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はてなキーワード: 論調とは

2024-04-19

anond:20240419000714

先進国って具体的にどこのこと?

そういうふわっとした論調嫌いなんだよね

2024-04-18

anond:20240417212337

若い人が応じてくれりゃいいけども

婚活やってる時点で余り物だろ

とはいえ余り者同士でくっつけって論調も誤ってると思う 繁殖に適さな精子卵子なので、子をなすべきではない これが正解

2024-04-15

anond:20240415204150

昔はアニメエロ表現問題になると「アニメなんて架空のものより現実風俗AVの方が反社の集まりやばいからそっちに文句言えよ。言えないのは反社が怖いからだろ」などと言われていたものだが

つのまにか風俗AV現在クリーンなのに文句つけられて可哀想みたいな論調スライドした

2024-04-13

左翼おっちゃんたち、暇空にしろトランス本にしろ「黙らせろ」「不買しろ」ってなるの何故なん?

言ってることがおかしいなら堂々と意見開陳させたうえで論難しないとあかんでしょ。

俺ならそうする。てかそうしてきた。

俺の気に入らん論調は論を立ててぶっちめてきた。

 

要するにだけど

左翼おっちゃんたちって平らなリングでの議論勝負に自信ないんだろ?

左翼って頭良くて議論好きっていう世間イメージがあったから俺もしばらく混乱してたけど

少なくともいまの左翼風味のおっちゃんたちってことごとく頭悪くて無能なんだよね。

それで自分でもそのことを薄々以上自覚してる。

 

対立が好きな割に勝負が嫌い。

場外戦反則攻撃みたいなやり方で相手勝負外に葬り去ることばかり欲してる。

リングで堂々の勝負自分相手を打ち倒すっていうイメージを全く持ってない。

たぶん成功体験が無くて、成功する能力もないから。

 

要するに政治的にどうこうとか人格的にいい悪いじゃなくて

能力的に無能なんだよね。

2024-04-12

ローカルニュースのH氏の扱い方がまあ…ねえ…?って感じのソフトさでまわりから撫でさするように核心に触れず、まあこの子反省していますからみたいな論調気持ち悪い

こっちの経済圏マスコミも身内って感じだから強いこと言えないんだろうなと思うけど、あれはないよ…

2024-04-10

https://shiroimai.hatenablog.com/entry/2024/04/09/Legend_of_Syakkindama

誰かが、

要点が「しっかりと」まとまっている良記事です、と言っていたけど…

借金アンチ自称する今井士郎氏が3時間頑張って書いた文章、とてもアンチらしくて感じがいいので、アンチじゃない匿名ちょっと突っ込んでみようと思う。匿名でごめんね、声が小さいもんでね。気に障ったらごめんなさいね

 

借金玉は、誹謗中傷を受けてきたか

借金玉に対する「いわれなき誹謗中傷」が発生していた可能性はある

「いわれなき誹謗中傷」とは呼べない批判も多数あったし、現在借金玉は非難されている

→「いわれなき誹謗中傷」多かったよね。黒に近いグレーな租税回避してるだとか、恫喝癖があるだとか。そりゃ攻撃的な口調で売った時期もあったか一定批判がつくのは仕方がないし、当然だろうと思うけど、「現在借金玉は非難されている」から「いわれなき誹謗中傷」があっていいわきゃないよね。中傷に目鼻口付けたみたいな感じの粘着さんたちな。

 

えりぞ氏との係争は、「いわれなき誹謗中傷」として始まったのではなく、借金玉の攻撃挑発に応戦する形で始まった

→えりぞ氏の「応戦」も大分言いがかりめいてたと思うけど、まあそれを「応戦」ととらえたとして、裁判を公にしてからのえりぞ氏の発言てそんなに穏やかだったかしら。挑発に応じた挑発というよりは、誹謗中傷に類するものが多いように感じたけど。「どちらかと言えば中傷」ってやつだね。今井はえりぞ氏の発言について、「どれも妥当である」と思ってるのかな。ちょっと聞いてみたい。

 

借金玉は、2021年夏頃、積極的に「裁判を行うこと」「敵対者を訴えること」を再三再四、宣言していた

えりぞ氏とのトラブルも、えりぞ氏が借金玉の「裁判情報悪用意図する発言」に苦言を呈したことに端を発するものである

今井自身も、その頃に借金玉による法的措置を匂わされた事実がある

借金玉氏が「著名弁護士のK先生」に相談した結果出力された発言だ」と明言してるよね。しかも「名誉棄損で訴えられる等、一定リスクはらみ」、「私のこうした言動がN氏との訴訟の発端となり、現状を招く一因となったことも疑いありません」と言ってる。抑止的選択肢が抑止にならなかった不幸な例だね。

 

裁判当事者となることは絶対に避けたい」というのは、えりぞ氏に訴えられてしばらくしてから、直前までの主張を180°反転させて発生した主張である

→「当事者になることは絶対に避けたい」から上記のような〝抑止的選択肢″を選ばざるを得なかったんじゃない?

 

えりぞ氏は、借金玉の知人に攻撃を繰り返したか

えりぞ氏が、借金玉の知人・関係者コンタクトを取った事実はある

ネット上の第三者が、自分複数取引先へ「私は出版社が、自分の受けた批判誹謗中傷認識した場合裁判に訴えるのではなく、「個人情報をばらまく」といった発言を行う人物出版を行うことが公益にかなうとは思っておりません。その点について、問い合わせを行います。」(えりぞ氏のツイートhttps://twitter.com/erizomu/status/1420562598106333186

こんな論調で「問い合わせ」をされたという事実があるんなら、それは通常「攻撃」と認識すると思うの。

 

noteで最も重要視されていた「被害者」は、本件を発端に、えりぞ氏と別の係争に及んでいた人物である。「借金玉の知人であっただけで、恫喝的な電話連絡を受けた」わけではない

→「借金玉の知人であった」だけの理由で、上述のような「問い合わせ」が業務時間内にとんできて、しかもそれが法的な係争に発展させざるを得ない状況が生まれ、その中で恫喝的な電話連絡が行われることになった、って大変なことだと思うのよ。知り合い全部にあん調子電話がかかるかもしれないと考えたときに、借金玉氏はどうしたかという話だよね。

 

他の関係者には、恫喝電話が行われてはいないと思われる

→わからないよね。行われていないかもしれないし、単に表に出てこないだけかもしれない。大体の関係者は、水面下で当事者に通知するか、黙っておくかですますんじゃない?

「こんなことがありました」をむやみに公にして、恫喝電話の主にタゲられるのいやだもの。当然借金玉氏も、「ここにえりぞ氏がこのような問い合わせをした!」とは発言できないよね。

 

裁判後、敵対者嫌がらせの結果として、借金玉の本名ネット上に流布されたのか

えりぞ氏が借金玉の氏名を公開したのは、借金玉が「えりぞ氏によって個人情報拡散された」と虚偽の情報を吹聴した後である

→流布されたのは「個人情報」だよね。本名の他にも、借金玉氏が公にしてないプロフィールをえりぞ氏がつぶやいてたのは、えりぞ氏が借金玉氏の本名叫び始めるよりずっと前のことだったように思うけど(いくつかツイートは残ってるけど、私は流布に手を貸さないよ)。

 

借金玉は、えりぞ氏に対して裁判で勝訴済みである

借金玉によるえりぞ氏の刑事告訴は、一件がすでに不起訴で決着済みである

借金玉が「勝訴」したとする裁判は、業務妨害・名誉毀損等の各種論点却下され、「バカ」「アホ」に類する侮辱発言責任のみ認めたものである。2000万円の訴訟金額に対し、認められた賠償額は、9万円弱(0.5%未満)であった

→認容された内容はかなり少なかったけど、「勝訴」は間違いないよね。だから借金玉氏は「内容に不服があるため、控訴である」と言ってるんじゃない?

流れを見ている限り、この借金玉氏が勝訴した裁判について、えりぞ氏は控訴していないみたいだから、内容は控訴審で変わるかもしれないけど基本的には「借金玉氏の勝訴」は覆らないと思うんだけど。

あと、えりぞ氏が「刑事告訴は不起訴に終わった」と言及していたのは、少なくとも去年までは〝民事和解になった”人物のものだと思ってたけど、いつのまにか借金玉氏も刑事告訴して不起訴になってたんだね、私見落としてたかな。先の人物の時はあんなに触れ回っていたのに、借金玉氏の分については随分静かだったんだね。

 

敵対者を訴えることが、彼なりの正義であるとして、「張ってください」と賛同を呼びかけ、敵対者との法的な対決を正々堂々完遂すると、支持者に対して宣言していたこ

→これ、障イさん氏の時の話だよね。今回のリリースではまだ語られていない部分だと思うんだけど、それでも非難するの?

 

法的措置の一環として、「敵対者個人情報故意に流布することでダメージを与える作戦」を得意げに吹聴していたこ

→「一定リスクを含む」理解があったとはいえ、著名弁護士のK先生示唆された戦法だったんだよね。もちろんその結果この事態なのであまり効果はなかったということになっちゃうんだろうけど。でもやるんなら「得意げに吹聴する」くらいの口調でなければ効果がないじゃないかしら。

 

敵対者にひとたび訴えられると、敵対者に「哀れな障害者を訴える差別者」のレッテルを貼ることに腐心し、法廷での戦いから逃げ続けたこ

仕方なく開始した法廷でのやり取りも、支離滅裂独善的で、多くの観衆に「失笑もの」と感じさせるに充分なものであったこ

借金玉氏は今回のリリース中で、氏の立ち位置における「債務不存在確認訴訟」の罠について解説しているけど、それについて全く言及せず「失笑もの」と言い切るのはちょっとアンチが過ぎるんじゃない?

 

 

自身要求が通らないことが確定すると、「裁判なんていらない」「死んでやる」等、自身の命を人質にとるかのような八つ当たり発言を繰り返したこと

→えりぞ氏が、何かにつけて「僕は狂人から」で自分発言や行動を正当化するのとどちらがマシなのかしら。

 

敵対者の子供を殺害する計画に実際に着手していたことを告白し、「かつてあった計画を漏らしたこと」のみ反省する態度を固持していること

→「えりぞ氏がなぜか本人に関係のないDMを突然公開し、拡散した」やつね。これもまだ今回のリリースだと概要説明にとどまっているようだけど、今井氏には、本人の説明を待つ気がないのかしら?

 

しかし、債務不存在確認訴訟Twitternote言及することは、最近までなかったように思います

→訴えられて係争中の相手についてインターネット上で言及し続けるということは、およそ裁判を軽視するのと同じことだと思うんだけど。(そうでもないのかな、毎日なんか言っている人けっこういるもんね)それに借金玉氏はリリースの中で自ら説明しているように、その「債務不存在確認訴訟」について大いに懸念があったから黙っていたんじゃない?裁判が提起されてから二年半くらい、係争相手について言及し続けていたのは、常にえりぞ氏とその周辺だと思うんだけど、違ったかしら。

筆名で活動し、本名も顔も非公開で活動していた借金玉氏の本名を叫んだのはえりぞ氏なのはご存じの通りだし、それに便乗して周りの借金アンチ諸氏もそれを拡散したって形だよね。グーグル検索すればその検索結果にその名前が載ったツイッター投稿が出てくるし、だいたい今井氏のブログ記事でも(ほんと理解に苦しむんだけど)恐れもなく氏の本名連呼しているよね。承認欲求を人様の個人情報で満たすのはどうなのかしら。実際どんな気持ちなの?

 

「俺が借金玉だという証拠を出せ」という借金玉の発言は、借金玉は、えりぞ氏の発言を元に「借金玉じゃないかもしれない」といった感じで、ウォッチャー界隈の流行語となりました。

→「借金である証拠として訴状掲載されたのがwikipediaスクリーンショットだった件についてはどう思っているんだろう。そして、「私は借金玉ではないかもしれない」ではなくて「借金であることの認否を留保する」だよね。証拠あやしいからちょっと待って、というニュアンスがはっきり出ていたように思うけど、それを面白おかしく取り上げたのは、えりぞ氏の意地の悪さだよね。

 

 

えりぞ氏が、借金玉の関係者コンタクトを取っていることは事実です。 「借金玉と関係のあるあなたは、借金玉をどう思っているのか」と、特に返事も貰えないアクションTwitterで行われています

→構いたくないよね…

 

あのような電話をすることは、決して褒められることではありませんが、借金玉が述べたような「私とその周囲への嫌がらせ行為」として常態的に、多数の窓口に発信された事実はないはずです。

→先にも言ったけど、実際に一か所で「行われた」のなら、ほかの場所で起こる可能性があるでしょう?それだけで大体の自営業にとって恐怖でしかないし、かなりシビア嫌がらせなのよ。サラリーマンだとそうでもないのかな?そんなことないと思うけど。

 

ここまで書いて思ったけど、読みやす文章を書くのはほんとにむずかしいね現在借金玉氏はただごとでないストレスの中あのリリースを書いているわけで、確かにいつもの氏の文章と比べたら量も多いし読みづらい、というか読むのに躊躇する雰囲気が強いよね。

今井氏のブログ記事が「よくまとまってて、読みやすい」ように見えるのはなんでなのか、ちょっと考えてみてもいいかもしれない。ほんとに、私たちは声が小さいよね。

2024-04-08

漫才だかコントだかの芸人?にガチ恋の人のnote読んだけどさ

言ってることはこう、左翼の人と同じ論調思考っぽいな

誰かが声を上げないと変わらない!最初の一票!みたいな…

左翼の人も結局自民党の激ファンなのかもしれないな…

2024-04-07

[] 生徒の校歌音程が低い」赴任した中学校長、始業式で抱いた違和感 もとの楽譜を調べてみたら

[B! 校歌] 生徒の校歌音程が低い」赴任した中学校長、始業式で抱いた違和感 もとの楽譜を調べてみたら

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kobe-np.co.jp/news/himeji/202404/0017511004.shtml

校歌に関するアンケート結果では、生徒の3割近くが「歌いにくい」と答えていた

ブクマカ論調は、作曲当時のニ長調への回帰派に比べて、改変したハ長調の維持派が優勢なように思える。

しかし、次のような視点にも留意したほうがいいんじゃないかと思う。



これらはいずれも記事から直接読み取ることはできない、あくま可能性の列挙に過ぎない。

実際に、ハ長調にすることで歌いやすくなって大好評だった可能性もある。

改変した当時、実際に生徒に歌わせてみて誠実に比較したはずだとも思う。

しかし、このような記事を読んだ瞬間に、上記のような可能性をあれこれ連想することができるかどうかは、どんな記事を読むときにも役に立つ感性だろう。

なお、ハ長調への改変の理由として挙げられた「変声期男子生徒への配慮や、アルトリコーダー演奏やすくするためでは」というのは、ニ長調への回帰を目指した校長による、あくまで推測である

2024-04-05

左派絶望して自民党宗派替えした話

主語デカ政治お気持ち文章を垂れ流すのは、趣味じゃあないんだが、増田に甘えて。

俺は、学生とき、明らかに左寄りの思考だったと思う。まあ、今考えれば、今も昔も左に寄ってる中高の教師の影響だったかもしれないし、大学環境だったかもしれない。それでも、少数者が、自分の力ではどうしようもない理不尽を味わうのは、間違っていると思っていた(それは今でも思ってる)し、タカ派的な外交政策は、危険火遊びにつながるんじゃあないかと思っていた。

家庭も自分も、明らかに労働者階級人間から賃上げにも育児休業の拡大にも興味があるし、所得の再分配もある程度行われたほうがいいと思っている。当然、ジェンダー格差なんかも、是正しなければいけない問題だ。

ところで、選挙の度に、各党のパンフレットなりホームページなりを集めて眺めている。あとは、焦点になる問題があれば、たまに省庁委員会国会中継なんかも眺めることもある。ありがとうニコニコ。まあ、それで思うんだが、ちょっと特殊共産党を除くと、立民も、令和も、社民も、みんな正義を振りかざして常に怒ってるけど、めちゃくちゃ焦点の絞り方が恣意的だし、そもそも全く信念思想なく、年がら年中自民党揚げ足取りをしてるだけだし、なんだったら、労働者層にも喧嘩を売ってると思うことが少なくないんだよな。そもそも、言ってること支離滅裂むちゃくちゃだし。

めちゃくちゃ語弊あるし、みんなに袋叩きされそうな例えで言うと、なんかもう、完全にヒステリーになってて、ちょっと刺激したらブチギレ始めるストーカーみたいな。学生ときは、左派って勝手ハト派だと思ってたんだけど、いつもなにかにブチギレてるよな。例えば立民だって自分たちの所属議員も、かなりやべえ奴揃ってるのに、自民党議員失言はめちゃくちゃ厳しく叱責したり、自分たちの党規も怪しいのに、自民党パーティー問題はめちゃんこに切り込んでいったり。

かと言って、結局労働者に寄り添ってくれるわけでもなく、結局賃上げも育休も、音頭取って実現に向けて動いてるのは自民党だし、別に悲しいおっさん労働者たちなんて眼中にないような気さえする。その割に、いつもツイッターで「◯◯は正義にもとる✗✗であって、到底感化できません(よね??)」みたいな押し付けブチギレツイートばっかりしてるし。立民って、旧民主の流れを引く中道左派じゃなかったのか??

あとは、ネトウヨやばいやつばっかりだけど、ネトサヨ(?)もめちゃくちゃやばい。良くも悪くも、正義感に駆られてるから自分感情客観的判断がごっちゃになって、意味わからんことばっかり主張してる。しかも、敵味方の判定がめちゃくちゃシビアで、内容に関わらず、敵判定したらめちゃくちゃに噛みつき回す。なにがよくないって、数字に基づいたデータに対しても、右翼認定したり、感情でキレ散らかすんだよな。データ(か、その読み方)で反論してくれ。で、何がやばいって、インターネットは、良くも悪くもいつも頭のおかしバカが集まってるところだから、それだけなら別に来にしないんだけど、今の左派政党って、マジでそういうネトサヨ的な論調でやってきてる感じがあるんだよな。もちろん、右派政党でも、ネトウヨ的ってか、反左翼的言動する人っているけど、まああんまり党全体の方針として出てきてる感じはしなくて。


学生とき勉強した、思想史上の左派思想って、もっと美しくて高尚なものだと思ってたんだけどな。やっぱり、社会は、理想主義的じゃないと動いていかないし、少数意見を組み上げて焦点化するのも、社会に欠かせない動きだと思う。けど、だからって反右翼っていうイデオロギーしかなさそうな既存左派政党は、どこも投票する気がしないし、そうなると結局癌があっても、自民党を支持するしかないんじゃないかな、というのが俺の今現在結論

誰か、まともなリベラル政党を立ち上げてくれ。ポピュリズム的でも、反左翼的でもないやつを。

2024-04-01

[] ミクロの基礎

経済とは、オペレーションズ・リサーチ手法分析されることが多い。

まり消費者効用最大化、企業利潤最大化に基づいて行動する。

均衡分析では、財i=1,...,kが存在するもとでD_i(p) = S_i(p)を考える。

このとき消費者企業が何を最適化しようとしているのかがわかるだろう。

まり企業視点から見れば、どの財をどういう価格でどのくらい売ろうとしているのかによって。

消費者視点から見れば、どの財をどの価格でどのぐらい買おうとしているのかによって分析できる。

ここで「均衡」とは何かということについて、厚生経済学の基本定理では「パレート効率性」が焦点になる。

まり「誰かが損をしない限り誰も得をしない」状態を指す。

なぜこれが「厚生」なのかというと、国民全体の幸福を考える上では「犠牲の元での効率性向上」では困るからである

誰かが損をした場合、厚生を考える上で補償原理の話に自然に向かうことになるだろう。

ここで経済学では「事実」と「価値」の判断区別するということが行われてきた。

パレート効率性は「価値」の話であり、均衡分析は「事実」の話である

価値とは、この場合「なにをすべきか」という論理のことを意味し、事実とは「なんであるか」という論理意味する。

もし功利主義者が現れれば、パレート効率性とは別の「効率性」を持ち出してくるだろう。

典型的には「ハンコ業界を滅ぼして、電子化を進めよう」といった論調がそれに属する。

経済において、特定集団が損を被る場合はまず「パレート効率性」について考えなければならないだろう。

障害者障害年金を配るのは非効率だ!」と功利主義者が言い始めた場合厚生経済学者は「障害者年金を無に帰すことはパレート改善ではない」と言うだろう。

このようにして、「べき論」にも根拠必要であることがわかる。

一般市民がべき論を語り始めると、それは「自分利益になるかどうか」という視点になりやすい。

しか経済特定の誰かの利になるよう調整されるものではなく、国民全体にとって調整されなければならないだろう。

ゲーム理論的なナッシュ均衡で個々の最適性を議論すると、全体としての効用が低下する恐れがある。

ナッシュ均衡は悪い意味で安定しやすいため、パレート効率性を重視する場合政策レベルでの議論必須である

2024-03-28

大谷翔平スキャンダルカルフォルニア現地の雰囲気

大谷選手スキャンダルだが、日本では報道されすぎて大谷アレルギー発症している人も多いらしいと聞いた。

しかカルフォルニア留学している俺から見ると、多分こちらでは日本以上に報道されまくっている。

注目すべきなのは普段野球なんて報道しない類のメディアも連日取り上げていることだ。野球ルールすら知らないが、今回の「オオタニ・ゲート」は知っているという現地人も多い。

というのも、そもそも大谷の主張を信じている友人を俺は見たことがない。あまりにも怪しすぎて報道するだけでもウケるスキャンダルと化してしまった。

ということで、この記事では現地の雰囲気と主に注目されている話題を書く。

「大規模盗難事件」なのに、誰も盗難捜査しない

今回の事件は、FBI違法賭博業者捜査している一環で、大谷の口座からの直接送金があったことに行き着いたという流れになっている。

そういうことなので、FBIの主目標違法賭博業者摘発であって、大規模盗難事件ではない。

そこで大谷は「捜査機関に被害をReportした」と主張しているわけだが、ここがツッコミどころの一つ。

そもそも現時点で、州警察FBIも、どこも盗難事件捜査していない。

被害のReportも、どこから確認されていない。

一体、大谷はどこに被害を提出したのだろうか?

そもそも被害を提出した」というのはかなりおかしな話で、大谷はどこの捜査機関に提出したのかの回答を拒否し、提出の証拠すら拒否しているため、もはや大谷被害であるということは「本人の主張」としか思われていない。

二転三転する「ストーリー

弁護士が介入している時点で、もはや誰も事実を聞けるとは思っていない。どれだけ利益を最大化するかという話だからだ。

その意味で、「ストーリー一貫性」というのはかなり重要視される。

今回の事件では、水原の信用できない話を抜けば、大谷側が主張があまりにも変化しすぎというのがツッコミどころ

例えば会見で球団長が「大谷が肩代わりした」と言ったと思えば、次には「盗まれた」と言っている。

ストーリー一貫性論理性が保ていないのに、それを大真面目に主張しているのだから、もう誰もが嘘をついているという前提に立って、「裏」を好き勝手に推測できる状況になっている。

俺として大いに疑問なのは、この件には危機管理専門家弁護士最初からついていたはずなのに、どうしてここまで酷いことになったんだろうか?ということだ。

30歳の責任ある大人理論

俺が現地のメディアを見ていてよく目にするのが、この「30歳の責任ある大人理論」だ。

論調的には

「〜という理由で、オオタニは自らが大規模盗難事件被害であると称している。

……しかし今年30歳にもなる社会的責任を持つ大人が、大金管理をお友達にしてもらい、諸々の書類を一切目にせず、数日前まで完全なる無知であったとは、一体どういうことなのだろうか……?」

という感じになる。

これは実に面白い論調で、メディア文脈からして小馬鹿にしている雰囲気が感じ取れる。

そもそも通訳生活ほとんどを頼っていて、ティーンのようにお金管理までしてもらっているとすれば、それはあまりにも面白すぎる話になる。

金があるなら会計士税理士を雇って、自らの金銭を適切に管理する「社会的責任」を持つというのが当たり前の価値観として存在する(そうじゃないと、今回のように反社会的組織に金が流れても責任を待たないということになる)。

会見「大谷、悲しむ」

大谷の会見はお祭り騒ぎだった。

CNNライブ中継するほどで、一体どんな面白いストーリーが出てくるのかに注目が集まっていた。

しかし会見ではなんの情報もなかった。

見出しには「大谷、ショックを受ける」「大谷、悲しむ」と書かれ、これ自体雰囲気として、ちょっと理解できない謎の会見と思われた。

筋道の通ったストーリー弁護団と練って発表するのかと思えば、「つらかった」「かなしかった」というティーンでもリジェクトされそうな発表が飛び出し、一体これにはなんの意図があるのかと議論されるぐらい謎であった。

しか日本メディアを見ていると、この大谷の会見で「信じる」日本人は多くなったらしい。俺は日本人なので、ある程度は理解できる。つまり日本では信仰問題になったということなのだろう。それでいいのかはわからないが。

しかし知りたいのは大谷の悲しみではなく、「違法賭博業者への送金履歴」という事実に関して、どのような論理的なストーリー提供するかということなのだ。

お嬢様ずんだもんをださいって叩いてる人々が女とは限らんだろ!なんで女が悪いみたいな論調になってるんだ!

2024-03-27

anond:20240327150714

外国人に言えるし、店の対応はアリなんだよね。

だって現実の会話で、そう出来ちゃってるじゃん。

それでお前という客が居なくなっても良い、と店が考えるなら、普通にアリ。

 

お前が言っている、出来るもんは出来るんだからアリ、理論で言うとそういう話にしかならない。

 

どうするのがより良いのかの話をしたいなら、お前自身論調を変えねばならん。

2024-03-25

レスバの本場

人によって定義範囲は違うだろうが、レスバとは、テキストによって議論喧嘩、罵りあいを行うことを指す言葉だ。

最近は、レスバはSNSでよく行われる。X(旧Twitter)でもレスバは日常茶飯事であり、それを実際に「レスバ」という言葉形容することも行われている。

さて、少し前に、5ch(旧2chブラウザであるJaneアップデートされ、5chではない別の掲示板接続されるという事件があった。この別の掲示板サイト名は忘れてしまったので、ここでは偽5chと呼ぶことにする。

偽5chはXでも多少話題になったのだが、その中でも偽5chの技術スタック言及したアカウントがあった。曰く、偽5chのWeb版はNext.jsという技術が使われており、掲示板サイトしからぬモダンな造りであるとして、肯定的言及していた。

このアカウント普段からAI驚き屋行為で注目を集めていたこともあり、偽5chに言及たこ投稿話題になった(いわゆる「バズった」)。

実際、このNext.jsという技術モダン技術ひとつであることは疑いようがない。デジタル庁が一度Next.js採用して話題になったが、モダンすぎて扱えなかったのかやめてしまったのも記憶に新しい。

話はレスバに戻るが、Xでの技術的な話題にはレスバが付きまとう。人によって好みの技術が異なるので衝突が起こるのは当たり前だ。高低さまざまなクオリティレスバが日々繰り広げられている。

Next.jsモダン技術と書いたが、より後発の技術推している人は、Next.js時代遅れ過去技術だと言いながらレスバを挑んでくるだろう。新しい技術のほうが必然的に(まだ)単純なので、「Next.jsは過剰に複雑だ」といった論理展開定番だ。

逆に、いわゆる「枯れた技術信仰を持つ人は、Next.jsなんて枯れていないものは使えないという論調だ。これも人気の高い武装である

偽5chのNext.js言及した投稿にも、例に漏れず、さまざまな異論が舞い込んでくる。Xのいつもの光景だ。技術的な話題一定以上バズったら何をどうやっても叩かれる。

しかし、普段と違うところがあった。捨て垢で叩く人が多かったのだ。

正直に言って、捨て垢の人の批判はひどかった。中身のないワードサラダだ。技術的な内容ではなく、感情論レッテル貼り武器にしているようにも見えた。

知識が無くても使えるレスバの手法を用いながら、無理しつつもなんとか批判を書いているという印象を受けた。今ならChatGPTのほうが中身のある批判を書けるだろう。

ここから妄想だが、そのような捨て垢の人は5chからやってきたのだろう。

当時、5chの住民は当然偽5chに対して敵対的だった。偽5chに対して肯定的投稿があったとなれば、叩きたくもなるだろう。

裏は取っていないが、大方どこかで投稿が晒されて「凸」した人たちがいたのだろう(もう死語か? よく分からん)。

正直、偽5ch絡みを除けばよくあるNext.js上げの投稿だったので、それくらいしか捨て垢でわざわざ批判を飛ばす理由がないと思う。

レスバ」という言葉は5chのような掲示板文化に由来する言葉だと思う。

Xなどでは返信のことを「レス」と言わない。「リプ」だ。

返信を「レス」というのは掲示板だ(メーリスとか、掲示板よりさらに古い文化由来だったらごめん)。

まり、5chからXに捨て垢でやってきたのは、レスバの本場からやってきた刺客なのである

それがあの体たらくだ。実の伴わない、底辺レスである

まあ、刺客たちがみんな技術に詳しいわけでもないのだろうから技術的な話題レスバをこなせというのも無理な要求なのかもしれない。

自分の中では、何となく5chの住人はレスバの猛者という印象があったので、それが覆された事件だった。

以上です。オチ無いうえに妄想前提でごめん。

相対主義は悪い」というよりも

この間、SNSである議論に参加というか巻き込まれて、私含めた数人の参加者レベル的にそれで結局答えなんか当然でなさそうな雰囲気だったので

「結局これはどっちもどっちってことなんじゃないの。こんなことしてるより別のことをしたほうがいいよ」みたいな返事をしたら

「それは悪しき相対主義だ」「相対主義の皮を被った保身でしかない」みたいなことをある人からいわれた。(「別のことをしたらいい」というのが相対主義?なのかはよくわからん

でもそいつ全然自分意志があるのか怪しい話しか出来てない感じだったが。

しかし、この10年ぐらいの間に、「相対主義はとにかく悪い」という人たちの意見が目に付くようになった。

今日晩御飯の内容からガンダムみたいなアニメ評論日本アジア歴史問題認識の差まで。軽い話題から深刻な内容まで、一つの物差しでそれぞれの問題を計るわけにはいかないにせよ。

でも「相対主義責任放棄であり社会問題の根源~」みたいなことをいう人はリベラル側に結構いる。

資本主義でも社会主義でも、いじめっ子でもいじめられっ子でも、ドリフでもひょうきん族でも、連邦軍でもジオン軍でもなく、相対主義

ほとんどの日本人は6・3・3制の学校で、まあ、社会処世術とでもいうものを学ぶはず。日本人の「思想」「思考」が問題にされるとき、大体学校教育まで遡って批判されることが多い。

でも、私は小学校から高校まで「相対主義」なんて学んだことはない。相対性理論はあるけど。大学でも、ゼミでいろいろやったが、具体的に相対主義とは言わないにせよ「中立的」な見方記述をするようにはいわれた。

我々もそうだったが、年に何十万人の若者が、中卒・高卒大卒のいずれであれ社会に旅立ち、この社会構成する。そしてほとんどの人々は、リベラル派の危機意識からすれば(どう形容していいかからないが)、「相対主義」者ということだ。

学校で、国が定めた教育課程により(理系は一先ずおいといて)国語社会公民・図工美術音楽語学道徳などの授業を6年間や3年間学び、家庭生活も過した人々が、学校を出る時には「相対主義」者として再生産される。

そしてそれは悪いことなのか、私にはわからない。この国は民主主義であり、自由主義であり、自分思想を選ぶ権利があり、その上で、多くの人々は確固たろうが適当であろうが、相対主義選択し、それで別に社会を維持できている。

少なくともこの社会のかなりの部分が、毎年再生産される「相対主義」で維持されているのは事実だ。相対主義者による虐殺であるとか強制収容であるとかも見聞きしたことがない。何がよほどの悪なのだろうか。

逆に、「相対主義であることを徹底的に拒否する教育生活とは何なのだろうか。

私は相対主義への批判を見るたびに、言っている人々の普段言動比較しても、なんだか検閲全体主義に近しい論調だなと感じ続けている。

社会の授業で世界の国々や選挙制度について学ぶときに、ある国は素晴らしく、ある国は劣っていると教育するのだろうか。ではその上で日本立ち位置をどう教えるのだろうか。

ベートーベンの曲を聴いたりピカソの絵を鑑賞した時に、楽譜や色調に現れる技巧は別として、徹底的に「ベートーベン」「ピカソ」の何たるかを国が定義し・教師もそれに盲目的に従い・生徒に刻み付けるのだろうか。

(よく相対主義の引き合いに出される)機動戦士ガンダムを視聴するときに、連邦軍ジオン軍のいずれかが徹底的な善であり対極は悪であると必ず親御さんが傍で「アドバイス」し続けるのだろうか。あるいは制作時まで遡って指図されるのか。(ゆうきまさみがそんな漫画描いてたな)

相対主義決断責任拒否かもしれないが、では非・相対主義決断責任日常的な強制にはならないのだろうか。それは反世俗主義的なカルトや閉鎖的な集団思考(例えばエホバの証人、旧統一教会搾取目的とした自己啓発セミナー戦前日本政治など)とどう違うのか。

これらの集団若者二世三世信者に対してどう当っているのかも含めて。

もっと言ってしまうと、リベラル的なさまざまな批判や許容の精神は、人々に曖昧に巣食う相対主義という岩盤の上で存続できているのではないか

長々と書いてしまったが、私としては、相対主義であると言われることは受け入れた上で、それが悪いとか変わるべきだとする思考には至らなかった。

ただ考える中で、他の問題も含めて、「教育・学制」というものはかなり意識する必要はあると思った。

毎年、「相対主義」であり、「自民党を『安易に』支持」し、「映画音楽を『表面的』に」しか鑑賞できず、あるいは「胡散臭いやり取りを『プロレス』、くだらない文章を『ポエム』と呼ぶ」大衆再生産されている。

そして大学教授活動家いくら「再教育」しようとしても改まることはない。果してこの毎年の大衆再生産の渦とでもいうもの「悪」「間違い」なのだろうか。

anond:20240325020425

女性相手商売やし平時から女性クレーマー辟易してヘイト溜まってたんじゃない。そこがアンフェの論調と噛み合ってしまった。

2024-03-22

anond:20240322163134

というか、権力者に弱いってだけやろ

権力者が言うと、ルールは守って当然!みたいな論調に変えるやん

2024-03-21

今後「AI確定申告」とかが出来たとして

イラストレーターのみなさんはもちろんそんなものは使わず自分確定申告するんだよね。反AIだもんね。大変だね。僕はAIがやってくれるならやってもらうよ。

「才能の民主化」って言い方は適切じゃないけどそういうことだよね。

「取得に時間のかかるスキルがないと出来ないことが万人にできるようになる」んだからこれは間違いなく素晴らしいことなんだよね。

これに対して「努力したことのないやつがズルしようとしてるだけ」みたいな論調が多くてビックリする。

 

そりゃまあイラストレーター拒否反応を示すことはわからんでもないけど、じゃあ機械翻訳はどうなのさ

 

あんなズルをせずに必死語学勉強しろ!だれでも勉強すれば外国語はできるようになる」とか言うわけ?そもそもその時間はなくせるならない方がいいよねって話なんだけど

ももちろんイラストレーターのみなさんは頑張って自分辞書引くんだよね。それが翻訳家に敬意を払うってことだもんね。

2024-03-19

「超」積極的安楽死

R.I.P. 迎田良子さん

安楽死」を考える スイス最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者報道特集

https://news.yahoo.co.jp/articles/8bb2d6cf595ffedc5bfdf45ad29546aca08b0474

というニュース話題になっている。 迎田良子さんというパーキンソン病の人が、スイス積極的安楽死したという話だ。

迎田良子さんは暴力家庭に生まれ高卒とともに家を出て、 日本語講師として海外仕事をしていた有能な女性だ。 ヨーロッパ各地を渡り歩いたという。 しかし50代でパーキンソン病発症し、 婚約していたフランス人男性にも捨てられた。 そして日本に戻り一人過ごしていたが、パーキンソン病からくる長年の苦しみから解放されるために 安楽死を決意。スイスに渡って安らかに死んだ。 婚約していた男性に看取ってくれるように連絡をつけていたらしいが、 直前になって拒否され、一人で死んだ。

遺骨はレマン湖に撒かれた。 レマン湖男性デートした思い出の場所だったらしい。

おれはどうも、この社会で生きていくことが難しいようだ。 この社会で生きていくのはどうしても辛いから、 今ある少ない貯金が尽きたら自殺しようと思っている。 実家に帰ってきたのは、心の整理をつけるためである。 親もおれがいきなり死んだら、心の整理がつかないだろう。 だからすでに、お金が尽きたら自殺するということは伝えてある。

しかしおれはこの社会で生きるのが辛くてそれから逃げたいだけであり、 自殺の苦しみを味わいたいわけではない。 楽になるために苦しむということは嫌だ。 でも安楽死ならどうだろうか。 楽に死ねるだろう。 それがおれの望みだ。

費用は200万円程度らしい。 あとは、英語コミュニケーションがとれること。 幸い、今ならば200万円は工面出来る。 英語問題ないだろう。 安楽死するために英語勉強したわけではないが。

この人生は最悪だった。 思うに、おれは劣った人間との相性が最悪だ。 相手コンプレックスを抱えていると、衝突することが多い。

ご存知のとおり、 おれの人生最後最後高専かい知的障害学歴クズ破壊された。 結果、おれはもうこの社会で生きていくことが不可能になり、 金が尽きたら自殺するほかなくなった。 この詳細は、おれが死ぬ前にでも書き残そうと思う。

結局このクズも、学歴コンプレックスの塊なのだ。 優秀なおれに出会ってしまたことでそのコンプレックスはより強くなり、 おれに対して粘着し、人生破壊してやろうと思うようになった。 そしてそれは成就された。おめでとう。

京大でもそのようなことがあった。 こいつは学歴コンプレックスではないが、 自分容姿能力コンプレックスを抱えていた。 それ故に、そのどちらも優れていて、 必死努力しているようには見えない おれが憎かったようだ。

おれは劣ってる人間に対しては無関心だ。 関わっても得がないとか、損得勘定問題ですらなく、 ひたすら興味がない。死んでほしいとも消えてほしいとも思わず、 ただ、見えなくなる。 しかしこの無関心が、相手にとってはひどく傷つくらしい。 そして、それが相手の中の敵対心に火をつけるという仕組みのようだ。 めんどくさすぎる。 それは、そちらのせいでしょう。おれのせいではない。 あなたが劣ってるから悪いんです。 ギフテッドに生まれなかったあなたが悪いんです。 いちいち絡まないでほしい。

今後も、こういうことがいちいち起こるんだろうかと思うと もう耐えられない。 おれはもうこの社会で生きていく気を失ったと思う。

おれの夢は、知床で熊と一緒にコーヒーを飲みながら 世間話をするような生活だ。 人間から離れ、山の中でひっそりを暮らす。 そういう生活が叶わないならば、もう、生きる気はない。 ベーカムにも期待しているが、おそらく実現は遠く、間に合わないだろう。 自然の中で熊と囲碁をしたかった。

おれのように社会適合出来ない人間安楽死出来るような社会になれば 多くの人が救われることは間違いない。 しかし、安楽死には当然、慎重な議論必要である。 ある難病患者女性は、積極的安楽死が認められてしまうと その楽な死を選ばないことを自己責任転嫁されてしまうことを恐れている。 これは例えばだが、用意された楽な死を選ばないのだから生命維持装置費用は自費にしろとか、 そういう論調が生まれることもあり得るだろう。 確かに、それは恐ろしいことだ。 難病になることは不運であるから、これは国が救うべきだ。

から必要なのは積極的安楽死を飛び越えた「超」積極的安楽死である。 超積極的というのは、難病であるとかそういう理由必要なく、 単に生きるのが辛いことを理由にして安楽死するということだ。 ようするに、今自殺によって実現されている死を薬による安楽死に置き換えるというものだ。 試験での失敗を苦にして自殺するのもいいだろう。 恋人に捨てられたか自殺もいい。 整形手術に失敗したか自殺もいい。 おれのように、社会に適合出来ないか自殺しますも当然許されるべきだ。 生と死には対称性がなければいけない。

大人は、「まだ若いから」とか「これからきっと良いことがあるから」とか言って あなたを生かそうとするだろうけど、それは あなた自分の老後を支える駒として見ているからだ。

この国の現状は、今は辛くても頑張って生きていればいつかきっと良いことがあると 思えるような状況ではない。 だから、うまく行かなかったら即死ぬという選択肢がないと不公平だ。 また、失敗したら気軽に死ぬことが出来るからこそ、 人間は現世において挑戦することが出来る。 日本人のチャンレンジ精神が低いのは、高齢化社会による社会保険料の問題と、 拳銃の所持が許されていないために自殺簡単でないことのせいだと思う。 そういう意味では、日本こそ、積極的安楽死必要な国だといえる。

積極的安楽死犯罪も減らすだろう。 貧困になった人が誰しも強盗窃盗をしたいわけではない。 生きるために仕方なくやっている人もいるだろう。 でも超積極的安楽死があればそういう人たちも、 他人迷惑をかけるより 死を選ぶのではないだろうか。

最近の反AI派の論調

画像生成AIは実写と見分けがつかないような未成年性的画像を作られる為に利用されており為、規制必要

実在人物コラ画像は昔からあったが、高度な画像技術必要であった昔に比べて画像生成AIは手軽に大量に作れる為、規制必要

 

なんかこれ、引っかかるんだよなぁ。

 

前者は、実在人物酷似した画像現行法で十分刑事事件にできるし、非実在であれば、それこそ絵師が最も嫌うはずの「非実在児童人権を守れ」って話になってしまう。

 

後者は、「親告罪で、訴訟コストが高いから、権利者が放置している」だけで訴えれば100%勝てる。画像投稿者情報開示を通りやすくしたり、訴訟金銭負担を軽減する等して、訴訟コストをさげれば済むし、画像生成AIと言う大きなくくりで雑に規制する話ではないような気がする。

 

ただ最近絵師絵師に近い人達の中の共通見解として、「AIを推進するもの、許容容認するもの、生成物を消費するもの」は現行法では裁けないだけで確実に犯罪者であり、彼らの言うことは犯罪者犯罪正当化詭弁しかなく、耳を傾ける必要はないと言う形で意思統一がなされつつあるので、何言っても無駄ではあるんだけどな…。

2024-03-18

anond:20240318201759

バブル期の女が酷いのは本当だぞ

当時は「女性結婚なんかして男に頼る必要なし!」って論調が一番まかり通ってたと言っても過言では無いし

anond:20240318114114

スマホ撮影した写真AIによる修正が入って現実にありそうな感じで生成してる。

これを一眼レフよりもスマホのほうがAIから写真が綺麗ですみたいな論調になりつつあるからもうダメかもしれんね。

2024-03-17

anond:20240317151756

少なくともヤフコメでは店側の瑕疵という論調が強かったか

はてブ民のおつむはヤフコメ民より劣ると証明されてしまいました…

女を雇うことは合理的配慮に欠ける

車椅子人間を持ち上げることまで合理的配慮かい無茶苦茶論調が多いようだが

女は労働基準法で重量30kg未満のものしか持ち上げられない事を忘れてないだろうか?

職場車椅子ユーザーがきて運搬する可能性が少しでもある職場(駅、映画館飲食店etc)で

女性従業員がいるせいでその場で運搬できない瞬間があってもただちに合理的配慮が無いわけではないだろうが、

企業としてはバリアフリーを実現するための人員配置を怠っていることは間違いないわけで。

まり車椅子ユーザーを持ち上げられないのが分かってるのに女を雇うことは合理的配慮に欠けているのである

女を雇うだけで道路に段差を設置しているようなもので、配慮が足りていないのだ。

同性婚憲法24条1項

「両性の合意のみに基づいて」の「のみ」は、婚姻を異性婚に限るという意味ではなく、婚姻をする2者以外の意志の介入(端的には家制度下による両者親族意向など)に歯止めをかけるために入れられた文言である、というのが、24条1項の立法意思についての一般的理解そもそもこの憲法誕生した時代に、「同性同士が結婚する」というアイディアは、法曹界だけでなく当時の同性愛実践する当事者にとっても全く現実的ものではなかった。

このことから立法意思説に立った場合法律意思説に立った場合も、24条1項は、同性婚積極的禁止しているわけではなく(人間と法は、その時点での想定の枠外のものを「禁止」しない)、同性婚を「想定していない」(未規定)という解釈一般的である2021年札幌地裁判決に始まる各地での同性婚訴訟判決も、このような解釈に基づいている。その点で、https://anond.hatelabo.jp/20240316113208増田が書いている「憲法同性婚を想定していない、というのは憲法学会の通説であり」は100%正しい。

ただし、同じ増田追記で書いている「両性の合意がない以上、それに準ずる制度は作れたとしても憲法上の婚姻には該当しないって理屈付けしなきゃ無理」のほうは間違っている。「憲法で同性の婚姻保障されていない状態のまま、民法戸籍法において規定された婚姻を同性に拡張すること」自体法律論的には問題がない。憲法上では未規定だった対象や事項を下位法で包摂するというのは、憲法24条以外の憲法条文でも当然存在する。たとえば肖像権プライバシー権憲法上では想定されていなかった未規定権利だが、第13条の幸福追求権という抽象的な包括的人権から敷衍される具体的権利性のひとつととらえることにより、後に民法規定され保護されることになった。そこは、増田引用している高橋和之先生がこのように書いている通りである

日本国憲法は、人権をそこで列挙した個別的人権類型限定したのではなく、時代の変化に応じて生ずる個人の新しい必要要求が具体的人権として個別化されることを認めている」

高橋和之立憲主義日本国憲法(第4版)』(有斐閣、2017 年)



なお、ここで元増田に都合の悪いことも書いてしまうと、元増田引用している高橋和之氏の「立憲主義日本国憲法」 の

婚姻自由については憲法24条が保障しているが、近年議論され始めた同性間の結婚まではカバーしていないというのが通説である

立憲主義日本国憲法」 (有斐閣2017年



という部分は、実は2020年発行の第五版では「通説であった」と改められている。このことは国会質疑でも取り上げられている。https://twitter.com/P_reDemocracy/status/1597644240489701377

それはともかくとして、2021年札幌地裁判決では、少なくとも同性カップルに対して権利保護の仕組みを一切立法しないのは国会裁量範囲を超える違憲状態であり、このような違憲状態を解消するうえで、実際に現行の民法戸籍法規定する婚姻を同性に拡張することで解消するか、それとも海外シビルユニオンPACSのような、婚姻と似たような形で同性間にもパートナーシップの法的保護保障する、別建ての法律を新たに創設することで解消するかは、国会の広範な裁量に委ねられる、としていた。以後の各地域での同性婚訴訟基本的な流れも基本的にはこの立場にあった。「同性間に結婚を許してもいいし、同性向けに(あるいは同性も含めて)結婚みたいな別制度を作ってもいいから、とにかく何かやりなさいよ」ということだ。

一方、今回の札幌高裁判決は、この建て付けから一歩踏み込んで、現行民法戸籍法が同性間の婚姻を認めていないことは、憲法24条1項にも違反するとしており、ここまでの判決とは大きく意味合いが変わった。これは同性婚訴訟当事者支援する法曹にとっても予期せぬ判決で、驚き混じりの賞賛の声が出ているほどだ。ただし、その「違憲である現行民法戸籍法のあり方」に対してどのような立法解決を図るかは、引き続き立法機関たる国会裁量に任されていると考えられる。よって、憲法24条1項の定める「婚姻」の下位分類として、現行民法戸籍法の定める「婚姻」と、新たに民法規定される「何か」(たとえばシビルユニオンPACSのような婚姻類似制度)が併存する、という建て付けも可能であろう。その点では、札幌地裁判決に続く一連の判決での示唆と、求める立法解決の形が激変しているわけではないと思う。

とはいえ(これまで保守派が「同性婚禁止している」と認識していた)24条1項自体にもとづいて「現行民法戸籍法違憲だ」という判決が出るというのは結構すごいことで、おそらくこの判決が出たことで「国会がどのあたりを落としどころにするか」というラインも変わってくると思う。おそらく自民党保守派も「婚姻制度提供する法的保護のごく一部について最低限保障するようなショボいシビルユニオンを作れば違憲状態は解消され、保守派も何とか納得するだろう」だったものが、「同性パートナーシップを現行民法戸籍法の「婚姻」には絶対入れさせたくないが、そのためには、あるていど充実したシビルユニオン法案提案せざるを得ない」という感じになるかもしれない法相から以下のような物言いが出てきたのはその潮目の変化を表していると思う。

小泉龍司法相はこの日の定例会見で「国民生活の基本や国民一人一人の家族観にも関わる問題で、国民的なコンセンサス理解が求められる」とし「われわれも、議論を進めるという意味では貢献できるところがある」

岸田首相「同性婚規定、なくても憲法に違反しない」 札幌高裁が「違憲」判決出したのになお後ろ向き:東京新聞 TOKYO Web

与党内でも、公明党はもともと同性婚推進派だし、自民党内で同性婚反対の論調リードしてきた安倍はいまズタボロの状態にある。外堀は徐々に埋まりつつある気がする。

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