はてなキーワード: 安心してくださいとは
離婚した、もしくは離婚しそうな別居状態のクズ男性に朗報です。
踏み倒したほうが得です。
まず上記費用を一切払わなかった場合、相手女性は生活費を要求するでしょう。
そしてその弁護士から支払いの要求がきますが、これも無視して大丈夫です。
しかし数回は行くという返事だけして行かなくてもデメリットはありません。
相手と相手弁護士に負担がかかるだけで、何の罰則もありません。
風邪ひいたとか仕事がどうとか、適当に理由をつけてバックレましょう。
3回目くらいになると勝手に判決的なものが決まってしまうかと思います。
相手弁護士や裁判所から払えよという連絡はくるでしょうが、無視しましょう。
差し押さえを防ぐために貯金や給与振込の口座は変更しておきましょう。
一緒に生活していたころと違う口座を使えば多くの場合は相手にばれません。
都道府県によっては興信所に依頼されるとバレますが、こちらのデメリットは少ないです。
せいぜい相手が手間と興信所への数十万円の費用を払うくらいです。
また可能なら転職をするとまた相手が興信所に依頼したりしないと給与振り込み元すらわからなくなるのでおすすめです。
実は差し押さえを妨害する行為は違法です、刑事事件になります。
でも安心してください。
相手女性が警察に相談しにいっても、自分でなんとかした方がいいと言われるのがオチです。
さらに警察が捜査に失敗し、本当に払えないという結論になった場合、今後の差し押さえや支払いも無効になるみたいです。
上記の理由と事案の小ささから警察はろくに対応してくれないので安心です。
少なくとも神奈川県警はそんな感じですが、どこも同じようなものだと思います。
一生懸命相手の生活費を払うより、一時的に休職する方がお得ですね。
仮に差し押さえをくらうなり、支払わなければいけない状況に追い込まれても、今まで踏み倒そうとしてきた罰則はほとんどありません。
ここまでで相手に生活費や慰謝料と同等程度のダメージを与えつつ、こちらのデメリットはかなり少ないです。
踏み倒しのデメリットはかなり少ないのがわかっていただけたでしょうか。
ここに書ききれていないことも多々あるのですが、だいたいは伝えられたかと思います。
全ての人に離婚の可能性がある以上、専業主婦になるのは多大なリスクが伴います。
法律上は結婚している間に稼いだお金は平等にわけられるはずですが、実際は稼いでるいる人の方が圧倒的に有利です。
警察は守ってくれません。
裁判所って何のためにあるんだろうか。
[追記]
たくさんのコメントやブックマークありがとうございます。
想像以上に反応があって驚きました。
ただお察しのとおり私が女性であるのと、世の中の多くの場合は (収入の多い) 男性が払う立場になるのでこう書きました。
性差別するつもりはありません。
みなさん人生で数百人の方と接してきたかと思いますが、このうち誰が今後犯罪を犯すか把握できているということでしょうか。
否定的な意見もありますが、擁護してくださる意見も多くありました。
ただ吐き出したかっただけですが、書いてよかったです。
え?なに?俺?ってなった。細々違うし、性別も違うようだし、そもそも俺が書いてないから俺じゃないんだけど。
増田の話とてもわかります。俺もそうだから。そういう感覚で結婚して、もうすぐ5年。今でも続いている。子どもが2人いる。
はてブとか言及とか見てると、俺が他人に話して言われたことのオンパレードだった。
「それが恋」
「奥さんかわいそう」
この増田とは違うかもしれないけど、この機会に自分の場合を説明してみる。自分でも整理したいと思っていたから。
恋愛がわからない、と増田も書いてるけど、より正確にいえば「感じられない」に近い。世間で言われる恋愛感情に付随する反応が自分に起こらない。映画はじめ創作物が振りまくロマンティックラブイデオロギー丸出しのものから、世代を越えて様々な人にきいた恋人、配偶者との馴れ初めに至るまで共通して見聞きする、ドキドキする、会いたい、声が聞きたい、思いを伝えたい、とかそういうのがない。というか生まれてこのかた感じた記憶がない。で、正直にいえば感じてみたいは思う。でもわからない。
なので、先ほどあげた反応群には以下のような回答になる。
「それが恋」
→知識として知ってるのと違うんだけど、本当にこれが愛なの?
→愛があっても必ずしも大丈夫ではない。
「奥さんかわいそう」
→向こうが良ければ良いのでは?(この辺のことを話した上で結婚している)
→お疲れ様です!
ということになる。基本的に自分から話すことはない(馴れ初めというのは本当に聞きたいと思ってるかどうかはともかく、聞かれるものである)。
結婚して一時期は、長く暮らすパートナーとして好ましいという感情は多分、恋なのかもしれない、恋愛というものの典型的な感情から外れているだけで。と思った。でも、やっぱりいまは違うと思っている。
子どもができた。変な意味ではなく、ドキドキする、会いたい、声が聞きたい、思いを伝えたい、そういう感覚が子どもには芽生えた。たぶんこれ愛(情)なんだと思う。産まれてから、ずっと続いている。
増田の話を読んで、気がついたことがある。増田がそうかは知らないけど、俺は人一倍「自分の時間」を愛しているのではないかということ。結婚しなくても楽しく暮らしていける自信があるし、1人で過ごす時間がとても大事。1人の時間が欲しいといつも思っている。
妻と子どもの差はそこだ。
妻は大人だ。2人のうちはそれぞれが一個体の大人として話して生活を調整すればよかった。家事だって抜きたいときは好きに抜ける。でも子どもは違う。自由奔放、目は離せないし、保育園の送り迎え、料理、洗濯、寝かしつけ、ときには病気になって仕事を休んだり、遅刻したり。子どもが生まれて、たくさんのものを失ってしまった。(ちなみにいえば子どもも欲しいと思ったことはまったくなかった。どちらかといえば欲しくなかった。妻が欲しいと言わなかったらつくらなかったと思う。)
子どもは自分の人生を、時間を削り取っている。しかし、共有してもいる。子供の時間は、俺の愛する俺の時間でもある。自分の半身に否応なくなってしまった。たぶん、そこなんだと思う。世間一般の愛とは、やっぱり何か違うけど、俺にとってはそこが大きい気がする。考えたくもないけど、自分より先に子どもが死ぬことがあれば、「自分の費やした時間」=人生がごそっと持ってかれることになる。それが辛い(なんか冷たく読めそうだけど、たぶんに感情的な感覚です。上手くかけない)。
じゃあ妻はどうなのかといえば、やっぱりパートナーとして一緒にやってけたらいいなと思えている。でも子どもに対する感情とは別物だ。ともに過ごす相手として、誰よりも望ましいと思える。でもたぶんこの気持ちは男相手でも持ちうるものであると思う(俺はここまできていうのもなんだけどヘテロである)。もちろん彼女が死んでも悲しい。でも、たぶん子どもに対するものとは種類が違う。
推敲なしでスマホで書いたからめちゃくちゃだし、なんかまとまらなかったけど、増田はたぶん自分の不思議な感情をどこかに吐き出したかったんじゃないかと思っている。俺がいま思わず駄文を書いてしまったように。
増田さん、あなたのような人、世の中にはいますよ。安心してください。とりあえず、うちの家族は円満にやれてます(妻は我慢してるかもしれないけれど)。あなたもきっと大丈夫。お幸せに。
中国アゲサゲに連なってみます。どちらかと言えばやはり中国アゲかもしれませんのでご留意ください。
私は日本人ですが、縁があって数年前から中国の会社の日本支社の経営を任されています。
(少しだけ業種に触れますと、貿易関係、旅行関係、IT関係ではないです)
そのため、中国に住んでおりませんし、先の増田のように訪問したばかりでもありません。
ただ、毎日中国人と過ごしていますので、テクノロジーではない以下の点を中心に触れたいと思います。
1、英語に対する耐性
2、政治体制に対する考え方
3、給与水準について
1、英語に対する耐性
会社は世界中に1500人ほど正社員を抱えておりますが、日本人は私だけです。
オフィスの中では中国語が飛び交っていますが、私と雑談するときは、全員日本語で話してくれます。
少数の日本人である私に基本的には中国人スタッフが寄せてきてくれているというのが現状です。
その他外国のオフィスにいる中国人とは英語でやり取りしています。
その英語のレベルは控え目に申し上げても、日本人の平均レベルを大幅に上回っています。
私過去に外資系大手、内資大手、どちらも3年以上務めたことがありますが、ヒラ社員までここまで英語ができる日本オフィスはありませんでした。
英語公用語の日本の会社には在籍していませんが、スタッフの英語力が上がったというよりは、外国人を受け入れやすくなったというのが結果だったと聞いているので
そういう意味でも、たかだか1500人規模の会社でほぼ全員であるノンネイティブが英語で十分に仕事ができるという環境は
英語ができる人が日本の人口の15%だとしたら、その割合が同じまま中国にあてはめられるようになり、実際の人数は日本の13倍存在するという証左です。
英語を話すのは中国人も日本人と同じくらい苦手なので、そこは安心してください。
また、一方で全ての中国人が英語が話せるわけではないことも十分承知しています。(中国オフィスにも定期的に訪問しています)
中国を一人で旅するにはまだまだ中国語が理解、話せた方が良いです。
英語は思っている以上に伝わりません。
トイレの使い方とかも、まだ少し田舎にいけば独特の場所が多いです。
案内板が複数言語で設置されていることもまだ少ないように思います。
外国人の一人旅行しやすさという点においては、まだまだ日本が勝っていると思われます。
2、政治体制に対する考え方
一党独裁で情報統制された不自由さを思い出す日本人も多いかと思いますが、
Wechatは超便利だし、くまのプーさんが検索できなくてもなんの不利益もないぐらいローカルサービスが充実しているため
中国語で検索することができれば、別にGoogleがなくても問題ないです。
中国はこの20年、ざっくりみればずっと経済が右肩に上がり続けているので、昔を知る50代以上の中国人は体制にも不満は少なそうです。
圧倒的に過去より今が良くなっているので。
一方で裕福になってから生まれた若い20代のスタッフは、やはりくまのプーが検索できない国はおかしいと疑問を抱いているようです。
昔より良くなったんだからいいんだ!という50代スタッフと、日本みたいになれてないじゃん!という20代スタッフはよくケンカしてます。
3、給与水準について
そんな環境なので、基本的に中国絡みでスタッフを採用することが多いです。
日本語と英語ができる中国在住の人、または日本に在住している英語が話せる中国人がメインターゲットです。
採用活動をしていますと驚くのが、一定のレベル以上の管理職は既に日本の大手企業以上の年俸を貰っているということです。
経験6年以上で肩書がついたエンジニアを採用することが多いのですが、
日本で優秀な中国人が就職してしまうと、日本人でないという理由から採算性の低いグローバルプロジェクトに参加させられ、給与も低めが多いのに対して
中国でグローバルプロジェクトに参加できるレベルであれば、同い年でも3倍ぐらい中国の方が貰ってます。
もう少し具体的に言いますと、日本の企業で働く中国人を採用したときは、前職年俸450万でした。
中国で働く日本に来たい中国人は前職年俸1200万でした。(年齢と学歴はほぼ一緒)
なぜ日本支社の面接を受けたの?と彼に聞いたらば、子供が生まれたので空気のいいところで生活させたいと。
中国語と英語の両方が堪能なので、非常に採用したかったのですが、日本語しか話せない日本の顧客の相手ができない(つまり、中国にいるときと同じパフォーマンスが発揮できない)ので
また別の方はやはり日本大好きなので、日本で生活できるなら何でもすると、中国での給与より低い年俸で日本オフィスに来てくれた人もいます。
日本語は必要ない仕事の場合は、中国での前職より高い給与で(通常の転職ですので)引き抜いたこともあります。
全体としては、中国人は日本はいい国で(空気だけでなく、日ごろ英語を使って仕事をしていると思っているそう)、給料もアジア一高いはずと思っているが
日本人のイメージより相当高い給与を既に受け取っていることも多いし、昇給がまれかつ低水準であることに驚かれるという日々が続いています。
もちろん今も中国の新卒給与は日本の半分ほどですが、20%UPが半年に1回とか普通にあるので、中国の方が給与が安いは新卒から数年間に限った話ではないでしょうか。(成長産業でない業界はわかりません、ごめんなさい)
4、労働について
なかには怠け者のイメージを持つ人も多いかと思いますが、前述の通り給与が上がるので、めちゃめちゃよく働いてくれます。
特に弊社の場合は、締め切りを必ず守るをポリシーにしているので、締め切り前は仕上げるまで残業を厭いません。
自分の分だけ終えていなくなる米国人よりずっとチームワークを大切にしています。君が仕事終えるまで僕もオフィスにいてあげるよ、みたいなやり方で後輩の面倒をみてくれています。
また、質の方も悪いということはないです。猪突猛進な感じはあるので、途中で方向転換するのは難しい時もありますが、理由を説明して納得してくれれば曲がってくれます。
正直、具体的な理由もなく、回答までもうしばらくお待ちください。と待たされる日本のやり方にはフラストレーションが溜まるようです。
好景気なせいか、どこの会社も社員全員で旅行に行くとかチームビルディングの活動に力を入れています。そのため、一旦は給与に釣られて転職しても、出戻るパターンをしばしば見かけます。
特に中国人でも若い人はお金だけでなく、生活の充実を望んでいますので、高い給与で激務より、そこそこの給与で楽しくを選ぶ傾向があります。
たいていの日本人は三国志も西遊記に親しんでいますので、共通の話題も多く、普段トラブルはありません。
ただ、南沙諸島の問題や南京の事件などに関しては、たぶん教えられている内容の大前提から根本的に違うんだるな、と思うほどかみ合いません。
正しいと思っている者同士のバトルなので不毛な感じになりますが、じゃあどう決着をつけるのがいいかという所になると、落としどころは普通に話し合えるので
日本の文化として残っている多数のものが中国由来であるため、時々何もかも中国由来、中国が先!ってうるさいよ(でも事実)と思うこともありますが、逆に日本にしかないもの
(酉の市で熊手を買ったらそれ何ですか?と驚かれました)を見つける楽しみもあるので、違いは楽しむべきものだと思います。
学校の勉強の濃度については競争化社会の中国の学生にとても太刀打ちできないので、素直に称賛します。
勉強して新しいことを覚えるという姿勢が体に染みついている感じなので、安心してこちらも新しい仕事の機会を与えてあげられます。
このような猛烈に勉強する隣国に対して、日本でのんびり生まれ育っているわが娘に、何を与えてあげれば20年後彼らと共に生きることができるのか悩む日々です。
高校の部活の後輩が同じ地域に住んでいてとても仲良くしていた。
当時、俺は専門出て就職して働いてて、後輩は国立大学に通う学生。
後輩は、文字じゃ伝わりにくいけど心の底から人を尊敬できる本当に凄い奴で、本当に性格も人当たりも良い人
おまけに優秀で数年経てば社会的な立場は抜かされるだろうなと思ってたが、特に嫉妬とかはしてなかったが
後輩は高校時代から何故か俺を凄く尊敬していて俺は大分むず痒かった
ある日、後輩は俺がなし得なかった日本横断をすると言い出した
何となく自転車で旅をし始めたら楽しかったので「コレはもう日本横断するしかねーな」と意味不明な思考で旅立っただけだが
元々登山やそれ程広くない範囲の自転車旅は経験していたのと持ち前の図々しさで、割りとすんなりと計画は進み
「乗り物は何使ってもOK」という自分ルールで時にトラックに乗せてもらったりといったズルもして計画は順調に進んだ
しかし、途中で2代目自転車が破損し旅にも飽き始めていたこともあってそのまま家に帰った。
楽しいことは楽しいけど期間が長過ぎで気持ちがダレるし、宿泊地やスケジュール等、色々考えなきゃいけなくて面倒臭い
仲良くなった人の民家に泊めてもらったりって感動もあるにはあるが、命の危機を感じたことも一度や二度じゃない。
車でも同じくらい感動できると思う、危ないから止めた方がいいと後輩を止めるが「そもそもそんな体力ないです」
「でも、車なら安全ですもんね」と後輩はヒッチハイクによる日本横断を計画した
車に乗せてもらうって結構恐いし危ないぞ、と伝えるも
「安心してください、先輩の夢は俺が果たします」とテンション上がりきった後輩を止めきれず、気付いたらもう出発してた
そこからは気が気でなくて逐一報告を聞きながら、「今日ちょっとヤバかったです笑」なメッセージも届いたが最終的には何事もなく旅は終了した
日本横断に成功した後輩が帰ってきた際の喜びと安堵は忘れられない、何かあったら俺のせいだと思ってすげー怖かった。
「次は自転車で行きますよ」とか言い出して、それは何とか止めることが出来たけど
賢い人って何で無謀なことをしたがるんだろう
「大人になったら旅は出来ないですね」と何時だったか後輩は言ってたけど人を心配させてちゃ「旅」とは言えないのかもしれないと少し思う
その角川の判断が間違ってるっていう予想はないの?
判断した、行動した、で、結果は?って話でしょ
なんでこういう話をする上で結果の予想で話をしない馬鹿が多いのか
結果の予測っていうのは基本的には過去の歴史(データ)から予見するものだけど
基本的に角川主体で進めるコンテンツって軒並み爆死してますよね
今の大規模コンテンツってほとんど運用は角川の手が入ってないものばかりで
角川の企画になった途端糞化してるでしょ
アニメ艦隊これくしょんが売れたのは素晴らしい萌え豚の投資のおかげ
大きな投資先がアニメくらいしかなかったから艦これアニメは集金することができた
そんなミラクル何回も起きないでしょ
条件がまず違う
これが偏った予測だというなら自分で角川の歴史でも振り返ってみればいい
いちいちここで説明しても俺の口からだと納得しないだろうから自分で調べて
調べたくないならこの話から興味なくしていいよ
それわかんないなら話できないから
基本的に
他の人達は、営業とか電機とか化学とか土木とか、まぁいろいろな職業で斜陽産業で未来がない未来がない、というが
ぶっちゃけこれから右肩上がりで需要があるなどと、アホの経済紙やしたり顔のIT系とか経済ブログがほざくIT業界だって、ぶっちゃけその道で働いてたら
意識高い系の馬鹿以外の98%のエンジニアが、それ以上に終わってる斜陽産業という認識がある件
web系だのなんたら言うが、実情を言えば、裁量労働制で最先端の技術を今時東大生でもそこまでしたら知恵熱だして倒れるくらいのペースで勉強しないとついて行けず
プライベートは勉強会だの集まりだのに顔を出し、ブルーライトで視力が0.01になりそうなくらい毎日パソコンとにらめっこして、俺たちは上流と下流なんて考えない、全部やるんだぜ
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需要が増えてるweb系でこれだぜ?ちなみに今は参入が多すぎて蟲毒状態の競争で、レッドオーシャンどころか、血の池地獄になってるから、もっと下がるからねw
さて、悪名高きSIerは、00年年台の頃は、どんなウンコブラックでも残業代はついてたから、ブラック労働とはいえ新卒でも月収60万とかザラでいってたからねw
web系の意識高い馬鹿ども大好き年棒制で考えても、単純に年収700万オーバーwわかる?手取りに直せば1年で約550万近く稼げてたわけw
需要が多かった時代の話だけど、今未来がある!とか言われてるweb系はどうですかね?すでに供給過多で需要が不足し始めててるわけですよ、わずか10年足らずで
あ、あと言っとくけどweb系のBtoCでの上流経験やPM経験なんて、付加価値0とまではいかんが0.5くらいしかないからね、アジャイル開発で仕切る人数なんてギリ2桁とかでしょ?
これ、ゴミみたいな中小企業の社内SEのベンダーコントロール以下だからね、プログラミングすら書けないウンコ社内SEですら、100人月とかザラでBCやってますから、何歳までその業界で働くか知らんが、ハッキリいって君らの技能って所詮オナニーにすぎないからねw
当然、俺は今のSIなんて滅べばいいと思ってるくらいには、評価もしてないし、無能のPMやSEが餌で釣って大量に下流工程の人材使いつぶしてるのは、イスラム国やIRAといったテロ組織よりもタチの悪い極悪反社会組織だと断言できるけどさ、イメージで釣ったweb系も所詮SIから逃げたやつらがSI業界と全く同じ構造を持ち込んでるだけにすぎなくなってるわけじゃん?
あとね、君らのweb系プログラミング言語、世界に通用するとか言ってるけど、実務やってる分は3週遅れくらいだからね、ギークやハッカーを自称しているのなら、Rubyが流行ってる時点で終わってると自覚しなさい、俺がPGだったら恥ずかしくてMacbook売り払って引退するけどね、そんな恥ずかしいこと公言してはばからなかったらさ。
そんで、ここが確信、SIもそうだが、そんなSIの亜種にすぎないweb系もかなりあるよね「35歳定年説」w
そんなに習熟した歴史がない、などと自己暗示はやめなさい、君らの回りでweb系バリバリの最前線で働いてる30後半から以降の人間なんているのかね?いねえだろ?
悔しがることはない、IT業界そのものがそーなのです、君らが悪いわけじゃないんだよね、所詮マネジメントの機会すらベンダー側であったとしても身体が持たんし、社内SEであれば評価されない(超最上流なのにね…)
つまるところ、俺らのやってる技能すべてが、全く持って付加価値というのが存在しないわけ、最後は何かって?金とコネじゃね?
俺があと〇歳若かったら新卒の頃必至こいてITの勉強なんてやらないで、Faceb〇okで架空の身分で垢登録して、金持ちエリートのなりきりやって、上級国民のお嬢様あたり口説くけどね、それやった馬鹿どもの末路が三鷹ス〇ーカー事件だけど
プライドへし折ってコボラーおじさんやる?良心捨てて人売りIT屋のピンハネヤクザでも始める?Excel職人で日銭を稼ぐ?お好きなのをどうぞ
結論、非IT系の皆さん、IT系もこんな惨状なので安心してください、みんな逃げ道なんてない、国が衰退するってこうこうことなんですよ。
もういっそ好きなように生きましょう、真面目に生きようが悪の限りを尽くそうが、この日本社会を包む絶望感や閉塞感をぬぐうことなんてできませんw
あ、上級国民は別だろうけどね
理由は二つある。
ホモはステルスして男子更衣室や男子サウナに入ってくる。キモイ。なんで逮捕されないんだ?
こういうと、ステルスホモは「お前の裸なんぞ興味ない」という。だが、ストレートの男が女子更衣室に入って「お前らブスの裸なんぞ興味ない」といって許されるか?
第三の性用のトイレや更衣室を用意すればいいという奴がいるが、そういう問題じゃない。ステルスホモは男子更衣室も第三の性用の更衣室も、どっちも自由に利用ができる。キモイ。
ちんこがついてる奴が女子更衣室に入ったら逮捕。これくらい厳しく線引きされてる基準がステルスホモには適用されない。システムハックだ。キモイ。
アッピールホモは自分のちんこ話を他人に無理やり聞かせてくる。キモイ。アッピールホモは、自分がなにを見るとちんこが勃つかを聞かせようとする。ほんとキモイ。
隣の席のおっさんが「私は二次嫁でしかちんこ勃たないです。いまの嫁はばりさんです。三次の女性には勃たないから、無害ですので安心してください」とかアッピールしてきたら? うわっキッモッ。
こういうとアッピールホモは「ホモは生まれつきの性的指向。二次嫁とかの性的嗜好とは違う」という。そういう問題じゃない。おっさんのちんこ話を聞かされて、政治的に正しく賛成して配慮しないといけない状況がキモイ。
おっさんのちんこ話に配慮して職場の机がひゅうばりだらけでも我慢して、床に落ちてる瑞雲をばりさんに載せたら「それは政治的に正しくありません。もっと配慮してください」とかいわれる。キモイ。
もう一度書くが、指向か嗜好かの話じゃない。アッピールホモのちんこ話を聞かされて、アッピールホモのちんこ状況を勉強して、アッピールホモのちんこ具合に応じた行動をしないといけないことがキモイ。
まとめ。
http://www.music-an.com/entry/composition/major
http://www.music-an.com/entry/composition/diatonic-chord
http://www.music-an.com/entry/chord-progression
上のような記事がブクマを集めていて喜ばしい一方で、少し心配になることもあったので書いときます。
こういった音楽理論の手ほどきは、小説で言えば「字の書き方や原稿用紙の使い方」、絵で言えば「画材の使い方や絵の具の特性」を教えているだけで、これを読んだだけで即座に楽曲をクリエイトできるようになるかというと、そうではない、と私は思っています。
したがって、もしこれ「だけ」を読んで曲を作れなかったとしても、あなたに才能がないとかあなたが作曲に向いてないということには必ずしもならないので安心してください。
辞書にはたくさんの言葉が載っていますが、それを全部丸暗記したとしても小説は書けません。本をたくさん読んで、いろいろな言葉の実践的な使い方と効果を知り、生きたものとして操れるようにならないと文学表現とは言えません。
絵だって、どんなに豪華な画材を揃えても、どんなに高機能なソフトを買っても、気が遠くなるほどのデッサンや模写や習作を通じて表現技術を自家薬籠中のものとしないと「うまい」と言われる絵はきっと描けないと思います。
作曲にもこの読書、デッサン、模写に相当する実践的な訓練プロセスが不可欠だと私は思っています。
もちろんそれなしでも作曲はできるでしょうが、1曲作るのにやたら時間がかかるわりにちっとも説得力のない、どこか不自然な素人っぽいものしかできないと思います。それでハッとするようなものができちゃうのはきっと一部の天才だけで、ふつうは語彙の足りない子供が書いた文章のように幼稚で深みのないものになってしまうでしょう。
具体的には「耳コピ」です。100冊の理論書を読むよりも1曲の全パートを耳で完コピするほうがずっと力になります。
もちろん、音楽理論の知識があるとないとでは耳コピの効率が段違いなので、できれば上の連載は頭に入れておいたほうがよいでしょう。上の連載がどのくらいまで続くかわかりませんが、たぶん四和音はやると思いますし、調と四和音までわかっていれば世の中の軽音楽の大半はおおむねコード進行を把握できます。
ただしジャズはいろいろ複雑なのでいきなり耳コピに挑戦しちゃだめです。「JPOPだけどジャズっぽくてステキなやつ」もだめです。ふつう「ジャズっぽくてステキな要素=複雑なコード進行」だからです。コードを複雑化させずにジャズっぽさを醸し出すことはできません。ここでは一般的なJPOPやアニソンを想定しています。
さて、コード進行を学ぶとっかかりとして、まずは好きなアーチストのアルバムまるまるひとつの「ベースラインだけ」を耳コピしてみましょう。ベースラインは基本的にはコード進行のルート(根音)の移り変わりをそのままなぞっています。コード名の頭の字のところだけ(Cm7であればCつまりド)を弾いているのです。「コードの動き方」をおぼえるには最適ですし、ベースという役割の楽しさも感じることができます。
中には忙しいベースラインもあると思いますが、そういうのはカッチリとコピーする必要はありません。こまごまとフレージングされているベースでも、ひとつのコードの「中」で動いている場合と、コード進行に「合わせて」動いている場合があります。前者の場合、たいていは小節の頭で弾いている音がルート音なので最低そこだけとれていればよいです。
何曲も何曲もベースラインを拾っていると、ベースラインの動きって意外と単純で、しかもおぼろげながら法則性のようなものがあることに気づくでしょう。もともと鍵盤などの素養がある人なら、そのうち「次はこう来るかな」とベースラインの先読みすらできるようになっていき、やがてふだん好きでよく聴いているような曲ならぶっつけでいきなりベースパートを弾けるかもしれません(ベーシスト諸氏、わかるよね笑)。
鼻歌まじりにベースラインをコピーできるようになったら、そこでコードに挑戦です。一般的な軽音楽の曲で使われているコードは、大部分がトライアド(三和音)か四和音です。上の記事で概要をつかんでおいてください。上の記事に出てこないような凝った和音は曲中に出てきてもせいぜい1、2箇所です。乱暴ですが、ベースがCを弾いていたら、「C」「Cm」「C7」「CM7」「Cm7」のどれかがまず当てはまります。曲に合わせて当てずっぽうで和音を弾いてみて違和感がないのが当たりです。
調(キー)を理解していると、当てずっぽうの精度が飛躍的に向上します。曲の調とルート(ベース)が決まると、和音はなかば自動的に決定されるからです。キーがCメジャーの曲でベースがAを弾いてたら、コードはふつうAmです。なぜなら、A(メジャーコード)の構成音であるC#はCメジャーというキーの曲には出てこないからです(たまに使うけど)。あとは7th(ソ)を足してみてしっくりきたらAm7だよね、というふうにコード名を絞り込んでいきます。話が難しくなってきたかな?
コードもベースのときと同じで、数をこなしているうちに法則やお約束、パターンが見えてくるでしょう。定石とでも申しますか。そうなればしめたものです。このとき、上の三番目の記事で説明しているⅠ、Ⅳ、Ⅴなどを意識しながらコピーしていると「違う調でも同じ動き」が見つけられるので、パターンに気づきやすくなります。たとえばキーがCの時のAm→Dm→G7→Cと、キーがFの時のDm→Gm→C7→Fは同じコード進行なのです。大丈夫ですか? ついてきてますか? まあこのへんは上の連載が説明してくれる/くれているでしょう。
こうやって、様々なタイプのたくさんの曲をコピーすればするほど、あなたの「コード進行の引き出し」は増えていき、もっとも適切なタイミングでもっとも効果的なコード進行をメロディに与えられるようになります。
どのくらいの経験を積めば満足にそれができるようになるかは、あなたが目指している音楽のタイプにもよりますし、あなたが今までに積んできた音楽の経験にもよります。エレクトーン習ってた人なんかはアッという間だろうし、クラシック畑の人はちょっと苦労するだろうし、「未経験。今カシオトーン買ってきた」みたいな人は地道に取り組んでください。
あ、上に書いたようなことができるようになるまで作曲するなと言っているわけではありません。球技でも、グラウンドに出てボールを使ってする練習だけじゃなくて、走り込みや筋トレもやるでしょ? そのノリで。
海保けんたろーさんという人がちょい炎上しているようですね。なんだか楽しそうです。
まぁ事情はよく分かりませんが,著者は論理的な反論をご希望とのことで,なんというか,職業研究者としての腕が鳴ります。
ということで,以下の記事を査読してみました。長いので,お好きな方だけ読んでください。
動員の少ないバンドはライブするのを止めてもらえないだろうか | 海保けんたろーの思考集積場
本論文は,ライブハウス業界の抱える諸問題を指摘し,それらを解決するための手法を提案したものでした。
著者が強い問題意識を有していることは理解できますし,音楽業界の当事者からこういった提案がなされる事自体には一定の価値があるものと評価できます。
しかし,残念ながら論文としての質は掲載するレベルに達しておらず,今回は【不採択】とさせて頂きます。
全般的に術語の定義が曖昧であり,推論の根拠も乏しく,論理展開には問題が多いと言わざるを得ません。
また,社会に大きな影響を及ぼすことが予想される手法について,そのメリットのみを強調するのでは,あまりにも議論が一面的です。
さらに,そのメリットも,どういった基準によって評価されたものなのか明示されておらず,了解することが困難でした。
ただし,ライブハウスのサービスを向上させるという目的については,一定の価値を認めることができます。
将来的な再投稿に向けて,以下に示すコメントが有益なものとなることを祈ります。
こんばんは。海保けんたろー(株式会社ワールドスケープ代表/ドラマー)です。
言いたいことはタイトルに書いてしまったが、要は「動員数がとても少ないバンドはライブを減らしてほしい」というぼくからのお願いである。
#1
主題文が明示されており,本論文の趣旨を読者に提示することができています。
しかし,タイトルでは「止めてもらえないか」と述べていますが,ここでは「減らしてほしい」と述べており,既に論旨の不一致が認められます。
止める,と,減らす,が同一の行為を指すとは考えにくいことです。正確な記述に修正して下さい。
まず、先に誤解を避けておきたいのだが、
「オレたちは別に売れたいとか、プロとしてやっていきたいとかは思ってない!社会人として働きながら、趣味としてライブをしたりしたいんだ!」
というバンドは、この件に該当しない。
そういう音楽活動は大いにアリだと思うし、そういう人たちにつべこべ言う気もない。
大いに趣味を楽しんでほしい。
あと、「チケットノルマいらないから出演してくれ」と言われてライブハウスに出演しているバンドもこの限りではない。
そういうバンドは、お金以外の何かしらの理由でライブハウスに求められているから、問題ない。
問題なのは、いわゆるプロ志向でありながら、チケットノルマを課され、それ以下の動員しかできない、というようなバンドである。
#2
ここで著者はバンドを3類型していますが,各類型を簡潔な名称で表現してくれれば,可読性が高まります。
#3
これは定量的に分類可能な類型でしょうか。もしくは,定性的なものでしょうか。その点を明らかにしたうえで,類型の正当性について根拠を補強してください。
#4
特定のバンドが収まる類型は,時間的・空間的要因によって変動しうるものだと推測されます。
たとえば,ライブハウスAではノルマ無しでブッキングされているバンドが,その他のライブハウスではノルマを求められるといったことは無いのでしょうか。
この点を明らかにしたうえで,その場合の評価について明言してください。
はっきり言おう。
#5
「今のライブハウス業界が腐っている」,という評価を前提に書かれているようですが,この評価を裏付ける引用文献など付け足してはいかがでしょうか。
立場や専門性の異なる読者も前提を共有できるよう,この評価の根拠を補強し,それがどの程度普遍的なものなのか説明してください。
なおその際,「ライブハウス業界」と「腐っている」という術語の定義を明確化すると了解可能性が高まるでしょう。
普段ライブハウスに出入りする習慣のない人はピンとこないかもしれないが、
よく声が上がるのはこのあたりだろうか。
・スタッフが愛想悪い、分煙がされていない、ドリンクが薄い、食べ物がない、などの「ライブハウス・サービス悪い問題」
・集客についての努力をほとんどせず、出演するバンドの集客に全面的に頼っているという「ライブハウス・集客しろ問題」
・本来は協力関係にあるはずの出演するバンドからお金を取ることで、商売を成立させているという「ライブハウス・チケットノルマ問題」
どれもずっと言われている根の深い問題だ。
#6
「ずっと言われている」とありますが,査読者はこの前提を共有していないため,了解できません。
「ずっと」という表現は過去の一定時点からの永続性を意味するものと推測されます。
その時点がいつのことを指すのか明確化したうえで,それが永続的であるという根拠を示してください。
また,ここに挙げられている3つの見解について,引用文献を付け足すなど,根拠を補強してください。
加えて,この3点をあえて選択的に取り上げることの正当性についても,説明が必要です。
#7
そもそも論になりますが,上記3点はライブハウス自体の問題であり,
それらが著者が言うところの「業界」を含む社会全体にどのような影響を及ぼしているのかが述べられていません。
そのため,上記の問題が解決されると,誰に・どのようなメリットが・どの程度生じるのか分かりません。この点を明確化してください。
#8
問題の定義はあやふやですが,著者なりの提案手法を明示していることは評価できます。
しかし,提案手法以外の方法がレビューされておらず,他手法と比較した場合の利点が分かりません。
こういった複雑な社会問題にあって,解決手法が1つしか無いということは考えにくいことです。
ある手法を選択することの正当性は,その効率性や有効性等の相対的な評価によって担保されます。
以上の点について,論述を追加してください。
#9
1つ前のコメントとも関連しますが,問題(preintervention)の状態が明確化されていないため,
介入によって期待される結果(postintervention)がどのようなものなのか分かりません。
少なくとも,手法を提案する前にこの点を明らかにしておく必要があります。
#10
「すべて解決」という表現は,上に挙げた問題が根絶されるという意味でしょうか。
そうした劇的な効果は,劇的な変化でもありますので,かえって別のところに問題が生じる可能性は無いのでしょうか。
手法による正の効果と負の効果を天秤にかけても,なお正の効果が大きいと考えられるのであれば,この手法が選択される可能性は高まります。
この点について説明を加えてください。
#11
「チケットノルマ分も動員できないバンド」は上記3類型における,「プロ志向でありながら、チケットノルマを課され、
それ以下の動員しかできない」バンドのことを指しているものと理解しました。
類型の名称が変化していることで,了解可能性が損なわれています。統一してください。
少なくともキャパ100〜300くらいの都内ライブハウスは、出演者が激減してスケジュールの7〜8割が空くことになるだろう。
出演者がいないということはもちろん集客もできないので、売上が立たなくなる。
#12
この予測に用いられたデータを明示してください。二次情報であれば,出典を明示してください。
データを確認できない以上,この予測が正答なものなのか,評価することができません。
また,「ぼくの感覚」を結論の根拠としていますが,これは根拠薄弱と言わざるを得ません。
#13
上記3類型に収まるバンド数の比率は明示されていませんが,スケジュールの7-8割程度が空いてしまうということは,
現存するバンドの7-8割程度が「プロ志向でありながら、チケットノルマを課され、それ以下の動員しかできない」バンドだということでしょうか。
この点についても正確なデータを報告して下さい。
#14
多くのライブハウスが閉店することで生じる負の影響についても予測しておく必要があります。
仮にそれがメリットと比べて過大なものであれば,この手法を積極的に用いることは勧められません。
たとえば,ライブハウスで働く人々の失業など,提案手法による負の影響は容易に予測できます。
この点は提案手法の評価に直結するものですので,明確な論述が必要です。
#15
本論は,100-300程度のキャパシティを有する東京都内のライブハウスに限定したものということでよろしいでしょうか。
では、この「残るライブハウス」はどんな所だろうか?
それは、音もいい、立地もいい、スタッフの愛想もいい、分煙がされている、飲食物がおいしい、集客努力もしている、そんなライブハウスではないだろうか?
向上できなかったライブハウスは消えるのだ。
そして当然、ライブハウスが激減するということは、そこに出演できるバンドの数も激減する。
音楽的にも素晴らしく、集客もできる、レベルの高いバンドしかライブハウスに出演できなくなるのだ。
「今夜は暇だから駅前のライブハウスに寄ってってみようかな」というお客さんだって増えてくるはずだ(今は皆無と言っていい)。
理想的ではないだろうか。
#16
多くのバンドがライブをやめれば,ライブハウス間の競争が引き起こされ,その結果としてサービスの質が向上する,というロジックだと読めます。
非常に単純化された図式ではありますが,検討に値する予測だといえます。予測される結果を,前述された3つの問題と対応させた形で記述すれば,よりわかりやすくなるのではないでしょうか。
FigureやTableを利用するなど,提示方法を工夫して下さい。
#17
「音楽的に素晴らしく」とありますが,これは定量的に評価可能な性質でしょうか。この点は,提案手法の結果を事後的に評価する際に重要な観点となります。
#18
「理想的」という全般的な評価を述べていますが,この評価はどのような観点から下されたものなのでしょうか。評価の基準を明示して下さい。
#19
3類型のうち,「プロ志向でありながら、チケットノルマを課され、それ以下の動員しかできない」バンドが多数であることを前提に議論が進んでいるようですが,
その根拠が示されていないため,上記のような「激減」や「競争」が実際に発生するのか,判断がつきません。
仮に3類型の比率が著者の想定と異なる場合(たとえば趣味のバンドが過半数を占める,など),提案手法の実行によってどのような結果が得られるのでしょうか。
提案手法が有するであろう社会に与える影響の大きさを考慮すると,その実行を正当化するためには,より綿密な論理展開と,データによる裏付けが求められます。
仮に現段階で3類型の比率を定量的に測定していないのであれば,測定を行い,データを追加すべきです。そうしないのであれば,結論をトーンダウンすべきです。
#20
提案手法の実行可能性について,一切の評価が行われていません。手法の具体的な手続きとともに,その実行可能性について説明して下さい。
仮に実行可能性が低いのだとしたら,それは提案手法の手続きに運用上の問題があることを示唆します。
それが予め分かっているのであれば,はじめからその点をクリアできる手法を提案すべきです。
しかし、残念ながら現状はそうなっていない。
なぜなら、動員できないバンドが喜々としてチケットノルマを支払うことによって、ダメなライブハウスを生き残らせてしまっているからだ。
#21
「ダメなライブハウス」とは,前述された3つの問題を抱えるライブハウスのことでしょうか。明確な記述をお願いします。
#22
著者の言う「ダメなライブハウス」が存在することの,何が問題なのでしょうか。
言い換えれば,著者による提案手法によって3つの問題が解決した場合に,得られるものは何なのでしょうか。
それらが現存することで,どういった問題が生じているのか明らかにしたうえで,解決の必要性を論じて下さい。
提案手法は多くのヒトに影響を及ぼす大規模なものです。なかには,負の影響を受ける者もいることでしょう。
それでもなお,提案手法の実行を正当化したいのであれば,よほど重大な効果が必要になります。
本当にやめてほしい。
#23
減らしてほしいのか,やめてほしいのか,論旨を一貫させてください。
以下、ありそうな反論
A.そうですね、広めの練習スタジオにお客さん入れてやったり、ライブバー的な狭いところでやればいいと思います。
#24
趣味のバンドが出演するライブハウスについては不問とのことですので,そのような店舗が受け皿になる可能性はあるでしょうか。
その可能性があるとしたら,この提言は不十分なものだと考えられます。
Q.数が少なくたって楽しみにしてくれるファンがいるんだ!
A.同上です。
#25
適切なサイズの会場でライブを行えば良いという提言でしょうか。むやみに省略せず,正確に記述して下さい。
A.自分の動員が少ないなら、対バンの動員も大抵少ないですよね?だとするとそのやり方は効率悪いので別の宣伝方法考えたほうがいいと思います。
#26
1文目の推論について,根拠を明示して下さい。
#27
一度に行える宣伝方法は一種類とは限らず,これを別の宣伝方法と並行させることは可能です。
いくつかありうる方法のうちの1つを特定的に実施不可能にする必要があるのでしょうか。
Q.そんなライブハウスばかりじゃない!●●はとても素晴らしいハコだ!
#28
ここで言う例外について,具体化して下さい。
#29
2文目の推論について,根拠を明示して下さい。
#30
修正箇所が明示されていません。どこをどのように修正したのか示して下さい。
※追記記事はこちら >> 謝罪と反論(動員がないならライブ止めろ記事について) (2017/5/10 7:04)
以上です。
4月は着任4日目から授業って、どうやればいんじゃと悶絶。
4月も中旬になると慣れてきて、何が合っても「まあいいか」とおおらかな気持ちで仕事ができるようになったよ。
4月が下旬になると、サボりかたを覚えてきた。学生よ、ごめんねダメな教員で。
GWが終わって絶賛5月病を発症中です。もう明日は授業やりたくない、天気が良いから休講にしたいぞい。
「高専というものは大学でも高校でもない」と言われていたが、まあ確かにそのとおりだ。
しかし、高専ってのは高専と大学の線型結合だ。つまり、全く新しい何かではなく
(高専) = 0.7 × (高校) + 0.3 × (大学)
って感じだよ。
学生は一様に都会への憧れを抱いていて、これじゃあ地方の未来はないよなあとため息が出る。
卒研はニコ動の「やってみた」(技術部)が許される雰囲気なので、研究テーマ考えるのが苦手な自分にはハードルが低くて良い。
レベル高い研究室は、学会発表くらいまで持っていけそうな雰囲気。学会で高専生が発表すると微妙な雰囲気になる理由がわかった。
高専に来て、間接的に「大学のクソみたいな教育でも大学生を育てているのだなあ」と感心し
高専の1年生だって、卒業までには大きく成長してますよ。ただ、ゴールが違うだけです。
数学を捨てたエンジニアに未来はあるのか? と思うほど学力崩壊してる。
就職率は高く、なんだかんだで卒業までに職を見つけているから社会的には許されるのだろう。
しかし、コレまで当たり前のようにしていた会話
(後輩)「めんどくさいから、級数解法でやってみたら傾向がみれていいんじゃないスカ」
こんな感じの会話ができないのは辛い。
学生は「こまけえこたぁいいんだよ!」なんて言わないが、いつも何も考えず装置を使ってる。
こういう大胆さってときに大発見につながるからちょっと羨ましい。
飲酒を注意したり、遅刻学生に声かけてみたり、チャリの乗り方にイチャモンつけたり
月に一度の看守ごっこしてみたり、体育祭を盛り上げてみたり...
正直、この方面はあまり興味がないのでテキトーにやって楽しむぞと思っている。
博士課程への進学を投資として捉えれば、たぶん生涯賃金では回収できないだろうと思う。
だけれど、上司からプレッシャーをかけられたり、追い詰められたりしないので良い。
残業代がデないという噂は本当だった、残業の付け方さえ教えてもらえなかった。
チョットでも準備をしようと思うと、帰宅時間が20時を超えてしまうので、終末に向けて疲労が貯まる。
土日は寝てるだけ。これはつまらん人生だな。もうすこし早く退勤する方法を検討中。
てか、システムが基本高校だから朝は勤怠管理されるし勝手に休講出来ないのがつらい。
職場の外では先生として見ないでください。学問の手本くらいにはなれますが、人生の手本にはなれません。反面教師です。
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今日最終面接のようなよく分からない何かを受けて、今日中に結果を連絡しますと言われているけどまだこない。
いい加減就職したい。
お金がない。
奨学金の支払いもある。
もっと大人は大人なんだから子供にはできないことをたくさんできると思ってた。
だから奨学金借りて専門的な大学に行って、周りは皆遊んでいたけど一生懸命授業受けて。
だから心のなかでは他の人とは違うとか思ってた。
この頑張りはきっと認められて、そして就職先なんてすぐ見つかって。
そんな夢いっぱいの世間知らずで物知らずな私が悪いんだね。そうかそうか。
私が女だからだめなんか。
私が選んだ大学がわるいんか。
私の顔がわるいんか。
そうかそうか、そうだったか。
それでも雇ってくれた所には、ちゃんと心から感謝して、何があっても感謝して。
でも私が得た成果の利益は全て上司のものか。営業のものなのか。
私が今までの人生で正しいと思ってきたものは全て、社会では通用しないのかそうか。
十代の事務の女の子が夜の風俗店に一人で納品に行くことがおかしい。
その私の中での「おかしい」は社会では通用しないのかそうかそうだったか知らなんだ。
私の専門分野を必要として雇ったわけではなかったのか。
そうか私は社長がしたいことをしたいけど技術的にできないから肩代わりするためだけの手足だったかそうかそうだったのか。
それを理解せずに私が女のくせに社会に出たてのくせにゆとりのくせに口をだすのはだめだったか。
社長がしたいことのために、ミスすれば手足が潰れるかもしれないような機械を操作しなければならないのか。
そのために給料が別途付くわけでもなく、そのために色々な体の害を受け入れて、それでもしなければならないのか。
私の後ろを歩きながらベルトとチャックを開けながらトイレにいくのに何も言ってはいけないのも、
トイレのドアを閉めずに用を足しているに怒ってはいけないのも、
3時になったらどんなに別の仕事をしていてもお茶を入れるのも、
何かわからないことがあって聞いても前言ったよねと教えてもらえないのも、
私が女でゆとりで趣味みたいな専門職だからかそうかそうだったか知らなんだ。
それを選んだ私がわるいんか。
女に生まれてゆとり世代に生まれてこの趣味みたいな専門職を選んでばかみたいな高い学費を払った私が悪いんか。
ご安心くださいこの前病院でアスペルガーの疑いがあるって言われましたよ。
あなたの娘が、
好きなことにしか興味持たないのも
人見知りなのも
結婚に興味がないのも
仕事から帰ってきた父親のためにすぐにテレビの前を譲らないのも
あなたが毎日「お前頭おかしいんじゃないか?」と言っていたとおり、
頭がおかしかったですよ。
そうです私が悪いんですよ。
頑張って生きているつもりでしたが、そうか私は頑張っていないのか。
私の価値はどんどん下がるのか。
そうだねもうすぐ三十路だね。
老後何もすることがない暇しかない人のために楽しませるために早く孫を産まないといけないのにね。
そうかそうか。
申し訳ないことをした。
私が悪かった。
そうだね私が悪かったね。
何度も言わせてごめんなさい。
そうです、お陰でこの年で無職でも温かい寝床と食事と服があります。
それ以外はずっと家でごろごろできるのはお父さんのおかげですね。
さっさと諦めてバイトすればよかったね。
そうだね私が悪かったね。
お父さんの年収の半分もないんだろうね。
アルバイトを掛け持ちするさ。
さっさと奨学金を返して、借金のない身奇麗な行き遅れの女になりますよ。
早く孫を作りますよ。
◯◯◯◯
書いているうちに、そして指摘されたとおり、
ああ私はこんなに人のせいにして人を見下して生きていたのかと思いました。
そしてそんな吐瀉物に言葉が貰えることを期待していた自分も気持ち悪かった。
なんだ本当に私が悪いのだなと思ったけれど、
生産的な考えができるようひとまず一日三回ラジオ体操をすることから運動していこうとおもいます。
衰えた筋肉よ、一緒に頑張ろうぜ。
こんな時間(18時過ぎ)だけれどまだ連絡はこないので、
そんな母に検査するからとお金を貰わなければならないのは悲しい。
昔ながらの俺の稼ぎでお前たちは生活できていると脅迫する父親と
何を言われても気にしなければいいんだからと欲しい言葉をくれなかった母親と
どろどろしたところだけ濾したらそんな風に思ってしまう両親だけど、
人間だから自分とは違う考えなだけで、その考えで一生懸命私のために心身を削ってくれた人だから
心の余裕と適当な距離があればちゃんと親孝行できると思っているから。
「ライター」という立場からアフィリエイトを揶揄にするのはズルいと思う
http://pepera.hatenablog.com/entry/2017/03/31/222954
これを要約すると。
単純に金が欲しくて勧めているアフィカスが嫌われる理由はわかる。
でもそれってクライアントからお金(広告費)貰ってる立場の人ならみんな一緒じゃん?
そもそもクライアントがPR記事依頼する理由はSEOのためだよね?
アフィメディアにPR記事書いたら間接的にアフィに加担してることになると思うんだけど。
↑ここまでは分かる
↓ここから飛んでない?
>だけど、アフィリエイトだったり広告で食べてる会社から、グーグル対策としてそれなりのお金をもらっておいて、「僕の記事はアフィリエイトリンクじゃないので安心してください!」と聖人ぶるのはズルいことだと思うんですよ。
>笑えるのは、そのPR記事を執筆したメディアの運営元がアフィリエイトサービスプロバイダ(通称ASP)を運営する会社だというw
ここで言うメディアってSPOTの事なんだろうけど、今回のクライアントはタイムズだよね?
ヨッピーに執筆依頼したのも、SPOTに記事広告出稿したのもタイムズなのに、SPOTからヨッピーに依頼があるように読めるのは俺だけ?
これが幽霊脱毛やナース素材みたいに自ドメインのSEO優遇のために依頼されてるならこの言い分は分かるけど、今回ヨッピーが担当したのって記事だけでしょ?
すごいモヤモヤする。
http://xn--e--0g4awc3c1451cnh5a.com/yuurei/
スキマナース
私は日本大好きですがこれはどうかと思う。(BBC流あいさつ)
神戸と違って、いつまでも被災地なんだろうなぁ。70年たっても戦後とか言ってるのと同じように
the48the48のコメント 2017/03/06 15:35
http://b.hatena.ne.jp/entry/325623993/comment/the48
16.7メートルの津波は、ちょうどこの高さ―― ヤフーが出した防災広告に絶賛の声 - ねとらぼ
http://b.hatena.ne.jp/entry/nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1703/06/news092.html
この記事への衝撃のファーストブクッマでいきなり被災地ガーと言われて、ガツンと頭を殴られた思いがあります。
これじゃあ150万円おごりおごられでいじめではなく電気消したのに光らないとバカにされるのも世間では本音なんだろうな、と。
「もはや戦後ではない」(1956年)、終戦から11年。NYが9.11を克服したと言われた[要出展]『クローバーフィールド』(2008年)は7年。
短いようで長かった6年、楽しかった運動会。小学生も卒業しますわ。
被災地増田からちょうど広告で取り上げられている大船渡市の現在を報告しますと。
2011年の4月に小学校に入学した子が卒業間際の今年度(2016年)はじめて校庭を使うことができた(校庭に仮設住宅があり使用できなかった)。
災害公営住宅が全戸完成し、市内の仮設住宅が今年度末で全て撤去になる。
仮設商店街が借地期限を迎え取り壊しになる中、土地整備が終わった地区に本設の商店街施設を鋭意建設中。
JR大船渡線は鉄路での復旧は諦めてバス専用路線のBRTになり数年経過。
こういった状況です。
当初から10年単位での復興計画でしたが、広域の災害のため建築土木の資材とマンパワーが足りず、時間がかかるようです。
コンクリから人への流れで建設会社の廃業が進み人手が減っていたタイミングだったのもあります。
瓦礫で埋まった道路を最初に掘り出してくれたのはショベルカー持ってた地元の土建屋さんなので、
年度末で道路掘り返してんじゃねーぞ、とイライラする事も最近は少なくなりました。
義援金、支援物資、ボランティアはもちろん、直接的な支援をされていなくても、公共工事や被災者支援などには税金が使われており
それはすなわち国民の血税でありますから、国民の皆さんに足を向けては寝られません。太平洋に足を向けています。
海外からの支援も多く、市役所の車両とか三陸鉄道の車両とか、○○国の支援と表示されています。
復興工事の方や、公務員の応援職員も全国から継続的に来ていただいています。
神戸の「希望の灯り」は分灯されて隣市、奇跡の一本松の陸前高田市にともされています。
直接、間接のご支援本当にありがとうございます。
衰退地域である三陸沿岸への税金投入のコスパについては自分でも疑問に思う面はあるのですが、それはそれとして。
「かもめの玉子」さいとう製菓の専務がビデオカメラ回して発災時の事務所内から高台に逃げて街が飲まれるまでを撮った映像。
https://www.youtube.com/watch?v=jbvBsgoEAe0
チリ地震津波もあったので大丈夫です、再建しましょう。の旅館経営おじいさん。
http://www9.nhk.or.jp/311shogen/
http://www.nhk.or.jp/morioka/archives/anohiArchives.html
NHK仙台局の津田アナは自身も被災して「被災地からの声」(東北地域で放送)のキャスターを努めています。
岩手局に一時居て今は東京あたりに行った魚住アナは浅野温子の息子。支援物資で貰ったレンズ豆は火が通りやすく美味しいけど、
レンズの形だからレンズ豆じゃなくて、レンズ豆が先にありレンズ豆型だからガラスレンズがレンズという名になったんですって。(豆知識)
(br)
結論としては、避難場所とそこまでの経路を確認しましょう。防災用品を確認しましょう。
とんでもない作品だった。とんでもない体験をした一週間であった。
それは原作が推理小説にカテゴリーされているからとか、原作者が江戸川乱歩だからとか、そういう理由じゃない。
私はその解説、および回答を以下に記すのだけど、それは完全なるネタバレです。
もう知らなかった頃には戻ってこられない、作品を殺す系のネタバレ。
なので、未観劇の方には本当に読むことを勧めません。
本作は素晴らしい完成度の傑作だし、舞台演劇でここまでのミステリーを作り上げるのは絶対に容易じゃない。
また、私はエグいほど容赦なくネタバレしていますので、正直自分ももう二度とミステリー演劇は鑑賞できない脳になってしまったのでは…と震えております。
(なので、読んでほしい気持ちがあって増田に書いているものの、観劇済みの方も生半可な気持ちではネタバレを読んでほしくない。六道の辻で迷い不幸だと感じている方にだけ、光が届けば良い。)
つまり未観劇でネタバレを読むということは、人生の楽しみを自らの手で一つ潰すということ。尋常じゃない損失です。
本作はDVDの発売が決定しています。
公式DVD予約サイト:http://www.shop-ep.net/east_park/shopping/a04020102/iid/0000000001746/
(発送日未定。予約は3月末まで)
めちゃくちゃ好評だったので、あなたの周りにも購入している人が居るはず。そして恐らく「見せてほしい」と頼めば喜ばれるはず。布教したくなるタイプの作品なのです。なので数ヵ月後DVDを鑑賞してから、是非また読みに来てください。
「数ヵ月なんて待てねーよ!」って方は、妥協点として2015年に他の演出家さんで上演されたものを見ることができます。
こちらは未観劇のためなんとも言えませんが、おそらく2015年版は絶対解けない「超ハードモードの『ミステリー演劇』」か、『ミステリーではない普通の演劇』の可能性が高いと予想しています。でもまぁ全く観ないでネタバレ読むよりは絶対良い。
たぶんDVD売ってるし、3月になれば我らがdアニメストア殿が配信してくれます。
https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/CP/CP00000660
高いチケット買って劇場に行くか高いDVD買うかしか選択肢がなかった時代を生きてきた作品の取捨選択にすごい苦しんできた勢なので、dアニさん月額400円でこんだけ見れるとかマジ神過ぎ。最初目を疑った。(WOWOWさんにも感謝していますが、うちTV無いから見れないんですよ…そもそも家にあんま居ないし。お金なら払うのでスマホでもWOWOW見れるようにしてください。)
原作「孤島の鬼」を読むのも手ですが、本作はある意味では『原作の本質を描いている』けど、ある意味『原作とは全くの別物』です。だから舞台版のネタバレは、舞台版を観てから読んでほしい。
そして、せっかく未来の楽しみを潰してまでネタバレを読んでしまうのだから、その前に『ミステリー演劇』の推理に挑戦してほしい。
一人で解くのは超ハードだと思うので、できれば仲を深めたい方と一緒に。(私が今回の回答に至るのに協力してもらった友人の数は4人です。内1人は原作を読み込み一緒に推理してくれました。)
ぼっちの方も安心してください。本作はめちゃくちゃ面白かったので『2017年版の感想』も、ネットの海に転がっています。そこから辿り着くことも不可能じゃないはず。鮮度のいい印象論の良さも、一晩寝かせた感想の良さもあるので、いろいろ漁ってみてください。
あと私は推理した一週間の思考ログをほぼすべて残しているので、トリックがわかってからログを読み返してみたら翻弄されている自分がめちゃくちゃ面白かった(当時は睡眠不足の神経衰弱で瀕死でしたけどね)。間違ってはいないけど騙されている。そんな楽しさもあるので、ぜひ推理に挑戦してみてください。
そして私がまだ解いていない謎の答えを見つけられたら、ぜひ教えていただきたい。
また、運良く本作を劇場でご覧になられた皆さま。感想はもう書き残しましたか?
公式がwebでアンケート回収もしています。送ると抽選で非売品舞台写真もらえます。私もとても欲しい。
本作は、『感想を残す』ところまでを含めて作品です。せっかく運良く観劇できたのだから、140字で良いから書き残しておきましょう。
できれば思いの丈をすべて書き出しておくと良いです。『他者に感想を伝えようとした人だけが、謎解きの後に得られる感動』があります。(※個人の感想ですが!)
この感動を、本作品が本当に素晴らしい江戸川乱歩の原作舞台化であったことを伝えたくて、読んだら作品を殺すことになるようなネタバレを恥を忍んで書いています。
私はソワレ観劇後、徹夜で翌昼に感想書き上げました。これが私の沼への一歩だった訳ですけれども、これを書き残しておいたお陰で、謎が解けた時に私の回答を出すことができました。
一度ネタバレを読んでしまうと、もう観劇で感じた感想書けなくなると思いますので、本当に一言で良いから感想書き残しておいてください。ついでだから公式アンケートに答えて非売品写真当てましょう。当たったら私にも見せてください。
最後に公式各位。
ネタバレにあたる部分は私の個人的なミステリー体験なので、これが公式解とは主張断言しません。
と言うか、理由なき見落しと、自分の能力ではどうしても咀嚼できなかった部分(言葉がスムーズに脳に入ってこなくて読解しながら観劇することができなかった原作には無いシーン)があったので、私のネタバレは不完全です。他にも拾い損ねている箇所がポロポロ出てくる。逆転する可能性が大いにある、お粗末な推理。
ですが、キャストの皆さまが最後までネタバレに配慮されていたのに、ネタバレを公開し誰かに読んでほしいと願うことが、浅間しいようにも感じています。
ネタバレ注意喚起に約2000字程裂きましたので、どうか堪忍してください。
p.s.オリジナルマグボトル購入しました。作中に赤い色が無かったのでデザインも綺麗だし購入したのですが…紐解いてみるとなかなか意味深なグッズですね。とても良い記念品になりました。
それでははじめます。
無人の屋敷に風が吹き込む
暗転
まったく光のない深い暗闇から男性の声が聞こえる
「不幸ということが、私にもよくよく分って来ました。本当に不幸という字が使えるのは、私だけだと思います。遠くの方に世界とか日本とかいうものがあって、誰でもその中に住んでいるそうですが、私は生れてから、その世界や日本というものを見たことがありません。これは不幸という字に、よくよくあてはまると思います」
暗転明け
無人だった屋敷に白髪の男性が立っており、書物を音読していた。
彼……『私』を語り部とした、物語がはじまる。
http://anond.hatelabo.jp/20170206104211
ミステリーとして解いた今読み返すと相当ブッ飛んだ納得の仕方をしている。自分の妙さについて今までなんとなく感じていた部分が浮き彫りになりすぎである。こわい。
当時も気持ち的にスッキリはしたけども、<もやもやした原因が『認知を歪められている感覚』だったのに、「それは作者の願いだよ!」という犯人と動機の『妄想』では、『論理的解決』にまったくなっていない>ので、悶々とはしていた。
作り手側は演劇を魅せるプロだが、観客は演劇を観るプロだ。伊達や酔狂でやっているわけではない、こちとら真剣に観ている。
『認知を歪められている感覚』なんて中途半端なものは見過ごせない。
そこからずるずると私は沼に嵌まっていき、推理のためにガチで眠れない一週間を過ごすことになる。
そもそも、舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」の何がミステリーなのか。
それは、本作品が叙述トリックを駆使し、とある『真意』を隠しているということにある。
しかし私の目下の推理動機は、トリックを逆手に取った『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』にあった。どうしても二人を幸せにしたかった。
そのために以下のことを行った。
そしてひたすら二人が相思相愛ではないという可能性を潰し、相思相愛である可能性を見つけ出す作業。
二人の愛の一番の障害は、箕浦の白髪化=「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」という点。
これが諸戸が箕浦の前にあらわれることがなくなった原因だと思う。彼がどんなに誠意を尽くそうとも、これだけはどうにも覆すことができない。
しかし、実は原作では白髪化したタイミング=直接的な原因が諸戸に襲われたことのみだとは明記されていない。
そして舞台でも、実はめちゃくちゃぼやかされている。
冒頭、語り部である『私』が自身の体験した恐怖について語ろうとする。その時にまるでトラウマが呼び起こされるかのように喉元を掻く仕草をする。
後半井戸の奥、深い完全なる暗闇の中、水位が増して死の恐怖に襲われた時。『私』佐藤箕浦も、諸戸と石田箕浦と同じマイムを行って移動し、水位が増しだすと喉を掻いて苦しみ悶絶する。
これは、白髪化するほどの『生理的』な恐怖が、諸戸に襲われる前から強烈にあったという解釈にできる。
では逆に、諸戸に襲われた後の恐怖はどうだろう。助八さんの救助が来て、生死の恐怖は去った。丈五郎の恐怖も去った。では諸戸に犯される恐怖はなくなるか? 普通に考えれば、自分を襲ってきた相手が側に居るなんて恐怖しかない。第三者が居るから安心だなんて暢気になれる訳がない。(学術的根拠を略していることは恥じています)
箕浦は、諸戸に襲われた時にあれほど恐慌したのに、襲ってきた相手が側に居てもケロっとし過ぎなのである。脱出できた時なんて笑いあっていたりする。
これらによって、「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」ということを否定できる可能性が、十分にある。
『生理的』に受け付けられない訳じゃないのなら、箕浦の同性愛への拒絶はどこからくるのか。
諸戸が触れるままにさせ遊戯を楽しんでいたと言っているが、これってちょっとエッチではないですか? 私は『もてあそぶ』というよりも、遊廓でのお戯れみたいな印象の方が強かった。エロかった。
ましてや「あつい手だね」というセリフは、諸戸と佐藤箕浦の両方が同時に口にする。
これは原作では諸戸が言い、簑浦も『私も同時に、火のような相手の掌を感じた』とある。
あの夜、諸戸と箕浦は、本当は同じ気持ちであったのではないか。
しかし大人になった箕浦…いや『私』佐藤箕浦は、頻繁に同性愛を拒否する。
そして井戸の中、「今こそ、僕の願いを容れて、僕の愛を受けて」と請い願う諸戸を「あさましい!」とはね退ける『私』佐藤箕浦。
実はこのセリフ、原作には無い。そして学生時代のあの夜は諸戸の方が言っていたセリフなのだ。
「君は浅間しいと思うだろうね」と。
箕浦に『同性愛を持つ者は異人種』だと一番最初に植え付けたのは、他ならぬ諸戸であった。
そしてあの夜、「『私』は諸戸との関係はこれで終わったと思った」。
もし、もし諸戸が、自分で自分の気持ちを否定してしまわなければ、二人が結ばれていた可能性もあるのではないか?
あの夜の後、箕浦が大人になりSK商会に勤める場面から「過去の『私』」石田箕浦が登場する。
大人になった『私』佐藤箕浦は同性愛嫌悪の感情を見せるが、石田箕浦は同性愛を嫌悪していない。
諸戸が自分に恋していることを頭では理解しているが、そもそも同性愛をわかっていない。だから諸戸からの熱視線(性愛アピール)をまったく感知できないし、諸戸からの接触に応えること・握手を求められた手を握り返すことができる。
(スポットライトが当たらないところでの石田箕浦と諸戸は、まさしく「諸戸と簑浦は何か変だ」状態。熱視線を送ったり触れようとしたり羞恥の色を見せたりする諸戸に、石田箕浦はまったく気付かない。A.T.フィールド固すぎ)
原作の簑浦とはかなり印象が違うそう(私は一度推理完了するまで未読を貫く主義のため世論であるが)。
簑浦と箕浦、原作とは名前の漢字が異なるし別人か? いや、そうじゃない。無意味な改変は絶対に起こらない。「虚偽の事柄を事実として書くことはアンフェア」だからだ。印象が違うなら、『変えた理由』と『変えても原作の簑浦を成立できる理由』がある。
石田箕浦が登場する前。佐藤箕浦が諸戸との関係は終わったと思ったあの夜。諸戸が泣きながら請うた内容は以下だ。
「君は分っていてくれるだろうね。分ってさえいてくれればいいのだよ。それ以上望むのは僕の無理かもしれないのだから 。だが、どうか僕から逃げないでくれたまえ。僕の話し相手になってくれたまえ。そして僕の友情だけなりとも受け入れてくてたまえ。僕が独りで想っている。せめてもそれだけの自由を僕に許してくれないだろうか。ねえ、簑浦くん、せめてそれだけの……」
諸戸が願った内容、これまんま石田箕浦じゃん……
石田箕浦は諸戸を友人として深く信頼しているし、井戸の中でなんて一緒に死ぬことすら受け入れている。諸戸の願いを、字面通りに叶えている。
しかし周知の通り、諸戸が心の内で望んでいたのは、彼の『死にもの狂いの恋』を受け入れてもらうことだった。
諸戸は自身について怖れている描写が多々あった。それは自分の素性と性愛対象が『普通と違う』ことでもあったし、『父に命じられたから行っていたはずの不気味な研究にいつしか諸戸自身も不思議な魅力を感じはじめていた』ことも大きいと思う。
我と我身を醜いと卑下すればするほど、美しいものを強烈に求め、美しくあるべきだという観念に囚われる。
諸戸の心の内の葛藤が『手記の秀ちゃんと吉ちゃん』そのものに見えた。諸戸の望み(イド)と願い(超自我)は大きく解離している。
箕浦が写し取ってしまった『同性愛を持つ者は異人種』という価値観、『親友という姿』は、諸戸が持つ美意識の刷り込みだった。箕浦にとって諸戸は、本当に「美しい青年」だったのだ。
石田箕浦は本当にクセのない、まっすぐな好青年だった。諸戸の理想とする『普通』がそこにあるように見えた。そして原作の簑浦とは印象が異なる存在…
これはつまり、簑浦のイドと超自我のようなものが、『私』佐藤箕浦と石田箕浦に分かれて表現されているのではないか。一人の人間を二人で演じ、二つの存在(語り部の『私』と、簑浦のイド)を一人が演じているのではないか。
彼らの箕浦の分担は、紀州の孤島に着いてから大きく変動し反転してゆく。
井戸の中で諸戸に襲われ、完全に石田箕浦から佐藤箕浦に替わったのは、諸戸が望んだ存在が友人ではなく恋愛対象としての箕浦だったこと、そして諸戸の手によって「諸戸の理想とする『普通』」が壊されてしまったこと…『私』になった石田箕浦にも諸戸の姿は獣のようだと評されている。学生時代のあの夜に諸戸が否定をしてしまったこと、それの繰り返しだった。
そして秀ちゃんへの恋心を諸戸に恥ずかしいものと責められる場面。実はあれは原作だと簑浦のモノローグによる言い訳タイムとなっている。諸戸はそもそも丈五郎に捕まって、島に到着して以降会っていないというのだ。正確にセリフを覚えていないが、原作未読の私でも、最初に秀ちゃんから手紙を受け取ったシーンに諸戸が居ることに強い違和感を感じた(そして友人が原作では諸戸が居ないことを確認してくれた)。
よくよく考えれば変なのである。箕浦に恋慕を寄せる諸戸に責められる筋合いはない。初代に操を立てるなら諸戸の恋に応えることも恥ずべきことだし、諸戸に気を遣う必要だって本質的には無いのだ。(まるで『アイドルは恋愛しちゃいけない』理論だ。)
ではなぜ超自我のポジションである石田箕浦ではなく、諸戸が責め立てるのか。
箕浦の美意識は諸戸の影響を強く受けているから諸戸の姿をしていたとも捉えられるが、それ以上に、常識的な葛藤だという以上に、箕浦の心の中に諸戸を慕う側面も幾ばくかあったから、秀ちゃんに恋する自分と、諸戸を慕う自分で対立したことを表現していないか。
佐藤箕浦はもちろん初代にも秀ちゃんにも惹かれているが、彼が箕浦のイドのポジションであるならば、諸戸のことも結構好きだった。(イドでなく単なる『私』なのだとしても、諸戸を見つめる視線に愛憎のような熱が込もっていたし、)諸戸との会話に深山木が入ってきたとき「早くないですか!?」と驚くのは二人の箕浦で、石田箕浦一人だけが言うと単純に時間が早かっただけに聞こえるが、佐藤箕浦も合わせて言うことで「諸戸との会話に邪魔をされた(もっと諸戸と話したかった)」かのような邪推ができてしまう。
そして諸戸が握手のために差し出した手を『箕浦が握り返さなかった』時。諸戸は驚愕の表情で『私』を見る。見つける。実は、物語の始まりを告げる運命が廻りだすような音楽が流れて以降(犯人だと疑って諸戸の家を訪ねて以降)、諸戸が『私』を初めて見たのが、この『箕浦が握り返さなかった』時。
握り返さないのは、握り返すことに意味が生じてしまうから。石田箕浦は諸戸の恋をまったく感知しない。そんな石田箕浦が握り返さないわけがない(実際に、諸戸に見つかってしまった『私』が顔を背けた瞬間、石田箕浦は手を握り返す)。つまり学生時代のあの箕浦が、心の中にまだ居たということ。
諸戸にとってはそりゃあ嬉しいことだろう。彼はそれ以降箕浦に話しかける時、佐藤箕浦を見てから石田箕浦を見る。ここからどんどん、『箕浦』の行動を表現するのが佐藤箕浦へ移行してゆく。
一度は友人として、諸戸と共に死ぬことも受け入れた箕浦。
しかしその結末を自らの手で潰す諸戸。
逃げながら箕浦は吼える。「死んでたまるか!」と。箕浦は白髪化するほどの生死の恐怖を体験したばかりだ。
諸戸に襲われるも未遂に終わり、命が助かることに深く絶望する諸戸。
井戸を出た二人は笑いあう。諸戸は箕浦が白髪化するほど生理的に同性愛を受け付けないのだと認識したように、箕浦の白髪を見て泣いているように笑う。
そして箕浦の前に現れなくなった諸戸は、気持ちを遺して逝くことで最期にまた箕浦へ大きな傷を残す。
先述の通り、私の推理動機は叙述トリックを逆手に取った二人が相思相愛であったことの証明にある。
からくりが解ってみると、どうってことない・ただ上演されているものそのままに過ぎないのだけど、ここに辿り着くまで本当に一週間ひたすら睡眠時間を削って悩んだ。二回目に観劇した時などは、とにかく正確に推理するためにありのままを最前列からガン見してきたのに、どうあがいても悲恋という現実に心が折れそうになった。マジで。実は二回目に最前列で観測した時よりも、初見H列サイドから観劇した時の方がイイ線いってたよな(納得の仕方はブッ飛んでるけど)と思う。
で、共に推理していた友人が先に原作の叙述トリックに気付き、簑浦と諸戸のBLは成立しているという解を出してくれたので、二回目の絶望した記憶で観劇を終えるのもなんだし推理はやめて初見のつもりで観劇しようと思って向かったのが三回目の観劇。最後尾辺りの補助席。
しかし驚くほど新たな発見がまたどんどん出てきたうえ、深山木のセリフによって私は舞台も叙述トリックを使ったミステリーなのだと確信してしまう。
これは原作にもあるセリフらしいのだが、深山木がトリックについて思わせ振りなことを言うシーン。そのセリフが完全に『叙述トリックの説明』になっていたのだ。聞いた瞬間、震えが走った。
本作がミステリーであると気付けるように、最初から以下の違和感と解法が提示されていた。
さて。ここで疑問に思われることがあるだろう。なぜ叙述トリックを使用しているのか? 隠したいものは何なのか?
この件について私は非常に貴重な体験をする。
本作の大好評っぷりと、推理に明け暮れ神経衰弱している私を心配して、友人が本作を観劇してくれた。三回目観劇の日、偶然スケジュールが合って友人2人(友人Aと友人Bとする)と一緒に観ることができた。終演後、私はわくわくしながら二人に感想を求めた。
友人A「箕浦殴りたい……不快過ぎて体調悪くなってきた……」(※意訳)
当時、箕浦殴りたい勢は最大勢力に感じた。過激箕浦擁護派も0ではないが、大多数が箕浦(おそらく『私』のみ)に不快な感情を持っていた。冗談ではなくガチで友人Aが苦しそうにしており、私も初見後は物凄くモヤモヤしていて苦しみがよくわかるので、少しでも気が晴れないかと友人Aと対話することになる。
不快感を分解していく。
友人Aは非常に言いに難そうに、しかし押しかかる不快感から助かるため、意を決して打ち明けてくれる。
友人Aも不快の対象は『私』にあり、その根源を追ってゆくと友人自身が「『拒絶』されるのが本当に無理」だから、諸戸を拒絶しているのに側に居た『私』を悪だとした。
増田「拒絶することを『悪』だとするなら、今『拒絶を拒絶』している友人Aも悪だということになるでしょ? 友人Aは悪なの?」
結局友人Aには私の初見感想を読んでもらい、加えて私の心の闇()もひっかかった話をしたことで、とりあえず翌日出社できるレベルには不快感が晴れたと言ってもらえた。良かった。
さて、私は友人Aと対話して思った。「もしかして江戸川乱歩のやりたかったことってこれでは?」
感想を書いた方ならわかると思うのだが、感じたことや思ったことの根拠を話そうとすると、自身についての話、しかも心の闇()の部分を語らないとどうにも説明できなくなってしまう。
私も推理ログ含め大量に書き残したが、心の闇()を除いても、暗闇マジ怖い体験とか、無意識下の生理的拒絶は実在するよ体験とか(思えばこいつが二人の恋の一番の障害だった)、とにかくネガティブな体験談がバンバン出てくる。
共に推理し原作解読した友人も、舞台の感想を書こうとしたら闇にぶち当たって、書くのを控えようとしていた。( Permalink | 記事への反応(0) | 22:47
分かる。集中力もたなくなってきてるから特に。映画館でもふとスマホ見たくなるタイミングあるし。家じゃ集中出来ないな・・よっぽど面白い映画ならともかく。家族が一緒に住んでるからかね
自分は物語に入り込むのを重要視してるので、周りでそわそわしてる人が居ると勿体無いと思ってしまう。その映画が集中するほど面白くないと言われると、それまでなんだけど。
自分は集中して最後まで観る派だけど、こういう人も居るのだと心に留めておく。
巻き戻したり一時停止すれば済む話。そんなの映画館じゃできないしね☆
DVDをプレイヤーに入れるまでが既にダルいよな。(Amazonプライムさいこー)
同じもの見ても別の娯楽だーな。映画館だとツッコミ入れれんし。
作品の傾向にもよるかな。ちゃんと引き込んでくれるような作品ならいいんだけど。
家で観るときはその映画のWiki読んだり評価・解説サイト読んだりしながらがおおいな。集中できないなりの方法で観てるわ。
分かる。俺は30半ばくらいで集中力が落ちた。小説もなかなか最後までいかない。
映画館だと緊張してお腹痛くなって発狂するタイプなのでレンタルのほうが助かります
おっきなテレビ買うといいよ!没入感すごいよ!
風呂入りながら
映画を見る前にWikipediaやあらすじ・ネタバレサイトを見てしまうのもやめたい
映画館好き。
私も家だとそんな感じなので映画館に行った方が集中しやすいです。
そんなことしないよ。というかもう映画館でトイレ我慢して見続けるの無理になった。自宅だとコーヒーの香り楽しみながら見れたりしていいのよ
別にどう見てもいいのよ。それが家で見る意味。いつでもトイレにいける自由大事
家で見るのもいいけど、映画館の防音された空間に入った瞬間耳がぶわっと包まれるあの感じがすごい好き。
ポップコーンを膝の上に置こう!
使い分けしてる。マッドマックス、ヘイトフルエイトは劇場で観るべき。特にヘイトフルエイトは強く再上映を望む!お願いします!同時上映でデスプルーフもおねしゃす!タラちゃんトークショーも!しゃーす!
わかる。だから自分は極力映画館で映画を観る。するとそちらに時間とお金を取られてレンタルをしなくなったし、観る本数も限られてくるようになった。自然と集中するし映画は未だ自分にとって非日常で立派な娯楽。
映画館は、大きな画面と優れた音響、2時間の集中の「体験」を買いに行くところなんだよ。家で風呂入るのと、温泉やサウナに行くのとじゃ体験の意味合いが違うだろ?
最近は2時間の映画を一週間ぐらいかけないと見れない病になってしまった
安心してください。この間ズートピア見るのに3週間かかった男がここにいます。
割とわかる。しかも家で観る場合一時停止するとそのまま観るのやめがち(だったので人と一緒に観るなどして自分の好き勝手にできない状態にしてる)(映画自体をつまらないと思ってるわけではないので)
わかるし中断するとそれきりになってしまうので一人では観られない/どんだけ面白くても早く終わらねーかなっていうの超わかる……最終的に喚起される感情が同じであるなら短ければ短いほど良い
逆に何かしながら見るのでレンタルの映画は吹き替え派。(目を離してもストーリーを追いかけられる)
わかる。映画館ほど没入できない。
映画館で見るのが一番。
映画館だと巻き戻しができないので集中して観ちゃうよね。ただアマゾンビデオとかで観るときは「見逃してもいいや」と三回くらい流しっぱなしにしてリピートで観るので逆に演出が良く分かったりする。一長一短。
映画館に行くのはこういう理由もあるな。映画から逃げられないので集中して観れる。集中して観ざるを得ない。逃げたくても付き合ってるうちに面白くなってくる映画ってのもあるのよね
映画館はポジションが悪いとスクリーンが斜めだし音場もおかしいし…。あと、ブザーが鳴って暗くなってからも広告を何分間も見せられるのは我慢できない。(DVD/BDもスキップ禁止になっているタイトルがあって萎える)
あー、あるある。自宅での視聴だと任意に中断できるし、雑事も多いしね。自分の場合、家事や明日の準備などを全部終わらして、もうこれ以外することが無い、という状態で視聴を開始する。
レンタルして一週間以内に計画的に見るということができない自分のような人はhuluやAmazonプライムがいいよ。延滞金もかからないし携帯でどこでも観れる/ここ一ヶ月以上一度も見てないんだけどね
音量上げて爆音にするといいよ。
映画をレンタルで家で見る人ってすげーと思う。 自宅で2時間もじっと画面を..: 映画をレンタルで家で見る人ってすげーと思う。
自宅で2時間もじっと画面を見続けるだけの根気が自分にはないわ。…
家で映画一本を通しで見ることないな。一日30分くらいで数日かかる。
映画館で途中でトイレ行きたくなっても一時停止できないじゃん。見直せばいいとしてもまた初めからだし
こないだ録画してたベンハーみたら4時間くらいあったんでさすがに何回かに分けて視聴した
ちょうわかる。けど映画館もつまらなすぎて周り誰も居ないと携帯見ちゃうな
映画館に行けばいいだけ
これがあるから映画館に行くんだと思う。途中で止めたりスマホいじるのは…なんか映画に失礼な気がするのかな。俺は
こういうやつこそ映画館に行くべき