人間の欲求に絶えず晒され続けているというのはなかなかにつらいものがある。
例えば飲食店の店員やコンビニ店員などは、客の「これを食べたい飲みたい」「これを早く買いたい」などの欲求と常に顔を突き合わせている。
欲求は人間の本能だ。よって客という人々の行動は、理性ではなくどちらかというと本能由来と言えるだろう。
クレームや迷惑行為をする客は、もしかしたら理性を求められる場所ではもっと節度ある人間かもしれない。でも、欲求の前では素が少なからず出る。人間は欲の前に無力なものだ。悟りを開くことなんて誰にでもできることじゃない。
理不尽なリクエストや、失敗に対するこれでもかという罵詈雑言に心をすり減らしながら、指導通りの笑顔を顔に貼る毎日。この辺、会社勤めとは別ベクトルの苛烈さがあるかもしれない。
欲求に向き合う仕事というのはつらい。そういう仕事をしている人々を、私は尊敬している。正社員だろうがバイトだろうが関係ない。すごいことである。
そんな考えを燻らせていた私は最近、ある声優さんのファンになった。
キャリアはけっこう長く人気もかなりある。可愛らしい声からドスの効いた声まで七色の声が出せる方だ。
それで時々、その人の名前で検索してインターネット上の反応を探してみるのだが、まあ色々な声がある。「演技よかった」「この人よりあの人がCVならいいのに」「つまらない」「かわいくて満足」「もっとこうした方がいい」エトセトラ、エトセトラ。
私はこれを繰り返すうち、「声優さんたちも人々の欲求に真正面から向き合う仕事なのだ」と実感し始めた。
声優に限らず俳優、最近じゃ歌い手実況者だのもそうだが、一度世間に顔を出して偶像や概念になった者には人々の欲が仕事や活動への反応として降ってくる。「セクシーな姿が見たい/声が聴きたい」という欲には、エロチックな演出や作品への出演で返す。「元気いっぱい和気あいあいな感じでお願い」なら、ポップな歌を歌ってみたり仲良くしている様子をファンに報告したりするのだろう。AV女優などは言わずもがな、人間の欲求に応える職の際たる例だ。
批判ですらない理不尽な罵倒も、理性の欠片なく匿名のどこかから投げつけられる。「俺が思ってたのと違う」「早く消えろ」みたいに。昔手紙で今Twitter5ちゃんねるか。唾棄すべき匿名の罵倒に関しては大変な時代になったと感じるが関係ない話なので割愛。まあ事務所などでフィルターをかけてはいるだろうが、目に入ったらしんどいだろうな、とは思う。
そういう、人間の正直すぎる真っ直ぐな欲に正面からぶち当たっていき、顧客を満足させる仕事。全部大変なことではないか。ドラマに出てバラエティの司会やって写真集出す俳優。すごい。エロゲに出てドキュメンタリーのナレーションして国民的アニメの主人公やる声優。ヤバい。
言ってしまえば、欲求処理という点で娼婦の役割にも通ずるような、奉仕とも言えてしまうような仕事の数々。見てくれは煌びやかで、しかし要求されるところはあまりにも苛烈で、我々のような一般ド凡人が一般ド凡人の視点から批判や罵倒やクレームを入れてみたところで道端のゴミの微生物である。立っている精神フィールドが違いすぎる。強い。