「中学一年生」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 中学一年生とは

2020-07-24

12から成人向け作品を閲覧・執筆していた字書き腐女子の話

匿名しか書けないことだが、私は小さい頃からR-18作品を見たり書いたりしてきた。

我が家には子ども自由使用していいパソコンがあり、私は時間があればネットサーフィンを楽しんでいた。母も父も特に使い方などを教えはしなかった。ネットリテラシーに欠けまくった私は検索して出てきた記事にあるリンクに片っ端から飛んでいた。そうすると怪しいエロサイトに辿り着いたりする。その衝撃的な内容に驚く間もなく、身体が疼いて興奮してしまった。性に目覚めたての小学生(この頃9歳〜10である)の執念は凄まじく、夏休みには一日15時間くらいひたすら二次系のエロ画像まとめサイトを延々巡っていたこともある。自慰をすることもなく(膣が勝手に収縮する感覚はあった)、ただ興奮しながら見るだけだ。もっとマシな夏休みの使い道があっただろうに…。

エロを見ることに対する罪悪感はまるでなかったが、いけないことだとは分かっていた。コンビニに置いてあるエロ本に近づいた時、「子どもは見ちゃダメよ」と側にいた母から言われたし、何よりサイトが「18歳以上ですか?」と警告してくる。それでもバレなきゃいいだろうと開き直っていた。

そして私は12歳の時に色々あって腐女子になった。ひたすらパソコンカップリング検索し、残されていた個人サイト(全盛期は過ぎ去っていた)をたくさん巡った。そこでも平気で所謂「裏」「背後注意」と表記されている作品を当然のように見ていた。何度「18歳以上ですか?」と聞かれてもyes入力し続けた。

やがてpixiv存在を知った。ユーザー登録しなければ見られない作品が多かったので、悩んだ末にアカウント作成することにした。

そこで私は年齢が20歳になるように誕生日登録した。こうしなければR-18作品を見られないことを知っていたからだった。初めてそこで罪悪感と薄暗い後ろめたさが生まれた。

ROM専でいれば良かったものを、私には制作意欲が生まれしまった。推しカプの作品を作りたくなったのである。絵で作りたいもの表現するのは難しかったので、先ず文章を書くことにした。pixiv作品投稿のページに直でチマチマと1000文字〜3000文字?の小説を書き込んだ。タイピングが遅すぎて半日くらいかかった覚えがある。とにかく無事に嗜好を詰め込んだ作品は完成し、その日中投稿した。

12歳のクソガキが書いたその小説は思っていたより評価された。運が良かったとしか言いようがない。書いた推しカプは旬ジャンルで波に乗っており、私はそこに女体化妊娠要素を乗っけていた。(人を選ぶ要素のある作品一定ニーズにより評価されやすい気がする)ブクマは最終的に300程頂いたと思う。ありがたい話である

論文章は下手くそまりなかった。めちゃくちゃ改行するしポエムのような心理描写が並べられているだけの小説だった。語彙もなく背景描写もなく、今でも内容を思い出す度恥ずかしくなる。今あのクオリティーで出せば3ブクマとつかないだろう。

あの頭の悪い文章たちをちゃんと読者は成人済の書いたものだと信じていたのだろうか?未だに誰かにはバレていたんじゃないかと思っている。

それでも作品評価されたことが嬉しかったし、もっと書きたいと意欲的になった。時間が有り余っていた私はどんどん書いた。三日おきに投稿していた時もあった。ちゃんねる風にも手を出したり新しくはまったジャンル小説も書き始めた。

好き勝手書いた作品に点数もブクマコメントも頂けて、二次創作は順調に幸せだった。

しかし成人を騙れど中身は思春期真っ盛りの子どもであるイタイ時期が私にもあった。(これは現在進行形かもしれない)特にキャプションにそのテンション如実に現れていた。腐女子特有キャラ語りの気持ち悪い文章だとか、中学生イキリオタのノリだとか、ひたすらポエムを並べたりだとか…その辺だ。ここにも到底書けない。恥ずかしい限りである

ちなみに当時の名前は“キルリマ”と読ませる当て字だった。好きな厨二臭い漢字を入れて下されば幸いである。

自分を何故か居酒屋の娘だと設定し、フォロワーメッセージ上で交流したこともある。本当にチョイスの意味がわからない。高校の頃の苦手科目を聞かれて焦ったこともある。中学一年生には何も分からなかった。

結局最初に作ったアカウントは、「あ、やり直したいな」というある日の思いつきで消去した。使用歴は半年ほどである

そしてすぐに作り直したアカウント今日まで続いている。そこから比較的真面目に書き始めた。依然性癖は変わらなかったが、文章ちょっとだけマシになった。

そして新アカウントでとうとうエロを書いてしまった。ギリギリ中学一年生だった。しかも内容は強姦である馬鹿じゃないのと思う。その時にエロを書くのは難しいと知った。キャラに喘がせながら喋らせるのは難しいし(『ぁ』とか『、』などの適切な量が未だに分からない」の性器比喩表現も一歩間違えたらギャグになる。あと単純に文章力が低いので艶やかな文体に出来ないのだ。出来上がったのはただの拙い成人向け小説であり、エロ文章ではなかった。

それでもこりずにいくつか書いた。挿入なしのプレイものばっかり書いた。意味がわからない。しかネタに走ったわけではなく、大真面目に書いていた。

中学校三年間で書き上げて、今でも削除せずに支部に残してある小説は40程ある。評価数はブレブレでブクマだけで言っても1桁から4桁までまちまちだ。正直字書きとしてのレベルが分からないが、凡才だったことには変わりない。私の作品は「特殊属性女体化妊娠過去捏造シリアス、嫌われ、ちゃんねる系)」がついていないと評価されない傾向にある。純粋文章力はたかが知れていた。

最古の小説は6年前のものだ。それを怖いもの見たさで読み返しては勝手ダメージを食らっている。

高校に上がってから部活で忙しくなり、小説は書けなくなった。支部アカウントROM垢と化した。Twitterにも成人向けと騙ったROM専アカウントがあり、私は日々両方で二次創作を漁るだけになった。

途中うっかりnmmnにハマり、検索避けが備わった件のサイトでいくつか軽い小説を書いた。そこでも年齢を偽った。18歳以上じゃないとフォローできない方が多かっただけでなく、単純にエロを書いてしまたからでもある。内容は複数人ものだったと思う。未だにまともなセックスを書いたことがない。

そして今年の春に18歳を迎えた。4月1日になった瞬間に今まで我慢していた成人向け同人誌と目一杯買った。エロ同人もAVも買った。購入だけは18歳まで出来なかった。(だからどうしたということではあるが)

ここまで長々と自分創作記録を書いてきたが、実は自分のしたことに今は全く罪悪感を持てていない。後ろめたさは確かにあるが、皆やってるんじゃないかと思い込んでいるのだ。

ちゃんと18歳まで一つのエロを見ることもなく過ごした人を心から尊敬する。とびっきりの自制心をもって制御できる方だと思う。いや、単に私の心が弱すぎるのか。それとも性欲が強いのか。

一つ思うことは、上に書いた支部アカウント特定されないか、ということである別に晒されても燃えても仕方のないアカウントだが、上の情報だけで特定できたらすごいな〜と思う。

2020-07-17

子供学校に行かなくなって3日経った。

現在中学一年生の息子。

5月中旬から始まった学校は、分散登校という慣らし運転期間を経て6月から本格的に始動した。

運動系部活に入った事もあって、朝練・授業・部活宿題・塾 と中々ハードな日々を送っていた。

7月に入ると宿題を朝慌ててやっていたり、起きれなくて朝練をサボったりする日がぽつぽつ出てきた。

宿題も「毎日提出するもの」と「2週間後の期日までに提出するもの」が出されていて、毎日提出のものギリギリこなしているという状態だった。

そして今週の水曜日、その「2週間後提出期限」の宿題の提出日の朝、息子は学校に行くことをやめた。

机には全く手つかずの宿題

  

学校に行かなくなってのこの3日間は一日中ネットを見たりゲームをしたりしている。

ただ、友達への負い目があるのかラインSNSフォーナイトのような人と繋がるゲームはやっていない。

  

親として7月に入ってからした事は

宿題の量が多いのでスケジュールを細かく切って取り組む計画を一緒に立てた。

・塾を辞めてもいいと子供に話をした。(子供は辞めたくないと言った)

・塾の宿題にまで手が回らなそうだったので、塾の先生相談して「出来るところまででいいですよ」と承諾をもらった。

  

1日目は「学校へ行きなさい」と頭ごなしに言ってしまった。

2日目からは登校に間に合う時間に起こし、朝食をとらせ、あとは本人に任せている。

一向に宿題に取り組む様子は無いけれど。

  

息子はADHDと自閉スペクトラムだ。

現在は薬で症状は抑えられているが、小学生の頃は朝の着替えも、時間割通りに教科書を揃える事も一人では難しかった。

勉強は嫌いだった。

読書は好きで、教科書参考書の内容の理解は早かったので成績は良かったのだが、

ドリルのような「問題を何度も解く」という行為をとにかく嫌った。

本人にとって分かり切った事を何度も繰り返しさせられる「作業」は苦痛しかないという様子だった。

  

息子にとって学校に行き続けるという事は、毎日そういう苦痛の山と向き合い続けるという事なのかもしれない。

この先どうしたらいいのか、出口が全く見えない。

2020-06-08

anond:20200608004323

コンビニ人間読んでたらわかると思うけど、

日常的なコミュニケーションマニュアルにそって行おうとすること自体がぎこちなさを生んでしまうんだよ。

中学一年生意味もよくわからず「I'm fine. Thank You. And You?」と棒読みで復唱するような真似じゃ意味がない。

何も考えず感覚的に違和感のない身のこなしができなければ何も解決しないし、それは自然と体得するものだって前提がある。

2020-04-24

いいなーって思い出。

中学一年生の頃移動教室時間に間に合いそうになかったんです。長引いてたからだと思うんだけど。まあ、急ぐじゃん。

階段上ったら目の前に中3の女の先輩が!よけました。そしたらその先輩錯乱しちゃって

「きゃー」

っていいながら突進。腕をあげながら、後続の男子を押し潰してました。

なんで俺じゃないんだろって思った瞬間です。いまだにその先輩の行動がわかんないんだけど。固まって動かなければいいんじゃないの?いいなーーーー。

2020-02-15

8年ぶりに目が見えるようになったので再起を誓いたい

夜中になると、なぜ自分がこんな目にあわなければならなかったのかと思い、涙が止まらなくなる。現在21歳、大学3年生。半年前に目が8年ぶりにちゃんと見えるようになった。中学1年生の頃からである。8年間本当に長かった。

8年前の秋頃、中学1年生だった私は小学校以来のゲームのやりすぎで視力が低下していた私は黒板の字が見えづらくなっていることに気づいた。眼科に行き、視界が悪くなっていることを告げられ、まだ外見などあまり気にしていない半分小学生脳だった自分メガネをかけることに決めた。いわゆるガチャ目で、左目が0.2とかなのに対し右目がほとんど見えない0.01みたいな状態だった。ゲームをやるとき姿勢が悪かったのが原因かもしれない

ここまではよくある話だし、目が悪くなるというのが怖かったとはいえ周りにもメガネをかけている子供はたくさんいたので、絶望感のようなものはなかった。メガネをかければ普通に周りが見えるようになったし、日常生活に支障はなさそうだったからだ。

しかしいざメガネ生活が始まると、以前とはどうしても変わってくることがあった。一つはメガネキャラが定着してしまたこと。もともとそんなに明るくない性格だったのがメガネをかけたせいでさらに暗くなってしまった。別に友達づきあいは変わらないんだけど、中3にかけて子供が見た目を気にしだすようになるなか自分の見た目の悪さも気になるようになってしまった。

そしてもう一つは激しい運動がフルでできなくなること。メガネをしているのでサッカーとか野球とかできるだけ端っこで見るだけになってしまった。中学の時はサッカーに無理やり参加してメガネ割れたことがある。中学3年生の頃には自分のことがのび太のように見えたし、周りからもそう言われるようになった。

ここで何故コンタクトを使わないのかと思うかもしれないが、これがこの悩みの大きな問題点だったのだ。自分はどうやらコンタクトが合わない体質らしく、眼科に行ってもガチャ目だからコンタクトが合わない、メガネじゃなければダメだと言われていた。実際コンタクトをつけてみると、とにかく気持ちが悪い。つけていると船酔いのような気分がして額から汗がだらだら出てくる。一回コンタクトをつけて学校に行ったことがあるが耐えきれずにコンタクトを外してしまった。いわゆる眼精疲労というやつなのだが、本当に眼精疲労?と思いたくなるような症状が出てくるので、いやいやメガネに戻さざるを得ない。

そして高校生活が始まると、この外見コンプレックスに散々悩まされることになる。もともとメガネが似合う顔でもなく、絶対ないほうが良いのだけど、メガネを外すことができない。この消せないコンプレックスが悩みの種で奥手な性格さらに奥手になり、高校ではあまり周囲に心をひらけなかった。別にいじめられていたわけではないのだけど、とにかく自己評価が低くて周りと上手く接することができなった。なんというか顔に傷がある感じなのである。だから人前に出るのがいやだった。

それだけ自己評価が低いので、常になんか暗いオーラが出ていた。自分の姿が嫌で写真に写りたいとも思わない。だから高校時代写真ほとんどない。だけど頑張れるところは頑張ろうと思って勉強は頑張った。順位が貼り出されて学年一位という経験もしたのだがクラス友達がいないためご飯を食べる時は一人という惨めな思いを味わっていた。今思えばそんなの気にしなければいい話なのだけど、それがいやでいつも教室の隅っこの方にいた。運動も十分にできないのでだんだん運動神経は落ちていき、本当に勉強のできるのび太くんみたいになっていた。自分長所勉強しかないのが嫌だった。

から高校1年生くらいの時から視力回復トレーニングを色々やって見たのだが、如何せん効果がない。あの手のトレーニングはたまにネット上で効果があったとか書いてあるが、ほとんど無理である。一度目は悪くなったら自力視力回復しないと思う。だから高校12年生の頃は本当にどうしようもなくて、とにかく外見コンプレックスに苦しんだ。

そうこうしてるうちに高校3年生になった。17歳という、人間として容色もっとも美しくなる頃、受験勉強とともに私のこの外見・視力コンプレックスさら肥大化した。大学受験の不安よりも私は一生このままなのか、見た目にコンプレックスを抱え続けなければいけないのかという不安の方が大きかった。本当にメガネが外せないのかと悩み苦しみ、勉強そっちのけで眼科に何件も通い、なぜかメガネを10本近く買った。大学病院での検査検討したが、大学受験との兼ね合いで断念した。そんなものからそれまで維持していた成績は下がり始め、大学受験は第一志望に受かることはできず、コンプレックスも解消されないまま大学に進学した。浪人という選択も考えたが、当時のコンプレックスははっきり言って異常で、浪人したら今受かっているところにも受かるような気がしなかったため浪人を断念した。

大学に入ってからもこの外見コンプレックスに悩まされた。最初の頃は無理やりコンタクトをつけて登校していたが、だんだんきつくなってメガネに戻してしまった。そしてメガネにすると人前に出られない(?)ので、サークルも次第にフェードアウト大学1年の秋には学内自然孤立の道を選んでしまっていた。そんな人間が生きる道はインターネッツで、授業から帰宅してはネットサーフィンをする毎日一年冬〜二年秋まで送っていた。ネットサーフィンをしているうちにコンプレックスを忘れようとしていたのかもしれない。だが、20歳になったタイミングでまた忘れていたコンプレックスが再発がした。成人というのは大きなイニシエーションで、私の忘れようとしていたコンプレックスがまた復活していたのである

今度はさら孤独コンプもこじらせていて、高校の同期が大学で楽しくやっている中自分は部屋で一人ネットをしているのがコンプレックスになった。正直もう外見なんか気にしないで普通に人と付き合えばいいというのはわかっていた。でももう二年が終り、就活が始まるという段階で今更人付き合いを増やせるとも思えなかった。だから二年の冬休みはとにかく暗くて、どうすればいいんだろうという気持ちになった。不安と苛立ちが爆発し、家族にわけもなく当たり散らすようになった。散財もするようになった。一種パニック症である。原因不明の病というのはどんなに軽傷でも人の精神不安にするもので、私の心は不安に押しつぶされていた。人間思い込みというのも一つの病だと思う。

そして2019年5月に、最後の望みをかけてそれまで行った事のない眼科受診した。もう大方視力回復に間することはやり尽くしていたので、唯一やっていなかった。オルソケラトロジーという治療法にかけてみた。治療内容はググって欲しい。結果、オルソケラトロジーでも視力回復せず、私のコンプレックスは解消されないみたいだった。

しかしそこで一つの衝撃的な事実がわかった。

オルソケラトロジーを行う際に渡されたレンズを目にはめても一切気持ち悪くなかったのである

オルソケラトロジーは夜間に角膜を矯正するためのレンズをはめて就寝し、翌朝になったら角膜が矯正されているので視界がよくなるという治療である。この夜間にはめるレンズを昼間につけていても、全く気持ち悪くならなかったのである

中学1年生以来、およそ8年の時を経て裸眼で見る世界はとにかく新鮮だった。少し度が弱かったが裸眼道路を歩ける。水泳もできるしサッカーもできる。近くのビルの社名が裸眼で読める。夜は月がブレずに見える。鏡をみてもあの忌々しいメガネはない。あの時は嬉しかった。私が8年間、青春の間ずっと苦しんできた悩みはいとも簡単解決したのである

8年間の悩みが解決した理由もよくわからないのだが、私はどうやら「ソフトコンタクトだと体質的に無理なのだが、ハードコンタクトなら大丈夫」という事だったらしい。理解不能である。確かに私はコンタクトなんてどれも同じと思って、安いソフトの方を買っていたが、そんな意味のわからない解決法はネットでどれだけ探しても見つかったことがなかったし、中学一年生の時から百回は受診したどの眼医者もしてくれなかった。

目が治ってから、私は号泣した。普通病気が治ったら嬉しいと思うかもしれないし、私もそうだろうと思っていたが、こんな意味のわからない理由が原因だったこと、外見コンプレックスのせいで今まで失ってきたものが多すぎることに嗚咽し、自暴自棄になり、さら家族に当たり散らすようになった。8年間もコンプレックスに苦しんだこと、そのコンプレックスが実はすぐに治ったことを受け入れることは難しかった。ストレスの度合いでは大学受験に落ちたことなんか大したことではない。私は12-20までの8年の間でもっと色々なことに挑戦できただろうし、もっと色々な人と仲良くなれたはずなのである

8年間の理不尽は私から自尊心を奪い、一気に自暴自棄に陥らせた。3年春学期の単位は全て落とし、gpaは目も当てられない数値になった。部屋は片付けなくなった。暴食を繰り返し、体重半年で10キロ増えた。家中の皿を割った時は家族から家を出て行けと言われた。

学生時代ほとんどを思うように過ごせず、就職というラウンドまで来てしまった。現実を受け入れられなかった。3年の秋はなんとか学校に行っていたが、授業を受けている間も病的にずっと後悔していた。後悔先に立たずだけど、あの時ああしていればというのをずっと考えてたら1日が終わるとかザラであった。留年したので就職なんてどうでもいい。21歳の誕生日家族以外誰も祝ってくれなかった。家族からも暗くて一言も喋らないから怖かったと言われた。

カウンセリングに年明けから行ったが、正直今できることをやれ、気にするなとしか言われず、自分でもそれしかないとわかっていたので行く意味はないと思ってやめた。しかテストを受けるまでずっと落ち込んでて、単位も半分くらい落としたと思う。せっかくコンプレックスが解消した顔は激太りした上にやつれきっていた。

ただテストを終えたくらいから、ずっとこのままでもどうしようもないというのは体がわかってきた。ようやく、現実脳みそが追いついて気がする。もう一度三年生が始まり就職活動も始まる。何一つ悪いことはしていないのだが、人生を再スタートさせなきゃ行けない。今まで失ってきた分、これからはい人生を歩みたい。

2019-11-18

クソ息子が嘘をついて外泊した。

来年の春には進学で家を出る息子が、親に嘘をついて彼女の家に泊まった。

嘘をつくことが許せないし、彼女の親は何も言わないの?

未成年なのに、お泊りを許すってどういうことなの。

理解しがたい。

残り数カ月を楽しく過ごして、彼の旅立ちを見送って、子離れしなくちゃなあって涙ぐむつもりだったのに台無しだよ。

明日には、入学金と一年間の授業料を振り込むために仕事を休む段取りをしたというのに。

未来に向かって頑張るからお金をかけても惜しくはないと思っていたのを踏みにじられたようで怒りが収まらない。

二度と帰ってくるなという言葉を飲み込んだ。

なんとかまっとうに生きてほしい。

それだけなのに。

子離れできない親のエゴなのかもと思って怯む。

追記

息子は中学一年生童貞を捨てている。

ちなみに相手は二つ年上だった。

立派なマザコンに育て上げた自信はある。

毒親というならそうなんだろう。否定はしない。

今は息子がいなくなることが寂しくてしょうがない。

歴代の息子の彼女に対しては、確かに、いいお姑さんにはなれない・・・と思っていた。反省はしてる。

それは彼が未成年だったからだと思いたい。知らんけど。

そのくせ早く結婚しろって言う親になる自信もある。

どうでもいいけど、振込用紙を進学先に提出しなければならない様式なので、ネットバンキングはできない。

そういう世界もあるのだと知って。

※追追記

そんな息子なので、中学生の時から避妊については口を酸っぱくして言い続けてた。

妊娠だけはさせるな。

でもそんなこと言っても、ゴムの使い方を手取り足取り教えるわけじゃないし、お金がなくてゴムを買わない中高生ゴムを買い与えるのもどうかと思うし、どれだけ正しいことを言っても、しない子はしないし、子供は出来るときには出来る。

ずっといつ妊娠させてしまうのかってハラハラしてた。

なんとか高校生になって、これで14歳の母だけは免れたとホッとしたころ、彼女が途切れて、2年ほどは女っけがなくてやれやれと思ってた。

そうしたら、卒業間近というこの時期に彼女ができた。

すでに家にも連れてきたことがある。

たか

頼むから卒業までは何事もありませんように。

最も効果のある妊娠しない方法は、セックスをしないことだ、なんてことを思いながら戦々恐々としてる。

あと五年は孫の顔は見たくない。

2019-11-07

[]

中学生1年の娘に「彼氏が体の関係を求めてくる。どうしよう」と相談された

妻に昨夜深刻な表情で話があると言われた。ちょいビビったが後ろ暗いことはないので聞いた。

娘のことだった。娘は今中学一年生部活をやっている。

知らん間に娘に彼氏ができていた。相手部活の県大会で知り合った、同じ部活をしている高校生二年生だそうだ。

その彼氏が体の関係を求めて来るという。

娘は「まだ早い」と言うが相手は「好きなら全部許すはずだ。俺が好きじゃないんだな」とゴネており

妻は娘に「どうしよう」とLINEを見せられ相談された。

娘は「そういうのはまだ早いと思うし怖い。でも相手に嫌われたくない」と言っているらしい。

妻に「お父さんに言わないでと言われたが、〝大丈夫、お父さんも(娘)の味方だよ。お父さんとお母さん一緒に考えるね〟と言い聞かせた」と言われた。

俺と妻の意見は揃って「まだ早い」「その彼氏とは別れてほしい」

百歩譲って高2と中1が付きあうのはアリにしても、体の関係っておかしいよな?

しかし頭ごなしに「別れろ」と言って娘が納得するだろうか?娘は「嫌われたくない」を連呼してるようだから相手が好きなんだろう。

さて何と言って別れさせるか・・・

この三日、頭ごなしに叱らず繰り返し親子で話し、娘の部活の先輩に「相談したらどうか?」などのアドバイスを重ね

娘が「無理強いされるのは怖い。嫌われるのは嫌だけど、もう一度LINEで話して、嫌だ、怖いという気持ちをわかってくれなかったら

会うのをやめる。こっちの気持ちをわかってくれない人は、一緒にいても楽しくなくなると思う」と言った。

LINEを送ったが、やはり向こうは「やらせないなら俺を好きじゃないんだな。だまされた」の一点張りだった。

今は泣いている娘を妻が別室で慰めている。

娘の方からすでに「別れる」の宣言は送ったので、向こうの学校フルネームはわかっているか

これ以上しつこくするなら俺が出張ろうと思っている。

2019-05-20

脇毛がコンプレックスの女だ

私は物心ついた時から体毛が人より濃い

小学二年生の頃には「○○ちゃんって腕毛濃いよね~」と言われるくらいだった

両親は毛深い人ではないと思う。

母に至ってはどこの毛もほぼ無い。

なので遺伝とはあまり考えにくかった

中学一年生になる頃には既に脇毛が生え始めていた

これが1番嫌でコンプレックスだった

毛深い人ならわかると思うけど、剃っても髭のように青く残るし

やり過ぎると脇が痛くなるので中断することもある。

夏は特に地獄だった。

半袖のシャツだって、手を挙げた時に脇が見えない物を慎重に選んで買っていたし

可愛いノースリーブの服なんて着れなかった。

電車バスのつり革は一度も握ったことがなかった。毎日足に力を込めていたのでバキバキになって痛かった。

特に難関だったのは体育の着替えとプール

春夏秋冬、体育では体操着に着替えなきゃいけないという関門があるのだ

体操着は家から既に着ている状態

体育の授業が始まって着替える時には、ワイシャツを脱げば完成になるようにしていった。中学時代これを3年間続けた。

終わった後の着替えは流石に汗をかい暑いので、一目散に更衣室に行って皆が来る前に着替え終わるという早業を身につけた

そしてプールの授業

これに関しては3年間一度も入りませんでした。それしかありません。

家族はもちろん私が脇毛で悩んでいることを知っていましたが、そこまで深刻になってくれている様子はありませんでした。

私が「プールの授業は絶対にやらない」と言っても、そんな理由が通るかと怒られました。

もしも剃り残しがあるままプールに入って

友達クラスメイトに見られたら確実にいじめに遭うことなんてわかっていること

しかも私が通っていた中学って結構陰湿性格の悪い人達が集まっていたので、

これは絶対プールは入ったらダメだと思ったのです。

プール見学するのには絶対的な理由がないと駄目でした。まず「水着を忘れた」は理由になりませんでした、たしか他のクラスに借りてこいと言われていたはず…。

そんな中で限られた選択肢

生理

風邪気味

③朝熱があった

これを毎回ローテーションするのにも限度があるので、学校を丸々1日休む時もあったり(仮病使って)プールの授業が終わったら登校をするという手段を選びました

見学者はこの理由を「親が」生徒手帳に書いて先生に渡すというのが規則でした。

自分で書いた人はめちゃくちゃ先生に怒られていたのでまじでやばかったです。

しかし私の母はさっきも書いたように私の脇毛に関してあまり深刻ではない!

一度や二度は嘘で熱があるので…と書いてくれていましたが、流石に3年間は限度があるし、「いい加減やれ!」と言われました。やるわけがない。私は絶対プールは入らない。

そして私は途中から母の字を丁寧に慎重に真似て生徒手帳見学理由を書きました

…結果、一度もバレずにやり過ごせました。偶然にも母と私の字って結構似ていたんですよね。

これをずっと続けていこうと思っていたのですが、最後神様が味方をしてくれたのか3年生の時にバスケで全治3ヶ月の怪我をしたのです!!!

これは狙った訳じゃなくて本当に偶然、しか6月プールの授業が始まっていたんです!!奇跡!!

体育の授業の中で、プールが1番成績に響くって言われたけど、脇毛でいじめに遭う方が絶ッッッッッ対に嫌なのでやりません。やるもんか。脇毛が原因で不登校になんてなりたくないんだよ!成績1でもいじめの方が辛いからね。

そりゃ脇毛なかったらプール入ってたよ!全部脇毛のせいだ!

そんな感じで脇毛プール回避出来ました。体育の成績は常に2でした。

ちなみに高校プールの授業が無いところに進学したので涙が出るくらい嬉しかったです。

そこからはもうお分かりかと思います

バイトを始めてコツコツ貯金しまして

医療脱毛に今も通っています

2018-11-07

田舎中学校でも

自分の母校でもあり、妹が通ってる中学校で大問題が起きた。

中学一年生女子生徒が上半身裸の写真インスタグラムにアップした。

別段いじめや誰かに脅されたわけじゃなく、自主的にアップしたらしい。

実際どうかは分からないけど。

ネットリテラシーってどうやって教えたらいいんだろうなあ。

自分も誰かに教わった訳じゃないし。

でもスマホをだれもが持つようになっていつでもどこでもインターネットアクセスできる状態現代社会では重要だと思う。

そもそも技術の発展に対してそういう教育ものすごい遅れているような。

2018-08-06

マジでからでもコミケ中止にできないの?

めっちゃ人がバタバタ倒れた C84 一日目の天気見たら最高気温 36 度ぐらいだった。 http://www.tenki.jp/past/2013/08/10/amedas/3/16/44136.html なんとも言えないところではあるけど https://tenki.jp/forecast/3/16/4410/13108/10days.html を見るに金曜などあれに匹敵する天候になる可能性は 5% とかはあるんではないかと思う。

当時ぐらいに人が倒れたとき熱中症への注目が集まる今ならどうなるだろうか。まあ、おっさんおばさんが何人倒れても大した問題ではないのかもしれない。それはまあ、自己責任範疇で、人には愚行の権利はある。彼らが救急搬送されることで医療リソースが浪費され玉突き式に死んでしまう人が出てしまうかもしれないが、どうせそんな奴はそのうち死ぬからまり問題ではない。

ただ、コミケには膨大な量の子供が来ている。中高生はもちろん、小学生だっている。彼ら子供勝手に来ているだけで彼らもコミックマーケットルールを熟知し自ら責任を取ることのできるコミックマーケット参加者だ、という理屈は内部的には通用するかもしれないが、外部に通用するものではない。

中学生熱中症でもし死にでもしたらイベント継続が困難になる。

子供の参加は受け入れるが彼らの保護者としてふるまいはしない、というのは五年前ならまだ通用たかもしれないけど、今は通用するものだろうか。そうではないと思う。我々は、彼らの保護者としてふるまわなければならない。たとえ、彼らの態度がとんでもなく他人をいらつかせる嫌なものであるとしても。

今手元にある同人誌即売会カタログを見たら最古のものは COMITIA48 のだったのでおそらくこれたぶん俺は中学一年生だかだったと思うのだけど、 TRC陸の孤島ということを確か当時の俺は知らずに参加していたと思う(今は違うんだっけ?)。のどが渇いて辛かったことだけは覚えている。俺が特別に愚かな子供だったのか?そうかもしれない。それならば、安心ではある。ただまあ、実際には平均的にバカオタクの子供、という程度だったんじゃないのかね。

俺くらいにバカ子供が一人死ねマジでコミケどころか同人誌即売会全体にとんでもないダメージになる。今東京都庁には史上最高の脳無しが居座ってるというのも忘れるべきではない。春秋開催への移行とかいい加減まじめに検討したほうがいいんじゃないかね。そして今回は金曜だけでもなんか年齢確認入りの制限開催なり中止なりできないかな。

そして、せめて我々は、自分とクソガキのうち、クソガキの治療が優先される覚悟ぐらいはしておくべきだ。

2018-08-02

上手な生き方

今までの人生を振り返ってみて、やはり最初に思うのは「失敗だった」ということです。何が失敗だったか、どこからが失敗だったか。色々と考えてはみますけれど、明確に何が、どこからが、というのはわからず、強いて言うのであれば最初から、何もかもが失敗であったと思います

幼稚園に通っていた頃、私は1人で遊ぶのが好きな子だったそうです。みんなが仲良く遊んでいる中、1人でいたのだと。そのような記憶自分にはありませんが、今考えれば納得はできます。私の社会性の無さというものはその時点で明確に顕れていたのだと思うのです。

小学生の頃の記憶はあまりありません。あったとしても、嫌な思い出ばかりです。途中まではそれなりに、上手くやっていたかもしれません。私の社会性の無さ、性格の歪み、それらを隠すことが出来ていました。しかしそれらが露呈する出来事がいくつかありました。

一つ目は、小学五年生の頃だったかと思います。転校してきた男の子に、何故か好かれました。私も小学生でしたから、好かれていると思うと、相手が気になります。それが恐らくクラス女子の気に障ったのでしょう。色々なことを言われました。一番言われたのは、男好き、ぶりっ子などという言葉です。

私は、クラス女子のように、教室の隅に集まってコソコソと話すのが好きではありませんでした。外に出て、ドッジボールバスケットボールをするのが好きでした。だから男子と遊んでいました。それだけです。そこに男子に好かれたいなどという気持ちは一切無く、ただ自分のしたいようにしていただけなのです。それでもやはり、男好き、ぶりっ子と言われます。ですから言葉遣いを男子のようにしました。今思えば、くだらない反抗心のようなものだと思います。勿論無駄でした。

二つ目も、小学五年生の頃です。クラスに虐められている子がいました。クラス女子ほとんどが加害者でした。ほぼ傍観者であった私と2人を除いて、無視をしていました。その件は、クラス女子全員が、被害者の家へ直接謝りに行くことで収束していきましたが、その時私はとても白けた気持ちになったことを覚えています。私がもしその子だったら(勿論私はその子ではないので勝手な推測でしかありませんが)、自分を虐めてきた相手が家まで押しかけてくる、なんて状況には耐えられません。この人達ドラマか何かの見過ぎなのではないか、この一連の状況を映画のワンシーンだとでも思っているのではないか。この頃から私は、心の底からクラス女子を見下すようになりました。しかし、どんな理由があろうとも、こうやって他人を見下すこと自体性格が歪んでいるのです。それに、最近まで気づくことが出来ませんでした。

中学生になり、女子校に進学しました。勉強をしていなかったため、第1志望中学不合格でしたが。

中学一年生の夏、知り合いの、特に付き合っていない男子に、セックスがしたいと言われました。断ったら嫌われると思い、了承しました。けれど、直前になって怖くなり、何も言わず約束を破りました。嫌われてもいいから、逃げたかったのだと思います。そこまでは良かったのですが、それを母に知られました。私が学校宿泊行事に行っているあいだ、携帯メールを見られたのです。妊娠してるのではないかと泣かれました。あの時のことは、今でも鮮明に思い出せます。もちろん私がすべて悪いのですが、それ以降、なんとなく家族距離を置くようになりました。

もともと小学生の頃、塾での成績が悪く、そもそも勉強していなかったことに対し叩かれたり、怒鳴られたり、やはりそれも私がすべて悪いのですが、そういったことがあったために家族とはそこまで仲がよくありませんでしたし、正直苦手でした。

話が逸れましたが、中学高校はとても楽しかったのです。人生ピークだったように思います。私が私が友人だと思っている相手に友人だと思われているか。そういったことはここでは考えないようにします。中高と、友人に恵まれていました。

ただひとつ失敗があったとすれば、高校二年生のときです。ある人と付き合いました。その理由は、今考えれば、依存できる人間が欲しかった。それだけです。そんな理由ですから、勿論振られました。振られて、精神病みました。私が悪いにもかかわらず。病みたいのは相手の方だったでしょう。そのとき私は死のうと思いました。けれど死ねなかった。ここで死ななかったのが、最大の失敗です。

暫くして大学生になり、新しく異性の友人ができました。その友人と付き合うことになりました。これも今考えれば、依存できる人間が欲しかった。それだけの理由です。何度も喧嘩して、頼み込んで復縁して。それを繰り返していくうちに、本当の終わりが来ました。思いの外すぐに立ち直り、1人でいるのも意外と良いものだと思いました。その過程で、今までの自分がどれだけ他人を傷つけ、苦しめ、依存し、時間を奪っていたのか、自覚しました。もう人と付き合うのはやめよう。そう思っていた矢先、別れた相手から連絡がありました。復縁したいという旨の連絡です。

その頃には私は自分にはなんの価値もないのだということが理解出来ていましたから、断るつもりでした。しかし、断ったことで相手不快にさせていいだけの価値も、私にはありません。ですから曖昧な返事をし、気づけば付き合うことになっていました。

相手のことは好きでした。一緒にいると、幸せでした。

けれど相手にはもっと相応しい相手がいます。私といても幸せになれません。ですから、思い切って別れを切り出しました。

あっさり別れられた時点で、自分価値を再認識しました。

そして、4月から社会人になりました。私は仕事ができません。心も弱いです。他人が耐えられることに、耐えられないのです。

何より辛いのが、無価値自分が、何も出来ない私が会社にいることで、他人迷惑がかかっていることです。

私さえいなければ、上司気持ちよく仕事ができるのに、私がいるせいで、注意をしなければいけない。ヒヤヒヤしなければいけない。余計な時間を使わせてしまう。

ここまで書いて、何を言いたいのかわからなくなってきました

ただただ私は、消えたいだけなのです。こういった場所にこういったことを書けば、じゃあ消えろ、死ねメンヘラと言われることはわかっているのです。全て分かった上で書いています

女に生まれたくなかった。男に生まれたくもなかった。

迷惑をかけるくらいなら、生きていたくない。けれど死ぬのは怖い。

人と付き合いたい。誰かひとりに愛されたい。けれど付き合えば必ず不幸にする。私の心に問題があるから

親孝行をしたい。けれどできない。私は結婚も出来なければ、幸せそうな顔を繕えるほどうまく生きられる人間ではないから。

親孝行もできず、付き合えば相手を不幸にし、働けば他人迷惑をかけ、挙句の果てにはこうやってインターネットにどうしようもない文章を放り込む。

もっと書いてすっきりしたいことはあったはずなのですが、思い出せません。これだけ長々と書いて、言いたいことはこれだけです。

どうすれば、うまく生きられるのですか。

2018-08-01

自分ゲイなせいにしたくない自分と、その弱みに甘える自分

 私が自分の性嗜好に、というよりその性嗜好の異常さに気が付いたのは中学生の時だ。

 オナニーは小5の時からしていたし、その頃からゲイビデオオカズにしていたが、どういうわけかそれが普通のことだと思っていたのだ。自分他者との境界が見えていなかったことに気づいたのが、その境界が確固として存在することに気づいてしまったのが、中学一年生の時だった。きっかけなんてあったかどうかは、ついぞ忘れてしまった。

 とにかく、私はとても恥ずかしくなった。怖くなった。人と話すのが、人と会うのが、外に出るのが、怖くてたまらなくなった。誰と話すこともできず、全てをはぐらかし、いじめっ子にも呆れられるくらいに、私は独りになった。

 接する人間絶対数が少なく、それでいて理解されたいという願望の強かった私は、優しくされるとすぐ惚れてしまう、情けない男になり下がった。

 中学二年生の時。同じようにいじめに遭い、たまたま趣味も同じで独りぼっちだった私に助けを求めたのか、優しく話しかけてくれたあいつを、俺は好きになった。

 高校一年生の時。ふさぎ込む私を見かねて、クラスメイトに馴染めるように自分長所を引き出して自信を持たせてくれた先生を、俺は好きになった。

 高校二年生の時。たまたま隣の席になって、仲のいい人間がいなさそうな俺に笑いかけてくれたあいつを、俺は好きになった。

 一つの恋も実るはずがなかった。自分感情思考を隠すことばかり考えて育った私に、正直に自分の愛だの、恋だのを伝えることができるはずがなかった。

 恐る恐る、こっそり、気づかれるか気づかれないかからいくらいの微妙さで、アピールをした。その全てがストーカーじみていて気持ちが悪いことは、自分が一番わかっていた。

 自分自分気持ち悪くて仕方なかった。向こうは純粋気持ち・やさしさで接してくれているのに、悉く裏切って、こんなに気持ち悪い接し方をしてしま自分が、ひどく嫌いになった。

 そんなことの繰り返しに嫌気がさして、故郷を離れて、男の少ない学部学科を選んで、進学した。

 女友達が少しできた。数人にはカミングアウトもしたが、大した反応も拒絶もなく、そんなもの無かったことかのように、周りにバレないように気を遣って、私がさもヘテロかのように振舞ってくれる、いい友達だ。

 だのに、自分が殺されているような気がして、胸が圧し潰されるのだ。人の優しさを踏みにじること以外に取り柄がないのだ。

 人と接することが苦手だということは、紛れもなく事実だ。人と会話していると、自分感情が上手く言葉に載らないので、自分言葉が上手く会話に載らないので、指先まで淋しさで凍って動けなくなる。

 凍っている自分を見ている自分が、後ろから無愛想にあざけ笑う。そんなことになった原因を何だと考えているんだと、声にならない声であざけ笑う。

 うるさい。

 俺がゲイなのが悪いんじゃない。これは生まれつきだ。性嗜好が悪くて俺が悪いんだったら、俺はどこに救いを求めればいいのだ。

 故郷を離れての生活は快適だった。大学には私に優しくしてくれるような、私の好みの男性はいなかった。昔思いを寄せた相手を思い出してしまうような景色も一切なかった

 人と接したくないからと他のコミュニティに関わることもなかったので、男性と知り合う機会は一切なかった

 だから、私は自分の重荷を忘れてしまうくらいに、自然に過ごしていた。孤独ではあっても、ふわふわとした幸せ時間があったのだ。


 お金がないことを苦に、アルバイトを始めるまでは。


 年上の、体の大きなあの人は、俺に優しく笑いかけてくれる。

 失敗をしても、少し甲高いかわいい声で、大丈夫大丈夫、と言って励ましてくれる。

 自分視線が、自分の足が、あさましく、無意識に彼の方に近寄っていくのを感じながら、俺は、たどたどしい言葉を紡いで、他愛もない話をする。穢れた心臓をはち切れそうにさせながら。

 バイトの先輩が新人に優しくするのは、法や条例世界で定められるくらいの理であって、当たり前のことなのに。

 年上のあの人が優しいのは、仕事からかもしれないのに。

 あの人がたまにくだけた口調で冗談をいって笑うのは、俺にこんな、気持ち悪いまなざしを向けられるためではないのに。

 俺が産まれ、育てられ、故郷を離れているのは、こんな些細なことで悩むためではないのに。

 誰とも接さないまま生きるか、死ぬことができたらいいのに。

 大好きな音楽を聴いているだけで生きていけたら、ずっと一人で、ずっと一人で聴き続けながら死んで、それでなんにも構わないのに。

 どうして俺はこんな思いをするために、生まれてきてしまったのだ。  どうすればよいのだ。    私は、どうしたいのだ。

2018-07-08

anond:20180708070057

数学最初につまづいてるとずっと駄目になる教科。

中学一年生最初にやった一次方程式からでなおせ。

2a+3=9

のaの意味から考え直せ。

2018-07-06

今日一ショッキングだったこと。

上司平成7年まれだった。

今年平成30年だよね?

ていうことは、今23歳?

私の計算力が確かなら、23歳?

マジかーーー!?

13歳も年下て。

私が中学一年生の時にオギャアと生まれたのか。

阪神大震災が起きて、地下鉄サリン事件が起きて、新世ヱヴァンゲリヲン放送された年に生まれたのかよ。

名探偵コナン放送が始まる前年だよ。

ワンピースはまだまだ始まってなかったけどワンピ観て育ったといっても過言じゃないくらいの年齢だよ。観てればだけど。

マジかよ…………マジかよ………………。

2018-06-29

サトウキビ畑でお尻を叩かれた

中学一年生の時、高校生(だったはず)の従兄弟女の子にお尻を出せと命令され、サトウキビ畑の真ん中で渋々お尻を出してサトウキビで叩かれた。

痛くて泣いたらごめんねと思い切りキスされ、その後恐怖の初体験

今日みたいな青い空を見ると否応にも思い出す。

から自分は未だにセックスが苦手。

こんな話を友達飲み会でするわけもなく、きっともやもやしたまま心の中に抱えて生きて行くと思う。

ちなみに従兄弟とは毎年会うが、その時のことは一切触れない。

2018-06-15

容姿について

たまたまなのか親が意図してそうしていたのかわからないが、幼い頃に自分容姿についてどうこう言われた記憶がない。

両親や親戚、友だちに「かわいい」とも「ブス」とも言われたことがなく、自分がどうなのかも考えたことがなかった。

まだオシャレでかわいい、値段も大人顔負けの子供服が登場する前の世代だったというのもあるのかもしれない。

周りの友だちの顔についてもあまり感想はなく、学年一飛びぬけてかわいい女の子だけはさすがに「かわいい!」と思っていた程度。

そんな私が初めて容姿について言及されたのが中学一年生である

クラスメイト男子に何か言ったときに、「イラン人みたいな顔のくせに!」と返されたのである

ショックを受けたかというとそうでもないのだが、自分の顔についての第一報がイラン人

そもそもイラン人とはどういう顔をしていたら言われるのか。

今になるとよくわかるが、私の顔立ちは濃いのだった。彫りが深い。

だがファーストインパクトイラン人だったお陰で、その後顔について何を言われても何も揺らがなくなった。

ネパール人は大体お前みたいな顔だった」、「ロシア人っぽい」、カレーを売っていたら「本場の方ですか?」、

「何人のハーフですか?」、「イタリアに顔がそのままの彫刻があった」。

一番気になっているのは「アメリカ人っぽい」という感想。それは結局どんな顔なんだ。

国内編では「沖縄っぽいですね」、「え?北海道?あ、アイヌとか?」、

知らないおじさんに急に話しかけられて「梅宮アンナに似てるって言われたことない?」、

荒川静香に似てる」「アンジェラアキに似ている」「平井堅を思い出す」「斜め後ろから見ると松潤」。

多分私の顔はその人の思い描く「濃い顔」に類似として分類されるのだ。かつ男顔。

なんで急にそんな顔にまつわるアレコレを思い出したかというと、娘が産まれたのである

我が子はやはりかわいい自分の子からかわいいだけだとは思う。

しかし行く行くは顔の骨格が発達して濃い顔になるかもしれない。

私は子ども現在自分の思うままに「かわいい」と口にして育てて良いのだろうか。

それとも自分がそう育ったように容姿について触れずに置いた方が良いだろうか。

少し悩ましく、その過程でなんだか昔のアレコレを思い出した雑記である

2018-06-10

5万円のお買い物をするなら

39歳男性 専門職ビデオゲームガジェットが好き。

家族構成40代の奥さんと中学一年生の息子。共働き

  

私の趣味に関するものは、基本はお小遣い制(月に1万円)

その他の場合にはプレゼンテーションを行って、家族が納得できれば買ってもらえるスタイルになっております

さて、そんな私が、この度のボーナスで50000円を使用しても良いことになりました!

普段は買えないようなモノを買おう!という気持ちが高まっているのです。

  

お買い物の権利を与えられて、何を買おうか迷い、それが到着するまでが本当に楽しいのです。

特に迷っているときのワクワクがたまらないんですよ。

(届いてから楽しいですけど)

  

という訳で、現時点で迷っているものを書き出してみました。

ほしいものがたくさんあるのです。

  

  

1.ホットクック  

水なし自動調理鍋、ホットクック!①1.6リットル ②2.4リットルの旧モデル ③2.4リットルの新モデルで迷っています

はいえ、2.4リットルは新旧モデルともに予算オーバー+大きさもあるため、実際には1.6リットル+内鍋と内蓋を追加がベストかと思っています

機能としては③がいいんだけどなー。

また、我が家では既にANOVAが活躍していて、妻から評価も高いのです。

素材と温度によっては割と作り置いておくこともできて、塊肉の調理はこれ以上の調理法は今のところはないと感じています

そして、なによりANOVAのよいところは、最初の準備のみで料理が完成するところ。

もちろん、それはホットクックも同じです。ホットクックは、下準備を好きな時間に行えて、複雑な手順もなさそう。

私の料理レパートリーが増えると少しは妻の負担の軽減になるのではないかと思っています

野菜が美味しく仕上がりそうなのも素敵です。

  

  

2.Oculus Go  

さっとつけられることでVR生活に馴染む!と巷では話題アイテム

スマホをはめ込んで使うVRゴーグルは使ってみたことはあるし、なかなかおもしろ体験ではありましたが、まあ、普段から使おうとは思えない。

何より、スマホをつけたり外したりが面倒…その点ではその課題クリアしているOculus Goはよいような気がする。

ネトフリも普段から使っているので、それも試してみたいです。

生活が変わりそうな予感もするのでなかなか良いのではないかと思います

はいえ、PS VRについても「PlayStation E3 2018 Showcase」での新ハードウェアや新作ソフトが発表になりそうで、気にもなっています

コンセプトはだいぶ違いますけどねー。

手持ちのPS4ノーマルなので、Proに買い替えて…となると完全に予算オーバーだなー。

  

  

3.アップルウォッチ  

スマートウォッチPebble Timeを使っていて、通知が来ることとバッテリーがそこそこ持つことにかなりのメリットを感じています

最近、メインのスマホAndroidからiOSになったこともあり、これを機にアップルウォッチを買おうかなーとも思っています

しかし、MVNO使用しているため、LTEモデルは買えないんだよなー。

こういうパターンは購入意欲が低下する要因になりうるのです。

  

  

4.ヨギボー  

人をダメにするソファーの上級機。

自分の部屋ではイケアのポエングを使ってゲームをしたりしているのですが、これを機にヨギボーさんを購入して「床ですごす生活」ようにしようかなー、とも企んでいます

ヨギボー、こんな機会でもないと買わないだろうからなー。

  

  

5.ホームプロジェクター:ドリーミオ  

8〜9万円くらいの機種。(予算オーバーだな)

設置場所の都合で斜め投影必要そうなのでこちらの機種がよいかと思っています

今回は見送りかなー。

  

  

6.TV(50インチ 4K)  

ハイセンスさんあたりだと、50インチ近くても50000円の機種もあるようですが、実機をみたらちょっと黒が弱かったなー。

自分の部屋のテレビはLG32型の機種。まあ、使えるものを買い換えるのは贅沢の極みなので、今のところは避けたいところ。

  

  

7.ルンバ  

自動化は便利そうなので。リビングの床にはなにも置いていないので、相性はよさそう。

ただ、我が家ダスキンのモップも頼んでいて、これがさっと使えてかなり便利なのであまり効果が実感できなそう。

  

  

で、ここから先は、予算からすると値段が下がります。  

  

ポータブルハードディスク  

Macbook airバックアップHDD

使っていたものが壊れてしまったので。これはプレゼンテーションによっては購入してもらえそうなのでわざわざこの予算で買わなくてもいいか

  

JBL LINK 10〜500  

Google Home miniは使っているのですが、なかなか面白い体験

持ち運べるJBL LINK20くらいの奴が良さそう。

予算が余ったら購入を考えたい。

  

Mac マジックマウス2  

使ったことない。ちょっと予算に余裕がないと買わなそうなので。

  

産業 レンジでらくチン ゆでたまご  

息子のお弁当作り用に

  

地球防衛軍5(DL版は現在30%オフ

EDF!EDF!

  

  

・・・まだまだあるけど、とりあえずはこんなところかなー。

クワクするなー、たのしいなー。

今のところは、家族へのメリットも考えるとホットクックが暫定1位です。

2018-05-26

中学一年生自殺

昨日のニュース中学生自殺話題になっていた。

それをうけてか、電車の中で、中学生母親位の年代グループが、つい最近まで小学生だった子供自殺なんて信じられない。自分達がそんな歳の頃は自殺なんて考えたことなんてなかったというような話をしていた。

こんな人想像力の欠如した人だらけだから若い人が自殺するんだと思った。

2018-05-13

anond:20180513090154

すごい!よくじぶんでかんがえたね!

中学一年生ぐらいかな?

2018-03-27

今の記憶のまま人生やり直したい

二十歳

中学一年生あたりからやり直したい

2018-03-21

おとこもおんなもない世界ならよかった

わたしは女。

友達女友達も半々くらいの比率でいる。

けどトラブルだったり悩みの種になるのはいつも男だ。

女の子とは割と良い関係が築けている気がする。

彼氏は2年くらい居ない。

なのでいろんな男友達と二人でも飲むし、みんなで遊んだりもする。男の中でわたしひとり女だったりすることもある。

職業柄慣れっこではあるし、平気。

ホテルには行かないし手も繋がない、チューもしない。誰かの家で宅飲みしても男と1対1になるシチュエーションは必ず避ける。

女の子といると安心するけど

男の人といるほうが楽なときもある

わたしにとっては女、男、という性別よりはその人個人を見て付き合っている。つもりだった。

性別って言うのは、その存在だけで残酷なんだな、って思った。

二人で飲んだりしてた男友達たまたま大勢で飲んでいたときひどく酔っぱらって抱きついてきたりすきだよとか抱かせろとか言ってきて

キモすぎて、やめて、キモい、と拒否するようなこと言ったら逆ギレされて物を投げられた。

こわかった。よく考えたらセクハラ

共通の友人に相談したらわたしのことがすきんじゃないかと気付いてたと言われた。

わたしはなにもしらなかった

拒絶の仕方が悪かったのかもしれない、

わたしだって思わせ振りなことしてたかもしれない

けどこんな傷つけ方をされていいわけじゃないと思う。

とは思うもの

嫌よ嫌よもすきのうちと思われたのかはわからないが

迫ってくる男を止めない周りにも嫌気がさしたしそういう社会わたしは生きてるんだって

気付かされた。

わたしは、

女の子男の子も問わずすきだよ、と言ってしま

そういうとこがすき、とか普通に言っちゃう

二人でお酒だって飲む。もっとその人を知りたいから。さしのほうがその人に向き合えるから。男とか女とか関係なく。

それがよくないって男友達に言われた

身体はなんもなくても心がビッチ、って女友達に言われた

わたしには出てるものがない代わりに穴があって

男には穴がない代わりに出てるものがあって

どうしてその違いで

仲が良いままでいられなかったりすることがあるのだろうか

至極当たり前のことだし

男と女友情はお互いに気を遣い合って一線を越えないようにしているから成り立っているものってわかっている

それでもかなしいものはかなしいな

クリオネみたいになればいいのに

男も女もなかったらな

男の人がすきだけど嫌いだ。

男の人が持ってる男性性みたいなのに飢えているから知らず知らず男の人に甘えてしまって

その気にさせてしまって、でも下心を感じた途端に気持ち悪くなって拒絶してしま

友達の男としての一面は見たくない

わたしが悪い、

わたしはどうしようもなく女だ。

こうやって性別に拘っている時点で自分いちばん気にしている。

でも、男の人が怖い。

怖いといいつつ彼氏もいたし処女じゃない。

性的関係気持ちいいとはおもう。

けどどこかやっぱり怖くて、男の人優勢で世界が回っている気がして、でも自分にないものとして男の人に惹かれてしま

という事実すらかなしい

中学一年生とき胸が膨らみお尻が大きくなり、自分がひどくいやらしい女のように思えて嫌だった。

母にはからかわれた。すごくそれがショックだった。あんまり思い出せないけど

男のエサになる。と思った。

男との関係の取り方には父親との関係性が根底にある的なこと言われてるけど、わたし自身うまくいかなかった。

これが原因なのかな。

どうしてこうなったのか、自分でも理由がわからない

自分の中の女性性を否定する

バカなふりしてるほうが楽だし女の子らしい服着ない、男みたいな振る舞いもする

そのくせに

ときには女であることを良いように使ったりする、ほんと、最低だな。ちゃっかりしてんな。わたしって

最低だな。

ちなみに変な男ばっか寄ってきます。それでも生き残ってる男友達は良い奴ばっかです。

2018-02-04

時々ネット懐古の旅に出たくなる

ネットには小学校低学年の頃から触れてきた20代の女だ。

時々、何の拍子にかわからないがふと昔ネットで良く見てたサイトを思い出して「今あのサイトどうなってるんだろう…」と思う事がある。

記憶はあってもサイト名を覚えていなかったり、サイト自身が消えてしまっているのもあるが、未だに残っていたりするサイトがあったり、当時の画像や記録が残っていたりして今になって見ると中々懐かしくて面白い

こういった事を年に1,2回ほどしたくなる。それを私は「ネット懐古の旅」と呼んでいる。懐古と言ってもたかだか10年ほど前の事だが。

その思い出話をなんとなく残しておきたくなったので残しておこうと思う。

リヴリーアイランド

まずこういったバーチャルサイト自体が好きで大量に遊んでいたのだが、その中でも一番ド嵌りしていたのがこれだ。

2003年から3,4年はガッツリ嵌っていて、学校から帰っては遊んでいた。なんなら親に頼み込んで「G.L.L」という有料会員にも登録させてもらっていた。

リヴリーキャラクターも勿論だが、島やら家具やらのデザインが可愛らしくてその雰囲気がとても好きだった。リアル友達にこれやってみない?と誘った最初最後オンラインゲームだった。発売していた攻略本シール帳なども購入していたし本当にとても好きだった。

その後も時折やっては居たものの、いつからか餌をやりトイレをさせ金を回収するだけという日々が続き(これリヴリーやってない人から見たら意味不明なのではないだろうか)、そのまま有料会員も退会しログインしなくなっていった。

今調べてみると名前が多少変わり、未だに運営は続いているようだった。なんかLINEスタンプ出てたから懐かしさに負けて購入した。

しかし辞めてはしまったけどやっぱりリヴリー可愛い…可愛くない?私はクンパとケマリとオオツノワタケが好きだったんだよ…ラヴォクスも好きだったけどなんかアレはふわふわ女子しか飼ってはいけないのではみたいな謎のプレッシャーに負けて飼えなかった。限定種も未だに増えてるんだな~~~ラビネってやつ可愛くて好きだ。

プラスリンネオベルミンとかあったな~~~。オオゼキタクの恋オーラは私が初めて購入したシングルCDだった。淡いすごい淡いすれ違いのその後に~~残り香で気づくような~~~♪これ通じる人いる…?

滅茶苦茶覚えてるのがアナグラ亭事件。あれはね~~~本当に重かったよね~~~~。凄かった本当に。あまりに動かなくて私が何か悪いことしてしまったのかと勘違いして「お父さんごめんなさいパソコン壊しちゃった;;」って謝った記憶がある。

それと先程言った友達がdoodooくじで1等当ててモチダルマ持ってたのが滅茶苦茶羨ましかった。コンプ癖あるからこういうアイテムコンプリートが段々難しくなっていったのが離れた理由の一因だった気がする。今なら多少はそういう要素あっても仕方ないよねって思えるんだけどね。

ところで検索したら小学生だった当時の自分がやっていたリヴリーに関するブログが未だに残っていて読み返したら頭が痛くなってきた。しかパスワードを覚えていないので消せない。生き地獄!!!!!!

ピタコムやらその辺

なんか他にも似たようなサイトをいくつか登録していた。何だっけ…ミルキーコムみたいな名前のやつとサイバーコムみたいな名前のやつと後なんか青くて海か何かをテーマにしてたやつ…(情報が無さすぎる)

確か全部同じ会社だった気がするし全部やってた。一番嵌ってたのがハピタコムだったのでそれしか名前をはっきりと覚えていない。

この世界で使える通貨ログインすると貰える仕様だったため、私はログインしてはログアウトしを繰り返し通貨を貯めていた。(もちろん短時間に繰り返すと貰える額は減るのだが、0近くになるまでは繰り返していた)

つの間にか飽きていつの間にかログインしなくなったがいつの間にかサービス終了していた。ネットで調べてもあまり情報が出てこなくて寂しい。が、ミルキーコムじゃなくてミルタンコムだったことはわかった。ミルタンな!!よっしゃ覚えた覚えた!!!

ぱどタウン

上記のハピタコムと似たようなサイトだった記憶があるのだが確かこれは運営会社が違った気がする。私は泉州ぱくぱくタウンに住んでいた。

正直そこまで熱心にやっていたわけではないのだが今調べたら半年ほど前にサービス終了していて今とても悲しみに暮れている。嘘だろお前…一年前に懐古の旅に出た時はまだ生きてたじゃないかログイン人数0人だったけど…

ところでこういうバーチャルタウンって今だとAmebaピグとかニコっとタウン辺りが人気なんだろうか。いやその話はちょっと逸れるからいいや。

ふみコミュ

2005年前後小学校高学年~中学生辺りだったネットを楽しんでいた女性は一度は聞いたことのあるサイトなのではないだろうか。

無論私もその一人だった。私がガッツリふみコミュに入り浸っていたのは中学一年生の時の一年間で、大体「雑談ロビー」という他の掲示板とはちょっと雰囲気の違う掲示板毎日のように遊んでいた。後素朴な疑問板。

なぜかこのサイト使用していたHNをしっかりと覚えていて検索したら一部の書き込みログやら愛画()やらが出てきた。クソ懐かしいな愛画。他にもあるぞ、ちめこんやら裏雑やら雑ロリボンやら色々あっただろほれほ~れ。

個人的に滅茶苦茶記憶に残っているのが醤油一気飲み事件と巨大ウサギアイコン事件かな。分かる貴方は私と雑ロで会話したことがあるかもしれない。

ちなみにふみコミュはそこから数年経ってリニューアルし、雑談ロビーリニューアルされ、これを期に今まで雑談ロビーにいなかったタイプの方々が掲示板投稿するようになって段々アクセスしなくなっていった。

これがきっかけで「雑ロはこんなんじゃなかったのに;;わたしたちの旧雑ロを返してよ><ふええ」と抗議した旧雑ロユーザーが大量に発生したとかしないとか。(私はその内の一人でした)

そんなこんなでアクセスすることは無くなったが未だにふみコミュは続いているらしい。もう大分変わって何がどうなってんのか全くわからないが。

突然思い出したが素朴な疑問板で唯一覚えてるのが「嵐の『全身全霊なんとかヴェー 自分なんたらかんたらヴェー』って曲なんですか?」って質問だ。a Day in Our Lifeだよそれ!!!

夢小説

ウッ…頭が…っ!

2007~2009年辺りは私も例外漏れず見てましたハイ…。あのほら…何十個もあるランキングからパスワード集めたりとかさ…「入口はこちから→」の「こちら」をクリックしたりとかさ…なんか妙なトラップ仕込まれてるとこ多かったよね…。パスを教えたと見せかけた必読の下の方にスクロールしたら「本当のぱすは○○」みたいなの載ってたりとかもあったね…。

でも何から見始めたのか全然覚えてない。何がきっかけだったんだろうこれ。あとこれの影響で自分創作しない癖にお題サイトかめっちゃ見てた。

ハンゲーム

小学生の時よく遊んでた。当時母がパズル雑誌をよく買ってきてくれた影響でイラストロジックが好きだった。そして自分は年齢の割にはイラストロジックが得意なのではないかという謎の自信があった。

確か部屋の中には初心者ルーム上級者用ルームがあり、初心者ルームは対戦で勝っても負けてもその時やりとりしたゲーム通貨のような物は退室した時点でリセットされるのだが、謎の自信に満ち溢れていた私は小学四年生という年齢の分際でいきなり上級者用ルーム突撃した。即負けていくら通貨を失ってビビッて逃げた。上には上がいるものだと実感した時である

なぜか高校の時にはアパレルパレットというデザイン系のゲームに突然嵌り再び小学生の時のように毎日ログインしていた時があった。でもこのゲームもいつの間にかサービス終了していた。うそーん…

なんかアパレルパレットBGMが好きだった記憶があるのだけどサービス終了すると聴けなくなるのとても悲しいね…。




とりあえず今回ここまで懐古した。こういうのを探していると突然こんなのもあったな!って思い出す事もあるしその度に懐かしくなる。思い出補正だろうが、自分が一番ネットを楽しめていたのがこの時期だったのかもしれない。

2018-01-12

悲報俺氏17歳にして怠惰が治らずwww学校サボるwwww【助けて】

なるべくたくさんの人に見てほしいのでこのようなタイトルしました。

助けて!知恵を貸してください。

わたくしは不登校児です。

まずは私の懺悔を聞いてください。イタくてクサい犯行記録をよんでください。

新学期が始まって2日経った。まだ一度も学校には行っていない。

行ってきます、と家をでて、電車に乗る。乗り換えの駅で降りる。ベンチに座る。電車から降りた人たちが群れをつくって階段へ向かうのを眺める。平日朝の駅には美しい秩序がある。目当ての群れに入りさえすれば、あとは無思考でも乗り換えのホームへ人が運んでくれる。ちょうど目当ての群れはベンチの前を濁流のように動いている。私はただ立ち上がればいい。しかし立ち上がらない。人びとをじっと見つめる。カナダグースが多いなあと思う。

やがて体が凍えてくる。始業時刻をとっくに過ぎてしまたことを知る。そこでやっと立ち上がることができて、私はよろよろと改札を抜け、すぐそばスターバックスに入ることができる。

あとは授業が終わる時間までカフェを3軒くらいハシゴする。大きな図書館に行くこともある。それらの中で私は本を読んで、リブログして、あるいはじっと考える。なるべく現実とかけ離れていることを、虚空を見つめて考え続ける。

父親単身赴任母親も働いて日中は家にいない。帰ったほうが節約になるし、テレビ見れるしあったかいし寝れるし絶対そっちの方がいいけれど、大学中退した四つ上の兄が一日中いるのでそうもいかない。

サボっても、家に連絡が来ることはない。電話線を抜いたから、きてるかどうかもわからない。

夕方家に帰って、自室で音を殺して弁当を食べる。

まずもって、誰にもバレない。慣れたものである

初めてサボったのは中学一年生の時である。その頃は今と家庭状況が違ったので、昼前には家に帰ることができたが、家に連絡が入ってバレてしまった。

中学二年生からは真面目に通っていたのだが、高校一年生の夏の終わりから、私のこの悪癖はまた顔を覗かせ始めた。

バレるたびに私の信用はゼロになる。

バレなくても、学校に行かないことで学校友達や仲間に迷惑をかけまくる。「ばり休む子」という色眼鏡で見られる。

中1で失くしたものをせっかく取り戻したというのに(うちは中高でほとんど生徒のメンバーが変わらない。99%同じ160人)、また自分でそれをぶち壊してしまった。

困ったことに、サボるときLINEアプリを開くのが苦痛になるため、友達心配するメッセージに返すこともできない。電話もでれない。みんな優しいので通知3,000とかいちゃう。ごめんね。

未読無視したままでも、それでも久しぶりに学校に行くとみんなはすごく嬉しそうにしたり、ほっとした顔をしてくれる。笑ってイジってくれるし(また鎖国〜?と言われる)、一緒にLINEを返してくれる子もいる。

幸せだなーと思う。

自分はクソ人間だが、何故か私は縁に恵まれている。私の周りは良いやつばっかり。みんな善良で、ユーモアがあり、親切で、努力家で、芸術が好きで、頭がいい。

でも私はまた休んでしまう。その度に友達は手を差し伸べてくれる。私は甘んじてその手を握り、そしてまた強い力で振りほどいてしまう。

ほんとうに申し訳ない。

言い訳します。

中1の頃も高1の頃も、学校をサボった朝、私は自殺しようとしていた。

朝起きて、自分の一番好きな服(母校がガチで好きなので制服のことです)に着替える。何事もないよう装う。さもいまから学校にいくんですよ、昨日の続きの人生を送りますよ、という風な態度をとる。ここでちょっとでも変なことをしたら、死ぬ自由を奪われてしまう。

自殺を決意したとき特有の見え方で輝いている母親の優しい眼差しなんかを目に焼き付けて、いつもよりも良い匂い空気を吸い込む。

駅のホームで、さあ死ぬぞ、と靴を半分脱ぐ。そういえば、滞りなく通学していた時期に、人身事故で困ったことがあったなあ。線路に飛び込んで死んだら、損害賠償ヤバイってマジなのかな…。そんなことを考えていると、通過列車アナウンス流れる死ぬならやっぱ通過じゃない?止まるやつより速いから確実そう)。

入ってくる電車がやけにゆっくりに感じて、運転手さんの顔をじっくりと見てしまって、見てしまうと、もうダメで、私はまた靴をはくのです。

それの繰り返し。

電車ではムリだとわかったので、今度は家で首を吊ることにする。初めてつくった縄はぐちゃぐちゃだったなあ。つくるのにすごく手間取ってしまった。今ではだいぶ上手くなった。私のロフトベッドの桟には、試行錯誤の縄の跡がついている。

しかし、首吊りというのも難しい。首に縄をかけるのは能動的なものなのである。よほど強固な意志があるか錯乱していないと、ブレーキがかかってしまう。好きな音楽をかけてなんとか自分を励ます首に縄をかけたとき、本当に優しい気持ちが溢れてくる。人類すべてに対する、焦がれるような愛情ほとばしる。世界がはちゃめちゃに美しいと感じる。えいと椅子を蹴ったけど、結局縄はするすると解けてしまった。そして私は明日のために、明日自殺自由を奪われないために、急いで証拠隠滅をはかる。

他にも二つくらいの方法を試したけどダメだった。準備の最中にお母さんから今日の、晩ごはん肉じゃが(*^_^*)高いお肉を、買ったよ♪お出汁をとっておいてね!」などとLINEはいると、(私にとって)自殺直前特有の激しい愛情あいまってもうダメなっちゃう。

他の二つのことは(というか実は飛び込みと首吊りのこともなんですけどね)主題に全く関係ないので書きません。

しかし私は死ななくてはならない。前はただ自意識から逃げたくて死のうとしてたし、今もそうなのだけど、私はもうわかっちゃったのだ。

私に伸び代はない。

せっかく中学受験して、一生の誇りになるような学校に入ったのに残念だけど、私は17歳になっても怠惰が治らなかった。そもそも自殺成功しないのも怠惰が原因ですよね。

はあ…。

すみません時間がないのに、なんでこんなにたくさん書いてるんだろう、焦ってるから考えられないのだと思います

どうしたらいいですか?

中1のときと高1のときは、ヒリヒリするほど自殺への欲求がありました。おかしな話ですけど、私は生きるために、自殺しないように、学校をサボって自分を休ませる方法を編み出しました。

そのときは、そうしないとマジで気が狂うと思ったし死ぬと思ったから、罪悪感とかは後々になってでてくるものだった。

でも、今はどうなのかわからない。

死にたいという気持ちは消えたことがない。

でも、あの頃ほどじゃない。

今の私はただ、怠惰から学校をサボっているのではないかな。

というかたぶんそれで間違いはない。宿題終わってないから、嫌やねんな。そう。

罪悪感がすごい。いつかバレるのではないかという恐怖もすごい。みんなそうだと思うけどうちの母親は怒ると人格が変わって、マジでなんでもする。風呂に沈めてくる。

兄貴は今は肩身がせまいか大人しくしているけれど、去年の4月まで私は生傷が絶えなかった。顔と耳に血豆ができた状態学校に行って、ウケると思って「兄貴にやられた!」と言ったら、みんないいとこの子なのでガチマジのドン引きをされた。私の立場が悪くなったらすぐまたあの頃に戻ると思う。ホント関係ない話だけど、「君の名は。」でみつはちゃんにはいった瀧くんが胸を揉むシーンが、マジで無理いろいろ思い出すからアニキにされたこと、思い出したくないし文章にしたくないけど伝えたいので、↑で察してほしい。毎日だった。

とにかくサボってることをバレるのが怖い。

今日母親に「増田新学期の始業式から学校に行ってて嬉しい!」と言われた。行ってない!!!ごめんお母さん。

もういっそ全部バレてほしい。もう嫌だなにもかも。

でもたぶん、明日も私は学校はいけません。

私はこれから大丈夫ー?」という友達LINEの通知をオフにして、電気を消して、明日段取りを考える。いつも通りの顔で、いってきますと言わなくちゃいけない。

みなさん、私はどうしたらいいですか?今から何をすべき?明日はどうすべき?

知恵を貸してください。

読んだらわかると思うけど、かなり焦っているし取り乱しています。文頭と文末がしっかりしていないし、言葉も間違いまくってるとと思う。わかりにくいでしょう。

助けて。

2017-12-31

ストロングゼロ呑みながら日記

前回の日記

[日記][ストロングゼロ]

◇Day 1 [2017/12/30(sat)]

 プシュ、とプルタブを開けた時の音が何となく自分は好きだ。

 ついさっきスーパーまで行ってどさっと1箱、ストロングゼロの500mlの24本入りを買ってきた。

 これを来月8日までに飲み干すわけだからざっと計算して1日2缶、1,000mlは呑むことになる。

 さながら処方箋のように。

 ストロングゼロ 500mg、1日2回。服用は食後。

 みたいな。

 さて、酒は中1から飲み始めたと昨日書いたけれど、今日はそのことについて振り返ってみようと思う。

 あー、でも、まだ酔いが足りないかもしれない。

 今手に持っているストロングゼロをまず一缶空けてからキーボードを叩くことにしましょう。

 ……。

 呑み干した。てことで、もう一缶。

 にしても不味いな、ストロングゼロ

 ちなみに葡萄ダブルを今呑んでいるが、安いウォッカ特有の、あのザ・アルコールな苦味がなんとも言えない。それを無理やりぶどうの香料で消した感じも、うん、なんとも!

 なーんて悪態を吐きつつ、でも、人生で一番飲み干した酒缶は間違いなくストロングゼロ自分である

 手元に酒がないとき、とりあえず手軽に安くて簡単酩酊するにはこれは最適すぎるのだ。

 500mlのストロングゼロをぐいぐいと呑みつつ、〆には鬼ころし。あとはタール11mgの重めのラッキーストライクなんかの煙草もつまみにして。

 そうすればほら、たったの300円程度で酔っ払いの出来上がりだ。

 300円の処方箋

 高校時代から続く、いつまでも煮えたぎっている自己嫌悪だって、とりあえず思考の端には追いやれる。

 延々と続く毒にしかならない退屈な時間を、この瞬間だけは確かに、こいつらは薬になって埋めてくれるのだ。


 ……なんの話をしたいんだっけ? ああ、思い出した。

 んー、じゃあ。さて、振り返ってみるとするけれど。

 ええと、自分が初めて酒を飲んだのは中学一年の冬……7年前のことになる。

 ちょうど7年前。

 2010年12月23日のことだ。日付だってちゃんと覚えている。

 その日は友達の家でクリスマスパーティーだった。メンバー曖昧だけれど、六人程度。全員、小学校からの幼馴染だ。そいつらとは今でも仲は良い。

 酒を持ってきたのは吉田くんだった。

 吉田くんはこの小学校メンバーの中では一番アウトロー存在で、不良を嫌いつつ、行動は不良そのものみたいなやつだった。2010年の当時は、脱法ハーブなんかがまだギリギリ滑り込みで出来ていた時代で、吉田くんはドラッグアルコールなんかの知識中学1年生ながら無駄に溜め込んでいた。そんな吉田くんを僕は若干尊敬さえしていた。

 彼の存在は、部活も何もない暇な中学生であるぼくにとって、ある意味の「非日常」だったのだ。

 わんやわんやと騒ぎ立てて、お菓子ジュースなんかにそろそろみんなが飽きてきたころ、吉田くんは青色水筒を得意げにカバンから取り出して、

 ひとこと。

「酒、持ってきた」

 と言った。

 ――たぶん、そのとき一番その言葉に興奮していたのは自分だったと思う。

 吉田くんが飲むやつは、とみんなに訊ねて、ぼくは「飲む! 飲む!」と目を輝かせて挙手した記憶がある。

 そうしてにやっと笑った吉田くんは、ぼくのグラスに水筒に入った酒を注いでくれた。

 茶色の液体。あとになって知ったことだけれど、ブランデーと呼ばれる種類のものだった。

 ぼくは余っていた三ツ矢サイダーでそれを割って、ごくっと勢いよくグラスを呷ってみた。

 甘い。

 なんか、ケーキのにおいに似てる。

 それが生まれて初めてのお酒感想。当時中学一年生のぼくが抱いたお酒への感想だった。

 それからお酒はこのクリパメンバー中で黙認化されて、新年、進級、七夕ハロウィン、そういう行事を口実にしては酒を呑む日常が始まった。

 お酒はぼくの中で非日常へ行くための手段だったのだ。

 それはたぶん今もおんなじで、お酒の味が良いからだとか、そんな理由で呑みたいと思ったことは一度もない。

 すべては酩酊した楽しい世界に行きたいから。

 これに尽きた。

 たぶん、LSDだとか、大麻だとか、そういうもの代替え品として使っていたのだ、当時の自分たちは。

 こうして中学一年生にしてぼくは、暇な日常からそこそこ楽しく脱するためのツールを知ってしまった。

 暇なとき。楽しくなるには、お酒を飲めばいい。

 ただそれだけ。

 自分が酒を飲み始めたのは、こんな経緯。

 ある意味では健全だった当時の酒の飲み方は、高校に入ってから一変し始めるわけだけれど、それは明日書いてみようと思う。

 あー、ほんと、ストロングゼロは不味いなあ。でも酔いが足りない。

 だからもう1缶追加しようと思う。

 大丈夫、なくなったらまたコンビニで買えばいいんだから……。

 

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん