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はてなキーワード: 現代文学とは

2019-01-17

anond:20190117002035

評価基準テーマ共感できたか関心を持てたか単純に面白かったかだよ

現代文学は数ページめくってケッってなる共感できない

現代文学全般的にケッとなる

純文学はどんなに厨二でも時代だしね?で納得感ある

現代の本でも児童文学はい

2018-10-07

anond:20181006171453

ラノベ読んでるようなオタク童貞処女ばかりだから。作者もそうだったりする。セックスというごくありふれた日常が書けないあるいはそういった描写需要がないのは、彼らにとってセックスが非日常すぎるから

ラノベは腐敗した純文学業界よりも現代文学らしいことをやってる!」とか言いながらセックス描写も満足にできないんだよな。まあセックス価値というのも変わってきたと捉えることもできなくはないけど。

2018-06-12

anond:20180612144242

小説文学の一部だろ。「現代文学」ではないけれども。

anond:20180612142703

日本に限って言えば、そもそも現代には文学がないっていうのが定説な気がする

そこそこ名の知れた文学部に入って複数大学で授業受けたけど現代文学否定から入る先生が多かったのが印象的

でも世間一般感覚で言えば村上春樹はもう文豪なんじゃないか

2018-06-05

anond:20180605164632

本上げた増田だけど、一般教養心理学概論っぽい授業で出てきたよ。だから一般教養じゃないかなぁ。

アリエス文系現代文学とか社会学とか心理とか歴史やってる人だったら知ってないとだめなレベルだと思う。自分は某語学科。

2018-05-31

anond:20180531165434

落陽の賦(1954年処女作1961年に「落陽」と改題)

地唄1956年本来長編『断弦』の一部)

処女連祷 三笠書房 1957 のち集英社文庫

まつしろけのけ 文藝春秋社 1957

断弦 大日本雄弁会講談社 1957 のち文春文庫

花のいのち 小説林芙美子 中央公論社 1958

ずいひつ 新制社 1958

美っつい庵主さん 新潮社 1958 のち文庫

げいしゃわるつ・いたりあの 中央公論社 1959

江口の里 中央公論社 1959 のち文庫

紀ノ川 中央公論社 1959 のち文庫角川文庫新潮文庫

こぶとりじいさん 伊東万燿絵 講談社 1959 (講談社絵本)

私は忘れない 中央公論社 1960 のち新潮文庫

祈祷 講談社 1960

新女大学 中央公論社 1960

有吉佐和子筑摩書房 1961 (新鋭文学叢書)

三婆 新潮社 1961 のち文庫、「地唄三婆講談社文芸文庫

ほむら 講談社 1961

弟子 中央公論社 1961

更紗夫人 集英社 1962 のち文庫

閉店時間 講談社 1962

雛の日記 文藝春秋新社 1962

脚光 講談社 1962

香華 中央公論社 1962 のち新潮文庫

若草の歌 集英社 1963

連舞 集英社 1963 のち文庫

左衛門四代記 文藝春秋新社 1963 のち新潮文庫

有田講談社 1963 のち角川文庫

仮縫 集英社 1963 のち文庫

つるの恩返し 講談社 1964 (講談社マザー絵本)

非色 中央公論社 1964 のち角川文庫

ぷえるとりこ日記 文藝春秋新社 1964 のち角川文庫岩波文庫

女館 講談社 1965

一の糸 新潮社 1965 のち文庫

日高川 文藝春秋新社 1966

ライオンめがね 熊田千佳慕講談社 1966 (講談社絵本)

乱舞 集英社 1967 のち文庫

華岡青洲の妻 新潮社 1967 のち文庫

地唄 新潮文庫 1967

不信のとき 新潮社 1968 のち文庫

海暗 文藝春秋 1968 のち新潮文庫

新潮日本文学 有吉佐和子新潮社 1968

かみながひめ 秋野不矩ポプラ社 1969 (むかしむかし絵本)

女二人のニューギニア 朝日新聞社 1969 のち文庫

出雲の阿国 中央公論社 1969-72 のち文庫

ふるあめりかに袖はぬらさじ 中央公論社 1970 のち文庫

芝桜 新潮社 1970 のち文庫

夕陽ヵ丘三号館 新潮社 1971 のち文春文庫

針女 新潮社 1971 のち文庫

恍惚の人 新潮社 1972 のち文庫

日本文学 阿川弘之庄野潤三有吉佐和子 中央公論社 1973

孟姜女考 新潮社 1973

木瓜の花 新潮社 1973 のち文庫

真砂屋お峰 中央公論社 1974 のち文庫

母子変容 講談社 1974 のち文庫

複合汚染 新潮社 1975 のち文庫

鬼怒川 新潮社 1975 のち文庫

筑摩現代文学大系 芝木好子有吉佐和子筑摩書房 1976

青い壷 文藝春秋 1977 のち文庫

複合汚染その後 潮出版社 1977

和宮様御留 講談社 1978 のち文庫

悪女について 新潮社 1978 のち文庫

有吉佐和子中国レポート 新潮社 1979 のち文庫

日本の島々、昔と今 集英社 1981 のち文庫中公文庫岩波文庫

開幕ベルは華やかに 新潮社 1982 のち文庫

すごい・・

2018-02-20

悲報馬鹿に褒められて悲惨なことになる

…○○さんも政治から外交安全保障まで幅広い分野にわたって、切れ味鋭い評論活動を進めておられますが、その基礎となっているのは源氏物語をはじめとした古典から現代文学まで、日本人の核となる精神文化に対する深い洞察である、そう確信しています。「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」。以前、対談の折に新保先生から教えていただいた松尾芭蕉言葉です。

保守精神を追い求めることが時代を超えて誰の心にも響く、正論につながっていく。大変、示唆に富む言葉であります

「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」というのはどう考えても保守精神」とやらを追い求めることじゃねえよ。

そもそもこの言葉意味は、古人がかつて求めた跡(保守)を求めるな、古人が求めた理由や背景を理解して古人が今生きていたらどう判断するだろうかを考えろ(時代に合わせて変化せよ)ってことだよ。形を真似るな心を真似ろってことだ。ちなみに、この言葉芭蕉自身引用として使っていて、おおもとを言ったのは空海だよ。「書亦古意ニ擬スルヲ以テ善シト為シ、古跡ニ似ルヲ以テ巧ト為サズ(性霊集)」。書道というのは、古跡(昔の大家の書)に「似る」のをもって「巧み」とは言わない、古意(昔の大家が考えたこと)に「擬する」(大家気持ちになったつもりになる)のを「善」とする、という意味だ。それを「風雅」にも通じるね、ってやったのが芭蕉趣旨だ。芸術創作における風雅なんて、前の人のやったことをただ真似してもただの猿真似からな。

書と風雅は同じではないが、この点では通じるところもあるかもしれない。芭蕉が言ったのはその程度のことだ。決して世の中の永遠の真理について述べたわけではないし、そもそも政治」なんて全く畑違いのところにこの言葉適用できるのかどうかも分からない。なのに何が「示唆に富む」だ。古典自分の都合のいいように解釈したり正直意味が分かってない人間が使う決まり文句だ。古典引用して僕ちゃん格好いい、って思ったか? 残念、馬鹿晒しただけだ。だいたい、直前の別の人を褒めた文章

わが国の悠久の歴史伝統文化に裏打ちされた価値観は、世の中がいかに変転しようとも揺らぐことはありません。そうした中で伝統的な価値観立脚し、真の日本人精神を復活させる

この発言のどこに「古人の求めたるところを求め」る姿勢があるんだよ。ひたすら「古人の跡」万歳万歳じゃねーか! その時点でこの記事上げてる「メディア」のレベルが知れるわ。

日本人の核となる精神文化」を欠片も知らず理解もせず、こんな人間に得意げに「教えていただきました!」みたいに褒められるとかホント罰ゲームしか言いようがねえ。その点は受賞者に同情する。まあ自業自得だけどな。それから我が国宰相におかれては、こんな阿呆丸出しの文章を平気で得意げに掲載する程度の自称マスメディア」に担ぎ上げられて舞い上がっておられて本当に可哀想だ。その程度の人間しか応援もしてくれず周りにもいてくれない、その程度の人間としての能力しか持ち合わせておられないことに同情を禁じ得ない。心ある人には完全に見限られているってことだな。親父はもう少し賢かったのだから母親ダメだったんだろう。まあ勉強から逃げ回っているとこういう人間になるといういい見本だからせいぜい恥を晒してくれれば少しは世間への教育にいいかもしれない。

2017-04-14

本屋大賞以外のランキング総合(4選)

本のランキング(各年/複数名の投票合議制による)で参考にしているもの

名前2016年ベストリンク所感等
キノベス!翻訳できない世界のことば』エラ・フランシスサンダースキノベス!2017紀伊國屋書店スタッフが全力でおすすめするベスト30(2003年~)。ジャンルが多彩で楽しい
本の雑誌『慈雨』柚月裕子本の雑誌2017年1月 宝船どんぶらこ号 No.403 - 今月の本の雑誌 | WEB本の雑誌選考会議が良い意味グダグダ面白いノンジャンルの他にも、SFミステリー現代文学ノンフィクション時代小説エンターテインメント個人が選定。
BOOK OF THE YEAR(ダ・ヴィンチ小説 君の名は。 (角川文庫)』新海誠ダ・ヴィンチ「BOOK OF THE YEAR 2016」対象10月1日9月30日なので3ヶ月分は翌年に持ち越し。
静岡書店大賞ツバキ文具店』小川糸静岡書店大賞:第5回 静岡書店大賞 発表!静岡県内の新刊書店図書館に勤める全ての従業員投票権を有し、毎年一回、県民読者におススメする本を選定するオープン文学賞。前向きな志を感じる。

10作品以上のランキングとなっているもの限定(各文学賞王様のブランチ・ブックアワード等は対象外)。

訳者出版社記載しませんでした。すみません

2016-07-12

ハイファンタジー」の定義をめぐる問題

小説家になろう」のジャンル再編の影響で、「ハイファンタジー/ローファンタジー」の定義について議論になっている。

http://syosetu.com/teaser/genre/

問題の原因は、「ハイファンタジー」の定義が、異世界舞台としたファンタジー異世界歴史文化が作りこまれ重厚ファンタジーとに分裂している点にある。特に後者定義採用している人物が、Web小説ライトノベルファンタジーを指して「あんものハイファンタジーではない」と発言し、周囲の反発を招くことが多い。以下、便宜的に前者を「舞台」派、後者を「重厚」派と呼ぶ。

まずは「小説家になろう」の定義を見てみよう。ジャンル改編に際しての説明の中で、「なろう」の運営は「ハイファンタジー」を以下のように定義している。

ハイファンタジー

現実世界とは異なる世界を主な舞台とした小説

ローファンタジー

現実世界に近しい世界ファンタジー要素を取り入れた小説

まり舞台」派である異世界転移系の扱いについて当初は混乱があったが、「主な舞台」が異世界であれば、異世界転移系でもハイファンタジーに分類するのが、「なろう」基準では妥当だと思われる(実際に多くの作品がそう分類されている)。

次にWikipediaを参照しよう。

ハイファンタジー (High Fantasy) は、ファンタジーサブジャンルの1つ。「異世界ファンタジー」と呼ばれる事もある。

独自世界観や歴史もつ架空世界異世界)を主な舞台とし、現実世界(の直線的な歴史風俗)とはかかわりが薄いのが特徴の物語で、ロー・ファンタジーと対比して使われる語句である。明確な定義ではないが、

どうやら「舞台」派の定義採用されているようである

ただし続けて、

本稿では主にハードファンタジー視点とした内容を記述する。

として、「その世界に生きる者や世界の成り立ちそのものから作られている」「作品傾向としては重厚」「シリアストーンで進行する」「叙事詩エピック)的である」「勢力の壮大な対抗をテーマとする」などの特徴が挙げられている。「重厚」派にも配慮した記述と言えよう。また、異世界転移系は基本的にはハイファンタジーに含めるが、ときに分類されないことがあるとも書かれている。

英語版Wikipediaも見てみよう。筆者に英語力は皆無なので誤訳もあろうかと思うがご容赦願いたい。

High fantasy is defined as fantasy set in an alternative, fictional ("secondary") world, rather than "the real", or "primary" world. The secondary world is usually internally consistent, but its rules differ from those of the primary world. By contrast, low fantasy is characterized by being set in the primary, or "real" world, or a rational and familiar fictional world, with the inclusion of magical elements.

ハイファンタジーは「現実世界」とは異なるもう一つの架空世界を描いたファンタジーとして定義される。異世界の内側には一貫した法則性存在するが、それは現実世界のものとは異なっている。対照的にローファンタジーは、現実か、もしくは現実に近い架空世界の中に、魔法的な要素が内包されるという点で特徴づけられる。

やはり「舞台」派である

ハイファンタジーにしばしば含まれる特徴的な要素として、「特別な才能を持った主人公」「ビルドゥングスロマン」「善と悪の対決」「エルフドワーフゴブリンドラゴンなどの種族」「魔法使い」「人工言語」などが挙げられている。

また、「異世界召喚ものであるナルニア国物語』は、こちらでもハイファンタジーに分類されている。

重厚」派の一部には、「エルフゴブリンが出てくるようなゲーム的なファンタジーは(始祖たる指輪物語を除いては)ハイファンタジーとは言えない」とか、「善なる英雄が悪を倒すというようなファンタジー(いわゆるヒロイックファンタジー)はハイファンタジーではない」とする者たちも存在するが、英語版Wikipedia記述は彼らの主張とは異なるように思われる。

ローファンタジーの項目では、

The word "low" refers to the level of prominence of traditional fantasy elements within the work, and is not any sort of remark on the work's quality.

「ロー」という言葉は、作品内における昔ながらのファンタジー要素の度合いについて語っているもので、作品品質についてのことではない。

などとわざわざ書かれていることにも触れておこう。

ちなみに英語版Wikipediaが「High Fantasy」の命名者として指定しているLloyd Alexanderのエッセイ『High Fantasy and Heroic Romance』(1971)はこちら。

High Fantasy and Heroic Romance* — The Horn Book

In modern literature, one form that draws most directly from the fountainhead of mythology, and does it consciously and deliberately, is the heroic romance, which is a form of high fantasy.

現代文学において、神話という水源から最も直接的に流れを汲んだ一つの形態として、それは意識的かつ意図的ものだが、ハイファンタジーの一形態であるヒロイックロマンスがある。

微妙に訳しづらいのだが、要するに「神話を源流とするヒロイックロマンスハイファンタジーの一形態である」としてしまってよいのか。

さらヒロイックロマンスで高い評価を得ている作家として、ウィリアム・モリスロード・ダンセイニエリック・エディスン、ジェームスブランチ・キャベル、C・S・ルイス、T・H・ホワイト、そしてJ・R・R・トールキンらの名前が挙がっている。

ハイファンタジー定義を具体的に説明している箇所は無く、あまり参考にならないような気がする。

実際に「ハイ異世界」「ロー=現実世界」が明確に定義された最初期の例としては、R.H.BoyerとK.J.Zahorskiによって編纂された『Dark imaginings』(1978)の序文がある。

Dark imaginings: a collection of Gothic fantasy - Google ブックス

Dark Imaginings is also unique in bringing together two distinct types of fantasy under one cover: High Fantasy with its imaginary, secondary worlds and Low Fantasy with its realistic primary world.

想像上の異世界を扱ったハイファンタジーと、現実的なこの世界を扱ったローファンタジーという、二つの異なるファンタジー類型を一冊にまとめている点もDark Imaginingsの特徴です。

これで少なくとも「舞台」派の用法が、ごく最近になって現れたものではないということが分かる。

もちろん、これをもって「重厚」派が完全に否定されるわけではない。

昔は「異世界舞台にする」といえば「異世界歴史文化を作り込む」のがほとんど自明だったのだろうし、また現在ほどの多様なファンタジー形式を想定していたとも思えない。

ただ、とにもかくにも現代においては「ハイ異世界」「ロー=現実世界」という区分けのほうが、より明確で、より普及し、より平和であることは間違いない。

追記

ハイファンタジー」「異世界ファンタジー」を巡る問題についてはこちらも参照のこと。

『ロードス島戦記』は異世界ファンタジーではない……のかもしれない。 - 前島賢のラノベ以外

追記2。

異世界召喚もの」についてもう少し言及しておく。

舞台」派を採用するならば、多くの「なろう」系作品ハイファンタジー問題ないと思われる。

多くの場合ナルニアハイファンタジーに分類されるのであるし、主人公知識現実に由来するものであっても、作品舞台異世界であることは紛れもない事実からだ。

ただし「異世界かどうか」の判断は実のところ難しい。

たとえば、ハイファンタジー代表格たる『指輪物語』の世界は、現実地球古代の姿であることが明言されている。

ハリー・ポッターシリーズホグワーツ魔法魔術学校は、まるで異世界のように描かれつつも、設定では「イギリスのどこかにある」とされる。

深く考えるほど、異世界舞台にしているか現実世界舞台にしているか判断するのは困難となる。

2016-03-09

http://anond.hatelabo.jp/20160309211821

分かる。

程度の低いモノを愛好している人間に、程度が低いですねと指摘するとものすごくよく燃えるのをよく見るが、不思議で仕方ない。

軽いものは軽いものとして楽しむのはいい。そのための「ライトノベル」。俺も好きよ。

けどさあ、「純文学が好きだからって肩肘張りすぎじゃね? 表紙がイラストからって偏見持つなんて心の狭い哀れな奴め、ラノベだってすげえんだよ! 近現代文学たって、時代が古くて評価が定まってるからみんなありがたがって読むだけだろ?」っていうあのドヤ顔ものすごく腹立つ。

偏見なんか持ってねぇよ、こっちはお前らと違って何でも読むっつーの。哀れなのは小説を表紙で判断してるお前らだよ。斜め上すぎてびっくりするわ。

ちゃんとした文学を読みもしないで、「ラノベを悪く言うな!」たってそりゃ無理だろ。

なろう小説とやらを、江藤淳柄谷行人に読ませて、「ネット小説からって馬鹿にしないでください!」って目の前で言えるか?

少なくとも俺は言えない。たぶん視線だけで死ねる。

なんてな。冗談だよ冗談。あーあ。

2015-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20150906074938

あれ俺行けんじゃね? と一瞬思いかけたが一番の問題として自分は37になったばかりのキモメンのゲーヲタおっさんという部分を思い出して冷静になる。

というか元増田もうすぐ30って妹と同年代だよキモメンとか置いておいても年離れすぎやで…

2015-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20150829231502

エロゲの有名作品をいくつかやってみたけど、純文学前衛的な現代文学クロスオーバー自覚的に試みているような作品存在しないと思う。

文学的に頑張ってるエロゲ作品って海外ハードSFハイファンタジー、日本ミステリ新本格特に京極夏彦とか)等を美少女とのセックスや俺TUEE!系の中二病設定などの砂糖菓子コーティングした劣化コピーという印象だった。

しろ当時、文学に対して真面目でストイックオタクエロゲの作り手やユーザーを見下す傾向にあったと思う(故・伊藤計畫とか)エロゲイラストビジュアル方面にしてもハイエンド系に影響を受けた世代hukeなんかは自身ブログで「エロゲから絶対に影響を受けない」と拒絶の意思を表明していた。

そう言った事実から意識の高いオタクハイエンドブームを支持し、エロゲブームは絵が理解できない低リテラシーヌルオタク達のなんちゃって選民思想表明で正解だと思う。

ただKeyAirとかは文学的にポンコツで稚拙過ぎて逆にアンチ文学としてものすごい凄みを持ってしまった作品のような気がする(映画で言うと塚本晋也の初期作品のような)。

大多数は無垢で純粋美少女死ぬ単純明快な感動ポルノプロットで泣きながらオナニーするような豚野郎だったと思うけれど、ヒロインの名台詞永遠はあるよ」を始めとする要所要所の演出により稚拙いたる絵グラフィックを映し出すパソコンモニタの向こう側に永遠見出ししまナイーブ性格で高リテラシーオタクである沙村広明西E田がいたのも事実だ。

ただこれはヌルオタですらない俺の独断偏見なので。

もっとエロゲオタク事情に詳しいKanose大先生あたりに余裕ぶっこいてないでさっさと当時のムーブメントの詳しい解説反論をして欲しいですね。

2014-08-31

現代文学文壇西尾維新が紹介される時代

今や国立大学筆記試験でも出題されるようになった。

他のライトノベルだと、はがないとかバカテスとか。

文章の良し悪しはともかく出題者の考えを書かせるよりも

ラノベも立派な試験課題になり得る程現代文学に取り入れられ出したのは面白いと思う。

2014-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20140511083433

文学」という言葉定義を、もう少し広げるか狭めるか、ハッキリさせた方がいいんじゃないかね。

定義を狭くして、いわゆる「フィクション」を楽しめないという人は一定いるわけで(たとえばウチの兄貴は、映画というものが金輪際楽しめない、という。理由は登場人物を見ていると、その行動の非合理性イライラさせられるからだそうだ。)、面白くないものを無理に面白がろうとする必要はないと思う。堅苦しく難しい「フィクション」というのは、そういう趣味世界にはあるかもしらんけど、まあ必需品ではないし。

また、例に挙げられている「ニホンブンガク」はもう少し定義が広く、「文学社会の教師たるべし」みたいな時代産物なんだよね。哲学社会問題警句歴史神話・劇、などなど、さまざまな要素を加味して楽しまれていた総合芸術表現技術技法というのもその中にはあるけれども、単なる言語芸術以上の何かを含んでいたもの。そういう意味での「文学」には、社会で生きていて、人文系の問題領域に関心があれば、どこか引っかかる作品や作者があるだろうと思う。優れた作品も、時代性を背景にしている部分は大きいので、たとえば日本新興国として成長とその限界の予感にあった時代雰囲気を抜きにして夏目漱石を読んでも当時人気を博した理由は分かりづらいだろうし、社会の逼塞の度合いを抜きにして横光利一の「機械」やその文体面白さも分からないだろう。また、大正の退廃から戦時下にかけての日本時代風景を抜きにして太宰を読んでも、本当のところ何やら分からない部分があっておかしくないと思う。「御伽草子」なんか、戦時言論統制下で発表されたということを理解すれば、相当面白い。(これは、実際当時の人が「戦時下で次々大家が筆を断ったころ、太宰の御伽草子けが文学』を求める乾いた心を癒してくれた」といった類の感想がある。)

もちろん、そんな中にも、時代を超えるような「何か」に触れた作品というのもあるわけで、同じ作者のものでも「こころ」や「春は馬車に乗って」や「人間失格」なんかはそういう部分を大きくもつ。だから日本文学世界性がない、ってこともないと思うよ。

とりあえず、増田は、太宰よりは坂口安吾、芥川よりは谷崎潤一郎を読むべきじゃないかなあと思う。現代文学でいうなら、村上春樹より村上龍を読んでみたら、っていう程度のアドバイスだけど。まあ、あんまりいい喩えじゃないんだけどね。

2012-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20121208045735

古典厨だけど、現代文学読んでキャッキャワイワイ騒いでるのってサムい

現代文学にも色んな楽しみ方があるのは知っているけどなんだか浅く感じる。

それでも、村上春樹とか伊藤計劃とか考察してる人はすごいと思う。

そもそも考察できる人はすごいと思う。自分はできないから。そこまでのめり込めないから。

ただ、同じくキャッキャワイワイするにしても、現代文学読んでするのと、古典なり海外文学なり哲学書なりに触れてするのだと違う気がする。

なんて言うか、その物語がその作家によるものであることを礼賛している態度が気に食わない。というか、物語を楽しむんじゃなくて、作家を楽しんでるのが嫌だ。

作品同士の関係から成る作家論を馬鹿にするわけじゃないんだけども。

あと、即時性とか話題性とかそういうのばかりが目に付くから嫌いだ。

コミュニケーションツールとしてだけ楽しんでるのが腹立つんだ。

そんな人ばっかりなわけはないのだけれど。

から見てるとすごく薄っぺらく見える。

色々あるんだろうけど。

2012-11-16

サブカル抜きの現代文学

やってる人って誰かおりますのん

文学フリマとか行けばええんか。

あそこは逆にサブカルのすくつか。

2011-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20110525105700

量子テレポーテーションとか、知らずに聞いたらトンデモSFの領域だぞ。

量子力学は一通り勉強したから知ってますよ。

「知らずに」聞いたらトンドモに聞こえますよね。

考古学についてはどう思う?

現代文学は?

哲学は?

どんな学問宗教も、結論が出ないという意味では不毛だし、

それをうまく使えば有効に機能するという側面がある点を認める必要もある。

そんなの常識だと思うけど。

そして、あなた神学について、どれだけ真面目に向き合ったのか?

真面目に向き合わなければならない理由がないし、

真面目に向き合った後でなければ発言してはいけない理由もないと思う。

僕が「不毛」と断じているのは、僕から見てのことであり、

他の人から見て不毛はな可能性があることは認めている。

もっと言えば「僕に将来必要になるかも知れないのだから不毛と断ずるのはおかしい

という人があるかもしれないけれど、

何かをやろうと思ったら何かを捨てなければならない犠牲にしなければならないわけで、

少なくとも今の僕にとってはキリスト教はわずかなりとも時間を割く価値がないもの

それでも別の理由で勉強しなければならない状況になることもあったりする。

2011-05-26

[]http://anond.hatelabo.jp/20110526183545

あなた「バカ」と罵る前に考えるべき3つのこと。

2011-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20110524034338

(追記)

科学の話は全くしていないのになぜコメントがその話ばかりなのか。。。

あなたの説は、ほかの学問にも当て嵌まるものだから

量子テレポーテーションとか、知らずに聞いたらトンデモSFの領域だぞ。

考古学についてはどう思う?

現代文学は?

哲学は?


そして、あなた神学について、どれだけ真面目に向き合ったのか?

2009-03-07

○○○くらいで×××ヲタの領域に踏みこんでんじゃねえよ糞××ヲタ

http://d.hatena.ne.jp/raf00/20090305/1236262585

んー、タイトルだけならいろんな改変ネタができそうだ。そこで考えてみた。

この中でいくつかは、本当に俺の友人が似たようなことを言ってた。

2008-12-19

http://neo.g.hatena.ne.jp/debedebe/20081218

「アタシ状態遷移図」は、確かにジョークとして作成されたものかも知れない。

しかしながら、これは確かに/真剣に、現代文学/特に現代詩に新しい可能性を持ち込む思想だ。

このメソッドを使って書かれた/作成された詩は大きな反響/感動を呼ぶものになりうるはずである。

いや、マジでマジで

これは、ジョークで終わらせてしまうには勿体無さ過ぎる発見ですよ。

大きく広がれ、"「アタシ状態遷移図」ミーム"よ

2008-10-27

作家人生経験ないバカなの。死ぬなの?

ライトノベルが特異な発想をしたモノ勝ちなのって、日常人間関係恋愛とかに乏しいから

特異な設定を取っ払うと、みんな似たような話しか書けなくて、それを誤魔化すために

ヘンチクリン世界ルールがあったり、大騒動があるようにしか思えない。

文学だって、この世の中で珍しいくらいの不遇を抱えているマイノリティ社会的弱者

ありえないくらい、けだるげに思弁的な登場人物ばっかりなのって、そうしないと話が面白くできないからでしょ?

あいつらって、普通と違う発想でしか、普通と違う話が書けないから、普通の人に見向きされないようなニッチな話しかかけないんでしょ。

きっと、作家先生祭りたてる読者も作家先生と同様に人生経験が薄っぺらなヤツか、分厚い人生経験をもってるやつがああ、人生経験無いわりに頑張ってるなーってニヤニヤ読んでるくらいなんでしょなの?

人生経験マジックワードになってるなの? はぁ、バカなの? 死ぬなの?

じゃあ、学園異能って何よなの? 具体的な社会的弱者ってなによなによなの?

そんなひとくくり出来ないような概念を、ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってるオタクどもってバカなの? 死ぬなの?

ああ、薄っぺらな作品ばっかりなの。

でも事実を薄っぺらに表現するからこそ、有名な古典文学にしろ、すぐれたライトノベルにしろ、現代文学であっても、僕らは現実を間接的に直視する事ができるのだけれどもにょ。

それで、あたかも全部の世界社会が語ろうとする。経験不可能なことを可能したつもりになってる批評家の方が人生経験が無いよねのなの。

でも、作家言語化できなかったこと稀に言語化するからナイスじゃん、と思う時はあるなの。

結局、何かをひとつのジャンルで語ろうとする事は愚考でしかない。ひとつのジャンルによって世界を敷衍することはできるけどなの。

金型が社会にとってどういう関わりを見せているか、とかソレと同じ程度には、でも世界は金型では出来ていないのだなの。

まあ、経験の薄い作家先生のうすっぺらい人間言葉にも飽き飽きしたし、それをわざわざ拡大解釈して言語化するフォロワーのうすっぺらい感性にも飽き飽きしたよなの。

ったく、ブックマーカー上から目線のクセに、バカなの? 死ぬなのなの?

はやく、次のステージを見せてくれよ、薄っぺらい人間どもと上から目線なの。

2008-10-26

悪意を感じたので全否定します。

http://anond.hatelabo.jp/20081026030356 全部間違ってるね。あのね、文学は特異な発想で現実とは違う世界をつくり出していること自体に意味があるの。

そうすることで、現実を違った角度から見られるようになるんだよ。

あなたは「普通と違う発想」も「分厚い経験」も持ってないからそんな文句言うんでしょ?

文句言うことでしか自己表現できない。

以下引用と批判。

 「そんなひとくくり出来ないような概念を、ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってるオタクどもってバカなの?」

作家にも色々いるの。「そんなひとくくり出来ないような概念を、ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってる」あなたってバカなの?死ぬなの?

 「でも事実を薄っぺらに表現するからこそ、有名な古典文学にしろ、すぐれたライトノベルにしろ、現代文学であっても、僕らは現実を間接的に直視する事ができるのだけれども。」

→ほめてるじゃん。否定したいの?肯定したいの?

 「でも、作家言語化できなかったこと稀に言語化するからナイスじゃん、と思う時はある。」

→またほめてる。だから否定したいの?肯定したいの?

 「結局、何かをひとつのジャンルで語ろうとする事は愚考でしかない。ひとつのジャンルによって世界を敷衍することはできるけど。

  金型が社会にとってどういう関わりを見せているか、とかソレと同じ程度には、でも世界は金型では出来ていないのだ。」

→そんなこと高校生でも知ってます。

 文学は、複雑な世界を把握するひとつの手段であり、それだけで十分役割を果たしてるんだよ。

こういうどっちつかずの意見を展開している時点で、あなたが「普通と違う発想」も「分厚い経験」も持っていない

コンプレックスの塊であることを証明しています。

もっと素直になろうよ。

作家人生経験ないバカなの。死ぬなの? 」の元増田君へ

http://anond.hatelabo.jp/20081026030356

勝手添削してみたのでよかったら参考にしてね。

まずタイトルから

作家人生経験ないバカなの。死ぬなの?

正しいコピペは「馬鹿なの?死ぬの?」なので、君はコピペもまともにできない人間なのだと読者に思われてしまう。

ただし、有名なコピペをわざと間違えて使ってみせてからネタ伏線として利用するという手法もなくはないので、まだ読者もこの時点では判断を保留して読み進めてくれるはず。

ライトノベルが特異な発想をしたモノ勝ちなのって、日常人間関係恋愛とかに乏しいから

特異な設定を取っ払うと、みんな似たような話しか書けなくて、それを誤魔化すために

ヘンチクリン世界ルールがあったり、大騒動があるようにしか思えない。

煽り文として、かなり好調な書き出し。

ラノベを貶めるときの常套句を冒頭に配置することで、タイトルとの相乗効果で読者をうまく煽ることに成功している。

日常人間関係恋愛とかに乏しい」の主語がわからないけど、これはタイトルから「作家」だと推測してなんとか読み進めることが出来る。

文学だって、この世の中で珍しいくらいの不遇を抱えているマイノリティ社会的弱者

ありえないくらい、けだるげに思弁的な登場人物ばっかりなのって、そうしないと話が面白くできないからでしょ?

これも素晴らしい。

ラノベに限定した話だと思って読み進めていた、ラノベは読まないけど文学作品は読むというような読者に奇襲をかけることに成功している。

あいつらって、普通と違う発想でしか、普通と違う話が書けないから、普通の人に見向きされないようなニッチな話しかかけないんでしょ。

順調に読み進めていた読者の大部分がここでつまづく。

普通と違う発想でしか、普通と違う話が書けない」って当然だよね?「普通の発想」で書けないから「普通と違う話」なわけだし。

ただ、「普通の人に見向きされないような」というくだりで、なんとなく「普通の人が見向きするような、それでいて面白い話」を君が理想としているのだということは推測できる。

普通の人に見向きされる」っていう評価軸の導入が唐突過ぎるので、これについてはもう少し前置きが必要。

きっと、作家先生祭りたてる読者も作家先生と同様に人生経験が薄っぺらなヤツか、分厚い人生経験をもってるやつがああ、人生経験無いわりに頑張ってるなーってニヤニヤ読んでるくらいなんでしょ?

ここはいい煽り文だ。

作家先生」をバカにされて頭に来ていた「作家先生祭りたてる読者」たちの怒りが一気に吹き上がることうけあい。

ただ、「ああ、人生経験無いわりに」のくだりはカギ括弧で括らないと「分厚い人生経験をもってるやつがああ」って若本規夫モノマネみたいに見えてしまうので注意しよう。

人生経験マジックワードになってる? はぁ、バカなの? 死ぬなの?

予想される反論を的確に撃墜している。素晴らしい。

ただ、ここでタイトルコピペ誤用ネタではなく素でやっていたことなのだと確定してしまっている。

本論に入る直前でのミスはかなり手痛い。

大部分の読者はもう後の文章を読まないし、読む人がいても君をバカにする目的で斜め読みするだけだ。

いちど斜め読みモードに入った読者の関心をもう一度取り戻すのはとても難しい。

じゃあ、学園異能って何よ? 具体的な社会的弱者ってなによ?

そんなひとくくり出来ないような概念を、ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってるオタクどもってバカなの? 死ぬなの?

ああ、薄っぺらな作品ばっかり。

悲惨の一語につきる。

作者と読者のどちらをバカにしているのかもよくわからないし、「そんなひとくくり出来ないような概念」として並置された「学園異能」と「具体的な社会的弱者」の共通項も、それを通して君が明らかにしようとしているものもよくわからない。

ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってる」についても説明不足。

でも事実を薄っぺらに表現するからこそ、有名な古典文学にしろ、すぐれたライトノベルにしろ、現代文学であっても、僕らは現実を間接的に直視する事ができるのだけれども。

「間接的に直視」という表現がそもそも語義矛盾を起こしているし、「事実を薄っぺらに表現するからこそ」「現実を間接的に直視する事ができる」という理屈もよくわからない。

それで、あたかも全部の世界社会が語ろうとする。経験不可能なことを可能したつもりになってる批評家の方が人生経験が無いよね。

「可能する」という動詞存在しない。

批評家」という新しくでてきたキーワードプロ批評家のことなのか、作品について語りたがる読者一般のことなのか不明。

でも、作家言語化できなかったこと稀に言語化するからナイスじゃん、と思う時はある。

結局、何かをひとつのジャンルで語ろうとする事は愚考でしかない。ひとつのジャンルによって世界を敷衍することはできるけど。

金型が社会にとってどういう関わりを見せているか、とかソレと同じ程度には、でも世界は金型では出来ていないのだ。

てにをはの不足、「愚行」の変換ミス

「何かをひとつのジャンルで語ろうとする事」が何を指しているのか不明。

「金型」というのがキーワードみたいだけど、これも前置きが必要。何が言いたいのかぼんやりとしかわからない。

まあ、経験の薄い作家先生のうすっぺらい人間言葉にも飽き飽きしたし、それをわざわざ拡大解釈して言語化するフォロワーのうすっぺらい感性にも飽き飽きしたよ。

話の流れを唐突に遮っているので普通に考えれば悪文。

ただ、中間を飛ばしてここから読み出した読者が君の考えを三行で把握する役には立つ。

ったく、ブックマーカー上から目線のクセに、バカなの? 死ぬなの?

突然ブックマーカーに語りかけてもしょうがないだろう。

コピペ誤用はこれで三度目。

はやく、次のステージを見せてくれよ、薄っぺらい人間ども。

「次のステージ」というのが何を指しているのか不明。

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