はてなキーワード: マイナーチェンジとは
冬のアリア旅、4泊5日、1200キロ走破で充電12回の内訳に対する所感(*1)
これの前の記事が 冬の電気自動車の遠出は本当に厳しい。航続距離も減るし、とにかく充電スピードが落ちます だったのでEVというのは主語がでかいし、ちょっとなということで書こうと思った。
表題どおりなんだけれど、どこで充電するかで快適さ含めて変わってくる。たしかに冬はEVにはちょっと厳しい季節なんだけどさ。
記事内にあるように「一番充電できたのは浜松SAにある大きな充電器で30分で33kWh、一番少なかったのは道の駅の古い充電器で30分で10kWhでした。」これが諸悪の根源。
実は浜松SAの充電器は国内最大級でMAX150kwhの出力がでるものと、90kwhがでるものが設置してある(*2)
道の駅にある充電スタンドはMAX20kwh(*3)だったりがざらだったりする。
EVの充電は0%に近いほど高出力帯で充電ができて、満充電に近いほど出力を落とさなくてはいけない。水槽に水を入れるのに最初はバケツでいけるけどそのうち、灯油ポンプでゆっくりいれて最後はコップでいれるようなもの。
アリアは最大130kW(*4)での充電に対応しているので、浜松で30分充電して20kwh程度ということはかなり余裕がある状態で充電をしていたのではないかと推測される。
ちなみに、勝間氏のアリアは満充電で500km走るとのことなので90kwhの電池容量を搭載しているモデルということになる。(*5)
そこで「どこの充電スタンドはどれくらいの出力がでて、何口用意されている。
出発地点はどこだから、40%くらいになるのはこの辺、ということはどこそこのスタンドで充電しよう。」
これは正直かなりめんどくさい。かなりめんどくさいのだけれど、EV過渡期ということもある。
酸っぱいぶどうかも知れないけれど、気にしないといけないくらい長距離運転するなら計画立てて運転するくらい必要だと思うし、ちょうどいい休憩にもなるのであまり困ってない。
ちなみに、EVは長距離高速移動すると街乗りするよりも電費(≒燃費)が悪くなる。(*6)
ということで、保有車は 2022年納車のTesla model3 LR (82kwhの電池積んでたはず)(*7)なのでその例をあげる。
なお、Teslaは最大で250kwhの出力がされるスーパーチャージャーという充電ネットワークを自社で敷設している。
それってどんくらい早いのというと、空に近いと15分間で250km分くらいは充電できるくらい。なので、日本政府はChademoをやめてNACSに統一しましょう。(*8)
例に出すのは、一昨年の年末(2022-2023)の移動記録(*9)
スーパーチャージャー(以下SC)の利用をメインで計画した時のもの。
自身は主に関西から九州までの移動でこの時は路面凍結するくらい寒かったので今回の記事とまあ同条件かなと。
自宅から倉敷SCに移動 206km 53%消費 (3.8km/kwh)
倉敷SCから広島SCに移動 157.8km 44%消費 (6.9km/kwh) 雪の関係で下道いった記憶がある。
広島SCから別府市まで移動 352.5km 84%消費 (4.2km/kwh)
別府市の日産でchademo充電 9分 5%→12% 外気温6.5℃
宿を出てちょろちょろ移動
別の場所に移動してお代わり充電30分 33%→61% 外気温10℃
大分市から熊本城前の商業施設へ移動 158.3km 39%消費 (4.0km/kwh)
山鹿市からめかりPAに移動 170.5km 39%消費(4.3km/kwh)
めかりPAで充電 30分 20%→44% 外気温8.9℃ (めかりは40kw出る)
めかりPAから広島SCへ移動 192.4km 40%消費(4.8km/kwh)
広島駅から倉敷SCへ移動 153.5km 34%消費(4.51km/kwh)
倉敷SCから自宅近くのスーパーマーケットへ移動 210.2km 47%消費 (4.4km/kwh)
chademo充電器がピンキリなので充電に時間かかるのと、効率よく充電できてないのが勝間氏の不満につながっているのではなかろうかと思う。
まとめてて思ったのだけれど、アリアのエネルギーマネジメントがいけてない説あるかもしれない。
ちなみに、上記のとおり長距離を運転するばかげた計画を立てていますが、
「オートパイロット」という名前の自動運転のふりをした”運転支援システム”は名前はともかく優秀に感じております。
運転の疲労度が全く違う。これに関しては、2021年時点で日産、トヨタ、ホンダと乗り比べて全然違ったのでテスラにしたくらいある。(*10)
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(*3):20kwhでも急速充電と呼ばれています。おかしい。
(*4):とはいっても、この最大って数パーセントからある程度たまるとだんだんおちていくので爆速充電できるわけでもない。
(*5):アリアは65kwhモデルと90kwhモデルの2種類の販売のようだ。
(*6):ガソリン車は長距離を走ると車重が減るので負荷が減る。また、高速移動すると空気抵抗の影響が大きくなる。ゆえにEVはとても流線形をしている。
(*7):Teslaは数車種しか売ってないように見えて買う時期でマイナーチェンジが入ってたりする。
(*8):chademoはガラパゴス規格なんですよ。。。 北米版の日産車でもNACS充電できるようにしてたりするんでマジでお願いします。
(*9):Tesla車はテレメトリーデータをサーバに送信している、そのデータを取得して保存できるサービスがある。ちなみに自身はTeslaMateを自鯖で運用中。昨年11月から止まっててかなしみ。
(*10):長距離運転するので運転支援メインで考えてました。スバルは燃費がいけてなかったのでアイサイトは見送り。現時点レクサスに積んでる運転支援が良いらしいので試してみたい。テスラの車線認識は白線消えてても認識してるのですごい。
家の周りに畑があった。生計の足しになってんだか、税金対策や趣味のレベルなのか、微妙に分からんレベルの規模のやつが。
繁華街にほど近い都心部で生まれ育った連中からは田舎と言われそうな、トーキョーといえば全部大都会だと思ってるような田舎者からは全然文明のある方だろと言われそうな東京西部の郊外だ。
道路を挟んでウチのマンションの目の前にその畑の直売所があった。ガキの頃よくお遣いで行かされて、毎度オマケを持たされた。おれが通い始めた時はウコンとかよう分からんものを貰ってきて、姉におまけの豪華さでマウントを取られ大変不快な思いをした。曰く、自分が行けばトマトとかもらえるのにお前はウコンなんぞもろてきてどう食うねんと。
それでも通っていくうちにインゲンとか枝豆とか、トマトさえも貰えるようになってきた。ある日目当てのものがなくて手ぶらで帰ろうとしたところ、タダで数種の野菜を袋に詰めて持たされたのを割とよく覚えている。
そんな光景も中学になれば無くなってきた。直売所が閉じたからか、おれが自我を持ち反抗期を迎えたからかは忘れた。
今やその手の地域のヌクモリティ的なものも煩わしいなと思う。事あるごとに「昔は素直で優しかったのにねえ」と言う母にイラッとして、人間は変わるもんなんです〜〜〜変化を否定すれば成長をも拒んでしまうんです〜〜〜いつまでも自我がなくて可愛かった子供の記憶に縋りついててウザいです〜〜〜と反抗期のおれは心の中でそう思っていた。今でも全然思う。それでもやっぱり他人の親切に素直にあやかっていた時期もあったんだよなとも思う。
お遣いには行かなくなっても畑は以前在る訳で、家の周りの光景として、原風景の一つとして心に刻まれてる。好きから嫌いかはともかく。
中学高校の頃、さっさと家を出たいという気持ちが常に頭の半分以上を支配していた時によく夢を見た。家の庭のフェンスによじ登って、夢特有のフワフワとした跳躍で畑を超えて行く夢だ。
逃げた先に何があったかは覚えてない。何もなかったかもしれない。少なくとも天国ではなかった。でも逃げる事に意味があった。
夢なんて大体理不尽で不条理で謎の存在に謎に追っかけ回されるばっかりだし、脳のウンコでしかない。示唆的なものがあるとかユングの類は全部まやかしだと思ってる。それでも家の裏の畑ばっかりは固有のモチーフとして何度も何度も出てきた。ウンコでも健康状態を知るのには役に立つのかもしれない。予知夢とかは全部嘘か偶然か思い込みだと思う。
夢に限らず、100mほどの畑沿いの道を歩くのは好きだった。夜中にひっそりと家を抜け出して、音楽聴きながら畑越しに見える団地や電波塔、送電塔みたいなデカ建造物をボーッと見てるとナイトホークスでも鑑賞してるような気持ちになれた。都会のダイナーには行けないけれど、郊外には郊外なりのものがある。
住宅街には住宅街の良さがあるとか言う人いるけど、おれは人の生活の息づきとかには何の魅力も感じない。人様の生活に勝手に思いを馳せて勝手に感動するステーションバーめいた行為をおれは下品とすら思う。だから住宅街の静かな畑の特に静まり返った夜中が好きだった。公園も悪くないけど、浮浪者とかおれの同類みたいな陰気ティーンや騒いでる学生風の集団がいたりしておちおち黄昏ぶってられない。
そんな畑もおれが高校卒業する手前辺りで、なんぼかを残しつつ潰されて家の建設が始まった。噂じゃ畑の持ち主はマンションを持ってて不動産収入があるらしい。やっぱり畑は本格的な仕事ではなかったんだろうか。
大学入って暫く経ってから一人暮らしを始めて、都心へよく行くようになった。今までは交通費も覚束なくて両手で数えられる程度しか行けなかった都心に。バイト先もわざわざ遠くの都心を選んだ。人の金で行けるのだから美味しい話だ。駅から駅の間を歩いても途切れる事なく繁華街が続く光景には心踊るものがある。夜中でなくとも歩いてて楽しい。夜中だと尚更楽しい。
それでも人のいない静かな場所で過ごすのは変わらず好きだった。聖蹟のゆうひの丘までよく1時間かけて歩いて行った。カップルが多かったりしてちょっと落ち着かないけれど、高台から見下ろす夜景は畑越しに見える景色と通ずるものがあった。終電で行く冬の鵠沼海岸も夏の芋洗い状態が嘘みたいに人がいなくて趣深かった。多摩川もいい。場所さえ選べば人がいなくて、トランペット担いで行って一応ミュートつけて練習してみたりたした。「河原でトランペットを吹く青年」を自分がやっている状況に興奮を覚えた。夜釣りと称して魚がいるかも分からん場所で竿を振り回したりもした。ボウズのまま迎えた朝陽はマジで綺麗だったし、なんか何かを急かされてるような気もした。この頃にはもう家の裏の畑を飛ぶ夢は見なくなっていた。
大学で色々あって最近また実家に戻ってきた。近所の景色もマイナーチェンジはありつつ、まあたかだか数年の事なのですぐ目に馴染んだ。
畑の跡地の住宅地は、おれが出ていく前はほとんど更地だったのが割と家の形になっていた。家の骨格越しに電波塔が点滅する景色はなんだかディストピアめいた味があって、これはこれでちょっと好きだった。
施工は日々進んでいって、人気のない家の殻が出来上がって来る頃にはもう遠くの景色は遮られて見えなくなってくる。新しい住宅地の中には公園と称した小さなスペースも出来ていた。空き家に囲まれたそこで夜にタバコ吸いに行くのがなんとなくルーティンになっていた。
カーテンも張られていないガラス戸からは工事用?の照明が付けっぱなしなのか、ほんのりと照らされるもぬけの空の部屋が見える。それを見ているとガラスをブチ割って土足で座り込んでタバコでも吸ってトレインスポッティングを気取ってみたい気分になってくる。廃墟どころか新居だし、そもそもそんな度胸はないので妄想止まりだけれど。
つい最近からその住宅街にも一挙に人が棲み着き始めて、夜中に歩いていても家々から放たれる息づきからなんだか圧迫感のようなものを感じる。
件の公園も日中はすっかりガキの遊び場になっているのを目にする内、なんとなく足が遠のいた。自分だけの場所が地域の(幼い子供を持つ家庭の)共有物となってしまったような気分だ。元々おれの場所などではないのだけど。
それでも時々ベンチにストロング系のロング缶が置いてあったりして、なんとなく捨て主にエンパシーを感じたりする。
平成狸合戦ぽんぽこで描かれたような再開発へのメッセージとはまるで別種だろうし、開発といってもごくごく小規模なものだけど、おれはおれなりのイヤさを感じているのかもしれない。
おれは地域のヌクモリティがさァ!文化資本がさァ!とかそういう話がマジで嫌いだ。ネットでその手の話題が露悪的に語られがちなのもあるけれど、土地がどうあろうが各々の生き方次第だろって思うから。おれは構造主義より実存主義が好きだ。
中学受験が終わったので、雑感の共有。聞かれれば答えるけど、聞いてくる人もいないので。
注:各家庭で状況は異なるので、「こうしなければならない」という内容ではありません。以下の雑感を参考にするかどうかは各家庭の責任で判断してください。
筆者属性: 6年夏休み前にそれぞれY偏差値50台前半、S偏差値50台前半の成績から、2/1にしか入試がない東京の中学に男女の子供が合格。
お世話になった塾: 4大大手+グノープル以外の中規模の塾
1.子供自身は 過去問演習を6年の夏休み終了近くまでやらない方が良い。模試より過去問の出来の方が合格確率の予測力が高いというのはよく言われている通り。ただし、保護者自身は新6年が始まったら出来るだけ早く、志望校の最近の過去問を複数年、自分で解くか、少なくとも答えの解説を見て、志望校の各科目の難度と出題傾向を把握し、6年後半に入って子供が何をすべきか優先順位をつけられる様にすると良い。
2. 御三家やそれに準ずる難関校を志望する場合、各校の出題傾向に合わせた準備が必要になるため、模試の結果は当てにならない。だから、大手塾のオープン模試は併願校を決めるためにあると考える方がいい。学校別模試も、最難関校の問題の類題を塾の先生が考えるのは大変なので、過去問のマイナーチェンジが出題される印象。そうすると過去問を早い時期に解いている子が高得点を取りやすくなるため、学校別模試の偏差値による合格確率の予測が頼りにならなくなる。一方、いわゆる中堅校は素直な問題を出題するため、模試の結果が参考になる。そう考えると、外部生は、志望校の難易度に関わらず、SよりYやNの模試を受けた方が良いのではないかと思った。首都圏模試は使ったことがないので不明。
3. 受験は引き算。本番の入試で100点を取る必要はないので、入試日までの残りの限られた時間の中で何ができるのか、行える作業の優先順位をつけるのが大事。塾の課題も全てやれない時は優先順位をつけて、全てをやろうとしないのが大事。また、塾の課題では足りない部分が発生することもある(後述の7に出てくる中数の利用など)。優先順位付けは、集団指導の塾では個別の生徒への対応に限りがあるので親がやる必要。一方、個別指導も、指導を受けている先生の質は実際の入試の結果が出るまでわからない。中学受験で親が重要というのはこれが理由。
4. 算理社はとにかく塾の演習授業、模試、過去問で間違えた問題はやり直すのが、入試直前期を除いて鉄則。塾で色々な問題を解くのは、どの問題ができないかを知るため。その意味では無駄も発生している。だから、できない問題がわかったら、復習しないのは勿体無い。復習の指示も親の役割。ただし、志望校の出題傾向よりもはるかに難易度が高い問題はやり直さなくてもいいかもしれない。
5. 基礎、基礎、基礎。とにかく基礎を固める。焦りがちな保護者の意識では、応用はできなくてもいいと思って良い。正答率が90%の問題でもそれが6問出れば、全問正解の確率は53%になり、勝負どころになる。基礎を固めると御三家級以外の学校は大体勝負できる様になるし、模試の結果も安定し、家庭の不安感も減る。基礎の積み上げでは志望校の難易度から現時点で到達すべき水準を逆算せず、子供の進度に合わせて併願校を変える方が良い(後述の6参照)。基礎を固めるためには前述の通り、間違えた問題のやり直しが有効。
6. (少なくとも保護者は)色々な学校を見る。偏差値が低く見える学校も、入試問題を見れば小学校の授業内容を概ね理解している子を選抜しているので、中学高校での授業が良ければ、大学入試では勝負できる様に鍛えることは可能。また、中堅校の試験問題ができれば、それ以上の難易度の入試問題で受験者の差別化をする意義はない。保護者は入試結果に楽観的にならずに、色々な学校を見ておき、併願校の選択肢を広めに持つと良い。偏差値の高低に関わらず良い学校はたくさんあるし、偏差値が高いから良い学校ということもない。実際に保護者が学校を訪問すると、その学校について色々とわかる。自分自身の見学の時は、大学受験には関係しにくい美術室と音楽室の展示が充実しているかを見るようにしていた。
7. 塾の選択。自分が使った塾は、算数の解説を配らずに答えしかプリントには載せない方針だったので、親が解説を作る必要が生じ、その点は非効率だった。一方、中数の利用法も指導してくれるなど、柔軟性は高かった。大手塾は、問題集の答えに算数の解説が載っているのでその点はやりやすいと思う。この理由により、あまり保護者が受験のサポートをできない場合は、大手塾の方がいいかもしれない。しかし、大手塾の中には上場企業もあるので、各家庭の希望と塾の姿勢が合うかは吟味が必要という印象。
8. 算数。最難関校を志望する場合は難しいが、それ以外の場合は、志望校の問題の難易度よりも少し高い難度の問題まで取り組まないと、算数の得点力が十分に上がらない印象。
9. 理社教材。保護者にとってはカラーで図表がついている自由自在が便利。自由自在は受験に特化した参考書ではないので、受験向けには不必要な記載も多いが、自由自在に載っていない内容は学習指導要領からは外れているので基礎ではないことがわかり、便利。
2024/2/18
3. 過去問演習の採点をする人間が子どもの進度を最もよく把握できるので、それが親なら、親が残りの期間の勉強の優先順位づけをするのがベストになる。集団指導の場合、塾の先生は各児童についてそこまでの情報は持てない。
6. 偏差値は各校の人気のバロメーターにすぎない。各児童の特長や各家庭の希望と合うかは保証しない。人気のラーメン店を万人が好むわけではないのと同じ。ただし、高偏差値校だと大学受験の文理の選択が遅めになるという利点はある。また、東大志望の場合、先輩・同級生や校内模試の結果から情報を得やすいかもしれない。それ以外では、高校がどこでも、自習・塾の利用で、一般受験で東大を含むどのような大学でも合格することが可能。(それが日本の良いところ。(どの)大学に行くと良いかはまた別の話。)
7. 印刷された解答を得られるという点では、Yなど大手塾が出版する教材を使う準拠塾でもいいかもしれない。ちなみにタブレットの利用については、タブレットの速度に子どもの作業スピードを合わせなければならずストレスになるので、勧めない。色々な意味で紙の教材の方が早く、効率的なことが多い。
2024/2/22
コメントに子どものモチベーションの話があったが、それはその通りで、志望校に(親に煽られてではなく)子どもが行きたいと思っているのが前提。塾の先生も6年の夏休み以降で成績が伸びるのは、志望校に行きたいという気持ちが強い子と言っていた。また、子供のモチベーションが低いのであれば良い学校はたくさんあるので、無理はさせない方針だった。
5. 志望校の試験問題の難易度で何が基礎かは変わるが、自分はプロ講師ではないので適当に、Yの模試なら正答率50%以上、Sの模試なら正答率70%を基礎問題の目安にしていた。例えばYの模試なら、正答率50%以上の問題の中で子供が間違えた問題の配点を足し上げ、「それらの問題が全部できたら、各科目の点数と総合点が何点あがるか、偏差値がどのくらい上がるか、志望校の偏差値にどれだけ近くなるか」という計算をして、子供に見せると良い。このやり方は、ポジティブな話しか出ないし、各科目であと数問正解すると総合点の偏差値が5から10くらいは簡単に上がるのが体感でき、偏差値の差が示す児童の間の理解度の差が小さいことが確認できておすすめ。子供の進度がまだ浅ければ、基礎問題の基準とする正答率の値を60、70、80、90%に上げれば良い。
これ本当に疑問に思ってる人がいるんですよ!
答えは明らかです!
「ゲームというのはグラフィックが本体であり、グラフィックがオリジナルのIP「っぽいか」が最重要だから」
ゲームのアイディアで本当に発明と呼べるものなんて一つもありません。
マインクラフトが大発明に見える人は単にパネキットを遊んだことがないだけでしょうし、パネキットが大発明に見えるならレゴブロックも積み木も買ってもらえない家庭で育ったのでしょうね。おー哀れ哀れだ。
何故ならゲームとはごっこ遊びであり、ごっこ遊びで一番大事なのは見てくれだからです。
「あなたは弓の名手エルフです。森に入ってきた化け物を弓でぶっ殺しましょう」からスタートするゲームと「弓で敵を撃ってください。スコアが増えて嬉しい」ではゲームとしての没入感が全く変わります。
ゲームで売っているのは体験なわけですから、体験に影響が強い要素こそが正義なのです。
たとえばゲームの評価では「UIがクソすぎて入り込めない!」「バグが多くて萎える!」といった要素が重要視されますよね?
体験を阻害する要因は大きなマイナス要素として評価されるのです!
たとえばゲームの外見が他のゲームに似ていたら「俺はパクリゲーをやっている?パクリなのか?この体験は?」という感覚になってイマイチ入り込めないでしょ?
たとえばこれがモンスターを探してモンスターボールを投げるだったら、ポケモンのパチモンです。
でもモンスターを狩って武器を作るからモンハンになるわけです。
ガワに合わせてゲーム性をマイナーチェンジすることにより、プレイヤーの体験は「全くの別物」にさえなるんですよ。
ポケモンGOにおいては出会うモンスターは将来の仲間ですが、モンハンGOではどこまでも討伐対象、これは全然別物ですよね?
パルワールドの問題点は、外見がポケモンっぽいということ以上に、ゲーム性がポケモンと全く違うのにビジュアルがポケモンであるということにあるのですよ。
ポケモンにミサイルを載せるということ、ポケモンに銃を向けて攻撃すること、これらに対してユーザーは「え?それは違うよね?」となることが駄目なんです。
なぜ違和感が生まれるかといえば、それはゲームのデザインが先にあってそこから生えてきたのではなく、他所から借りてきて混ぜているから。
接合部の雑な処理が見え隠れしちゃってイマイチ~~~ってことです。
作る側が「この世界に似合うデザインのキャラクターは……」と一から考えてないからこんなことになるんですね。
パルワールドのキャラでも、「パルワールドらしさがある」キャラは結構いい感じでしょ?
なんかおかしいって感じるのはどれもパチモン臭のする奴らですよ。
別にね、プレイヤーはポケモンの著作権なんて守りたいんじゃないんですね結局。
もっと面白く出来たはずのゲームが、変な違和感によって体験の質を残っていることを問題としているわけです。
そうじゃなくて本気で「著作権侵害!犯罪!許さん!」とか言ってる人がいたら、ソイツは適当な理由でポリコレ棒を振り回したいだけの蛮族でしょ。
詳しくは各社ホームページで。
やっぱかっこいい。小学生のかけっこの頃から速さはかっこよさなのだ。vα-liのモトGP紹介のおかげであの連覇のバイク!とか、佐藤琢磨のインディーの!とか。RedBullとMonsterはよく並んでるなとか。
未来のクルマ展示って感じで、ジェット、新車もあったけど、バッテリー交換式の小型モビリティがあって、工具のマキタじゃないけどどこが規格作って進むかがだいぶ変わりそうだなーとか。ホンダのは黒と青、どっかのが白と緑だったような。車体を選んで自分の夢を伝えると絵にしてくれるAI、AR絵本も
音楽に誘われて入って行ったけど、凄くラグジュアリーな高級な空間づくりをしていて、紹介映像に合わせて展開していくアンビエントな音楽がとてもきれいでよかった。どっかで配信してないか尋ねたけどないらしい。こういうイベント用に一回で使い切る音楽、もったいないとも思うけど実は毎年マイナーチェンジだったりするんだろうか。めちゃくちゃ美人なモデルさんが車の周りを歩いているだけで目が行ってしまうので、やっぱつええわ。
音楽にこだわっているというとココ。発動機でのバイクと一緒にピアノとベースとドラムとかもあって、時間ごとの催しでは、初音ミクの挨拶から始まって、ロボットアームとダンサー、AIバイクとダンサー、ブースの天井一面に張り巡らされた空間音響と自動演奏楽器でのジャズトリオの演奏に合わせてオフロードライダーの方のウイリーとロゴの側面で作ったアールを駆け上がってジャンプ、でお客さんみんな撮影してた。Xにもいっぱいあるはず。ダンサーの方の紹介も次回は是非。AIバイクのバランスとってる所や形のカッコよさや、合間の時間のBGMでも音響にこだわっていて、いろんな音が位置で時間で変化してて面白かったり。めっちゃ未来感のあるデザイン紹介するサイトの一番下に、ヤマハ動画でゆっくりでエルシャダイもある。
アニメのPVで車をそのままゲームのコントローラーにしたり、コンサート会場にできるとか、移動できてプライベートな部屋になるというのが流れてた。フォートナイトともコラボしてたり。キャラクターのコンサート会場で踊るのに参加して、わかりやすいビートで割とすぐと飴を貰えた。新しいフェアレディゼット、かっこよかった。
予約が必要なのがいろいろあったけれど、トヨタの作った車から推しを選ぶとミニカーがもらえるってとこに行列が。月面探査とかルマンのがある中、カエルみたいな FUNVE にした。あとでパックマンのARとコラボしてたと知るが時間がなくて乗れなかった。
Japan Mobility Show 2023(ジャパンモビリティーショー 2023)出展情報 | SUBARU
スクリーンが開いて空飛ぶ車が出て来るのは迫力あり。その脇にある総合安全の文字像も、司会者の紹介でも後のクイズでも安全について話してたのが印象的。
空飛ぶ車とドローン、クィディッチ?、ゴジラ、災害救助、電源供給、といった映像の後で車両を見に行く。ココも予約するといろいろできるコーナーだった。手洗いとスマホの殺菌できますの機械は、スマホが飲みこまれてる時間手を洗うしかないから、割といいかも。
会場思ったより狭いというか席少ない?広いホールを半分にフェンスで仕切ってるけど向こうに子供用のエアー遊具とか見えてるし、隣のお食事スペースでも結構音漏れてるのでは。名ブースからは離れたキッザニアや別料金だし、エンジン音が好きな人とは違うだろうけど、すごい人が少なくて穴場。
今調べてヴィジュアル系の方と知ったけど音もパフォーマンスもカッコよかった。
奇麗な音でカッコよかった。
ノリノリな音楽でよかった。コーレスからの爽健美茶とか、盛り上げ上手。
渦で一聴き惚れしてたので生で聴けてよかった。ほかのもサイコー。
舞台転換中、隣のスペースでBMXを連覇されてる方やスケボーのオリンピアンの方が演技をされて、大迫力だった。これも有料スペースだけだし、告知見当たらないし。残念ながら名前を忘れてしまったのだけど、オリンピックの結果からスケボーの方は白井空良さんなのは分かった。
はてなーが相変わらずちょっとズレたコメントしまくっててビビルわ。
こないだの漫画タイトル増田でも思ったんだけど、上手いこと言おうとしてんのか単に雑なのか、相手の出してきた設問と噛み合ってない回答めっちゃするよね。
今回の
もちゃんと満たしてないの多すぎる。
現代においても一強状態のものを平然と挙げてくる連中がいるよね。
いやいや一強のままじゃ駄目でしょって。
んで逆に完全に陳腐化したのを挙げてくるアホもいる。
陳腐化しちゃったらそれも違うでしょって。
今でも強力な手として使われているけど、対策方法が知れ渡っているものをあげろってことだよ。
たとえば「オレオレ詐欺」なんかがそうだと思うわけ。
毎月のように警察がジジババ集めて注意喚起することでなんとか鳴りを潜めてはいるけど、警察に言われたことをポロっと忘れたり、応用力がなくてちょっとマイナーチェンジされただけでひっかかる奴がいるから未だに被害が続いてるでしょ?
んで今みたいに知れ渡ってなかった頃はガンガン引っかかったし、そこらじゅうの反社が猫も杓子も真似していて巷はもう大混乱だった。
でも今じゃあまりに常識的すぎて、犯罪についてのドキュメンタリーで使われたら「新人の練習用かな?」としかならんし、映画や漫画の題材になるときも詐欺であることをいちいち説明したりなんてせずいきなり「オレオレ詐欺の典型的な手口ですよ。でもそう見せかけて~」みたいに一歩先の話を描くための踏み台にされる扱い。
オレオレ詐欺が存在していることもその対策についてももう完全に知れ渡っていて、詐欺師を志す連中はひとまずこれから練習するし、詐欺師に引っかからないために皆とりあえずこの対策を常識として身につけてる。
わかった?
そもそもイラストが学習の素材に使われるのを著作者が怒ってる元々の文脈って「自分の絵と全体的びトレパクレベルで同じで、表情とかが微妙にマイナーチェンジされてる」とかそういうのに憤慨してる海外のイラストレーターに発するものじゃないか。
生成AIの本質は本来人間が芸術活動を模倣を出発点として自分流の作品を生み出す過程を自動化してるに過ぎない。
いろんな参照元を参考にそれらの特徴が融和した独自といえる作品なら翻案じゃないけど、生成AIを危惧してるイラストレーターが文句言ってるような、自分の作品が素材としての比重が大きくなりすぎてトレパクみたいになっちゃってるような状態の場合は人力でも自動でも翻案権に抵触しうるのでは?
マジレスするけど、「ITエンジニアだから」じゃなくて「派遣社員の強制ジョブホッパーだから、職場が変化する度に勉強しなおす必要がある」が答だよね。
更に言えば「派遣という立場的に、時給が発生している時間中に、技術的な勉強をすることが許されない雰囲気がある」だね。
フリーランスについても「金を払って雇っている人手の癖に、お前がググれば済む内容を社員の時間を奪ってショートカットしようとするなというプレッシャーがある」が成立するよね。
ITエンジニアでも正社員だと同じ職場でずっと仕事できるから覚えなおしが大幅に減るので、「勉強しまくらないと駄目」って感じはあんまないように感じる。
ぶっちゃけ仕事の勉強で一番ダルイのってその職場特有のルールを覚えることで、これがマイナーチェンジで済まない派遣は毎回これを必死に学ばないといけなくなる。
同じ職場でずっとやってる人は厳密な社内規則から単なるお気持ちルールまで一通り把握してるから、漠然と存在する「業務のために勉強して良さそうな時間」を技術の習得に使うことが出来る。
でも派遣社員はそうじゃないから必死になって毎回その職場への適応に労力を割く羽目になる。
更にはやってる仕事の内容も前の職場でやっていたのと地続きになってない部分が多く、初めて目にする方言や「そもそもこれ何のためにやっとんねん」に苦しめられることになる。
「派遣されたばっかだから分かんねーんすよ教えてチョwwwv^^v」が使える回数が多そうな職場ならともかく、少なめの職場だと技術的なことの質問にその「見えないチケット」を使ってる場合じゃなくなる。
だから全然使ったことがないような言語にあたったら「本とネットで学べる範囲のこと」は必死に自力で調べる必要に迫られる。
正社員が転勤で同じような目にあっても方言やルールについては8割方共通してるし、今までに面識がある人もいるので「見えないチケット」を技術的な方面にもガンガン切っていける。
ただ工場勤務単純労働者の場合は、この辺がだいぶ機械化、工業化されているおかげで下っ端の身分が必死になって勉強する必要が少ない。
ちょっと専門的な表現になるかもだが、「技能労働者なのに技術者として振る舞う必要がない」の度合いがIT業界よりずっと進んでるんだよね。
なんでそうなってるのかと言えば、偽装請負が横行していたかどうかだよなぶっちゃけ……。
単純に「言われた通り手を動かしていれば仕事になる」って部分についてはIT土方も他所の土方もあんま変わらんと思うしな。
「勉強し続ける必要があるんです><」はよっぽど優秀な人、転職やフリーランスでガンガン年収を上げたい人、派遣社員だから強制的に職場がポンポン変わる人のどれかじゃねーかなと。
マジレスすまんね。
でもいい加減この辺を誤魔化してダラダラ語ってる奴らを見るのに飽きてきたので次のSTAGEに行ってほしいのよね
就職氷河期なんて命名するから「不景気のせいで就職難の時期があった」というフレームで捉えがちだけど、
あの時代はもっと根本的な価値観・世界観の変化に直面してたような気がする。
まず、70年代末までに明治以来ずっとやってきた西洋キャッチアップ型の近代化=工業化が完了して、
(最後の人口ボーナスの波である団塊ジュニア世代が成人するまでに労働集約型の工業社会を卒業して)
これからは前人未踏の領域で、あたらしい生き方を模索しなきゃならなかった…んだけど、
バブル景気がやってきて、「深刻な話」はふっとび、お祭り騒ぎになっちゃった。
でも流石に、激動の昭和も終わり、冷戦も終わって大きな地政学的な変化が起こり、
経済はグローバル化が進み、モノづくりニッポンの終わりが予測され、世界の工場の地位もアジアの新興国に移っていくようなって、
もう(経済だけでなく生き方全般の)根本的な改革は避けられないかな?と思っていたところで
本質的な改革どころか、生活を「元に戻す」ので一杯いっぱいの状態…
そんな調子で、本来なら80年代初頭から10~20年かけてやるべきだった本質的なライフスタイルの変革(経済含む)を
ズルズルと先延ばししていたが、いよいよ誤魔化し切れなくなったのが90年代の後半で、
(というか、団塊ジュニアが金を払って学校に行く側から「稼ぎ手」なるのが人口ボーナスの最後の波で、
その波がおさまっていくのが90年代後半だとすると、重なるのは必然か?)
オウム真理教が終末思想にもとづいてイロイロ事件を起こしたり、
旧エヴァンゲリオンが社会現象となるほど大ヒットするのも、偶然じゃないでしょ?
いままで怖くて直視することすらできなかった存在論的不安に対応せざるを得ない時代の空気を反映してる…
本来なら、働き方改革だの、ジョブ型 vs メンバーシップ型だの、春の新卒一斉採用の是非だの、
標準家庭だの、第3号被保険者だの(働くお父さんを支える専業主婦)といった問題は、
80年代に本気出して考えておくべきだった。
IT化、情報化、グローバル化に乗り遅れたのも、明治以来の(自分たちの骨身にしみた)工業化社会の延長で
生きていこうとしたせい…。本質的には昭和サラリーマンのまま、マイナーチェンジで乗り切れると思ってたからじゃないの?
俺はアークナイツの「基地の細かい管理がダルい」「スキップがないのでオート周回に毎日1、2時間かかる」ってのがしんどすぎて辞めた。
無期迷途はぶっちゃけアークナイツの二匹目のドジョウ狙いがすぎるぐらいの作品だけど、本家よりもシステム的に進化してたりマイナーチェンジがいい感じに効いてるのもあって大満足だと思ってる。
ぶっちゃけこの2作はマジで今トップクラスに面白い新作ゲームだと思うんだが、全然話題になっているのを聞かないので勿体ないなと感じる。
世間的にはドルフィンウェーブやNIKKEみたいな分かりやすい「おっぱいぼよ~~~ん」「ポチポチでいいよ~~ん」が望まれてるのかな。
「多少頭使ってもいいからゲームとして成立しているソシャゲをやりたい」って人が居たらどっちかプレイしてみるのがオススメ。
まあ確かにTDは買い切りの方がゲームバランスがよくてレベルデザインの芸術性を感じられるのはそうなんだけど、買い切りの場合は「このステージで満点取る方法はこれしかないですよ」が結構多くて息が詰まるんだよね。
ソシャゲの場合は困ったらレベルやレア度で押しつぶして陰湿ギミックにざまーみろ出来るのもあって、選択肢が凄い広いなと感じる利点がある。
今どきのソシャゲTDは昔のソシャゲTDみたいに「失敗した?じゃあスタミナ払い直してね」してこないで何度でもやり直させてくれるから、試行錯誤もしやすくてTDとして普通に楽しめてしまうのでかなりオススメなジャンルだと思う。
google謹製のスマートフォンである「pixel7」が昨日発表された。
内容はpixel6からのマイナーチェンジでしかなかったが、一部界隈ではpixel4の下取りによりpixel7が実質0円だと盛り上がりを見せている。
断言してもいい。これが原因でgoogleはバチクソに大炎上する。
まず実質0円というのは、「pixel4を¥61,500で下取り
」+「予約特典のストアクレジット¥21,000」により、¥82,500のpixel7が実質無料だとしているもの。(pixelは5か6でも可)
このとき、pixel4は電気が付いて、画面が割れていなければ満額下取りするかのように見せかけられている。
Androidユーザーはやれ錬金術だと宣い、中古のpixel4まで購入しだす者まで現れるお粗末ぶり。
残念ながら3年前のAndroidを今も使っているチー牛にgoogleは優しくない。
(実際は経年によるバッテリー膨張が理由となるが、それを理由にすると危険物として回収せざるを得ないため適当な理由がつけられる)
そして一番悪質なのが、pixel7の到着と同時に送り出したpixel4が0円査定だと分かったときには、pixel7が返品可能な15日間が過ぎている可能性が大きいということ。
気付いた頃にはもう間に合わないカラクリになっている。
手元に残るのは、返却された3年前のゴミAndroidと、6万円の請求書。
実質0円!と声を荒げるAndroidユーザーがこの事実を知った時、どう暴れるのかが楽しみでならない。
願わくばこの炎上により煩いpixelのcmが止まれば良いと思っているpixelユーザーからでした。
一つの学習項目に40個ほどの4択問題が登録されているが、その半分は他の問題のマイナーチェンジであり実質20問を覚えれば解けるようになってしまう。
そのため基本戦術はまず最初にひたすらAや①を連打して答えを確認しての丸暗記である。
一応内容を暗記できるので一見すると単語カードのように機能するが、そのステージをクリアしたら即座に記憶から抜けるので結局定着しない。
記憶のトリガーも単語ごとではなく問題文全体であるためテストで少し問い方が変わればもう役に立たない。
何よりゲームとして成立しておらず単なる学習量を測るだけの万歩計にしかなってないことが多すぎる。
単語カード集としては悪くないのかもしれないが、まともなゲームを期待するとガッカリする。
割り切ったデザインのゲームならまだいいが中途半端に成長要素があると「勉強を頑張ってもキャラのレベルが低いのでクリア出来ない」という現象が発生して一気に萎える。
最終的には経験値効率のいいステージをひたすら片手で連打周回しながら他のゲームを遊ぶことが正解になっていく。
その様は正真正銘の万歩計であり、もはやゲームにも単語カードにもなっていない。
機械仕掛けの不燃ごみ、それが学研やベネッセの提供する学習ソフトの末路なのである。
そんなものを繰り返し目の当たりにした現代人からすれば「ゲーミフィケーション≒無意味な万歩計要素」としか思えないわけなのだ。