はてなキーワード: 交付とは
理由は長時間労働とそれに見合う賃金の不払い。要はずっとサビ残だったって話。月に70から130時間の残業が半年以上続いていた。無論体調を崩した。
直属の上司は既にこんな生活に慣れていたから問題とすら思っていないし所属部署の部長はこんなもんで潰れるなんて甘いなんてスタンスで飲んでたコーヒーの紙コップをこっちに投げつけてきたくらいなので俺の心はもう決まっていた。
幸いというかなんというか、年度末の有給消化はしろという直属の上司の計らいで有給は取得できたのでその間に面接に行って次の会社は決めた。思ったよりあっさり内定が出た。
そうして退職届を出した。
自分自身知らなかったが社長は新卒が一年足らずで辞めるのを快く思っておらず辞めさせたくないために部署移動をするということだったが、出すものは出してしまった。
移動先の部署の部長も前述の考え方の持ち主だったのでもうどうでもよかったが、3/30に退職届を出して翌週月曜に入社式兼辞令交付式で全社員の前で事例を拝命するのは奇妙な感じだった。
ようやく本題だが
何故か凄く胸が痛い。
転職を決めて四月の大半は有給消化だと言っても、それまでの間は出勤しなければいけない。要は今週は出勤して来週からは有給消化で月末の退社日までは出社しなくてもいいってアレだが
俺も人の子である以上、もう既にこの会社の一員じゃないのにここにいていいのかという感覚。そして一応有給消化までの間座ってるだけじゃ…と配慮してなのか、そうじゃないのかわからないが、雑用に近いが仕事を与えてくれる他の社員の優しさ(?)に触れるとすごく心が痛む。
どうせ辞める会社だしと不躾な態度には出れない。言われたことはこなしていく。そうしていくなかで本当に辞めてよかったのか?という感覚も生まれてきて板挟みにあう。
苦しい。
そりゃ労働条件は悪かったが人間関係が特別悪かったわけじゃない。
部長クラスの人間と折り合いは付けられなかったが直属の上司はまだ話だけは聞いてくれた。理解は及ばないようだったが。
同期にも恵まれたほうだ。もっとも俺に影響されたのか俺の数か月後に辞める予告をしているが。
正直言葉にし辛いがずっと、退職届を出してから胸が痛くて吐き気までがするくらい苦しい。
こんな会社辞めて正解だったはずなのに
少なくとも労働基準法を守っている転職先に決まって安心できるはずなのに
何がよかったんだろう。悪い条件の中働き続けるのがよかったんだろうか。
やりがいを劣悪な労働条件のオブラートとして使う会社に勤めるのがよかったんだろうか。
まだわからない。
増 「外国人の方の口座を作りたいのですが。」
郵 「外国人ですか」
チラッと外国人を見て、
郵 「 あははっ 」
(なんで笑うんだよ?わけわかめ。)
腹は立ったけどここで揉めててもしょうがないので、怒鳴りそうになったのはぐっと堪えた。
3人まとめて処理を進めてくれと言ったら、1人ずつしかできないと。
郵 「一人2~30分掛かりますから、3人ですと2時間かそれ以上掛かります。」
増 「はぁ?」
増 「この人達は漢字で住所なんて書けないから、私が代筆でも可能ですか?」
増 「それともローマ字で書かせるなら、私が見本を書きますから紙とペンを貸してください。」
(もう少し丁寧に書けねーのかよ。)
...
この後も郵便局員の指示と俺のフォローの中、外国人による書類への記入が続く。
増 「あっ、No、No、No、Write your name here。」
増 「この人達にサインって言うと、読めないぐじゃぐじゃのサインを書かれるので、サインとは言わないでください。」
郵 「あっ、そういうことですか。」
文句つけたいことは山ほど有ったが、ぐっと堪えて1時間ちょっとで3人分を終了。
ところがだ、会社に戻って1時間ほどしたら電話が掛かってきた。
郵 「1人分間違えたので、本人を連れてもう一度来てください。」
(ばかー、この役立たずがぁー)
マーカーまで使って確認してたよね?
結局、1人分は何を修正したのか分からなかったが、違う通帳を渡された。
増 「えっ、口座番号変わったの?」
郵 「はい........」
昨年12月にうつ病による勤怠悪化で派遣先をクビになり、医者からは「しばらく休みましょうか」と言われた。
そのしばらく、というのは一旦の目安として「今年の3月末」を目指して療養していきましょうということだった。
薬をいまマックス容量で飲んでいるが1日飲み忘れると使い物にならない。
朝も目覚め良く起きられず、暇な時間は何も意欲がないため昼寝。
もちろん夜は寝つきが悪い。
自分のダメさと向き合う大切な時間を過ごしているが、終わりが見えない。
当初の私の理想としては、目安の4月に派遣かバイトなどで社会復帰して
お金を貯めて自立(一人暮らし)することだったが、正直なんの準備もできていない。
もういい歳だし正社員は無理だろう。
あと、将来的にも寛解できる保証もないし再発も怖いので、できればうつ病に理解のある企業での就業をしたいが
先生によると障害者枠の給料では生活が苦しくなるから寛解して一般枠のほうがいいと強く言われ、手帳も交付してもらっていない。
私立大学・高等専門学校などの教育と研究条件の維持向上、学生の経済負担の軽減、経営の健全化を目的に交付される、国からの補助金。教職員の給与、教育・研究の経費に当てる一般補助と、生涯学習時代の社会人教育、学習方法の多様化などの特定の分野や課程に対応する特別補助とがある。私学助成金。
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shinkou/07021403/002.htm
奨学金が支える「Fランク大学」の葛藤と不安1300万円のハンデを負って通う価値はあるか:東洋経済
https://toyokeizai.net/articles/-/115203?display=b
「日本の大学経営が、奨学金という名の借金で支えられていることは、まぎれもない真実。パチンコホールにサラ金のATMが設置されて批判を浴びましたが、今の大学はこの状況と重なる部分がある。大学に進学したかったら奨学金を借りてこい、というのですから。何とも気が重いことです」
日本学生支援機構の遠藤理事長が言う、「奨学金の貸与にふさわしい教育サービスを提供すること」の必要性をもっとも実感しているのが、われわれFランクの大学です。「少人数で、面倒見がいい」ことを大学としても掲げているけど、こんなことは経営の大前提なんですよね。
ここについて調べた限りこうではないかと考えた内容を書く。
保管は 内閣総務官室 本室 が行い、保管期間満了後は国立公文書館 へ移管される。
奏上書というものがあるらしい。
http://xn--hckq4a3al6a1tx12tl4ki8e7t9o.net/the_diet/bills/
最終的な内容の確定は上記の奏上書(下記ブログでは公布文)になると思われる。
奏上書の詳細を確認。
下記説明の交付文が法律内容の記載のある文書であると考えられる。
https://blog.goo.ne.jp/yokoikatsutoshi/e/1b0322e9ae0912daeb7027a603393396
・法律の公布は天皇がおこなう国事行為だから(日本国憲法7条1号)、内閣の「助言と承認」を必要とする(日本国憲法3条、7条柱書)。内閣は法律の公布を決定した上(内閣法4条1項により閣議による)、先の奏上を天皇に進達する。具体的には、内閣官房の職員が公布文や説明書を「上奏箱」に納め、閣議決定後直ちに皇居に届ける。天皇の地方訪問中や静養中には、現地まで上奏書類を持参する。
・通常は閣議決定のあった午後に天皇の決裁がおこなわれる。天皇による決裁は、公布文に天皇の御名が親署されて御璽が押される。御璽は「天皇御璽」と刻印されており、国璽とともにその保管は宮内庁の所管事務とされる(宮内庁法2条5号)。純金製で3.55kgもあるため、押印するのは天皇本人でなく宮内庁の職員が担当する。内閣の助言と承認があったことを示すため、公布文にはさらに内閣総理大臣が日付と副署をする。法律の末尾には主任国務大臣の署名と内閣総理大臣の連署がなされる(日本国憲法74条)。
どこがこの文書を管理保管するのかを確認。「公文書等の管理に関する法律」に関するところかと考えるも別途調査すると下記内容に行き着く。
https://www.cas.go.jp/jp/koukai/hyoujunbunsho/pdf/soumukan/k-1.pdf
法律の制定又は改廃及びその経緯
と書かれているため内閣総務官室 本室が公布文(御署名原本)を保管していると考えた。
保存期間満了後はどこに移行されるのかを確認。先の資料で「内閣官房行政文書管理規則」とあったのでググる。
http://www.cas.go.jp/jp/koukai/yosiki/beppyou2_110401.pdf
上記資料に「保存期間満了後には公文書館に移管するものとする。 」とある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/公文書館#日本国内の公文書館一覧
この中だと国立公文書館じゃない?と考えたのでまずそれで。
・疑問
保管期間は?
公布文(御署名原本)が最終確定版なのでこれを原本としてよいと思うが、国会での成立時の審議対象の時点の文書の方が正当性あったりするか?
法律は毎月変わるから「1つの本」としては存在しないが、成立した法律それぞれは国会決議録として国会図書館議会官庁資料室に原本がある。
こちらが原本?どちらかに誤字があればどちらが修正されるのかを考えると「内容が確からしいほう」が優先されそうな気もする。
1ヶ月ほど前、お酒の勢いでよくわからない女性と関係を持ってしまった。不覚にも、お酒の勢いで性病リスクのある行為をしてしまった。何がピル飲んでるから大丈夫、だ。ふざけんな。俺もアホすぎるわ。
そしたら、2週間経ったくらいに変な体調不良に悩まされるようになった。風邪なんて引いてないのに黄色い鼻水が大量に出たり、食欲不振になってほとんどご飯がたべられなかったり、水様便が出たと思ったらその後、ひどい便秘になったり、ひどい胃腸風邪のようだけど、風邪っぽくない、みたいな初めての症状のオンパレード。ちょくちょく微熱も計測して、なかなか治らない。しかも、睡眠障害まである。なんじゃこりゃ。
調べるとhivは、行為の2〜3週間後に風邪やインフルエンザのような症状が一定の確率である、とのこと。
筋肉痛みたいなものや発疹もよく報告されるらしい。免疫異常だから何が起きてもおかしくない、という感じ。体の弱いとこから症状出るのかな?
他には、免疫が弱くなるから、口腔カンジダ症になったり、場合によっては、真菌によってお尻の穴が痒くなったりもするらしい。。
おい!俺に当てはまってる気がするぞ!お尻の穴が痒い気がするし!口の中も白っぽい気がする。何より、風邪っぽくないのに、風邪症状が出てて2週間近く経つ。こんなの初めてで気分は最悪だ。
これはやばい。hivかもしれない。陽性だったら人生が変わる。全てを失う気がする。
いや、陽性だからといって、早期発見なら薬さえ飲めば、ほぼ健常者と変わらない生活は可能ではある。でも、身障者保険を交付されないと支払えないレベルの高額な薬を忘れることなく飲む必要があったり、場合によっては生物が食べられなくなったりするらしい。
確かに、薬によってウイルス抑制や免疫の保持は出来るらしいけど、色々と人生の難易度が上がることは間違いない。
おーい、やばいな、これ。
ワクチンはまだないのか?と思って検索してみる。全然情報がまとまってないから、研究報告のPDFとかを読むハメに。
なにやら、この2〜3年で色々なワクチンの仮説は出来てきてるらしい。例えば、ips細胞を活用する方法や、核の中に眠るウイルスを呼び起こして撃退する方法など。
でも、残念ながら、どれもまだ臨床段階にない。というか、この20年間、全ての研究が失敗してきてるらしい。もしかしたら、今後、どれかのアプローチが成功するかもしれないけど、臨床段階に進むのはまだかなり先で、さらに薬になるのは、早くて10年くらいかかりそうだ。
どうやら、hivというウイルスはかなり手強いらしい。すぐに変容するし、薬を投薬すると核の中に隠れてしまうし、これまでの医学の常識では通用しないらしい。もし、ワクチンができたとしたら、それはあらゆるウイルスに対応出来る、万能な薬となるらしい。すげーな、人類の敵は強いわ。
ちなみに、次の新薬は、月に一度の注射+週に一度の服薬、というものが予定されてるらしい。月一の通院は大変だけど、薬の飲む頻度が下がるのは素晴らしいね。
とりあえず、一度なったら治らないという前提で考える必要がありそうだ。
ちなみに、感染者のほとんどはゲイらしく、女性やストレートは感染者の20%以下らしい。別にゲイを差別はしないけど、ストレートの俺がゲイと思われるのも心理的に辛いな、とかも思ったり。
ということで、即日結果が出る検査を受けてきました。CLIA法という、抗原と抗体を一度に検査できるタイプのもので、99%以上の精度らしい。危険行為からほぼ1ヶ月経ってるから、結果は信用して良さそうだ。
採血をして、結果が出るまで4時間ほど病院の近くのカフェで待つことに。ちなみに、ついでに、肝炎やクラミジアなどの一般的な性病検査もやってもらった。
いやー、待ち時間は苦しい。考えたくなくて、仕事するんだけど、考えてしまう。つれー。
時間になって病院に行くと、なんだか体が震えてきたぜ。人生が変わる瞬間だ。
そして、、、
結果は
全て陰性。。
もうね、帰り道、誰にかわからないけど、ずーっと「ありがとう」って呟いてた。
いや、冷静に考えたら感染率なんて、1%以下ですよ?
それでも、ネットにあるのと同じような症状が出てたらものすごく焦る。
多分、胃腸の不調はストレスだったのか、なんか胃腸風邪のウイルスをもらってきたのかどっちかだったのかな。
hiv の方のブログも今回、たくさん読みました。ほとんどがゲイの方なんだけど、普通に女性もいたりする。日本の感染者は横ばいだけど、潜在的なキャリアはかなりいるだろう、ということらしい。ブログ見てても、ほとんどの方がエイズを発症してから気づいてるから恐ろしい。(つまり、感染源になってるってこと)
みんな必死で生きてるけど、でも、結局、原因は危険行為なんだよね。
ちゃんとゴム付けようね。男も女も。それだけでほとんど防げる病気です。
「児童相談所 拉致 静岡市」などと検索すれば、当事者(親)が発信する記事を閲覧することができる。Twitterで実名発信すら行っている。
彼らの主張と、裁判所の認定事実とを対比しながら読めば、恐ろしさが伝わってくると思われる。
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判 決
(第1,第2 省略)
第3 争点に対する判断
前提事実に加え,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 原告Q1は,原告Q2及びQ9との同居を始めた平成19年2月頃,Q9が時間を守らないこと,嘘をつくことを矯正させる必要があると考えて,原告Q2との間でQ9へのしつけの方法について話合い,その結果として,原告らは,Q9が小学校に入学した同年4月頃から,Q9が上記の点について原告らの口頭での指導を守らなかった場合には体罰を与えることとした。
原告らの体罰は,当初は頭を軽く叩く程度であり,その後顔を平手打ちするようになり,同年6月頃からは,Q9に木製の子ども用バットを持ってこさせて,臀部をバットで叩くことなどがあった。
(甲4,75,原告Q1本人)
イ(ア)Q9の所属するクラスの担任であるQ12教諭は,平成19年4月頃,Q9の顔に痣があったことから,その痣について聞いたところ,Q9は,タンスの角にぶつけたと述べた。Q12教諭は,その後,Q9の顔の別の位置に痣があることを発見した。
Q12教諭は,同年5月下旬頃,Q9が忘れ物をして登校してきたため,どうしたら忘れ物をしないようにできるか尋ねたところ,Q9は泣き出して,自分で学校の支度をしていることのほか,原告Q1は殴るので恐いこと,原告Q2はQ9を守ってくれなくなり,原告Q1と一緒に怒ってばかりいるが,以前はそうではなかったことなどを述べた。そこで,Q12教諭は,Q9に対し,先生はいつも君の味方であり,先生が守ってあげるなどと述べた。
原告らは,同月31日,本件小学校の担任教諭と保護者との間での連絡帳に,Q9から,先生が守ってあげるという発言があったと聞いたが,その発言の真意の確認を求める旨の記載をした。
(イ)本件小学校のQ13教頭は,同年6月5日,原告ら宅を訪れ,原告らと面談した。その際,Q13教頭は,虐待の疑いがある場合についても適切な対応をとる必要がある旨述べ,原告らは,今までQ9はしつけを行われずに育ってきており,Q9を良くするのは今しかないこと,しつけの方針として,悪いことをしたら殴ること,虐待を疑っていることは理解していることなどを述べ,Q12教諭の上記(ア)の発言について,Q12教諭からの直接の謝罪を要求した。これを受け,Q13教頭は,一旦本件小学校に戻り,Q12教諭と共に再度原告ら宅を訪れ,Q12教諭の上記(ア)の発言について,誤解を招く発言であったとして謝罪した。
Q9は,同日以降,Q12教諭に対し,先生が来てくれてから殴られなくなったと述べた。
(ウ)Q9は,同年6月29日,右大腿部,右肩に赤色の跡があり,Q12教諭が,Q9がプールに入る際にその跡について聞いたところ,Q9は,原告Q2から叩かれたと述べた。
また,Q9は,同年7月2日,右目の下部に痣があり,Q12教諭からその痣について聞かれたところ,原告Q2に殴られたと述べたが,Q13教頭からその痣について聞かれた際には,Q9は転んで怪我をしたと述べた。そこで,同日,Q13教頭が原告ら宅に架電したところ,原告Q2は,Q9が2日続けて許せない嘘をついたことから原告Q2が殴った,私も人間だから感情的になると述べた。
原告Q1は,同月3日,本件小学校に架電し,Q13教頭に対し,原告らは冷静にQ9をしかっていること,同じ状況であれば原告Q1であっても殴っているはずであり,原告Q2も同じ方針であることなどを述べた。これに対し,Q13教頭は,殴らないで育てることをまず考えるべきであるなどと述べた。
(エ)Q12教諭は,同月4日,原告らから,本件小学校の教育方針等についての意見が記載された手紙が送付されたため,同日午後3時頃,原告ら宅を訪問した。その際,原告ら及びQ12教諭が居間にいて会話をしていたところ,原告Q2は,一旦居間を離れてQ9の部屋に行き,Q9を叩き,居間に戻ってきた際に,「今私,Q9のこと,叩きましたから,守って下さい。叩きました。嘘ついたから。」などと述べた。
その後,本件小学校のQ14校長,教務主任及び生徒指導主任が原告ら宅を訪れ,原告Q1から,学校で行う教育と家庭で行う教育の区別をしたガイドラインを示してほしいという要望があったため,Q14校長がガイドラインを示す旨述べて,同日午後8時30分頃にQ14校長らは原告ら宅を離れた。
(甲11,17,18,乙ろ2の12,乙ろ15,証人Q13)
(2)本件一時保護に関する経緯
ア Q14校長は,同月6日,静岡市教育委員会に対し,前記(1)イの経緯を報告した。静岡市教育委員会は,同月10日,静岡市α区の要保護児童対策地域協議会(児童福祉法25条の2参照)の定例実務者会議において,Q9を要保護児童として提示し,Q13教頭が前記(1)イの経緯をまとめた報告書(乙ろ2の12の1ないし6丁)を提出した。上記会議に出席した静岡市児童相談所の所員は,同日,本件小学校に対し,Q9は保護を要する児童であるため,今後Q9に痣等があった場合には児童相談所に通告するように指示した。
イ Q9は,同月13日の登校の際,左顎及び左目下部に痣があり,Q14校長がその痣について聞いたところ,Q9は,嘘をついたことを原告Q1に怒られて殴られたと述べた。そこで,同日「Q14校長は,静岡市児童相談所に架電してQ9について通告した。また,同日のプールの授業の際,Q9の大腿部及び背中に痣があることが確認された。
静岡市児童相談所は,同日,上記通告を受け,子ども虐待対応の手引き(平成19年1月23日付け雇児総発第0123003号厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課長通知。乙ろ2の10)及び静岡県中央児童相談所等作成の家族支援ガイドブック(乙ろ2の11)に基づき,上記アの会議に参加していた所員等による緊急受理会議を開催し,Q9に行うべき支援及び援助の内容を判断するための虐待処遇アセスメント指標(乙ろ2の6)で判定をしたところ,虐待の程度は,5段階の上から2番目(打撲,広範囲の軽外傷等)であり,調査格付は,生命を脅かす(又は高い可能性がある。)状態として,直ちに立入調査を行うこととなる「R-1」と判定された。また,静岡市児童相談所のQ15主任主事(ケースワーカー)等の所員3名が,本件小学校に立入調査をして,Q9の顔から足にかけて痣があることを確認し,Q9に聞き取りをしたところ,Q9は,原告らからは,Q9が時間を守らないという理由で毎日殴られること,原告Q2の方が多く殴ること,原告Q1からはおもちゃのバットでいろいろなところを殴られ,原告Q1から殴られた際に血が出たことがあることなどを述べた。静岡市児童相談所は,上記立入調査をした所員からの報告を受け,上記虐待処遇アセスメント指標及び所員の合議に基づき判定をしたところ,Q9の支援・援助格付は,直ちに一時保護が必要となる「AA」と判定された。
静岡市児童相談所長は,Q9に痣があり,Q9も原告らから殴られていることを認めたこと,本件小学校から,家庭訪問をした後も原告らからの虐待が継続していることが確認できたことに基づき,Q9を一時保護し(本件一時保護),その後に原告ら宅に架電し,原告らに対して本件一時保護をしたことを告げた。
Q9は,同日,静岡市立静岡病院のQ16医師の診断を受けたが,同医師作成の診断書には,「全身に打撲によると思われる皮下出血を認める」として,〔1〕両下眼瞼,〔2〕左顎部,〔3〕右肩甲骨上,〔4〕左大腿背側,〔5〕右下腿膝下部前面及び〔6〕両殿部について,「いずれも鈍器,または靴による打撲跡と考えられる」,「上記外傷について全治一週間と診断する」との記載がある。
静岡市児童相談所は,同日,静岡県中央児童相談所の一時保護施設にQ9の一時保護を委託した。
(甲11,乙ろ2の4ないし6・12,乙ろ15,16,乙は3の1・2,証人Q17,証人Q13)
(3)本件一時保護開始後の経緯
ア 原告らと静岡市児童相談所は,本件一時保護が開始された平成19年7月13日以降,電話等でやり取りをしたが,次のとおり,原告らは,Q9に対する体罰は虐待ではなく,親である原告らの意思を無視して本件一時保護を継続することは不当であるとの意見を繰り返し述べた。
原告Q1は,同月20日,静岡市児童相談所のQ15主任主事との電話で,虐待はしていない旨述べ,暴行が肯定されると考えているかとの質問に対して「ええ,肯定されますよ。当たり前じゃないですか」「一時的な感情だとかそんなことで虐待を繰り返してきているわけじゃないんだ」,「責任ある体罰っていうのだってあるんだ」などと述べ,静岡市児童相談所のQ18統括主幹との電話で,同月27日,「Q9をおたくらに任せますけど,やつが20歳ぐらいになったときにまともな,私らが考えているような大人になってなかったら,抹殺しますんで。おたくらも含めてよ。」,同月30日,「子どもがこう,おれらの考えてたとおりに教育できなくなったときに,おまえらどういう責任とる。とらなかったときは,おまえ,リンチしてもいいか」,同年8月1日,「根本からお前らの育て方とか教育論が間違ってるのに,何で間違ってる奴らと俺らが話し合わなきゃいけないんだよ。」などと述べた。また,原告Q2は,同年7月23日,Q18統括主幹との電話で,「私達は少なくとも体罰は体罰だって考えてるんですね。私の思う虐待と言うのは自分の憂さ晴らしですね。」,「体罰っていうのは暴力とは違う」などと述べた。
静岡市児童相談所のQ19主任主事(心理士)及びQ15主任主事は,同月20日から同年8月31日まで,一時保護施設を訪れてQ9と面談,行動観察,心理テスト等を行った。Q9は,同月8日以降の面接で,原告らと会いたくなく,施設から帰りたくない旨訴えた。Q19主任主事は,Q9について,同年9月20日開催の静岡市健康福祉審議会児童福祉専門分科会児童処遇審査部会に「現段階では,本児の家庭に対する拒否感が強く,両親と距離を置き,守られた環境下で,本児の話に耳を傾け,個別には母性的で受容的な対応が望まれる。」,「これまでの養育環境により本児の情緒面での成長が阻害されてきた結果が示されており,今後,両親の養育態度に改善が望めないようであれば,家庭との分離はやむを得ず,児童養護施設への入所が適当であると考える。」との心理診断の結果を提出した。同部会では,Q9の入所措置の承認を求める申立てを行うことに異議は出なかった。
静岡市児童相談所のQ20所長は,上記の原告らの発言,心理診断の結果及び上記部会の結果を踏まえ,原告らによる暴力が継続される可能性が高く,Q9も帰宅を拒否していることから,児童養護施設への入所が適当であるとして,同年9月25日,入所措置の承認を求める申立て(本件申立て)をした。
(甲11,14,乙ろ7の1ないし7)
イ 原告らは,同年9月28日,静岡市児童相談所を訪れ,Q20所長,Q17参事(平成20年4月1日に静岡市児童相談所長となった。以下「Q17」という。)等の所員と面談した。この面談の際,Q20所長らは,本件一時保護の経緯や,Q9については児童虐待防止法2条1号所定の暴行が行われたものと判断していると説明したが,原告らは,「体罰と虐待はこれ別物ですから」,「しつけの段階で,あざができるほどたたかなきゃいけなかった」などと述べてQ9の返還を求め,静岡市児童相談所はこれに応じなかった。
(甲9,10,乙ろ7の10)
ウ Q20所長ら及び原告Q1は,本件承認審判及び本件勧告がされた後である平成19年12月21日,静岡市児童相談所で面談した。原告Q1は,本件承認審判の「二度と虐待に該当するような体罰をさせない」という文言から,虐待に及ばない体罰については容認されたものと解釈している,体罰を主体にしない努力はするが,目的によっては必要なこともあるなどと述べたのに対し,Q20所長は,しつけ自体を否定するわけではないが,体罰を伴うしつけは子どもに心理的な影響があり好ましくない,本件勧告を受けて,静岡市児童相談所からの原告らに対する指導方法について年明けに提案する旨述べた。また,原告Q1が,原告らがQ9の通学している安西小学校に面会等を申入れることは問題となるか確認したのに対し,Q20所長は,今の状態だと問題となる旨述べた。
静岡市児童相談所は,平成20年1月頃,上記の提案として,Q9と原告らの家族再統合に向けた「ご両親への支援プログラム」(以下「支援プログラム」という。)を作成した。支援プログラムでは,〔1〕目標は,「Q9君が安心して生活できるような家庭づくり。」であり,〔2〕方法として,原告らが静岡市児童相談所を訪れ、概ね1か月に1回2時間程度を目安に面接を実施し,面接以外にも課題の提出をお願いすることがあること,〔3〕2月から3月頃にQ9の気持ちを確認し,写真やビデオレターなどを通した親子交流を始めること,〔4〕Q9が原告らに会いたいという気持ちを確認し,5月から6月に児童相談所内で原告らとQ9との面会を実施し,6月から7月初旬に親子での外出を実施すること,〔5〕面会・外出時の親子の様子,Q9からの外泊希望を確認し,児童相談所所員による家庭訪問を実施した後,7月初めに家庭への外泊を開始すること,〔6〕外泊が繰り返される中で,良好な親子関係が認められ,引取り後の支援のあり方について共通理解が得られれば,家庭引取りとなることが記載されている。
Q20所長ら及び原告Q1は,同年1月11日,静岡市児童相談所で面談した。静岡市児童相談所のQ21心理士が支援プログラムについて説明するなどしたところ,原告Q1は,支援プログラムは本件勧告を無視したものである,原告らは体罰をしているのであって虐待や暴力ではない,一時保護自体間違っている,おれは日常生活の中で普通にやっていく中で必要であれば絶対体罰は使う,まずはQ9を帰してもらいたいなどと述べた。そこで,Q20所長は,再度提案をする旨述べた。
Q20所長ら及び原告Q1は,同月24日,静岡市児童相談所で面談した。Q17が,本件勧告に基づいてQ9を帰宅させるためには,虐待に該当するような体罰はしないことが条件になる旨述べたところ,原告Q1は,裁判所は原告らが虐待をしていないと認めており,Q9をすぐに返してもらった上で静岡市児童相談所による指導を受けるというのが原告らとして譲歩案の全てである,静岡市児童相談所が原告らの意見を聞かずに一方的な主張をしているなどと述べた。
(甲9,10,乙ろ5の2,乙ろ7の11・12)
エ Q9は,平成19年12月31日,静岡ホームで転倒して頭を打ち,CT検査をしたが,脳に異常は認められず,頭部挫傷と診断された。
静岡市児童相談所は,原告らに対し,上記転倒事故を通知せず,原告らは,平成20年3月7日に静岡市個人情報保護条例に基づき開示を受けた文書により,上記転倒事故の発生を認識した。
(乙ろ1)
オ 原告Q2は,同年2月1日,静岡市児童相談所に対し,Q9の毎日の詳しい言動や様子を報告しない理由等の回答を求める質問状を送付した。また,原告らは,同月8日,静岡市児童相談所を訪れ,本件抗告棄却決定に対して特別抗告を申し立てた旨伝えるとともに,親権を行使するとして,Q9の毎日の一時保護施設及び小学校での言動を報告することを求めた。さらに,原告Q1は,一時保護期間の7か月でQ9の身長が2.4センチメートル,体重が1キログラムしか増えていないという理由で,Q9への精神安定剤等の投与を疑
児相の子を書いた人がどれほど根拠の無いことを書いたか知らんけれど、増田も結構根拠の無いことを書いてるよね。
https://www.city.minato.tokyo.jp/jidousoudanjunbitan/kodomokateisougoushiensenta-.html
港区は、児童虐待や非行などの児童に関する問題への対応や一時保護などを行う「児童相談所」、子育て中の人を支援する「子ども家庭支援センター」、様々な事情から養育が困難となった母子家庭が入所する「母子生活支援施設」が一体となった複合施設「(仮称)港区子ども家庭総合支援センター」を整備し、児童虐待、非行、障害など、あらゆる児童の問題に対して、区が主体性と責任を持って、切れ目のない一貫した相談・支援体制を作ってまいります。
元増田が考えている業務は、母子手帳の交付、検診、離乳食講習会、予防接種、子育て相談のようだけれど、港区のホームページによればそれらは業務の一部であって、全部ではない。被虐待児、非行少年の保護、母子生活支援も業務内容に含まれるので、施設の子が云々というのもずれているとは思えない。
まあ、育てにくい子を育てている経験から言えば、よく殺さずにここまでこれたなーという思いもあるので、全てが一気通貫で見てもらえる施設の意義は理解できるけれどね。
23区内では、集団健診や予防接種や母親学級やらを行う保健施設(区の運営)と、虐待などの相談を受けたり一時保護する児童相談所(都の運営)は明確に別の施設だよ。2017年の法改正で区でも児童相談所を作れるようになったので、子育て支援まとめるかってことで青山にも併設する計画ができたわけだけど。
妊娠した幸せカップルや赤ちゃん連れのパパママがキャッキャ訪れるのは子育て支援センター、保健所、保健相談所の類でしょ。
名前が違うだけでそれが児童相談所なんだって言いたいんだろうけど、都の児童相談所は都内11箇所しかないので違うよ。
児相は受け付けてる相談内容の例もなかなかヘビーなものが多いよ。より専門性の高い対応が求められるよ。
東京都保健福祉局http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/smph/jicen/annai/jido_sodan.html
保護者の病気、死亡、家出、離婚などの事情で子供が家庭で生活できなくなったとき。
わがまま、落ち着きがない、友達ができない、いじめられる、学校に行きたがらない、チック等の習癖、夜尿などで心配なとき。
この発言をした人もブコメも児相を児童養護施設と勘違いしているとしか思えない。
うちの地域だとこんな感じ。自治体によって内容に違いがあるかもしれないけれども「親を支援する」施設であることは変わらないと思う。
もちろん、虐待児を一時保護することはあると思うけれどあくまで業務の一部でしょう。
もちろん児童養護施設建設に反対したり差別するのは良くない。そこは指摘したくなる。
でもね、そもそもこの件に関しては誰も反対する理由はないんだよ。単に家の近くに子育て支援施設ができるということ。
反対者は単に勘違いをしているだけで、誤解が解ければ解決するはずなんだ。
おそらく理由の一つは多くの施設が「児相」と名乗っていないことだと思う。
「子育て支援センター」「子供健康センター」「子供家庭センター」などといったふわっとした名称になっているところが多い様子。
(参考:厚労省:改称でも「児相」表記 自治体に要請へ - 毎日新聞)
なので自分の利用している施設が児相であるということに気がついていない人も多いのかもしれない。
(ちなみに騒動になっている青山の児相の名前は「港区子ども家庭総合支援センター」)
「3丁目の田中さんに母子手帳を交付しました」「アキラくんの体重が8kgになりました」こんなのはニュースで報道されない。
報道されるのは児童虐待だけなので「児相=児童虐待」とイメージがついてしまっているのではないか
「施設の子が来れば〜」の発言からは「貧乏人の子供が引っ越して来る」というニュアンスが感じられますが、利用者は周辺地区の人たちですよね?
例えばね、マンションの広告でも「マンション内に保育園」「近くに公園や図書館、子育て施設」みたいのはよく宣伝されているでしょう。
というのもね、新しく家を建てる人、マンションを買う人は新婚さんもしくは子供ができた家庭が多いからなのよ。「子供部屋を作らないと〜」ってね。子育て支援施設ができると地価が下がるというのは理屈がちょっとよくわからないよ。図書館ができたら地価下がります?公園ができたら地価下がります?どういうピタゴラスイッチなんです?
DV親がたむろする結果になったとしても
DV親がたむろしません。妊娠した幸せカップルとか、ベビーカー押したパパママがやってきます。
DV親はプライバシーがあるので人目につくところで対応しているとは思えません。少なくとも私は見たことないです。たぶんどこか個室で対応しているのではないかな。もしくは自宅に行くか??
たぶん少なくない人が「始めて来るはずなのに、なんだかなつかしい・・・」ってなるから。
小さい頃、注射を打ちに行って列に並んだ記憶ないですか?それたぶん児相よ。検診や予防接種で人生一度はお世話になっていると思う。
区役所/市役所のホームページ→子育て支援 で施設名称がわかるよ。
区立児相設立の流れで出てきた計画かと思う(今ある児相は都立)。一時保護施設と養護施設の違いは報道で触れてほしいところだけど…
増田の言っているのは「子ども家庭支援センター」であって「児童相談所」は「児童虐待や非行などの児童に関する問題への対応や一時保護などを行う」んだが
ブコメトラバありがとう。なるほど。東京では「虐待を扱う児相(都立)」と「子育て支援(区立)」で長い間施設が分かれていたのか。だから児相に悪いイメージあるのね?ブコメ見ると非行少年の親が通うところというイメージがあるのかな。
青山にできるのは港区立の「子ども家庭総合支援センター」です。非行少年の親だけではなくいろんな親が通うところだよ。安心してね。
各都道府県や自治体に設置が義務付けられているのが児相。子育て支援は義務付けられていない。
虐待が起こってからでは遅い、子育てをサポートして虐待を未然に防ごう、という思想から子育て支援と一体型の施設が増えている。
参考になるか知らないが、適当に綴ることにする。
3歳になっても言語を全く話せず、クレーン動作を始めとした典型的な自閉症状を示していたため、児童センターを介して専門機関で受診したところ、聴力も問題なく知的障害(自閉症)との確定診断。
応募した私立保育園には全て断られたものの、自宅から少し離れた市立保育園へ無事入園。
「知的障害児」ということで、ほぼ専任のような保育士さんを増員していただき、時々奇声を上げて脱出を企むながらも、最後まで追い出されることなく何とか卒園。
保育園の間は、ずっと会話は不成立。
3歳でビデオデッキの操作(VHSカセットの交換・スロー再生・逆再生等々)をマスターしていたものの、毎日テレビの前でビデオ操作しながら、全く同じシーンを延々繰り返しながら奇声を上げて踊ってる有様。
確か「お母さんと一緒」のビデオだったと思いますが、キメのポーズのところで一緒にキメて、そりゃ見てて可愛いわけですが、親からの会話は理解できていない。
テレビに映った、いわゆる芸人さんの笑いを(意味も分かってないくせに)オウム返しし始めたあたりで、これはヤバいと感じ、(当人は知らない)裏のコンセントをコッソリ抜いて「テレビさん壊れちゃったみたい」ってやってやりました。
しばらくは寂しそうにしていたのですが、何ヶ月かしたら、直ったか試すこともしなくなったので、未練がなくなったのだろうとテレビごと廃棄。
たしか4歳か5歳の頃だったと思いますが、この時から自宅からテレビがなくなりラジオだけの生活になりました。寝る時に子守歌かわりの童謡のCDを流す習慣にしていたのですが、高校1年くらいまでは寝る時に自分で操作して鳴らしてましたね。(ずっと川の字です)
テレビがなくなると空いた時間を埋めるべく、絵本をめくったり、オモチャを手にしたり、パソコンに興味を示したりするようになりました。テレビは捨てて正解だったと今でも確信しています。(モニターでDVDは視聴可)
発語はあるが会話は成立しないのですから、小学校は当然にしてストレートで特別支援学級です。
集団登校には親の同伴を求められたので、6年間ずっと同伴通学でした。(とは言え、後半は列の後方から見守る程度ですが)
「環境の変化」と「予想しない事態」に極度のストレスを感じるのが自閉症児の特徴なのですが、特別支援学級の1年生~5年生まで、担当教諭の異動がなかったことが幸運。安心すると精神状態が落ち着くんですね。
特別支援学級の教諭って、ナニかワケありで左遷ポストみたいな雰囲気があると思うんですが、1年生~5年生まで担当して下さった教諭は全く違ってました。
言葉で書き尽くせないのですが、自閉症児では健常児以上に苦手なところが多いのですが、無理矢理に克服させようと正面突破させるのでなく、苦手なところを避けて歩く方法みたいなことを息子に伝授してくれたように感じます。
予期しないことが起きるとパニックに陥って奇行が始まるのですが、先に予定が分かっていて、その予定どおりに進行すればパニックは起きにくく、そういう特性を最初から見抜いて下さって、本当に上手に導いて下さいました。
伊藤先生、今でも感謝しきりです。(年賀状は欠かさず(息子に)出させてます)
息子にはとにかく外界からの刺激が必要だと思って、ほぼ毎週、公園だの何だの、とにかく外へ連れ出しました。200キロの距離にある実家へは毎月通ったり、とにかく土日2日とも家に籠もっていたことは年に数えるほどだろ、という位に連れ出しました。
電車が好きだったので、環状線一周(全ての駅で降りて看板と写真を撮る)みたいな、そんなオタッキーなこと喜ぶ児童がいるのか?みたいなことやってました。時効だから打ち明けますが、1区分の切符でずいぶんと遠回りさせて頂いたこともあります。
地名や駅名とかはすぐに覚えましたね。
実家へは(下道で行くと)幾つものトンネルをくぐるのですが「このトンネルが最後」みたいなこと言ったり、いついつにこういうことがあった、みたいな何年も前のことを年月日まで揃えて呟いたり、とにかく記憶力だけは半端ない。
ちなみに息子と年子の妹(健常児)がいるのですが、彼女の存在も大きかったように思います。友だちのいない息子にとって、唯一の同年代の子どもが妹だったのですから。
特に小さい頃の妹は兄の障害のことが分からないので、時々は手を繋いだり引っ張ったり(兄のほうは照れて逃げ回ったり)、それはそれは友だちのように接してくれたのですから。
家族での外出のほか、JRが沿線で企画するウォーキングに猛烈に参加しました。
参加するとスタンプが貰えるのですが、有効期限内にフルコンプリートして最上位の景品を貰えるくらい、1級障害者じゃないので運賃は安くならず、相当お金はかかりましたが。
他の子達と同様、かならず電車の最前列に張り付いて、運転手さんの呟き(点呼)をオウム返し。運転席に手が届くような、どこぞの超ローカル線に乗った時は、運転手さんが息子の点呼(出発シンコー)に合わせてマスコン操作してくれたりで、電車が大好きになったようです。
あと英語のナレーションも覚えたみたいで、英語が流れないローカル線でも自分で英語で This train ・・・ Bound for ××× Thank you! って大きな声で「通訳」すると、周囲の大人が褒めるもんだから、より調子に乗って・・・みたいな。
10キロとかの健脚向けコースに参加しているときなんかは、おばちゃん達が「小さいのに偉いねぇ~」って飴ちゃんくれたりするものの、会話が成立しない(がんばって1往復)うえに当人は飴なるものを口に入れたがらず。
食へのこだわりが強烈で、少しでも怪しいものは決して口に運びません。妥協なんてありえないのです。
ヤフーキッズをブラウザのデフォルトにしたのと、使用時間に制限(夜の9時だかを超えると使えなくなる)したくらいで、基本的にノンフィルターで使いたいように使わせました。
パスワードはかけてなかった(息子も自分でかけようとしなかった)ので、時々何をしてるか監査してましたが、Youtube で馬鹿な映像を見てるほかは名探偵コナンを追いかけてる風。あとドラえもんとプリキュア(笑)
年頃の男の子が興味を示すサイトへは立ち寄った形跡もなし。アニメや芸能関係の Wikipedia の更新もやってたみたい。
基本的には「泳がせながら監査」という状態を続けましたが、ずっとパソコンで遊べるわけじゃありません。
時々妹がやってきて「私もパソコンを使いたい」って言う話になれば、兄に勝ち目はないので、みすみすパソコンを奪われることに。
まぁずっとパソコン漬けはよくないし、時々はパソコンを奪われたほうがいい(占有じゃなくて分け合う)と思うので、パソコンを追加することなく喧嘩させる選択(妹相手に喧嘩の練習をしておけ、と)
3年生か4年生くらいになると、少しずつ会話が成立し始めました。
その奇行ゆえ、運動会では常に、どんな遠くからであっても、あれが自分の息子だ、って識別できていたのですが、5年生の運動会くらいからでしょうか、一生懸命に探さないと見つけれなくなりました。
小学校の入学当初は「修学旅行へは親さんも同行してもらうことになりますから(同行できないなら修学旅行は無理です)」って言われていたのですが、伊藤先生の後任の女性教諭も「大丈夫でしょう」と。
無事に一人で(同級生と)行ってきました。
プラスチックの刀を土産に買って帰ってきましたが、どこが気に入ったのか今でも理解不能。
養護教諭のフォローなしに壇上で卒業証書を受け取る息子を見て涙が出ました。
奇行も減って落ち着いてきたので、普通学級でも辛うじて何とかなるかも?って言われつつも、他の生徒さんに迷惑がかかるといけないと思い特別支援学級を希望。
2人の学級で、これまでは異学年の混合授業だったのが、初めての同級生が出来ました。
しかも女の子! だけど家庭の事情(引っ越し)で1年で転校して行ってしまいましたが、別れの日は私物を整理して親と一緒に帰る時間に見送りに行ったようです。買って持たせた花束の中に、コッソリ前年の年賀状の余り(自宅の住所が印刷されている)を忍ばせておいたのは私なのですが、お礼状と共に今でも年賀状の往復だけ続いています。
その子もワケありなんだけど、息子とは特性が違う(不得意分野が違う)ので、嫁さんになってくれるといいんだけどなぁ~とは心の中の声。
気に入った女の子が出来たみたいなのですが、息子の挙動があまりにキモかったらしく、当人から拒絶されたうえに親にも厳重注意
(性的なことをやったわけじゃありません)
当人は加減を知らないし、女の子のほうも自閉症児につきまとわれるのは嫌でしょう、分かります。
中学校の特別支援学級の担任は、父兄の間で評判の良くなかったらしい教諭が着任して翌年に異動とか、産休予定の教諭が数ヶ月だけ担当して交代とかアレな風でしたが、本人には良い意味で刺激になったよう。
3年生になり進路が気になるころ、どこへ進学するかはともかく、特別支援学級という超少人数学級じゃなくて普通学級にも慣れておかないと選択肢がないと思い先生に相談。
数学や理科は進度が全く違うという理由で NG が出たものの、それ以外は何とかなるだろうと(授業の妨げになるなら追い出す条件で) OK。
7割は同じ小学校から上がってきた生徒で一応は幼なじみ。1学年50人ちょっと(ギリギリ2クラス)という少人数な学校だったこともあり、先生の目が行き届きやすいという判断もあってのことだろう。
JRのウォーキング企画を始めとして外にばっか連れ出したおかげか、地名(都市の位置関係)に関しては健常児を超えていたと思う。
理科は小学校から全く履修していなかった(見込みなしと見捨てて他の教科に割り振られた)のだけど、履修してない教科があったのに卒業できてしまうとは。
その下は定時制しかないというランクのところではあるものの、「荒れてない」という理由だけで選択した公立高校に無事に合格。
たまたま定員割れしていた年で、落ちた生徒はいなかったと思うのですが、翌年は定員超えしていたので1年ずれてたらヤバかったかも。
9年間、無遅刻・無欠席ということで学校と市から表彰されました。
ちなみに一つ下の妹のほうも同じく9年間無遅刻無欠席。
4歳だか5歳の頃に妹のほうがキャンプに行きたいというので「キャンプ場は遠いよ」って言って大正池から徳沢まで歩かせたり、お山に行きたいと言われれば「山小屋は売店であって泊まるとこじゃない」と諭してテント背負ってガチな登山に連れて行ったり、ロープウェイに乗ってみよう!って誘っておいて「入り口は上にあって登らないと乗せてくれない」って登らせて下りだけロープウェイとか、とにかく欺しまくりました。
温泉に行きたいって言われて湯俣温泉に連れて行った(吊り橋の先の河原で掘って「これが温泉だ」って)のが最凶だったと自覚してます(小2+小1)
よって、うちの子たちは本当に頑丈です。
中学までの26~27人学級と違って、40人近い教室で、一人も知り合いのいない学校。つまり他の生徒も息子の特性を知らない。
小学~中学は通しの生徒が多いせいもあって、息子がワケありってのは全校生徒のみならず、その親にまで知れ渡っていて、わざわざ寄りついてくる奇特な子どもはいなかったのだけど、高校では最初のうちは先入観なく普通に接してくれたみたい。
同級生から寄りついて来られたことのあまりなかった息子は話しかけられただけで「友だちができたかも」って思い込んで家に帰ってニコニコ自慢してましたが、それが「ぼく友だちいない」に変わるのはそう遅くはありませんでしたけど。
とはいえ、友だちが出来ないまま15歳まで過ごしてきてるので、全く気にならないようではあります。
年に数回、学校開放みたいな行事があって親も観に行っていい日には出かけたのだけど、偏差値が低い=ガラの悪い生徒が多い という先入観を見事に打ち破ってくれました。いやほんと、殺伐感の全くないノンビリした校風の良い高校で良かった。
迷惑をかけるのだからせめてもの恩返しということで、学校の保護者委員?(PTAに近いと思うが、もっとイージー)は進んでお受けし、時々校門にたって挨拶運動とかに参加したわけだけど、先生の命令に従って渋々挨拶してるような感じはなく、どの子も自分の言葉で挨拶してくれて、挨拶運動に参加するのはとても楽しかった。
高校になってから自我が芽生えたか、親と出かけるのを嫌がるようになり(本気で拒絶するほどでもないが)、親としても自立する方向に誘導しないといけないため、JRのウォーキング企画に一人で参加することを許可
前日までに行程(電車の乗り継ぎを含む)と予算を紙で提出すれば金は出すという条件で。
コンビニの外ベンチにDSを置きっぱなしのまま買い物に行って、案の定その間に置引きされたときがあるんですが、ちゃんと自分で交番に行って遺失物届を出してきたり、普通じゃないながらも何とかなる次元には成長
学校行事か何かで、家から最も近い私大(偏差値40~50クラスか?)の見学に行って、学食としてマクドナルドみたいなバーガー屋を含む何軒もあったりで感動したのか、コンビニなんてものが学内にあることに恐れ入ったのか、コナンに出てくる大学生のイメージと重なったのか、どういう訳でか知らないが大学なるものに興味を持った模様。ただし、最初に見に行ったそこだけが気に入ったみたいで、他の大学へは見学すら行かない。
高校になると授業参観なるものが滅多にないのですが、高校3年の最後の文化祭(平日)へは仕事を休んで観覧。
劇で何の役をやるのか教えてくれなかったので、観に行くことも言わずに黙ってビデオ回しながら見てたのですが、ステージの袖からナレーター(司会だったらしく)として登場したところで目を疑う。
名探偵コナンのナレーションを意識しているとハッキリと分かるのですが、恐らくは普段の息子と全く違うキャラだったこともあってか、会場の体育館は大爆笑の渦に。適度なアドリブ(意外性に沸く観客生徒に向かって「ありがとう!」って言ってみせたり)を交えたり、完全に自分の世界に没入していたのだろう、とにかく凄かった。
審査と表彰式まではいなかったのだけど、息子のクラスは最優秀賞を、息子は最優秀個人賞を、それぞれゲットした。
進路指導の先生からの「なりたい職業に応じて学科を絞って学校を選ぶべきだ」という助言を無視する形で、第一希望~第三希望まで全て前述の大学にある学科で、文系・理系おかまいなく・・・という風に進路希望を出していたので三者懇談では「本当にいいのか?」って迫られたけど、「息子が大学に行きたいと思ったキッカケは、そこの大学に出会ったからです」なのだから仕方ない。
いわゆる進学校ではないため、一般入試での合格は絶望的だろう、と先生から言われ、最初で最後のチャンスということで指定校推薦に応募
そもそも、その下には定時制しかないような、こう言うと悪いんだけど学力的には良くない生徒の集まる学校だったのだけど、挨拶運動で感じたようにガラの悪い生徒はおらず、確かに当たりは少ないけど外れはいない、そんな学校ゆえにか「指定校推薦」という枠が設けられていたのは凄い幸運だった。(誰しも外れを引くことを恐れるわけで)
第一希望の学科(息子はパソコンが好きだったのでそういう系)は成績が足りないと言われ、第三希望くらいのパソコンとは無関係なところだったら・・・みたいなこと提案に乗って応募。ちょまどさんだって文系の大学なのにプログラマやっててマイクロソフト行かれたんだから、その気があればどこの学科であってもパソコンの仕事はできるのよ。
劇のナレーターで最優秀個人賞をゲットした余韻もあってか、上手に面接をこなしてきたのと指定校推薦で落ちるのは難しいという条件が重なって、無事に合格の通知。
高校3年でやっと中学生?ってくらいの状態なので、大学を卒業できるか知らないが、ちょうど卒業時点で高校生くらいの状態になるかもしれない。
完治は無理、喋らなければバレない、くらいが限界なんだけど、健常児を遙かに超える得意な分野があるので、そこだけ見て、ダメなところは諦め。
ただ普通の子に近づいたせいか、幼少期に感じた「ありえない記憶力」とかの特殊能力は徐々に衰え、ヒゲも生えだして、すぐに忘れる平凡なオッサンに近づいてることに寂しさも。
周りでカードを持っている人はいないのに、カードと呼ぶのは不思議だ。
色々なアプリの保存マークがフロッピーディスクのままなのと同じ理由だろうが。
"便宜上"などと言い訳して新しい概念を正確に取り入れることを拒んだ先人の堕落だ。
まあいっか。今日はビールを飲みながらサッカーを見るんだ。店を出る。
制度が変わってからだいぶ経つが、ライセンスを持っている人は意外と少ないようだ。
わざわざ役所に出向いて丸一日つまらない動画を見なければならない上に、
くだらない引っかけ選択問題のテストを受けて合格しなければならない。
本当にくだらないと思う。くだらないことに時間を割く苦行こそが"ふるい"なんだろう。
まあいっか。今日は楽しくサッカーを見るんだ。一本目を開ける。
そういえば、この間のライセンス更新の時に、交付所の前で酒盛りしてたおじさんたちがとても楽しそうだった。
初対面の相手でも肩を抱き合って歌って飲む光景は、はちみつ酒が好きな陽気な人のようだった。
しかし、そのうちの一人が「酒の一滴は血の三滴」とかなんとかで献血をしていると言っていて驚いた。
さすがに汚い。酒呑みの道理にそぐわないのは承知しているが、さすがに汚いと思ってしまう。
かわいい娘に輸血の必要が生じたときに酒呑みの血が使われるなんて想像しただけでホルムアルデヒドが酷い。
家に着いて、通知に気付く。スマホで確認はしていたが、正確な年間摂取量の通知ハガキだ。
会社ではあまり飲んでいないことになっているから、勧告が出ない範囲に納めなければならない。
大丈夫。超えてないはず。破れない程度に力強くシールをめくる。健康診断勧告。
冷蔵庫からストゼロを全部持ってくる。俺は酒を飲むのが好きなんだ。
だからといって、暴力をふるったり、突然嘔吐したりなんてしない。
夜に酒を飲みながら散歩するのが好きなんだ。酒を飲んで歌うのが好きなんだ。
酒を飲みながらサッカーを見るのが好きなんだ。
変にイメージが悪くなったせいで、酒が好きだと言っただけで頭のおかしい人だと思われてしまう。
会社の先輩は勧告通知で転属になった。同僚には鼻で笑われ、中には分かりやすく避けている人もいる。酒なだけに。
学校の先生や警察やお母さんの飲酒に比べれば風当たりが弱いとはいえ、
いい歳をしたおっさんが酒呑みと知られれば結婚はできないだろう。
もういいや。勧告までくれば2~3回公道上飲酒で捕まっても受診指示までいかないだろう。
2本目のストゼロを開けて半分ほど一気に飲み、インスタのプッシャーさんに手押ししてもらった
脱法スピリタスを贅沢に流し込む。マイレシピの「ストゼロ・改」だ。
繁華街と違って、この時間の住宅街にバビロンはほぼほぼいないが、念のためボトルホルダーに入れて散歩に出る。
夕方の雨がまだ路面に残っている。肌寒い。澄んだ空気。贅沢なシチュエーションだ。
一口飲む。くはっ。めっちゃきく。最高かよ。寒い。飲む。くはっ。きく。
何の己が桜だよ。酒があるとなんでもきれいに見える気がする。
ちょっとお兄さん話聞いてもいいかな。すこしお兄さん匂うね。何飲んでるの。
ボトルの中かがせてもらっていいかな。お酒の缶だね。車の中で話聞かせてもらえる。
強いお酒入ってるみたいだけどどこで買ったのかな。ライセンス持ってないの。住所と名前は。
記録には強いお酒を買った記録が残ってないみたいですので、詳しく調べさせてもらいますね。署まで一緒に来てもらえますか。
もういいよ。
それを知らなかったために少し大変なことになってしまいました。
大阪まで引っ越したところで結婚し姓が変わった事で不動産登記を変更することになりました。
それまで不動産登記を東京から動かしてなかったために、東京から大阪までの戸籍の附票か除票が必要になりました。
大阪は現在住んでいるので手続きは通常通り。残りは東京、茨城、埼玉、京都の4つです。
すんなり取得
すんなり取得
ここでつまずきました。
再度かけるも「webにないならないです」で再び切られる。
3度目、相手を遮って戸籍の附表か除票が欲しいと伝えるも「出せません」で終了。
とりあえず保留にして次に進む
これまでの担当者の中では一番丁寧でした。
2年前にシステムを刷新したためにそれまでの転出者の記録は消去されているとのこと。そのため戸籍の除票は出せないということでした。
その代わりにデータを消去した証明書を送ってもらえることになりました。
ここで検索して戸籍の附票、除票は5年程度でデータ消去されることをしりました。
除票になっても交付してもらえますが、戸籍の附票の除票も5年間しか保存されません。(市区町村によってはそれ以上保管しているところもあります)Z市からY市に本籍を移したのが5年以上前のことならY市で戸籍の附票の除票も交付できないという可能性もあります。
埼玉県C市に除票が出せない理由がわかったのでそれなら京都府と同じ対応をしてもらえないかと再度電話をかける → できません
最終的に弁護士さんに代理で交付申請していただいてなんとかなりました。
「親が登記変更をサボっていたために遺産相続でトラブルになっている人」がたくさんいるということを検索中に知りました。
親御さんが生きていらっしゃる間に確認をしておいて、困った時は弁護士さんに相談ですね。(弁護士ではなく司法書士さんだそうです)
たった1軒に相続人が千人以上…多すぎて解決策見えず : 京都新聞
これを読み困っている誰かの役に立つかと思い書きました。
複数の方から指摘いただいていますが、私は引っ越しのたびに本籍も移動しています。
本籍を移動しなければこんなことにはならないですよね。重要なことを書き忘れてすみません。
私は引っ越族なので賃貸暮らしです(つまり私が引っ越した後は誰か他人が住むわけです)。また持っている不動産も小さなマンション等で人が住んでたりお店が入っていたりです。
他人の住んでいるところを本籍地にするのは(制度上は可能でも)気が引けるのですが・・・みなさんはどうしていらっしゃるのでしょうか
どうもありがとうございます。ものすごく勉強になりました。
他の方もぜひ読んでください。
司法書士です。登記のことで弁護士さんに相談、はあまり一般的ではないか..
自立支援医療制度を利用するにあたって問題となるのが、申請してから交付受取までの間の負担。
有効期限自体は役所が申請を受理した日から適応となるが、実際に受給証が手元に届くのは数ヶ月後というタイムラグから発生する問題。
受給証が届くまでは申請控えでもいいですよー、届いたら受給証出してくださいねーという感じ。
受給証と有効期間内の領収書や明細書を提出して手続きをすると3割→1割の差額が還付される感じ。
普通に検索した限りでは、控えで適用または後で払い戻しの情報しか出てこないと思う。
で、
その状況に出くわさないと調べることもないだろうなーというケース。
いやー出くわしちゃったよ。webで調べたよ丸一日。
そもそもこの「受給証が届くまでの負担」について明確に記述している自治体が滅多にない。
払い戻しについて唯一見つけられたのは横浜市鶴見区役所くらいか。
基本的に全く書いてないか、「医療機関と相談してください〜」などと曖昧なものばかり。
どこかの都道府県の医療機関への通達PDFなんかも引っかかるけど強制力を含まないものばかり。
ぜんぶ他人任せ。国は自治体任せ、自治体は病院任せ、病院は塩対応でつっぱねる。
なんでこう患者を置き去りにした他人任せが起きるんだろうともうちょっと調べてみた。
素人なんでゆるーい感じだけど、たぶんこういうことだ。
レセプト保留めんどくさい。完了してる場合カルテやデータを引っ張りだして再計算して自治体に過誤請求しなければならない。人件費かかる。手間。めんどくさい。
償還払いと言うらしい?廃止しているところもある。国が決めた以上仕方ないが、財政的に出したくない。手間。めんどくさい。
めんどくさい。払わなくて済むなら払いたくない。
調べない利用者が悪い。ちゃんと説明しない向こう(病院or自治体)が悪い。
こういうことだろう。
たしかに利用する制度について「全く調べない」のは利用者にも責任があると思う。
例えば受給証を提示し忘れたら適用されませんよー、更新は何ヶ月前からですよー、とかそういうレベル。
でも「追求しなければ」わからないものは公の制度としてなにか歪んでいるのではないだろうか。
必要ないのに受給しようとするひともいたりして困るのはわかるけど、本当に必要なひとが割を食っている。
困って役所に相談に行くと「ここでは払い戻しできない」「こちらから医療機関に言うことはできない」。
福祉保健局に問い合わせたところでどうせ「自治体に相談してください」だろう。
出来ないなら出来ないでいいんだよ。
受給証が届いてから!とキッパリ線引きしてくれるならそれはそれで納得できる。
ここでは控えでOK、ここでは払い戻しできるよ、ここでは払い戻しできないよ。払い戻しなら病院でやってね役所でやってね。
精神的に凹んでる人間がこんなのに毅然と対応できるわけがない。正常な人間でも疲れる。
結局泣き寝入りなんだろう。
事故に遭ったとでも思うほかない。
(いやーでもさ、これって病院側があとで過誤請求して懐に…とかないんですかね。)
ちなみに計算したら自分の場合、負担金の差額は2万くらいだった。
高い勉強代だった。
b:entry:twitter.com:sahoobb:status:1047061214176661504
データの紛失と配付資料コピーの件は(マンガの主張の通りなら)相手(M山氏)がクソだね、で終わりだけど、肝心の会場キャンセル料のギャラからの天引き埋め合わせについてどうしても公務員として引っかかる部分があるので。
役所の支払いとして絶対にありえないんですよ。公務員やってたら冗談でも思いつかない発想なんです。
①すべてM山氏の冗談で最初からギャラは全額払うつもりだった。
②M山氏は区の職員だが、マンガ教室は区の事業ではなく、区職員M山氏個人の資金による個人事業だった。
③M山氏は区の職員ではく、ギャラの支払いも区役所からではなかった。((M山氏は役所から教室開催を委託された業者・団体の従業員で、「役所の事業でマンガ教室をやります」と言うのをさほ氏が「役所職員なのでそう言っている」と勘違いした。))
のいずれかしかあり得ない。個人的には③の可能性が高いと思います。
①はそんな冗談を言っても相手を不快にさせるだけで実行不能で意味がないし、②は役所職員がそんな資金豊富だとは思えないので。
役所(に限らず県庁や省庁でも基本は同じ)の何の創造みもない予算執行・契約業務の説明なので面白くもなんともありません。①~⑤は飛ばして⑥だけで結構です。いや全部読まなくてもいいんだけど。
役所の中ではこんな事やってんだな、こんな世界があるんだなってことで。
そのために確保しておくお金の枠を「予算」と言います。(マンガでもこの言葉が出てきますね)
役所がやりたい事業の計画を立てて、必要経費の見積もりをとって足し上げたものが「予算」額になります。
ちなみに「予算」は使途ごとに「費目」が決まっていて、費目ごとに金額を決めて予算を作らなければならず、今回の場合は「マンガを子どもに教える」事を役場から個人・団体に委託するので、「委託料」になります。
委託料として確保した予算は、委託する事以外には使えません。(たとえば会場借用料とかキャンセル料とかには使えません。「使用料」とか「補填・賠償金」になります。)
縛りガチガチですね。公金ですから好き勝手に使えたら困りますからね。
(費目間流用という例外処理もありますが、非常に面倒な手続きが必要だし、事前手続きが必須で「当日現場でいきなり」できることではないので省略します。)
事業を執行する部署(今回でいうと文化振興課かこども育成課か)が好き勝手に予算額を決めることはできず、まずは役所内で「(予算を決定する部署である)財政課による査定」を受けます。
財政課は常に「財政赤字を減らさねば。予算を削減せねば、部署に節約させねば。」と考えてますので、事業や経費の必要性を説明しても根拠資料不足だと差し戻しされたり、事業全部が不要だと却下されたりして、何度も査定室に足を運び、ようやく認められたものが「予算案」になります。
「案」です。
(財政課内でも査定担当VS上司のバトルがあるんですが省略します)
議会の予算決算委員会で委員から細かく審議されたあと、問題なければ本会議にかけられて可決されたら正式な「来年度予算」として成立します。(これは首長と議会が激しく対立してない限り、否決されることはまずありません。委員会で審査されるのも事業そのものの必要性で、積算まで見られることはありません。良くありませんね。でも議員さんが役所の全部署全事業の予算案を積算レベルまで細かく分析するのは現実的ではないでしょう。)
(事業に関わる予算要求~支払までの文書は公文書であり公開請求すれば見られるので、オンブズマンがチェックしてる部分もあります。)
さあ、新年度になりました。さっそく予算を使って事業を始めましょう。
これも事業担当職員で好き勝手にはできません。なんせ使うのは公金ですからね。
まずは「予算執行伺」の決済を取らなければなりません。「こんな感じの事業でこのくらいの金額を、この予算のこの費目から使いたいんですが、いいですか」という伺いを文書化して、契約書の案(印鑑が押して無いだけで実際の契約書と同じ)を添付して、担当→係長→課長と審査をうけて決済をもらいます。だいたい文書を回すだけですが、目新しい事業や大きな事業だとデスクの前に呼ばれて口頭説明も必要になります。(金額によっては部長とか首長レベルまで決済をもらわないといけないが、だいたいは課長決裁。)
まあ前年度に予算案を作る段階で課内でも財政課でも厳しくチェックされてるので、今更なんですが。
次は、事業のためお金を出す人・団体と契約します。今回でいうと、さほ氏や会場店ガリレオですね。
契約相手はどうやって選ぶ?なるべく費用を抑えるために原則は入札。
だけど細かい契約まで入札・開札作業してたら大変なので、限定された使途と一定以下の金額に限り、担当職員が契約相手を選ぶ随意契約をして良いことになっています。
その場合は相見積もりと言って、複数の相手から複数の見積書をもらって最も安い相手を選ばないといけません。
「この付近にはこの会場しかない」とか「この技能を持つのはこの人しかいない」と合理的な理由がある場合には一業者・一人だけ選んで見積もりを取っても良いことになっていますが、これは例外処理なので本当にその相手しかいないのか起案文書できちんと説明しておかないといけないし、上司からも細かくチェックされます。
次はまた決済です。今度は「支出負担行為」の文書を回さないといけません。
使う予算の費目(今回なら使用料と委託料)、使途、実行月日、円単位の金額、支払い相手先名、振込口座情報(役所の支払いは原則口座振込です。研修参加費を現地受付で払うとかでない限り、職員から現金払いする事はありません。)を記載した上で、イベント関係書類と見積書を添付して、また職員→係長→課長と決済を回します。今回は課長で終わりません。
課長から決裁印をもらったら、今度は役所の対外支払機能を一手に担う会計課からも決済をもらわないといけません。
首長から独立した「会計管理者」が役所の資金口座を握っていて、会計管理者の部下である会計課職員が役所のお金の出入りの全てを行っているんです。
会計管理者は「部長」並みの偉い人なので大きい金額の契約を見ていて、今回会計課に持ち込んだ「支出負担行為書」は、会計課担当→係長→会計課長で決済されたのでしょう。(会計課にいたことがないので細かい内部処理は不明)
そうやって初めて、相手と契約できます。「依頼」ではありません。「契約」です。
役所の契約行為は極一部に限定された例外(職員が出張で使うJRきっぷとか航空券とかの購入)を除いて、必ず文書契約です。口頭での契約は絶対にできません。(お金を出す証拠が残らないので不正支出になる。)
契約書はだいたいテンプレートが決まっていて、支払い相手、金額がきっちり明記されています。
これを2部用意して、2部ともさほ氏に渡して押印してもらい受け取って、役所では総務課に行って総務課員のチェックを受けたうえで公印(首長印)を押印し、1部をさほ氏に渡して1部は役所で保管して契約成立です。
そうして無事契約が成立して、ようやく「役所から依頼された」ことになります。
契約を結んではじめて役所はさほ氏に「教室で子どもにマンガを教える債務」を負わせることができます。
そして教室開催当日を迎えました。
ん?担当者が会場を2カ所抑えていて、キャンセル料が必要になった?一カ所は有料のところ(ガリレオ)で、もう一カ所は無料のところ(公民館とか)だったのかな。
キャンセル料は「費目・使用料」では払えないので、帰庁して急ぎキャンセル料の支払いのため「費目・補填賠償金」の支出手続きをしないといけません。
でも、一店だけ予約していたのが講師の都合で急に開催できなくなってキャンセル、なら支払う理由も成り立つんですが、担当者個人のミスで2会場予約していて、しかも当日までキャンセルしてなかったからキャンセル料が必要になった、なんて理由は上司や会計課に説明しづらいし、公金の支出としても市民からツッこまれそうです。(自分だったら、ダブルブッキングは無かったことにして自分の財布から出します。それが一番簡単なので)
ここでM山氏が言った「さほ氏へのギャラからキャンセル料を差し引いて払いますね」は可能でしょうか。
まず「決まった報酬(委託料)から急に発生した別費用を差し引く」というのは不適切な支出です。相手に委託する業務内容に対してこの金額で委託すると一度決めたのですから、業務内容が変わらないのに減額するなんて役所内の決済で絶対に認められません。
これまで支出するために役所内で行った支出負担行為書には支払相手・支払口座・支払金額が明記されています。契約書にも相手・金額が記載されています。
後から支出負担行為書を二重線で消して訂正印を押して見え消し修正する・・・無理です。訂正が効くのは誤字脱字くらいで、支払金額とか支払相手先とかの重要項目の修正はどの役所でも認められてません。契約書の訂正も必要です。
役所保管の契約書を担当者が首長印をコッソリ使って勝手に訂正したとしても(今はどこも公印の管理は厳重になってるので難しいけど)、会計課はそれによる支払を認めないし、さほ氏の持っている契約書には修正前の金額が記載されている(双方の合意に基づいてない)ので、奇跡的に会計課チェックをスルーして(ありえない)減額した金額でのギャラ払いが成功したとしても、後からさほ氏保管の契約書を提示されて不足分の支払請求をされたら、口座振込による支払金額記録が残ってますから、役所は追加払いしなければなりません。
追加払いするためにはまた一連の予算執行手続きがイチから必要になりますし、M山氏はいずれにせよこの段階で不正支出・公文書偽造により懲戒処分です。金額という重要項目の訂正・契約書の片方印だけによる訂正を見逃して支払ってしまった会計課の担当や上司も処分を受けるでしょう。(まあ会計課はどこも細かいのであり得ないけど)
教室が無事に終わりました。
相手が債務を履行したのを会計担当が確認してからでないと支払えません。(例外もあるけど省略)
帰庁後、担当者は会計課にお金を支出してもらうための書類「支出調書」を作ります。文書仕事ばかりでウンザリですか?公金だから仕方ないんです。
ここでもまた、予算の種類、費目、支払相手名、支払金額、支払口座、支払予定日、債務発生日(教室実行日)、支払内容、等を記載して、(システム化されてて支出負担行為と紐付けられてるので、ほぼ自動入力)
先に決済済みの予算執行伺・支出負担行為書・役所保管分の契約書原本・相手が委託内容を実行した証拠(マンガ教室の写真等)と検査調書を添付して、
課内で担当→係長→課長と決済をもらって、会計課に持ち込んで会計課内でもまた会計課担当→係長→会計課長と決済を経て、
はれて会計課が銀行に口座振替依頼データを送信して、さほ氏の口座にギャラが振り込まれることになります。
もちろん課内でも会計課でも、事前に決済を受けた支出負担行為書や契約書に記載された金額・相手名と、支出調書に記載された金額・相手名は照合されますので、「こっそり減額した金額で支払い」しようとしても「書類間不一致」でハネられます。
まあ、減額したとしてもガリレオさんへのキャンセル料の支払い手続きはされて無いので、予算が余るだけで意味ないんですけどね。
これで「事業」としては終わり、なんですが、担当の仕事はまだあります。
年度末の決算作業。決算書ができたら決算特別委員会の想定問答の作成。
翌年度に行われる部内監査((事業執行課の総括課が行う))、定期監査((外部から任命された弁護士や有識者の監査委員会の下部機関である監査事務局による、昨年度に誤った処理がなかったかの検査。支払関係は特に細かくチェックされる。こっそり書類書き換えとかしてもここでまずバレる。))、監査委員自らによる委員監査の監査資料作成や当日の対応。
もし予算に国庫補助金が入っていたら、補助金の実績報告書提出や受け入れ手続き、国の会計検査院による検査の受検((非常に細かく厳しい。ここで不適切な支出とされたら国庫補助金返還となり、返還金の予算確保のために予算流用手続や補正予算編成作業や議会対応が出てきて死ぬ))。来年度の補助金の事業計画や交付申請、等々・・・
と長々と説明してきましたが、帰宅してからずっと書いてて誰が読むんだこんなの。
役所の担当が持ってる事業は1つではありません。複数分野を担当していて分野ごとに複数の事業があります。
教室も1回で終わりではなく年間に何回かやるんでしょう。
教室開催ごとに講師をやってくれそうなマンガ家を探して、コンタクトを取って、ギャラ交渉して、日程調整して、契約して・・・
広さと場所が適した会場を探して、見積もりとって、後払い振込払いの了解もらって、予約(契約)して・・・
講師から教材データをもらって内容チェックして、コピー製本して必要部数を用意して、当日会場に教材持ち込んで様子を写真撮影して・・・
そして毎回ごとに講師と会場に②~④の予算執行・契約・支払手続きもせにゃいかんわけです。
ということで、役所がこの手のイベントをやる場合、教室・講師の手配などイベント開催をまるごと民間業者やNPO団体などに「業務委託」 Permalink | 記事への反応(0) | 21:42
中学校のあいつら。ギリギリ高校入学のお祝いに買ってもらえたガラケー(という呼び方もない時代)持って赤外線通信してメルアド交換しあったあいつら。もう何年も連絡をとってないあいつら。
高校のあいつら。ケータイ持ってるのは当たり前。赤外線通信しあった友情の入り口。まだLINEもTwitterもないときのお前ら。異性とのメルアド交換は部活の先輩が最初だった。ウブだった俺は先輩に童貞を奪われた。ような気がした。先輩は俺の恥部とも呼ぶべき「名字+名前+生年月日」という佐藤太郎なアドレスを先輩同士で俺の断りなく共有した。恥部拡散であった。拡散先のアドレスには「彼氏+Love+彼女+初キス(結合?)記念日」と思しきアドレスもあった。別れたらアドレス変えるのだろうかという俺の期待は虚しく卒業するまでその先輩のアドレスは変わらなかった。怒張した、あるいは豊満なそれを想起させかねない文字列を、その先輩が俺にメールを送るたびに見せびらかしてくるのであった。屈辱である。このような屈辱が、性の早期化に拍車をかけるのである。
大学のあいつら。・・・は、Twitterやら始まりつつあったのであまりメルアド交換せず、TwitterIDの共有がご挨拶となったが、さすがにサークルの連絡共有では未だにメールが現役だった。とはいえ、そのメールもPCからのメールへと移行した。学生一人ひとりにメールアドレスが交付されることで、学生と講師陣との円滑なコミュニケーションが期待されていたわけだ。この頃にはGmailも本格的に使い出す。ゼミの飲み会などはこちらを利用する。つまり、個人のガラケーのメルアドなどは、この時点で大して知る理由に乏しいというか、極めてプライベートなものになったのである。思い返せば私も自分から相手にメルアドを聞くことはしなかったはずだ。聞かれることもなかった。ちなみにこの年リーマン・ショックである。私は内定先を得られずに卒業することとなる。ゼミの仲間も半数は内定できずに卒業、留年、院進と歩を進める。
私がスマホを買ったのはこれから2年後の話である。長い付き合いだったが、昨日、突然再起動を繰り返すようになった。
・・・とまあ、このようにして蓄積されてきた私の青春の一部であったものが、昨夜、すべて失われた。厳密に言うとクラウドに移行しつつあった大学以降のメンバーのアドレスは直ぐにわかるのだが、それ以前、ネットが普及しつつあった時期のあいつらのアドレスなどはすべて取り戻せない。本日キャリアのショップに足を運び、考えた結果、データ復旧は無理という結論に達した。
基本的には、私が悪い。スマホを買った時点でバックアップを取るべきだったのだ。それを数年も疎かにした私のツケだ。
高校までに知り合ったあいつらもいい年だから、まあ半分以上は結婚し、出産もし、良い家庭を築いているのだろうし、当然俺の顔を覚えている奴は殆いないだろう。俺自身も、今町中であいつらを見かけても記憶と一致できる自信がない。近いようでいて、俺とあいつらはいつの間にかこんなにも遠いところまで来ていたのだ。あいつらも、俺に今更メールや電話を送ることも掛けることも全員がしないだろう。できないやつもいるはずだ。例えば私と同じコトになってバカを見たとか、例えば津波に飲まれて死んだとか。
だいたい、小学校の頃に知り合った友達はどいつもこいつもケータイのケも知らなかった。電話帳だ電話帳。学校で遊ぶ約束したら準備して直行。その場には必ずあいつらが来る。そしてあいつらとゲームボーイで遊ぶんだ。いや、もちろんサッカーもする。サッカーもするが、ポケモンをするんだ。ゲームは男女平等。小学生でサッカーとなると既に体力差が見えるが、ゲームでモノを言うのはサッカーとは別なところ。女子はゲームもするけど男子とサッカーしたがったから一緒に遊んだ。そこから女子の家にお邪魔したことも何度かある。
まったく、いい年していつまでこんなものに執着してるんだろう。新しい出会いの少なさもそうだが、社会人になってから会う者どこかみんな余所余所しいというか、皮を何枚も被ったかのような付き合いだ。いつしか私もそれを当然のこととして他人に仕掛けている節もある。こんな大人のなり方なんて、誰が望んだんだ?
正確には、そういう付き合いができる人がいないわけではないが、圧倒的に少なくなった。
また、あの頃のような付き合いがしたい。何もかもが瑞々しくて、眩しい。出会いばかりで別れのない幸運な日々。この生なら、飽きの来ない無限を謳歌できる。
どうして俺たちは、かつてのような付き合いができなくなったんだ?