はてなキーワード: 電子音とは
「ラストエンペラー」を観たことがある人なら分かると思う最終盤のシーン、ほんの一瞬だけど「アルプス一万尺」が流れる場面がある。
それまで何時間も、溥儀の逐われ釣られの生涯を見届けてきて、変わり果て誰もいなくなった紫禁城へ漸く“帰ってきた”溥儀と少年の関わり、筒から出てきたコロオギに幾らかの救いさえ見出されるようなクライマックスから一転、(公開当時の)現代に移り変わって最初に流れるのが、平べったい電子音の「アルプス一万尺」なのだ。
その音はガイドの女性が観光客を溥儀の玉座へ注目させるためにメガホン状の機械から流したものであり、2回ほど響いた後、彼女は溥儀の生年と、彼が最後の皇帝であったこと、そして没年について説明する。愛新覚羅溥儀の壮絶な生涯を見事に描写した大長編は、生きている彼に直接会ったことさえ無いであろう1人の女性が発する情感も何もない異国の電子音楽と、たった二言三言の解説だけであっさりと幕を閉じてしまう。
だけど、私はこのラストシーンが堪らなく好きだ。
人の生涯、歴史の中の出来事、それらのすべてには決してひと言では表せない様々な事象や感情が複雑に絡み合っているが、そういったことに直接関係ない立場からすれば、「○○年にこういうことがあった」「この人はこういう人だった」という程度にまで情報を押し潰すことはいくらだって可能なのである。数時間をかけて「ラストエンペラー」という映画は、観る人々にとって溥儀という男への感情移入を促し、決して赤の他人のままにさせない作りをしているくせに、自発的にそれまでのすべての時間をペシャンコにしてやるこの最後の一瞬だけで、まるで頭から氷水を浴びせられたような気にさせてくるのだ。
しかし、そうして冷えた頭の前に今度現れるのは、先ほどまで印象的なシーンを演出していた溥儀の玉座──主たる皇帝を喪い空っぽになったそれと、「ラストエンペラーのテーマ」なのである。劇中の様々なシーンで流れたフレーズを繋ぎ合わせたようなこの名曲は、主なき玉座を目にした時に初めて「愛新覚羅溥儀の生涯とその激動」を感覚的に突き付けるものとして完成するように思えてくる。
劇中の人々の中から彼ひとり分の人生が消えて見えなくなったとしても、スクリーンの目の前の人間の中に溥儀は確かに息づいている──あのラストシーンはそういった独特な感触を私に与えてくれるのだ。
「ラストエンペラー」にしかない読後感のようなものを味わうにあたり、そこへ至る物悲しさを得るために「アルプス一万尺」の能天気な音色とガイドの無感情な解説は無くてはならないものだと私は思っている。
たまたますれ違っただけの小学生が手遊びするのを見かける時、YouTubeの動画から偶然それが流れてくる時、或いは何の気なしに鼻歌として自分の中から出てくる時、私はその折々で「ラストエンペラー」のことをこれからも思い出し続けるのだろう。空っぽの玉座と、年老いた溥儀の微笑みを瞼の裏に映しながら……。
結局、子どもと遊ぶのが楽しいタイプと、子どもと遊ぶのが苦痛なタイプがいる
ヨッピーさんは多分前者だと思う 童心を忘れぬ元気いっぱい多動パーソンだ
世間の休日のお父さんは2時間ぐらい子どもと遊んでドヤってるかも知れないが、おそらくヨッピーさんは1日でも2日でも子どもと遊んで楽しめるタイプだ。それに対して休日のお父さんだというのは謂われない批判だと思う
そういう人が産休取れば、毎日のように子どもと新鮮な遊びをして楽しめたりするのだろう。母親でもそういうタイプはいる。体力あるアウトドア派かつ多動。
そういう人の「ハック」が、そうではないタイプには役に立たないというのはわからなくはない
自分は体力がなく字がいっぱいある本を過集中状態で何時間も読むのが楽しいパーソンだし、疲れやすく静かな場所で横になりたい。牧場なんていきたくない。
過集中型は元気いっぱいの乳幼児とかなり相性悪いと思う。子どもと遊ぶのは苦痛で退屈だ。
そんな時間があれば、新刊読みたいし、無限にネットサーフィンして他人の感想読みたいし、ブログに感想書きたい。
聴覚過敏とかも併発してると、子どもの嬌声とか狂ったように繰り返されるおもちゃの電子音が苦痛で仕方ない
なにより「子どもとすごす時間が苦痛だ!」と声を上げる親に対し、世間の風当たりは非常に強いというのも悩みを深くする
この解は一つしかなくて、子どもの預け先を作ることなので、預けましょう。以上としかいいようがない。
あとは、諦めるのも大事かも。成長するとかなり様子は変わってくるので、数年の我慢とも言えなくはない。
実際、子どもが読書できるようになってからは同じ本を読んで感想を共有できるようになり、親子関係は良好なので、過集中インドア派が育児に向かないということはないと思う。
推敲してないので途中で口調が変わるけれど許して。ブームが去る前に公開しておきたい。
2000~2001年の話です。そのとき生まれた娘は健康に育ち独立して離れた場所で生活。私は当時の夫とは娘が1際の時に離婚し、その後、娘の高校卒業と同時に別の相手と再婚しました。
前情報だけでおわかりの通り、産後の恨みが原因で離婚しました。そして産前から出産の時も含めて広い期間ダメダメだったので、『産後の恨み』どころか『出産前後およびその他諸々の恨み』が正しいかも。今はもう相手のことを恨んでいることはありませんが、それはスッパリと関係を断ち切ったからであり、今でも共同生活を送っていたなら、頭の中でグチグチと恨みを反芻させ骨髄に入るまで温存させていたでしょう。
当時の夫とはデキ婚でした。この時点で当時の自分を説教したいのですが二十歳そこそこの世間知らずの恋愛脳だった自分には、説教したところで、どんな言葉も右から左に貫通していったこと間違いなし。ほんとにしょうもない。体験して失敗しないと脳に染み込まない。本当のうえで理解したのは全部が終わって数年たったころだったと思う。相手もまた1歳年上の二十歳過ぎたばかりのペーペーです。
この時点でアカンと思うでしょ。私も書いてて「こりゃ、アカンわ」と思ってる。
とにかく妊娠をきっかけに結婚し、新居として安アパートを借り新生活開始。妊娠による体調不良であれよあれよと働けなくなり退職。
田舎だったこともあり『育休産休』という制度はあっても実際に取っている人が周りに居なかったため、辞める以外の選択肢があるなんてその時の自分には思いもよらなかった。男性だって明らかな労災でも自己負担で病院に行ったりしていたのが普通だったため、そういうものだと思ってました。
というより育休とる以前に、安定期入る前に何度も貧血を繰り返し、ホルモンバランスが崩れて顔・体全体にアトピーが出てしかも赤ちゃんのために薬も飲めず、肌がグルート(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーにでてくる木のやつ)みたいな見た目になって人前に出るのがまず精神的に無理になった。膿んで乾いたカサブタが、振り向くたび、お弁当を食べて大きく口を開くたびにこぼれてデスクの周りが汚れた。客前に出ることはおろか、お茶を淹れることも、書類仕事にも支障が出た。上司(女性)からはその都度迷惑そうに「もうお茶淹れなくていいから」「書類汚れてるので、長袖かつ手袋できないだろうか」「また貧血? もう帰ったら?」と言われた。
「働きたかったけれど、働けなくなった」という気持ちは微塵もなく、逃げ出すように退職して、もう人前に出なくて済むと思ったのが当時の心境。自分視点で書いてるから被害者っぽい書き方になっちゃうけれど、上司視点から見て私は困った対象だったと思う。ギリギリの人員で回している仕事を私の都合で滞らせていたので、迷惑だっただろうなと。当時は優しい言葉をかけて欲しかったけれど、求め過ぎな気がする。今、自分は同じ立場になって、昔の自分のために当事者に気遣いの言葉をかけるようにしている。
ホルモンバランスが不安定で誰にも会いたくない状態で病院通いだけしていたころ、夫の友人がお祝い持って当日にアポ無しで現れた。
こんな顔で人になんて会いたくなかった。しかし部屋が汚かったので、リビングに座ってもらいながら大急ぎで片付け、その周りの掃除機をかけた。すごく迷惑そうな顔をしていたと思う。夫友人が少しだけ話しをして申し訳無さそうにお祝いを置いて帰ったあと、夫には「せっかくお祝い持ってきてくれたのに」と小言を言われた。自分自身も申し訳ない気持ちになって落ち込み、具合が悪いからと部屋で休んだ。
8時過ぎに目が覚め、夕飯を用意してなかったことを思い出して、「ごめん、夕飯用意してなかった」とキッチンへ行った。夫は優しい気遣う声で「気にしなくていいよ。もう食べたから」と。シンクにはカレーヌードルの汁だけ入った箸の刺さった容器と、お湯を沸かしただけなのに、そこら中にお湯が飛び跳ねている状態になっていた。もちろん外装フィルムもそこに横たわっている。なんならストックしてないはずのパックご飯のカラもあったし、ゲームしてる夫の脇にはポテチもあった。コンビニで買ってきたのだ。そして私の夕飯はもちろん買ってきておらず。
その光景だけ見て、私は脱力し再び寝室に戻った。夫から「〇〇(私)の分どうする?」という言葉もなく、朝起きたら、ゴミはゴミのままそこにあった。私のことを気遣ってほしかったし、自分で出したゴミは自分で捨てて欲しかった。けれども、当時は言葉にするのも面倒で、ただ黙ってゴミを捨て、キッチンをキレイにしてから朝ご飯を作った。
夜の生活も続いていた。妊娠のある期間は中出しOKのボーナスタイムという知識はあったらしい。
それで妊娠はしないものの、出されたものがそのまま留まってくれるでもなく、しばらくして排出されたものをトイレで流す必要があって億劫だった。ゴムをしているときより滑りが良いと判断したのか、回を重ねるごとに前工程が雑になっていって辟易した。ついにはキス、胸、即挿入になってビックリした。今、書いてて不思議に思うけれどグルート肌の女を良く抱けたな。
そして臨月。お腹が大きくなって寝返りもうてなくなった。腰も痛いし、便秘になるし、車に乗れば車酔いするし、妊娠期間中は種類の違うあらゆる不調が手を変え品を変え一身に降り掛かった。体型が変わって服も替えなければならなかったが、幸いなことにホルモンも安定期に入ったらしくこの頃には、「ちょっと肌荒れが酷い人」くらいまで回復した。買い物している時、重い荷物など明らかに大変なものは持ってくれたが、かがむ必要がある軽いダンボールなどは放置され、お願いすると「これくらいでも?」と言われ、「これくらいでも」と返した。夫のぺったんこのお腹が恨めしかった。
そして出産。予定日になっても生まれず、あらかじめ病院に入院して陣痛促進剤を打って臨む運びとなった。前もって出産日がわかるというのはありがたい。夫は有給をとって分娩直前まで一緒に居てくれることとなった。(立ち会い出産は断られていた。このころ周囲でもテレビでも今のように「立ち会いがむしろデフォルト」のような時代でもなかったので、そういうものかと受け入れていた)
朝一番から付き添ってくれるハズが夫は来なかった。夫が居なくても処置は進む。促進剤を入れ、やがてジワジワと兆しらしい変化が現れ、そして昼過ぎには痛みは最高潮。それが夕方まで続いた。
夫が現れたのは14時過ぎ。あとで聞いたところ朝方までゲームしていて寝過ごしたそう。出産までの陣痛マックスの時も夫は病室の隅っこの椅子にちょこんと座り、手を握ることもしてくれなかった。原因不明で子どもの心音がとまり、慌ただしく右往左往する先生や助産師さんの邪魔にならないようにしたかったのかも。メチャメチャ苦しがってる私に何をすればいいのかわからなかったのかもしれない。夫は部屋の隅で怯えていた。
原因不明の心停止は、あるとき突然原因不明のまま復活。そして分娩。生まれた。
いざ、産み落とす!となった瞬間から急に助産師さんが鬼軍曹になって叱咤してきて、まじでビビった。命に関わることなので、それくらい追い立てなきゃスムーズにことが運ばないんだと思う。それは出産後の入院時期にも続き。いろんな助産師さんがいる中で、比較的若い人は穏やかに、経験値の高そうな人ほど厳しくビシビシと授乳や寝かしつけ、沐浴などの指導がされた。(そして点滴やらおっぱいマッサージやらは、そういう厳しい人ほど巧い) 結婚する以前までは、自分の目指すべきところは『プリンセス』にぼんやり置いていたけれど、出産した直後からは『ソルジャー』になることを求められた。そうしないと子供が死んでしまう。強く賢く逞しくならないといけない。生まれたての弱々しい我が子を抱いて、自分の目がカッと見開いたような気持ちになった。
入院中、夫はあまり見舞いに来なかった。義両親が来た時に案内して少し話してすぐ帰宅。2~3週間の入院期間の内、来たのは3回くらい。夫が毎日会社帰りに寄って、面会時間ギリギリまで一緒にいる同室の夫婦たちを眺めていたので羨ましかった。
退院の数日前、夫に「◯日の◯時に、車で迎えてにきて欲しい」とお願いしたら、「出産日に休んだので、会社に申し訳なくてもう休めない」と言われた。は? 真冬に、新生児を抱えて、2週間分の入院の荷物と、これからのためにと持たされたオムツやら何やらを一人で家に持ち帰れと???? 私、ついこの間、股が裂けて縫っているので、重い荷物とか持って踏ん張れないんですけど?
退院日なんて入院する前から決まってた。しかも出産日に休みをとったって、お前現れたの午後じゃん! ゲームして寝坊してきて、来たあとも全っっっっ然、役に立たなかったじゃん! 実際の処置は医療者じゃなきゃ無理にしても、励ましの言葉もかけてくれなかったじゃん。さすがにキレて怒った。そしたらキレ返された。「お前に俺の何がわかる!」
全然わからない。苗字も体調も体型も仕事も生活も変わらず、私がこれまで持っていて失ったものをほとんど失わず、健康体で子供のことを気にせず働けて、余った時間でゲームを楽しめる人の気持なんて何一つ。
結局、退院日は母にバスで来てもらい、帰りはタクシーを使った。
帰宅後、愕然とした。部屋が寒かった。お互い地元で結婚し、新居を構えたのでそれぞれの実家が近い。私の入院中、夫は実家に帰ってご飯を食べそのまま寝泊まりをキメていた。人の住まない北国の部屋はひときわ寒い。そしてうっすらとそこら中に積もった埃。休日は家でゲームを過ごしていたらしい場所だけ埃はなく、人型にそこだけ綺麗だった。ゲームもドライヤーもコップも出しっぱなし。何かあればうっかり死んでしまう新生児が私の腕の中に居た。「赤ん坊をウィルスから守って」と言われた退院していた。ストーブを焚き、母に子供をみてもらいながらそこら中を掃除をした。この件に関しては怒ったら素直に反省してくれた。キレ返さないだけでも嬉しかったのを覚えている。
さて、ここから季節が変わるまで記憶が定かじゃない。どうやって新生児期を乗り越えたのかとんと思い出せない。若くして子供を産んだこともあり、体力があった。「母親になった。子供を死なせちゃいけない」という、これまでにないプレッシャーにアドレナリンみたいなものがドバドバ出ていたと思う。夜泣きも平気だったし、数時間おきの授乳も辛いとは思いながらも、病院で指示されたとおりにやれた。私は助産師さんからの指導の甲斐あって『ソルジャー』にクラスチェンジしてたのだ。ある時、友人に誘われコートを着て買い物に出たら、「え、なんで暑いの? 空気が張り詰めてなくて穏やかなんですけど!!?」となって春の訪れを知った。
夫は沐浴とか『これは父親の役割』という分かりやすいことはやってくれた。混合で育てていたので、哺乳瓶での授乳もお願いすれば嫌な顔せずやってくれたし。夜泣き対応も、私の腕が限界になればやってくれた。当時はありがたいと思っていたけれど、今の価値観だと足りてないですね。
ある時、子供に急な発熱があって、でも保険証は夫のカバンに入っていたため、職場に行って受け取り、その足で病院に行こうとした。夫の職場で子供を抱えながら自己紹介し、夫を呼び出すようお願いしたら「この一週間、無断欠勤してます」と。
夫には結婚前から借金があった。遊ぶ金欲しさにどうするアイフルしていたのが発端。会社に返済催促の電話がかかってきて、そこから居づらくなって行ってないと言う。どうして黙っていたのかと問いただしたら「◯◯(私)や、生まれてくる子供のことを考えたら言えなかった。二人を幸せにしないと……と思って、隠し通さなきゃと頑張ってた」と。当時、ニュースで取り上げられてた多重債務の地獄に落ちていた。闇金だ。
それから義両親も巻き込んで話し合い、アパートは引き払って夫の実家で暮らすことになった。生まれて半年くらいの子供は私の実家に預けて私もパートに出た。
この時、社会問題化していたものの、今のように銀行は個人ローンはお断り(家や車を買うのや学資はOK。債務の一本化などは受け付けられませんと審査すらしてもらえなかった)、弁護士が『債務整理承ります!』と宣伝打つようになるのも、もっと何年も先の話。家族ぐるみでひたすらその月、その月の返済に追われた。
正直、アパートでのほぼ子供と二人きりのような暮らしに飽き始めていたので社会に出られることはありがたかった。新生児がいては気軽に出かけられず、夫は帰宅して夕飯を食べたら即ゲーム。こちらから話しかけないと会話が始まらないことがストレスだった。今のようにスマホがあったわけでもなく、重いデスクトップPCを起動して、ピーヒャラーと電子音ならしてネットに繋いでいた時代。世間とのつながりはほぼテレビで感じていた。『ダサいダンナ改造計画』とか、今となっては炎上しそうな内容ですら、貴重な娯楽となっていた。もともとソロ活が得意な方だったものの、自分から一人で過ごすのと、強制的に社会から断絶させられるのとは違う。いつの間にか「外で働きたい人」になっていた。もちろん、子どもは可愛かったけれど、ほとんど寝るか泣くかご飯を食べるかの暮らしで、コミュニケーションが取れるようになるのはもう少し先だった。
それと専業主婦の立場に居心地悪さも感じていた。自分のお金で稼いだものじゃないので、ちょっとしたおやつや趣味の雑誌を買うのも躊躇していたのだ。
自分の稼いだお金で子供の服を買ったときにちょっと感動すらしてしまった。結婚前は当たり前だったのに、自分の稼ぎで必要なものを買うことの『当たり前』に『誇らしさ』がオマケでついてきた。とはいえ、結局稼ぎの殆どは夫の借金返済に充てられていたのだが。
あと外に働きに出て、ある程度自分の裁量で物事を決め、今後の見通しが立てやすい作業は子育てに比べてとてもやりやすかった。
そして夫実家で近居の義兄からこっぴどく叱られたことがあった。義兄もまた夫の作った借金のため金策に励み、会社をクビになった夫の働き口を探してくれていたのだ。それを知らず、夫婦で食材の買い物に行き、やってきた義兄に対して、義父が『二人で遊びに出かけてる』と伝え、激怒された。
こっちが苦労して東奔西走している間に、遊びに行くとは何事だと。家庭を持つことに対する自覚がなさ過ぎると。
遊びに行ってたわけではないのだが、自覚がないというのは最もだ。もっと『夫を』怒ってくれ……と思っていたら、私も一緒に叱られた。夫が私に黙ってこさえた借金は、親子三人の生活費にも使われていたため、周囲から見れば私も同罪だったのだ。今となっては「それはそう」と思うけれど、その当時の自分にとっては「そうなの?」という気持ちでいっぱいだった。私は自覚のないまま、分をわきまえない借金をこさえた大馬鹿者になっていたことにこのときようやく気付いた。一緒に買物に行って、私のカバンに商品を入れて万引きした絶縁した友達を思い出した。夫は私が叱られている間、ずっと「カミナリがこちらに降りかかりませんように」と空気になっていた。義兄の帰宅後もフォローはまったくなかった。この時、夫の中では「お前のせいで借金が膨らんだ」と思われていたのだ。
その後も夫は新しい職場でもうまくいかず、家出もした。もうこの頃には「怒って詰めたら、話し合いまで発展しない」と分かっていたので、諭すようにこれからのことを話した。……が、「もう無理。人間はそんな簡単に変わらない」と弱音しか吐かなくなり、ついには「お前、変わったよな」と言われた。私は出産をキッカケに『ソルジャー』になった。しかし夫はまだ私に『プリンセス』を求めていた。
家出中に何をしていたのか、今後のために携帯のチェックをさせてもらったら、出会い系に登録していた。この頃は『メル友募集』とかそういうヤツだ。実際に出会うところまではいってなかったけれど、出会おうとしているところまでは確認した。夫は自分を慰めてくれる『プリンセス』を探していた。
そこからは自分の実家を頼り、出戻ってお互いの両親を交えて話し合い。養育費が払えるとは到底思えなかったので、最初から請求せず。代わりに面会もさせない運びとなった。夫はその頃にはもうとにかく「自分だけがかわいそう。この世のすべてが自分を傷つけにくる敵」みたいな状態に陥っていたので、子供に執着もなく揉めることはなかった。生活の中で新しく二人で買った家電や生活雑貨はすべてこちらで引き取ることとなった。ほとんどは私の独身時代の貯金から出していたので異論はでなかった。しかしプレステ2だけは譲ってくれなかった。それくらいの執着を私と娘にも向けてほしかったと思う。
若気の至りで周囲の人に迷惑をかけた。その恩返しではないけれどやがて訪れた実父の闘病生活はできる限り付き添い、実父が亡くなり一人暮らしになった実母にも、今も頻繁に実家を訪れ日常の買い物や困り事を解決したりしている。(義父除く)義実家は一緒に暮らしている間によくしてくれたので、今でも申し訳ないと思っている。孫の成長も見せたかったが、連絡を取らない取り決めに巻き込んで会わせていない。
いろいろ私視点から書いたので夫の言い分もあると思う。振り返ると二十歳過ぎたばかりのアンチャンには荷が重すぎたとも思う。
夫には良いところももちろんあったし、私にも至らない点が多々あった。さらに離婚することで借金から逃げたとも言えるし、今の価値観で判断すると、子どものために養育費は請求するべきだったかもしれない。
長々と書き綴ったアレコレもそれぞれが離婚の原因にはなったものの今となっては大方許せる。時が経てば大抵のことはどうでも良くなるし、人を恨み続けるほどの胆力は、その後のシングルマザー人生で別のところで必要になったため雲散霧消した。
でもそれでも出産日に寝坊して遅刻してきて退院の時に迎えに来てくれなかったうえ逆ギレしてきたことと、借金を隠して、さらにその理由に「私と娘のため」と発言したことは、今でも絶対許さないと思っている。
Residence of Soulという曲が好きで20年程聴いている
おそらく私はこの曲が人類史上で最も、そして宇宙一、好きな人間でありそれだけ聴いた人間である、この先の時代もそれが覆されることはないだろう・・・と思っている
客観的なデータは一切ないが、そう言いたくなるくらいこの曲が好きで聴いている。
これほど美しさとノリの良さが融合した曲は知らない。和楽器と電子音が和風SF感を出している。
私にとってこの曲は他の曲とは位置が違う。
どれだけ好きな曲でもそのうち聴く事は減っていくが、この曲だけは飽きない。
一日で聴きまくっても次の日にはまた聴ける。10年先も20年先も聴ける、その点で特別すぎる。
この曲はもともとはRASETSU 2~羅刹 弐というゲームの戦闘曲だった。
20年前の2004年の恐らく8月だと思うが、RASETSU 2~羅刹 弐の体験版を遊んだとき、この曲を気に入った。そして体験版のフォルダから当該のファイル(ファイル名はM-3だったはず)を取り出し聴いていたのだった。当時はこの曲をずっと将来まで聴くとは想像していなかったが。
それからPCが変わったり再生するソフトが変わったり、家の外に持ち出す機器が変わるなどしたがこの曲は聴いている。
2008年、RASETSU 2~羅刹 弐 (普及版)が発売された。これにはサントラCDが同梱されていた。
親が忙しくて家にいないし友達も居ないから10歳くらいまではず〜っとテレビ見てた
流石に飽きてきた頃にPCを購入してからはニコニコと2chその後はYoutube
その後もメンヘラ界隈行ったりvineやtiktokみたいな非オタクコミュ行ったり
電子音声実況見たり作ったり絵描いたり
春から1年生タグ使って大学のコミュに忍び込んだり(1年生のツイッターはネットハマりたてのユーモアや目立ちたがり、バチバチのノロケが居て面白い)
MMOやったりソシャゲしたりwiiやPS4でいっぱいゲームしたり
アンチフェミやったりネットの論争(笑)に参加したり炎上に怒ったり
色々したけど
飽きた
Youtubeの動画、最後まで見てるはずなのに動画内容を一切覚えていない、脳が記憶することを拒否してる
助けてくれ、友達少なかったけどずっとネットアニメゲームテレビで何となく人生楽しめると思ってた
どうすれば良いですか?
例えばキッチンで料理している設定で、レンジのピーとかピピッとかを流すやつね。
そんな音が聞こえたら、車の警告音かと思って絶対に一度はメーター見ちゃうんだよね。
車の運転を阻害しないようにだったりの配慮が為されていると思うんだ。
もしかしたらベテランのラジオCM作成者にとっては当然のことなのかもしれない
しかしながらたまーにその”ながら聞き”に対して無配慮なラジオCMが現れる
そのCM作成者はコンマ1秒でも運転を阻害していることを自覚してくれないかな
そして、事故はそのコンマ1秒でも注意を逸らした瞬間に起こってしまうものなのだから
そういう症状は経験ないから参考にはならんかもしれんけど……パニックなら経験がある。
急に襲いかかってくるパニックに、だましだまし自分で対処してきたけど「大事なのは視点を逸らしてやる事」だった。テレビを大音量で流してみたり、アニメの泣けるシーンをみて号泣したり。泣くのはかなりいい。
で、あと、いまでもパニックの兆候が現れたり、パニックではないが寝る時等に不安定な思考がおさまらなくなった時とかに利用してて、個人的に結構効いていると思っているのが、ソルフェジオ周波数。
各周波数についてる副題がうさんくさすぎるから敬遠されそうだが、おれにはよく効くのよなぁ。特に、短音の電子音のやつ。
どの周波数がいいか、とか、電子音かもっとヒーリングミュージックっぽい方がいいか、とかは個人によって違うだろうから興味あったらYouTubeに色々あるから、聴いてみるのもいいかもよー。
効かないかもしれないけど、参考までにっ。
1年ぐらい前、依存症から抜け出さざるを得なくなって離脱症状に苦しんでた。
頭の中が曖昧で何も食べられずストレスで眠れなくなって、だからあらゆることができなくなった。
そんな中で布団に籠ってずっと聞いてた曲があった。
箱の中の音楽が広大な空の向こうに流れていく感覚が好きで、元々ストリングス入ってる曲が好みだった。
鬱(病名ではない)の真っ只中現実逃避するみたいに、希望に満ち溢れた歌詞をずっと耳から入れていた。
歌詞が現状に合うとかじゃない、もっと物語じみた綺麗な感じの奴。ただ端々からそういう綺麗な物語を取り入れて忘れようとしていた。
その当時を思い出すみたいで嫌だったからしばらく聞いてなかったけど、改めて聞いてみたら体が覚えている。
やっぱり歌詞というより旋律の方が深く刺さっていて、その電子音とストリングスを聞く度涙が出そうになる。ベッドの中で死んでいた時を思い出すし、朝3時に眠らなきゃと念じていたことも思い出した。
キャッシュレス決済アプリの残高が心もとない程度の金額だったため、仕事前にコンビニへ立ち寄った
こういう時に銀行口座やクレジットカードとの連携操作を面倒くさがって疎かにした自分に腹が立つものだ
コンビニに着くと2台設置されたATMに4名の先客が列を作っていた
いつもならここで店を出て別のコンビニへと向かうのだが、時間に若干の余裕があったため雑誌を立ち読みながらATMが空くのを待った
そういえば紙の雑誌は久しぶりに触ったような気がするなと思いながらATMの方向を見ると、並びは2名まで減っていた
耳をそば立てながら目は再び誌面に落とす
紙幣をカウントする動作音のあと、現金が出てくる際の軽快な電子音が聞こえた
そろそろ列に並ぼうかと雑誌を棚に戻し、スマホのATMチャージ画面を開きながら残り1名まで減った待機の列に並んだ
その時、「コンコン、コンコンコン」とノックのような音が聞こえた
音のした方向に目を向けると、先ほどまで自分が本を立ち読んでいた場所のガラスを隔てた外に、少しつばが大きい帽子を被った女性がガラスを叩いていた
ダラダラと過ごしていた学生時代、やる気のない日々を埋めるように酒を飲み笑い合い肌を重ねる生活を半年ほどともにした
ある日、「新しい夢ができた。迷惑をかけるかもしれないから、これでおしまい」とかなり意味深な別れ言葉を残して消えた
目標もなくなんとなくその日を暮らしていた自分にはない将来のビジョンを見つけたのか、それともほかにいい男を見つけたのか、突然の別れに3週間は悲しんだ記憶がある
ガラス越しに目が会うとあの頃と同じ屈託のない笑顔でニパッと笑った
釣られてこちらもニコッと応じたつもりがニヤッと気持ち悪い顔をしてしまった
その時、ATMの順番が来た
ガラス越しの彼女に「ちょっと待ってね」というジェスチャーをすると、彼女も何か察したように指でOKマークを作ってくれた
財布から紙幣を取り出し投入、明細を受け取り財布にねじ込みチャージされた残高を確認しながら店の外に出た
店を出てすぐ左を向くがすでに彼女の姿はなかった
ちょっと待ってねに対してOKしてくれたと思っていたが、彼女がいたあたりで周囲を見回してみても影もない
あの日、彼女が急に消えた時のことがフラッシュバックして涙がじんわりと浮かんできた
「やっぱり!」
懐かしい声と当時に背後から尻を鷲掴みにされた
「お店の前を通った時に立ち読みしてるの見えてさー」
「すぐ気づいてくれた?わかった?」
試すかのように顔を下から覗いてくる仕草も好きだったなと思い出した
あの日のことや新しい夢のことは結局聞けなかったが、左手を右手で覆いいっせーのーでと薬指を見せ合い、お互い指輪がないことを笑い合った
食事が済み食後のコーヒーもカップの底に少し残るほどになった頃、「じゃあそろそろ行こっか」と二人並んで席を立った
連絡先は変わってないかな、今どこあたりに住んでるのかな、夢は叶ったのかな、もう会えないのかな
聞きたいことや言いたいことが渦巻いて、それでもあと一歩踏み出せずに声にすることができなかった
会計へ向かいでスマホを差し出すと、横では彼女も同じようにスマホを準備していたが、店員に「一緒でいいです」と告げ、朝にチャージした残高で支払った
「えへ、ありがと」とあの頃と変わらない仕草でお礼をいう彼女へ向けた笑顔はきっとぎこちなかっただろう
前のものは容量が小さく乾燥機能がなかったから、雨が続くとコインランドリーへ行ったり部屋干しで臭いがついたりと大変だった
もちろんそのつもりだと紙の雑誌を机に置き、洗濯機の蓋を開ける
彼女のブラはそのままで、私のブラだけはいつも洗濯ネットに入れてくれる
そういえば未だにキャッシュレス決済アプリに銀行口座を連携していなかった
あとで彼女に聞きながら設定しよう
正直、嫌いなもんはしょうがないと思うよほんと。
私はちょっと聴覚過敏気味で、ちょっとした音が不快に響くことよくあるので気持ちは少しわかる。
例えば、スマホアプリで遊んでいる時に、画面を連打するのだが、その時にことさら「コンコンコンコンコン」と、大きな音を立てて指先で連打する家族がひとりいる。
凄まじく不快で頭に響く。
だが、言っても理解はされない。
「こまかいことでうるさい奴」
とでも言いたげな目で見られておしまい。
なので、さっさとその場を離れるか、どうしようもないときは耳栓を使用したりしていた。
もうね、こればっかりは仕方ない。身内なら話し合うこともできるだろうが、よそ様の子供さんとかだとねー。
私はまだ、子供はかわいいと思える方なのでなんとかなるが、急な叫び声とかはなかなかつらいものもある。
正直、仕方ないと思いちゃんと抑え込んでいるのは偉いと思うよ。不快な音がつらいときは逃げるか、イヤホンで何か好きな曲か、意外に効果があったのが特定周波数の電子音とかを聞くと、苦痛感が少し落ち着いたりした。
まぁ、なんとかそういう自分と付き合いながら凌いで生きて行こうさー。お互いに。
わかる。
うちも子供いるけど、音のなるおもちゃ全般イヤだったから、姑とかからもらっても全部音の出るユニット部分を破壊して子供に渡してた。
特に、音程狂った電子音が出るおもちゃと、変なピコピコ音が出る小物類が全体的にダメだったんだよね。
で、自分が子ども好きか嫌いかというと全体的には嫌いなほうだけど、人間全般に範囲を広げたって、好きか嫌いかというとどっちかというと嫌い気味なんだよ。
だけど、まあ身内や友達には愛情ある。同じような感じで子どもと付き合うことはできた。「可愛くなる」というよりは「身内だな」って感じになった。
ピカブイから最新のアルセウスまで書きます。主に第八世代を追記修正しました。
第三世代~第五世代:anond:20220812150701
第六世代~第七世代:anond:20220812184049
第七世代と第八世代の間に発売された「ポケットモンスター Let's Go! ピカチュウ・Let's Go! イーブイ」のことを
便宜上7.5世代と呼ぶ人もいる。ピカブイ限りのシステムもあるので参考程度に書く。
今作からイーブイの声が悠木碧のものになった。これは第八世代でも継続される。
ピカブイは一応初代のピカチュウバージョンをリメイクしたゲームという体裁だが
ポケモンGOとの連動を強く意識したゲームで、システムにもポケモンGOの影響がある。
ポケモンGOではポケモンを博士の研究所に送ったときにもらえるアメでポケモンを強化するが、
ピカブイでも同じようにアメをもらえ、ポケモンをレベルとは別に強化できる。
これは本編では導入されなかったが、第八世代では経験値アメという似て非なるアイテムが導入された。
ポケモンGOでのポケモンゲットはタッチパネルを使ってボールを投げるの方式だったが、
ピカブイではSwitchのJoy-Conを使って投げる動作を行うこともできる。
でも面倒なのでSwitchの携帯モードでボタンを押す方式のゲット方式にする人が多いと思う。
今まではポケモンセンターに行かなければパーティを編成できなかったが、
ピカブイではポケモンセンター外でもポケモンの入れ替えが可能になった。
メガシンカとZワザが廃止された代わりに導入された戦闘中1度だけ使える特殊システム。
ポケモンが数ターン巨大化して、その間はわざも「ダイマックスわざ」に変化する。
どのポケモンで、どのタイミングでダイマックスを切るかという駆け引きは結構好評だったと思う。
また、ポケモンによっては「キョダイマックス」という特別なすがたに変化して、
わざも通常のダイマックスわざとは違う「キョダイマックスわざ」を使うことができる。
今回はエメラルド・プラチナやウルトラサンムーンのようなマイナーチェンジは発売されなかったが、
その代わりに有償の追加ダウンロードコンテンツとして「鎧の孤島」と「冠の雪原」が遊べるようになった。
前回のウルトラサンムーンが「DLCみたいな内容なのにフルプライスなのはおかしい」と言われていたし、
料金も2000円ちょっとで以前と比べてかなり良心的になったと個人的には思う。
ガラル地方にはワイルドエリアというオープンワールド風フィールドがある。
ポケモンもシンボルエンカウントとなったがあくまでオープンワールド「風」なので
別にポケモンに襲われて死ぬ事は無い。後述のアルセウスでは死ぬ。
ワイルドエリアにあるポケモンの巣から光の柱が出ているときに、
倒せばそのポケモンを捕まえるチャンスが与えられ、またいろんなアイテムも手に入る。
これがまた大縄飛びを面倒臭くしたようなゲームで、正直面白くなかったんだよね…
DLC「冠の雪原」で歴代の伝説のポケモンと出会うチャンスもあるダイマックスアドベンチャーも追加された。
例えばルビサファで初登場した「マッスグマ」にはガラルのすがたがあるけれど、
そこからさらに「タチフサグマ」というポケモンに進化するようになった。
つまり従来のマッスグマには進化が与えられないわけだ…そこはちょっと悲しいね。
ちなみに伝説のポケモンのリージョンフォームが登場したのも第八世代で、
初代に登場したファイヤー・サンダー・フリーザーのリージョンフォームが登場した。
サンムーンまでに809種類ものポケモンが追加されてしまったので、いよいよ限界が来てしまった。
ポケモンは開発期間がビジネス上の都合で制約がある(ゼルダのように4年も5年も開発期間を裂けられない)ため
全てのポケモンを新しい作品に連れて行くことは今後できないという話だ。
例えばサンムーンで初登場した「ネッコアラ」は最新作の剣盾やアルセウスには連れて行けない。
ただ、リストラされてもポケモンHOMEのようなクラウドサービスには残せておけるため
今後リストラされたポケモンが復活するまでHOMEで寝かせることはできる。
とくせいパッチを使用するとポケモンのとくせいを隠れとくせいに変更できるようになった。
また、ミントで性格のステータス補正を別の性格のものに変更できるようになった。
これらによって厳選難易度が落ちた。
正直、とくせいパッチにしろミントにしろもっと早く実装して欲しかった要素だ。
俺はそういうの疲れちゃったからポケマスやってるよ。
わざレコードはマックスレイドバトルなどで手に入れることができる。
「Pokémon LEGENDS アルセウス」は今のところポケモン本編最新作だが、
従来のシリーズとは大きく違っているため便宜的に8.5世代とする。
次回作のスカーレット・バイオレットでも電子音が継続されるらしい。
なんと今回はポケモンと戦闘に入るまでが3Dアクションとなっている。
モンスターボールを自分で狙って捕まえられ、相手が気づかないうちに遠くから狙い獲ることもできる。
ただしポケモンもプレイヤーを襲うし、プレイヤーの体力が尽きると持っていたアイテムをフィールドに落としてしまう。
ヒスイで最初に出会うラベン博士も「ポケモンは怖い生き物です!」と言っている。
オヤブンと呼ばれるオーラをまとったポケモンは特に強く、プレイヤーにはかいこうせんを撃ってくるものもいる。
ポケモンを逃がしたり捕まえたりすると通称ガンバリアイテムと呼ばれるアイテムをもらえる。
今作のポケモンにはガンバレベルという個体値的なパラメータが設定されているのだけれど、
ガンバレベルはガンバリアイテムを与えていくと最終的にMAX(10)まで上昇する。
従来の個体値や努力値(ポケモンを倒すと取得できるいわゆる基礎ポイント)を統合させたような仕組みで、
今後はこれでもういいんじゃねえかという気持ちになってくる。
他にもいろいろあるけど、正直書き切れないわ。勘弁してくれ。