はてなキーワード: 雇用契約とは
親からは手伝いの報酬として毎月最低賃金切ってるんじゃね?(交通費含めたら普通にきってる)程度の額の給与らしきものをもらってた
てっきり年金や保険なんかを源泉徴収した結果がこれなんだろう、と思ってたけど、どうも違うらしく年金や保険は親が払っているという体になってるらしい。
なので収入額によってはふつうに確定申告する必要があると思うんだが、家業手伝いの給与明細もなければ支払総額も把握できない
管理してるのかもしらない。そもそも雇用契約書だのとと行った書類はは存在しない。
シフト管理はガバガバだし深夜労働残業にたいしての報酬もその日の気分なので労働時間も給与額よくわからない。
そもそもこれは給与という扱いなのか?法的には俺は雇われてるのか?ほんとに手伝い賃扱いなのか?というのもよくわからない。
これで「雇ってやってる働かせてやってる感謝しろ」みたいに上から目線で言われ続けてた。どんだけ人の足元見てんだよ、と思いながら確定申告どうしたらいいのかわからず積んでる
書類の請求とかしたくねぇな。。。。嫌み嫌み嫌み嫌み嫌み嫌みでまともに書類出さねぇか手を出すなってキレるか日雇いとか面倒くさい事するなとかいわれるのが目に見えてるんだもん。
23時になってもまったく、明かりが消えない
学閥の特徴
anond.hatelabo.jp/20160611224524
anond.hatelabo.jp/20201205002502
六歳だとそれが少し増え、
七歳もかなりいるが、
そしてその労働日は
しばしば自らその活動に活発に参加した。
bit.ly/3kpoLD4
児童労働の深刻さを認知した英国政府は、新たな法律を制定した。
3.12歳以下の児童は、炭鉱、造船所、製錬所に送ってはならない。
tinyurl.com/jidou-roudou
牛馬にも劣る。
しかし社交季節にはしばしば
bit.ly/3c7VDC5
●●●の娘「入社してしばらくは暇でした」
役員の人数最多は東●
tinyurl.com/shusse
tinyurl.com/rokuon-shiteita
tinyurl.com/mukenjigoku
コ●ラ● 9:5 あなた方はどこであれ、多神教徒を見つけ次第●しなさい
コ●ラ● 47:4 あなた方が不信心な人とまみえるときは、かれらの首を●ちなさい。
https://twitter.com/egodissolution1/status/1414814142255439875
tinyurl.com/tabunkakyousei
庁舎を後にしたのは午前2時半
bit.ly/3L8WNZK
「運が悪いと、朝5時や朝6時。場合によっては朝7時」
bit.ly/3M1abAf
答弁レク「朝4時からも」
tinyurl.com/gozen-yoji
bit.ly/3iDx9A8
常勤医で8.2%
bit.ly/3M1lxE9
月の休みが
3回以下の医師が
32.9%
bit.ly/3PefM88
100連勤・
「シンプルな」AIは、銀行のマネージャーの融資決定を95%以上の精度で予測
www.unite.ai/simple-ai-can-anticipate-bank-managers-loan-decisions-to-over-95-accuracy/
71%のケースにおいて即決で融資を実行
bit.ly/3NbOQUK
だいたい平均で
夜中3時ぐらいまで仕事するじゃないですか
bit.ly/39aQDuv
多分200連勤ぐらいしたりとか
50人いて一人ぐらいしか5年後には残ってない
bit.ly/3wf8rg9
bit.ly/3FyoaLq
銀行員 同期100人いた場合50才で銀行本体残るのは1人の例も
bit.ly/3yt3Eu0
出向
年収は半減
bit.ly/3whuTVY
bit.ly/3vHDsc6
bit.ly/3LYrEt0
bit.ly/3M1sSUd
ゴ●ル●マ●だけでなく他の投資銀行も同じ
bit.ly/37y18aV
9割の取引が、コンピューターによる高速では無い物を含めた自動取引
bit.ly/3N9jKNL
s.nikkei.com/3M5nFLf
amzn.to/3Pbfvmz
6年目以降は入ってこない?
bit.ly/3krr3SN
他にもスーツ、お節、家電、食料、ケータイ、弁当等、ありとあらゆるものを年中購入させられます
多分歯切れの悪い反応をすると思います
bit.ly/3v3WZ7D
本社勤務の時には、
bit.ly/3S30Fis
朝8時には会社にいる?
忙しいと22時まで残業?
bit.ly/3nwjrS6
「少しでもミスをしたら“東大出の自分は優秀だと思っているのか?現場ではそんなの何の役にも立たないぞ”と
bit.ly/3spWKCc
bit.ly/3wbfA0I
朝3時まで狭いプロジェクトルームで作業して、次の日は6時から7時の間に出勤が当たり前
当時同期で入社した200人近い中途の仲間は誰もこの会社に残っていません
bit.ly/3wa5tLb
bit.ly/3yA1mcy
良くて3時か4時くらい、下手すると6時くらいに終わる
夜中1時、2時まで、朝はなぜか7時集合
同期は全員辞めてると思う
bit.ly/3l05Z86
ttps://bit.ly/3wHGJHp
三●物●が新社長を発表!私大出身者の社長”ゼロ”の壁は壊せたか?
ttps://bit.ly/3i2gSFU
ttps://bit.ly/2U7ojOR
帝大65円 早慶55円
ttps://bit.ly/2ryVtbO
7人分のハンコ
bit.ly/2Gbk4wd
自分で大きな決定できるようになるまで、
うまくいっても制度的に
tinyurl.com/nijyuunen
商社の何が辛いって、
仕事量が多いとか、
飲み会が多いとかではなく、
基本決定権が無い点
商流的に真ん中にいるので
無論、若手に社内の決裁権はない
bit.ly/3bXmzkn
長いけど読んでくれ
あなたに降りかかってくる
誰でもできるような仕事を大量に任される
tinyurl.com/shitoite
与えられた仕事を
bit.ly/2uwinCk
ttps://bit.ly/3ap8GtC
tinyurl.com/section-chief
社内政治というのは政治で守られている人は「政治はない」と言い、政治で不利益をこうむった人は「政治がある」と言うので前者の人の言うことだけを聞いて判断できない
bit.ly/2ruvbHw
bit.ly/38lPel6
推薦・内部組のほうが一般入試組より成績がよくなるからくりは 一般入試組の上澄みは仮面浪人して別の大学行くからと聞いてなるほどと思った
tinyurl.com/kamenronin
tinyurl.com/ryuunen
早稲田大学広報課「入試形態別で入学者のGPAを調査すると、本学の学部全体で最も成績が良い層はAO型入試・指定校推薦入試で入学した学生である」
何らかの選択過程を通過した人・物・事のみを基準として判断を行い、その結果には該当しない人・物・事が見えなくなることである。
「無事に生還した戦闘機」という時点で、既にバイアスがかかっている――従って「無事に帰ることができなかった戦闘機」という、見えないサンプルも考慮する必要がある
tinyurl.com/seikanshita-sentouki
爆撃機の装甲を厚くすべきなのは「対空砲火を受けた場所」と「受けていない場所」のどちらか?
なぜ、200万人ものサンプルを集めたダイジェスト社が予想を外し、たった3000人のサンプルでギャラップ社は的中できたのでしょうか?
学力が低いのに「早稲田」に入学できてしまう学生も…大学受験を“不公平なシステム”にしてしまった「指定校推薦枠」の功罪
bunshun.jp/articles/-/69450
「早稲田政経は、短期間に簡単にAO合格可能なことを正直に暴露した勇気ある著者」
【偏差値40の三流短大卒フリーター、25歳で早大に入学する!】
ttps://www.amazon.co.jp/dp/483871730X
受験情報会社「慶大法学部は90年代に指定校推薦・AO入試の枠を広げた。一般入試枠が狭まったため合格ラインが上がり、偏差値も上昇したのです」
tinyurl.com/suisennado
日米の組織には大きな差がなかったのですが、ものすごく大きな差が出たのは
「信賞必罰」
ttps://bit.ly/2wyebne
tinyurl.com/zuiikoyou
不適切な人事は組織の敗北につながる■勝てない提督や卑怯な司令官をすぐさま更迭した米軍
ttps://bit.ly/39EBL2Y
組織には、
全体最適よりも、
部分最適・内集団最適・派閥最適・学閥最適を優先する乱源が存在する!
信賞必罰!
乱源には、不寛容であらねばならない!
ttps://bit.ly/1WOeC4B
「もし社会が無制限に寛容であるならば、その社会は最終的には不寛容な人々によって寛容性が奪われるか、寛容性は破壊される」
「寛容な社会を維持するためには、寛容な社会は不寛容に不寛容であらねばならない」
tinyurl.com/paradoxoftolerance
ttps://bit.ly/2CPjeTD
内集団ひいき
bit.ly/2wSF71B
自分も相手も互いに同じグループに属していることが周知されているときには、内集団ひいき的な行動が観察されますが、
自分は相手が同じグループであることを知っていても、相手が自分のことを同じグループの一員かどうかわからない状態では、内集団ひいきは観察されなくなります。
つまり、自分と同じグループの人に対してひいきするのは、見返りが期待できると思うからであって、同胞に心から同情するせいではないということです。
cleartetsugaku.ame-zaiku.com/shakai/saishousyuudanjikken.html
以前までは土日深夜休日祝日関係なく呼び出され前日どころか当日に仕事言い渡されても残業してもほぼ定給(たまに思いついたようにお小遣い()がもらえる)だったのが、俺が借金を作ったというマジクソみたいな理由で日払いになった。
その結果として働けば働くほど給与がもらえるし、急な呼び出しは追加でお金がもらえるようになった。
結果として前より待遇がよくなってる
働いた分だけお金がもらえるってマジ最高やな。
というか前までどんだけクソだったんだよ。労働ではなくお手伝い感覚だからガタガタ言わなかったけど、今考えると雇用契約なんかないし一方的な変更当たり前というシンプルにブラックだなおい
両親の感覚では家の仕事を行うことパソコンでやる仕事は労働に含まれないらしいから俺は家庭内では無職でカーストが一番低い
なので(外で働いて)自立しろ(無職のお前なんかいなくても)どうにかなると家の仕事を「手伝わせる」ことについては矛盾しない
働けど働けど我が暮らし楽にならずというが、働けど働けど扱いが変わらないのもなかなか辛い。たまにいく日雇いのバイトのほうがまだ人として尊重される
残業代とか裁量労働とかそういう概念がない、というか家族間の話なのでそもそもまともな雇用契約を結んでいないので給料の概念もない。
小遣いは貰ってるから毎月定額なので朝だろうが夜だろうが必要なら呼び出されるし、前日に「明日変わりに行ってくれ」と言われ日曜の朝に出勤するならまだマシ、下手したら一週間前に決められたシフトが前日夜になって連絡相談無しで変更され朝呼び出されるとかいう世界である
・基本的に家庭内カーストが業務形態に反映されるので労働基準法とかいう概念はない
・そもそも雇用関係があるかもあやしい。給与明細とか雇用契約書といった書類関係はガバガバ管理なので働いてても社会的には無職となることが多い
・収入形態は不鮮明、勤務時間も不鮮明、休憩時間も不明、雇用者(大体の場合は立場が強い両親)の都合で変わる
・家庭内のイザコザがそのまま仕事に持ち込まれる。というか仕事と家庭の差がない。仕事でやらかせば家まで持ち込まれるし家でやらかせば職場まで持ち込まれるので心休まるときがない
・家族間なので予定はほぼ把握されてる、大体の場合行く宛がなくやめることもできないのを理解してるので家庭内の立場が低いとすごい勢いて足元を見られる
大体の場合雇用してる側は「働かせてやってる」「手伝わせてやってる」感覚なので、どれだけ働いても良くて薄っぺらい感謝の言葉がでる程度。それで家庭内カーストが変動することはないので何年真面目に働いてもなにも変わらず扱いは低いまま。勿論給与のUPとかそういう概念はない。
明日頼むと事実上の命令をされて、こちらの予定を調整してその仕事をやり終わったら些細なことでキレられ「早く出てけ!!」と嫌味たらしく叱られる生活をするとほんとに心がボキボキと折れてく。
その折れた心を癒やす方法はどこにもない。ストレスを吐き出す先もない。せいぜいこれ以上苛つかせないように顔を合わせないために子供部屋に引きこもるくらいしかない。
多分(俺はしらないので)家族の仲がよく人の足元をみないか、雇用者になる両親や家族の意識が高く「身内でも労働者である」という感覚があるならブラックにはならないと思う
そういう感覚がない家の家業手伝いや家事手伝いは下手なブラック企業よりブラックになりやすいというのは覚えておくと、まぁそんなクソみたいな仕事だってなら独り立ちしろって話だよな。
それが簡単にできりゃ苦労しねぇんだわ
前 https://anond.hatelabo.jp/20231231221402
そこまで希少な体験をしたつもりはないが、この時はまだ20代後半である。感受性は高かったはずだ。
F君が福祉課3年目の頃だった。人事異動で職員が何人も代わって、施設グループ内でも経験年数が長くなっていた。彼より長いのは、最初の方で述べた性格がキツイ女性のみだった。やはり性格がねじ曲がっていた。例えばF君が職場にあるコードレス電話にかかってきたのを取って、♀宛てに子機を渡そうとすると、手先を拒否的に振って嫌がっていた。
そうなると、F君は「仕方がない」という顔をして、相手方に電話を折り返す約束をして♀に電話メモを渡したりしてた。日本人だから、『穢れ』というやつを気にしていたのだろう。
この頃になると、F君も♀とだいぶ口論できるようになっていた。1年目の頃は、反論できなくなると、のらりくらりと躱したり、ハラスメント発言が出ると「待ってました!!」とばかりに悪態をついたり、後は会話を普通にスルーしていた。
この頃は、例えば……♀がキレて、「もう私に聞いてくるのやめにしたら? 必要なことでも今後はお前には教えん」みたいなことを言ったとする。そしたら、F君は「いいえ。相談に行きますので、その都度断ってください」と返した。
するとまた「もう来るなって言ったのわからへん?」となって、さらにF君は「その都度行きます。私の相談に答えるのは職員としての義務ですが、その義務を果たさない自由もありますから」と言ってた。メモに取ってるから間違いない。
うまいというか、ズルいというか。職場の慣習やルールと、自分と相手の課題というか、そういうのを見極めていたと思う。それで、♀はまたキレてしまって、「来るな!!」「いや行きます」の水掛け論になった。
♀「嘘つくな」
F「やっています」
♀「マジメにやってるように見えない。仕事はマジメにやらないといけないよね?」
♀「なぜ?」
♀「じゃー答えろや」
F「答えません。それは私が決めます」
♀「……お前をフォローする側にもなれや。お前の後輩が働かんかったらどうする?」
※♀側の意見。F君は仕事そのものはちゃんとやっていた。はず。
F「その状態でも一応は認めます。市民の利益に関することはフォローします」
♀「認めるなや、そんな屑」
F「ところで、仕事というのはマジメにやらないといけないんですか?」
♀「どういうこと?」
F「仕事ができなくても、別に死ぬわけでもないでしょう。北朝鮮やロシアだったら死ぬかもしれませんが。あと、その人が仕事をしなくても世の中は普通に回りますよね。仕事のクオリティが低かったら文句を言われるでしょうが、時間が経てば、世の中の評価基準がクオリティが低い方にスライドしていきます……それで仕舞いです。恐縮ですけど、労働者は仕事をマジメにこなさなくてはならない……まず、そういう基本的な思考から疑わないといけないのでは?」
♀「職務専念義務って知ってるよね。さすがのあなたでも。公務員って、身を粉にして働かないといけないって地方自治法に書いてあるよね。民間とは違うの」
F「そんなの壮大な建て前でしょ。第一、それって特別権力関係の理論(※)ですよね。すでに否定されています。公務員はサラリーマンの一種であり、自治体と雇用契約を結んでいる。その雇用契約の上に公法契約が乗っかってる。それが答えです」
※特別権力関係・・・昔は、一般職の公務員は会社員とは法的に異なる存在だったらしい(法治主義の原理の適用が排除されるべき存在)。今だと、行政法的には公務員は民間の会社員の仲間という扱いになってる。
「いいえ、仕事はちゃんとします。ただ、この世界には……仕事よりも大事なことだってたくさんあると思うんです」
♀「この、あっほっがあああぁっ!!!!」
F「ありがとうございます。自分の存在が肯定されている気分です」
空気感としては、F君は別にここまでひどいことを思ってるわけじゃない。けど、♀の叱責のやり方があまりに侮辱的で、彼は頭にきてるみたいな、そんな空気だった。
そして、またあの時みたいに、グループリーダーが「お前ら、うるさい!」と♀に怒鳴ったのだ……。その時だった、♀が急に過呼吸を起こしたみたいになって、その場に倒れ込んだ。苦しそうにもがいていて、F君も俺も、ほかの職員も駆け寄った。立ち上がることも難しい様子だった。
その場で救急車を呼ぼうと思ったが、「落ち着くまで待とう」というのが福祉課長やグループリーダーの判断だった。
一応はF君をフォローしておくが、彼は上のやり取りのような考え方は採用してない。断固として言える。普段の仕事振りを見てたらわかる。あくまで、経済社会におけるひとつの考え方(ひろゆきが番組で喋ってるみたいな……)に過ぎない。それが、彼も頭にきてたんだろうな……つい、ポロっと口に出てしまったのだ。
♀による日頃からの口撃に腹を据えかねていたのではないか。だから、悪態をつくみたいにして、相手の大事にしてそうな考えを、スズメハチの針でプチッと刺すみたいなことをしたんじゃないか。俺はそう思ってる。
こんなことを考えて彼に同意してる時点で、俺も公務員には向いてなかったのかもしれない。
それから約一年後になるが、その先輩女性は左遷された。2010年代が終わる頃で、世の中の動きはハラスメント撲滅に傾いていた。はてなブログとかでも、そういう方向性の記事がランキングに上がることがあった。
結局、勤務中に差別的な発言すらしていた♀は、上下水道局に異動になった。あそこは基本的に男しかいない。男性職員ばかり40人だったっけ? とにかく女性がいない部署だった。
こういうのは、人事からのメッセージのひとつだ。「あなたは間違ったことをした」というのと「嫌だったら辞めていい。むしろ辞めていただきたい」という二種類の。
ほかにも、辞めてほしい職員にはそういう人事異動を行う。1年単位での部署異動とか、逆に掃きだめみたいなキツイ部署に10年単位で張り付けなど、とにかくいろいろだ。介護家族がいる職員への遠隔地出向などもある。査定の低い職員は、60才になる年に再任用の届け出を出しても当局側から拒否される。
ただ、あの♀については可哀そうだった面もあるよ。体質的に感覚過敏とか、神経過敏みたいな症状があったのかもしれない。病気とかやってたのかもな。ストレスが溜まってたんだろう。
俺だって30代半ばだ。気持ちはわかる。けど、俺は勤務中にああいう発言をする職員はやはり許せない。青臭い考えかもしれないが。
この頃になると、F君はそこまで悪質な人間ではないのでは? という考えが生まれていた。職員に対して態度が悪いところはあるが、企業や団体を含めた市民の方を向いて仕事をしていたし、結果も出ていた。
《エピソード①》
まず例としては……この頃、大きな会議があって都内まで行ったことがあって、その帰りにF君と一緒に電車に乗っていた。で、都内ってやっぱりさ、半グレみたいのが多いじゃん。どこの市区かは地域差別につながるから伏せるけど。
その車両では、3人ほどの半グレみたいな連中が座席で大騒ぎしていた。酒を飲んでいた。アル中カラカラみたいにして。あれは新幹線で飲んでるからいいのだが、これは普通列車だ。
あまりにうるさいから、ほかに乗っていた主に高校生らもビビっていた。それで、半グレどもの1人が、「やってやるからな!」と大声を出したあたりで、F君が立ち上がって――別の車両の方に歩いて行った。
その途中で、目配せをしたんだよな。高校生らに。「この車両、離れろ」って感じで。で、女の子の方から前の車両に移っていった。いやあ、あれには参ったね。たまにはいいことするんだなって思った。俺には思いつかなかった。
半グレ風の男の1人は、気が付いたみたいだった。席を立つと、F君に近づいていって睨みつけた(さっき叫んでいた奴だ)。F君に視線を向けて、何十秒かバチバチとやりあった後で、元の席に帰って行った。途中、俺達が座っていた座席に痰唾を吐き出した。それも2回。
その後は俺達も前の車両に移った。それから何もなかった。無事に庁舎に帰ることができてよかった。
《エピソード②》
あとは、高齢者に優しい。公務中に、道端とかで爺さん婆さんに話しかけられることがあったんだが、F君はきちんと対応していたよ。ちょっと話して去るとかじゃなく、じっくり話を聞いてた。五分以上になることもあったかな。親切丁寧だった。ほかの職員にもあれくらい丁寧に接してほしい。
年配とまではいかないが、俺が休日出勤で警備員詰め所の前まで来た時、副市長とF君が一緒にいるのを見た。あの知性の鬼で知られる副市長が、F君と和やかな感じで雑談してたんだ。副市長がカードキー探してるところに、サッと自分のを差し入れて扉を開けてた。それで、「副市長、今日も休日出勤なんすねwwwwww」みたいにふざけてた。
《エピソード③》
あとは、なんだったかな。福祉事務所の仕事で、虐待を受けてる可能性がある市民を保護施設に連れていく仕事があった。暴力沙汰になっても大丈夫なように、若い職員が中心になって家にお邪魔する――虐待者がいない時間帯を見計らって。今回は午前中だった。
古風な家屋だった。半分空き家レベルの。職員数人でお宅の呼び鈴を鳴らすと、ちょっと事情ありげな(詳細は書かぬ...)お爺さんが出てきて、ああ、この人だなと思った。女性職員がお爺さんに説明を始めて、それではさあ保護施設へ……となったところで、虐待者と思しき人が乗った乗用車がこの住宅に帰って来るのが遠目に見えた。この丘陵地帯には家が数件しかなかった。
「まずい」と思った。こういうのは本来、うちの総務グループの仕事ではないから、自分は虐待者と直接対応した経験はない。どうしようかと焦っていたら、F君がその乗用車の方に向かって行った。俺達の視界から消える時に「行け!」とジェスチャーした。
お爺さんを公用車に乗せて、無事に門扉を出た後、F君の姿が見えてくると……虐待者を呼び止めて、どこかに行ってた。おそらく何かコミュニケーションを取って、それとない理由でどこかに案内を求めたのだと思う。グッジョブだった。
これはあれだよ、クソ度胸というやつだ。見つかってたら大変だった。前任者によると、運が悪いと連れ去り事案で警察に通報されるらしい。お巡りさんも事情を話せばわかってくれるが、当然ながら福祉課に対して「もっとうまくやりなよ……」という警察からの指導がある。
昼休みが終わって、F君が福祉課に帰ってきた。徒歩だった。「大丈夫だったか?」とグループリーダーが聞くと、「問題なしです」と言ってた。F君が席に座ろうとする時、胸襟のところを見るとネクタイや胸ボタンがダメージを受けていた。
ここまで書いてて気が付いたが、おそらく俺は憧れの感情を抱いていたのだ。F君に対して。
F君は自由だった。俺はといえば、上司や先輩の顔色をうかがってばかりで、いつもへコヘコして、自分の仕事を肯定するために法律文や引継書類を探してた。承認欲求も満たされてなくて、週に一度は後輩(特に女性)や臨時職員にマウントを取ったりして、そんなのばかりだった。
今思えば情けないが、これが普通の20代の男なのかもしれない。商人欲求に飢えている。今思えば、俺も弱者男性のひとりだったよ。だって、弱いじゃん。当時の俺は。今もそうかもしれないけど。ここまで読んだあなたも、そう思っただろ。
でもF君は、いつも堂々としてたし、良くも悪くも人の顔色をうかがわないし、法律や引継資料よりも自分のロジックが主体で勝負してたし、後輩の女の子や臨時職員にマウント取ってるのを見たことがない。
俺は自由じゃなかった。それは、俺にとって一番ほしいものだった。でもF君は、全部じゃないけど、そういうのを持ってた。俺と同い年なのに。そういうのが歯がゆかった。
金目的で結婚した女が家事とかの文句言ってるのは正直謎、良く言えばビジネス結婚だし悪く言えば人身売買に乗ったんじゃん。恋愛に見せかけて平等ぶるくらいなら雇用契約がはっきりしてる方がまだマシだと思う。
歳行っても結婚してない女性、結構周りにいるけど、実家が太いか固い仕事をしてるかなんだよね。結局、経済的な理由でしてた結婚をしなくなった。それ自体は良い事だ。金目的で結婚した女が家事とかの文句言ってるのは正直謎、良く言えばビジネス結婚だし悪く言えば人身売買に乗ったんじゃん。恋愛に見せかけて平等ぶるくらいなら雇用契約がはっきりしてる方がまだマシだと思う。
自分を十分養えるレベルの人間が、純粋に好き合って結婚した共働きの家庭が沢山子供を作れるようにするのが一番いいと思う。子供の教育にも良い。男が1人で養うもんだという風潮は誰も幸せにしない。できない奴は弱者男性ダーとか言い出すし、1人で家族を養える男性に「買ってもらえない」女は売れ残りだとかモノみたいに言われる社会は良くない。
ニート歴15年からどうやって社会復帰したのかという問いあったので、簡単に記そうと思う。
まず俺が最初に走ったのは飲食店のバイトだったが、これはすぐに採用されたものの長続きしなかった。白状すると1月未満で辞めた。
飲食店というのは高度なコミュニケーションやマルチタスクを必要とする職種で、俺とは絶望的にマッチしていなかった。
簡単と思われているバイトすら無理なのかと絶望した俺は、母に付き添ってもらって市役所で相談した。
すると以前うつを患ったことで精神障害の手帳があるという点から福祉課に案内され、障害者としていくつかの就労手段があることを知った。
その手段は主に2つ。
1つは、就労継続支援というサービスで、行政から支援を受けた事業所が障害者を雇って簡単な仕事をするというもの。
2つ目は、就労移行支援というサービスで、こちらは一般の企業に就労することを想定して支援を受け就活をするというものだ。
楽な方を好む俺は前者に飛びついた。
家から歩いて20分くらいのところに事業所があったので、そこで面接し、無事採用されたが、じきに現実を知ることになる。
俺が行くことになったのはA型事業所というもので、このA型になると、その事業所と雇用契約を結ぶことになる。
なので最低賃金は保証されており、一日に4時間、週に20時間の労働という雇用形態になるので、月収は9万円前後が見込める。
ちなみにB型事業所の方は雇用契約を結ばず、作業内容に応じた工賃が支払われる。
こちらは見に行ったことがないので詳細は分からないが、収入は非常に低いもの(一日に1000円とかそういうレベル)であると伝え聞いた。
さて、俺が行ったのはA型事業所だが、どういう仕事をしていたかというと、ネジにナットを通す作業や、パイプにゴムを巻く作業などだ。
非常に地味で単純な仕事である。単価も1工程1円とかそういう次元だ。
はっきり言って誰でもできる仕事であり、昔なら内職などで斡旋されていた類の作業だと思う。
はっきり言うと、知的障害の人が多い。
精神障害の人は少数派で、身体障害の人は皆無。そういう世界だった。
つまり何が言いたいのかというと、やりがいが全くないという事と、知的障害の人と全く分かり合えないということだった。
働いている精神障害の人もあまり健康そうには見えず、知的障害の人が出来ない事をカバーする役割を担っていた。
これがもう絶妙に苦しくて逆に病みそうだったので、俺は数か月でこの事業所を辞めた。
俺にしては長続きしたが、これじゃ失業給付も受けられないし、多くの人から逃げたと思われるだろう。
……まあそれは兎も角、俺が次に頼ったのは就労移行支援のリタリコワークスという事業所だ。
ここは就労移行支援の中では大手で、全国的にサービスを展開している。
俺の運が良かったのは、この事業所が非常に肌に合っていたことだろう。
普通、就労移行支援の事業所というのは物静かで暗いイメージなのだが、その事業所はスタッフも利用者も共に明るく、俺は凄く居心地が良かった。
社会で働く上でのマナーや礼儀作法、就活における書類や面接のコツなどを1から教われたし、周囲とも楽しくおしゃべりが出来た。
面接訓練は毎週受けていたし、電話応対訓練で実際に事業所にかかってくる電話の取次ぎを日常的に経験出来たのは大きな自信に繋がったと思う。
そして何より、20社近くの見学や実習に行った事で自分の世界が大きく広がった気がする。
就活と並行して発達障害の診断も受け、うつではなくASDとADHDを主軸に戦うようになった。
そういうわけで、就労移行支援というサービスは利用期間に期限があり、2年までしか利用出来ないのだが、幸いなことに、俺は1年で内定を貰うことが出来た。
ここまで来るのに2年の歳月がかかった。
Aは面接にてBより「来月初日より勤務可能であれば、採用させていただきます」と口頭で告げられる。
Aはそれに対し「来月初日より勤務可能ですので働かせていただきます」と回答。
したとされる。
翌月初日、Aは出勤せず連絡がつかなくなる。
したとされる。
3か月後、Aより
「一方的に契約を破棄されたので、就労の機会を失ったためその期間の給料の支払いを求む」
という書面が送付される。
その後の聴き取りでAより辞退の連絡があったことが分かったため、本人に確認するも
「そのような連絡をした覚えはない」と告げられる。
仕方ないので会社側も「弊社側としては公式に採用を通知したことはない」と回答。
俺ェはバカだからわかんねえンだけどよ、どうして最低賃金ってのは時給換算なんだ?
あれ上げても、アルバイトの時給ばっかり上がって月給もらってる正社員の時給が上がらねえじゃん。
もう何年もずっと上げてみて実証されてるから、全員わかるだろ?
月給で雇用契約結ぶときの最低月給ってのを別途定めるんじゃあダメなのか?
平均18日以上出勤させる前提で雇用するとき(または事実そのようになったとき)は、月給の方の最低月給を払わないといけないってルールにしたらダメなのか?
パートタイムの給与ばっかり良くなって、フルタイムの(正社員以外の雇用形態は色々あるにしても実質的フルタイムの)賃金をガンガン上げないとダメだろ。
低賃金パートタイムを救えないとか問題はあるかもしれないけど、1つの方法ですべてを解決する必要はないんだから、経済にガツンと効くようにフルタイム労働者なのに低賃金って人を減らすのが良いだろ。
なんでそうしないんだ?
2021年8月、アフガニスタンでイスラム主義組織タリバンが復権して以降、迫害を恐れて日本に逃れてきたアフガン人たちが、困窮の中にある。その多くが、長年の紛争で荒廃した祖国の復興を、日本政府と一緒に支えてきた大使館や国際協力機構(JICA)の職員とその家族だ。
「日本のために、時には命を危険にさらしながら働いてきた。それなのになぜ……」
首都カブールにある日本大使館の元女性職員、ケレシマ・セデキさん(38)は東京都内の小さなアパートで嘆いた。
5万8000円の家賃に水道光熱費や通信費に健康保険。大使館職員として支払われた前年の収入に対する税金も求められた。貯金を取り崩しているが「来月の家賃と今日の食事すら心配な生活」と話す。
女性の教育や就労に対して厳しい差別が残るアフガンで、セデキさんは「アフガン社会には女性の活躍が必要」と自身を高めてきた。高校教師だった母の後押しもあり、カブール大学を卒業した。
日本大使館で職を得たのは15年。邦人保護やビザ発給などを担当する領事部などで働いた。「尊敬できる同僚と、偉大な国である日本に尽くせることにプライドを持っていた」
治安が悪化し、大使館は業務を停止した。タリバンは、日本を含む各国大使館の職員らを「外国のスパイ」などとして敵視した。抑圧を恐れ、60代の母や兄弟とともに親戚の家を転々とし、自宅にいる時はタンスの中に身を潜めた。
2カ月後、大使館職員や配偶者、その子どもに対して、日本への退避が認められた。独身のセデキさんは母と兄弟を残して行くことはできないと悩んだが、母の強い希望で国外脱出を決めた。10月、日本に到着した。「自由への喜びはあった。同時に家族を置いてきた悲しみで胸が張り裂けそうだった」と振り返る。
都内の研修施設に入れられ、自室待機を命じられた。外務省との雇用契約が続いており、昼間は勤務時間として外出を認められなかった。セデキさんは「まるで監獄にいるようだ」と感じていたが、「それでも私は大使館職員だ」と静かに過ごした。
帰れるなら帰りたい。しかし、日本から帰国したとタリバンに知られれば家族共々拷問されるか、最悪殺される恐れもある。病気を患い、ふせっていると聞いた母のことが気がかりで、駆けつけることもできぬ自身を責めた。
翌22年8月末で外務省から雇用契約を打ち切られた。同時に研修施設から退去を言い渡された。外務省からは転居先のリストが渡されたが、車がないと生活が難しい地域ばかりだった。公営住宅の場合、仕事がないため14カ月の家賃の前払いが求められた。
自身でアパートを探したが、外国人だからと何度も断られた。雇用契約打ち切りまで、現地では高収入といえる金額の給与が外務省から払われたが、アフガンの平均収入は日本の約80分の1。少ない中から半額を母に送金した。
NPO「イーグル・アフガン復興協会」(東京都新宿区)代表理事で、カブール出身の江藤セデカさん(65)が援助してくれたため、都内のアパートに入居できた。外務省には何度も入居の支援を求めたが相手にされなかったという。
セデキさんら元大使館職員ら98人は22年7月下旬に外務省から難民申請するように言われ、1カ月以内という異例の早さで認定された。日本での継続的な滞在は可能になったが、仕事は見つかっていない。
これまで量販店などで採用試験を受けたが、日本語の能力が不十分なことを理由に採用されなかった。難民認定後、6カ月のオンライン日本語教育が実施されたが、短期間で習得するのは難しかった。
現在もハローワークのオンライン講座で日本語学習を続けているが、今後の生活は見通せない。雇用関係のなくなった外務省は、相談に乗ってくれないという。
セデキさんは「私には誇りがある。仕事をする能力もある。日本人の払った税金の世話にはなりたくない」と話し、就労支援を求める。また「日本政府はこれだけ多くの難民を受け入れた経験がないことは知っている。退避させてくれたことにはとても感謝しているが、状況を知ってほしい」と訴えた。
外務省中東2課は毎日新聞の取材に対し、アフガン難民について「支援計画があるわけではないが、可能な範囲で相談に乗るなど支援を行っている」と回答した。
01年9月の米同時多発テロ後、首謀した国際テロ組織アルカイダの拠点になっているとして、米国などによるアフガンへの攻撃が始まった。タリバンは政権を追われ、国際社会は復興支援に乗り出した。
日本も同年以降、農業支援やインフラ整備、治安向上など、さまざまな分野で支援をしてきた。大使館やJICAのアフガン人職員は、こういった活動を支える存在だった。外務省によると、タリバン復権後にこれらの職員や家族約800人が日本政府の支援を受けて逃れてきた。
アフガン難民の問題に詳しい千葉大の小川玲子教授(移民研究)は「難民認定するだけでなく適切な定着支援が必要だ」と指摘する。
小川教授は23年8月、日本で暮らす元大使館職員18家族約100人超の世帯主にアンケートを実施した。世帯主は半数以上が大卒で、医師や大学教員、大使館で政治経済の情報収集担当などの職歴があったが、調査時点で正規雇用は2人しかおらず、11人が製造業などの非正規雇用、4人が失業中で専業主婦が1人だった。ほぼ全世帯で支出が収入を上回っていた。
小川教授によると、他国に退避した同僚や親戚がどのように受け入れられているか、ネット交流サービス(SNS)で情報を得ている人が多い。「日本では将来の展望が見えないとして、ドイツやイギリスなどに移住する人も出てきている」と話す。
また、小川教授は「日本政府が提供した半年間の日本語教育では、十分な収入のある安定した雇用にはつながらない」と指摘する。
ウクライナ避難民に対しては、身元保証人なしでの受け入れや、公立高校での生徒受け入れ、自治体による公営住宅の無償化や生活支援金の支給などがされたが、いずれもアフガン人に対しては実施されていない。
小川教授は「ウクライナ避難民に対する支援は今後の難民支援のスタンダードになるべきもの。分け隔てなく実施されるべきだ」と強調した。
癖の強い先輩が入社して以来一年もの間、集計作業日毎に数万円を癖つよ先輩から横領されていた当店。
癖つよ先輩入社から半年後、そうとは知らずにうっかり入社してしまった私は、集計業務を任されるようになってからというもの、毎度何回確認してもどうしようもなくお金が合わない問題に苦しめられてきた。
だが、そんな苦しみの日々もやっと終わった。癖つよ先輩は集計業務を完全に禁止されたからだ。
癖つよ先輩が集計業務を禁じられてから二度目の集計日、ようやくデータと現金の額が完全に一致した。両替機内に保管される両替用のお金が決まった金額どおりあると、100円玉は10日間は補充しなくてもいいくらい潤沢にある。本社に送金する売上金は20万円を超えていた。
素晴らしい、なんて素晴らしいんだ。金融機関の窓口で本部に送金し終えた時の爽快感ったらなかった。自分の金じゃないのに、お金があるべき所にあり、送金すべき所に送金出来るというのは、なんて良いことなんだろう。はぁ、真面目に働いて当たり前の業務を当たり前に完遂することが出来るって、最高!
お金が合わないという事が私にとってはだいぶストレスだったらしく、お金が完璧に合った集計日から、気持ち悪くなるほどだった肩凝りが軽減され、集中力が回復し、読書に集中出来るようになった。
去年癖つよ先輩が入社した時まで当店をベテランスタッフに放任していた本部の人たちもやる気を出し、私が勤務日のたびに行う売上報告を確認してくれるようになった。
そして、私の雇用契約は3ヶ月更新だったのが無期限雇用になり、時給が90円上がった。
しかも、本部が当店の求人広告を出したところ、複数の人たちが応募してきたそうで、近々やっと当店のスタッフの人数が規定どおり揃うかもしれない。
そういう訳で今月はいいことずくめなのだが、癖つよ先輩とはほどほどの距離感でそこそこ仲良くやってる風だったのが、関係が最悪になりつつある。まあ、癖つよ先輩の横領を暴いたのは私だし、それはそうなる。