はてなキーワード: 昭和の日とは
私にとっては足尾銅山といえば足尾鉱毒事件と田中正造であった。小中学校の国語と社会科でダブルで(ひょっとしたら道徳を含めてトリプルで)足尾鉱毒事件と田中正造について学んでいたので、足尾銅山の鉱山見学施設でも当然のことながら、そうした足尾銅山の明治近辺の負の歴史は重点的に扱われていると思っていた。ところが、鉱毒事件が無かったことになっていたというのは言い過ぎにしても、施設内部の展示でそこら辺のいきさつは非常にあっさりとした扱いであった。基本的に足尾銅山における銅採掘が江戸時代から明治大正昭和の日本の発展に対して如何に寄与してきたのかというポジティブな面を中心に打ち出していた。
私は恥ずかしながら知らなかったのだが、古河電工や富士通に代表される古河財閥グループの成り立ちが、財閥初代の古河某氏が渋沢栄一と組んで政府から足尾銅山の払い下げを受け、近代化に成功したことがきっかけだということである。想像するだに、いまでも古河グループの聖地ともいえるのが足尾銅山なのではないか。鉱山見学施設のすぐ近くでは、古河財閥の迎賓館が今でも有料で観覧できる。東京で言えば、鳩山会館や岩崎邸のようなセンスのいい明治風の洋館で、そこは今でも古河グループの研修に使われてたりするらしい。内部には古河グループのポスターが各種貼られていて非常に味わい深い。
足尾銅山が負の記憶の象徴であるというのが事実である一方で、ここが日本の近代化や一企業グループの発展において非常に重要な役割を担ったというのもまた事実であり、複雑な思いを抱えながら、自分も少しまた大人になったなあと感じた(実年齢はもうだいぶ中年だが)。
「洗濯機の調子が悪くなり始めたので、試しに洗濯板を使ってみた→イメージしてた使い方と全然違って驚いた」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2188096
要するに洗濯板に擦り付けるのではなくて、波板の上で布同士を擦り合わせ揉み洗いするのが正しいという主張だ。
それに対して「ゴシゴシするものだと勘違いしてました」とのコメントが並ぶ。
いやいや、擦り付けで正しいのではないか?
というのも、昭和の2槽式洗濯機には小さい洗濯板が付いていたものがあったからだ。
脱水槽の蓋が閉まっててチラとしか見えないのが残念だが、これを見て欲しい。
https://www.kajitaku.com/column/dry-cleaning/3331
洗濯槽と脱水槽の間にギザギザが見えるだろう。これは洗濯板で、がんこ汚れをここでゴシゴシするためのものだ。ここで揉み洗いというのはナンセンスという事が判るかと思う。
これは上から下まで全面に凹凸が入っているが、もっと多かったのは洗濯槽右下の隅切り部分に斜めにチョットだけ凸凹が入っている形式だ。靴下とか襟とかを擦り洗いするのに適していた。
厨房などでは未だに2槽式洗濯機の方が人気がある。どのみちそばにずっと人がいるから移し替えも気にならないし洗濯水を使いまわせて融通も利く。更に水場においても壊れにくい。
更に昭和の日本製家電というのは耐久性が今から見ると異常でオーバークオリティなほどで、水場に置いて家庭の使用頻度の10倍くらい酷使してるのに30年以上持つというタフさである。
折れたダイヤルが平成デザインのものに交換されていたりする。これは平成洗濯機が先に壊れて昭和機の部品取りにされたという事を意味する。
だから厨房や事業所などでは洗濯板が付いた洗濯機が平成中期でも残っていた。そしてそれらの洗濯板部分は摩耗して穴も開いていた。これはこすり洗いされまくったという事だ。
因みに昭和40年代までの洗濯機は1槽式+ローラー付きだが、これにも洗濯板が付いているものがあった。
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=61877998
これも、この上で揉み洗いするという動機はなくて、ここでゴシゴシとこすり洗いする為のものというのが判るかと思う。
こういう補助的洗濯板が消えたのは洗剤の進化による。固形石鹸から合成石鹸へ、そして洗濯機のメインストリームが2槽式→縦型全自動→ドラム式と進化してそれに合わせた洗剤が開発されて「いちいち部分的に手洗いする」という必要がなくなったのだ。
今の時代にこういう事をわざわざやるのが金になるのがYoutubeのDIY界隈で、DIYの裾野が広大なのが英語圏なので、こういう時は英語で検索するのがいい。
https://www.youtube.com/shorts/W1KKCwEUVJc
これなども擦り付け洗いしているだろう。ほかにも沢山動画があるので「how to use washboard」で検索してみるといいと思う。だれも揉み洗いとかはしていない。
ただ、後述するが一枚づつこすり洗いしてるのは下手だと思う。
米をとぐときに水はどれぐらい入れるだろうか?米が浸るヒタヒタぐらいでといで、すすぎの時は水を沢山使うだろう?
これはヒタヒタぐらいでとぐのが一番効率がいいからだ。水が多いと米が動いてしまってとぎにくい。水が少ないと米表面がこすり合って良くとげるのである。
容器の中を洗浄するのに小石などを使う場合も然りで水は少ない方が洗浄力が上がる。
洗濯板の上で揉むというのも同じで、水の中で動くよりも布同士がこすり合い、同時に潤滑材として機能して滑りやすい、水ヒタヒタの状態が一番洗浄力が強い。このヒタヒタを維持しやすいように凹凸はカーブしている。真ん中に水が集まり易いからだ。
この状態で一番下に布の一部を敷き、その上を滑らせる形で他の部分を動かすとこすり合わせれて汚れが落ちる。これが一般的な使い方と思われる。
なお、洗濯板を使う場合は最近主流の液体洗剤は適さないと思われる。というのも最近の洗剤はドラム式に最適化されていて泡を殆ど出さない。
だが洗濯板では泡が潤沢に出ないと滑りが悪くなってダメなのだ。下に敷いた布がめくれてしまう。布も痛みやすい。
もとスレのtogetterではマンガの描写からこすり洗いでなく両手で揉み洗いが正解と導き出されているが、マンガの描写が正確、精密になったのは劇画の流行を経てその手法が吸収された1970年代以降なのだ。
劇画の嚆矢は昭和30年らしいが、これが一般化したのは団塊世代が青年であった昭和40年代/1965年~70年代である。
団塊は「大人になってもマンガを読んでる世代」の走りだったが、それは「大人の鑑賞にも耐える」を志向するマンガが流行したためでもあった。
初期の劇画は『カムイ伝』のようにコマ割や表現が映画的/ハードボイルドで人物画は「劇画チック」というだけだったが、やがて描写が緻密になっていく。例えば最初期のゴルゴ13は背も低くマンガテイストが残っていて今見ると滑稽だ。だが巻を下るとその描写は緻密で正確になっていく。
70年代末には劇画はやがて下火になっていくが、今度は青年漫画などに劇画の手法が輸入されるようになっていった。
有名なのは手塚治虫の『ブラック・ジャック』で、「マンガの神様」手塚は、しかし昭和40年頃になると丸っこい子供向けマンガしか描けない前世代の遺物のような扱いになっていった。
そこで手塚は医学書や解剖図を読み漁って人物は丸っこい細部が緻密な描写のフィクションを作り上げ、復活を果たした。これはさいとうたかおが後に極めることになった劇画の手法である。
三種の神器と呼ばれた洗濯機が低価格化して多くの家庭に導入されたのは昭和40年前後である。
つまりマンガで緻密に作画がなされるようになった頃には洗濯板が一掃されていたのだ。
「作画崩壊」は昔は無かった。劇画の手法が輸入される1970年代末まで人物が走る時は弓線と足二本で表現された。
洗濯板も然りで板と石鹸と手と泡描いたら洗濯が表現された。劇画ではこれの表現はNGだ。そして現在のマンガは劇画ルールが導入されているのである。
こういう訳で「洗濯板の上でゴシゴシ」が正解と思われる。但し、一枚だけを凹凸に擦り付けるのではなく十分に泡立てて凹凸の上の布の上で布を滑らせて布同士を擦り合わせる。
一番まずいのは、ノンフィクションマンガなどの描写に難癖をつけて「擦り洗いはしない、揉み洗いが正解」とネットで聞いた事との相違のクレームを入れてしまう事だ。
ノンフィクションでは資料を揃えて居る事が多い。その執筆態度は劇画に始まるものであり、洗濯板が現役だった頃にはその影響がまだなかったというのが今回の誤解の原因である。
藤島泰輔なんて作家の名前、知ってるのはかなりのジジイ・ババアだろうなあ。
今のジャニーズ事務所の社長はシャニー喜多川こと喜多川擴の姪である藤島ジュリー景子(日本人なのになんでミドルネームあるんだろ?アメリカうまれだから?戸籍上はどうなってるんだろ?)という女性だが、この人の父親である。
詳細はwikipediaを見ればわかるが、1933年うまれで小学校から大学まで学習院出身。現上皇のいわゆる御学友の一人。新聞記者時代に当時の御学友たちをモデルにした小説『孤獨の人』がベストセラーになり、その後、作家として独立。世の中まだまだ“進歩的文化人”が幅を利かせてきた時代に“保守派の文化人”として活躍した人である。
かつて、韓国の朴正煕独裁政権下で反体制作家として活躍し死刑判決を受けた金芝河という韓国人詩人がいたのだが、日本ペンクラブの要職にあった藤島泰輔は韓国政府を擁護する立場の発言を繰り返し、日本ペンクラブが紛糾、ペンクラブから有吉佐和子・司馬遼太郎らが脱会するという騒動も起きている。
当時、“進歩的ジャーナリスト”として大人気だった本田勝一からは“御学友であるということだけで地位を確立した三流作家”などと言われていた。
なお、藤島泰輔の名前は記憶になくても、『不思議の国ニッポン』の著者ポール・ボネといえば覚えている人もいるかもしれない。1970年代から80年代にかけて“日本に在住するフランス人ビジネスマン”という触れ込みで、歯に衣着せぬ率直な文章と透徹した思考、練達の日本語で日本社会の批評を書連ねてきた…という触れ込みの人である。
今では考えられないが、昭和の日本では言論出版の世界でこういう詐術がまかり通っていたのである。
いちばん有名なのは、神戸在住のユダヤ人“イザヤ・ベンダサン”こと山本七平だろうか?
この二人に共通してるのは、なぜか最終的には日本の保守を称揚し、当時の左派や進歩的知識人を嫌うところ。“そんなのは海外から見れば非常識、絵空事”とやるわけである。
今も昔も日本人は、“海外から日本はどう見られているか”ということを知りたがり、日本人から言われると反発することでも外国人に言われると素直に聞いたりするので、こういう出版興業が成り立ったのであろう。
さすがに今の世の中では、ここまでの嘘はバレるので、“国際機関で活躍”だの“海外の大学で評価されてる”とか言う日本人を逆輸入してくる例が多いわけだが。
で、藤島泰輔とジャニーズ事務所とのかかわりだが、もともと歌人高浜虚子の孫娘と結婚していたものが、当時、バーを経営していた喜多川擴の姉(通称メリー喜多川。SMAPを解散に追い込んだ人)と知り合って内縁関係となったらしい。
一説によれば、創設当時のまだカネもなければ力もないジャニーズ事務所をなにかと援助してきたのは藤島泰輔とその人脈であったとも聞く。
その援助とはいかほどのもので、どのくらいの効果があったのだろう?
昭和の時代、“御学友”といえば今以上の権威があったような気もするが。
一部で噂されている“有力政治家にジャニーズ事務所の少年がお稚児さんのごとくに提供されていたらしい”という真偽不明な話も、おそらくこのあたりに端を発するのだろうが。
昨今、ジャニーズ事務所に関していろいろ報道されているけれども、このあたりまで掘り下げているのはみた記憶がない。
統一教会を語るには岸信介と文鮮明の関わりにまで遡らなければならないがごとく、本当はこのへんまで深掘りしないと“なんであんなジャニーズには力があるのか”は分からないかも知れない。
誰かやってくれないかな?
さすがに難しいか。
なお藤島泰輔の小説『孤獨の人』は、一時期は岩波現代文庫にも入っていたようだが、現在は絶版。電子版はないようだが、古書ならamazonでも手に入る。岩波現代文庫だと、岩波文庫程ではないだろうが、揃えている図書館もそこそこあろう。
そして、この作品なんと映画化もされている。検索してみたらなんと現在Amazonプライムで配信されており、プライム会員なら追加料金ナシ!いい世の中だ。
後で見てみることにする。
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 タートル(ネック
・03 『リトル・マーメイド』
・04 [3択]ブロッコリー
・05 インド
・06 [すべて]成人の日 春分の日 昭和の日 敬老の日 秋分の日 文化の日
・07 中森明菜 なかもりあきな
・08 54(か国)
・09 海上保安(庁
・13 モリエール
・14 東
・15 層雲(峡 そううんきょう
・18 シチリア 島
・19 冬
・22 『鋼の錬金術師』
・23 [3択]90(個
・25 オーロラ
・26 番付(表
・27e [3択]木南《きなみ》
・yy 背水(の陣
連載漫画の路線変更で途中からバトルものになる……とかそういう話ではない
指輪物語的なファンタジーものかと思ったら遠未来が舞台のSFものだったと物語終盤に判明するようなやつ
古代の日本を想起させる土地で亜人たちを率いて国盗りする男を描くファンタジーが終盤でSFと判明したり
記憶喪失の男が記憶を取り戻そうとするもなぜか数日後に世界が滅ぶ伝奇ホラーが終盤でSFと判明したり
実は遠い未来の話でした、実は仮想空間での話でした、みたいな……
未開の惑星を旅するファンタジー&スペースオペラかと思ったら仮想空間内での話でしたなんて設定の作品もあった あれも好きだ
そういえば「巨大移民宇宙船の中で昭和の日本を再現していました」みたいな作品もあったな
「実はループものでした」ってのも良いな
田舎で祭りの日に殺人事件が起きるミステリーもののゲームが続編が出るたびにだんだんジャンルを変えていった体験は他で得難いものだった
(今となってはオチを知ってるから殺人事件と書いてしまったが、連続怪死事件と表現した方が適切だっただろうな)
第一話時点ではループものってわからなくて、最終的にファンタジーになって、実はそのファンタジー成分も宇宙からやってきててSF成分含有と判明するんだよな
言ってしまえば私は「どんでん返し」が好きってことなんだろうな
教育実習生が生徒と親交を深めていくお話かと思ったら、すべて主人公の妄想と判明したり
自分のことを童話のキャラクターと思い込む病気の人々と交流するお話かと思ったら、病気ではなく洗脳だと判明したり
みたいなのも好きだからな
「ラーメンを頼んだのにカレーライスが出てきた」みたいな例え方をされる
しかし叙述トリックものにも言えることだけど、むしろ裏切ってほしいんだよね
しかも不意打ちで裏切ってほしい
『バーナード嬢曰く。』の三巻でも語られた内容だ
40年前って1983年になるんだけど。マチ子の話するなら昭和の日本の価値観で論じないとバカが語ってるだけなんだよな。
日本では、1986年に起きた西船橋駅ホーム転落死事件で、起訴された女性を支援する女性団体がセクハラという言葉を使い出した。このときは、酔っ払いとそれに絡まれた女性との間で起きた偶発的な刑事事件ということもあり、セクハラという概念も言葉もあまり広がらなかった[要出典]。
~
1989年の新語・流行語大賞の新語部門・金賞を「セクシャルハラスメント」が受賞。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2022/08/post-ebadd2.html
これは
https://toyokeizai.net/articles/-/607835
―「恐怖の5段活用」で浮き彫りになる日米の違い―
を受けて書かれた
大雑把に書くと
②結果、スパッと人が辞めて人々が消費に走った
③人が辞めるから人手が足りない
みたいな記事に対して、180度間違っていると書いたうえで、日本人は「辞める力が弱い」と
労働組合を使って交渉だというのは、「給料を決めるのは企業だ」と言ってるようなものだ
そもそも、昭和の日本式の「賃上げ」は、年功序列もあり勝手に周りが上げるものだった
労使交渉も労働組合などがやる集団交渉で、デモもストもそれ絡みで行われ、メーデーはお祭りの様になり
それが5月の風物詩
いまの40未満の人間は、こういうの馴染まんだろ?
労働組合とか嫌いだろ?
50でだって馴染まないのに
そもそも、バブル崩壊を機に労働組合が強い企業は、軒並み死んだというのもある
令和の今、賃上げってのは、個々人のもので、春闘とかしてベースアップのおこぼれを貰う物じゃなくなったんだよ
だから、上がらん奴はずっと上がらんし
上げたい奴は転職を悩まない
いずれ転職するけど、今の私に価値を見出すなら雇ってくれという物だ
ベンチャーでもない中小の募集に応募しておいて、ドヤ顔で「きゃりあぷらん」とかアホか?という気持ちはわからんでもない
「日本人」の意識は大分変ってるが、その認識がずれるとしたら、それは観測範囲の違いだ
「日本人」と主語でかにして、的外れなこと言ってるなぁと感じたら、それは交流層の違いが出ているのである
令和になり祝日の移動がなされた際、カレンダーから6月と12月から祝日が消えるという事態が発生した。 ただでさえブラック企業によって休みの無い日本に、祝日そのものが減らされるという異常事態になったため、逆に増やすべきとしてこの案を作り上げた。
祝日の増加だけでなく、ゴールデンウィークやシルバーウィークなどにおける長期休暇等の再整理も同時に行う。 これは五月病及び九月病の問題が発生しているため、それを防ぐための再整理ということになっている。
個人的には1年の中間ということで第3水曜日とすべきと思っていたが、難しいのもあるので月曜日とした。 祝日名はブラックカントリーである日本を最大限に皮肉るため、あえて「ぐうたら感謝の日」としたが、真ん中ということで「時計記念日」と無理くり与えることもできるだろう。
2020TOKYOで祝日が消えることが判明したため、1日以上を確実化するために設けられた祝日。 この月は神無月ということで、八百万の神々に感謝する「神様感謝日」と名付けた。
天皇誕生日がそのまま祝日にならなかったため、「正月準備日」として祝日化したもの。 当初は第3金曜日等に予定していたが、クリスマスやら年末年始の業務多忙も懸念されたのであえてこの日とした。
よく「12月には大晦日があるじゃん」というクソアンサーは、遊園地やゲームセンターなどのアミューズメント施設には通用しない。 ディズニーやユニバ、各ソシャゲやネトゲなどのスタッフが一揆を起こしたらどうなるか想像せよ。
春分の日の位置によっては3月から祝日が存在しないため、「さくらの日」や「雛の日」とでも追加する。
昭和の日が土曜日にめり込む可能性があるのと、新人が休暇というのを経験できるタイミングとして。 この日を「さくらの日」としても良さそうで、他の候補としては「おはなの日」と指定する必要もあるかもしれない。
山の日である8月11日が土曜日にかぶってしまうことを考慮し、どっちが土曜日になっても大丈夫になるように。 一応この日は「終戦の日」でもあるが、他候補に「お盆の日」でも何ら問題はないだろう。
どちらかを5月の第2月曜日にまわしておき、もう片方は4月第2金曜日等に移す。 こどもの日を第2月曜日とし、みどりの日を3月の第1金曜日とする。
現在の日本では祝日がちゃんと機能していないクソ祝日にしかなっていないという状況が非常に続いている。 大晦日でも元旦でもゴールデンウィークでもシルバーウィークでも天皇誕生日でも連休でも社畜は「私は仕事デース!!!」と叫ぶ。
この状況を見ても、政府などはモチベーションアップばりの屁理屈を定義するため、結局のところいたちごっこにすら発展しない。
結果的に世界的に祝日が多くても休めてなければ何も意味はない。 というか世界的に本当の休暇を得ているのかという観点で言うと、先進国内では最下位と言っても過言ではない。