はてなキーワード: 広報とは
朝起きると隣で同じシェアハウスに住んでる男子と女子が酔いつぶれていたのよそ目に、シャワーを浴びる。
朝飯は大都会東京の空を眺めながらサードウェーブコーヒーにパクチーサラダ&グラノーラが定番だ。
リュックにmacをぶっこんで、iPhoneでオキニな音楽を流したなら準備OK。ピストに跨がり渋谷の街を疾走。もちろんノーブレーキだぜ?
出社。とりあえずFacebookとTwitterのチェックで午前中を終わらせる。
昼はおフェロな広報とカフェでランチ。Instagramでメシを撮るのはマスト。
午後からは終日ブレストMTG。スタートアップにはこれが欠かせない。
pm20:00、会食へ。投資家、事業家たちとクラフトビールで乾杯。帰りはピストに乗るわけには行かないからウーバーで帰宅。
スタートアップは忙しい。
阿倍野ハローワーク・インターネットサービスで閲覧出来る職業は以下の通り。
詳細は伏せていますが、ハロワに行けば、これよりももう少しマシな案件が見られる。
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NO 職種
1 指導員
2 (障)事務職
18 (障)SE/プログラマー
32 (障)機能訓練指導員(デイサービススタッフ)住込可平野区
35 (障)庶務
40 (障)インテリアデザイナー職(大阪市北区)
46 (障)言語聴覚士
52 (障)訪問マッサージ師
55 (障)人事アシスタント及び一般事務【人事・総務】大阪市内
56 (障)一般事務(セールスアシスト事業部 行政事務G)大阪
57 (障)営業・事務・キャリアアドバイザー/スタッフ採用担当
58 (障)営業・事務・キャリアアドバイザー/スタッフ採用担当
60 (障)薬剤師
61 (障)医療事務
62 (障)理学療法士
63 (障)作業療法士
68 (障)販売職【セールスアシスト事業部大阪支店】契約社員
70 (障)サービスステーションスタッフ
72 (障)グラフィックデザイナー
73 (障)プログラマー
80 (障)事務職、他
85 (障)あん摩マッサージ指圧師/大阪
86 (障)庶務
91 (障)訪問看護
94 (障)組込エンジニア
96 (障)作業療法士
109 (障)アドミニストレーター(一般事務)天満課
115 (障)データセンターにおけるオープンシステム系の運用SE
118 (障)あん摩マッサージ指圧師
134 (障)アドミニストレーター(一般事務)難波オフィス
144 (障)パソコンを使って受注確定や配送手配・売掛金消込など
145 (障)パソコン設定や操作などについてのコールセンター業務
152 (障)看護助手
この痛ましい事件に対して、学校の対応がずさんだったとか、担任の仕事が雑だったということで、担任の氏名まで挙げて袋叩きにしているネット上の風潮が非常に残念だ。
もちろん、生徒が自殺に至ったことが悲劇であるのは疑う余地もないし、その原因が、担任の不適切と言われる対応やそれに至らしめた学校の体質にあったことも事実だろうと思う。
ただ、担任教師や学校を袋叩きにし、当該教師が教育現場を離れたり、校長以下管理職がひたすら謝罪した上その地位を追われたり、学校単位で何かを変えようとしたところで、そのことにはほとんど何の効果もなく、またどこかの学校で同じような悲劇が起きるだけだということを警告したい。
公立小中学校というのは、民間のブラック企業も真っ青のブラックな職場だ。
まず、授業とその準備や試験の採点、授業内外での生徒指導、学校行事の企画・運営など教師としての本来の仕事に所定の労働時間のほとんどが費やされる。
教師が担うべき本来の仕事に加えて以下のような多種多様な仕事をこなさなければならない。
など、企業ならそれぞれ専門の部署やスタッフを置くような仕事を教師が全てやっている。
おまけに、たまの休日に街を歩こうものなら子どもや保護者に出くわし呼び止められ、とても気が休まらない。
例えばあなたは食品メーカーに勤めているとする。あなたは営業部に配属される。
あなたは営業部に配属されていながら、製品開発、社員の教育・評価、消費者対応、広報、法務にいたるまで社内のほとんどすべての種類の仕事も割り当てられるのだ。
おまけに消費者はあなたの名前も顔も知っていて、街を歩けばあれこれと要望や文句を聞かされる。
教育現場の話に戻る。
このような状況で過度の長時間労働が常態化する一方で、自治体の予算次第では残業代も休日出勤手当も出ず、まるで多少謝礼の出るボランティアのようになっている。
組織の士気が下がり、仕事の質が下がって当たり前の日本の教育現場。
結局、教育に割く予算を増やし、教師以外にも必要な職員を適切に配置することで教師が本来の仕事に集中できるようにすること以外に根本的解決策はない。
フェミニストからキモオタは死ねと言われ、私はもちろんキモオタであるから激昂してクソフェミは死ねと言い返しかけて、そこでふと気がついて困惑した。
フェミニズムとは何だろうか。
私はフェミニズムを名前ぐらいしか知らない。しかし知らないものを知らないままにしておくことは、少なくとも私にとってキモオタらしからぬ行為である。私は自分に自信をもってキモオタでありたい。クソフェミに死ねと罵られるキモオタであることに誇りを持ちたい。ならばフェミニズムについて知らなければならない。
しかしフェミニズムについて知りたかったら何を読めばいいのか。これが意外と分からない。ロールズやセンを読めというのを見つけたので読んでみたが、やはりフェミニズムが分かった気になれない。
そこで手当たり次第に適当にフェミニズムの書籍を読んでまとめみることにした結果が本稿である。決して十全ではないが、私同様、フェミニズムをよく知らないオタク諸姉諸兄にとって、フェミニズムの理解の取っ掛かりになれば幸いである。
フェミニズムは大きく三種類ある。ラディカル・フェミニズム(以下ラディフェミ)、リベラル・フェミニズム(以下リベフェミ)、そしてマルクス主義フェミニズム(以下マルフェミ)であり、それぞれ理論の組み立ては全く異なる。以下順に見ていこう。
現在のラディフェミの理論的支柱はキャサリン・マッキノンと言っていいだろう。「性の不平等の源はミソジニー(女嫌い)」であり、「ミソジニーの源は性的サディズムにある」(C.マッキノン,"フェミニズムと表現の自由",1987,*1)。そして社会に溢れるポルノグラフィ(以下ポルノ)こそが「性差別主義者の社会秩序の精髄であり、その本質をなす社会的行為」(*1)に他ならないと喝破する。この諸悪の根源はポルノであるという揺るぎない確信から、ポルノの法規制を推進する。
ポルノが性犯罪を誘発するという統計的な証拠はあるのか。この批判に、しかしマッキノンは自覚的である。誘発するという調査もあり、無いという調査もあると率直に認める。従って彼女が起草した反ポルノ法は「被害をもたらすことが証明されうる物だけが告発できる」(C.マッキノン&A.ドウォーキン,"ポルノグラフィと性差別",1997,*2)。「証明されるべき被害は、強制行為、暴行脅迫、名誉毀損、性にもとづいて従属させる物の取引といった被害でなければなら」(*2)ず、不快に感じた、宗教上の信念を侵しているといった被害は認められない。被害者ではない第三者が告発することも認められない。
ポルノには、ホモもレズも二次元も、古典文学から芸術作品まで被害をもたらすことが証明される限り全て含まれる。自分が叩きやすいゲームやマンガだけを槍玉にあげて、自分が叩かれやすい文学や芸術から目を背けるチキンではない。殴るからには全て殴る。それがマッキノンである。
なお、田嶋陽子はラディフェミを名乗りドウォーキンへの共感を示しているが、ポルノを諸悪の根源とはせず、現実的政策としてはリベフェミに近い内容を述べているため注意されたい("愛という名の支配",1992)。
J.ロールズの「公正としての正義」やA.センの「不平等の再検討」をその理論的土台とし、リベフェミは次の点を問題視する。「ジェンダーシステムは、その根を家族における性別役割にもち、事実上わたしたちの生活の隅々まで枝葉をはびこらせた、社会の基礎的構造のひとつ」(S.オーキン,"正義・ジェンダー・家族",1989,*3)であり、「女性と男性の重要な差異が、家族内で現在おこなわれている性別分業によって作られる」(*3)。
夫婦がともに働いている姿を子供に見せることが教育上望ましいと考え、そして共働きにおいて妻にだけ家事育児が押し付けられることは不平等であり、二人で平等に分担するべきであるとする。もし専業主婦なら、夫の稼ぎは夫婦二人で稼いだものとして両者で均等に等分すべきだとオーキンは言う。
このように家庭内の賃金、労働の不平等の解消によって性差別の無い社会が構築されるとする考えから、リベフェミは女性の社会進出を推奨し、出産休暇や託児所の拡充、男性の育児休暇取得を推進する。また「子どもたちがなりたい人間になる機会」(*3)を拡大するため――その機会を無知ゆえに狭めないために、性教育の重要性を訴える。
なお、「男性を敵視し憎む分派は消滅するだろう」(B.フリーダン,"新しい女性の創造",1965)が示すように、フェミニズムを男性と女性の権力闘争化することに否定的立場をとる。
出産を含む女性の家事育児は明白な労働行為である。にも関わらず男性社会はそれに一切の支払いをしてこなかった。ゆえに女性とは搾取されるプロレタリアートであり、その意味で男性とはブルジョワジーである。女性の抑圧は、資本制と家父長制の構造上必然的に生じたものであると喝破し、資本制・家父長制の打倒を訴え、そしてこれが日本の伝統的フェミニズムである。
女性の社会進出に関してはリベフェミの主張とほぼ同一だが、フェミニズムの主要な敵は男性であると断じ、マルフェミでは家事育児という労働に対する賃金の支払いを請求する(上野千鶴子,"家父長制と資本制 マルクス主義フェミニズムの地平",1990,*4)点で異なる。ただし誰に請求しているのか、また家父長制を崩壊させるために「資本制との新しい調停」を、というが、それが共産制かというとそれも曖昧で判然としない。
日本ではさらにそこに独自の思想が入り交ざる。例えば男女混合名簿の推進は「日の丸・君が代をシンボルとする儀式を撃ちくずす」(河合真由美,"「男が先」を否定することでみえてくるもの――学校の中での性差別と男女混合名簿",1991)から良いのだ等、目的が何なのか、いささか混沌としている向きも見受けられる。
レズビアン・フェミニズム、ブラック・フェミニズム、エコロジカル・フェミニズム、ポストモダン・フェミニズムなど多岐にわたる。マルクス主義フェミニズムの派生であるサイボーグ・フェミニズム(D.ハラウェイ,"サイボーグ宣言",1985)は読むとつまらないがネタとしては面白い。あとキワモノで言えばスピリチュアル・フェミニズムとか。
同性愛者とフェミニストの関係は、従来男性権力社会に対する「敵の敵は味方」関係に過ぎなかった。そこで登場したのが「フェミニズムと、ジェンダーに関するゲイ/レズビアンの視点と、ポスト構造主義の理論を、政治的にひとつに纏め」(J.バトラー,"ジェンダートラブル",1990)たクィア理論である。これにより統一戦線を理論的に張ることが出来るようになった。
リベフェミは広範な男性差別は否定するが、アファーマティブ・アクションでの男性差別は肯定する。ラディフェミは男性敵視の姿勢を持つが、しかしマッキノンは男性だけが徴兵されることは男性差別だとして否定する。「平等とは、ジェンダーの違いではなく、ジェンダーヒエラルキーを問題にし、その根絶をめざすものである」(*1)からである。マルフェミはよくわからなかった。女性兵士に反対しているので、男性差別は肯定されるのかもしれない。
セクハラ、家庭内暴力、中絶、女性兵士等色々あるが、本稿ではオタク、わけてもアニメオタクと関係の深い「性の商品化」について取り上げる。
マッキノンは、猥褻として過去に規制された、まさに「性の商品化」であるユリシーズ(J.ジョイス,1922)について「ポルノではない」と述べる(*2)。現実の被害が証明されていないからである。「性の商品化」は法規制の理由にならない。
リベフェミであるN.ストロッセンは「子供や妻への虐待、強姦、日常的な女性への屈辱行為などを正当化する内容が詳細に述べられている」書籍として聖書をあげ、「禁止されない安全な思想などほとんど存在しない」("ポルノグラフィ防衛論",2000)とする。そして性教育がかつて猥褻として政府に規制された例を上げ、ポルノ禁止法は政府の検閲に利用されると強く批判する。
一方、上野は「性の商品化」だとしてミスコン廃止を訴えるフェミニストについて、彼女らは「法的取り締まりを要求したわけではなく、受け手として「不愉快」だという意思表示の権利の行使」であると言う。そして「性の商品化」は「メディアのなかでも、なんらかの基準がつくられる必要がある("「セクシュアリティ」の近代を超えて",新編日本のフェミニズム6,2009)」とする。
ここから見えてくる点として、女性が「不愉快」であることが問題なのだということが分かる。「性の商品化」とは何か、それに実害があるかは、おそらく最終的にはどうでもいいのである。さらに求めているのは自主規制であって法規制ではない。自主規制によって発言者は自ら口をつぐむのだから、表現の自由は全く関係のない話である。
リベフェミであるマーサ・ヌスバウムは嫌悪感を根拠とした法規制を徹底して批判し、ゾーニングの妥当性を論じるが("感情と法",2004)、マルフェミである永田えり子は「ポルノ市場が成立すれば、必然的にポルノは市場の外部に流出する。そして流出すると不快に感じる人がいる」("道徳派フェミニスト宣言",1997)としてゾーニングは効果がないと批判する。
ポルノは「人々に広く不快を甘受させているかもしれない。そして事実不快だという人がいる。ならば、それは公害である」。「性の商品化は多くの人々に対して、確実に何らかの不快や怒りを与えるはず」であるがゆえに規制されるべきだと主張する。
そのような不快感を根拠とした規制は恣意的な運用がなされるという批判は当たらない。曖昧な法は他にもあるが、現に警察と司法は正しく運用しているからである。性道徳に根拠が無いという批判も当たらない。「根拠がないということがすなわち不当であるわけではな」く、それは「正しいから正しい」のである。
なお、福島瑞穂は非実在児童のポルノ規制は法的安定性が保証されないとして反対しており、この永田の見解がマルフェミの共通見解でないことは述べておく。が、例えば児童ポルノの法規制に対して日本ユニセフ協会広報室長の中井裕真から司法は正しく運用してくれる旨の見解が述べられており(永山薫・昼間たかし,"マンガ論争勃発2",2009)、これがフェミニストの通説でないことは明らかだが、一定数存在する見解であるように思われる。
初期の日本のフェミニズムには「反主知性主義」があり、「女性であれば(女性としての経験をもってさえいれば)誰でも女性学の担い手になれること、専門的なジャーゴンや注の使用を避け」、「プロとアマの距離をできるだけ近づけること」が目指されたと上野は述べている("女性学の制度化をめぐって",2001)。
こうした取り組みで女性が声をあげられる空気を作り出すことに成功したが、結果としてフェミニズムは「一人一派」と化した。筆者の私見に過ぎないが、これは同時にフェミニズムと「私」の区別を曖昧なままにしたのではないか。
「私」とフェミニズムが一体化しているとすれば、「私」が不愉快ならフェミニズム上も不公正に決まっている。それが従来のフェミニズム理論と矛盾していたり整合性が取れなくとも関係ない。「「オンナ対オトコ!」なんて言ってるフェミなんて、いないのになぁ」(北原みのり,"フェミの嫌われ方",2000)が示す通り、従来の理論について知識も興味もないフェミニストは珍しくない。知らなければ(当人の中で)矛盾はしない。
「理論を欠いた思想は、しばしば信念や信仰へと還元されてしまいがちである」(*4)と上野は言う。そのような啓蒙主義者にとって「真理はつねに単純である。(中略)真理を受け容れることのできない人々は(中略)真理の力で救済することができなければ、力の論理で封じるほかはない」。そうして治安警察国家を招き寄せる人々は「反主知主義の闇の中に閉ざされる」。
これは実は上野によるリベフェミへの批判なのだが、筆者にはリベフェミではないところに突き刺さっているように思えてならない。
このようにフェミニズムは一言で言い表せるような概念ではもはやない。日本の初期フェミニズムはマルフェミが中心であったが、現代日本のフェミニストは必ずしもそうではないだろう(例えば堀田碧は"「男女共同参画」と「日の丸」フェミニズムの危うい関係"で一部の若いフェミニストの愛国心に苦言を呈している)。
最後になるが、フェミニズムはクソだという見解に私は全く同意しない。職場で上司が女性社員の尻を撫でることは強制わいせつ以外の何物でもないし、家庭内暴力は夫婦喧嘩ではなく傷害である。どれだけ成果を上げようが性別を理由に賃金を低く抑え、出世コースから排除するといった制度の是正にフェミニズムが尽力したことを、私は決してクソだとは思わない。
私がクソだと思うのは、……まぁ、書かなくても察してもらえるかと思う。
いささか長い増田になった。この程度の調査力でキモオタとかw という批判は甘んじて受けるしか無いが、とはいえもし誰かの理解の役に立ったのならそれに勝るものはない。
無駄に忙しくなるから必要の無い活動をするなってのは確かにその通りだと思います。
そして思うのが、必要なことをちゃんと広報しろよってこと。ウェブサイトもあるんだからそこを使えよと。
役「まだ受け付けてないんですよね」
僕「いつからですか?」
役「近日中です」
僕「それっていつですか?」
役「決まっていません。」
役「その予定はありません」
そのあとは、こんな目にも遭った。
僕「書類持ってきました」
役「あー担当者居ないんですよね」
僕「受付は開始されていますよね」
役「それはそうなんですが、担当が居ないので~」
僕「それはそちらの都合ですよね。他に分かる人居ないんですか?」
役「えー、担当者居ないので」
僕「上席とかで分かる人居るでしょ」
役「えーあーまぁ」
上「なんでしょう?」
僕「書類持ってきました。受け付けてください」
上「分かりました。…(目を通している)…。では、受け取ります。」
数日後に
役「すいませんあの書類に不備があったのでまた来てください!」
地方公共団体にサークル活動として認められる利点はお金的な物だけじゃなくて、
練習会場を優先的に使えるようになるとか、区の広報誌に広告とか団員募集乗っけることができたりすることもあるね。
以外にプロオケじゃなくて、アマオケって練習会場の確保大変なんだよ…。
「収益」として認められてしまうと、楽曲を演奏する場合の著作権料が跳ね上がってしまう場合がある。
著作権料って、管理している団体にもよるんだけれど、大体の場合無償公演か有償公演でだいぶ値段が変わる。
「収益」として認められてしまうと、有償公演扱いになってしまい結局支払わなきゃいけない額が大きくなることもある。
もちろん、扱う楽曲によるので何とも言えないんだけれど、ただ単に援助があればいいってもんじゃないってのは覚えておいていただけると嬉しい。
隣の芝生は青い。
データベース構築よりひとつ上にある簡単な仕事のビジネスモデル設計を一度されてみたらどうでしょうか?不満はなくなるかもしれません。
そして、もう一つ上にある簡単なマネジメント層を目指されてはどうでしょうか?もしくは起業されてはどうでしょうか?
起業家を目指しましょう。すると、広く大きな世界が見えてきますよ。
偉い人のバックグラウンドも元は技術者だったかもしれませんし、
あなたも偉い人になると同じようになるかもしれません。
経営を舐めていますが、上がれば上がるほど重責であることが、ようやく分かります。技術難易度だけでなく、お金の事を考えること、
リスクや責任も考えること、社員集め、社員の生活、組織体制、教育・モチベーション(人が増えれば管理が必要、経営者嫌いの社員もいます、現代はダイバーシティで技術者以外の人間との共同が必要です)、法律、倫理、理念、哲学、組織風土文化,デザイン、戦略戦術,スケジュール、コアコンピタンス,
競合他者の事(技術とビジネスモデル両面から)、顧客の事や、市場を読む、未来を読む(感覚感情の世界で技術のように正解はない)
時代は動いています、IT業界なら耳タコでしょうが、ドックイヤーですよね。技術はすぐに陳腐化します。どうやって戦略たてますか?
(既存の仕事をただ機械におき直しただけのビジネスモデルは今の時代流行りませんよ。)
サービスを売り込む営業や広報、価値をゼロイチで発想するという事も考えていきましょう。
最近の大衆(人々)はルサンチマンで些細なことでキレやすくガラスのハートなので、一文字一文字、言葉にも気を付けてください。細部に気を付けてください。プチって死にますから。
笑いもとってください。ビジュアルも良くしてください。皆のメンタルケアやカウンセリングもしてください。みんなの将来を考えてください。人生の丸ごと責任をとってください。
その上責任者は何を言ってもみんなのサンドバックになってください。みんなのストレスも解消してください。
もっと関わる業界の事を知りましょう。世界を知りましょう。でないと会社はつぶれますよ。
スキル知識には、広さだけでなく深さはありますか?縦と横、ジャネラルかつスペシャルですか?2つのバランスを崩せば会社つぶれますよ。
零細と大組織では当然ですが課題も異なります。どちらも大変ですが、大組織も元は零細です。
誤字脱字チェックだけの上層部はいません。ファンタジーです。いたとしてもマクロ視野でチェックして、そこから判断します。
マクロになればなるほど複雑です。様々な人・モノ・金・情報、死角はないでしょうか?
そして組織を構成する各部署へ指示を考えます。次にどう動かなくてはいけないのか?組織が大きくなればこれだけで激務です。そしてもし
多くの資料に目を通しています。一日に読む書類の量、情報のインプット量はどれぐらいでしょうか?
とまあ、
上記は、今思い付いただけなので、まだ半分ぐらいかもしれません。
こうした元増田の投稿を信じた大衆が、憎っくき経営者!!!!!と毎日流行ってましたね。
そもそも取材っていうのは、
「記者さんに話すことなんて何もないよ! さっさと帰んな!」と
塩まかれんばかりに追い返されても、めげずに通い詰めて、
「あんたもしつこいねえ、何が聞きたいんだよ」って言われるのを突破口にして
公にされている資料(たとえば政治資金の報告書とか、土地の登記簿とか)を
徹底的に読み込んで、怪しいところをあぶりだしたうえで、相手にぶつけて
「そこまでわかってるんじゃあ、しょうがないなあ」と言わせたり、
「あんただったら信用できるからいうけれど、実はね・・」と言われるようになるまで
実績を積み上げたりすることだ。
大体、「報道に値すること」ってのは、「相手が積極的には話したくないこと」の中に
潜んでいるのが通常だし。
(相手の話したいことを「はいはい、おっしゃる通り」って聞いてきて、広く伝えるだけでは、
ただの「マスコミ(マスなコミュニケーション)」とか「パブリシティ」に過ぎない)
堀某とか、長谷川某とか、「報道に携わってきた」とかいう自負のあるらしい「アナウンサー出身者」が
「ジャーナリズムとは」とか語りだすと、ものすごぐ薄っぺらくて胡散臭いのは、
多分そういう、「地道な取材」なんか、ほとんどやったことないくせに
表面的なところだけで、語り出すからだと思う。
どうせ、会社や組織の看板とアナウンサーとかいう肩書を背負ったまま、
正面から広報に電話かけて「○○についての企画をやるんで、お話きかせてくださ~い」とかいって、
話聞いてきたのをこぎれいにまとめてしゃべっただけだろ?
そもそも「アナウンサー」って職責は
「地道に取材する」んじゃなくて
結論として、書泉グランデはただの貸し小屋だったと言えることではありますが、いくつかの見方があると思います。
貸しスペースは利用者からの申し込みだけではなく小屋側から話を持っていくこともあります。グランデにおけるそうした状況が明確でないので「あくまで凡そ一般的と思われる貸し状況から」の思うことです。例外はありますし、今回の肝であろうイベントの内容についてはほぼ触れません。
近年、Web系ベンチャーが増えたことによって、勉強会などで所属を明らかにする人が増えている気がする。
なんとなくイケてる企業に務めてる人が所属を明らかにして活動しているのを見るとカッコいいなとか羨ましいとか思う人は少なくないと思うんだけど、それを真似して所属企業を明らかにして活動するという行為について今一度考えて欲しい。
所属企業を明らかにするのには幾つかの理由がある。会社の広報宣伝/採用活動の一環、発言内容に説得力を持たせるため、などが主な理由になると思う。会社としては社員が発表をするときに名前を出してくれたり、宣伝してもらうことによって知名度をあげようなどという考えを持っているわけだ。
さて、当然ながら良い発表をした人がいる会社に転職したいとか、一緒に働きたいと思う人はまあそこそこいると思うんだけど、下手な発表をした人がいる会社に転職したいと果たして思うだろうか?
どんなに「私の発言は所属と関係ありません」なんて言ったところで、「なんとかフレームワークを導入して失敗した話」とか「まだ古いバージョンのかんとかを使ってます」なんて発言したら、あの会社はそんな技術力もないのかと判断されるだろう。
個人だけで完結してればいいけど、どう考えても会社に迷惑しかかけないような発表/発言は避けるべきで、どうしても糞みたいな発表をして承認欲求を満たされたいのなら所属を明らかにすべきではない。勿論、そんな発表を所属を明らかにして行ってくれる人は地雷避けとして機能しているわけだから、周りからしたら有り難いことこの上ないので積極的に応援していきたい。
20代の数年間SIで働いた。1年以上前に退職して今は別業界にいる。
今日、Evernoteを整理していたら「退職理由、SIの嫌な点」というメモが発掘された。退職直前のかなりストレスがたまっていた時期に書き殴った文章だった。学生の頃の私は絵を書いたりしていて、ものづくりで暮らしたいな〜などと思って始めたプログラミングが楽しかったので安易に受託開発業を選んでしまったが、その後悔が如実に表れていた。
一部自分でも覚えていない話もあったがコンテンツとしては面白かったし、今でもシステムインテグレーター業界で消耗する若者を減らしたいとは思うので公開してみる。
以下、同メモに加筆・修正したものなのでファンタジーだと思って読んでくれ。
受注した時点で売上がおよそ確定するので、後はその予定工数に収めて納品できれば御の字という考え方。よくある話だが、見積がおかしくても顧客と対等な関係が築けていないから追加請求もできない。時間(工数)をかければ良い成果物ができるかもしれないがそれを説明して顧客に嫌な顔をされたくないから、限られた工数の中での最善を尽くす。最善を尽くす、聞こえは良いが要は手を抜く。
つまり、どう頑張っても売上は同じなのだから、良いもの・価値を生むものを作ろうと考えない人が多い。社内で開発者と呼ばれる人間もそうだし、マネジメント層はそういうものづくり志向を持った人をリスク扱いすることもある。
これが諸問題の根源で、いかに述べるような組織・プロジェクトが出来上がっていく。
マニュアル作業の正確さをかたくなに信じてる人だらけで、ITとは何なんだと考えさせられる。
私は定型作業を効率化しようとjsやrubyでスクリプトを書いたりしていた。テストデータを開発用DBに突っ込んだり、テキスト処理して整形したり、Excelからコード生成したりするよくあるやつ。
あるとき上司に肩越しに自分の作業を覗かれて「何やってるの?」と聞かれ、そういうスクリプトを作ってると答えたら、工数とリスクの話をされた。曰く「そのスクリプト作るのに何日かかるの?工数に乗ってないよね?」「スクリプトのテストもちゃんとしないと結果が正しいって保証できなくない?」と。この時はイラッとして「30分でできる数十行のスクリプトだし自分の作業工数内で完結する。むしろ後工程や別の人でも同じことを再現性できて楽になる」とか真面目に説明してプログラムも見せたが、読もうとはせず(読めないので)1時間無駄にした。
前述したようなビジネスモデルだから、営業力と、予定工数で無難にプロジェクトを終えるマネジメント力が大事。IT企業だが開発者は自社で持たない。不況の時に待機コストが発生するリスクがあるし、自社で抱えるより単価の安い開発者が人材派遣系の企業や下請けにいっぱいいるから。
社長があるとき社内広報で「技術は買うものだ」と言っていた。文脈で明らかに技術=技術者のことだったので、使い捨ての人売り業と揶揄されていることへの自覚が無いと思う。
そういう人が集まっているor残っている組織なので開発者はほとんどいない。20〜30人ぐらいの課に1人ぐらいの割合でstaticおじさんがちらほらいるぐらい。大体20代からプロジェクトリーダーという立場をやり始め、だんだん大型の案件を扱えるようになっていき、後は出世ゲーム。部長のお気に入りが課長になり、部門長のお気に入りが部長になる。その繰り返し。
開発案件でのBP(ビジネスパートナー、委託先、派遣、下請け)比率は自分の周りだと1:5ぐらいが多い。プロパー社員一人が5人の開発を仕切る、みたいな形。案件規模によりだいぶ差があると思う。この比率が高い=マネジメント力のある組織と考える会社はこの数字を上げようと必死で、比率の低い組織は評価が下がる。
私は開発が好きだったのでエンジニアとして生きていきたい、というようなことを評価面談の度に伝えているが、その度に会社の目指す方向を説かれてモチベーションが下がる。
上述の通り、案件で接する開発者は基本的に社外の人間なのだが、彼らの技術力と意識の高さにはものすごいばらつきがある。言われたものはなんでもこなせる人、何でこの歳まで技術者やれてるんだと疑う人、このプロジェクトはおかしいと良い意味で騒ぐ人、何も意見を言わない人、CっぽくJavaを書く人、人当たりは良いが技術力がいまいちな人、すぐ休む人、バグやミスを隠す人…etc。
まぁ色んな人がいるのはどの業界のどの職種も同じだが問題は質だ。私の主観になるが本当にエンジニアとして尊敬できるレベルの人は1%いるかいないか。というのも、ほとんどの技術者は長年SIやその周辺企業と付き合ってきているので同じ体質に染まっているのだ。顧客が良いといえば良いという態度(この場合の顧客は私が所属する企業)、請負の場合は工数を超えない範囲で手を抜く姿勢、その他諸々。技術力だけをひたすら磨き続けてきたという人はごく一部だけだったし、そんな人でもGitHubアカウント持ってない・ブログやってない・OSSに貢献したことない、といった具合でクローズドな世界で生きている。
そうした技術者とやっていく中で最も厄介なのが教育コストだ。案件のあるなしで人が都度入れ替わり、新しい人が来るたびに同じシステム・技術要素の説明をして何とかやる気が出るようモチベートして、というのを繰り返すのに疲れた。私の会社固有の変なルールの説明はてきとうにしておいて、私は技術が好きな仲間が欲しかったので今のシステムの課題と技術面での改善や展望をよく話す。が、あまり食いつかれることはない。これは私の問題だが、そうした期待と落胆のループも疲弊の一因だ。
ある時、一つの課に6年近くいるというBPと一緒に仕事をする機会があった。その課にはプロパーの技術者が長いことおらず、彼がその課の技術的中心を担っているという話だった。抜けられると途端に色んなものが崩壊するからという理由で、その人の派遣元にはかなり高額の単価を支払っていたと聞いた。課員が口をそろえて「あの人はすごい」「何でもできる」というので初めはかなり期待していた。
だが、拍子抜けした。あまりにも仕事が雑なのだ。コミットされたコードはTODOコメントだらけだし、バグがあまりにも多かった。一度も実行されずにコミットされ、他の人がチェックアウトした時点で判明したバグなんかもあった。それでも声が大きく、プロパーが技術を知らないのをいいことに自分のブランディングに完全に成功していた。客先にも顔を出し、信頼を得ているらしかった。「自分は設計が得意でテスト以降の工程には興味が無い」と言っていた。確かに彼が関わった各システムには独特の概念が埋め込まれた設計があったが、その複雑な設計は保守性が低く、他の開発者が触ると容易にバグを引き起こしていた。
また、彼はJavaの有名なフレームワークであるStrutsを拡張したいわゆるオレオレフレームワークを開発しており、それの出来は悪くなかったと思う。そのフレームワークに欠けているものをうまく補うような形になっていた。だがフレームワークのバージョンを上げると壊れるというのが残念な点で負債になりかけていた。
私は異動したが、彼は今でもそこにいると聞いた。
(最低限のものしか作らないから)安くて早い!という触れ込みで売っているので、テストの工数が異常に少ないことも多い。特にテストコードを書くなんてもってのほか。そういう世界でやってきた人ばかりなので、30や40超えたマネジメント側は「テストコードって何?」状態だ。大型の改修案件が来た時にはコア機能だけでもテストを書いていこうと見積段階から社内で提案したが「顧客に『そんなメリットあるなら何で今までのプロジェクトではやってないの?』って問われるから、絶対言うなよ」と拒否された。
保守案件をやっていた頃、時間を捻出してコソコソとテストコードを書いたりしていた。その案件を離れてしばらく後、ある時リポジトリを覗いたら私が書いたテストコードがばっさり消えていて驚いた。コミットログから課内のstaticおじさん的な人が消したとわかったが、そのコミットコメントが「現在使用していないコードを削除」だった。これはもう問う気も失せて何も言えなかった。
先述したようにテストがそもそもないプロジェクトが基本なのでリファクタできないのだが、たとえテストがあったとしても勝手なリファクタは許されない。ソースコードは顧客の持ち物なので同意なしに改変することはいわば契約違反なのだ。たとえ内的品質が向上してコスト削減に繋がるとしても、そのためにお金を支払う顧客はまずいない。
私がいたどの案件にもコードレビューがなかった。リーダーと開発者数人という構成の場合、まず開発者は全員下請けでリーダーは技術の心得がない場合が多い。そうなると彼らの成果物の良し悪しを図るのは目に見えるシステムの挙動と実施されたテスト結果のExcel報告書だけになる。これが非常に非効率で、少しコードを読めばわかる明らかなバグや仕様理解の齟齬が頻発していた。特に受入試験と呼ばれるリリース直前の顧客側での最終確認や本番稼働中におけるhotfixは全機能をきちんとテストせずにデプロイされることが多く、そのhotfixがさらなるバグを引き起こしたりもしていた。
そもそもテストを書けという話だがテストが無いプロジェクトに足すのはかなり大変なので、レビューサイクルをきちんと回すだけでもかなり変わる。実際、私が入った案件ではすべてのコミットに目を通すようにし、明らかな問題は都度指摘することで品質の向上に繋がった。欲を言えば他の開発者にもレビューしてもらいたいが、下請けの彼らの工数を増やすことは嫌がられる。
無難にプロジェクトをこなすことと新しい技術を試すことの両立こそ技術者の腕の見せどころだと思っているが、ほとんどの場合それは許されなかった。新規にせよ継続にせよ案件を受注する段階で営業やマネジメント層と顧客間で「今回は過去に実績のあるこの技術でやります」という契約が結ばれているからだ。その技術(言語やフレームワーク)がいかに古く、保守性も将来性もないものだとしても受注できればよいし、その技術のサポート切れか何かの拍子で再度リプレイス案件でも受注できればさらにラッキーぐらいの考えでいる。
また横に倣えが加速してさらに悪い事に、同じアーキテクチャ・ネットワークを再利用するために既存のサーバに新システムも相乗りすればよいという発想も珍しくない。「資産の再利用によりコスト削減」という触れ込みだったが、ただでさえスケールしない低スペックのオンプレミスサーバ上で複数のアプリケーションサーバを運用した結果、予想通り耐障害性が下がった。
また、Oracleのライセンスが高いという理由で一つのDBインスタンス上に10数個のシステムが同時稼働しているなんてこともあった。1つのシステムが高負荷なクエリを投げたせいで関連する全システムが共倒れになったこともあったがOracleのバグとして報告していた。
新人の頃にOJTでstaticおじさんの下に付いたことがあった。そのとき担当したのはPerlでデータ連携用のバッチを書くという開発業務だったのだが、最悪の思い出だ。
まずプログラム構造仕様書というのを書かされた。メソッド単位でのモジュールを全てExcel上に記述し、処理の順番と内容を説明するという謎資料だった。あまりに意味がわからなかったので「UMLのクラス図を書けばよいのですか?」と聞いたら「Perlにクラスなんて必要ない。構造化プログラミングを研修でならってないのか」と返ってきた。「俺が前に書いたPerlのバッチがあるから参考にしろ」と言われ、あるリポジトリをチェックアウトして見てみると1ファイル4,000行の.plがいくつか並んでいた。その時の私は何もわかっていなかったのでそういうものかと思ってしまったが後で調べて明らかにおかしいと気づいた。
また、そのプロジェクトのメイン言語はJavaで、Eclipseを使っていたのでPerl用プラグインを入れてコーディング・デバッグをしていたらやめろと言われた。理由は「Eclipse上で動くPerlが信用できない。サクラエディタで書いてプリントデバッグすれば充分だ」と言われた。その時の私は何もわかっていなかったので、プラグインの品質が悪いとかそういう話かと思い「じゃあvimで書きます」と言ったら「サクラエディタにしろと言っただろ!」と一喝され、vim vs サクラエディタという史上類を見ないエディタ論争が起きた。
SI業界の中では高いのかもしれないが決してよくはない。4年目(たぶん25歳)ぐらいで残業込みで年収400万にやっと届いたがそこからほとんど変わっていない。30歳の先輩に聞いたところ「500万前後、残業してない場合の月の手取りは未だに20万切ることがある。残業抜きでは新婚生活が厳しい」と言っていた。いわゆる年功序列がきっちりしていてこのまま続けてもしばらくは給与が伸びないということがわかった。
個人での貢献で差がつくのは±10万程度。その程度ならいっそ無くてもいいのでは、と思う。というかそもそも生産性をきちんと評価する制度が存在しない。これはどの組織でも難しい問題だと思うが、形骸化した評価制度で上司の気に入った人間にS評価を付けているだけならいっそ止めたほうが時間の無駄にならなくてよい。
会社から貸与されるノートPCは低スペックすぎて開発には使い物にならない。なので開発者は基本的にデスクトップを使用せざるを得ないのだがこれもメモリ4G、1.2GHz程度で大したマシンでもない。本当に開発する気がない。
いつの間にかどこかで意思決定がされていて、関与する機会がほとんどない。だがほとんどの社員がそれで良いと思ってる。失敗しても自分が決めたことじゃないから上層の責任だ、そう言えるので楽だから。
情報共有をしない、というか意図的にしないようにしているとまで感じる。連絡はメールと添付ファイルベースで行っているし、共有のファイルサーバなんてのもあったが一部のフォルダは権限を持った人間しか見られない。何で他の部や課が行った過去の見積や提案資料が自由に見られないんだよ。
ソースコードのリポジトリも同様。外部に公開しないのはまだわかるが、プロジェクト外にすら基本は公開していない。別に奪われて困る大した技術もない。
会社が用意した提案資料共有サイトみたいなのもあったが、それに至ってはもっとひどい。課長以上もしくは部長から承認を与えられた者のみ閲覧可能。共有とは。
どうでもいいことを決めるにも承認や根回しや説得が必要になる。それがプロジェクトの利害関係者ならまだわかるものの、まったく関わっていない上長(課長や部長、時には部門長)を通さないと進まないという異常さ。
利益率向上のためにコスト削減ということがしきりに言われており、過剰なコスト削減対応が生産性の低下を招いている。たとえば顧客に見せる資料以外は白黒で印刷しろ、みたいなルール。色がないために情報が伝わりにくい。というかそもそも印刷せずに各自のノートPCで見ろという話だが、先述したようにノートPCは低スペックすぎるので多くの社員がデスクトップを使っている。ITとは。
本当に無駄としか思えない承認・申請フローの煩雑さに加え、使っているシステムの使い勝手も悪く、ひどい日は一日がそうした事務作業で終わる。しかもそのシステムは自社で以前開発したものだというから泣けてくる。こんな作業が定常的に発生するのでいっそ事務員を派遣で雇うべきという提案が何度もされたが、課の予算をオーバーするから無理だという回答しか返ってこない。
表向きは社員の健康促進という触れ込みで残業時間削減を全社的に取り組んでいる。残業減らせと声をかけただけでは誰も帰らないので、勤怠システムと入退館管理システムを監視し、削減できていない組織や人間の評価を下げるようになった。
その結果、サービス残業が復活した。30時間を超えると部長に説明しないといけない、50時間を超えるとその上へ…みたいなループ。表向きの残業時間削減・コスト削減としては成功したかもしれないが、社員の残業時間を管理するとかいう無駄な仕事を増やしたし、管理される社員のストレスとサービス残業に繋がったので下策だと思う。
他人の残業時間をExcelにまとめる仕事があって、そこに給与が発生してると思うと泣きたい。
そもそも無駄な作業や工数至上主義で作業効率が悪いから残業しているので、残業が少ない奴が偉いと一斉に舵取りしただけでは生産性をちゃんと評価できていないことに変わりはない。一昔前の残業多い奴は頑張ってて偉い、というのと本質レベルで何も変わっていない。
なんかこう、「SMAPが反省して後悔して土下座している」みたいな話題を、ジャニーズ広報が一生懸命リークしているのを見ると、苛立つものが有る。
構造的には、検察がマスコミにリークして世論操作しようとするのと同じなのだろう。とても日本的で、とても老害的だ。
だが、マスコミごときがジャニーズの大奥に逆らえそうな気配は全くない。所詮、人気商売。金を落としうるステークホルダーの意図は切れないのだろう。高度に進化した日本的資本主義は社会主義と区別が出来ないという奴だ。
利害関係のないネット民とお手製ニュースあたりは騒ぐだろうが、所詮井の中の蛙。まとめニュースから上手い汁を吸おうとするマスコミの二流記者でも経由しないと、「一般」の世の中には波及しないので、オリンピックのエンブレムのような展開にはなりそうにない。
ジャニーズが持て余す可能性があるとすれば、SMAPが影響力を持つアジア圏のマスコミがニュースをだだ漏れして、その情報が逆輸入されてしまった場合だろう。マスコミ民族は海外メディアには弱い。要するに黒船システム。幕末からあまり国家構造が進化していないと言える。
そう言うわけで、SMAP関係者の諸子が本気でジャニーズを潰して生き残る覚悟が有る場合には、ひたすらメリー様のインサイダー情報を海外に情報を流す事をお勧めする次第である。情報の足が遅いので良い戦略とは言いづらいが、メリー様と刺し違える事の出来そうなシナリオはコレくらいしか思いつかない。
ここ数年、起業がブームだ。過去に何度か起業の経験がある身として、起業に興味がある人や実際に起業をした人向けに、IT系の社長の仕事を紹介したいと思う。
社長の一番大切な仕事は「会社を潰さないこと」だと思っている。それにダイレクトに繋がるのが資金。金を集めるのは社長の大切な仕事だ。昔、自分はこれを他人任せにしていたせいで、会社が危機的な状況になっても全然気づいていなかった。
金の集め方は色々ある。一番わかりやすいのは、別の企業相手に仕事をしてその対価を得るやり方で、受託開発に向いている。仕事をすれば金をもらえる、というスタイルはサラリーマン出身の人にはわかりやすいし、学生にもイメージしやすいと思う。フリーランスみたいな起業をする人はたいていこのやり方だ。デメリットとしては、常に営業を続け、決して仕事を切らしてはいけない。仕事がなくなり蓄えがなくなれば倒産だ。このような会社の場合、技術力もさることながら、営業力(個人の場合はコミュ力)が大切になる。比較的起業しやすい形態だろう。
次にわかりやすいのはサービスを提供し、そのサービス上で売上をたてるやり方だ。最近流行の、スマホアプリやWebサービスの起業を考える人は大体これだろう。ユーザーから直接金を取ってもいいし、広告やアフィリエイトを貼ってもいいし、別の企業と提携して売上を立ててもいい。サービスさえ上手く回れば色々な方法がある。自分たちのサービスから売上を立てるのは夢があるが、この場合「ユーザーを集める」というのが一番むずかしい。普通のサラリーマンを経験しただけだと、広告の打ち方一つ取っても慣れていない人がほとんどだろう。サービスを立ち上げるだけなら技術者なら簡単だが、継続して上手く運営するには技術力よりマーケティングや広報などの経験や才能が大切になることが多い。サービスをベースとした起業は難しいが、上手く行っているかどうかを数字で判断しやすいのがメリットではある。
どのようなやり方でも継続的に利益があがればいいのだが、そうはいかない時もある。一切収入がなかったとしても、社員の給料や事務所代など、いわゆる固定費と呼ばれる支出は容赦なく襲ってくる。そういう時にも会社を回すお金を集めるのが社長の仕事である。そういう時は融資、いわゆる借金を考えよう。銀行が貸してくれるならそれでよし、ダメな場合でも政府系の支援プログラムなどを頼ることが出来るかもしれない。将来返済が辛くない条件にこだわるにこしたことはないが、目の前の危機を乗り越える方が大切だ。一番気をつけなければいけないのは、融資にはそこそこ時間がかかるので、調達中に資金ショートしないようにしなければいけない。本当にヤバくなる前に検討を始めるのが良いだろう。
最後に、投資を受けるやり方も一応説明しておきたい。融資とは違って、(一般的には)株を渡すことによってお金を得るやり方だ。このやり方は、投資家が将来的にその株が出資金の何十倍もの高値で売れることを期待してお金を入れるやり方になる。投資を受ける判断をした以上、必ず投資家にその株を現金化させるチャンス(一般的にexitと呼ばれる)を用意しなければいけない縛りが出るのがポイントだ。これで数千万円の資金を調達して、しばらく収入なしでサービスを作る、というのが最近流行りの起業のやり方である。投資については色々な話があるが、投資を受けて成功する会社は5%にも満たない(多分1%にも満たない)という事実と、投資を受けて運営する会社は当然投資家が株主に入るので、経営に口出しされることを覚悟しなければいけない、という2点だけはしっかり認識しておく必要がある。個人的に、社長が一番大変な起業がこれだと思う。自分は1社きちんとexitまで持っていったが、正直他人にはおすすめしない。
社長の次に大切な仕事は、人を集めることだ。一人で会社を起業することも出来るが、それは一般的にはいわゆるフリーランスという分類になり、あまり起業とはいわない。社長は人を集めないといけない。
やはり知り合いと起業するのがいいだろう。できればある程度長い付き合いのある知り合いがいい。考え方が似通っていて、自分に隠し事をしない、できれば自分とは全然違うメンタリティを持っている、そういうパートナーがいればベストだろう。共同経営者として迎え入れるのが望ましいと思う。あまり付き合いの長くない人と起業をするのはおすすめしないが、自分に技術の素養がない場合、どうしても技術者は必要だろうから、そういう場合は仕方ないかもしれない。個人的には、そういう状況になるなら起業しないほうがいいと思うが。
起業のパートナーで一つだけ重要なポイントを挙げておくと、会社が失敗した時に友情が将来にわたって破壊される可能性を認識しておくほうがいい。相手の全く想像もしていなかった側面を見ることになるかもしれないし、ぶっちゃけた話、金のトラブルは友情はおろか血縁ですらあっという間に破壊する。会社が失敗すれば絶対に友情が壊れる、ということは全然ないのだが、その可能性があるということだけは知っておいたほうがいい。
ある程度会社が回ってきたら、従業員を雇って会社を拡大するのも社長の重要な務めだ。初期はやはり知り合いを頼るのがいい。技術者なら特に知り合いを頼るべきだ。人数が少ない会社に無能が入ってくると大惨事になる。人数が少ない会社に無能が入ってくると大惨事になる(2回目)。特に30人以下の会社では、その人間が即戦力か、今の会社が必要としているか、将来的に成長のポテンシャルがあるか、自社の雰囲気に合うか、などの採用基準すべてに合致した人のみを採用すべきだ。採用の失敗は本当にでかいダメージになる。自分は会社規模が10人以下の時に信頼していた共同経営者に何人かの採用を任せたところ、結果的に大失敗で、たくさんの人が傷ついた。採用には、必ず自分が最終的な判断をし、責任を持つようにしよう。少し大げさな言い方だけれど、社長は今までの社員と新しい社員、その両方の人生に責任を持つことになるのだから。
社長は辛い。トラブルは常にやってくる。仕事が入ってこない、重要な人が辞める、仕事が約束通りに達成出来ない、先方からの入金が遅れる、取引先が倒産する、よくわからない訴訟を受ける、社員同士で大きなトラブルが起こる、などなど、予想もしない悪い出来事が次々に起こる。胃に穴をあけてはじめて本物の社長だ、と投資家に言われたことがあるけど、あながち間違っていないと思う。そんなときに、決してトラブルを顔に出してはいけない。会社が順調な時もダメなときも、いつもにこやかに笑っていよう。
社長が「辛い」ということを漏らしてプラスになることはほとんどない。社長が辛そうだと、社員に動揺が走る。社内に動揺が走るのがプラスになることはまずない。社長が笑っているだけでそれが回避できるなら、それはもう社長の仕事だ。社員は、社長が仕事をしていなくてもそんなに気にしないが、社長が経営に詰まっているのは敏感に察知する。どんなに辛くても、それは会社の中に持ち込まないようにし、いつも「大丈夫だ問題ない」という態度を取るようにしよう。社長がツイッターで「辛い」「忙しい」とほざくのは論外だ。
もちろん社長が本気で大丈夫だと思ってはいけない。トラブルは回避しないといけない。社長がトラブルの対処に失敗すると会社に深刻なダメージを与える。危機に目をつぶるのではなく、しっかりと対処しないといけない。そして、あらゆるトラブルは最終的に自分が引き受ける覚悟を持とう。社員から「こいつはいつも働いてないから、困ったら仕事を投げつけてやれ」と思われれば最高だろう。
必要なときには社員に相談しなければいけない。自分で何でも出来るならずっとソロでやるべきだが、実際は自分ひとりで出来ることには限度がある。社員に頼るのもとても大切なことだ。最終的に自分が全部処理するという大前提を忘れてはいけないが、社員を無駄に不安にさせず、最終的に社長がなんとかするだろう、という安心感は与えなければいけない。トラブルでヒステリックになるなんて論外だ。
もっとも、リストラなど、本当にどうしようもなく社員に痛みを与えなければいけないタイミングというのは存在する。リストラをするのは涙がでるほど辛いが、すべては自分が蒔いた種だ。「株主に社員を切れと言われたから」などの言い訳は、たとえ事実であっても絶対にしてはいけない。社員に痛みを強いると決めた以上、最後まで責任をもって断行し、その責任をかぶり、その後により良い未来を持ってくるために全力を尽くすようにしよう。
会社がうまく行っている時、社長は仕事をしないくらいがちょうどいい。営業したり、コードを書いたり、勉強会に行ったり、人と会ったり、そういう活動はもちろん良いと思うが、例えば社長が一番仕事をしているエンジニアであるとか、社長が一番営業で案件を取ってくるとか、そのような状況はあまりよろしくない。今まで書いたように、何かトラブルがあれば社長には一気に重たく辛い仕事が降ってくる。そうなると社長はコードを書けないし、営業にも行けない。社長の能力に頼る会社はますますマズい状況になってしまう。なので、社長は仕事をしないくらいがちょうどいい。会社がうまく回っているなら、普段は毎日六本木に飲みに行って騒いでいても一向に構わない。「俺はこんなに大変なんだ」と社員に漏らす社長は、色々な意味でろくでもない。会社を安定させ、成長させ、何かあった時にすぐに会社に戻り、全力でトラブルを排する、それが社長の仕事である。
個展開催をダシに女と仲良くしようとして失敗したチロ @chiro2020さんのまとめ
有名アニメ会社の広報を自称している@chiro2020という人が個展を開いてあげますよーと嘘ついてあるアーティストに近づいて
そのアーティスト経由でうしじまいい肉をナンパしようとして失敗した話で
うしじまがここまで@chiro2020を執拗に追い込んでるのは、個展開催を信じた親しいアーティストが作業スペースの確保のため今までの住居を引き払ってしまった後だったから
うしじまと仲良いあきまんこと安田朗氏もこういう図解を描いたりして援護射撃してる
そのアーティストさんとは安田氏の家を週1で掃除しに来てくれる仲なのらしい
大手名作アニメ会社広報(と名乗る)人に個展を持ちかけられ、ハワイ断った直後にそれが無くなった女性の件。高解像度版→ https://t.co/0aFTF0pKF6 pic.twitter.com/KVU4wYEAPo— あきまん (@akiman7) 2015, 12月 27
大打撃を受けた仲間を守るためにやってるんだし
気が済むまでやるべきだ
【丸パクか!?】漫画誌「ハツキス」(講談社)新連載「コトコトくどかれ飯」(田所コウ氏作)が峰なゆか氏の「女くどき飯」を丸パクか!?Kiss編集部はクレームをシカト!(追記:編集部が公式見解を発表)
検証が進むに連れて、田所コウ氏の作品はタイトルが似てるものの、内容はまったく似ても似つかないものなので峰なゆかの一人相撲ではないかという見方が大幅に占めた
しかし峰なゆか界隈はコンセプトも含めた丸パクりだ!と騒ぎ続けた。
うしじまいい肉はそれに荷担した
以下、コメント欄より
2015-08-24 07:26:19
PredatorRat 印象操作していないという主張ですがタイトルによって先入観を持たせていると思います 今後もタイトルは変えないのでしょうか? 基本的には先入観を与えないで事実を列挙してから 自身の感想や意見を添える方法が妥当ではないだろうかと思います
うしじまいい肉 @PredatorRat
titan_sin ご意見ありがとうございます!現状タイトルに問題はないと考えておりますので、結果が判明次第、変更をするかどうかを決定します!
2015-08-24 13:45:49
私も講談社の見解が「話し合いの結果」なんじゃないかと思う。講談社がパクリじゃないって言っていて、峰先生もそれに対して反論していない現状、「丸パク!」の言葉がここに残ったまま拡散されていくのはいかがなものかと思います。田所先生は商業誌デビューの前から実験的な作品を発表されてきた方で、才能のある方だと思います。この件で田所先生の心が折れてしまってその作品が今後読めなくなってしまったら、我々漫画読みにとって大損失です。彼女の名誉のためにも、「丸パク!」という言葉はなんとかしてもらえないでしょうか?
うしじまいい肉 @PredatorRat
2015-08-24 15:00:40
ご意見ありがとうございます!現状タイトルに問題はないと考えておりますので、結果が判明次第、変更をするかどうかを決定します!
2015-08-24 18:58:19
本件は著作権に言及したものではなく、コンセプトとタイトルが被っている(似すぎている)ということを問題として指摘したものだと思いますので多少論点がずれるかもしれませんが、参考になればと思い以下のまとめを書き込みしておきます 海法紀光さんが語る「ネタ被りと著作権の考え方」 http://togetter.com/li/705318 「福満しげゆき」先生の漫画「ゾンビ取りガール」が無断でドラマ化された可能性について http://togetter.com/li/704965
うしじまいい肉 @PredatorRat
2015-08-24 21:00:53
私の意見はもう既に書いてあり、もう言う事はないのでよくよく読んでくださいね!
2015-08-25 09:39:37
PredatorRat 言葉足らずで申し訳ありませんでした あなたはもとよりこのコメントを見てくださっているみなさんに対する提示のつもりでした。
うしじまいい肉 @PredatorRat
2015-08-25 12:52:18
titan_sin いえいえ、削除されたコメントを書いた人へのコメントでした。有意義なコメントをいただいありがとうございます。
うしじまいい肉 @PredatorRat
2015-08-28 00:22:36
削除も面倒なので一度消されたコメントを再度書き込むのはおひかえください
うしじまいい肉 @PredatorRat
キチガイみたいにタイトルを直せとしつこくされて怖いのでタイトル直しときました(?をつけてみました)
うしじまいい肉 @PredatorRat
2015-08-24 15:04:41
タイトル変更については「峰なゆかさん」「田所コウさん」「講談社」以外からのタイトル変更要望は受けません。また、結果が判明次第変更するかどうかを決定しますのでよろしくお願いします
結果、田所コウ氏は「コトコトくどかれ飯」の連載を中止した。自分の意思だそうだ。
参考
著作権侵害未満なパクりの話
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2015/08/14/130550
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2015/08/16/102637
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2015/08/17/220116
それから間もなくして
「江古田ちゃんに似てる」「パクリじゃね?」と大評判の4コマ漫画『アラサーちゃん』更新しました! アラサーちゃんはどちらかというと猛禽です。「*肛門*」の巻。http://d.hatena.ne.jp/nayukamine/— 峰なゆか (@minenayuka) 2010, 11月 27
と、かつてはこんな事を公言していた峰なゆかのアラサーちゃんに、本当にパクリが発覚した
峰なゆか氏「アラサーちゃん」がTSUKURU氏の「きょうのゲイバー」に一部類似の件~SPA!編集部より「オマージュ」と経緯説明あり~
峰なゆかが田所コウ氏を追い込んだ理屈を適用すれば、完全なブーメランを完成させてしまい、炎上した。
そして峰なゆかと一緒に田所コウ氏を追い込んだうしじまいい肉はどうしたかというと
完全にシカトを決め込んだ。
しかしコトコトくどかれ飯は失われた。
すみません、夏の件で私を擁護して下さっている人達10;(本当に本当にありがとうございます)には恐縮なのですが、— 田所コウ (@okogezusi) 2015, 11月 21
私は誰にもつぶされていませんし、10;勝手に辞めたので言ってしまえば単なる我儘、超わがままです。— 田所コウ (@okogezusi) 2015, 11月 21
それこそプロ失格です、漫画を楽しみにしてくださっていた方には10;すみませんでした。— 田所コウ (@okogezusi) 2015, 11月 21
しかも、新人の私が辞めた事がかえって10;みね先生の印象を悪くしてしまい申し訳なく思っています。。— 田所コウ (@okogezusi) 2015, 11月 21
今更ながら、10;みね先生の漫画を読ませて頂いたのですが、とっても面白いです!10;自分も次の漫画の事を考えながら楽しくやってます。— 田所コウ (@okogezusi) 2015, 11月 21
それだけお伝えしたくて10;(喋りすぎました、すみませんもう黙ります)— 田所コウ (@okogezusi) 2015, 11月 21
話を冒頭に戻すと
うしじまいい肉は今回は住んでいた場所を失った仲間のアーティストを守るためにやっているそうだ。
それ自体は良いことだ
でもうしじまは一方で田所コウ氏の連載を潰す手助けをした。
なぜ同じように見てやれなかったのか?
身内びいきなだけか?
うしじまいい肉は目を背け続けている。
http://d.hatena.ne.jp/saebou/20151221/p1
「非常勤講師」とは雇用契約を結んでいない。1コマいくら、学期単位で委嘱している。たとえばブコメにあるように民間の人に来てもらって講義してもらう場合とか、あと奇妙な話だが内部の教員が本務以外の他学部で講義を持つ場合も非常勤講師扱いになっている。単価には幅があるが概して安い。これはターム制導入以前からはっきり言って安すぎるし、ターム制に移行したための負荷の増加というのも正直あまり考慮されていないだろうと思う。脱線するがターム制は前総長時代に秋入学だなんだでさんざんぐだぐだやったあげく妥協の産物として任期ぎりぎりに制定された間に合わせの制度という印象がある(学部によってタームの時期違ったりする)。ただ準備に充分な時間があったとしても非常勤講師の人件費にお金が回ることはなかっただろうなという気もする。国立大学法人の予算に余裕はないが、中でも教育部門は深刻だ。一番お金を持っている大学でこれだから他は推して知るべし……というところだと思う。
「教職員」の定義は「雇用契約を結んでいる教員および職員」であるので、非常勤講師の多くはそれに該当しない(上にも書いた通り例外はある)。“非常勤講師は東大と雇用契約が無く、「教職員」ではない”というのはその定義の上では全くその通りである。とはいえそれだけ聞いたらわけがわからないのは間違いない——というかともすれば心無い言葉にも聞こえるし、ブログ主にはそう響いたのだろう。説明の際に言葉が足りなかったものと思うが、申し訳ない話だ。非常勤講師の皆様が居なければ大学の講義・授業はとても成立しない。人事制度用語としての「教員」には該当しなくとも、教育を担う重要な方々であるという認識は事務部門として当然に持っている。
ただ、その定義の上では“「教職員」でない人に学生を教えさせてい”ること自体は必ずしも問題とは思わない。学生を教える人と必ず雇用契約を結ばなければならないとしたら、今度は民間の人に講師を引き受けてもらうことが兼業規定とかの兼ね合いで難しくなったりするだろう。
それと、講義を委託するのであっても、すなわち結果さえ伴えばどうやっても自由、ということではなく、やはりある程度やり方についても指示をする、ということ自体は充分あり得る。そこは委託の形態次第だ。しかしブログ主がここにひっかかっているのは本質的には雇用形態の問題ではないと思える。
余談だが、「非常勤」という言葉には別の意味がある。まあ、このブコメにある通りなのだが、
defy1 非常勤講師ってのは職名というよりいわゆる単発バイトの名称であって、国公立大における非常勤教職員(パート教員)とはまったく別。国公立と私学の文化的・制度上のギャップも大きそう。
「教職員」の中にも「常勤」と「非常勤」があるのだ。ただ、学内ではほぼ通じる言葉だが多分正式な用語ではない(逆に「非常勤講師」は正式なタームの筈である)。ざっくりいえば常勤の人は月給で働き、非常勤の人は時給で働く。
と「教職員」にも8通りの形態があると考えていただければよくて、「非常勤講師」はこの中にそもそも入らないというのは上に書いた通り。
ブログのコメント欄で出てくる「東京大学特定有期雇用教職員」「東京大学短時間勤務有期雇用教職員」「東京大学特定短時間勤務有期雇用教職員」という呪文のような職名はそれぞれ「常勤-教員/職員-任期あり」「非常勤-教員/職員-任期あり」「非常勤-教員/職員-任期あり」を指している。あとのふたつがどう違うかは自分にもわからない。
まめちしきとして、職名に「特任」とついている人は任期ありである。報道で「特任教授」とか「特任助教」とかいう職名を目にすることも多いかと思うがあれはそういう意味だ。常勤か非常勤かは区別がつかないので、例えば月に1回だけとか勤務してる特任教授なんてのもいる。
ちなみに非常勤の任期なしというのはもはや存在しないが、国の頃から在籍している人には経過措置でまだ残っている。何十年も同じ研究室にいる秘書さんなんてのは代表的な例だ。
閑話休題。
データベースの話は初見では自分もブコメに書かれていたのとほぼ同じ、データベース(あるいは電子ジャーナル? 具体的にはどのようなものか、元記事のコメント欄で質問もされているが結局ここはあいまいだ)の配信元との契約が関係しているのではないかと推測していた。アクセスできる範囲を非常勤講師にまで広げてしまうと金額が大きくなりすぎるし、それまでは使えていたのは契約違反だった、という話だと“去年までアクセスできていたのは契約違反であり、非常勤講師が勝手にアクセスしていたという扱いになる”という記述と整合する。これは単純にお金の話なので乗り越えるのが難しい。上にも書いた通り教育にかけるお金は厳しい状況だ。
ただ、ブログのほうのコメント欄を見るとそもそも学外からのアクセス権がもらえないという話が出ている。それであれば情報セキュリティポリシーの話になる。コメント欄にある通りポリシー上「教職員」以外には原則として学外アクセス権を与えていない。“去年までアクセスできていた”のであればそれは運用がいいかげんだったということでそれはそれで問題だ。
アクセス権についてはどこかで線は引かなければならないのだから、雇用関係のある/なしの間で線を引くのはそこそこ妥当な線であるようにも思う。しかし非常勤講師に全く学外からのアクセス権が与えられないのは確かに不便が起こりうるし、そこは個別に融通を効かせて欲しいところであるとは個人的には思う。改善されると信じたい。
# 単にアクセス権を得るということであれば週数時間でいいから何かの名目で(非常勤)教員として雇用されるのが多分近道であったと思うのだがその辺りを相談できる先生はいなかったのかな……。データベースの契約の話だとフルタイムにはカウントされないだろうけど。
## もちろんそれでは本質的な解決になっていないし、それこそ本務先との兼ね合いもありそうで、近道ではあっても回答ではない。
情報ヘルプデスクの開始時間についてはターム制導入に際して運用が追いついていない顕著な例で、これも契約の変更が伴うので時間はかかるが改善されると信じたいところではある。が、学内には始業時間が8時30分の部署はこれまでも普通に存在していたのにヘルプデスクはずっと9時からだったので変わらないかも知れない気もする。
UT-roamについてはさすがにその応対をした人がなにか思い違いをされていたと思う……のだが情報部門も常に人数足りてない感じは否めず、各部局の情報担当が汗を流して頑張っている印象はある。その意味で“本郷の誰かがボランティアでやってる”はあまり笑えなかったりする。
取材については詳しいところはわからないが、本部の広報部門の職員数は大学の規模に比すれば信じられないほど少ない。なので本部に問い合わせれば(個別に対応することが不可能なので)全て禁止と言われるのではないかと想像する。しかし部局によっては独自の広報担当があって、現実問題として部局が独自に取材を受けることは妨げようがない——という気がしないでもない。歯切れが悪くて申し訳ない。いずれにしてもこの点については大学全体の問題であるように思う。
意欲的な授業を行ってくれていたらしい先生が去っていくことを残念に思う。大学側に積極的な悪意はないと信じたいのだが、直接の応対がどのようなものであったかは知りようがないし、時給が安いのと広報がうまくいっていないのはまあ事実だし、“非常勤講師が研究・授業用に学外からデータベースを使えるようにするとか、クラスサイズを小さくするとか、そういう教育環境の改善には全く関心が無いようです”と言われたときにそんなことはないと言い切れる材料を自分は持っていない。
あとこの手の記事がホッテントリに入るとだいたい複数の「大学事務ってクソだな」みたいなブコメがつくのでなるほど大学事務というのはこのように見られているのだなと毎度思う。思うし、まあそれがまるっきり的外れでないことも実際あることは認めざるを得ない。自分にできることはクソでない仕事を毎日していくことと確かにクソである仕事を少しでもあらためようと努力することしかない。