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2019-05-06

[]【5】2019 春、韓国釜山・光州

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anond:20190506094948




5일



5日目

釜山港へ帰るんだってばよ


明日帰国は早朝便だ。

ゆっくり眠れる保証もないので、充分な睡眠時間を取れるのは昨夜しかなかったが、やはり眠りは浅かった。

釜山で迎える2度目の朝、疲れが取れているかどうかは疑わしいが、今日は名所観光お土産購入、食べ残し釜山グルメなど、予定を詰め込んだので、直ぐに部屋を出た。

まず目指すのは、チャガルチの朝の名物になっているという、シンチャントーストだ。


地下鉄1番線に乗り、朝のチャガルチ駅に到着。

BIFF広場を通り抜け、裏の小売店街に向かう。

まだほとんどの店が開店前で、人もいるにはいるがほとんどは開店準備の搬入路地工事

本当にやってるのだろうか。

路地クルクル迷いながら進むと、まだ閉店してい暗い店が軒を連ねるなか、30㎡程の縦に細長い店の前でコック帽に白衣のオジさんが黙々と店先でトーストを焼いている。

釜山の朝の味、シンチャントーストの前では、そこだけ行列ができていた。

しばらく待って、トーストフルーツジュースを頼む。

卵とハムチーズが挟まれトーストは、洋食なのに滋味深かった。


シンチャントーストの御主人に支払いを済ました時に、残りのウォンが心許ない事に気付いた。

チャガルチから程近い南浦洞のヨンジン両替所に向かう。

南浦洞は西面と並ぶ釜山繁華街だが、土曜の朝9:30に開いてる店はほどんどなく、人もまばらだった。

午前の強い日差しの下を歩き、両替所に到着。

手元の3000円を両替する。

ナヨンの時は実は数えてなかったが、ここでの両替は少額なので数えやすい。空港より明らかにレートが良かった。


南浦から引き返し、港町釜山の顔が最も見える場所、チャガルチ市場に向かう。

広い市場では、いけすの中にカニエビなどがひしめき、山盛りに積まれサザエやホンビノスなどの貝類太刀魚などの魚、イカタコナマコに果てはエイまで、あらゆる海産物が並べられていた。

ここで海産物を買って、2階で調理してもらえるらしく、お母さんに声をかけられるが、既にトーストを食べていたので、固辞して、市場の棟の反対側に出る。

海が目の前だった。

海風にあたりながら、あたりを眺めていると、韓国語演歌らしきメロディーが流れてくる。そういう音楽韓国にあるかどうか分からないが、メロディーといい、コブシの利かせ方といい、どう聴いても演歌だ。

韓国であっても、港では演歌流れるものらしい。


室内市場の脇の青空市場を歩いて抜ける。

ここでもたくさんの海産物が売られていたが、端まで抜けると食事のできる店がある。

漁師港湾労働者、仲買人などはここで食事をとるのかも知れなかった。

歩きながら日本韓国意見の相違のある日本海の呼称問題について考える。

このチャガルチ市場を埋め尽くす豊富な海の幸を見ていると、韓国の人がこの海を「東海」と呼びたいのもわかる。

目前にある日々の漁場が「日本海」では、借り物で漁をしているみたいだ。

日本人として韓国人の主張の是非や正当性は一旦脇に置くが、ナショナリズムじゃなく、釜山市民生活者の実感として「ここは自分たちの海だ」とスッキリしたいという、その気持ち理解できる。



韓国青春グラフティ


市場を後にし、韓国旅行に当たって一番最初に決めた観光地、山間の民家をカラフルに彩った甘川文化村に向かう。

バスに乗るてもあったが、地図上では歩いて行けない距離とも思えなかったので、その足で向かった。


実際に歩いてみると、考えが甘い事に直ぐ気付いた。

市場に程近い有名観光地なのに、歩いて向かう人が殆どいないのもさもありなん、山道結構なのだ

「実際に過ごしている人を見れるのも良い」と無理やりポジティブにかんがえたが、やっと観光客で賑わう村の高台に着く頃には、脚の疲れがえらい事になっていた。


カラフル屋根を一望できるカフェでまず一休み。

甘いカフェラテが身に染みる。

デッキではカップルロマンチック風景をバックに写真を撮っていた。


糖分を補給した後は高台散策

辺りには、たくさんの国からやってきた観光客が写真を撮っていた。

実は釜山にきて見て気付いたのだが、この街で最もよく見かける外国人は「日本人」で、それ以外の外国人存在が薄かった。

しかし、ここでは中国台湾ベトナムヨーロッパから来た人など、多彩な国々の面々が並ぶ。

やはりというか、若い人、カップル10代の少女が多かった。

韓国民族衣装を身につけた3人組の少女、2人は明らかに韓国人ではない。

多分ベトナムタイの人だ。

韓国友達を頼ってやって来たのだろうか。

まりに似合っていたので、写真を取らせてもらう事にした。

ピンク黄色、水色のスカートが風に揺れていた。


村の坂道階段を行ったり来たりするうちに、「ギャラリー」の文字が。

興味をそそられて階段を上ると、登り終えてまだ続く坂道の上で、学生服少女が同じく学生服少年写真を撮っていた。

青春ドラマのような光景に関心して咄嗟に一枚。

ギャラリーは閉まっているらしく、腕章を付けた彼ら以外に周囲に誰もいない。

プライベートも極まる時間だろうが、輝く記憶を少しだけおすそ分けさせてもらった。



釜山餐丁・バタードーナツと血羊羹


たっぷり写真もとって満足したので、下山する。

さすがに歩いて降りる気力がなかったので、バスを使ったが、山道を下るバス運転が荒い。

座れてなかったら大変だった。


バスの最終停留所、チャガルチで降りて再び南浦洞へ。

チャガルチから南浦洞への道すがら、行く手から派手な太鼓鈴の音が聞こえてくる。

デモだろうか。

韓国社会はどうやらパレードが大好きで、到着2日目にも地下を歩きながら、実体こそ見なかったが、パレードの音を聞いた。

時節柄、ちょっと緊張する。

からやってきたのは、釜山の対岸、九州からの踊り手達だった。

彼ら自身は踊ってないので、既に演目を終わったのだろう、しばらく歩くと、今度は韓国民族衣装に身を包んだ踊り手達が舞っていた。

音は此処からだ。

そういえば、釜山であった日本人と少しだけ会話してみると、九州からの人が多かった。

岸の両岸では、それぞれの人々が交流している。


南浦洞では、韓国旅行で2番目に決めた目的ナッツ入りバタードーナツのシアホットクを買い求める。

生地を大量のバターで豪快に揚げ、横に挟みを入れポケット状にして、蜜とナッツを詰め込む。

形状は平たい円形だが、なぜか平たく潰した紙コップに入れて供される。

しょっぱくて甘い味は疲れた体に沁みた。

これも日本に持ってきたら流行るかも知れない。

でも、どうも日本に入ってくる韓国グルメは、1個流行るとそれ一色になっちゃうんだよなー。


さて、夕方前に一旦ホテルに戻るつもりだが、その前にここのロッテマートお土産を買う。

出発直前までなかなかイメージが湧かなかった韓国土産だが、同僚の勧め通り、インスタントラーメンにした。

韓国即席麺大国なのだ


ホテルに戻って、明日朝の空港に向かうタクシーの手配をして、すぐ出発。

海に突き出した岩場に建つ寺院、海東龍宮寺に向かう。

なんとか時間的に間に合いそうだ。

ここに訪れれば、今回の韓国旅行で行きたい観光地は大方回ることができる。


地下鉄を乗りついで向かうが、どうやらエネルギー切れで気力が切れてきた。

山道を歩き回ったのに、朝から食べたのがトーストドーナツだけじゃ足りないのも当たり前だ。

とにかく何か食べないとまずい。海雲台駅で降りると、バーガーキングに吸い寄せられるように入った。

異国の地で、何が出てくるか想像できる上に早いジャンクフードはいざとなると頼りになる。

バーガーキングカウンターの福々しいお姉さんは、言葉が怪しい日本人にも親切だった。


ちょっと迷ったが、海雲台から海東龍宮寺に向かうバスに乗車。

30分ほどの乗車で龍宮寺に到着した。

龍宮寺までの参道は曲りくねった階段なのだが、辺りは台湾九份もかくやと思わされる人出で、細くて急な階段を歩くのが怖い。

しかも疲れている所に再びの山道なので、なんとか転ばないように慎重に歩く。

距離がなかったのだけが救いで、やがて海を望む龍宮寺が姿を現した。

既に夕方だったので、だいぶ光が赤く、海の青さはちょっとくすんでいたが、それでもなかなかの絶景写真に収めることができた。


満足したので引き返してバスを待つ。

やってきたバスに乗り込んだが、ここで思わぬ苦労をする羽目になった。

椅子に座れず立ち乗りだったが、渋滞に巻き込まれバスがなかなか進まない。

その上、運転が荒い。

急発進、急ブレーキ、急ハンドル

外国バス運転は概ねこんなものだと思ってはいものの、いい加減ヨレてきている足腰には辛かった。

このワイルド運転にも韓国若者涼しい顔をして立っている。

どういう鍛え方をしているんだ、いや、これ自身が日々のワークアウトになっているのか。

ユラユラ揺れる自分も、友達恋人と事も無げに談笑する韓国男子も、真反対の意味で慣れというのは恐ろしいものだ。


渋滞に巻き込まれた結果、1時間強の乗車となったバスを降り、海雲台の駅から地下鉄に。

食べ残し最後ご当地グルメを目指す。


釜田の駅から程近い「カヤポヂャ ソンジクッパ」に入る。

釜山最後食事は、牛の地を羊羹状に固めたソンジが浮かぶソンジクッパだ。

「ソンジクッパ ジュセヨ」席に座る前に頼むと、やがてグツグツ煮えたソンジと牛もつ入りの赤いスープがやってきた。

ごはんを入れながら食べる。

パッと見、キワモノっぽく見えるソンジだが、動物の地を固めてスープの浮き身にするようは食習慣はアジアでは珍しいものではない。

台湾にも猪血糕や鴨血などがあるし、タイにも類似料理があるという。

四角く赤黒いソンジは、特に強い匂いもなく、レバーっぽい羊羹という感じで口に抵抗なくいただけた。

これで韓国旅行で事前に設定したタスクは全て果たすことができた。


ホテルに戻って、荷物の整理をする。

個人的旅行あるあるなのだが、なぜか海外旅行では額にして3000円前後の小さな落し物をすることが多い。

りある旅行であればあるほど、その傾向が出る。

今回もカメラレンズアクセサリーリング所在不明になった。

別に機能に致命的な影響が出るわけではないが、無くしたいわけでもない。

こういう時、何かの引き換えになったとでも考えるようにしているが、少しだけ残念だ。

荷物の整理をして、この旅行記を書いたら時間は0:36分。

3時間程仮眠をしようと思う。寝過ごさないといいが。


【6・了】2019 春、韓国、釜山・光州  6日目|ありがとう/カムサハムニダ へ >>

2019-01-24

ドラクエ2 全てを焼き尽くす力を秘めし神の紋章の場所

俺は人であった頃、故郷の小さな城下町にある古代言語学塾に通っていた。

塾の先生はメイプゥルという聖なる力に保護されし連邦帝国ダ・ケナディア出身で、この街で日本人魔女結婚している。

塾生はパルスの放埓な神の恩寵を受けし者であり、一節には先聖のペルソナもあり、何とも悠久の時を感じた塾だった。

古代言語学塾の聖地は町にある民家を貸室に違法改造したモノリスの貮階層クラス》の一室で、一階は大人がヨルムンガルドのハングアウトとして使役スレイヴ)していた。

若干アトモスがダークなところで、小中と通った俺……いや、『黒騎士』は密かな中二心をクリスタルの光で抱いていた。

聖ベベル宮は何回か変遷したけれども、過ぎ去りし時に刻まれ安息の地を借りてその時を待ち侘びていることが多かった。

覇道制御していない民家の一室であることが多かったと預言書にも記されているように思う。

定められし『刻』、霊廟に進入すると、先生ゲームボーイヴァルハラをしていた。

正確に言うとゲー・ムスヴォーイン“青竜”の異空間ブレイズオンしていた。

異界言語で器量を問う刹那

「お元気ですか……”彼女”の前でも、同じ事が言えるか? 元気だよもう一人の僕は…とでも言わせる気かね? 悪くない(…ま、嘘だがな…)!」

戦い続けて問う。

「何の知的なる遊戯やってるんですか?」

ドラクエ2と呼ばれる太古の大厄災」

俺は超越娯楽の始原でやった真理<ファティマ>があるゆえ、預言書に記された旨を話す。もちろんヌフォン語だ。

「一振り仮初めの探求がある」

「なんですか……俺を、殺すんだな?」

「全てを焼き尽くす力を秘めし神の紋章場所がわからない」

神々の遊戯をやったことのある罪深き種族はご存じだと思うが、かの紋章は他と比べて我らを導きし物が少ない。神の瞳<ヘヴンズ・アイ>で見れば無垢イノセント>みたいな禁域にある。

太陽支配者(サン・オブ・サン)の万魔殿をくまなく探さなくてはならない。後の幻想薬の使用では妖精の導きが増やされた箇所だ。

俺も弟と共に一歩ずつ希望を求めて、ついに「あの伝説場所」を見つけた。

先生紋章のありかを教えてやる。しかも、無料でだ!

先生は代償を述べて、真理探究接触して行った。

俺は暗黒の砂時計の囁き創世、なにか国際的秘跡を得た。

先生はアロゲネースだし、導き手というメインジョブだゆえに、無意識の聖廟に心理的障壁を術式武装していたと想う。

大地を照らす炎の紋章はそれを取り払った。

存在し得ぬ地の人なれど神々に作られし遊戯をやって、俺と村の者ですら滅多に近寄らない所で翻弄されるのだ。

そして、普段強者を待ち構えている側に、暗黒と同調せし吾輩が“再教育”を施す事象もあるのだ(遺された遺志を継ぐ者が知恵を与える側にたったら今考えている事の逆が正解なのかもしれない)。

この次期特異点がどっと心の裡に流れ込んできた。

英雄のいない現在(いま)でも、異空間存在を維持している者と接触する時に前世記憶として呼び覚まされる。

幾ばくか変な例えだし極端な話かもしれないなれど、この秘跡《イニシエィション》があったから不可解なネクロマンサーの如くならずに済んだのか、或いは希望という可能性を具現化できるかも、と思う。

異界通信も習ったなれど、他にもよろしい経験可能であると神のコデックス規定されてはい王室魔導院だった。

そして礼を言っておこうか、ヘーリオスの威光の紋章メダリオン>の約束されし理想郷カナン》。

2019-01-17

ドラクエ2 太陽紋章場所

俺は昔、故郷の小さな町にある英会話塾に通っていた。

カナダ出身先生は、この街で日本人女性結婚して、小さな英会話塾をやっていた。

塾生は田舎の放埓な生徒児童であり、また先生生来自由感覚もありなんとものんびりとした塾だった。

英会話塾の会場は町にある民家を貸室に改造した建物の二階の一室で、一階は大人麻雀のたまり場として使用していた。

若干雰囲気がダークなところで、小中と通った俺は密かな中二心を抱いていた。

会場は何回か変遷したけれども、どこで契約したのか全く分からない謎の建物の一室を借りていることが多かった。

日常的に使わなくなった民家の一室であることが多かったように思う。

ある時部屋に入ると、先生ゲームボーイをしていた。

正確に言うとゲームボーイポケットを起動していた。

英語挨拶howareyou? fine.and you? nottoobad!

続けて問う。

「何のゲームやってるんですか?」

ドラクエ2」

俺はファミコンでやったことがあるので、その旨を話す。もちろん日本語だ。


「一つ質問がある」

「なんですか?」

太陽紋章場所がわからない」

ファミコンゲームボーイ版のドラクエ2をやったことある人はご存じだと思うが、太陽紋章は他の紋章と比べてヒントが少ない。実際アホみたいなところにある。

太陽神殿をくまなく探さなくてはならない。後のリメイクではヒントが増やされた箇所だ。

俺も弟と一緒に太陽神殿を一歩ずつ歩いて探して、ついに「あの場所」を見つけた。

先生紋章のありかを教える。

先生はお礼を述べて、授業に入っていった。

俺はこの時初めて、なにか国際的感覚を得た。

先生外国人だし、教え・教わる立場にあったから、無意識のうちに心理的障壁を持っていたと思う。

太陽紋章はそれを取り払った。

外国の人でもゲームをやるし、俺と同じ所で迷うのだ。

そして、普段教わる人にも、何か自分が教えることがあるのだ(自分が教える側にたったら逆のことがまた言えるかもしれない)。

この2点がどっと心の裡に流れ込んできた。

いまでも、異文化にある人と接する時に思い出す。

ちょっと変な例えだし極端な話かもしれないけれど、この経験があったから変なネトウヨみたな感じにならならないで済んだのかも、と思う。

英会話も習ったけど、他にもいい経験ができた塾だった。

そしてありがとう太陽紋章場所

2018-12-25

イブの夜はいつも山岡家

今の会社に勤めて5年になる。おれの会社はちょうど今が繁忙期だ。だから休日だとか祝日だとかそんなのはお構いなし。毎年、クリスマスイブは日付けが変わるまで帰れない。

うちの会社は忙しい時期とそうでない時期の差が激しいが、それ以外はごく普通会社だ。給料普通。つまらない作業が多いが、たまに楽しいこともある。超普通。辞めたいとはたまにしか思わないが、辞めたくないとも思わない。

ただ一つ重大な欠点がある。所在地田舎すぎるんだ。うちの会社北海道のハズレに所在地を置く。この街だと飲食店なんて21時にはほとんど店じまいだから、日付が変わるまで会社に居た日なんかは、ちょっといいものを食べて帰ろうと思っても店がやっていない。

クリスマス孤独だと感じなくなったのは4年くらい前からだろうか。今の会社にぼちぼち馴染んできた時期だ。孤独だと感じなくなった理由はいろいろあるけど、一番は山岡家出会たことだろう。おれは就職するまで山岡家に行ったことが無かったけど、いざ行ってみるとなかなか良い店だということがわかった。今では常連だ。

山岡家救世主だ。21時になるとたいていの店が閉まるこの街で、孤独24時間営業を続ける救世主クリスマスだろうが正月だろうが、いつだってコンビニより明るい照明でおれを照らしてくれる。この街24時間営業しているのは、国道沿いの山岡家駅前すき家だけだ。

イブの深夜なんて山岡家すき家しかやっていないから、今年もクリスマスディナーは山岡家だ。仕事が終わって死にそうになりながら会社を出て、明日の朝食にスーパーで半額のローストチキンを買ってから山岡家に向かう。「またイブに来ちまったな」なんて言いながら駐車場を歩く。返事はない。山岡家から放出されている公害レベル豚骨匂いを全身に感じながら店内に入る。24時間365日公害レベル豚骨匂いを浴びせられる近隣住民はかわいそうだな、洗濯物とかどうしてるのかな、なんてどうでもいいことを思わなくなったのはいからだろう。

山岡家は食券制だ。食券制は素晴らしい。人類の生み出した文化の極みだ。店員と余計なやりとりをする必要がないというのは、仕事疲弊したおれにはとても心地が良い。店員だって食券制のほうがいいだろう。

醤油ネギチャーシューライス今日はめでたいか餃子も付けて席に座る。5枚集めると餃子が貰えるサービス券が2枚出てきた。家にかなり溜まっているのでそろそろ使わないといけない。時間時間なので店内はかなり空いている。いつもはカウンター席だけど、今日は迷わず6人がけの席に座る。食券を渡してコイメカタメスクナメと店員に告げる。なんだか通ぶっているみたいで最初は照れくさかったこ呪文みたいなセリフも、今では「お疲れ様です」って挨拶と同じくらいスラスラ出てくる。

そういえば去年も同じメニューだった気がするなあ、なんてつぶやきながらラーメンを待つ。しばらくすると餃子ライスが先に来る。ここで餃子に手を付けるのは素人だ。ラーメンはどうせすぐに来るし、焼き立ての餃子は熱すぎて味がわからない。熱々のたこ焼きだの唐揚げだの餃子だのを食べて熱がるのは、テレビだったら映えるかもしれないけど、そろそろオッサンと呼ばれてもおかしくない年齢の男がやってもただただ可愛そうなだけだ。

1分もしないうちにラーメンが来る。醤油ネギチャーシュー濃いめ硬め少なめだ。ラーメンマニアはこの瞬間を着丼と表現するらしい。最高気温マイナスしかならない冬の北海道山岡家が着丼した。最高気温マイナスしかならない冬の北海道で深夜に山岡家を食べる幸せを味わえるのはこの地球でたった500万人の北海道民だけだな、なんて思ってニヤニヤしていると、毎年イブの夜になると一緒に山岡家に行く同じ職場彼女が「どうしたの」とつぶやく。おれは笑いながら「今年もお前と一緒に来ちゃったなあ、って思って。もう4年連続だよな」なんて言って誤魔化して、掃除機みたいにラーメンをたいらげてすき家に向かった。どうやら来年イブ山岡家のお世話になりそうだ。

2018-12-22

anond:20181222024235

団地が有るなら違うんでは?

他の話も、一昔前の日本ならどこの街で普通に有ることだよ

2018-10-14

[] 【3】2018秋、ベトナムホーチミン

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anond:20181013224340





Day 2



2日目 アリゾナ州立大


自律神経をやっていようと、そうでなかろうと、旅行で眠れないのはいもの事だが、処方された睡眠導入剤を飲んでも5時間足らずしか眠れないとなると、この体質は筋金入りだ。

自然に目が覚めたのは6:45。

予定ではあと2時間まり寝る筈だった。

二度寝を決め込もうとしても、ちょっとウトウトするだけで、眠気は「こんにちは」してくれそうもないので、あきらめて起きることにした。

眠気はどうあっても俺に「おはよう」と言いたいらしい。


睡眠不足ホテルパーソンへのコミニュケーションハードルを前に少し逡巡したが、おそらく一番ストレスが少ない形で美味いものが食える可能性が高い、ホテルの朝食をとることにした。

朝食会場に向かう途中、外を見ると、強い日差しの向こうで噴水が上がっていて、これぞ南国の午前という感じだ。

ホテルの朝食はビュッフェスタイル

シャンデリアの下がる大広間コーヒーサーブされて、料理を物色するというのは朝から優雅ものだ。

ホーチミンフランス植民地時代からアメリカ傀儡政権時代まで首都を置かれた地で、パン食の文化がある。

果たしてビュッフェにもバゲットチーズレバーパテがあり、これは行くしかない。

他にも当然アジアスタイル炊き込みご飯カレーライスヌードル、揚げ春巻きもあって、洋越折中といった雰囲気だ。

気になるものを片っ端から盛り付けて、テーブルに運ぶ。

どれも美味いが、カレー(多分)が出色だ。

さっぱりして、辛すぎないマイルドな味わいだが、スパイス香りが口の中に拡がって抜ける。

席の背後をチラッと見ると、「Sweet TOFU」の文字と壺。

TOFU?」とホテルパーソンに声をかけられて、首を横に振ったが、やはり気になる。

結局サーブしてもらうことにした。

甘い豆腐。予想通り豆花だった。

しかし、台湾のそれと違って暖かく、ココナッツフレーバー生姜蜜がかかっている。

美味い。

洋越のオードブル中華式の豆花、コーヒー2杯。

これだけ食って自律神経失調症も無いもんだと言われそう。

大変満足した。

あの日差しを浴びたい。ポーチに気休めの安定剤を詰め込んで、食後の散歩に出ることにした。


ホテルを出ると、ホーチミンの熱気は午前から強烈だ。

行く当てのない散歩だけど、とりあえずベンタイン市場を経由してサイゴン川を目指そう。


相変わらず交通事情は凄まじい。

よく見ると現地の人だけでなく、観光客と思しき欧米人対応力も凄い。

スクーターの波を見切ってスイスイ渡って行く。

バイクを見切って躱す」のはこの街で必須スキルなので、嫌でも身につくらしい。

昨日と違う事と言えば、バイクライダーのオッチャンに頻りに声をかけられる事。

迂闊に乗ったら多分ヤバイやつ。

「Ser , Go work.」笑顔で固辞して先を急ぐ。というフリでプラプラ歩く。


ホテルの目の前の公園で談笑していた少年たちに許可を貰って一枚。

リーダーか、英語ができるかする少年に何か話しかけられたが、意味はわからない。

でも敵意はないのは伝わったようだ。

ひょっとしてベトナム人じゃないのかな。まあいいか

「3、2、1、shoot!」少年少女は笑顔をくれた。


しばらく歩くとベンタイン市場に到着した。

体育館の様な大型のアーケードの下に、色取り取りの生地雑貨飲食店

夕食はここにしようかな?

自律神経が働いた悪さなのか、旅行の緊張なのか、食べ物匂いがまだ辛い。

ここでも頻りに声を掛けられるが「ハハハ」と笑いながら素通り。

少し市場を見物してアーケードを出た。


10:00。

しばらく歩き、気になる建物に近づくと、どうやら学校らしい。

門に近づくと、移動屋台が門から出る学生達を吸い寄せている。

日本以外のアジアは大体が外食文化で、例えば台湾などでは学生は校門前に陣取る屋台で朝食や昼食を買って教室で食うらしい。

多分ベトナムも同じなんだろう。

周りを見れば、学校の向かいに軒を並べる露店で固まって食を取っている学生も多い。

興味深い光景写真に収めようとしていると

○×○×!」

ドン

学生の徐行したスクーターに軽く追突された。

気をつけていたが、思わぬ形でプチ交通事故にあってしまった。

これで俺もベトナム旅行者として一人前だ。


飲料水を買おうとしてファミマに入ると、そこでも学生食事を摂っている。

ファミマにイートインスペースがあるのはアジア共通らしい。

それにしても男子ばっかりだ。

青い揃いの制服のせいか男子学生達は一様に小綺麗で、教育程度も高そうな印象を受ける。

一旦学校前を離れて、日本で言うところの伊勢丹、いやもっと格上の三越のような存在百貨店サイゴンセンターを物色した後、1時間程で戻ると、男子達はまだ周囲の露店で食ってる。

こいつら引っ切り無しに食ってるな、なんだったら今が本番かも知れない。

モリモリ食う姿は、アジアの元気を象徴してるように見えた。

暑さもキツくなってきた、先を急ごう。取り敢えず川が見たい。

学校前を離れる時に、校舎の壁に学校名のエンブレムを見つけた。

ARIZONA STATE UNIVERSITY

直訳すると「アリゾナ州立大学」

なぜアリゾナ州立大学がホーチミンにあるのかは分からなかった。


相変わらずの躱しゲーを繰り返しながら辿り着いたサイゴン川は、隅田川よりもっと広く、澱んでいた。

茹だるような暑さ・湿気と澱んだ川はある意味ベストマッチだ。

薄々勘付いていたのだが、自分はまあまあな晴れ男であり、観光やここぞと言うときに雨に当たられる事は少ない。

10月初頭のホーチミンはまだ雨期のはずだが、それでさえもこの有様だ。

自律神経の不調も憂鬱な気分も、事、天気に関しては影響しないらしい。

願わくばその運をもうちょっと別の事にも回して欲しいくらいだ。

雨のホーチミンで、お茶でも飲みながら茫然とするというビジョンはひとまず実現せず、現実には炎天下の橋の上でこの旅行記を書いている。

何はともあれ、この時間でやりたい事はやった。

ホテルに戻ろう。シャワーが浴びたい。


ホテルに戻ってシャワーを浴びてから、気になって例の学校について調べると、やはりというか、アリゾナ州立大学ではなく、カオタン テクニカルカレッジというらしく、機械電子に関する工業高校しかった。

そりゃ道理で男ばっかりな訳だ。

学校の程度はわからないものの、自作で車を作るイベントがあったり、インテル提携して人材開発を行なっているらしかったり、そこそこ優秀な雰囲気を感じる。

ここは工業化近代化真っ最中ベトナムだ、生徒といえば荒っぽい男の子達ばかりと相場が決まっている日本工業高校と同じ感覚では考えられないのかも知れない。

多分、アリゾナ州立大学ともなんらかの提携を結んでいるのだろう。


【4】2018秋、ベトナム、ホーチミン Day 2|バインミー、タピオカ、シャツ へ >>

2018-09-23

使わなくなったスマホ繋ぎ合わせてスパコンが出来上がった

とにかく驚くべき数値を叩き出している

今夜この街で俺は最速の男になっているのだ

2018-08-24

anond:20180824145120

310/スガシカオ

3月の10日付けで ぼくは転勤して

さな郊外の この街で暮らし

前よりもほんのちょっとだけ 広いマンション

年齢を偽った 中くらいの女と暮らし

その女は いつもビスケットをかじっていて

毎晩ぼくに 性交を求めてきた

あぁ どうしてぼくたちは してしまうんだろう

遠くで犬がないてる いつもの

パイプベッドがきしんで うるさいのかなぁ

そうだ 遠いあの日 夕暮れの舗道で

ぼくらは手を握って 未来だけ見つめていた

早朝からの出勤で ぼくは疲れていて

昼の休みに 屋上で少しねむった

ふりそそぐ陽射しの中で ユメをみる

体の中に あの女が住みつくユメ

あぁ 子供の声がする 昼下がり

のどの奥で渇いてく ユメのにおい

この青空に消えてく 蜃気楼のよう…

あぁ どうしてぼくたちは 抱き合うんだろう

腰のあたりに感じる 重たい熱

あらわれては消えてゆく 蜃気楼のよう…

「年齢を偽った 中くらいの女」ってのがすごく良かった

「腰のあたりに感じる 重たい熱」っては童貞卒業した時に「これかァ!!」ってなった

2018-06-06

戦争

2018年5月31日

久しぶりに平穏な一日だった。今日くらいはビールを飲んでもいいだろう。残り少ない缶ビール

絶望ではない。恐怖だ。絶望とは未来永劫のことで、恐怖とは今現在のことだ。これを書きながら手が震えているのは酔っているせいではない。酔えない。

明日からどうなるかはわからない。できるだけのことはするつもりだが、何の保証もない。

これは万が一私が死んだときのための手記ではない。こうでもしていないと気持ちが落ち着かないから書いているだけのことだ。

 

2018年6月1日

この建物は包囲されている。投擲の音で目が覚めた。今日も生きていた。

この街で生きているのは私たちだけなのだろうか。それさえもわからない。

妻は落ち着いているどころか時々私を笑わせようとさえする。しかしそれが恐怖心の裏返しであることはわかっている。強い女性だ。

窓に衝撃が走る。トビウオだ。運良くガラス割れていないが、ハマチが投擲されたらと思うと時間問題だ。

今夜は危ない。ビールはとっておこう。

 

2018年6月2日

無駄な抵抗はやめろ」いや、私たちは抵抗などしていない。「抵抗はやめて今すぐ出てこい、さもなくば」

カタパルトマグロがセッティングされているのが見える。あんものを放り込まれたらひとたまりもない。

コウジとよく遊んだのを思い出す。「肉食おうぜ」が奴の口癖で、私たちはよく焼肉屋に行った。妻とはそこで知り合った。

コウジは転勤で今この場所のこの事態を知る由もない。全てはあいつのせいなのに。

「何を考えているの?」妻が囁いた。コウジのことを考えていたとは言えなかった。

 

2018年6月3日

人間議会を牛耳ったのはたった1週間前のことだった。だからどうした、と私は思っていた。楽観だった。

その後、まず鯖の缶詰が街から消えた。だからどうした。練り物が姿を消した。そんなものに関心がなかった私はそれに気づかなかった。だからどうしたっていうんだ。

スーパー鮮魚担当が次々と行方不明になっていると聞いて事件リアリティに彩られた。鯖の缶詰は鯖だが、スーパー店員人間からだ。

やがて街から人々は姿を消し、この家が殆ど最後の砦となったようだ。妻がいないことに気づいた。

 

2018年6月4日

「ごめんなさい。あなたのことを嫌いになったわけじゃないの。だけど、残していくことを許してほしい。

あなたはよく食べる人だったわね。カルビ1枚でご飯1杯食べてた。そんな人は初めてだったから、とても印象的だった。いつの間にかあなたのことばかり考えるようになっていたわ。

絵に描いたような幸せ凡庸な私の人生が輝いていたのがはっきりとわかったので私はサングラスを買ったわ。あなた君は太陽だよと言いながら日焼け止めを塗っていた。今考えると馬鹿みたい。でも、幸福って馬鹿みたいなものよね。馬鹿みたいに幸せだった。

でも、私はこの家を出ていく。カルビを焼きながら白米を頬張るあなたが好きだった。でも、私は鯖を食べたいの。さよなら

 

2018年6月5日

運命ってのは本当にあるのだろうか。これが運命? だとしたらあまりにも理不尽だ。量子物理学土下座をすべきじゃないのか。

激しさを増す。クジラが投擲されるのも時間問題だ。この家はもうすぐ蹂躙される。引き裂かれる。

最後ビールを飲みながら考える。たった一人で死んでいく悲しみは、果たして悲しみと呼べるのか。誰一人悲しまない。自分ひとりだけの悲しみは水素よりも軽い。

私は死ぬだろう。トビウオが激しい。鯖人間シュプレヒコールが止まない。妻は今ごろ鯖缶を貪り食っているのだろうか。コウジは残業か。

最後にこれだけは言っておきたい。この手記を読んだ者がいたなら、これだけは覚えておいてくれ。

明日、めふぇ

2018-05-16

駄文

 大学卒業してから数年ぶりに大学のある街に行ってみた。特に用事が合ったわけじゃなく仕事連休だったので懐かしくなり車を走らせた。4,5時間かけて着いた街は以前と変わらず自動車が物凄い数走っている車社会で、かといって歩いている人が少なくない、それなりに活気の感じた。5月半ばはもう少し肌寒い印象があったのだが、全国的な暑さもあり夜でも軽く羽織るぐらいで夜風が気持ち良い気温だった。

 大学に足を運んだ。僕にとっての大学生活はひたすらに孤独で、目標もなく、やりたい事は叶えられずその努力もできず、新しい挑戦は満足な結果にならない、本当に酷い時間だったように思う。それでも当時は若さもあり辛くなんかないと虚勢を張って頑張れていた。相談相手や支えになってくれる人もないので、2ch毎日くだらないスレッドを見て辛い感情を忘れる事で精神を保っていられたのもあるだろう。しかし、いざ構内をぶらぶらと歩いてみると色々な場面の記憶が蘇ってくる。どこを歩いてもおれが1人だった場面の記憶しかないし、当時のおれを覚えている人がこの大学に誰一人いないのだと思うと余計に孤独な気分になってしまう。恐怖だった。そして当時の自分はやはり辛かったんだな、自分可哀想な事をしていたなと涙が出てきた。きっとここに来る度に泣いてしまうと思うのでおれは二度と訪れないだろうと思う。この街は好きだけど今思えば辛い記憶しか蘇ってこない。何故おれは青森に来たんだろう。

 ホテルに泊まったがまともに眠る事が出来なかった。普段自分の部屋でさえすぐ眠る事ができないがこの街では余計に興奮して2度外のコンビニに出ていった。1人2人でも人が見ることで安心した。当時のおれと同じ境遇かは知らないがこの人も今は1人でいるのだと思うと仲間のように思えた。

 もっと書きたいことはあるのだが、昔だらだらとブログを書いていた時のようにすらすら文章が思い浮かばない。この文章だってもう構成かめちゃくで書き殴ってるだけだ。一通り書いて精神は落ち着いたように思うので終わる。そのうち子供ができても自分は一緒にこの街へ来ないだろう。おそらくいつ訪れても泣いてしまうと思う。

2018-04-13

このまま一生この街で暮らすのか

今日で25歳になった。

ついこの間まで「まだ若いから大丈夫」と言われ続けていたのに、もう25歳。周りからまだ「若いから大丈夫」とは言われても、もう油断できない歳だ。

この街東京とは違って初婚年齢も早いらしい。大体の女の子大学卒業から数年で結婚するらしい。ドンピシャだ。私は大学なんて進学していないけれどさ。

最近、ずっと続けていたコンカフェ仕事をやめてまた仕事を探している。さすがに年齢のこともあるし夜は副業程度にしたいなと思っているけれど、いかんせん、選択肢が少なすぎる。

私は特別おかしなことをしていたわけじゃないのだけど、店では目立つ方だった。そのせいで、コンカフェ仕事が見つからないのだ。夜の街すら一つしかない田舎じゃ、すぐに噂が広まるらしい。

そりゃ、皆仲良く協調性大事にみたいな職場じゃ私は避けられるよなあと思いつつ、どこにも受け入れられないことに悲しくなる。一緒に面接受けた女の子は受かっていたし。

天才」とか「カリスマ性がある」とか言われてきたか能力が低いわけではないはずだ。むしろ、「何でお前みたいな女が客ついてるんだよ」とやっかまれタイプだったし。

長く続けた店をやめた原因も、女の子からあることないこと悪口を叩かれて、居心地が悪くてやめた。

「じゃあ、昼職でいいところを見つければいいじゃないか」と言われてしまいそうだけど、それが難しいことを自分が一番よくわかっている。そもそも学歴が低いので採用してもらえない。採用してもらえてもいかにも体育会系のいやーな職場だったり。

これまでも昼職でまともに人間関係を築けたためしがない。それに、昼職は退屈すぎる。つい夜に比べてしまうのだ。

毎日毎日同じことの繰り返しで、刺激がない。そんな世界が嫌いで嫌いで夜に行ったのだ。今更昼に馴染める気がしない。

最近よく「今が東京に行くラストチャンスなのかな」とも思う。東京のお店のツテも一応あるし、友達もいる。私よりもっとちゃらんぽらん女の子が受け入れられている街だ。ここより色んな人がいて、色んな店があって、今より生きやすくなるんじゃないか

ただ、「別に頑張ってお金を稼がなくたっていいよ」

と言ってくれる人がいる。近いうちに同棲したいね、とか結婚したいねみたいな話をする相手がいる。

その人の「せいで」とは言っちゃいけないけど、その人の存在があるから私は動くことができない。

正直、怖い。

その人ひとりにだけ求められて満足できるはずがない。もうできなくなってしまったのだ。

ちやほやされるのが普通になってしまった。客単価5000円以上の店で飲むことが普通になってしまった。「可愛いね」「面白いね」「増田ちゃん好きだよ」と色んな人に言われることが当たり前になってしまった。

同棲結婚をしたらもう私は自由に動けなくなってしまう。あのキラキラした世界に戻れなくなってしまう。

その人とアウトレットをぶらついたときに、この人と一緒にいたらこコンパクト生活に閉じ込められてしまうと思った。きっと馴染んだら幸せなのだろう。だけど、今の私はそこを「幸せ」だと思いたくない。

幸せだと思いたくない反面、今その人に愛されて求められる生活も嫌ではなかった。嫌ではないのに、どこか寂しいのだ。

けして失いたくはないけれど、「このまま一生この街で暮らすのか」と考えるともやもやとした感情ばかりが湧いてくる。

きっと、何者になりたくてもなれない現実に折り合いをつけるのが大人なのだろう。

25歳、今年は大人になれるだろうか。

2018-03-23

[] 2018香港深圳広州の旅 Day.2

anond:20180323082610





Day.2


上晝・晏晝


3月香港湿度90%。

から蒸し暑い

旅行になると食が細くなりがちだけど、この街では食わないと持たない。


茶餐廳(喫茶店ファミレスを混ぜたような軽食店)でお粥を頼む。

お湯が出されて思わず飲みそうのなるが、他の席を見ると、みんな飲まずに食器を突っ込んでいる。

正解がわかんない。


店内に設置されてるモニターニュースをやっている。

ホテルでもニュースを見たけど、昨日から全人代の話で持ちきりだ。

香港の人は賛成2300、反対2とかで決まる決議をどんな感情で見ているんだろうか。


お粥で腹を満たしたら、1人作戦会議

今回の旅の目的重要な一つが、中国でのQRコード決済を体験して見ることだ。

言葉不自由なので、事前に起きそうな問題は潰しておかないと不安だ。

使いすぎのせいかレンタルWi-Fiが昨日からちょっと遅くなったのにストレスを感じながら、深圳への入国カードの書き方や最寄りの羅湖駅について調べる。

事前に日本wechatpayに520人民元チャージしていたが、現金も持ってないと不安なので、昨日に引き続き重慶大厦で両替することにした。


重慶大厦の昨日と同じ両替店。

うまく伝わるかどうか不安だったけど、メモ夏目漱石毛沢東イラスト、「jp¥5,000→人民元」と書いて渡したら、ちゃんと5,000円分だけ両替してくれた。

イラストにはやっぱ助けられる。


下晝


MTRを乗り継ぎ、国境の街、羅湖へ。

騒がしい香港も、ここまでくるとのんびりした空気が漂っている。

羅湖駅から中国への入境は、多少緊張したが、トラブルもなくスムーズだった。

イミグレーションはやや陰気な空気だったが、審査場というのはああいったもんなんだろう。


イミグレーションを超えて羅湖駅の地上に出ると、看板簡体字

中国入国したのだなという感慨がちょっとある。

狭い香港に比べて、羅湖駅地上は広々としている。空気も街の綺麗なものだ。

ここでもICカード深圳通を買って、地下鉄を乗り継ぎ、華強北に向かうが、地下鉄ちょっとびっくりするぐらい綺麗で近代的だった。


華強北につき、お腹も空いていたので、華強電子世界フードコートで、wechatpayの電子決済を試して見ることにする。

何食おうか一瞬迷ったが、中国まで来てカツカレーにした。

異国でいろんなことに不安があるので、余計なストレスを感じたくない。


フードコートのおばちゃんwechatをみせて、「Can i use this?」深圳では広東語は通じないのだ。

と言っても自分広東語使用に耐えないのは昨日でわかったのだが。

おばちゃん笑顔

オッケーらしい。

Wechatpayには、こっちのQRを見せてスキャンするタイプと、自分スキャンして、金額を打ち込むタイプがあるが、どっちかわかんなかったので、おばちゃんからカウンターを変わったお姉ちゃんに 「scan?」と聞いて見ると、怪訝とめんどくさいという表情を全開にして頷いた。

おばちゃんは愛想がいいがお姉ちゃんは怖い。

スキャンして、金額を打ち込むとあっという間に決済は終わった。

いね。財布出さなくていいのはいい。

しばらく待って出てきた華式カツカレーには、ライス部分に野菜炒めが乗っかっていた。


華強電子世界ではあらゆる電子アイテムが売っている。スマホパソコンLED照明、電子部品からなぜかワイシャツまで。

携帯売りのお姉さんがブースの中でスマホに向かって大声でやり合っていたが、中国の人はなんというか元気なので、普通のやり取りなのかケンカなのか判然としない。


深圳の街は、一角にまだ工事中のような場所があったり、食べ物匂いが立ち込めるストリートもあるものの、大方は近代的で綺麗なものだ。


ショッピングビル広場に何故かハトが群れている一角

しばらく見ているとハト達は一斉に飛び立つ。

近くにいるユニフォームをきたお姉さんが笛を吹き出し、またやってくるハトたち。

気の利いたショーまであるのか。

日本で知ることができる中国なんてほんの一部、それも結構偏ってるなーと思いながらデパートの空中回廊を歩いていると、突然「ボンッ!」

風に当たりながら一服していたオッさんの100円ライターが破裂した。

やっぱ中国、変なタイミング想像を超えてくる。

オッさんは事もなげに友達と去っていった。


挨晩


再び地下鉄に乗り、深圳市の海岸近くにある書店に向かう。

車内では可愛い格好をしたお姉さんがスマホ流行りのガールファッションをチェックしている。

すっかり都会のティーンエイジャーだ。

ひょっとしたら新しい分、東京メトロより綺麗かもしれない深圳地下鉄だけど、電子表示に現れる「請勿在車内大声喧嘩!(車内で大声で喧嘩しないでください!)」はちょっと笑った。

若い人は初めからこの新しさだからいいとして、お年寄りはこの変化のスピードについていけるんだろうか?


現代深圳市民ファッションは、埼玉群馬の人といった感じで、いや、別に誰もdisってないぞ、そう聞こえるならそっちの方が偏見だ、とにかくまあ、現代なのだが、どうも醸し出す中国人感の正体はおそらく男性髪型女性は肌で、男の髪型は極端なツーブロック角刈りが多く、女性20代後半辺りからまり肌の荒れを隠さなくなる。そこら辺は日本女性は巧妙かもしれない。


とはいえ、まあまあ近代的なチャイニーズファッションを覚えておきたかったので、誰か写真を撮らせて貰いたくなった。


Excuse me Miss, i want know naw chinese fasshion, Can i take your photo?


爆笑韓国の人だった。


Excuse me Mr?


タイマレーシアの人だった。


3人目の子供を遊ばせていたお父さんに声をかける。


Excuse me Mr? I want know naw chinese fasshion, Can i take your photo?


「何がしたいの?」

日本語で聞かれた。

写真撮っていいですか?」

「貸して」

「いや、貴方の」

「ふうん・・・どうぞ。」

広東語ダメだが英語ダメで、自分が一番得意なのは日本である、という知見が得られた。


目当ての書店は、一部が棚卸し中で、欲しかった女性誌や料理本は買えなかった。

最悪コンビニでなら、と思ったが、中国コンビニには雑誌が売ってない。

ちょっとガッカリした気分でスタバに入る。

スタバメニューなら、主だったところは日本と同じだし、注文にまごつく事もない。

決済もwechatpayでなんとかなる。

wechatpayの一番正しい方法中国に口座を持つ事だが、歌舞伎町Pocket Changeでもアクティベートチャージ可能なので、もし中華アプリ抵抗が無いなら、アクティベートしておくと強い味方になってくれるかも知れない。


そうこうしているうちに日がくれてきた。

華強北のフードコートのおばちゃん以外は概ねぶっきらぼう中国人の接客ちょっと凹んでスタミナが切れてきたので、そろそろ香港に戻ることにするか。

異国なので、余裕を持って行動した方がいい。

2日で3回目の越境だ。


夜晩


羅湖駅にたどり着いた。

中国雑誌が買えなくてちょっとガッカリしていたが、駅にキヲスクのような小さな書店があったので、そこで購入することにした。

wechatpayで決済しようとしたが、wifiが怪しいのか、なかなか決済が終了しない。

お姉さんが携帯を覗き込み、お姉さんの指示で店のwifi接続したら決済できた。

便利なwechatpayだが、ネット環境依存しているのは不便にもなりうるな。


三度国境を超え、香港へ。

国境を超えても外国である事には変わりがないが、なぜかちょっと安心感がある。

疲れて口元が下がり気味になり、パスポート写真微妙に違うので、検査員と顔面照合をする際に人差し指でほっぺたを持ち上げて笑顔を作る。

中国側の出国検査員には流されたが、香港側の入国検査員は一瞬笑いを堪えたような顔をした。

気のせいか香港の方が空気が陽気に感じる。

この空気の違いは、深圳の人が移民が多くて、実は南洋の人ではないかなのだろうか。

深圳ではやたら見かけた警官も、香港ではそこら中にいるわけではない。

接客に関しても、モノを投げてよこすような豪快さは香港深圳も変わらないが、香港の人は多分相手が誰でもああなんだろうな、という感じで、なんというか余計な気遣いに使う時間が勿体ないという感じなのだが、深圳の人たちからは、ちょっと警戒感のような物を感じた。

それが、国民性によるものなのか、ナショナリズムなのか、単なる「言葉の出来ない相手に対する厄介感」なのかは、分からなかった。



2018香港・深圳・広州の旅 Day.3|広州へ >>

[] 2018香港深圳広州の旅 Day.0-1





Day.0


出発前


3月人生で2度目の自分計画した海外旅行に行くことにした。

行き先は香港

以前、ここで台湾への旅行記を書いた。

今回も書きながらの旅行としたい。

きっと長くなる。気が向いた人が読んでくれると嬉しい。

あと、誤植は多分沢山あるけど、気にしないで欲しい。

読みすすめる内に、理由何となくかると思う。


さて、なぜ香港に決めたのかというと、昨年の台湾旅行自分としてはとても良く、「意外と一人でも海外に行けるものだな」と思ったのと、台湾で現地の料理を食べたことで、香港大陸の人はどんなものを食べているのか興味を持ったこと、そしてこの界隈で話題になっている、2次元バーコード決済をこの目で見て見たかたからだ。

また、自信を持ったとはいえ語学の怪しい自分にとって、台湾の次に行きやす海外はどこかとなった時、香港韓国くらいしかなさそうだ、というのもあった。

ただ、今回は、現地ガイドが入出国に付き合ってくれた台湾と違い、全くの1人となる。

ハードルは1段、いや2段くらいは上がったと思う。

ルート出国香港深圳香港広州香港帰国

旅行には達成目標を定めて1個1個クリアして行くタイプだけど、目標のいくつかは低めに設定した。

まずは出国して、空港からホテルにたどり着き、英語広東語チェックインすることからだ。


今回の出発便も前回と同じ様に羽田発の早朝便。

旅行になるといつもそうなのだが、夜の移動や待機時間眠ることができなくて、こういう時に定刻まで眠れる人が羨ましいと思う。


とはいえじっとしているのも辛いので、現地で言葉が通じなかった時のために、メモ帳イラストを描いたり、簡単広東語のおさらいをしたりした。

広東語に関しては本を買ったり、3ヶ月間、広州香港の人のYouTubeを見たり、香港ポップスMVを見たりしたが、聞き取れるまでに至らなかった。

同じ発音でも発する声の高さで意味が変わる広東語は、単純に「話す、聞く」というフィジカルな部分がとても難しい。

翻訳アプリ広東語を話して翻訳させるという手段練習したが、どれくらい通じるものか。

広州出身レイちゃんYouTubeで教えてくれた「片思い相手を呼び出して告白する時のシークエンス」を使う機会はなさそうだ。


ところで、深夜の羽田空港国際ターミナルで周囲を見渡すと、共に出発を待つ人達がやけに若い

そうか、3月卒業旅行シーズンか。

ベンチの向こうでは、大学生と思しき男子の一団がUNOらしきゲームをやっている。

時間の潰し方に若さを感じるなー。





Day.1


上晝・晏晝


機内に日本語が飛び交ったせいか、やや弛緩した気分で香港国際空港に到着したのは現地時間11:15分頃。


香港は南国なのでやはり少し蒸し暑い

長い長い入国審査の列に一瞬うんざりしたが、審査員は列を誘導して次々と人を通して行く。

さすが世界でも有数に人が行き交う空港だけあって、手際がいい。


さて、ここ空港で、まず3つの問答をこなさなくてはいけない。

1.「日帰りで深圳にいき、翌日広州に行くために必要ものはあるか」

2.「香港ドルに両替してほしい」

3.「オクトパスカードが欲しい」


入国審査の体格の良いにいちゃんに緊張しながらたずねる。

「我想去深圳一日遊、下個聽日、想去廣州。要乜嘢?」

「◯×◯×◯×…」

しまった、ちょっと懸念していたけど、「決まり文句は話せるのものの、聞き取れない」というのは思った以上に深刻だぞ。

なまじ話せるだけに、向こうもちゃんとした広東語で返してくる。

かなりビビったものの、いかつい面相と違って親切なにいちゃんは、「乜嘢?」と聴き返してくれて、「日本人ビザはいらない」と笑顔で答えてくれた。


しかし次の両替はもう少しハードルが高く、言っていることを聞き取ってもらえなかった。

「港幣」という単語でなんとかクリア英語の方がまだマシだったかもしれない。


オクトパスカードの購入も一悶着あり、「我想買八達通」と言うと、「いくつかの選択肢があるが何が欲しいのか」と多分言っているであろうことを聞かれ、当然答えられないので、お互い困り顔で天を仰ぐという有様。

「weit here」指さされた列に並び、列に従ってたどり着いたカウンターでなんとか購入することができた。

ちょっと凹むが、一応やりたいことは1つひとつクリアしているのであり、60点くらいのクオリティであると納得するしかいかぁ。

それにしても腹が減った。

香港時間12:00。

昼の時間だ。


一瞬、マクドナルドで済まそうと思った昼食だが、空港散策すると、チャーハンとか、カレー煮込み的な何かなど、いかにも香港っぽいものを出している店があったので、せっかくなのでそこにする。


「loast goose,milk tea」何より食券売りのお姉ちゃんが怖かったので、無理をせず英語で注文する。

食券を渡してしばらくするとおばちゃんが叫んだ。

「ンーロッパーツァッ」「あ、5687番か、俺だ」数字の読み方勉強しといて良かった。


香り米の上に乗ったガチョウのモモ肉はアッサリしていた。

やはり南洋中華料理台湾と似ていて、全体的にあっさりしているらしい。

でも全部食べたら丁度いいような味付け。

また日本に戻って塩味のキツさにびっくりするんだろうな。


下晝


空港からエアポートエクスプレス香港駅へ。

地下の無印良品には日本語パッケージ商品が並んでいて驚く。

ローカライズされてないんだな。


香港からMTRを乗り継ぎ、ホテルのある尖沙咀へ。

オクトパスカードを買っているので移動が楽。

やはり海外旅行では交通系ICカードは強い味方だ。

日本気候に合わせてきたので、香港の蒸し暑さに少し参りながら、尖沙咀駅に降り立ち、地上に出ると、その光景に圧倒されてしまった。

香港は狭くて人が多い。

しかしこの尖沙咀のごった返しぶりときた日には。

人の多さもその人種も、行き交うスピードエネルギー尋常ではないカオスだ。

平日の昼でこの有様だと、旧正月のようなイベントにどうなるのか想像もできない。

この異常なくらいエネルギッシュな街で暮らすというのはどういうことなのだろうか。

蒸し暑さと人のエネルギーに当てられて少し疲れてきた。

ホテルチェックインして一休みしたい。


尖沙咀ちょっとだけ外れにあるホテルが今回の宿だったが、実際見てみると思った以上に大きくて驚いた。もう少しアットホームホテルじゃないか勝手に思っていたので、少しビビる。

さてここで次の目標、「英語広東語チェックインする」だが、レセプションの小柄なお姉さんに広東語がまったく通じない。

それでもカタコ英語チェックインはできたが、「日本語できる人いますか」さえ通じず、ちょっと凹みつつモチモチャやってると、50代くらいの女性に声をかけられた。

「何かお困りですか」日本語だ。

英語部のリーと言います。何かお困りでしたら、お伝えください。」

助かった。

これでシャワーの使い方がわからなくても、失敗して鍵を部屋の中に忘れて閉めてしまってもなんとかなる。

もちろんそんなことがなければ一番だが。


尖沙咀がどんなところかと問われれば「新宿銀座青山道頓堀を配分がどうとか考えずにグチャっと混ぜて、そのまま沖縄に放り込んだような場所」だ。

ヴィトンの斜向かいに怪しいインド系人達がたむろする巨大な雑居ビルがあり、そのあいだのヤシの木が植えられた大通りを2階建のバスが怖いくらいのスピードで次々と疾走する。

件の怪しい雑居ビル重慶大厦で両替をしながら「こんな暑いところでこのエネルギーで生きていて疲れないのだろうか」と思った。


それにしても尖沙咀はいままでちょっと記憶にないくらい騒がしい街だ。

まりの勢いに耐えかねて、中環に向かう。

中環からのんびり歩いて上環に向かいお茶でも物色しようか。

地下は幾分か落ち着いていて、ちょっと札幌の街を思い出す。

ガイドブックによると中環から上環にかけては、ややゆったりしたエリアらしい。


途中、MTRを乗り継ぎ、地上に出る。

どこがだよ、ここも騒がしいじゃねーか。

ちょっとへんな笑いが出てきた。香港すげーな。

お茶を買いに行くまで元気が持つだろうか。

エネルギー補給ついでにタスクをこなそう。

鴛鴦茶とパイナップルパン軽食をとる」

メロンパンとの違いが気になっていたパイナップルパンは、クッキー生地をつかっているもののふんわりした食感で、甘さ控えめな代わりにバターががっつり挟まっている。

やはり南洋中華料理は甘さや塩味は優しいが、油は惜しみなくねじ込んでくる。

鴛鴦茶は東京で飲んだものより、コーヒーの風味が強かった。

ちなみに「ビンサッ(アイスで)」と頼んだが、ホットで出てきた。やはり広東語が怪しい。


挨晩・夜晩


台湾香港では飲まれているお茶が違う。ここ香港でもお茶を買うことにした。

比較リーズナブルにお茶が買えるという、事前に調べたお茶屋さんに向かう。


件の店は庶民的と紹介されてた割りには綺麗な店構えで、「意外とお高いかもしれないかゆっくり選ぼう」と思ったら、入るやいなや「どのお茶を選ぶの?」とお店の女士。

まりの出足の速さに面食らってすっかり飲まれしまいそうになる。

「あ、ちょっと見るから」と止めて一旦ははなれたけど、3分もしないうちに「どれにする?」圧倒的なスピード感だ。

「じゃあ普洱と白牡丹・・・」初めからある程度決めてなかったら飲まれ鉄観音とか買ってたと思う。

入店から決済まで、あまりスピードに高かったのか安かったのかさえも判然としない。

マジでこの街スピード感は異常だ。


路地裏でやっと見つけた静かなバーで、アジア風のサテ風味の麺とビールで夕食をとって、ホテルに戻ることにした。

香港の人はよく食べるというが、なんとなくわかった。

とにかく食べないと、この街スピードエネルギーについていけない。

街には日本ユニクロロゴそっくりの「メイソウ」がある。

中身は雑貨屋さんで何をパクったのか判然としないが、そんなことを気にしていてはこの街では置いていかれる。

街中に沢山ある両替の店の多くはレート的にはボッタクリであるというが、店もお客もやましい空気微塵もない。

中環駅のホームでなぜかウェディングドレスを着た女性を見たけど、この街なら何でもありだ。

ホテルに戻る道すがら、漢方茶のカフェで、女性がボーッとしていた。

きっと明日に備えて充電しているのだろう。

食べて、稼いで、友達と騒いで、恋をする。

この街は、人間欲望の明るさを全力で肯定して前に進む空気に満ちている。


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2018-03-16

住民税を払った

本当は1月末までだったんだけどまとまったお金が用意できなくて、今日やっと平成29年度分の住民税を支払い終えることが出来た。

非正規雇用なので給与から天引きではなく、自分コンビニなどに払いに行くタイプのやつで、これを工面するのは毎回本当に大変だった。

欲しいものも買わず毎日同じコートを着続け、靴も何度も修理して履いて、カバンはもう10年使っている。旅行にも行かず、下着もボロボロになるまで着まわし続け、やっと払い切ったと思うとものすごい達成感と自己肯定感が湧いてきた。

私は偉い、誰から非難される事はしていない。下を向いて泣きながら生きなくて良いんだ、この街で堂々と生きていて良いんだ。

でも実はこの3月末に雇い止めで来月から無職になる。この街も出て行く。昨年の住民税を今年は失業保険から捻出して払わないとならない事を考えると死にたくなる。

2017-11-12

映画『アトミックブロンド英国百合男子(MI6幹部)の熱い尋問

東西冷戦末期、1989年ベルリン。「壁」崩壊前夜のこの街で西側諸国スパイ情報KGBの手に渡ってしまう。それを奪還すべく、ロンドンから一人の凄腕女スパイ世界史に残る大イベントを迎えんとする狂騒の街へと送り込まれた――。

と、『アトミックブロンド』はベルリンでの任務から帰還した女スパイシャーリーズ・セロン)が上司のMI6幹部から事の顛末尋問される形で進行する回想劇なのだが、タバコを吸いながらふてぶてしい態度で語られる女スパイ武勇伝のまぁド派手なこと。

まずベルリンに到着して数分でドンパチ(出会って4秒で合体かよ)。

その後も次々と修羅場が訪れるも、複数人で襲いかかってくる男どもをタマキン蹴り上げながら、ほとんど素手でバッタバッタとやっつける女スパイ

まるで軽快さのない痛々しいアクションシーンに顔を歪めつつ、次第に慣れてきた観客は気づき始める。「ははーん、シャーリーズ・セロンが男のタマキンを蹴り上げたいだけの映画だな」

そんな男には容赦のないセロンもカワイコチャンにはめっぽう弱い。夜の盛り場出会ったキュートフランス娘に「これは即ハメボンバーですわ」とメロメロセロン。辛抱たまらクラブトイレで濃厚キス。「スパイの用心深さはどこにいったんだ」と呆れる観客を尻目に滞在中のホテルにお持ち帰りして、「ほな、お先にアタイらのベルリンの壁崩壊しますわ」とばかりに濃厚レズセックスを繰り広げる。

男に対してはあんなに厳しいのに女同士だとここまで激甘なのかとばかりのネットリ系プレイで、観ているだけで糖尿病になりそう。これにはMI6幹部も「その話kwsk」と身を乗り出し尋問に熱が入る。「さすが紳士の国」と観客は心のなかで日英同盟即日発効。

その後も「モブ厳」ならぬ「タマキン厳」シーンは続く。西ベルリンから東ベルリンへと潜入した女スパイ入国直後に尾行され(スパイのくせに気づかれすぎだろ)、とっさに入った映画館尾行を撒こうとする。非常ベルを押して混乱がおきた隙に逃げ込んだ先は、映写幕の裏。

映画投影された映写幕をバックに格闘を繰り広げる女スパイタマキン蹴り上げノルマをきっちりとこなしつつ、「あの映写幕に突っ込むんやろなぁ」という観客の予感にキッチリと応え、頭から突っ込んで映写幕をブチ破る女スパイ

これには私たち観客も阿吽の呼吸で「そのためのヤシの木かよ」と自分たちの観ている映写幕にツッコミを入れないわけにはいかない。

※参考資料:そのためのヤシの木とは (ソノタメノヤシノキとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%81%9D%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E3%83%A4%E3%82%B7%E3%81%AE%E6%9C%A8

その後も、次々と襲い掛かってくる男どもの顔面タマキン攻撃をくわえ、奪い取った銃で頭をぶっ放し、弾が切れたら銃のグリップで頭を殴りつけ、タマキンを蹴り上げる。

「そんなのないよあり得ない」と思いながらも、激動のど真ん中にある東西ベルリン舞台にしていることもあって「それがありえるかも」と思わせる力技で物語は進み、緊張感を保ったまま最後まで持っていく。

とまあ基本的にはご都合主義なんだけど、いちおうは男女のパワー差を考慮して、女スパイがエレガントに軽く一撃でやっつけるということはしない。普通に反撃を食らって、顔に大きなアザを作り、脳震盪を起こしてフラフラになりながらも戦い続ける姿は悲壮感すら漂ってくる。(それでも「素手で何人もの男をやっつける時点でご都合主義だろ」と言ってしまえばそれまでなんだけど)

それに、キュート女性を目の前にしてスパイ失格レベルで知能を低下させている様を描いており、「男と変わんねぇじゃねえか」と観客に突っ込ませる余地も与えてくれている。

とにかく非現実的な「完璧女性像」を作り上げて観客をシラけさせるということはしていないので、そのあたりは良くできていると思った。

ともあれ、モラハラ上司元カレなど身近にいる男のタマキンを蹴り上げたい! と日々ストレスを抱えて生きている女性は「ぷいきゅあがんばえー!」のノリでシャーリーズ・セロン応援できるし、心の日英同盟締結済みの紳士諸君(同士よ!)にも十分楽しめる映画となっている。ヘテロ男はお呼びでない。

【以下蛇足

今まであまり映画を見てこなかったけど、最近にわか映画欲が湧き出し、映画館に足繁く通うようになった。

それで思ったのは、「アメリカ人はいつまでソ連に怯えているんだろう」ということだ。

ドリーム』は、「ソ連ミサイル撃ってくるの?」と怖がる3人の娘に「だいじょうぶ、母ちゃんNASAでがんばるからね」となだめて寝かしつけるも、ソ連の前にまず自国差別と戦わないといけない黒人シングルマザー細うで繁盛記だし、

バリーシール』は「ソ連はこんなヒドい国なんですよ!」と国際社会アピールするためにもっとヒドいことをするアメリカと、そんな母国に利用される小悪党パイロット(元トップガン)という話だ。

そして『アトミックブロンド』も言ってしまえば、西側スパイ情報KGBの手に渡りソ連に殺される……!」と怯える人たちの話であり、結局アメリカ人冷戦が終わって何年経とうと「ソ連こわい」映画をこれからも作り続けるんだろうな。

ちょっと前に観た『ダンケルク』もナチスに怯えるヨーロッパ映画だし、日本人は「悲惨戦争翻弄される庶民映画を、中国人は「我らの大陸を土足で踏みにじった野蛮な日帝映画を作り続けることだろうし、やっぱり戦争ってよくないな(なんだそのまとめ)。

とにかく、劇場映画を観るのはとても楽しい。単にデカい画面と音というだけでなく、何というか「体験している」という感じがあって良い。しばらくは映画館通いの日々が続きそうだ。みんなのオススメ最新映画を教えてくれ。

2017-10-05

ぼのぼので有名ないがらしみきお原作ペンギン忍者活躍するアニメ忍ペンまん丸」のOPはあだちゆみが歌っています

EDの輝ける星はこの街で君と暮らしたいのアンサーソングともいえる隠れた良曲です。

2017-04-29

http://anond.hatelabo.jp/20170311125420

H&Mがあるイオンモールで、ドラッグクイーンが現れる街はそう多くないだろうから、たぶん同じ街なのだろう

引っ越してきて初めてそのおっさんを見かけたときは、私もこれはダメだろうと怒りを覚えた

でも近所の中学生たちは何も反応しないし、どうやらこの街で日常風景しかった

しか市役所の防犯メールでもこのおっさんらしき不審者情報は流れてこない

世間的には危険人物ではないということなのだろうか

しかするとこの街の有力者なのかもしれない

テレビYouTubeではこんな変な人を見ても何も思わないのに、いざ目の前に、自分の街にいると思うと不愉快を通り越して憎悪さえ感じる

はいえこんなご時世だから、そんなことを口にでも出そうものなら、私のほうがイスラム原理主義者みたいな扱いを受けかねない

世知辛い

2017-01-01

東京はいい街だ

東京に来て、私の人生は何もかも変わった。

東京暮らし始めるきっかけは、大学進学だった。あんまり頭のいい大学じゃなかったけど、第一志望だった。

私は実家を出たかった。両親は私のことを本当に大切にしてくれていたけれど、だからこそ家を出たかった。

でも、家を出て大学に行きたいけれど、どこに行きたいとかは特になかったのだ。やりたい勉強もなかったし、そもそも勉強ができたわけじゃないから、大学を選ぶという意識よりは入れる大学を探すという意識が強かった。

そうして大学を探していると、やっぱり東京には大学が上から下まで数多くあって、私はその中で一番入りやすそうな大学第一志望にした。だから東京にこだわりがあったわけでもなかった、最初は。

両親も特に反対はなく、私を応援してくれた。そんな両親の気持ちがありがたかたから、私はますます家を出たくなった。

そして第一志望に無事合格し、東京に行くことが決まった。両親は、心配からと言ってちょっと無理をして防犯マンションを探してくれた。ただただ家から出たいだけの私はなんだか申し訳なくなったけど、そこは両親に甘えることにした。

そして上京して、私の人生は激変した。

細かく語ると本当に長くなるからやめておくけど、価値観グルグルした。3分待てば次の電車が来るのとか、新宿高層ビル群とか、表参道ブランド店街とか、それまで私の世界になかったものが次々に目に飛び込んできた。この世界には私の知らないものがある、って、初めて本当にわかった。

から地元にはなさそうなバイトを選んで、いろいろやってみた。何かの店員さんみたいなバイト絶対にやらないって決めて、その代わりドラマエキストラ役とか、イベントコンパニオンとか、綺麗なオフィスインターンみたいなバイトをたくさんやった。Facebook友達はどんどん増えていって、しか結構すごい人もいたりとかして、本当に自分の知らない世界が見えたし、自分キラキラしてるって本当に思えた。まるで生まれ変わったみたいに。

就活の時だけ、ちょっと両親とぶつかった。私はこのまま東京就職するつもりでいたけど、両親は地元に帰ってきて欲しいみたいだった。

その時に両親から、なんでそんなに東京にこだわるのか聞かれた。

それでパッと思い浮かんだのは、東京キラキラしている、ってことだった。でもそんな理由で納得はしてくれないと思ったから、東京で夢が見つかったって言った。嘘ではないと思う。でも、そう言ったら納得してくれた。

就活は私の大学くらいのクラスだと苦戦するよ、って高学歴な知り合いの人達が教えてくれたし、確かにエントリーシートとか通らなくて大変だったけど、最終的にはつながりのあった人からの紹介で就職が決まった。これは本当に運が良かったと思ってる。

本当に、私は東京でたくさんのものを手に入れた。もしも家を出たいと思わず地元大学に行っていたら、今ほど私の人生キラキラしてなかったと思う。

東京には、私の人生になかったものがたくさんあった。だから東京はいい街だと思う。

ねえ、お父さんお母さん。

この街で私は本当に変わったと思う。

大嫌いだと思っていた自分を好きになれた。

きっとこれは、家にいたままじゃできない変化だったと思う。本当に最後まで、ありがとう

2016-07-05

美容室の街

この街でカットカラー、同時に上手にできる人に巡り合うのは無理なのかもしれないと気付いた。

表参道ほどではないけど、一応オサレタウンとして猫も歩けばレベルで小洒落美容室この街にはたくさんある。

髪を弄るのが大好きな私は引っ越して来た時からとても楽しみにしてきた。

有名店、雰囲気のよさそうな店、老舗店、まあ頭は一つしか無いのでしらみつぶしとはいかないけど、何軒かは吟味して挑んできた。

でもダメだ。

この街にはカットカラーも同時にまともにできる美容室はないんだろうか。

駅のこちら側を使う人間なら誰でも目にしたことがある老舗店。カットして、ストパして、ブリーチして、カラーして、トリートメントして…と行程が多かったのは認めるけど長い美容室経験の中でオーダーを一個飛ばされたのは初めてだった。老舗店だったからこそガッカリ。ついでにカットダメ

女性向けのソフトウルフをお願いしたら、なぜかショートカットができあがった。襟足部分どこいったん。

あとはこれが多い。どうリクエストしても今流行のAラインというか裾広がりのふんわりおかっぱスタイルしかできないんだろうか。

全く違うカットイメージ画像を見せて二度もこのカットにされた。(別店舗

Ω型というか首に沿うライン末広がりな画像を見せて△型に仕上げられた時はこの人マジで大丈夫??と美容師としてより人間として心配になった。

半ばおまかせにした時、出て行くお客さんが全員△型で出て行く姿を見て、「あ〜…」と思ったら、案の定自分もその一人になった。これがこの店のテンプレなのか。

一昔前で言えば、顔のラインに沿ってシャギー入れとけばいいでしょ状態というか。

カラー流行の色があれば、なぜかその色になっている。いやもうちょっと違うオーダーしたよね。

でも、やっとカラーに関してだけは理想の店を見つけました。通います。もちろん、カラーだけするために。カットは別の店にするべきだった△

引っ越しする前、まさか元住んでいた場所よりも美容室に縁がないとは思わなかった。

23区内、都心には近いけどオサレとは縁遠い街。長く住んでいたけど、その店に、そのスタイリストさんに出会ってからはずっとその店だった。

まー適当

何度も指名でお願いしてるのに、毎回お仕事何されてるんですか?みたいなテンプレトーク平気でする。

こんなことあったんですよーってその話前にも聞いたことあるよ。

全員の顧客に毎回同じ話ししてるな?!って感じの適当さ。割とこまめに通ってたのにえぐいぞ!

それでも自分は話したがりの方ではないので、話の内容はどうでもよかった。

カット普通普通というかこういう髪型にしたいって言ったらそのままその通りにしてくれる。ザ・普通。というか今そういってないことが不思議しょうがない。

普通っていうと褒めてないので理想表現する。

カラーもいい。保ちがいい。今までカラーはコレくらいの日数で落ちるのが普通と思ってたけど、その方がすると全然保つ。不思議。保たせ方のコツも教わった。

部分カラーで地髪と色の差を付けようとした時は率先して「地髪、少しブラウン気味なんで真っ黒に染めます?」とか聞いてくれる。あれはほんといい仕上がりだった。

難癖つけるなら、ぶっ飛んだ色が常時店舗にないので一週間かそれ以上前に予約してカラー剤の取り寄せを毎回してもらわないとならなかったことかな。

他の部分も気が利く。前髪に癖があって部分ストパーかけないとホント辛いんだけど、なぜかこの街美容室は掛けないでもこうしたら平気ですよ〜とか無責任なことをいう。

掛けた状態、掛けてない状態、両方知ってる自分が掛けてるべしって言ってるんだから掛けなきゃどうにもならんのですよ。

その方は毎回強めに掛けてくれた。その上髪の表面だけもストパー。そうすると髪全体にストパーしなくても髪が綺麗に見える。こういう掛け方があったのか!と心から感心した。

彼は、小さな街の、そこそこ回転している美容室にいた。

まだいらっしゃるかな。もうどこかに移られたかな。

ほんとこの人口先は適当だよな〜、おしゃべりも美容室のうちと思ってる方だったら怒られるんじゃないの?と思ってたけど、スキルは誰よりも上だったと美容室難民になった今、改めて感謝でいっぱいです。

はあ。また普通にカットができる店探し、頑張ります

2016-05-27

休日に街に出たくない

中国人韓国人が増えすぎ。日本人区別がつかない。

ちょっとした繁華街に行けば、中国語の方が耳にする。

韓国人集団が大声を上げて笑っている。

それにひと昔前よりも日本人ぽい服装の人が増えた。

加えて日本人若者も、韓国人ファッションメイクをどんどん取り入れている。

そんなわけで、彼らがどこの国の人なのか僕には見分けられない。

日本人って、この街にまだいるのだろうか。

別に彼らが悪いといいたいんじゃない。

単に、僕が彼らに遠慮しているだけなのだ

彼らが遊ぶ街で、僕みたいな人間がウロチョロしていることが申し訳なくなる。

僕はただユニクロパンツを買いたかっただけなんだけども。

中国韓国人観光客にも、日本人若者文化もついていけない。

街ゆく人の中で、100%日本人だと分かる人を探してしまう。

そんな置いてけぼりの僕のほうが、この街では異国の人なのかもしれない。

2016-05-03

軍隊が守ってくれてるこの街で非核平和宣言しよう

我々は派兵しない

戦争しない

利権に使われるだけ

軍隊はなくすことは出来ない

中国北朝鮮韓国

やさしいときもあるけど、

結構確率でぶいぶいしてくるんだよね

そういう時はぷんぷんしちゃう

ぷんぷんしてたらたまたまお兄たまが帰ってきたので

ちゅうちゅうして

それからカラオケでもいって

我らのテーマ曲でも歌おうかな

それじゃいくよーレッツゴー!

国民連合政府行進曲

2016-01-25

札幌って急に金持ちの街になったの?まさか

いやー、寒いっすよね。

札幌寒波とか関係なしに1月2月は寒いんだけどさ。

そして経済も冷え込んでる、っていうのが俺の認識さ。

ところがだ、最近ある高級衣料をまちなかでめっちゃ見かける。

カナダグースってとこのダウン。

これ腕に特徴的なエンブレムがついてるからよく目につくんだけどさ、

安くて8万、たいてい9〜10万以上するしろものなのよ。

これをまちなかでやたらと目にする。

観光客が多い札幌駅すすきの間だけじゃなく

ローカル人も多いだろう円山クラスとか(ここはもともと小金持ちおおいか)発寒イオンとか、果ては貧乏な人が多そうな元町イオンにまで出没するのよ。

普通の子づれ奥さんとかも着てるのよ。

おれ、そんな高い服買えない!

この街では平均以上のお給料貰ってるつもりだったけど、いつの間にか置いて行かれたの?

それともこの街では装備が命に関わるから奮発したの?

カナダグースすげぇな。

2016-01-24

日本ってこんなもんか

日本で三番目の都市に住んでる。道に手榴弾は落ちてない、赤ミソが落ちてるほう。

夕暮れ車を都市高速から街路へと走らせふと、

「こんな街でも3大都市なんだから日本って大したことないよなって」思った

インドの三番目の都市がどこだか知らないけど、ここよりよっぽどワクワクする街なんじゃないだろうか?

バンコクジャカルタシドニー

少子化都市の変貌も妨げるんだろうか?

それとも冬の寒さが表層をくすませて見せただけだろうか?

後ろの座席で眠っていた子どもたちはあと10年位はこの街で暮らすだろう。

それでも、僕の生まれ田舎よりはよっぽど動いている街だ。

からこそ後部座席の夢にココではないどこかが見つからない気がする。

2015-12-23

この街で一番素敵「で」暮らしたい

長年聴いてる新日本ハウスCMなんだけど、歌詞の中の「で」の意味がわからない。日本語警察のみなさん、説明お願いします。

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