はてなキーワード: カカシとは
読んでる人には説明不要だから読んでない人にざっくり説明すると
アニメも絶好調の少年ジャンプ連載大人気漫画呪術廻戦の展開にウンザリしてるって話。
作者の力量やセンスは疑ってないんですけど
なんかこう、大漫画家・岸本斉史の提唱した高等テクニック「ずらし」を乱用し過ぎてる気がする。
主人公達に苦しい展開があるとかギリギリの場面があるとかじゃなくて
もうずーーーーっと強制負けイベントの連続って感じなんすよね。
・主人公は敵の親玉が自分の目的のために生み出した装置みたいなもん
・ナルトにとってサスケに当たるサブ主人公は九尾の狐的存在に体を乗っ取られる
・サスケの唯一の目的は姉を守ることだったけど九尾の狐的存在によって殺害される
・主人公達の先生で最強の存在もサスケの身体の九尾の狐的存在によって殺害される
・日本は完全に破壊されてて敵の親玉による人類補完計画的な何かが進行しててたぶんみんなイデオンみたいになる
・サクラちゃん的な存在は顔の半分と脳が吹っ飛んでギリ生きてるらしいけど出てこない
・主人公の先輩女子は全身ケロイドで片目失ったうえに親含めて親族を皆殺しにした
・(あとこの倍ぐらいなんかあったけどもう飽和してて覚えてない)
主人公チームにはずーっとこういう敗北とか喪失とかアンモラルだけがぼへーー――ッて続いてて
一般人は普通に大虐殺されてて、カカシ先生死んでサクラちゃん廃人でサスケの姉死んでサスケも破滅してて
いやこれなんのために戦ってるの?って感じなんだよね。
一応まだ人数的には一般人が残ってるけど
設定的にはともかく感情的には一般人守るってことがそれほど重要なミッションでもなくてさ。
「人類の為に俺達はあきらめないぜ!」みたいなノリでもないわけ。
なんか一個一個は本来もっとショッキングなイベントの筈なんだけど
ずーーーーっとそういうイベントばっかだからもう何も感じずにウンザリがあるだけ。
それでしょっちゅう主人公が色んな相手から嘲笑われてるんだけど
実際主人公はこの戦いの中では無能すぎて「お前なんでいるの?」 レベルで
とっくに読者も誰1人として主人公に期待してないわけ。
いやーここから覚醒パワーアップされても引くし(ずっと馬鹿にされてたヤムチャが突然悟空より強くなっても寒いだけで燃える人いないでしょ)
このまま最後まで嘲笑われて翻弄されてる主人公でも「一体何を見せられてるんや?」って感じだし
作者のバトルやエモ描写の力量は突出してるんだけど呪術廻戦と言う漫画にはもうかなり前からついていけないというか。
あと余談だけどハンターの真似をした頭脳系能力バトルしようとするとマジで大惨事になる。
枝野は旧民主党メンバーが雪崩を打って小池の靴舐めに走った際に気後れした。
「あいつとは全く考えが違うから」と決然と孤塁を守ったのではなく、「おれは断られるかな…」と、あくまで出遅れてオズオズと最後尾からついていってたら小池が勝手にぶっこけて、また雪崩を打ってUターンしてきた有象無象に担ぎ上げられた。
そしてそのまま負け組のアイドルとして立憲の領袖になったが、枝野にはもともとなにもない。
そもそもがやはりタナボタで原発事故時のスポークスマン役で顔が売れすぎてしまっただけの男。
「私は保守なんです」「里山資本主義」みたいな寝ぼけたことしか言わない男。
枝野の行動原理は、票田である団塊老人層を左派陣営の競合他社に食われないように極力何もせずに大過なく「野党第一党」の椅子を守ることだった。
どんどん死に絶えつつある団塊左翼老人が生きてる間は囲い込んでいたい、そうすれば自分らが引退するまでは政治で飯が食える。それだけ。
左派から「枝野なら…枝野ならなんとかしてくれる」と常に期待されて何もしなかったのは何故か。その全ての答えが外野からは最初から丸見えだった。
単なるフィリバスターを「魂の演説」とか言って持ち上げられたりしていたが、担いでる側も本当はわかっていただろう。この男は偶然このポジションに据えられただけのカカシだと。
苺畑カカシ🟩⬜🟪🦕🦎
@ichigobatakekak
トランスを自称する女性自認男性が女子施設に入れないのはトランスだからではなく男性だから。男女を身体の性で区別することは差別ではないので、この場合も差別とはみなされない。男女を区別することが違憲だというなら、その証明の責任は笹沼氏の方にある。
笹沼 弘志
@sansabrisiz
8時間
差別者というのは、勝手にあらぬ理由をつけて差別して、それの反証を求めるもの。
存在しないものが、あたかも存在するかのように言い募り、反証を求めることで、存在しないものを存在させようとするのが差別者の常套手段。
https://twitter.com/ichigobatakekak/status/1666088072990306310?s=20
苺畑カカシ🟩⬜🟪🦕🦎
@ichigobatakekak
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カリフォルニア、リバーサイドの高校。自称女のこの大男、女子トイレにはいって男性器をさらけ出し、女子たちに唾を吐きかけた。抗議した女子たちに暴力を振るう。この間もリバーサイドのアダルトスクールで同じようなことがあったばかり。
https://twitter.com/ichigobatakekak/status/1652051782431019008?s=20
苺畑カカシ🟩⬜🟪🦕🦎
@ichigobatakekak
皆さんご協力ありがとうございました。男女共用トイレに関するアンケートは閉じさせていただきました。結果発表です。結果はリプ欄に続きます。
苺畑カカシ🟩⬜🟪🦕🦎
@ichigobatakekak
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女性体の皆さん、男性体の人との(自称女性も含む)共用トイレをどう思いますか?
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苺畑カカシ🟩⬜🟪🦕🦎
@ichigobatakekak
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男女共用トイレついてどう思うかという質問には女性310人、男性438人にご回答いただきました。先ず男女共用は絶対に嫌だと答えた方は、女性92.9%、男性73.1%。やはり圧倒的多数の女性が男女共用を嫌がっています。しかし男性も大多数の方が絶対に嫌だと小手ています。続く
苺畑カカシ🟩⬜🟪🦕🦎
@ichigobatakekak
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次に別に構わないと答えた人は、女性が5.5%、男性は23.3%と男性の方が4倍近く多いですが、ま、男性はプライバシーの面では嫌でも危険にさらされるわけではないので気にしない人が結構居るということでしょう。
苺畑カカシ🟩⬜🟪🦕🦎
@ichigobatakekak
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苺畑カカシ🟩⬜🟪🦕🦎
@ichigobatakekak
そして最後に共同トイレの方を好むと答えた人は女性で1.6%、男性は3.7%とやはり非常に少ないですね。でも女性で310人のうち5人も共同トイレを好むと答えた人がいるのは信じがたいですね。コメント欄で何故共同を好むのかの説明をした人は男女どちらにもいませんでした。
苺畑カカシ🟩⬜🟪🦕🦎
@ichigobatakekak
男女共に、やはり異性と一緒に排泄をするのは気まずいと考えている人が多いことがわかりました。また共用でも構わないとした人でも専用トイレがあればそちらを使うというコメントもあり、極々一部の人以外は共同トイレを望んでいません。
苺畑カカシ🟩⬜🟪🦕🦎
@ichigobatakekak
正直な話、女性のなかに少数でも共同トイレをの方がよいと答える人が居たこと以外は、ほぼ私が想像した通りの結果でした。政治家の方々はむやみやたらに男女共同トイレを増やす前に市民の声に耳を傾けてほしいものです。
今私は交通誘導のおじさんをしてるが、たまにぶっ倒れそうになるだけで特に不満はなかった。
でも最近じんわり膝が痛い。
立ちっぱなしだから膝や腰に負荷がかかる。私は膝にくるらしい。
特にスキルもないまま三十超えちゃったわけだが、転職しないとたぶんやばい。膝が壊れる。
カカシも看板も立ってるから価値があるわけで、私も立てないと価値がなくなる。やばい。
緊急重要な場面に直面すると、テンパってカオナシのモノマネを始めてしまう。
カオナシごっこしてると、最も理解ある相手でも待ってくれるだけで、その場を離れて仕切り直してくれるわけではない。
適職診断みたいなので散々プログラミングがおすすめで出てくる。勉強しようと思って苦戦して、環境構築のところで詰んでるので「helloworld」までいかない。
大体スタートに立てずに数週間苦戦した人間がこの先何ができるねん。
無料でプログラミングのコードの教えてくれるところで、見よう見まねであれこれやってみたが「だからなに?」って感じの話ばっかりで、次全く同じことを要求されても何もできる気がしない。
私はプログラミングがしたいんでなくて、なんか飯の食えそうなものが欲しいだけなんだよな。だから仕事のイメージが一切ないので、自分がプログラミングについてどの程度わからないのかすらわからない。私がプログラミングできると何ができるのかそもそもしらん。暗中模索とは誰が言い出したか良い言葉だ。今の演習が何のために何故やってどこに向かって何ができるのか全くわからんのでやめた。
どうしたら良いのかマジでわからん。私の膝が爆発するまでにどうにかしたいが、何をしたら良いんだ。気ばかり焦るが進んでる感覚になれるものが一つもない。
金はない。
転職サイトでずらずらと候補出てくるが、できそうなものがマジでない。
空いてるところに私を突っ込みたいのはひしひしわかるし、その方針が正しいとは思うのだが、できそうにない。
ほんとにない。
日本の生活保護受給率は20%切ってるらしい。窓口で粘る気力もない私だと、受給できることはなさそうだ。
多少膝に気を使っても後2年は続かないが、続かないからと言ってその後どうしたら良いんだこれ。
どこの何を見ても、テンパってオタオタして何ともならない予想しか立たない。
履歴書みたいなのキチンと書くのもめちゃくちゃ苦痛だから、いくつも用意することもできない。
私のように大手を振って街を闊歩できるタイプの低知能だとどうにもならん。
前に精神科いってwise何とか受けたが、均すとIQ105で平均って出たわ。
いやいや、じゃあ私の低知能はどこから来るんだよ。薬もらったけど下半身おかしくなっただけで何もないからやめた。
どうすんだこれ。
将棋とかで言うと、あと8手とかで詰むの分かってるのに投了できない感じ。
似たような問題に何度も何度もぶつかって、毎回どうにもならなくてここまできてしまった。
死にたくはないが何ともならない感じだけある。
何も身につく気がしない。何なら身につくのかもわからない。
手も不器用で話が上手いわけでもなく、ゴールが見えないと我慢も効かない。最後の資本だった体も限界だ。
どうしたら良いんだこれ。
ほんとに知能に問題がないと仮定したらメンタルの問題のはずだが、テンパりやすいものを治す方法なんか存在しないだろ。気の持ちようなんだし、落ち着くように言い聞かせるのを30年はチャレンジしてるわ。
「テンパってるのでお薬飲みますね」なんてできるかよ。
P.W.みこる
@356mikoru
日々思ったことをつぶやきます。みんなが幸せな国であってほしいと願います。アンチネトウヨ。表現規制及びトランスジェンダーを差別する一部フェミニストに対してもアンチ。ジェンダーレス推進⭕️ 同性婚賛成🙋♀️ 創作物の表現規制に反対です❌(ヘイトは表現の自由ではない) 七海ひろきさん推してます! トランス差別に反対します
https://twitter.com/356mikoru/status/1637115177551400960
P.W.みこる
@356mikoru
どうせ通報しても無駄だろうという虚しさで通報サボリ気味だったけど
tomo磁石が凍結されたので、またモチベが上がったので通報頑張ろうと思いました。次は苺畑の凍結が目標(๑و•̀Δ•́)و
苺畑カカシのこと。
P.W.みこる
@356mikoru
お花畑正義感とかのたまった差別議員やん。こんなのを据えるとかふざけてるのか?
自民党LGBT特命委員会事務局長・城内実議員がオフレコ問題発言 「同性婚はウクライナが正しいという人と同じで少数派」|NEWSポストセブン https://news-postseven.com/archives/20230316_1850661.html?utm_source=twitter.com&utm_medium=social&utm_campaign=shared #NEWSポストセブン
問題起こせば
精神病だって通院か入院して出来る限り改善させようとするでしょ
単に注意する人も悪人より多いってだけ
類友なだけ
現実で言ってたってピーチ無マスク男とかはリアルでも退場で拍手されたり
叩かれてるでしょ
そういう貴方は
なんで他人も変わらない事を諦めてないの?
どれだけ頑張ってもお互い様
実際は変わるべきは間違ってる方なんだから俺が変わらないと同じ以上に
相手も変わらないじゃん
言う必要有る
論破されたり矛盾が出た時どんな反応するのか気に成る部分は有る
危害受け続けて黙ってる人は居ないだろ
自分が逆だったら黙ってるか?
加齢の変化幅に比べたら99%は元から可怪しい人が偶然バレなかっただけだよ
"誰からもおかしさをたしなめられない環境で暮らしているうちに、気がつくと完全に狂ってたりする"
もう答えでてんじゃん
批判すべきだし
トランプBANして敗訴したの?
少なくとも無限には出来無い
逮捕迄されれば直接的にも減るし
それで効かないアピールは
「止めてくれカカシ その術はオレに効く ……! 止めてくれ」
でしかない
マイナンバーのが確実だが
全体的に今の刑法じゃ足りない
厳罰化も求めてる
開示請求も有るし
サイト側がBANすれば良い
たまに気が向いた時、愛車のハンターカブでフラっと近所を探検するんだ。
近所でも意識しないと入らないような路地がたくさんあって、「ここの道に出るんだ!」っていう感動があって面白い。最近は未舗装路に突撃するのにハマってて、この前走った農道では変なカカシに遭遇できて嬉しかった。
しかしそんなことしていると、ほんとにバイクで入っていいの?っていうグレーな道が結構あって、バイクで侵入していいのか迷うことがある。車両進入禁止の看板は立っていないけど、車止めが設置されてたりとか、特に規制されてないけど、道幅が狭めで歩道っぽい雰囲気出してる道とか、そういう道は意外と多い。
一番気になっているのが、公園の横をなぞるように走っている未舗装路。荒れに荒れてて一見道とはいえないような状態なんだけど、調べてみると公園の敷地外で、なおかつ公道として認定されている道らしい。車両進入禁止などの看板もない。
薄暗くて歩行者を見かけたこともないのだが、たまたまうるさいジジババに遭遇してトラブルになるのも嫌なので、まだアタックできていない。
一言で言うと女性に都合の良い「男性社会を降りた」男しか出番が貰えない。
一番出番が多いのが美人小説家の主人公の元彼なのだが、発達障害気味の主人公に「完璧すぎてウザい」と理不尽にフラれた後も
「友達でいいから自分を側に置いてくれ」と懇願する、「都合のいい元カレ」。
その後あらゆる場面で主人公のトラブルを解決するために登場することになる。お前仕事はどうした。
極め付けは主人公が急に酒を飲んでムラムラし、元カレを「こいつこんなにエロかったか?」と言い出して
最終的によりを戻すでもなくセフレにするくだり。
インタビューで作者曰く「女性の性欲を全肯定したくて描きました!」とのこと。
別れた女を都合よくキープして性欲処理に使う小説家とそれに喜びを感じる元カノだぞ?
きっしょ。
で、二番目に出番が多いのが不思議ちゃんのガリ勉弁護士。コイツはまともに人間として描写されてない。
三番目に出番が多いのがオネエの小説家。
「虚無の父親」
元カレなんか主人公崇拝するだけで、性欲持つ描写すら許されないもんな。
事あるごとに美人だ綺麗だ女子会だと「主人公は魅力的な女ですよー」と押し出してくる。
でも男は男社会を降りないと作中で出番も貰えない。
これに「はっとした」だの「目を開かされた」だの言ってる連中もアホちゃうか
世間の流行の移り変わりとは無関係に、私は度々『鬼滅の刃』の原作単行本を読み返しているのだが、またも同作を読んでいる。
ここ最近の読み返す切っ掛けの一つとなったのは、例によって金関丈夫の『木馬と石牛』である。何度目だ。
ひとまず最初に紹介しておく金関丈夫の論文は「わきくさ物語」と題する一篇である。
これは、腋臭(わきが、えきしゅう)や体臭を肯定的に捉えるか否定的に捉えるか、その相違について、人類学的な統計データに基づいて西欧人と東アジア人の腋臭体質の多寡(出現頻度)を比較するとともに、東西の文学作品や文献に於ける腋臭や体臭に関する記述を比較したという内容である。今さら気づいたが、論文の題名は『若草物語』のパロディである。
金関丈夫の論旨を大雑把にまとめて紹介すれば、次のようなものである。「人類学的に見て、西欧人の集団では腋臭体質の人の出現頻度が高く、日本や中国などの東アジア人の集団では出現頻度が低い。それに呼応するかのように西欧では、身体の臭いを肯定的に捉えて讃美する詩や文学作品が見出される。それとは対照的に日本や中国では、身体の臭いを讃美する文学作品や記述は見られない。ひどい体臭の人が周囲から疎んじられるといった、否定的な記述内容は見出される。日本の文学においては、田山花袋の『蒲団』など西洋文学の影響を受けた近代の少数例を除けば、体臭文学は存在しなかったのではないか」云々。これも今さら気づいたが『大衆文学』の駄洒落である。
それはともかく、かのナポレオンが愛人に宛てて「近々戦場から戻るから、風呂に入らずに待っているように」と手紙を書いたという有名な挿話を知っていると、金関丈夫の主張にも頷けるところがある。
しかし、体臭文学に関して言えば、確かに金関丈夫の言うとおり国文学の中では劣勢なのかもしれないが、嗅覚そのものは、時代の変遷や題材の違いによる差異はあれども、国文学においても大なり小なり着目したり描かれたりしてきたのではないかと思う。源氏香(※)のような遊びが生まれたぐらいなのだから、香り・匂いを味わうことの悦びを昔の日本人も持ち合わせていなかったわけではないだろう。それにまた、腋臭のような刺激的な匂いに対する肯定的な記述が見られないからといって、体臭そのものに対する愛好癖が日本人の間に存在しなかったとまでは断言できまい。好ましくない体臭に対する認識があったのならば、好ましい体臭に対する認識があってもおかしくはない。したがって、いま少し詳細な再検討が必要ではなかろうかと思われる。[※注:源氏香は、室町末期以降の遊びであるが、源氏物語各巻の見出しに源氏香の記号が付記されるようになったのは明治以後のことらしい。また、その記号は、組合せ数学のテキストで例として挙げられることもある。]
とまあ、こういった具合に「わきくさ物語」を読み直したことが切っ掛けで、嗅覚について色々と思いを巡らせていたところ、竈門炭治郎のことも連想して『鬼滅の刃』を再読し始めたという次第である。
ところで、上に述べたとおり、私は金関丈夫の主張に対しては批判的な考えを抱いているわけだが、そのような批判的思考は私の独創ではない。以前に読んだ本の記憶から「はて、国文学でも、それなりに嗅覚は重要視されていたはずではなかったか?」と思ったので、金関説にも疑問を抱いただけなのである。
さらに、その時に本で読んだ内容には『鬼滅の刃』を妙に連想させる記述も含まれていたと記憶していた。そこで本棚を漁ってみたところ、それらしきものを再発見した。次に、それを紹介しようと思う。
『鬼滅の刃』の主人公たちである竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助の三人が持つ優れた感覚は、それぞれ、炭治郎=嗅覚、善逸=聴覚、伊之助=肌感覚(触覚)である。炭治郎や善逸は、相手が人間か鬼か、人間であれば善人か否かを、これらの感覚によって看破できることは、漫画を読んだりアニメを観たりした人ならばよくご存知のことと思う。
この三感覚と同じ取り合わせを、私が目にしたのは、小松和彦の著書『神々の精神史』(講談社学術文庫)に収録されている「屍愛譚(しあいたん)をめぐって 伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神の冥界譚を中心に」と題する論文の中であった。
まず、私が『鬼滅の刃』を連想させるものと記憶していた箇所を、少し長くなるが同論文から引用しておこう。
「男と女の愛の語らいは、昔から夜中に行なうのが一般的であった。言い換えれば、愛とは、第一次的に視覚に依存するものではなく、香り(嗅覚)や声・物音(聴覚)あるいは肌触り(触覚)のなかから豊かに創り出されるイメージの、想像力による夢幻の世界における営みであった。そして、日本的女性美の一つは、この視覚的な隔離から発生しているともいえよう。『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」のなかに「鬼と女とは人に見えぬぞよき」とあるが、この言葉が苦しまぎれに吐かれた言葉にせよ、実に見事に女の美のあり方を、愛のあり方を示唆している。」
奇しくも、小松論文の中で三つの感覚が挙げられる順序は『鬼滅の刃』の物語に主人公たちが登場する順序と一致している。果たして吾峠呼世晴は、小松和彦の論文や著作を読んでいたのかどうか。真実は分からないが、そういった想像をしてみるのは楽しいことである。
さて、小松和彦の論文は、国文学などにおいて見られる、妻・夫・愛人などに先立たれた人が、パートナーの亡骸を屍姦したり冥界を訪れるという物語や記述について論じたものである。その中でも題名のとおり特に、亡くなった妻のイザナミ恋しさに黄泉の国を訪れたイザナギの物語、そこで語られる覗き見の禁忌、その侵犯について考察している。
死して黄泉の国の住人となってしまったイザナミは、自分を現世に連れ戻すために訪れた夫イザナギに対して「それでは、現世に戻れるのかどうか、殿内に入って黄泉の神と協議します。私を待つ間、決して中を覗かないようにして下さい」と言い残して黄泉の殿内に籠もる。しかし、妻と黄泉国神との協議が終わるのを待てなかったイザナギが禁忌を犯し、黄泉の国におけるイザナミの変わり果てた姿(肉体が腐敗して蛇に集られている有り様)を覗き見てしまったがために、彼女は現世に戻ることが不可能となり、二人は別れざるを得なくなる。
この禁忌を犯す場面において、イザナギは彼の御髻(みみずら)に挿していた湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を抜いて、それに火を灯してから黄泉の国の殿内を覗き見るという筋書きになっている。この灯火を焚く必要があったということは、つまり、黄泉の国でイザナギとイザナミが語り合ったのは、闇の中であったことを示している(そうでなければ、黄泉の国で最初に再会した時点で、イザナミの肉体的変貌にイザナギは気づいていたはずである)。ここには、現世でも黄泉の国でも何ら変わることのない「男女の愛の営みや語らい(ピロウトーク)は暗闇の中でこそ行われる」という形式がある。
小松和彦の論文でも指摘されていることであるが、日本のイザナギ・イザナミの冥界譚やその他の屍姦譚・屍愛譚には、中国大陸の物語から影響を受けた節が窺える。小松論文でも紹介されているが中国の東晋時代の書物『搜神記』における屍姦譚の一例として、次のような話がある。
美しい女性と結婚した男が、妻から「私は普通の人間ではないので、結婚してから三年経過するまでは、夜、明かりで私の姿を照らさないで下さい」と言い渡され、それを守りながら夫婦生活を送り、二人は子まで設けた。しかし、どうしても夫は我慢が出来ず、ある夜、明かりで照らして妻の姿を見てしまった。彼が目にした妻の姿は、腰から上が普通の人間の女性で、腰から下は干からびた白骨というものであった。妻は「私は死者であるが、あなたが、あと一年だけ我慢して私の今の姿を見ないでいてくれたならば、完全に蘇生することが出来たのに。しかし、あなたが禁を破ったがために、最早それは叶わなくなった」と言い残し、形見として袍(うわぎ)の端布と二人の間に生まれた子を残して、男の元を去ってしまった。その端布を持って嘆き暮す男のことは、スイ陽王(スイは目偏にオオトリ旁)の知るところになり、袍の端布が王の若くして亡くなった娘姫のものと同じであったことから、娘姫の葬られた墓を暴いたとの嫌疑で男は取り調べられることになった。男が語った事の経緯を信じられない王と家来が、娘姫の墓を検分したところ、墓暴きに遭った形跡も認められず、念のために墓内に入って棺も確かめると、袍の裾が棺の蓋の隙間からはみ出ていた。それを見て「さては、本当に墓を抜け出して夫婦生活を送っていたのか」と、王も家来も信じるようになったとの由。この生者の夫と幽霊の妻も、彼らの愛の営みを、妻の申し渡した禁忌を犯さないように、明かりの無い暗闇で行なっていたことは確実である。
イザナギ・イザナミ冥界譚と『搜神記』における人間・死者婚姻譚との間に共通するのは、妻の本当の姿を見ることの禁忌、それを夫が犯したために妻の蘇生が叶わないという点である。
特に前者の覗き見の禁忌について、小松和彦は考察し、その本質は「女性が『ありのままの姿』を公に晒すのは好ましくないという、昔日の社会における男女観・価値観・倫理観の反映」であり「女性の本性を覗き見ることについての禁忌」だったのではないかと推理している。それを裏付けるかのように、生者であるパートナーに対して自分の本当の姿を見ないように要求する死者の話は、圧倒的に女性が要求する側であることが多いのである。また、禁忌を犯した夫イザナギに対するイザナミの怒りの言葉は「吾に辱(はぢ)見せつ」(私に恥を晒させた!)というものである。さらに、類似の物語として、豊玉姫(トヨタマヒメ)が出産の時、産屋に籠もり、それを彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)が覗き見ると、豊玉姫の正体はワニ(サメ)の姿であったという話もまた、女性の本性を見る禁忌の事例として挙げられる。
死者にしろ生者にしろ、隠れている女性の姿を覗き見る男の性向というのは、時代を下っても変わらない。例えば『伊勢物語』の「むかしおとこうゐかうふりして」という出だしで有名な最初の一篇でも、田舎には不釣り合いな雅やかな女性が里に暮らしていることを知った主人公(在原業平)は、垣根の破れた所から彼女たちの姿を覗き見る。ずっと時代を下った現代においても、男性向けアダルトコンテンツは、視覚的表現が重要性を持つことは周知の事実である。このように、イザナギ、在原業平の昔から変わることなく、男性は「視覚的な欲求」を満たすことを強く好むと言って間違いない。
ところで、この「屍愛譚―」論文を再読し、期せずして気づいたのであるが、論文の著者である小松和彦の行なう考察もまた(覗き見の禁忌を論じて考察する必要性から、当然のことではあるとはいえ)、やはり「視覚の範疇」に留まっている。これもまた、視覚を重視する男の性向の顕れと言えるかもしれない。しかも、上に引用した箇所で「夜の闇の中での男女の愛の営みや語らいにおいては、嗅覚・聴覚・触覚が重要である」といったことを述べているのにも関わらず、同論文は、それらの三感覚が重要な働きを示している国文学上の具体例を、特に挙げてはいないのである。あるいは、国文学に詳しい人たちからすれば周知の事実なので、態々挙げる必要がないとして言わなかっただけのことなのだろうか?
とりあえず、男女の機微の話は後回しにして、ひとまず、妖怪を識別する手段としてのこれら三つの感覚について、話を進めることにする。
聴覚を妖怪の識別に用いる事例は、比較的容易に見出される。例えば、誰そ彼(たそかれ)時・彼は誰(かはたれ)時・夜のように、人間なのか物の怪なのかを視覚的に区別をつけ難い時、相手の妖怪が発する声によって正体を見抜くという事例は幾つも見つけられる。カワウソなどの物の怪は、人間から「誰じゃ?」と問いかけられると「俺じゃ」と言えず「おねじゃ」とか「かわい」などとしか言えないので、正体を見破られてしまうという。これは、言霊の力とも解釈できるが、音声(聴覚)による正体識別の事例と考えても許されるであろう。また、仮に人間の方が話し掛けたり問い掛けたりしなくても、妖怪の方から自発的に何らかの独特な声や音を発してくる(アズキアライ・テングダオシのような怪音、ヤロカ水の怪しい呼び掛け声など)ので、それを聞けば正体が分かるという例もある。これらも聴覚による妖怪識別に含めてよさそうである。
触覚の方はどうだろうか? 例えば、厠(便所)で河童などの物の怪に人間が尻を触られるという怪異の話は数多い。そして、それらの怪異譚は「毛むくじゃらの手である」といったような、通常の人間とは何かしら異なる手触り・肌触りの特徴を持つことを窺わせる描写が伴うことが多いように思える。厠が家屋の中では暗い場所に分類されることを併せて考えれば、これも視覚には頼り難い状況下で、触覚により妖怪を識別する事例と考えることが可能ではないだろうか。他には、猟のために山に分け入った猟師が、夜になり「これでは鼻を摘まれても分からないな」と独り言を呟いたところ、突然「これでもか?」と何者かの手に鼻を捻られたという怪異譚もある(参考:千葉幹夫『全国妖怪事典』静岡県の部)が、これは残念ながら手触りについて伝えていない。しかし、このように暗い場所や時間帯において、物の怪に身体の一部を触られるという怪異譚は、枚挙に暇がない。これらも触覚によって人か物の怪かを判断するという事例に含められないか否か、再検討してみるべきかもしれない。
問題は、嗅覚により妖怪を識別する話や本性を看破する話なのだが、残念ながら今のところ、これといった事例を見つけられずにいる。逆に、妖怪の嗅覚の方を利用し、何らかの臭いを発するものを人間が用意することで魔除けにするという事例ならば、比較的容易に幾つも見出だせるのであるが。例えば、焼いた鰯の頭を魔除けとする例は有名である。また、今でこそカカシといえば田圃に立つ人形のことであるが、日本神話でオオクニヌシがスクナビコナと出逢うくだりに記されているように、本来の古い和名はソホド乃至ソフドである。それがカカシと呼ばれるようになったのは、稲を荒らす鳥を追い払うのに、鳥の死骸を焼いたものを竹竿の先に紐で括り下げて掲げるという風習があり「臭いを鳥に嗅がせる」という意味でカガシと呼んでいたものが、鳥避け人形と混同されるようになったからである。上に挙げた鰯の頭も、ヤイカガシ・ヤッカガシ(焼き嗅がし)と呼ぶ地方があり、明らかに鳥避けのカガシと同じである。他にも、山中でタヌキやムジナの類いに化かされたことに気づいたならば、煙管(煙草)を一服すれば妖怪は逃げていくとか、小便をすると臭いを嫌がる妖怪を避けられるとか、人間の嗅覚ではなく妖怪の嗅覚を逆手にとって利用して払う例は多い。
小松論文では具体例が挙げられていないものの「視覚的に本性を見ることが禁忌とされた状態、特に暗闇の中で、何者かと一対一で対峙する状況において、重要な役割を果たすのは、嗅覚・聴覚・触覚である」という見解は、説得力を感じさせられるものであることは確かである。特に、愛の営みに関しては、そうである。人間がお互い裸一貫となって同衾する時、見た目の虚飾は、ほぼ通用しなくなるのだから。したがって、これら三感覚の重要性が高まることは、必然であるように思われる。
とはいえ「思われる」ということと、国文学などにおいて実際にどのように捉えられていたのかは、もちろん別問題であるから、これは検証の必要があるだろう。あるいは(素人である私に言われるまでもなく)既に専門家の間では検証済みなのかもしれない。国文学中の、特に男女の愛の営みや語らいにおける三感覚が占める役割について、どのように描かれ、語られてきたのか、可能ならば識者の見解を知りたいものである。
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さて、私は上で、男女の機微の話を後回しにして、妖怪の正体を識別する感覚的な手段の話をすると書いた。そこでいよいよ、男女の機微、すなわち異性のパートナーのことを暗闇の中で知る手段としての嗅覚・聴覚・触覚の三感覚について論ずる順番がやって来た。といっても、上の文章を読んでもらえば分かるとおり、専門的な知見を私は持たない。そこで、識者の見解とは無関係に、今の私個人が思うところを書くことにする。したがって、これより以下は全くの駄文である。
文字数制限のため分割したので、続きは⇒anond:20221023224411
私はめちゃくちゃ漫画が好きだ。それで呪術廻戦を最近読んだ。食わず嫌いをしていたので、良くないと思って読んだのだ。多分120話くらいまで読んだ。
1週間前に一気読みした東京卍リベンジャーズの余韻冷めやらぬ中、わりと期待して読み始めた。
そしたら本当に面白くなかった。面白くなさすぎて、後半は面白さを探すために読んでいたが、途中で断念してしまった。以下面白くなかった理由。
1. 物語のフックが無い
私がこの漫画を読んで、魅力的に感じたのは、主人公の虎杖君だけだった。
超人離れした少年の中に、規格外の化け物が巣食うという構図がまず面白い(寄生獣を彷彿とさせる)。そしてその化け物も非常に圧倒的な力を持っている。チートみたいな能力を、主人公は最初から有している。
往年の少年漫画の主人公は、皆特殊能力を持ちながらも、それは徐々に目覚めていくものだった。ナルトしかり、黒崎一護しかり、ルフィしかり。であるから、最初からラスボスクラスの力を抱えている虎杖君の存在は私には面白かった。
ところが虎杖君以外の他のキャラには全く魅力を感じることができなかった。作中で登場人物がキラキラと輝くシーンが、読んでいて非常に少なかった。
全体的に、バトル、バトルの連続で、それは少年漫画らしくて良いのだが、それぞれのバトルに、"物語における引力"を感じない。
例えば、NARUTOの再不斬と白だったり、ハンターハンターのクラピカvsウボォーギンだったり、うしおととらの鎌鼬だったり、名作と言われる少年漫画にはそれぞれ強烈な印象を残すシーンがあると思う。それが呪術廻戦には無かった。
虎杖君と三兄弟の末っ子二人のバトルと、虎杖君と京都校のパイセンの友情バトルは面白かった。だが、サブキャラの戦闘シーンは総じて魅力的に感じられなかった。感動するような戦闘シーンはひとつもなかった。
2.五条悟に魅力を感じない
どうやらこの作品において五条悟というのはキーパーソンらしいが、読んでいて全く魅力的に感じないと言うか、彼を見ると、NARUTOのカカシ先生を思い出してしまう。"ミステリアスで銀髪で目を隠していて最強クラスの力を持ってる主人公の師匠(眼帯外すとイケメン)"。属性が似過ぎていて、カカシ先生よりもキャラとして魅力的に見えなければ私には厳しかったが、やはりカカシ先生を超えるような存在には思えなかった。
と言うこの漫画、ブサイクが一人もいない。一人くらい、ウソップとかチョウジとかパーやんとかそういうキャラがいても良いのではないかと思うが、ダメなのだろうか。それともこの漫画は、BLEACHやディーグレみたいな、ブサイクがほぼいないオシャレ戦闘漫画なのだろうか。それならば戦闘シーンに(上記二作品のような)圧倒的な華が欲しい。和風の作品なんだから(?)もっと墨とか使いまくって良い気がするんだがダメなんだろうか。
第一話から始まる虎杖君と器の関係だが、100話を超えてもマトモな対話をしていない事には正直驚いた。50話くらいで一度ガチンコ勝負するんかなと思ったら全然そんな事なくて、ハロウィンの日に宿儺が久しぶりに現れたかと思えば無双していって、結局虎杖君は器を乗りこなせていないままと言うか、どちらかと言えば器に良いように体を使われて泣いてるままで、いやそりゃ何の解決もしてないんだからそうなるやろと言うか……。
まとめ:自分にとって呪術廻戦が面白いと感じられなかったのはショックな事だった。爆発的に売れてる作品は面白い(でなければ売れない)はずで、その作品の良さを全く理解出来なかった自分が悪いのかもしれない。
ブログに直接コメントしたかったけれど受け付けてもらえなかったのでここに書くけれど
https://biglizards.net/strawberryblog/wp/2022/08/24/
政府に頼るなとか言い出したら子育て支援だって要らないでしょうし、
少子化対策のためには独身女性の支援をしない方がいいという理屈は明らかにおかしいです。
この理屈に対してはフェミニズムの観点からの批判が殆どですが、そもそも少子化対策という観点から言ってもおかしいと思うんですよね。
何故ならば、現実には独身女性の殆どは、結婚できるならばしたいと考えているからです。twitterでは少数派の声が目立つだけです。
https://dime.jp/genre/1076255/「男女とも「結婚願望はあるが不安がある」が1位に」。
https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/research/cyousa21/net_riyousha/html/2_8_4.html
内閣府の調査によれば男女とも「適当な相手にめぐり合わないから」(男性55.4%、女性58.8%)が第1位にあげられている」とあります。これは過半数を越え、未婚者であっても結婚自体は望んでいる人の方が多数派である事が分かります。
「結婚資金が足りないから」についても、男性の35.6%よりは少ないものの22.9%とそれなりの割合になっています。
さらに、「結婚していない理由として「適当な相手にめぐり合わない」をあげた回答者(1,894人)が、どんな対策が結婚を希望する未婚者のために重要だと考えているか(p.148参照)をみると、男女とも全体の傾向と同様に「雇用対策をもって、安定した雇用機会を提供する」(男性47.9%、女性が50.1%)が最も多くあげられている」との結果が出ています。女性は特に近年非正規の期間雇用が多く、そこで男性と出会ったとしても継続的な関係を築いて職場恋愛に発展させる事が難しいのです。職場以外で相手を探すにしても、結婚相談所への登録やマッチングアプリ経由でのデートなど、やはりお金が必要です。
https://daini2.co.jp/freeter/article-2427-author-61/
「内閣府が行った平成23年度に行った調査によれば、結婚前に働いていた女性のうち、64.2%の方が正社員です。それに対し、非正規雇用の方は29.2%にとどまります。つまり、結婚した女性の内の6割以上は正社員として働いていた方ということなのです。」男性のみならず女性も、正社員の方が結婚しやすいのです。このようなデータからも、独身女性の雇用の安定が既婚率の上昇ひいては少子化対策には有効である事が分かります。
また、こうして数値に表れた部分以外でも、女性の方が賃金が低く、それ故に女性に必要とされるコスメやファッションなどに十分なお金を掛けられずに恋愛に及び腰になる。貧困と将来への不安から、恋愛するだけの時間的精神的余裕が持てない。……といった事情で結婚出来ない女性が多い事も、常識的に考えれば分かるでしょう。
こういった、「結婚したいけれど出来ない」不本意型の独身女性の問題は、経済的な余裕が出来る事によってある程度解消されます。
つまり、独身女性を支援すればそれだけ少子化解消へと繋がる可能性が高いのであって、それは既に結婚し子供を産んだカップルのみを優遇する「子育て支援」よりも有効性が高いと思われます。
そして何よりも自分自身は結婚出来たとしても、子供を産めば2分の1の確率で娘が生まれ、その娘は生涯独身になる可能性がある以上、独身女性の人権が保障されていない社会では安心して子供を産む事は出来ないでしょう。やはり独身女性への支援を行う事は女性が安心して子供を産むモチベーションに繋がります。