はてなキーワード: 日本ユニセフ協会とは
「[『フェミニスト原則』は女性の権利に言及していない」という意見をTwitterやToggeterで見かけた。
全ての人に普遍的な権利を主張するばかりでこれでは"feminism"ではなく"humanism"である、と。
フェミニズムは"female"から来ている言葉だろうしそう主張するのも当然だ。
Black Lives MatterがAll Lives Matterに変わっていった時と同じ違和感をTwitterやTogetterで活動するフェミニストの方々も抱いているのだと思う。
ここで私も『共同声明「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」』を読んで抱いた考えを書いていく。
日本語翻訳版を上から読んで思ったことを順に書いていくのと体調の不具合で言語能力が落ちているので読みにくかったらすみません。
まだ社会に広く受け入れられていないセクシャリティを持つ女性が自身に向けられた差別や認められていない権利について訴えても何もおかしくはない。
「LGBTQIにはペドフィリアも居る」という意見を見かけたが、どのようなセクシャリティの人であろうと他人を傷つけてまで欲を満たすことを声明は肯定していないと思う。
それはホモセクシャルもヘテロセクシャルもトランスジェンダーもシスジェンダーもみんな同じだ。
この部分が最も女性の権利について言及しているところだと思う。
宣言の中の「家父長制の権力」や「西洋的な二元的ジェンダーと性別の構造」はシスジェンダーかつヘテロセクシャルの男性中心に作られた社会構造のことを言っているのだと思う。
その社会構造こそ、ずっと昔から今に至るまで女性から権利と身の安全と社会参画を奪ってきたものではないか。
女性だからと低賃金の仕事を割り当てられたり、結婚・出産時に転職や退職を迫られたり、男性の支配欲求や性欲を受け止めて当然とプレッシャーをかけられたり、ハラスメントや性暴力の被害を訴えても自己責任にされたりしてしまうのも、全部全部「家父長制の権力」のせいだ。
序文の最後の方に「私たちのフェミニズムは、ジェンダー、性別、セクシュアリティの経験には均質性などなく、様々な人々がそれぞれのレベルの差別や抑圧、特権を経験していると認識することから生まれる力を確認します。」とある。
つまり、どんな人もある場面では弱者であり、別の場面では強者にもなるということを言っているのだろう。
例をあげると、母親に比べて父親は子どもの保護者会やPTAなどの学校行事に参加しにくい、子どもと外で遊んでいると周りに不審者扱いされるというものがあると思う。
男性は他の場所で絶大的な権威を持っているのだからと父親の育児参加を妨げていると、結果的に女性の不利にもなると思う。
母親ばかりが子どものために仕事を休み、それを別の低賃金で働く女性が穴埋めするというのはよくある光景のはず。
実際のところジェンダーだけでなく地域、人種、階級、信仰、経済状況など色々な要素が複雑にからみ合って「それぞれのレベルの差別や抑圧、特権を経験」をすることになるのだと思う。
あと「私たちのフェミニズムは~」という一文は、同じ属性であっても同じ差別を経験するとは限らないということも言っていると思う。
SNS上だと全ての女性は痴漢被害を経験しているような雰囲気があるが、痴漢被害に遭ったことがない女性だって当然居る。
しかし、同じ経験をしていなくても共通の目的を持って「家父長制の権力と闘」うことはできるはずだ。
経済的困窮や社会の混乱によって女性がセックスワークに就かなければいけないのは私も反対。
ましてやセックスワークをする女性が妊娠や性病、暴力などのリスクにさらされるのは論外。
ただ、心身の安全を保障された上での職業選択の自由はあるべきだと思う。
それはセックスワークも同じだ。
「ジェンダーを自己決定できる自由」が女性愛者が女湯に入るためや、男性が女性アスリートになって無双するために行使されるべきではない。
誰かの自由を認めることで他の誰かの権利や安全が脅かされてはならない。
そもそもの話、性自認は私利私欲のために簡単に変えられるものではない。
覗きをするためや金メダルを手に入れるためにトランスジェンダーになることなどできない。
自身の持つジェンダーが法やその他の圧力によって歪められるのは誰でも居心地悪いと思う。
宣言の第三項、ここでは主にトランスジェンダーやインターセックスの人に対する手術について言及している。
ただ、「特定の人々やグループへの、植民地的で家父長制的な医療化」はシスジェンダーの女性にも起こりうる。
「女性器切除(FGM)」というものがアフリカなどの一部地域で行われている。
女性性器切除(FGM) | 子どもの保護 | ユニセフの主な活動分野 | 日本ユニセフ協会
「本当にそんな風習があるのか?」と思った方は上のサイトを見ていただければと思います。Wikipediaの方はやや刺激の強い画像がありますが。
日本でも生理不順の治療などで使う低用量ピルの承認が遅かったり、今でも一か月分のピルの値段が三千円弱したりと女性が「家父長制的な医療」に支配されている状況にある。
他にも例を挙げればキリが無いが、「誰もを受け入れ、思いやりのあるヘルスケアは、商品や特権ではなく人権です。」という文言にはLGBTQIではない女性も同意できるはずだ。
第八項のこの部分はまるでフェミニストが女性を見捨てたように感じる。
女性が女性の権利のために始めたフェミニズムが男性やセクシャルマイノリティまで相手にし始めるのは裏切り行為にさえ思える。
この項は見方を変えれば「女性という属性だけを見てその人が経験した差別や抑圧を推測することはできない」とも読めると思う。
「女性であれば誰しも」「全ての女性は」「女性というものは」といった言葉から始まる意見に反発や孤独感を感じたことがあるかもしれない。
それらの意見は女性という存在を理解していないのではなく、女性の中にも様々な意見やライフスタイルを持つ人が居るということを理解していないのだ。
だからこそフェミニストは一人一派としてそれぞれが受けた差別や抑圧を発信していくのではないだろうか。
その発信が「「男性」対「女性」、若者 対 年配者、世界の南 対 世界の北」の対立になることは避けなければならないが。
フェミニズムの活動が「家父長制の権力」の解体を目標とする限り、シスジェンダーの女性以外のLGBTQIも活動の恩恵が得られることは必然だ。
目標と得られる恩恵がおなじならば、フェミニストとLGBTQIが協力すればより良い社会は更に近くなるだろう。
それぞれ辛いことはあるかもしれないが、それぞれが思うことを、どこかの誰かをむやみに傷つけない範囲で、ため込まずに発信していきたい。
『フェミニスト原則』はその発信をより効果的にするために必要な宣言になるはずだ。
最後まで読みにくい長文を読んでいただきありがとうございます。
日本ユニセフ協会がやっているマンスリーサポートという、銀行口座やクレジットカード経由で定額の支援ができるプログラムがある。おれもこれに参加していて、しばらくたったのだが、こないだ解約した。これは別に何千円が惜しい、というわけではない。いや、カネないけど。まあ、それはおいといて、解約した理由としては「自己満足感が薄い」という点が挙げられる。支援の目的としては貧困国の人たちの生活がちょっとでも良くなれば、という気持ちもあるのだが、それと同じくらい「良いことしたなー」という自己満足感/自己肯定感を得たい、という部分ある。けど、月々の定額の引き落としだと、なんとなく「寄付したなー」感がめちゃくちゃ薄くなるんだよな。たまに口座の明細をみて思い出す程度。それなら多少手間であっても、銀行に行って現金で振り込み依頼をしたりしたほうが満足感を得られるな、と思ったのだ。もちろん、マンスリーサポートという仕組みはそういう手間を嫌ったり、なんとなく支援しようかなあ、と思っている人には良い仕組みだと思います。
共通点を考えてみる
似たところで言うと税務署
ひょっとしたら適正に運用されているかもしれないが、疑いが晴れるわけもない
それだけ彼らが集めている金はでかいのだ
日本ユニセフ協会も、金を受け取った人からのフィードバックが募金者に届いているかと言えば疑問だ
なので支払う側からすれば「なんかお金取られた」でしかなくなる
みかじめ料なんて言われたりもするね
「私は音楽教室のぶんは無料にしたいです」みたいなアーティストの意向を受けて例外対応したりしない
これは包括契約が悪いと思うが、そこを変えようとしない
最近はライセンスパターンみたいなのもあるが、そういうのを取り入れようとしないので不信感が増す
公共放送だが、どの番組に力を入れてほしいみたいな意志は届かない
これは日ユニというより募金全般だけど、何に使われるかが割りと包括的で不明確
どこも実際に給料や報酬は抜いてるわけで、どうあがいても批判は買う
これらに対するヘイトって何のことはなく、行政に対する不満と同一のものだよね
・柔軟性を持つ
・信頼されている人を役員に引き入れる
・ガラス張りを心がける
を徹底するしかないんじゃないのかな
このところ世間を騒がせているキングコング西野の絵本「えんとつ町のプペル」無償公開事件。
これについて自分は本当に西野亮廣という人間は天才だと感じた。
と言っても別に例の絵本は西野が書いてないのに西野が書いてることになってる件とか、
配布してるページが収益貰えるシステムになってるとかそういう下らないことを指して天才と言いたいのではなく、
彼の行った一連の「ネット印象操作」についてが天才的だと言いたいのだ。それについてちょっと説明してみたいと思う。
http://lineblog.me/nishino/archives/9256089.html
「お金の奴隷解放宣言」。このセンセーショナルなタイトルと以降の文章についてどう思うだろうか。
多くの人は以下の2つの印象を持つだろう。
・お金のことをよくわかっておらず、格好いいことしようとして周りに迷惑をかける無知
おおむね、ネットの反応も上の2つで通っていたと思う。
重要なのはこの2つの印象を同時に持ってしまうことだ。つまり「お金のことを何も理解してない上に裏できっちり稼ごうとしているバカで賢い人間」。矛盾していると思うだろうか。
いや、そんなことは無いのだ。日本には似たような人、または似たようなイメージを持たれている人が多数存在する。
例えばワタミの渡邉美樹社長。社員に対してああだこうだ頭の悪そうな夢を説いているが、実際の所人件費をケチるための方便だろう。
あるいは日本ユニセフ協会のアグネス・チャン。世界の子供を救うなんて言ってるが、実際の所募金で金を稼ごうとしているだけだろう。
事実はともかく、日本にはこういうイメージを持たれ、日々ネット民のサンドバックになり続けている人間が多数存在する。
西野亮廣はそんなサンドバックのイメージにピタリとはまったわけだ。
だから誰もが西野亮廣を攻撃した。この人が人を呼ぶ大炎上により無事「えんとつ町のプペル」の人気は再燃。見事amazonの絵本売上でランキング1位をかっさらったのだ。
めでたし、めだたし。
・・・で、終わらなかったのが今回の話のスゴイ所だろう。
この時点で西野は賢いだの商売がうまいだの、「上から目線」で評価しようとする人もいたが、個人的にはそりゃねえだろと思っていた。
いくら成功しようと儲けようと、他人に嫌われて成立する商売なんてクソの一言で済ませるべきだ。だから今回も、西野はクソ、で終わるはずだった。
ところがこの西野亮廣という男、この炎上を鎮火するどころか、同情すら買ってしまったのだ。
http://lineblog.me/nishino/archives/9256313.html
今度の記事はどうだろうか。そこにはいい格好したいだけのうすっぺらい無知もいない。裏でこっそり稼ごうとするクズもいない。
いるのは堅実な夢を語り、真っ当なビジネスで堂々と稼ぐ西野亮廣ただ一人だ。
これが恐ろしいところだ。ネット民は誰もが西野を「叩いても反論できない男」だと確信していた。
渡邉社長が「社員に残業を強いているのは経営のためだ」とか、アグネス・チャンが「募金の一部を貰ってるのは社員を食わせるためだ」と言うだろうか?
口が裂けても言えないだろう。それまでの発言を否定することになるからだ。
前日のすっからかんな内容の記事にはウソも隠し事も無かった。しかし、この日の発言をする余地をしっかりと残していた。
これについて文句を言う人は前日より遥かに減った。何しろ、彼の発言は何もかも正しいからだ。
無料で配布しても利益は出る。お金が必要じゃない場合もある。むしろこれらの言葉は、旧態依然とした日本の大企業や政府に言ってやりたい言葉、
前日の記事をリアルタイムで見ずに、この記事を見た人はどう思うだろうか。
「なんだ、西野ってカッコいいやつじゃん!それに対して文句言ってる連中は頭悪いな!」だろう。
つまり、西野亮廣が嫌われることにより発生した炎上は、ここで無事鎮火したのである。火災発生からたった一日で。
「炎上ビジネス」と言われた案件は数あれど、そのどれもが今も嫌われ続けている。
対してこれほど見事に嫌われの輪廻から外れたのは類を見ない。だから西野亮廣は天才だと思う。
いや、これは西野亮廣個人がやっているかはわからない。というか十中八九、裏にブレーンがいるか、あるいは西野本人がブレーンとなって駒を動かしているかだろう。
何しろ1/20の記事がこなれすぎている。たった1日、いや、炎上した後から計算すれば半日で、これほど見事な文章が書けるだろうか。
おそらくは元からネットの反応を予見していて、それに対する文章を用意し、そこにツイッターの反応を埋め込んでいった。それだけだろう。
だからといって蔑むことはない。キングコング西野というコンテンツを、ここまで見事に運営したグループに天晴と言うほかない。
ただし一つだけ、どうしても気に入らない点がある。
声優の明坂聡美さんをはじめ、ネットでは「無料配布は誰も幸せにならない」という文句が巻き起こっていた。それに対して、「えんとつ町のプペルは売れた」という趣旨でこき下ろした点だ。
ネット民が文句を言ったのはえんとつ町のプペルを無料配布したことではなく、あくまでその後のポエムに出てきた「お金はいらない」という下りだろう。
早い話が彼らは論点のすり替えを行って上手いこと反論したのだ。いや、議論になっていないから一方的な暴力だ。これについては流石に弁護できない。
http://www.sankei.com/west/news/140104/wst1401040001-n3.html
虚構新聞が“報じた”99%の情報が嘘だが、言い換えれば、1%の事実が含まれていることになる。嘘記事の中にわずかな真実を加えるという手法は「誤解を招く」との批判もある。最近では創刊以来初めて、記事の「削除要請」も受けた。
問題となったのは、昨年11月18日朝に配信された《日本ユニセフ、寄付金の流れ透明化へ》という嘘記事。《日本ユニセフ協会が地上40階建ての全面ガラス張りの新本部ビルを建設して『限りなく透明に近い日本ユニセフ』を目指す》といった内容だった。この場合、日本ユニセフ協会が「寄付金」を募っているのは周知の事実だが、それ以外は「虚構」の世界だ。
この嘘記事は同日午後に削除され、虚構新聞社は「協会から『信頼を失墜させかねない』とした抗議文が届いた」と明かした。
UK氏は「記事はもっとシンプルな形でも良かったかもしれない。その意味では書きすぎた」と振り返りつつも、「削除要請は納得できない」と強調する。
「日本ユニセフから『この部分が誤解を招く恐れがある』と説明があれば、きちんと対応する。まずいと思ったものは記事中で謝罪する気持ちもあった。だが、自分の表現に対して何の説明もなく消せというやり方は暴力的だ」と憤る。
これまで第三者からの抗議はあったものの、記事で取り上げられた当事者の団体・個人から抗議はなかったという。
これに対し、日本ユニセフは削除要請について「『虚構新聞』を知っている人はいいが、(検索サイトの)検索結果などで見出しだけ見て誤解し、ユニセフ本部や日本ユニセフ協会に対する信頼を失われる方々が発生する可能性を懸念した」としている。
フェミニストからキモオタは死ねと言われ、私はもちろんキモオタであるから激昂してクソフェミは死ねと言い返しかけて、そこでふと気がついて困惑した。
フェミニズムとは何だろうか。
私はフェミニズムを名前ぐらいしか知らない。しかし知らないものを知らないままにしておくことは、少なくとも私にとってキモオタらしからぬ行為である。私は自分に自信をもってキモオタでありたい。クソフェミに死ねと罵られるキモオタであることに誇りを持ちたい。ならばフェミニズムについて知らなければならない。
しかしフェミニズムについて知りたかったら何を読めばいいのか。これが意外と分からない。ロールズやセンを読めというのを見つけたので読んでみたが、やはりフェミニズムが分かった気になれない。
そこで手当たり次第に適当にフェミニズムの書籍を読んでまとめみることにした結果が本稿である。決して十全ではないが、私同様、フェミニズムをよく知らないオタク諸姉諸兄にとって、フェミニズムの理解の取っ掛かりになれば幸いである。
フェミニズムは大きく三種類ある。ラディカル・フェミニズム(以下ラディフェミ)、リベラル・フェミニズム(以下リベフェミ)、そしてマルクス主義フェミニズム(以下マルフェミ)であり、それぞれ理論の組み立ては全く異なる。以下順に見ていこう。
現在のラディフェミの理論的支柱はキャサリン・マッキノンと言っていいだろう。「性の不平等の源はミソジニー(女嫌い)」であり、「ミソジニーの源は性的サディズムにある」(C.マッキノン,"フェミニズムと表現の自由",1987,*1)。そして社会に溢れるポルノグラフィ(以下ポルノ)こそが「性差別主義者の社会秩序の精髄であり、その本質をなす社会的行為」(*1)に他ならないと喝破する。この諸悪の根源はポルノであるという揺るぎない確信から、ポルノの法規制を推進する。
ポルノが性犯罪を誘発するという統計的な証拠はあるのか。この批判に、しかしマッキノンは自覚的である。誘発するという調査もあり、無いという調査もあると率直に認める。従って彼女が起草した反ポルノ法は「被害をもたらすことが証明されうる物だけが告発できる」(C.マッキノン&A.ドウォーキン,"ポルノグラフィと性差別",1997,*2)。「証明されるべき被害は、強制行為、暴行脅迫、名誉毀損、性にもとづいて従属させる物の取引といった被害でなければなら」(*2)ず、不快に感じた、宗教上の信念を侵しているといった被害は認められない。被害者ではない第三者が告発することも認められない。
ポルノには、ホモもレズも二次元も、古典文学から芸術作品まで被害をもたらすことが証明される限り全て含まれる。自分が叩きやすいゲームやマンガだけを槍玉にあげて、自分が叩かれやすい文学や芸術から目を背けるチキンではない。殴るからには全て殴る。それがマッキノンである。
なお、田嶋陽子はラディフェミを名乗りドウォーキンへの共感を示しているが、ポルノを諸悪の根源とはせず、現実的政策としてはリベフェミに近い内容を述べているため注意されたい("愛という名の支配",1992)。
J.ロールズの「公正としての正義」やA.センの「不平等の再検討」をその理論的土台とし、リベフェミは次の点を問題視する。「ジェンダーシステムは、その根を家族における性別役割にもち、事実上わたしたちの生活の隅々まで枝葉をはびこらせた、社会の基礎的構造のひとつ」(S.オーキン,"正義・ジェンダー・家族",1989,*3)であり、「女性と男性の重要な差異が、家族内で現在おこなわれている性別分業によって作られる」(*3)。
夫婦がともに働いている姿を子供に見せることが教育上望ましいと考え、そして共働きにおいて妻にだけ家事育児が押し付けられることは不平等であり、二人で平等に分担するべきであるとする。もし専業主婦なら、夫の稼ぎは夫婦二人で稼いだものとして両者で均等に等分すべきだとオーキンは言う。
このように家庭内の賃金、労働の不平等の解消によって性差別の無い社会が構築されるとする考えから、リベフェミは女性の社会進出を推奨し、出産休暇や託児所の拡充、男性の育児休暇取得を推進する。また「子どもたちがなりたい人間になる機会」(*3)を拡大するため――その機会を無知ゆえに狭めないために、性教育の重要性を訴える。
なお、「男性を敵視し憎む分派は消滅するだろう」(B.フリーダン,"新しい女性の創造",1965)が示すように、フェミニズムを男性と女性の権力闘争化することに否定的立場をとる。
出産を含む女性の家事育児は明白な労働行為である。にも関わらず男性社会はそれに一切の支払いをしてこなかった。ゆえに女性とは搾取されるプロレタリアートであり、その意味で男性とはブルジョワジーである。女性の抑圧は、資本制と家父長制の構造上必然的に生じたものであると喝破し、資本制・家父長制の打倒を訴え、そしてこれが日本の伝統的フェミニズムである。
女性の社会進出に関してはリベフェミの主張とほぼ同一だが、フェミニズムの主要な敵は男性であると断じ、マルフェミでは家事育児という労働に対する賃金の支払いを請求する(上野千鶴子,"家父長制と資本制 マルクス主義フェミニズムの地平",1990,*4)点で異なる。ただし誰に請求しているのか、また家父長制を崩壊させるために「資本制との新しい調停」を、というが、それが共産制かというとそれも曖昧で判然としない。
日本ではさらにそこに独自の思想が入り交ざる。例えば男女混合名簿の推進は「日の丸・君が代をシンボルとする儀式を撃ちくずす」(河合真由美,"「男が先」を否定することでみえてくるもの――学校の中での性差別と男女混合名簿",1991)から良いのだ等、目的が何なのか、いささか混沌としている向きも見受けられる。
レズビアン・フェミニズム、ブラック・フェミニズム、エコロジカル・フェミニズム、ポストモダン・フェミニズムなど多岐にわたる。マルクス主義フェミニズムの派生であるサイボーグ・フェミニズム(D.ハラウェイ,"サイボーグ宣言",1985)は読むとつまらないがネタとしては面白い。あとキワモノで言えばスピリチュアル・フェミニズムとか。
同性愛者とフェミニストの関係は、従来男性権力社会に対する「敵の敵は味方」関係に過ぎなかった。そこで登場したのが「フェミニズムと、ジェンダーに関するゲイ/レズビアンの視点と、ポスト構造主義の理論を、政治的にひとつに纏め」(J.バトラー,"ジェンダートラブル",1990)たクィア理論である。これにより統一戦線を理論的に張ることが出来るようになった。
リベフェミは広範な男性差別は否定するが、アファーマティブ・アクションでの男性差別は肯定する。ラディフェミは男性敵視の姿勢を持つが、しかしマッキノンは男性だけが徴兵されることは男性差別だとして否定する。「平等とは、ジェンダーの違いではなく、ジェンダーヒエラルキーを問題にし、その根絶をめざすものである」(*1)からである。マルフェミはよくわからなかった。女性兵士に反対しているので、男性差別は肯定されるのかもしれない。
セクハラ、家庭内暴力、中絶、女性兵士等色々あるが、本稿ではオタク、わけてもアニメオタクと関係の深い「性の商品化」について取り上げる。
マッキノンは、猥褻として過去に規制された、まさに「性の商品化」であるユリシーズ(J.ジョイス,1922)について「ポルノではない」と述べる(*2)。現実の被害が証明されていないからである。「性の商品化」は法規制の理由にならない。
リベフェミであるN.ストロッセンは「子供や妻への虐待、強姦、日常的な女性への屈辱行為などを正当化する内容が詳細に述べられている」書籍として聖書をあげ、「禁止されない安全な思想などほとんど存在しない」("ポルノグラフィ防衛論",2000)とする。そして性教育がかつて猥褻として政府に規制された例を上げ、ポルノ禁止法は政府の検閲に利用されると強く批判する。
一方、上野は「性の商品化」だとしてミスコン廃止を訴えるフェミニストについて、彼女らは「法的取り締まりを要求したわけではなく、受け手として「不愉快」だという意思表示の権利の行使」であると言う。そして「性の商品化」は「メディアのなかでも、なんらかの基準がつくられる必要がある("「セクシュアリティ」の近代を超えて",新編日本のフェミニズム6,2009)」とする。
ここから見えてくる点として、女性が「不愉快」であることが問題なのだということが分かる。「性の商品化」とは何か、それに実害があるかは、おそらく最終的にはどうでもいいのである。さらに求めているのは自主規制であって法規制ではない。自主規制によって発言者は自ら口をつぐむのだから、表現の自由は全く関係のない話である。
リベフェミであるマーサ・ヌスバウムは嫌悪感を根拠とした法規制を徹底して批判し、ゾーニングの妥当性を論じるが("感情と法",2004)、マルフェミである永田えり子は「ポルノ市場が成立すれば、必然的にポルノは市場の外部に流出する。そして流出すると不快に感じる人がいる」("道徳派フェミニスト宣言",1997)としてゾーニングは効果がないと批判する。
ポルノは「人々に広く不快を甘受させているかもしれない。そして事実不快だという人がいる。ならば、それは公害である」。「性の商品化は多くの人々に対して、確実に何らかの不快や怒りを与えるはず」であるがゆえに規制されるべきだと主張する。
そのような不快感を根拠とした規制は恣意的な運用がなされるという批判は当たらない。曖昧な法は他にもあるが、現に警察と司法は正しく運用しているからである。性道徳に根拠が無いという批判も当たらない。「根拠がないということがすなわち不当であるわけではな」く、それは「正しいから正しい」のである。
なお、福島瑞穂は非実在児童のポルノ規制は法的安定性が保証されないとして反対しており、この永田の見解がマルフェミの共通見解でないことは述べておく。が、例えば児童ポルノの法規制に対して日本ユニセフ協会広報室長の中井裕真から司法は正しく運用してくれる旨の見解が述べられており(永山薫・昼間たかし,"マンガ論争勃発2",2009)、これがフェミニストの通説でないことは明らかだが、一定数存在する見解であるように思われる。
初期の日本のフェミニズムには「反主知性主義」があり、「女性であれば(女性としての経験をもってさえいれば)誰でも女性学の担い手になれること、専門的なジャーゴンや注の使用を避け」、「プロとアマの距離をできるだけ近づけること」が目指されたと上野は述べている("女性学の制度化をめぐって",2001)。
こうした取り組みで女性が声をあげられる空気を作り出すことに成功したが、結果としてフェミニズムは「一人一派」と化した。筆者の私見に過ぎないが、これは同時にフェミニズムと「私」の区別を曖昧なままにしたのではないか。
「私」とフェミニズムが一体化しているとすれば、「私」が不愉快ならフェミニズム上も不公正に決まっている。それが従来のフェミニズム理論と矛盾していたり整合性が取れなくとも関係ない。「「オンナ対オトコ!」なんて言ってるフェミなんて、いないのになぁ」(北原みのり,"フェミの嫌われ方",2000)が示す通り、従来の理論について知識も興味もないフェミニストは珍しくない。知らなければ(当人の中で)矛盾はしない。
「理論を欠いた思想は、しばしば信念や信仰へと還元されてしまいがちである」(*4)と上野は言う。そのような啓蒙主義者にとって「真理はつねに単純である。(中略)真理を受け容れることのできない人々は(中略)真理の力で救済することができなければ、力の論理で封じるほかはない」。そうして治安警察国家を招き寄せる人々は「反主知主義の闇の中に閉ざされる」。
これは実は上野によるリベフェミへの批判なのだが、筆者にはリベフェミではないところに突き刺さっているように思えてならない。
このようにフェミニズムは一言で言い表せるような概念ではもはやない。日本の初期フェミニズムはマルフェミが中心であったが、現代日本のフェミニストは必ずしもそうではないだろう(例えば堀田碧は"「男女共同参画」と「日の丸」フェミニズムの危うい関係"で一部の若いフェミニストの愛国心に苦言を呈している)。
最後になるが、フェミニズムはクソだという見解に私は全く同意しない。職場で上司が女性社員の尻を撫でることは強制わいせつ以外の何物でもないし、家庭内暴力は夫婦喧嘩ではなく傷害である。どれだけ成果を上げようが性別を理由に賃金を低く抑え、出世コースから排除するといった制度の是正にフェミニズムが尽力したことを、私は決してクソだとは思わない。
私がクソだと思うのは、……まぁ、書かなくても察してもらえるかと思う。
いささか長い増田になった。この程度の調査力でキモオタとかw という批判は甘んじて受けるしか無いが、とはいえもし誰かの理解の役に立ったのならそれに勝るものはない。
なぜアグネス・チャンが大使を務める日本ユニセフ協会が何故とりわけ槍玉に挙げられるのか。
(もちろん、それだけが理由ではないことは言うまでもないがここでは割愛する)
「中国人」であるアグネス・チャン(英領時代の香港生まれなので国籍はイギリス(厳密には本国生まれと扱いが異なる))が
ネトウヨの感情を刺激したからこそ、これだけ燃え上がったのだろう。
もし広告塔が韓国人だったらどうだったのかといえば、似たようなことはあったのかもしれないが、
少なくともチベットやウイグルを引き合いに出した非難の声はないだろう。
あと、もう一つ。アグネスが槍玉に挙げられていることによる影響を上げておく。
誰かがはてブで言っていたように、アグネスは弾除けの役割を果たしている。
他の団体や、警察、自民党の中の規制推進派が取り上げられることは少ないし、
ネトウヨ、とりわけ自民信者は自民党が規制推進寄りの姿勢を取っている現実や、
アグネスと安倍総理の交友関係などの不都合な話から目を背けることができるわけだ。
例の虚構新聞の日本ユニセフ協会の記事削除の件。自分は虚構新聞を毎エントリ読んでる。おもしろいと思うネタのほうが多いけれど、つまらんと思うネタもある。 今回のユニセフの記事は、つまらないと思った。
けれど、日本ユニセフ協会の対応の早さにびっくりした。8:00に記事が配信されて、14:30前に抗議が入ったということは、記事配信後6時間半以内に削除依頼を出していることになる。これって、早すぎないだろうか。この記事削除に絡んで、日本ユニセフは週刊新潮や個人サイトにも抗議を入れていることを知った。
つまり、日本ユニセフ協会には自らの名誉を毀損すると判断した対象には断固対応する姿勢があり、それもそれが即座に対応できる体制になっている。そのために雇ってる人間の人件費がどこから出ているかというと、ひろゆきの指摘したユニセフ本体に回っていない募金である。
慈善事業にも運営費がかかるのはわかる。日本ユニセフ協会が自身の名誉を毀損すると判断した媒体に対して抗議をするのも、それが日本ユニセフ協会の姿勢ならば、それはそれで認めざるを得ない。けど、こんな虚構新聞のような、インターネットの末端にまで日々調べまわって(まるで中国共産党のように)、抗議をする人間を雇ってるのは、全くの無駄であり、1円でも募金を無駄遣いする日本ユニセフ協会には募金はしない。そう決めた。
虚構新聞の「日本ユニセフ、寄付金の流れ透明化へ」という記事 日本ユニセフ協会から抗議が来て削除
http://news.nicovideo.jp/watch/nw843834
ニコニコニュース内の上記の記事についたコメント(もといTwitterの反応)を上から20個ほどコピペ。
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@TechnocratsRock
「今後日本ユニセフ協会とアグネス・チャンさんを取り上げる場合は、必ず接頭辞に「裏表のない」をつけること」ワロタ
@genpatsuhantaiz
この場合、たちが悪いのは抗議をした日本愈偽腐の方。つまり害悪団体が抗議が厚顔無恥な抗議をした事。
@kyusetsu
流石はユ偽フ、シャレも分からんとは。
@sitenrin
ひろゆきがきっかけで日本ユニセフはユニセフとは直接関係無い団体だと知った、アグネスの豪邸は寄付金で潤ってる。
@P2439tGm4d
間違えて、真実を記事にしちゃったんですねw
@fukoroha
@youdens2
ちなみに日本ユニセフは本家のユニセフの下部組織ではなく、直接の関係は無いそうです。
@hadoron1203
透明化のことなど見聞きするのもイヤなんだろうなw日本のマスコミの皆さん。このくらいの仕事しましょうね
@a_systematic_ap
なんだ、本当のことで知られちゃまずいことでも書いてあったのかwww見ればよかった
@x54aaa
ズルズルどつぼへ沈んで行くよ
@i_soua
@zarastro_jp
タイトルが紛らわしいな。ユニセフと日本ユニセフは明確に区別しないと。アカデミー賞と日本アカデミー賞くらい違うし。
@blackdomi
グッジョブすぎるw そして言い訳も日本ユニセフをいい感じに馬鹿にしていてさすがとしか
@tougenkyo244
寄付金の流用が%で許されるからって、何十億も抜いて偉そうに権利を主張する団体を信用は出来ないわけで。
@green8horn
狭量だなぁ
@trapfuse
資金の流れが不透明が嘘なのか、資金の流れを透明化頑張るが嘘なのかw
@takama23
協会ちゃんお小遣いあげてないとこから突付かれたから大騒ぎ!w
@siva_tomo
おいしい仕事だもんね、仕方ないね。%だから寄付金が増えるほど利益が増えるよ!やったねユニセフ!
@hero_in_brain
まだ透明化してないもん!ってことっすねなるほど
@233413
ここ改正児ポを必死で推進してる団体だろ。守りたいのは児童ではなく自分達の利益だろ?アグネス激おこw
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支援を受ける側にとっては、より多くの支援を行ってくれる組織が正義。
金に色はついてないので、2012 年度実績で約 130 億円も送ってくる団体は神様のような存在しか見えんでしょう。
なので、この戦略は無理。
本部は、各国のユニセフ協会に一定範囲内の中抜きを認めており、日本ユニセフ協会は半世紀以上に渡って安定的に巨額の金を本部に流し続けてるので無理。
日本ユニセフは公益財団法人として国の認定と監査を受けている、つまりお墨付きを得ている状態なので無理。
ちなみに公益財団法人の認定と監査は厳しい。なぜならば、そこ緩いと、やくざ組織の脱税やマネロンに利用されるから。
税務当局も金の流れはがっちりチェックしてるでしょう。役員報酬の不合理な増額とか、親族企業を使った不正経理とかやったら一発で締め上げられるんじゃないかな。
見えないトイレ建設費は割と無駄だと思うけど、判定アウトを勝ち取る材料としては弱いのよね。
日本ユニセフの主なターゲットは、情弱。つまり、テレビと新聞しか見ず、インターネット=ヤフーって思ってるような人たち。
そういった人たちにしつこいぐらいチラシ配ったり葉書を送ったり各種イベントで直接働きかけたりして募金を呼びかけて、掻き集めに集めた金額が 160 億円。
当然、ネットで批判が出ていても、日本ユニセフに現在募金してる人たちがその記事を目にすることは無い。
なんでも良いので、なるべく身の回りの多くの人たちに声を掛けて、募金活動への参加と、実際に募金を行うのは日本ユニセフ以外にするように働きかける。
これ。
あとは有言実行、行動あるのみ。
日本ユニセフより多くの募金を集めて、世界各国様々な支援団体に金を流せば、我々の勝ち。
ね? 簡単でしょう?
準児童ポルノキャンペーンという創作物規制・表現の自由の制限を求める活動のころから日本ユニセフ協会の名前やアグネス・チャンの顔も見たくない。
どうして日本ユニセフ協会やアグネス・チャンは余計なことをしたり言ったりするのだろうか。
創作物規制を行ったところで人権意識が向上するとも実在児童が守られるとも思えない。
インタビューでサブカルチャーに対して意見を述べることが募金活動や児童保護に繋がるのか?
貧しい児童、死んでいく子供たちがいますと情に訴えて集金するだけでは駄目なのか?
日本ユニセフ協会が国連児童基金の名を逸脱した活動を行っているのが気に食わない。
もしかしたらサブカルチャーを批判することでそういう層から多額の募金があるのかもしれない。
そういう層ってお金持ってそうだもんな。
せめてそういう層向けの会合とかでサブカルチャー批判してくれ。
俺の目に触れないところでやってくれ。
虚構新聞の記事では、「日本ユニセフが、使途が不透明だとして批判されてきた同団体への寄付金について来年度から透明化を徹底させると明らかにした」と書いてあるから、ある程度公開しているのは知ってるでしょ
で、その既に「透明化されている物」に対しても批判はされている
では、その大金を何に使っているのか。内訳は募金活動事業費(約14億5000万円)、啓発宣伝事業費(約5億円)、管理費(約3億円)など。職員わずか36名の団体が募金を右から左に動かすだけで、30億円近い活動費を使うことには違和感もある。職員の給与は「地方公務員並み」(日ユニ広報室)というから人件費だけでは数億円だろう。
http://www.unicef.or.jp/about_unicef/pdf/syusi_yosan2013.pdf
役員報酬計 18,479,000円
福利厚生計 58,645,000円
雑費計 17,883,000円
業務委託費計 1,099,569,000円
職員数は66名らしいので給与総額はこんなもんだろうが
それにしても雑費と福利厚生が多すぎるし
あと業務委託費って何?10億円以上も業務を委託するなんてありえる?
正しい批判かどうかはともかく。
日本ユニセフ協会は清廉潔白な素晴らしい団体(※虚構です)
と書けば「清廉潔白ではないかのように思われる」と抗議を受けるし、
と書けば「(虚構と書いてあっても)極悪団体のように思われる」と抗議を受ける。
虚構新聞が「日本ユニセフ、寄付金の流れ透明化へ」という記事を書く
↓
日本ユニセフの資金は既に透明化されているので皮肉になっていない
http://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_keisan.html
↓
↓
削除
という流れなんだが、
まあ削除がなかったとしても全体的に出来の悪いネタで、
「ペットボトルの蓋を日本ユニセフが集めている」かのような表現があるなど、
いつもどおり社主の無知に基づく「悪質なデマ」でしかなかった。
ところが記事削除後の反応として、
「(抗議したということは)透明化する気がないんだな」
繰り返すが、虚構新聞が書く記事は、
この日本ユニセフの記事に限らず、風刺にもなっていない「悪質なデマ」が多い。
抗議があるのは当然であって、
「痛いところを突かれたので圧力をかけて正義の風刺を削除させた」といったような妄想はあまりにも下劣だ。
補足
キャップの売却益をほぼ全額寄付していると主張するエコキャップ推進協会であるが、全収入からみた寄付額は約50%で、残りの半分が運営費となっている。別のキャップリサイクルNPOであるReライフスタイルや、実際にワクチンを購入するNPO世界の子どもにワクチンを日本委員会も同様に収入の半額を運営費として計上している。これは、類似の活動を行う日本ユニセフ協会やベルマーク教育助成財団が運営費を約20%で賄っていることを考えると高額ではないかとの指摘がある。