はてなキーワード: 独裁制とは
民主主義はrandom forestのbaggingみたいなもんだ。ランダムよりはマシな弱学習器を束ねたらあら不思議、良い方向に進んでいく、と、こういうことだな。ただ多くの人間は弱学習器ですら無いんだよな。バカが集まって変な方向に行くのが衆愚政治と言われる状況だ。民主主義ってのはあくまで安定を求めた妥協の産物でしかない。一番良いのは最高の独裁者による独裁制でしょう。これは当たり前だよね。ほとんどの会社はそうなっているわけだ。ほとんどの会社は民主主義からはほど遠い。最強の独裁者が現れては消えていく。そしてまた現れる。これが一番良いんだな。でもなぜか欧米人は「民主主義」を過信している。民主主義が最高だと信じてやまない。なぜ民主主義が良いのかと聞くと民主主義だからとしか答えられない。頭を使ってないし使えないんだわ。民主主義に疑問を持とうものなら袋叩きよ。日本の比じゃない。
マジレスすると、民主主義というのは歴史なんてきちんと学ばない国民が主権者になるからむしろ歴史に学ばないで過去の愚行を繰り返す事例はむしろ独裁制よりも多くなるぞ
中国は歴史から学ばないのではない。むしろ歴史から学べばアメリカに対して強烈な嫌悪感を抱くだろう
日本は歴史に学んでなどいない。すべてアメリカに依存してるから何も学ばなくても今まではうまく言ってただけで、国民の愚かさという意味では日本以上の国もそうそうない。
そんな愚かな日本人には一つだけいいところがあって、特に根拠はなくても平和が何よりも大事だと思っていることだ。
実際はアメリカにお金払って守ってもらってるだけだとしても、国防費あげようとすると文句言うくらい何もわかってないバカだとしても、それでも平和が何よりも大事だと思ってることだけは誇るべき性質だ。
バカであることは必ずしも悪いことじゃない。馬鹿だからこそ善良であることもできる。愚鈍な善良さは我々の最大の弱点であると同時に最大の武器だ。
アメリカが戦争で倒したアフガニスタンとイラクでは、どちらも民主化に失敗している。
アフガニスタンでは、アメリカが撤退した後に結局タリバンが統治し、2001年以前の独裁制に戻ってしまった。
今までアメリカが外国に押し付けた民主主義が成功したのは、日本とドイツの2カ国だけである、と言われている。
日本では、大正時代に大正デモクラシーという民主化運動があり、実際に民主化・帝国議会の設置が行われていた。
ドイツでもワイマール憲法が制定され、当時のヨーロッパでは最も民主化された国だった。
日本とドイツ、どちらも民主主義の思想やそれを実行するための社会的な土台がある程度できていたので、戦後のアメリカ主導の民主化はスムーズに行ったに過ぎない。
いちいち話し合って決める必要もなく、ワンマン社長みたいに独断で即決できるし、
ただ歴史上ずっと有能だった人は稀だ。
そして、トップが政策に失敗して、それでも権力の座に居座ったときに問題が起きる。
独裁が終身制なら、革命か暗殺するぐらいしか退陣させる方法がなくなるわけで。
革命で追い出せればよいがそれも失敗して内戦に突入なんてしたら、見るも無残な結果になる。
人が人を統治するのはとても難しいし、経済発展させるのも難しい。
それに失敗することが前提で、失敗した時のダメージを少なくする民主政と、
分散化の時代だ!と歌っている方々がどこかの界隈に居りますが分散化時代は「過去既に来ています」。
古くは、封権主義で貴族と平民の時代から共和主義が広まることにより参政権や人権を得られた。
他にも、日本では平民でも金持ちや男性だけが参政権を持てた時代があった。
そこから「20歳以上」が参政権を持てるようになったのも「分散化」である。
物質的には豊かになったが争いも起きるしよりよくなった部分とよりよくなっていない部分がある。
大前提として間違ってしまう大勢の民衆がいるのは民主主義のコストとしてどうしようもない部分であり民主主義の影である。
根本的に、「全ての選択を間違わない正しい選択」を行えるのであれば政治なんて独裁制の方が綺麗に回ります。
某国のような独裁制ばかりを考えると間違ってるんですが、実際問題自分の生活がよりよく暮らせるのであれば
独裁の方が権利について余計な事考えなくって良いから楽でしょ?
分散化が進められるのは別に悪いことではないし、ある意味では正しい。
その意味とは「全ての人間が賢く自らが与えられた権利」について考えてよりよい道を選ぼうとする場合だけ。
なので、全能なる一人に全ての責任を持たせてしまう独裁制の方が「間違う可能性が一人」になるので楽でしょ。
今現在の世界では権利については「影響から知らんよ」とかインフルエンサーがいってるから・・・って流されて思考しない。
本当に何故その法律が作られるのか?を考えないし背景を調べない。
イギリスでのEU離脱でもそうだ、現在の日本の規制についても「日本は規制だらけだ!」と叫ぶが本当かどうか考えた?
全能なる独裁として分散化しているクラウドは「実装された通りに動く」から間違わないので時折発生する障害だけがリスクとなる「分散化」されている。
政治とか規制について分散化の時代だ!って叫んでる奴はそれによって得られる利益があるからであって
俺自身も、アンチフェミだし、女子教育の抑制が、少子化の改善につながるというのは、
正しいと思う。
どういうことか。
日本は、曲がりなりにも先進国で、70年以上民主政やってる国。
本人たちはそう思ってなくても、国民全体として、倫理観が強まっている。
で、そんな日本で、「少子化を改善するために、女子教育を抑制します!」
それが、多数派になって、与党になって、さらに、法案通せるか?
という考えもある。
だけど、この国は古来独裁制になじまない。
反対勢力から独裁者と言われた歴代最長政権の安倍ですら、病床すら増やせないんだぞ。
俺自身も、アンチフェミだし、女子教育の抑制が、少子化の改善につながるというのは、
正しいと思う。
どういうことか。
日本は、曲がりなりにも先進国で、70年以上民主政やってる国。
本人たちはそう思ってなくても、国民全体として、倫理観が強まっている。
で、そんな日本で、「少子化を改善するために、女子教育を抑制します!」
それが、多数派になって、与党になって、さらに、法案通せるか?
という考えもある。
だけど、この国は古来独裁制になじまない。
反対勢力から独裁者と言われた歴代最長政権の安倍ですら、病床すら増やせないんだぞ。
そいつも「俺は診断済みのアスペだ」「俺は理性的な人間だ」「合理的な文章なら分かる」「平易に説明しろ」と主張していた。
実際はちょっと煽られるとすぐキレてスレを荒らし始め、落ち度を指摘されると「その指摘はいくらなんでも無理筋だ」「お前ら(※個と集団を区別できていない)の指示を俺が聞けばお前らの独裁制だ。俺には自由がある」「理解ができないことを言うな。説明しろ」「書き込みに中身が無い。意味のあることを書け」とか逆ギレしていた。
指摘側は無理筋でも支離滅裂でも無かった。ただそいつにとって都合が悪いことを言っただけだった(連投すんなとか、ちゃんと読めとか、お前の言ってることはおかしいとか、阿呆は帰れとか、寝言は寝て言えとか)。
そして論理代数における「逆・裏・対偶」が理解できず、「逆は真」「真でないものは全て偽」という仮定を使って頭の中でどんどん命題を短縮し、何でもかんでも都合が悪ければ「嘘」と呼んで否定していた。ミミックの鳴き声としか思えなかった。理性的でも何でもない、魂が欠落した何かだった。
例の旅レポ記事を見て「お願いなら承ります」という表現に強烈な既視感を覚えた。同じだ。こいつは「他人が発する声は、全て俺への『参考情報』であり、命令としての意味は無い」と思っているのだ。
こいつの「承る」というのは「俺の気に触らない限り、戯れにやってみるのも一興だとは思うぞ」という意味だ。「お茶を一杯飲んでくれませんか」と言われて、その時に喉が乾いていれば「そんなことをしてほしいんですかあ? 飲んでやりましょう」と「承る」程度の意味だ。「お互いの健康のためにマスクの着用を」と言われて「仕方ねえなあ」と着けるという意味では決してない。
結局のところ、あれは自閉症の症状なんだろう。ある種の高度な論理を扱う機能や、世界を多数の主体が存在する空間として捉える機能の発達が遅れて/止まって/失われていて、日本語は解するものの、言語コミュニケーションやコミュニティでの共同作業が行える状態にないのだ。
そういう奴はどう扱えば良いんだろうな。規則と強制力をセットで与えれば、それが「環境」だと認識して従おうとするが、常に機会を伺っていて、ひね曲がった自分の理屈と曲解した規則が噛み合う所を探してゴネたり他人に牙を剥いたり、強制力が緩んだ時に規則を破ったりするんだよなぁ。
フランス革命の頃なら焼き殺せば済んだんだろうが…