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はてなキーワード: 時代の空気とは

2021-11-16

anond:20211116004445

その時代の空気や人々の緩やかな合意によって穏やかに改変されていくのはいいけど

外部の政治的な思惑で無理矢理に改変されるのは黙って見てられない

2021-10-10

anond:20211008094501

犯罪になるかならないかは、その時代の空気で決まる(空気の読めないアスペにとっては恐ろしいことだが)

エイズにかかっているのを知りながら生SEXした場合に、殺人罪に問われるケースがあるのと似たようなもの

田舎コロナを持ち込んだ「罪」によって、村八分にあったり自殺したりの事件が発生していることは知っているだろう

2021-08-22

anond:20210822150526

時代の空気を知らないと理解するのは難しいと思う。現代基準ではなんだこいつって感じだろうけど、それはアスカを原型として派生キャラ死ぬほど作られて消費されてきた結果でもあるわけで。

2021-07-23

雑誌映画秘宝』の記憶(56)

 元ラーメンズ小林賢太郎が、過去に行ったお笑いコント公演の中でナチスによるユダヤ人虐殺ジョークネタにした事が発覚し、この情報海外にも拡散してサイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)の知るところとなり、東京五輪閉会式総合演出担当を解任されましたね。

 小山田圭吾障害者虐待世間一般に広く認知された結果、小山田東京五輪閉会式音楽担当を辞任した際には、一部の人間が「90年代には、悪趣味鬼畜カルチャー存在を許されていた、時代の空気存在して云々」と小山田擁護し、それに対して町山智浩は「小山田圭吾悪趣味鬼畜系とは無関係(だから自分[町山智浩]たちには責任は無い)」と反駁しました。

 では、今回の小林賢太郎の件については、どうでしょうか?

 ラーメンズ悪趣味鬼畜系ではないと思いますが、間違い無くサブカル領域に属する芸能人です。また、今回問題視された90年代半ば当時の彼らの芸風が、当時の、いや、今もサブカル界隈に根強く蔓延る「不謹慎なことを言う/するのがオモシロイ/カッコイイ」と云う風潮の下に成立していたことも明らかでしょう。そして、この風潮を作り出すことには、旧体制映画秘宝』界隈も関与していたと言えます。たとえば『キネマ旬報』の編集部を襲撃して同誌の編集部員に暴力をはたらいたことを、町山智浩パイ投げ事件などと称して矮小化して面白おかしく笑い話扱いしていますが、アレは「言論の自由を脅かす暴力事件」以外の何物でもありません。しかし、サブカル界隈の身内贔屓の体質は、町山智浩の仕出かしたことに対して真摯批判反省を行うことを忌避する道を選びました。昔からサブカル業界人は身内贔屓が大好きで、これは松江哲明性的強要搾取ダンマリを決め込んだのを見ても判るように、今も変わりません。

 ラーメンズお笑いコントの中でナチスユダヤ人迫害虐殺ジョークネタしたことに関して、擁護として「米国サウスパーク英国モンティ・パイソンジョークネタにしているのに、何故、彼我に批判の差が有るのか?」と言う人もいましたが、個人的には、連合国側の人間枢軸国側の人間では、それをジョークネタにする資格に差が有るのではないかと思います。何か死傷者を伴うような事件があって、それをジョークネタにするのは、被害者親族が言うならまだしも、加害者親族が言ったらアウトになるのと同じです。

 一般的な傾向として多くの日本人は、自分たちが枢軸国側であったこと、戦時中にはナチス政権ドイツ同盟国だったことについて、自覚が稀薄だと私は思います。だからナチスドイツポップカルチャーの一部として、エンターテイメントとして、カジュアルに消費するのだと思います

 さて、エンターテイメントとしてナチスドイツの残虐行為を楽しむといえば、長年に渡って率先してそれを実行し続けてきた人間が、旧体制映画秘宝』に1名いますナチス強制収容所ネタエクスプロイテーション映画が大好きと公言し、自ら「所長」と名乗ってそれらの作品の"素晴らしさ"を布教している、赤毛入れ墨だらけのオジサンが1名。そう、高橋ヨシキです。高橋は、間違い無く、悪趣味鬼畜系の範疇に属する人間です。高橋ヨシキによる布教活動は、日本において「ナチスドイツによるユダヤ人迫害虐殺を、カジュアルに楽しんで消費しても許されるのだ」と云う風潮を作ることに寄与し続けてきました。

 もちろん、高橋ヨシキ存在布教活動が、ラーメンズを生み出した訳ではないでしょう(ラーメンズネタ公表よりも、高橋ヨシキ布教活動開始の方が時期的に後だと考えられますし、世間的に認知されたのも、ラーメンズの方が高橋ヨシキよりも先でしょうから)。しかし、ラーメンズネタ世間に発表されてしまった後、長年に渡ってそれが見過ごされたのは、観客である一般人たちの中に「コントネタなのだから(批判するのはおかしい)」「たかフィクションネタに何をマジになってるの?」と云う間違った考えや言い訳の口実が存在たからです。これは、ナチスドイツによるユダヤ人迫害虐殺と云う出来事が"エンターテイメントコンテンツ"として、誤った"市民権"を獲得していたからでしょう。そして、高橋ヨシキによる「ナチス強制収容所エクスプロイテーション映画は素晴らしい!」という布教活動は当に、その誤った"市民権"を獲得するための活動でした。だから、次のようには言えると思います

 「高橋ヨシキによる『ナチス強制収容所エクスプロイテーション映画は素晴らしい!』と唱える布教活動は、ラーメンズネタの"誕生"には影響を与えなかったかもしれないが"生存"には影響を与えたであろう。したがって、その点については、高橋ヨシキ及び彼に同調した人間責任が有る」と。仮に時代の空気と呼ぶべき何かが有ったとしても、それは勝手に生まれたのではなく、それを意図的に作り出した人間がいるのです。この場合、それを作り出した人間の一人は、間違い無く高橋ヨシキです。

 SWCの人たちも驚愕するのではないでしょうか。21世紀日本で、ナチスドイツによるユダヤ人迫害虐殺ネタにしたエクスプロイテーション映画を「面白い!素晴らしい!」と公言賞賛し、他人にも観るように推奨活動している人間存在して、しかも堂々とメディアに登場し続けていると知ったら。誰か英語が得意な人がいたら、高橋ヨシキがしていることをSWCに報告すると良いかもしれませんね。もしもそうなった時、町山智浩SWCに対して「悪趣味鬼畜カルチャーをやっていたのは、電通ホイチョイフジテレビに対する対抗心が有ったから」と弁明できるのでしょうか。見ものです。

 それと、SWCといえば思い出しましたが、長年に渡る町山ウォッチャーならばご存知のとおり、過去町山智浩自身他人に対して「オマエのことSWC通報しといたからな」と言ったことがありました。その矛先が自分の近しい人間に向けられた時、町山智浩はどうするでしょうか。

 この投稿は以上です。

2021-07-22

お前らも加害者なんだぞ!(小山田問題に関して)

まず、最初に彼の語ったいじめ(と言うより暴力行為)は決して許されるものでは無いと言う事を申しておく。その前提の上で、一個人意見を述べたい。

この問題に関して調べていくと、90年代鬼畜カルチャーという文言をよく見かける。私は現在30歳で当時の空気感がわからないが、鬼畜カルチャーに関しての個人感想を述べたい。

当時のお利口で軽薄でゴージャスな成金文化へのアンチテーゼみたいなものだったのだろうか。綺麗なメッキを剥がした下のグロテスク現実を暴くという大義名文の下、弱者を痛めつける事をコンテンツ化し面白がり消費していたのだろう。消費する事が強者であるバブル文化の中で、それに乗り切れなかったものが、強くあろうとしてもがいた結果なのかとも感じた。

そんな時代の空気感の中で、メインのカルチャーに馴染めなく、自意識過剰な斜に構えた者たちへの娯楽として供給された文章が、例の案件だったのではないか

小山田氏の語った行為は許さない事だが、当時の消費者が求めていた娯楽を提供したと言う点では、彼は仕事をこなしたと言えると私は思う。その内容はいいかいかを置いておいて。

何度も述べるが、私は小山田氏の語った行為に関して擁護はしないし、許されない事だと思っている。だが、当時の時代の空気を考えると加害者は彼や出版社で無く、鬼畜カルチャー面白がってた人達にもある。当時の空気感無視せず、そこを社会全体で追及し、反省するべきではないか

現在の彼に対する私刑ともいえるネットリンチを見てて思う事がある。これは90年代悪趣味カルチャーと地続きではないかと。

意気揚々いじめダメだと語り、彼に退任を求めてた姿は、次第に彼への攻撃コンテンツ化し、エンターテイメントとして消費しているように感じた。集団いじめ本質は、誰かが理由を作りその理由を元にターゲットを決め、皆で面白おかし攻撃する。現在私刑リンチは、皆が非難している小山田氏の加虐行為と被らないかと私は思うのだ。

鬼畜カルチャーがメッキの下に隠された加虐性コンテンツ化し供給するものだと仮定すれば、現在私刑カルチャー加虐性にメッキを塗りたくり正義感のラベルの下で楽しんでいるように思える。

上記の点を踏まえ、私は個人個人自己加虐性を認め、90年代鬼畜カルチャーを総括し、負の連鎖を断ち切る必要性を感じている。

2021-07-20

雑誌映画秘宝』の記憶(53)

 まず町山智浩の一連のtweet(投稿no.52で引用したもの)による主な主張を、総合的に解釈します。

解釈ここから

(1) 90年代には、確かに悪趣味カルチャー鬼畜カルチャー存在した。

(2) と言うか、町山智浩自身悪趣味鬼畜をやっていたと云う自覚が有る。

(3) 小山田圭吾村上清を含めたQuick Japan(以下QJ)のいずれも、悪趣味系でもなければ鬼畜系でもないと町山智浩は考えている。

解釈ここまで=

 動機に関する話や「当時を知らない人間悪趣味系・鬼畜系を批判するな」と云う町山の主張に対する私の批判は、別の投稿で述べます

 (1)と(2)に関しては、私は個人的異論は無いです。

 問題は(3)です。

 今回の小山田圭吾炎上に関する報道の動きや、著名人らの反応などを追っていらっしゃる方々はご存知だと思いますが「90年代には、悪趣味カルチャー鬼畜カルチャーが持て囃されていたと云う、時代の空気存在して云々」と言い始めたのは、小山田批判する側の人間ではなく、小山田擁護しよう乃至は小山田に加えられる攻撃を弱めようと意図した側の人間です。

 だから町山智浩責任(例えば「小山田のような人間を生み出したのは悪趣味系・鬼畜系の奴らだ!」と糾弾されるような事態)を避けたいが為に「小山田圭吾QJは"本物"の『悪趣味系・鬼畜系』ではない。したがって、小山田らが仕出かしたこと(イジメ)に関して、90年代当時に"本物"の悪趣味鬼畜カルチャー担い手であった自分(町山智浩)たちには責任が無い」と主張したいのでしょう。

 確かに責任に関して言えば、小山田圭吾らがしたこと責任は、小山田自身が取るべきであることに異存ありません。本人が仕出かしたこと責任を、本人以外に押し付けるべきではありません。

 しかし、それとは別の話として、です。この「彼らは"本物"である自分たちとは違う」と云う類いの主張は、例えば、少数派のベラマッチョ過激派宗教原理主義者による無差別殺傷テロ事件等に対して、非信徒・異教徒を含む社会全体との折り合いを付けつつ、慎ましく平和的に共存しているような多数派のベラマッチョ穏健主義者が批判する時に言ったと云うようなケースならば、私も耳を傾けると思います

 しかし、町山智浩ら"本物"の悪趣味系・鬼畜系は、小山田圭吾らと何が違って、実際のところ何をしているのでしょうか?

 高橋ヨシキが「オレ、町山さんのことが大好きだから」と言って妻(※当時)の肉体を差し出し、町山智浩が喜んで彼女の胸を揉み、それを吉田豪とのインタビュー面白おかし武勇伝っぽく語り、オトモダチの『映画秘宝』界隈は口を噤んでいると云うのが"本物"の実態です。

 これ、"本物(町山智浩高橋ヨシキ)"と"紛い物(小山田圭吾)"の間に何か本質的な差が有りますか?

 例えば、性犯罪者が「アイツは『本物』じゃない!アイツは被害者を殺したが、オレは殺していない!せいぜい殴っただけだ!」と言ったとしたら、量刑判断する司法の場で言うならまだしも、一般社会で言えば「目くそ鼻くそ」と思う人の方が多数派ではないでしょうか?

 雑な語りで自分が携わっていたカルチャーを論じられたくない気持ちは分かりますが、小山田圭吾とは無関係に、町山智浩たち自身が「悪趣味系・鬼畜系の奴らはロクなもんじゃねえな」と云うイメージ世間に広めてしまった張本人なのです。

 再度言いますが、小山田圭吾批判している人たちは、そもそも小山田悪趣味系・鬼畜系に該当するか否かを問題にしていません。また、小山田圭吾が非悪趣味系・非鬼畜系のクズであるからといって、町山智浩ら"本物"の悪趣味系・鬼畜系が小山田とは違って悪いことをしていないと云うことの証明にはなりません。

 この投稿は以上です。

フィクションを真に受けた人たちによってキャンセルされる時代

コーネリアスの件で問題とされているクイックジャパンが発行されていた当時は、「電波系」の根本敬村崎百郎、「完全自殺マニュアル鶴見済活躍していた時代で、サブカルチャーカウンターカルチャー)として悪趣味世界観が消費される時代だった。


町山智浩

悪趣味カルチャー80年代のオシャレやモテ電通文化に対する怒りだった。カーディガン肩にかけ、ポロシャツの襟を立ててテニススキーしてホイチョイの「ヤレる店」読んでナンパして人を「ちゃん付けで呼ぶ」奴らにゲロ死体嫌がらせたかった。当時を知らない人にはわからないだろうけど。

https://twitter.com/TomoMachi/status/1417347576521629706


橘玲

私は傍観者でしたが、「自分も壊れているし、君も壊れているし、社会世界)も壊れているんだよ」というメッセージなのかなと思いました。

https://twitter.com/ak_tch/status/1417418603620491271


いま批判している人は、この時代を知らない若い人か、知っていたがそういうもの忌避していた人か、知っていてあえて無視しているのだと思う。


当時の自分クイックジャパンを読んでいたのだが、twitterで紙面のキャプチャを一通り読んで感じたのは、あのときの空気感だった。

小山田圭吾に関しては「あー言ってるな」と。

時代の空気をキャッチアップして、わざと露悪的な表現悪趣味を前面に押し出しているなと感じてた。

これはそういう時代性の発露であって、本当に起きたことなのかは定かではない。

個人的にはフィクション、もしくは一部が本当でも誇張されたものだと受け取っていた。

当時の表現がそうだったというだけ。

ノンフィクションですら描く人の主観が入ってフィクション化していく。

これが本当のことなのかどうかなんて当事者でなければ分からないわけだ。

底辺アニメーターです

ツイッター小山田批判してる奴ら

時代の空気だったなんて戯れ言、反省するチャンスは30年あった」とか

いじめやってたクソ人間とか言ってるけど

その中でアニメイラストを無断転用して使ってるやついっぱいおるな!(怒

著作権無視に罪悪感ないの?ちょっと1枚くらいならいい、みんなやってるてか?

そういう時代の空気やったとかあとで絶対言うなよ!ボケが!

今でもアウトじゃ!人の作ったもん勝手に盗むな!

雑誌映画秘宝』の記憶(51)

 最初に、町山智浩Twitterから引用します。

引用ここから

障碍者虐待していた小山田圭吾五輪音楽担当させて、政府がそれを承認し、NHKがそれを放送するわけですから、誰にも迷惑かけてない大麻使用芸能人すべてを復権してくれないとなー。

(投稿年月日:午後10時43分2021年07月18日)

引用ここまで=

 今回は小山田圭吾の件で一丁噛みしている町山智浩ですが、大麻使用芸能人擁護する程度に留まるだなんて、パトリック・マシアスパワハラしていた頃の町山智浩タイム電話で聞かせたら「オメエのtweetは退屈なンだよ! 一般人がオメエに訊きてえことはソコじゃねえだろ!」と怒鳴られるのではないでしょうか?

 では、一般人町山智浩に聞きたいこととは何でしょうか? それは、小山田圭吾イジメ自慢インタビュー擁護する人間たちが口にする「90年代にはワル自慢、悪趣味自慢を許す鬼畜ムーブメントとでも呼ぶべき風潮が存在した」という主旨の主張に関してです。

 この鬼畜ムーブメントの有無については、90年代当時に物心ついていた年齢の人たち同士でも、認識には差と言うかグラデーションがあるようです。ムーブメントのものの有無について、私の個人的見解を述べると「有った」という人の記憶も「無かった」という人の記憶も、半分づつ当たっていると思います。「有った」と記憶している人は、何らかの形でその狂った風潮とその産物に触れた人間で、「無かった」と記憶している人は、そのような狂った風潮に触れなかった人間というだけのことです。

 個人的見解としては、鬼畜ムーブメントは「限られた領域の、少数の人間による、小規模の狂ったムーブメント」と言っても構わないと思います。だからあんムーブメントに触れたからと言って別に偉くも何ともないですし、むしろ「無かった」と記憶している、鬼畜ムーブメントに触れなかった人の方が正常なのですから安心して下さい。

 こういう鬼畜ムーブメントに触れたことによって「自分は他の人間とは違う!」と、己が偉くなったと勘違いした人間が何をするか知っていますか?一例を挙げると、何か「切り株映画はセカイのシンジツを描いている!」とか馬鹿なことを言うわけです。耳(目?)にタコが出来るほど聞いた、この"切り株映画讃歌"の決り文句を此処で持ち出したのは、別に牽強付会ではありません。

 例えば、90年代鬼畜ムーブメント悪趣味アンダーグラウンド文化象徴するような出版物として『危ない1号』という鬼畜ムックがあります(このムックは、90年代の半ばから終わりにかけて発行)。その執筆陣の中には、町山智浩柳下毅一郎名前確認できます

 また別の例を挙げると、一部の精神疾患罹患者が示す"電波"妄想及びそれに翻弄される彼らを、特殊漫画家・根本敬が「電波系」と呼び始め、面白コンテンツとして消費するような悪趣味な風潮を生み出したことは有名ですが、この「電波系」を面白がる風潮に乗っかって雑誌宝島』『宝島30』でも記事掲載したり、別冊宝島を出したりしていました。その頃、彼らの言う「電波系」に該当する人が店主として経営する喫茶店に行って、店主が示す奇妙な言動などを陰で嗤ったり面白おかし記事にしていた人間の一人に、町山智浩がいます宝島における根本敬担当編集者は、町山智浩でした。また、根本敬のツテで「電波鬼畜ライター村崎百郎」という悪趣味ギミックによるデビューを果たした編集者ライター黒田一郎は、ペヨトル工房時代から柳下毅一郎の友人でした。蛇足ですが、根本敬は、嫌韓/嘲韓ムーブメントを生み出した張本人の一人でもあると私は思います

 ここで幾つか例に挙げたのは一部に過ぎませんが、90年代鬼畜系、悪趣味系の系譜を辿れば、その中に旧体制映画秘宝』の源流の一つが有ることは確かです。あるいは、悪趣味系のムーブメントを作り出したのと同じ人間たちが生んだものこそが、旧体制映画秘宝』と言っても過言ではありません。

 さて、今回ようやく小山田圭吾断罪火刑場に引かれていく羽目になった訳ですが、爆笑問題太田をはじめ有象無象のギョウカイジンは、小山田圭吾、Rockin' onQuick Japan擁護する為に「90年代には悪趣味系が流行ってたという、時代空気考慮しないと」などと言っています

 これらの擁護を見た時に私が感じたのは、関東大震災当時の朝鮮人虐殺事件や、戦争当時の性暴力虐殺のことについて「当時の時代空気考慮しないと」と言う人間を見た時に似た気持ちです。

 百歩譲って、90年代当時「一般人」だった人間が言うならば、たとえ許容は出来なくても、まだ理解可能です。90年代後半からインターネットが少しずつ一般人に浸透し始めていたとはいえTwitterのような高い情報拡散性と手軽さを兼ね備えたSNSの普及以前には、まだ名も無き一般人社会的流行や風潮を生み出すレベル情報発信を行うことは、事実上不可能に近かったからです。また、虐殺事件などにおいて、武装した多数の暴徒を目の前にして怖じ気づいた一般人が、独りで立ち向かうことができなかったと告白懺悔するのも、これもまだ理解可能です。

 しかし「90年代鬼畜ムーブメント流行」を根拠にして、小山田圭吾擁護しているギョウカイジンの多くは、既に90年代メディア活動芸能活動をし始めていて「ムーブメントを作り出す、或いは、影響を与えることが可能だった立場人間」ではないですか。「オレたちギョウカイジンは、お前ら一般人と違って、世間を動かせるんだよ!」という考えの持ち主だったはずです。例えば、爆笑問題太田は、当時から過激発言が売りだったのだから、得意の毒舌小山田圭吾を「アイツ、イジメ自慢して格好悪いな!」とか攻撃することも、やろうと思えばやれたはずです。反権力的な言動がウリのミュージシャン文化人も同様です。なのに、それをやらなかったのは、結局は彼ら自身の打算や保身が理由でしょう。ならば彼らは「90年代時代空気や風潮」のせいにするのではなく、せめて己自身問題として「打算や保身、我が身かわいさから自分という個人は、小山田圭吾蛮行批判せずに見過ごした」とハッキリ言うべきなのです。先に虐殺に立ち向かえなかった一般人を例に出しましたが、90年代当時のメディア関係者芸能人が「当時の空気」と言い訳するのは、関東大震災当時に「不逞朝鮮人」などと世間を煽っていた官憲人間が、いざ朝鮮人虐殺が起きたことの批判を受けたら「時代空気が」と言い出すのと同じぐらいには無責任且つ卑劣だと、私は思います

 更に、小山田圭吾擁護する人間たちを卑劣に感じるのは、彼らが小山田圭吾のしていることを勝手に「過去の話」にしようとしているからです。私は「していること」と書きました。そうです。あの暴力事件を犯して以来、そして雑誌インタビューによって一般人に広く認知されて以来、小山田圭吾被害者に対して謝罪も償いもせず、謝罪反省を促す一部のファンから真摯な声さえも無視し、逃亡し続けているのですから、これは「したこと」ではなく「していること」つまり「終わってしまった過去の話」ではなく「継続している現在の話」です。小山田圭吾の盟友である中原昌也も、小山田圭吾のしていることを「あの頃は」と「終わってしまった過去の話」にしようと画策した卑劣人間の一人です。渋谷系って本当にダサいですね。石原慎太郎罵倒することは出来ても、オトモダチのギョウカイジンの悪さは批判出来ない、そんな自称"反権力"作家は、毎朝鏡を見て恥ずかしくなったりしないんでしょうか。

 長くなったので、今回は一旦ここまでにします。

小山田圭吾問題について思うこと

小山田圭吾問題について、中高のいじめで完全に自信喪失および人間恐怖症になって中年ニートになった自分にとって、思うところがありすぎたので、自分自身の整理のために書いてみた。

1 いじめっ子のほうが社会的成功者になってしま問題

今回の問題の核心は、どれだけひどいいじめ(というか暴行拷問表現すべきだが)を行って、それを公の場で自慢げに語っても、学校の内外で処罰されることもなければ、反省一つ促されることもなく、当然謝罪もなく、その後の人生キャリアに傷がつくことも全くなかったということである。例のインタビュー記事小山田と絶交した、という人もおそらくいないであろうことは、あの後も変わらず精力的に仕事をし続けていることから理解できる。逆に小山田圭吾は、ひどいいじめをおこなった側の方こそが、社会的大成功を収めるというモデルケースになってしまっている。

周知のようにいじめ問題では、現在でもいじめ被害者の側が転校させられるというケースが多く、客に加害者の側が転校したり推薦を取り消されたりというケースは寡聞にして聞かない。超名門校を出場辞退に追い込むほどの暴行を後輩に行った高校球児手が普通にドラフト指名されていたように、大人はいじめ加害者を逆に高く評価しているのではと感じさせるケースもしばしばある。自分クラスでもいじめ自殺が発生したことがあるが、加害者は何も咎められることもなく、普通に一流とされる大学に(記憶曖昧だが多分推薦で)進学した。小山田圭吾は、こうした「いじめもの勝ち」になっている社会象徴的な存在である

2 時代場所問題

1990年代もあのようなことは許されていなかった、時代問題で相対化するな」という批判がある。それは正しいが、やはり同時代空気を鮮明に記憶している人間としては、批判として非常に浅く感じてしまう。

あの時代バラエティ番組は、若手芸人などに嫌がることをさせて、「痛い」「熱い」と泣き叫ぶのを見てMC側の人間ゲラゲラ笑うというものが本当に多かった(逆にそういう笑いをしない志村けんテレビから一時期消えていた)。既にいじめ社会問題化してはいものの、「あれは相手も納得済みだからいじめではない」というテンプレ論法で許容されていた時代だった。ネット黎明期テレビがほぼメディアの全てだった時代いじめを受けていた側にとっては、当時のバラエティは見ているのも辛かった。

そういう時代雰囲気のなかで、ましてや悪趣味がかっこいいものとしてはびこるサブカル雑誌インタビューという場所で、たとえいま小山田五輪組織委を口を極めて非難している人たちがそこに居合わせたとしても、おそらく一緒に笑うしかなかったと思う。特に空気の変わり目を読んで同調して小山田非難しはじめているような、ワイドショーコメンテータータイプ人間は、そこにいたら一生懸命面白がるアクションをしていたはずである

申し訳ないが、中高時代いじめ被害者として過ごしてきた人間には、いくら現在小山田非難しているように見えても、時代空気同調しているだけで、こいつは本質的はいじめっ子の側の人間だろうというのは直感にわかってしまう。その意味で、たとえばカズレーザーなどはあまり信用できないし、逆に一見いじめ時代問題として相対化していることを言っている爆笑太田のほうが信用できる気がする。ほかにも、五輪批判政権批判文脈しかこの問題に興味のない人も、およそ信用できない。

2021-07-19

ポスト小山田は誰?

小山田は辞任・・・また勝ってしまたか・・・

一気に語られ尽くした感があって結果もほぼ出てしまった

組織委の杜撰さは五輪騒動と並行してある程度追及され続けるだろうが

小山田については被害者への謝罪の話が残ってるわけだがここはまぁ期待するのも無駄だろうしそれこそ

当事者感の話だから表に話が出るかもわからんし知ったことではないってのが本音の人も多かろう

で、だ「鬼畜系」だの90年代サブカル空気だのってキーワード現代部分的にでも知識として再浮上したわけだが、

小山田がやったことはかなり特殊だとは言え唯一無二とは思えない。たった一人で時代の空気を作ったわけがいからね

QJには「いじめ紀行」という”連載”企画が通ってたらしいか特集された人は他にも当然いるわけだ

となると他にもやってる奴おるよな?

いじめに関する記憶時代の空気

小山田圭吾氏に関連する騒動について詳しくは読んでいない。自分イジメを受けた側であり、読むことでいまとなっては遠い昔であるあの頃の苦痛を思い出してしまうからだ。

わたし1970年代中頃の生まれで、中学生の頃にイジメ被害を被った。時期的には1980年代から1990年代はじめごろだ。

小山田圭吾氏は1969年まれなので、彼が雑誌で露悪的に書いたというイジメを行っていた時期は小中学生、1980~1985年頃ということになる。1980年代中頃、イジメは深刻な問題となっていた。世間に衝撃を与えたのかどうかは、当時まだ幼かったのでわからないが、イジメを苦にした自殺という事件1986年に起こっている(https://www.nhk.jp/p/ts/P2WVR66NRZ/episode/te/2N3ML5JR9G/

したがって、小山田氏がイジメをしていた、というのは当時を考えると、よくあることではあったのだと思う。

数年時代はずれるが、1989年頃、イジメに関する話題ラジオ番組でもなんどか特集され、リスナーから多くの悲痛な投稿が寄せられていた。わたし投稿した一人だ。それだけイジメというのはあちこちで起こっていたし、陰惨な事件も起こっていて、社会が重大視していた時代ではあったのだけれど、そのものはよく起こっていたことだ。

そして、そしてハフィントン・ポスト記事https://www.huffingtonpost.jp/entry/rockin-on_jp_60f3b271e4b0d5140ec0c2b6)を読むと、記事が書かれたのは1994年ということだが……当時の時代感覚という擁護をみていて首を傾げるのは、はたして1994年頃「イジメをしていた」ことが笑って済ませられるような空気が当時あっただろうか?いや、もしかすると一部の世界ではあったかもしれない。ただそれはサブカルという、もう少し広い範囲であったとは頷けない。

かに現在過去犯罪や悪い行いを自慢することを許容するような空気は以前よりはないと思う。だが、限度がある。1990年代中頃に生きていた人間として、イジメをしていたことを笑って済ませるような空気は、あったとしても多数ではなかったと思う。

いじめに関する記憶時代の空気

小山田圭吾氏に関連する騒動について詳しくは読んでいない。自分イジメを受けた側であり、読むことでいまとなっては遠い昔であるあの頃の苦痛を思い出してしまうからだ。

わたし1970年代中頃の生まれで、中学生の頃にイジメ被害を被った。時期的には1980年代から1990年代はじめごろだ。

小山田圭吾氏は1969年まれなので、彼が雑誌で露悪的に書いたというイジメを行っていた時期は小中学生、1980~1985年頃ということになる。1980年代中頃、イジメは深刻な問題となっていた。世間に衝撃を与えたのかどうかは、当時まだ幼かったのでわからないが、イジメを苦にした自殺という事件1986年に起こっている(https://www.nhk.jp/p/ts/P2WVR66NRZ/episode/te/2N3ML5JR9G/

したがって、小山田氏がイジメをしていた、というのは当時を考えると、よくあることではあったのだと思う。

数年時代はずれるが、1989年頃、イジメに関する話題ラジオ番組でもなんどか特集され、リスナーから多くの悲痛な投稿が寄せられていた。わたし投稿した一人だ。それだけイジメというのはあちこちで起こっていたし、陰惨な事件も起こっていて、社会が重大視していた時代ではあったのだけれど、そのものはよく起こっていたことだ。

そして、そしてハフィントン・ポスト記事https://www.huffingtonpost.jp/entry/rockin-on_jp_60f3b271e4b0d5140ec0c2b6)を読むと、記事が書かれたのは1994年ということだが……当時の時代感覚という擁護をみていて首を傾げるのは、はたして1994年頃「イジメをしていた」ことが笑って済ませられるような空気が当時あっただろうか?いや、もしかすると一部の世界ではあったかもしれない。ただそれはサブカルという、もう少し広い範囲であったとは頷けない。

かに現在過去犯罪や悪い行いを自慢することを許容するような空気は以前よりはないと思う。だが、限度がある。1990年代中頃に生きていた人間として、イジメをしていたことを笑って済ませるような空気は、あったとしても多数ではなかったと思う。

2021-07-17

人糞系の音楽の良さがわからない

あんまり上手くないなとしか思えない

良いと言ってる人も音楽自体の良さより自分過去時代の空気について自分語りするだけで良さを伝えようとしてるように見えない

最近アルバムは聞いてなくて90年代に売れた曲の話しかしないし

老害自分語りを引き出すのが上手いというのが人糞系の音楽の良さなのかな?

2021-07-16

anond:20210715230245

当時この連載読んでいた確かに質は低かった。

覚えているのが、

テクノDJジェフミルズデリックメイだったと思う)はヒップホップDJイジメられないか聞いたり、

トータスのジョンマッケンタイアへのインタビューでも音楽のこと聞かないからか、終始機嫌が悪い感じで、ライターもそれを隠そうという感じはなかった(これはイジメ紀行じゃなかったかも)。

彼らに比べれば小山田はノリノリで話していた。

あれが時代雰囲気なのかね。

こんなQJや、鬼畜系、電波系雑誌地方本屋簡単に手に入った。

自分音楽情報が欲しくてQJを買っていた。インターネットが無いのでサブカル雑誌を買うしかないのだ。

しかし、当時同級生がそういったサブカルをかじっていたかというとそんなことはないと思う。

話しが合う人いなかったし。

からそれを時代の空気という言葉で濁しては行かんのではないかとも思う。

anond:20210715230245

どういう時代にも虐めはあるし、実際につい先日話題になった旭川の虐めと内容が変わってないことからその悪質さが現代価値観と並べて見ても常軌を逸してることが問題なんでしょ。それを嬉々として語ることがかっこいい時代であることと悪質さが同列に語れることはない。人間性が忌み嫌われることと時代の空気に関係性はない。良い大人から見てもドン引き

2021-06-25

[]集団ストーカー犯罪黒幕は誰か?

皆そこは知りたいところだろう。

何者が黒幕であれ被害者は、その犯罪を身に受けどのような者達が行っているか知っている。

それは大掛かりにお金をかけ、大勢の人を動員し一人の人間虐待する、理不尽卑怯な単なるマイノリティ攻撃である

いつ頃からこのような風潮が広まったのか、昔からあった犯罪と主張する人もいる。

だがここまで徹底した犯罪は、ここ20年位前からと思うが自然発生的に時代の空気に乗り発生した犯罪のようにも思える。

独裁国家ならいざ知らず、自由主義民主主義国家日本のような大昔から独自民主主義を持っていた国で、

武士道を重んじて来た世界でも稀有民族性を持つ国とは思えないほどの犯罪である

マイノリティを「頭のオカシイ人」扱いして徹底的に吊るしあげるやり方はマスコミ於いて顕著にみられる。

私の若い頃には無かった時代が生んだ犯罪と思える。

資本主義の行きつくところの犯罪か?

そして黒幕が何者か、それ例え国家権力、天皇ユダ金、宇宙人でも許せるものではない!

しか日本は、我々のように人数は少ないがこういう活動も許されネット真実を発信出来る事はありがたいことだ。

我々が屈せず戦い続ける限り、いずれこの時代は過ぎ去るはずだ。

2021-06-24

anond:20210624080458

次のフェーズに入ったか

ネットによって一次情報を誰もが発信できるようになって旧来型の知の巨人が廃れていったのが1995-2005くらいまで

そのくらいの時代ひろゆきの扱いは単なるタラコハゲで、あめぞうから人を奪っていったうさんくさい人間イメージも残っていた

 

それ以降はgoogleもまともな情報を返さなくなり、ネットまとめサイトデマを流す(ニュー速VIPブログ2005年誕生)

結局有名人の言うことを聞いた方が確実だという雰囲気になって一次情報にあたる価値が低くなった

ちょうどそのころひろゆきニコニコ創業者人間としてイメージロンダリングしはじめて、時代の空気に合致したんだと思う

2021-06-21

anond:20210621025403

若かりし頃の悪ノリでとんでもない十字架を背負ったもんだけど

まあ仕方ないよね自業自得だし

イジメ、かっこ悪い」とかの時代なので

時代の空気への反発ゆえの過剰な露悪ノリもあったと思うが

被害者存在するのは事実なので擁護は難しい

2021-06-19

サンシャインさんでしたっけ?

あの面白い自己紹介ネタを大声でする人。

間違いなく言えるのは

大昔のバブル時代だったら

会社面接であれをやるやつが

ちょこちょこと表れてただろうということ。

そしてそれをシャレで採用する企業もあったということ。

なんか時代空気感としてはそういう感じ。

果たしてバブル時代を知らない人らそういう空気がわかるだろうか。

2021-06-06

なぜわれわれは貧困なのか?

などと書くのは大袈裟なつまんない話なんだけど、

かつてこの国ではね、一億総中流とか言われてた時代があったのよ。

一億総中流っていうのはみんな中流家庭だ、と。

一部少数の上流家庭はいるだろうけれど、下流貧困家庭というもの払拭されてみんな中流なんだ。

という感覚な。

これが特に批判もされることなテレビなんかで公言されてたの。

なんで批判されなかったのかと言えばみんなその通りだ、わたしもあの人も皆んな中流だと思ってたから。

これを書いてるわたし子供ながらにうちは中流だな、と思ってた。

 

そんなわけねえよな。

少なくともウチはどちらかと言えば貧乏だった。

家も借家だし車もなかったし、トイレは水洗ではなかった。

冷静に考えれば中流ではなかった。

でもさ、時代の空気なんだよ。

とにかく景気が良くて湧き上がるような時代の空気。

そのなかで一億総中流なんて言われると、

ああうちも中流でそんなに悪くない生活をしてる、って感じる。

 

今ね。貧困だと感じるのもこういう雰囲気に飲み込まれてるってのもなくはないんじゃない?

実際に貧困家庭ものすごくたくさん存在する。

けれど、我が家は本当に実際に貧困

時代の空気に飲み込まれて実際以上に息苦しさを感じてるそんなことはないだろうか?

2021-05-25

知識がある人を年寄りだとして笑いものにし、無知である事を若さ証明として称揚する今の時代の空気がとてつもなく気持ち悪い

2021-05-24

昔のテレビ番組を観て思う

昨日より今日が、今日より明日来年もっと良くなると信じて疑わなかった時代の空気ってあるよね。

2021-04-29

やたらボクシング漫画アニメが多い理由

というより、他の格闘技のほうが圧倒的に少ない。

拳児なんかは異端で、中国拳法はせいぜいチンミくらい。

総合格闘系漫画になるとぐっと数が減る。

実は総合格闘技漫画はないわけではなく、有名所で『オールラウンダー廻(格闘団体修斗』の空気感を強く反映している)』、マイナーで古臭い『格闘太陽ガチ(『PRIDE時代の空気を色濃く反映している)』などがあり、未読のものでも『鉄風』、『ハナカク』等があるらしい。しかほとんど無名しかも数が少ない。

ではなぜ総合格闘技漫画が少ないのか。

やたら細かい

例えばなぜ総合のスタンディングは間合いが遠いのか、という視聴初心者にはまるでわからない問題からテイクダウン相手を倒す所作タックルの入り方、入ったあとの攻防でどう立ち続けるか、などスタンディングから寝技に入るまですらいくつかの段階がある。寝るともっとかいしかしこれだけでは理由にならない。何故ならボクシング漫画にも細かな攻防が散りばめられてるし、こうした細やかさは『はじめの一歩』を皮切りにしてその後の漫画で通例となっている。例えば右ガードを上げっぱなしにして直ぐに左の返しを打つ、縦拳でねじ込むなどの試合を見るだけではわからないテクニックが盛り込まれる。

わかりにくさ

特に初心者場合総合寝技に入ったあと困惑しがちだ。「この人達なんで抱き合ったまま動かんの?」が一般的感覚だろう。漫画にする際に一番問題なのがこの地味さだ。ともかく総合グラップリング(組技)のビジュアルは地味に尽きる。よほどの実力差がないときれいに腕とったかと思ったらそのまま頸動脈を締めてフィニッシュ、なんてことにはならない。ダラダラと抱き合って時々ポンポンと叩いたかと思ったらまた起き上がる、の繰り返しだ。人気が出にくいのも無理はない。しかしその地味な中で選手は常に目まぐるしく考えている。ハーフガードから足を抜いてサイドを取って、裸絞か腕十字の二択をかけながらバックチョークを狙い、更にこの中間パウンドを挟んでゆく、という思考ゲームを繰り広げる。故に柔術は才能や瞬発力より学習と反復であると言われており、特に能力のうち努力比重が高い(もちろんフィジカル面において足が長いほうが有利、体重差は関係するなどの条件は一応ある)。こうしたほぼ見えてこない攻防は柔術教習系のYouTubeを何度か見ることによって初めて理解されるものであり、そうでない限りはまるでわからずに試合が過ぎてゆく。漫画でこれを再現するには動きのないシーンをずっと続けなければならない。つまり決定的に漫画アニメに向いていない。総合漫画アニメにする場合、両者が軽量級で締めや関節の攻防がスピーディーに繰り広げられるという目まぐるしい展開を技と作らなければならない。

ボクシング漫画効能がわかりやすい。こう殴ればこう効く、こう殴ればジョルトカウンターだ、といったビジュアルでの説明がそのまま通用する。ボクシング思考ゲームではない、頭は使わないと言ってるわけではなく、見た目がわかりやすいのだ。

しか総合微妙な違いを上手に絵として伝達しにくい。試合ですらわからないのに、同じビジュアル重視の漫画アニメで十全に理解されるわけもない。

競技としてのマイナー

実は今日YouTube界ではもはやボクシングのほうがマイナースポーツいである。畑山竹原・渡嘉敷のご三方が出演するチャンネル総合格闘家の朝倉未来ゲストに迎えてやっと跳ねるという具合で、井上尚弥以外は完全に下火だ。京口紘人の防衛など一般人はほぼ知らない。

が、いわゆる格闘技と言って未だに思い浮かぶのはボクシングないしプロレスである。なぜなら総合格闘技興行であるPRIDE』が外資に買い叩かれて空中分解し、『K-1』が財政破綻解体された後、日本の格闘シーンには長い空白期間存在たからだ。後にキックボクシングなどが日の目を見ることはなかったし、K-1再生と『RIZE』や『KNOCKOUT』と神童那須川天心の訪れを待ち、更には『THE・OUTSIDER』『RIZIN』の登場を待たねばならなかった。一般市民プロレスボクシング格闘技だという認識を持つほどに、格闘技忘却されていたのである

総合格闘技知名度は『RIZIN』次第になってしまったが、これからというところでコロナが襲いかかってきた。試合国内選手だけに限定され、海外の強豪と試合をするチャンスは潰えた。また、同時に国内バンタム級王者マネル・ケイプ海外総合格闘技団体大手の『UFC』で連敗するという事態が起こり、今もまた危機的状況にある。

こうした浮き沈みの激しさから題材化する事が大変難しい。キック場合でも再生した現『K-1』の安定からメディア化の波が起こってもおかしくはないが、ルールがいわゆる肘ありと首相撲ありのムエタイルールとは程遠く、漫画化するにしてもキック代表格として扱うには難しく感じられる。


以上

総合は細かすぎる技の数々、見た目の地味さとわかりにくさ、競技人口の少なさとマイナーさなどが相まって漫画家が難しい分野であるキックボクシングと同じく題材化しやすものの、マイナースポーツ感がさらに強い。

ちなみにタイトルからして『メガロボクス』を思い浮かべた人も多いだろうが、ボクシングと言うよりボクサー生き様が焦点であり、今回は語らなかった。『メガロボクス』単体なら長文を書けるほどに好きだが。




追記01:競技として完成されつつある総合格闘技と古き良き異種格闘戦はだいぶ毛色が違う。細かく言えば総合の始まりであるバーリトゥード今日MMAは別物と言っていいし、ストリートファイト総合格闘技もだいぶ違う。そんな意味刃牙は異種格闘戦あるいはストリートファイト的だし、総合範囲を広く取りすぎると述べたいテーマから逸脱する。『エアマスター』はストリートファイト的な上にファンタジーが多く、リアリティよりも勢い重視なので総合漫画とは言えないし、修羅の門ファンタジー(技についての意味武術漫画総合とは無関係だったり。

けして上記漫画がつまらないと言ってるわけではなく面白いと思う。ただ総合じゃないよねと。あと『史上最強の弟子ケンイチ』に触れてなかったけど、詳しくないのに言うのも気が引けたし、『ツマヌダ格闘街』は読みたいけど読んでなかったのでほんとすまん。

追記02:柔道漫画を上げる人がいるけど、柔道柔術じゃグラウンドの攻防がまるで違う。そしてMMA柔術競技柔術でも全く違う。競技漫画として柔術柔道比肩するという意見は的が外れている。

2021-04-28

エヴァっぽいもの」がすべてエヴァ発祥かのようにされている違和感

まるでエヴァがあの時代の空気を作ったのように語られるけど、すごく違和感がある。

しろ時代が先にあん雰囲気だったかエヴァが出てきた印象が、リアルタイム世代(つまり俺)にはある。

そもそも謎だらけのダウナー雰囲気ツインピークスが先だし、エヴァ以上にヒットしてた。

当時は暗いジメジメしたものオカルトっぽいもの流行っていて、エヴァよりも前にブルーシード多重人格探偵サイコみたいなのもあった。

エヴァよりも前に心理学ものブームがあってビリーミリガンかめっちゃ流行ったし、大学心理学部の人気がすごかったし。

そもそもジブリすらあの時代の空気にあてられてもののけ姫みたいなの作っているし。

それが今やあの時代を作ったのはエヴァだと言わんばかりの風潮。

まるでiPhone発明ジョブズ一人でやったかのように語られるのと同じ違和感があるんだよな。

リアルタイム世代ならこの違和感、わかるよな?

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