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はてなキーワード: 中学一年生とは

2018-08-06

マジでからでもコミケ中止にできないの?

めっちゃ人がバタバタ倒れた C84 一日目の天気見たら最高気温 36 度ぐらいだった。 http://www.tenki.jp/past/2013/08/10/amedas/3/16/44136.html なんとも言えないところではあるけど https://tenki.jp/forecast/3/16/4410/13108/10days.html を見るに金曜などあれに匹敵する天候になる可能性は 5% とかはあるんではないかと思う。

当時ぐらいに人が倒れたとき熱中症への注目が集まる今ならどうなるだろうか。まあ、おっさんおばさんが何人倒れても大した問題ではないのかもしれない。それはまあ、自己責任範疇で、人には愚行の権利はある。彼らが救急搬送されることで医療リソースが浪費され玉突き式に死んでしまう人が出てしまうかもしれないが、どうせそんな奴はそのうち死ぬからまり問題ではない。

ただ、コミケには膨大な量の子供が来ている。中高生はもちろん、小学生だっている。彼ら子供勝手に来ているだけで彼らもコミックマーケットルールを熟知し自ら責任を取ることのできるコミックマーケット参加者だ、という理屈は内部的には通用するかもしれないが、外部に通用するものではない。

中学生熱中症でもし死にでもしたらイベント継続が困難になる。

子供の参加は受け入れるが彼らの保護者としてふるまいはしない、というのは五年前ならまだ通用たかもしれないけど、今は通用するものだろうか。そうではないと思う。我々は、彼らの保護者としてふるまわなければならない。たとえ、彼らの態度がとんでもなく他人をいらつかせる嫌なものであるとしても。

今手元にある同人誌即売会カタログを見たら最古のものは COMITIA48 のだったのでおそらくこれたぶん俺は中学一年生だかだったと思うのだけど、 TRC陸の孤島ということを確か当時の俺は知らずに参加していたと思う(今は違うんだっけ?)。のどが渇いて辛かったことだけは覚えている。俺が特別に愚かな子供だったのか?そうかもしれない。それならば、安心ではある。ただまあ、実際には平均的にバカオタクの子供、という程度だったんじゃないのかね。

俺くらいにバカ子供が一人死ねマジでコミケどころか同人誌即売会全体にとんでもないダメージになる。今東京都庁には史上最高の脳無しが居座ってるというのも忘れるべきではない。春秋開催への移行とかいい加減まじめに検討したほうがいいんじゃないかね。そして今回は金曜だけでもなんか年齢確認入りの制限開催なり中止なりできないかな。

そして、せめて我々は、自分とクソガキのうち、クソガキの治療が優先される覚悟ぐらいはしておくべきだ。

2018-08-02

上手な生き方

今までの人生を振り返ってみて、やはり最初に思うのは「失敗だった」ということです。何が失敗だったか、どこからが失敗だったか。色々と考えてはみますけれど、明確に何が、どこからが、というのはわからず、強いて言うのであれば最初から、何もかもが失敗であったと思います

幼稚園に通っていた頃、私は1人で遊ぶのが好きな子だったそうです。みんなが仲良く遊んでいる中、1人でいたのだと。そのような記憶自分にはありませんが、今考えれば納得はできます。私の社会性の無さというものはその時点で明確に顕れていたのだと思うのです。

小学生の頃の記憶はあまりありません。あったとしても、嫌な思い出ばかりです。途中まではそれなりに、上手くやっていたかもしれません。私の社会性の無さ、性格の歪み、それらを隠すことが出来ていました。しかしそれらが露呈する出来事がいくつかありました。

一つ目は、小学五年生の頃だったかと思います。転校してきた男の子に、何故か好かれました。私も小学生でしたから、好かれていると思うと、相手が気になります。それが恐らくクラス女子の気に障ったのでしょう。色々なことを言われました。一番言われたのは、男好き、ぶりっ子などという言葉です。

私は、クラス女子のように、教室の隅に集まってコソコソと話すのが好きではありませんでした。外に出て、ドッジボールバスケットボールをするのが好きでした。だから男子と遊んでいました。それだけです。そこに男子に好かれたいなどという気持ちは一切無く、ただ自分のしたいようにしていただけなのです。それでもやはり、男好き、ぶりっ子と言われます。ですから言葉遣いを男子のようにしました。今思えば、くだらない反抗心のようなものだと思います。勿論無駄でした。

二つ目も、小学五年生の頃です。クラスに虐められている子がいました。クラス女子ほとんどが加害者でした。ほぼ傍観者であった私と2人を除いて、無視をしていました。その件は、クラス女子全員が、被害者の家へ直接謝りに行くことで収束していきましたが、その時私はとても白けた気持ちになったことを覚えています。私がもしその子だったら(勿論私はその子ではないので勝手な推測でしかありませんが)、自分を虐めてきた相手が家まで押しかけてくる、なんて状況には耐えられません。この人達ドラマか何かの見過ぎなのではないか、この一連の状況を映画のワンシーンだとでも思っているのではないか。この頃から私は、心の底からクラス女子を見下すようになりました。しかし、どんな理由があろうとも、こうやって他人を見下すこと自体性格が歪んでいるのです。それに、最近まで気づくことが出来ませんでした。

中学生になり、女子校に進学しました。勉強をしていなかったため、第1志望中学不合格でしたが。

中学一年生の夏、知り合いの、特に付き合っていない男子に、セックスがしたいと言われました。断ったら嫌われると思い、了承しました。けれど、直前になって怖くなり、何も言わず約束を破りました。嫌われてもいいから、逃げたかったのだと思います。そこまでは良かったのですが、それを母に知られました。私が学校宿泊行事に行っているあいだ、携帯メールを見られたのです。妊娠してるのではないかと泣かれました。あの時のことは、今でも鮮明に思い出せます。もちろん私がすべて悪いのですが、それ以降、なんとなく家族距離を置くようになりました。

もともと小学生の頃、塾での成績が悪く、そもそも勉強していなかったことに対し叩かれたり、怒鳴られたり、やはりそれも私がすべて悪いのですが、そういったことがあったために家族とはそこまで仲がよくありませんでしたし、正直苦手でした。

話が逸れましたが、中学高校はとても楽しかったのです。人生ピークだったように思います。私が私が友人だと思っている相手に友人だと思われているか。そういったことはここでは考えないようにします。中高と、友人に恵まれていました。

ただひとつ失敗があったとすれば、高校二年生のときです。ある人と付き合いました。その理由は、今考えれば、依存できる人間が欲しかった。それだけです。そんな理由ですから、勿論振られました。振られて、精神病みました。私が悪いにもかかわらず。病みたいのは相手の方だったでしょう。そのとき私は死のうと思いました。けれど死ねなかった。ここで死ななかったのが、最大の失敗です。

暫くして大学生になり、新しく異性の友人ができました。その友人と付き合うことになりました。これも今考えれば、依存できる人間が欲しかった。それだけの理由です。何度も喧嘩して、頼み込んで復縁して。それを繰り返していくうちに、本当の終わりが来ました。思いの外すぐに立ち直り、1人でいるのも意外と良いものだと思いました。その過程で、今までの自分がどれだけ他人を傷つけ、苦しめ、依存し、時間を奪っていたのか、自覚しました。もう人と付き合うのはやめよう。そう思っていた矢先、別れた相手から連絡がありました。復縁したいという旨の連絡です。

その頃には私は自分にはなんの価値もないのだということが理解出来ていましたから、断るつもりでした。しかし、断ったことで相手不快にさせていいだけの価値も、私にはありません。ですから曖昧な返事をし、気づけば付き合うことになっていました。

相手のことは好きでした。一緒にいると、幸せでした。

けれど相手にはもっと相応しい相手がいます。私といても幸せになれません。ですから、思い切って別れを切り出しました。

あっさり別れられた時点で、自分価値を再認識しました。

そして、4月から社会人になりました。私は仕事ができません。心も弱いです。他人が耐えられることに、耐えられないのです。

何より辛いのが、無価値自分が、何も出来ない私が会社にいることで、他人迷惑がかかっていることです。

私さえいなければ、上司気持ちよく仕事ができるのに、私がいるせいで、注意をしなければいけない。ヒヤヒヤしなければいけない。余計な時間を使わせてしまう。

ここまで書いて、何を言いたいのかわからなくなってきました

ただただ私は、消えたいだけなのです。こういった場所にこういったことを書けば、じゃあ消えろ、死ねメンヘラと言われることはわかっているのです。全て分かった上で書いています

女に生まれたくなかった。男に生まれたくもなかった。

迷惑をかけるくらいなら、生きていたくない。けれど死ぬのは怖い。

人と付き合いたい。誰かひとりに愛されたい。けれど付き合えば必ず不幸にする。私の心に問題があるから

親孝行をしたい。けれどできない。私は結婚も出来なければ、幸せそうな顔を繕えるほどうまく生きられる人間ではないから。

親孝行もできず、付き合えば相手を不幸にし、働けば他人迷惑をかけ、挙句の果てにはこうやってインターネットにどうしようもない文章を放り込む。

もっと書いてすっきりしたいことはあったはずなのですが、思い出せません。これだけ長々と書いて、言いたいことはこれだけです。

どうすれば、うまく生きられるのですか。

2018-08-01

自分ゲイなせいにしたくない自分と、その弱みに甘える自分

 私が自分の性嗜好に、というよりその性嗜好の異常さに気が付いたのは中学生の時だ。

 オナニーは小5の時からしていたし、その頃からゲイビデオオカズにしていたが、どういうわけかそれが普通のことだと思っていたのだ。自分他者との境界が見えていなかったことに気づいたのが、その境界が確固として存在することに気づいてしまったのが、中学一年生の時だった。きっかけなんてあったかどうかは、ついぞ忘れてしまった。

 とにかく、私はとても恥ずかしくなった。怖くなった。人と話すのが、人と会うのが、外に出るのが、怖くてたまらなくなった。誰と話すこともできず、全てをはぐらかし、いじめっ子にも呆れられるくらいに、私は独りになった。

 接する人間絶対数が少なく、それでいて理解されたいという願望の強かった私は、優しくされるとすぐ惚れてしまう、情けない男になり下がった。

 中学二年生の時。同じようにいじめに遭い、たまたま趣味も同じで独りぼっちだった私に助けを求めたのか、優しく話しかけてくれたあいつを、俺は好きになった。

 高校一年生の時。ふさぎ込む私を見かねて、クラスメイトに馴染めるように自分長所を引き出して自信を持たせてくれた先生を、俺は好きになった。

 高校二年生の時。たまたま隣の席になって、仲のいい人間がいなさそうな俺に笑いかけてくれたあいつを、俺は好きになった。

 一つの恋も実るはずがなかった。自分感情思考を隠すことばかり考えて育った私に、正直に自分の愛だの、恋だのを伝えることができるはずがなかった。

 恐る恐る、こっそり、気づかれるか気づかれないかからいくらいの微妙さで、アピールをした。その全てがストーカーじみていて気持ちが悪いことは、自分が一番わかっていた。

 自分自分気持ち悪くて仕方なかった。向こうは純粋気持ち・やさしさで接してくれているのに、悉く裏切って、こんなに気持ち悪い接し方をしてしま自分が、ひどく嫌いになった。

 そんなことの繰り返しに嫌気がさして、故郷を離れて、男の少ない学部学科を選んで、進学した。

 女友達が少しできた。数人にはカミングアウトもしたが、大した反応も拒絶もなく、そんなもの無かったことかのように、周りにバレないように気を遣って、私がさもヘテロかのように振舞ってくれる、いい友達だ。

 だのに、自分が殺されているような気がして、胸が圧し潰されるのだ。人の優しさを踏みにじること以外に取り柄がないのだ。

 人と接することが苦手だということは、紛れもなく事実だ。人と会話していると、自分感情が上手く言葉に載らないので、自分言葉が上手く会話に載らないので、指先まで淋しさで凍って動けなくなる。

 凍っている自分を見ている自分が、後ろから無愛想にあざけ笑う。そんなことになった原因を何だと考えているんだと、声にならない声であざけ笑う。

 うるさい。

 俺がゲイなのが悪いんじゃない。これは生まれつきだ。性嗜好が悪くて俺が悪いんだったら、俺はどこに救いを求めればいいのだ。

 故郷を離れての生活は快適だった。大学には私に優しくしてくれるような、私の好みの男性はいなかった。昔思いを寄せた相手を思い出してしまうような景色も一切なかった

 人と接したくないからと他のコミュニティに関わることもなかったので、男性と知り合う機会は一切なかった

 だから、私は自分の重荷を忘れてしまうくらいに、自然に過ごしていた。孤独ではあっても、ふわふわとした幸せ時間があったのだ。


 お金がないことを苦に、アルバイトを始めるまでは。


 年上の、体の大きなあの人は、俺に優しく笑いかけてくれる。

 失敗をしても、少し甲高いかわいい声で、大丈夫大丈夫、と言って励ましてくれる。

 自分視線が、自分の足が、あさましく、無意識に彼の方に近寄っていくのを感じながら、俺は、たどたどしい言葉を紡いで、他愛もない話をする。穢れた心臓をはち切れそうにさせながら。

 バイトの先輩が新人に優しくするのは、法や条例世界で定められるくらいの理であって、当たり前のことなのに。

 年上のあの人が優しいのは、仕事からかもしれないのに。

 あの人がたまにくだけた口調で冗談をいって笑うのは、俺にこんな、気持ち悪いまなざしを向けられるためではないのに。

 俺が産まれ、育てられ、故郷を離れているのは、こんな些細なことで悩むためではないのに。

 誰とも接さないまま生きるか、死ぬことができたらいいのに。

 大好きな音楽を聴いているだけで生きていけたら、ずっと一人で、ずっと一人で聴き続けながら死んで、それでなんにも構わないのに。

 どうして俺はこんな思いをするために、生まれてきてしまったのだ。  どうすればよいのだ。    私は、どうしたいのだ。

2018-07-08

anond:20180708070057

数学最初につまづいてるとずっと駄目になる教科。

中学一年生最初にやった一次方程式からでなおせ。

2a+3=9

のaの意味から考え直せ。

2018-07-06

今日一ショッキングだったこと。

上司平成7年まれだった。

今年平成30年だよね?

ていうことは、今23歳?

私の計算力が確かなら、23歳?

マジかーーー!?

13歳も年下て。

私が中学一年生の時にオギャアと生まれたのか。

阪神大震災が起きて、地下鉄サリン事件が起きて、新世ヱヴァンゲリヲン放送された年に生まれたのかよ。

名探偵コナン放送が始まる前年だよ。

ワンピースはまだまだ始まってなかったけどワンピ観て育ったといっても過言じゃないくらいの年齢だよ。観てればだけど。

マジかよ…………マジかよ………………。

2018-06-29

サトウキビ畑でお尻を叩かれた

中学一年生の時、高校生(だったはず)の従兄弟女の子にお尻を出せと命令され、サトウキビ畑の真ん中で渋々お尻を出してサトウキビで叩かれた。

痛くて泣いたらごめんねと思い切りキスされ、その後恐怖の初体験

今日みたいな青い空を見ると否応にも思い出す。

から自分は未だにセックスが苦手。

こんな話を友達飲み会でするわけもなく、きっともやもやしたまま心の中に抱えて生きて行くと思う。

ちなみに従兄弟とは毎年会うが、その時のことは一切触れない。

2018-06-15

容姿について

たまたまなのか親が意図してそうしていたのかわからないが、幼い頃に自分容姿についてどうこう言われた記憶がない。

両親や親戚、友だちに「かわいい」とも「ブス」とも言われたことがなく、自分がどうなのかも考えたことがなかった。

まだオシャレでかわいい、値段も大人顔負けの子供服が登場する前の世代だったというのもあるのかもしれない。

周りの友だちの顔についてもあまり感想はなく、学年一飛びぬけてかわいい女の子だけはさすがに「かわいい!」と思っていた程度。

そんな私が初めて容姿について言及されたのが中学一年生である

クラスメイト男子に何か言ったときに、「イラン人みたいな顔のくせに!」と返されたのである

ショックを受けたかというとそうでもないのだが、自分の顔についての第一報がイラン人

そもそもイラン人とはどういう顔をしていたら言われるのか。

今になるとよくわかるが、私の顔立ちは濃いのだった。彫りが深い。

だがファーストインパクトイラン人だったお陰で、その後顔について何を言われても何も揺らがなくなった。

ネパール人は大体お前みたいな顔だった」、「ロシア人っぽい」、カレーを売っていたら「本場の方ですか?」、

「何人のハーフですか?」、「イタリアに顔がそのままの彫刻があった」。

一番気になっているのは「アメリカ人っぽい」という感想。それは結局どんな顔なんだ。

国内編では「沖縄っぽいですね」、「え?北海道?あ、アイヌとか?」、

知らないおじさんに急に話しかけられて「梅宮アンナに似てるって言われたことない?」、

荒川静香に似てる」「アンジェラアキに似ている」「平井堅を思い出す」「斜め後ろから見ると松潤」。

多分私の顔はその人の思い描く「濃い顔」に類似として分類されるのだ。かつ男顔。

なんで急にそんな顔にまつわるアレコレを思い出したかというと、娘が産まれたのである

我が子はやはりかわいい自分の子からかわいいだけだとは思う。

しかし行く行くは顔の骨格が発達して濃い顔になるかもしれない。

私は子ども現在自分の思うままに「かわいい」と口にして育てて良いのだろうか。

それとも自分がそう育ったように容姿について触れずに置いた方が良いだろうか。

少し悩ましく、その過程でなんだか昔のアレコレを思い出した雑記である

2018-06-10

5万円のお買い物をするなら

39歳男性 専門職ビデオゲームガジェットが好き。

家族構成40代の奥さんと中学一年生の息子。共働き

  

私の趣味に関するものは、基本はお小遣い制(月に1万円)

その他の場合にはプレゼンテーションを行って、家族が納得できれば買ってもらえるスタイルになっております

さて、そんな私が、この度のボーナスで50000円を使用しても良いことになりました!

普段は買えないようなモノを買おう!という気持ちが高まっているのです。

  

お買い物の権利を与えられて、何を買おうか迷い、それが到着するまでが本当に楽しいのです。

特に迷っているときのワクワクがたまらないんですよ。

(届いてから楽しいですけど)

  

という訳で、現時点で迷っているものを書き出してみました。

ほしいものがたくさんあるのです。

  

  

1.ホットクック  

水なし自動調理鍋、ホットクック!①1.6リットル ②2.4リットルの旧モデル ③2.4リットルの新モデルで迷っています

はいえ、2.4リットルは新旧モデルともに予算オーバー+大きさもあるため、実際には1.6リットル+内鍋と内蓋を追加がベストかと思っています

機能としては③がいいんだけどなー。

また、我が家では既にANOVAが活躍していて、妻から評価も高いのです。

素材と温度によっては割と作り置いておくこともできて、塊肉の調理はこれ以上の調理法は今のところはないと感じています

そして、なによりANOVAのよいところは、最初の準備のみで料理が完成するところ。

もちろん、それはホットクックも同じです。ホットクックは、下準備を好きな時間に行えて、複雑な手順もなさそう。

私の料理レパートリーが増えると少しは妻の負担の軽減になるのではないかと思っています

野菜が美味しく仕上がりそうなのも素敵です。

  

  

2.Oculus Go  

さっとつけられることでVR生活に馴染む!と巷では話題アイテム

スマホをはめ込んで使うVRゴーグルは使ってみたことはあるし、なかなかおもしろ体験ではありましたが、まあ、普段から使おうとは思えない。

何より、スマホをつけたり外したりが面倒…その点ではその課題クリアしているOculus Goはよいような気がする。

ネトフリも普段から使っているので、それも試してみたいです。

生活が変わりそうな予感もするのでなかなか良いのではないかと思います

はいえ、PS VRについても「PlayStation E3 2018 Showcase」での新ハードウェアや新作ソフトが発表になりそうで、気にもなっています

コンセプトはだいぶ違いますけどねー。

手持ちのPS4ノーマルなので、Proに買い替えて…となると完全に予算オーバーだなー。

  

  

3.アップルウォッチ  

スマートウォッチPebble Timeを使っていて、通知が来ることとバッテリーがそこそこ持つことにかなりのメリットを感じています

最近、メインのスマホAndroidからiOSになったこともあり、これを機にアップルウォッチを買おうかなーとも思っています

しかし、MVNO使用しているため、LTEモデルは買えないんだよなー。

こういうパターンは購入意欲が低下する要因になりうるのです。

  

  

4.ヨギボー  

人をダメにするソファーの上級機。

自分の部屋ではイケアのポエングを使ってゲームをしたりしているのですが、これを機にヨギボーさんを購入して「床ですごす生活」ようにしようかなー、とも企んでいます

ヨギボー、こんな機会でもないと買わないだろうからなー。

  

  

5.ホームプロジェクター:ドリーミオ  

8〜9万円くらいの機種。(予算オーバーだな)

設置場所の都合で斜め投影必要そうなのでこちらの機種がよいかと思っています

今回は見送りかなー。

  

  

6.TV(50インチ 4K)  

ハイセンスさんあたりだと、50インチ近くても50000円の機種もあるようですが、実機をみたらちょっと黒が弱かったなー。

自分の部屋のテレビはLG32型の機種。まあ、使えるものを買い換えるのは贅沢の極みなので、今のところは避けたいところ。

  

  

7.ルンバ  

自動化は便利そうなので。リビングの床にはなにも置いていないので、相性はよさそう。

ただ、我が家ダスキンのモップも頼んでいて、これがさっと使えてかなり便利なのであまり効果が実感できなそう。

  

  

で、ここから先は、予算からすると値段が下がります。  

  

ポータブルハードディスク  

Macbook airバックアップHDD

使っていたものが壊れてしまったので。これはプレゼンテーションによっては購入してもらえそうなのでわざわざこの予算で買わなくてもいいか

  

JBL LINK 10〜500  

Google Home miniは使っているのですが、なかなか面白い体験

持ち運べるJBL LINK20くらいの奴が良さそう。

予算が余ったら購入を考えたい。

  

Mac マジックマウス2  

使ったことない。ちょっと予算に余裕がないと買わなそうなので。

  

産業 レンジでらくチン ゆでたまご  

息子のお弁当作り用に

  

地球防衛軍5(DL版は現在30%オフ

EDF!EDF!

  

  

・・・まだまだあるけど、とりあえずはこんなところかなー。

クワクするなー、たのしいなー。

今のところは、家族へのメリットも考えるとホットクックが暫定1位です。

2018-05-26

中学一年生自殺

昨日のニュース中学生自殺話題になっていた。

それをうけてか、電車の中で、中学生母親位の年代グループが、つい最近まで小学生だった子供自殺なんて信じられない。自分達がそんな歳の頃は自殺なんて考えたことなんてなかったというような話をしていた。

こんな人想像力の欠如した人だらけだから若い人が自殺するんだと思った。

2018-05-13

anond:20180513090154

すごい!よくじぶんでかんがえたね!

中学一年生ぐらいかな?

2018-03-27

今の記憶のまま人生やり直したい

二十歳

中学一年生あたりからやり直したい

2018-03-21

おとこもおんなもない世界ならよかった

わたしは女。

友達女友達も半々くらいの比率でいる。

けどトラブルだったり悩みの種になるのはいつも男だ。

女の子とは割と良い関係が築けている気がする。

彼氏は2年くらい居ない。

なのでいろんな男友達と二人でも飲むし、みんなで遊んだりもする。男の中でわたしひとり女だったりすることもある。

職業柄慣れっこではあるし、平気。

ホテルには行かないし手も繋がない、チューもしない。誰かの家で宅飲みしても男と1対1になるシチュエーションは必ず避ける。

女の子といると安心するけど

男の人といるほうが楽なときもある

わたしにとっては女、男、という性別よりはその人個人を見て付き合っている。つもりだった。

性別って言うのは、その存在だけで残酷なんだな、って思った。

二人で飲んだりしてた男友達たまたま大勢で飲んでいたときひどく酔っぱらって抱きついてきたりすきだよとか抱かせろとか言ってきて

キモすぎて、やめて、キモい、と拒否するようなこと言ったら逆ギレされて物を投げられた。

こわかった。よく考えたらセクハラ

共通の友人に相談したらわたしのことがすきんじゃないかと気付いてたと言われた。

わたしはなにもしらなかった

拒絶の仕方が悪かったのかもしれない、

わたしだって思わせ振りなことしてたかもしれない

けどこんな傷つけ方をされていいわけじゃないと思う。

とは思うもの

嫌よ嫌よもすきのうちと思われたのかはわからないが

迫ってくる男を止めない周りにも嫌気がさしたしそういう社会わたしは生きてるんだって

気付かされた。

わたしは、

女の子男の子も問わずすきだよ、と言ってしま

そういうとこがすき、とか普通に言っちゃう

二人でお酒だって飲む。もっとその人を知りたいから。さしのほうがその人に向き合えるから。男とか女とか関係なく。

それがよくないって男友達に言われた

身体はなんもなくても心がビッチ、って女友達に言われた

わたしには出てるものがない代わりに穴があって

男には穴がない代わりに出てるものがあって

どうしてその違いで

仲が良いままでいられなかったりすることがあるのだろうか

至極当たり前のことだし

男と女友情はお互いに気を遣い合って一線を越えないようにしているから成り立っているものってわかっている

それでもかなしいものはかなしいな

クリオネみたいになればいいのに

男も女もなかったらな

男の人がすきだけど嫌いだ。

男の人が持ってる男性性みたいなのに飢えているから知らず知らず男の人に甘えてしまって

その気にさせてしまって、でも下心を感じた途端に気持ち悪くなって拒絶してしま

友達の男としての一面は見たくない

わたしが悪い、

わたしはどうしようもなく女だ。

こうやって性別に拘っている時点で自分いちばん気にしている。

でも、男の人が怖い。

怖いといいつつ彼氏もいたし処女じゃない。

性的関係気持ちいいとはおもう。

けどどこかやっぱり怖くて、男の人優勢で世界が回っている気がして、でも自分にないものとして男の人に惹かれてしま

という事実すらかなしい

中学一年生とき胸が膨らみお尻が大きくなり、自分がひどくいやらしい女のように思えて嫌だった。

母にはからかわれた。すごくそれがショックだった。あんまり思い出せないけど

男のエサになる。と思った。

男との関係の取り方には父親との関係性が根底にある的なこと言われてるけど、わたし自身うまくいかなかった。

これが原因なのかな。

どうしてこうなったのか、自分でも理由がわからない

自分の中の女性性を否定する

バカなふりしてるほうが楽だし女の子らしい服着ない、男みたいな振る舞いもする

そのくせに

ときには女であることを良いように使ったりする、ほんと、最低だな。ちゃっかりしてんな。わたしって

最低だな。

ちなみに変な男ばっか寄ってきます。それでも生き残ってる男友達は良い奴ばっかです。

2018-02-04

時々ネット懐古の旅に出たくなる

ネットには小学校低学年の頃から触れてきた20代の女だ。

時々、何の拍子にかわからないがふと昔ネットで良く見てたサイトを思い出して「今あのサイトどうなってるんだろう…」と思う事がある。

記憶はあってもサイト名を覚えていなかったり、サイト自身が消えてしまっているのもあるが、未だに残っていたりするサイトがあったり、当時の画像や記録が残っていたりして今になって見ると中々懐かしくて面白い

こういった事を年に1,2回ほどしたくなる。それを私は「ネット懐古の旅」と呼んでいる。懐古と言ってもたかだか10年ほど前の事だが。

その思い出話をなんとなく残しておきたくなったので残しておこうと思う。

リヴリーアイランド

まずこういったバーチャルサイト自体が好きで大量に遊んでいたのだが、その中でも一番ド嵌りしていたのがこれだ。

2003年から3,4年はガッツリ嵌っていて、学校から帰っては遊んでいた。なんなら親に頼み込んで「G.L.L」という有料会員にも登録させてもらっていた。

リヴリーキャラクターも勿論だが、島やら家具やらのデザインが可愛らしくてその雰囲気がとても好きだった。リアル友達にこれやってみない?と誘った最初最後オンラインゲームだった。発売していた攻略本シール帳なども購入していたし本当にとても好きだった。

その後も時折やっては居たものの、いつからか餌をやりトイレをさせ金を回収するだけという日々が続き(これリヴリーやってない人から見たら意味不明なのではないだろうか)、そのまま有料会員も退会しログインしなくなっていった。

今調べてみると名前が多少変わり、未だに運営は続いているようだった。なんかLINEスタンプ出てたから懐かしさに負けて購入した。

しかし辞めてはしまったけどやっぱりリヴリー可愛い…可愛くない?私はクンパとケマリとオオツノワタケが好きだったんだよ…ラヴォクスも好きだったけどなんかアレはふわふわ女子しか飼ってはいけないのではみたいな謎のプレッシャーに負けて飼えなかった。限定種も未だに増えてるんだな~~~ラビネってやつ可愛くて好きだ。

プラスリンネオベルミンとかあったな~~~。オオゼキタクの恋オーラは私が初めて購入したシングルCDだった。淡いすごい淡いすれ違いのその後に~~残り香で気づくような~~~♪これ通じる人いる…?

滅茶苦茶覚えてるのがアナグラ亭事件。あれはね~~~本当に重かったよね~~~~。凄かった本当に。あまりに動かなくて私が何か悪いことしてしまったのかと勘違いして「お父さんごめんなさいパソコン壊しちゃった;;」って謝った記憶がある。

それと先程言った友達がdoodooくじで1等当ててモチダルマ持ってたのが滅茶苦茶羨ましかった。コンプ癖あるからこういうアイテムコンプリートが段々難しくなっていったのが離れた理由の一因だった気がする。今なら多少はそういう要素あっても仕方ないよねって思えるんだけどね。

ところで検索したら小学生だった当時の自分がやっていたリヴリーに関するブログが未だに残っていて読み返したら頭が痛くなってきた。しかパスワードを覚えていないので消せない。生き地獄!!!!!!

ピタコムやらその辺

なんか他にも似たようなサイトをいくつか登録していた。何だっけ…ミルキーコムみたいな名前のやつとサイバーコムみたいな名前のやつと後なんか青くて海か何かをテーマにしてたやつ…(情報が無さすぎる)

確か全部同じ会社だった気がするし全部やってた。一番嵌ってたのがハピタコムだったのでそれしか名前をはっきりと覚えていない。

この世界で使える通貨ログインすると貰える仕様だったため、私はログインしてはログアウトしを繰り返し通貨を貯めていた。(もちろん短時間に繰り返すと貰える額は減るのだが、0近くになるまでは繰り返していた)

つの間にか飽きていつの間にかログインしなくなったがいつの間にかサービス終了していた。ネットで調べてもあまり情報が出てこなくて寂しい。が、ミルキーコムじゃなくてミルタンコムだったことはわかった。ミルタンな!!よっしゃ覚えた覚えた!!!

ぱどタウン

上記のハピタコムと似たようなサイトだった記憶があるのだが確かこれは運営会社が違った気がする。私は泉州ぱくぱくタウンに住んでいた。

正直そこまで熱心にやっていたわけではないのだが今調べたら半年ほど前にサービス終了していて今とても悲しみに暮れている。嘘だろお前…一年前に懐古の旅に出た時はまだ生きてたじゃないかログイン人数0人だったけど…

ところでこういうバーチャルタウンって今だとAmebaピグとかニコっとタウン辺りが人気なんだろうか。いやその話はちょっと逸れるからいいや。

ふみコミュ

2005年前後小学校高学年~中学生辺りだったネットを楽しんでいた女性は一度は聞いたことのあるサイトなのではないだろうか。

無論私もその一人だった。私がガッツリふみコミュに入り浸っていたのは中学一年生の時の一年間で、大体「雑談ロビー」という他の掲示板とはちょっと雰囲気の違う掲示板毎日のように遊んでいた。後素朴な疑問板。

なぜかこのサイト使用していたHNをしっかりと覚えていて検索したら一部の書き込みログやら愛画()やらが出てきた。クソ懐かしいな愛画。他にもあるぞ、ちめこんやら裏雑やら雑ロリボンやら色々あっただろほれほ~れ。

個人的に滅茶苦茶記憶に残っているのが醤油一気飲み事件と巨大ウサギアイコン事件かな。分かる貴方は私と雑ロで会話したことがあるかもしれない。

ちなみにふみコミュはそこから数年経ってリニューアルし、雑談ロビーリニューアルされ、これを期に今まで雑談ロビーにいなかったタイプの方々が掲示板投稿するようになって段々アクセスしなくなっていった。

これがきっかけで「雑ロはこんなんじゃなかったのに;;わたしたちの旧雑ロを返してよ><ふええ」と抗議した旧雑ロユーザーが大量に発生したとかしないとか。(私はその内の一人でした)

そんなこんなでアクセスすることは無くなったが未だにふみコミュは続いているらしい。もう大分変わって何がどうなってんのか全くわからないが。

突然思い出したが素朴な疑問板で唯一覚えてるのが「嵐の『全身全霊なんとかヴェー 自分なんたらかんたらヴェー』って曲なんですか?」って質問だ。a Day in Our Lifeだよそれ!!!

夢小説

ウッ…頭が…っ!

2007~2009年辺りは私も例外漏れず見てましたハイ…。あのほら…何十個もあるランキングからパスワード集めたりとかさ…「入口はこちから→」の「こちら」をクリックしたりとかさ…なんか妙なトラップ仕込まれてるとこ多かったよね…。パスを教えたと見せかけた必読の下の方にスクロールしたら「本当のぱすは○○」みたいなの載ってたりとかもあったね…。

でも何から見始めたのか全然覚えてない。何がきっかけだったんだろうこれ。あとこれの影響で自分創作しない癖にお題サイトかめっちゃ見てた。

ハンゲーム

小学生の時よく遊んでた。当時母がパズル雑誌をよく買ってきてくれた影響でイラストロジックが好きだった。そして自分は年齢の割にはイラストロジックが得意なのではないかという謎の自信があった。

確か部屋の中には初心者ルーム上級者用ルームがあり、初心者ルームは対戦で勝っても負けてもその時やりとりしたゲーム通貨のような物は退室した時点でリセットされるのだが、謎の自信に満ち溢れていた私は小学四年生という年齢の分際でいきなり上級者用ルーム突撃した。即負けていくら通貨を失ってビビッて逃げた。上には上がいるものだと実感した時である

なぜか高校の時にはアパレルパレットというデザイン系のゲームに突然嵌り再び小学生の時のように毎日ログインしていた時があった。でもこのゲームもいつの間にかサービス終了していた。うそーん…

なんかアパレルパレットBGMが好きだった記憶があるのだけどサービス終了すると聴けなくなるのとても悲しいね…。




とりあえず今回ここまで懐古した。こういうのを探していると突然こんなのもあったな!って思い出す事もあるしその度に懐かしくなる。思い出補正だろうが、自分が一番ネットを楽しめていたのがこの時期だったのかもしれない。

2018-01-12

悲報俺氏17歳にして怠惰が治らずwww学校サボるwwww【助けて】

なるべくたくさんの人に見てほしいのでこのようなタイトルしました。

助けて!知恵を貸してください。

わたくしは不登校児です。

まずは私の懺悔を聞いてください。イタくてクサい犯行記録をよんでください。

新学期が始まって2日経った。まだ一度も学校には行っていない。

行ってきます、と家をでて、電車に乗る。乗り換えの駅で降りる。ベンチに座る。電車から降りた人たちが群れをつくって階段へ向かうのを眺める。平日朝の駅には美しい秩序がある。目当ての群れに入りさえすれば、あとは無思考でも乗り換えのホームへ人が運んでくれる。ちょうど目当ての群れはベンチの前を濁流のように動いている。私はただ立ち上がればいい。しかし立ち上がらない。人びとをじっと見つめる。カナダグースが多いなあと思う。

やがて体が凍えてくる。始業時刻をとっくに過ぎてしまたことを知る。そこでやっと立ち上がることができて、私はよろよろと改札を抜け、すぐそばスターバックスに入ることができる。

あとは授業が終わる時間までカフェを3軒くらいハシゴする。大きな図書館に行くこともある。それらの中で私は本を読んで、リブログして、あるいはじっと考える。なるべく現実とかけ離れていることを、虚空を見つめて考え続ける。

父親単身赴任母親も働いて日中は家にいない。帰ったほうが節約になるし、テレビ見れるしあったかいし寝れるし絶対そっちの方がいいけれど、大学中退した四つ上の兄が一日中いるのでそうもいかない。

サボっても、家に連絡が来ることはない。電話線を抜いたから、きてるかどうかもわからない。

夕方家に帰って、自室で音を殺して弁当を食べる。

まずもって、誰にもバレない。慣れたものである

初めてサボったのは中学一年生の時である。その頃は今と家庭状況が違ったので、昼前には家に帰ることができたが、家に連絡が入ってバレてしまった。

中学二年生からは真面目に通っていたのだが、高校一年生の夏の終わりから、私のこの悪癖はまた顔を覗かせ始めた。

バレるたびに私の信用はゼロになる。

バレなくても、学校に行かないことで学校友達や仲間に迷惑をかけまくる。「ばり休む子」という色眼鏡で見られる。

中1で失くしたものをせっかく取り戻したというのに(うちは中高でほとんど生徒のメンバーが変わらない。99%同じ160人)、また自分でそれをぶち壊してしまった。

困ったことに、サボるときLINEアプリを開くのが苦痛になるため、友達心配するメッセージに返すこともできない。電話もでれない。みんな優しいので通知3,000とかいちゃう。ごめんね。

未読無視したままでも、それでも久しぶりに学校に行くとみんなはすごく嬉しそうにしたり、ほっとした顔をしてくれる。笑ってイジってくれるし(また鎖国〜?と言われる)、一緒にLINEを返してくれる子もいる。

幸せだなーと思う。

自分はクソ人間だが、何故か私は縁に恵まれている。私の周りは良いやつばっかり。みんな善良で、ユーモアがあり、親切で、努力家で、芸術が好きで、頭がいい。

でも私はまた休んでしまう。その度に友達は手を差し伸べてくれる。私は甘んじてその手を握り、そしてまた強い力で振りほどいてしまう。

ほんとうに申し訳ない。

言い訳します。

中1の頃も高1の頃も、学校をサボった朝、私は自殺しようとしていた。

朝起きて、自分の一番好きな服(母校がガチで好きなので制服のことです)に着替える。何事もないよう装う。さもいまから学校にいくんですよ、昨日の続きの人生を送りますよ、という風な態度をとる。ここでちょっとでも変なことをしたら、死ぬ自由を奪われてしまう。

自殺を決意したとき特有の見え方で輝いている母親の優しい眼差しなんかを目に焼き付けて、いつもよりも良い匂い空気を吸い込む。

駅のホームで、さあ死ぬぞ、と靴を半分脱ぐ。そういえば、滞りなく通学していた時期に、人身事故で困ったことがあったなあ。線路に飛び込んで死んだら、損害賠償ヤバイってマジなのかな…。そんなことを考えていると、通過列車アナウンス流れる死ぬならやっぱ通過じゃない?止まるやつより速いから確実そう)。

入ってくる電車がやけにゆっくりに感じて、運転手さんの顔をじっくりと見てしまって、見てしまうと、もうダメで、私はまた靴をはくのです。

それの繰り返し。

電車ではムリだとわかったので、今度は家で首を吊ることにする。初めてつくった縄はぐちゃぐちゃだったなあ。つくるのにすごく手間取ってしまった。今ではだいぶ上手くなった。私のロフトベッドの桟には、試行錯誤の縄の跡がついている。

しかし、首吊りというのも難しい。首に縄をかけるのは能動的なものなのである。よほど強固な意志があるか錯乱していないと、ブレーキがかかってしまう。好きな音楽をかけてなんとか自分を励ます首に縄をかけたとき、本当に優しい気持ちが溢れてくる。人類すべてに対する、焦がれるような愛情ほとばしる。世界がはちゃめちゃに美しいと感じる。えいと椅子を蹴ったけど、結局縄はするすると解けてしまった。そして私は明日のために、明日自殺自由を奪われないために、急いで証拠隠滅をはかる。

他にも二つくらいの方法を試したけどダメだった。準備の最中にお母さんから今日の、晩ごはん肉じゃが(*^_^*)高いお肉を、買ったよ♪お出汁をとっておいてね!」などとLINEはいると、(私にとって)自殺直前特有の激しい愛情あいまってもうダメなっちゃう。

他の二つのことは(というか実は飛び込みと首吊りのこともなんですけどね)主題に全く関係ないので書きません。

しかし私は死ななくてはならない。前はただ自意識から逃げたくて死のうとしてたし、今もそうなのだけど、私はもうわかっちゃったのだ。

私に伸び代はない。

せっかく中学受験して、一生の誇りになるような学校に入ったのに残念だけど、私は17歳になっても怠惰が治らなかった。そもそも自殺成功しないのも怠惰が原因ですよね。

はあ…。

すみません時間がないのに、なんでこんなにたくさん書いてるんだろう、焦ってるから考えられないのだと思います

どうしたらいいですか?

中1のときと高1のときは、ヒリヒリするほど自殺への欲求がありました。おかしな話ですけど、私は生きるために、自殺しないように、学校をサボって自分を休ませる方法を編み出しました。

そのときは、そうしないとマジで気が狂うと思ったし死ぬと思ったから、罪悪感とかは後々になってでてくるものだった。

でも、今はどうなのかわからない。

死にたいという気持ちは消えたことがない。

でも、あの頃ほどじゃない。

今の私はただ、怠惰から学校をサボっているのではないかな。

というかたぶんそれで間違いはない。宿題終わってないから、嫌やねんな。そう。

罪悪感がすごい。いつかバレるのではないかという恐怖もすごい。みんなそうだと思うけどうちの母親は怒ると人格が変わって、マジでなんでもする。風呂に沈めてくる。

兄貴は今は肩身がせまいか大人しくしているけれど、去年の4月まで私は生傷が絶えなかった。顔と耳に血豆ができた状態学校に行って、ウケると思って「兄貴にやられた!」と言ったら、みんないいとこの子なのでガチマジのドン引きをされた。私の立場が悪くなったらすぐまたあの頃に戻ると思う。ホント関係ない話だけど、「君の名は。」でみつはちゃんにはいった瀧くんが胸を揉むシーンが、マジで無理いろいろ思い出すからアニキにされたこと、思い出したくないし文章にしたくないけど伝えたいので、↑で察してほしい。毎日だった。

とにかくサボってることをバレるのが怖い。

今日母親に「増田新学期の始業式から学校に行ってて嬉しい!」と言われた。行ってない!!!ごめんお母さん。

もういっそ全部バレてほしい。もう嫌だなにもかも。

でもたぶん、明日も私は学校はいけません。

私はこれから大丈夫ー?」という友達LINEの通知をオフにして、電気を消して、明日段取りを考える。いつも通りの顔で、いってきますと言わなくちゃいけない。

みなさん、私はどうしたらいいですか?今から何をすべき?明日はどうすべき?

知恵を貸してください。

読んだらわかると思うけど、かなり焦っているし取り乱しています。文頭と文末がしっかりしていないし、言葉も間違いまくってるとと思う。わかりにくいでしょう。

助けて。

2017-12-31

ストロングゼロ呑みながら日記

前回の日記

[日記][ストロングゼロ]

◇Day 1 [2017/12/30(sat)]

 プシュ、とプルタブを開けた時の音が何となく自分は好きだ。

 ついさっきスーパーまで行ってどさっと1箱、ストロングゼロの500mlの24本入りを買ってきた。

 これを来月8日までに飲み干すわけだからざっと計算して1日2缶、1,000mlは呑むことになる。

 さながら処方箋のように。

 ストロングゼロ 500mg、1日2回。服用は食後。

 みたいな。

 さて、酒は中1から飲み始めたと昨日書いたけれど、今日はそのことについて振り返ってみようと思う。

 あー、でも、まだ酔いが足りないかもしれない。

 今手に持っているストロングゼロをまず一缶空けてからキーボードを叩くことにしましょう。

 ……。

 呑み干した。てことで、もう一缶。

 にしても不味いな、ストロングゼロ

 ちなみに葡萄ダブルを今呑んでいるが、安いウォッカ特有の、あのザ・アルコールな苦味がなんとも言えない。それを無理やりぶどうの香料で消した感じも、うん、なんとも!

 なーんて悪態を吐きつつ、でも、人生で一番飲み干した酒缶は間違いなくストロングゼロ自分である

 手元に酒がないとき、とりあえず手軽に安くて簡単酩酊するにはこれは最適すぎるのだ。

 500mlのストロングゼロをぐいぐいと呑みつつ、〆には鬼ころし。あとはタール11mgの重めのラッキーストライクなんかの煙草もつまみにして。

 そうすればほら、たったの300円程度で酔っ払いの出来上がりだ。

 300円の処方箋

 高校時代から続く、いつまでも煮えたぎっている自己嫌悪だって、とりあえず思考の端には追いやれる。

 延々と続く毒にしかならない退屈な時間を、この瞬間だけは確かに、こいつらは薬になって埋めてくれるのだ。


 ……なんの話をしたいんだっけ? ああ、思い出した。

 んー、じゃあ。さて、振り返ってみるとするけれど。

 ええと、自分が初めて酒を飲んだのは中学一年の冬……7年前のことになる。

 ちょうど7年前。

 2010年12月23日のことだ。日付だってちゃんと覚えている。

 その日は友達の家でクリスマスパーティーだった。メンバー曖昧だけれど、六人程度。全員、小学校からの幼馴染だ。そいつらとは今でも仲は良い。

 酒を持ってきたのは吉田くんだった。

 吉田くんはこの小学校メンバーの中では一番アウトロー存在で、不良を嫌いつつ、行動は不良そのものみたいなやつだった。2010年の当時は、脱法ハーブなんかがまだギリギリ滑り込みで出来ていた時代で、吉田くんはドラッグアルコールなんかの知識中学1年生ながら無駄に溜め込んでいた。そんな吉田くんを僕は若干尊敬さえしていた。

 彼の存在は、部活も何もない暇な中学生であるぼくにとって、ある意味の「非日常」だったのだ。

 わんやわんやと騒ぎ立てて、お菓子ジュースなんかにそろそろみんなが飽きてきたころ、吉田くんは青色水筒を得意げにカバンから取り出して、

 ひとこと。

「酒、持ってきた」

 と言った。

 ――たぶん、そのとき一番その言葉に興奮していたのは自分だったと思う。

 吉田くんが飲むやつは、とみんなに訊ねて、ぼくは「飲む! 飲む!」と目を輝かせて挙手した記憶がある。

 そうしてにやっと笑った吉田くんは、ぼくのグラスに水筒に入った酒を注いでくれた。

 茶色の液体。あとになって知ったことだけれど、ブランデーと呼ばれる種類のものだった。

 ぼくは余っていた三ツ矢サイダーでそれを割って、ごくっと勢いよくグラスを呷ってみた。

 甘い。

 なんか、ケーキのにおいに似てる。

 それが生まれて初めてのお酒感想。当時中学一年生のぼくが抱いたお酒への感想だった。

 それからお酒はこのクリパメンバー中で黙認化されて、新年、進級、七夕ハロウィン、そういう行事を口実にしては酒を呑む日常が始まった。

 お酒はぼくの中で非日常へ行くための手段だったのだ。

 それはたぶん今もおんなじで、お酒の味が良いからだとか、そんな理由で呑みたいと思ったことは一度もない。

 すべては酩酊した楽しい世界に行きたいから。

 これに尽きた。

 たぶん、LSDだとか、大麻だとか、そういうもの代替え品として使っていたのだ、当時の自分たちは。

 こうして中学一年生にしてぼくは、暇な日常からそこそこ楽しく脱するためのツールを知ってしまった。

 暇なとき。楽しくなるには、お酒を飲めばいい。

 ただそれだけ。

 自分が酒を飲み始めたのは、こんな経緯。

 ある意味では健全だった当時の酒の飲み方は、高校に入ってから一変し始めるわけだけれど、それは明日書いてみようと思う。

 あー、ほんと、ストロングゼロは不味いなあ。でも酔いが足りない。

 だからもう1缶追加しようと思う。

 大丈夫、なくなったらまたコンビニで買えばいいんだから……。

 

2017-09-29

アウフヘーベンとK先生と僕

中学一年生から、僕は個人指導でお馴染みのあの塾に通って英語数学を三年間習っていた。

僕に英語を教えてくれていたのはK先生で、バイクで全国を旅してお城を回るのが好きな先生だった。(ガラケーで撮った写真をよく見せてくれたものだ)

僕も歴史は好きだったし、英語もわりかし得意だったので、K先生の授業が(それと雑談が)とても楽しみだった。

(K先生大学生だったから、たまに授業を受けられないこともあって、その時は残念だったことを覚えている)

ある日のこと、どんな話の流れだったかは思い出せないが、K先生が僕に「テーゼアンチテーゼ」の話をしてくれたことがあった。

今になって思えば、多分先生自身が授業で習ったことを教えてくれたのだと思う。

ノートの隅に図式でテーゼアンチテーゼ……そしてもう一個ジンテーゼってのがあるんだよ。と書き込んでくれた。

僕はアンチテーゼぐらいまではなんとなく知っていたけど、ジンテーゼは聞いたことがなかったので、そんな言葉というか、概念があること驚いたし、「僕だけが難しいことを知っている」というちょっとした優越感も持つことができた。

その時に「アウフヘーベン」もK先生は教えてくれたと思う。

もう10年以上前の話だし、その時説明してくれた言葉意味については正直に言って覚えていないのだが、aufhebenと先生愛用のBIG(黄色い芯に青いキャップボールペンだ)で書かれたドイツ語はとても魅力的に見えた。

僕は高校生の駆け出しぐらいまでその塾にいたのだが、中学校卒業間近ではほとんど会ってないような気がする。

「K先生は家庭の事情退職されたよ。お父さんが病気で体調を崩されたらしい」と塾長が僕に教えてくれた。

先生メールアドレス交換すりゃあよかったな、と少し後悔した。

僕は大学へ進学しドイツ語を学び、先生と同じように塾でアルバイトした。

あんまりアウフヘーベン関係ないけど、今話題になってるのを見て、K先生も同じように「そういや昔、アルバイトしてた塾で中学生説明してたな」と思い出していたらいいと思う。

2017-08-25

他マスPライブに来んなとか

今日話題の「ゲーム課金、愛のないPはライブに来るな」ってやつ。

すごく気持ちはわかるけど、どうしてもその言い方は許せない。だからそのもやもやを文にしてみようと思った。文が下手なので長くなるが、ライブ来んなと思ってる人は一度読んでほしい。

私は、中学一年生の時にアイドルマスターが好きになった。その時はふわっといいな、くらいだったけど、二年生の時に担当ができた。そのくらいの時にシンデレラガールズ、そしてミリオンライブが始まって、ソーシャルゲームに手を出すようになった。

高校生になってなけなしのお小遣いを貯めて、初めて担当CDを買った。担当CD幸せになるよ、と勧められた結果だった。すごく幸せで、そのCDを抱き締めた。繰り返し繰り返し、何度もそのCDを聞いて、もっともっと担当が好きになった。

特にミリオンライブにハマりにハマった。優しいPさんが、課金しなくても担当SRを手に入れられるようにと色々ノウハウを教えてくれた。頑張って貯めたドリンク担当SRを買えたときはすごく幸せだった。気がついたらドリンクをためる為に歩いたイベント担当以外のアイドルも好きになっていた。

高校三年生の時、初めてライブに行きたいと思った。ミリオンライブ3rdツアーであるツアーだったため、遠征しなくても行ける会場に偶然好きなミリオンライブの子が来てくれた。初めて、曲が聞きたい以外でCDを買った。そう、CD先行シリアルである

そのシリアルは外れた。けれど、仲の良いPさんのツテでチケットを二枚確保できた。どちらも積んで当てられたPさんの連番の片割れ。すごく感謝しながら何ヵ月も貯めたお金を握りしめて、全くアイマスに造形のない友達を誘った。高校生女子一人で男性ばかりのライブは怖かったからだ。

そして行ったライブは凄かった。怖いイメージのあった現地は実際男だらけの現場で少し圧倒はされたけど、それより何より、人の優しさが身に染みた。

通販の仕方もわからないし、チケット代でいっぱいいっぱいだった私はサイリウムが買えなかった。とあるPさんが好きなキャラの色のサイリウムをくれた。

いっぱい名刺をもらった。少ししか作っていなかった名刺はすぐなくなった。自分の描いた担当可愛いとほめられて、すごく嬉しかった。

チケットを譲ってくださったPさんが二人とも微笑んで、初ライブ楽しんでくださいと言ってくれた。絶対楽しいから、って。

友達と連番で座りたいと、チケットを譲ってくださった方にダメ元で席を交換してもらえないか頼んだ。笑顔で頷いてくださって、後で「演者が近くなった、ありがとう」と連絡をわざわざくださった。そんなにめちゃくちゃ良席ってわけではないのに。

席に着いたとき、隣の席だったPさんが荷物邪魔にならない位置に運んでくれた。鞄に入りきらなくて、近くの席の方の邪魔であろう、謝らねばとすら思っていたのに、その言葉を発す前にすっと避けてくださった。

正直、声優さんからいくらミリオン声優は歌が上手いと騒がれていても大したことないとたかを括っていたけど……実際に見て、聞いた歌は、本当に上手かった。何より演者さんのキャラへの愛、ステージに初めて担当が上がれたことへの喜びが体にずしんと響いて、私は泣きに泣いた。

友達もその日からミリオンライブを好き、と言ってくれるようになった。彼女ミリオンライブSideMCDを私から借りるようになって、気づけばどちらでもゲームをしてくれるようになり、最近オリピを彼女自身意思で買ってくれた。

中高生だったから、碌にお金なんて出せなくて、でも周りのPさんたちは30、40の方がいっぱいで、一回のガシャにうん万払っうとかしてて、引け目を感じながら何年も続けてきた。

それでもなけなしのお金を貯めてやって来たライブは本当に眩しくて、行って良かったなぁとしみじみ思った。

同時に、私はこんなにアイマスが、アイドル達が好きだったのかと気付かされた。まさかなくなんて思わなかった。

こんなに好きになれたのは、沢山のPさんが優しく受け入れてくれたから。アイマスはこんなに素敵だと教えてくれたから。何度も何度も、色んな人の描いた、書いたアイドルに恋をして、胸がいっぱいになるのだ。

それから私はもっともっとアイマスが好きになった。元々ずーっと好きだったけど、もっともっと好きになった。今、私は大学生だ。やっとアルバイトができる。今は沢山アルバイトしてアイマス友達と遊ぶお金を貯めている。アイマス勉強友達に日々を費やしているけど、とても幸せだ。

やっと大好きなアイマスお金が使えるようになった。今まで先輩Pのおこぼれに預かってきて、本当に感謝している。そして今やっと、私をこんなに好きなものに導いてくれた先輩Pみたいに後輩Pに手をさしのべられるようになったのだと感じた。

からこそ、思う。課金額、使ったお金、それを「愛」と形容して足りない人を切り捨てることは本当にSideMのためなんだろうか。

確かに、普段からやっているその人個人は満たされるかもしれない。だけど、その人個人を満たしたところで、新しい人が入らず小さなコミュニティから人が脱落していくのなら、最早そこに意味なんてない。きっとそんなやり方のSideMは腐ってしまう。

SideMのPさんが新人引き込みキャンペーンで熱烈キャラアピールしたり、沢山新人さんを支援してあげたりしてたの、すごく好きだ。だからこそ、排他的姿勢話題になり、賛同意見があることが不思議でならない。

私はSideMに関しては、事前登録からのPだ。

女の子以外のキャラにあまり興味を持てなかったけど、実はJupiterだけは違った。ニコマスで色々見て回ったからかもしれない。彼らがどうしても憎めない。むしろすごく愛着が湧いていた。

あまとうの為に事前登録をした。その時はアスランとかピエールとか恭二とかてんてるとか、ビジュアルが少しずつ公開されていた。アイマス男の子も好きになれますように、と祈った。

サービス開始のメールは今も覚えている。学校の授業が終わった後、なんとなく開いたガラパゴス携帯に届いた「プロデューサーさん」の文字。思わず心が踊った。

担当ができた。好きな男性アイドルJupiter以外にできた。いや、Jupiter以外も何も、SideMアイドル達がみんなどんどん好きになって行った。

暫くして、初のワケ生。どんどん声がついた。担当ユニットに声がついて、CDを買った。担当イベントを走った。

プレイヤー男性ばかりの男性アイドルゲームだった最初SideM。でもそれは一瞬で、あっという間に女性で溢れた。勿論最初から私や、それ以外の女性Pも居たけど。

Jupiterの良さを知ったのは、アイマス2からずっと応援しているPさんの作品言葉だった。その愛のおかげで私はSideMスタートラインを共にできた。そうしてスタートラインにいたPさんが、新しいPさんにアイドル達への愛情を受け継いでいく。そうやってSideMはここまで来た、と私は思っている。

SideMだってきっと私みたいに、あまりお金がなかったけど人生で初めてお金を貯めて、現地に立ったプロデューサーさんがいる。これからSideMを知る足掛かりにしたい、って人もいる。

アニメが始まるときっと尚更そんな人が増えるだろう。

未だにミリオンPとしてはすごく悔しいけど、Mはミリより先にアニメ化してしまう。それってきっと、SideMのPさんは色んな人へキャラの魅力を伝えるのが上手かったからじゃないだろうか。だから爆発的に人気になって、あんなに「アイマス男性アイドル……大丈夫かな?」とか言ってたのが嘘みたいにヒットしている。

でもそれがどれだけありがたいことで、担当が動いてくれるまでにどれだけのPがお金を費やして、どれだけのPが愛情を注いでこうやって続けてきたか、見失いがちになっているんじゃないかな、と。

からお金を費やした私を崇めろ、私にだけライブ行かせろって論調は違うと思う。こんなに人が集まった大きなコンテンツになったのは、色んな人が色んな人にアイドル入り口を作ってアイドルを生かしてきたから、の筈だ。

こうやってアイマスが好きになった私だからこそ、そんな風に主張してほしくない。

確かに、嫌だな、と思う現地Pはいる。SideM好きな人自分はそんな興味ないとか言う癖して現地に来ているバカみたいな人もいる。そいつを許せとは肯定しろとは言わない。

逆に、ミリオンライブ……?あー、一番有名じゃないやつ、とか言ってきやがるMのPもいる。やたらミリオンをこけにしたがるデレPも見たことある。でも私はそれをミリオンライブ以外の他マスのPが罵るなんて主語を拡大して、一括りにしてこっちに来んなとは絶対言いたくない。

私の勧めでMマス始めてくれた人が私以上に課金するPになった。いや、課金をパロメータにはしたくないけど、金額で負けてる側がそれを補足してもあんまり意味いか

コンテンツを支える側が、これから支えてくれるかもしれない人を潰すなんて良いことじゃない。絶対そうしてほしくない。私はSideM担当アイドルが、SideMアイドル達が大好きだから、そんな風に未来を摘んでしまってほしくない。

あとこんな風に長々とコンテンツの為、とか言ったけど、単純に自分の好きなものを解ってもらえて分かち合えることって、すっごく嬉しいことだ。新規MPは来るな、765346は来るななんて言えちゃうのは、友達と同じものを分かち合える幸せとかわからいからなんだろうか。

割り勘のパピコって楽しいじゃろ?美味しいじゃろ?嬉しいじゃろ?確かに一人で二本とも食べたい時も、食べざるを得ないときもあるけど、やっぱり分かち合ったら楽しいじゃろ?そういうことじゃ。

まあ何にせよその意見の人も私もMマスが大好きで拗らせているのはわかる。わたしも大好き!!!!高額転売爆ぜろっ!

から好き同士、そして将来好きになるかもしれない方と、楽しくやりましょうって話だ。ごちゃごちゃ言ったけどそういうこと。本家ミリMデレ掛け持ちPのぼやきでした。おしまい

2017-04-12

井上由莉耶卒業発表

井上由莉耶は、AKB48の姉妹グループ、HKT48メンバー

中学一年生アイドルになって、

高校三年で卒業発表。 昨日のこと。

大学進学を目指すとか。

元々AKBに憧れてアイドルを志したもの、その先の未来芸能界で描いていた訳ではないという。

ファンからの歓声が懐かしくなっても、中途半端に帰って来て欲しくない。

去年の総選挙48位、17歳という年齢で辞める彼女には必要のない心配かもしれないけど。

アイドルとしての夢を壊されたくないエゴかもしれないけど。

井上由莉耶さん、お疲れさまでした。

いままでありがとうございました。

あなたの幸多き前途を願っています

2017-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20170408132748

その頃はまだ中学一年生で初めてのゲーム

そしてfate出会ってから3年後, Fate/Grand Orderサービスを開始した.

まだ若いんだから色々手を出してみるのも、色々と痛い目に遭うのも悪いことじゃない。

そのうち自分に合う何かに出会えると信じて。がんばれ。

2017-04-08

FGOについていけなくなった

初めて買ったゲームは, Fate/stay nightコンシューマ版だった. その頃はまだ中学一年生で初めてのゲーム, それも美少女ゲームということで元々アニメが大好きだった私は夜通しプレイした. そして初めてFate/stay night出会ってから1週間後, ついにEDを迎え予想していなかったエンディングシーン, Fate/stay night[Realta Nua]のEDで感動して泣いた.

それから直ぐにFate/hollow ataraxiaプレイし, カレンヒロインっぷりにまた感動した.

fateプレイ前に空の境界を読んでいたこともあり空の境界 未来福音劇場まで足を運んだ.

型月ファンの従姉妹に頼み込んで月姫も少しだけプレイさせてもらった.

お小遣いを貯めて魔法使いの夜やEXTRAもプレイした.

そしてfate出会ってから3年後, Fate/Grand Orderサービスを開始した. 久しぶりにfateの新作. またあの世界を味わえるんだ, という幻想を抱いていた.

プレイしていてまず思ったことは「つまらない」. キャラクターを成長させるにはある曜日にそのキャラクターを成長させるために必要な素材を獲得してつぎ込む必要がある. 確かにストーリーは多少面白かったと記憶しているが戦闘パートが何にも増してつまらない. ただの作業であった. 確かにfate/EXTRAアリスソフトゲームなんかでもストーリーの要所要所に戦闘パートや育成シミュレーション的要素がある. しかし何故だかFGOと呼ばれるこのスマホアプリには熱中できなかった. そうして公開されているシナリオ分を終えると同時にやめてしまった.

Twitterでは好きだったはずのfateの, 知らないキャラクター達の二次創作ガチャスクショたくさん投稿されている. あぁ, 私は型月において行かれたのか. そう思っていた. しかし他のソーシャルゲームに目を向けるとどれも同じようなものだった. FGOが特別なわけではなくどのゲームも, ガチャでいいキャラクターを当てたり, 戦闘パート苦痛に耐えてストーリーを進めることが求められていた. もしかしてたら戦闘パートが耐え難いものですら無いのかもしれない. 最近では「メンテで喜ぶ」や「ガチャでの課金に自慢」なんかの見たこともない文化までも芽生えていた. つまり私は型月に置いていかれたのではなく時代についていけなくなっただけだった. ストーリー目当てに何度もFGOを再開することがあったが, いつも続かなかった. いずれまた時代の流れが変わりFGOのコンシューマ版が出てくれないものか.

2017-02-13

25年前、模型屋で

25年前、模型屋で

鉄道模型の基本セットをお年玉で買って以来、次がほしいけど買えない日々が続いていた。

ある日、友達のH君がエアガンを見にいくから、一緒に行こうと行ってきた。中学一年生のころだったと思う。

僕たちの目的カタログだった。お店のカウンターに置いてある、商品がまとめてみられる本のカタログだ。

僕は鉄道模型カタログを、H君はエアガンカタログを買うことにした。

お小遣いの何百円かで夢が広がるを買ってしばらくは楽しもうと言い合った。

目的地方駅前模型屋、そこそこ規模も大きく、カウンターは奥からラジコン鉄道模型エアガン別になっていた。、

そのカウンターとは反対側に、プラモデルがたくさん積み重なっている店だった。

店員も奥のラジコン店長鉄道模型エアガンにはそれぞれ、お兄さん店員がいた。

それぞれ忙しいときは手伝うような感じだったが、担当が緩やかに決まっている雰囲気ではあった。

店に入ってカウンターが空いた頃を見計らって、H君を前にエアガンカウンターに行った。

「このカタログください」

店員は「ここに『店内用』って書いてあるでしょ。あげられないよ」とあっさり言った。さっきまで優しそうな顔だったのにちょっときつい言い方だった。

Hくんの言いたいことが伝わっていないことは僕にはわかった。でも、他になんて言っていいか、とっさにはわからなかった。

ちょっと重い雰囲気になってしまったけど、今度は僕を先頭に鉄道模型カウンターに行った。こっちのお兄さんは、さっきのお兄さんよりもちょっとぼそぼそしゃべる。大丈夫かなと思った。

「このカタログください」

「あるにはあるけど、もう少ししたら、来年のがでるよ。どうする?」

鉄道模型において、カタログは一つの商品だった。毎年更新ということもそのとき知った。

H君は買えなかったのに、僕だけ買うのはちょっと気が引けた。

「今度にします」というと、お兄さんは「これ、あげるよ、ホントは売り物だったんだけど」といってメーカーから出てる小冊子のバックナンバーをHくんの分と二冊くれた。もらった本は、友達と読んだ後も、穴が開くほど何度も読んだ。

今になるとどちらのお兄さんの立場もわかる。エアガン子供にはまだ早いと考えたのか、鉄道模型は将来のお客として考えたのか。たまたましかったのか、暇だったのか。エアガンカタログはお店では売っていない書籍で、鉄道模型カタログ商品だったのか。でも、横で見ていた僕はそのときは残念に感じたし、Hはもっとかわいそうだった。

その後、お金を貯めて、踊り子号を買いに行くことになるのだが、それはまた別の話。

2016-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20161230230101

>自分大学受験半年前まで学校以外で勉強したことがない。

>だから中学一年生数学で、どうやったらそんな点数を取れるのかがわからない。

おれもこっちに近い人間からわかるけど、普通の人はそうじゃないらしい

世の中の97%ぐらいが自分より勉強のできない人間だよ

それはおいといて、世の中にはバカに教えるのが上手い人もいるので、それを頼りましょう

http://anond.hatelabo.jp/20161230230101

自分大学受験半年前まで学校以外で勉強したことがない。

>だから中学一年生数学で、どうやったらそんな点数を取れるのかがわからない。

 

これが一番厄介そう

とにかく安いとこでも短期でもいいから塾やったほうがよくね?

俺は中1のときは塾に行かずに学年真ん中だったけど、塾行ったら簡単に上位に入った

からないときは分からないもんだし

中学コケるのと、高校コケるのとでは天地の差が生まれ

息子がバカで辛い

子どもが3人いる。

アラフォー

首都圏国立大卒。

 

一番上の子中学1年生。

下は小学生2人。

 

幼少期から英会話ピアノ少年野球

長男には3人の中で一番手をかけてきた。

詳細は端折るが事業に失敗して残りの2人は自宅学習以外のことはさせていない。

正直この2人はバカでも仕方ないと思ってる。(いまのところ学力は中の上くらい)

 

2学期の終業式の前に、嫁が中学校に呼ばれた。

「お子さん、このままだと進学する高校がありません」

 

夜。数学テストを見せてもらった。

見たこともない点数だった。

リアル目眩がして倒れそうだった。

 

自分大学受験半年前まで学校以外で勉強したことがない。

から中学一年生数学で、どうやったらそんな点数を取れるのかがわからない。

 

嫁は、あなたが教えてあげなさいよというのだが、

正直「何がわからいか」がわからない。

一緒に問題を解いてみると小学生算数が分かっていなかったことに気づいて更に絶望した。

 

実は海外資産含めて、息子に全て託すつもりでいろいろ準備をしている。

このままだと全てが無駄になりそうだ。

辛い。

2016-12-25

ASKA記憶──ASKAFUKUOKA」を聴いて

 ASKA新曲FUKUOKA」を聴いた。

 予想を大きく裏切る名曲となっていた。この曲は、ASKAが、自分故郷福岡を歌ったものだ。ASKA中学一年生から高校二年生までの約四年間を北海道で過ごしたが、生まれから大学在学中に歌手デビューをして上京するまで、彼は福岡に住んでいた。上京するときASKAはどのような心境だったのだろうか。

俺は東へ 上るつもりだ

勝手な奴だと思うだろうが

冷たい風に深くくるまっても

だまって俺は 歩いて行くだろう

「歌いつづける」より

 CHAGE&ASKAは、もともとCHAGEASKAの二人によって成り立っているわけではなかった。CHAGE&ASKAは、バンドメンバー5人を含めて、合計7人のバンド集団だった。だが、デビューできるのは、CHAGEASKAの二人だけだった。「勝手な奴だと思うだろうが」ASKAは、東京にやってきて、歌手活動をはじめることになる。

 デビュー一年後、「万里の河」(1980)でヒットをするものの、その後、約10年間、セールス的には大きなヒット曲に恵まれず、「冷たい風に深くくるまって」、歩き続けたのであった。CHAGE&ASKAを一気に国民シンガーに押し進めたのは、何よりまず「SAY YES」(1991)であっただろう。同年、ASKAソロとしても「はじまりはいつも雨」(1991)でミリオンセラーを達成する。ここからさきの活躍については言うまでもないだろう。「YAH YAH YAH」(1993)など大ヒット曲を連発するとともに、活動アジア圏にまで広げていき、またMTVアジア人初として出演するなど、「世界的」といってもいい活動を繰り広げていったのだった。

 そんな時、ASKAにとって生まれ故郷福岡はどんな場所だったのだろうか。 

 ASKA福岡に曲を捧げたのは今回が初めてではない。福岡市市制100周年を祝して、「心のボール」(1989)という曲を作っている。ここでは、故郷と幼い日を思い出して涙が出てくるが、でも思い出に浸っていてはいけない、人は未来を生きているのだから、ということが歌われている。

次のステージが待っている。自分を育ててくれた故郷ゆっくり過ごしたいが、待っている人たちがいる。自分は「ハンサムな道」を「歩きつづけ」なければならないのだ……。

          *

FUKUOKA」は「SCENE」シリーズ代表されるASKAバラード曲につながるものだとも言えようが、決して「お得意」のジャンルASKAは引きこもっているわけではない。むしろ、この曲にはASKAの新しい展開を予感させるものが凝縮して詰め込まれている。これほどまでに静謐言葉なかに激しい想いが込められたASKAの曲を私は知らないのだ。

発車のベルが鳴る 街が動いて行く

あの頃の僕は何を見ていたのか

 当たり前の、いつもの日常風景。通学する時、いつも見ていた何気ない風景剣道の道具を、あるいはギターを持って、つまらない顔をして車窓風景を見ていたのではないかしかし、車窓から流れていくその何気ない街の風景が、今、映写機が回っていくように、一コマコマ映画のように美しいものとして、かけがえのないものとして記憶の中に流れていく。

こんにちは さようなら おはよう おやすみなさい

繰り返しながら僕はここに居る

 何気ない挨拶たちと共に、出会いと別れを繰り返しながら、生きてきた。その一つ一つが今、生き生きと現れてくるのだ。

僕のニューシネマパラダイス

 ここで想起するのは、傑作映画ニューシネマパラダイス」だけではない。光GENJI提供した曲「パラダイス銀河」(1988)を私は思い出した。

ようこそここへ 遊ぼうよパラダイス

 同じ「パラダイス」という言葉が「パラダイス銀河」と「FUKUOKA」ではこれほど違った響きを与えられて存在している。この響きの違いのなかにこそ、ASKA時間記憶を、私は感じる。

野球の話をする タクシードライバー

 いささか唐突に出てくるこの節。中島みゆきタクシードライバーから引用だと見るのは深読みしすぎだろうか。

タクシードライバー 苦労人とみえ

あたしの泣き顔 見て見ぬふり

天気予報が 今夜もはずれた話と

野球の話ばかり 何度も何度も 繰り返す

 不器用タクシードライバーは、泣いている乗客にその理由を聞くわけではない。どうでもいい話ばかりを客に話すことで、静かに励まそうとしているのだ。静かに励ましてくれる街、福岡。そこでは「風が見える」のであるASKAにとっての「風」とは何かというのは、「風のライオン」「風の住む町」「風の引力」などの曲を再び聴いてもらいたい。

           *

私が「FUKUOKA」で最も感動を覚えたのは、

sweet and good memories

という箇所だ。様々な感情が入り乱れた「memories」の「s」の音である。静かに消えていくsの音には、記憶を手繰り寄せていく中で、当時気が付くことができなかった様々な人たちの気遣いに気が付き、泣きたくなるような「感謝」の想いが、「祈り」にまで高められているように感じられるのだ……

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