まず、この文章において私が用いる「普通の人」を以下に定義する。
「普通の人」は、今人手不足と言われる業界に、少なくない割合で存在する。
運輸、小売、介護福祉、酪農、飲食、旅館、カテゴリを問わない中小零細、エトセトラ。
これら人手不足の業界は、何も理由がなく人手不足に陥っているわけではない。
いっぱんに、上に挙げた業界は労働環境が過酷である。休みは少ない、賃金は安い、そのくせ顧客との距離が近く、サービスの提供者として高いレベルの品質を要求されがちである。
「優秀な人」は、個別な理由のない限りそんな業界で働くことを選択しない。よってその業界には「普通の人」ばかりが集まることとなる。
「普通の人」は、生活するのにいっぱいいっぱいだ。「普通の人」は、自己啓発の意欲もない。「普通の人」の集団は、仕事自体は真面目にこなすが、流れ作業に強く、ITに疎いために、過酷な環境に順応してしまい、劇的な業務効率化の策を思いつくことができない。
こうして、「普通の人」たちで構成された職場は、彼らをより「普通の人」たらしめるのである。
そこに、突如としてITのメスが入り、業務の無駄が洗い出され、徹底した効率化が成されたらどうなるか。
「普通の人」は、職を失う。特定の流れ作業に順応した身体は他の会社では使い物にならないどころか、別の会社でも同じように効率化がなされていたら、どこにも行き場はないではないか。
私は何も、「普通の人」の日頃の生活態度に問題がある、と言いたいわけではない。諸悪の根源は、「普通の人」を「普通の人」たらしめる職場にこそあると私は思うのである。
流れ作業は、もとより人間にやらせるべきではない。人間は機械ではない。サービスは、対価に見合ったものでなければならない。過酷な労働環境が前提になりたつサービスなど、あってはならないのである。
「普通の人」の一員として。
普通の人を中国に派遣する人材コンサルが儲かりそう
効率化→職を失うが飛躍的すぎる。 もし効率化したら先に余裕ができるんじゃないの。 まあ、余裕ができたからとただ遊んでいるようでは職を失うけど。