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はてなキーワード: パブリシティとは

2018-02-26

カーリング世界選手権代表選考について

id:BigHopeClasic です。

ホッテントリ入りした以下の記事は、両角友佑というカーラーの知性を示すものとして、さらに幅広く読まれてほしいと思います

両角友佑が語るカーリング界のリアル「今の強化方法には限界がきている」

https://pyeongchang.yahoo.co.jp/column/detail/201802250010-spnavi

ただ、この記事を読む上で注意しなければならないのは、「両角SC軽井沢の利害」と「日本カーリング界の利害」が微妙な重なり方をしていて、その切り分けを読む側が慎重にしなければならないというところにあります。この2つの利害は、かなりオーバーラップしているのですが、しかし完全に同一ではなく、そこを見誤ると、過度に両角SC軽井沢に平衡を傾けてしまうことになります。そのことについて、補助線を引いてみたく書きました。

ブックマークコメントを読むと、多くの方が今年の日本選手権の開催日程と世界選手権代表選考に疑問を感じたようです。このインタビューだけを読めば無理もないと思いますしかしこれが、非合理的理不尽な決定なのかというと、むしろこれはかえって優れて合理的選択なのです’(ただし、最後に書きますが「合理的に過ぎた」面が出てしまいました)。

私はカーリングについては素人なのですが、素人なりに日本カーリング協会JCA)の運営に思うところがないわけではありません。高田明会長が関与していたらずいぶん違うだろうな、などということを夢想する程度には、コンテンツの魅力をフルに活用しきれていないとは思います。が、理想とは程遠く至らないところもありながら、少なくとも非競技者の目から見ては、決定的に落第の運営とまでは思っていません(知り得る情報が少なすぎるということはあります)。

で、日本選手権の日程と世界選手権代表選考に関する話になります過去3回の五輪年の日本選手権は、2006年2010年2014年五輪後の熱が冷めやらぬ3月上旬に開催されており、五輪代表がそのまま参加していました(世界選手権代表選考については、年によって異なります)。それをなぜ今回「五輪前に日本選手権を開催し、そこに五輪代表を参加させない」かたちに変えたのか。

まず、五輪代表世界選手権代表が異なることについては、今年の場合でも決して珍しくはなく、むしろ例を多く見ます。次に、五輪の前に国内選手権を開催し、五輪代表をそこに参加させないという例については、カナダがその方式採用しました。カナダは昨年12月五輪代表選考会を行って、五輪代表チーム五輪に集中させカナダ選手権への出場を免除カナダ選手権五輪直前の1月から2月に開催し、その優勝チーム世界選手権派遣します。したがって、他にも例がある、という点では、異なことをしているわけではない、ということになります

もちろん、世界一カーリング大国であるカナダ猿真似からいいのだ、という単純な話でもありません。五輪代表世界選手権代表を分ける、という点には「より多くのチームに世界最高レベル大会経験を積ませる」という意味があり、日本選手権の開催時期を前倒しにするのは、「世界選手権への参加の準備に十分な時間をかける」という意味があります

カーリング世界選手権は毎年3月下旬に開催されますが、開催年によってその意味が全く異なります。具体的には、五輪出場権を争う「五輪前年と前前年の大会」と、それがかからない「五輪開催年とその翌年」にわかます。前者は、その時点で国内最強のチームを派遣して、しゃにむに五輪の参加権を勝ち取りに行く大会です。他方後者は、名誉と実績という点を除けば「強化のために消費できる」大会です。国内2番手以下のチームを派遣するタイミングとしてはベストです。

そうは言っても、その世界選手権代表選考会に五輪代表チームがいれば、そこはそれなりの確率五輪代表チームが勝ちます。もちろん五輪代表チームを除く最上位チームを派遣する、でも構わないのですが、それはそれで差し障りもありそうです。また、五輪代表チームを除いてできた日本選手権の出場1枠を他のチームに割り振る、というのも、強化の点では意味があります。なにより、3月上旬に開催して優勝して、さあ半月後に世界選手権開催地カナダアメリカヨーロッパに行ってください、となっても、みんなアマチュアですからね、そう簡単スケジュールの都合がつくわけでもありません。五輪代表チームを除いても有力チームは準備もできるかもしれませんが、そこは一発勝負伏兵が勝つ可能だってあります

というわけで、この判断自体は極めて合理的もので、異論を挟む余地本来ありません。あえて難じるとすれば、合理的に過ぎたことでしょうか。

今回の盛り上がり方は、単純に男女が両方出場して、かつ成績を上げて露出が増えた、という要素以上のものがありました。現場取材する記者記事が良質化し、それがSNSで強力に拡散する、という点がそれを強力に後押しし、より本質的情報が多くの人に届けられたといえるでしょう。

その効果として、まさに今、このタイミングで、国内でのSC軽井沢試合の機会を作ることは、パブリシティという観点からはこれ以上のものはなく、その機会をみすみす喪失しているように見えるからです。

さて、ここで、現状分配しうるすべてのリソースSC軽井沢に集中させていいのか、という、悩ましい、正解の見えない問題が発生します。

今このタイミング国内での露出機会があったとき、その果実ほとんどはSC軽井沢が持っていくことになります。それは、来季以降の活動が今の段階では確定的ではないというSC軽井沢にとっては、この上もない利益となるでしょう(2006年2010年日本選手権で、3位の常呂中学校(robins)、2位の常呂高校(WINS)がメディアの注目を集めた、という事実はありますしかしそれは、彼女たちのプレイレベルと残した結果に加えて、彼女たちが女子中学生女子高校生だったという付加的な価値も大きく寄与していました)。

誤解を避けるために言うと、両角自己利益だけを目的にこの発言をしたとは、私は毛の先ほども考えていません。彼は心底日本カーリングの全体利益を考えてこの発言をしているのであり、そして言っている内容は正しいと思っています。ただ、悩ましいのは、この問題、正解が一つではなく、そしてその較量が難しいということで、そのことを心に留めないといけないということです。

部外者が立ち入れるのはここまでになります日本選手権がない代わりに、3月14日から18日まで、青森市では日本ミックスダブルスカーリング選手権が行われます。今回の五輪から始まったこの種目、残念ながら日本は国際実績が足りず出場を逃しましたが、次の北京五輪への出場を目指して強化に入っています。この大会には、各地の予選を勝ち上がってきたペアのほか、強化委員会の推薦指定枠で日本代表から両角友佑ー吉田夕梨花山口剛史ー藤沢五月、清水徹郎ー吉田知那美の3ペアが出場します。

推薦指定枠は昨年から導入され、早速初回で阿部晋也-小笠原歩組が優勝しています。即席の代表ペアと勝ち上がってきたペアのどちらが上に行くか、それも含めて興味深いところです。

2017-11-10

Twitter9年選手が贈る大手公式アカウント制作のすゝめ

企業作品アカウントを作りたい皆様こんばんは。ブログTwitterという主流に乗って初期ツイッター界では少し活躍した気がするそろそろベテラン選手です。

何時まで経っても学ばない公式アカウントを見るたびに、なぜ学ばない?という気持ちが沸き起こるのですが

そうですね。how-toが無いんですね。

さあて増田にたどり着けるかな?たどり着いた方に、特別にお教えしましょう。

ファンは、公式中の人を探す生き物です。まず鍵をかけましょう。公式とは陰に生きるものです。繰り返します。公式アカウントは影、黒子だと思ってください。

現在、有名どころのアカウントネタをたれながしています。それを模倣するようなアカウントが失敗するのを見てきました。

まずネタ公式アカとは、異端です。みんなあんアカウントを作っているわけではありません。しかし目立つので、それをマネしてしまます

しかし有名どころのアカウントは、Twitter9年選手からするともはや身内です。意味分かりますか?あいつらベテラン選手です。

初期ツイには公式アカウントも少なかったもので、やってたのもアニメ漫画オタクとかアイドルオタクとかそういうあたりが中心でした。

からあいつらその時食いついたオタクです。ベテランオタクの真似は無理です。

例えるならパンピー電車男の真似しても寒いだけです。

いいですか。真摯に向き合ってください。

最近よくあるのはドラマキャラクター公式アカウントですね。聞いたところによるとT豚Sのドラマネット戦略に力を入れているらしくTwitterも盛んなのですが、全て滑っています

例えばドラえもんが呟いてたらみんな楽しめますが、ドラマ第一話で初めて出てくるキャラクター感情移入は無理です。

ドラマ11話終わったぐらいでやっと親しみがわいてきます宣伝になってません。むしろ「うわぁ…痛い」という印象だけが残ります

マジでBSとかのあの戦略間違ってるのでやめてください。あとSPE○とかのプロデューサーからアカウントを奪ってください。各局プロデューサー炎上しすぎです。

フジの呟かなさすぎとかもダメです。やる気ネェなおい。(攻撃されるのかな…)

ここで一番大事なことを言います。↑読まなくてもここだけ読んでいただければ良いです。

舞台裏」「オフショット」「メイキング画像を撮りだめてください。

そこにその画像説明を「絵文字無しで」「公式的な文章として」「丁寧な言葉で」書いてください。

それを一番宣伝したい時期まで、できれば毎日でもアップしてください。

大手公式さんなら、確実に、フォロワーが増えます

Twitterはいまや公式サイトです。砕けすぎたら、信頼を失います

  • STEP5 RTは一日3回まで

呟き数が多いとうざいとかいますが、ぶっちゃけ呟き数は別に関係ないんです。

それよりもRTが多いのがウザい死んでくれブロックって感じになりますマジでフォロワー数が減ります

エンタメ作品系は感想RTするのもやめたほうがいいです。てめえの感想はいらねぇんだよクソがという感情が渦になって不満になりいつしかあだ名は「クソ公式」になります

そもそも公式じゃなくともRT魔のアカウントって結構怖いのでやめてください。ボットロボットなの?ってなるんで。

RTした方におみくじ動画を!とか。TL荒らしから

みんながみんな公式アプリを使ってるわけじゃないんだからね!

あと各種の検索サイトなどを使って作品名検索すると、おみくじ動画しか出てこない時があります。評判全部流れちゃうよ。

  • STEP7 気軽に謝らないで

100人中90人が謝るべきだと答えたら「責任者が」謝って。

クソレスにいちいち謝ってたらキリが無い上に、謝らなくていいものまで謝ってしまうことになります

そうすると「プライドは?」というお話になるのです。

決してつながる場所ではなく、宣伝する場所だと思ってください。

パブリシティはどこよりも早く正確に全てを宣伝すべきです。できなければ、嫌われるでしょう。

アカウント専用のツイッターアプリを入れてください。誤爆ダメ絶対。防ぐにはアプリを分けることです。

例えばTweetDeckとかhootsuiteとかは複数管理系のクライアントなのですが、こいつら高確率誤爆を導きます

私のようにすべてのアカウントヤバいやつみたな設定でない限り、誤爆は本当に恐ろしいことになるので注意してください。

前にT豚Sの公式アカウント中の人韓流アイドル写真載せてましたね。

  • STEP10 中の人宣伝の場ではないことを覚えておいて。

注目してくれると嬉しい!みたいなことを思えるのは、まだまだ新人証拠

炎上晒し経験したベテランになると「マジで注目しないで怖い」ってなります

なにがきっかけで炎上するか、本当に分かりません。その時の空気とも言いますが…まぁベテランになるとそうそ炎上しませんが新人には難しいかと思います

例えばスタバコーヒーをアップしただけで「泥みたいな液体を飲んでる人が中の人って笑」みたいな感じで炎上しかねません。

言いすぎました。

から中の人は控えてください。ちなみに例外として「監督」は好きにしていいよ。先頭に立ち創った人はわりとなにしても許される決まりです。


と、いろいろ書きましたが、多分まだいろいろあります

もう眠いので書くのやめますが「真面目に」「コツコツ」が大事です。

あと雑誌編集者の人が「真面目にコツコツ」アップしてくれるんですけど、投稿時間が0時とかで本当に心配になるので注意というか、帰宅してください…。

頑張ってください。

2017-06-01

【再掲】■アマゾンの「バックオーダー発注廃止は、正味戦争の宣戦

元増田です。なぜか消えてしまってオダミツオさんとかに心配していただいているみたいなんで再掲します。

まあ、私が元増田かどうかも、どうでもいいじゃないですか。「CC BY 4.0」宣言しているんだし。

5/20の再掲が字数オーバーだったのかもしれませんし、捨てアドアカウントとられたのを、はてなさんが怒っているのかも。

とりあえずキャッシュからテキストを復元します。

結論

 アマゾンの「バックオーダー発注」廃止は、流通改善名目を借りた正味戦争の宣戦布告である。この戦争に敗北し、多くの出版社個別直接取引(e託)に応じてアマゾンのみに特恵条件を与えることは、破壊的な状況をもたらす。

 また、直接取引をしたところで流通改善するという保証はない。アマゾン依存度が上がるほどに、苛烈な「ご提案」に逆らえない状態となる。

 在庫ステータス管理の問題は、業界が抱えつづける課題ではあるが、このアマゾンの施策とはほぼ関係ない。

 長くなってしまったので、結論を先に書いた。これに納得できた人は、この先は読まなくてもいい。そうでない人、「僕と契約してe託出版社になってよ」と囁く声に揺れている人に向けてこれを書く。

 その提案書には、いくつもの重要な点が省かれているからだ。

取引正味の現状

 現在、出版業界の正味標準は以下のようになっている。

 出版社から取次への引渡 69%(-2~+10数%)

 取次から書店への引渡  77%(-5~+数%)

 一般に、老舗ほどよい条件を持っている。(大手がすごくいいというわけでもなく、特に正味が高いのは法学・医学などの高額専門書出版社である

 正味以外にも新興出版社は上記条件のほかに歩戻し(新刊委託手数料)を支払い、新刊の代金支払いは納入の7か月後、さらに3か月から1年の支払い保留を課されるケースもある。

 一方で、老舗出版社は新刊でも搬入翌月に代金の半額の内払いを受けるなど有利な取引条件を有している。

 かつては出版社ごとの正味の違いは書店への卸正味に反映されていたが、取次間の書店獲得競争の結果「一本正味」が増えている。その結果、老舗出版社の高額商品を卸すと取次が赤字になるという「逆ザヤ」も生じている。

 大手出版社が取次の株式を保有しているという背景もあり、こうした取引条件が改定されることはめったにない。

 アマゾン直接取引(e託)は、これを年会費9000円、正味60%の直接取引に一本化しようという提案である

https://www.amazon.co.jp/gp/seller-account/mm-product-page.html?topic=201463220

 ある意味で平等に見えるが、背面では個別に違った取引条件が出版社に持ちかけられている。漏れ聞いたところでは66%の提示までは確認したし、中堅以上からはそれ以上の条件で取引しているという示唆も受けた。

 しかし公式以外の取引条件はあくまで特約であり、アマゾンの提示する「条件」が守られなかったと判断された場合は一方的に破棄される。また、契約書をよく読んだ人は、その条件が数年間の時限であることに気づいたはずだ。

 アマゾンはこれまで(おそらく)73%くらいで仕入れていた本を、60%で仕入れるようにしたい。まずのところ、「取次に在庫を置いてもらえていない本」から。いきなり60%と言っても受け入れてもらえないから、短期的には優遇条件や集荷などのエサを出す。

 これが今回の提案の一番の眼目である

なぜこのタイミングで言ってきたのか

 アマゾンアフィリエイトにしてもマーケットプレイスにしても、市場占有率が上がるにつれ、取引条件を何度も改定してきた。取次からの卸を「73%」と推察したのも、天秤をかけられている取次がギリギリ呑めるラインを推察しての話だ。日本上陸時の大阪屋との取引正味が75%で、そこからコンマ5%刻みで4回、計2%下げただろうというのが筆者の読みである。取次のアマゾンに対する態度が「あんな条件では積極的には欲しくない」に年々変わってきたというのが傍証となっている。

 それにしても今回の「バックオーダー発注廃止」は急で乱暴な施策に見える。通告メールの文面にも焦りが垣間見え、「3月期の利益が取次対応の遅れによる売り逃しで毀損された」からだと主張している。

 3月は新刊が多く、セット搬入等も含めラインは輻輳する。アマゾン日販の蜜月が終わり、日販が「こんな粗利のところに便宜を図っていられない」と気づいたのもあるかもしれないが、今日に始まったことではない。

 より説得的な答えは、「配送料の値上げにより利益が圧迫されるので、別途利益を上げる見込みを立てて早急に本社に報告しないと、日本法人評価が下がるから」だろう。

 アマゾンは、租税回避や配送・資材・仕分の業者を徹底して継続的に買い叩くことに不断の努力を払い、設備投資の源泉を得てきた。そうした抜け道は徐々に塞がれてきたが、その間に無視できないシェアを得た。その買い叩きの対象が、いよいよ本格的に出版社にまわってきたということだ。

アマゾンで品切が頻発する理由

 さて、「話題になった本がアマゾンに行ったら品切になっていた」が、なぜ頻発するかの考察に移る。

 アマゾンの発注の仕組みは以下の記事に詳しい。

アマゾンのバックオーダー発注の件について小零細出版社が考えるべきこと

 このバックオーダーの発生してからのこれまでの流れについては、以下の5年前の記事が(ちょっと出版社が鈍すぎだが)おおむね正しい。そして、この流れは一般書店も変わらない。

amazonの本の補充はなぜ遅いのか

 精力的な書店は、発注を出版社に直接行ない入庫処理も迅速なので、出版社に在庫があるもののバックオーダー後の入荷はアマゾンより4営業日以上早い。

 このバックオーダー発注を7月1日から「取次を介してやらない。e託しない出版社の取次に在庫のない商品は扱いを中止する」というのが今回の通告である

 そして、高島氏の言うように在庫状態を開示して搬入を早くしても、問題は解決されない。

 ベンダーセントラル(VC)でチェックするとわかるのだが、アマゾンの発注は間歇的になされる。たとえば、週に10冊需要のある本は、2か月に1度、100冊の注文が来る。

 その冊数の在庫を日販が準備していなければ、大阪屋栗田の在庫を見に行って、それでなければ翌日繰り返す。そんなことをされたところで、それに対応して発注される可能性のある品目を網羅的に取次が在庫することは不可能である日販にしてみれば、その照会は大阪屋栗田で充足されたかもしれず、明日発注されるかもわからないのに、その数を即仕入れろというのも無理な話だ。

 なぜコンスタントに補充をやらないのかという疑問が起こるだろう。在庫が少ないタイミングで受注の波が来たら、アマゾンにしても機会損失になるからだ。

 しかし、実際にこの十数年、定番書であっても同じアイテムの「バックオーダー発注」の短冊が数週間に一度、同じ日に何枚も「市川13,6,4、小田原9,5,2、堺20,7、鳥栖6,5,2」というようにまわってきて、その前後でアマゾンで品切になり、回復まで10日間というような事態が繰り返されてきた。

 ベンダーセントラルを見ると、受注は多少の波はあれどコンスタントであり、アマゾン自身の「需要予測」もおおむね頷ける値になっている。しかし、発注だけがすさまじく間歇的なのだ

 最初倉庫の入荷オペレーションのためかと考えていた。しかし、倉庫が各地に増えた現在では、各倉庫の発注時期をずらせば、品切を回避できるはず。アマゾンの優秀な人たちがそれに気づかないはずはないが、折に触れてその点は提案してきた。

「発注時期を倉庫毎にずらせませんか」「バックオーダーの発注を版元に直接送りませんか」

 しかし、そのたびに返ってくる返事は「当社独自の計算にもとづき、在庫量・発注時期は最適なかたちでおこなわれています」「流通にご不満がある場合は、e託契約をご検討ください」だった。

 いま筆者が持っている仮説は2つ。

倉庫ごとに時期をずらすと、北海道の発注が佐賀に飛ぶような高コスト事例が頻発しかねないので、各倉庫の在庫を平準化したい」

「在庫についてつねに不安定にすることで、出版社と取次に対して取引カードにしている」

 それが穿ちすぎであるにしても、アマゾンの在庫が過小であり、それを解消する意思がないのはあきらかだ。

過少な在庫量と倉庫の人手、発注遅延、そして入荷時期への過大な要求

アマゾンの在庫が過小だ」と指摘すると、返ってくるのは「市川小田原川崎に、あんなに巨大な倉庫を持っているのに、あれ以上投資しろというのは無理」という反応だ。

 しかし、あの倉庫流通のためのスペースが大きく、書籍以外のものも大量に扱っている。書籍の在庫量が売上に対してひどく少ないのは、厳然たる事実である

 業界紙新文化』 の2017年1月12日号に成毛眞氏がアマゾンキャッシュフローについて述べている(以下リンク小田光雄氏の要約)。

http://d.hatena.ne.jp/OdaMitsuo/20170201/1485874803]

 それによれば、顧客から代金を回収し、納入業者たちに支払う期間のキャッシュコンバージョンサイクルはマイナス18・86日だという。仕入は月締め翌月払いの平均45日サイクルとみて、顧客回収サイクルはどんなに短くみても10日あるだろうから、平均在庫期間は17日、年間在庫回転数21強ということになる。この値は、筆者が複数出版社から確認しているVC上の在庫/売上比とも整合する。

 これは、書店としては驚異的な値で、駅売り雑誌スタンドかと見紛うばかり。ちょっと話題になるだけで「品切御免」となるのも、致し方ないことだ。

 話題の週刊文春が売り切れだからとスタンドを責める人は、まあどうかしている。アマゾンは、そういう在庫量でやっていくことを選択しているということだ。

 そして、取次から入荷後に出荷可能になるまでの期日も遅い。通常の書店でも、入荷後に配架担当者がいなくて1~2日寝る場合はあるが、アマゾンは入荷から出荷まで3日寝るのがデフォルトである。これは、現場の人員と設備を慢性的に不足させて、100%以上の稼働率を維持しているからだろう。そのため、繁忙期や天候不良時には業務さらに停滞する。

 アマゾンの発注判断は遅い。判断に人間を介さないため、需要が急激に伸びた場合にもその要因がパブリシティなのか、ネットのバズりなのか、その需要はいつまで続くのかという読みを外部情報に求めることをしていない。したがって、自サイトでの顧客の行動を見て、「売り逃し」が続いてから発注を増やすという行動になる。

 この入荷遅れと発注遅延という行動様式は、e託を導入しても基本的に解決しない。

「いま寄越せすぐ寄越せ、寄越さないならペナルティだ」とクレームする先が、取次から出版社になるだけである

 在庫ステータス22(重版中)のものも、アマゾンは同様の行動様式で発注する。即出荷できないものは発注せず、11になったら最前列に割り込ませろと言う。割り込ませなかったら、特恵条件は破棄される。

新刊については改善しつつある

 問題がここ1年で飛躍的に改善したのが新刊である。新刊については、情報が出てから発売までに時間があるので、アマゾンの遅い発注判断でも、じゅうぶんな量の入手が可能になる。そのうえ、アマゾンも「新刊の追っかけ発注は入手しにくい」ということを学習したのか、発注量も多くなった。

 新刊委託配本をしない出版社でも、取次とコミュニケーションを密にとれば発売即品切れを回避しやすくなった。

 とはいえ、発注タイミングはやはり遅い。「発売前重版」になるような本がアマゾンで入手できず、一般書店には平積みになるようなことは多い。それは、書店としてのアマゾンの能力が低いということの証左だ。発売4週間前に発注しても入手できない個人書店の事情とは問題のレベルが違う。

現在のアマゾン情報弱者相手の草刈場

 一方で、アマゾンの利用はどんどん広がっているし、検索順位は高い。話題書をスマホで検索して即注文しようとすると、アマゾントップに出てきて「2~3週間後出荷」となっている。そういうときに出てくるのが転売業者だ。

 マーケットプレイスで3倍程度の価格をつけ、「希少品につきプレミアム価格です」と説明している。そして、その業者のページを見ると、数十万点の出品物がある。もちろん商品仕入れているわけではない。受注があってから、honto紀伊國屋ヨドバシに発注し、届いたもの転送するのだ。

 商品登録から値付けまですべてbotを活用した、「他の書店を探すのが面倒な人」から無知税を搾り取るためのビジネスモデルである

 転売業者も栄枯盛衰が激しいが、いまは「ブックマーケティング」や「メディアフロント」が勢いがあるようだ。関心ある人は探してみてほしい。

 彼らの最大利益を追求する商魂や、ネガティブコメントを即流しにかかる熱意など、学ぶところは多い。

 トップ企業であるということは、いちばん情報に疎い人がやってくる場だということでもある。だからアマゾン偏愛する利用者は他の書店利用者より平均的に無知で、流行に流されやすく、堪え性がない。したがって配送関係でトラブルを起こすことも多い。発送に時間がかかれば、カジュアルキャンセルしてくる。この層を相手にするのはコストがかかる。だから、アマゾンはそのコスト負担を要求しているのである

 そういう人へ売り伸ばすのは商売の勘所でもある。

 だから、アマゾン提案に乗るという判断もありうるだろう。

どこまでやればいいのか

 アマゾンの要求は単純だ。「扱ってほしければ情報を出せ。情報を出したらカネを出せ。カネを出したらもっと出せ」ということだ。

 出版社ディスカバー21の干場社長の証言がある。2014年10月のものだ。

>https://newspicks.com/news/654047>

「これまでは大型パブや広告がある場合、前持って出版社の方で手動で在庫を増やすように指示できたのですが、10月1日より、今後、全てそれまでの平均売り上げによる自動補充にするという通知が10月を過ぎてからただ1通ポーンと送られてきました。

それが嫌なら、去年からアマゾン出版社に持ちかけているパートナー契約を結べと。つまり年間600万円以上の契約料を払えと。

それはアマゾンによる一方的評価基準により価格が決まるもので、売り上げに準じたものではない。今回の処置は、パートナー契約を結ばない出版社への締め付けとも受け取れます。」

<<

 この書きぶりからすると、ディスカバー21はおそらくe託を利用しているのだろう。というか、取次を利用せず書店直接取引するのが、柳原書店破綻以降の同社のスタンスである。「在庫を増やすように指示」などが出来たところからすると、導入当初はあるていど優遇されていたようだ。

 しかし、依存度が高くなったとみると掌を返す。大変合理的な行動だ。e託の正味60%もいつまでも固定されるとも限らない。

 こうした「パートナー契約」によってサイト内の表示順序も左右されているのが現在の状況だ。

都合が悪くなったら出口があるのか?

「e託で条件が切り下げられたら、取次取引に戻せばいい」。そういう意見もあるだろう。

「みんながそうやったあと、取次は数年後も残っているのか」という問題はまず措く。

 それにしても、アマゾン裏切り者を許さない。海外での事例は、反目した出版社商品に対して注文ボタンの撤去や検索結果への非表示など、アマゾンが自社サイトの優位性を最大限に活用した実力行使を辞さず、読者の利益を損ねることをものともしないことを我々に教えてくれる。

「e託やってたんだけどさ、不利になってきたからやめたよ。e託しなくてもそんなに不都合ないよ」などと公言する出版社の存在が、アマゾン戦略にとってどれだけ目障りかを考えてみよう。個別取引の合理性などかなぐり捨てて「アマゾンから離れた出版社は倒産した」という事例をつくりにくることは覚悟しなければならない。

 複数出版社でこの問題を訴えようにも「e託契約」も「パートナー契約」も、すべて明細は秘密保持契約(NDA)の向こう側にあり、その訴訟リスク情報共有と連帯を阻む。今回、筆者が匿名で書かざるを得ないのもそのためだ。

 現在でもアマゾンは不定期にポイント付与率の上げ下げを実施している。対抗馬のhontoもっと派手にポイントをバラまいているので、日本の出版界はそれを非難することもできない。

 現在のe託では販売価格の主導権は出版社にあるが、市場を更に占有したところで契約更改は再販廃止が条件となり、「プロモーション」「正味下げ」「値下げ」の3点セットの「ご提案」がつぎつぎに舞い込むことになるだろう。

 アマゾンで買えばほかより安いとなれば、消費者はなお雪崩を打ち、発言力はさら高まる

 電子書籍では、入金額分配契約出版社の場合、「アマゾンで本を買うと、他の手段より著者への支払いが少ない」という事態は、すでに起きている。これから紙の本にも普及してくる可能性が高い。

 アマゾン1社を優遇するなら、出版社縮小均衡の果てに「アマゾン制作部門の下請け」となる道を選ぶしかなくなるだろう。

 もうひとつの解は、アマゾンの条件を呑むのなら、その条件をオープンにし、他の書店にも同様の扱いをするということではないだろうか。60%条件ならば書店を起こせる人は多くなる。1社独占になりさえしなければ、安すぎる正味だとは思わない。本の価格は上がるだろうが、この正味戦争に建設的な出口を探すとすれば、そういう方向しかない気もする。

アマゾン破壊イノベーター

 アマゾンがやっていることは、「すべてのお客様のために」ある。アマゾンが考えるお客様希望は「手軽で安価な入手」だ。だから、「手軽で安価」な入手に協力する者は優先するし、それに協力しない者を悪く見せるために努力をいとわない。

「ほかの書店はともかくアマゾンで品切れするなんて」「売っていないなんて」という読者と著者の態度が、それを後押しする。

「業界が絶望相転移するときエネルギーを利益に変えている」と言ってもいい。

 だから、折りに触れ現れ、「僕と契約してe託出版社になってよ」と囁くあの提案書を追いかけまわして、「そいつの言うことに耳を貸さないで!」と叫ぶ。

 あなたが、すべての絶望希望に変える奇跡の道を見つけるまでは、契約してはいけない。

2017.5.20--追記

思いのほかたくさんの反響をいただきました。

ありがとうございます

匿名の身ですので、本記事は「CC BY 4.0」転載・再配布・翻案自由とします。

とだけ宣言しに舞い戻ってきたのですが、せっかくなのでもう少し蛇足を。

取次の擁護ウザい。

→擁護していない。取次が硬直的な差別取引で出版社が新しく出てくる芽を潰していることは既述の通り。

資本主義消費者利益なので残当

→まっぱだかの資本主義が野蛮で不合理な結果をもたらしてきたということくらいは、10代のうちに学んでおこう。消費者利益もエシカルでなければ持続可能にならない。いいかパンツくらい穿け。見ているこっちが恥ずかしい。

独禁法と公取は仕事するべき。

アマゾンは公取と密接に連絡を取って、アウトにならないギリギリの線を見極めて活動している。そして、紙の本はもちろん、電子書籍においてさえアマゾンは圧倒的な独占を未だ手にしてはいないので、公取は様子見。まあ、ケータイ相手のコミック商売をしている国内勢がまだ大きいかなのだが。

パトレイバー後藤隊長みたいな言いかたになるけど、役所が動くのは常に手遅れで犠牲が多数出てからだし、そうでなくてはならない。文化的公害のおそれには予防原則を持ち込むべきではない。

国内勢力を糾合して対抗するべき。

→それこそ公取の出番になる。出版界は笛吹けど踊らない者が多様にいるからこそ、自由でいられる場。そのメリットを手放すのは下策。テーマは変わるが、軽減税率ほしさに政府に嘆願する業界団体は恥を知れ。おまえら出版界全体を代表してなんかいない。業界が一丸になどなったらあっという間に規制され、規制団体天下りを送り込まれる。

流通改善しないで吠えるな。正面から戦え。

流通改善している。アマゾンで入手できるような本なら、たいがいの書店でさほど待たずに注文できる。アマゾンが1週間以上になっているならば、多くのケースで書店コンビニのほうが早い。というか、ド田舎以外で入手を急ぐならまずはhonto withでチェックするべき。

書店で取り寄せできないと書店のせい、アマゾンで取り寄せできないと出版社のせいにする読者をネット上で散見するが、実際は逆。アマゾン出版社に連絡をする労すら惜しむ。

とはいえ、取り寄せを渋ったり、TONETSやNOCSの在庫情報の見方を教育されていなくて「この本は取り寄せできません」とウソをついたりする書店員も、たしかにいる

ーーーーー

googleから拾ったキャッシュここで切れてます。

なんて書いたんだっけ。

「。社員に流通教育もできない書店はつぶれればいいのに。」までは確かなんだけど。

ラストガンジーの糸車と塩の行進にからめてなんか書いた記憶がある。だれかとっといてくれてないかなあ。

今日のところはここまでで。

2017.6.18 続きを書きました。

それでは計算いたしませう

https://anond.hatelabo.jp/20170618203827

2017-01-25

西野亮廣という怪物のたおしか

吉本興業所属するお笑い芸人キングコング西野亮廣氏の界隈が燃えている。

彼がプロデュースした絵本えんとつ町のプペル」についてである最近西野氏は声優明坂聡美を名指しで吊し上げたり、

公開番組に呼び出して晒し者にしようとする活動に熱心だ。

声優ファン諸氏はさぞ忸怩たる思いを抱えていることだろう。

この状況を指して漫画家ヒラコーは、

“みんなが憎悪の心を消して一斉に西の人関係ツイートを消し

今後一切どんな炎上挑発をしても相手にしなければ

勝手に枯死するタイプ妖怪なのだ

みんなの心が一つにならないと倒せないのだ

すっげえつええなこ妖怪

平野耕太 (@hiranokohta) 2017年1月21日

表現した。

しか批判的にであっても西野氏を話題にすることで、「えんとつ町のプペル」にはパブリシティ効果が生まれしまい、

それは西野氏を経済的に利することになる。吉本興業という大企業に守られた彼の立場もまた安泰だ。

だがそれは、あくまでも客観的に見た状況にすぎない。

西野氏が経済的利益目的にしているのなら、彼に対する対処は確かに大変に難しい。

しかし、彼が本当に求めているのは金銭ではない。

金銭メリットで見た場合西野氏にとって、ましてや吉本興業にとって、絵本の売上やクラウドファンディングから

上がる利益はそれほど莫大とは言えない。

彼がお笑い芸人タレントとして積み上げていくであろう利益と、繰り返される騒動の中で生まれた彼に対する面倒くさ

そうなイメージ、負の印象がもたらす長期的不利益を天秤にかければ、収支としてはマイナスも大きい。

最近コンプライアンス芸人教育に神経をとがらせている吉本からしてみれば、ほどほどにしておけよ、いい加減にしろよ、

という案件しか無い。

それでもなお西野氏がこの道を邁進するのは、彼が欲するのが金銭ではないからだ。

西野亮廣という妖怪一言で分類するなら、肥大化した虚栄心の化物である

彼が焦がれるほどに欲しているのは、知的ウィットに富んだ、唯一無二の優れた芸術家という他者から評価と喝采なのだ

西野氏の対応は常に後手後手で、その時々に批判された内容に愚直なまでに対応している。

無料公開で広告収益をあげていると言われれば寄付を発表するし、外注イラストレーターたちの処遇批判されれば特別

ボーナスを出すと吹聴する。

西野氏が本当にビジネスとして割り切って炎上を狙っているのであれば、ここまで右往左往する必要などないのだ。

それほどに彼は、小銭稼ぎに長けた絵本商売人、と見られることを恐れている。

西野氏が明坂聡美槍玉に挙げたのは、マウントを取る相手として手頃だった…ということもあるだろうが、一番大きい理由

彼女が「無料公開の是非」にフォーカスしてくれたことだ。

その点に論点が向かう限り、革新的ビジネスに挑戦するアーティストと、旧態依然とした者たちの無理解の戦いという図式

自身を落とし込めるのである

では彼が向かってほしくない方向がどちらかは明らかで、

クラウドファンディングという他人の金で、

外注で安く叩いた他人技術で、

作り上げた成果を持って世のクリエイター、購買者を「金の奴隷」と嘲った西野亮廣尊大さ、あさましさの是非を問われる

ことを彼は一番恐れているのである

彼の手元に何千万か残ったところで、絵本商売人がアーティスト搾取してうまいこと稼ぎましたね、という評価では西野

肥大しきった自意識は満たされない。

「なんだ、偉そうなこと言って自分で描いてないんじゃん」

「金の奴隷はお前じゃん。いや奴隷使いかw」

といった個々の評価は、ダメージを与えている手応えはないかもしれないが、エゴサに余念のない西野氏にはちゃんと届いている。

西野氏の自意識が、勝手に彼を弱らせてくれる。

彼がエゴサーチ自身への賞賛リツイートしまくっている様子を見てご覧なさい。

余裕がある人間あん必死なこと、しませんよ。

2016-05-02

肖像権 パブリシティ研修

報道被害・・誇張によって誤認してしまう内容

報道の自由 国民知る権利 VS 被報道者のプライバシー

個人情報プライバシーの違い←テストに必ず出る

一般人プライバシー芸能人プライバシーの違い

肖像権パブリシティ権試験出る

写真家モデル撮影

モデル肖像権 写真家著作権

肖像権・・写った人の権利

原則 期末出る。

肖像権・・自分肖像他人勝手に使わせない★人格権利★のこと

パブリシティ権・・★顧客吸引力★がある肖像名前の利用を専有する権利のこと(有名人芸能人商業的な価値がある人のみ持っている。

人に備わっている顧客吸引力を中核とする経済的価値(パブリシティ価値)を保護する権利プライバシー権と同じく人格権に根ざ


顧客吸引力を利用するものであればパブリシティ権侵害

自分文章にまとめよう

とうこう

2016-02-06

アナウンサー出身者がジャーナリズムとか語りだすと胡散臭い理由

そもそも取材っていうのは、

記者さんに話すことなんて何もないよ! さっさと帰んな!」と

塩まかれんばかりに追い返されても、めげずに通い詰めて、

あんたもしつこいねえ、何が聞きたいんだよ」って言われるのを突破口にして

取材源とルートを作ったり、

地道に集めた情報からストーリーを組み立てたり

公にされている資料(たとえば政治資金報告書とか、土地登記簿とか)を

徹底的に読み込んで、怪しいところをあぶりだしたうえで、相手にぶつけて

「そこまでわかってるんじゃあ、しょうがないなあ」と言わせたり、

あんただったら信用できるからいうけれど、実はね・・」と言われるようになるまで

実績を積み上げたりすることだ。

大体、「報道に値すること」ってのは、「相手積極的には話したくないこと」の中に

潜んでいるのが通常だし。

相手の話したいことを「はいはい、おっしゃる通り」って聞いてきて、広く伝えるだけでは、

ただの「マスコミ(マスなコミュニケーション)」とか「パブリシティ」に過ぎない)

堀某とか、長谷川某とか、「報道に携わってきた」とかいう自負のあるらしい「アナウンサー出身者」が

ジャーナリズムとは」とか語りだすと、ものすごぐ薄っぺらくて胡散臭いのは、

多分そういう、「地道な取材」なんか、ほとんどやったことないくせに

表面的なところだけで、語り出すからだと思う。

いや、「僕らも取材してきた」とかいうんだろうが、

どうせ、会社組織看板アナウンサーかい肩書を背負ったまま、

正面から広報電話かけて「○○についての企画をやるんで、お話きかせてくださ~い」とかいって、

話聞いてきたのをこぎれいにまとめてしゃべっただけだろ?

そもそも「アナウンサー」って職責は

「地道に取材する」んじゃなくて

「地道に取材してきた結果をまとめたものをわかりやすく伝える」ものであって、

最期の仕上げのコーティングに過ぎない。

もちろん、それはそれで、大事仕事だろうが、

コーティング経験しかないくせに、中身全部わかったようなしたり顔されてもねえ。

2015-07-11

http://anond.hatelabo.jp/20150711080551

うーん、何を期待してるのかピンと来ない。声優アニメーターも与えられた役割を全うするだけなので、「チームメイト」としての一般的リスペクトはお互いあるだろうし、表に見えないところでの個人的感謝もあるだろうけれど、製作代表してるわけじゃない以上、パブリックにそれを表明するのってむしろ変じゃない?

パブリシティに使われて「製作代表」しているかのように見えるから感謝すべきって感じるのかな。でも実質的製作代表でない以上、代表面してパブリック感謝するのはやりにくいと思うんだが。逆に、アニメーターインタビューとか受けた時に声優感謝しなかったらおかしいと思う?

(パブリックに表明してないからといって、声優アニメーター感謝していない、とは元増田は思っていないよね? 単に、パブリックにそれを表明することでもっとアニメーターにもスポットライトが当たって欲しい、と思っているんだと取ったんだが、合ってる? だとすれば、当のアニメーターに聞いてみるのがいいんじゃない? コメンタリーとかで感謝を表明してほしいかって。俺の知り合いのアニメーターはみんなそんなことどうでもいいって言いそうだけど、嬉しいっていうアニメーターいるかもしれん。)

2015-07-09

自殺率を下げるなんて簡単だよ

119 番の可用性を 1000 倍にしたらいいんだよ。

まず、自殺したい気持ちになったら気軽に 119 番に電話をかけるようにってパブリシティを打ちます (がんばって! AC中田ヤスタカperfume)。

そして税金使って、今の1000倍のカウンセラー(臨床心理士など)を雇って、今119番にかかってくる救急電話のうち、寂しいとか死にたいとかの相談はそっちに転送するようにします。

ソースはこれ。

http://www.wikihow.com/Cope-With-Suicidal-Thoughts

http://www.helpguide.org/articles/suicide-prevention/suicide-help-dealing-with-your-suicidal-thoughts-and-feelings.htm

まあ、自殺率を下げるための予算を1000倍にするよりは、高速道路ダムオリンピックスタジアムを作ったりしたほうが社会のためになるんだろうけどね。

2015-05-06

おっパブ

なんか隊長最近ぶってるらしい雰囲気を感じ取って、隊長記事ホリエモンコム見解表明やCINRAの人のアツい記事及びそれらのブコメを読んだんだけど、

CINRAの人のアツい記事の人気ブコメがいくつか、「ん…?」となって、その手がかりからネイティブアド真相に辿り着けそうなのでちょっとやってみる、

最近ダンガンロンパにハマっているので、手がかりから真相に近づくのに憧れているの

http://b.hatena.ne.jp/entry/taichisugiura.com/685

この何十年の間で挙げることのできる優れたクリエイティブというのが全て「これは広告です」と堂々と見せていることから、考えるべきことがあるんじゃないかね?

「これは広告です」と堂々と見せている、っていうのは、多分テレビCMとか新聞の一面(or見開き)記事ポスター看板のこと言ってると思うんだけど、それに対応するのはウェブではアドセンスバナーフラッシュ広告ニュースサイトとかでよくある、最初記事開くときに出るスキップするやつ)だと思う。

で、CINRAの人やネイティブアドの人たちがやってる(orやりたい)のは、テレビでいう情報番組雑誌で言う記事広告だと思うので、ちょっとこのブコメツッコミは食い違ってるのではないか。

優れたテレビCMは誰もが広告と知ってるのに面白いが、宣伝番組はつまらない。

ガイアが夜に明けろと囁くやつとか、パッションコンチネント、マ◯コの知りたい世界面白いって言ってる人多そう。WBS王様ブラジャーとかも。レイントークの「家電芸能人」好き。

テレビ以下です宣言?CM枠でクリエイティブ映像なんていくらでも見るだろ。文章だって雑誌広告エッセイとか、明らかに広告だけどジンとくるものもあるし。

一個目のブコメと一緒で、CINRAやネイティブアドの人はクリエイティブバナーフラッシュ広告を作りたいってわけではないので食い違う。

広告なのが一目瞭然なJR東海の「そうだ、京都行こう」を引き合いに出して、広告でないように見せかけるネイティブアドへの【広告】表示を批判するのは筋違いというか詭弁

それはそうかも。テレビ雑誌の暗黙的ペイドパブリシティコンテンツを引き合いに出して、「マ◯コの知りたい世界は【広告】って出してないのになんで俺たちは出さなきゃいけないの?」なら筋が通ると思うけど、それはきっとなんか圧力とか力関係でできなかったんじゃないだろうか。

マスメディアには「新聞広告倫理綱領」というのがあるし、広告記事はきちんと明示してある。只の素人http://www.pressnet.or.jp/outline/advertisement/

本当に広告記事は全部明示してあるのだろうか?自分ファッション誌や楽器音楽情報誌について一部の記事特集には懐疑的

CINRAの人がアツくなってるのって、「なんで俺達だけ【広告】とかダサい表記しないといけないの?TV雑誌インタビューとかは【ここから特集広告です】って入ってないじゃん?」ってことなんだと思う。

が、自分メディア人間ではない素人なので、TV雑誌はそういうステルスなのは本当に一切してないのかもしれない。

だとすれば「マ◯コの知ってる世界」やその他列挙した番組に対してはとんだ風評被害をしてしまっていることになる。

今世の中にある、金銭のやりとりが発生するコンテンツ全てに【広告表記強制したら、けっこう鬱陶しくなりそう。

マジックマジカで赤いのが青いのにポッキー渡すシーンで【広告】とかいテロップ出てきたら興醒め。

ツイッターフェイスブックはてブが、TV雑誌ニュースサイトがやっていたコンテンツ広告をやりたいって思った時に、

それらSNS自分フォローしてるユーザーコンテンツしか見れないから、他のコンテンツが混ざってたらもう【PR】なんて書いてなくたって、広告なのがバレバレなので、潔く【PR】って書いてはじめたやつを「ネイティブアド」って呼ぶことにした。

古いやつだと、LDR広告フィードは今思えばネイティブアドだった。

ニュースサイトTV雑誌ではペイパブネイティブアドで、これは【PR】って書かなくても、発信者が限られているのでバレバレではない。

と、なんかペイパブでぐぐったら5年前や7年前の勉強になりそうなやつ出てきた。

http://nabokov.blog.jp/archives/1105285.html

http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0810/06/news075.html

2013-09-10

建前と本音

ぼくは某ベンチャー企業社長してて、パブリシティの一環でTwitterやらFacebookやらで社会に貢献がどうのこうの、夢がどうのこうのと書くことがあるんだけど、それって本心じゃないんだよね。

本心は、儲けたいし、好きな事をやって生きていきたい。

から起業するんだよ。

それが本音

だけど、最近実名投稿していることがあたりまえの前提になっちゃってる。

ググれば、その人の性格趣味思想がわかる、っていう世の中になっちゃってるわけで。。

そういうのを「オープン世界になった」と迎合する人達もいるけど、ぼくはなんか違うと思うんだよね。

人間関係は、全てがオープンではないか楽しいわけで、奥深いわけで。

本心で語ってこそ、人の共感を得られると思うんだけど、実名である以上、どこかで本心は隠さないといけないわけで。。

理不尽なことがあったら、ネタにして共感を誘いたいんだけど、実名でやってると社員クライアントの目を気にして、本音が書けないわけで。。

言いたいことも言えないこんな世の中なわけで。 ポイズン! 

実名ブログもやってたけど、結局みられてることを意識して、本音が書けないジレンマ

結局やめた。

いまは匿名掲示板増田ブログが心地よい。

2012-03-10

[] 当たり前のことをそれが当たり前でない人に語る時のテンプレ

「結論ではなく前提を確定させるレトリック」とでも言うべきか。

これを結論だと考えているなら教育者として詰んでるけれど、内田先生はおそらくスタート地点だと考えているはず。

http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.php

の文章について「教育エンタ」「教師→クリエイター」 「効率→売上」に機械的に置換してみた。

微妙意味が通らなくなるけど、大体同じ論調で似たようなこと言える話がいっぱいあるな、と思いました。

大事なのは効率じゃない」とか「感じ方は人それぞれ」「唯一の正解などない」という

当たり前だけど、当たり前になってないたぐいの主張を論理的に説明したい人のテンプレとして非常に便利な文章だと思うのでみんなも読みましょう。

エンターテインメントと売上は本質的になじまない。というのは、売上というのは、「単位時間内の仕事量」を以て考量するものであるが、エンターテインメントがそのアウトカムを計測するとき時間の幅は原理的に「その人が死ぬまで」というもので、「単位時間」を切り出すことができないかである。もちろん、無理をすれば単位時間を切り出して(「1時間以内の」とか「一学期以内の」とか「卒業時までの」とか)エンターテインメントアウトカムを考量することもできないことではない。けれども、そこではじき出された数値は、エンターテインメントを受ける本人にとってもエンターテインメント機関にとっても、実は何の意味も持っていない。


しかエンターテインメント機関の質評価に際して、「単位時間内にどれほどのエンターテインメント成果を上げたか」を見るということはやろうと思えば可能である。例えば、「今年の大学入試東大に何人合格たか」とか「TOEICの全校平均スコアが何点」ということは数値的に示すことができる。だが、それをあるエンターテインメント機関エンターテインメントの質の指標だと見なすことはできない。したい人は勝手にされればよいが、それには何の意味もない。

私たち経験的に言えるのは、「難関校合格するだけの学力をもつ生徒がたくさんいる高校」は難関校合格者が多いということ、「英語ができる生徒のたくさんいる高校のTOEIC平均スコアは高い」ということであって、それは単なる同語反復に過ぎず、当該エンターテインメント機関の行っているエンターテインメントの卓越性については何も語らない。


もし、本気でエンターテインメント機関としての優秀性を難関校合格者で測定したいと思うなら(誰が思うか知らないが)、高校入学時点で複数の高校に同数の生徒をランダムに配分して、「よーいドン」でエンターテインメントして、3年後の東大合格者数やTOEICスコアを比べればいい。新薬治験と一緒であるランダムグループ分けして、こちらにはA高校のエンターテインメントをほどこし、こちらにはB高校のエンターテインメントをほどこし、3年後の同じ試験を課して学力を測定すればとりあえずエンターテインメントプログラムの限定的な効果についてはデータが手に入るだろう。でも、そんなことをしている学校日本のどこにもない。やろうという人もいない。エンターテインメント機関の質の指標をそのような数値で示すことが実は無意味なのだということをみんなほんとうは知っているかである


というのは「このエンターテインメント方法でやってみたら、うまくゆきませんでした」ということをエンターテインメントする側は絶対に言うことができないかである学校エンターテインメントの相手は生身の人間である。「出来の悪いエンターテインメントプログラムを与えたせいで、学力が劣化しました」といって放り出すわけにはゆかない。エンターテインメントにおいて「実験」は許されない。だからエンターテインメント機関の卓越性は科学的には考量不能なのである松下村塾にしても、適塾にしても、懐徳堂にしても、劇的な成功を収めた学校歴史上たくさんあるが、それが成功した理由を科学的に証明することは誰にもできない。それを証明するためには、松下村塾と同じ資質の塾生たちを集めて、吉田松陰ではない人が教えた場合アウトカム比較するしかないが、それが不可能だからである


卓越したエンターテインメント機関が卓越しているのは「卓越した資質を持った若者たちが、そこに惹きつけられて集まってきた」からである。私たちにはそれしか言えない。別に吉田松陰有為青年たちに向かって、「うちで学ぶとこんなに知力が上がり、いずれ歴史的転換点で大きな働きをして栄爵を得るでありましょう」というようなパブリシティをしたわけではないし、「他と比べて、こっちの方が学習努力費用効果がよさそうだ」と算盤を弾いて、高杉晋作伊藤博文山縣有朋が門下に参じたわけではない。そこで何が行われているのかわからないし、そこで講じられていることにどんな有用性があるのかよくわからないけれど、「なんだか知らないけれど、そこに行って学びたい」という若者たちが蝟集してくる学舎がエンターテインメント機関として結果的に高いアチーブメントを示す。私たちが知っているのはそれだけである


エンターテインメント機関の質はそこで学んだ若者たちがそれからあとなしとげた仕事の質によって見るほかない。そのときはじめて「これほど優秀な若者たちが一堂に集まった学舎はきっとすぐれたエンターテインメントプログラムを行っていたに違いない」という推論が成立するのである。あるエンターテインメント機関の質は、そこで学んだ人々のその後の生き方を見ることで事後的に測定するしかない。だが、「棺を覆いて定まる」という言葉が教えるように、ある人が「どのような評価を得たか」が確定するまでには長い時間がかかる。松下村塾の卓越性が歴史的に証明された頃には関係者は全員死亡しているので、科研費をつけることもできないし、塾長紫綬褒章を送ることもできない。そうものである。私たちがある学校の卓越性や瑕疵についてのエビデンスを得るのは、いつだって「もう遅すぎる」ようになってからなのである


からエンターテインメントアウトカム単位時間を区切って計ること(つまり「売上」を論じること)には何の意味もない。エンターテインメントを受けたその直後にきわだった成果を示す人もいるし、同じエンターテインメントを受けたのだが、その成果が現れたのが卒後50年してからという人もいる。死の床において来し方を振り返ってはじめて「私の人生がこのように豊かなものであったのは、小学校ときに受けたエンターテインメントのおかげだ」ということに不意に気づくということだってある。 

私が30年のクリエイター生活の経験から言えることは、エンターテインメントにおいて、クリエイターからの「働きかけ」と学ぶものが示す「成果」(もっと散文的に「入力」と「出力」と言ってもいい)の相関は「よくわからない」ということである。ある学生にとって「学びのトリガー」となったような働きかけが別の学生には何の感動も与えないということがある。こうすれば必ず学びが起動し、学生たちの知的ブレークスルーが始まる、というような「一般的な」エンターテインメント技術というもの存在しない。残念ながら。



人間は実に多様なきっかけによって心を開き、心を閉じ、学び始め、学ぶ気力を失い、成長を開始し、退行する。私たちクリエイターが言えるのは、「経験的に比較効果的な方法存在する」ということだけである。その方法さえクリエイターごとにみな違う。だからクリエイターたちが集合的に「正しい教え方」について合意形成するということは決して起こらない。

だが、まさにすべての子どもを斉一的に知性的感性的に成長させる方法存在しないという当の事実人間本質的な開放性を担保していると私は思う。それは言い換えると、あらゆる人間のあらゆる言葉、あらゆるふるまいが、子どもたちにとっては「学びのトリガー」となる可能性があるということである



やがて知的ブレークスルーを担うようになる破格にイノヴェーティヴな子ども(千人に一人くらいの確率でいる)にとって、目の前に立つクリエイターほとんどは(残念ながら)知的にはあまりインスパイアリングではない。けれども、「クリエイターが十分に知的に啓発的ではなかったためについに才能が開花しなかった天才」というようなものを私たちは想像することができない(その程度のことで萎れてしまものを私たちは「才能」とは呼ばない)。クリエイターは、しばしばその狭隘さや愚鈍によってさえ子どもの学びを起動させることができる。「なぜクリエイターたちはこれほど愚鈍なのか?」という問いはある種の子どもたちを「学校」や「エンターテインメント」についてのメタ認知に導く(彼らはいずれ「誰であれ教壇の向こうに立っていてさえいればエンターテインメント的に機能する。人は教える立場にある限り、教えることができる」という人類学的知見にたどりつくだろう)。


これほどに学びの機会が多様であるのは、自分が何を学んだか」についての決定権が最終的には個人に属しているからである。同じクリエイターに同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのときクリエイター言葉意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的な連続」として再編集する。必ずそうする。過去の出来事の意味現在自分の状態に基づいて、そのつど改訂されるのである。だから過去の出来事が意味の改訂を拒絶するというのは人間が成長を止めたということと同義である(それゆえ、意味の改訂を拒絶する出来事の記憶のことをフロイトは「トラウマ」と呼んで治療の対象としたのである)。


自分が何を学んだかを決定するのは私自身である。そして、「誰も同じその人から私と同じことを学ばなかった」という事実こそが私たちひとりひとりの代替不能性、唯一無二性、この世界に私が生まれなければならなかった当の理由を形成している。学びというのはそのようなしかたでダイナミックに構造化されている。学びが力動的で、時間的な現象である限り、私たちが生きる一瞬ごとに、私たちがかつて受けたエンターテインメント意味は改訂され続けているのである。私たちがかつて受けたエンターテインメント意味が振り返るごとに改訂され、そのつど深みと厚みを増し、そのつどそれまで気づかれなかった相をあらわにするということ以上にエンターテインメント的な事況というものがあるだろうか。


「売上」というのはもう変化することのない価値人間尺度からすれば「死物」としての価値)を抽象的に切り出された単位時間で除して得られるものである。そのようなものを数値的に考量したり、比較したりすることに学びにおいてどれほどの意味があるのか、もうこれ以上の言葉を継ぐ必要はないだろう。

この記事で語られている理屈は、滅茶苦茶汎用性高いと思います

政治のように決定が大事場所で、いつまでたってもこういうことをずっと述べ続ける人は

バールのようなもので投げられても文句は言えないと思いますが、

議論のスタート地点でこういう「アタリマエのこと」を考えてもいない人はもっと危険です。

アタリマエのことを、それが当たり前でない人に納得させるように語るのは非常に難しい。

この文章から学べることは多いと思います


お暇な人、良ければ細かい部分修正したり換骨奪胎して

「お前の感想けが正解じゃないんだよ2ちゃんの豚め」とか

「売り上げ厨死すべし」的な話を作ってください。

2011-08-18

24時間テレビ批判が今年も繰り返される

チャリティ番組を養護したり否定したりする気はさらさらないのですが、ちょっと知恵をつけた消費者様が何かに先導されたように24時間テレビの在り方を議論してるような雰囲気でdisってるだけというのが今年も繰り返されそうで辟易しちゃう。

【再掲】外国人も呆れる″エセチャリティー″『24時間テレビ』最大の過ちとは - 日刊サイゾー

最初過去の記事がはてブで注目されたのかなっと思ったけどなぜか再掲されていたりするのでそうではないみたい

だいたい議論し尽くされた感があるので今年はそれをふまえてやっていただけるとありがたいです

他、論点があれば追記していきますので絶賛募集中です

チャリティ原理原則海外事例が正しいよ主義な人とどんな形であれチャリティ機能している点を評価しようぜ主義な人は今年も不毛な議論をするわけですね。

願わくば私の半径3メートルぐらいではめんどくさいのでふっかけてほしくない。

2010-10-04

http://anond.hatelabo.jp/20101004100511

テレビニュース報道広告枠だってことに気づいてない人が大杉

そうじゃなきゃ、パブリシティ狙いで予算かけたり、PR会社に頼んだりしないって。

SEOを知らずに、Google検索順位がサイトの良し悪しで決まってると信じてる人くらいおめでたいよね。

 

デモなんて、金が動かないし、代理店の根回しも無いし、政治色強いし色々面倒なので本来なら全部スルー

それでも報道しなくちゃいけないニュースは、自局だけが無視しても他の局が取り上げそうなほど

大きいニュースと、各局(各新聞社)の支持政党にとって大きなプラスになるニュース

 

今回のは、どっちにも関係ないから、取り上げない。

それだけのこと。

国会議事堂周辺に平日午後とかに行ってみな。毎日のようにデモやってるから。

渋谷で2000人規模でやったくらいで、いちいち取り上げないって。

2009-03-21

おっと

http://anond.hatelabo.jp/20090321131519

おっと産経新聞の悪口はそこまでだ!!あれはマスコミじゃなくてパブリシティという話もあるけど。

2008-09-17

ハマショー浜田翔子)の新写真集がすごい件

コンビニで売ってる雑誌ハマショーグラビアが載ってたんだけどさ、これが新写真集パブリシティらしい。

え、なにこれ?

パイパン…??

撮影現場では確実に「具」が見えてるんじゃないの?それをフォトショップで消してるってことか?

少年誌の表紙も飾ったりしてる人気アイドルなのに、ここまでやっちゃうのかよ。

たまらん、もうたまらん!

2008-03-28

夏帆が可愛い

うた魂♪」のパブリシティでいろんな雑誌夏帆が出てるが、この子は可愛いな。

ケータイ刑事銭形零」のときも可愛いと思ってたが、この二つの「可愛い」は別の感情だな、たぶん。

銭形零の時はガリガリの足で胸も洗濯板のようだったが、今はスレンダーながら丸みを帯びた体つきになってる。

顔もぐっと大人っぽくなったよなー。

2008-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20080323174353

ググレカス

といって一言で済ませちゃうのも増田らしくないのでまじれすすんぜ。

よこレスだけどさ。

http://www.n-eigashinsha.jp/libr-qa.html

Q4.肖像権てなんですか?

A. 著作権用語辞典によると「わが国の実定法上、明文の規定はなく判例により承認されているもの。人格権としての肖像権財産権としての肖像権に分類される。」とありますが、後者普通パブリシティに関する権利と称されています。

 人格権としての肖像権は、人の顔又は社会通念上特定人であることを識別しうる身体的特徴をみだりに撮影・公表等されない権利と定義することができます。

したがって、承諾なしに人を撮影する場合や、撮影した人の写真映像を使う場合には、アップでの撮影や写っている人を特定できる写真映像の使用は避けるなど注意が必要です。

法律で規定されて罰則があるというよりは、財産権としてみとめられていて判例があるっていうやつだな。

肖像権あたりでの係争で掘ればわしゃわしゃでてくるよ。

親告罪というと大仰だけどな。

他方で、特定人であることを識別できる写真映像を一切撮影・公表できないとなると公的な場所での撮影や公人の撮影すらできなくなるなど不都合が生じます。実際には、こうした場合には肖像権侵害にあたらないとされる場合が多いのですが、どのような場合に特定人であることを識別できる写真映像を撮影・公表撮影できる場合 にあたるかというという判断は必ずしも容易ではありません。

撮影された本人が「みだりに生活へ侵入された」と感じた場合だから、

その判断基準ってば、いってみればセクハラみたいなもんだよね。

最終的にはその不利益と公益とが天秤に掛けられる。

李下に冠を正さずとかいうじゃない。

そんな感じ。

というか、ブクマコメントみておもったんだけど、、、

肖像権ってここまでマイナー存在だとは知らなかったよ・・・。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20080322015420

2007-08-24

盛り上がってきましたSecondLife!!

正攻法から捻ったパブリシティまでますます盛り上がってまいりましたセカンドライフでございますよ!何が起こるか目が離せない、ナウオワネバーでヤルオワダイですね!

でもボクはクライアントアンインストールしちゃったから皆さんにお任せしますよ。

 
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