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はてなキーワード: 現代文学とは

2011-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20110525105700

量子テレポーテーションとか、知らずに聞いたらトンデモSFの領域だぞ。

量子力学は一通り勉強したから知ってますよ。

「知らずに」聞いたらトンドモに聞こえますよね。

考古学についてはどう思う?

現代文学は?

哲学は?

どんな学問宗教も、結論が出ないという意味では不毛だし、

それをうまく使えば有効に機能するという側面がある点を認める必要もある。

そんなの常識だと思うけど。

そして、あなた神学について、どれだけ真面目に向き合ったのか?

真面目に向き合わなければならない理由がないし、

真面目に向き合った後でなければ発言してはいけない理由もないと思う。

僕が「不毛」と断じているのは、僕から見てのことであり、

他の人から見て不毛はな可能性があることは認めている。

もっと言えば「僕に将来必要になるかも知れないのだから不毛と断ずるのはおかしい

という人があるかもしれないけれど、

何かをやろうと思ったら何かを捨てなければならない犠牲にしなければならないわけで、

少なくとも今の僕にとってはキリスト教はわずかなりとも時間を割く価値がないもの

それでも別の理由で勉強しなければならない状況になることもあったりする。

2011-05-26

[]http://anond.hatelabo.jp/20110526183545

あなた「バカ」と罵る前に考えるべき3つのこと。

2011-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20110524034338

(追記)

科学の話は全くしていないのになぜコメントがその話ばかりなのか。。。

あなたの説は、ほかの学問にも当て嵌まるものだから

量子テレポーテーションとか、知らずに聞いたらトンデモSFの領域だぞ。

考古学についてはどう思う?

現代文学は?

哲学は?


そして、あなた神学について、どれだけ真面目に向き合ったのか?

2009-03-07

○○○くらいで×××ヲタの領域に踏みこんでんじゃねえよ糞××ヲタ

http://d.hatena.ne.jp/raf00/20090305/1236262585

んー、タイトルだけならいろんな改変ネタができそうだ。そこで考えてみた。

この中でいくつかは、本当に俺の友人が似たようなことを言ってた。

2008-12-19

http://neo.g.hatena.ne.jp/debedebe/20081218

「アタシ状態遷移図」は、確かにジョークとして作成されたものかも知れない。

しかしながら、これは確かに/真剣に、現代文学/特に現代詩に新しい可能性を持ち込む思想だ。

このメソッドを使って書かれた/作成された詩は大きな反響/感動を呼ぶものになりうるはずである。

いや、マジでマジで

これは、ジョークで終わらせてしまうには勿体無さ過ぎる発見ですよ。

大きく広がれ、"「アタシ状態遷移図」ミーム"よ

2008-10-27

作家人生経験ないバカなの。死ぬなの?

ライトノベルが特異な発想をしたモノ勝ちなのって、日常人間関係恋愛とかに乏しいから

特異な設定を取っ払うと、みんな似たような話しか書けなくて、それを誤魔化すために

ヘンチクリン世界ルールがあったり、大騒動があるようにしか思えない。

文学だって、この世の中で珍しいくらいの不遇を抱えているマイノリティ社会的弱者

ありえないくらい、けだるげに思弁的な登場人物ばっかりなのって、そうしないと話が面白くできないからでしょ?

あいつらって、普通と違う発想でしか、普通と違う話が書けないから、普通の人に見向きされないようなニッチな話しかかけないんでしょ。

きっと、作家先生祭りたてる読者も作家先生と同様に人生経験が薄っぺらなヤツか、分厚い人生経験をもってるやつがああ、人生経験無いわりに頑張ってるなーってニヤニヤ読んでるくらいなんでしょなの?

人生経験マジックワードになってるなの? はぁ、バカなの? 死ぬなの?

じゃあ、学園異能って何よなの? 具体的な社会的弱者ってなによなによなの?

そんなひとくくり出来ないような概念を、ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってるオタクどもってバカなの? 死ぬなの?

ああ、薄っぺらな作品ばっかりなの。

でも事実を薄っぺらに表現するからこそ、有名な古典文学にしろ、すぐれたライトノベルにしろ、現代文学であっても、僕らは現実を間接的に直視する事ができるのだけれどもにょ。

それで、あたかも全部の世界社会が語ろうとする。経験不可能なことを可能したつもりになってる批評家の方が人生経験が無いよねのなの。

でも、作家言語化できなかったこと稀に言語化するからナイスじゃん、と思う時はあるなの。

結局、何かをひとつのジャンルで語ろうとする事は愚考でしかない。ひとつのジャンルによって世界を敷衍することはできるけどなの。

金型が社会にとってどういう関わりを見せているか、とかソレと同じ程度には、でも世界は金型では出来ていないのだなの。

まあ、経験の薄い作家先生のうすっぺらい人間言葉にも飽き飽きしたし、それをわざわざ拡大解釈して言語化するフォロワーのうすっぺらい感性にも飽き飽きしたよなの。

ったく、ブックマーカー上から目線のクセに、バカなの? 死ぬなのなの?

はやく、次のステージを見せてくれよ、薄っぺらい人間どもと上から目線なの。

2008-10-26

悪意を感じたので全否定します。

http://anond.hatelabo.jp/20081026030356 全部間違ってるね。あのね、文学は特異な発想で現実とは違う世界をつくり出していること自体に意味があるの。

そうすることで、現実を違った角度から見られるようになるんだよ。

あなたは「普通と違う発想」も「分厚い経験」も持ってないからそんな文句言うんでしょ?

文句言うことでしか自己表現できない。

以下引用と批判。

 「そんなひとくくり出来ないような概念を、ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってるオタクどもってバカなの?」

作家にも色々いるの。「そんなひとくくり出来ないような概念を、ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってる」あなたってバカなの?死ぬなの?

 「でも事実を薄っぺらに表現するからこそ、有名な古典文学にしろ、すぐれたライトノベルにしろ、現代文学であっても、僕らは現実を間接的に直視する事ができるのだけれども。」

→ほめてるじゃん。否定したいの?肯定したいの?

 「でも、作家言語化できなかったこと稀に言語化するからナイスじゃん、と思う時はある。」

→またほめてる。だから否定したいの?肯定したいの?

 「結局、何かをひとつのジャンルで語ろうとする事は愚考でしかない。ひとつのジャンルによって世界を敷衍することはできるけど。

  金型が社会にとってどういう関わりを見せているか、とかソレと同じ程度には、でも世界は金型では出来ていないのだ。」

→そんなこと高校生でも知ってます。

 文学は、複雑な世界を把握するひとつの手段であり、それだけで十分役割を果たしてるんだよ。

こういうどっちつかずの意見を展開している時点で、あなたが「普通と違う発想」も「分厚い経験」も持っていない

コンプレックスの塊であることを証明しています。

もっと素直になろうよ。

作家人生経験ないバカなの。死ぬなの? 」の元増田君へ

http://anond.hatelabo.jp/20081026030356

勝手添削してみたのでよかったら参考にしてね。

まずタイトルから

作家人生経験ないバカなの。死ぬなの?

正しいコピペは「馬鹿なの?死ぬの?」なので、君はコピペもまともにできない人間なのだと読者に思われてしまう。

ただし、有名なコピペをわざと間違えて使ってみせてからネタ伏線として利用するという手法もなくはないので、まだ読者もこの時点では判断を保留して読み進めてくれるはず。

ライトノベルが特異な発想をしたモノ勝ちなのって、日常人間関係恋愛とかに乏しいから

特異な設定を取っ払うと、みんな似たような話しか書けなくて、それを誤魔化すために

ヘンチクリン世界ルールがあったり、大騒動があるようにしか思えない。

煽り文として、かなり好調な書き出し。

ラノベを貶めるときの常套句を冒頭に配置することで、タイトルとの相乗効果で読者をうまく煽ることに成功している。

日常人間関係恋愛とかに乏しい」の主語がわからないけど、これはタイトルから「作家」だと推測してなんとか読み進めることが出来る。

文学だって、この世の中で珍しいくらいの不遇を抱えているマイノリティ社会的弱者

ありえないくらい、けだるげに思弁的な登場人物ばっかりなのって、そうしないと話が面白くできないからでしょ?

これも素晴らしい。

ラノベに限定した話だと思って読み進めていた、ラノベは読まないけど文学作品は読むというような読者に奇襲をかけることに成功している。

あいつらって、普通と違う発想でしか、普通と違う話が書けないから、普通の人に見向きされないようなニッチな話しかかけないんでしょ。

順調に読み進めていた読者の大部分がここでつまづく。

普通と違う発想でしか、普通と違う話が書けない」って当然だよね?「普通の発想」で書けないから「普通と違う話」なわけだし。

ただ、「普通の人に見向きされないような」というくだりで、なんとなく「普通の人が見向きするような、それでいて面白い話」を君が理想としているのだということは推測できる。

普通の人に見向きされる」っていう評価軸の導入が唐突過ぎるので、これについてはもう少し前置きが必要。

きっと、作家先生祭りたてる読者も作家先生と同様に人生経験が薄っぺらなヤツか、分厚い人生経験をもってるやつがああ、人生経験無いわりに頑張ってるなーってニヤニヤ読んでるくらいなんでしょ?

ここはいい煽り文だ。

作家先生」をバカにされて頭に来ていた「作家先生祭りたてる読者」たちの怒りが一気に吹き上がることうけあい。

ただ、「ああ、人生経験無いわりに」のくだりはカギ括弧で括らないと「分厚い人生経験をもってるやつがああ」って若本規夫モノマネみたいに見えてしまうので注意しよう。

人生経験マジックワードになってる? はぁ、バカなの? 死ぬなの?

予想される反論を的確に撃墜している。素晴らしい。

ただ、ここでタイトルコピペ誤用ネタではなく素でやっていたことなのだと確定してしまっている。

本論に入る直前でのミスはかなり手痛い。

大部分の読者はもう後の文章を読まないし、読む人がいても君をバカにする目的で斜め読みするだけだ。

いちど斜め読みモードに入った読者の関心をもう一度取り戻すのはとても難しい。

じゃあ、学園異能って何よ? 具体的な社会的弱者ってなによ?

そんなひとくくり出来ないような概念を、ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってるオタクどもってバカなの? 死ぬなの?

ああ、薄っぺらな作品ばっかり。

悲惨の一語につきる。

作者と読者のどちらをバカにしているのかもよくわからないし、「そんなひとくくり出来ないような概念」として並置された「学園異能」と「具体的な社会的弱者」の共通項も、それを通して君が明らかにしようとしているものもよくわからない。

ぼんやりとふんわりとくくってわかったつもりになってる」についても説明不足。

でも事実を薄っぺらに表現するからこそ、有名な古典文学にしろ、すぐれたライトノベルにしろ、現代文学であっても、僕らは現実を間接的に直視する事ができるのだけれども。

「間接的に直視」という表現がそもそも語義矛盾を起こしているし、「事実を薄っぺらに表現するからこそ」「現実を間接的に直視する事ができる」という理屈もよくわからない。

それで、あたかも全部の世界社会が語ろうとする。経験不可能なことを可能したつもりになってる批評家の方が人生経験が無いよね。

「可能する」という動詞存在しない。

批評家」という新しくでてきたキーワードプロ批評家のことなのか、作品について語りたがる読者一般のことなのか不明。

でも、作家言語化できなかったこと稀に言語化するからナイスじゃん、と思う時はある。

結局、何かをひとつのジャンルで語ろうとする事は愚考でしかない。ひとつのジャンルによって世界を敷衍することはできるけど。

金型が社会にとってどういう関わりを見せているか、とかソレと同じ程度には、でも世界は金型では出来ていないのだ。

てにをはの不足、「愚行」の変換ミス

「何かをひとつのジャンルで語ろうとする事」が何を指しているのか不明。

「金型」というのがキーワードみたいだけど、これも前置きが必要。何が言いたいのかぼんやりとしかわからない。

まあ、経験の薄い作家先生のうすっぺらい人間言葉にも飽き飽きしたし、それをわざわざ拡大解釈して言語化するフォロワーのうすっぺらい感性にも飽き飽きしたよ。

話の流れを唐突に遮っているので普通に考えれば悪文。

ただ、中間を飛ばしてここから読み出した読者が君の考えを三行で把握する役には立つ。

ったく、ブックマーカー上から目線のクセに、バカなの? 死ぬなの?

突然ブックマーカーに語りかけてもしょうがないだろう。

コピペ誤用はこれで三度目。

はやく、次のステージを見せてくれよ、薄っぺらい人間ども。

「次のステージ」というのが何を指しているのか不明。

2008-10-21

外国古典を気軽に話題にする難しさ

http://anond.hatelabo.jp/20081020231740

シェイクスピアヘッセトルストイヘミングウェイホメロス ドストエフスキー

この中だとヘッセ以外ならだいたい読んだよ。

ホメロスって長くて面倒だけど結構おもしろいよな。

神様につく枕詞がいちいちかっこいい。物語自体の意味なんてわからなかったけど、ホメロス読んでると現代文学がおもしろくなる。ジョイスだったり。

たしかに自分のまわりにもほとんどいないな。文系だけど。

でも、もし語れたとしても語る内容が重くなるから気軽にはなせないんだよね。

それだけじゃなくて、少々わかりにくいし意味だってどうとでも取れるから、適当なことを言ったらバカにされそうだし、背伸びしてこむずかしいこと言ったら相手が「うーん」とか言って黙り込むし。たまに原典厨がいて(帰国子女外国語が得意な人に多い)、日本語訳しか読んでないくせに偉そうに語るなと陰で言われることもある。ある意味間違いではないけど、そういうこと言い始めたらなにも始まらない。

本当はドストエフスキーは笑えるほどおもしろいらしいね、大学先生が言ってた。それなのに、私小説あがりの陰気な日本文学史の態度で読むのが(インテリの)マナーみたいになってるからみんな難しい顔して読まないといけないようになってしまってると僕は思う。たとえばアメリカビートあたりはもっと楽しく読めるけど、そういう明るいのは正当に評価されないし。実験作品でも笑えない言葉遊びだけが文学的に評価されて笑える言葉遊びは評価されてないと思う。

それから、読んだことの見栄や既得権意識邪魔してる。今でも憶えてるけど、僕が高校生の頃ライ麦畑でつかまえて学校図書館で借りたら「おっ、ライ麦か、ふーん」と読書家の友達からちょっと上から目線コメントされたことがある。

似たような感じだとドストエフスキーだったら3作読むだけでも大仕事なのに、「地下室読んでないの?あれは基本だろ!」とか「死の家の記録は彼の転換点なんだから、読んでないなら彼を語るな」とか「ニーチェも読んだ?バフチンは?読まないとダメだよ」なんていくらでも言われる。読んでることが既得利益になってる、情報ならなんでもそうだけど。そうやって見栄を張るための道具になってて、さらにはプロ批評家同士が勉強不足をなじることで議論に打ち勝って原稿料をせしめるというシステムすらあるから、なかなか声に出しずらいんじゃないかと思っている。別にアホな感想でもいいから気軽に楽しく読んで話せたらいいのにと思うけれど、そういうつっこみが怖くて誰も語らないからどこに行っても話題にならない。

結局読書自己完結なんだから良いのかもしれないけど、読書は上からありがたく拝見させていただくだけ、という図式になってるのが問題なのかなと思う。この形式は読書感想文なんて最たるものかもしれない。一人で静かに書いて先生にみてもらう。そして先生が採点する。そういうのより、みんなで3冊ほど読んで、昼ご飯食べながら2時間くらいしゃべったりしたほうが、活字離れはなくなるはず。逆にマンガみたいなのは下からの支持があって成立するからみんながわんさか話し合って業界全体が盛り上がれる。ただし、みんなにみてもらわないと成立しないというのは弊害もあって、萌えなんかの要素に頼ったり、似通った感動パターン作品を量産してしまう欠点はある。そういうのがあって深みがないだとか他の分野から言われることもあると思う。ライトノベル携帯小説の強みは楽に読めて楽に人に勧められる点にあるのかもしれない。

殴り書きしてみたけど、こんな感じかな。

もしかしたら、こういう風にきまじめな分析をしてみたがること自体が気楽に話せなくなる理由の一つかもしれないけれど。

とりあえず、ここで気楽に話してみたらどうよ?

2008-04-14

http://anond.hatelabo.jp/20080414020227

言ってもいないことに反論しないでくれよ。なんか変な仮想敵を投影されてたようだな。それでこんなに突っかかられたのか?

文化資本による格差に俺は批判的なんだ。古典うつつをぬかせないと上へ上がれない社会なんてごめんだね。

むしろ俺はそれはその通りだと思うよ。そして、そういうのが正しいなんて一言も言ったつもりはない。

ただ、嘘も方便というか、そういう価値観に凝り固まった相手を騙すためには猫を被ることも必要だろう、というお話。「ファッションによるモテ格差に俺は批判的なんだ」と言っていたらいつまで経っても非モテだ。それと同じこと。

あなたが損得で話をしていたから、敢えて良い悪いの問題を無視して損得の話をしたんだが、逆効果だったか?

というかこの点に関しては、あなたがそこまでわかっていると思わなかったので正直手を抜いて書いていた部分もある(脱線話をするとまた噛み付かれると思った)からそこは謝るが。

でも、古典くらい読めたほうが人生楽しいだろ。音楽美術や体育の授業が楽しい思い出になる程度には、古典だって楽しいよ。

うん、それでいいだろ。それで、君は何を反論してるんだ?「役に立たない教育をするな」というのが君の主張だったんじゃないのか?現代文学の方が楽しいとか言ってなかったか?

文学部文学研究したい奴が行くところだ。プレゼンに箔をつける術を学ぶために行くところじゃねーよ。

誰がそんなこと言った?大学は底辺を上げるために行くところだというから反例を挙げただけだが。

これは詳しくないから知らんのだが、ホントにそれだけで十分なのかねえ。

数学的には量子力学なんて簡単だよ。雰囲気だけ理解できればよいというレベルならね。それは保証しよう。もちろん、理論的な枠組みとか具体的な計算の手法に突っ込んでいけばいくらでも数学的な研究ネタは転がっているが。

2008-04-13

http://anond.hatelabo.jp/20080413215700

例えば、JavaとかRubyとかVBとかPHPとか、そういう種類の言語一種類しか使えないプログラマがいたらどう思う?あまり難しい仕事任せられないって思わない?最低限、Cとかアセンブラとかできるだけ低レベルに近い言語はある程度使えてほしいし、できればLispみたいな関数型言語とかOSコンパイラ理論とか、そういうのを知識としてだけでもいいから知っておいてほしいと思うよね?

だったらどうして、古文や漢文勉強が自分には意味ないって思うかなあ?日本語で文章を書くのは、仕事上の重要スキルでしょ。まずその前提がよくわからない。

横槍だが、勉強する時間にも限りがあるし、向き不向きもあるんだから何でもかんでもやればいいってものでもない。どの分野の強化でも意味が歩かないかは一律に決まるものじゃないし全分野の知識を身につけることは無理なんだから各人に合わせて取捨選択しないと。学校で教えておけばなんでも身につくなら世の中エリートばかりになってるよ。

別に「新たに」なんて言ってないけど。ただし、資源ってのはメンテナンス要員が必要なんよね。現在教育は、その中から一握りの専門家とそこそこ多くのファンを再生産する役目は果たしてると思うけどな。

こういうのはほかのことをやった場合の費用対効果も考えないとだめ。なぜ特定産業のメンテナンスだけ優遇して税金とかの労力をつぎ込まないといけないのかがわからん。メンテナンスに必要なリソースは有限。観光立国でも金融立国でもものづくりでも自給率上昇でも結局我田引水ってことじゃないかと。そういう利益誘導ポジショントークであって部外者は真に受けちゃだめだろ。

「楽しむ」という観点で言えば、古典漢文の題材がそれらよりも優先するようには思わない。

劣るとも思わないけどね。ただね、現代文学古典文学を下敷きにしてたりするから両方読めると楽しいことは知っておいた方がいいだろうね。

文学に限らずどんあものでも楽しいかどうかは人それぞれ。古典に限らず学校の授業に苦痛を感じる生徒が少なくないのは常識じゃないかと。

それとさー、どうしてあれを教えたらこれを教えるのやめろって話になるわけ?両方教えたらいいだけじゃないの。ただでさえゆとり教育なんだからさ。たとえば俺は高校時代理科社会を全科目履修したし、数学も数III数Cまでやったし、古文や漢文だったら例えば岩波文庫の注釈付きなんかで訳なしで読めるよ。

いやがってるやつに教えるのは金や労力や時間無駄遣い。ゆとり教育は叩かれすぎだと思う。正しい政策だったと個人的には思ってる。学校で教えないならやらないなんてやつは教育しなくて結構。授業時間だって有限だからそりゃ各教科の授業時間減らせば全部薄く教えるしかないし、深くやろうとすると分野は絞らないといけない。どっちがいいかは一概に言えるものでもないし、勉強自体向いてないのもいるでしょ。

ただし、君が思ってるほど高校行列計算は一般には役に立たないし、観光は大きな産業になり得る。理由は上に書いたとおり。

そりゃ基礎技術力が高く工業力が強いほうが観光立国よりずっといいだろ。

とんでもないよ。オーストリア日本の一人当たりGDPを調べてごらんよ。

観光業製造業だけでGDP決まってるわけじゃないんだから比べても意味ない。日本の低成長はマクロ政策の失敗が大きいでしょ。あと人口の少ない国なら人口比で観光客はこさせやすいから雇用増やしやすいだろうけど、日本だとそうはいかない。観光だけで食ってける量は限られてる。そもそも貿易依存低いし、外需ばかり頼ってないで内需をしっかりさせないことにはどうにもならない。

http://anond.hatelabo.jp/20080413160350

例えば、JavaとかRubyとかVBとかPHPとか、そういう種類の言語一種類しか使えないプログラマがいたらどう思う?あまり難しい仕事任せられないって思わない?

古典が読めるってことはまったく評価にならんだろ。プログラマとしては。

無論、最低限の英語力は必須だし、英語力は高ければ高いほどいいが。

韓国語中国語ビジネスチャンスに繋がるかもね。

最低限、Cとかアセンブラとかできるだけ低レベルに近い言語はある程度使えてほしいし、できればLispみたいな関数型言語とかOSコンパイラ理論とか、そういうのを知識としてだけでもいいから知っておいてほしいと思うよね?

そんなの情報系の基礎教養だ。微積分学や古典勉強するよりははるかに楽だし。

だったらどうして、古文や漢文勉強が自分には意味ないって思うかなあ?日本語で文章を書くのは、仕事上の重要スキルでしょ。まずその前提がよくわからない。

ビジネス定型文書くのにはもちろん、企画書仕様書技術書を書くのにも、古典漢文の知識なんぞ必要ないだろ。

あと、日本の観光ビジネスはまだ産業として未熟だよ。

別に古典教育がどうなろうが観光ビジネスの改革にはならんだろうに。

ただね、現代文学古典文学を下敷きにしてたりするから両方読めると楽しいことは知っておいた方がいいだろうね。

日本文学についてはそうかもな。でも、当の近代文学もろくに読んでない奴が、下敷きにだけ手出しても意味ないだろ。まずそっちが先じゃないかな。

それとさー、どうしてあれを教えたらこれを教えるのやめろって話になるわけ?両方教えたらいいだけじゃないの。ただでさえゆとり教育なんだからさ。

教育を強化するなら数学優先にすべきだな。あと英語の強化かな。古典なんか最後でいいよ。

それは単なる君の不勉強でしょ。高校までで役に立つこと勉強したいんだったら高専とか工業高校に行くべきなんだし。普通高校ってのはジェネラリストを育成するところなんだからね。

古典数学よりジェネラルだとでも?

それに、君はたまたま高校で習った行列計算だけで用が足りてるのかもしれないけど、行列の計算だけできても普通は何の役にも立たない。

足りてるわけねーだろ。仕事やりながら勉強してるような状態だよ。これが、高校でやってなきゃ偏微分とかと同レベルの理解度でしかなかったんだと思うとゾッとするね。基礎だけでも仕込まれててよかった。

というか、固有値ベクトル空間を理解せずにどうやって大学卒業できたんだ?力学も振動論も微分方程式統計学信号処理量子力学も、何一つ理解できないでしょ、それじゃ。

数学系でも電子工学系でもねーもん。適当試験前の一夜漬けで切り抜けてた。終わったら速攻忘れた。あと量子力学なんか何に使うんだよプログラマが。

信号処理は真面目にやっときゃよかったなとちょっと思うね。今んとこクリティカルにそういうもんが必要になる仕事はやってないが。

ていうか俺プログラマじゃなくてライターね。

ただし、君が思ってるほど高校行列計算は一般には役に立たないし

俺が思ってるものと比べてるんじゃない。「古典と」比べてんだよ。ちゃんと答えろ。

とんでもないよ。オーストリア日本の一人当たりGDPを調べてごらんよ。

日本が観光立国になるのと工業立国になるのとどっちがいいかという比較だろ。話を摩り替えるなw

http://anond.hatelabo.jp/20080413160350

昨日からやりとりしてた増田です。

なんだ、君、プログラマーだったのか。だったら話が早い。

例えば、JavaとかRubyとかVBとかPHPとか、そういう種類の言語一種類しか使えないプログラマがいたらどう思う?あまり難しい仕事任せられないって思わない?最低限、Cとかアセンブラとかできるだけ低レベルに近い言語はある程度使えてほしいし、できればLispみたいな関数型言語とかOSコンパイラ理論とか、そういうのを知識としてだけでもいいから知っておいてほしいと思うよね?

だったらどうして、古文や漢文勉強が自分には意味ないって思うかなあ?日本語で文章を書くのは、仕事上の重要スキルでしょ。まずその前提がよくわからない。

具体的にどんな古典教育強化でどこが「新たに」観光資源になるんだ?

日本は今でも十分歴史伝統的なものを観光ビジネスに利用出来てるが。

別に「新たに」なんて言ってないけど。ただし、資源ってのはメンテナンス要員が必要なんよね。現在教育は、その中から一握りの専門家とそこそこ多くのファンを再生産する役目は果たしてると思うけどな。

あと、日本の観光ビジネスはまだ産業として未熟だよ。ヨーロッパ行ってみるとわかるけど、日本の観光ビジネスは横のつながりが弱くて商売がヘタクソ。たとえば厳島神社なんて世界遺産になってるのに、宝物殿では大した物展示されてないし、宮島にある飲食店はろくなお店がない。

「楽しむ」という観点で言えば、古典漢文の題材がそれらよりも優先するようには思わない。

劣るとも思わないけどね。ただね、現代文学古典文学を下敷きにしてたりするから両方読めると楽しいことは知っておいた方がいいだろうね。

あと、古文とか漢文ってのは現代文と読み書きや文法の体系が少しだけだけど違うから、文法ぐらい教えておかないと、興味を持った人があとで独学たって難しくなってしまうことは理解できるよね。いまの高校教育はそういう目的で文法だけを中心に教えてるようなもんだよ。

それとさー、どうしてあれを教えたらこれを教えるのやめろって話になるわけ?両方教えたらいいだけじゃないの。ただでさえゆとり教育なんだからさ。たとえば俺は高校時代理科社会を全科目履修したし、数学も数III数Cまでやったし、古文や漢文だったら例えば岩波文庫の注釈付きなんかで訳なしで読めるよ。

俺も理系人間で、たいして出来がよくなかったから思うんだが、行列大学入試という重しがある高校生の間にある程度慣れておくべきものだ。

大学で習った偏微分とか周回積分とかいっこも覚えてない俺でも行列演算は一通り出来るし、プログラミングとかで使えるのは、高校でみっちりやったからだよ。

それは単なる君の不勉強でしょ。高校までで役に立つこと勉強したいんだったら高専とか工業高校に行くべきなんだし。普通高校ってのはジェネラリストを育成するところなんだからね。

それに、君はたまたま高校で習った行列計算だけで用が足りてるのかもしれないけど、行列の計算だけできても普通は何の役にも立たない。それに、大学線型代数やったんなら、高校でやるレベルの話なんて子供だましもいいところだってわかるでしょ。

というか、固有値ベクトル空間を理解せずにどうやって大学卒業できたんだ?力学も振動論も微分方程式統計学信号処理量子力学も、何一つ理解できないでしょ、それじゃ。

行列と比べてどうなんだと聞いてるんだが。

だから、本来比べるのがおかしいし比べられないと書いたんだが。

ただし、君が思ってるほど高校行列計算は一般には役に立たないし、観光は大きな産業になり得る。理由は上に書いたとおり。

そりゃ基礎技術力が高く工業力が強いほうが観光立国よりずっといいだろ。

とんでもないよ。オーストリア日本の一人当たりGDPを調べてごらんよ。

2007-11-15

世界最初の小説、を考える

まず、確実に読みやすくはないだろう。

視点は固定されていないだろうし、あちこちの描写に齟齬があるだろう。

構成なんて無いに等しいだろう。

内容は完全な創作ではない、おそらく自身の体験談的なものになるだろう。

体験談ではあるが、あちこちに誇張が含まれるだろう。

・・・これはまさしくケータイ小説の特徴ではないか?

あるいはこうだ。

あなたは超古代文明人である。

あるとき、いままで何も無かった場所に、新たな文明が発生していることに気づいた。

それは、自分たちの文明と比べると、笑ってしまうほど原始的な文明である。

あなたはどうする?

その原始文明が「より良い発展」をするように「矯正」するか?

それとも何も介入せず文明の発達を見守るか?

ケータイ小説は生まれたばかりの文学である。

何百年ものあいだに研鑽されてきた現代文学と比べれば、笑ってしまうような出来だろう。

しかし、それを簡単に潰してしまっていいのだろうか?

あるいは、「正しい文法」とやらを教えて「矯正」してやることが、本当に正しいのか?

ほうっておけばいいのだ。

いずれケータイ文学は、現代文学とは違った発展を遂げるかもしれない。

現代文学クローンとなるのかもしれない。

どっちにしたって誰も困らないだろう。

ほうっておけばいいじゃないか。

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