもひっくるめて好きなんだけど、好き以上の感情がどうも持てない。
要はだいたいのことに感情が薄い上、極端に他人に興味がないから、色恋の話ができなかったんだ。いや、したいのはその話ではなく。
わたしが書かなくても素敵な作品はいっぱいあるし、なんだかいいやーって。悩むことなんてなかったんだなあ。最初から意味も必要もなかったんだなあって。そんなものに全力出しても疲れるだけで何もなかったんだなあって。無気力だ。
わたしが書かなくても誰か他の人が素敵なのを書いてる。メンヘラの定型文じゃないけど、わたしがいなくても世界の歯車は回ってく的なあれで。
そんな感じで創作に諦めが出て愚痴ることも嘆くこともなくなったので、今日の日記を書くまで時間かかりました。本当は感情が薄いのところをもう少し書こうかとも思ったけど長すぎるしただの身の上話だからつまんねーなと思って割愛。
人間の欲求に絶えず晒され続けているというのはなかなかにつらいものがある。
例えば飲食店の店員やコンビニ店員などは、客の「これを食べたい飲みたい」「これを早く買いたい」などの欲求と常に顔を突き合わせている。
欲求は人間の本能だ。よって客という人々の行動は、理性ではなくどちらかというと本能由来と言えるだろう。
クレームや迷惑行為をする客は、もしかしたら理性を求められる場所ではもっと節度ある人間かもしれない。でも、欲求の前では素が少なからず出る。人間は欲の前に無力なものだ。悟りを開くことなんて誰にでもできることじゃない。
理不尽なリクエストや、失敗に対するこれでもかという罵詈雑言に心をすり減らしながら、指導通りの笑顔を顔に貼る毎日。この辺、会社勤めとは別ベクトルの苛烈さがあるかもしれない。
欲求に向き合う仕事というのはつらい。そういう仕事をしている人々を、私は尊敬している。正社員だろうがバイトだろうが関係ない。すごいことである。
そんな考えを燻らせていた私は最近、ある声優さんのファンになった。
キャリアはけっこう長く人気もかなりある。可愛らしい声からドスの効いた声まで七色の声が出せる方だ。
それで時々、その人の名前で検索してインターネット上の反応を探してみるのだが、まあ色々な声がある。「演技よかった」「この人よりあの人がCVならいいのに」「つまらない」「かわいくて満足」「もっとこうした方がいい」エトセトラ、エトセトラ。
私はこれを繰り返すうち、「声優さんたちも人々の欲求に真正面から向き合う仕事なのだ」と実感し始めた。
声優に限らず俳優、最近じゃ歌い手実況者だのもそうだが、一度世間に顔を出して偶像や概念になった者には人々の欲が仕事や活動への反応として降ってくる。「セクシーな姿が見たい/声が聴きたい」という欲には、エロチックな演出や作品への出演で返す。「元気いっぱい和気あいあいな感じでお願い」なら、ポップな歌を歌ってみたり仲良くしている様子をファンに報告したりするのだろう。AV女優などは言わずもがな、人間の欲求に応える職の際たる例だ。
批判ですらない理不尽な罵倒も、理性の欠片なく匿名のどこかから投げつけられる。「俺が思ってたのと違う」「早く消えろ」みたいに。昔手紙で今Twitter5ちゃんねるか。唾棄すべき匿名の罵倒に関しては大変な時代になったと感じるが関係ない話なので割愛。まあ事務所などでフィルターをかけてはいるだろうが、目に入ったらしんどいだろうな、とは思う。
そういう、人間の正直すぎる真っ直ぐな欲に正面からぶち当たっていき、顧客を満足させる仕事。全部大変なことではないか。ドラマに出てバラエティの司会やって写真集出す俳優。すごい。エロゲに出てドキュメンタリーのナレーションして国民的アニメの主人公やる声優。ヤバい。
言ってしまえば、欲求処理という点で娼婦の役割にも通ずるような、奉仕とも言えてしまうような仕事の数々。見てくれは煌びやかで、しかし要求されるところはあまりにも苛烈で、我々のような一般ド凡人が一般ド凡人の視点から批判や罵倒やクレームを入れてみたところで道端のゴミの微生物である。立っている精神フィールドが違いすぎる。強い。
文章もなにもかもぐちゃぐちゃです。
「どうして」
燃えている。わかり手(@anbakurakoya)氏のツイートが。
>『魔女集会タグからダダ漏れてる「彼氏みたいな息子が欲しい♡」という欲望、それリアルでやると毒親まっしぐらコースなんでマジで気をつけてな…。』
https://twitter.com/anbakurakoya/status/963574691775447040
>『小学生くらいの幼女レイプしてぇ!というキモオタの欲望と同程度には醜悪な欲望である自覚をな、できればな…』
https://twitter.com/anbakurakoya/status/963574949230256128
ああ、『現実に行えば』その通りだ。
その前提条件が読まれる事なく拡散されて反発の声が届くのは、気の毒だと思う。
私が、どうして、と思ったのは、ここじゃない。
その後だ。その後の言葉だ。
>『このツイート、無限に怒りのリプライが飛んでくるんだけど、それを鑑みると女オタクと男オタクの違いは自分のキモさに自覚的か否かだよな…、なんてことを少し思う。「キモオタ」と名乗るか「貴腐人」と名乗るか、みたいな。』
https://twitter.com/anbakurakoya/status/964050886040289280
>『自分がキモいことくらい受け入れた上でオタクやれやと、キモオタの自分としては思いますね。』
https://twitter.com/anbakurakoya/status/964051192367144961
どうして。
ここも同じか。ここも同じなのか。
メルトダウンを起こしている。オタクの、趣味の世界での苦しい記憶がフラッシュバックする。
まとめサイト、「腐女子のせいでジャンプがつまらなくなった」「おまえら夢小説ちょっと読んでみろwwwwww」
抱き合うように密着して仲睦まじい女子高生、マイクロミニのスカートから下着が見えている美少女のイラスト、男性を向いた表現は作品名だけで済むのに。
男キャラで同じような露出が、絡みがあれば、「『腐向け』のタグを付けろ、隔離しろ」と言われる投稿サイト。
『腐向け』『腐女子』は女オタクへのレッテルとして、今も現役だ。
フェミと腐女子の2つがあれば、ネットの世界であらゆる女は罵倒できる。
腐った女、と自嘲する名前。それは『キモオタ』と近い。『貴腐人』も、『腐』、から結局は離れていない。
自覚がない、と言うが。
腐女子の『学級会』は、魔女会でも起きていた。あれは、私は好きじゃない。
あの自縄自縛、自罰の時間を、魔女狩りの様子を知らないのだろうか。
外の誰に指さされる前から、内側で互いに『キモさ』を牽制する、あの空気を知らないのか。
見つからないように、作品名ではなくキャラの名でも引っかからないようにカップリングを独自の言葉で言い換えて。
『純粋に』楽しんでいるファンの世界に、異物が入らないようにとアカウントに鍵をかけ公式の固有名詞を避けている彼女たちは、見えないようにすればするほど「いない事になる」。
そんな事をしても無駄だけれど。
「『女オタク』が『腐女子』が、こんな事をしていた。やっぱりあいつらはろくでもない」
『アスペルガー』が『ADHD』が『ボーダー』が、健常者の世界で、異物にならないようにと過ごして、障害が、疾患が、見つからない、いない事になる。
そんな事をしても無駄だ。
職場で、学校で、リアルの世界で見つかった、『迷惑』な奴が一人でもいればいい。
「『アスペ』が『ガイジ』が『メンヘラ』が、こんな事をしていた。やはりあいつらはろくでもない」
『一般人』から切り離された『オタク』が、『男』『女』に分断されていく、そこから『(普通の)女』と『腐』に細分化されていく。
男の女の、うつ病双極性機能不全発達障害エトセトラエトセトラ。
そうだね。嗜好は、まったく違う。
『うつ病』は『ADHD』は『統合失調症』は『摂食障害』は違うように。
そう。苦しいところは、違う。
わかる。わかるんだよ。
わかる、だけど、どうして。
今までとても大変だったんだね。エントリからすべてはわからないけれど…。
あったかくしてごはん食べようね。まずは風邪気味な体調を回復させましょう。
www.taisho.co.jp/pabron/recipe/shokuzai/
私のオススメ料理はみぞれ粥だけどここには載ってない。すまん。
男性のことが気になるのはとてもわかるのだけれど、人間一般とはどういう風に接しているの?
増田に書いたように、自分の今までの生い立ちや内面、価値観や気持ちを出会ってすぐの相手に何気なく伝えてしまっていない??
重い話でなくて軽い内容の話でも。
たとえば、「今朝○○さんとニュースに出てたチョコレートの話になって、自分はこう思ったんですよね〜」とか。
相手が距離感を測れない人だとこれだけでも引っかかってくるから、メタ認知した自分の話は控えた方が良いよ。
誰にでも「きゃー!あの猫かわいー!!たーかーまーるぅー!!」みたいな感じの方が、とりあえず無難な距離が保てるぞ。
別にこんなテンションじゃなくていいから、日常会話はmurmurレベルの話をしときな。今日寒いですねだと暖めてあげようという脳が溶けた連中が寄ってくるから、今流行りのシャンシャンとか。
すごい無難なネタを選んだのにもかかわらず相手が自分のことをぐいぐい訊いてきたら、逆に聞き返して、そこで話を切れ。
あとね、ナンパ目的じゃなくても「アイツとろそう!」って思われて犯罪に巻き込まれると危ないから、早歩きの練習をした方がいいよ。早歩きができなければ、歩幅を大きめにするの。
で、何も再生しなくて良いからイヤホンつけて、昼間だったらサングラスして。夜でもサングラス持ち歩くといいよ。視界はアレだが便利だ。
経験則だが、けっこう綺麗な顔の場合は、変に地味な格好をしていると清楚認定したナンパが寄ってきたり宗教アムウェイ怪しい芸能事務所エトセトラエトセトラなので、色々な意味で舐められない雰囲気を出した方が安全です。
めちゃくちゃ赤文字!みたいな格好してた方が中途半端な奴は寄ってこない。どーせガチなやつは何着てても声掛けてくるから、好きな服を着ようよ。
恋愛のことは一旦忘れろ。
友達と恋人を作るのにサークルに参加すると、近づいてくるのもそういうのばっかりになるし、揉め事の種。
ガチ趣味作って集まりに行くとガチ勢とガチな会話しかしなくなるから、そこで信頼できる相手を作れるはず。
できれば同性ね。元増田は線引きが下手だし、異性はどっちかが好きになって揉めて面倒になる可能性がある。
線引きが下手だと思ったのは、「私も他の人と同じように接して欲しいです」と相手に言ったという行から。
相手に理解力がなければ、これは何も言っていないのと同じです。
「もし私の勘違いだったらごめんなんだけど、Aくんさぁ…私のこと、好き?もしそうだったらごめんね、私は貴方のことを恋愛対象としては見ていないの。私の勘違いだったら不快にさせてほんっっっっっっとごめん!!でも、一応言っておきたくて…」くらい言わなきゃ伝わんないよ。
半笑いで白黒はっきりしない態度を取っていたら、「判んないけど、一応トライしておくか…?」という三下が増える。
押せばいけると思わせるな。
ここで面倒だけど気をつけたいのが相手を貶めないこと。
そこまで気を遣って尚相手がブチ切れたら、そんなヤツが存在しているコミュニティごと切れ。
あなたにふさわしくない。
過去の自分と戦うのはアリだが、でも、できれば過去の自分も抱きしめてあげて。
最後に、ブコメもトラバも、その全て(私の増田も含め)を真面目に読まないでね。
完璧な答えは存在しないし、自分で折り合いをつけなきゃいけないのはどの人でも同じ。
ずっと心の中にしまっておくつもりだったが、
最近の#me too タグなんかを見ていたらどうにもならず苦しくなって、この文章を書くことにした。
こことは別にブログやツイッターアカウントも持っているが、色々とリスクが高いので敢えてここで、名も無い一人の叫びとして書かせてもらう。
「女医は結婚できない」「結婚してもすぐ離婚するよ」「可愛げがない」「学生のうちに相手を見つけておかないと行き遅れるよー?」
「正直女の人には女の人にしかできない役割があるからね…どうせ女医さんはそのうち辞めちゃうし」などなどエトセトラエトセトラ。
下手したらその男性社会から出世したバリキャリの同性にも呪いをかけられる。世知辛い世界である。
飲み会があればお偉いさんの側に座らされてお酌をさせられたり、やりたくもない宴会芸を強要されたり(これは男女問わずほぼ全員が通る道だろう)、
「君の顔、なんか変だねー!!!あはははは!!!」と皆の前で私の顔を笑ったやつもいる。
お前達はきっと忘れているだろうが、私はお前達の顔も名前も、一人として忘れていないぞ。
一番腹立たしかったのは、これらすべてが私が学生時代から研修医時代にかけて、つまり「絶対的に相手に逆らうことのできない立場」の相手に行われたことだ。
その時は何も言い返せず曖昧に笑うことしかできず、どこに訴えたらいいのかも分からず、頭の中や家に帰ってから怒り狂い屈辱で泣き叫ぶことしかできない自分が辛かった。
できれば、1日も早く、私の後輩達がこのような扱いをされることのないような世界となることを祈っている。
みんな何を生き甲斐にして生きてんの?
暇だからはてなブログでもやろうと思って登録したけど書きたいことなんて特になかった。
自己顕示欲は昔より衰えてるらしい。100の質問とか嬉々として答えてた自分はいったいどこ。
多分現実、みんな国を支える為に仕事してんだよね。したくてしてるって意味じゃなくて、でも結果そうなってる訳だよね。
高い税金払って、返ってこない年金払って、そうまでして支えたいような国なのかここは。そんなことを今思ったよ。
漫画、アニメ、ドラマ、映画、音楽、ゲーム、車、アウトドア、スポーツ、エトセトラ。
一生ハマれる自信のあるものがある人が羨ましい。何にも続かない。楽しいのは今だけで、未来が明るくなる訳じゃないし。
自由より安定が欲しいよ。
何にもやりたくない。安心していたい。
寝よう寝ようと思ったら朝が来そうだ。こんなこと思うのはこんな時間まで起きてたせいだな。
違うよ。ずっと思ってたよ。
タオナケ「マスダの兄ちゃんって、ドッペルのことどう見えているの?」
マスダ(兄)「まあ、弟みたいな奴だな」
ミミセン「それはまたどうして」
マスダ(兄)「そんなこと言われても、ドッペルのやつ弟の真似ばっかりしているから、俺にとっては弟みたいな奴なんだ。弟みたいな奴は、弟みたいにしか見れねえよ」
マスダ(弟)「じゃあ実際の弟は?」
マスダ(兄)「弟は“弟”だろ。ドッペルは“弟みたい”」
ミミセン「同じように見えるけど?」
マスダ(兄)「“同じ”じゃない、“同じようなもの”だ」
タオナケ「ややこしい」
タオナケ「ドッペルが弟の真似ばかりするからといって、上っ面で判断するのはどうかと思うんだけど」
マスダ(兄)「俺は表面的なものが判断材料であること自体を悪いとは思わない。それ“だけ”で判断することがダメなんであって」
ミミセン「同じじゃないの?」
マスダ(兄)「人間ってのは様々な要素で構成されている。だから判断基準も多種多様だ。その中から1つしか考えないってのが馬鹿げているんだ」
マスダ(弟)「じゃあ性格が優しいだけで判断するのも、見た目だったり学歴や収入だけで判断するのも大差ないってわけかあ」
マスダ(兄)「その通り。要素そのものを責めているわけではなくて、短絡的なガイドラインをさも総意のように語るのがダメなわけだ」
タオナケ「そういう話じゃなくて、ドッペルのことが好きか嫌いかって個人的なことを聞いているの」
マスダ(兄)「“好き”と一口には言っても色々あるだろ」
ミミセン「色々って?」
シロクロ「ライク? ラブ?」
マスダ(兄)「もっと細分化して、友愛、親愛、恋愛エトセトラ」
マスダ(弟)「そういえば、そのあたりを詳しく考えたことないなあ」
マスダ(兄)「どれか1つとも限らないぞ。それらが独自の配合バランスに……」
タオナケ「これ以上、話をややこしくしないで!」
マスダ(兄)「怒り5割ってところか?」
マスダ(兄)「というか、お前たちはどういう意図でそんなことを聞くんだ」
マスダ(兄)「まさかお前ら、単なる興味本位で個人の気持ちを問いただしているのか?」
ミミセン「あー……そういうことになっちゃうのか」
マスダ(兄)「マジかお前ら。ドッペルはこのことを認めているのか?」
マスダ(弟)「……一応、俺は止めたんだけどね」
マスダ(兄)「お前ら本当に友達なのか」
マスダ(兄)「そもそも知ってどうする」
マスダ(兄)「本人の意志と無関係にやってるんじゃあ、その時点にすら立てていないだろ。それじゃあ俺が好きだと言ったとしても、嫌いだと言ったとしても、単なる暴露話にしかならない。誰も得しない」
タオナケ「けど損しない可能性があるなら、言っても構わない?」
マスダ(兄)「それ大した理屈じゃないよな。じゃあ俺が、お前らのことをどう思っているか言ってやろうか」
ミミセン「……なんだろう。すごく聞きたくない」
マスダ(兄)「少なくとも、お前らのその態度に関してだけ言えば嫌いだ」