はてなキーワード: 法の下の平等とは
憲法は同性婚を想定していないまでは同意なんだけどその先が色々おかしいところあるような。
法というものは社会の中で生きているものだから解釈は変わっていくというのは法学の基礎だと思うんだけど。
社会情勢の変化により憲法解釈を変更すべきとのこと。まぁ分からなくもないが裁判所がそれを言うのはどうなんだろう。
例えば有名な尊属殺重罰規定の違憲判断について、最高裁は「社会情勢の変化」などは理由にせず、「目的に対する法定刑が重すぎる」ことを理由にしている。(社会情勢の変化に対応するのは立法府との判断だろうか)
と言っているけど、他の違憲判決は社会情勢の変化を取り込んだ判決はあるよね。
婚姻外の日本人男性と外国人女性の間に生まれた子供に日本国籍を認めるかで争われた最大判H20.6.4は法制定時には一定の合理性はあったけど社会通念、社会状況等の変化で時代遅れになっているとして、違憲判決を下している。
「国籍法3条1項の規定が設けられた当時の社会通念や社会的状況の下においては……一定の合理的関連性があったものということができる。しかしながら,その後,我が国における社会的,経済的環境等の変化に伴って,夫婦共同生活の在り方を含む家族生活や親子関係に関する意識も一様ではなくなってきており……社会通念及び社会的状況の変化に加えて,近年,我が国の国際化の進展に伴い国際的交流が増大することにより,日本国民である父と日本国民でない母との間に出生する子が増加しているところ……今日では必ずしも家族生活等の実態に適合するものということはできない。」
非嫡出子の法定相続分が嫡出子の半分であることが法の下の平等に反するかで争われた最大決H25.9.4では明確に昔は合憲であっても社会の変化で違憲に変わることがあると述べているよね。
「 最高裁平成3年(ク)第143号同7年7月5日大法廷決定・民集49巻7号1789頁は……その定めが立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えたものということはできないのであって,憲法14条1項に反するものとはいえないと判断した。
しかし,法律婚主義の下においても,嫡出子と嫡出でない子の法定相続分をどのように定めるかということについては……時代と共に変遷するものでもあるから,その定めの合理性については,個人の尊厳と法の下の平等を定める憲法に照らして不断に検討され,吟味されなければならない。……婚姻,家族の形態が著しく多様化しており,これに伴い,婚姻,家族の在り方に対する国民の意識の多様化が大きく進んでいることが指摘されている。……当裁判所は,平成7年大法廷決定以来,結論としては本件規定を合憲とする判断を示してきたものであるが,平成7年大法廷決定において既に,嫡出でない子の立場を重視すべきであるとして5名の裁判官が反対意見を述べたほかに,婚姻,親子ないし家族形態とこれに対する国民の意識の変化,更には国際的環境の変化を指摘して,昭和22年民法改正当時の合理性が失われつつあるとの補足意見が述べられ,その後の小法廷判決及び小法廷決定においても,同旨の個別意見が繰り返し述べられてきた。特に,前掲最高裁平成15年3月31日第一小法廷判決以降の当審判例は,その補足意見の内容を考慮すれば,本件規定を合憲とする結論を辛うじて維持したものとみることができる。
……遅くともAの相続が開始した平成13年7月当時においては,立法府の裁量権を考慮しても,嫡出子と嫡出でない子の法定相続分を区別する合理的な根拠は失われていたというべきである。 したがって,本件規定は,遅くとも平成13年7月当時において,憲法14条1項に違反していたものというべきである。」
ほかに医療技術の進歩で妊娠判断がやりやすくなったため、女性のみ再婚禁止期間が6か月あった民法規定を違憲とした最大判H27.12.16もあるよ。
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=85547
というわけで、札幌高裁の判決で社会情勢の変化を要素に入れても突飛な考えではないということだね。そういう法解釈の仕方は間違っているという考えはあると思うけど、最高裁が一顧だにしていない独自解釈ありがとうございます。解釈ですべてと変えられると成文の意味がなくなるという指摘は同意できるけど、ここで言うことかという問題だね。
元増田はゴリゴリの文理解釈主義者っぽいので条文は一意に解釈して解釈変更はできないという立場かもしれないけど、そうではないというのが現実なわけで
国立国会図書館「調査と情報―ISSUE BRIEF―」No.1257(2024. 2. 6)の特集がちょうど同性婚と日本国憲法でざっとまとまっているのでこれを読んでみるよ。
これまでの地裁判決では、次の点が確認できると指摘されている。①憲法第 24 条は、異性婚のみを保障範囲に含んでいるが、同性婚を禁止してはいないこと。②性的指向に基づく区別取扱いが合理的な区別か差別的な区別かが主たる争点であること。③憲法第 24 条(特に第 2 項)と憲法第 14 条第 1 項の議論が相互に重なり合っていること。④いずれの地裁判決も同性カップルの保護のために何らかの法整備を求めていること。③については、憲法の各条項間の関係をどのように整理するかが問題となると考えられる。④については、地裁段階とはいえ、うち 2 つが違憲、2 つが違憲状態とし、合憲とした 1 つも将来的な違憲の可能性を指摘したとして、「国に今後の対応を促したものといえる」とする評価もある。(強調は引用者)
は強く言い切れるほどの根拠あるのかな。この札幌高裁だけおかしいとまでは言えないよね。いや学説は違うんだと言いたいのかもしれないけど、地裁が禁止説を取っていないってのも尊重されるべきじゃないかとは思うよ、まあ最高裁じゃないのでそんな参考にすべきじゃないと言われたらまあその通りでもあるけど。なかなか通説はどうとか確認しにくいので言い切られると違うとは言いにくいのが困ったもので、ちょっと古いけど下の総論でもそこまで言っていないよねで留めておきます。
藤戸敬貴「同性カップルの法的保護をめぐる国内外の動向 : 2013年8月~2017年12月、同性婚を中心に」『レファレンス』₍2018.2₎
と書いてあるが、この「のみ」は「合意」にかかる。つまり、「合意なしでは結婚できない」ということだ。
ところが増田はこれを曲解して、「のみ」が「両性の合意」であり、特に「両性」がともに存在することを必須だと決めつけている。これは過剰解釈だ。
憲法は、「両性」がともにいることを要件とはしていない。つまり、同性婚を否定してはいない。
「両性がともにある」ということを前提とした上で、「両性がともにあるならば、両性の合意が必要だ」と述べているだけだ。
したがって、「両性がない場合」つまり「同性同士の場合」は、前提が成立していないので、話の対象外となる。したがって、憲法24条は、同性婚については否定も肯定もしていない(話の対象外だ)というのが、妥当である。
一方、憲法14条 「法の下の平等」 があるので、こちらにおいて、同性婚に準ずる制度は、必要となる。なければ、違憲となる。
『風呂は性器の見た目で決める』法、是非作ってみてほしい。でも、それってかなり筋の悪い立法で新たな争いが見れそう。
そら、ほとんどのトランス女性は法律ができたら従順に従って女湯に入らないだろうけど、
「ワイ、トランス女性。銭湯で女湯に入ったらペニス付きという理由で追い出される。ワイの戸籍は女性なんやけど? これ法的にワイは女性という意味なんやが。同じ女性なのに生まれつきの女性には当然ある女湯に入る権利がワイには無いんか? ワイは差別される二級市民か何かか? 『風呂は性器の見た目で決める』法って日本国憲法の『法の下の平等』に反してない? 知りたいから裁判起こすわ。ワイを追い出した銭湯さんは裁判が続いてる間ずっと『差別主義者』と叩かれ続けるやろうけど我慢して付き合ってや。ワイ小金持ちの暇な一般人やから最高裁まで争うやで。対戦よろしくやで」
まず大前提として、自分は某暇の人格は到底褒められるものでは無く支持出来ないという立場。
後結構前からブロックされているので個人的にムカついた私怨もある。(多分山本一郎や東野先生をフォローしてたからだと思う。後に後者はミュートからフォロ解)
よくColabo問題は暇空一派(暇アノン)の暴走であり、第二の余命事件だと指摘されている。ブクマカでも同様のコメントは多い。
そういう事にしたいのだろうし実際「お前がそう思うならそうなんだろうな」という感想で特に主張者に対し異論を挟むつもりは無いのだが
よって余命事件と安易に結びつける人間は基本的に党派性エコチェンバーか対立煽りカスなので一切無視して良い。
ブクマカならブロック推奨。問題を語るにおいてはただのノイズでしか無い。
ざっくり言えば思想的に偏った(と認定された)弁護士に対し余命というネトウヨアルファがネトウヨを扇動し大量の懲戒請求をかけた事件である。
表自風に言うのであれば「キャンセルカルチャー」「表現弾圧」の類である。
末路としては哀れネトウヨは返り討ちに遭い余命一派は訴えられて終了した。哀れっすねマジでw
多分自分達だけで無く、当のネトウヨからも黒歴史中の黒歴史扱いされてんじゃないかな?
弁護士の主張がおかしいのであれば言論で対抗すべきで、キャンセルカルチャーを人海戦術で仕掛けるのは頭のおかしい野蛮人がやる事である。
余談だが、当時の肌感で言うのであれば既に「ネトウヨ」が小馬鹿にされつつあった時代であり、余命にしても一部の極まったエコーチェンバーが騒いでいた程度の印象だったが
あの事件と在特会の体たらくが「ネトウヨは暴走し民主主義を否定する愚かな国粋主義集団」であるというイメージを決定づけた様に思う。
余命事件の場合は所詮はごく一部の弁護士が思想的に偏っているだけであり、その職務を妨害し仕事を奪う事に公益性は皆無である。
弁護士がおかしいと思うのなら、おかしいと思い支持しなければ良いだけだからだ。
それに思想信条の自由がある以上、その弁護士とやらが明らかな犯罪や倫理的にアウトな言動をしない限り、個人の自由である。
余命事件は日本国憲法の理念を踏み躙り凌辱しようとした文化的集団レイプ事件であると言えよう。
そこに正義は無い。ある意味憲法が嫌いなネトウヨらしいけどなw
しかしColabo(等の支援団体、社団法人)の場合は、余命事件とは異なる、しかし重大な違いがある。
Colaboらには多額の公金(税金)が支出されている事である。
公金が入っている以上、団体の活動にはある種の公共性・公益性が求められる為
思想信条の極端な偏り、及びそれに伴う公共性に欠けた事業や活動が行われる事は問題を超えた問題である。
公金の源泉である一般市民の公益性に反する可能性が高いからだ。
自分たちが望む政治的な活動がしたいのであれば、支持者の寄付金等の自前資金で活動するべきであり
故アベ首相のモリカケサクラ問題が未だに糾弾されているのも、政権が一個人・団体に便宜を図ったという事実は
①被支援者を政治活動(辺野古基地反対運動など)に参加させた事
③「リーガルハラスメント」「住民訴訟の濫用」等の造語により民主主義を否定した事
強い公共性が求められる公金事業で、本来であれば最優先で保護すべき被支援者を政治活動に繋げた事は
事業内容、ひいては団体の活動理念自体が一般市民の公共性・公益性に反していると認定されても仕方ない。
この点は他のブクマカや増田でも指摘されていたと思うが、本来政治色を最も薄めねばならぬ筈の支援事業で
事もあろうに被支援者(一般市民に含まれる人達)を政治活動に参加させる事は、最もあってはならぬ事である。
「あくまでも自主的に参加しただけ」という言い訳もあったが、支援者と被支援者という権力勾配の関係下において
団体の人間に「参加しよう!」と言われたら、果たして断れるだろうか?
被支援者が断って不利益を被る、と考えてしまうとは思わないだろうか?
ましてや生活困難な若年女性が、その生活を支援されている状況で断固として断る事が出来るのだろうか?
これを「全て問題無い」と言い切れる輩は、党派性エコーチェンバーか公共性の意識に極めて欠けた人間だろう。
政治活動自体は個人の自由ではあるが、その活動を支持しない人間にとっては公益性があるとは言えないだろう。
極端な話をすれば政治活動とはその理念に共感する支持者達だけが享受可能な私益であり公益性からは程遠い。
公金の支出元には、その理念を支持しない人間も当然含まれるからである。
私が与党色の強い政治活動を到底支持出来ない様に、政治的活動・思想を支持しない自由は当然尊重されるべきであり
政治色の強い活動に公金の一部が使われている(疑惑がある)事を容認しない姿勢も同様に尊重されるべきだろう。
会計の問題、疑義についても、公金が入っている以上公明正大な明朗会計が本来は為されるべきではあるのだが
残念ながらその理念に欠けている、または人的資源の問題により達成出来ない諸団体が多いのが現状ではある。
不正というよりは不適切・不適格な会計処理が存在した、というだけの話ではあると思うが
主に政治活動に使用された費用についてはそれは公金なので返金するべき、というのが自分のスタンス。
支援活動と政治活動の境目をなあなあにして不可分にしようとしている(様に見える)点については
個人的には「良かれと思って」やっている事だとは思うが、良かれと思って公共性に反した行為をやって良い訳では無いので
今一度公金、つまり一般市民の税金が使われている自覚を持って、後処理にあたるべきである。
私的な政治活動を団体の活動と繋げたいのであれば、自前の資金でやれば良いだけの話なのだから。
③はColabo及び支持者の主張だが、裁判・住民訴訟を起こす権利は、国民全員に等しく付与されているものであり
何がリーガルハラスメントなのか、住民訴訟の濫用であるかは、法の平等の下、法的に認定される必要性がある。
認定されなければあくまでも一方的な主張であり、その一方的な主張をマスコミを使ってさも事実であると喧伝した事は
法の下の平等の否定、基本的人権の否定、ひいては民主主義社会の否定であるとすら考えられる。
例えどんなに暇空が悪質な人間であろうとも、活動に疑念を感じ裁判を起こす権利、住民訴訟を行う権利は
まるで「何がリーガルハラスメントか濫用かは我々が決める」と言わんばかりの強気な態度は
公共性・公益性が求められる公金事業に関わるべきでは無いし、関わってはいけなかったのでは無いか?
という疑念を強くさせられる。
「良い事をしているのだから良い団体なので何も問題は無い」「良き事をする人達に指摘するのは悪である」
という意見を語るブクマカや増田も散見されるが、まさしく思考停止に陥ったエコーチェンバーに他ならない。
「人の善意は悪意より恐ろしい」という言葉の意味を理解出来ないものだと思われるが
善意だから多少のミスは許せ、公共性に反し被保護者含めた一般市民の公益性に反しても「良い事」だから許せ
というのは、自民党やナチスを盲目的に信用する脳みその無い家畜と何が変わらないのだろうか?
恐らくこういった趣旨の意見を書く増田やブクマカは多いだろう。
「陰謀論だ!」と断定するのは、時期尚早と言わざるを得ない。
そもそも公共性のある問題に対しての疑義を「陰謀論」として片付けるのは
ナチスがユダヤ人の主張を「ユダヤの陰謀」として弾圧したのと同義に思えてならない。
統一教会問題が、山上が最終的事件を起こすまで陰謀論として語られていた事を知らないのだろうか?
北朝鮮拉致事件が「差別主義者の陰謀論」として、有識者や議員までもが堂々と主張していた事実を知らないのだろうか?
ある事象に対する疑義が余程の荒唐無稽では無い限り、真か否かが証明されるのは裁判の判決であったり
少なくとも私には現時点ではかの暇らの疑義が全て陰謀論だと否定する根拠を持たない。(と同時に、全てが真実だと信用たる根拠も持たない)
アノンとカテゴライズし陰謀論者の烙印を押せば全ての疑念が封殺されるのは民主主義の否定に繋がる。
先人達がその血を持って築き上げた市民社会の理を否定する道理があるとするならば、陰謀論を語るものこそその道理を証明すべきだろう。
不可能だと逃げるであれば、それはただの陰謀論を語る陰謀論者でしか無く、余命事件に群がった脳みその無い家畜の群れと同等である。
ネトウヨ版キャンセルカルチャーと言える余命事件には公共性が全く無い一方
公金が支出された事業に対し「公共性(公益性)に反しているのでは無いか?」
例え発端がひょんなきっかけ(笑)であったとしても、実際の行動に公共性・公益性がある以上
それを否定するという事は即ち民主主義の否定に繋がってしまう。
勿論単なる誹謗中傷などは裁判で争って下さい敗訴したら当然の報いを受けろカスとしか言い様が無いが
(そして裁判の結果が確定するまでは 推定有罪で冤罪を発生させた草津事件の再来になってしまう)
その誹謗中傷の中に、「公共性・公益性が求められる団体への疑義」を含めるのは間違っていると考えられる。
公共性・公益性を否定されたのならば、我々の活動には公共性も公益性もあるという事を法的に証明すれば良いだけなのだ。
それをせず、前段階で御用マスコミやしばき隊という左翼版在特会みたいな連中を使って騒ぎレッテルを貼り
あるいは訴訟を匂わせ時には個人情報まで使って威圧し異論を封殺する行為は、権力・権威による一般市民への弾圧そのものであり
これこそまさに、集団による威力業務妨害で弁護士の職務を妨害し、圧力によって黙らせようとした余命事件と同じでは無いか。
マスコミや党派性エコーチェンバー集団を使い大合唱で正当性を主張した所で、単なる迷惑なノイズでしか無く
今まで同様のやり方で正当性を獲得してきたオールド左翼のやり方は極めて公共性が無く公益性に欠ける愚行であるので
悔しいながらも住民訴訟については最後までやり切る事を支持せざるを得ないし
その途上で間違ったレッテルを貼り妨害する愚行も、同様に否定していかなけれなならないのが、リベラリストの苦悩であるとも言える。
党派性エコーチェンバーの下らない反応は予想していたが、概ねテンプレート通りで何より。
右のアホも左のクズも同じなのだが、根拠もまともに示さずにジャーゴンのレッテル貼りを繰り返すばかりでは
サイレントマジョリティからの共感など到底得られそうに無いが、そもそも議論をする気も、議論をしようと試みる理性も無いのだろう。
知性はさておき品性に欠けるのは最近の自称左派の主流になって久しく、リベラリストを自認する者としては甚だ残念である。
過去のネトウヨと同レベルに陥り、失敗したネトウヨが外面を整える事を身につけた結果、相対的に自称左派はネトウヨ以下に成り下がった。
党派性に囚われたエコーチェンバーは知性と品性を貶める証左と言えよう。
アニメ漫画を叩かれてという動機が私怨だから公共性・公益性は無いというブクマカもいたが、これもまた程度の低い人治主義でしか無い。
例えばモリカケサクラ問題を追求した人間の中には安倍首相・安倍夫人に憎悪・敵意を抱いている人間は少なくなかったが
安倍を憎んでいるから不正を追求する事は即ち私怨である、とはならないだろう。
発端がどうであれ実際の行動が公共性・公益性に反する動きを追求する行為から大幅に逸脱していなければ
嫌がらせや妨害では無く(少なくとも法的には)「正しい行為」となる。
正しく無いかどうかは、議論であったり法治主義による判断の結果によって定められるべきである。
今見たけど人気順でこんな感じやん?
shinonomen
shinonomen 「Colaboの会計処理がずさんで、暇空氏の言説はデマを含む」ことには九割方が同意するだろうが、それぞれについて指摘すると、それぞれの支持者が「敵の肩を持つのか!」と怒り出すので冷静な議論ができない。
2023/09/22 リンク yellow113yellow
その他
Capricornus
Capricornus 何人であれおかしいところはおかしいし、正しいところは正しいし、悪いところは悪い、そして平等な法は民主主義において何より大事。を書き殴りました。
2023/09/21 リンク redyellow123yellow
その他
keshimini
keshimini 人格に難がある奴はオールキャンセルしろというなら仁藤氏こそ消し飛ぶんだよな。どちらも消えろと主張する人は賛否はともかく筋が通ってるが、仁藤氏に親和的でありながら暇アノンとか言ってる人はダブスタが酷い。
2023/09/22 リンク yellow112yellow
その他
circled
circled 「ジャニーさんも良いこといっぱいしたんだから許してやれよ」なんて言われても誰も賛同しないのに、相手が変わると正義を簡単に捻じ曲げる人達だらけなんだよなぁ。人権や正義を本気で守ってないのは誰?
2023/09/22 リンク yellow29yellow
その他
sds-page
sds-page これに全同意。行政の手続きが不当に捻じ曲げられてるならそれは法の下の平等に反する。儒教的人治国家から法治国家へのアップデートを 増田 行政 人物
2023/09/22 リンク yellow52yellow
その他
metamix
metamix 是々非々という概念を理解できず、価値判断の基準が対象が敵か仲間かのみなので、オールインか逆張りしか出来ることがない。その思考回路を持つ集団の代表格が共産党
2023/09/22 リンク yellow38yellow
その他
flowing_chocolate
flowing_chocolate ここ10年の自民党政権&行政の突っ込むべきところを突っ込んでいた野党も同じように支持してきたのなら、理解はできる。
2023/09/22 リンク greenyellow39yellow
その他
frothmouth
frothmouth 「仁藤さんのこの部分の意見・行動には賛同する」って人を「仁藤アノン」「仁藤信者」認定するのは変だよね/ある問題に対して◯◯を支持して、後に◯◯がやらかしたって、バツの悪い思いをすることはないでしょう
2023/09/22 リンク yellow30yellow
その他
worris
worris 表現を燃やされた逆恨みだと本人が公言していたし、自民党のはるかに巨額な不正には目をつぶっているのに、無理矢理擁護する理屈を捻り出さなければいけない信者は大変ですね。/「一民」ってどこの界隈の方言?
2023/09/22 リンク yellow33yellow
このうち明確な反対意見は下位の2つで
言ってることもそれぞれ
worris 暇空ガー&誤字っぽいところにつっ込み
flowing_chocolate 自公が―
で論破とは言い難い
“これを否定すると、次は自分の権利が否定される”て自省すらないのはどうなのよ、と。
加えて、「運動させられて堪るか」とかいいだすとおたがいのポストすらも社会運動であることから逃れられないハズなんだけど。なればevilnessを測るのみ。
https://togetter.com/li/2157239
未だに「同性婚は違憲」派が声デカくて笑えない。少なくとも「同性婚を認めても違憲にはならない」のは通説ですよ。通説の否定は「ニセ科学」と一緒。学者の間でも見解が別れて争点になっているのは「同性婚を認めないことは違憲になるか?」だけ。「同性婚は違憲」とか言ってる憲法学者は、無名大学で教鞭をとりつつ南京虐殺否定論などを展開する、統一教会とも繋がりのある極右活動家くらいしかいない。
https://twitter.com/napori_ankake/status/1623521046556205056
ただまあ、「同性婚が存在しないのは違憲」というのを「法の下の平等」に依拠すると、コメントにある通り、パートナーシップ制度のような"婚姻と同等の法的保護"を認めるという形でも違憲状態は解消されることになるだろうなとは思うけど。ほかの判決ではまた別の論拠が出されているからそこはまた論点になりそう。
しかし、まともなコメントが初期に投稿されているのに、それを無視して通説を否定するバカの妄言が次々に投稿されるのマジでヤバいよ。
だから「裁判で問える形にしてください」だし「法の下の平等、約束したでしょ、ちゃんとやろ?」にしかならないし、きちんとスーパーヒューマンしてください、にしかならないでそ?
基本的人権や法の下の平等の原則をこの社会で維持し続けたいのであれば、同性婚を導入しないという結論に辿り着くことはありえない。
法の下の平等や公平性の観点をもつならばそれは通過点に過ぎず、最終的には市民全員がひとつの婚姻制度に参画できることが図られなければならない。
婚姻制度による直接の結果は、社会の基礎単位である「家庭」の新たなる創出である。婚姻制度にとって、「生殖」はその副産物でしかない。「家庭」が多様な形をとることを社会が許容する時点で、「家庭」において生殖によって子供を持つということは義務的に要請されることではもはや無くなった。
異性婚でかつ子供を持たない家庭の存在を認めるのであれば、婚姻制度と生殖支援を切り離してゆく以外の道をとることはできない。
婚姻制度から生殖支援の側面を丁寧に切り離していくことができた場合、当然そういった「婚姻」によって生まれる「家庭」という通念は、「生殖=血縁」から切り離したものとして捉え直す必要がある。
したがって、「血縁」「イエ」「民族」といった通念について、社会的な存在感の変質が伴わないと強弁するのは欺瞞である。
そのため、同性婚を受け入れる社会とは、単に同性愛を多様性として社会に包摂するという以上に、「家庭」の通念が「血縁の親子関係」により構成されるということを否定できるところまで進める必要がある。
近親婚に対する反論が同性婚反対派のそれと区別つかないのマジウケるな。
マジレスすると緊急度の違いと社会的承認の2点。民法では親族⊃配偶者。親族であれば遺産や病院のサインなどある程度対応可能。同性愛カップルは現状なんら法的な繋がりがない。世論調査で同性婚賛成が過半数。
たとえば「おばと甥」なんかも結婚は禁止されてるけど、遺産や病院のサインでどのくらい対応できるっけ? 「兄と妹」や「母と息子」ならどちらもある程度いけるだろうけど、「おじと姪」みたいなのは厳しいよね。
それに、たとえば「姉と弟」みたいなケースでも、配偶者と兄弟姉妹では遺産の取り分は違うよね。配偶者になる権利は当然あるのでは?
社会的承認については意味不明すぎる。たとえ9割の国民が同性婚に反対していても同性婚は実現されるべきでしょう。近親婚も同じだよ。
当たり前だけど仮に同性愛者の9割が同性婚を不要と考えていたとしても同性婚は実現すべきだよ。そして近親婚も同じ。
選択的夫婦別姓と同じで「選択肢が増えるだけ」のことに何でそんな高いハードルが課されなくちゃいけないんですか???
近親婚の問題点としてDV的な要素の配慮も必要かと。特に閉鎖的な環境下で臨まない関係性の強要という事も想定されるわけで。当然近親婚がなくともありうるわけだが、一方で、近親婚を認めるとそれを追認しかねない。
よく言われるけどこれは詭弁。なぜなら実の兄弟はたとえ幼い頃に生き別れ年に1度会うか会わないか程度の間柄であっても法律婚はできないが、再婚した親の連れ子どうしは結婚できるので。仮に物心ついたときからずっと一緒に育ってきた相手だとしても。
本当に「閉鎖的な環境下での圧力」を懸念するなら、こんなザル規制に頼るべきではなく、同居年数などに依拠した婚姻制限を行うべき(私は反対だが)。結局もとからある差別的な規制に無理やり理屈をつけて擁護しているだけに過ぎない。言ってることがマジで同性婚反対派と瓜二つ。
シンプルには権力勾配を避けにくいからダメという理屈でよく(児童性愛がダメなのと同じ理由)、となると共同生活しておらず世代が近いことが要件で、となると従兄弟姉妹関係からということで現行通りだな
自分の親に兄弟が多いと「兄や姉くらいの年齢差のおじやおば」も想定できるけど、いとこがよくて年齢差の小さなおじおばが駄目な理由 is 何?
それ、「同じチームにゲイがいたらロッカールームでケツを掘られる!」ってのとどう違うの?
議論する価値のある話だと思うんだけど、なんでこの話する人いつもブチギレてんの?なんかその時点で信頼性がないから増田を外して議論したい
同性婚支持者の人があれやこれやと理屈をつけて同性婚に反対する差別主義者に相対しているときの気持ちを想像してみてほしい。ワイが感じてるのはまさにその気持ちなので。
自分の「社会階層が固定化されるから(財産が同族間で相続される)」というのに反論してくれたら嬉しい。近新婚と同性婚の違いって外部者が入るか否かだと思う。固定化は望ましくないという社会的制度だと考えてる
そんなこと言うならまずは金持ち同士の結婚を制限するのが先でしょ。医者や弁護士や経営者同士で結婚して裕福な暮らしを送るのはなんら法規制されてないんだから、社会階層の固定化は他者に結婚を認めない理由にはならないよ。
それとも、金持ちの男は貧乏な女と、金持ちの女は貧乏な男と結婚するよう義務付ける法でも作る? 女は下方婚しろとか喚いてる女をあてがえおじさんと言ってること同じになって笑っちゃうな。
遺伝問題に全く触れてないのは、子なし前提なのかな。法で子なしに縛るのは無理だと思うから、近親婚は無しだよ。病院立ち合いは本人のOKがあれば問題無しじゃね。遺産は遺言書いとけ。
遺伝病患者には結婚を認めるべきではないって主義の人かな? 第三帝国にでも移住なさったら?
高齢出産では有意にダウン症の発症率が上がるけど、近親婚は遺伝の問題でダメというなら中年以上の人たちの結婚も禁止しないとね。そんなんできるわけないっしょ? つまり近親婚の禁止も無理ですよ。
“同じチームにゲイがいたらロッカールームでケツを掘られる!”のは根拠ないが、性的虐待の加害者が近親者に多いのはデータで証明されており、根拠があるからでは。
おっ、統計的差別か? じゃけん中途退職率が高い属性の人は採用しなくても許されるようにしましょうね〜。楽な診療科を選びがちな属性の人は医大受験で排除してもOKってことにしましょうね〜。いやいや、そんなん許されるわけないでしょ?
虐待への対策は、虐待の早期発見や介入手段の充実などによってなされるべきであり、統計的差別に基づいて結婚の自由を奪うのは絶対に間違ってる。
ところで統計的には実子への虐待は母親によって行われることが多いんだけど、そんなに統計に基づいて虐待を防ぐべきだと主張するなら生まれてすぐに母親から子供を引き離す法律でも作った方がいいんじゃないの?
理屈や是非はおいといて、近親婚が当たり前の感覚になったら家庭内性犯罪増えそうだなぁ…幼い兄の下に妹産まれるだけで家族として色々なコストが跳ね上がる。女性も実家ですら安まらない環境は困りそう
まあ、「女性限定施設なら性的な目線にさらされないから安心だと思ってたのに、レズビアンがいるかもしれないと思ったら安心できなくなった」みたいなことを言う人も見かけたことありますけど、そういう人の意見は粛々と無視される流れになってきているわけですから、あなたのような意見も粛々と無視されるようになるんじゃないでしょうか。
何故同性婚賛成派だけ「じゃあ○○婚も認めろ!認めないなら偽善者だ!」みたいな踏み絵を踏まされるのか。「近親じゃない異性婚は認めてそれ以外は認めない」だって充分恣意的なのに、そっちは一貫してる扱いなの?
そりゃ「結婚の平等」って掲げた以上は踏み絵踏まされて当然じゃないの?
たとえばアメリカで「人種の平等」を求める黒人は、アジア人への差別はどう思う? って聞かれたら「そうですね、アジア人差別もなくすべきです」って言うべきじゃない? 別にアジア人のために身を粉にして働く義務はないけど、アジア人の権利主張に賛同する(最低でも反対しない)ことくらいは要求されて当然じゃない? もしそこで「いや、アジア人への差別は存置してもよい」なんていう黒人がいたらダブスタクソ差別主義者として糾弾されても仕方ないでしょ?
そもそも「なら近親婚はどうなんだ?」って関係ない話を持ち出すのが変。それは近親婚望む人が推進すればいい話で、同性婚推進したい人が近親婚の良い悪いやその理由を説明する必要なくない?
だったら「結婚の平等」なんて持ち出すなよ。結婚の平等を掲げた以上は同性婚以外の婚姻の平等に対する態度を問われるのは当然だろーが。「表現の自由」を掲げたらオタク絵叩きだけじゃなくあいちトリエンナーレに対する態度を問われるのは当たり前だし、「いや、宇崎ちゃんのポスターは表現の自由の問題だけどあいちトリエンナーレは関係ないです」とかいう主張が通じるわけないだろ? あいちトリエンナーレも表現の自由の問題だし近親婚も結婚の平等の問題だよ。
同性婚も近新婚も認められていいと思うけど、一つの問題に声を上げた人に全ての責任を押し付けたらそいつはつぶれるぞ。同性婚について活動してる人はそこに専念してもらっていいんじゃない?
別に「同性婚支持の活動家は同性婚と同じだけの労力を近親婚に注げ!」なんて言ってないよ。「同性婚に賛成するってことは、近親婚にも賛成ってことでいいんですよね?」って聞いてるだけ。「はい」って言葉が聞ければそれでいい。なのになぜか同性婚は認めるべきだけど近親婚は認めるべきじゃない派の人たちが屁理屈こねて認めようとしないからこんなに拗れてしまってるのよ。もうわけがわからん。
近親婚の認められ難さを考えると、同性婚賛成派が近親婚を切り捨てようとするのは戦略としては理解できるけど、思想としてグロテスクにも感じるよなぁ。
要するに名誉白人扱いですよね、それ、っていう。欧米で「や~いアジア人」って言われて差別されたときに「俺は日本人だ! 中国人と一緒にするな!」って言っちゃうみたいな感じ。
「オタク向け表現を守りたいだけで天皇アートまで守りたいわけじゃないんですよね……」っていう表現の自由戦士と仲良くなれそう。
「結婚の平等」の話なので、現時点で結婚が不当に禁じられているという点では同一でしょう、というのは上でさんざん書いたけど、そもそも何でノンケだけの問題になってるのかがわからん。同じ産道を通った姉を好きになる妹とかは同性婚がオッケーになっても好きな相手と結婚できないままなんですが? それは不当な結婚制度からの排除でしょ?
"たとえ9割の国民が同性婚に反対していても同性婚は実現されるべきでしょう。近親婚も同じだよ。"日本て民主主義国家じゃなかったっけ?流石に国民の同意は得ようよ
「民意の支持があればマイノリティを差別してもよい!」という考え方をする人がいるから憲法に法の下の平等って書いてあるんですよね〜〜〜。
そもそもこの批判、賛成して良い理由も提示出来てなくね?賛成して当然みたいな前提が無邪気にあるけど、その担保を自分では何も出さずに雰囲気任せでは、はなから議論にならんだろ。
「結婚の平等を掲げて同性婚に賛同するのなら当然近親婚も支持すべきである」という話なので、そもそも同性婚に賛同してない人にとっては賛同できない話かもね。あなたが近親婚に反対している、ということは、同性婚にも反対ってことでいいですか?
詭弁のガイドラインの「一見関係ありそうで関係ない話を始める」に該当するな。「同性間の結婚」と「血縁間の結婚」って切り口が違うでしょう?その違いもわからんの??
そんなこと言ったら元々結婚は異性同士でやるものであり同性婚を認めろというのは制度の趣旨と違う的な話になっちゃうじゃん……それは差別なんでしょ? じゃあ同性婚と近親婚に差をつけるのも差別だよ。
同性婚近親婚多人数婚は連帯して結婚自由化を求めていけばいいのに分断したがる人はわからない。成人同士が新しくきょうだいになることも含めた家族形成の自由化も進めたらいい。
ほんと、なんで「それとこれとは別」「同性婚はいいけど近親婚はダメ」みたいに分断したがる人が多いんでしょうね〜。
同性婚をこきおろすために近親婚持ち出してきてるのバレバレなんすよ。ロリペドを認めさせたいがために、LGBTを持ってきては、ロリがゆるされないならLGBTだってだめなはずだ!言い出すのと同じでな。
えっ??? 小児性愛者なんてド直球の性的マイノリティでしょ???
小児には十全な自己決定権を認めるべきではないので、彼らが実在の小児と婚姻したり性交したりする権利は諦めてもらうしかないけど(小児の自己決定権と衝突するから)、差別されない権利とかは当然同性愛者やトランスジェンダーなどと同様に小児性愛者にも認められるべきでしょ???
こんな雑などっちもどっち論に釣られる方が頭悪い。こんなの「そうだね、同性婚ができたら次は近親婚にしよう。だから今は邪魔するな」だけでいい。両方同時にしなきゃいけないものじゃないし、適当にあしらっとけよ
どうして包括的に婚姻の平等を推し進めようとしないの??? 別に同性婚の邪魔はしてないよ、「真の結婚の平等を勝ち取ろう!」って言ってるだけだよ。「まずは黒人差別禁止法、次にアジア人差別禁止法」なんてのはおかしいでしょ? 「黒人もアジア人も守れる包括的差別禁止法を作ろう」であるべきでしょ?
そもそも「まず同性婚、次に近親婚や複婚」という順番になんの根拠があるの? じゃ、「まず近親婚や複婚、次に同性婚」と言っても賛同してくれるの? 大丈夫だよ、同性婚のときは協力するから、まずは近親婚や複婚に協力してよ、って言ったら素直に協力してくれるの???
当事者の要望が高まれば近親婚も議論すればいいので、増田やその支持者は変な相手に反論してないで堂々と近親婚推進を説いて頂きたい。当然近親婚推進の立場なんでしょう? なんで無関係な同性婚の話をしてるの?
既に同性婚賛成派が国民の多数派である以上「同性婚を認めるのなら近親婚も認めなければ筋が通らない」という主張をすることによって同性婚賛成派に近親婚禁止が理にかなっていないことを理解してもらうのが近親婚実現に至る一番の近道なので。
「同性婚に賛成する以上は近親婚や複婚にも賛成すべき」という共通理解を作って同性婚と近親婚と複婚を同時に実現するというのが当面の戦術的目標ですかね。もちろん最終目標は婚姻制度の廃絶ですが、自分が死ぬまでに実現する見込みはないので死ぬまでに実現可能な同性婚・近親婚・複婚の合法化を当面の目標にしています。
こうして考えていくと、行きつく先は婚姻という制度そのものの形骸化である。ということで自分の意見としては、同性婚や近親婚を認めるのではなく、そもそも婚姻制度そのものを廃止すべきである、ということになる(法的に保護された結婚をなくすだけで、民間の風習として結婚することを妨げるものではない)。
法律婚は書類を出せば成立するから、結納も結婚式も結婚の成立には必要ないんだけど、結納やら結婚式やらをしたがる人は大勢いるので、法律婚を廃止しても「結婚」にまつわる諸々の儀式は残りそう。儀式をするのは個人の自由なので、結婚式とかのカップル形成の儀式をしたい人だけが儀式をし、一方でカップルに(異性であれ同性であれ近親であれ)法的な特権は与えない、というのが一番筋の通った解決策だと思う。子育て関係の補助は子供の養育者に渡せばいい。
この理屈が受け入れられるとして、はてなでは「だから婚姻制度を廃止しよう」という結論になるとしても、世間一般としては「だから同性婚も認めない」という結論になるんじゃないかな
増田は、日本国民はなんだかんだで自由主義的で寛容なので「同性婚を認めることは近親婚や複婚を認めることである」という前提がきちんと共有されれば同性婚と同じように近親婚や複婚を支持してくれる、と思ってるけど、まあこればっかりは蓋を開けてみないとわからんね。とにかくこの前提条件がみんなに共有されるのが同性婚・近親婚・複婚合法化に向けた最初のステップだよねぇ。
アイシャの話はアイシャという天才少女の物語としてすごく良くできていたと思うので正史から消されちゃったのは残念で仕方ない……
言われると読みたくなってきたので魚拓で読み返してきたんだけど、3人の嫁がいるやつが自分の妹と息子が致してるのに対して「それは……ダメだろ?」とか言ってんの改めて読むとめっちゃ笑えるよね。もちろんルーデウスの個人的事情も加味すべきではあるけど、お蔵入りになっちゃったところまで含めて近親相姦のタブーがいかに重いものかを表していると思う。でも、やっぱりそれを認めようとしないのは差別だよ。
法律やルールは属性(男女など)で区別するのではなく状況(経済状態など)で支援するしないを決めた方がよいだろね。人間の本能には今となってはバグといえるような物もある
140年前にサムナーが「忘れられた男」で指摘したとおり、法の下の平等の前提は行政や司法から情緒を廃して機械的に運用することなんですよね。情緒がからむと泣き叫ぶ者が優先され、黙っている者が割を食います。
対象がよくつかめなかったのだが氷河期世代の見捨ては私も怒っているよ。男性のためを銘打った相談窓口ももっと手厚くあっていいと思う。女子供ばかり二重三重にそりゃ見えるよ
https://president.jp/articles/-/65205?page=1
上に引用したのは沼田牧師が書かれたかわいそうランキングに関する上記記事に付けられたブコメの一部だが、この3つのブコメはどれも司法、行政の平等について論じていて、概ね司法、行政にはかわいそうランキングに影響されない価値中立性が確保されるべきだという意見だと思われる
あくまで例として引用させてもらったが、他に付けられたブコメも概ねこの様に司法、行政の観点から論じたものが多い印象だ
だがしかし、沼田牧師が件の記事で論じているのはそういうことではないだろうと俺は思う
共生社会について考えるなら、一流のアスリートを見るのもいいけれど、まずは「この人、ほんとうに嫌な人だな」という感情を避けられない人とどうやって生きていけばいいのか、そこから考えてみませんか。
上に引用した部分には沼田牧師がこの記事を通して読者に訴えたい内容が端的に表現されていると思う
かわいそうに思えない弱者
そうしたかわいそうランキング下位者を我々個人が拒絶せずに関わり続けていくためにはどうすればよいのか、それを沼田牧師は問いかけているのだと思う
一方で記事に付いた多くのブコメはあくまで司法、行政の平等についての言及に留まり、かわいそうランキング下位者と我々個人との関わりについての言及は少ない
これは俺の偏見かもしれないが、かわいそうランキング下位者については公共セクターが対応すればよい、といった雰囲気さえ感じられた
もちろん、公共セクターはかわいそうランキング上位者と下位者を差別することなく運用されるべきだが、仮に女性相談窓口と男性相談窓口が、女性センターと男性センターが均等に配備されたとしても、それはあくまで公共セクターの平等性が高まっただけの話であり、かわいそうランキングを超克したことにはならない
我々一人一人が、かわいそうランキング下位者を拒絶することなく関わり続けていくこと、その実践を通して初めてかわいそうランキングを超克することができる