はてなキーワード: sinとは
三角関数がないと「振動」という現象をグラフと数値で捉えることが出来なくなる(sin波を局所的に多項式で近似するしかなくなるため)。
振動現象は物理にしろ化学にしろ金融にしろ政治にしろ、世界と社会のあらゆる場面に現れる(簡単な常微分方程式の解のため)。
まあ、グラフと数値を一切扱わないなら三角関数勉強しなくてもいいと思う。
それまで二次関数とか方程式でxとかyとかしか触れ合ってなかったのに
いきなりsinとかcosって何?3文字ってどういうこと?ってなる
しかもsin θ って、ちょっと待って、なんて読むのコレ、え、シータ?パズーは?みたいに疑問が絶えない
三文字を乗り越えていざ中身を確認してみると直角三角形の比率だ、とのこと
最初から半径1の円のx,y座標、ぐらいで教えた方がいいと思う
sin(0) = sin(2π)って、え?どういうこと?ってなる
それまで循環なんて知らなかった人からすると度肝を抜かれる
おまけにsin(π/2) = cos(0)とか、ちょっと待って、じゃぁsinだけで良くない?ってなる
実はこれが一番の要因だと思うけれど関連する公式が無茶苦茶あるし覚えにくい
sin(α+β)= sin(α)cos(β) + cos(α)sin(β) とか(合ってる?)
しかもこの手の公式を使って方程式を解け、とかが無茶苦茶難しい
初見で解ける人は天才で、数をこなしてパターンとして覚えるしかない
なので脳の領域をかなり消費するんだけど、こういう方程式の読解は本当に数学系じゃないと使わない
なので「何に使うのコレ」っていう気分になって、そのうち「三角関数って使うの?」ってなるんだと思う
三角関数を教えるな、っていうのは極論だけど
この手の公式を山ほど覚えたり、解法のパターンを暗記させていくのは本当に必要か?という気にはなる
とはいえ、他に教えることも無いし、篩いとしては良い例題だと思う
今の高校数学ってオイラーの定理までやるのかなぁ?そこまで行くと数学に興味が出たりするから、やっぱり三角関数は必要だと思う
掛け算の順序問題なるものがある。
「りんごが4つ入った袋が3つあったらりんごは全部でいくつありますか?」という問題に「4×3=12 答え 12個」と「3×4=12 答え 12個」という回答があって、前者だけを正答とすべきだとか両方正答とするべきだとか、そういう問題だ。長方形の面積について話している場合もある。
この意見の対立には、(一面として)数学をどのように抽象的に捉えるか、というのや数学・算数という科目の持つ役割に関してのスタンスの相違が原因にあると考える。
数学をより純粋に抽象的に捉えるにしたがって「順序強要」→「順序容認」→「順序強要」のように立場が変化することを以下で述べる。
念の為記しておくが、この文章は掛け算の順序問題に関してどの立場が正しいというような文章ではない。
俺は教育の専門家でもなければ小学生に算数を教えたベテラン教師というわけでもない。
数学への向き合い方が真摯になるにつれて変化する立場が単調でないことに気づき、その非自明な振る舞いについて筆を執ろうと思っただけのものである。
この文章で誰かの何らかに影響があればそれは幸いである。
「りんごが4つ入った袋が3つあったらりんごは全部でいくつありますか?」という問題に「4×3=12 答え 12個」と答えるのが正答であり、「3×4=12 答え 12個」と答えるのは誤答であるという立場である。
"4×3"という数式には「『1つぶんが4つ』のものが『3つぶん』ある」という意味があるとして、"3×4"という数式は題意にそぐわないとする。
正直なところ、数学でこれを正当化するような解釈を俺は知らない。
より高学年、あるいは中学・高校・大学・それ以降で出現する数式(例えば e^iθ=i sinθ+cosθ が成り立つとは、どういう意味合いのものが等しいということを言っているんだろうか?)に対して、その数式の"意味"は適切に存在して、何らかの実態と一致するだろうか。そのような体系がある場合、ぜひ知りたいのでご一報いただければ嬉しい。
上記の思想とは翻って「4×3=12 答え 12個」も「3×4=12 答え 12個」も正答とする立場である。
数式そのものに何か「実際的意味」はなく、そこには記号の間の関係や操作があるという立場はより現代的な数学に近いものであり、納得できるものだろう。
俺が現実で計算をするときもこの立場にいる。「日本国民全員が2回ずつ…」などと聞いたら脳内で出てくる式は"1億3000万×2=2億6000万"だし、「2人が1億3000万個ずつ…」と聞いても思い浮かべる式は"1億3000万×2=2億6000万"のままだ(自分の脳は乗数が単純なほど高速に乗算が行えるから、そのような式のほうを思い浮かべるように訓練されたのではないかと思う)。単なる道具としての使い勝手ならば、この立場はとても強い。道具として(正しい答えを出せるなら、という条件付きだが)順序を気にしない方が順序を気にする方より楽だろう。
算数を「現実の事柄に付随して必要となる計算を正しく行う能力を育てる」科目だと考えるなら──教養(大学などで学ぶそれではない)としての算術としての用途としては実際にそれで十分だろう──、真っ当な立場だろう。
しかし、この立場には少し弱いところがある。
数式そのものに意味はないとするのはよいが、その結果立式の段階で「状況」から一足飛ばしで「数式」が出来上がっている。これは、少なくとも数学の厳密な操作ではない。より厳密であろうとするならば、次の立場になるだろう。
数学的に厳密な立場であろうとするならば、意味論的操作を取り除く必要がある。この立場において、「『ひとつ分の数』が『いくつ分』あるとき、全体で『(ひとつ分の数)×(いくつ分)』あります」という定義にしたがって被乗数と乗数を区別することには意義がある。
この立場では、「りんごが4つ入った袋が3つあったらりんごは全部でいくつありますか?」という問題文に記述欄があった上で、「4×3=12 答え 12個」と答えるのも「3×4=12 答え 12個」と答えるのも厳密には誤答とする。
「これは、りんごが袋ひとつ分につき4つあり、袋が3つ分あるので、全体で4×3個のりんごがある。4×3=12なので、答えは12個である。 答え 12個」のように定義の形式に構文的に当てはめて答えて初めて正答である。この立場は「3×4=12」という立式を否定するものではない。「りんごを袋にひとつずつ入れていくことを考えると、これは一周分につき3つのりんごを入れ、4周分入れるので全体で3×4個のりんごがある。3×4=12なので、12個入れたことになり、全部でりんごは12個ある。 答え 12個」という回答も正答である。
この立場のもとで、「これは、りんごが袋ひとつ分につき4つあり、袋が3つ分あるので、全体で3×4個のりんごがある。3×4=12なので、答えは12個である。 答え 12個」という回答は全くの間違いとなる。「3×4=12」という立式ができる解釈はあるが、その式を導出するに至る構文的操作が誤っているためである。同様に、定義が「『ひとつ分の数』が『いくつ分』あるとき、全体で『(いくつ分)×(ひとつ分の数)』あります」というものならば、「これは、りんごが袋ひとつ分につき4つあり、袋が3つ分あるので、全体で4×3個のりんごがある。4×3=12なので、答えは12個である。 答え 12個」という回答は間違いとなる。
"3×4"と"4×3"はそれが"12"と等しいことを示すための証明木も異なるなど、式として完全に異なるものである。値が等しいことは証明されるべき非自明な命題であり、何も断らず用いてよいことではない。
「被乗数と乗数を入れ替えても答えが変わらないため、立式の際に断らずにこれらを入れ替えることがある」と答案の先頭で述べてある答案があれば(このようなことが書ける生徒は単なる乗算でつまづくような生徒ではないだろうが)、「りんごが袋ひとつ分につき4つあり、袋が3つ分あるので、全体で3×4個」でも正答としてよいだろう。
余談だが、長方形の面積に関してさらに状況は混迷を極める場合がある。長方形の面積を「たて×よこ」とするとき、これは「定義」か、「定理」かすら明らかでない。「1cm×1cmの正方形の面積は1cm^2」で「1cm×1cmの正方形がある図形にすきまも重なりもなく敷き詰められる場合その図形の面積は 使った正方形の個数 cm^2」という定義によって導かれる「定理」とする立場もあるだろう。この場合、「たて×よこ」は単なる立式の1宗派に過ぎず「よこ×たて」で面積を計算しようと1つ1つ数えようとどんな式で計算しようと使った正方形の個数を正しく導くことができる式ならば正答である。対して、「たて×よこ」が「定義」ならば、どちらを"たて"と見るかを記述する2択のみがあり、それ以外は誤答である(別の定理がある場合を除く)。
この思想は非常に窮屈に思えるかもしれないが、数学の直感的理解を否定するものではない。
必ずしも全生徒がそこまで進むわけではないが、数学科などで学ぶような数学においてはこのような思想が顕著になる。
純粋な数学において、自然数すら現実の何の対象とも厳密には対応せず、論理学は実際の"正しさ"と一致する保証を持たせるものではない。数学基礎論などを学ぶことでこのような数学の思想に触れることができると考える。
もし俺が正義感とやる気と生徒への期待と十分な時間を持ち合わせているなら、生徒にこのように指導するだろう。算数(は賛否両論あるかもしれないが)・数学は計算するだけの科目ではなく、論理学を学ぶための学問でもあるからだ。特に文章題を「現実の対象を数学的にモデル化してそこから論理的に結論を導く」ことを問うものであるとするならば、この立場に立つことには合理性がある。
しかし、これは理想的な状況における対応である。例えば回答欄が「(しき) (こたえ)」のように分かれている場合、そもそもこのような記述を行うべき欄がない。この場合、問題文を「『ひとつ分の数』が4であるようなものが3つ分あるとき、全体でいくつあるでしょう?」のように非常に定義に近づけて初めて「3×4=12」を減点する準備が整うといえよう(これでもまだ即座に誤答とするべきではないだろう)。そうでない場合、「4×3=12」と「3×4=12」の2つの式は同程度に論理の飛躍を伴っており、それらに点数の別をつけるべきではないかもしれない。
冒頭でも述べた通り俺は教育の専門家でもなんでもないから、どの立場を取れば生徒がよく理解するかなどについて何も言えない(どの立場に対しても理解できる生徒と理解できない生徒がいるだろうと思うが)。
個人的には2つ目と3つ目の中間のような立場だ。算数は計算をするだけでもないし論理をするだけでもない。単に計算をする手段としてなら順番なんてどうでもいい、素早く正しい答えが出るなら3袋の4個入りみかんを見て3+3+3+3だと思おうが(2*2)*3だと思おうが10+2だと思おうが構わない。他人と考えを共有するための道具なら前提から論理を組み立てる訓練が必要で、掛け算の順番にまで気を遣わなければ意味のある結果を出せない。数学はどちらをする科目でもあることに我々は自覚的だろうか。
自分で参考書を書いてみれば分かりますが、数学の検定教科書はおそろしく完成度が高いです。そのことを具体的な実感をともなって理解できれば、あなたの学力は入試レベルなど優に超えています。
数学の本の出来は、理論の構成で決まります。数学の理論の構成とは、かんたんに言えば定義や定理をどう配置するかと言うことです。どのトピックを載せるか、ある定理を述べるために事前にどのような概念を定義しておく必要があるのか、その定理を証明するために事前にどのような命題を示しておく必要があるのか。トピックの選定が的確で、理論の道筋が明快であるほど、数学書の完成度は高いです。たとえば、余弦定理は重要ですから当然載せます。余弦定理を述べるには三角比を定義する必要があります(鋭角だけではなく鈍角に対しても)。そして、証明には通常、三平方の定理と有名な等式
が必要になります(これも三平方の定理のcorollaryです)。さらに三平方の定理を示すには、ふつうは三角形の相似を使用します。この道筋をいかに最適化できるかに、著者の力量が現れます。もちろん、余弦定理を要領良く示すために他の定理に至る過程が鈍臭くなってはいけません。全体の最適化を考えなければいけないのです。
証明の最適化を図るには、定義から再考しなければいけません。同じ概念であっても、それを特徴づける性質が複数あるなら、どれを定義として採用しても良いですが、それによって効率は違って来るからです。たとえば、ベクトルの内積は
のどちらを定義としても良いですが、後者の場合は別の座標(たとえば、45°回転した座標など)で考えたときに値が同じになるのか疑問が残ります。前者は座標の取り方によらずに定義できています。
この場合はどちらを採用してもそれほど変わりはありませんが、指数関数などは定義の仕方で必要な議論の量はまるで変わってきます。多くの教科書では、自然対数の底
e = lim (1 + 1/n)n -- (☆)
を定義し、そのべき乗として指数関数exを定義します。もちろん結果だけ知っていれば、微分方程式
df/dx = f
を満たすf(x)で、f(0) = 1となる関数としても指数関数を定義することはできます。しかし、このようなfが存在することを、(☆)を使わずに示すのは高校レベルを遥かに超えます。そのようなfが一意的であることも明らかではありません。
以上のようなことを考えるだけでも相当大変ですが、これに加えて検定教科書では、直感的な理解を損ねないことも考慮しなければなりません。高校生が読んで理解できなければならないからです。理論の整合性・効率と教育的配慮の間でバランスを取るという難しいことを、数学の専門家たちが苦心して行い、作成されたのが検定教科書です。このような本は他の参考書にはありません。場当たり的に問題の解き方を解説するだけの本とは格が違います。
数学の検定教科書は極めて洗練されています。教科書の理論構成を把握し、その流れや証明手法に合理性や必然性を見出だせる水準まで理解できれば、入試などは余裕で通過できます。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 96 | 10773 | 112.2 | 42 |
01 | 75 | 8258 | 110.1 | 50 |
02 | 19 | 2122 | 111.7 | 63 |
03 | 20 | 3069 | 153.5 | 30 |
04 | 15 | 6128 | 408.5 | 70 |
05 | 16 | 1046 | 65.4 | 39 |
06 | 22 | 2103 | 95.6 | 55 |
07 | 30 | 1633 | 54.4 | 29.5 |
08 | 92 | 9217 | 100.2 | 75 |
09 | 77 | 9334 | 121.2 | 50 |
10 | 144 | 12786 | 88.8 | 43.5 |
11 | 189 | 17488 | 92.5 | 52 |
12 | 229 | 21527 | 94.0 | 43 |
13 | 159 | 12766 | 80.3 | 41 |
14 | 137 | 13232 | 96.6 | 43 |
15 | 174 | 11698 | 67.2 | 33.5 |
16 | 174 | 15428 | 88.7 | 32.5 |
17 | 209 | 17355 | 83.0 | 35 |
18 | 212 | 17991 | 84.9 | 31 |
19 | 132 | 12117 | 91.8 | 39.5 |
20 | 167 | 13971 | 83.7 | 42 |
21 | 118 | 10599 | 89.8 | 39 |
22 | 128 | 11610 | 90.7 | 45 |
23 | 135 | 16556 | 122.6 | 32 |
1日 | 2769 | 258807 | 93.5 | 41 |
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あとSinについては、マクローリン展開はできるという前提で話を勧めて良いんだと思うけど
マクローリン展開ができて加算機が作れて乗算器が作れるように成った後にどうしてSinがつくれないんだ?
2*3はできるけど
2*3*3はできないといわれても、丸暗記かよとはいわれる
どこを躓いたかを言わないと難しい
Verilog、System-Verilogあたりは書籍もある。
LINTはチェックするツールはフリーではないが、書籍がある。
検証となると、VerilogやSystem-Verilogあたりでの検証は書籍でなんとなくは出来る。
アサーションあたりになると書籍が微妙になる。System-Verilogアサーション、PSLでなんとなく書くのは出来るかもしれないが。
加算器と減算器はまだいい。
CPUの簡単なのは作っている人はいるが、浮動小数点回路となると減ってくる。
USBやHDMIなど、身近に溢れているものでも、作っている人がいない。
シンであってsinではないぞ
まず舞台は宇宙世紀0079の地球にある国「SIN-TOKYO」ですね。ここまでは基礎知識。
ここでは巨大戦闘兵器エヴァーってのが開発されてて宇宙からくる悪の使徒帝国と闘うってのはみなさんご存知だとおもうので割愛します。
本来であればロボットにのる人間が主人公なんですが、シン・ゴジラみたいに今回の主人公はその都市に住む宇宙災害対策課NERVの職員のシン。
相方はエヴァーのパイロットのリオン。この二人が繰り広げるドタバタハートフルギャグコメディに映画館は笑いに包まれてました。
特にリオンの「エヴァー、売るよ」は有名なセリフだと思うのですが、今回の映画は至る場所でいいますねw ちょっとくどいと感じる人がいるかもしれないので注意です。
まず最初になんか◆の使徒がせてめくるところからはじまります。
ここでシンの「逃げちゃダメだ」がいきなり炸裂!ファンサービスを忘れてませんね。会場も「9年ぐらい立っても大丈夫だな」とホッとしたとおもいます。
宇宙災害対策課としてはとにかく冷静に市民に避難させるところなんですが、Bブロックのミサトさん家のペンギンがなかなか避難しない模様。
シンが「俺にいかせてください!」というのですが職員の安全を第一に考えるゲンドウは中々首を縦にはふりません。
リオン「ほら これでここも安全じゃなくなったぜ」ってセリフに痺れました。
いつものリオンらしい強引さに会場の女性ファンはメロメロですね。
シンがBブロックのミサトさん家につくとペンギンが立てこもってました。
なんか◆の使徒がもうそこまで迫ってきている…ペンギンを説得するシン。
そこでエヴァーにのったリオンが再び登場!「ペンペン聞いてるか?エヴァー、売るよ!」でましたこのセリフ。
リオンの大立ち回りで避難が完了。おなじみ「ローリングエヴァーバスターライフル」でなんか◆の使徒は倒しました。
ここでもう1時間過ぎてることに気がつく。体感3分ぐらい。それぐらいのめり込みました。