はてなキーワード: しのべとは
そもそも被爆者や2世はみんなあなた達と同じ感性や意見なの?被爆者だと理屈無用なの?
リベラルって保守なんかよりはるかに頭良くて弁が立たなきゃやれないものなんだよ
なのにそうやってすぐ被害者とか弱者とかの身分制で議論に勝とうとするじゃん?
それをやって自分の脳を甘やかすからどんどんどんどん弱くなったんだと思うよリベラル
もう普通におつむでも口の回転でも保守とかアンフェとかの方が上じゃん?
リベラルってあんな程度の連中に負けるような脳味噌の人間が参加していいパーティじゃないんだよ本来
どんどんバカに退化していったこととバカに門戸を開いたことがリベラルの自壊の原因なんだよね。
本来的に言えばリベラルなんて学校の1学年に2,3人ぐらいじゃないとおかしいんだよ。多くても5人。
それ以上いたらリベラルの資格を満たさないバカが混ざり始めてるってこと。
俺はリベラルになれる。いくらでもG7失敗論を自分の頭と言葉で打ち立てられるから。(リベラルじゃないのでやらんけど)
君はなれない。「被害者様に逆らうな!」なんてことしか言えないバカだから。
そういうこと。
な、なんやこいつ
俺がなんか「弱者を切り捨てろ!生活保護撤廃!」みたいな話を少しでもしたか?
「話が自分の思うように進まない時に弱者や被害者を便利使いして巻き返そうとする悪癖はやめろ」つったんだ
それは頭使ってないから・頭が更に悪くなるからと。どんどん頭悪くなって弱くなった原因はそれだろうと。
それに対してこういう全く話が噛み合わなくて「弱者に配慮してる風」しか取り柄の無い意味不明なコメントを書く奴が現れる、
俺の言ってることの実例登場が早すぎるだろ。自演疑われるレベルだからやめてほしい。
頭がある程度抜きんでて良いために必然的にリベラルになってしまう正しいリベラル(素質的に5%もいない)と
まともな議論が出来ない・保守やアンフェに負けるレベルのおつむなのにリベラルぶってる闇リベラルがいて
後者が増えすぎてるんだよな
でも後者は全く人の役に立たない
tobalno1 保守からするとリベラルは少数派でいて欲しいから、
自分たちの側にはどれだけ頭の悪いアンフェやミソジニーがいても何も言わず、
何言ってんだ
保守は頭悪くていいんだよ
見た感じ君は明らかに頭悪い普通の日本人だから保守やった方がいい
逆にそういうレベルの人が無理してリベラルやって何になるのかを教えてほしい
普通の日本人として先例とか周りの人間とか大事にして生きれば当人はハッピーだし周りに無駄な迷惑もかけない
俺がもし保守やアンフェだったら
君みたいな知的レベルの「リベラル」が頭数増やしたってなんにも困らないどころか
そういうのをどんどんぶちのめしてイージーに大勝利大勝利って喧伝して勢力拡大やnote稼ぎに使えると思う
実際そういうのいるじゃん
頭悪いアンフェのミソジニーと言えば例えばtwitterででかいつらしてる白饅頭や小山、
でも君等はあれ以下だよな?
例えばきみはあれと口喧嘩して勝てるかって言ったら
残念ながら死ぬほどハンデ貰っても1ラウンドKO負けだろ
保守(か?)・アンフェ・ミソジニーより頭悪くて議論弱いリベラルって何?なんか存在意義があるのそれ?
やろうと思えばあいつらを凹ませてnote売上もべっこり凹ませることが出来る
最低限その程度の能力のある人間が、「仕方ないなー」って気持ちでリベラルをやるの
できてねーしさ
これだけクドクド言えば話は分かったか?
koo-sokzeshky “俺はリベラルになれる” 新しいな。G7に失望してないリベラルはどうすればいいんだ。あと個人的には、誰もバカではないと仮定するくらいでないと理屈や論理というものが存在意義を失ってしまうと思ってる。
新しくもなんともない
もともと知性と人格において抜きんでた人間がリベラルになるんだ
今のリベラルは頭の悪さを自分に許した弛緩しきったバカ集団だし
どう見ても人数が多すぎるので素質を具備しない人間が大量に混入している
ここで見ただけでもわかるように最低限話噛み合う応答すら出来ないバカだらけなんだから君の仮定はまるっきりなりたたない
そもそも理屈や論理というものを扱える人間は人類のうち一つまみしかいないし
何書いてるのか本当に読めないし、自分の主張の為に論理をくみ上げるなんてことが遊びでも出来ない
それが人類の大部分であるからそいつらは全員保守やってろ無理すんなと言っている
どんなに頭が悪くても”常識”を守れば人生を肯定してくれる保守はリベラルの100倍優しい
頭が悪い殆どの人間にとっては懐の広い慈母のような存在だと言える
リベラルは頭悪けりゃそれだけで入会お断りの感じ悪いフラタニティと思えば実態に近い
バカの癖にリベラルをやろうとして保守を敵視してるような奴はなんなんだかな
言ってない。
理想社会の実現に向けて、神の視点を究めようと日々努力研鑽を惜しまない人。
そもそも、祥子さんがレイプを訴えた時、まず第三者委員会で調べるべきとだけ言っていて、
「祥子さんがレイプを訴えた」までを事実と考え、実際に何があったのか?までは判断を保留している。
神の視点でモノを言うから、やれ、上から目線だ、他人事だ、と非難されがちだけども、実は物凄くフェアな見方をしている。
草津温泉を好むか、嫌うかは個人個人が決めるべきだし、個人が風評に流されること自体あってはならないのだという、
被害者救済のためなら、どんな犠牲をも払う覚悟のある人道主義者。
隠岐さんが、司法で決着がついたら全てという立場に対して、郡司さんは、司法が完全ではないことを指摘していて、
証拠が無くて立証不可能な性犯罪被害に対しても、最後まで被害者側の立場に立ち続ける強靭な意思がある。
本人から聞いたわけじゃないけど、祥子さんがウソつきの異常者に変貌してしまったのも、
祥子さんへの周りの長年にわたる酷い扱いに原因があると考えているんじゃないかなと勝手に想像してる。
良くも悪くも文学少女。
フットワークの軽さから、フェミニズム問題にもいっちょかみしてるけど、本当は死ぬまで本を読んでいたいだけの人。
『所詮は人間、いかに優れた者でも時には我を忘れます(シェイクスピア)』
『悪口を言われて我が身を正すことの出来る人間は幸せと言うべきだ。(シェイクスピア)』
シェークスピアを学んだ彼女は、どんな人でも過ちを犯すことがあるし、
本人自身も含めて過ちに気づけば謝罪して正すべきだと信じてる。
『天は自ら行動しない者に救いの手をさしのべない。(シェイクスピア)』
(個人の感想です)
ある人(勤め始めて5年以上は経つ)が私の所属している部署に異動してくるという、一見なんでもない辞令だった。
なぜなら、彼はもう3部署も飛ばされている、言わば問題児だったからだ。
研修も終わり、配属先が決定した当日、伝説となる発言を放ったのだ。
弊社では障害者雇用も行っているため、そういった方々も多少は採用されている。
しかし、クローズで正社員雇用をすり抜けた挙句、雇用が本決定した途端に告白し、開口一番こちらからのフォローを求める発達障害者は初めてのケースだった。
障害者雇用であれば先例があるためこちらも動きやすいし、せめて面接時に「発達障害だ」と告白してくれれば、部署内で多少の受け皿を用意しておくぐらいは出来たのに。
これでは発達障害を言い訳にしているとしか思えないし、発達障害に適した環境を用意することも出来ない。
面接時に必ず申告しなければならないとも定められていない。
という訳で、同じ部署の方々は何も抵抗できず、この発達障害の方(以降Aさんとする)のフォローに奔走することになる。
話はとんで1年後。
Aさんの異動が発表された。
そのまた2年後。
またAさんの異動が発表された。
その間にも、あらゆる部署からAさんの噂は絶えず流れ込んできた。
ここまで特定の人物の多種多様な噂話を聞くのは初めてで、何も知らないながらも大変そうだ、といった印象は受けていた。
そう、この時の私は印象を受けていただけ。
何も分かっていなかった。
そして遂に、私の所属する部署にAさんが異動してくることになったのだ。
ちなみに勤務年数で言うと、Aさんは私の先輩にあたる。
が、この部署での勤務年数で言えば、勿論私の方が長くなる。
そのため、私を含め部署内全員でAさんと指導をすることとなった。
もう一度言う。私はAさんをナメていた。
実際に共に仕事をすると、今までの人達はこんな人と付き合いながら仕事をしていたのかとあまりの大変さに敬服した。
例えば仕事を教える時。メモ1つとっても、以下のような症状が見られるのだ。
・メモを取らない
・とったメモを無くす
・メモが見つかっても内容がぐちゃぐちゃすぎて参考にもならない
これでは迂闊に仕事も任せられない。
1つの仕事を任せる度、1人がAさんについて、1つ1つ懇切丁寧に教えていく。
健常者の新人とは違って、そのままの意味で任せる度に教えなければならないのだ。
つまり、Aさんが仕事をする度もう1人の労働力が無くなることになる。
だがAさんの厄介さはそれだけに留まらない。
・優先順位をつけられない
・凹みはするが反省ができない
・PDCAサイクルを回せない
・人の助言・アドバイスを受け入れられない
これらはいずれも、我々が指摘・注意した際に「発達障害なので…」と言い訳された言動の一部だ。
特に厄介なのが、「人の助言・アドバイスを受け入れられない」だ。
こちらがどれだけ優しく
「どこまで分かってるかな?すり合わせしてみよう」
「褒めて伸ばして欲しい」
「なんで皆いじめるんだ」
と暴れ馬になってしまうのだ。
こりゃ大変だと、様々な対策も打ってみた。
Aさん専用のマニュアルを作ったり、不文律を手順書に明言したり、仕事を同時に複数個与えないよう配慮したり、進捗を定期的に確認したり…それはもういろいろだ。
マニュアルより思い込み優先で動いたり、手順書の存在を忘れたり、やるべき事ではなくやりたいことを優先させてしまったり、進捗を確認しても「出来てます」と虚偽の報告をされる。
勿論そんな人には本当に簡単な仕事(もはや仕事とも呼べないレベルだが)しか任せられない。
いや実際にはコピーや掃除などの仕事すら満足に回せていない状態なのだが…
そんな状況でも、我々は諦めなかった。
閑散期には彼にもう一度仕事を教え直したり、誰かとグループを組んで共に仕事をしたり、打てる手は打っているつもりだった。
しかし、我々が耐えているのと同時に彼も我慢していたのだろう。遂にこう騒ぎ出した。
「なぜ仲間はずれにするんだ」
「なぜ皆自分を育てようとしてくれないんだ」
…恐ろしいことに、彼は自分は仕事ができる、もっと仕事を任せてもらえて当然だと思い込んでいたのだ。
ここまで来て、全員が彼を諦めた。もうお手上げなのだ。
今まで働いてきて人にネガティブな感情も抱いたことも無かったし、むしろいい人ばかりだ。
表には出さないが、もう、誰もAさんの話をまともに聞かない。
しかし既に何かを察したのか、もうAさんに確認をもらったり、助言を求めたり、仕事の説明をしてもらったりすることが無くなった。
悲しい話だ。しかしそれはそうだろう。
こちらがどれだけ寄り添ってももっともっとと強請り、自分は何も与えないどころか足を引っ張るのみ。
その癖自己愛や自己評価は高く、傷つきやすく、現実とのギャップを埋められるだけの能力もなければ、改善策も実行しない、考えることもしない。
そんなAさんの傍若無人っぷりは今も健在だ。
皆耐えている。社会人でいたいから、加害者になりたくないから、解雇する権利がないから。
なぜ我慢するのか?
発達障害者の面倒を見るために、重い体を引き摺って通勤している訳では無い。
我々はママでも介護士でも先生でもなければ、会社は学校でも就職支援センターでもない。
発達障害者の面倒を請け負って仕事を倍こなしても、給料も上がらなければ手当も出ない。
寧ろ、自分たちの1/5も仕事をしていない人間と同じ給料で働かされていると思うと、怒りすら湧いてくる。
もはや、Aさんを起点に部署全体がどんどん悪い方へ向かっているのだ。
分かっている。この状況はAさんにも我々のためにもならない。
もうAさんには直接言うべきだろう。
やりたいことと出来ることは違うと。
だってそんな簡単なことすら、発達障害者は分からないらしいのだ。
彼さえやめれば元の職場に戻るのに…と、心がどす黒いもので埋まっていく感覚は、何とも言い表せない不快感がある。
そして痛々しい位に、苛つく自分自身への自責の念と、怒りの感情の葛藤で追い込まれる。
もう耐えられないと。
私は同士であり、友人でもあった彼女を止めることなどできなかった。
Aさんが異動してきてから、私は嫌という程思い知った。
発達障害は甘くないと。
発達障害者と共にやっていけないという声が上がる度、その内容や考え方に怒る「発達障害擁護派」はちまたに溢れかえる。
お恥ずかしい話、私も当初は「発達障害者も平等に仕事が与えられるべき」と軽く考えていた。
だが今なら断言出来る。彼らは発達障害者のサポート・フォローに苦労した経験がないのだ。
こういった人達は、総じて私と立場が変わった瞬間に掌を返すだろう。
きっと誰だってこうなる。なぜなら人間は聖人じゃないのだから。
そもそも、同じ給料を貰う以上、極端に効率が悪い人がいると不満が出るのは自然な事だ。
特に私のケースでは、正社員として雇用された上で発達障害者のフォローを求めるところがそもそもおかしかったのだ。
健常者と働きたいなら、健常者と同じように雇われたなら、健常者と同じ効率や働きぶりを求められるのは当たり前だ。
勿論、ここで述べたような人間とは違う、もっとまともに働いていらっしゃる発達障害者の方もいらっしゃるのだろう。
そういった必死に努力している方の事は応援したいし、能力を適切な場所で発揮してもらいたいとも思う。
「勉強不足だ」
「悪気はないんだから許してあげて」
と叩かれることが往々にしてある。
そもそも、片方のみに負担を強いるその精神に異議を唱えたい。もはや異常だ。
これらの何がおかしいのかも分からないお花畑っぷりに、グロテスクさを感じる。
健常者だからという理由だけで、我々の人生がイージーモードだと思っているのだろうか?
なぜ健常者が理解を深めなければならないのか?
支援は当然だという声には、こういった反抗心すら覚える。
誰かに足を引っ張られた時に、無限に、穏便に手を差し伸べられるほどの余裕は無いのだ。
こう言ってはなんだが、生産性がマイナスの人間は働かずに生きれるよう、福祉をもっと充実させるべきだと思う。
普通の仕事をしなくても生活できるように社会的な補助が必要だ。
もしくは、フォローする人には別途手当を与えたり、給料を増額したりといった、メリットがあると思わせる程度の手当が必要になるだろう。
そちらの方が、発達障害者に取っても、我々にとっても、お互い適度な距離をとって友好的に接することができるのではないだろうか。
労働という効率や生産性を求められる場から離れれば、我々はもっと上手い付き合い方ができるのではないだろうか。
どうか、どうか。
我々を助けていただけないだろうか。
加害者になどなりたくはない、そして被害者にもなりたくないのだ。
https://archive.ph/2022.08.26-152931/https://note.com/tender_tulip463/n/n6bfa6436ae65
ひねくれた人間の言うこと
今回のメンタリ…な人のもそうだけど、YouTubeだとか、趣味で描いた漫画とかで自分の考えを言ってみたり、ネタとして描いてみたりというのを他人がわざわざ世間に晒して
こんなこと言ってる奴がいましたよ皆さん!間違えていることはきちんとわからせてあげないと、この人の為に!!
と考える傲慢な人が人が多いなと感じる。
次から気を付ければよいのだと何故か上から目線のコメント。懐の深い自分は立派な人間だと快感を得てよりエスカレート、という印象。
自分も生粋の日本人だけど結局意見の多い方が正しい、長いものに巻かれる精神が育っていると思う。自分も社会ではそうだ。余計なことは言わないし、少数派な考えは口にしないよう気を付ける。
けどYouTubeは見たい人だけ見るものだし、ネタ漫画だって架空物。表現の自由って奴ではないのか。見てしまった自分を責めなよ。ネタにマジレスもうんざり。しかもなぜ他人を煽動するのか。嫌だなと思って放っておけば表舞台に上がることもなく流れるのに。
あなたがその人を好きじゃないと思うなら勝手に嫌えばいい。仲間を増やそうと言う精神が嫌だ。そう思ってる人が多いってことは自分は正しいんだ!と思いたいのか。多数派になって安心したいの?
結局メンタリ…の人の騒動は燃えて、煽られて、結果ホームレス関係の寄付金が増えて、謝罪されて溜飲を下げる。
メンタリの人は前から過激な発言をしていたようだし、もとからのファンはついてくる。何を言おうがついてくる人はいる。面倒臭いのに絡まれたな~くらいで実際ここ2日間名前が出まくって注目が集まった。
批判した人は煽られて寄付金を出した。良いことしましたね!この件がなかったらしなかったものね。騒動のお陰で考えさせられましたね。
踊らされてんな~って感じ。
人の優しさとか、弱いものに手をさしのべろとかそんな道徳的な話は標準装備されてるべきなんだよ。小学校行ってるでしょ?その前提での厳しい意見を持つ人とか逆にキリストのような奉仕の精神を持つ人がいて当たり前。自分は偽善者なのでどっちにも寄れませんな。
議論に至る前に、こんなこと言う奴は人の心がない!まともじゃない!話にならん!となる人が多い。人の意見を聞くまでは出来ても理解する努力を怠っていないか。どうしてそう思ったか頭を使わないと、人の気持ちに感情的か論理的かはあっても、どっちが正で誤かなんてのはないのではないかな。多数決は最終手段だよ。数に流されて考えるのを怠ったら何もない人間になってしまうよ。
結局何が言いたいのかよくわからない感じになったけど近頃のモヤモヤをはきだしました!
おわり
「自分もなるかもしれない」
という意見をよくみかけるけど、
ある一定以上の社会的ポジションにある大多数は結局ホームレスにはならないし、
いわゆる自己責任って言われそうな理由でなるべくしてホームレスになってる人もいるかもしれない
だから、理由としてこれらが最初に挙がってきたりするのがいつも違和感(それはそうではあるのだが)
そうではなくて、私達は社会という仕組みの一員として生きているし生かされているので、
その中で生じる出来事には(たまたま自分に関係なかったとしても)、一定程度責任を負わなければならない
責任とはいっても、何も全員が全員実行するのが難しいようなことが最低限のハードルとして設けられているわけじゃない
今話題になっているあの人のような思想を持たない、発言をしない、理解を持つように努めるっていうだけでも、
社会全体としては全く状況が違う
綺麗事いうな、助けもせずに言うなっていう人がいるけど、多くの人が必ずしもができそうにはないことを持ち出さなくてもよくて、
あなただって偶然が重なって今の立場にあるだけなんだから、せめて、ヘイトを振り撒かない、理解するように努める程度の社会的責任は果たしましょうよって思う
もし敵が?さようかしのべ
ここでいう片田舎は「地方都市の外れ、駅からはかなり遠い」くらいなイメージね。
でね。うちの親はIT弱者、当然PCは使い切らないし、LINEもままならない。ご近所付き合いで店に来てくれる人はいるけれど、実質井戸端会議の会場。
そんなご近所さんも当然ながら歳をとるし、新しい客は入ってこないし、こりゃ新陳代謝も進まず朽ちゆくばかりですなぁと。
でね。そんな私がこんな記事を読んだわけ。
"福岡の下町鮮魚店がDX?シャッター街の魚屋さんがコロナ禍をプラスに変えた経営策とは"
https://blog.ncbank.co.jp/posts/152
泣いたわ。3回泣いた。
「終わってんなー個人商店なんて」
って思ってただけの自分に泣いた。
分かってた。分かってたのよ、本当は。
周りの個人商店の中にも、頑張ってネット上で販路拡大する方法を考えている人はいた。知ってた。
でね。私はそんな人を「いたーっ!あいたたー!」って見てた。「個人商店足掻いてて乙wwww」的な。
「こうすればいいのに」
机上の空論を考えるのは得意だ。でも、行動は苦手。どこか心の片隅でバカにしていることなんて、やるわけがない。
でも間違ってたなぁって。
私も一念発起して実家のDXサポートしてたら、こんな風に取材されてたんだろうなぁって思うと悔しくて仕方ない。
もう私にはできないけどね。
関係ないけど貼りたくなったから2008年の韓国通貨危機時の日本の援助に対する韓国側の対応貼っとくな
https://japanese.joins.com/article/575/117575.html
「韓国が最も厳しい時に外貨を融通してくれたのは、米中日の中で日本が最後だ」
尹増鉉(ユン・ジュンヒョン)企画財政部長官は6日、日本有力経済紙である日本経済新聞とのインタビューでこのように指摘し、「世界第2位の経済大国なのに、日本は出し惜しみをしている気がする」と語った。
昨年9月、グローバル金融危機の余波で外国為替市場に不安感が高まり、韓国は主要国と通貨スワップを推進、米国とは昨年10月に、中国・日本とは昨年12月にそれぞれ300億ドル規模の協定を締結した。
尹長官は「日本は周辺国が大変な時は率先し、積極的に支援の手をさしのべてほしい。アジア諸国が日本にふがいなさを感じるゆえんだ」と述べた。
また、通貨スワップのような金融協力を日本と拡大することについて「今はそれほど必要な状況ではない。300億ドルの枠がある現協定が切れる10月に、延長の是非を含めて協議したい」と明らかにした。
「不現症」とは、その名前が示すとおり「身体精神ともに異変が顕在しない」病気の総称である。
「異変が顕在しない」というのは、別に「表層・見た目に何の問題もないが実は身体内部が病気に侵されている」ということではない。
「不現症」は基本的に、外見的に病的でないどころか、どんな医療的検査を受けても全く異常が見られないというものである。
むしろ「どんな医療的検査を受けても全く異常が見られない」事がまさに「不現症」の明らかな症状である。
その患者数は全国に何人いるかというと、十数人程度から数十万人程度と、その明確な数字は未だにはっきりとしないのが現状である。
ここで、改めて言わせていただきたい。彼らは紛うことなき病気である。
私がツイートしたことでバッシングのコメントがたくさんきた。私が言いたいことは、私はレイシストではない。人種差別には反対だ。もちろんすべての日本人が悪いわけではない。あんなことがあったけど、それでも私は日本を愛しているし、日本にこのまま住み続けたいと思っている。
世界のどんな国の社会でも問題は必ずある。でもその問題を改善し解決するかどうかが重要なのである。
私にとって今回の事件で一番問題だった事は、日本の警察が被害者に被害届を出させないように邪魔をしたことだ。日本は治安がいい国だといわれている。でも実は日本の警察は事件があったときに話はきいてくれるが被害届を出させないようにするし、被害届が出されないと犯罪件数にはカウントされないから日本は犯罪率が低いのだときいた。だから日本の実際の犯罪はもっと多いだろう。そのうえ警察は被害者に事件を告訴してもらいたくないと思っている。それは犯罪の申し立てがあって有罪判決が出ないと、警察署の成績が下がるからだそうだ。(※注:検挙率が警察署の成績になる)
みんなもっと困っている人にもっと手をさしのべてほしいと思う。私が痴漢を追いかけてつかまえて「痴漢です、痴漢です」と電車内で叫んだ時には、誰も助けてくれなかった。トラブルに巻き込まれたくないからだろう。私が痴漢からセクハラやストーカー的な行為を何十分も電車内で受け続けて困っていた時も、まわりの乗客は私達を見ていただけで何もしてくれなかった。
私は別の場所で別の日にも、知らない男がいきなり私の腕をつかんで私をどこかに連れて行こうとしたので「ノー、ストップ、助けて、やめて」などと日本語で叫んで助けをよんだのに、まわりの人は誰も助けてくれなかった。ただこっちを見てるだけで無視して歩き去っていったのだ。
もっと安全な国にするためには、誰かが困っていたら手をさしのべ、関わり合い、助け合うことが重要なのではないだろうか。
他の国、たとえば私の母国カナダでも、もちろん犯罪はある。犯罪はあるけど、まわりの人達がすすんで助けてくれる。もしいやがらせやセクハラ、痴漢、ハラスメント、人種差別の被害を受けている人を見たら、まわりが立ち向かって加害者に文句を言ってくれる。
日本人は無関心で対立を避けようとする人がけっこう多いと思う。でも虐待されたりハラスメントを受けている人を助けるために、かっとなったり、怒ったり、対立することは悪いことではないのだ。
多くの人は、自分には他人を助けることなんかできないと思ってるかもしれない。でもできる。あなたは人を助けることができるのだ。
そして、日本人にはたくさん親切な人がいる。私が痴漢被害にあって駅のホームで泣いていた時に、私に近づいてきてなぐさめてくれた日本人女性もいた。彼女は電車に乗ってなかったから痴漢被害については知らなかったのに。警察のうちの2人は私の言う事を信じてくれたし仕事もプロフェッショナルだった。事件についてツイートしたら、たくさんの日本人から優しいメッセージをもらった。
ただ一方で私のツイートに対してバッシングする内容のコメントも多数来ている。ヘイトや人種差別のレスをする人へ。人種差別をあおるのはやめてほしい。私は被害者なのにさらに傷つくし、それにそんなことをしても状況改善には役にたたない。レイシズムはただ人を傷つけるし有害なだけだ。
そう読んだとしたら、申し訳ないが誤読としか言いようがない。三段落で私は、いま弱者とされている人の生きづらさを解消することが社会全体にとって「利」なのだ、という話をしている。福祉行政の目的、そして、私がLGBTの権利主張に同調するのは、それが「社会全体にとって利があるから」=公益のためだ。
そもそも福祉は「かわいそうな人のためにみんなが損をして『あげる』」ために行うのではなく、社会全体に安心(セーフティ・ネット)を与え、無意味な偏見を取り除いて社会の風通しを良くするために行われる。それに対して、既存の社会のありようをただ守りたいというノスタルジーから反対する(つまり偏見に基づく差別を肯定する)のは、率直に言って社会悪だ、と私は述べている。そこでは主に保守主義的な立場からの批判に対する意見として述べたわけだが、仮にあなたの立ち位置がリバタリアニズムにあるのだとしたらもう少し違った説明をした方がいいかもしれない。
あなたの「弱者の側が社会に損させてでも自分の利益だけを求める」という捉え方、言い換えれば「福祉は『お上から下される憐憫』」的な捉え方に基づけば彼らへの支出を絞るのが「公益」となるのだろう。だが、政治・行政とは慈悲ではなく現実に即して行われている。社会的弱者へのセーフティネットもLGBT支援も、徹底的に「公益」に適う視点で行われているのだ。
もちろん、社会的弱者に手をさしのべることが公益となる根底には、人間の他者への想像力、同情、などの心情が働いていることは否定しない。それはたとえば、孤島に流れ着いた10人の集団が生き延びようと努力するとき、怪我をした1人の仲間をどう扱うか、という問題に似ている。あなた、あるいはリバタリアンは「安い同情はやめろ。こいつはもう歩けるようにならない。ただの足手まといだ。せめて崖から突き落としてやるのが慈悲だ。」と主張するかもしれないが、リーダーがそのように振る舞えば、そこは弱肉強食のバトルロワイヤルの舞台と化すだろう。だがもし「歩けなくても、可能な範囲でこいつにできる仕事を回して、協力して生きのびよう」という意見を述べるリーダーがいたら? そこでは弱い人間も安心して社会の維持に協力できるし強い人間も周囲との競争にリソースを裂くことなく社会全体に貢献できる。バトロワ化した集団と後者の社会、どちらがサバイバルに有利かは明白ではないか。
「福祉とは公益に適う視点で実施されているのであり、それに反する意見は端的に言って社会悪である」というのはつまりそういうことだ。後者のリーダーの下で我々が安心して働けるのは、確かに我々が想像力を駆使しているためではある。また、そのような想像力の働きは「同情」という形で現れるかもしれない。しかしながら、人間がそういう生き物である以上、それを前提に社会制度は設計されなくてはならない。福祉が実施されなくてはならないのは、先のように社会を一つにするための徹底的にリアルな「公益」に基づいている。このような認識に立つとき…つまり「個人の善意などには信頼したり頼ったりしない」という冷徹な立場の上に、福祉は実施されるべきである、というリベラリズムが成立しているのである。
もう少し言えば、「同情」という心情が生き物としての我々の「心」にセットされているのは、おそらくそれが生存に有利だったからだろう、ということもたやすく想像できる。ほ乳類が進化していく過程のどこかで「同情」という心性が生まれ、特に集団を形成するタイプの生き物の中で生存に有利に働いた。たとえば犬、ウマなどは「同情」するし、サルはもちろん深く「同情」する生き物である。そのように私たちは「同情」する生き物なのだ。「同情」によって数百万年の間、過酷な自然を生存してきた生き物なのだ。思想や理論に偏らず、このように人間という生き物そのものの性質を踏まえた上でなければ、現実に生きて働く政治を形成することはできない。