神道に対してそこそこ信仰の厚い人間として、落合陽一神社関連について感想を書いてみる。
神道に対して信仰が厚い状態って曖昧だから定義すべきだと思うけど、いろいろ面倒なので省く。神様好きなんやなーぐらいで思っといてくれ。
一番良く見る反応がこれかな?宗教について平均的な感覚の人がこう反応しがちだと思う。
でも個人的にはあまり何とも思わなかった。そもそも日本ではあらゆる信仰はバカにされるか、無いものとされるからだ。良いことではないと思うけど慣れている。
日常生活に宗教的な要素はたくさんあるけど、明示的に信仰がある人間の存在は全くと言っていいほど想定されていない。増田の信心は無害な神道に向いてるけど、それでもびっくりされるんだよね。
なので、「普通の日本人」の感覚にそれなりの資本が合体すると、まあ落合陽一神社みたいなものになるのは不思議じゃない。
前段とも重なる話でありながら少し違うのがこれ。
メジャー宗教の儀式をマイナーチェンジするのは新興宗教あるあるなので、神道のお作法を変えつつ神道由来の「神社」の用語を使うこと自体は、あー新興宗教やってんな。という感じだ。神職の人は怒るかもだけど。
落合神社のがっかりポイントは、ぐちゃぐちゃ様式に大した意味がないところだ。
何らかの意図を持って変えたならそれは「変更」になる。新興宗教はだいたい教義をこねくり回したり、演出意図を持ったりして「変更」をおこなう。でも意図のない変更はただの「間違い」だ。落合神社はこれをやった。
もはや神道は関係ないのだが、落合陽一って雑に言えば理系で頭良くて、じゃあ理系一辺倒かというとそんなこともなく、メディア論あたりにも触れている人間だ。そんな人が意気揚々と「間違い」をお出ししてきた。それはさすがにダサい。
これが、例えばひ〇っしーがやったことなら増田もここまで言わなかったし、適当なお題目をつけて装束をヨウジヤマモトあたりに変えてきたらおもしれーと思った。ヨウジヤマモト着た神職とかちょっと見たいだろ。
でも落合神社の惨状は、「間違い」とか、調査不足とかやっつけ仕事とか、そういった言葉で表現せざるをえない。もう信心とか以前の話で、それなりの地位がある人が適当な仕事してんのがダサい。がっかりした。
落合陽一神社について、個人的には宗教面であまり不快に思わなかった。でも地位知名度のある社会人かつ研究者がやることとしては、めちゃくちゃダサいと思う。
そう? 調査不足で間違いやいい加減な内容だらけになるって、落合陽一だしなあで終わりな気もするが