はてなキーワード: 一言とは
はまりー on Twitter: "弱者男性問題の解決に必要なのは雑誌クロワッサンだとわたしは確信しています。
https://twitter.com/travis02130213/status/1387927956392009732
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/travis02130213/status/1387927956392009732
これさあ。
男性の社会的弱者、学歴なり職業なり容姿なりコミュ力なり何かもしくは複数が低調で、
という理解でだいたい合ってるんでしょ?
女性や障碍者やオカマやホモや外国人なら弱者として考えてもらえる一方
ジャップオスだとまとめて加害者扱いされることはあっても当人が弱者として認められることが大変難しい
で、
「そういうのはやっぱりおかしいから男性だって相対的弱者や困窮者は弱者と認めるべきでしょう」
みたいな話が興ってきたというのが最近のはてなの流れだと認識してる。
そこでこれ?
「自分を自分で救うことができる」という事実を大概の男は認めたがらないか、認めると負けだと思ってしまいます。恋愛なんてコミュニケーションの最上級なわけで「わたしたち」にまだそれは必要ないのですよ。「相手」を必要とする難しいことの前に自分でやれることはありますよ、と思うわけです。
弱者男性問題の解決に必要なのは雑誌クロワッサンだとわたしは確信しています。「家事が軽くなる道具と工夫」とか「冬の食卓ラクしておいしい97品」とかがモテない男性を救います。誰かがおれを愛してくれないかなとぼーっと思い煩うより自分の生活を上げましょう。
「自助に取り組め」
「君達には社会や他者の扶助は必要ない。君達に必要なのはクロワッサン。」
「君達は自分で自分を苦しめてる自業自得なだけだから、努力して自分の生活を持ち上げなさい。」
これを大絶賛っていったいなに?
こういうアドバイスをソリューションとしちゃうのってアリでしたっけ?
「娯楽も食事も住まいも進路も身の程弁えて選べば保護なしでもやれるでしょ」
ってアドバイスしていいの?
伊是名夏子さんに
「最大限ひと様の手煩わせない旅程を作って、それからJRの対応求めるんがスジでしょ」
「ヘルパー10人使って子育てってなんだよ単純にお前いない方が育児コスト低いよ」
とか助言しちゃうのとどう違うの?
石川優実さんに
「勝部を切ってkutoo以外の活動も辞めた方が幸せになれますよ」
「あなたの精神的苦痛は社会や思想のせいではなくて、勝手に肥大させた自意識と食らい判定のせいです」
「あなたには社会問題よりクロワッサンがお似合いです、自分で生活を上げましょう」
って諭しても許されるの?
それは絶対にダメ、弱者への疎外、差別への加担、わきまえ論、最低のセカンドレイプ、
cha9
関連ツイも読まずに脊髄反射で叩く人はその言葉そのままブーメランで自分に刺さってるよ
2021/05/02
するっと出てきた「弱者男性は他人を愛せない人格的劣等である」という前提はなんなんでしょうか?
他の弱者にもそういうこと言ってるの?
oka_mailer
でもこうやってセルフネグレクトからどう脱するか、みたいな具体的な課題になるまで深堀しないとどのみち話がすすまないよなー。
2021/05/02
深堀り?
深いどころか、弱者の人格や生活態度に問題を押し付ける滅茶苦茶浅いネトウヨ言説みたいに見えるんですが。
「話が進まないよなー」って、むしろ問題をすべて当人のせいにすることで話を終わらせたがってますよね?
rgfx 「これはわたしの話ですけれども「モテないオトコの欲求不満の解消」に必要だったのは長年にわたるセルフネグレクトを自覚し解消することでした」/ツリーみなよ。「牛丼は福祉」なんて話じゃないよ。
2021/05/02
そうですね。
ある弱者問題へのソリューションを、弱者当人の反省や改心や精神的改革に求める話ですね。
見てきたように全員底の浅いヘイト言説と言うか、
弱者問題に自助アドバイスするような典型的ヘイトツイートを一言も咎めないどころか積極的に賛同してヘイトを重ねる、
さらに「これを非難する奴にはブーメランが刺さる!」と威嚇を始めて非難を封じる意欲まで見せる、
積極的な戦意を出した差別欲・弱者存置欲旺盛な典型的ネトウヨさんなわけです。
こいつらはまあヤフコメあたりからはてなに紛れ込んできた差別大好きな「自称現実主義」ウヨ豚さんだとして
なんでこれが人気1,2,3になってんの?
わかってるけどね。
これでしょ。
何か調査するまでもなく論理的に考えれば日本人男性にも弱者がいるなんて当たり前なんだけど、
ジャップオスの場合は当人の生活態度や人格が悪い、自業自得、ケアも救済も必要ない。
そういう感情でしょ?
「お前の生活が悪いに違いない(根拠なし)ため、お前は人格が悪い(根拠なし)、クロワッサンでも読んでろ」
これ、女性とかゲイとか障碍者とか外国人とかに言ってたらあなた達絶対猛非難したでしょ?正義の味方ヅラで。
こんな発言を追認するネトウヨのブコメにこそこそと☆を入れて人気ブコメにしちゃう。
はてなのあなた達はふだんから差別反対だの弱者権利擁護だののお題目で遊んではいても、
それを優しい気持ちで、困ってる人を助けようという気持ちでやったことが一度もないってことなんです。
自分に甘くて自分の心の動きを観察できない人なら「いや私は善意と優しい気持ちだった」って言うんです。
でも実際は違ってるでしょう。
差別されて困ってる人を口実にして、その状況を作ったとされる誰かに対するものすごく攻撃的で侮蔑的な感情をぶつける、
怒りの感情をはじけさせる時の快感が楽しくて気持ちよくてやってるだけなんです。
純粋に伊是名夏子さんの利便性を上げたい、楽しい旅行をしてほしい、という気持ちで応援したのではなく、
「我々に反撃したらショウガイシャサベツだぞ」と言って抵抗を封じておいて
即興の難題を押し付ける、出来なかったらそれを責めて殴りまくって顔に唾を吐く、それで悔しがる顔を見る、
そういうことをやりたいだけの暗い人間と言うのが残念ながら「差別反対」の旗の下に少なくない数紛れ込んでいるんです。
すぐ次の怒るネタを探し回るようになるし、恐ろしく口汚くなるし、
twitterでくだらない喧嘩やRTをすることに時間と精力を使うようになるでしょう?
本当に人助けをして優しい心を育ててるならそんな風になるわけないんです。
困ってるならどうにかしてあげようと智慧を絞るだけ。
怒りのネタ探しでやってる人は
日本人男性というカテゴリは集めてきた怒りのぶつけどころとして使ってるんだから、
そういうことをいつまでやってるんでしょう。
自称社会派のような人で、本当に社会で困ってる人に関心ある人間は何割ぐらいなんでしょうかね。
経済力とか人的資本とか生活資本とかが低い男性にすすめるのがクロワッサン?
ありえないでしょ。
これに突っ込まずに賛同してる人達って絶対クロワッサンエアプでしょ。
クロワッサンってはっきり言って意識高くておしゃれなんですよね。
料理の記事そこそこに、決して安くない服とか相当敷居高いお店とかアンティーク家具とかの話始める雑誌なんだけど。
それに今となっては読者も編集部も高齢化してるので2021年の実際の読者層って一番下でもアラフィフだと思う。(公称では「40代から」とか言ってるけど。)
このツイ主なんか怪しいなあ。ほんとにクロワッサン何冊も買って役立ててる人なのかかーーーなーーーり怪しい。
じゃあ何を読むのか?
オレンジページでしょ。
ツイ主が言ってるみたいな用途なら絶対オレンジページですよクロワッサンよりは。
こういうツッコミを誰一人してないってどういうこと?
というか、そもそも誰もクロワッサンやオレンジページを読んでない?
個人的には子供時代に読む本尽きたら母のクロワッサンとオレンジページはよく読んでて今に至るのでこういういい加減な言及許せない。
まあこの場合は「弱者男性のあげた声を封じること」が関心の全てであって
クロワッサンがどういう雑誌かなんてことは全然考えもしないのかもしれないけど。
脳の使い方があべこべっていうか、本当につまんない使い方だよね。
https://anond.hatelabo.jp/20210502155909
https://anond.hatelabo.jp/20210502155323
適当に199N年1月分のブログというより個人家事メモ。ひっこしして1人めを育児してゲームしてそこそこのんびり新妻してたらしいな。下から読んだほうがわかりやすい。今そこから3回(旦那は4回)転居した。
食事の内容がわりあい粗食である点については事情があるので参考にしないほうがいいぞ。
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引越の買い物 収納ボックス 照明器具 台所フィルム 押入の敷物 冷蔵庫 (乾燥機付)洗濯機 カーテン・・。
「アイマックDV」をiに下取りしてもらって買い換えよう!マックの「アイブック」。
フィスラー4.5L 2万くらいで。(圧力鍋のブランドですね。)
接写のできるカメラ?←デジカメ中古(50万~100万画素程度)?
2月にでるATOK13
売ってくれる人、情報のある人は今すぐ??????@geocities.co.jp までお知らせ下さい!←いまちょっとサーバーの調子が悪いかも?しっかりしろジオシティ!
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1月31日(月)
引越後最初の平日なので、市役所に行ったり駐車場の契約に行ったり銀行に行ったり。旧居の鍵を返したり。カーテンを買いにさまよって結局昨日の店で買ったり、その途中でmが大うんちをしたり。夕食はドーナツ。
1月30日(日)
また旦那の両親が来てくれた。父は旧居から残して置いた冷蔵庫と洗濯機を運び出すため自動車で2往復。母は旧居のお掃除を手伝ってくれた。私はmと新居にのこってとりあえず当座必要なものの在処を確かめた。あと子守。それにしても新居はほんっとーに、むっちゃくちゃ寒い。腰痛に響く。お昼ゴハンを一緒に食べた後お帰り。夕方、カーテンと照明器具を探してさまよう。良いのが無かった。
1月29日(土)引越当日
朝8時から引越屋がくるので6時起き、10時にかぎ引き渡しにでかけ、通帳を詰めてしまったことに気が付く。11時前に積み終わって昼過ぎに運び込み。手すきの連中で餃子を食べ、旦那にサンドイッチを買って帰った。引越屋は照明の取り付けを手伝って3時頃帰ったが、すぐ後に新しく買った冷蔵庫と洗濯機の運び込み。これから開梱をがんばらないと。昼過ぎ実家の両親が来て旧居の掃除と子守を手伝ってくれ、冷蔵庫の中身や浄水器も運んでくれた。新居はむちゃくちゃ寒いので灯油も買ってきてくれたが、カーテンが足り無いのや隣近所がまだ居ないので、いくらファンヒーターを焚いても暖かくならない。バーンアウトは無理だと旦那が言ったとおりだった(でもノンホルマリンでもやっぱり臭い)。風呂はむちゃくちゃ早く沸いた。洗濯機はエラーばっかり出てうごかん。照明が足りない。夕食はおごり。ごちそうさまです。
1月28日(金)
引越前日ということで旦那の母が来て荷物梱包を手伝ってくれた。おそろしいほど早い。夕食までおごってもらった、と思う。私は風呂掃除をちょこっとした以外子守(離乳食をやらないのでご機嫌悪い)。
1月27日(木)
旦那のお休みにはいったけれどなんか何をやっていたか思い出せない。ただ最初働いてくれないと思っていらいらしていたので、本でも詰めたのだと思う。夕食はマイクロウウェーブディナー(要するに昨日買った冷凍食品)だったか?私は早くも1日mを背負って腰痛になった。
1月26日(水)
今日が旦那の引越前最後の出勤日。引越がせまるにもかかわらずmのお散歩ついでにスーパーに行って買い込んでしまった。だって冷凍食品5割引、低脂肪乳1本100円、伊予かん5個200円には勝てない・・。
1月25日(火)
銀行と郵便局に行って市民税を7万円以上も払って帰ってきたら背負っていたmの靴下が片方無くなっていた。またか・・。夕食は昨日の残りを卵綴じにして。
1月24日(月)
じつは今日オレシカをクリアした。割と簡単にクリアできてしまったのは簡単モードだったからである。1030年。 外はとても寒かったがコーヒー牛乳1L98円とか買ってきた。
夕食は牛肉とタマネギの牛丼風、と思ったらたれをすき焼き風にしたらしく、とても甘い。と文句を付けたら豆腐とお麩と春雨を追加してホントにすき焼き風にしてくれた。
1月23日(日)
朝すぐでかけ朝マック。コジマ電気に入り浸り、カタログを持ち帰り検討し、昼デパートに行って授乳と昼食をとってまた戻って、冷蔵庫(450Lクラス)と洗濯機(8kgクラス)を検討。冷蔵庫は、電気を食う富士通と三菱は却下、ナショナルもいまいち、東芝とサンヨーと日立で結局安くて製氷パイプが洗える東芝。洗濯機は超音波霧重力と斜めドラムと静かとイオン水でイオン水にした。たくさん買ったのでカードの限度額を超えた。リサイクルショップに寄って帰って3時、みんなでお昼寝。mがうんちして泣いたので起きた。
夕食はベーコンエッグ、みそ汁、サヤインゲンの炒め物、焼きタラコ。しょっぱくてのど乾いた。テレビ特報200Xで、母性について。マンガン不足に注意、ナッツ、キウイ、玄米を食べよう。 明日は「月下の棋士」やるらしい。人がまた死ぬらしい。麻雀も書いたんだから某カードゲームでも書けという某学生に一票。
1月22日(土)
初詣に行った後、旦那様がビデオを見たりしていたらあっという間にお昼。1時半から再内覧会。今度は旦那がしっかり採寸してくれた。3時半頃実家の両親が来て冷蔵庫を車に積んだ。その後mを子守してもらって荷造りが少々進んだ。5時過ぎに近くの回転寿司に行きおごってもらった、親とはありがたい。気に入ってもらえたみたいでよかった。帰ってからmがくさーいうんちを少々。マッサージが効いたらしいが、うんちするとき泣くのは参った。
冷蔵庫一個無くなっただけでずいぶんすっきりした。この調子でもう一個の冷蔵庫と洗濯機を旦那の実家にあげたらもっとすっきりする予定だ。見積もりしなおしてもらわないと?
旦那は「動物のお医者さん」全12巻読了、mに「なあ、チョビ」などと呼びかけている。飼いたいらしいがmが大きくなるまでだめ。
1月21日(金)
朝から敷き布団一枚を資源回収に出した。強風のなかリサイクルショップに出かけて、マホービンは800円、揚げ物鍋700円、電気鍋2000円で委託。足元見られてるけどまあいいや。一旦帰って新たに食器なども持っていこうとしていたのだがmが寝たので中断。夕ご飯はハムエッグ、納豆。
1月20日(木)
午前中天気が良かったのでリサイクルショップに出かけて敗北。定休日だったよ・・。今日の委託品は大きいマホービン:800円、温度計付き揚げ物鍋:1400円、小さな電気鍋(しゃぶしゃぶ用):3000円。マージン35%も取られるけど明日にはまた売りにゆこう。
夕ご飯は昨日の常夜なべ+牛肉。たぶんしゃぶしゃぶに近い。食後にライチ(7ヶ月前の冷凍もの)。7ヶ月冷凍庫に入れて置いた牛肉は完璧に冷凍庫の臭いになっていた。歯ごたえは良かったんだけどね。 どっちの料理ショーは鶏煮込みうどんと海鮮堅焼きそば、海鮮が豪華だと思ったら鶏の勝ち。あれ?3層麺、そんなにおいしかった? 来週は豚汁となんだろう?豚汁はいつ食べてもおいしいから負けそうだと思うけど・・。
1月19日(水)
今日も寒くなるそうで、出かける気がしない。灯油も使い切り(引越のため)、何一つ暖房のない我が家、しかたないからエアコンでもいれるかな。今日はインフラ(?要するにガス、電気、電話、水道)に引越すると電話した。
夕ご飯は豚肉の常夜なべ。 夕食後のテレビタイムに旦那が「動物のお医者さん」をよんで、たまに吹き出している。はまったな、ふふ。
1月18日(火)
晴れた。暖かくて嬉しい。mもよく寝る。自転車で遠くの銀行や写真の焼き増しや最低限の食料品を買い物しに行った。
夕ご飯は枝豆と豆腐と挽肉の麻婆風(ワカメはなし)。ワカメのみそ汁。
1月17日(月)
暗いと思ったら大雪。チェーン忘れを痛恨の一撃にするこの雪・・。午後晴れてから郵便局と銀行に行った。頭金のためにたくさんお金をはらって通帳が3つほど空になった、と思ったら1個だけ通帳記入を忘れてた分が残った。でもそのお金も家具を買って使い切る予定。結婚したときあまり家具を買わなかったので、ここでばっちり揃えてしまおう。ドラム式洗濯機っていいのかしら?
夕ご飯は干物の焼き魚、若布のみそ汁。冷蔵庫空っぽ計画なのだ。
1月16日(日)
昼ご飯は近所の回転寿司。私は安い巻物を中心にたくさんたべた。そしていよいよ内覧会。まずしょっぱなから駐車場の抽選にはずれた(といっても後で調べたらそんなに最悪ではなかった)。旦那はそのショックで肝心の家の内装などはチェックしていなかったと後で告白。そうね、ただバタバタとドアを開け閉めしてたわね・・。メジャーは持参したけど使わず、ただやっぱモデルルームよりは狭いという印象。私が内装にケチを付けてなおしてもらうようにして、その他いろいろ手続きして、帰って落ち込んで、ぐちをたれまくって(実家にも)、近くのスーパーのお総菜でしょんぼりごはん。
mはそんなことにも気づかずご機嫌。最近はころころ寝返るし、お気に入りのあやし言葉「ぷしゅー」でケケケと笑う。親ばかなのでビデオを持ち出し撮影会。
1月12日~15日
12日:食料を片づけ、りすに餌をやってから迎えに来た父と電車でお出かけ。母は忙しく、夕食はけんちん汁など。電車に乗ったせいか、mが腸重積ではないかと思うほどの夜泣き。「谷村志穂、飛田和緒1DKクッキン」「2DK」「お買い物」
13日:午前中はのんびり。昼は焼き肉宝島のお膳、680円。午後は母が忙しいためお留守番。妹と父とおでんをたべた、おいしかった。「PAPA TOLD ME」「研修医なな子」
14日:金曜日ということでみんなのんびり。昼はステーキ宮、夜は豚バラと高菜の煮込み(大好物)他。
15日:お昼はうどんの民芸。公園で遊んだ。旦那が迎えに来た。だいぶよれよれになっているので帰りは運転してあげたら、さらに疲れたらしい。かえったら不動産屋からおしかりの電話。
気が付いたら、実家からタイヤチェーンを持って帰るのを忘れていた。「動物のお医者さん」はもって帰ったのに・・。ぼけてる。
1月12日(水)
初雪が降った。このあたりはつもりそう。旦那の身内に不幸があり、旦那は自動車で出かけていった。私は実家に帰って旦那の留守を過ごす予定なので、またもや更新が滞りますがよろしく。
1月11日(火)
朝からうんち。離乳食はフレンチトースト(煮たの)、ミカン、みそ汁ご飯。写真の焼き増しが1駒ずれていた。郵便局と銀行を回った。昼過ぎまたうんち、これで3度目。そりゃ1週間近く溜め込んでたんだからと思いつつ心配。熱はあまりないけど・・。添い寝してたくさん昼寝させた。
夕ご飯は豚のソテーウスターソース風味、粉ふきいもとサヤインゲン添え。コーンスープ。おいしかった!
1月10日(月)
朝から書斎の片づけをしている旦那。私はmをお散歩につれていったり。昨日から旦那がホントによく働いている。ので、ちょっとゲーム休憩を挟む。オレシカ、佳境です。
夕ご飯は、カッペリーニ白いソース(タマネギ、サヤインゲン、ハム、チーズ、クリーム)。深夜、泣いて居るのでおむつを見たら久しぶりにうんちをしていた。
1月9日(日)
朝から旦那が掃除している。私もお手伝いして、大きな本棚を片づけた。段ボール7箱+2箱くらい積み上がった。夕ご飯は牛肉とゴボウで柳川風。
1月8日(土)
朝ゴハンを旦那がつくってくれた。豆腐とわかめとネギのみそ汁、目玉焼き。mには、豆腐のみそ汁掛けご飯、目玉焼きの黄味を離乳食。ミカンがデザート。その後、出かけた。まずは初詣(旦那は行ってなかったので)と思ったらむちゃくちゃ混んでて中止、レッドロブスターのサラダランチ。クーポン使って長居してその後お昼寝mをつれてコンピュータ店。アイマックDVを検討。わが家のデジタルビデオカメラはfirewire(IEEE1394)端子がないじゃん・・。変換器とかいるのかな。あと、やっと繋がったDVD-RAMドライブ、OS9との相性は?とかいろいろ調べたくなり、その場でインターネット検索掛けたりして長居。保育園に出かけて2月から契約して1ヶ月分の月極料金を支払い。背水の陣に気分はすっかりおセンチになってデパートへ。mを買い物カートに乗せるとしっかり握るからもう極悪にかわええ~。テレビ売場で名人戦の中継みてBS入れたくなったり。次に安売り店で買い物して上がり。夕食はマクドナルドのテイクアウト。mにはベビーフード。
今日も鼻水は止まらず乾いては鼻くそになって大変。と思っていたらベビーフードの匙にがじがじと異様な手応え、とうとう下の歯が頭を出した!初めての風邪と歯が生える時期が重なるってホントです。 あと、最近「えんむ~」とか「め~、め~」って甘え泣きしておもしろい。「ぶぶぶ」は終わって、「んめ~」で歌ってます。
1月7日(金)
週末が近いので楽しみ。夕食はおでんにとうとうとどめを刺した。旦那は映画「ツイスター」をみて妻の気持ちを逆なで。明日からばんばん働いてもらうことに決まり。
1月6日(木)
タッチおじさんの綿毛布が当たってしまった。びっくり。伊豆の写真をみて気力を回復。
1月5日(水)
実家でmが風邪をもらってきたようで鼻を詰まらせていたが、熱はなく機嫌もいいのでちょっと厚着させてあといつもどおり。昨日は離乳食がろくにできなかったので、ジャガイモのみそ汁に卵を落として。卵の黄身を食べさせると鉄分が補給され血色がよい。
夕食はおでん。ねりもの、大根、牛筋、こんにゃく、白菜巻きソーセージ、餅袋、卵、ジャガイモ。
12月31日(金)~1月4日(火)実家にて
31日:昼ご飯は軽く食べ、年越しに天ぷらそばを食べた。エビ、なす、ピーマンなど揚げたて。mを風呂に入れ早めに寝た。一戸建ては夜寒いが、それほどでもない。2000年対策のため父は夕方から出勤。
1日:父は何事もなく始発で帰宅。mに良い服を着せておせちを食べて(きんとん、くろまめ、かずのこ。ちなみにお雑煮は鰹だし。もちの上に、ぶり、こまつな、ゆりね、ぎんなん、とりにく、するめ、こぶ、だいこん、れんこん、ごぼう、にんじん、かまぼこ等が載っている。)お年玉あげて初詣して実家に年賀状が来て新聞を読んだらあとんのーんびり。mの離乳で遊んだ。ミカンをいくらでもしゃぶる。夕ご飯は到来物のお肉でしゃぶしゃぶ。夕食後に旦那から電話がかかってきた。あちらは大変らしい。
2日:上の妹は電車で初売りに。残りの家族は近くの赤ちゃん用品店や本屋やファミレスでホットケーキとお茶やぐるっと一回りして戻った。mにしゃぶしゃぶの出しで雑炊。豆腐のみそ汁はヒットかも。ごろごろ。早めに風呂に入れてショムニをゆったりとみたぞよ。夕ご飯は手巻き寿司とエビ・カキのフライ。
3日:お散歩に行った。本屋(絵本が充実)とスーパー。苺を片手に握りつぶしながらしゃぶる(といってもどちらかというと握っている手を・・。)mの姿はもうかわいいの一言であった。昼は煮込みうどん(mに卵の黄味をやる)、夕ご飯は豆腐の煮たの他。「MASTER KEATON」「監察医ケイ:業火」
”スーパーカブらしく
CMの雰囲気が良かったのでとても期待していましたが、原作の悪いところをほぼそのまま踏襲してしまっているのが残念です。
あと主人公の声の演技が棒読みすぎるのが酷いと思いましたが、台詞はゴルゴ13並に少ないので多少はなんとかなりそうです。
3人殺したカブの見た目がかなり綺麗という設定があまりに謎すぎてどう殺したらそうなるんだろうと思うなど、整合性のとれていない描写が多くあります。
1番残念だったのが、肝心のスーパーカブの描写がかなり疎かだと感じた事です。
スーパーカブが初めてのバイクだったら、慣れないアクセルワークからくるエンジンブレーキの大きさとフットブレーキの混乱でロクに停止することも曲がることもできない気がします。シフトショックの大きさもそうです。
トラックの追い越しに恐怖を覚える描写がありましたが、単なる原付あるあるの域を出ないと思います。どうせならスーパーカブにしか出来ない映像表現へのチャレンジをして欲しかったです。
ヘルメットやグローブ、免許の本までくれるバイク屋さんが、果たして燃料コックという安全に関わる最も大事な部分の説明を怠るのでしょうか。ただ原作の再現や予定した演出のためにキャラクターが動かされているだけの印象を受けました。
細かいイチャモンですが、スーパーカブというタイトルの作品でスーパーカブらしい描写が明らかに欠落している事にどうしても違和感を抱いてしまいました。
ホンダがネガティブな描写を許可しないのであれば仕方ないとは思いますが。せっかく一生に一度しか無い初めてスーパーカブに乗る瞬間なのに勿体ない気持ちになりました。絵や音楽の質の高さに対して内容が伴っていない感じもまたチグハグな印象です。
原付の技能講習で運転したスクーターと同じ感覚で乗ったら、まず発進すらしない、1速に入れた瞬間吹っ飛んだ、ガクガク揺れるトルクに驚いて2速に入れられない、フットブレーキに集中しすぎてアクセル戻し忘れる、ブレーキペダル踏み込んでるのを忘れて吹かしてるのに全く発進しなくて焦る、そもそも左のハンドルにブレーキレバーが無くて足下にあるのを知らなかった、自転車の時は感じなかった右折の恐ろしさ…
自転車やスクーターとは全く別の代物、こんなもの自分に乗れるわけがない…
以上スーパーカブが人生初のバイクだった事がある自分の体験談です。
ここまで演出しろとはさすがに言いませんが、そういったスーパーカブのもっと基本的な特徴を丁寧に描写してくれた方が、主人公のドキドキ感や恐怖に説得力が生まれたと思います。初めて乗ったときのギクシャクの理由が上達につれてだんだんと分かってくる。スーパーカブを題材にするなら、そんなストーリー展開の方が感情移入もしやすくスーパーカブに興味を持ちやすいのではないかと思いました。
2速で20キロまで加速したけど、エンジン音がうるさくなってきたから3速に上げようとして、モタモタしてる間に後ろのトラックに気がつかず追い抜かれて驚く。とかをやってくれたら、あぁスーパーカブだなぁと思えた気がします。
それらをすべてスルーして安易に済まされたのが非常に残念です。女子高生が初めて乗る非日常。モーターサイクルの制御の難しさとその怖さ、新しい世界の刺激。それらにもっと共感できるアニメを期待しています。
1話だけ見た感想としては、ホンダである必要もスーパーカブである必要も女子高生である必要も山梨である必要もバイクである必要も一切無しでした。一億台突破記念作品と言うからには、もっと真摯にスーパーカブというバイクと向き合って作品を作ってほしいです。
最初は不安だったけど少しずつバイクを信頼できるようになり、やがて人車一体の走りができるようになる。そんな物語を期待している私はもしかしたら、制作側からすれば想定していない存在、メインターゲットでは無いのかもしれないと薄々感じて来てはいますけど。
なんでそう描いた、なぜそうした、という違和感が設定から演出まで何から何まで多すぎて、例えて言うなら高級食材と高級調味料を使って、料理人ではなく素人が調理したような、そんな感じの印象を強く受けました。
追記:
せっかく田舎が題材なのですから、エンストのシーンはあっさり主人公が解決しないで、田んぼのおじいさんが助けてくれたりとかすればよかったのにと思いました。初めて気がつく単純な構造、おじいさんが扱い方を知ってるくらい形を変えずに残っている歴史ある車体、初めて感じるカブという国民的バイクへの敬意とか、そういう描写があったら個人的に凄くワクワクしたんだけどなぁと、考えれば考えるほど不満がどんどん出てきてしまいました。
ホンダの公式サイトがアニメをほとんど宣伝してないのでそこまでの立ち位置なのかなとは思いました。これからコラボバイクみたいなのが発売するのか、もしくは角川が勝手にカブを宣伝してるだけなのかわかりませんが、さすがにホンダはもう少し作品を調査してから許可を出すべきだと感じました。
作者のツイッターアカウントを見ると、根本的にここに書いたような事を描く気は最初から無いようでした。ホンダ公式の安全運転関連ツイートに上から目線の引用リツイートで原作本編にも登場したらしいカブの半クラという危険な運転技術を紹介していましたが、そもそも半クラをしなくて良いように開発されたのがスーパーカブが搭載する自動遠心クラッチですから、そのメカニズムを全否定する発言などからも、おおよそスーパーカブのおかげで小説を書きアニメ化までさせてもらったリスペクトの欠片も見えず、バイクでマウント取りたいだけとしか思えないような知識を延々と語っているだけでした。
とりあえず一言言いたいのは、そんなに半クラ自慢したいならマニュアルミッション車に乗ればいいのにということでした。
それは原作数巻読んでみた感じも同様で、スーパーカブ関係ない描写ばかりの理由に繋がります。原付スクーターか他のマニュアルバイクのストーリーを描けば良いのではないかという内容ばかりで、バイク用語一つ取っても、いくらでも掘り下げられる事を言葉であっさり仕上げて終わりです。
なるほどこの作者あってこの作品なんだと違和感の正体がわかってなぜか安心しました。
以上の理由から、視聴するに堪えない作品だとわかったので観るのをやめました。
長文の批判になってしまいました。お気持ちを害された方がいらっしゃいましたら本当にすみませんでした。
”
A.自分で書け
おっとこれはキツい一言ですね
Twitterでネットとリアルの自分の違いというのがバズってだんだけど、あれ自分は全く逆なんだよ。
だから何と言われるとこれはただの自己主張ではなくて、実際に会うと表情・声色・仕草から完璧ではないにしろある程度脈みたいなものが読み取れて、ここはこういうアプローチでいこうかな、これは嫌がってるなというのが分かるので、上辺だけのといったら失礼だが、食事に行ったり飲みに行ったり遊びに行ったりというくらいの人間関係の構築にはそこまで苦労したことがない。
でもネット、ここではTwitterとしよう。Twitterだとその脈の読み取りが全くできないわけ。もう目塞がれて目的地付近まで行けと言われてるのとおんなじ。文脈の裏が全く読めないのよ。
これはネットだと嫌なことがあっても実生活以上にトラブル起こしたくないので適当に合わせたりなんだりすることがあるから、他人もそういう風に考えて行動してるのでは?というのが根底にあるのだと思う。だからこそグイグイ行けず当たり障りのないことを一言二言交わして終わり、というのが本当に多い。本当にカオナシ状態。
先日少しだけ踏み込めた人に言われたのが、話しかけづらいオーラが出てるんだって。楽しいことは楽しいと、不満についてはスルーでという模範的使い方をしていたつもりだけど、それがかえって面白みのないやつに映ってしまってるのかな。
なんでこんなことに悩んでるのかというと、自分はオタクなのだ。できれば一生涯のオタクの友人を作りたいとすら思ってるのに知人すら満足に出来ないとか、今更ながらリアルで知り合ってきた人たちも向こうが色々気を使ってくれてただけなのかと思って、最近むちゃくちゃ凹んでいる。
なにか打開策があるならば是非教えてほしい。この歳になって友達の作り方を教えてくださいなんて質問は恥にもほどがあるのは百も承知だが、もうこうなったら常識の範囲内でなりふり構っていられないのだ。とりあえず自分はリアルの生活で学んだことを何一つ活かせなかった。頼むから自分をネット充民に転生させてくれ。
昨年度に私が担当した業務のうち、正しく処理できていたものはほとんどなかったらしい。
私はもう異動したから、残った先輩と後輩が、誤りを洗い出して補正する作業をしている。
先輩は怒り狂っているという。近づいていっても無視される。
私の異動も、同じ部署だった面々によって仕組まれた「排除」だったらしい。
それはさておき、また誤りを見つけた。後輩の一言から自分で気づいて確認すると、やはり1年分が全部間違っていた。
とりあえず自分で補正作業をして、責任者へ謝りに行った。「はい、わかりました」の一言だけだった。
先輩と後輩へ伝えると、先輩は静かに私をにらみつけて「客に迷惑をかけてることもわからないのか」と言い、以降は完無視だった。
顧客対応は後輩が全部やってくれたのだが、顧客に連絡した後は怒りと悲しみで疲れ切っていて、話しかけても「責任者に聞いてください」と相手にされなかった(疲れが回復してからは状況を教えてくれた)。
責任者を訪ねたら、呆れた顔で「大変だったらしいよ」の一言で終わり。
というか、精神状態の悪さを隠すのが大人であり仕事であるらしいが、(昨年の)私には無理だった。そしてそれがここまでになっている。
辞めたほうがいいのか、とか言ったらまた怒られるのかな。
結婚相談所…つらすぎる。
「メールの送る時間帯と文字数と絵文字の出現頻度を同じにしようとしないので非常識だと感じた」
「婚活とかオシャレ系の動画を見てることを女の前で話した。非常識だ」という
「電動歯ブラシに変えた方がいいよ」レベルの否定的な発言を一言されるだけでも
バチクソに延々とキレまくる、という女にかなり遭遇する。
認知能力がぶっ壊れた女、と会うのもしょうがないよね、ていうことなのかもしれないが、
いったいどうしてこいつらは生きていられるのだろう。
最初に炎上したときになんだかなぁとは思っていた話題なのですが。
社民党から出されたこちらの声明(https://note.com/sdp_japan/n/n5ae62868e4f2)が話題になっているのを本日見て、ふとそのときの気持ちを思い出して考えていたらなんとなくネットにのせてみたい話を思いついた気がしたので書いている次第です。
結論から言うと、僕は伊是名さんや社民党の意見には全く賛同できません。
理由は単純で、この件に関してはJRに非がないと考えるからです。
僕は健常者です。
なので、障碍のある方々の立場、生活というものはいくら想像してもやはり理解することは難しいのだろうとは思います。だとしても重ねて言いますが伊是名さんや社民党の意見には全く賛同できません。
こういった形の炎上の大半は起こった『不利益、不条理』の中に潜む相手方の悪意を前提に話が進み、どんどんと話がよく分からない方向へ展開していくように思います。
この件では伊是名さんが『目的の駅へ行くのに大変な苦労をせねばならなかった』という『不条理、不利益』に対し、伊是名さん側はJRの『怠惰』という悪意を前提として話しているように感じます。伊是名さんはかなりの重量がある電動車いすに乗らなければ生活ができないそうです。ことの発端となったのは旅行の際の目的駅が無人駅で階段しかなく、事前連絡がないと人員の配置は難しく電動車いすを運ぶ対応ができないため隣駅での降車をお願いされたことです。この出来事を伊是名さんは『JRで車いすは乗車拒否されました(http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html)』とブログに書き、車椅子ユーザーへの無理解が原因で問題が起こったとの立場でJRを批判しています。このブログに書いてあることから『JRは怠けていると伊是名さんが言っている』と引き出すことは暴論ではないでしょう。
このブログがものの見事に炎上します。批判側は、タクシーの予約は1か月かかること、目的駅に階段しかないことなどを把握している(※上記ブログ参照)のに事前連絡を怠ったことに同じく伊是名さんの『怠惰』という悪意を見出して批判します。
そして、ここから『マスコミへの連絡を用意してるとかそもそも炎上目的なのでは?』という伊是名さん側の純粋な悪意を想像したり、『結局運んでもらった(※上記ブログ参照)のにありがとうの一言もないというのはなにごとか』という何よりもまずお気持ちの問題論がたくさん出てきたりして、どんどんと伊是名さんの人格攻撃の方面へと進んでいってしまい色んな方向に矢だの鎗だのが飛び始めます。
そしてこれが他の障碍者の方に刺さって『出かける度にありがとうと言う、つまり毎度誰かの手を借りなければ生きられないうしろめたさはやっぱり理解されない』という悲痛な叫びになったり、逆に『幼いころ横柄な障碍者の方にさんざんな目にあわされたのに、障碍者相手ということで親や教師はなにもしてくれなかった』という健常者の方の怨嗟の声になったりしています
話を戻したいのですが、問題は単純に『車いすユーザーの方が、車いすであるがために目的駅に行くのに大変な苦労をした』ということです。
すべての人が、どんな人であろうと望む場所へバリアなく行けることが望ましいということに反対するような人はほとんどいないでしょう。逆張りして反対を表明する人がいたとしても寒すぎて誰にも相手にされない程度に圧倒的に。
ここまで攻撃的な話題になってしまったのは、最初に言った通りどちら側も相手に『悪意』を見出そうとしてしまっているからだと思います。
わかりやすく言えばどちらも『お前が悪い』と言ってしまっているからです。そして、もともとの問題そっちのけで自分の側から見て悪く見えるところをあげつらって攻撃が止まらなくなってしまうという話なのだと思います。
無人駅に人員を配置してなかったJRが悪いのか? 事前連絡をしなかった伊是名さんが悪いのか?
どちらも全く『悪く』ないと僕は思っています。
話が少しそれるようなのですが、歳を重ねてから僕は『しょうがない』という言葉が大好きになりました。
不貞腐れたり、できっこないと可能性を否定するために使われることもありますが、僕は現状をしっかりと見据えるための言葉として好んで使います。
今できないことは『しょうがない』。ではできるようにするためにはどうすればいいか?と、今を理解して次の一歩を考える言葉として考えています
先ほども書いた通り、社会のバリアフリーは推し進めていくべきです。ですが、現状そうなっていないのはしょうがないのです。JRはバリアフリー化に対し少なくとも悪意を持って遅らせてはいないでしょう。
そして、企業として余分な人員を余らせておけないのもまたしょうがないのです。
こういう話になると近頃では『健常者の無意識の差別だ』という論調が出てきますよね。だからこそ、冒頭のなんだかなぁという気持ちだったわけなんですが。
長くなったんですが実はここからがネットに書いてみたいと思った思考実験でして。
無人駅がバリアフリー化されていないのがJRの怠惰、拡大解釈すると健常者の無意識の差別だというのであれば、女性や子供でも簡単に持ち運べるような車椅子が開発されていないのは車いすメーカーの怠惰、同じく拡大解釈すると健常者の無意識の差別という話も成り立つのではないか?
ということです。
どういうことかというと『駅がバリアフリーだったら車いすでも行けたのに→差別』という図式が成り立つのであれば、『車いすが簡単に運べれば車いすでもいけたのに→差別』という図式も成り立つのではないだろうかという、バカみたいな話です。でも、正直バリアフリー化を進めるのに必要な時間とお金と、軽量な車いすを開発するのに必要なそれって同じくらいなんじゃないでしょうか。
自分で書いててもバカバカしくなってきてしまいましたが。でも、正直『今現在バリアフリー化されてない駅がある』という事実を『健常者の無意識の差別』に結び付けるのは、同じくらい馬鹿馬鹿しいと思ってます。
何度でも書きますが、社会のバリアフリーは推し進めていくべきです。ですが、現状そうなっていないのはしょうがないのです。誰かがズルをしたり、怠けたり、悪いことをしたりしているのではないのです。
違う属性の相手に『無意識の悪意』を見出して攻撃する活動は、もう限界にきていると思っています。
願わくば、対話と相互不理解を相互不理解のまま受け入れる寛容さによって融和が実現する社会にならんことを
酒がうまい
おやすみなさい
https://anond.hatelabo.jp/20210428022710
気味の悪い機械式駐車場を修理されたお話ですが、自分も覚えがあります。
たぶん、フェイクを混ぜて書いておられるのかなと思うので、自分もそれなりに配慮して書きます。
ずいぶん昔の話になりますが、自分の田舎には、田んぼの真ん中に森がありました。
森というと大きく聞こえますが、藪というか、とにかく田んぼの真ん中に大木と複数の木が生えていて、レンガ造りの小さな建物がありました。
それが、自分が大学に進学してしばらくぶりに帰った時には、まず森の部分が無くなっており、レンガの建物だけになっていて驚いた記憶があります。
結構な広さの田んぼの真ん中に、田んぼと田んぼの間にある空間に、レンガの倉庫のような小さな建物だけ残っている。
東北に限らないと思いますが、田舎の建物は手入れをしていないとあっという間に朽ちて廃墟になります。
その建物は何に使っているかわからないのに、いわゆる廃墟や朽ちた感じがなく、誰かが手入れしているのだろうなと思っていました。
田舎は、小さなお社でも手入れをしている近所の人が居たりすると、わりと綺麗だったりします。
線香が挙げてある、蠟燭がついている、石像に前掛けが付けてある。
そういう、誰かの世話がなされている建物や石碑なんかは、それとわかるものです。そのレンガの建物もそうでした。
自分が社会人になった最初の年、そのレンガの建物に、ブルーシートではない、工事用の布のようなものが、鉄管で組まれた足場にかけられていました。
ああ、やっぱり誰かが手入れをしていたのだな、業者を入れて屋根の吹き替えでもするのだろうかと思って見ていたその時、大きな布がめくれて中が見えました。
かなり混乱したのを覚えています。
自分が都会で見たことがある機械式駐車場は、少なくとも5~6台は並んでいて、大きなマンションに併設されていました。
機械式の駐車設備が、1台だけ。上に1台、下に1台が入るようなもの。
この間まで小さいとはいえレンガの建物があったところに、駐車場。
田んぼの真ん中です。軽トラを止めたいならその辺に止めれば良い空間に機械式駐車場。
あまりにも気になったので父に聞いてみたところ、「あそこは昔、焼き場だった。うちの範囲じゃない」とだけ。それ以上は聞けない雰囲気でした。
たしかにおぼろげな記憶をもとに思い出すと、煙突がついていたような気もします。でも、あんなところに焼き場、いわゆる火葬場があるでしょうか。
しかも結構小さい建物だったのです。レンガ造りで、扉が正面に一枚、横には窓があり、反対側は森に遮られていて見えない。
サイズ感的には、いわゆるプレハブ倉庫と同じか、少し大きいくらいです。
その後、その工事が終わった後には、車庫のような建物が立っていて、より奇妙に思ったのを覚えています。
でも、近所の人が誰も話題にも出さず、そこに行く用事もなく、なんとなく近寄りがたい雰囲気もあり、そのまま忘れていました。
ちょうど10年位前だと思います。
田舎に帰省したおり、ちょっと見てほしいものがあるから行ってきてくれないかと父に言われて、ある家を訪ねるように言われました。
その時、飯は家で食うから、晩飯に誘われても断るようにと、念を押されたのを覚えています。
たぶん昔は農家だったんだろうな、というお屋敷でした。伝わるでしょうか。現役の機械はないけれども、家の作りが農家の家。
訪ねると、そこのご主人、たぶん70ぐらいだと思うんですが、いわゆる元気なお爺さんという感じの方に、機械を見てほしいと言われたんです。
要は、具合が悪くなった機械があるから見てほしい、自分がやっていたが、ちょっと歳で重いものを持ったりが出来ないから、と。
その時、お茶をそのご主人が直接持ってこられたのが印象に残っています。
田舎なので、お茶とお茶菓子をそこの奥さんが持ってこられるのが普通の地域だったからです。
ご夫婦二人で住まわれているということも、確か話を聞いたように思います。
その見てほしいと言われた機械が、あのレンガの建物のあった場所に立つ、機械式駐車場でした。
まあ、本当は法律に引っかかったりするんでしょうけれども、田舎ではよくあるように、昔ながらのガラスに入ったヒューズを外して、電源を落としたうえで、ふたを開けて中を覗いてみました。
この手のものは、おおむね接触不良や断線、部品が振動で外れた、みたいなものであることがほとんどです。
それを超えたら業者を呼んで治すか、交換するか、です。修理している間中、ぴったりとご主人がこちらの様子をうかがっていたのを今も覚えています。
自分が見た限りでは、いわゆる鉄工所のようなところが作ったような機械で、メーカー品のようなロゴがあるわけでもなく、スイッチも田舎のホームセンターなら買えるようなものでした。
自分の田舎では、別にそう珍しいことでもありません。農家がちょっと工夫して追加の機械を入れるけど、あの家とあの家にしかない、みたいなのは割と普通です。
その時も、接触不良になっていそうなケーブルがいくつかあったので、一回ニッパーで切って、繋ぎなおして、終わり。
念のために機械部分もバラシて油でも差すかと思っていたら、そっちは良いと止められました。
ご主人が電源を入れて、半分ぐらい下がるのを確認したら、急にストップさせて上に戻していました。
ちゃんと最後まで下げないのですか?と聞いたときに、慌てた様子で危ないから外に出ていなさいと追い出され、機械を見させておいて危ないもないもんだと思ったのを覚えています。
あんなに不思議で気になっていた機械式駐車場を間近に見る機会だったのに、印象が薄いのは、ご主人に張り付かれていてちょっと居心地が悪かったことと、
そのあと、執拗に夕食に誘われたからです。その印象が強すぎて、駐車場に何かあったか、今一つ思い出せません。
最初は、世話になったから夕食を食べていきなさい、くらいだったのが、妻が準備して待っているから、せっかくだし、と何故か執拗に誘われたのです。
あまりに誘うので、一言断って家に電話をしたところ、えらい剣幕ですぐに帰ってこいと言われ驚きました。
申し訳ないけれども家に急用があるようなので帰ると伝えると、またあとで夕食を食べに来ないかと言われ、耳を疑ったのを覚えています。
なんとなく胡麻化しながら家に帰ったところ、何をした、何を食べたと聞かれて、ずいぶん変なことを聞くものだ、そもそも晩飯もまだではないかと腹が立ったのを覚えています。
正確に言えば、覚えていないのです。
下げた時に側面に何か描いてあったかどうか、そもそもそんなものを目にしたかも覚えていません。
いまになって思い返すと、あの家には綺麗な三輪車があったような気がしています。
そういえば、客間に通される前にも、アンパンマンか何かの子供向けの玩具があったような気もするのです。
孫のためのものを置いている家は多く、それほど不自然でないので意識していなかったのです。
ですが、青年団のような集まりやお盆のお祭りなどで、そういえばあの家の名前を見た記憶がなく、そもそも息子や娘、孫がいるかもわかりません。
自分に頼んできた経緯もいまいち謎です。よく考えたら別にお駄賃などももらっておらず、自分はただ働きです。
俺はそこそこ有名な大学をでているんだが、上司と同席した場でそれを明らかにされる機会があった。
俺は真顔でいたのだが、正直にいえば、「へ~、頭いいんだね」と言われるのを内心期待していた。
学歴が明らかになるとそんな反応をされることが多かったので、今回も少し期待していた。
「へ~、家が裕福なんだね」と一言。
それだけだった。
まるで俺の実力ではなく、たまたま裕福で教育資本のある家に生まれてよかったねというような口ぶりだったのだ。
親の経済力と子供の学歴に相関関係があるのは俺だって知ってる。
塾に行かせてもらったりしたし、それがなかったら確かに大学には行けなかったかもしれない。
上司の言葉を聞いた時、落胆とともに「そりゃそうだよな」と納得する自分がいた。
でも、なんだか釈然としない。自分自身の努力を否定されたような気がした。
https://anond.hatelabo.jp/20210427110715
この増田は話が下手すぎ。
せっかくそこそこの長文書いてるのに読み手に取って「お前のなかはそうなんだろうなお前の中ではな」で流される文章になっている。
この文章に何が足りないのかというと、①批判の軸がない②基準点を提示できてない の2点だ。
文章書きなれてないやつにありがちなんだが、お前の基準を自明の理としすぎていて読者と目線があってない。
読者と視線を合わせることなく、軸がなくただ思いつくままに項目を列挙しているだけ。こういう文章は批判として弱い。評価Dランクの駄馬である。
この駄馬がちゃんとした批判を書けるようにするためには、まず上の2軸を中心に鍛えていく必要がある。
まず「ゲームシステムがつまらない」の部分全般に言えることだが、「つまらない」といいたいのであれば「おもしろい」のイメージを提示しろ。
「どうすれば面白いと感じられるのか」というイメージを読者の中に作れなければ「お前の中ではそうなんだろうな」どまりである。
・ステータスが5つあるだけで、どれかにキャラにあった極振りしていくだけでクリアできてしまう。2つ極振り出来るだけでチームレースさえ楽になる。
ステータスが6つあれば面白くなるのかというと違うだろうし、実際はもはや2つ極振りで勝てるレベルではない。エアプを疑われるレベルだ。
「ステータスが5つしかないのはつまらない」を自分の主観で終わらせないための一工夫が必要だ。
実際「すでに育成理論が完成されつつあり、これ以上開拓の余地がない」だとか「ほとんど同じプレイを繰り返すだけになりつつある」だとか「一通りAランクまで来た後はやることは同じで運任せで試行錯誤を繰り返すだけになっている。これはガチャの時間が30分に伸びただけではないか」などの工夫された表現をしている人もいる。
これについて文句を言っている人は聞いたことがないので、これをつまらないといったところで特に共感を得られることはないだろう。第一、それであればストーリーが追加される余地がある限りはゲームとして生きることになる。項目をとりあえず増やせばいいと水増しをしてはいけない。
・レジェンドレースも距離が偏りすぎ。そもそも距離の種類がそんなにない事と、ウマ娘のキャラが変わろうと対戦する為のこちらのウマ娘のステータスは同じなので変わらない。
これについても2番目と同様だ。その都度レースが追加されるので意味のない批判だ。あえていうと「コンシューマーみたいに最初からたくさんのレジェンドレースがあって遊べるようにしてほしい」という批判が可能なくらいだろうか。 それならそうとその点を明記すべきだ。批判ポイントをぼかさず、もう一歩掘り下げる努力をしよう。
・イベントのルーレットが糞。初回イベントで天井を作らずに延々と回させ不評を買い、天井を作ったがやっぱりうんこだった。そもそもイベントのアイテムがしょぼい。
これは同意だが、「ウマ娘が糞」というには弱すぎないか?これはウマ娘のイベントへの不満にしかならない。 この増田は「気に入らない点をたくさん上げて数を積み増せばいい」という雑さがにじみ出ているが、ちゃんと批判の重要度を分けて考えるべきだ。 自分にとってどれが一番言いたいことなのかが隠れてしまうぞ。
・パワーが少ないから馬群に沈んでいるとアドバイスがされるものパワーがSSであっても沈む。そして『パワーが足りない』とアドバイス表示される。意味わからない。ちなみにスタミナが足りないという表示もスタミナSS状態で表示される。仮にSSSがあったとしても足りないっていう気満々やろ。
このあたりはもはや誰も参考にしてないのでやはり意味がない批判だ。とりあえずツッコめるからツッコんでみただけだが、ゲームバランスのような点について触れない限りはあまり効果的な批判とは言えない。
「同じプレイを何度も繰り返すだけの作業感がキツイ」という、ソシャゲの宿命的な部分を、結局ウマ娘も克服できていないじゃないかと。
それなら、この点をきっちりと軸に据えて、それを補強する形で批判していかなければいけない。
ちゃんと本文全体ではこれを言いたいというのが明確に示されてるじゃないか。
これも結構前の話になる。
「そういえばあの時、どんな気持ちだったっけ?」と思い返す機会があったので、折角なので文字に書き残しておきたい。
そうすれば胸に落ちるものも、もしかしたらだけど多少はあるんじゃないのかな?って感じで。
内容が内容なので、少し長くなるかもしれないけど、お暇な方がいらっしゃいましたら読んでやってください。
あんまり仔細に年月日を狭めすぎるとアレなので、時期は今から7年ほど前。
ちょうど今のような、若干寒さも落ち着いてきたかな?ってぐらいの春頃のお話だと思って下さい。
兄の方がとても優秀だったんで、随分と見劣りはするけれど、俺の通っていた高校のレベルからすれば「まあ頑張ったんじゃないの?」程度の大学へと入学。
その筋のマニアには結構有名な、二郎インスパイアの名店が近くにある登り坂の長い大学ですね。
あれは本当に数少ない良い思い出です。メチャメチャ美味かったな。店狭いし、オッサン怖いし、汚いけど。
オススメは小ラーメン・麺少なめ・ニンニクマシ・アブラマシマシです。
しかし高校まではチャリ通で10分だったところが、電車を乗り継いで1時間半になったのは本当によくなかった。
職場と学校は、絶対に自宅から近い場所を選びましょう。近い場所にないのなら、あなたが引っ越してしまいましょう。(経験則)
そんなこんなで深夜までゲームやらアニメにうつつを抜かしては、中途半端な時間に目覚めて、一限は余裕でアウト。
気付いた母親に叩き起こされて、仕方なく起床。もそもそと着替えて、遅刻前提の移動。
それで素直に大学まで向かえばいいものを、「途中で行くのも面倒くせえな」と地元のカラオケで朝割フリータイムしてたり、本屋で立ち読みしてたり。
入学当初からそんなんだから、とにかく授業内容は良く分からないし、眠くて眠くて仕方なかった。
何よりも人見知りだったもんで、良くも悪くも自由な大学形式の授業とサークル活動に、いまいち馴染めずにいた。
大学は少中高と違って、能動的に働きかけないと友達はできないもんなんです。あの頃の俺に教えてやりたい。本当に。
夢見ていた大学生活は、俺にとってはただの眠気との闘いに成り代わっていたのである……。
そんなんで仲の良い友達も全然いないもんだから、授業サボりまくって、図書施設のビデオ設備で「ロード・オブ・ザ・リング」とか「戦場のピアニスト」とか見てたな。
いや、完全に余談でした。すみません。
とにかく、こんなカスの具現化みたいな大学生活を送らないよう、新入生の皆さんは頑張ってください。
話を戻します。
俺が小学校に上がるぐらいの前に、うちの母親は一度離婚している。だから俺は種親の顔をほとんど覚えていない。
「自分はママとパパと話すけど、ふたりは全然しゃべらないなぁ」とか「やたらと関西の実家に行ったり、親戚の子がうちに来るのはなんでだろ?」とか。
そんなことを子供ながらに思ってたんだけど、今思い返せばそういうことだったんだと。
そんなこんなで気付いたら第一の父親が消えて、俺が小学校二年生ぐらいの時に、新しい父親が来た。
そりゃ向こうも腹を据えて、血の通ってない兄弟二人を抱えるわけだから、多少の上っ面は確保してくるには違いないんだけど。
一緒にお風呂に入れてもらったことが嬉しかったのを覚えてる。そんな第二のお父さんの背中には、ご立派な龍のモンモンが彫られていたけど。
仮初でも、その人は優しくて良い人で、色んな場所に連れていってくれたりした。なんかホテルが多かったな。海ほたるとかもよく連れていってもらった。
多分これまでの人生25年、その人が来てからの数年が一番幸せだったんじゃないかな?
中学に上がる前ぐらいの、それぐらいの間。ホントに幸せだったと思う。ボンボンもボンボンで、当時Xbox360でCOD4のネット対戦してたの俺だけちゃうかレベルで。
俺も兄貴も母親も父親も、心から「家族」を感じてた最後の瞬間だったと思う。
で、俺が中学に上がった頃に、第二の父親が手掛けていた事業が一気に傾いてしまったと。
これは直接見たわけでもなんでもないけど、父親の元同僚の方に聞いた話なんで、間違いないことだと思います。
そっからの酒乱っぷりたるや本当に凄くて、中学生ぐらいになると俺も兄貴も(特に俺は)夜更かしをするようになってるから、
ベロンベロンの状態で帰ってきた泥酔親父に、子供相手に何を言い出すねんみたいな絡み方をされだして。
うわぁ、イヤやな……って、毎日夜になる度に鬱になってたのを思い返します。寝てたら寝てたで起こしにくるし。逃げようないやん。
この一言が本当に忘れられなかった。シグルイのあの人ばりに、(この傷は二度と戻らんな)と泣きながら感じたのを覚えてます。
しかもこれ確か、母親の目の前だった気がするんですよ。なんか二人で揉めてて、俺が仲裁に入るじゃないけど、間に入ろうとしたらこうなったみたいな。
酔うと貯め込んだ本質が出るタイプの人っているじゃないですか。つまりはそういうことだったんだな、と。
それ以降、父親と心を通わすことは一切なくなった。もちろん話したりってことはあるけど、他人みたいなことで。
そんなこんなで、それでも気付いたら中学生になって、高校生になって。
第二の父親は家からはいなくなって、お金だけを入れながら、たまに連絡を取るぐらいの関係になって。
小中校まではすごい楽しかったんですよ。面白い友達もいたし。なんで急に大学でダメになったのか、不思議だなぁ。
母子家庭であんまり余裕のある生活じゃないけど、塾にも行かせてもらって、奨学金も出る。
大学にも行けるんだと思えば、ちょっとぐらいの家庭内のゴチャゴチャがあるぐらいで不幸ぶんなよ、俺よりひどいやつなんて山ほどおるぞと自分で自分を戒めたりもして。
そして母親の様子がおかしくなりだしたのは、このあたりだったと思います。ちょうど俺が大学受験を終えたぐらいの時分。
深夜、お腹すいたなーと思ってリビングに行くと、母親がワインと大き目なビニール袋みたいなんを用意してて、一人で黙々と飲んでて。
で、ちょっとなんか変な感じがして、母親の目から。据わってるって言えばいいのかな。とにかく、明らかに普通じゃないけど、普通を装うとしているのが伝わってくるような、そんな感じで。
無言でいるのも変なので、「なにこれワイン?家での飲んでるの珍しいね、いいやつなの?」みたいなことを訊いた覚えがあります。
うちは父親の件もあったので、母親とはすごく仲良しだったから。
思い返せば、極度のマザコンだったんだと思います。特に兄貴が遠方の大学にいってからは、実家には俺と母親の二人だけだったから。
とにかく変な雰囲気だったから、「お酒家で飲むの初めて見たかも!俺もひとくちもらおっかなぁ」みたいな、おどけてなんとかしようみたいなムーブをした記憶があります。
「いいよいいよ。飲んでみな」と、母親が余裕で許可をくれたことも結構意外でした。酔ってたのかな?分かんないけど。
ド深夜、テーブルライトだけつけたリビングの机、ワイングラス、謎の大きなビニール袋。
なんかすげえヤバイことになってんのかな?と。
なんでだろう、このあたりから薄々感じ取り始めたというか、そんな気がしました。今までにこんなことなかったよな?って。
そして寝て起きたら、横に母親がへたりこんでるんです。体育座りを右斜めに崩したみたいな恰好で。
俺は一瞬、本気で死んでると思った。でも慌てて抱き付いたら、ちゃんと体温も呼吸もしてたので、本気で安心したのを覚えてます。
えっえっ?ってなって、どうしたん?って聞いたら「いや、ちょっと……」みたいなことで、手元を見たらスカーフ?とハンカチを束ねて作ったような、首吊り用の縄?があって。
正直ワインのときから厭な予感はしてたから、メチャクチャ驚いたし、なんで?ってなった。
「それはだめだって、それだけはだめだよ。これからどうすんの?」って泣きながら問い詰めた記憶があります。
人間、本当に近しい人であれば、ちょっとした行動から、「なんとなく自殺しそうだ」というのが分かるものなんだって思いました。
マジでここらへんの記憶が、ずっと頭からこびりついて離れない。身体を下ろした時よりもキツかったかもしれない。
未だに良く分からない。要するに母親は、部屋のドアノブに縄を引っかけて、首吊り自殺をしようとしたんだと。
しかも俺の部屋のドアノブだった。誰のだったらいい、ということじゃないけど。この時には、兄貴はとっくに外に出ていたはずなのに。
首元を見たら、真っ赤っていうか、うっ血したようなアザになっていて、「失敗しちゃった」みたいなことを半笑い、作り笑いで言っていたような記憶があります。
未だに後悔しています。
あれだけ明確に希死念慮を見せていたにも関わらず、なにもできなかった。
母親がこのとき、俺に助けを求めていたのかは分からない。あるいは本当のショックを与える前に、「私は死ぬからね」という予告をしたのかも分からない。
兄にも周囲にも連絡をしなかった自分の愚かしさ。せめて身内だけには言うべきだった。
でも、言ってもどうにもならないんじゃないか、言われた側に負担を強いるだけになるんじゃないかと、どこかで想ってしまっていたのも事実です。
「母親が自殺をするかもしれない。どうか助けて下さい。」この言葉を俺はいったい誰に伝えればよかったのか、いまでもわからない。
救い方があるとしたら、それは俺がどれだけ母親が好きで、愛していて、感謝しているかということを、心変わりするまで何度でもいうことしかなかったんじゃないかと。
ちょっと早めに授業が終わったのか?サボったのか。正直どっちでもいいけど、俺は家に帰った。
なんだかすごい胸騒ぎがしてた。兄も俺も家にはいない。家にいるのは母親だけ。
ただいまとドアを開けた瞬間、やはり自分の部屋の前で、足元に椅子を置いて、スカーフで作った縄を首にかけて、うなだれて扉にもたれかかる母親を見つけた。
凄まじい衝撃と同時に、「やっぱりこうなった」とどこかで思う自分がいた。
首にかけているスカーフは素手では取れなかったので、キッチンからハサミを持ってきて、片方の刃で切り落とした。
抱き抱えた母親の身体は、思い返せば想像よりもずっと軽かった。
「誰か、誰か助けてください」と今までにいったことのような言葉を金切り声で叫びながら、居間の上にあおむけにさせて寝かせた。
兄は大学二年生で、本来なら学生寮にいたはず。この日はたまたま里帰りをしてきて、何かを読みに本屋にいってくるといっていた記憶がある。
もしかすると母親は、この日を待っていたのかもしれない。兄弟が揃う日じゃないと死ねないと思ったのか。分からない。
「ママが首を吊ってた。いま俺が下ろしたけど、意識がない。救急に連絡するから、すぐに帰ってきてほしい」
と言って、すぐに電話を切った。兄は「わかった」とだけ言っていたような気がする。
家の場所を伝えて、どうか助けてくださいというと、すぐに救急車と救助隊の方々が来た。
俺は人命救助の方法とかがまったく分からなくて、もしかすると心肺蘇生とか、胸骨圧迫とか、本当はいろいろなやりかたがあって、
待っている間にそれができていれば、母親を助けられたんじゃないかと思う。
でも本当に現実を現実として受け止められてなかった。頭がヘンに冷静だったのは、「こんなことになったけど、きっと助かるよな」と無根拠に信じ込んでいたからだと思う。
ハサミで深く切った指から血が流れていることに気付いた。痛みはまったく感じなかった。
俺「こんなんなっちゃったな」
兄「俺、これからどんな顔して顔あわせればいいかわかんないわ」
俺「そうだなぁ」
こんな会話を、兄弟で悠長に会話していたのをハッキリと覚えています。
ここまではすごくハッキリ覚えているのに、ここから先があいまいなのが不思議で、不思議で。
確か夜の病棟に運ばれて、「自意識が戻る可能性はない」と言われたこと以外は、実はほとんど覚えてないんです。
翌日の病室の面会で、意識のない母親を前に過呼吸になるぐらいに泣いてしまったことを覚えてます。
そして「自意識が戻る可能性はありませんが医療を続けますか?」というような旨を医師の方に伝えられて、「もういいです」と伝えたことは覚えてます。
そしてずっと病院に居るわけにもいかないから、家に戻って、母親のいない家で過ごして。
三日後か四日後、電話の連絡で「お母さんは亡くなりました」と同僚の方から連絡をいただきました。
母親の死に目に会わなかったのは、自分にとって幸運だったのか、不運だったのか、未だに分からずにいます。
わからない、本当に今でもわかりません。
あのワインの日から、自分に何が出来たかをずっと考えています。
間違いなくサインとなっていたあの日、ちょっとでも行動を起こす勇気が自分にあったのなら、もしかすると母親は今も生きていたのかと。
職業は伏せるけど、まだ未手術。
性別適合手術(性転換手術とも言われるけど、今はこの言い方が正しい)が金銭的にできなくてお金を貯めてる状況。未手術と言っても、ホルモン治療はしてるし、睾丸摘出はした。外見もほぼ女。何も言わなければ女としてしか扱われない。
どうせこんな落書き、まともな人は誰も見てないだろうけど、ここ2, 3年ほど未手術の性自認が女のトランスジェンダーが女湯に侵入するやら、女性専用スペースに特攻するだのと、mtfに対する偏見がひどい。こっちから言わせてみれば、未手術で女湯に侵入するやつなんかどう考えてもただの犯罪者じゃん、属性で語るなよとしか思わない。
トランスジェンダーが〜や性同一性(性自認)が女で身体的には男性が〜とか言う主語の大きい言葉は、これだから女性は〜と同じで差別の再生産してるだけだしそれを自覚すべき。特に身体的に男性って何を指して言ってるの?性器のこと?染色体のこと?みたいな当事者を煽るような言葉を使わないで欲しい。
なんでftmが出てこない?っていう疑問もあるけど、ホルモンの不可逆効果が大きくて表層に出てきにくいだけ、つまり、普通の男にしか見えないことがmtfに比べて多いから。
たまにTwitterで拡散されてる銭湯に未手術の性自認女が〜と言う件は、TERF(トランス排除的ラディカルフェミニスト)の扇動だし、海外では〜と語られるそのほとんどは日本では実現されないよ。
トイレや更衣室については、多少の配慮でどうにかなる場合も知らずに発言する人が多い。公衆浴場とは違って直接性器を視認できるわけでもない。未手術だとしても、ホルモン治療などで見た目もほぼ女性になって、女性として日常生活を送ってる人にとってそういった場所に入れないのは苦痛でしかないし、自分の元の性別をアウティングされる行為と等しい。男性用を使うたびに、怪訝な顔やジロジロ見られる苦痛で自分の身体性を再自覚しないといけないのは、本当につらい。
性同一性(性自認)が女でも男の女装にしか見えない人は残念ながら誰でもトイレを使うしかない。
それはまた別の方法で解決すべきだし、今すぐに解決できない問題だよ。
ジェンダーに理解があるふりをする人が多すぎる。わかってないなら、調べてからものを言って欲しいし、調べないならわかったふりをしないで欲しいし、むしろわからない方がマシ。
あと、知り合いが元男と知ってたとしても絶対に他の人に言うな、その一言で1人の人生がめちゃくちゃになるって言っても嘘じゃない。
何故自粛しないのか、する気が起きないのかってそりゃ「仕事に行ってるから」の一言に尽きる
普通に考えてさ
週に5日
毎晩のように「夜の街」に行ってる同僚がいる会社で
不特定多数のノーマスクで喚き散らすジジイや指舐めて書類めくるババアの相手するのと
週末に同居家族と買い物行ったり外食したりするのどっちがハイリスクよ?
ならないっしょ
毎日クソ不味いストロングゼロロング缶イッキ強制されてるのは放置されてて
週末に飲む好物のほろよいだけ「アルコールは人体に有害なのでやめましょう」とか言われても
うるせーーーーーー!!好きに飲ませろ!!ってならん?
それともみんな
「うんうん。アルコールの摂取量は少しでも減らしたほうがいいからストロングゼロと比べれば微々たるものかもしれないけどほろよい飲むのはやめよう」
ってなるん?
スゲーな俺はそこまで人間できてないんだわ
妻に伝える最初の一言が「カビがすごいから掃除しておいたよ。」なのがいけなかった。
もっと女性様には一切の責任は無くて回避不可能な宇宙の意思によってエアコンがカビだらけだった君は悪くないってことを丁寧に丁寧に伝えなければいけなかった。
だからお前が悪い。
無料で公開されている音声合成サービスが凄いと話題に「ボイロ殺しに来てる」「ベタ打ちで自然に話せる」
https://togetter.com/li/1704743
でCoeFont STUDIOがバズってて
はてぶでも話題だったんだけど
それに対してだったらgoogleのtext-to-speechつかえばいいとかいうコメントがあって
今更ながら俺はtext-to-speechの存在を知ったんだけど
https://cloud.google.com/text-to-speech/?hl=ja
デフォルトで用意されてる英文を読み上げてもらって自然さに感激して
なにげに文章そのままで日本語にしてみたら、いわゆるカタカナ読みで笑ったんだけど
俺はさいしょ、まぁ日本語のアルゴリズムだししょうがないよなって思ったんだけど
それで中国語に設定かえたらスゲーうまくて驚いた。
春から転職して新しく入った職場、障害者雇用の人が複数人いる部署だったんだけど、障害者雇用枠の人ではあるんだけどフルタイムどころが残業もしてるしなんなら全然自分よりバリバリ働いてる。
そもそも部署の上司とか人事とかからも何にも説明されていないんだけど、見た目でわかる障害って訳でもないから内臓なのか精神なのかわからんけど、障害のある人と働いたことないから、なんらかの配慮とかいらないのか…?なんか知らぬ間に相手にとって負担になることしてないか…?とか心配になってしまう。
障害者雇用のことを知ったのも「会社の社内報に入社した人の挨拶を載せてるから一言書いて〜」と人事部の人にいわれて去年の社内報を数ヶ月分みせて貰って、そこで読んで初めて知った感じ。
※記事タイトルに「ドナー提供」と書いてたところ人売りやんけというツッコミをいくつか頂いたので修正しました。
白血病へのドナーっていうと腰に針刺して採取した骨髄を移植ってイメージあると思うけど今回は末梢血幹細胞移植っていうやつです。
これを行う為の機械や医師たちが少ないっぽくてどこでもできるって訳ではないらしい。
このエントリは入院中の暇つぶしも兼ねてその日感じた事をだらだらと書き綴っただけのものなので読み物としては優れていないと思うのでご了承を。
・1日目
午前に入院手続きを済ませた後、病室へ案内されて身長・体重・体温・血圧・採血と諸々を計測、採取される。
今日は白血球を増やす薬を21時に使う以外はただただ時が過ぎるのを待つのみ。
16時現在、寝不足だったし軽く寝ようと思っても看護師やお世話になる先生が挨拶に度々来るので断続的な眠りになってしまう。ねむい。
ドナー側は朝に採血して夜に薬を使うサイクルを採取の日まで続けるだけなのでとにかく暇との戦いである。
18時に夕食。炊き込みご飯・焼き鮭・ふろふき大根・わかめサラダ・オレンジというメニューであるが、デザートとしてオレンジが用意されているというのにみかんがわかめサラダに混ぜられていた。
21時、消灯前に薬を2本皮下注射される。2本も打たれると圧迫でじんじんと痛みが出るんだって知見を得た。
その後意識は飛び飛びに、深夜3時に完全に覚醒。暇を持て余し虚無る。
・2日目
この日の朝ごはんはなかなかに雑なものだったが、初めて汁物が付いた。
お昼はカレーと味のしない野菜&玉子とフルーツゼリーのヨーグルト掛けみたいなやつ。
そうした事の副作用として発熱頭痛、骨の痛みなどが起きる場合があると説明された。
説明された途端にそんな症状が出てる気がしてきたが恐らく気の所為。
・3日目
深夜3時前には覚醒。暇を持て余しながら朝まで過ごす。
腰や背骨の骨痛について、痛みはあるが薬の副作用による物か半信半疑だったので朝は言わず。
昼前ぐらいに何をしても痛いことに気づいてこりゃ駄目だって事で痛みどめ貰って多少落ち着いた。
痛み止めを飲んだ後、暇だったので入院前にNETFLIXで予めダウンロードしてた「告白」を見る。
半分ぐらいまで見て、これは病院で見るべき映画ではないなって思いつつそのまま最後まで見た。
・4日目
3時頃に目覚め、6時頃に採血、8時に朝食のいつものルーティン。
初日と2日目の病院食は食べるのキツかったが、舌も慣れたのか3日目からマシになってきている。
特に3日目からは限られた塩分使用量でやりくりする中で美味しくしようという意図を感じる部分もある。
この日は日勤に推しの看護師が来てるので少し気分が楽になった。
翌日に末梢血幹細胞の採取を行うということで医師から説明があった。
説明内容は基本的には自分で調べても見つけられる情報とそう変わらないのでスムーズに頭に入ってくる。
白血球等を増やすためのG-CSFを打った後ってほっとけば自然に戻っていくか?とだけ、
不安でもないけど質問したところグラフに例えて説明してもらえた。今は毎日打って数値を上げていってるが打たなければスゥーと下がっていくらしい。
説明を受けてからどの血管から取るかを決めて、ペンで印を付けてもらった。
その後は夕飯→寝る→消灯前に注射→寝る→3時起床で暇を持て余すいつもの流れで5日目へ。
・5日目
3時起床してからフロアの共有スペースで時間潰したりして採血やら朝食の時間を待つ。
朝食は少なめに食べてほしいと言われていたのでご飯半分ぐらい残す。
10時30分からついに造血幹細胞の採取になるのでそれまでに絞り出すように排尿しておいた。
そして採取。まずはベッドに寝かされ、機器の準備を医師たちが進めていく。
血液を遠心分離すると3層に分かれて真ん中に目的の造血幹細胞を含む白血球や血小板などの薄い層ができ、それを回収して残りを体内に戻すって感じ。
患者側の暇つぶし用にノートPCなどを予めOK貰っていて、医師がわざわざ電源など配線してくれてとても助かった。
ヘッドホンの装着までして患者の暇を潰す準備が整ってから腕の血管を品定め。
左腕の血管がキレイに真っ直ぐですぐに出てくるって事で医師たち3人にめっちゃ褒められた。
両腕の血管に管を通し、右腕から機器へ吸い出し、左腕から体内へ戻す。始めは血管をスゥーっと冷たい感じが流れていく。
抗凝固剤としてクエン酸を使用している関係で体内のカルシウムへの影響があり、身体の一部が痺れる場合があるという説明を事前に受けていたが開始直後にそうした症状が現れた。
副反応が出るの早すぎて焦ったが、「温かいの入れます」との事で何らかの操作によって身体の血管を温かい感覚が駆け巡り、その感覚の最終地点は何故か股間であった為にまるで漏らしたかのようなジンワリとした温かさを股間に受けてソワソワするなどした。
(その温かいやつについて終わったら質問しようと思ってたけどし忘れて後悔してる)
そんなこんなでしばらく採取を続けているうちに、痺れについても検査の数値上問題ない範囲であるが出ているという事で感受性が高いっぽいという話になった。
無理に我慢するつもりもないが、極々軽い痺れ感については自分もスルーすることにした(数値上誤差レベルでしか変わってないっぽかった)
右腕は動かせないまま4時間は暇になるのでノートPCで適当に音楽を再生してリラックスしながら採取することに。
一応NetflixでDLしてた映画もあったけどどうせ見るならもっと集中できる状況で見たい。ので音楽のみ。
初めてということもあってか割とあっという間に4時間が過ぎたという感覚だった。
身体からの血液の送り出しがどうもなかなか安定しなくて腕の角度を変えたりとか、クッションをにぎにぎしたりで安定させていった。
後半は寝落ちしそうになると「にぎにぎしてー」という声で起きてにぎにぎした。
送り出しも安定するならそこまで手間掛けずともリラックスして寝てれば終わるみたい。
終わった直後、痺れについて患者によって表現が違うから症状の伝達が難しいと医者と談笑してた。
終わった後は立てなくもないし歩けるが、ちょっと不安を覚える程度には万全ではない状態。
車椅子で病室に送ってもらいこれで採取は終了。明日の結果を待つのみ。
採取した成分量が足りなかった場合に備えてこの日の夜もG-CSFの投与がある。翌日の結果次第では翌々日に再度採取→更に翌日に退院となる。
この薬による骨痛にもすっかり慣れてきてしまい、別に全然耐えれなくはない痛みだけどあったらあったで微妙に身体が怠く感じるしとりあえずロキソニン飲んどくか、って感覚。
地味な痛みでしかないんだけど看護師からは「痛くなったらすぐナースコールして」と言われてて、しかしそこまでするほどの痛みじゃないので深夜は遠慮してしまう。他の患者起こしちゃうし。
・6日目
4時ぐらい起床。3~4時ぐらいに見回りに来る看護師に毎回会釈してしまう。
朝の検温等&採血時に(骨痛による)腰の痛みについて10段階でいくつか、と聞かれて「3ぐらいで全然耐えられるけど耐えたところで徐々に痛みが強くなったり別の場所も痛くなる」と答えた。
事情は分からないけどあんまりロキソニンを出したくなさそうな雰囲気を感じてる。
この日は前日採取したものにどれだけ移植に使える細胞が含まれているかの検査待ち。
15時ぐらいに医者が病室に結果を伝えに来てくれ、移植7回分の細胞が取れたらしい。
ということで明日退院となる。することは終わったし、飯食って一泊してからでなくこのまま今日退院でも良い気がするんやけどな…
まぁ病院側の手続きの都合もあるんだろうと勝手に納得しておく。
・7日目
いつもどおり4時半ぐらい起床して共有スペースでまったりして時間潰して、ベッドに戻りだらだら。
あとは退院の時間を待ち、病衣代などの会計を済ませて家族の迎えを待つ。
迎えが来て無事退院。ナースステーションに一言感謝伝えたかったけど道中で移植コーディネーターの人に話しかけられて忘れてた…
・退院後
先日の採取の影響か体力が落ちてて、なんとなく動き回ったらすぐに息切れするんじゃないかってのが感覚的にあった。
そして帰宅後シャワーを浴びたらそれだけで疲れてしまった(入院中の垢を念入りに落としてたのもあるが)
シャワー後、午後2時に横になったらそのまま寝てしまい20時。
翌日は夕飯を友人と外食にした。
安価なチェーン店であるが個室の焼き肉食べ放題なので今のご時世でもまぁまぁ安全ははず?
食べ始めはあまり食欲はなかったが、食べ進めていくうちに食欲が湧いてだいぶ元気になった。
その翌日からは体力はかなり回復したように思えたのでやはり肉は偉大である。
退院後など気分が落ち込んでる人は肉を沢山食べよう。肉には人間に幸福感を与える物質が含まれてるみたいな話をどっかで見た。
医療処置による特別な制限も特に無いので、一般的な入院による不便が大半を占める。
G-CSFって注射の副作用が人によっては強く出るかもしれないのでそれによる体調の変化はしつこいぐらい確認してくれる。
ドナーの主観的な内容でも公益性があるかなって思い、これを書かせていただきました。
沢山のブクマありがとうございます。
ドナーになるキッカケについて気になっている方もお見かけしたのでそれだけ説明します。
ドナー側の体験ということで意図的に記述を避けていたんですが、実は骨髄バンクでの提供ではなく親が白血病になり、骨髄バンクに完全一致のドナーがなかったために必ず白血球の型が2/4一致する子である自分がドナーとなった形です。臍帯血バンクには候補となるドナーがありましたが、臍帯血の場合は細胞量が少なくて生着しない恐れがあるが末梢血幹細胞移植なら生着不全のリスクが低くなるので医師と相談の上そちらを選びました。(しかし型は半分一致なのでドナーの免疫が患者の身体を攻撃するリスクがあるので薬によってそれを抑える方針)
ですので骨髄バンクからのドナー提供とは少し前後の流れが違うかもしれません。
なんでそれについて書かなかったかというと、Twitterのフォロワーに共有しようかなと思ってたけどあまり重く受け止められてもお互い気を使っちゃうしと考えてました。