はてなキーワード: 私益とは
「日本という国を背負ってる」、、、
はぁ?
作物売ってもらえなくなったりするの??
何一つねぇよそんなこと
何と言おうと、あいつらは自分の承認欲求、自分の名誉、自分の個人的に親密なごく一部の人間のため”だけ”にやってるんだよ
だけど誰もが自分のためにやってることのごく一部のオリンピックとかメジャーリーグとかワールドカップとかなどを特別視して
もう夕方過ぎてる
おれは違うよ
何の仕事かは言えないけど、間違いなく沢山の色々な人の公益・私益に貢献している仕事
だけどだれも応援してくれない
だれも褒めてくれない
だれもメダルなんてくれない
みんな優しくしてくれて称えてくれるオリンピックとかメジャーリーグとかワールドカップとかのあいつらが羨ましい
戯言も大概にしとけ
まず大前提として、自分は某暇の人格は到底褒められるものでは無く支持出来ないという立場。
後結構前からブロックされているので個人的にムカついた私怨もある。(多分山本一郎や東野先生をフォローしてたからだと思う。後に後者はミュートからフォロ解)
よくColabo問題は暇空一派(暇アノン)の暴走であり、第二の余命事件だと指摘されている。ブクマカでも同様のコメントは多い。
そういう事にしたいのだろうし実際「お前がそう思うならそうなんだろうな」という感想で特に主張者に対し異論を挟むつもりは無いのだが
よって余命事件と安易に結びつける人間は基本的に党派性エコチェンバーか対立煽りカスなので一切無視して良い。
ブクマカならブロック推奨。問題を語るにおいてはただのノイズでしか無い。
ざっくり言えば思想的に偏った(と認定された)弁護士に対し余命というネトウヨアルファがネトウヨを扇動し大量の懲戒請求をかけた事件である。
表自風に言うのであれば「キャンセルカルチャー」「表現弾圧」の類である。
末路としては哀れネトウヨは返り討ちに遭い余命一派は訴えられて終了した。哀れっすねマジでw
多分自分達だけで無く、当のネトウヨからも黒歴史中の黒歴史扱いされてんじゃないかな?
弁護士の主張がおかしいのであれば言論で対抗すべきで、キャンセルカルチャーを人海戦術で仕掛けるのは頭のおかしい野蛮人がやる事である。
余談だが、当時の肌感で言うのであれば既に「ネトウヨ」が小馬鹿にされつつあった時代であり、余命にしても一部の極まったエコーチェンバーが騒いでいた程度の印象だったが
あの事件と在特会の体たらくが「ネトウヨは暴走し民主主義を否定する愚かな国粋主義集団」であるというイメージを決定づけた様に思う。
余命事件の場合は所詮はごく一部の弁護士が思想的に偏っているだけであり、その職務を妨害し仕事を奪う事に公益性は皆無である。
弁護士がおかしいと思うのなら、おかしいと思い支持しなければ良いだけだからだ。
それに思想信条の自由がある以上、その弁護士とやらが明らかな犯罪や倫理的にアウトな言動をしない限り、個人の自由である。
余命事件は日本国憲法の理念を踏み躙り凌辱しようとした文化的集団レイプ事件であると言えよう。
そこに正義は無い。ある意味憲法が嫌いなネトウヨらしいけどなw
しかしColabo(等の支援団体、社団法人)の場合は、余命事件とは異なる、しかし重大な違いがある。
Colaboらには多額の公金(税金)が支出されている事である。
公金が入っている以上、団体の活動にはある種の公共性・公益性が求められる為
思想信条の極端な偏り、及びそれに伴う公共性に欠けた事業や活動が行われる事は問題を超えた問題である。
公金の源泉である一般市民の公益性に反する可能性が高いからだ。
自分たちが望む政治的な活動がしたいのであれば、支持者の寄付金等の自前資金で活動するべきであり
故アベ首相のモリカケサクラ問題が未だに糾弾されているのも、政権が一個人・団体に便宜を図ったという事実は
①被支援者を政治活動(辺野古基地反対運動など)に参加させた事
③「リーガルハラスメント」「住民訴訟の濫用」等の造語により民主主義を否定した事
強い公共性が求められる公金事業で、本来であれば最優先で保護すべき被支援者を政治活動に繋げた事は
事業内容、ひいては団体の活動理念自体が一般市民の公共性・公益性に反していると認定されても仕方ない。
この点は他のブクマカや増田でも指摘されていたと思うが、本来政治色を最も薄めねばならぬ筈の支援事業で
事もあろうに被支援者(一般市民に含まれる人達)を政治活動に参加させる事は、最もあってはならぬ事である。
「あくまでも自主的に参加しただけ」という言い訳もあったが、支援者と被支援者という権力勾配の関係下において
団体の人間に「参加しよう!」と言われたら、果たして断れるだろうか?
被支援者が断って不利益を被る、と考えてしまうとは思わないだろうか?
ましてや生活困難な若年女性が、その生活を支援されている状況で断固として断る事が出来るのだろうか?
これを「全て問題無い」と言い切れる輩は、党派性エコーチェンバーか公共性の意識に極めて欠けた人間だろう。
政治活動自体は個人の自由ではあるが、その活動を支持しない人間にとっては公益性があるとは言えないだろう。
極端な話をすれば政治活動とはその理念に共感する支持者達だけが享受可能な私益であり公益性からは程遠い。
公金の支出元には、その理念を支持しない人間も当然含まれるからである。
私が与党色の強い政治活動を到底支持出来ない様に、政治的活動・思想を支持しない自由は当然尊重されるべきであり
政治色の強い活動に公金の一部が使われている(疑惑がある)事を容認しない姿勢も同様に尊重されるべきだろう。
会計の問題、疑義についても、公金が入っている以上公明正大な明朗会計が本来は為されるべきではあるのだが
残念ながらその理念に欠けている、または人的資源の問題により達成出来ない諸団体が多いのが現状ではある。
不正というよりは不適切・不適格な会計処理が存在した、というだけの話ではあると思うが
主に政治活動に使用された費用についてはそれは公金なので返金するべき、というのが自分のスタンス。
支援活動と政治活動の境目をなあなあにして不可分にしようとしている(様に見える)点については
個人的には「良かれと思って」やっている事だとは思うが、良かれと思って公共性に反した行為をやって良い訳では無いので
今一度公金、つまり一般市民の税金が使われている自覚を持って、後処理にあたるべきである。
私的な政治活動を団体の活動と繋げたいのであれば、自前の資金でやれば良いだけの話なのだから。
③はColabo及び支持者の主張だが、裁判・住民訴訟を起こす権利は、国民全員に等しく付与されているものであり
何がリーガルハラスメントなのか、住民訴訟の濫用であるかは、法の平等の下、法的に認定される必要性がある。
認定されなければあくまでも一方的な主張であり、その一方的な主張をマスコミを使ってさも事実であると喧伝した事は
法の下の平等の否定、基本的人権の否定、ひいては民主主義社会の否定であるとすら考えられる。
例えどんなに暇空が悪質な人間であろうとも、活動に疑念を感じ裁判を起こす権利、住民訴訟を行う権利は
まるで「何がリーガルハラスメントか濫用かは我々が決める」と言わんばかりの強気な態度は
公共性・公益性が求められる公金事業に関わるべきでは無いし、関わってはいけなかったのでは無いか?
という疑念を強くさせられる。
「良い事をしているのだから良い団体なので何も問題は無い」「良き事をする人達に指摘するのは悪である」
という意見を語るブクマカや増田も散見されるが、まさしく思考停止に陥ったエコーチェンバーに他ならない。
「人の善意は悪意より恐ろしい」という言葉の意味を理解出来ないものだと思われるが
善意だから多少のミスは許せ、公共性に反し被保護者含めた一般市民の公益性に反しても「良い事」だから許せ
というのは、自民党やナチスを盲目的に信用する脳みその無い家畜と何が変わらないのだろうか?
恐らくこういった趣旨の意見を書く増田やブクマカは多いだろう。
「陰謀論だ!」と断定するのは、時期尚早と言わざるを得ない。
そもそも公共性のある問題に対しての疑義を「陰謀論」として片付けるのは
ナチスがユダヤ人の主張を「ユダヤの陰謀」として弾圧したのと同義に思えてならない。
統一教会問題が、山上が最終的事件を起こすまで陰謀論として語られていた事を知らないのだろうか?
北朝鮮拉致事件が「差別主義者の陰謀論」として、有識者や議員までもが堂々と主張していた事実を知らないのだろうか?
ある事象に対する疑義が余程の荒唐無稽では無い限り、真か否かが証明されるのは裁判の判決であったり
少なくとも私には現時点ではかの暇らの疑義が全て陰謀論だと否定する根拠を持たない。(と同時に、全てが真実だと信用たる根拠も持たない)
アノンとカテゴライズし陰謀論者の烙印を押せば全ての疑念が封殺されるのは民主主義の否定に繋がる。
先人達がその血を持って築き上げた市民社会の理を否定する道理があるとするならば、陰謀論を語るものこそその道理を証明すべきだろう。
不可能だと逃げるであれば、それはただの陰謀論を語る陰謀論者でしか無く、余命事件に群がった脳みその無い家畜の群れと同等である。
ネトウヨ版キャンセルカルチャーと言える余命事件には公共性が全く無い一方
公金が支出された事業に対し「公共性(公益性)に反しているのでは無いか?」
例え発端がひょんなきっかけ(笑)であったとしても、実際の行動に公共性・公益性がある以上
それを否定するという事は即ち民主主義の否定に繋がってしまう。
勿論単なる誹謗中傷などは裁判で争って下さい敗訴したら当然の報いを受けろカスとしか言い様が無いが
(そして裁判の結果が確定するまでは 推定有罪で冤罪を発生させた草津事件の再来になってしまう)
その誹謗中傷の中に、「公共性・公益性が求められる団体への疑義」を含めるのは間違っていると考えられる。
公共性・公益性を否定されたのならば、我々の活動には公共性も公益性もあるという事を法的に証明すれば良いだけなのだ。
それをせず、前段階で御用マスコミやしばき隊という左翼版在特会みたいな連中を使って騒ぎレッテルを貼り
あるいは訴訟を匂わせ時には個人情報まで使って威圧し異論を封殺する行為は、権力・権威による一般市民への弾圧そのものであり
これこそまさに、集団による威力業務妨害で弁護士の職務を妨害し、圧力によって黙らせようとした余命事件と同じでは無いか。
マスコミや党派性エコーチェンバー集団を使い大合唱で正当性を主張した所で、単なる迷惑なノイズでしか無く
今まで同様のやり方で正当性を獲得してきたオールド左翼のやり方は極めて公共性が無く公益性に欠ける愚行であるので
悔しいながらも住民訴訟については最後までやり切る事を支持せざるを得ないし
その途上で間違ったレッテルを貼り妨害する愚行も、同様に否定していかなけれなならないのが、リベラリストの苦悩であるとも言える。
党派性エコーチェンバーの下らない反応は予想していたが、概ねテンプレート通りで何より。
右のアホも左のクズも同じなのだが、根拠もまともに示さずにジャーゴンのレッテル貼りを繰り返すばかりでは
サイレントマジョリティからの共感など到底得られそうに無いが、そもそも議論をする気も、議論をしようと試みる理性も無いのだろう。
知性はさておき品性に欠けるのは最近の自称左派の主流になって久しく、リベラリストを自認する者としては甚だ残念である。
過去のネトウヨと同レベルに陥り、失敗したネトウヨが外面を整える事を身につけた結果、相対的に自称左派はネトウヨ以下に成り下がった。
党派性に囚われたエコーチェンバーは知性と品性を貶める証左と言えよう。
アニメ漫画を叩かれてという動機が私怨だから公共性・公益性は無いというブクマカもいたが、これもまた程度の低い人治主義でしか無い。
例えばモリカケサクラ問題を追求した人間の中には安倍首相・安倍夫人に憎悪・敵意を抱いている人間は少なくなかったが
安倍を憎んでいるから不正を追求する事は即ち私怨である、とはならないだろう。
発端がどうであれ実際の行動が公共性・公益性に反する動きを追求する行為から大幅に逸脱していなければ
嫌がらせや妨害では無く(少なくとも法的には)「正しい行為」となる。
正しく無いかどうかは、議論であったり法治主義による判断の結果によって定められるべきである。
Buzzfeedがハフポストに買収されて報道部門が廃止、それに伴いメディカル部門ディレクターの岩永直子が医療記事執筆を禁じられたという報が先週に流れてきた。
正直ホッとした。Buzzfeed自体が閉鎖されて欲しいと思っていた為だ。
そして昨日には岩永が「医療記事を書きたいから」独立するという。だから金を振り込んでくれとの事だ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/naokoiwanaga.theletter.jp/posts/66023f60-16ef-11ee-ad5a-a36b89620c35
冗談ではない。これを機会に筆を折って欲しい。
はてなでは「お金出します」というコメントが沢山付いていたが彼女がコロナ禍で何をやったのか判っていないのだろうか?「脳外科医ですが病院から執刀とカテーテル検査禁止され閑職に回さされてます助けて」って投稿があったら助けるの?
Buzzfeedはコロナ禍で最低最悪のデマメディアだった。これはディレクターの岩永がPCRの特性について勘違いをし、その間違いの指摘をフィルターバブルと編集権を用いて排除して体面を保ち、やまもといちろうに罵倒されるまでそれを続けていた為だ。
まず最初に2020年2月26日に聖路加病院の坂本史衣のインタビュー形式で「希望者にPCR検査をしないのは感染確率が低い集団に検査すると的中率が下がる」論が披露される。
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-sakamoto
これは後に知的に背伸びしたい連中に散々弄ばれる検査前確率と「ベイズの定理」の話で普通の化学検査には妥当するが、後述するようにPCRの特性的に妥当しない、端的に間違いである。
また坂本はこの記事とその後の記事での抜擢によって「タレント」と化し、NHKや婦人公論などにも登場するようになり、入院患者全数検査は無駄という非常に危ない主張を広める事になる。
なおBuzzfeedメディカルの記事がなぜ大きい影響を与えたかというと、Yahooに配信されたからである。Buzzfeed Japanの親会社はヤフージャパンで、記事配信の契約がされていた。
講義を停止していた東京女子医大が再開前に全学生へのPCR義務付けと陰性証明を求めるとこれを批判する記事を配信。
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/inseikakunin-tokyojoshiidai
これも「検査前確率が低い集団に検査すると偽陽性がー」「陰性確認は出来ない」という勘違いに基づくものだ。
記事のネタはBuzzfeedや医クラの扇動に感化されて大学の行動に憤った意識高い系学生のタレコミだろう。故にこの記事もSNSでの大学の炎上を狙った犬笛であろう。
でもなぜ彼大学がこの決定をしたかと言えば「医学部」だからである。仕事で使う検査機器の特性を熟知しているのは当たり前の事だからである。そして医学部の後半では実習で病院への出入りが増えるから無症候感染者は弾いておく必要があるからだ。
当初、国は保健所と病院のパンクを恐れて検査を絞りに絞っていた。他国が数十万件/日のペースでやってる時に50件/日みたいなナメプだ。この為救急病棟をコロナ専門にしていた病院などは経営難に陥った。また簡易ロックダウン頼みであった。
この状況に最初に異を唱えたのは日経新聞で、ちゃんと検査数を増やさないと制圧できない、PCR検査の特性に誤解がある、という意見を明確にした。(5月)
これで流れが変わって来たのだが、Buzzfeedでは相変わらず「PCR検査論争が不毛だ」などという記事を延々と掲載。論争も何も岩永が一方的に間違えているだけの事である。
日経の記事の前から生化学研究者や生物系学科卒業生などが医クラや岩永にPCRの特性の説明、特に現在主流のリアルタイムPCRの仕組み、製薬会社の構造、試薬製造会社とバイオテクノロジーの関係、シーケンサーとPCRの関係等を丁寧に説明していた。またタカラバイオのサイトに初学者向けのPCRの解説とマニュアルとプライマー金額表まであるので見るように説得していた。
だが彼等は一向に見ないどころか「検査しても隔離しなきゃ意味無い」などの幼稚なすり替え、治療のための検査と防疫検査の意図的なすり替えを続け、そのしつこい説得を「PCR真理教」と揶揄するなどを続け、岩永はこれら生化学系人士らのツイッターをブロックした。意図してバブルを作ったわけだ。悪質な人物と言う外無い。
試しにツイッターで「岩永直子 ブロック」で検索してみて欲しい。
因みに以前はもっと沢山のブロックされた生化学人のツイートがあったのだが、PCRデマが周知されコロナが一段落したのでアカウントを消したりROM専になって検索スコアが下がって掛からなくなったのである。
じゃあなぜその人らが語りだしたかと言えば医クラとBuzzfeedのせいなのだ。致命的な間違いを流布しているから座視できずに声を挙げたのである。
岩永は唐突に「医クラにはネトウヨをRTしたりする馬鹿が多い」と批判した事がある。
三浦瑠璃も「日本会議ってネトウヨだからw」と同じ事をした事もあるのだが、これは三浦が学者としてあり得ないミスをしたり、学知が不十分だったり、国際経済や思想史、経済一般という周辺知識に暗いのがバレたり、宗教右翼等の如何わしい所でばかり講演するなどで評判が低下したのを気にして切断処理したのであった。
岩永も医クラが医療問題を韓国などの差別デマに転換して歓心を得たり、英語論文を根拠に反論したが読んでみると内容が全然違う(つまり虚仮脅しとしての英語)事がバレたりと切断したくなったのだと思われる。だがフィルターバブルを形成してその中で自意識を肥大させたり犬笛で炎上惹起したり(しかも間違い)しているから筋が悪い人間が集まるのであると言う外無い。
段々筋が悪い事に気が付いてきた岩永は「無兆候者検査は無意味」「検査数と感染者数は反比例しない」などの意見を述べてくれる人なら医学も疫学も生化学も関係ない人にインタビューするようになる。内容はただの相関関係がどうのこうののこじつけのナンセンスな論考である。
これらは防疫も医学も関係がなく「岩永がミスをしていたとは言い切れない感じもする雰囲気みたいな」という代物であって岩永の私益でしかなく、メディアの私物化である。
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga
こうやってダラダラと部下をも使役して保身の為に間違ってない論を続けていたが特異度が99%でも99.999%でも議論は同じ(低事前確立だと偽陽性が多数出る)、という記事を書いたところ、やまもといちろうに食いつかれる。「 【久々に怒ってます、誤報案件!】BuzzFeedさん、PCR検査の特異度が99.9999%と99%で「議論が変わらない」は雑すぎませんか? 峰宗太郎さん/岩田健太郎さん/岩永直子さん/千葉雄登さん 」
buzzfeedが下らない保身記事を打ち続けて防疫の邪魔をしているのは明白だった。この動画の再生数はあまり伸びていないが、昔からネットやってたらやまもとに絡まれる厄介さを知らないはずがない。
するとこの動画が出るや特異度が99.9999999%がみたいな言い訳は止まったのだ。医学に関する事なのに事実の確認じゃなく厄介なインフルエンサの方が影響あるのかよ。
特異度が変わっても同じ論は引っ込めたがやはりダラダラと言い訳記事は同年冬まで続いた。紙面私物化も良いところだ。
その間に空気感染に近いというのが周知され無症候検査の重要性が喧伝されてもそのまま続けた。
女子医大の例にもあるように、Buzzfeedや聖路加タレントが何を言おうが、判っている病院では職員と入院患者の全数検査を行っていた。
だがそれをしていない、検査環境を整えていない病院の病棟ではコロナの院内感染が発生した。
例えば埼玉県戸田の戸田中央病院では職員100名以上と患者141人が感染し、患者31名が死んだ。市内での致命率は1~3%だが、病棟では20%以上が相場だ。このケースでも致命率は20%である。術後患者や病人ばかりなのだからそうなるのは当然である。
更にこれにより他病院の受け入れが相次ぎ埼玉南部の救急はパンク救急車が何時間も出発できずこの時に重病になった人は助からなかった可能性が高い。
こうなるから全数検査の体制を整えていたのにBuzzfeedは女子医大を炎上させ聖路加タレントは検査すべきではないと言ってNHKや雑誌に取り上げられていたのである。途中で生化学人士らの説明を聞き改めて訂正をする機会はずっとあったのにだ。
それいうと思ったわ
そんなんじゃなくてね
これは元増田みたいな人のプライドや私益と引き換えに後進の門戸を閉ざしファンコミュニティに冷や水をぶっかける側面が少なからずあるってことなんだよ
他に置き換えてみて、場末のライブハウスで友達相手にのんびりやってるコピーバンドに「俺の曲を下手な演奏で汚すな、しょーもないギターソロとか勝手なアレンジすんな」とか言ってたら
流石にそれはおかしいと思うだろ?
勝手にCDにしてうっさばいてたとかならまだしもチケットの利益もほとんどないような奴相手にいうことではないよね
結局法的措置とかにでたらファンが白けたり不快な思いすることは理解してるから元増田も何もしないんでしょ
業界内外で人気がなくなるのが一番怖いんだもん
それから元増田の言い分っていうのは文化資材としての公益を損なうって事例や、コンテンツの品格や設定・世界観を棄損させるような事例、金銭的な損害を被る事例、単に作者個人の情緒の問題がごちゃ混ぜにして語られてるから
(というかそこらへんどうにでも読み取れるように曖昧な表現になってしまっている)
ブクマカはいつもどおりカリカチュアされた弱者のお気持ちを汲んでさし上げるっつポージングで学級会めいたことやってるけど
元増田がそれがいいたかったのかそういう流れになることを意図していたのか将又そんなつもりは毛頭なくて真意は別のところにあるのか
学術会議についても安倍、菅が身に着けた手法はまず自分たちの保身のために、多層的にに意見発信する主体をつくるというというものだろう。
そして、層の下の方になるほど、官邸から離れて匿名性をもたせる。言いがかりに近い過激な発言をさせて攻撃する。
官邸、閣僚、自民党国会議員、維新・N国首脳、メディアに出ている擁護コメンテーター、維新・N国国会議員(橋下徹含む)、過激発言コメンテーター、ネトサポの順に。
自分たちの危機になればまずネトサポを使ってデマ言いがかり何でも使って危機の対象を攻撃できないかを探す。
少しでも言いがかりをつけれそうだと思ったら、そのネタを使って、ワンランク上の連中(N国・維新国会議員)にそのネタで過激に攻撃させる。
そして、これは手堅い攻撃ネタだと思ったら更に上の連中に使わせて、敵を攻撃していくとうもの。一番上の官邸、閣僚はあくまでのらりくらり。
まあ、甘利は相当熱が吹き上がってるときだったから、千人計画みたいなあからさまなネタでも引っかかったが。
多分これから先も総理や、総理のお友達が危機にさらされたら、こんな構成を使って潰そうとするんだろうなぁ。総理のお友達になれてしまえば、レイプや自動車撥ね殺しや私益を肥やすクラスでももみ消してくれると。
ツィッターで賞賛もらえねーそんなのにやってるの意味あるか!みたいなのがながれてきた。ただ、そんなの頑張る状態にはつきものだよとコメントをしようと思った。
でもなー、俺もがんばってて、うまく行けばでかくなるのは間違いないのだが、絶望的に時間がいることもわかってきた。それから、世の中のおぞましさ。
賞賛は本当にうまく行った時に、ああ、なんかこれがあったから世界が良くなったね。ぐらいに言われるぐらいがかっこいいんじゃね?とか思ってたけど。
やってるもの以前に、ヘラヘラしながら、自分の承認欲求とか自分の私益だとかが見えて、しかもヘラヘラしながら騙そうという気まんまんのものばかり。
くだらないガキンチョが俺に屈しろみたいなのもこちらが弱いからくっせざるをえないようなな。まあ、ガキンチョは無視すりゃいいだけだし、ヘラヘラにも無反応な鉄の心になりゃいいだけだが。
でもさぁ。本当に俺何のためにやってるんだ?とは思うな。やってることに意義はあるのは間違いない。続けるための身のふりはする。だけど、そちらも茨の道で評判の道だ。
こんなものより、おとなしく要領よく生きて大企業で生きて、休みの日に趣味で遊びに行く生活をしてたほうが遥かに幸せな生活だっただろうな。今がマイナスだから何兆倍しようがプラスにはならねぇ。
そもそも子供を持とうとする人を蔑んだくせに自分を蔑まれるのは我慢ならないんですね
ただ、社会的貧困である事は蔑まれるべきではありませんよ。書いた時点では憐れみはあれど蔑みはしていません。
だが「フルタイムで働く女が育児によって失う自由(金銭的なものと時間的なもの)を償って欲しい。」
別の増田も書いてくれているが、社会からの投資は貴方に成されていることが、今この時点でも証明されている
貴方はなぜ読み書きができるのか?
貴方はなぜ、老後について金を積んだらヘルパーなる人が存在すると無邪気に信じていられるのか?
貴方はなぜ、将来金を積んだら老人ホームに入れると思っていられるのか?
貴方がいま行なっている行動が書き込んだ言動が全てが、貴方に対して社会がコストを支払ってきた事実を証明している
でも貴方は持続可能な社会に参加してする能力を育めなかった、他人を愛する力を育めなかった
身体的に参加する能力がなかったわけではない、金銭的に参加する能力がなかったわけではない
ただ心の貧しさ故に、社会に包摂されているという自覚をもてないが故に、参加する能力を有せなかった
自分しか愛する力がなかったゆえに、周囲を愛する力がなかった故に、幼児の有する自己愛を大切に大切にいままで抱きしめているがゆえに
自分を抱きしめる事に夢中になるあまり、参加する能力を有せなかった
貴方が何歳なのかは知らないが、貴方は未だ「社会人」ではない、もし貴方が学生という特権階級でないのであれば、貴方はルンペンプロレタリアだ
なぜ、日本という国も世界も「個人の尊重」を目指すようになったのか?考えたことはあるだろうか?
貴方は先人達が残した「個人の尊重」を重視した世界を一代限りで食い潰したいのだろうか?それが貴方の「自己実現」なのだろうか?
きっとそうなのだろう、それはそれでもう仕方がない。
世界大戦から学んだ教訓を生かし個人を尊重し「自己実現」することこそが、社会を発展させ、持続可能性を増やすという
先人の考えも思いも間違っていた、ということが証明されてしまうだけだ
私はそれが失敗だったと証明したくはないが、貴方は証明したいのだろう
信じてもらえないかもしれないが
貴方が立派なルンペンになろうと行う自己表現は極めて不快だが、許せないほどではない
「元増田のような苦労をしてまで子どもが欲しいという気持ちが理解不能。」
などという放言は許しがたい、もし私の書いてあることの一端でも理解することができるのであれば
貴方の矮小なプライドのために、貴方の瑣末な人生を肯定するためだけに、子供が欲しいと思う人を蔑む真似は慎んで残りの人生を生きて頂きたい
最後になりますが、社会的貧困であることを恥じることはありません
貧しいことは恥ではないし罪ではないからです
「われわれは、私的利益を尊重するが、それは公的利益への関心を高めるためでもある。なぜなら、私益追求を目的として培われた能力であっても、公的な活動に応用可能であるからだ。」
「貧しいことは恥ではない。だが、貧しさに安住することは恥である。」
男子児童の親よりも女子児童の親のほうが統計的に見て自分の子供に性虐待を加える可能性が高いんだから、女子児童の親が世の中の(つまりマクロ的に)小児性被害者を減らしたいのであれば、まず自分を抹殺すべきなのね。統計をもとにすればエロ漫画家なんかよりも「女子児童の親」のほうがよほど直接の性加害者だ。あるいは「将来の性加害者の製造」という意味では小児男子を育ててる親たちすべてを抹殺すべきだよね。彼らのほうが世の中に犯罪をばらまいている。
また増田に言うように、ミクロ的に自分の家の女子児童を守りたい(つまり、自分とその家族だけが被害にあいたくなくて、マクロは二の次)なのであれば、それはミクロの利益なんだから世間を説得する力を持たないし、他者の私益(例えばエロ漫画を書きたい読みたい)を禁止する題目にはならんわけね。
結局問題は、私的利益を得たいがために公的利益の話を棍棒代わりに使う浅ましさなんだよね。「公のためにエロ創作を禁止すべき」という論で他者を殴るのであれば、公のために自分が害であった場合素直に殴られて死ぬというスタンスじゃなきゃまずいでしょ?
俺はソシャゲを一切プレイしないけれど、開発側で仕事してる人間だ。
はっきり言うけれど、じゃぶじゃぶ課金してる人間はソシャゲが好きなわけではなく「邪悪な運営」が大好きなんだよ。口では何と言おうとそういうソシャゲが大好きなんだ。
よく考えなくてもわかるけれど、ノーマルだろうがレアだろうがそのデータの希少度なんてものは開発側の胸先三寸だ。原価はこの場合、たとえば絵描きへの報酬だったり実装するためのPGの報酬だったりサーバーの占有(バイト数で数えられる程度)だったりするわけだが、そんなものに差なんてありゃしない。どんなカードだって全員手に入るようにもできるし、十万人に一人しか手に入らないようにもできる。そいつを開発運営側の胸先三寸で、レアリティを設定しているだけだ。もうこの時点で「邪悪な運営」なんだよ。肥溜めってのはそういうことだ。
期間限定ですよ、レアですよ! なんてのはその仮想的な希少度の最たるものだ。その運営の作った仮想的な希少度で所有欲という脳内麻薬を分泌してる、分泌したい、すかっとしたいというのが課金勢であって、その時点で「仮想的な希少度を演出する商売」に全面的に同意してるんだよ。同意しておいたうえで、このラインまでは正しくてこのラインから先は邪悪だとか、狂ってるとしか言えない。ようするにそれは「俺が課金して手に入れたカードは絶版しろ」っていう(仮想的な)私益要求でしかないわけだろ。それなら「俺が手に入れられなかった過去カードをまた入手できるようにしろ」ってのだって私益要求だ。つまり、その二つはコインの表裏にすぎなくて、「俺が手に入れられなかった過去カードをまた入手できるようにしろ(=再販してくれ)」って言ってる人間がお目当てのカードを手に入れた瞬間「苦労して手に入れたんで絶版しろ、二度と表に出すな」っていうわけだ。滑稽以外に何か言葉があるか。
さらに劣悪なのが「自分に同意してくれる人」を求めてるだけなのに「冷静な第三者」とか言い出すあたりだ。そんなの、もうすでに中毒者であって、まともに相手することなんてできないだろ。
俺が言ってるのはソシャゲがゴミだとかくずがやるものだ、という話じゃなくて「お前はお前が同意したものをよく考えろ」という話でしかない。バカだ、と言ってるわけじゃなく「参加した時点でそういう文化に同意してるのに今更泣き言言って被害者ぶるな」という話だ。
合ってる、間違っている、っていうあなたの考えに、脱皮を促したいです
200年前は@@という方法で、40年前は**でうまくいった、今は別のやり方がうまくいく、さらに数年後は...と時代で変わるのですよ。
公的年金の賦課制度(積立払いではなくて、お年寄りなどに払う分を今払える別の人から集めてくる)だって、当初はそうせざるを得なかった(積立金がないけど支払うわけだから当然)だろうけど、見直しの面倒さや、当時の公務員諸氏と関連業者の私益にかまけて途中の改正を怠ったために今のめちゃくちゃな状態になってしまった。
法律だろうが憲法だろうが自分自身の生活習慣だろうが、その時点に合っているものに変えていくべき。ただ、実際には改善ではなく改悪になってしまう可能性が十分あり、政治家が政治(立法・行政・司法)や政治家自身を縛る法を変えるという危険な類の行為だから、憲法改正は敷居を敢えて高くしてある。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/net/news0/national/20140302-OYT1T00197.htm
ブックマークコメントでもいろいろ意見が出ているけど、厚生労働省の「受験料制度が他社にも広がれば、お金がない学生の就職活動が制約される恐れがある」という懸念はもっともで、ドワンゴももっと気の利いたやり方(「首都圏在住の人には北海道や沖縄の会場へ試験を受けに行かせるとかすれば回避出来たと思う」ってコメントが面白かった。)があったんじゃないかとも思う。
ただ、これまたブックマークでもいろいろなコメントが出ているけれど、大学なんかの入試受験料と企業の就職受験料は違うという意見がよく分からない。批判とかではなく、単純によく分からない。
ブックマークコメントを引用させてもらうと(引用させてもらった方への批判の意図はないので念のため)
kanenooto7248
まあ、当然だな。100社以上受けるうえに公正さが担保されてるとは言いがたい就職活動と、大学受験を同一に語ることはできまいよ。
疑問1:「100社以上受ける」というのが費用が高額になることへの懸念だとすると、大学の受験料は単価が高い(私大は3万円前後?)ので、この指摘は空振りませんか?
疑問2:「公正さが担保され」るなら受験料を徴収しても良いのでしょうか。ドワンゴは寄付を公正さの担保とみなしていたようですが。
yurikago12
疑問:入学試験は学力(だけではないかもしれないですが)を売り込む営業ではないでしょうか。「学校とは立場が逆」という時の「逆」がよくわかりませんでした。
勤労も教育も憲法で定められた権利なわけで、その機会が経済的な理由で制約されるということはあってはならないという理解なので、厚生労働省の今回の指導は当然といえば当然だ。じゃあ文部科学省は何をやってるんだという話なのだけど、就職受験料と入学受験料を分けて考える人がいたので、なんでだろうと疑問に思った次第。
一つの考えとして、利潤の追求が企業と比べて容易ではない学校法人について、受験料という彼らの大きな収入源を取り上げてしまうと、ハレーションが大きいので見て見ぬふりをしている、とか。
でも本来的には個人の教育と勤労という大きな権利を制約するのが問題なわけで、入学受験料を徴収することが正当化されるとも思えない。
もし、就職試験の受験料徴収はけしからんけれど入学試験の受験料徴収は問題無いという考えの人がいれば、ぜひご意見をお聞かせいただきたいです。
追記