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2019-06-10

引きこもり一歩手前です。コミュ障をできるだけ安く治療したいです。

引きこもり一歩手前です。コミュ障をできるだけ安く治療したいです。治療方法体験談、良書を教えていただけるとありがたいです。

生きていて苦しいです。精神科心療内科にも度々かかります先生が怖くなり途中で通院できなくなります

このままだとクビになります。何とかしたいです。

以下自己紹介です。

 

アラフォー

給料安い会社員

・夫が発達障害もち、子供なし

実家機能不全家庭

常識が無い

・自臭症

自分を汚いと思っており、人にお土産お菓子をあげるのが苦手

自分価値観を変だと思っていて、例えば化粧室で化粧品必死に隠そうとする

・人が怖い、お金を払った相手店員さんなど)ならぎりぎり会話可能

・人が怖いため職場でめちゃくちゃな対応をしている(報連相が遅い、メールで済ませようとする、質問できずに仕事して変な成果物を作るなど)

調子が悪い時1日のほとんどが不安感との戦いで、それを緩和するため色々な依存先(アルコール、暴食、カラオケ)に走り、平日でも夜中2時ぐらいまで外をうろついていて、体調悪化、金(自分の小遣い)が無くなる

調子が悪い時仕事に行けずに度々休んでしま

職場の人たちと育ちに差があって実家のことをまったく話せない、帰省シーズンは毎回苦しい

・夫を愛しているし今は特性との付き合い方も慣れ、家庭内はなんとかやっているが、職場で夫のことを話せない

職場家族のことを話さないと浮いてしまうのだが、上記理由でいまだにうまく話せないため結果ランチ飲み会を避けてしまい、変な人になっている

職場で、コミュ障の扱いがうまい人や同じくコミュ障の人とはうまくいくが、アットホーム職場や話し方がキツめの人とだとすぐ潰れる

 

小学校高校のころ

田舎すぎて多様性が無い環境

小学校高校まで、無視悪口などのイジメを受けた

・母が嫌々生きている感じだった

・母から褒めてもらった記憶が無い

・母、祖母が私の友達友達の親の悪口を言いまくっていた

・母が私の部屋を勝手に片づけた、見られたくないものをたくさん見られた

・母から何か聞かれたとき回答に困っていたところ「もじもじしてなかなか答えないの大嫌いだ」と度々言われた

祖母が気分屋で、家事や畑仕事など常に手伝っていたのにそのうえで突然家事させられたりして落ち着かなかった

祖母が親戚が集まる場で、私のことを「父・母に似て」ではなく「(祖母の娘の)〇〇に似て頭がいい」と言って不快だった

バブル崩壊

・父が仕事がうまくいかず、鬱、引きこもりになった、田舎すぎて適切な治療どころか家族・親戚中から非難された

・父が包丁を持って暴れた

地域全体で歯に無頓着で、私も酷い虫歯歯周病だった(大人になってから治療して口臭はおさまった(先生お墨付き)が、歯がボロボロ

 

大学生のころ

・遠方の大学入学学生寮に入った

実家家計は火の車だったと思うが、私は常識が無さすぎて大学に入れてもらうことを当たり前だと思っていた

・授業についていけなかったが環境一遍したのでとても楽しかった、初めて色々な文化・人と関わった感じがした

・授業や生活全般をどうしたらいいのか不明だった。親には当然相談できないし誰にどう言えばいいのかわからなかった

夏休みに一度だけ帰省して友達ハロワに行くのに付き合った、地元仕事が無いことを知った

・母が勤め先の金を横領した、バレる前に私に無心してきた

・途中で実家から学費をもらえなくなり、奨学金も打ち切られ、バイトも要領が悪く食いつなぐまでいかず、中退

・母から実家に帰ってくるよう説得されたが、断って寮付きの仕事に就いた(その後転職して家も借りた)

中退して残念な結果だったが地元実家から離れられたので本当に良かった、それ以降たぶん親に合っていない

 

就職

・母から電話祖母が亡くなったことを聞かされたが、祖母が一番苦手だったため何も言えず、帰省する金も無いので行けないと伝えるとボロクソ言われた

・父が生活保護を受けたようで12月になると扶養照会の封筒が来るようになった、最初は動揺して何日間も気がおかしくなった、何年かしてようやく慣れた

・数年前まで、思い込みだが父が私の金を取りにくるか殺しにくる気がして、お金を稼ぐことが怖かった

2019-03-30

東大生自分のことを貧乏だと思ってる

田舎者貧乏人を初めて見た話」を受けて。

 東大入学した春、僕は父親年収が700万円だと知った。日本学生支援機構奨学金に申し込むために、世帯主収入必要だったからだ。

 当時の僕は父親年収を見て、「こんなもんか、思ったよりは多いんだな」などと考えていた。東大生の親の世帯年収は、約半数が1000万円以上だという。

https://www.nenshuu.net/sonota/contents/toudai.php

 1000万円というのが金持ちの一つの基準で、それに足りないウチはやっぱり中流階級なんだと思った記憶がある。僕は地方都市郊外人口5万人程度の町で生まれ育ち、小中高(駿)大と1年を除いてすべて公立で済ませてきた。父母僕弟の四人家族で車は国産普通車、家は駅から少し離れた3LDKマンション外食は月に一度するかしないか、98円の卵のために朝からスーパーに出かけるような、至って普通の家庭だ。中高時代スーパーフードコートマックポーク1個だけで粘り、近所の友人とオタ話に花を咲かせた。高校は街中にあったので、放課後ラーメン屋に誘われることもあったが、月5000円の小遣いがラーメンに消えるのが惜しくて断ることが多かった。

 これが普通金銭感覚だと思っていたし、今だってそう思っている。

 そうしてこうして、東大入学した。

 父親年収700万円が基準額より高かったので、結局無利子の奨学金は借りられなかった。なので、学部時代は親から仕送りで過ごした。ボロアパート5万5千円の家賃と、それとは別に5万円の生活費を毎月親から貰っていた。

 仕送りの額について友人と話していて感じたことだが、どこまでを仕送りの額として申告するかは個人差がある。家賃込みの額を言う人もいれば、携帯代も光熱水費も全部親が払っていて、本当に自分自由に使える金額を申告する人もいた。僕は、携帯代と交通費と光熱水費は自分持ちの5万円だ。

 東大に入ってできた友人は、世間の言うほど金持ちではなかった。毎日のように高級なランチを食べるだとか、服に月に10万円使うとか、そういう人はほとんどいなかった。医者の一人娘の女子が親からクレジットカード丸ごと借りていて、自由に使っていいという話を聞いたが、流石にそれはウワサ話になるぐらいには少数派だった。

 三鷹寮に住んでいた友人は、本のためにバイトに明け暮れていた。

 あらかじめ言っておくと、ほとんどの東大生の親は、子供の本代を惜しまない(と観測範囲の中では思う)。僕の仕送りは5万円だと言ったが、学期初めの教科書代は別途追加で送られてきた。公立高校でさえ周囲はそうだったから、そもそも子供学歴にかかわらず)本を与えてくれる親は多いのだろう。でもやっぱり、書籍部で1冊数千円する専門書がドカドカ売れていくのを見ると、東大生は本にお金を使うし、親もそれを惜しまない傾向は他の大学に比べて強いのだと思う。そんな環境の中、三鷹寮の友人は本を自分で買っていた。外部の人に説明すると、三鷹寮というのは東大直営学生寮で、月1万円ちょっとで住むことが出来る格安家賃が魅力だ。その代わり、三鷹にあるのでキャンパスから遠いのと、入居者には所得制限がかかっている。なので、三鷹寮に住んでいた時点でその友人はさほど裕福な方ではなかったのだろう。僕は不躾にも、彼に「本代を親に頼まないのか」と聞いてしまたことがある。彼は「授業で指定された教科書代は貰っているけど、こういう本は教科書じゃないから」と言った。理系の僕にはよくわからなかったが、彼の買う本は美術論や建築物写真集だとか、普通本屋にはあまり置いてなさそうな文化的ものばかりだった。普通ハードカバー小説みたいなサイズの本が、3500円した。「これは教科書でも、研究用でもなくて、ただ自分の興味のために買ってる」と言う彼の姿は、僕には少しまぶしく見えた。

 東京私立中高一貫男子校出身の友人も、いつもお金に困っていた。サークル活動には熱心に参加するが、その後の飲み会は断ることが多かった。そのくせ、誰かの家で二次会をやることになると「宅飲みなら安いから」という理由で必ず駆け付けた。大学進学後、彼の家のルールでは小遣いがゼロになり、遊ぶ金が欲しければバイトしろということになったのだそうだ。実家住まいだとこういう人は何人かいたように思う。僕は仕送りを貰っていたので携帯格安スマホに切り替え、自炊ケチれば、浮いた金がそのまま自分のものになったが、実家住まい人間バイトをする以外の方法お金を得ることができない。その上、友人は郊外に家があったので、通学に1時間半ほどかかり、夜遅くバイトができないのだと愚痴っていた。

 大人になった今少しわかるのは、東大生の親は確かに金持ちだったが、教育費と都心の住居費に金を注ぎ込んでたのだということだ。だから食事や服、旅行などのわかりやすい贅沢はしない。その代わり、海外大学への留学費数百万円をポンと捻出するし、子供女子だったらセキュリティのしっかりした家賃10万円のマンションを借りる。でも、遊ぶためのお金を直接子供にくれるわけではない。大学が忙しくてさほどバイトができなかったから、僕らは他の大学生に比べても飲み会なんかの遊びにお金を使わなかった。こういうわけで東大生は自分のことを貧乏だと思っているのだと思う。

 大学院を修士卒業した僕は、今は某メーカー就職して、工場のある田舎生活している。1年目の盆休み帰省した僕は数か月遅れながら初任給で親を食事に連れて行った。話題は当然、僕の仕事のことばかりだ。そのうち、給料の話になった。ごくごく一般的修士卒の初任給の額と、冬のボーナス金額の目安を告げると、母は「お母さんの給料なんてすぐに抜かされちゃうわね」と答えた。

 その瞬間、僕は重大な事実に気づいて膝から崩れ落ちそうになった。

 どうしてこんな簡単なことに6年間もの間気づかなかったのだろう!

僕 の 実 家 の 世 帯 年 収 は、1000 万 円 を 超 え て い る !

 共働きであったことを知らないわけはない、ないのだが、父親年収を知った時の僕は母の給料をそれに足すという単純な足し算ができなかったのだ。弁明すると、僕の父親は700万を稼いでいた当時50代前半で、年収ピークにある時期だ。僕の家が世帯年収1000万円を超えていたのはわずかな期間だろう。そして、僕らの親世代にとって年収700万円というのは50歳前後男性年収中央値で、僕の父親は周囲と比べても実際凡庸だったのだ。母は専門職フルタイム勤務ながら、年収300万円代で、これも稼いでいるとは到底言い難い。僕の父親母親も、普通の人で、並の年収だったので気づくのがだいぶ遅れたが、共働きのおかげで世帯年収1000万円を超えていたのだ。

 その事実に気付いてからしばらくは、ショックで呆然としていた。僕の家のしゃぶしゃぶといえば豚肉だった。一体いくら稼げば牛肉のしゃぶしゃぶを食べられるようになるのだろう?同じマンションの住人でベンツに乗っている人がいたが、あの家の人はいくら稼いでいるのだろう?あるいは何を犠牲にしているのだろう?ハワイ程度なら僕も海外旅行したことがあるが、ヨーロッパに出かけている人たちはどうしているのだろう?僕は1000万円を稼げるようになるだろうか?東大を出たところで、この不景気では実家以上の暮らしができないのではないだろうか?

 幸いというべきか、今の僕は30歳手前にして世帯年収1000万円を実現した。といっても、僕が600万、不動産営業の妻が400万円という内訳だけど。引っ越し結婚式新婚旅行など、金の吹っ飛ぶイベントが一通り終わって、ようやくゆとりが出てきたとはいえ、こんなもんかという感じは拭えない。そろそろ子供を持ちたいので、妻の収入が無くなるのを覚悟しないといけないし、子育てマイホームのために貯金を続けているといったところだ。

 妻は高いものを購入したい時、必ず僕に確認する。冬物のコートとか、デパート化粧品とか(妻が怖じ怖じと切り出した割に、化粧品は6000円と意外に安かったのでそれぐらいなら確認せずに今後も買っていいと伝えた)。僕も相談するようにしているが、この間のカメラレンズはOKが出なかった。これが年収1000万円の暮らしなのか、と考えると今でも不思議な感じがする。まだ子供がいないから多少ゆとりがあるだけの、「普通」の家庭だと思う。

僕は今でも、自分のことを中流家庭だと思っている。

2019-02-08

anond:20190208114314

探してから文句言えやゴミクズ

ある学生寮での研究で、「マスク着用と手洗いの両方をした群」は「両方しない群」と比べ

インフルエンザ様症状の人が35~51%に低下したのですが、

マスク着用のみの群」は有意な低下が認められなかったと報告されています

手洗いとマスクの両方を実践することが重要なのですね。

https://www.asahi.com/articles/ASK1N65LBK1NUBQU00J.html

マスクの装着により吸った空気に湿気をあたえ、温度を上昇させる効果があります。冬になり環境中の湿度が低くなるとドライノーズの症状を訴える人々が増加してきます。わざわざ加湿器を購入しなくても、マスク自家製加湿器役割果たしてくれます。また、ウィルスは、マスクを通過してしまますが、気温が高く、湿度の高い環境ではウィルスの増殖が抑えられますので、マスクの装着によりインフルエンザ等の予防にもつながります。鼻や喉の粘膜に存在している免疫細胞繊毛は、温かく湿った環境機能を発揮します。マスクの装着により冬の冷たい乾燥した空気を暖め、加湿することができます

http://www.thcu.ac.jp/research/column/detail.html?id=88

2019-01-24

なぜ漫画アニメ主人公はみんな一戸建てに住んでいるのか?

なんか、増田で間違った説を唱えると、次々に反証が集まるらしいので期待している

俺は幼児期から成人後まで10回ぐらい引っ越して一度も一戸建てに住んだことがない

そういう人間は世の中に一定存在すると思っていたがそうではないのか

で、怠惰な俺が把握する範囲、"家族で"(←ここが重要一戸建てではなくアパートマンションや団地に住んでいる主人公って、『みなみけ』ぐらいしか思いつけない

実家を離れて学生寮に入った、進学に際してアパートで独り暮らしを始めたパターンとかは除く)

あとは『ハートキャッチプリキュア』で母子家庭キュアムーンライト団地住まいだったのが記憶に残ってるぐらい

メジャー少年漫画ラノベ原作アニメとかで、中心的な主要キャラが"家族そろって"一戸建てではなくアパートマンションや団住まいってどれだけあったっけ?

―――

追記

主人公が「一人暮らし学生社会人」ならアパートマンションは、むしろ当然・普通なんですよ。「実家住まい」で集合住宅あんま見かけない気がしたなあというのが発想の発端。

追記

大量に反証が挙がって感謝する。ありがとう

あたしンち」とかデジモンとか、メジャーだけどクレしんドラえもんレベルには劣る、というポジションが、現実世界での一戸建て居住者に対する集合住宅居住者存在感を暗示してる気がするなあ…

団地ともおや耳をすませばは、「あえて」団地ニュータウンを題材にしたイメージ

君の名はエヴァは、メジャーなんだけどやっぱどっか異質な作品なのか

ヤマノススメのここなちゃんの家とか、やたら何度も出てくるあおいとひなたの家の印象の強さに比べて「あ、そういえば…」という感じ

(↑単に俺の記憶力と作品メジャー基準が偏ってるだけ)

2018-12-11

anond:20181211155413

東大は、医学系でも生物受験できるようにしたり、学生寮費用女子は割引されたり工夫したけど、生徒増えなかったとか、チラ見したな。

2018-11-07

寝るのが超早い

睡眠に関するエントリを見て思い出した。

高専に入って、学生寮に入った。三年生まで相部屋だった。

生活リズムがある程度相部屋の奴に合わせることになるけど、高校生だし、そこまで差は無かった。

寝る時間も大体同じく、早くても10時だ。

そんな時、相部屋の奴に言われた。

「お前寝るの超早くね?」

寝ている時に小さくいびきかいてるのだが、布団に入ってから聞こえてくるまでが凄い早いらしい。

ある時から音楽をかけて寝るようになった。30分タイマーで、時間が来たら自動で音がOFFになる設定で。

でも30分もいらなかった。一曲大体5分だが、一曲聞き終わればいいほうで、大体サビまでには寝てる。朝になってどこまで聞いたか思い出すと大体そんな感じ。

イベントに行くときは安いか夜行バスを使う。ネットで聞くと大体の人が眠れなくてきついという。

自分は気が付いら寝て、気づいたらついている。新幹線でも同じだった。

しかし、出張で初めて飛行機に乗った。搭乗時間は一時間くらい。

自分もびっくりしたが、離陸する前に寝落ちして、目が覚めたのは着陸後だった。

寝つきが悪くてしんどいという人がいるし、得だなとは思っていたけど。

激しい運動をしたわけでもないし、疲れるほど残業したわけでもない。

そのうち車を運転中に寝そうで怖い。

これも何かの病気なんだろうか。

2018-09-13

とある学生寮の思い出話

今回のラノベ表紙問題で、ふと思い出したので書き捨てる。

数年前、とある大学の男女混合の学生寮に住んでいた。

一階は防犯の観点から男性部屋のみで、私が住んでいたのは上の方の階だった。

食堂を通って、居室スペースのある棟に進み、一階廊下を数m進んだところにある階段を上って上の階に行くのだけど、階段手前の壁に、今回話題になったような、ああいう絵柄のポスターが貼ってあるのがどうしても気になった。

もううろ覚えだけど、いわゆる、女の子が組み敷かれたみたいな姿勢になってる、抱きまくらによくある構図で、アヘ顔とまではいかないけど、萌え絵によくある表情のやつで、乳首下着が見えている、くらいの露出度だったと思う。

しばらくはスルーしていたけど、どうしても気になるようになって、「男性のみが住んでいる1階とはいえ女子の目に入るところで、ああいポスターが貼られているは気になる。女子寮生が通過しない奥まった場所か、個室に移すなどの対応をしてもらえないか。」と、所管の学生委員メールして、対応してもらった。

アニメ絵グラビア水着姿を一律剥がせとは思っていないし、個人的にはその範疇のものは気にならない、ただ、あまりにも性行為示唆するもの女子寮生の目につくところに貼らないでほしい、という点を伝えた。

委員のひとからは、「快く対応してもらえた」と連絡があり、ポスターはなくなっていた。

で、翌週だったと思うけど、階段の向かいくらいにある男子談話室の前にある「今週の一言」的な掲示板に、「ポルノスルーモテカワ大人女子」とマジックで書いてあって、正直寮に住んでいるのが死ぬほど嫌になった。

今回のラノベ問題はさておき、エロをめぐる快不快主観的問題からこれくらいのことスルーしろ、みたいな動きって、正直あちこちにあるんだろうなと思うよ。

2018-08-02

anond:20180802091311

あれは学生寮の定員が男子の方が圧倒的に多い為に女子殆ど寮に入れないか

女子寮用意する代わりにやってるだけだろ

2018-07-03

anond:20180703091032

似た制度イランだったかイラクだったか、昔、あったような話を読んだことがある。

日本学生支援機構奨学金も、結婚して親から世帯分離すると、世帯収入が下がって

もらいやすくなるのでなったかな。

ちなみに西日本某国立大学では、学生寮の一部に、大学院生向けの夫婦寮(夫婦室)があり、

結婚したら入れる訳ではないが、大学院生夫婦の人が入っている。

2018-06-07

姉が結婚するので、親と絶縁する

今週末、姉が結婚式をあげる。それが終わったら私は親と絶縁しようと思う。

実家地獄だった。はっきり言って幼少期から精神虐待を受けていた。

当時は虐待などと気付きもしなかったが、本当に苦痛だった。

学業趣味も親の意に沿わなければ人格否定、機嫌が悪いと私に金(学費生活費など)を返せとヒステリーを起こし何にでも隷従を強いられた。

仕事夫婦嫁姑問題などのストレス理不尽に怒られることが多く、小4の頃には自殺を考え始めたのを覚えている。

はっきりと実家と決別しようと決めたのは中2の頃だった。

理由は覚えていないが親は座って、私は直立不動のまま延々と説教をされていた。その歳には親の説教理由は全て「気にいらないから」に集約されるとわかっていたので内容は聞かずただじっと耐えていた。そんな説教が1時間近くたったとき、突然意識が飛んだ。

失神か貧血だったのかはわからないが、唐突に目の前が暗転し気がついたら天井を見上げていた。

そのとき私は、あぁこれ以上この人と一緒にいたらいずれ明確な殺意をもって私はこの人を刺すなぁ、と確信した。流石に少年院行きは勘弁だと思い、実家から離れた学生寮のある高校に進学し、それから実家では生活していない。

地獄を離れバイト一人暮らし経験社会で働く力は得たものの、親の呪いは強く自己肯定感は皆無、友人もまともに作れずずっとぼっちの立派なアダルトチルドレン

しかし姉はと言うと性格は明るく、活動的、友人も多く、とうとう結婚する。

私と決定的に異なるのは、姉は親に愛されていた。姉自身は知らないかもしれないが、確実な姉妹格差があった。

姉は高校卒業するころ免許を取った。自動車学校費用は全て親持ち。しかし姉は免許を取っても自分運転するのを面倒くさがり親に運転を任せるペーパードライバーになった。親はなんとか姉に運転させようと車まで買い与えたが結局進んで運転しなかった。

そして私が免許を取れる歳になったころ親は愚痴っぽくこう言った。

お姉ちゃんには自動車学校お金〇〇万も出してあげたのに全然運転してくれない、ペーパードライバーなんて勿体ない。あんたは自分お金免許取りなさいよ。もう私は出さないから。」

披露宴新婦から親への感謝手紙も感動溢れるものになるんだろう。私はその光景を見ても1ミリも響かないだろうが。

私には家族なんていなかった。

とりあえずこれからアダルトチルドレン克服したいなぁ。

2017-11-21

anond:20171121233050

余裕がないとそこまで勉強できないのは紛れもない事実だろ

学生寮だって仮にあったって入れる人数限られてんだから下宿する全員にバラまくのはやりすぎ

それに東大が女に人気ないのは、医学部とかの方がキャリアに融通がきくから割に合わないとか、

学歴が下の相手が好きになれずに結婚相手選択肢無駄に狭まるとか、そういう理由しかない

2017-10-12

高専卒業してデリヘルスタッフになった(2018/12/7追記しました)

身バレを防ぐために少し事実と異なる点があります。ご了承ください。

高専卒業してデリヘルスタッフになった

高専卒業して風俗で働いている

正確に言うと、元風俗嬢で今はデリヘルスタッフをしている

店長になりました

そのことについて後悔はしていないが、私のことを反面教師にしてほしいので文章を書くことにした

ざっくり自己紹介

20代

高専

1回留年した

高専4年

という点から学校以外で人と会話をする機会を作るためにバイトをしようと考えた

そのときV系にハマっていてたくさんお金を稼ぎたかたこともあり風俗嬢になった

キャバ嬢もやってみたかったが、実家住みだったため夜間の外出ができず断念

種類はオナクライメクラホテヘルデリヘルをやった

風俗嬢の感想なんてネットで調べればすぐに出てくるので、高専生らしい視点感想を何点か書く

  • 他人と会話するの苦手だったけど、多少会話ができるようになった

これくらいだと思う

とても楽しい生活だった

一緒に働いてた女の子たちがわたしの周りの高専女子にいないタイプだったので、待機所で女の子と話すのも楽しかった!

今でも風俗嬢は天職だったと思っている


高専5年

いろいろなお店を渡り歩いた結果、今も働いてるデリヘルにおちついた

留年したとか成績が悪いとかコミュ力がないとかで落ちまくった

コミュ力は、0が1になってもまだまだ社会生活を送れるレベルではなかったようだ

就活キツすぎてV系のおっかけしてる場合じゃなくなった

デリヘル嬢やらなくてもバイト代が足りるようになった

からデリヘル嬢辞めようと思った

でも、「辞めます」って言ったら、店長に「デリヘルスタッフやらない?」って誘われた

高専生ならプログラム書けるよね?ってことでデリヘルwebサイト更新とかをすることになった


社会人X年目

仕事を辞めようと思った

主な理由休みがなかったか

ちゃんと土日が休める仕事に変えたかった

なかなか休みが無い中でも、数ヶ月に1回程度デリヘルスタッフとしてwebサイト更新はしていた(辞めようと思ったが時給が良くって…)

デリヘル店長に「仕事辞めたいんですよねー。今転職先探してるんですよー」と言ったらデリヘルスタッフになった


デリヘルスタッフやってます

webサイト更新からバナー作り、デリヘル嬢の宣材写真の加工などなど、パソコン関係全部やってる

ときどきドライバーしたりもしてる

デリヘル嬢とか、他のスタッフの話し相手になったりもする

とても楽しい

しか給料はとてもいい

でも、福利厚生とかが何も無い

病気したらどうしようとか、将来が不安


この仕事は何年も続けるものじゃないと思う


ということで、デリヘルスタッフ辞めるために転職活動をしてます


(2018.2.11追記)今度デリヘル店長やることになりました。

転職活動してたはずなのに…

(2018.12.7追記)まだ店長してます

店長をしつつ、嬢とおしゃべりしつつ、webページ作ったりしてます

写真撮影プロに頼むけど、加工とかはできるので、バナー作ったりとかも自分でやっています

給料めちゃくちゃ良いし、ちゃん休みがあるし、楽しく過ごせています


これが私の数年間です

高専を出てもこんな人もいるよっていう特殊な例だと思う

特殊な例であって欲しい

最初に書いたように後悔はしていない

とても楽しい人生

だが、あまり人に自信を持って語れるような過去ではないので、これを読んだ現役女子高専生は真似しないようにしてほしい

人に言えない過去はなるべく減らそうね!!


コメントに対して少し返信します。(2018.12.7)

  • 順調に出世してて笑う

本当になにしてるんだろう、って思いますが楽しく生きてます

面接とき安心してもらえてると勝手に思ってます

身バレ防止対策だなんて思いませんでした。確かに。当時のスタッフありがとう

趣味読書は、中学まで読書が好きだったのでなんとかなりました。

高校大学勉強忙しくて全然本読めてないの~」って言ってました。

年金とかそのへんちゃんと払ってます

高専卒、その辺まじめなのでw

  • 職務経歴の空白について

家事手伝いとかですかね(白目)

まじめに言うと、ダミー会社に勤務していることになってるので、たぶんどうにかなるかなって思います

低学年のときに寮に住んでいたので、当時は実家暮らしでしたが住民票に「〇〇高専 学生寮 転出」みたいなことが書かれててバレました

ちょっと自分作りました

いろいろ苦戦中です。

地方の弱小ではないけど、そこそこの店です。

風俗街の大きなグループイメクラ嬢として働いたこともあるのですが、すごいですよね。

そっちはちゃんweb系の担当の人がいて、高専生のバイトなんてお願いしない…

珍しいですが、たまにいますよね。

私の店でスタッフやってくれる高専女子いないかな…

ちょっとPCできれば、短時間高収入!私にアプリ開発教えてくれればもっと給料はずみます


最近自分が嬢をやっていたとき経験を生かして、

風俗嬢向けのアプリを作ろうといろいろ考えています

さすがに死ぬまで店長するつもりはないので、どうにか昼職に戻れる知識を身に着けたいと思っています


(途中送信してしまったために追記しました)

(2018.2.11 進展があったので追記しました。また、若干文章修正しました)

(2018.12.7 ブクマコメなどに対して追記しました)

2017-07-10

僕は人間じゃないんです。

僕は人間じゃないんです。

本当にごめんなさい。

そっくりにできてるもんで、

よく間違われるのです。

今は某広告サラリーマンをしています

まわりは普通にみんないいひとばかりです。

でも、僕がそもそも人間じゃないので、

もうちょっと限界なんです。

小さい頃から、何をやってもダメでした。

スポーツ勉強ダメでした。

絵を描くことと工作だけは大好きで、

発明クラブに入りました。

いっぱい賞をとりました。

本当に本当に楽しかったです。

けれどいつもひとりぼっちでした。

だいたいいつもトラブルを起こして、孤立しました。

中学でも高校でもそんな感じでした。

友達ができてもいつのまにかひとりぼっち

挨拶、返事、愛想笑い、そんな当たり前のことができませんでした。

うわべだけの付き合いがどうしても無理でした。

おもしろい返しができませんでした。

どうやって自分は生きていけばよいのだろうか。

なんのために生まれてきたのだろうか。

何になるのだろうか。

そんなことを考えながら本を読んでいるうちに、気がつくと高校を卒業していました。

高校を出て予備校に通いました。

いっさい勉強に身が入らず、集中できず、予備校に行かずに本屋に通っていました。

そのうち家に引きこもって勉強するようになりました。

でも、全然勉強はできませんでした。

気がつくと二度目の受験がやってきて、全く勉強してない僕はもちろんどこにも受かりませんでした。

そうして、僕はニートになりました。

本当に、本当に、孤独になりました。



求人情報誌を買っては電話をかけ、ことごとく面接で落ちました。

なんとか決まったネットカフェでのアルバイトは1ヶ月半で退職しました。

そうして、またニートになって、いてもたってもいられなくなって家を出ました。

北海道の片田舎から東京に出て、本当に、本当に、本当に孤独になりました。

ネットカフェ転々としながら暮らしました。

ネットカフェ難民なんて甘ったれた奴ら。山谷にいけば仕事も寝床もあるのに。甘えるな。」

都知事がこんなことを言っている張り紙を見つけました。


甘ったれた僕は家に戻りました。

甘ったれた僕は東京学生寮に住みました。ニートなのに。

甘ったれた僕は一回2万円の家庭教師についてもらいました。親の金で。

甘ったれた僕はその家庭教師に2ヶ月でやめてもらいました。金がもったいなくなって。

甘ったれた僕は親にそのことは言わずに参考書を買いあさりました。けど全然勉強してない。

甘ったれた僕は必死に勉強しているフリを続けました。

甘ったれた僕はセンター試験で昨年と変わらない点数をとりました。

甘ったれた僕は国立なんか鼻から行く気もないのに国立に向けて数学とか勉強してて私立対策は一切してませんでした。私立目指すのは家の経済事情的にはありえない選択

甘ったれた僕は親に全ての金を払ってもらい私立を受けまくり早稲田大学に30万円お布施しました。

甘ったれた僕はたまたまなんとなく運が良くて慶應義塾大学環境情報学部(SFC)に受かりました。お布施はしてないのに。


甘ったれた僕は甘ったれ大学に入りました。すべて親の金で。母がコンビニパートして働いて稼いでくれた金で。




僕は2年間の孤独を取り戻そうと、必死に必死に友達を作ろうとしました。

でも、僕の顔はやつれていました。

20歳なのに30歳くらいの顔になってました。

ああ、人は人と関わらないと人を遠ざけるような顔になるのです。

友達はできたけど、すぐ離れていきました。

好きな人はできたけど、すごく嫌われました。

音楽がやりたかったけど、楽器全然身につきませんでした。

バイトははじめても、すぐに辞めることになりました。

自分では普通に挨拶してるつもりなのに、感じ悪いとか無視してるとか言われるようになりました。

そうやって言ってくれる友人も、次第にいなくなりました。

すべてを悪いほう、悪いほうに考えるようになりました。


僕は実家に帰りました。

精神科をぐるぐるぐるぐる回りました。

そのころ、僕ははてな投稿しました。

変人のはなし」というタイトルでした。

反響を呼び、年間35位くらいになりました。

ひとは、ひとの不幸が好きです。

自分を切り売りしてやっと私は誰かの価値になりました。

でも私は自分人間じゃないことを認めたくなかった。

普通の人」より「変な人」のほうが価値はあると思っていました。



から私は行動しました。

いろんなバイトをやりいろんな研究室に入りいろんなことを学ぼうとしました

けれども全く集中できない、続かない。

あーやっぱり俺はそういう「タイプ」の「人間」なのかな。信じたくないけど、そうなのかな。

そんなことを考えてときどき鬱になりました。

1日に3回はかならず「死にたい」と口にしました。

頭の中での口癖でした。

けれども、行動しなきゃ始まらない。

けれども、行動しようと思って1日が過ぎ、1週間が過ぎ、1ヶ月が過ぎ、4年が過ぎました。



RADWIMPS野田洋次郎に憧れて

慶應義塾大学に進学しました。

けれども僕は、彼との共通点ひとつもありませんでした。

ギタードラムもDTMもひとつ習得できませんでした。

想像を絶する音痴でした。

ホリエモンに憧れて

東京大学に進学しました。

起業したいと思ってプログラミング起業家インターンをしても

全然起業できませんでした。

金も人も僕には集まりませんでした。

つのサービスを作る能力を身につける集中力すら、ありませんでした。

北野武太田光に憧れて

芸人養成所に入りました。

バイトも長く続かなくて金のない僕は、

親が退職したことを理由にもらった奨学金を入学金につっこみ、

お笑い芸人を目指しました。

けれども僕はネタをつくる集中力

周囲と徒党を組むコミュ力

事務所の人に気に入られる政治力

その他もろもろの器用さが一つもありませんでした。

相方はいつのまにか別の人とコンビを組んでました。



大学で過ごした4年と半年で僕は何も身につきませんでした。

お金能力知識研究も実績も人脈も

なにもありませんでした。

から就職活動では嘘をつきました。

プログラミングをさもバリバリしていたように(本当はprocessing講義で出た課題適当にいじるぐらいしかできません。)

アルバイトをたくさんやったのは人生経験を積むためのように(本当は続かなかったりクビになったり)

芸人養成所では確固たる実績を残して卒業したように(解散した後、年明けから行かなくなりました。)

ESでは適当に嘘を並べました。

大学4年間で頑張ったことなんか何一つないので「考えること」を頑張りました、とか書きました。

コミュ力なんて一切ないのに芸人をやってたとうそぶいてコミュ力アピールしました。

するとどの企業もいい感じのとこまで行きました。

ゲームなんて一切やらないのに任天堂スクエニは最終面接まで行きました。

本なんてほとんど読めないのに文芸春秋社や3大出版社も3次面接くらいまでは行きました。

一切興味もないのにドコモも最終面接まで行きました。

でも結局落ちました。

当たり前です。

僕はサラリーマンになりたくなかったし、なれるような人ではなかったし、なるべきじゃなかったから。

ゲームを作りたいんじゃなくて、ゲーム会社社長になりたかった。

小学校卒業文集にそう書いてた。それをESに書いたら任天堂の人が会社員になることは社長になることと真逆だとか言ってって僕は萎えた。)

編集者になりたいんじゃなくて小説家になりたかった。漫画家になりたかった。

ドコモなんてただ名前を知ってただけ。

そもそも就活なんてするつもりもなかったし、したくなかった。

してはいけないと思っていた。

でも起業も芸人も自分で稼ぐことができず、金もなかった僕はするしかなかった。

から適当にした。なめてた。OB訪問もしなかった。そもそも僕は人間じゃないか人間の話を聞いても参考にならないと思っていた。

から、たくさん落ちた。

そして、いくつか受かった。


それは「偽りの自分」を評価した企業だった。

偽りの自分は「カメラ」に触れたことすらないのに、

大手新聞社カメラマンに採用された。

誰にも負けないことはなんですか、と聞かれ、

「体力」と「コミュ力」です、と答えた。

自分にない正反対「嘘」を言ったら、採用された。

偽りの自分評価してくれた企業はすべて辞退して、

一番「無難」そうな会社を選んだ。

やりたいことはなんですかと聞かれて、

「人の心を動かすものをつくりたいです」と言った。

本心だった。

「それはちがう。そもそも根本から間違っている、我々は人の心じゃなくてクライアント要望を叶えるためにやってるんだ。・・・・」と言われた。

5分くらい説教をされた。

受かった。

そうして内定を抱えて僕は大学生活を終えた。

ちなみに卒業論文は書いていない。

白紙で出した。

中退するつもりで出した。

ただ少し皮肉として「大学は意味がなかった(僕にとって)」と書いた。

なぜか認められた。

認められたくなかったので、大学ともめた。

卒業式当日、会場の前で事務員に呼び止められた。

このことを内密にするなら、卒業式に出てもいい。

僕は卒業した。

何も修了していないのに「学士」になった。


それから少しの間夜の世界で働いた。

当然のごとくトラブった。

全てをぶち壊し、いろんな人を不幸にし、迷惑をかけ、去った。

また僕は引きこもりになった。

そうして僕は、また、また、孤独になった。

会社入社した。

研修でまたトラブった。

でも、まあいいや、そう思った。

僕は5年前、死のうと思った。

周りに迷惑をかけ続けるぐらいなら、そうしたほうがいいと思った。

でも、自分は悪くないと思った。

から死ぬのは辞めた。

自分の伝え方は誤解をうむ。それは間違いないだろう。

けれど、本当の本当は自分は悪くないと思っている。

から、僕はこうして今まで生きてる。

どこかに自分フィットする、なにかがある気がして。

ジョブズホリエモンも一サラリーマンならすごく、迷惑な奴だと思う。

でも、彼らは能力がある。

僕はたぶん、ない。(客観的に見て)

けど、あると信じている。なぜなら、それが希望から

希望がないと人は死んでしまうから

僕は人間から。(僕は人間じゃないんですということにしている、人間から。)

明日には、1ヶ月後には、1年後には

すべてが報われるような気がして、生きている。

でも、もうそろそろ会社辞めたい。

貯金が0だから会社辞めたら死ぬかな。

でも会社辞めずに死んだら、もっとブラックって叩かれるよね。

迷惑かけずに生きたいか会社辞めたい。

でも会社辞めたら死んじゃう。どうしよ、詰んだ藤井4段もびっくりの詰将棋だ。

友達金もなにもない。

あった期間が1度もない。

せめていま500万あれば。だれか援助してくれないかな。

ま、たぶんどう頑張ったって変わらない(と言われるだろう。)

だってあなた人間じゃないんですから。(と思われるだろう。)

でも、どうせ死ぬならやりたいことやって死にたい

一度しかない人生なんだから

こんな人間に生まれても、他の人間にはなれないのだから

人間じゃないことを、アドバンテージに生きるしかないじゃない。

ちなみにやりたいことはたくさんあるし、なりたいものもたくさんある。

もう年齢も能力関係ないと思ってる。

俺はもうやりたいことしかやらない。

金があったらね。

金の呪縛に縛られてるだけ。

ただそんだけ。

からホリエモンみたいな人、俺に投資して。

大学で受けた授業で一番感動したのは、ホリエモンだよ、本当に。

この匿名ダイアリー反響をよんだら、誰か連絡してくれないかな。

それで何かが変わらないかな。

結局人まかせだな、俺は。

でもまだ人間を信じてるから

だれかの何かに残れば、それでいいと思う。

逆にこのダイアリー会社にばれて問題にでもなって、

そうして誰かに迷惑をかけて、会社をクビになって。

そんなことでもいいと思ってしまう。

やっぱり俺は人間の道からは外れてるな。




僕は人間じゃないんです。

本当にごめんなさい。

そっくりにできてるもんで

バッタもんのわりにですが

何度も諦めたつもりでも

人間でありたいのです

追記

はてブって返信できないのね。

これこそdisコミュニケーションな気がするのだが。

ご指摘いろいろあるので誤解ないように書くと、

現在私は特に人間関係で悩んではいない。

悩んではいないっていうと100%ではないけれど、

思考の中心にそれはない。

友人が欲しいとかそういう悩みはプライオリティ的には低い。

そもそもいわゆるマスコミ業界に就職している時点でうわっつらのコミュ力はある。

今悩んでいるのはずばり、金だ。

やりたいことをやらず、いままでと同じような人生を歩むのであれば、

一体何の価値があるのか。

そのためにちょっくらの金が必要なのだけれど、

金というのは信用の対価なわけで、

信用は人間に付随する。

人間でない(とされている)僕は、金がない。

姓名判断でも一生金に縁がないとされている。

福沢諭吉大学出たのにね、まあそのせいで金がないとも言える。

そしてやりたいことについてだけど、

コメントにもあった通り、

「やりたいこと」が本当にやりたいこととは限らない。

実のところやりたいことが絞りきれてない時点で、その通りだと思う。

今まで金を言い訳に、やりたいことをやる前に考え、何もしてこなかった。

実に無駄に過ごした時間だった。

それでいて、やりきっていないと一生やりたいことに対する執着は消えないのだと思う。

から、僕は全部やるしかないと思った。

この呪縛から断ち切るためには全部やる必要がある。

でも、それは年老いからやるのではただの趣味だ。

金をある程度得たあとにやりたいことは、それこそやりたいことではない。

やりたいことを全部やってみて、違うと言い切れるまでは、この呪縛堂々巡りから逃れられない。

それを金のせいで諦めるのは、非常に辛い。死んだほうがましだ。

から、金の呪縛から解放される必要がある。

けれど、サラリーマンをしていたところで、手取り17万の現状、

日々金と引き換えに若き人生の時間を消費している。

この悶々とした日々が、あまりにも苦しく、つらい。

ふつうのひとはある程度割り切るのかもしれないが、

それができない僕はやはりふつうではないのかもしれない。

かといって、起業する最低限の資金スキルも人脈もない。

プログラミングができないし、ウォズニアックはいない。

600万の起業資金彼女の親に出してもらうような麻雀プロ並みの東大生ではない。

どうすればいいのか、それをこの5年ずっと悩み続けていた。

けれど、答えは出ないまま、卒業した。

から今僕は刑務所にいるような気分で、これを塀の中から書いている。

今すぐ脱走したい。

脱走する気力がなくなれば、結末はいわずもがな。

僕は人間じゃないんです。これは特別人間という意味ではない。

人間本来備わっている人間力が欠けている。

から、諦めて並み以下の生活を送りましょうって言われましても、

僕はそれを望んでいません。

海軍に入るなら海賊になったほうがいい。

タイタニック号に乗るより、海賊船に僕は乗りたい。

参考URL

http://gengenpa.hatenablog.com/

2017-04-10

半年前ここで愚痴を書いた貧乏学生です。

追記

皆さんありがとうございます。お陰様で、2人の方とメールをすることが出来ました。

id:houyhnhmさん、自分はあまり多数で話すことが得意ではありませんが、お時間の合う時がございましたらいつでも参加させていただきたいです。

読んでくださる方も多くて、嬉しいです。

今度はこの生活楽しい話を報告できたらなと思っています

http://anond.hatelabo.jp/20161017031727

ふと今日思い出して、あの記事消そうとしたのですが、意外にコメントトラックバックが多くてびっくりしました。

反応遅くなってすみません。この記事を見ている人は少なくなっていると思いますが、自分は食い詰めることもなく、ちゃんと生活できていること、またコメント等が励みになったこと、その感謝について伝われば幸いです。

あの記事は、当時不安が募り、耐えきれなくなったので吐露したものであり、この生活でも良いことはあると今は思っています

コメント等を読んだ時、凄いドキドしました。励ましの声も、社会に出た時こういう人たちが周りにいるかもしれないと希望が持てるようになりましたし、何より実体験や少しでも現状を和らげれるお話なども聞けて良かったです。その節はありがとうございました。

大学は、単位を落とすことな奨学金を打ち切られることもなく、少々問題は起こりましたが、通うことは出来ています。これからは、一般教養だけではなく、より専門的なことを学べるのでワクワクしています

ここからは気になったコメントの返信をしていこうと思います

国立なら学費免除制度があって、家が生活保護レベルなら全額免除になるし、格安の寮がある場合もあるから、苦学ってほどでもなくなる。 国立ならだけど

自分普通科ではなかったので、国公立に挑めるほどの学力がなく、また3月まで結果を待てる心を持っていませんでした。

なので、大阪情報を学べる私立大学入学しました。学生寮の申込みをしましたが、遠方から来る学生に向けたものだったのか、抽選に落ちました。

これは変な話なのですが、「生活保護だ」という話をあまり外でしたくないので、打ち明けられていません。ただ、親の収入が0で自活しているという話は通っています

生活保護への風当たりは強くて、久々に会った幼馴染に生活保護批判をされたときちょっと複雑な気持ちになりました。

http://anond.hatelabo.jp/20161017101740

ありがとうございます自分現在その学生支援機構奨学金、無利子有利子ともに受けています機関保証ですが、借金になってしまうため、最低限学費だけに抑えています

幸いなことに、1件だけ給付型の奨学金を受けさせていただいています。10月の不安が、この給付型奨学金継続条件であり、「優の数が、良+可より多いこと」でした。なんとか今年は継続条件をクリアすることが出来、更に給付額も3万円から4万円にあがりました。

自分の将来したいことへのド直球なアドバイスありがとうございます努力すべき道がこんなにも明確になると、目的意識が湧き励みになります

こちらの学生部対応もあまり良いとは言えないです。(その中でもいい人に出会うことは出来ましたが…)

今すぐWebサービス開発とか、ゲーム, アプリ開発学んで受託なり一発当てにいくのも一つの選択肢ですよ。

一応高校の頃にWebサイト制作や、画像加工が趣味でやっていました。高校パソコンセキュリティが甘く、割と自由になんでも出来たのが幸いでした。

Adobe製品では、Photoshopとほんの少しだけIllustratorが使えます

http://hibiki317.hotcom-web.com/wordpress/

大学に入ってからは、忙しくて更新していません。

http://imgur.com/HHo8nft

多重露光に興味があり、こういうのを作ったりしています

現在パソコン部に所属しているので、これから言語を授業で学びつつ開発をやってみたいです。(サイト写真ロゴ以外は大抵借り物なので、中身も作りたいです)

大学休学は?休学もお金かかるのか?

休学は奨学金打ち切りや、就職に影響が出ると思いやっていません。

親戚漁ったら1人ぐらい大学資金援助してくれる従兄なり叔父なりいたりすんじゃないかな。無担保無利子借金でもいいや。ちょっと独力でなんとかしようとしすぎなんでないの

親父に頼ってみるのも手

生活保護基準として、(自分地域だけかもしれませんが)金銭的に頼れる人がいたらダメなところがあり、祖父母を始め、父親とも交流を絶つ状態です。母には兄弟はいません。

仮に祖父母や、父親交流があっても、祖父母は自分達の生活でいっぱいで、泊まらせてくれることはあっても、資金の援助は厳しいです。

父親に至っては、借金の大もとであり、この前死んでるか実名でググったら殺人未遂被害者になっていました。(再婚しており、17歳下の腹違いの弟もいました)。多分、未だに怪しい商売借金を重ねているのだと思います

大学へ行った理由が、「高卒では、就職の幅が狭い」ということで、自分がしたいと思っていたIT系から離れないといけないこと(単純に能力がなかったり、精神的に携われなくなる)を考えた末の結果でした。

アルバイトは時給の良いスーパー等です。しかし、コメントで言われるように、自分がその働いている時間もっと有効に使えるのではないかとずっと思っていますIT系バイトを探しているのですが、大阪では、実務経験を問うバイトが多く、まだ手に職をつけていません…

家賃光熱費食費で7万」というのは家賃が高すぎるから家賃は3万円以下にしろ。こういう学生って、たいてい都心に住んでいるんだよね。ぜいたくすぎ。家賃を下げよ。  http://suumo.jp/chintai/tokyo/sc_itabashi/

家賃は2万弱です。ただ、日当たりが悪く、重ね着しても尚寒い季節だったので、ガス代電気代が嵩んでました。これからの季節はマシになると思います通信費が一番の問題ですが…

何のバイトなんだろ。「10万も」っていってるけど。大学生の頃、カテキョとか塾講で毎月手取り10~15万ぐらいだったけど。奨学金と合わせたら就職した方が自由になるお金が少なくてショック。(福利厚生

お恥ずかしい話なのですが、自分小学生時代離婚と転校で病んでいて、中学校は3年生になるまでまともに行っていませんでした。3年生で猛勉強をして、偏差値50の高校に行ったのですが、義務教育殆どを教えれる自信がなく、塾講ができませんでした。

優秀な弁護士ケースワーカー経由で福祉を頼れ。若者支援団体でも可。 間違っても、ちょっと前に炎上したようなセミナーマルチとかアフィとか)には行くな、殺されるぞ!

ちなみに僕は、春学期に仲良くなった子にマルチを勧められたことがあります

そのせいで、その授業を一人で受けていたので、経済政策の授業だったのですが、身の入り方がまるで違い、めちゃくちゃ楽しかったです。

福祉、とは言えるのかわかりませんが、市から補助金が月に1000円ほど出る手紙が来たので、直接市役所で聞きながら受けてみたいと思っています

変な親…。貧乏なだけかもしんないけど。

自分環境が違う自身の子バカにしたり、嫌いな元夫に似てるとか言ったり(一番言っちゃいけないやつ)完全に毒親じゃん

母はうつ病なので、他人には理解できない考えもあるかも知れません。本気で辛いこと言われたり、何度も喧嘩しました。

離婚した当初、他の人との再婚の話も出たそうなのですが、親に捨てられると思っていたので、全力で拒否しました。

そのせいで、現在までも貧困問題などを抱えたり、親の伴侶を得る機会をなくしたこともあり、今までお世話になった親の面倒もしっかり見れるぐらい金銭的に不自由なくしたいと思うようになりました。

当然、自分の子供にはこういった思いをさせたくなく、より良い幸せを探したり、色んなことに挑戦させて、失敗を恐れない人になってもらいたいです。

実際に今も癒えない傷は心だけではないですが、それでも親について考えるのは、いざとなった時話を聞いてもらったり、今でもたまにご飯も一緒に食べたりもしますし、同居していたときより仲良くしていています

話をしている時、母も姉も生活保護ではなく自立したいという話があり、再就職不安ことなどを聞きました。

母は、障害者2級、姉は3級です。将来の話を聞いていたら、一番多く親子喧嘩になっていた自分に「うつ病を長引かせている原因は自分ではないか」と思う節があり、そういう意味自責の念があります。(姉に関しても、自分と親のそういう面で、親に何も言えなかったんじゃないかと思います

大学に行かせてもらったのも、入学金が借りられないため親のお金でしたし、恩があります

変な家庭かもしれないですが、喧嘩していないときはどこの家族より仲がいいと思います

この家族のためにしたいことはたくさんあります。それに自分がしたいこともたくさんあります不登校の頃、NHK白熱教室を見ていて、大学の授業を受けたかったし、就職不安を拭いたかったこと、些細ではありますが、学生らしい生活を送りたかっったこと、色んな気持ち大学進学を志しました。

自分勝手で未熟なところもあり、この生活愚痴をこぼすこともありますが、この匿名ブログだけに抑えているので許してください。

資格の話ですが、これを取れば少しでも世界が変わるんじゃないかと思っていただけに、「あまり必要ない」「会社に入ってからでも大丈夫」という声が多かったのが、驚きでした。

ご飯をご馳走してくれる というコメントもあったのが、嬉しかったです。申し訳ないのですが、自分大阪市民なので、東京に行くのは18切符のある時か、就活の始まるころだと思います

厚かましいですが、その時ご馳走していただけたら幸いですww

また、年上の方の話を聞くのが好きなので、仕事の大変さや面白さ、家庭を持ったとき気持ち学生時代お話なども聞きたいです。

重ねて不躾なお願いをいたして申し訳ないのですが、こちらのメールで連絡を待っています

hibik@me.com

2017-04-03

10年も一緒に暮らしている

大学2年生の4月からAと一緒に暮らし始めて、気がついたら10年が経っていた。

1年生の時に北陸地方都市からやってきた私は、

親の負担を考えて、安い学生寮へ入った。

それが間違いだった。

とにかく「先輩」が嫌だった。それに迎合する同級生も嫌だった。

入寮してすぐのコンパでは、風呂につかりながら、お酒を飲まされる「伝統行事」を強いられた。

「これはイニシエーションなんだよ」と先輩からはきつく言われ、私は大人になった。

私はここをすぐにでも出て行きたかったが、

お金問題と親が心配するといけないので躊躇していた。

そんなある日、それほど仲良くなかったけど、友達の友達つながりで知り合ったAと

たまたま学食で一緒にご飯を食べている時に、愚痴っていたら、

「ほんじゃ、うちへこない?」と誘われた。

それほど仲がよかったわけではなかったので驚いたところ、

ルームシェアしていた子が、大学を辞めるので困っていたところ」

増田なら真面目だし、知らない人じゃないか安心

ということだった。

私には渡りに船で、正月実家に戻った時に親にも説明し、春から引っ越すことにOKをもらえた。

二人暮らしは快適だった。

休みの日にはよく遊びにもでかけたし、課題も一緒に片付けた。

みんなからも二人暮らしを羨ましがられ、共通友達もよく遊びに来てたまり場のようになっていた。

大学卒業する時に、わたしはAとこの生活をどうするか相談したが、

Aは当たり前のように、「え?出ていくつもりだったの?」と言っただけで、私の心配杞憂に終わった。

私は広告代理店デザイン室に入り、Aは有名な建築事務所就職することになったが、

二人ともここから出ていかなかった。

そして10年が経っていた。

私達はこれからどうなるのかなーとぼんやりと思う時もある。

私もAもそれなりに仕事の実績と経験を積んで、大きな仕事担当するようになった。

Aには彼氏がいるような話は聞かないが、男友達がいないわけでも無い。

ただ、ここに連れてくることはない。このあたりの距離感が居心地良い。

昨日、

「居心地が良すぎるのも問題かなー」とふとつぶやいたら、

「そうでもないよ?」とAがおどけて抱きついてきた。

2017-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20170330043330

なんでシェアハウス食洗機とか置いたのかな?住民生活リズムが合うわけないのに。

どうせ電気代と水道代削減で貯めて洗う事にしたんだろうけど、それだとこういう問題起きるの分かるだろ。それなら個々人が手洗いした方が楽だわ

食洗機は洗い専門の人が居るか、生活リズムが合いやす家族一人暮らしじゃなきゃ使いにくいよ。

やっぱシェアハウスは闇が深まった学生寮だな。中途半端な人との繋がりが一番悪い。

2016-11-20

東大の三万に切れてる理由が解らない

女子寮が取り壊しになったか家賃補助として三万出す、男子学生は五千円で学生寮に入れる

これの何が男女不平等になるの?

2016-11-19

結婚式に呼ばれた事がない

27歳、理系院卒、ごく普通会社員

今まで生きてきて、1度も結婚式に呼ばれた事がない。ひとりっ子かつ親戚付き合いも殆どないので、身内の結婚式にも出たことがなく、本当に祝いの席に参加した経験は皆無である。流石にこの歳になると、結婚式に出た事がないとは恥ずかしくて誰にも言えない友達がいないと公言しているようなものだ。

友達がいなかった訳ではない、と思っている。いや、今となってはよく分からないが。

小学校イジメられっ子だったが、学区の違う中学高校では一緒に遊ぶグループもできた。しか卒業と同時に縁が切れ、今ではフェイスブックふわふわ繋がっているだけの関係。なまじ繋がっているから、彼等が素敵なパートナーと結ばれて華やかな式を挙げたことだけは知っている。早い人には子どもも出来た。大学生活はリア充とは程遠かったものの、サークル語学クラスバイト先、学生寮にそれぞれ親しい人達がいた。しかし、サークル活動ガチ過ぎてついて行けなくなって辞めてしまった。無理にでもついていくべきだったのだろう。語学クラスバイト先の仲間は、進学•就職を機に付き合いがなくなった。こちらも高校時代同様、フェイスブックだけで未だふわふわ繋がっていて、最初の数年は同窓会もやったりしたが、そのうち開催しなくなった。SNSでの私の見かけの友達数はやたら多い。学生寮人間とは、引越した後も比較的長く付き合っていたが、2-3年もすると徐々に疎遠になってしまった。学生寮同窓会ネットワークもないので、今後会うことはないような気がする。大学院研究室関係者とは、今も関わりがない訳ではないが、非常に表面的な付き合いである。

考えてみたら、友達だと思っていたのは私の一方通行勘違いで、どこにも友達は居なかったのかもしれない。だから、誰からも祝いの席に呼んでもらえないのだ。お前が積極的に繋がりを残そうとしなかったのが悪いんだろう、自己責任だ、と指摘されるかもしれない。確かに、私は同窓会幹事をやった事もないし、そんなネットワークも行動力も持っていなかった。でもその程度の受け身人間、いっぱい居るじゃないか。それに、親しい(と思っていた)数人に連絡して遊びや飲みに誘うくらいのことなら、自分でもやってきた。けれど、私がやると何故か上手くいかないんだ。誰も乗り気でないような、酷い場合には全員不参加で流れるような。

今の職場にも、プライベートで飲みに行ったりする仲間はいるが、彼等を友人と呼んで良いのか分からない。職場が変われば簡単に付き合いは無くなる気がする。ついでに言うと既婚者ばかりなので、仮に付き合いが続けられても結婚式経験なのは変わらなかったりする。

そういえば職場の後輩が、学生時代の友人の結婚式が今週末あると言っていた。新しい服やらご祝儀やら、出費がキツいと嘆いていた。「増田さんくらいの年齢だと結婚式多いですよね?どうやってやりくりしてるんですか?」と聞かれたけど、さすがに行った事がないとは言えず、金欠だよね等々言って適当に誤魔化しておいた。今頃披露宴なのだろうか。誰かの華やかな人生の門出に立ち会って祝福するというのは、どんな感じなのだろう。私には、誰かを祝福する資格は無いのかもしれない。

2016-07-28

はてな村アノニマス大学

講義中に脱糞する学生が多い。

学長はかのせみゆう氏。

教員名簿には賢そうなidが並んでいる。

工学部には体制側と思しきid散見される。

文学部では紳士とは名ばかりの犬が飛びかかってきたり魔王ティッシュ配りしている。

ブクマ科には整形アイドルダジャレ神やしいたけなどが在籍している。

学内で最もカオスな専攻であるともっぱらの評判である

生協では教授陣の単著ファイナル弁当が売られている。

学食メニューワインと鯖カレーコンビニは潰れた。

運動場の一角には瞑想スペースがあり傍らにはプリンターが置かれている。

学生寮ではニート原稿に追われている。

風呂はない。そんなもの無駄である

大学の動向を監視する諜報員存在が囁かれている。

一説によるとハゲていたとかスピンしていたとかよく知らない人気持ち悪いなどと言われているがいずれも定かでない。

近年は過疎化インターネット大衆化の影響を受け本大学も変化を余儀なくされている。

しかし夜のキャンパス上空に浮かぶ星々のまたたきはこれからも変わらず私たちの胸を打ち続けるのである

2016-06-03

http://anond.hatelabo.jp/20160527222559

 学生寮屋上に上って、この街に溢れている幾つもの神話について思いを馳せてみる。ペンキの剥げかけた給水塔の淵に座って、その錆の浮いた表面をゆっくりと歩く蛍の姿に目を遣る。幾つもの神話が生まれ、そして死んでいった。もう二度と蘇ることのない神話もあり、そうでない神話もある。そして、多くの人間自分の抱えている神話が死んでいることにさえ気付くことはないのだ。


 僕にとっての神話が死んでしまったのはいつのことだったのだろう、と蛍の動きを観察しながら考える。それは確か、僕が十五歳だった時のことだ。その歳に、僕は初めてフランツ・カフカ小説を読んだのだった。

 そういう歳だ。

 結局、僕にとっての神話というものは僕をどこかに連れて行くものではなかったのだ、と思う。寧ろ、神話喪失こそが、僕を遠くへと連れて行くための条件だったような気さえする。僕がこれからどこへ行くとしても、その条件は喪失に他ならないのだ。それは海よりも深い確信だった。耳を済ませば夜の羽音が聞こえる。それは今にも飛び立とうとしている。ほんの微かな音であるにせよ、それは僕の耳に届く。それが神話というものだった。そして、その聴覚こそが、神話を喪った人間が引き換えに手に入れることのできるものだった。僕がどこかに行くには、何かを失うしか無いのだ。


     ◇


 やがて、蛍が飛び去っていってからも、僕は長い間その蛍が去っていった方角を眺めていた。

 僕は目を閉じ、自分の中を通り過ぎていった長い時間について考えた。目を閉じた後の暗闇の中を、蛍の灯は長い間彷徨っていた。僕は、その軌跡に手を伸ばしてみた。その指はどこにも触れなかった。僕が捉えようとした光は、僕の指のほんの少し先にあった。

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