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2019-11-08

少年じゃなくなったのでジャンプ卒業した

寂しいということを言いたいだけで、読んでも知らんがなとなるだけだから、暇な人だけ読んでも読まなくてもいい。

10年以上の習慣をやめるこのモヤーっとしたものを吐き出させて。


ジャンプを買い始めたのは小学生の時。

高校生くらいまでは次の週まで何度も読み返して、作者コメントまで熟読してた。ジャンプフェスタも毎年行ってた。

大学生になってそこまでの熱量はなくなったけど、それでも毎週月曜日に欠かさず買った。

青春を共に駆け抜けたナルト銀魂が両方終わってしまって卒業時かなと思っていたけど、ワンピースは続いていたし、約束のネバーランドとか面白かったから続けて読んでた。今は社会人

卒業を決めたのはつい最近理由タイトルの通り。

私は女だから元々少年じゃないんだけど、ここでは「ジャンプの読者層」を少年表現する。


少年じゃなくなったと感じたのは、篠原健太先生炎上に関する一連のツイート先生意見が正しいのか間違っているのか分からないし、女はジャンプにお呼びじゃないと言われたとも思っていないし、先生意見先生個人のものだって分かってる。

でも、ツイートを見ていて悲しい気持ちになった。まったく関係ないのに、スケダン好きだった(全巻持ってるし、今でも面白いと思う)のになと思ってしまった。

表現の自由と差別的表現、難しいよね。時代と共に変わっていく、読者のターゲットをある程度絞る、大いに納得できるよ。アリエス自分の胸が大きいことに無自覚キャラでも全然いいと思う。私は気にならなかったし。

だけどね、「女性普段晒されている性的目線無自覚だ」って言われたことに対して「表現の自由だ」って返したのがどうしても歩に落ちない。どうして無自覚でいられるのか(それこそ倫理観が違うとか)、いっそなにも答えないでいてくれたらよかったんだと思う。

先生は「女性不快になる描写」があることは認めているよね。そしてそれを少年へのサービス(喜ばせるため)としてやっているって言っちゃってない?「少年漫画が少年対象としている以上作品女性不快になる表現はあり得ます」って。誰かを喜ばせるためなら無条件に誰かを蔑ろにしていいの?ダメじゃない?誰かが傷つく以上、そこに理由意図がなきゃダメじゃない?

もちろん、理由意図があってもそんな表現はないに越したことはないけれど、そんなのは無理だし、つまらない話になるのは分かる。でも、理由なく人を貶める表現を私は受け入れられない。その表現をするための後付けでもこじつけでもいいんだ、なにか言ってくれ。そうじゃないと私の正義倫理観が拒絶する。

そう、これは私がそう思うだけで、法に触れるとか憲法に反するとかはまったくない。言ってしまえば差別的表現をしても公共の福祉に反さなければオッケーだし。それについて今は議論しないけど。話が逸れる。


結論を言う。一連のツイートを見てこんなことを思う時点で、私はもう少年ではなかったんだ。小中高、もしかしたら大学生までこんな騒動を見てもなにも思わなかったと思う。色々経験を経て、世間擦れしてしまったんだろうね。大人になってしまった。

ということで、今週でジャンプ卒業です。今までありがとうございました。おかげで立派なオタクに成長しました。友情努力勝利は忘れません。

2019-09-20

周回遅れの彼方のアストラどくしょかんそうぶん

■よかったところ

・短くまとまっているところ。

  単行本5巻で綺麗に完結しているところ。変な引きみたいなのはなくてスピンオフとかもなさそう。

マンガとして凄く読みやすい。

  マンガでもいうのかな。変な用語とかなくてリーダビティが非常に高い。

・終盤の展開

  このあと散々文句言うので嘘くさいけどやはり終盤の展開。

  本来予定していた読者以外も引き込んだ技量はやはり特筆すべきものかと。

■俺が気に入らなかったところ

・背景説明の不親切さ

   背景のほとんど描写されないSF作品で、無条件に未来地球の話と思う人ってどのくらいいるかなあ。

   俺は地球によく似たパラレルワールド程度に想定していたので、例の大ネタ部分も驚く所?とおもってしまった。

   ほかに武器使用世界的に強く忌避されている点があまり描写されない点とかコールドスリープ装置の扱いとかそこどうなってんのみたいなところが思いのほか多かったり。

   ワームホール装置に関しても存在してはいけない禁断のテクノロジーなわけで、ほかの連中はともかくザックはなにかしら反応するべきなのではとか。

ミステリとして犯人特定が恐らく不可能な点

犯人が当初は自分もろとも皆殺しにしようとした点、そこから心変わりして自分+1で生き残ろうとした点とかの予想がほぼ不可能であったりとか。ザックあたりが突然俺が犯人ですとか言い始めても成立しないですかねこれ。

アナグラムのダサさ

 これは完全に俺の好みの問題だけど、惑星名前とかアリエスとかアナグラムの使い方がダサすぎませんかね。

彼方のアストラ最終話まで観た

  

ユンファとフニシア以外の女キャラがお嫁さんになって物語が終了した

  

男は再びアストラ号での冒険に飛び立つし、行かないやつも夢叶えてジャーナリストになって、

アストラに乗らない理由説明されたのに

 

アリエスキトリー結婚以外の、冒険の後の物語を持ってない

 

ユンファだけは歌手になって忙しいんだろうなと想像できるけど

他は全員(半陰陽最終話では女寄りになった?ルカ含め)アストラ号に乗らない理由もわからないまま終わった

 

すべてのことが説明されないといけないってわけじゃもちろんないけど

 

これから冒険が続く男3人と

自分の夢を選んだ男1人と女1人

 

以外の乗組員の4人はアストラ号での冒険とともに物語を失った

 

これ自分結構不満だったんだけど同じようなレビューがない・・・

 

 

女も旅に連れてけよとは言わないが

医者になったキトリーとか、記憶力活かしてなんらかの活動してるアリエスとかが描かれないと

「夢を叶えて物語が続く組」に対して

「お嫁さんで終了!!!」になって

ひとりひとり大事な乗組員だったはずが、なんかこう傾斜ができちゃうような感じで

落胆というか拍子抜けというか、なんだろうな

あの目立つキャラ2人について結婚以外の要素0の結末持ってこられたら

ルカやフニシアのその後の物語想像できねーよ

 

彼方のアストラSFか論争は興味ないけど

自分はドラ映画的な、知らない世界冒険友情を楽しむ娯楽の部分が

ミステリ構成の仕掛けを面白がる部分と同じくらい大事な部分だと思ってたので

 

楽しい冒険だったんだから、再びアストラ号に乗りはしないことに

積極的理由がほしかったのかな

 

 

大人の女性になったか冒険しない(特に夢もない)はあまりにも寂しくないか

って話

 

2019-05-21

anond:20190521131034

下記箇所について、補足。

多少横道に逸れるけど、前近代家族観認識のずれの方が気になった。

今となってはそれが極論に過ぎないという批判も多い

お手数だけどこれの根拠があれば紹介請う。

引用いただいた「今となっては『それ』が極論に過ぎない」という部分の「それ」は、直前の、いわゆる「近代見直し」が盛んだった時代の論、を受けているのね。自分家族論や社会学専門家とかではないけど、たとえば20年ほど前にはF・アリエスの「子供誕生」について、次のような言い方で「近代以前に〈子供はいなかった!」的な紹介がされ、多くの人に影響を与えたわけだけれど、

子供は長い歴史の流れのなかで、独自モラル・固有の感情もつ実在として見られたことはなかった。〈子供〉の発見近代出来事であり、新しい家族感情は、そこから芽生えた。(みすず書房https://www.msz.co.jp/book/detail/01832.html

実際問題としてこれは「(我々が思うような近代的)子供(観)」が誕生したのは近代出来事に過ぎない、というだけの話に過ぎないわけだということは、今となっては説明するまでもないことだよね。親子像、子供像が「今とは(多少)違う」のは事実としても、親子や子供過去の文献に登場しないということはない。自分が言いたかったのはそういうことです。そして、増田が引いてくれた極東ブログ引用している元論文も、原文では次のように書いてるよね。

現代において伝統家族と考えられている直系家族江戸時代に生まれたのである

これを、極東ブログさんは「日本家族なんてものはなかったし、結婚もなかったんですよ」というタイトルで紹介するわけだけれど、この図式は上に挙げたアリエスの事例とそっくりだというのは分かってもらえるのではないかなあ。つまりもともと「(近世誕生した近世的)家族近世以前にはなかった」というだけの話しかしてないのに、それをセンセーショナルに取り上げて過剰に敷衍した意味づけをしている、という構図。いかがでしょうか? 本当は、近世以前にも、たとえば古代的、中世的な形で家族はあったし、古代的、中世的な姿で「子供」も社会的存在した、ということです(たとえば「子供」を人間以前の存在として大人とは別なる名を与え、一定以上の年齢になると新たに人間としての名を与える「元服」という風習とかがそう。)。


さらに、今私たちが思う「子供」観の全てが「近代に作られた子供像」で説明できるのかと言えば、それもまた違うのではないだろうか。単純に同じと言えないことはもちろん前提なのだけれど、1300年前に山上憶良が「銀も金も玉も何せむに優れる宝子にしかめやも」と歌ったその親子観、あるいは800年前ごろに、合戦中に年配の熊谷直実が、組み伏せた若武者が十六、七と我が子のような年の若者であるのを見て思わず刀を止めるシーンを描いた平家物語に見られる「年少者に配慮する心境」のようなものが、現代私たちの「子供」観と全く不連続であると言い切るとそれも相当無理があると思うのですよ。もちろん、1300年前、800年前の人々と私たちは、政治制度世界観死生観、何もかもを共有していないと言っていい。だから、本当のところ彼らが何を感じていたかなんて分からない。(まあそれを言うならそもそも現代を生きている私たち同士だって、何をどれほど共有しているか保証されないけどね。)それより、そうして「ことば」に載せるべきことは何か、すなわち彼らが「想定した公共」が何かという点に着目してみるなら、彼らと我々の間に一定の何かを架橋することは十分可能だと言えるのではないか。それを安易に「親子像、家族像の根本であるとか結論付けるのはそりゃ止めた方がいいと思うけど、そこに「引き継いでいる何かがある」ことは認めた上で話を展開するのは、それは十分建設的なことだと思うんだよ。

コノハナサクヤヒメの話を書くスペースが無くなったんだけど、一言だけ言うとあれは一般的婚姻の姿をイメージしたお話とは言いがたいのではないかなあ。「姉妹を同じ人のもとに嫁がせる」のは、あの話では天孫降臨した人間の祖に対して山の神繁栄を授ける、という文脈だよね。それは、たとえば地域を訪れた新しい権力者に対して地元豪族が取り入る、みたいな図をベースに作り上げた物語なんじゃなかろうか? 

2018-11-07

anond:20181106201315

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%80%88%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%80%89%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F

『〈子供〉の誕生』(こどものたんじょう、フランス語:L'Enfant et la Vie familiale sous l' Ancien Regime)は、フランス歴史学者フィリップ・アリエス著作である1960年に公刊された。子供大人の一線を当然視し、学校教育制度を当然視する現代の子供観に対して、疑義を呈する書物であるフランス語原題は『アンシャレジームの子供と家族生活』という意味であり、「〈子供〉の誕生」は、日本翻訳者がつけたものである

アリエスは、中世ヨーロッパには教育という概念も、子供時代という概念もなかった、と言う。 7〜8歳になれば、徒弟修業に出され、大人と同等に扱われた、と言う。飲酒恋愛自由とされた、と言う。なぜ大人子供の一線を7〜8歳に引いたのかと言えば、この時期に言語によるコミュニケーション可能になると考えられたためである、と言う。 7〜8歳以前の子供は動物と同じ扱いであり、大人フリスビー代わりに投げ遊び、落として死なせたこともあるという。乳幼児死亡率が高く、5歳までは頭数に入れられなかった。もっとも、乳幼児死亡率が高かった理由として、医学水準が低かったことだけではなく、両親のベッドの中で、あまりにも頻繁に窒息により非業の死を遂げる子供が多かったといった理由も挙げられている。

教会は、嬰児殺しを厳禁していた。が、両親があれは事故だったと主張してしまえば、それ以上追及する者はいなかった。

近代的な学校教育制度が現れたのは、17世紀のことである。当時の教育者たちは、古代には存在した学校教育を倣い、「純真無垢」を理念とした。「純真無垢」とは何か。子供大人を引き離すこと、特に子供にとってセックス禁忌にすることだった。また、子供として保護される期間の延長も提唱した。この時期から美術子供テーマにし始めた、それ以前は美術子供テーマにすることはなかった、と述べる。

近代学校教育制度は、大人とは異なる、子供服というものを編み出した、と述べる。この傾向は特に男児に顕著で、男児の特徴的な衣装であるズボンが考案された。それに対し、女児服装の変化には無頓着であった。女児家事に専念すればいいのであって、学校教育を受ける必要性が少ないと考えられたためだ、と述べる。

これを受け、近代的な学校教育制度は、同年齢の子供を同一のクラスに編成した、と述べ、極端な場合には、寄宿舎制度を設け、子供を外部から遮断した、と述べる。

2018-06-05

anond:20180605164632

本上げた増田だけど、一般教養心理学概論っぽい授業で出てきたよ。だから一般教養じゃないかなぁ。

アリエス文系現代文学とか社会学とか心理とか歴史やってる人だったら知ってないとだめなレベルだと思う。自分は某語学科。

anond:20180605152223

ピアジェアリエスお勧めした増田だけど、この両名の名前著作「すら」知らないみたいだけどさ、本当に知らなかったなら、正直、キミまったく、まったくお話にならないよ?

そのぐらい、子供論を語りたいなら当たり前に読んでおくべき本。

anond:20180605150206

頑なに、子供には大人と同様の独立意思行使できると強弁してるけどもさ。

ジャン・ピアジェ発達心理学の本とか、アリエスの<子供>の誕生ぐらいは、せめて読んで、もう少し勉強したらどうかな。

2016-11-19

素晴らしき夜這い文化

明治期まで日本人の85%を占めていた農民漁民にとって貞操観念なんてなかった。

セックスは単なる娯楽であり子を得るためのものであり、恋愛とはまったく別物であり、妊娠とも切り離されていた。だから男も女も村中のみんなと寝たし、父親が誰かすら誰も気にしなかった。

罪悪感なんてまったくない、西洋概念とは別種のあっけらかんとした奔放な性がつい100年ほど昔まであった。

これは他の娯楽がほとんど存在せず、村の外にも逃げ場がなく、村人は皆信用できる相手だったからこそ成立した文化だが、昔の日本人は性衝動という厄介なものを実にうまくコントロールしていたものだと思う。

もちろん、こうした性文化になった背景には子供が大きな経済的メリットであるという事情があった。子は労働力であり、老後の保障であり資産であった(最悪の場合、売り飛ばせる。間引きも悪いことではなかった)。

現代少子化問題になり子供経済的負担となっているが、これは愛情やら公費負担でどうにかなる問題ではない。これは、子供経済的価値を再発見できるのかという問題である

子供近代西洋が生み出した概念であるが(「子供誕生フィリップアリエス)、このような近代思想限界点差し掛かっている今、西洋とはまったく別種の知と性を生きてきた日本人過去は様々なヒントを与えてくれるように思う。

そんなことを、実家の14代の墓を見ながらつらつら考えたのでした。15代目の俺で末代とするとご先祖様に申し訳ねえなあ。

2013-04-08

TLを見ていたら、元キャリア官僚で今は関連団体に天下っていて国の諮問機関評議員をやっている人が…

抜きアリエステのブログを読んだのかわからないが、短縮URLと宣伝文をついーとしていて驚いた。

いやあなたその立場ちょっとまずいんじゃ…

 
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