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2019-03-17

ブルセラ老害会議報告!その5

おととい友人のシェアハウス跡地での会議に招かれたので参加してみた。会議と言っても只の飲み会である。友人のブルドッグマン京セラ師匠の二人が最初に始めたブルドッグセラ会議らしいが残念ながらシェアハウス終了に伴い師匠実家京都に帰ったとの事で始まりの詳細は不明だ。

兎に角話す事だ!ブルドッグいわくそんな内容だ。良く話すと老害という点数が貰え最高点は5点でありS氏がゲットに成功した。話しの内容は最近S氏は眠りにくいのでその対策として寝る前にピエール瀧体操動画を流しながら寝ていると子守歌がわりになる…というたわいのない話である

まあ今週に入り色々と集まりを見せてもらったが一人で考え込まず話すと言う事は効果があるようだ。S氏も言い出せない事もあったようだがだいぶ顔色が良くなっていた。

さて次の文章は長くなりそうなので手短にて失礼する。

2019-01-18

子守歌を歌いながらゆっくり時間をかけて手コキしてくれるサービスはないだろうか

2018-11-28

中学3年まで特別支援学級だった自閉症児の息子が大学合格した

 参考になるか知らないが、適当に綴ることにする。

 語尾がバラバラなのは許せ。(気が向いたら編集するが)

まずは生い立ちから

 3歳になっても言語を全く話せず、クレーン動作を始めとした典型的自閉症状を示していたため、児童センターを介して専門機関受診したところ、聴力も問題なく知的障害自閉症)との確定診断。

 そのまま知的障害者の扱い(療育手帳交付)。

 応募した私立保育園には全て断られたものの、自宅から少し離れた市立保育園へ無事入園

 「知的障害児」ということで、ほぼ専任のような保育士さんを増員していただき、時々奇声を上げて脱出を企むながらも、最後まで追い出されることなく何とか卒園

 保育園の間は、ずっと会話は不成立。

まずテレビを捨てました。

 3歳でビデオデッキ操作(VHSカセットの交換・スロー再生・逆再生等々)をマスターしていたものの、毎日テレビの前でビデオ操作しながら、全く同じシーンを延々繰り返しながら奇声を上げて踊ってる有様。

 確か「お母さんと一緒」のビデオだったと思いますが、キメのポーズのところで一緒にキメて、そりゃ見てて可愛いわけですが、親からの会話は理解できていない。

 テレビに映った、いわゆる芸人さんの笑いを(意味も分かってないくせに)オウム返しし始めたあたりで、これはヤバいと感じ、(当人は知らない)裏のコンセントをコッソリ抜いて「テレビさん壊れちゃったみたい」ってやってやりました。

 しばらくは寂しそうにしていたのですが、何ヶ月かしたら、直ったか試すこともしなくなったので、未練がなくなったのだろうとテレビごと廃棄。

 たしか4歳か5歳の頃だったと思いますが、この時から自宅からテレビがなくなりラジオだけの生活になりました。寝る時に子守歌かわりの童謡CDを流す習慣にしていたのですが、高校1年くらいまでは寝る時に自分操作して鳴らしてましたね。(ずっと川の字です)

 テレビがなくなると空いた時間を埋めるべく、絵本をめくったり、オモチャを手にしたり、パソコンに興味を示したりするようになりました。テレビは捨てて正解だったと今でも確信しています。(モニターDVDは視聴可)

小学校先生に恵まれました

 発語はあるが会話は成立しないのですから小学校は当然にしてストレート特別支援学級です。

 集団登校には親の同伴を求められたので、6年間ずっと同伴通学でした。(とは言え、後半は列の後方から見守る程度ですが)

 「環境の変化」と「予想しない事態」に極度のストレスを感じるのが自閉症児の特徴なのですが、特別支援学級の1年生~5年生まで、担当教諭の異動がなかったことが幸運安心すると精神状態が落ち着くんですね。

 特別支援学級教諭って、ナニかワケありで左遷ポストみたいな雰囲気があると思うんですが、1年生~5年生まで担当して下さった教諭は全く違ってました。

 言葉で書き尽くせないのですが、自閉症児では健常児以上に苦手なところが多いのですが、無理矢理に克服させようと正面突破させるのでなく、苦手なところを避けて歩く方法みたいなことを息子に伝授してくれたように感じます

 予期しないことが起きるとパニックに陥って奇行が始まるのですが、先に予定が分かっていて、その予定どおりに進行すればパニックは起きにくく、そういう特性最初から見抜いて下さって、本当に上手に導いて下さいました。

 伊藤先生、今でも感謝しきりです。(年賀状は欠かさず(息子に)出させてます

ほぼ毎週のように外出しました

 息子にはとにかく外界からの刺激が必要だと思って、ほぼ毎週、公園だの何だの、とにかく外へ連れ出しました。200キロ距離にある実家へは毎月通ったり、とにかく土日2日とも家に籠もっていたことは年に数えるほどだろ、という位に連れ出しました。

 電車が好きだったので、環状線一周(全ての駅で降りて看板写真を撮る)みたいな、そんなオタッキーなこと喜ぶ児童がいるのか?みたいなことやってました。時効から打ち明けますが、1区分切符でずいぶんと遠回りさせて頂いたこともあります

 地名や駅名とかはすぐに覚えましたね。

 実家へは(下道で行くと)幾つものトンネルをくぐるのですが「このトンネル最後」みたいなこと言ったり、いついつにこういうことがあった、みたいな何年も前のことを年月日まで揃えて呟いたり、とにかく記憶力だけは半端ない

 ちなみに息子と年子の妹(健常児)がいるのですが、彼女存在も大きかったように思います。友だちのいない息子にとって、唯一の同年代の子どもが妹だったのですから

 特に小さい頃の妹は兄の障害のことが分からないので、時々は手を繋いだり引っ張ったり(兄のほうは照れて逃げ回ったり)、それはそれは友だちのように接してくれたのですから

JRウォーキング企画に連れ出しました

 家族での外出のほか、JR沿線企画するウォーキングに猛烈に参加しました。

 参加するとスタンプが貰えるのですが、有効期限内にフルコンプリートして最上位の景品を貰えるくらい、1級障害者じゃないので運賃は安くならず、相当お金はかかりましたが。

 他の子達と同様、かならず電車最前列に張り付いて、運転手さんの呟き(点呼)をオウム返し。運転席に手が届くような、どこぞのローカル線に乗った時は、運転手さんが息子の点呼(出発シンコー)に合わせてマスコン操作してくれたりで、電車が大好きになったようです。

 あと英語ナレーションも覚えたみたいで、英語が流れないローカル線でも自分英語で This train ・・・ Bound for ××× Thank you! って大きな声で「通訳」すると、周囲の大人が褒めるもんだから、より調子に乗って・・・みたいな。

 10キロとかの健脚向けコースに参加しているときなんかは、おばちゃん達が「小さいのに偉いねぇ~」って飴ちゃんくれたりするものの、会話が成立しない(がんばって1往復)うえに当人は飴なるものを口に入れたがらず。

 食へのこだわりが強烈で、少しでも怪しいものは決して口に運びません。妥協なんてありえないのです。

パソコンに息子用のアカウントユーザー権限)を作って使わせました

 ヤフーキッズブラウザデフォルトにしたのと、使用時間制限(夜の9時だかを超えると使えなくなる)したくらいで、基本的にノンフィルターで使いたいように使わせました。

 パスワードはかけてなかった(息子も自分でかけようとしなかった)ので、時々何をしてるか監査してましたが、Youtube で馬鹿映像を見てるほかは名探偵コナンを追いかけてる風。あとドラえもんプリキュア(笑)

 年頃の男の子が興味を示すサイトへは立ち寄った形跡もなし。アニメ芸能関係Wikipedia更新もやってたみたい。

 基本的には「泳がせながら監査」という状態を続けましたが、ずっとパソコンで遊べるわけじゃありません。

 時々妹がやってきて「私もパソコンを使いたい」って言う話になれば、兄に勝ち目はないので、みすみすパソコンを奪われることに。

 まぁずっとパソコン漬けはよくないし、時々はパソコンを奪われたほうがいい(占有じゃなくて分け合う)と思うので、パソコンを追加することな喧嘩させる選択(妹相手喧嘩練習をしておけ、と)

5年生くらいか運動会で息子が見つけれなくなりました

 3年生か4年生くらいになると、少しずつ会話が成立し始めました。

 その奇行ゆえ、運動会では常に、どんな遠くからであっても、あれが自分の息子だ、って識別できていたのですが、5年生の運動会くらいからでしょうか、一生懸命に探さないと見つけれなくなりました。

修学旅行に息子だけで行けました

 小学校入学当初は「修学旅行へは親さんも同行してもらうことになりますから(同行できないなら修学旅行は無理です)」って言われていたのですが、伊藤先生の後任の女性教諭も「大丈夫でしょう」と。

 無事に一人で(同級生と)行ってきました。

 プラスチックの刀を土産に買って帰ってきましたが、どこが気に入ったのか今でも理解不能。

卒業式

 養護教諭フォローなしに壇上で卒業証書を受け取る息子を見て涙が出ました。

中学特別支援学級

 奇行も減って落ち着いてきたので、普通学級でも辛うじて何とかなるかも?って言われつつも、他の生徒さんに迷惑がかかるといけないと思い特別支援学級希望

 2人の学級で、これまでは異学年の混合授業だったのが、初めての同級生が出来ました。

 しか女の子! だけど家庭の事情引っ越し)で1年で転校して行ってしまいましたが、別れの日は私物を整理して親と一緒に帰る時間見送りに行ったようです。買って持たせた花束の中に、コッソリ前年の年賀状の余り(自宅の住所が印刷されている)を忍ばせておいたのは私なのですが、お礼状と共に今でも年賀状の往復だけ続いています

 その子もワケありなんだけど、息子とは特性が違う(不得意分野が違う)ので、嫁さんになってくれるといいんだけどなぁ~とは心の中の声。

同学年の女の子を好きになる

 気に入った女の子が出来たみたいなのですが、息子の挙動があまりキモかったらしく、当人から拒絶されたうえに親にも厳重注意

性的なことをやったわけじゃありません)

 当人は加減を知らないし、女の子のほうも自閉症児につきまとわれるのは嫌でしょう、分かります

混合授業を希望する

 中学校の特別支援学級担任は、父兄の間で評判の良くなかったらしい教諭が着任して翌年に異動とか、産休予定の教諭が数ヶ月だけ担当して交代とかアレな風でしたが、本人には良い意味で刺激になったよう。

 3年生になり進路が気になるころ、どこへ進学するかはともかく、特別支援学級という超少人数学級じゃなくて普通学級にも慣れておかないと選択肢がないと思い先生相談

 数学理科は進度が全く違うという理由NG が出たものの、それ以外は何とかなるだろうと(授業の妨げになるなら追い出す条件で) OK

 7割は同じ小学校から上がってきた生徒で一応は幼なじみ。1学年50人ちょっとギリギリ2クラス)という少人数な学校だったこともあり、先生の目が行き届きやすいという判断もあってのことだろう。

 JRウォーキング企画を始めとして外にばっか連れ出したおかげか、地名都市位置関係)に関しては健常児を超えていたと思う。

 理科小学校から全く履修していなかった(見込みなしと見捨てて他の教科に割り振られた)のだけど、履修してない教科があったのに卒業できてしまうとは。

偏差値40弱の普通高校合格する

 その下は定時制しかないというランクのところではあるものの、「荒れてない」という理由だけで選択した公立高校に無事に合格

 たまたま定員割れしていた年で、落ちた生徒はいなかったと思うのですが、翌年は定員超えしていたので1年ずれてたらヤバかったかも。

義務教育期間・無遅刻無欠席を達成

 9年間、無遅刻・無欠席ということで学校と市から表彰されました。

 ちなみに一つ下の妹のほうも同じく9年間無遅刻無欠席。

 4歳だか5歳の頃に妹のほうがキャンプに行きたいというので「キャンプ場は遠いよ」って言って大正池から徳沢まで歩かせたり、お山に行きたいと言われれば「山小屋売店であって泊まるとこじゃない」と諭してテント背負ってガチ登山に連れて行ったり、ロープウェイに乗ってみよう!って誘っておいて「入り口は上にあって登らないと乗せてくれない」って登らせて下りだけロープウェイとか、とにかく欺しまくりました。

 温泉に行きたいって言われて湯俣温泉に連れて行った(吊り橋の先の河原で掘って「これが温泉だ」って)のが最凶だったと自覚してます(小2+小1)

 よって、うちの子たちは本当に頑丈です。

高校普通学級で頑張る

 中学までの26~27人学級と違って、40人近い教室で、一人も知り合いのいない学校。つまり他の生徒も息子の特性を知らない。

 小学中学は通しの生徒が多いせいもあって、息子がワケありってのは全校生徒のみならず、その親にまで知れ渡っていて、わざわざ寄りついてくる奇特子どもはいなかったのだけど、高校では最初のうちは先入観なく普通に接してくれたみたい。

 同級生から寄りついて来られたことのあまりなかった息子は話しかけられただけで「友だちができたかも」って思い込んで家に帰ってニコニコ自慢してましたが、それが「ぼく友だちいない」に変わるのはそう遅くはありませんでしたけど。

 とはいえ、友だちが出来ないまま15歳まで過ごしてきてるので、全く気にならないようではあります

 年に数回、学校開放みたいな行事があって親も観に行っていい日には出かけたのだけど、偏差値が低い=ガラの悪い生徒が多い という先入観を見事に打ち破ってくれました。いやほんと、殺伐感の全くないノンビリした校風の良い高校で良かった。

 迷惑をかけるのだからせめてもの恩返しということで、学校保護者委員?(PTAに近いと思うが、もっとイージー)は進んでお受けし、時々校門にたって挨拶運動かに参加したわけだけど、先生命令に従って渋々挨拶してるような感じはなく、どの子自分言葉挨拶してくれて、挨拶運動に参加するのはとても楽しかった。

JRウォーキング企画に一人で参加するようになった

 高校になってから自我が芽生えたか、親と出かけるのを嫌がるようになり(本気で拒絶するほどでもないが)、親としても自立する方向に誘導しないといけないため、JRウォーキング企画に一人で参加することを許可

 前日までに行程(電車の乗り継ぎを含む)と予算を紙で提出すれば金は出すという条件で。

 コンビニの外ベンチにDSを置きっぱなしのまま買い物に行って、案の定その間に置引きされたときがあるんですが、ちゃん自分交番に行って遺失物届を出してきたり、普通じゃないながらも何とかなる次元には成長

大学見学会大学進学に目覚める

 学校行事か何かで、家から最も近い私大偏差値40~50クラスか?)の見学に行って、学食としてマクドナルドみたいなバーガー屋を含む何軒もあったりで感動したのか、コンビニなんてもの学内にあることに恐れ入ったのか、コナンに出てくる大学生のイメージと重なったのか、どういう訳でか知らないが大学なるものに興味を持った模様。ただし、最初に見に行ったそこだけが気に入ったみたいで、他の大学へは見学すら行かない。

最後文化祭の劇で一躍ヒーロー

 高校になると授業参観なるものが滅多にないのですが、高校3年の最後文化祭(平日)へは仕事を休んで観覧。

 劇で何の役をやるのか教えてくれなかったので、観に行くことも言わずに黙ってビデオ回しながら見てたのですが、ステージの袖からナレーター(司会だったらしく)として登場したところで目を疑う。

 名探偵コナンナレーション意識しているとハッキリと分かるのですが、恐らくは普段の息子と全く違うキャラだったこともあってか、会場の体育館は大爆笑の渦に。適度なアドリブ(意外性に沸く観客生徒に向かって「ありがとう!」って言ってみせたり)を交えたり、完全に自分世界に没入していたのだろう、とにかく凄かった。

 審査表彰式まではいなかったのだけど、息子のクラス最優秀賞を、息子は最優秀個人賞を、それぞれゲットした。

指定校推薦という優遇枠でありながらも大学合格しました

 進路指導先生からの「なりたい職業に応じて学科を絞って学校を選ぶべきだ」という助言を無視する形で、第一希望~第三希望まで全て前述の大学にある学科で、文系理系おかまいなく・・・という風に進路希望を出していたので三者懇談では「本当にいいのか?」って迫られたけど、「息子が大学に行きたいと思ったキッカケは、そこの大学出会たからです」なのだから仕方ない。

 いわゆる進学校ではないため、一般入試での合格絶望的だろう、と先生から言われ、最初最後のチャンスということで指定校推薦に応募

 そもそも、その下には定時制しかないような、こう言うと悪いんだけど学力的には良くない生徒の集まる学校だったのだけど、挨拶運動で感じたようにガラの悪い生徒はおらず、確かに当たりは少ないけど外れはいない、そんな学校ゆえにか「指定校推薦」という枠が設けられていたのは凄い幸運だった。(誰しも外れを引くことを恐れるわけで)

 第一希望学科(息子はパソコンが好きだったのでそういう系)は成績が足りないと言われ、第三希望くらいのパソコンとは無関係なところだったら・・・みたいなこと提案に乗って応募。ちょまどさんだって文系大学なのにプログラマやっててマイクロソフト行かれたんだから、その気があればどこの学科であってもパソコン仕事はできるのよ。

 劇のナレーターで最優秀個人賞をゲットした余韻もあってか、上手に面接をこなしてきたのと指定校推薦で落ちるのは難しいという条件が重なって、無事に合格の通知。

 

社会で自立できるか知らないが

 高校3年でやっと中学生?ってくらいの状態なので、大学卒業できるか知らないが、ちょうど卒業時点で高校生くらいの状態になるかもしれない。

 完治は無理、喋らなければバレない、くらいが限界なんだけど、健常児を遙かに超える得意な分野があるので、そこだけ見て、ダメなところは諦め。

 ただ普通の子に近づいたせいか、幼少期に感じた「ありえない記憶力」とかの特殊能力は徐々に衰え、ヒゲも生えだして、すぐに忘れる平凡なオッサンに近づいてることに寂しさも。

 仕事に就けるかどうかは分からないが、とにかく社会に出るまで大学生の身分に甘んじて時間稼ぎしてろよ、と

2017-09-14

子の判定に納得がいかない

幼い子供の寝かし付け

妻は子守歌を歌わないので、俺が息子の背中ポンポンしながら子守歌を歌ってやる。

ふと気づくと妻が子どもちょっかいを出してる。

俺が寝かしつけをしてるのに子供の手を握ったり離したりしてる。

「じゃますんじゃねえっ」妻の手を子供から払いのける。

「パパ、ママと仲良くして」

息子に言われる。

「二人とも謝ればいいんじゃないの」

さらに言われる。

両成敗みたいな感じにされてとても納得がいかない。

2017-05-03

こどもの寝かし付けはやらなくても一緒だった

長男ときは頑張って寝かしつけをしていた。

抱っこしたり、おんぶしたり、子守歌を歌ったり。

でも二人目はあまり寝かしつけに労力を割かなくなった。

子供二人がいれば、眠くなるまでは何をしても無駄だ。

二人でずっと暴れてる。

とりあえず昼寝をしてない上の子が寝るのを待つしかない。

の子は昼寝をしてるので、寝つけない時がある。

そしたら二人でリビングに戻って、明るい部屋でネットサーフィンでもしながらyoutube音楽を流しておく。

子どもは割と放置。近くに来れば抱き寄せる程度。

眠くなると勝手に寝室に戻って寝るか、膝の上で寝てる。

遅くても夜11時までには寝てる。

1人目の時よりずっと早い。

眠気に耐えながらおんぶやだっこを頑張るより、親がリラックスした状態でいることがいいような気がする。

2016-10-11

朧な月に物語重ねて

私は月下のスーパーヒーロー

今宵魔力を使いましょう。

それは静かに眠れる子守歌

だけど貴方の頭は痛くなる。

2016-05-20

娘の背中スイッチが出来た。

赤ん坊の朝は早い。生後一ヶ月になる娘は完全母乳で育てているが、2~4時間に1回のペースで授乳せねばならない。特に夜間は4時間ほど寝てくれているが、その分朝は腹が減るのか、お目目ぱっちりで寝ずに泣き続ける。

である私は"母乳"など出せるはずもなく、当然その分育児負担は妻が大きくなる。ただでさえ、妊娠出産の時点で女性に発生する肉体的・社会的負担は大きいのだ。授乳後の寝かしつけくらい、夫の役割であるべきだろうか。

新生児(生後28日まで)期間はサクッと寝てくれていたのだが、最近はなかなか寝てくれなくなった。なぜなら、娘の背中スイッチが出来てしまたからだ。

腕の中で眠った娘を布団に置こうとする瞬間、暴れだすのだ。布団においても、背中を支える手をそーっと引き抜く瞬間に起きてしまう。起きれば当然娘は泣き出す。休んでいた妻も目を開ける。

妻「授乳は疲れるし、次のおっぱいを作るためにも寝たい。うまく寝かしつけてくれ」

私「それが、ネネ(娘の名)が布団に置かれたことを感知するようになってしまったんだ」

妻「1週間前くらいかネネ背中スイッチ増設されたらしい。テスト完了して、最近稼働しだしたみたい」

そんなことがあるだろうかと、私は訝しんだ。抱っこしている娘の肩あたりを顎で挟むようにして、縦抱っこに切り替える。すると何ということだろう。ネネ背中にかすかな凹凸を確認できるではないか

私「なんで、今まで気が付かなかったのだろうか」

妻「病気と同じなの。名前を与えられて病気になるように、存在を指摘されないと見えてこないのよ。私もTwitterの2016AprilBabyクラスタで教えてもらったのよ」

ネネの服をずり上げると、青色スイッチがそこにはあった。蒙古斑よりも青く、そう妻の生まれた町から望む日本海の色だった。

私「そうか、でも見えるようになってしまえばこちらのものだ。スイッチが反応しないように、押した状態を維持して布団に置けばよいのだろう」

妻が驚いた顔をして、静かにうなづく。スイッチ存在に気が付かなかった、そんな察しの悪い夫がすぐに解決策を見出したことを喜んでいるようだった。

妻「やってみて」

ネネのお尻を私の腹にあてるようにして、縦抱っこを続ける。子守歌をうたいながら歩き揺さぶれば、忽ちネネの瞼は重くなる。このタイミングならば気づかれまい。私は恐る恐る背中スイッチを触れ、ゆっくりと押し込んだ。

果たしてネネは眠ったままだった。勝利のファンファーレ脳内で鳴り響き、妻にドヤ顔を見せる。私はネネの布団まで歩くと、そろりと腰を下ろした。まずは背中を布団に下ろし、次に頭を枕に下ろす。ゆっくり背中と頭を支える手を抜いていく。大丈夫だ、寝ている。

私の太ももの上にまだネネの足があった。これを布団に下ろそうとした途端、ネネの目はカッと見開き、泣き声が部屋を満たした。

私「なんでだ!背中スイッチは押したままにしていたのに」

妻「ごめんなさい。伝え忘れていたわ。ネネの足には温度センサーがあるの。正面で抱っこしてる私たちの腹部の暖かさをモニタリングしているのよ」

ネネの足裏を確かめてみると、すべての指に赤液温度計が伸びているではないか。その赤さが憎らしくもあったが、娘が元気に生きる証だと受け入れることにした。今すべきは娘を寝かしつけ、次の授乳に備えることだ。

泣いているネネを抱き上げ、あやす。もう背中スイッチも、足裏の温度センサーも忘れない。必殺の子守歌でネネの瞼はイチコロのはずなのに、なかなか落ちてくれない。

何故だ?何故だ!

慌てて妻の方を確認すると、妻は悲しく微笑んで、そのまま瞼を閉じた。そうか、そうだったのか。妻に言われなくてももう分かる。僕も現実を受け入れる覚悟をしてネネ視線を戻した。

ネネの頭にはまるでタケコプターのような黄色い高度センサーがついていたのだった。

2015-10-13

これから寝るすべての増田へ捧ぐ子守歌

かっこいいタイトルは今おれっちが考えたので

歌の内容はとらばの中でつくっていってね

2012-02-10

2週間くらい前の話。

隣駅にある保育園からの帰り道、保育園用のリュック通勤カバンを提げ、前には約9キロの娘を抱え、「よいしょよいしょ」と地下鉄階段のぼりきって(けっこう重かった)、歩かせるために娘をおろしたら娘が転んで泣いた。それを見た通りすがりの見知らぬおばあさんに「悪いママね!ひどいね!」と怒られた。

その翌日の話。

私の見ていないところで娘がお皿を机の上から落として割った。その音に驚いた私が「わ!」と大きな声をあげたら、義母に「お皿落としただけで大声あげるなんて、悪いママだね、こんなことで大声あげるなんて!」と責められた。


この頃、夫の帰りが遅くて家事育児も一人ですべて抱え込み、仕事も忙しかったが娘のお迎えのために毎日必死になって片付けた。

娘の体調が悪かったが会社は休めるわけなく、なんとか時間を作って小児科に連れて行ったり、とにかく自分なりに色々一生懸命だった。朝起きてから寝るまで疾走している気分だった。

しかったけど、娘のごはん栄養を考えてきちんと手作りしているし、昼間に仕事で一緒に遊べない分、散歩がわりに通園時に手をつないで遠回りしたり、夕食後も娘と鬼ごっこしたりブロック遊びしたり、寝る時は添い寝して絵本を読んだり子守歌を歌ったり。

自分なりに、愛する娘を幸福にする「良い母」になろうと努力していた。

色々とせっぱつまっていた時期だったのもあって、他人に「悪い母」と言われたことに泣くほどショックを受けた。


いまだにこのことを思い出すと腹ただしい。

1歳の子供が歩いて転ぶのは当然じゃないか。それともあれか、転ぶと危険から歩かせるなとでも言うのか。そんなんじゃ体力の無い子供に育つだろ。

大きな音に驚くのは当然じゃないか。それともあれか、大きな音でも驚かないのが「母親」か。お皿の割れる音にも動じないって、いくらなんでも鈍感すぎるだろ。


怒ったり泣いたり、その結果思ったのは、これから子供を育てていく上で、こういうことは何度もあるんだろうということ。

100のうちの1を見て、それで100を理解した気で口出してくる他人は、きっとたくさんいるってこと。

から、いちいち怒ったり泣いたりしていても仕方ない。


自分でも「良い母」にとらわれすぎてると思う。

しかし、父子家庭で育った私にはドラマ映画小説育児書にでてくるような「良い母」しか知らない。

変な話だが、母親ウンチするのだろうか。母親もオナラするのだろうか。母親も鼻クソほじるのだろうか。

(いや、母親人間からするのは当然なんだけど)


はいえ、保育園のお迎えで娘の顔を見るとホッとするし、娘とのお風呂時間楽しいし、娘の柔らかなほっぺをプニプニするのは至福だし、歩くときに娘から手を伸ばしてきて手をつなぐと嬉しいし、とにかく、娘のこと大好きだ。宝だ。私の生きる意味だ。大好きというか愛しているのだ。

ようは、愛する娘のために何かすることは苦にならない。どんな努力も。



と、誰にも言えないから愚痴ってみた。

2008-07-09

工学部での違和感

国立大学工学部所属の21歳。電気系の学科に所属。

父親が某大手電機企業保守、整備を担当する人間だったもんで

現場を知らない人間が作った製品の欠陥に関する話や、

それをなんとか解決した武勇伝子守歌のように聞いて育ってきた。

父曰く、「工学部出身のやつはダメだ。パートのおばちゃんの方がよっぽど使える。」と。

(ちなみに父は工業高校卒。)

大学に入るまではそんなのあり得ないだろうと思っていたが、年を重ね、研究室に入ってその言葉を少し実感している。

事例をいくつか挙げてみる。

シミュレーションばかりする教授。実際の製作はどうするか聞いたら、学会誌に載せると誰かが追実験してくれるからしなくていいそうな。

院生が作った学生実験用電源が使い出してから3回ですべて故障。調べてみたらコンデンサの選定が非常にまずい。半田付けも芋半田だらけで非常に汚い。

パソコンメモリHDDの区別が付かない先輩。2週間ほど前にいい年して今さらだけど知らないと恥ずかしいのでって質問された。

オシロスコープが使えない同期。

シミュレーションなんかはわりと喜んでやるのに、特性測定なんかは時間がかかるのでみんないやがる。

それならと計測を楽にするために、データロガーを作ったら周囲は完全に変人扱い。

回路設計とかプログラミングとか授業でやったことの応用なのに。

あと、データロガーの件では教授に怒られた。一人だけ手を抜くなと。

で、こんな奴らが松下とか日立とかの内定をとっている。

メモリHDDの区別が付かなかった先輩は東芝へ行くそうな。よーしNAND型メモリ作っちゃうぞ??ってオイ。プロセス方面行くみたいだから意外と大丈夫かもしれないけど。

どういう部署に行きたいか聞いてみると、そろいも揃って「研究開発」。

生産現場へは行きたくないらしい。

というか生産現場へは国立大卒者が行くところじゃないという選民意識みたいなのを持っている人すらいる。

まとめると、

工学部内で手を動かすことをいやがる風潮がある。

生産現場を低く見ている人がらいる

・そういう人たちが大手へ就職している

こういうことが大学で感じた違和感。父親の影響で、周りの人間を色眼鏡で見ている面は否定できないが。

「工学」部なのに手を動かしてもの作らないのかよと。

他の大学でもこんな感じなのだろうか。

2007-12-03

何不自由のない暮らしだけど何か満たされない

そんな夜もあるだろう

何を恐れているのかも わからず街を飛びだした

必死でつかもうとしている 栄光は大きな意味

明日に投げかけたとしても 望まない結末もある

繰り返す暮らしの中で 避けられぬ命題を今

背負って 迷って もがいて 真夜中

出口を探している 手探りで

賽を振る時は訪れ 人生の岐路に佇む

共に見た数々の夢を 追いかけ汗を流す仲間もいたな

声を上げ駆ける少年を 振り返る余裕すらなく

擦り切れた若さの残り火 この胸にくすぶらせている

「未だ 夜明けは遠く」

「生きてゆく為の賢さを 今ひとつ持てずにいるの?」と

誰かがふいにボヤいても それはみんな同じだろう

細やかな喜びの為に いくばくかの情を捨てた時

夢を大事にしろよなんて いつからか言えなくなっていた

独りにはなりたくないと 泣き濡れた夜もあったな…

あの日々の2人がなぜに こんなにも愛しく見える ずいぶん遠くへずっと遠くへ

2人肩をならべて歩んだけれど

愛は愛のままじゃいられず いつか形を変えるだろう

共に生きる家族 恋人よ 僕はうまく愛せているのだろうか

よくできた解答の果てに 悩みぬく世の中はなぜ?

平凡で手アカのついた言葉でも 愛してると伝えてほしい

親の言葉も聴こえなくなるほど 遠くに来ました 幼い頃の子守歌を手に

夜明け前 独りで高速を走った 過ぎゆく景色 季節 思い憤り全てを越えてみたくて

賽を振る時は訪れ 人生の岐路に佇む

今いる自分を支えてくれた人 この歌が聴こえてるだろうか?

祈るような毎日の中で もっと強く生きてゆけと

少しだけ弱気な自分を励ます もう戻れぬあの日の空

人の優しさに触れた時 なぜか想い出す事がある

初めて独り歩き出した 幼い僕を見つめるその愛

 
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