2021-04-29

伊是名さんのJR乗車拒否(?)問題に思いをはせる

最初炎上したときなんだかなぁとは思っていた話題なのですが。

社民党から出されたこちらの声明(https://note.com/sdp_japan/n/n5ae62868e4f2)が話題になっているのを本日見て、ふとそのとき気持ちを思い出して考えていたらなんとなくネットにのせてみたい話を思いついた気がしたので書いている次第です。


結論から言うと、僕は伊是名さんや社民党意見には全く賛同できません。

理由は単純で、この件に関してはJRに非がないと考えるからです。


僕は健常者です。

なので、障碍のある方々の立場生活というものはいくら想像してもやはり理解することは難しいのだろうとは思います。だとしても重ねて言いますが伊是名さんや社民党意見には全く賛同できません。


こういった形の炎上の大半は起こった『不利益不条理』の中に潜む相手方の悪意を前提に話が進み、どんどんと話がよく分からない方向へ展開していくように思います

この件では伊是名さんが『目的の駅へ行くのに大変な苦労をせねばならなかった』という『不条理不利益』に対し、伊是名さん側はJRの『怠惰』という悪意を前提として話しているように感じます。伊是名さんはかなりの重量がある電動車いすに乗らなければ生活ができないそうです。ことの発端となったのは旅行の際の目的駅が無人駅階段しかなく、事前連絡がないと人員の配置は難しく電動車いすを運ぶ対応ができないため隣駅での降車をお願いされたことです。この出来事を伊是名さんは『JR車いす乗車拒否されました(http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html)』とブログに書き、車椅子ユーザーへの無理解が原因で問題が起こったとの立場JR批判しています。このブログに書いてあることからJRは怠けていると伊是名さんが言っている』と引き出すことは暴論ではないでしょう。

このブログものの見事に炎上します。批判側は、タクシーの予約は1か月かかること、目的駅に階段しかないことなどを把握している(※上記ブログ参照)のに事前連絡を怠ったことに同じく伊是名さんの『怠惰』という悪意を見出し批判します。 

そして、ここからマスコミへの連絡を用意してるとかそもそも炎上目的なのでは?』という伊是名さん側の純粋な悪意を想像したり、『結局運んでもらった(※上記ブログ参照)のにありがとう一言もないというのはなにごとか』という何よりもまずお気持ち問題論がたくさん出てきたりして、どんどんと伊是名さんの人格攻撃方面へと進んでいってしまい色んな方向に矢だの鎗だのが飛び始めます


そしてこれが他の障碍者の方に刺さって『出かける度にありがとうと言う、つまり毎度誰かの手を借りなければ生きられないうしろめたさはやっぱり理解されない』という悲痛な叫びになったり、逆に『幼いころ横柄な障碍者の方にさんざんな目にあわされたのに、障碍者相手ということで親や教師はなにもしてくれなかった』という健常者の方の怨嗟の声になったりしています

話を戻したいのですが、問題は単純に『車いすユーザーの方が、車いすであるがために目的駅に行くのに大変な苦労をした』ということです。

すべての人が、どんな人であろうと望む場所バリアなく行けることが望ましいということに反対するような人はほとんどいないでしょう。逆張りして反対を表明する人がいたとしても寒すぎて誰にも相手にされない程度に圧倒的に。


ここまで攻撃的な話題になってしまったのは、最初に言った通りどちら側も相手に『悪意』を見出そうとしてしまっているからだと思います

わかりやすく言えばどちらも『お前が悪い』と言ってしまっているからです。そして、もともとの問題そっちのけで自分の側から見て悪く見えるところをあげつらって攻撃が止まらなくなってしまうという話なのだと思います


無人駅人員を配置してなかったJRが悪いのか? 事前連絡をしなかった伊是名さんが悪いのか?

どちらも全く『悪く』ないと僕は思っています



話が少しそれるようなのですが、歳を重ねてから僕は『しょうがない』という言葉が大好きになりました。

不貞腐れたり、できっこないと可能性を否定するために使われることもありますが、僕は現状をしっかりと見据えるための言葉として好んで使います


今できないことは『しょうがない』。ではできるようにするためにはどうすればいいか?と、今を理解して次の一歩を考える言葉として考えています


先ほども書いた通り、社会バリアフリーは推し進めていくべきです。ですが、現状そうなっていないのはしょうがないのです。JRバリアフリー化に対し少なくとも悪意を持って遅らせてはいないでしょう。

そして、企業として余分な人員を余らせておけないのもまたしょうがないのです。

こういう話になると近頃では『健常者の無意識差別だ』という論調が出てきますよね。だからこそ、冒頭のなんだかなぁという気持ちだったわけなんですが。

長くなったんですが実はここからネットに書いてみたいと思った思考実験でして。

無人駅バリアフリー化されていないのがJR怠惰拡大解釈すると健常者の無意識差別だというのであれば、女性子供でも簡単に持ち運べるような車椅子が開発されていないのは車いすメーカー怠惰、同じく拡大解釈すると健常者の無意識差別という話も成り立つのではないか

ということです。

どういうことかというと『駅がバリアフリーだったら車いすでも行けたのに→差別』という図式が成り立つのであれば、『車いす簡単に運べれば車いすでもいけたのに→差別』という図式も成り立つのではないだろうかという、バカみたいな話です。でも、正直バリアフリー化を進めるのに必要時間お金と、軽量な車いすを開発するのに必要なそれって同じくらいなんじゃないでしょうか。


自分で書いててもバカバカしくなってきてしまいましたが。でも、正直『今現在バリアフリー化されてない駅がある』という事実を『健常者の無意識差別』に結び付けるのは、同じくらい馬鹿馬鹿しいと思ってます

何度でも書きますが、社会バリアフリーは推し進めていくべきです。ですが、現状そうなっていないのはしょうがないのです。誰かがズルをしたり、怠けたり、悪いことをしたりしているのではないのです。


違う属性相手に『無意識の悪意』を見出し攻撃する活動は、もう限界にきていると思っています

願わくば対話相互理解相互理解のまま受け入れる寛容さによって融和が実現する社会にならんことを


酒がうまい

おやすみなさい

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