はてなキーワード: ブルーシートとは
土曜日、待ちに待った週末だ。
人身事故が起きたのは一目でわかった。
いつも通る踏切の前だった。
駅に向かうとけたたましいサイレンと階段に座り込む人々でまさに混沌を極めていた。
いや厳密にはすんでのところで止められたのだ。
見も知らぬおばさんに手を引き止められ大声で怒鳴られた。19歳のときだ。
家出しようと思って友達に既読無視されたとき、ああ自分は誰からも必要とされていないんだと思って身を投げた。
その日は土曜日だった。
実際本当にそうなると思っていたのだろう。そう思いたかったのだ。
でもたった50分で電車は復旧して、もう90%の人は運休の話をしていない。
君の策略にいとも簡単に嵌っているのは、この世界で私しかいないんじゃないかと思ってしまうくらいだ。
歩いて隣町に向かったのも友達との予定が遅れたのも、何も迷惑に思えない。
でも君はこんな日に何を思って身を投げたのだろう。
暑さが止んで、これから始まる秋に何を思って身を投げたのだろう。
今これを書きながら、電車に乗っている。
私は君になるかもしれなかった人だ。
君はそうなりたくなかったのかもしれない。
第1次判定の通常の処理ですね
https://www.bousai.go.jp/kaigirep/kentokai/higainintei/01/pdf/shishinall.pdf
<<第1次判定>>
■パッと見、住家が全て倒壊してますか?
いいえ
↓
■一部の階が全て倒壊していますか?
いいえ
↓
<<第2次判定>>
■パッと見、外壁または柱の傾斜が1/20以上ですか?
いいえ
↓
■1/60以上、1/20未満ですか?
はい → 損害割合15%です、部位別損害割合の計算に進みます
いいえ
↓
<<第3次判定>>
被災により柱がズタズタな古民家や屋根がブルーシートで覆われているような古民家に対して「被害なし」の認定を連発しているよ。
基本的に倒壊や傾きがなければ半壊にすらなり得ません
昔の立派な家は本当に丈夫で、100年前の家でも柱の傾きがゼロというのは十分にあり得ます、何軒も見てきました
大丈夫です、町は死にません
Iターン勢は中核どころか外殻です
「り災証明書」の発行に必要な被害認定調査 市の判定に不服として2次調査に約300件申請 《新潟》
https://news.yahoo.co.jp/articles/752fcf0a3349d59ae66155bfbeaaa33d53f0d573
はてなブックマーカー様におかれましては、
罹災証明書を受けたり公費解体や生活再建補助金をもらうための第一のステップである被害認定作業のほとんとを県外都市部自治体からの応援職員が行っているよ。
スピード優先で「立っているか」、「立っていないか」ぐらいの判断で被害認定を行っているよ。
そのせいで倒壊は免れたものの、被災により柱がズタズタな古民家や屋根がブルーシートで覆われているような古民家に対して「被害なし」の認定を連発しているよ。
住民は避難所や2次避難中で不安でしかないなのに生活再建ができないと絶望しているよ。
一部の元気な人たちや義憤にかられた漁師たちが、市役所に2次調査申込で怒鳴り込みに来て怒号の能登弁をまくしたてたことろ、応援職員が号泣するという地獄の光景がひろがっているよ。(七尾市は漁師町です)。
このまま被害なしとすると公的解体も補助金も支援が受けられないので、住民が七尾市から逃げ出す算段を始めているよ。
特に東京や大阪から移住してきた古民家リノベIターン勢は、2次調査まで待ってらんないので、このまま支援を受けられないなら実家の都市部に帰ることを決断し始めたよ。
https://kobe-note.jp/n/n9629ec5abf7a
ここに書いていることは、おおむね同意。
これから本格的に、寒くなるのに時期が悪すぎる。
まるで老々介護だし、このままで持つとは思えない。
上下水道の復旧も住居も
一日だけのボランティアなどは、
集団移転をすべきなのか、
なんとかならないのだろうか。
マジで、みんなで何とかしてほしい。
自分は対して役に立ててなかったと思うし、
もどかしくて仕方ない。
___________________
皆さんが、すこしでも考えてもらえて、うれしいです。
> どんな能力のボランティアがどこに入って何をするべきなのか具体的に頼む。
> 例えば私がボランティアに行っても上下水道の復旧とかできないのだが。
家については、今は片づけでなく(雪がふってしまったし。。。)
> で、どこの自治体もボランティアを受け入れるキャパないようだけど?
なので、近隣県の社協がまとめて入ってくるなど、
早急に受け入れ態勢を強化すべきと思っています。
地元の方とも触れ合えないのですが、
> 2次避難の希望者はどうやったら増えるのか、困りましたねえ
本当にそうです。
その時まで支えることが必要ですし、
と思っています。
そこは結局「ゴミ出しってどうなってるんだろ?」って調べて市の広報に従うっていう「マトモな人たち」の良心に賭けてるんだと思いますわ
「ゴミな。いっぱい出るよな。分かってる。でも焼却炉稼働してないからな。ゴミ置き場も確保出来てないし
って感じですかね(役所だから「普通に考えたら分かるよね?この惨状でさ。災害ゴミとか処理出来るわけないよね?」とは絶対言わない)
ウチとこの大地震の時は、巨大なゴミ置き場を確保するまでゴミ出しなんぞせんかったし収集も無かったと記憶しとるわ
ゴミカスみたいな市町村だと思うけど、「集めに来る予定も無いゴミ置き場にゴミ山盛り放置」なんて気の触れたことする住民は居なかったなあ
そんで、落ち着いた頃に通りかかった巨大ゴミ置き場の凄まじい災害ゴミに絶句したね
あれを集めて処理してくれてる人たちに大感謝だったわ
黄色い札貼られた家とか、ブルーシート引っ被った家とか、割れて盛り上がってる歩道とか、「なんか景色違う。ああ、ブロック塀崩れたのか」とか
そんな異様な世界で日常を失いそうになるけれども。そんな中で、当地は関東甲信越なのに大阪ガスの人がガス漏れとかの点検に回ってくれてるとか
県の反対側の端っこ(300km以上離れてる処)の消防の人が巡回してくれてるとか、自衛隊の炊き出しとか風呂とか巡視船のプール風呂とか「○○(地名)の湯」とか
とにかくめちゃくちゃ有り難くてほっこりしたわ。人の手助けに癒やされる
(速攻でパンを寄越してくれる山パンやおにぎりを寄越してくれるローソンとかも有り難かった
万年床な私が、ベッドを買ったもんだから合わないのか、「うとうと」することが多くなった。
とある睡眠アプリによると、人間の睡眠サイクルには「うとうと」があり、この時に人間は夢を見ると……
それは悲しい気持ちになる夢だった。
端的に書くのならば、身近な人がなくなる夢だった。
私は色々なことが重なり、この年になっても身近な人の最後を迎えたことがない。
そう、もう良い年です。
社会人にもなり実家からは離れたものの、自分自身の家庭をもつようなことはなく、独身貴族を謳歌する日々。
そのような私の生活の中でどれほど家族のことを想っているのだろうか。
最近では、食事のときも、目を閉じたときも仕事のことを考えているというのに……
悲しみに明け暮れるのだろうか。
私は、それでも仕事をするのだろうし、出来るのだろう。
……でも、私になにかあれば、家族は悲しんでくれるのだろう。
会社の同僚たちは、困るだろうな。まぁ、でも何とかなるだろう。
隣近所の人たちは、困るだろうな。大家さんも、でもどうしようもないね。
日本の政治家の先生方は、こま……困らないだろうな。今日も喧々諤々たる国会を開くのだろう。
この星・地球は、困らないだろうな。今日も明日も太陽は昇り、季節は巡る。
そう、たとえ私が亡くなったとしても、この星や人類の歴史からすると些細で何ら影響のないことなのだろう。
それでも、私の日々の生活に何か意味があると思いたいのは、社会生活をする人間のエゴなのだろう。
だからこそ、私は身近な人が、そのような最後を選択するのは悲しいと思う。
彼が、色々と悩んでそうなことは伺える。あまり力になれていないのも知っている。
只々、話がしたい。私にじゃなくてもいい。
夢の内容を補足しながら書くとこのようになる。
私は、駅前にある塾が入っているようなビルのような場所で、何かの試験を受け終えたところだった。
私も帰ろうと思い、エレベーターを待つものの人が多くて、乗ることが出来ない。
同級生の友人が「ここは3階なのだから、階段のほうが早い」といい、私もそうかと思い階段を降りることにした。
階段を降りた先には、(なぜか)主要駅の乗り換え案内があった。
(場面がとんで)
私は、おそらく昼下がりの穏やかな晴天のもと、数人の友人たちと街道から入った細道を歩いていた。
前後には、同じような同級生のグループの姿が見られたので帰り道なのだろう。
ふと振り返ると先の主要駅が見え、多くの同級生たちが並んでいるのが見えた(気がする)。
それを見た友人が「こういう抜け道を知っているのは、地元民だけあるな」みたいなことを言っていた。
私達は、主要駅で電車に乗らずに、歩いて行った先の駅から電車に乗ったようだ。
その電車は、いわゆる各停だったので、目的の駅には行かないため、少し先の駅で電車の乗り換えが必要だった。
なので私達は乗り換えのために、駅のホームに降りた。
電車はすぐには来なかった。
最初に来た電車は、(なぜか)特急に変わり、急発進していった。
私と友人はようやく来た電車に乗り込んだ。そこには先に乗っていた同級生が二人いた。
私達の四人は、なんやかんや言いながら電車の中で話ししていた。おそらく、先の試験のことでも話していたのだろう。
(すくなくとも)私は、目的の駅についたようで、電車から降りた。
(突然だが)駅のホームには、母がいた。
私は、母は弟と先行していたと思っていたので、「弟は?」と聞いたが、母は「誰かいるの?」と聞き返し足元を見た。
母の足元には、なんだか小さな、とはいえせいぜい小学生低学年程度の子供がいた。
やや髪が長く女の子のようにも見えたが、笑った顔がそっくりだった。その子は、駅のホームを走り去っていった。
「弟の小さい頃に似た子がいた」と私がつぶやくと、「昔は外で遊ぶのも好きだったから来てくれたのかもね」と母は言う。
「……え」
母は、駅のホームの前方を見ながら話す。
「(近くの人、もしくは駅員)が教えてくれたの」
私は、前方に行く。人だかりがある。
目が覚めた。
そんなわけでプレイでローション使うのが好きなわけだが、先日、代用品として納豆を使ったことがあるという嬢にあった。
そんな人にはなかなか会えないので、興味わいていろいろ話を聞き、知見を得られたので残しておく。
最初は冗談かと思ったが、変なリアリティーがあって、もしものときに使えそうではある。
・一人10パックくらいが目安。風呂桶に二人分をいれ粘りけを出す。ヌルヌルを増やすため水を入れることを推奨
・ベッドにブルーシートかぶせプレイを推奨。シーツなどにこびりつかないで楽しめるとのこと。
・だし入りのタレは臭いニオイに興奮する場合や粘液フェチには推奨。肌が弱いとかぶれるのでそのときは入れるのやめておく
・プレイしているうちに水気がなくなるとベタベタ体がくっついて剥がすときに痛い。
・ホテルの部屋の水捌け悪いと詰まるので浴槽にお湯ためて中で体についたものをとるのがよいとのこと。風呂の床が滑りやすいこと多いのでつかまる場合があるとよいらしい
他にもいくつかあったが、ド変態ぶりにドン引きしてよく覚えていない。
嬢によるとつぶつぶローションみたいな感覚、ネトネト糸を引く感触と、あの納豆臭い匂いがたまらないそうで、いけないことをしている背徳感も手伝い、癖になって何度もやっているらしい。
ヌルヌルはともかく、あのニオイに興奮するのはなかなかの変態だなという感想。
あと片付けを考えたら実行する気が半分失せた。
お盆幽霊増田が居たから思い出したんだけど、昔歩いてたら上から人間が落ちてきたことがあった。
取引先の会社へ打ち合わせに行く途中で、当時は遅刻癖がひどくてその日も遅刻しそうだった。
まぁ仲良しのゆるゆる会社で打ち合わせと言っても半分楽しいおしゃべりみたいな感じだったのもある。
それでも一応速足で歩いてて、広い歩道と道路のあるビジネス街で日中なのもあり人は疎らだった。
銃か爆弾でも打たれたんだと思ったね。よく見るとそれは5mぐらい先のビルからした音だとわかった。
バーンとデカい音で割れたのは1階のラーメン屋の軒先、くすんだガラスのひさしのようだった。
この時はまだなんでコレが割れたのか全然わからず、茫然と突っ立っていた。
近づく勇気も起きず、その場から目を凝らすと割れたひさしの下に何か黒い丸い塊が置いてあった。
本当に想像もつかなくて、なんだろう?と考えているとお店の主人らしき人が出てきた。
後々考えるとこのラーメン屋の人可哀想にも程があるのだが、店員と取り囲んで黒い塊を眺めていた。
この間マジでどうしたらいいのかわからなくて(それぐらいデカい音がしたのだ)ずっと突っ立っていた訳だが、その内に人がたくさん集まってきた。
世の中には勇気がある人がいるもんで、自分よりみんなどんどん近づいていく。すごい。
近くの背の高いサラリーマンは冷静に救急車かなんか呼んでいた。更に向こう側にいるサラリーマンも呼んでた。
自分はまだ突っ立っていたのだが本当に関心した。誰も消防車を呼んでいないのである!!はフィクションだったんだ。ちゃんと呼ぶ人は重複しても呼ぶ。
というか、さすがにこの辺りまで来ると自分もその黒い塊が何なのか理解できてきて、改めてそのビルの上を見た。
ビルは9階建てで、1階のラーメン屋から上は住居?か何かなのか、特に何も書いてなかった。
ははぁ、屋上から落ちてきた物体がガラスのひさしを割ったんだなぁ。この、黒い、丸い塊が・・・。真昼間に・・・。
ガラスの割れた大きな音はしたが、それが地面に当たった音はわからなかった。
恐らくひさしに当たったことで衝撃が弱まったんじゃないかと思うが、本当に丸かった。何なのか理解した後もどういう形なのかわからなかった。
よくサスペンスものとかで四肢が千切れて・・・とか脳髄が・・・とかグロいのがあるけど、この時の記憶が強くて偽物っぽく見えるようになった。
液体が飛び散っている様子すら無かった。もちろん飛び散るパターンもあるのだろうが。ちなみにまだ突っ立っている。
そして丸いなぁ、どういう形なのか?と遠目から理解しようとしていた所に、店主がブルーシートを持ってきた。
黒い塊を覆ってしまったのだ。
この時感じたのは、「アレは物体だったんだ」という感覚だった。
もし、息のある・・・意識のある・・・生き物だったら、ブルーシートはちょっとかけないんじゃないか。
毛布とか、布とか・・・。あと店主も店員もずっと黙っていた(ように見えた)。声をかけなかった。
だからあの黒い塊は、もう「物体」になっちゃってるんだ・・・。と思った。
よくよく考えたらブルーシートを毛布代わりにしてたかも、とかなくもないが、でもぐるっと巻いちゃったのである。
「物体」が見えなくなってしまって、ふと我に返り、自分が打ち合わせに行く途中だったことをついに思い出した。
人垣をかき分けて急いで会社に向かった。
遠くからパトカーの音がして、気になったがこれ以上見てても嬉しい出来事は起きないだろう。
取引先の会社につくと、担当者2人を窓口で呼び出して、嘘でもないので遅刻の理由を伝えた。
「あの・・・さっき・・・人が上から・・・落ちてきて・・・」とそんなヘタクソな嘘ある?みたいなセリフが出てきた。
どんな顔で言えばいいのかわからなすぎてモニャモニャしながら説明したが、2人とも驚きつつも信じてくれた。
というか「マジで?!」とインターネットで検索し始めた。嘘じゃないので既にSNSとかに書かれていた。幻ではなかった。
そんでまぁ仕事はせねばならないので、とりあえずこの話は切り上げて3時間ぐらい打ち合わせをした。
担当者と別れて帰路についた時、なんとなくあの道を通るのが怖くて、対向車線側の道で帰ることにした。
随分広い道路で、例の場所も遠目にしか見えなかったが人っ子一人居なかった。
当然パトカーも救急車もおらず、それどころか何も知らないサラリーマンが普通にそこを歩いていた。
当たり前のことだが、知らない人にはなんでもない道だ。3時間前にそこに何かが落ちていたなど知る由もない。
この後もなんどかこの道を通ることになり、その度どうしてもビルの上を確認してしまうようにはなったが、
自分が知らないだけで他のビルだってもしかしたら同じことがあったかもしれない。
ちなみに数週間後にその道を通ったらその付近だけ道路の色が変わっていた。なんででしょうねぇ。1階のラーメン屋は少ししてから閉店した。可哀想に・・・。
家に帰ってから担当者から連絡があり、「あの人生きてたみたいですよ」と教えてくれた。
そうなのか、そうなのか~!生きてたのか~!よかったよかった。本当に良かったと思った。
自分でも気になり調べてみた。生きてた、という記述は見受けられなかったが、そもそもSNS以外でその話題について話している人が居なかった。
近所の火事ですらニュースにならないのだから、人間が落ちたぐらいでニュースにはならないのだなぁ。と思った。
人間は知らない所で適当に落ちている。自分があともう少し早歩きしていてぶつかったりしたらニュースになったろうが・・・。
しかし、本当に生きてたのだろうか。誰かの正常化バイアスを担当が勘違いしただけなのではないだろうか。
現場にいた自分が生きてたか知りえなかったのに、一体誰が?ブルーシートにくるまれてたし、本当に・・・・?
もう10年ぐらい前の事で、その会社にもいかなくなったし、担当者にも会わなくなったが今でもそういう描写のある映画や小説を読むと思い出す。
よく目が合うとか言う怖い話あるじゃん。あんな速度で落ちるもの視認できないよ。いやわからない。落ちる側は見えるのかもしれないな。
間違い電話の折り返しで母と話したとき,祖母が数か月前に亡くなっていたと教えられた.
祖父はかなり前に他界している.祖母は一人暮らしで痴呆症も進行し,介護施設に預けてから大分経っていた.
最期は呼吸が困難になり苦痛でのたうち回った.母は何度も病院に呼び出され最終的に看取りはしたが,火葬などの手続きは叔母に任せたそうだ.
年齢的には大往生と言ってよいのだろう.祖母には末っ子の一人っ子として幼少の頃は大分可愛がられた.
母から伝え聞いた話によると医者を志していた才女だったようだが,時代や親族がそれを許さなかったそうだ.
おぼろげながら思い出せる会話からも教養の片鱗は覗かせていた.
2DKの狭い実家にほぼ毎年帰省してはいたが,親子間の関係はかなり冷え切っていたように思える.
理由ははっきりしていて,母は幼いころ大叔父にレイプされたそうだ.
母は我慢強い性質ではあるものの,全てを隠しとおせるほど強靭ではない.
当時も周囲に告発したものの,祖母,つまり実の母には「お前が股を開いたんだろ」と言い捨てられたらしい.
そのときの母の絶望は想像に難くないが,当然ながらそのやり取りは姉弟にも知られ,親子関係は破滅した.
私はその経緯を学生の頃,母から涙ながらに電話で教わる.まさに青天の霹靂だった.
因果関係は不明だが,母は障碍者手帳を持つ程度には重度の双極性障害で,私は虐待を受けていた.
短気で仕事に没頭しがちだった父と母は相性が悪く,離婚していないことが不思議なくらい夫婦仲はよろしくない.
小学生の頃,母に連れられ不倫相手の家に泊まったこともある.当時はポケモンカードを買ってもらい口封じされる程度には単純だった.
いつしかその行為も終わったが当時専業主婦だった母は精神を病み,私を風呂場に閉じ込め,叩き,包丁でお気に入りの自転車のサドルをめった刺しにした.
私は逃げるように県外に進学した.小中高大院と全て国公立だったが塾に行かせ,学費も負担してくれる程度には父は稼いでいた.
勉強や研究は楽しかった.指導教員にも恵まれ,JASSOの奨学金も返済免除となる程度には業績も評価された.そこに件の電話が来た.
私は病んだ.祖母を憎悪し,母を憎み,父を恨んだ.祖母に無邪気に懐いていた自身も悍ましく思った.
ほどなくして不登校となり,カフェインのLD50を調べエスタロンモカをがぶ飲みした.ブルーシートを敷きドアノブを使って首を括ったが死ねなかった.