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はてなキーワード: 多角的とは

2021-04-23

ムシキング相手にするな

自分推し登録者数で他を上回っているからとマウント取るヤカラは界隈で「ムシキング」と呼ばれ忌み嫌われているよ(本家ムシキングには風評被害)。

深淵を覗き込んで深淵になることはない。

Vtuber本人が数字を直接的に気にしている様子はあまり見ない。

特に箱内では先輩後輩の関係の方が重視されているっぽい。

ボイスの売上やライブの動員数など、他の評価値も内部から多角的みえているだろうし(本人にはわからなくても社員から伝わるものはあるかと)。

ただ外部コラボのために登録者数を伸ばしたいというVtuberは見かけた。

まり人数に差がある状況でコラボすると「数字を吸っている」と誹謗されるからかな……身内や同時期デビューの親しいVtuber相手には登録者数の差を気にしていない様子だった。

そういう意味ではこれも界隈の悪い風習が影響している。

本人には風船みたいに中身がない可能性もある数字より強みと自信をもってほしいんだけどね。

https://anond.hatelabo.jp/20210421191717

2021-04-19

[]不滅のあなたへ 二話

一話目が主観目線希望のない荒野を映し出したのに対して、二話目は完全に客観目線なので感情移入より社会派を目指したのかな、という冷静な目線に立ち戻ってしまう。要するに突き放した目線で見てしまう。内容もナショジオなどで取り沙汰されたクマリの儀式を模したもので、作中の価値観は極めて現代的な「自由」を標榜したもの

人身御供などの題材は普通洗脳下における人物感情の無情さ、無機質さ、怖さが必ず絡んでくる。あるいは逆に、そうまでして守りたい信心というあらゆる意味多角的文化を捉えなければならないものでもある。今回はそうした重みのある題材を軽々しく作品にしてしまった。こうしたものの取り扱いには現地の倫理観という優先すべき事項も存在するわけで、外人であるほぼ西洋化した日本人感覚で語ることは、本来まり歓迎すべきことではないように思える。タンクトップの女も民族衣装的ではなく、歴史を正視するノイズになっている。

一方(原作未読だが)二話以降は感情の伴わない神が送り出した物体少女との不思議交流がメインとなるわけで、感情が伴わないもの感情豊かなもの、死なないものと確実に死にゆものの対比が描かれる。そう考えると歴史的に行われる人身御供巫女儀式は全くメインではなく、視聴者が感じる旅情感と作品のメインモチーフである「人であることとは」という現時点の問いかけに全力で振り切っていると言い換えたほうが適切なのかもしれない。それならなぜ重たい背景を持つクマリをあからさまに題材にしたのかという疑問点は残るが。

2021-04-03

呉座と「男性皆殺し協会」を通じて盛り上がるネットモラル上ゲーム

特定規準を以て他者非難した人間は同様の規準を以て非難されるのを甘受しなければならない。とまあ、そういうルールですよね?それはある種の「覚悟」であって尊ぶべきものに相違あるまい。

呉座氏の件では論点が多岐に渡るため必ずしも採用される道徳倫理とか他の言葉に置き換えてもよい)規準一定ではない。私が思うに根本規準は呉座氏が北村氏を中傷していたのはよくないという程度だったろう[※1]。しかしま関係者含め他のことも非難していたりするわけで、その根本規準を外れたのであれば新たな規準を示したと考えざるをえず、その新規準はその新規準を用いた人間にも適用される。

そしてなんと今回(結構前)めちゃくちゃ大きなアップデートがあったのである

北村紗衣・北守・牟田和恵・古谷有希子各氏の過去発言|喜多野土竜|note

簡単に言えば、約10年前に北村氏が男性皆殺し協会マニフェスト北村訳:男性根絶協会マニフェスト)を翻訳して、「『セックス』で検索してくる人がたくさんいるのだが、だいたいひっかかってくるのはヴァレリーソラナスの『男性根絶協会マニフェスト』の翻訳だろうから、見た人はびびるだろうね!楽しいな!」と書いたのが問題視されるべきだという内容の話である

あ、いや、喜多野氏は「保留」と言って逃げているので、もへもへ氏やMGTOW NEWSが、もしくはこの件で批判されるべきだと言っている一部はてなユーザー達が規準アップデートしたと言うべきか。

もちろん、訳しただけで問題だと言っているわけではあるまい。実際、MGTOW NEWS過去部分的に訳して説明を付している(https://archive.ph/2QksL何故かMGTOW NEWS消滅してしまった)。その中で、当マニフェストに対する否定的見解は「フィクションに登場する悪役、はたまたブラックすぎるジョークのように思える」という部分以外にオウム引用して暗に否定している部分だけである。加えて次のようなツイートをしている。

ミグタウニュース MGTOW NEWS @MGTOW_JP

本当は「みんなが幸せ社会」を実現したいだけなのに、なぜか誤解されて叩かれがちなフェミニズム

本当は、男性も”解放”するのがフェミニズムだということを知ってほしいので、

今回はヴァレリーソラナスさんが創設した

#男性皆殺し協会 

とっても素敵なマニフェストについて紹介します!!

https://archive.ph/A6lfs

もちろん、これは皮肉であるしかしこのような調子ツイートであっても問題はないということをMGTOW NEWSは示している(ダブスタなんてするはずないからね)。換言すれば「このような悪質な憎悪文書を茶化し結果的矮小化することは不謹慎だ」という非難はそれ単体では適用できないということだろう。ということは多角的分析せねばなるまい。

なお、MGTOW NEWSは何故かこのツイートを削除してしまったので魚拓での引用とさせてもらう。

北村氏の翻訳記事はいったいどんな内容だったのか

記事自体は削除されたのだが、なぜかわけのわからん怪しいサイトで拾えたのでそれを真実勝手にみなして話を進めていく。セキュリティソフトが発動したのでちょっと不味い気がするが、気になった人は文章検索すればヒットするよ。さて、北村氏はマニフェストについてどう言及していたのだろうか?

…(前略)…基本的にはレズビアンパレティストの立場から男性抹殺を主張するものである(?!)。ソラナスによるとこの文章辛辣風刺目的としたもので、別に本人は男性を本気で皆殺しにする気はなかったようだ(ハムレットも芝居の中で結婚している奴を皆殺しにすると宣言していたが、別にしなかったし、そのノリとたいして変わらん)。ただしソラナス本人は子供の頃から性的虐待を受けており、…(中略)…"cut up"を「抹殺」だと原文にある去勢イメージがなくなるから「根絶協会」のほうがいいと思う。

なお、私は別にこのマニフェスト賛同しているわけではない(いや、男の人大好きですよ!とくに女装している時はね)。単に風刺文として面白いと思っているのと、日本語訳がないのと、クリスマス休暇中は図書館しまっちゃって時間があくから訳してみるだけである。一方でこのマニフェストに書かれているミサンドリー(男嫌い)的な内容は、現代大学で読まれているような哲学芸術史上重要とされているいろいろな論文に現れているミソジニー(女嫌い)に比べればそうたいしたことないんじゃないかと思っていることも確かであるこの論文はたしかイカレているが、初期キリスト教関係の文献とか、私が研究しているイギリスルネサンスアンチ女性パンフレットとか、現代の「未来派マニフェスト」なんかのイカレっぷりに比べてそう突出しているとは思えない

太字が批判的、下線部が肯定的(?)な部分である

とりあえず、「内容に賛同しているわけではなく、イカれたミサンドリーを含む文章だが、一方で風刺文として面白くまた過去現在ミソジニーを含む文章と比べてそう突出しているわけではない」という感じだろう。

すなわち、今回作られた新規準によれば(1)イカれていて(2)ミサンドリーから(3)不賛同先に断っていても特に免罪にはならず断罪されるべきだと言うのである

ではMGTOW NEWSの紹介記事とは何が違うのだろうか?「風刺文として面白い」のように少しでも価値を認めた時点でダメなのだろうか(なお風刺文として面白いというのは的を射た風刺だというのを意味ないらしいのに注意。後述)?もしくはミソジニーテキストと比べてそう突出していないという論評がどっちもどっち的な矮小化を思わせてよくないのだろうか?それはさておきもう2箇所程引用して少し検討してみよう。

しかし、二パラグラフからヴァレリーソラナス自身男性嫌悪が匂い立ってくるようでまったくすごい…のだが、これは人生において一度はブスだったことがある女性しか書けないとこである気もする。実は私はこのあたりはかなり読んでいて厳しい。

北村氏は一気に全文翻訳したのではなくかなりの回数に分けて翻訳している。これは2回目の翻訳の時の説明。この少し前に「あまりホラーっぷりにちょっと笑いがとまらなくなってしまった」とあり言葉は軽いが男性嫌悪の勢いに着いていけない感じがうかがえる。引用後半部分はそれとは別の感慨だが。

この反ヒッピー論は私はなかなか頷けるところもあると思うのだが…ヒッピーコミューンとかが基本的男性中心的、異性愛中心主義だっていうのはよく言われていることじゃない?ここ二回ぶんくらい、表現が非常に下品なだけでソラナスの言うことが結構まともな気がするので、興味深いがちょっと諷刺の切れ味は鈍っている気がするな。

ちょっと前に「なお風刺文として面白いというのは的を射た風刺だというのを意味しないらしい」と書いたのはここにかかる。まともだと風刺の切れ味が落ちるということは風刺として面白いというのはもしかしたら褒めてないかもしれない。

ここは一部同調している箇所で他にも同様の反応が何箇所かある。逆に「相変わらずヒドい」と書いてある場所もある。…とまあおおよそこんな感じである

さて、最後北村氏の態度についてまとめておこう。

引用文書について(1)イカれた差別文書と認め(2)不賛同を表明しているが、(3)一部で論の価値を認め(4)他の差別文書相対評価している。

新規準を整理しよう

とはいえ喜多野氏やもへもへ氏らはどこに言及すべき価値見出したのか具体的に説明していないので何とも言い難い節はある。実際具体的にどのような態度で引用翻訳していたのかについての論評はない。つまり直接的に言及引用されている内容を中心に彼らの取る規準を見出せばとりあえずこんな感じではないか

中核の評価基準

(1)悪質な文書引用文書性質項を満たせば自動的認定される)について引用し(2)その攻撃性を軽視しているように見られかねない発言をしていた場合(3)その発言10年前程度の範囲内であっても問題である

引用における態度

(A)差別または憎悪文書と論じ(B)否定的評価イカれたなど)を下し(C)不賛同を表明する一方で、(D)部分的価値を認め(E)類例と並べて相対化している場合は免罪されない。

引用文書性質

(a)(引用から)40年前の文書であり(b)差別または憎悪文書であり(c)内容も過激で(d)本人が殺人未遂を起こしている。

とりあえずキタ規準とでも呼んでおくとする(北村氏にも喜多野氏にも適用されないので不適切名称かもしれない)。「中核の評価基準」「引用文書性質」はこれより悪質性が高い場合問題視され、「引用における態度」はこれより良心的であれば責任は軽くなるという感じで、総合考慮されるべきだということになるだろう。ただし、何度も繰り返すようだが「引用における態度」については喜多野氏らは特段触れていないことに留意必要ではある。ここを入れないと逆にキタ規準適用されるもへもへ氏らに酷く高度な道徳規準適用されるのが不憫なため考慮に入れるのが妥当だと考える。

ところで規準で時期を考慮することに不満を持つ人もいるかもしれない。「中核の評価基準」において時期を考慮するのは、1つはやはり価値観の変遷が大きな理由だ。例えば女性事務職という考えはすこぶる差別的だが過去に遡ってそういう発言をした人間断罪されるべきとなれば過去人物はわりと断罪される(もちろんそういう考え方が過去にあったことを差別的な思想蔓延っていたと批判するのは否定しない)。するとやはり過去発言の方が悪質性は減ると考えるべきではないだろうか。とはいえ過去においても問題であった言行は当然問題であり免罪されない。もうひとつ時効という考え方だが、こちらは不同意の方も多いかもしれない。なお例えば森元会長女性蔑視的発言をした際に15年前の「女の人だなあ。やっぱり(視野が)狭い」という発言が掘り起こされたのは単にその人の一貫した思想態度に対する批判であって15年前だから擁護することはできないだろう。何にせよ、一見した感じ呉座氏批判については3年前に遡った程度らしく、北村氏が現在ミサンドリー発言をして10年前の言行が掘り起こされたというわけでもないので、単発で10年前の言動非難されるという新たな規準が定立されたと評価するほかないだろう。

引用文書性質」で一応時期を考慮に入れるのは少し違って切迫性の観点による。例えばどこぞの戦国武将の妻が「子供の1人でも戦死すればお家の名誉になる」と言ったのを称揚するのとどこぞの現役政治家が「お国の為に子供差し出すのが名誉あることだ」と言ったのを称揚するのではやはり深刻度は大きく変わる。

キタ規準の演習例題問題

というわけで架空の例題問題[※2]でどのように応用できるか考えてみよう。

アメリカ議会を襲撃して逮捕された人物発言引用しよう(訳は引用者)。

リベラルは超特大の馬鹿class-A moron)だ。いつでも自分達が正しいと考え意図に沿わない他者糾弾排斥する。自らを民主主義者の守り手と称するが、その実彼らは選民思想エリート主義者に過ぎない。弱者多様性を言い寛容を謳うが本性は非寛容で本当の弱者に対して無関心。アメリカを偉大さから引きずり下ろした犯人なのだ。今回もDSを支持し選挙を盗み民主主義だと嘯いている。彼らは引きずり出され、八つ裂きにされるべきだ。夜明けに連れ出され銃殺されるべきだ。」

彼はこの発言非難された際に冗談だと返しておりリベラルは本気で殺されるべきだと思っていたわけではないようだ。それにしてもこの発言からリベラルに対する憎悪が伝わってくる。彼は陰謀論者であったが、リベラルについての評には見るべきところがある。選民思想の持ち主だと喝破するところなんて的を射ていないか

今は例の議会襲撃者の発言ブログトップから別の用事で見に来た人はびっくりしそう。

いい薬だね

まず、引用文書は(a)最近発言で(b)差別かはさておき憎悪文書なのは間違いなく(c)射殺を言い出さすなど内容も過激で(d)本人も議会を襲撃しているという事情に鑑みれば悪質で切迫性も満たす発言問題だろう。

引用における態度では、(A)憎悪が伝わってくるなど憎悪発言であることが読み手に伝わり(B)発言否定的評価は薄いが陰謀論者という評があり(C)不賛同だと表明していないが同調してはいなさそうである一方、(D)部分的好意的評価をしている。ただし、(E)相対評価はしていない。ただ総合的に見るとキタ規準抵触する態度と言わざるをえない。

中核的の評価基準だと(1)悪質な発言を訳し(2)その攻撃性や悪質性を軽んじているように見られかねない態度を(3)最近取っていたので問題だと言える。

まりこのような発言キタ規準抵触するということになろう。もちろんキタ規準絶対のものではないが、甘受する「覚悟」を示した人間には当然適用される。まあ北村氏にも喜多野氏にも適用されないのだが。何にせよ尊い覚悟は敬服し記録するものである

MGTOW NEWSパラドクス

ところで繰り返しになるが今回北村氏を批判した人々はマニフェスト翻訳したという事実とそれに言及したツイートをもって批判している。であるから、ここで適切だと考えた規準はいささか正確性に欠ける嫌いがある。ここで言うところの「中核の評価基準」で論じるべきかもしれない。しかしMGTOW NEWSも同じく男性皆殺し協会マニフェスト引用し「とっても素敵」と茶化し皮肉を言っている。これは「その攻撃性を軽視しているように見られかねない発言をしていた場合」と言えなくもない。

所与の条件である今回の批判者は過去発言と直接的なダブスタをしていないは動くわかげないので困った話である。これをMGTOW NEWSパラドクスと言う。これを解消するためにこの論考では別の項目、特に引用における態度」の項を作り表面上逃れることとした。だが後続者の皆さんには正面から向き合ってこの点をブレイクスルーしていただきたい。

終わりに

小学生並みの感想を言うと何にせよモラルが向上するのは良いことだと思います覚悟がある人がモラル寄与するんですね。いいと思う。それは呉座のいいね欄を遡ってる人でも北村氏の件を非難する人でも同様である。その覚悟は敬意をもって記録されるべきだ。

けど、自分は直接の誹謗中傷でなければ遡っても数年くらいかなって思うので私に対してはそのくらいの基準批判してもらえると助かるかなあ。その範囲でならリツイートだろうとスターだろうといいねだろうと謝罪するので…。ダメですかね。




[※1] ここはみんな合意してくれると思うんだけど中傷ではないという意見の人もいると思うので次の増田で詳しく説明しておきたい。

結論を言うと、容姿揶揄したと見るか全く言わないようなことを言っているかのような風聞を流したと見るかどちらかにせよ中傷であるという結論だ。

[※2] 一応元ネタは何個かあるが、1つはトランプ政権で大規模な選挙不正は無いと言って事実上の更迭をされたKrebsに対してトランプ大統領の弁護士diGenovaが冗談?として言った”that guy is a class A moron. He should be drawn and quartered. Taken out at dawn and shot.”

2021-04-02

anond:20210402142842

君が初めてなにか情報が足りない事について知識を得たいってなったとき判断する基準はどれ?

①みためがいい

②そういう情報をもってるってうわさをきいたことがある

③そういう事については信頼できるって人が認定してる

④自他ともに認める専門家

どれでもいいけど、まず自分が得たい情報について確度をあげたり品質の高いもの判断するにあたって多角的に答えや知見がもらえる人って何番かな?

ネットは④かな いくらでもでてくるよね その筋の専門家研究第一人者執筆ぼやきもでてくるよね

2021-03-28

anond:20210328203356

いろんな人と語り合って多角的視点を得るのが正義なの?

2021-03-10

anond:20210310125222

「考える」って気軽に言われるんだけど意味するところが多岐に渡りすぎててほぼ正しく伝わらないんだと思うわ。

そう言ってる俺だって、気がついたら20年くらいなんだかんだ数学周りを勉強したりそれを利用して仕事したりし続けてるけど、その部分のイメージ言語化するのはかなり難しい。

安易に口にすると「多角的に考える」とかそういうやっぱり全然伝わらない言い回しなっちゃうし。

2021-03-01

anond:20210228021045

都市から切り離された理想郷か、貧しくて積極的地域での交流・協力を必要としていてかつそれをしている家庭か、の2つがあったとして継続的安心が予想されるのは後者でしょ


内部でおかしなことになったり内部での調整がおかしくなった理想郷で何かが起こっても誰も止められなさそうな所と、その家庭だけでは足りなかったとしても助けを外部に求めて集団における秩序に従って解決策を求めてくれそうな所と比べたら、将来の不安がより少なくなるのは後者じゃない?



養子に出すのに子供部屋とかおもちゃとかきれいに残ってるお金持ちだけど高い塀で遮られてる男声2名の住む家と、隣近所とあけすけに繋がってる庶民アパート多角的人員構成家族と比べたら、後者のほうがいいと思わない?



だれのどんな幸福を祈るかによると思うけどさ

2021-02-20

古文漢文をやったことに意義を感じない

全然役立った気がしないぞ

確かセンター古文満点だったし、漢文も1ミスくらいだったから、少なくとも「古典が大の苦手」ってことはない あんなんカン結構読めるしな

でも、ホントになにかに活きた感じが全然しないのよ

俺の「活きた」のハードルはかなり低い

ナショナルジオグラフィックとか見てて、森の中にひらけた場所があるのが映ったとき「あ!ギャップだ!ヤッター!」と思えればもうそれは活きた判定になる

そうすると、かなり色々活きてるんですよ

現代文:評論文を読もうという気になれる 漢字が読める 問題に使われた小説を読もうと思う

歴史:フィクションの下敷きになってる史実がわかって楽しい

科学:科学番組を観てて楽しい 擬似科学を警戒できる ドクターストーン的な作品をより楽しめる

英語:洋楽を聴いて楽しめる 洋画を原語で見ると楽しい 英語インターネットを楽しめる

数学:日常のなかでちょっとした確率計算とか測量の真似事みたいなことをして楽しめる お金計算にも役立つ

 

ほら、ホントに色々役立ってるんスよ

古典文法くんさあ……君はなんだい?

俺が日本史に興味薄いかそっち系コンテンツに触れることが少ないっていうのももちろんあるけど、それにしたって活かす機会がなさすぎる

枕草子パロディでウケられる」みたいな話を古典学習メリットとして出してくる奴いるけど、枕草子くらいのメジャー作品って逆に古典時間あんましっかりやらなかっただろ!

あいうのはむしろ中学校の初期とかにサラサラっと通すだけなんだよな そのころの教科書にはだいたい結構しっかりした現代語訳も載せられていて、ホント入り口っぽい感じの運用なんだ

で、そういう体験ツアーみたいな感じで読むメジャー作品の話しか出てこないんだよマジで 古典の話するときはさあ!

とりかえばや物語とか落窪物語とかそういうのもやった記憶はうっすらあるんだけど、ホントにうっすらした記憶なんだよな

なぜならクソつまらなかったか

古文ってほとんどカスだな……昔の日本人ゴミだったのか……」みたいなことを思いながら読んでた記憶しかない

からいからつまらないとかじゃなくて、文意をしっかり解釈できた上で、「で?」という感想しか残らないんだ

つうか、かきつばたを見て都を思い出すのはいいけどよ、そこで「この気持ちを歌にしよう、そこにかきつばたの頭文字を織り込もう!」ってなるのがホンマに気色悪いね

マジでキモいんだよな キレそうになる

ミュージカルじゃねえんだから気持ちをいちいち歌にするな 薄ら寒いねん 俺はもっと自然感情の発露が見たい

歌が技巧的だと「こいつこんな小手先テクニック弄してる余裕あるし、実は全然感情動いてねえだろ」ってなる

逆にシンプルな歌だと「クソつまらんヘタクソな歌だ、こんなん読むくらいなら黙ってた方がマシだろ」ってなる

和歌文化ホントに心から嫌いなんですよ マジで気色悪い 死んで欲しい(もう全員死んどるか!ガハハ!ざまあみろ!!)

友蔵心の俳句本質が同じなんですよね オッサンが事あるごとにヘッタクソな俳句を詠んで聞かせてきたらマジでぶち殺したろかと思うが、古文読んでると常時その気持ちになる 常時

あと、なんかムダに引用みたいなのを会話に織り込んでた記憶もある 内輪ネタへのリファレンス=賢さみたいなノリ本当にキモい 淫夢ネタゲラゲラ笑ってるのと何が違うのか

本当にカスなんだよな古文

そんで漢文だよ

漢文、さすがにバカでけえ中国産なだけあって内容はやや面白いことが多い そこは認めよう

でもこう、なんつうか、儒教的?すぎるんだよな

基本的オチというか教訓が読めるんだ この展開ならこういう教訓を引き出す方向に行くだろうっていうのが容易に読めてしまう こぢんまりと纏まってるんですよね サプライズがない

そんで、あの形式をわざわざ読めるようになる意味マジでまったく感じられない

返り点とか漢文の授業以外で一切見たことねえもん 最初から書き下して出してくれればいいじゃん

古文にも共通する話だけど、漢文ってもう増えないじゃん いや、増やそうと思えば増やせるだろうけども、増やす意味がない

中国語をそのまま読むわけでもなく、かといって日本語でもなく、なんなんだ?マジで

というか、機械的に書き下せるものをワザワザあの若干読みにく形で出してくる意味マジでからない

漢文自転車でいうところの補助輪みたいなもんだと思ってるんだけど、補助輪つき自転車トラックをビュンビュン走らされてるような違和感がある

ガッツリやりたいなら補助輪をとれ 軽くやりたいならそれなりの軽さにしろ 半端やねん全てが

つか、内容、古文よりマシとはいえ意味わからんのも多いしな なんか突然神仙要素が出てきて、昔の中国ってこんなノリなんだ〜…ホーン…と思いつつ終わることが多かった

何が言いたいかからなくなってきた

とにかく、古文漢文文法からガッツリやるようなものではないんだよな

それよりスペイン語でもやったほうがいいですよマジで スペイン語やったらイタリア語ポルトガル語あたりもうっすら分かるようになるし、英語への理解もより多角的になる感じあるもん

¡Que mueran los hatenars! ¡Os odio!

ホラかっこいいじゃんスペイン語

朝ぼらけとか言ってる場合じゃないですよ、マジで

 古文死ね ああ古文死ね 古文死ね

  つまら和歌を 詠むんじゃないよ

マジでこんなクオリティ和歌ときどき出てきてたからな 問題用紙破り捨てたくなるもん

俺、なんなら古文なかったほうが先人への尊敬度高かったと思う

古文いくら読んでも軽蔑の念しか出てこないんだよな 垣間見文化とかもキモいし、とにかく全体的にキモすぎる 

あと平安あたりだと都なんかに住んでる貴族しか出てこないのも腹立つ 所詮金持ちボンボンどもが暇にあかせて遊んでるだけやんけ

本当に嫌いなんだ俺は

2021-02-19

大学入試共通テスト古典問題が凄かったので解説させてほしい

タイトルの通り。筆者は高校教員で、いま業務が少しだけ落ち着いていて分析する暇が出来たので、次年度以降の入試対策のために解き直してみたのだが、新テスト方針をすごい形で問題として体現していたので、なるべくわかりやす解説していきたい。


わかりやすとはいえ大学入試古典問題について突っ込んで書くので、もし興味(と古典知識)があったら実際に解いてから読んでみてほしい。

問題解説予備校分析などは以下から参照。解けなくても解説や、現代語訳と設問を見るだけでもいい。


予備校

https://www.toshin.com/kyotsutest/

https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/kyotsutest/21/


ちなみに大学入試センター問題作成方針はこっち。

https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00038406.pdf&n=R3年度大学入学共通テスト問題作成方針(令和2年6月30日一部変更).pdf


以下は教員仲間とのディスカッションメモを元にしているから内容はかなり専門的かもしれない。それと、自分の専門は古典ではないので専門家から見れば細かい部分で雑だと思うが許してほしい。


まず、第三問の古文

センター試験から変わると事前に予想された、複数文章や会話形式選択問題はなかった。

本文(「栄華物語」)は妻を亡くした夫の哀しみについてのしみるストーリーだが、新傾向の問五が回答することによって本文の感動・深みをよりしみじみかみしめられるようになっている。これが非常に素晴らしく、「文学的文章入試問題かくあれ!」と感じた。いとあはれなり。


・具体的には、問五では本文中の和歌X(妻の死の悲しみを無常観を引き合いにして慰める歌)とそれに対する返歌Y(無常の教えなど今は悲しみが深くてとても考えられなかったよ、という返歌)に加え、本文とは異なるXへの返歌Z(無常の教えは肯定するが、それでもなお悲しい、という趣旨の返歌)を問題は示している。

・問いとしては、本文とは異なる返歌Zの存在を指摘し、Y/Zの内容を比較したうえで正しい説明を選ばせるというもの

これは表面的には和歌を中心とした複数の出典の内容を読解するという新傾向問題であるが、作問者の意図はむしろ文学的文章の鑑賞」つまり作品の情趣や感動の理解」に重点があるのではと感じられた。

・本文のストーリー的なキモは、妻を亡くした夫が、この返歌Yを書き終えながら「こんな悲しみにあってなお私はこんな冷静に返歌を書けているわけだが、それならこれから数ヶ月、数年と徐々に時間が経っていけば、私はこの悲しみをいつか忘れてしまうのではないだろうか」と考えるところにある。そして、亡き妻との思い出をまた振り返るところで、出題の本文は終わっている。

・問五の正解の選択肢⑥「和歌Yは、世の無常ことなど今は考えられないと詠んだ歌だが、そう詠んだことでかえってこの世の無常を強く意識してしまった長家が、いつかは妻への思いも薄れてゆくのではないかと恐れ、妻を深く追慕してゆく契機となっている」。この説明は、本文の感動を得るための入り口を示すものとして非常にすぐれた一文であると感じられる。さらには、本文の内容が古文学習における重要概念無常観」と繋がっていることに自然と気づくことができる。現代人にはなじみの薄い「無常観」という価値観が、悲しみと共に実感を持って感じられてくるだろう。これを正解として選べた受験生は、本文の「あはれ」を回答前よりも深く感じられたのではないか。(少なくとも自分は深まった)

・「こんな問題作れたらキモチイーだろうなぁ!!!!」と同業者的(?)的におもった。


・また、過去試行調査でも、本文と同一内容の文章だが異なる出典で差異のある文章を出題する、本文異同研究や異本系統研究といった国文学研究のよくある題材を意識させるものがあった。今回の出題も「栄華物語」とは異なる返歌が「千載和歌集」にあるということを指摘した問題である。新傾向で問う能力古文の中で定義した結果が、人文学研究的な意味での「思考力」ということかもしれない。(これは友人で一生敵わないんじゃないかってくらい優秀な国語教員が、試行テストを見て上記のようなことを半年前に言っていたのを思い出したから言ってる。持つべき者は優秀な友人である


これだけでも十分すごいが、続いて漢文

こちらは長い五言詩と短いエピソードを記した漢文で、いずれも馬車を操縦する「御術」に関するものという点で共通テーマ文章ふたつの出題である


・新傾向の問題は問三の押韻と内容理解を組み合わせた空所補充問題と、問六の2つ文章の内容正誤問題

とはいえ、問六は二つの文章の内容合致問題であり、多くの予備校などが予想していたものと大差ない印象。

・対して、問三は感心するくらい出来の良い問題で、複座的な視野を持ち、落ち着いて整理しながら考えるという多角的思考力が要求される。

漢詩押韻知識で、5択の選択肢をなるべく削るところまではセンターと同じセオリー通りの知識問題しかしそれで絞っても選択肢は残り三つ。

・そこから正答を選ぶためには文章Ⅱの読解と漢詩の読解ふたつを重ね合わせる必要がある。この二つの重ね合わせが難しく、よく考えられている。

文章Ⅰの空所補充については、該当部分を訳せば「四本の脚は馬についているとはいっても、その脚の速さが遅くなるのは御者である私の【X】のせいである」という感じになる。ここの【X】に入る候補「心」「進」「臣(臣下・わたくし、の意)」。

・該当部分の漢詩の訳ができていてテクニカルに解くなら、この時点で文脈判断して「心」が正解は出せる。(予備校でもそのように解説を打ち切っている)。

しかし、そもそも選択肢に上がっているのは文章Ⅱに入っている字なのであるしかも、いずれも馬の御し方の神髄について述べるところに選択肢の漢字は入っている。

受験生を惑わすのは、文章Ⅱの内容が「馬を早く走らせる条件」となっていて、その中に「心」「進」「臣」という字が傍線と記号付きで強調されていること。つまり受験生心理としては、文章Ⅱの内容が正確に理解できていないと「進」「臣」が誤りなのか判断しづらく、疑心暗鬼になるように作られている。あるいは、先ほどのテクニカルに導いた回答と矛盾するような内容がここに書いてあったら……という心理を誘発する。

・よって受験生文章Ⅱを慎重に読解せざるを得ず、その中で文章Ⅱを精読してゆく。同時に文章Ⅰとの共通点を探りながら、最終的に文章Ⅰの内容を考えて空所補充の内容を決定する。このような思考過程要求される(というよりも問題から誘導されてゆく)という問題構造が、出題者の作問力が並大抵の出来ではないことの証左である


このように、古文漢文ともに「受験生思考力を求める」という建前のもとで「受験生を深い読解へと誘導してゆく」「受験生思考多角的ものに仕立て上げる」問題に仕上がっているのは驚くべきことであり、事前の予想を超えた完成度の高さだった。

また、問題によって誘導した思考迷路の中で、その読解の深度や多角的視野に立って考えようとする態度の有無を測ろうとしている。能力の低い受験生ならこれだけの思考を繰り広げることはできず、中途半端な読解や類推に頼ってしまうので確率的に正答率が下がるが、問題誘導する深い思考対応できる受験生は自ずと正答へたどり着けるよう適切に迷路設計されている。学力を測る目的大学入試問題としても適切である

センター試験からの積み上げがあるとはいえ、「言語を手掛かりとしながら,文章から得られた情報多面的多角的視点から解釈」するという方針を、古典という題材を用いながら、新テスト実施初年度で見事に実現させたのは、高校教育の成果というよりも大学入試センターおよび作問者の作問能力の高さや学術知識の豊かさが結実した結果であると思う。高校教育現場から、惜しみない賛辞を送りたい。



2月22日追記

・思ってた以上に反応があったので、書いてよかったと思いました。ありがとう自分にとっても、いろいろ考える機会になった。

・別記事で「古典義務教育で扱う意義について」の返事を自分なりに書いてみました。

https://anond.hatelabo.jp/20210222160532

この記事みたいな筆の乗り方はないし、教育制度についても専門とは言えないが……

古典の魅力はもちろん語れるんだけど、他の科目と同様にそれは万人に共通でない、というのが義務教育のむずかしさであり、教員にとっては腕の見せ所でもあるとは思っています

古典が嫌いな生徒に古典を学んでみたいと思わせることが、自分の授業の到達目標でもあります

・あと、改行のやりかたを学んだのでついでに上に付して見やすしました。

文学的感じ方を入試に出さないでほしい

文系の連中だって微分積分の深みとか行列演算の感動とか最初から拒絶してるだろ

わかるやつはすんなり理解するけど、わからないものはわからないんだよ

こちらの書き方が悪かったなら申し訳ないけど、「感じ方」は出題されていません。あくま論理的に、勉強した成果を発揮できたら「あはれ」を感じられるような構成になっている、というつもりで書きました。

よくある誤解だけど、国語入試はとことんまで「論理的に」答えが出るように作られていて、必ず本文中に根拠があるし、その根拠と解答をつなげるものは「感情センス」ではなく「論理」になっています

しかしたら昔はそうじゃなかったのかもしれないけど……。

入試問題批評だと「大学受験のための小説講義」「教養としての大学受験国語」が面白かった

石原千秋の本は納得感高くていいですよね!どちらも自分現代指導根本にある本です。

解答して読んだ。長年古文から離れていたが丁寧な注釈と設問に助けられて理解できた。テクニック丸暗記ではとても太刀打ちできないが、当時の情緒を解する読解力があれば知識は最低限でも解ける良問だと思った。

解答までしてくれてありがとう!まったくその通りで、重箱の隅をつつくような部分もなく、古典学習におけるエッセンシャルな部分が試されていると思います

これは数学の同僚の先生に聞いたことですが、数学ⅡBでは指数問題でも非常に数学エッセンシャルな(そのぶんやや抽象的な)問題が出たのだとか。

共通テストについて、これまでの学力測定に加えて、より学問エッセンスを感じられるような方向を現時点では感じています実施されるまでの経緯がひどかったので、これについては非常にありがたい。

今回の共通テストセンター試験名前が変わったにすぎない。その程度の変革だったのだけど、もともとセンター試験がかなりよくできてるんだよ!国語でも随分前からちゃん多角的思考力を問う内容になってる!

そうなんです。ただ、今回の新傾向がそれをさら進化させたような代物で、ただただ凄いと思って、まずは同僚の先生に伝えようと思って書いたのがこの文章のもともとです。しかも、これまでと比べて劇的な変更と呼べるほどではなく、受験生にとっても取り組みやすものになっています

文系研究醍醐味を先取りできるテストってわけか。

それもあるし、これを見た高校先生は「知識だけでなく、学問的な思考方法を教えていく必要があるかも?」と授業を見直すきっかけになります

大学入試改革は、高校入試改革嚆矢としての役割を持っているので、この方向性国語の授業を探求性を高める方へドライブしてくれると思います

古文漢文って、歴史を学ぶだけで拾えない、当時生きていた人たちの生き様や心情を拾える学問なんだなあと思った。そう思うと大事やなー。未来人達に私達の心情とか踏まえて歴史理解して欲しいって思うもん。

こういう言葉を生徒から聞くために古典を教えているんだと思います

今回の内容はいずれ、授業にアレンジして生徒へ伝えるつもりです。その意味で、非常にいい「教材」になるのもセンター共通テストが良問であるとされる所以ですね。

anond:20210219024039

そういうことですわな

クズってのもそのごく一部の局面的なそれの「それだけただ一つの事例についてのみ多角的・他事例をみての評価を表見するとしてのクズ」なので

クズといえばすぐに全人格否定したり性別がどうのというわけでもない

他人に厳しくて自分あまいのは支え合う環境にあって評価が一番低くそ評価結果に伝達用の名前をつけるなら「クズ」をこちらが選んだというだけ

ただそれが全部わかって了承済みなのにかならずズレが発生する「かわいい」を使い続ける理念とか哲理とか信条みたいなもの元増田の言い分だけではわからんわな

べつに「あなたらしい」とかいう言い方でもいいだろうに「かわいい」と発言表現を伝達する相手自分との関係性と自分自身に酔ってでもいるのだろうか

かわいい」でしか言い表せない絶対的現象が目の前で発生しているのだろうか

だろうかってったってそれが発生してるからそうなんだろうけどね

でもかわいいっていったらブチギレて全然可愛くなくなるからかわいい」って発言するたびに可愛さ喪失してるけどそれがかわいいのか

かわいいという瞬間をキャッチしたらすぐ逆切れリリースしないといけないのか

はたまたかわいいと言ってそれを聞いたらブチギレて何もかも台無しにしてまうことが必要であるからこその「かわいい発言なのか

どれだけの損失がその先に待ち構えていようともそれがその瞬間には「かわいいであると断然言い切りだれかに伝える必要があるというのか

なにがどうかわいいのかを説明できるくらいにはなってほしいね

聞く側として よくわからんから

2021-02-11

主観客観が逆転するワケ

A「〇〇ってどうなの?」

B「そんなの×××に決まってるだろ」

A「でも、△△のときは……じゃない?」

B「関係ねーよ。×××しときゃいーんだって

…みたいな例を考えてみれば分かるように、人とまともに会話ができない『B』からすれば『A』は「話が長い」。でも実際には、何かを人に説明したり人を説得したりするとき、簡にして要を得た発言ができるのは多角的に物を見ている『A』の方。一方、ダラダラと主観的愚痴を垂れ流して無駄に話を長引かせるモンスタークレーマーみたいことするのは『B』の方で、つまり実際に「話が長い」のは『B』。

anond:20210211074846

2021-01-15

キュレーターとは,現代美術文脈において展覧会企画運営等を総合的に指揮する人のことである。どんな作品を取り扱うのか,どんなタイトル展覧会にするのか,展示の順はどうするのか,ライティングは?解説は?チラシに掲載するキャッチフレーズは?等々。

今日クラシックにおける自主企画演奏会は,多くの場合プレイヤーがやりたい演目をやる」ということになっている。もちろんそこにコンセプトやテーマがあったりする場合もあるのだが,美術作品とお客さんをキュレーターという専門家架橋している美術市場と異なり,クラシック市場にはキュレーションを専門に勉強している人がいない。現状コンサートマネジメント演奏家がやっているわけだが,あまりに画一化しすぎているのではないかクラシック音楽にも,お客さんと作品キュレーション架橋する発想があってもいいのではないか。そのあたりのことが気になってのツイートだった。

ということで,このnoteではこの件についてもう少しだけ深堀してみようと思う。久々の投稿ですが,お付き合いください。

目次

1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界

2.運営さん,ゲームバランスの調整まだですか?

3.キュレーション差別化手段になりうる

4.プレイヤーキュレーターorプレイヤークリエイター

5.まとめ

1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界

繰り返しになるが,現状のクラシック自主企画コンサートは「演奏家がやりたい演目披露する場」として機能している。これ自体が悪いわけではないし,演奏家独りよがりだと批判するつもりもない。もちろん演奏家選曲プログラムノートに苦心しているし,そこには確かに工夫の痕跡がある。

でもね,正直クラシックコンサート演目って似たり寄ったりじゃないですか。

コンサートに「一度も聞いたことのない楽曲」が含まれていることは稀だし,大体定番曲が並んでたまに新曲初演があるくらい。クラシックサックスなんかはまさにそうだ。クラシック音楽が「過去音楽再現する」文化である以上,演目の重複は避けられない。まぁこれは仕方のないことではある。

ただそうすると,当然誰しもが「同じ曲を聴くなら上手い人の演奏聴きたいよね」と思うようになる。つまり技術で劣る演奏家演奏会に行く理由がなくなってしまうのである

このnoteでも何度も言っていることだが,クラシック音楽特に文化的に醸成された良さや美しさの基準」が強烈に機能するジャンルで,「この人あんま上手くないけど個性的で好き!」とか「この若手は下手だけどトッププロにはない魅力があるなぁ」みたいな評価が生じにくい。また,特にクラシックサックスのように難しい近現代曲が必須レパートリーになっているジャンルは,必須とされる技術レベル結構高い。例えば音色がめちゃくちゃ魅力的だったとしても「指が回らない人は使えない」「スラップタンギングできない人はコンクールの一次予選の課題曲が吹けない」みたいな悲しい評価が下される。

結果的に,クラシック演奏家市場では「楽器の上手さ」が保障されているプレイヤーしか人が集まらない状況が生まれやすいのである。これは,ブルーハーツ東京事変がどちらもCDになって成功できるポピュラー音楽とは事情が全く違う。ブルーハーツみたいなパンクロックって,演奏したり作曲したりするのに必要西洋音楽技術結構低いんですよ。川谷絵音東京事変King Gnuの曲とは複雑さが全然違うわけです。それでもブルーハーツとかモンゴル800とかが世間に認められてCDを出しているという事実は,「ポップスクラシックに比べて多角的評価されている」ということの証左だろう。個人的にはとても健全だと思う。一方のクラシック演奏家市場は,「楽器の上手さ」がほぼ唯一の評価観点として強烈に幅を利かせているのである

2.運営さん,ゲームバランスの調整まだですか?

プロ世界なんてそんなもんだよ」というかもしれない。でも,僕はこの「楽器の上手さというパラメーターが最強の世界」が気にくわないんですよね。

例えばこれが「クラシック演奏家育成」をテーマとするソーシャルゲームだったら,と思って考えてみてほしい。

このゲームでは,プレイヤー最初ガチャで引いたキャラを「一流のクラシック演奏家」に育て上げることが目標とされている。当然キャラクターには「楽器の上手さ」というパラメーター以外にも「音楽史についての知識」とか「自身活動への俯瞰的視座」とか「個性的音色」とかのパラメータもあるわけで,キャラによっては「音楽史についての知識」が先天的に強い,みたいなやつもいる。当然プレイヤーもその辺をコツコツ育てたりするわけだ。なのに,「音大卒業」というチュートリアルイベント以降,ゲームで勝っているのは「楽器の上手さ」のパラメータに全振りしてキャラ育成をしたプレイヤーのみ。もっといろんな勝ち方があるとおもってたよ…最初キャラガチャで「音楽史についての知識」が強いキャラを引いた人はどうしたらいいの…運営しっかりしてくれよ…

まともなゲーム運営なら「これだと勝ち筋がひとつしかないゲームになってしまうな。よし,他のパラメータを育成した人が勝てるようなイベントを投下するか!」などといった対応がなされるはずだ。しかし,このゲームにおいて運営がそのような神対応をすることはない。いつになったら修正はいるの?まだなの??もう勝てそうにないし…リセマラするかゲームやめるかどっちかだな…。

…まぁでも現実世界にはゲーム運営はいないし当然リセマラもできない。だれもゲームバランスの調整をしてくれないのだ。結果的に,「楽器の上手さ」が一定値を超えていない人は今後も仕事がないし,今仕事がある人でさえもそれを上回るパラメータをもった若手が現れた瞬間に仕事を取られる世界になっている。多様性とは程遠い市場が出来上がってしまっているのである

3.キュレーション差別化手段になりうる

そこで,「せめて僕の周りにいる音楽家には幸せになってほしい(そして一生楽しい飲み会に付き合ってほしい)」と考えている僕は,「演奏会プログラミングやプログラムノート等に拘りまくってお客さんの聴取経験を素敵なものデザインできれば,技術トッププロに勝てない演奏家にもファンがつくのでは?これってつまりキュレーションでは?」と考えた。

モナリザ」みたいな超有名絵画を目当てに美術館に行く場合を除き,僕たちは「特定の絵」を見にいくというより「その展覧会デザインされている体験」に価値を感じて美術館に足を運ぶ。例えば僕は以前「ベルギー奇想展」という展覧会にいったのだが,一つ一つの絵のクオリティというよりも,複数の絵の鑑賞を通して得られたその展覧会全体の印象のようなものに興味を覚えた。「作品価値」ではなく「作品群を総体として経験することの価値」に感動したのである。まさにキュレーションの賜物だったのだろう。

また,「ベルギー奇想展」というタイトルやチラシに載せられていたペストマスクみたいなデザインキャラクターにも強烈に惹かれた。頻繁に美術館にいくタイプではない僕でさえ,「行ってみたい」と思えたのである。そして,この辺のこと全てを把握し,「美術館での体験」をデザインする人がキュレーターなのである(と僕は思っているんですがあってますかね。もしかしたら広報にはそこまでコミットしないキュレーターもいるのかもしれない)。

一方,クラシック音楽演奏会はどうだろうか。そこに「体験デザイン」という発想が見て取れる場合は少ない。もちろん選曲や曲順にこだわりが詰め込まれていることはわかっている。それでも,普段美術館に行かない僕に足を運ばせたような,「作品群を総体として経験することの価値」を際立たせるようなコンサートってなかなかないんじゃないかな。少なくとも,多くのプレイヤーは,「コンテンツ演奏楽曲)のクオリティ,そのほかはあくま付属品」だと考えているし,むしろ演奏クオリティのみでガチンコ勝負することが美徳だとされている感さえある。でも先ほども指摘したように,この土俵で戦って勝てるのは「楽器の上手さ」というパラメータが抜きん出ている人だけだ。

キュレーター自分作品を作れない。その代わりに,個別作品の羅列に「作品群を総体として経験することの価値」を付与する。演奏家も,キュレーターのように体験デザインすることができれば,お客さんを呼べるのではないか,というのが冒頭で引用したツイート意図だった。つまり,「楽器の上手さ」以外のパラメータを活かせる場はありますよ,ということだ。

具体的には,音楽史や楽曲分析に関わるパラメータを磨いてきた人は,それを用いてMCや曲目解説選曲で魅せることができるだろう。その場合,チラシやSNS広報のあり方も抜本的に考え直さなければならない。このへんについては別途記事を書こうかな。とにかく,僕は「楽器の上手さ」のパラメータが高い上位5%の演奏家しか生き残れない現状を打破する手段として,キュレーションの発想を生かさない手はない,と考えている。

4.プレイヤーキュレーターorプレイヤークリエイター

はいっても,「そんなことできねーよ」という声も聞こえてきそうだ。キュレーションそれ自体仕事にする人がいるんだから,「作品に対する俯瞰的視座をもって聴取体験デザインする」とかめちゃくちゃ高度じゃん。自分たちは演奏家なんだよ,演奏以外やりたくねぇ!

…まぁもちろん気持ちはわかるんですが,今の僕が「楽器の上手さ」のパラメータで勝てない人にできるアドバイスは,①プレイヤーキュレーターになれ,もしくは②プレイヤークリエイターになれ,くらいしか思いつかないのが現状だ。すいません。

クラシック演奏家って特殊立場なんですよね。CDスピーカーがなかった昔のヨーロッパなら,演奏家はまさに一家に一台欲しい人材だったはずだ。演奏家がいないと音楽聴くことすらできなかったのである。そのような時代背景とパトロンがいてこそ演奏家という仕事は成立していた。でも現代ではbluetoothスピーカーとAppleMusicがあればいくらでも自宅で音楽を聴けてしまう。馬車や人力車自家用車にとって変わられたように,そして今後タクシー運転手自動運転にとって変わられるように,中途半端演奏家オーディオ機器および音源の中の一流プレイヤーにとって変わられるだろう。個人的には,オーディオ機器音楽サブスクリプションサービスの発達は,演奏家という職種に対する破壊イノベーションだと思っている。

からこそ,演奏家は「他者作品再現」以外の価値を作らなければならないのだ。

こういうと,「演奏家だって生演奏という価値を生み出している!!」という反論が聞こえてきそうだ。もちろんわかってます。僕はクラシック音楽愛好家なので,生演奏に魅力を感じています。でも「生演奏は素晴らしいのでサブスクで聴かずに演奏会に来てください!」という売り方をしたとしても,多くの人は,「わざわざホールまでいって中の上くらいの生演奏聴くより,自宅のスピーカートッププロ演奏聴く方が楽だよな…」と考えるのではないだろうか。コンサートホールまで往復2時間かかるし,演奏会って夜ご飯時間丸かぶりだし,拍手するタイミングとかマナーとかよくわからないし…だったら家で聞けばいいや,「楽器の上手さ」ならこのCD中の人の方が上でしょ?…これが一般人残酷本音のような気がする。だからこそ,「作品群の連続体験デザインする」というキュレーターとしてのスキルを磨いてはどうか,という提案をしているというわけだ。

また,オリジナル作品を作れる演奏家も強いと思う。むしろこっちの方がわかりやす価値提示でき,周りと差別化できるような気もする。「他者作品再現」や「生演奏」以外の価値を生み出す上で手っ取り早いのは作品を作ってしまうことだ。もちろん,他の作曲専業の人々と張り合うような作品を作るのは難しいしむしろ得策ではないので,毎回演奏するアンコーピースだけ作るとか,曲間に即興演奏を入れるとか,そんなことから始めてもいいかもしれない。

ちなみに,「自分作品を持った方がいい」と言っているクラシックサックス演奏家出身の僕自身作品を作っていないのはなんか説得力がないと思ったので,最近気が向いた時に曲を作っています

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2021-01-04

[]創の軌跡の感想、あるいは愚痴

 まず始めに。私は空の軌跡からファンである。そして、私は本作を数十分ほどプレイしてこのシリーズに”ようやく”見切りがついたつもりだった。ライターの紡ぐテキストの非常に強い癖が全く変わっていなかったかである

 「はは」「ふふ」「くく」を、まるで接頭辞の如く頭に付けて応酬される会話には、もはや嫌悪感さえ抱いていることをハッキリと自覚してしまったのだ。ここまでしつこいと、もはや冗句領域である

 また、「寿ぐ」のように書き言葉と喋り言葉区別がついておらず、辞書を引いて気に入ったから多用しているでは、と疑うほど拙さを感じる用い方は、逆に語彙が少ないからだろうとしか言いようがない。キャラ個性として利用されているのであればもちろん有効手法ではあるが、作中ではまるで流行言葉であるかのような扱いである。この点に関しては創では大幅に減ったとはいえ、やはり健在ではあったのだ。

 流行言葉のように使われていると言えば、「届く」もまた同じだ。これは武人共通認識なのであろうが、いくら何でも多用しすぎであるピンポイントで使えば閃の軌跡シリーズ特有の味にも思えるだろうが、現状ではあまりにも軽く、鼻につく言葉になってしまっている。

 現状を打破する論理的道筋を立てる前に、とかく精神論を展開するのもいい加減キツいものがある。精神の未熟な少年少女ならまだしも、リィンやロイドはそれぞれ教官警官といったいい大人だ。既にそれが許されるような立場でも年齢でもないだろう。こういうのは要所でやるから響くのであって、常にそのような”醜態”を晒すのは見るに堪えないものがある。

 このような価値観がまかり通るのは、全ての物事主人公であるリィンやロイドを中心に考えているからこそだろう。その歪んだ価値観は新・旧7組という言葉に端的に表れている。登場人物は皆、何故か新・旧と呼び分けているが、本来であれば現7組以外は7組という括りで呼ぶ必要はないのだ。もっと言えば、現7組の人間に対し、新7組と括るのは無神経というものであろう。リィンさん。あなたはこの子らの担当教官なのですよ、と言いたくなってしまう。

 原因は既に述べたように、世界の中心をリィンだと思っているかである。リィンから見れば彼の生徒は新であり、級友は旧なのだから、確かに彼が世界の中心であれば皆そのような呼び方をするだろう。そして、それが実際に行われているのである。だからこそ登場人物ライター操り人形しか見えない。リィンが好き過ぎて彼個人に設定が堆く盛られていくのも、書いていておかしいと思わないのだろうか。

 これを強力に補強しているのが好感度システムだ。これはあらゆる関係性を主人公にのみ閉じる呪いである。サブにも何かしら関係性が見えるのは空から登場人物ばかりなのは本当に酷い。これは何も皇子結婚アガットティータのような恋愛模様だけを指しているわけではない。紆余曲折を経て家族になったレンとカシウスの微妙距離のように、時と共に関係性が進んでいるのはシステムライターの作り出した価値観により雁字搦めになっていないキャラに限られているのだ。

 リィンの級友、または教え子達の横の繋がりなど、あってないようなものなのはプレイ者なら分かることであろう。端々に会話が交わされている場面は申し訳程度にはあるが、誰と誰の仲が良いのか、などというのは全く感じられない。リィンを通してしか付き合いがないのではないかと疑うほどである例外システムの軛から抜け出せているユーシスミリアムぐらいであろうか。

 展開のワンパターンさ加減にもうんざりであるゲーム後半で、敵に援軍を呼ばれる。そこに駆けつける意外な仲間。という展開があるのだが、これをきっちり3ルート分やるなど正気の沙汰ではない。しかもその意外性というのが、全てあえて敵側に潜り込んでいたというものなのだ。そう、3ルート分全てである。ここでは本気で頭痛を覚えたものだ。プレイヤーを馬鹿にしているのかとも思えたのだが、一体どういうつもりでこういう展開にしたのであろうか。素で燃える展開だと思っていたのだろうか。是非聞きたいものである

 さて、ここまで読んだのであればお察しの通り、無事投げ出さずにクリアまで遊べたのだがその理由はCルート存在に尽きる。決まり切ったテンプレ展開と、森羅万象主人公収束する精神論ありきの価値観支配されておらず、真っ当に面白いものだったからだ。テキストの癖も完璧に抜けている。危うく完全に積んで、今度こそ本当にシリーズにも終止符を打つところだったのだが、せめてCルートまで進めてからコントローラーを置こうと予め決めていたのが幸いした。

 あからさまに下敷きに某アニメを使っているし、何処かで見たような要素が目白押しではあるが、上手くミックスして、さらルーファスキャラを壊さずに馴染ませてある。いつものライターが書いていればやはりルーファスしか矢印が向いていない関係しか作れなかっただろうが、このルートは別のライターが書いているためそのようなことは一切ない。

 このルートはウェットすぎないのが心地良い。印象深いのが、人形達の中から本物のラピスを見つけるという場面だ。まるで直感奇跡のパワーで分かったかのように思わせておきながら、実は発信器を付けていたから分かったのだというのは(本当であっても照れ隠しであっても)ルーファスらしいし説得力もあって非常に好感を持った。ライターセンスにだ。

 惜しむらくは、他の2ルートリソースを吸われて明らかに尺が足りていないところだ。人形の中から探す場面も、欲を言えば一緒に旅をしたという体験プレイヤーと共に積み重ねてこそより輝いたはずである。これは最終局面に至るまで響いている。また、スウィンとナーディアにはしっかりとした背景が設定されているのが読み取れるのだが、尺の都合でそれが披露されるのはかなり限定的ものになっている。思わせぶりな台詞だけで半ば放置に近いと言って良いだろう。積み重ねさえあればもっと良いシーンになったはずだという箇所が多く、惜しい気持ちで一杯である

 私は軌跡シリーズで紡がれる政治劇には、多角的視点を持たずに作品自体クロスベル独立こそ正義だと一方的に主張すること以外は一定の評価を与えているので、大まかな流れ、つまり起きた事件はこれで良いのだが、実際に描くのはCルートだけであれば間違いなく良作になっていただろうと確信している。

 3つのルートが合流すると、あからさまにいつものライター節になってしまっているのも良くない。Cルート残滓など欠片も残らず吸収されてしまっている。合流後のルーファスなどもはや別人である本来の彼が再び顔を出すのは本当に最後最後局面だけだ。

 全体を通した部分で改善したと思えるのはロボット大戦の大幅な抑制だろうか。いや、むしろまだ完全撤廃を諦めていなかったのかとも言えるのだが、極々限定的になったのはありがたかった。システム的にもお話的にも全くもって面白くも何ともない要素で、あまりにも邪魔すぎるのだが、この設定は次回作にも持ち越すつもりなのであろうか。せっかく作ったモデルを(次回作ではエンジンモデル一新するので)最後活用たかっただけだと信じたい。

 不満は多々あれど、Cルートに見た光明でまた見限ってしまうことが出来なくなってしまったのは良かったのか悪かったのか……。ただ一つだけ言えるのは、もう予約買いをすることはないだろうな、ということだけである

P.S. キャラの登場時にCVと書くのはもうそろそろ辞めてくれないものだろうか。

2020-12-28

自分より詳しい奴がいる」ことへの恐怖

ネット意見を発信するときに怖いのは何だろうか。クソリプ炎上個人情報特定、色々懸念すべき点はあるだろう。

でも一番怖いのは「自分より詳しい奴がいる」ことではないかと思う。

自分より詳しい奴から反論に、自信を持って自説を貫ける人は少ない。

例えるなら、ゼミ教授ゼミ生の論文研究発表に立ち会っているようなものだ。自分より知識経験も上の人間が、「私はこんなこと発見しましたよ!」という青二才プレゼンに常に目を光らせている。プレゼンが終われば詳しい奴による質疑応答時間であり、考えもしなかった多角的視点からロジックの穴を突いてくる。

もちろん、自身経験談を語る程度であれば何も問題ない。身に起こった出来事当事者感性から描いたエッセイは、第三者には得難い貴重なエッセンスが含まれており、自分世界で一番詳しい情報になるからだ。

しかし、経験談以外の「主張」に対してはそうはいかない。主張には多かれ少なかれ反論が来る。その主張が中道ではなく擁護批判の側に寄っていればいるほど、反論の数は多くなり論説も激しいものになる。

誰かを批判するとき批判される覚悟を持て」というが、こっちは一人で相手無限

どう考えてもフェアな殴り合いではないだろう。

そんなこんなで、自分より詳しい奴は数人から数万人までたくさん存在している。

こんな世界自分意見を表明するというのは、実はとても勇気のいる行為ではないだろうか。

常に「自分が言っていることは正しく、反論に耐えうるものなのか?」という疑念に苛まれ事実関係に間違いはないか自分の論拠と相対するデータが出てこないか、細心の注意を払って文を書いていくことになる。そうして苦心しながら書き上げた主張を詳しい奴らが一刀両断するのだ。

「君の言ってることは一面的見方にすぎないよね?」と。

そしてタチが悪いことに、ネット上では自分意見簡単に見られ、識者も気軽に集まれしまう。

ゼミ内発表」という閉じた空間での出来事ならまだ優しい。教授ゼミ生の発表にも、「よく調べてあるね」という寛大な言葉を投げかける(もちろん教授によるが)。その言葉の前には「学生にしては」という枕詞が隠れているが、決しておくびに出すことはない。

ところがネットはそうは行かない。発信者が青臭い学生かいい年したおっさんだかなんて関係なしで、間違えば容赦ないツッコみが来るし、内容次第では炎上する。しかゼミのような内輪の場ではなく完全なるオープンの場である

自分卒論一億人に見られると言われたらどう感じるだろうか。私は最悪の気分になる。主張は的を得ておらず、構成はちぐはぐで論拠はずさん。内容は知識の薄い素人データを継ぎはぎした妄想の延長線上であり、はっきり言って人目に耐えられるものではない。

ネットには語る人間がたくさんいる。twitternote増田といった匿名SNSがある。

匿名者だけではなく、落合陽一、オリラジ中田会社看板を背負ってnewspicksコメントする人間など、専門外が顔出し名出しして、これから世界」について自信満々に語っている。

自分より詳しい奴がいる」という事実に対して、ふと怖く感じるときはないのだろうか。

2020-12-06

コロナ集団ヒステリー」と信じる父とのメールのやりとり(2/3)

https://anond.hatelabo.jp/20201206212220 の続き)

■2. 自粛経済に悪影響を及ぼしている。経済優先の政策は適切だ。

自粛が過剰だとは必ずしもいえないというのは先述したとおりです。

そもそも感染対策経済二者択一ではありません。強い言葉を使う人なのであんまりソースとして提示するのは少し迷うのだけど、少なくとも医師としての実績は認められている岩田先生もそういうことを言っています

https://dot.asahi.com/wa/2020120300010.html

経済優先か感染対策か」というのはナンセンス議論で、対立関係として考えること自体が間違い。「急がば回れ」で、感染対策こそが最強の経済対策なんです。最大限の感染対策をしながら、その間に自殺者などの犠牲を出さないため、最低限の生活補償をすればいい。

これが机上の空論なのか本当なのか、海外事例から多角的に考えてみましょう。

台湾中国ニュージーランドオーストラリアなどは初期の徹底的な防疫の結果、経済回復しています

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-10-29/QIY7R8DWX2PS01

https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/t344/202008/566880.html

逆に、流行を押さえ込めなかった国の多くでは経済が停滞しています

https://www.worldbank.org/ja/news/press-release/2020/06/08/covid-19-to-plunge-global-economy-into-worst-recession-since-world-war-ii

特にイギリススウェーデンブラジルは、経済優先の政策によって大きな痛手を負いました。

https://toyokeizai.net/articles/-/363225

というわけで、医師意見を退けて「もっと経済を回せ」と強く繰り返す今の日本の政治メッセージは、長期的には逆に経済に対してマイナスの影響を与えているように私には感じられます

 

ちなみに日本GoTo感染を広げたかどうかについては、個人的には意見を持っていないです。なぜなら現状は「統計をとっていないので、出たのか吉か凶かわからない」という状況なので、判断材料自体存在しないからです。ただ、GoTo立案方針は「そういう統計そもそも取ろうとしていない」「悪影響が懸念された時に中止するプランを立てていない」という点で、専門家意見を聞いて感染対策配慮した政策とは信じがたいと思っています

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(次で終わりです → https://anond.hatelabo.jp/20201206212345

2020-12-05

自分が気に入らない意見を悪だと断じて封殺する行為

「俺はこう思うので、そんなにお得だと思わない」

「なんか難癖つけたいやつが居るけど、これはお得だから批判すること自体が悪!」

はあ、そうですかって感じ。お得だと思われるサービスに対して個人の感想を述べただけで

難癖だのなんだのと騒ぎ立てる方がよっぽど悪だと思うんですが、自分正義と信じて止まない方か何かですか

自分とは違う意見を難癖だと断定して、正義の名の元に言論封殺をする行為が本当に正しいんですかね

ちゃん概要を調べたうえで

これとこれはお得だと思う。しかしこの部分はこうだから既存ユーザーにとっては手放しでお得だと断じることはできない

って要素毎に「お得」と「お得じゃない」部分の2つに分けて書いてんのに、批判的な要素があるだけで悪になるのは意味が分からない

多角的に見た時に、お前みたいにお得に感じるユーザーと、そうじゃないユーザーが居るんだよって耳元で言ってやりたい

お前の意見ユーザーの総意、みたいな構図を勝手に作ってんじゃねえよって大声で叫んでやりたい

2020-12-04

anond:20201204215712

要するに一瞬のひらめきに縋ってしまって、物事多角的に追加検証していく習慣や情報リテラシーがないから、そのひらめきが「周回遅れ」であることにずっと気づけないんだよな。

縋ったままで自分は賢い、大衆は愚か、と思っていたほうが自尊心が満たされるし。もともとそのへんのコンプレックスがあるせいで余計にそうなる面もありそう。

結局のところ自意識が悪さしてるわけで、カルト宗教陰謀論キョロ充の一形態なのかもね。

2020-11-19

日本国民性の嫌いなところ

思考停止やすいのと諦めやすいところホントムカつく。

理系大学を出てエンジニアをやってる30代だが、今回のコロナ禍で人生3回目の憂鬱を感じている。ストレート国民性絶望している。

1回目は17年前。

中国有人宇宙飛行に成功したとき

俺はまだ当時学生だったが、技術後進国だと思っていた中国日本が先を越されたというニュースをに聞いて、後頭部を強く殴られたような衝撃を受けたのを今でも覚えている。

当然、世論も同じようなものだと思っていた。

その頃は日本ロケット打ち上げが失敗続きだっただけに、このニュースに触発されて航空宇宙関連の予算が増額されたり、対抗して野心的なプロジェクトが立ち上がるものだと期待していた。

だが、マスコミは冷めていた。中国ロケットソ連の旧式のデッドコピーで大したことが無いとか、国威発揚のための金の無駄遣いだとかそう言う話ばかりで俺たちも負けるなという声はついぞ出て来なかった。

しか政治家までもがこの状況をスルーして、今後20年間ほどは有人宇宙飛行計画に注力しないという真逆方針が打ち出されるに至った。

俺は世論に大きく失望した。

(ちなみに一部の評論家だけはこの状況を真剣に憂いていて、宇宙への自前の輸送手段日本でも保有すべく、のちのインターステラテクノロジズ前身となる夏のロケット団を立ち上げている。志に共感しているので、毎年ささやかながら寄付をしている。)

2回目は10年ほど前。リーマンショック後のダメージ日本の電機メーカーボロボロになったとき

当時、日経新聞をはじめとする経済紙評論家は、日本品質が良いけども人件費が高いのでコスト競争に負けてシェアを落として敗北したと盛んに喧伝していた。

だが当時電機メーカー就職していた若手技術者の俺の実感は違った。日本企業が負けているのは価格ではなくて、品質製品化のスピードだと。

わかりやすいのが製品に搭載される汎用デバイスシェアメモリーとか液晶とかバッテリーとかね。これがもう特性がいい順番にシェアが高くなっていた。そんで当時日本企業が弱かったのが製品化の速度。今や当たり前に使われているリチウムポリマー有機ELと言った部材だと、量産判断が遅れててそもそも選択肢に日系メーカーが入って来なかったりとか。

大事なことだから繰り返しいうけども、人件費が高いから負けたっていうのは全く実感とは違っていた。それなのに思考停止して、エルピーダルネサスジャパンディスプレイが大赤字を出すたびに同じ事を繰り返し書いてるマスコミにはマジで嫌気がさしている。お前らちゃん調査取材しているか?そんな思考停止ぶりだからシリコンバレーITメーカーアジア新興勢力に敗れ、今やソニー任天堂ゲーム機を除いて、世界通用する製品を出せなくなったんだぞ。

3回目は現在進行中のコロナ対策

もうね、科学エビデンスに基づかない政策の乱発でマジで毎日憂鬱になる。経済感染予防の両立とか狂ったようにお題目を唱えるだけで、実効的な対策はろくになく、世間空気頼り。「欧米に比べると相対的被害が少ない」とか、「中国は封じ込めたと言っているけどそれは嘘だ」とは言うけど、「台湾ニュージーランドは封じ込めに成功しており、日本はこう言う部分が足りていない」とか、「中国は正しい発表をしていないかもしれないので、定点観測した衛星写真で人の移動を調べてみた」とか、そう言う多角的な踏み込んだ事がほとんど出てこない。これでウィルスとの戦いに勝てるだろうか?いや勝てない。

そんなわけで、人生で3回目の日本国民性憂鬱タイムが来てるわけだが、はてなの皆さんは多少なりとも共感してもらえるだろうか?マジでこの思考停止で諦めやすいのどうにかなんねーかな?

2020-11-14

増田ラーメンよりタイツがすき

タイツの時は、タイツゲシュタルト崩壊するかと思うくらい、多角的タイツの話をしてたのに。

静かなものだなぁ

2020-11-04

anond:20201103224649

なんで女性オタクって影でこっそりやっててほしがるんだろう?

今回みたいにアレな人に目をつけられることがあったとしても、それ以上に魅力が伝わることがあるなら、共感して「いいね」って思う人がいるなら、すばらしいものはどんどん表に出していくべきだと思うんだよ。あと勘違いしてる人が多いけど、性的要素があるからといってそれはマイナス要素にはならない。性表現は悪いことではない。時と場所みたいなものはあるけどね。

あの中にも俺が知ってる絵師が何人かいたし、それで知名度を上げたと思うとプラスになる面もあると思うんだよね。

世の中にはああいう騒ぎ見て「うわーこいつらダメだわー」みたいに思う愚昧な人間ばかりじゃなくて、フラットに見て「これで知ったけどこの人すごい良いじゃん、好きだわ俺はいいと思うぜ」ってなる人も沢山いるはずだと思うんだよ。

もっと人間の知性を信じてほしいね。まともな人間はたくさんいて、是々非々で考えて良いものは良いと見られる懐の広い人もたくさんいるんだよ。そういう世界認識女性オタクは持っていなさすぎると思う。そうでないと圧力ヤクザ支配される息苦しい世の中になるだけだろ?

--

追記すると、ブクマのこれね

koyor たとえば軽く炎上してファン1000人、アンチ10人増えたとして、ファン1000人の無言フォローよりアンチ10人の粘着で作者は筆を折りがちなとこあるじゃんファンは作者に対して過保護になるものなのよ

こういう発想は良くないと思うんだよ。作者のことを、そういうのをサラっと流せるような大人対応ができる人間だと、練度の高い人間だと信頼してないってことでしょ。そうやって過保護にするということは、パターナリズム肯定であって、俺が散々言ってきた「人間の知性を信用してないのはダメだぞ」ってことに繋がる。パターナリズム過保護にしてないとすぐに死んでしま脆弱惰弱な温室栽培人間を量産させることに繋がる思想だ。取り巻きだとか政府だとかがガッチガチ監視して守ってやらないといけない社会を作ることに繋がるわけ。そうなると、守る側は「こいつらは愚かだ」と侮るようになるわけ。不健全でしょ。

から、いちファンが守ってやらねばならないと思うようなことがそもそも傲慢であって、みんなが精神的に強くてまともな人間になろうとしてなくちゃいけない、そういう強さを身につけることを促す社会でなきゃならない。アラフォー世代2ch煽り耐性やグロ耐性を身に付けてきたように、人は守られるんじゃなく、無秩序の中に晒されることで多角的見方ができるようになり、賢くなる。俺はそう思うんだよ。

から是が非でも道理を曲げてでもどうにかして「神」に創作を続けて欲しいと願う人ならワガママゆえに過保護言動をしちゃうかもしれないけど、まともに考えれば、現代ネット活用して何かを発表するという以上は、ノイズ対策リテラシーも身に着けているか鍛えていくべきことなんであって、ノイズに負けて折れてしまうのだったら総合的に判断して適正がない、退場するべくして退場した人と判定するしかないんだよ。逆に、そういう部分が長けてる人は、例えアウトプット自体がパッとしなくても称賛されて伸びて然るべきだし。

2020-10-10

大森靖子さんの叩かれ方が怖い

文章力低いけど頑張って書きます

はてな匿名ダイアリー初心者なので読みにくいと思います

※この件に関するネット魚拓とかスクショとか全部網羅しないまま書いているので誤認あるかもしれない。

大森靖子さんのオタクをしているが、ツイッターで「大森靖子」で検索をかけたら地獄が広がっていた。

誹謗中傷の嵐じゃん……これ自分大森さんの立場だったら200回くらい死んでるよ……

発端は戦慄かなのさんが「ZOCを辞めさせられた」といった主張していること。

で、アンチ(めんどくさいファンの人のこともこう呼びます)は

・戦慄さんを私怨と薬物使用疑惑で辞めさせた

ブログやインスタ、戦慄さんの卒業に寄せたコメント、また当時ツイッター上でやっていた「おやすみ弾き語り」でも戦慄さんを攻撃している

・戦慄さんに寄せるために髪型を変え、整形した

みたいなことをめちゃくちゃ醜悪言葉遣いで叩いている。

たかも「大森靖子さんが戦慄かなのさんを虐めて辞めさせた」ことが〈事実〉みたいになっている。

でもこれって、大森さんがやること全て「戦慄かなのへの悪意」に絡めて捻じ曲げて解釈されているように見える。

ネットへの投稿は(運営公式発表や本人たちの投稿も含めて)画面と回線を経由する時点であらゆる情報がそぎ落とされている。のでいくら点と点を繋げてもこじつけしかないことを自覚する必要があると思う(それを「匂わせ」といって怒っている人もいるけど後ほど……)。

まず、戦慄さんの卒業理由についてekomsは「弊社のマネジメント理念に沿ったコンプライアンスに支障をきたす可能性が発覚したため」と説明している。

この時点で、そもそも「戦慄さんを辞めさせようとしていたのが大森さんなのか他メンバーなのかekomsの誰かなのか、はたまたおそらくメジャーデビューへの調整中だっただろうavexの誰かなのか」も「その理由」も判断できないはず。

ZOC大森靖子さんが表に立って引っ張っているプロジェクトだが、もちろん事務所の人たちも関わっている。メジャーデビューするほどプロジェクトが大きくなってきた上で、プロデューサーとはいえ個人の「嫉妬」「私怨」を主な理由としてメンバーを辞めさせることはあまりリスキーだと思う。少なくとも大森さん以外の、事務所人間意見は確実に絡んでいると自分は思うし、想像するだけなら「大森靖子さんは戦慄かなのさんも含めてメジャーデビューさせたかったがavex側が許さなかった」ケースだって想像できてしまう。

また、「コンプライアンスに支障をきたす可能性」が薬物疑惑なのかどうかも本当はわからない。戦慄さんについては他にもいくつか問題とされる可能性のある行動が指摘されているし、全く世に出ていないプライベートでの行動かもしれない。

大事なことはここまで述べた「憶測」のどれが正解か、ではなく、

ネット上の点と点を繋げた勝手な〈こじつけストーリー〉について様々な人が言及することによって、あたかもそれが〈事実〉のような効力を持ち始めたこと」

「その〈事実〉を盲信して他人をぶっ叩くの、超危険じゃない??? ということ」

である。それは大森さんに対してだけでなく戦慄さんや他のメンバー運営に対してもそうだと思う。

戦慄さんも「誰々と交流があった」「こういう投稿があった」という点と点を繋げられて「薬物疑惑!」と言われているように見える。

ブログやインスタについても同様で、大森さんはネット上で負の感情を露わにすることはあっても、その負の感情について、今回の件では「相手が誰か」を明確に書いていたことは全くない(わたし観測範囲では)。

まり全く別の誰かとの、全く別の件に対する怒りかもしれないのに、上記の〈こじつけストーリー〉に則って解釈することで「戦慄かなのへの悪意」となってしまう。

大森さんが一番最初に戦慄さんの卒業に寄せた文章も、「戦慄かなのへの悪意」という強烈なバイアスをかけてみれば「大森さん含めZOCは光の中にいて、戦慄さんはその光から除外されていた」という風に読めてしまうらしいけど、いやその読解はお前らのこじつけだろ国語の点数マイナス2000点かよ……と個人的には思います。いやマジで

おやすみ弾き語りのことだって、「曲を私怨に基づく攻撃に使っている」なんて強烈なバイアスあっての〈印象〉でしかなく、それは〈事実〉ではないですよ。

というか、「お気に入りじゃないとメンバーに残れない」「新メンバーは抜けたメンバーの代わり」論や新メンバーメンバーカラーや大森さんの髪型容姿の変化、果てはピエール中野さんの戦慄さんに対する発言についても全部そうで、大森さん側がやることなすこと全て「戦慄かなのへの悪意」に絡めることで容易に叩けるようになるんですよね……実際にはそうでなくても……実際にそうであるかどうかの判断なんてつくはずもないのに……怖。

この「戦慄かなのへの悪意」というバイアスに対する盲信は、やっぱり「ネットには〈事実〉など無く、個々の〈印象〉が集積した〈こじつけストーリーしかない」「自分他人思考回路は違う」「表に出ている人以外にも人間はいる」「物事は複雑な理由で動いている」という認識の欠如の表れだと思う。

盲目信者」みたいなことを言うアンチの人って多いけど、「盲目アンチ」も相当に多く見える。

本当のことは現時点では「戦慄さんがZOC卒業したこと」「ZOCメジャーデビューすること」以外何もわかっていない。

で、「匂わせするな」「事実を教えろよ」という人が現れるわけですが、今この状況で運営大森さんや戦慄さんや他の誰かが何かを述べたところでやはりそれは〈主張〉でしかなく多角的客観的に捉えられた〈事実〉ではない。

ここで双方の〈主張〉が食い違うことは当然予想できる。し、どうせ自分の頭の中で練り上げられた強固な〈ストーリー〉と相違する〈主張〉について「事実と違う! 嘘つくな!」と攻撃し始める人間が出てくることは予想できるので、大森さん、運営側の「何も言わない」スタンスは正解だと思っています。現にほぼ戦慄さん側の〈主張〉しか無い現段階では大森さんがめちゃくちゃにぶっ叩かれているので、〈主張〉を返す形にしてしまうと戦慄さんにも同じような攻撃が今以上に飛んで地獄の上塗りになるだけだろうなと思う。

全然まとまらない感じになってしまいましたが、結論としては

「『大森靖子さんが戦慄かなのさんを虐めていた』という構図は〈事実〉じゃないかもよ」

金田一気取りでネット上の点と点を無理やり繋げた〈こじつけストーリー〉に基づいて誰かをぶっ叩く行為、やめてくれ………………」

「今一度〈事実〉だと思っているものが実はただの〈こじつけストーリー〉じゃないかどうか疑って、内省してくれ………………」

です。

最後に、「顔(or声)がババア」「一人だけ老けてる」「おばさんなのにアイドルぶろうとしてるの痛い」みたいな感性についてはもはや戦慄さん関係なく2020年にその感性ってクソダサいな……。

2020-09-19

フェミニズムのために、創作物が改変されるかもしれない(9/22追記)

 フェミニズムのために、創作物が改変されるかもしれないことに、言いようのない恐怖を感じている。

 

 

 先に断っておくが、私は女性で、社会で働く立場にある。

 女性が女だからという理由だけで不当な扱いを受けるのは当然嫌だし、男性が男だからという理由だけで不当な扱いを受けるのもおかしいと思う。

 そういった、現実蔓延性差別を無くしていくためのフェミニズムは、支持している。性による違いは出来る限り理解し合い、なおかつただ性別のみによって差別されることのない世の中になっていってほしいと思っている。

 

 

 でも、そのために創作物を捻じ曲げるのは、恐ろしいと感じてしまう。

 

 

 その媒体を問わず、私は創作物というものが好きだ。

 ここで言う創作物は、フィクションを取り扱ったエンタメ作品くらいの意味合いだと思ってほしい。エンタメ作品にも色々定義があると思うけど、「こうしなければならないというような教材ではなく、視聴者読者プレイヤーといった受け手が『楽しむ』ことを主目的とした作品」くらいの気持ちで、この文章を書いていることを念頭に置いてほしい。

 

 

 ジェンダー観が見直されつつあり、従来の慣習に対して、こんな扱いは不当である性差別である、という声が上がるようになった(これは良い)からか、創作物に対して向けられるこんな声が目に留まるようにもなった。

 

「この作品の○○という表現は、ジェンダー観が古いからやめるべき」「この作品内で女性活躍させるために□□するべき」「この登場人物の△△という価値観男尊女卑だ」etc.

 

 自分には少し理解が出来ない考え方であるため、あくまでも想像だが、このようなことを主張には「この創作物を真に受けて、現実に同じ考えを持ち込む奴がいるから、創作物を正した方がいい」という考えや、「この創作物内の女性を不当な差別から救わなければ」、「この表現によって自分あるいは他者が傷付く」というような考えがあるのではと思っている。間違っていたらごめん。

 

 私は、前者の意見には「正すべきは創作物ではなくて創作物内の話を現実に持ち込んだその人本人や、世間のの考え方だ」と思うし、後者であるならば「救うべきは架空存在ではなく現実人間だ」「誰も傷付けない表現は無い」と思っている。

 

 フィクション内の誤った価値観創作物に氾濫することで、現実への影響を危惧する気持ちは分かる。

 よく議論される題材として「暴力及び性描写のある創作物の影響で、犯罪が誘発されないか」という話がある。この辺の話はこれまでにも散々議論されているので割愛するが、私自身の個人的見解は「影響があろうがなかろうが、最終的にやってはいけないことをやった人間が圧倒的に悪い」だ。

 暴力も、性犯罪も、性差別も、やってはいけないことをやった人が悪い。その行為現実可能かどうか、その難易度を問わず、やってはいけないことをやってはいけないのだ。その責は当人にある。

 

 所謂良くないジェンダー観に基づいた描写で、傷付く人がいるのも理解できる。

 フィクション内の人物に対して「こういう扱いはこの人物蔑ろにしている」と言う人に対しては「なんでお前がこの人の感情幸せを決めつけるんだそれこそ偏見だろうが」くらいの気持ちで憤るが、例えば同じような扱いをされた経験がある現実人間が辛い感情追体験して傷付くことは想像に難くない。

 それはもう、「この人物貴方ではない、この扱いや言葉貴方に向けられているものではない」と言う他ない。出来れば誰にも傷付いてほしくはないが、正直、「誰かが傷付くから」という理由表現を止めさせることは非常に難しい。

 

 誰もが傷付かない表現は無い。私自身、「こんな表現で傷付く人はいないだろう」というような表現が、一度見ると尾を引くレベルで苦手であるため、創作物で傷付く人の感情理解できる。

 世間的に評価され、CMで何度も流れるドラマの感動的な一台詞が、しばらく脳にこびりつくくらい嫌だった。でもだからと言ってそれを無くしてほしいとは思わない。

 世間的に認められているドラマからではない。自分感性が少数派だからではない。

 私が苦手だから、嫌だから、という一個人感情創作物を捻じ曲げたり、押しやったりすることが認められてしまえば、この世から創作物が消えてしまう。

 

 誰も傷付かない表現創作物は無い。どんなに「誰にとっても傷付く要素の無い、正しい物語」に見えたとしても、傷付く人はいる。少なくとも、私はそれに傷付いたことがあるから

 文句は言ってもいいと思うけど。嫌だと思う気持ちを抑圧してほしいとは思わない。それを理由創作物を変えたり無くしたりしようとすると、キリが無いのだ。

 

 

 思ったよりも長々と書いてしまっているが、要は「それがどんなに正しい思想であっても、現実人間思想のみを理由創作物を改変することが認められれば、創作物世界は完全に変わってしまうのでは」という恐怖を感じているということが言いたかった。

 「現実と照らし合わせたときに正しい表現、正しい倫理観である」ことが、創作物の良し悪しを決める価値観となってしまうことが恐ろしい。

 

 これは何もジェンダー観に限った話ではない。

 

 ジェンダー観的に正しい表現であることが、正しい創作物基準であることになれば、きっと、創作物世界は一変するだろう。性や暴力、争いを扱うような創作物も、正しく、倫理的で、現実世界のお手本となるようなものであることが求められるようになるだろう。

 ジェンダー観を正す思想がどんなに正しいものであっても、それに基づいて創作物を改変することが認めれれば、それ以外の分野においても、基づくものが正しい思想であれば創作物を改変可能になるからだ。

 

 

 きっとそれが、これから先の社会に求められる「こうあるべき創作物」なのかもしれない。そういう創作物に満ちた世界が、正しいものなのかもしれない。

 

 そして私が愛した創作物は、私を楽しませてくれたフィクション世界は、おそらくそこには無い。

 

 それが正しい世界だと言うのであれば、私が好きになったものが間違った創作物で、それがあるべき姿になったのだと言うのであれば、私も淘汰されるべき間違いなのだろう。それが正されるということなら、仕方がない。

 

 ただせめて「ジェンダー観の正誤が創作物価値基準であり、創作物現実の手本となるよう正すべきという自分の主張は正しいものである」と思っている人達が、ほんの少しでも「本当にこれでいいのだろうか」と考える切欠になってくれたらいいなと思う。

 例え真に「創作物を、現代的な正しいジェンダー観に合わせること」が正しい思想であっても、自分思想絶対に正しいものであると信じ込むことは恐ろしいことであるから

 

 私は、現実世界のお手本になるようなジェンダー観の作品も、そうではない作品も、平等創作物という舞台に上がってほしいと思っている。全ての創作物が、現実の見本になる必要はない。だって創作物フィクションなのだから

 勿論フィクションなら何をやってもいいという話ではないが、フィクションなら必ず正しくあるべきだという話でもないだろう。私は、そう思う。

 

 

 偉そうに書いてしまったが、私も自分の考えが絶対に正しいものだとは思っていない。きっと間違っているだろう(そもそも、良い方向に改善しようという思想に反発している時点で、間違っているのは私の方だろうという不安も当然ある)し、もっと良い考え方もあるだろう。

 だからこれを見て、「こんな考えは杞憂だ」「間違いだ」でもいいから、現実思想のみによって創作物を改変することの是非を考えてみてもらいたい。正直滅茶苦茶に叩かれて炎上してでもいいから、一石を投じたいとさえ思う。

 私一人が、自分の中でぐつぐつと考えを煮えたぎらせても良い結論は出ない。ああでもないこうでもないと、考えを走らせてくれる人がいてくれればと思う。

 

 そして、現実ジェンダー観がより良いものになることと同じくらい、創作物未来が少しでも良いものになることを願っている。

 

 

 

<9/22追記

反応ありがとうございます

言いたいことが上手く伝わっているような反応も、いないような反応もありますが、とにかく少しでも誰かに考えてもらえたり、考え方のヒントをいただければと思っていたので、どれもありがたい限りです。

私の書き方が悪いために、認識齟齬がありそうな反応に対する擦り合わせは、大変申し訳ありませんが割愛いたします。(まだ見てくださっているかどうか不明なので……)

簡単に返信できそうな部分にだけ、書き残させていただきます

 

銀英伝

すみません銀英伝は未読・未視聴のため、その話ではないです。でも件の騒動は話に聞いていて、自分不安に近い話だなと感じました。

物語時代に合わせて変容する

元になる原作がきちんと残されていて、時代に合わせて物語表現レパートリーが増えるのは私も良いことだと思います。でも現在進行形未完の作品の変容だと、これで本当にいいのだろうかと思わざるを得ない部分があります

例えば「主人公男の子が、幼馴染の女の子を救うために戦う」という話があるとして、「戦う力を持たない女の子を守りたいという、単純な動機のために懸命に戦う少年の姿を描く作品」だったものが、やがて「女の子から守りたいという動機は不純だ、女の子に戦う力が無いのは女性軽視だ」という声を受けたことで「幼馴染と主人公平等に戦う作品」へと変容していくのも、時代価値観に合わせた変化なのでしょう。(勿論、元々物語構成として、やがて後者へ変化する予定だった場合は別です)

「戦う力を持たない女の子を守りたくて戦う男の子物語」も、「女の子男の子平等に戦う物語」も、どちらも素敵なストーリーであって、どちらもあっていい物語のはずだと思うのですが、前者のストーリー現在価値観的に間違っているからという理由で、後者方向性修正していくべきであるという変容の流れを、受け入れ難く感じてしまます。私の考え方が凝り固まっているからなのかもしれませんが。

前者の物語が前者の物語として完結していて、リメイクなどで後者バージョン物語が展開されるなら、単純に「リメイク後もいいけど、私はリメイク前の作品が好き!」で済むんですが。難しいですね。

ジェンダーだけじゃない

私もそう思いますたまたま私の周りでジェンダーに関する話題が活発だったので、ジェンダー観に関する理由を元に表現ストーリーを変えてほしいという声が多く見られただけで、どこにでもある話だと思います

切欠はジェンダーに関する話でしたが、それを元に「どんなに正しい思想であろうと、それを理由創作物現実のお手本のように整えていくことを、まるで創作物を正しく直してやっていることのように認識していて、本当に大丈夫なのか」と、少し立ち止まって考えてみたかったのです。

>正しいアップデート

必ず、全ての創作物問答無用で正しくアップデートさせなければいけないのでしょうか。正しいアップデートであれば、創作物現実世界の正しさという価値基準で手を入れてしまっていいのでしょうか。その必要が本当にあるのだとしても、その改変の先がどうなってしまうのか、私個人としは少し不安に思ってしまます

>最終的に変えるかどうかは制作側の判断

そうですね。批判自由ですし、それを元に表現を変更するかどうかも自由ですが、表現を変更しなければ「現代価値基準において正しくない、誤った作品」として評価され続けてしまうのは、なんだか勿体無いと感じてしまます創作物商売の一つなので、売れるためには大多数の評価を取り入れないといけないのも理解はできるんですが……

私が好きな創作物も、「価値観が古い作品」「男尊女卑作品」「誤った価値観を推奨している作品」というレッテルを貼られただけで終わっているので、そういった現実に照らし合わせた基準にとらわれない評価もなされたらいいなと願っています

現代人間に魅力的に映るように

現代人間である私には充分魅力的な人物(ただし現実にいたら嫌な奴だと思いますが)に思えるのですが、現代人間にとって魅力的な人物とは「現実現代的な価値観において、現実にいたとしても魅力的に思える人」なのでしょうか。

フィクションしか存在しえない魅力的な人物も、現実の正しい思想においては認められないからという理由で消されてしまうのでしょうか。創作物上でしか愛せないような登場人物好きな人間としては、少し不安に思ってしまます

 

 

全くの杞憂かもしれない私個人の思いに対して、忌憚ないお話をいただけて大変助かりました。

自分の考えを一つの文章のみで齟齬なく伝えることの難しさも痛感しましたが、これだけ沢山の方に多角的なご意見をいただく貴重な機会となりましたこと、重ねて感謝申し上げます

読みにくい文章申し訳ありませんでしたが、お付き合いくださりありがとうございました。

2020-09-03

なんでか知らんが政治的な主張って違う立場人間から見ると馬鹿に見える。

明確な正解が無い世界なので判断保留するとか多角的見方とか意識すればいいのは頭では理解してるけど

「この人馬鹿だ」という感想勝手に湧いてくる。

どうすればいいのか。

2020-08-22

anond:20200821200053

ブコメ大絶賛の怪奇現象が発生してるが、俺はまずこの増田文章が読みにくくて何度も眼が滑った。

次にバッドノウハウで乗り切れ、みたいな内容が気にかかってしまった。

この手の子必要なのは考える力をつけさせることだから、本当にやるべきことはキャラクターシートを作ることだよ。登場人物の特徴から趣味、口癖、エピソードなど。それを眺めさせて思ったことをつぶやかせる。そうしておいて、今つぶやいた君の言葉こそが感想文だよ、という。

物語人物がどういった人となりかを明文化することで、対人における分析力にもなる。

物語でないルポ子供向けの論考みたいなもの場合ブレインストーミングを行わせる。

内容を見て何を感じたかを書き出させ、どうしてそう感じたかを突き詰めさせる。

概念などの 多角的視点も考えるようにアドバイスする。反対意見はどうかな、程度でいい。

思考で最も良くないのは、ふわっと流してなんとなく考えたと思ってしまうこと。

突き詰めと包括が両方できるので、他人の考え方の違いも吸収できるようになる。

anond:20200822084415

さすがに、増田では控えてくれ。ほかの掲示板なら、すきにどうぞ。ただ、3割ひかえてくれれば7割はどうぞ。

収束しているというから2020年8月22日現在だと、0に向けてではなく、感染拡大に向けて収束方向を狭めていっているか

収束しているといわれれば、おっしゃるっとり、拡大に向けて収束しているなぁとそれだけ。

もうすぐ9月だが、9月になれば、減少方向に移動平均が、収束するかもな。それだけ。危機感安心感もない。本日データ移動平均など、多角的に見て、そうだね。っていうだけ。

そこから分析第一波、第2波とかいうのは、別な話そもそも第2波のおわりぐらいという見方もあるし、難しい。

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