はてなキーワード: 精神文化とは
・学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。
・教養とは,一般に人格的な生活を向上させるための知・情・意の修練,つまり,たんなる学殖多識,専門家的職業生活のほかに一定の文化理想に応じた精神的能力の全面的開発,洗練を意味する
・実利主義的,立身出世的,政治的な明治の〈修養〉概念に対して,大正の〈教養〉には内面的,精神的,非ないし反政治的,人格主義的等々のニュアンスが強く帯びさせられているわけである。
・人間の精神を豊かにし、高等円満な人格を養い育てていく努力、およびその成果をさす。とかく専門的な知識や特定の職業に限定されやすいわれわれの精神を、広く学問、芸術、宗教などに接して全面的に発達させ、全体的、調和的人間になることが教養人の理想である
・精神文化一般に対する理解と知識をもち,人間的諸能力が全体的,調和的に発達している状態。
・教養教育を意味するLiberal Artsは、近代大学のルーツといわれる中世ヨーロッパ大学においては、聖書を読み解くための能力(論理、修辞、文法)と神の摂理による自然現象を理解するための能力(天文、算術、幾何、音楽)から構成されていました。つまり教養とは、キリスト教世界において「神につながる」力を意味したのです。
・生きていく上で価値判断の基準となる自分なりのものさしを持っている人のことを教養があると表現しています。
・自分の力で「いかに生きるか」を考える人々が出現しました。彼らは古典語(ラテン語)を駆使して「いかに生きるか」に思いを巡らしました。教養とは古典語に精通することでもありました。
https://kotobank.jp/word/%E6%95%99%E9%A4%8A-53100
https://www.cshe.nagoya-u.ac.jp/nu_stips/sub2_colum_2.html
色々定義はあるが教養は単なる知識に留まらず、文化理解や精神的な豊かさなどの非実利的な意味合いを含む定義が多くある。
これらの意味合いを含める定義に従うなら、知識量あっても知識マウント取ったりする人間は人格に問題があるので教養がないし、知識量等は平均レベルでも精神的に円熟してる人は教養があると言えよう。
3.5くんやね
インドの仏教学者たちが日本の変質した仏教についてどう考えているかは、多様な見解が存在します。以下に代表的な意見を示します:
一部の仏教学者は、日本の仏教が日本の文化や歴史に適応して独自の形で発展したことを理解し、それを肯定的に評価しています。仏教が異なる文化に根付くためには、現地の文化や習慣に適応することが必要であり、日本の仏教もその一例として見られます。
他の仏教学者は、日本の仏教があまりにも日本の文化や習慣に影響されて、本来の仏教の教義や実践から離れてしまったと懸念する声もあります。特に、日本の神道や民間信仰との融合が、仏教の本質的な教えを曖昧にしてしまう可能性があると指摘されます。
日本の仏教の変容は歴史的背景や社会的要因によるものであると理解し、その経緯を学ぶことを重視する仏教学者もいます。特に、奈良時代や平安時代の日本仏教の発展、鎌倉時代の新仏教運動、江戸時代の仏教改革などについて研究し、比較宗教学的な視点から評価しています。
インドと日本の仏教学者間での対話と交流を重視し、互いの仏教理解を深めることを推奨する声もあります。相互理解を通じて、共通の仏教的価値観を再確認し、新たな仏教の発展可能性を模索する姿勢です。
日本の仏教が日本社会においてどのように実践されているかに注目し、その具体的な影響や貢献について評価する仏教学者もいます。特に、禅仏教の修行や精神文化、浄土宗や真宗の信仰実践、日蓮宗の社会活動などが日本社会に与える影響について研究しています。
これらの見解は仏教学者や学派によって異なるため、具体的な評価は多岐にわたりますが、共通しているのは、異文化間での仏教の変容や適応に対する深い関心と、そのプロセスにおける課題と可能性を探る姿勢です。
どう考えても昨今の表現の自由界隈から反論を向けられていた(一部のインターネット)フェミニストたちがカウンターとしてカルトとのレッテル貼りを持ち出したわけだけど、そのせいで左派思想系コミュニティの多くが煽りを食っちゃってる。
間違いなくこの後に続くのは左派思想系コミュニティへ所属している人たちがカルトや過激思想派コミュニティと接触してないかの粗探しだよ。
何ならはてブでの肯定的コメントやTwitterのいいね!やシェアまで粗探しされて、もしそのアクションがカルトや過激思想コミュニティを本人が気付かなくても肯定するものだったら叩かれてしまうところまで行く。
つまり昨今のキャンセル・カルチャーのノリで左派思想コミュニティがどんどん焼き討ちにあっていくものと思われる。
SFで描かれるような終末兵器みたいな感じだよコレ。
誰しもそれがセンセーショナルで強力な印象付けを行えるとわかっていても使ってこなかったのは、その破壊力が自身に向いたとき止めようがないことを理解していたからだ。誰しもが使える強力な終末兵器なんて普通は理性で使用を抑止するはずだからな。
追い詰められた悪役が理性を捨てて死なばもろともと終末兵器を発動させて世界が滅亡する、そんな使い古された今では三流五流のシナリオをまさか現実に使ってしまうヤツ、いや連中が居るとは誰も思ってなかっただろう。
そういえば日本人は追い詰められた際に撤退作戦を選ばずに奇策で一発逆転を狙う精神文化があると聞いたことあるけれども、奇策が終末兵器とは恐れ入る。
冗談はこの辺にして、カルトとのレッテル貼りを持ち出した連中、そしてそれを支持した連中どうするよ?コレ止まんねぇぞ?
お前らが支持する政治家や政党、思想家にまで波及するだろうし、お前らの中のヒーローにも波及、何ならお前ら自身にも波及するだろう。
静かに波が静まるまで待つのも良いが、その時間使ってお前らが支持するモノ、大好きなモノがカルトに関わった情報は集められ拡散されるだろう。時間は万人に平等だからな。
まぁただ解決策はゼロってわけではないんだぞ。
今起きてることがクソみたいな使い古されたシナリオっていうなら、ぶつけるのは同じく使い古された熱いシナリオじゃねぇか?
人間が間違った力を使ってしまって力が暴走してしまったのならば、すべての人々が手を取り合って暴走に立ち向かう何千何万と繰り返された熱いシナリオが必要だろ?
昨今のVTuberバッシングは、オタクもフェミニストも男女も年齢も生まれも何も関係なく、間違っていたと全員があらゆるインターネットコミュニティで叫べ!
イタズラにカルトとのレッテル貼りをしてしまい申し訳なかったと言え!
フェミニストの感情をイタズラに煽って申し訳なかったと書き込め!
いっちょかみしたのに炎上したのを見て関係ない振りしてごめんなさいと叫ぼうぜ!
手を取り合ってみんなでバカみたいな言い争いを止めよう!
お前ら今までインターネットで見たことあるか?
大規模にいがみ合ってた連中が手を取り合って仲直りするなんて新しいシナリオを。
自由主義経済社会でビジネスに失敗してしまったからといって、「負け組になったのは、政治のせいだ」などと言っていたら、経営者は笑われてしまいます
私は、一定の格差が生じるのは当たり前のことだと思いますし、規制緩和が進むほどに格差が拡大する可能性も否めないと思っています。
健康に恵まれているにもかかわらず、福祉施策を悪用して、他の納税者の負担で怠惰な生活をされている方の事例も少なからず耳にします。「自立したら損」「さぼり得」といった社会保障制度や税制では、真面目な納税者がバカを見てしまいます。
さもしい顔して、貰えるものを貰おうとか 弱者の顔して少しでも得をしよう そんな国民ばかりになったら、国は滅びてしまいます。
安倍総理に頑張って頂いて、奴らから 日本を取り戻しましましょう
ttps://youtu.be/zbAFAR9ngcM
このまま民主党政権が続くと、「弱者のフリをして、沢山もらおう」「努力して年収が増えると損をする」という風潮が広まり、日本の活力は失われると感じます。
「国民としての義務と責任」よりも「個人の権利と自由」が重んじられるようになり、その結果、昨今では「他人に過度の負担をかけても、自分だけは得をしたい」「国家や社会に迷惑をかけても、自分の権利を貫きたい」という考え方を持つ人の行動が目に余るようになってきました。
私が支部長を務める政党支部事務所でも、大手人材派遣会社から派遣されている女性に、情報処理業務等をお願いしています。
「優良な派遣会社が生き残れる業界」にすることが、派遣労働者の安心感につながり、派遣元と派遣先双方のメリットにもなることだと思います。
私が幼い頃に両親が繰り返し教えてくれたのは、「教育勅語」(「教育ニ関スル勅語」明治23年10月30日)でした。
https://www.sanae.gr.jp/column_detail593.html
全てのご家庭が「社会を構成する重要な主体」としての責務を自覚し、親子が互いに養育義務や扶養義務を果たすことは勿論、子供たちをしっかりと躾け、先人への感謝を忘れずに良き精神文化を踏襲したならば、我が国が直面している問題の多くは解決するはずだと確信しています
増田の蛮勇には敬意を表したいが、さすがに突っ込みどころが多すぎる。
同種の百選としては2005年の新建築・臨時増刊『日本の建築空間』(asin:B00GUJ1HIE)がある。
https://japan-architect.co.jp/shop/special-issues/book-110511/
2005年なので現存しないものや非公開の私邸が含まれるけれども、優れた選出だと思うので紹介したい。
■古代 592-1180
法隆寺西院伽藍 | 飛鳥時代 | 奈良 |
新薬師寺本堂 | 奈良時代末期 | 奈良 |
榮山寺八角堂 | 763年 | 奈良 |
平等院鳳凰堂 | 1053年 | 京都 |
浄瑠璃寺本堂 | 1107年 | 京都 |
三仏寺投入堂(三仏寺奥院) | 平安時代後期 | 鳥取 |
高蔵寺阿弥陀堂 | 1177年 | 宮城 |
■中世 1180-1543
浄土寺浄土堂 | 1194年 | 兵庫 |
東大寺南大門 | 1199年 | 奈良 |
長寿寺本堂 | 鎌倉時代初期 | 滋賀 |
西明寺本堂 | 鎌倉時代初期 | 滋賀 |
熊野神社長床 | 鎌倉時代初期 | 福島 |
法界寺阿弥陀堂 | 鎌倉時代初期 | 京都 |
厳島神社社殿 | 1241年 | 広島 |
永保寺開山堂 | 1352年 | 岐阜 |
東福寺龍吟庵方丈 | 1387年 | 京都 |
正福寺地蔵堂 | 1407年 | 東京 |
吉備津神社本殿・拝殿 | 1425年 | 岡山 |
慈照寺東求堂 | 1485年 | 京都 |
■近世 1543-1853
妙喜庵待庵 | 1581年 | 京都 |
園城寺勧学院客殿 | 1600年 | 滋賀 |
園城寺光浄院客殿 | 1601年 | 滋賀 |
妙法院庫裏 | 1604年 | 京都 |
大崎八幡宮本殿・石の間・拝殿 | 1607年 | 宮城 |
三渓園聴秋閣 | 1623年 | 神奈川 |
二条城二の丸御殿 | 1626年 | 京都 |
西本願寺飛雲閣 | 1628年 | 京都 |
西本願寺書院 | 1633年 | 京都 |
延暦寺根本中堂 | 1640年(再建) | 滋賀 |
三渓園臨春閣 | 1649年 | 神奈川 |
曼殊院書院 | 1656年 | 京都 |
桂離宮 | 1663年 | 京都 |
慈光院書院 | 1672年 | 奈良 |
江川家住宅 | 江戸時代前期 | 静岡 |
閑谷学校講堂 | 1701年 | 岡山 |
東大寺大仏殿(東大寺金堂) | 1705年(再建) | 奈良 |
大峰山寺本堂 | 1706年 | 奈良 |
大国家住宅 | 1760年 | 岡山 |
岡山後楽園流店 | 江戸時代後期 | 岡山 |
栗林公園掬月亭 | 江戸時代後期 | 香川 |
角屋 | 1787年 | 京都 |
さざえ堂(旧正宗寺円通三匝堂) | 1796年 | 福島 |
大徳寺孤篷庵忘筌 | 1799年 | 京都 |
渡邉家住宅 | 1817年 | 新潟 |
羽黒山三神合祭殿 | 1818年 | 山形 |
旧高野家住宅 | 江戸時代後期 | 山梨 |
旧金比羅大芝居(金丸座) | 1835年 | 香川 |
岩根沢三山神社本殿・庫裏 | 1841年 | 山形 |
柏倉家住宅座敷蔵 | 1866年 | 山形 | |
旧大明寺聖パウロ教会堂 | 1879年 | 愛知 | ブレル、大渡伊勢吉(棟梁) |
宝山寺獅子閣 | 1882年 | 奈良 | 吉村松太郎(棟梁) |
旧風間家住宅 | 1896年 | 山形 | |
旧武徳殿 | 1899年 | 京都 | 松室重光 |
旧花田家番屋 | 1905年 | 北海道 | |
吉島家住宅 | 1907年 | 岐阜 | 西田伊三郎ほか(棟梁) |
古谿荘 | 1909年 | 静岡 | |
高松城披雲閣 | 1917年 | 香川 | 清水組 |
住友ビルディング | 1926年 | 大阪 | 住友合資会社工作部(長谷部鋭吉・竹腰健造) |
聴竹居 | 1927年 | 京都 | 藤井厚二 |
旧大倉精神文化研究所本館 | 1932年 | 神奈川 | 長野宇平治 |
軽井沢 夏の家 | 1933年 | 長野 | アントニン・レーモンド |
※両関第二工場酒蔵 | 1933年 | 秋田 | |
旧日向別邸 | 1936年 | 静岡 | ブルーノ・タウト |
近江神宮 | 1940年 | 滋賀 | 角南隆、谷重雄 |
旧前川國男邸 | 1941年 | 東京 | 前川國男 |
旧吉田五十八邸 | 1944年 | 神奈川 | 吉田五十八 |
神奈川県立近代美術館 | 1951年 | 神奈川 | 坂倉準三 |
斎藤助教授の家 | 1952年 | 東京 | 清家清 |
コアのあるH氏のすまい | 1953年 | 東京 | 増沢洵 |
南台の家(吉村順三邸) | 1957年 | 東京 | 吉村順三 |
八幡浜市立日土小学校 | 1956年 | 愛媛 | 松村正恒 |
香川県庁舎 | 1958年 | 香川 | 丹下健三 |
スカイハウス(菊竹清訓邸) | 1958年 | 東京 | 菊竹清訓 |
※ホテルオークラのメインロビー | 1962年 | 東京 | 谷口吉郎 |
日本生命日比谷ビル(日生劇場) | 1963年 | 東京 | 村野藤吾 |
国立屋内総合競技場 | 1964年 | 東京 | 丹下健三 |
大学セミナー・ハウス | 1965年 | 東京 | 吉阪隆正 |
旧千代田生命本社ビル | 1966年 | 東京 | 村野藤吾 |
白の家 | 1966年 | 東京 | 篠原一男 |
塔の家(東孝光邸) | 1966年 | 東京 | 東孝光 |
※虚白庵(白井晟一邸) | 1970年 | 東京 | 白井晟一 |
KIH7004 | 1970年 | 東京 | 鈴木恂 |
中銀カプセルタワービル | 1972年 | 東京 | 黒川紀章 |
※大分県医師会新館 | 1972年 | 大分 | 磯崎新 |
※プロジェクトマグネット | 1973年 | 店舗模型 | 倉俣史朗 |
阿部勤邸 | 1974年 | 埼玉 | 阿部勤 |
北九州市立中央図書館 | 1974年 | 福岡 | 磯崎新 |
幻庵 | 1975年 | 愛知 | 石山修武 |
上原通りの住宅 | 1976年 | 東京 | 篠原一男 |
※中野本町の家 | 1976年 | 東京 | 伊東豊雄 |
小篠邸 | 1981年 | 兵庫 | 安藤忠雄 |
弘前市斎場 | 1984年 | 青森 | 前川國男 |
SPIRAL | 1985年 | 東京 | 槇文彦 |
※バーオブローモフ | 1989年 | 福岡 | 倉俣史朗 |
海の博物館 | 1992年 | 三重 | 内藤廣 |
豊田市美術館 | 1995年 | 愛知 | 谷口吉生 |
ウィークエンドハウス | 1998年 | 群馬 | 西沢立衛 |
せんだいメディアテーク | 2000年 | 宮城 | 伊東豊雄 |
横浜港大さん橋国際旅客ターミナル | 2002年 | 神奈川 | アレハンドロ・ザエラ・ポロ、ファーッシド・ムサヴィ |
金沢21世紀美術館 | 2004年 | 石川 | 妹島和世、西沢立衛 |
…○○さんも政治から外交、安全保障まで幅広い分野にわたって、切れ味鋭い評論活動を進めておられますが、その基礎となっているのは源氏物語をはじめとした古典から現代文学まで、日本人の核となる精神文化に対する深い洞察である、そう確信しています。「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」。以前、対談の折に新保先生から教えていただいた松尾芭蕉の言葉です。
「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」というのはどう考えても「保守の精神」とやらを追い求めることじゃねえよ。
そもそもこの言葉の意味は、古人がかつて求めた跡(保守)を求めるな、古人が求めた理由や背景を理解して古人が今生きていたらどう判断するだろうかを考えろ(時代に合わせて変化せよ)ってことだよ。形を真似るな心を真似ろってことだ。ちなみに、この言葉は芭蕉自身が引用として使っていて、おおもとを言ったのは空海だよ。「書亦古意ニ擬スルヲ以テ善シト為シ、古跡ニ似ルヲ以テ巧ト為サズ(性霊集)」。書道というのは、古跡(昔の大家の書)に「似る」のをもって「巧み」とは言わない、古意(昔の大家が考えたこと)に「擬する」(大家の気持ちになったつもりになる)のを「善」とする、という意味だ。それを「風雅」にも通じるね、ってやったのが芭蕉の趣旨だ。芸術の創作における風雅なんて、前の人のやったことをただ真似してもただの猿真似だからな。
書と風雅は同じではないが、この点では通じるところもあるかもしれない。芭蕉が言ったのはその程度のことだ。決して世の中の永遠の真理について述べたわけではないし、そもそも「政治」なんて全く畑違いのところにこの言葉が適用できるのかどうかも分からない。なのに何が「示唆に富む」だ。古典を自分の都合のいいように解釈したり正直意味が分かってない人間が使う決まり文句だ。古典引用して僕ちゃん格好いい、って思ったか? 残念、馬鹿を晒しただけだ。だいたい、直前の別の人を褒めた文章で
わが国の悠久の歴史や伝統、文化に裏打ちされた価値観は、世の中がいかに変転しようとも揺らぐことはありません。そうした中で伝統的な価値観に立脚し、真の日本人の精神を復活させる
この発言のどこに「古人の求めたるところを求め」る姿勢があるんだよ。ひたすら「古人の跡」万歳万歳じゃねーか! その時点でこの記事上げてる「メディア」のレベルが知れるわ。
「日本人の核となる精神文化」を欠片も知らず理解もせず、こんな人間に得意げに「教えていただきました!」みたいに褒められるとかホント罰ゲームとしか言いようがねえ。その点は受賞者に同情する。まあ自業自得だけどな。それから、我が国の宰相におかれては、こんな阿呆丸出しの文章を平気で得意げに掲載する程度の自称「マスメディア」に担ぎ上げられて舞い上がっておられて本当に可哀想だ。その程度の人間しか応援もしてくれず周りにもいてくれない、その程度の人間としての能力しか持ち合わせておられないことに同情を禁じ得ない。心ある人には完全に見限られているってことだな。親父はもう少し賢かったのだから、母親がダメだったんだろう。まあ勉強から逃げ回っているとこういう人間になるといういい見本だからせいぜい恥を晒してくれれば少しは世間への教育にいいかもしれない。
昭和20年の大東亜戦争終結以来、我が国は急速な復興を遂げ、GDP換算で世界第2位の経済国家となった。他方で、アメリカ合衆国(米国)を中心とするGHQによって拙速に作られ、我が国民の総意を反映しているとはおよそ言い難い憲法を保持することにより、国民精神の十全な発揚を伴った発展は掣肘を受けた。その結果、近年では共産党政権の一党独裁国家である中華人民共和国(中国)の経済成長に比して我が国経済の成長速度は鈍化し、世界第3位の経済大国という地位に甘んじている。拡大する経済力を基盤とした中国の軍事的拡張と、各地での侵略行為は留まるところを知らず、国際秩序の安定上、予断を許さない状況が続いている。
今こそ、軍事的圧力を背景に押し付けられた借り物の秩序から脱却し、我が国独自の政治・経済・社会的秩序を打ち建てる時が来ている。帝国主義的な拡張路線にひた走る中国、ロシアを凌駕し、我が国民がその潜在力を十全に発揮し、我が国が未来永劫にわたって繁栄を続けるための基本的条件は、古来より連綿と受け継がれたわが国独自の精神文化に立ち戻り、それ基づく政治・経済・社会へと変革を成し遂げることにある。以下ではこうした方針に基づいた変革のあらましを記述し、現在に至るまでの進捗状況について述べる。
現行憲法に起因する政治・社会制度上の根本的な問題は、国民主権あるいは民主主義の名の下に、収拾のつかぬ意見の多数性がいたずらに尊重され、急を要するあらゆる変革への掣肘となり、かえって衆愚政治に堕していることである。したがって、憲法を改正して大日本帝国憲法の天皇主権に立ち戻り、国民の強固な統合を図ることが最も枢要である。この目的に照らしてみれば、基本的人権、結社の自由、信教の自由が制限を受けることは当然である。引き続き憲法改正の議論を提起し、我が国の伝統的家父長制に基づいた国民の統合を進めねばならない。
大東亜戦争終結時、GHQにより天皇制廃止の議論が起こり、その方向で新憲法が起案された。先代天皇は連合国最高司令官マッカーサー元帥と面会し、象徴としての天皇制存続を取り付けることに成功した。天皇主権の国家が次に戦争をひきおこし、他国に国土が占領される事態に至った場合、万世一系の天皇家は確実に廃絶されるという教訓を、この経験は天皇家に与えた。
今上天皇はこの教訓を遵守し、天皇主権の憲法へと改正を進める論議が起こるにあたって、自らの退位によってこの流れを断ち切ろうと試みた。しかし象徴天皇制下において、このような越権行為は断じて許されるものではない。天皇が象徴となった現在、新憲法下で天皇主権の意味するところは、天皇に助言を行う内閣主権であり、ひいては、内閣の長たる内閣総理大臣の主権でなくてはならない。こうした主権の移譲が円滑に行われるよう、憲法改正の議論は続けていかなくてはならない。
現行憲法下での平等は機会の均等を国民に保障する根拠となったが、これはかえって我が国の発展を妨げることとなった。国家が永続的な発展を続けるには、強いものがさらなる発展を続けることが、より合理的である。したがって、豊かなものがさらに豊かに、強いものがさらに強くなるよう、あらゆる方面において既存の有力家への支援を一層拡大することが枢要である。
進捗度: 順調に推移している。
イノベーションとは畢竟、知的、金銭的、社会的な多様な資本の集約を要する。資源の限られたわが国において、すでに成長を遂げた企業への支援を継続することが最も合理的である。税制や労働法制の改革はこの路線に沿って行われなければならない。
強いものがさらなる発展を続けることが合理的である以上、国民の間に所得によって階層の分化が生じることは必然である。低所得者の納税額は高所得者に比して低いため、利用可能な福祉サービスを減らすことが合理的である。福祉サービスの削減について合意を得るためには、強いものは努力によって強くなったのであり、弱いものはみずからの怠惰からそうなったのであり、自己責任であるという当然の理路について、国民により一層の教育を図る必要がある。
進捗度: 順調に推移している。
科学技術は国家の経済的、軍事的発展を支え、国家の威信を高めるものでなければ、その存在意義を持たず、財政的援助を受ける必然性がないことは論を俟たない。したがって、産業への応用可能性が最も高い分野に集中的な投資を行い、投資の正味現在価値に対する監視を強め、投資判断と組織の改編は迅速に行うべきである。
我が国が独立独歩で中国およびロシアと軍事的に対抗するためには、軍事産業の育成が急務である。したがって、大学等の高等研究機関において軍事研究への投資を拡大し、軍事産業の発展に必要な技術および人材の育成をさらに進めるべきである。
大学における学問の自由は、天皇主権国家の発展を妨げないかぎりにおいて認められる。国立大学については財政上、人事上での国家の関与を一層強化し、国家の経済的、軍事的発展へ大学が確実に資するよう政府は導かねばならない。
進捗度: 順調に推移している。