はてなキーワード: ハンムラビ法典とは
結婚に参加する人の数や性別のバリエーションを増やすことと、年齢の幅を広げることは別の問題だから一緒くたにはできないと思うけど、アメリカでは同性婚を認めたら一夫多妻、多夫一妻、多夫多妻、となってキリがなくなる(何人までならOKとかね)という危惧はあったね。ブッシュ大統領だか彼の取り巻きくらいが言っていた気がする。
ただ、同性婚以外の人たちはあまりそのへんを合法化するように動く熱量は少ない気がする。イスラム教徒なんかは一夫多妻を認めるべき(ハンムラビ法典に書かれてるしね)という人らも結構いそうなもんだけどなんでだろう?
同性婚とそれ以外のバリエーションの人たちの熱量の違いって本当に不思議。
コメント見たんだけどさ、ハンムラビ法典とイスラムになんの関係がとか言ってる増田がいた。
ほんと学がねーな、こんなの中学校レベルの歴史で習うことだろうが、そんくらい知っとけよ、コーランだったごめん。序盤の罵倒は俺に向けてることだけは読み取ってほしい。
(免責事項)以下は全て私の主観に基づく文章であり、客観的な事実を述べたものではありません。それを理解してお読みください。
夢月ロアの喋り方は、生来の方言をベースにしつつも、それを大きく誇張・改変しているものとみられる。
一例として、「ハンムラビ法典」のような外来語・専門用語に対して、方言でもそうは訛らないだろうというような訛り方をするのがその一端だ。
また、推測されている中の人のプロフィールなどを考えても、本当は標準語でも苦労なく話せるところ、敢えて方言を誇張した発音を用いているのではないかとみられる。
実際、初配信と現在の配信を比べると、今の方が明らかに訛りが誇張・変化している。
「~だよ」が「~でよ」に聞こえるというリスナーからの指摘を受けた後から、はっきりと「~でよ」に聞こえるように話すようになったし、文字媒体でも「だよ」ではなく「でよ」を使うようになった。
「魔界訛り」という用語も元は自然に出ていた方言に対してリスナーが面白がってつけた呼び方だったが、その言い方を自身でも言うようになった。
嫌な弄り方には、はっきりと嫌であると表明するタイプの配信者なので、夢月ロアがいわゆる方言弄りをされることを自身でも気に入っていることは間違いない。
結論としては、【夢月ロアの訛りは生来の方言をベースにしつつも、配信の過程でリスナーとの共同作業によって誇張されていき定着したもの】と言える。
しかし、夢月ロアと違い、初配信から既に大きく方言の特徴が出ていたのは特筆すべき事項だろう。
またこれは完全に主観以外の何物でもないが、彼女の方言は夢月ロアのそれと違い、「無意識に出てしまっているもの」という印象が強い。
とはいえにじさんじの選考・面接の過程では最後まで標準語を用いていたというのは運営・本人双方の認めるところで、意識すれば標準語を使えないわけではなく、
さらに、めいろという自分の役名を縮めた「めろは~」という話し方については(生来持っていた名前ではない以上)完全に作ったものとしか考えられない。
結論として、【金魚坂めいろの訛りは生来の方言が無意識的に表出したものだが、自身でもある程度肯定的にそれを表出している】と言える。
夢月ロアは魔界からやってきた悪魔という設定でデビューし、それを崩さずに配信をしている。
上述の方言以外にも、夢月ロアは声質・知識の欠け・考え方の幼さなど全ての面において「キャラを作っている」部分が大きく見て取れる。
リスナーもほぼそれを承知しているが、その上で彼女の世界観に入り込み楽しんでいるという雰囲気で、日常系アニメなどを見る感覚に近いのかもしれない。
リスナーから言われた「魔界訛り」については世界観に合致することから肯定的に受け入れたものの、「九州訛り」というコメントには一切反応しないし、
驚いた時に出てしまった「素の声」を切り抜いたリスナーに対しては、それはやめてほしいとはっきり拒絶した。
金魚坂めいろは普通の人間(旧家のお嬢様)という設定になっている。
自身の訛りが地方の方言であるということは隠しておらず、夢月ロアのように「魔界訛り」などと呼んでキャラ設定と整合させることはしていない。(そもそも不整合はないので)
ところが、金魚坂めいろの配信のところどころには何らかのファンタジー的な設定が見え隠れしている部分があった。
引退した今となっては詳細は分からないものの、イヴという人形に関しては明らかに物語上の謎や伏線を張っており、他のにじさんじライバーで言うと出雲霞や黛灰のような、「ストーリー進行型のライバー」だったと考えられた。
夢月ロアはめいろに対して「訛りをやめてほしい」と言ったわけではない(と彼女自身からは説明がなされている)
実際、夢月ロアの公開したチャットのスクリーンショットには、「話し方に関して相談したい」としか明記されておらず、どういう相談なのかはチャット画面からだけではわからない状態だ。
運営からの説明では、夢月ロアは金魚坂めいろの配信を見て「自分の世界観を壊される」ことを恐れた、とあるのだが、これは、夢月ロアがこれまでの配信で必ず守ってきた
「九州訛りと指摘されることを嫌う、無視する」「素の声、素のキャラなどと指摘されることを拒否する」の一環で、「自分の訛りが魔界訛りではなく九州訛りであるという了解のある状態」には
実際に、金魚坂めいろの配信を見たリスナーから、夢月ロアの配信のコメント欄で、両者の方言の一致についてのコメントが無視できないほどあったことが、大きなきっかけだっただろう。
金魚坂めいろも何らかのストーリーを背後に抱えていることは配信を見ていればわかるので、そのストーリーと自分のキャラ設定が、不本意に接続されてしまうことにも危機感を抱いたかもしれない。
具体的に夢月ロアがどのような要求をしたかについては、公開されたチャット画面だけでは全くわからない。
というもの、「はじめまして」と「相談したい」しか書いていないような夢月ロアの初コンタクトから、金魚坂めいろの「相談したとして、冷静でいられますか?」というようないきなり喧嘩腰の返答が、どうにも繋がらないからである。
これはどう考えても、この以前に既に話が進行していたと見るしかないのだが、「はじめまして」ではあるので、実際に二人が直接話すのは本当にこれが初めてなのだろう。
だとすると、この前に運営を挟んで両者の要求の伝え合いがあったことになり、その段階で既に、金魚坂めいろは夢月ロアに対して相当な不信感を抱いていたことになる。
そこで運営の説明画像を見るのだが、運営側の説明では、夢月ロアが金魚坂めいろの方言を可能な限り訂正するよう要求した、となっている。
夢月ロアの「訛りをやめるよう要求はしていない」と矛盾している。
おそらく、夢月ロアは自身の方言が自分自身で訂正可能であるものを敢えて表出させているものであり、また、誇張し、改変して作り上げたものであるのだから、それと酷似している金魚坂めいろの方言もそうであるはずだ、という考えがあったのではないか。
実際、金魚坂めいろ自身、配信で、「直そうと思ったら直せる」と言っている。
それならば可能な範囲で世界観の衝突を避けるべく、話し方の差別化をしていってもいいのではないか(それは可能なはずなのだから)。くらいに思っていたのではないか。
ところが金魚坂めいろの方では、方言は「緊張などするとどうしても出てしまう」もので、夢月ロアのように作ったり修正可能なものではない。
おそらくこの部分で認識に決定的な齟齬があって、運営であるいちからはその齟齬を認知しないままに夢月ロアの要求をストレートに伝えてしまったのではないか。
最初から二人で話していれば、もしかすると普通にここまですれ違うことはなかったのではないか…と思ってしまう。
実際に顔を突き合わせて中の人同士で喋れば、ロアは標準語、めいろは九州訛りで、その時点でお互いに「あれ、これは…」となったかもしれない。
ここについて調べた限りこうではないかと考えた内容を書く。
保管は 内閣総務官室 本室 が行い、保管期間満了後は国立公文書館 へ移管される。
奏上書というものがあるらしい。
http://xn--hckq4a3al6a1tx12tl4ki8e7t9o.net/the_diet/bills/
最終的な内容の確定は上記の奏上書(下記ブログでは公布文)になると思われる。
奏上書の詳細を確認。
下記説明の交付文が法律内容の記載のある文書であると考えられる。
https://blog.goo.ne.jp/yokoikatsutoshi/e/1b0322e9ae0912daeb7027a603393396
・法律の公布は天皇がおこなう国事行為だから(日本国憲法7条1号)、内閣の「助言と承認」を必要とする(日本国憲法3条、7条柱書)。内閣は法律の公布を決定した上(内閣法4条1項により閣議による)、先の奏上を天皇に進達する。具体的には、内閣官房の職員が公布文や説明書を「上奏箱」に納め、閣議決定後直ちに皇居に届ける。天皇の地方訪問中や静養中には、現地まで上奏書類を持参する。
・通常は閣議決定のあった午後に天皇の決裁がおこなわれる。天皇による決裁は、公布文に天皇の御名が親署されて御璽が押される。御璽は「天皇御璽」と刻印されており、国璽とともにその保管は宮内庁の所管事務とされる(宮内庁法2条5号)。純金製で3.55kgもあるため、押印するのは天皇本人でなく宮内庁の職員が担当する。内閣の助言と承認があったことを示すため、公布文にはさらに内閣総理大臣が日付と副署をする。法律の末尾には主任国務大臣の署名と内閣総理大臣の連署がなされる(日本国憲法74条)。
どこがこの文書を管理保管するのかを確認。「公文書等の管理に関する法律」に関するところかと考えるも別途調査すると下記内容に行き着く。
https://www.cas.go.jp/jp/koukai/hyoujunbunsho/pdf/soumukan/k-1.pdf
法律の制定又は改廃及びその経緯
と書かれているため内閣総務官室 本室が公布文(御署名原本)を保管していると考えた。
保存期間満了後はどこに移行されるのかを確認。先の資料で「内閣官房行政文書管理規則」とあったのでググる。
http://www.cas.go.jp/jp/koukai/yosiki/beppyou2_110401.pdf
上記資料に「保存期間満了後には公文書館に移管するものとする。 」とある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/公文書館#日本国内の公文書館一覧
この中だと国立公文書館じゃない?と考えたのでまずそれで。
・疑問
保管期間は?
公布文(御署名原本)が最終確定版なのでこれを原本としてよいと思うが、国会での成立時の審議対象の時点の文書の方が正当性あったりするか?
法律は毎月変わるから「1つの本」としては存在しないが、成立した法律それぞれは国会決議録として国会図書館議会官庁資料室に原本がある。
こちらが原本?どちらかに誤字があればどちらが修正されるのかを考えると「内容が確からしいほう」が優先されそうな気もする。
「法律にこう書いてある」
と言われても、その法律ってどこにあるんですか?
って思いませんか?
原本?というべき、ハンムラビ法典の石碑みたいなの(おそらく天皇の署名した紙面)があるんですか?
それが、一字一句間違いなく複写される仕組みというのは、どういうことをしているのですか?
オリジナルの文章は電子データで、天皇が署名するのはその複写である印刷物ですか?
複写が署名で承認されると、オリジナルが承認されたことになる的な。
それとも、天皇の署名は元の文章の電子データに電子署名するんですか?
そもそも、法律って、一万円札のように、みんなが信じているから価値がある、的なものなんですか?
「法律でこう決まってる」「こう書かれてる」と言われても
「神はこう言われた」
といわれるのに似たモヤモヤがあるのは私だけでしょうか?
法律が言語で書かれているなら、言語の法則は、憲法より上位の取決めによってなされる必要があると思うのですが、どう思いますか?
なんかトラバやブコメを読むと、上手く自分の言いたいことが伝わらなかったので、追記します。
例えばですね、法律ってものがない世界にいたとして、これから法律ってシステムを導入しようとするじゃないですか。
借用書とかだって、借り手と貸し手で一部ずつ原本を保管するでしょ?
契約とか合意みたいなカタチのないものだって、カタチにしないと気持ち悪くないですか?
自分がそういう(法律というシステムを導入する)立場なら、原本は石碑に刻んで、一次複写は石碑に紙をのせて上から鉛筆でこすって写し取ったものにして、一次複写はそれぞれ厳重に管理。
一次複写から画像データとしたものを二次複写として、二次複写を文字起こししたものを3次複写にして流通させるってシステムをとると思うんです。
普通、最初はそう考えるから、ハンムラビ法典だって石碑なんじゃないですかね?
紙がなかったら、粘土で写しを取ったりしたんじゃないですかね。
で、現代、石碑にあたるのは輪転機のアルミ板が法律の原本だと思うんですよ。
別に、紙が原本って運用でもいいですけどね、ならば一次複写は石碑とか金属板で欲しくなりません?
王羲之の書とか、真筆は残ってなくて、紙を石碑に写したものがトレーサビリティの最上位で、そこから刷りとった拓本が各国の博物館に保管されてるわけで。
やっぱり私の考え方が古いんですかね?
追記2
目には見えなくても引力というものがあるように、人間関係の中には殺人罪とか詐欺罪という「罪」が確かに存在する。
存在するというと語弊があるかもしれない。
数学でゼロで割ることが許されないように、それを許してしまうと今まで積み重ねたもの(社会)が成り立たなくなってしまうことが過去の歴史から明らかなので、共通知を言語化したものが法で、どこにオリジナルがあるわけでもなく、分散型の管理がなされている。
ということ?
月に一回は「ツキイチ!生理ちゃん」という漫画を思い出してイライラしてしまう。
最初に1話を読んだ時は「少し引っかかるな」というくらいだった。次に2話を読み「腕から血が取られるのなら苦労はしない」と思い、3話は途中で読めなくなって閉じた。
それから生理ちゃんは読んでいなかったが、月に一度生理が来そうになる度に思い出し怒っていた。
もう思い出してイライラしたくないため、今回オモコロに掲載されている生理ちゃんを全て読み、どこに怒りを感じたか書いてみた。一旦吐き出したらマシになるかもしれないので。
この描写を初めて読んだ時に思った。
「わざわざ血の付いたナプキンを処理する必要もない、下着や服が汚れる心配もないなんて!楽で羨ましい」
腹痛と頭痛を抱えた状態で血の付いた下着を洗面所で洗わなくていいのだ。素晴らしい。なんで現実もこうではないのだろう。
しかしよく読むと2話では主人公の女性は生理ちゃんから注射器で血を取られながら、家にあるナプキンの残量の心配をする。
少なくとも経血を注射器で取るという世界観ならナプキンは必要無いんですよね。でもナプキンがある。
生理といえばナプキンという浅い発想が産んだ矛盾。この矛盾にイライラするのだ。
生理を擬人化して生理痛を腹パンに、経血を注射器で取るのに置き換える。生理による眠気をクロロホルムを染み込ませた布で呼吸器を覆われるという描写に置き換える。分かりやすくするためにはいいと思う。別に辛い要素を全てしっかり正しく描けとは思わない。しかし半端に現実の生理に寄せるからこれが現実を簡略し分かりやすくした物ではなく、ツギハギの適当な代物というのが分かってしまうのだ。それに怒りを感じた。
ちなみにこの注射器描写は3話から消える。徹底しろよと言いたくなる。
4話から生理ちゃんの紹介文が変わる「『男はぜんぜん生理痛のつらさを分かってない!とお怒りの方、こちらの漫画をぜひ彼氏や周りの男性にすすめてあげてください。」
いや、作者もぜんぜん分かってない!!これは高度なギャグなのか?と疑ってしまう紹介文。
4話のオチも良くない。生理が重い女の子を軽い女の子が叱る「私だって辛いんだから!」と。その解決方法、和解方法が最悪だ。
生理ちゃんが生理が軽い女の子の生理痛を重くさせるのだ。本当、ハンムラビ法典が作られたの何年前だか分かります!?
同じ目に合わせなくては共感も気遣いも生まれない、みたいな解決はして欲しくなかった。何故なら作者が男だから。彼に生理が来ることは無いから。自分は一生生理の辛さを理解しませんと晒してるようなものだから。
生理に幻想を持っています。生理に興奮します。だからこういうファンタジックな作品を描きます。みたいな感じだったら多分ここまで怒らなかったと思う。特殊な性癖の人なんだな……くらいで終わっていた筈だ。
私は生理が重い方だ。だから生理について人よりも考えこんでしまうのかもしれない。
しかし真剣に苦しんでいる事を茶化されるのはイライラする。生理とはなんか血が出るらしい、お腹も痛くなるらしいというぼんやりしたものではないのだ。
という作中の台詞があるが、作者は生理によって引き起こされる「大変」を知っているのだろうかと思う。
生理とは時に頭痛と腹痛を抱え、体は怠く精神は最悪なのに、血のついた下着を洗面所で手洗いしなければならないのだ。辛い現実で、日常の一部だ。人により症状が違うので、他人が理解をしたり正しい対処をするのが難しい。なのに性やタブーと結びついて、きちんと話せる機会が少ない。
こういった事をちゃんと知っているの?本当に?
ここまで書いてみて、怒りと悲しみが半々だったんだなという事が分かった。私が毎月毎月苦しんでいることを適当に漫画として描き、それに「生理の苦しみがわかる」「共感できる」というラベルを貼っているのに一番怒りと悲しみを覚えるのだ。
YouTuberヒカルがVALUで起こした行為について、詐欺行為ではないかと一部で盛り上がった。経緯については他のサイトに詳しく載ってるが、まあ詐欺なのではないかと俺も思う。
ただ、俺がもっと遺憾に思うのは、ヒカルの詐欺(少なくとも、そう疑われそうな行為)に対して、全く関係ない第三者がネットやリアルでヒカルに対して攻撃していることだ。
ヒカルから直接被害を受けたと思っている人間が集まって、裁判なり何なりやればいいと思う。この話はそれで終わりのはずだ。なのに、無関係な人間がなぜ彼を攻撃する?
コメントで「失望しました…ヒカルさんのファン辞めます。」とか書くくらいならわかる。ただ、いくらなんでもヒカルの実家の番号調べて凸する行為に正当性があるのか?完全に犯罪行為だろ。
最悪なのは、某組織に彼らが嫌がる行為を取った動画にヒカルの動画貼り付けて送り付けた奴ら。外患誘致罪にはならないのか?
こういうときに、犯罪行為を犯した奴は犯罪を犯されてもしょうがないとか、理解不能なことを言い出す奴がいる。犯罪を犯した者に(そもそも、まだ罪が確定した訳でもない者に)、犯した罪以上の罰を与えてはいけないとしたハンムラビ法典の時代より酷いことになる。
自らを愛し、そして世界を愛する。愛とは、全てを許し受け入れることである。
であれば、
人の負の面。例えば7つの大罪
傲慢(高慢)憤怒(激情)嫉妬(羨望)怠惰(堕落)強欲(貪欲)暴食(大食)色欲(肉欲)
なども、許し愛することができて、初めて本物の愛といえる。
口で言うのは簡単だ。
だがもし、自らや自らが大切と思う存在を攻撃された時に、私は攻撃してきたものを許し愛することが出来るのだろうか。
この問について、私は考えていた。
ハンムラビ法典の「目には目を歯には歯を」という言葉を思い出した。
これだ!とわかった。
そして、私があなたのその行為を邪魔し、私が私のためにあなたそのものを排除しようとすることも、同じように愛し許そう。
ここに私の愛は成熟した。